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ギリシャ破綻と日本をダブらせる愚 4種類ある「政府の負債」を混同するから本質を見誤る!

2010年8月11日(水)07:00 日経ビジネス

我が国は、自国の首相までもが「日本政府の負債」と「ギリシャ政府の負債」を混同し、懸命に破綻論を喧伝する摩訶不思議な国である。性質が全く異なる日本政府とギリシャ政府の負債を、「絶対額」のみで比較し、

「日本の借金の状況は、ギリシャよりも悪い。ギリシャは破綻した。よって日本も破綻する」

 などと、単純論を主張していれば、仕事をしたことになるわけであるから、この手の政治家やテレビのコメンテーターの皆さまが、時折、心底から羨ましくなる。この手の主張をする人々は、「政府の負債(財務省式に言うと『国の借金!』)」の「種別」について、考えたこともないのであろう。


買いオペで金利を抑制すれば済むだけの話

 ざっと分類するだけで、「政府の負債」は以下の4つに分けられる。

I. 政府が自国通貨建てで自国から借りた負債
II. 政府が自国通貨建てで他国から借りた負債
III. 政府が外貨建てで他国から借りた負債
IV. 政府が共通通貨建てで他国から借りた負債

 ギリシャ政府の負債の7割は IV に当たり、日本政府発行の国債の95%が I である。さらに日本政府の場合、外国人が保有する国債についても II に該当する。すなわち日本の場合、過去に発行した国債の、ほぼ100%が日本円建てなのである。

 ちなみに、アメリカ政府の負債はIとIIが半分ずつで、2001年に破綻したアルゼンチン政府の負債の多くは III であった。

 債権者が国内投資家だろうが、あるいは海外投資家だろうが、国債が自国通貨建てである限り、現在のギリシャが陥っているような「政府のデフォルト(債務不履行)」の危機は生じ得ない。政府の資金調達、すなわち国債発行時の金利水準が上がっていけば、中央政府が国債を買い取る(=買いオペレーション)ことで、金利を抑制すれば済むだけの話なのだ。


ギリシャ式財政破綻は「ユーロ加盟国」しかない

 ところが、ギリシャのように共通通貨建て(あるいはアルゼンチンのように外貨建て)で国債を発行してしまうと、話はまるで変わってくる。何しろ、ユーロ加盟国であるギリシャは、金利調整の機能をECB(欧州中央銀行)に委譲してしまっている。ギリシャ政府は、自国の長期金利を調整する権限を、全く持ち合わせていないのである。

 国債を増発し、長期金利が上昇していった場合に、ギリシャ政府には打つ手が全くない。普通の国が自国通貨建て国債を発行しているのであれば、中央銀行が国債を買い取れば金利は抑制できる。ところがギリシャの場合、自国で金利を調整することは全く不可能なのだ。それが可能なのは、ECBのみなのである。

 そして「ユーロ圏の中央銀行」であるECBが、ギリシャ一国のために金融政策を歪めることはできない。これこそが、現在のユーロ圏を揺るがす、複数の加盟国が抱える財政問題の本質なのだ。ギリシャ式の財政破綻は、「ユーロ加盟国」でなければ、決して発生し得ない性質のものなのである。

以上の通り、ユーロ加盟国であるが故の「特殊事情」を抱えるギリシャと、政府が国内の過剰貯蓄を借り受けているだけの日本政府について、「負債の絶対額」のみで比較し、「破綻だ! 破綻だ!」と騒ぎ立てる。果たしてこれら「破綻論」を主張する人々は、日本国債の保有者別内訳などのデータを、過去に一度でも目にしたことがあるのだろうか。甚だしく疑問である。

国債などの負債が自国通貨建てである限り、政府は自国の中央銀行を通じて長期金利の調整が可能だ。長期金利とは、ずばり政府が資金調達(例:国債発行など)する際のコストである。

 政府が国債を増発すると、長期金利が上昇を始める。金利上昇を抑制するために、中央銀行が買いオペレーションで国債を買い取っていくと、代わりに通貨(厳密には流動性)が金融市場に供給され、インフレ率が上がっていく。


インフレ率が1万3000%になるとでも?

 破綻論者の中には、このロジックをとらえて、

「政府が国債を増発し、中央銀行が国債を買い取ると、ハイパーインフレーションになる!」

 などと、極論を言い出す人もいる。ちなみに、ハイパーインフレーションとは、インフレ率が1万3000%に達することである。この用語を使う人は、果たしてきちんと定義を踏まえた上で使っているのだろうか。もちろん、そんなことはない。

 「ハイパーインフレーション」という用語を使う人々は、センセーショナルに国民や社会を煽ること、それ自体を目的としていると考えて間違いない。あるいは、単に「無知」であるか、いずれかであろう。

 史上まれに見るデフレーションに悩む日本が、ハイパーインフレーションになる可能性など、月が地球に落ちてくる確率よりも少ない。それ以前に、この手のセンセーショナルな用語を使う人は、そもそも国民経済における「政府の役割」について、全く理解していないと断言できる。

 

資本主義経済における政府の役割とは、本来的には、

「民間経済が健全に成長するように、需給や金利、物価などを調整すること」

 に尽きるのだ。インフレ下で国内の供給が足りないのであれば、増税や政府支出削減により需要を減らす。逆に、現在の日本のように需要が足りないデフレ環境下では、減税や財政出動により需要を増やす。

 その際に、金利水準や物価がボトルネックになるため、中央銀行と連携し、極端な金利上昇や高インフレを生じさせないようにする。政府が国家経済に果たすべき役割とは、基本的にはこれだけなのだ。


民間経済の「行き過ぎ」調整こそが政府の役割

 現在の日本は、デフレ下で「民間の資金需要がない」という問題を抱えている。民間の家計が消費を増やさず、企業も借入や投資を増やさない。結果、国家経済全体で需要不足が生じており、金利水準が極端に下がり、物価も下落傾向が続いている。

 この場合、当然ながら政府の役割は「金利水準や物価を眺めながら」財政出動で支出を増やし、不足している需要をカバーすることになる。なぜならば、資本主義経済において、政府は家計や企業などの民間経済主体に「金を使え!」と強制することはできない。「金の使い過ぎ(インフレ)」にせよ、「金の使わな過ぎ(デフレ)」にせよ、民間経済主体の「行き過ぎ」を調整することこそが、政府に求められる役割なのである。

 ところが、日本国内の政治家や評論家たちは、民間に資金需要がなく、国内の過剰貯蓄を政府が借り入れている日本と、国内の貯蓄が不充分で、経常収支赤字国であるギリシャを「政府の負債の絶対額」のみで比較し、大騒ぎを繰り広げる。しかも、その際に「政府の負債の種類」について、誰も述べようとしない。

 まさしく「異様」としか表現しようがないわけだ。

 政府の負債問題(しつこいが、財務省式に言うと「国の借金!」問題)について考える際は、少なくとも以下の3つを考慮しなければならない。

(1) 政府は誰から
お金借りているのか? : 国内投資家? 海外投資家?
(2) 通貨は何建てか? : 自国通貨建て? 外貨建て?(共通通貨建て?)
(3) 政府がお金を借り
「何」に使ったのか? : 所得移転系? 公共投資?

 ギリシャ政府は外国(主にドイツやフランス)から、自国で金利を調整できないユーロ建てでお金を借り、それを公務員手当や年金などの「所得移転系」の支出に使っていた。より大雑把な書き方をすると、ギリシャ政府は外国からお金を借り、自国民に「バラまいて」いたわけである。


 前回(第1回)、日本政府は国債を増発し、子ども手当のような「所得移転系」ではなく、公共投資などの「日本国民の生活水準を維持する」「日本の産業力を強化する」ための支出にお金を振り向けるべきであると書いた。

 公務員手当だろうが、年金だろうが、あるいは子ども手当だろうが、「所得移転系」の支出とは、しょせんは政府の銀行口座から家計の銀行口座にお金が移るに過ぎないのだ。それ自体では、単なる「政府から家計への仕送り」あるいは「政府から家計への贈与」に過ぎず、景気拡大の効果は全くない。


「子ども手当て」は、たちの悪い賭け

 無論、政府から家計に振り込まれたお金が消費に回れば、GDPの最終消費支出項目(いわゆる個人消費)が成長する。だが、お金が貯蓄のまま、家計の銀行口座で凍り付いてしまう可能性を、誰も否定できないのだ。要するに「賭け」なのである。

 現在の日本のように、国内の支出不足(=需要不足)に悩んでいる状況で、何が悲しくて、子ども手当のような「賭け」に政府がお金を使わなければならないのだろうか。

 どうせお金を使うのであれば、確実に国内に需要が生まれる分野に絞るべきだ。デフレに悩む国家が、経済成長と無関係な(可能性がある)分野に何兆円ものお金を使うなど、まさしく「ムダ」以外の何物でもない。

 ギリシャの破綻が日本に教えてくれた教訓は、確かに存在する。だが、それは決して、

「ギリシャ政府は破綻した。日本の財政はギリシャより悪い。だから破綻する!」

 などと、“評論家”たちがセンセーショナルに煽っている件ではない。

 そうではなく、政府が支出を拡大し、国内に需要を生み出したいのであれば、子ども手当などの所得移転系ではなく、「国民生活水準の維持」や「将来の成長」のためにお金を使うべきであるという、まさしくその点なのだ。


経済成長こそ、すべての解

 ギリシャは労働組合の力が極端に強く、公務員手当てや年金などの所得移転系の支出について、政府が削減することはできなかった。結果、ギリシャ政府は「外国から借り、国内に手当てとしてバラまく」という政策に陥らざるを得ず、最終的に破綻した。

 日本政府は、ギリシャの轍を踏んではならない。手当てなどの所得移転系ではなく、成長のためにこそお金を使おう。

 日本が経済成長路線に復帰し、名目GDPが健全に成長していけば、政府の負債問題は次第に小さくなっていく。(インフレの中で、負債の価値が減少していくため)悪戯にギリシャを引き合いに出し、日本の財政問題を煽ったところで、問題は何一つ解決しない。

 現在の日本に必要なのは、マスコミが喜ぶセンセーショナリズムではない。経済成長なのだ。

 経済成長こそが、すべての解なのである。

資本主義経済における政府の役割とは、本来的には、

「民間経済が健全に成長するように、需給や金利、物価などを調整すること」

 に尽きるのだ。インフレ下で国内の供給が足りないのであれば、増税や政府支出削減により需要を減らす。逆に、現在の日本のように需要が足りないデフレ環境下では、減税や財政出動により需要を増やす。

 その際に、金利水準や物価がボトルネックになるため、中央銀行と連携し、極端な金利上昇や高インフレを生じさせないようにする。政府が国家経済に果たすべき役割とは、基本的にはこれだけなのだ。


民間経済の「行き過ぎ」調整こそが政府の役割

 現在の日本は、デフレ下で「民間の資金需要がない」という問題を抱えている。民間の家計が消費を増やさず、企業も借入や投資を増やさない。結果、国家経済全体で需要不足が生じており、金利水準が極端に下がり、物価も下落傾向が続いている。

 この場合、当然ながら政府の役割は「金利水準や物価を眺めながら」財政出動で支出を増やし、不足している需要をカバーすることになる。なぜならば、資本主義経済において、政府は家計や企業などの民間経済主体に「金を使え!」と強制することはできない。「金の使い過ぎ(インフレ)」にせよ、「金の使わな過ぎ(デフレ)」にせよ、民間経済主体の「行き過ぎ」を調整することこそが、政府に求められる役割なのである。

 ところが、日本国内の政治家や評論家たちは、民間に資金需要がなく、国内の過剰貯蓄を政府が借り入れている日本と、国内の貯蓄が不充分で、経常収支赤字国であるギリシャを「政府の負債の絶対額」のみで比較し、大騒ぎを繰り広げる。しかも、その際に「政府の負債の種類」について、誰も述べようとしない。

 まさしく「異様」としか表現しようがないわけだ。

 政府の負債問題(しつこいが、財務省式に言うと「国の借金!」問題)について考える際は、少なくとも以下の3つを考慮しなければならない。

(1) 政府は誰から
お金借りているのか? : 国内投資家? 海外投資家?
(2) 通貨は何建てか? : 自国通貨建て? 外貨建て?(共通通貨建て?)
(3) 政府がお金を借り
「何」に使ったのか? : 所得移転系? 公共投資?

 ギリシャ政府は外国(主にドイツやフランス)から、自国で金利を調整できないユーロ建てでお金を借り、それを公務員手当や年金などの「所得移転系」の支出に使っていた。より大雑把な書き方をすると、ギリシャ政府は外国からお金を借り、自国民に「バラまいて」いたわけである。


 前回(第1回)、日本政府は国債を増発し、子ども手当のような「所得移転系」ではなく、公共投資などの「日本国民の生活水準を維持する」「日本の産業力を強化する」ための支出にお金を振り向けるべきであると書いた。

 公務員手当だろうが、年金だろうが、あるいは子ども手当だろうが、「所得移転系」の支出とは、しょせんは政府の銀行口座から家計の銀行口座にお金が移るに過ぎないのだ。それ自体では、単なる「政府から家計への仕送り」あるいは「政府から家計への贈与」に過ぎず、景気拡大の効果は全くない。


「子ども手当て」は、たちの悪い賭け

 無論、政府から家計に振り込まれたお金が消費に回れば、GDPの最終消費支出項目(いわゆる個人消費)が成長する。だが、お金が貯蓄のまま、家計の銀行口座で凍り付いてしまう可能性を、誰も否定できないのだ。要するに「賭け」なのである。

 現在の日本のように、国内の支出不足(=需要不足)に悩んでいる状況で、何が悲しくて、子ども手当のような「賭け」に政府がお金を使わなければならないのだろうか。

 どうせお金を使うのであれば、確実に国内に需要が生まれる分野に絞るべきだ。デフレに悩む国家が、経済成長と無関係な(可能性がある)分野に何兆円ものお金を使うなど、まさしく「ムダ」以外の何物でもない。

 ギリシャの破綻が日本に教えてくれた教訓は、確かに存在する。だが、それは決して、

「ギリシャ政府は破綻した。日本の財政はギリシャより悪い。だから破綻する!」

 などと、“評論家”たちがセンセーショナルに煽っている件ではない。

 そうではなく、政府が支出を拡大し、国内に需要を生み出したいのであれば、子ども手当などの所得移転系ではなく、「国民生活水準の維持」や「将来の成長」のためにお金を使うべきであるという、まさしくその点なのだ。


経済成長こそ、すべての解

 ギリシャは労働組合の力が極端に強く、公務員手当てや年金などの所得移転系の支出について、政府が削減することはできなかった。結果、ギリシャ政府は「外国から借り、国内に手当てとしてバラまく」という政策に陥らざるを得ず、最終的に破綻した。

 日本政府は、ギリシャの轍を踏んではならない。手当てなどの所得移転系ではなく、成長のためにこそお金を使おう。

 日本が経済成長路線に復帰し、名目GDPが健全に成長していけば、政府の負債問題は次第に小さくなっていく。(インフレの中で、負債の価値が減少していくため)悪戯にギリシャを引き合いに出し、日本の財政問題を煽ったところで、問題は何一つ解決しない。

 現在の日本に必要なのは、マスコミが喜ぶセンセーショナリズムではない。経済成長なのだ。

 経済成長こそが、すべての解なのである。

資本主義経済における政府の役割とは、本来的には、

「民間経済が健全に成長するように、需給や金利、物価などを調整すること」

 に尽きるのだ。インフレ下で国内の供給が足りないのであれば、増税や政府支出削減により需要を減らす。逆に、現在の日本のように需要が足りないデフレ環境下では、減税や財政出動により需要を増やす。

 その際に、金利水準や物価がボトルネックになるため、中央銀行と連携し、極端な金利上昇や高インフレを生じさせないようにする。政府が国家経済に果たすべき役割とは、基本的にはこれだけなのだ。


民間経済の「行き過ぎ」調整こそが政府の役割

 現在の日本は、デフレ下で「民間の資金需要がない」という問題を抱えている。民間の家計が消費を増やさず、企業も借入や投資を増やさない。結果、国家経済全体で需要不足が生じており、金利水準が極端に下がり、物価も下落傾向が続いている。

 この場合、当然ながら政府の役割は「金利水準や物価を眺めながら」財政出動で支出を増やし、不足している需要をカバーすることになる。なぜならば、資本主義経済において、政府は家計や企業などの民間経済主体に「金を使え!」と強制することはできない。「金の使い過ぎ(インフレ)」にせよ、「金の使わな過ぎ(デフレ)」にせよ、民間経済主体の「行き過ぎ」を調整することこそが、政府に求められる役割なのである。

 ところが、日本国内の政治家や評論家たちは、民間に資金需要がなく、国内の過剰貯蓄を政府が借り入れている日本と、国内の貯蓄が不充分で、経常収支赤字国であるギリシャを「政府の負債の絶対額」のみで比較し、大騒ぎを繰り広げる。しかも、その際に「政府の負債の種類」について、誰も述べようとしない。

 まさしく「異様」としか表現しようがないわけだ。

 政府の負債問題(しつこいが、財務省式に言うと「国の借金!」問題)について考える際は、少なくとも以下の3つを考慮しなければならない。

(1) 政府は誰から
お金借りているのか? : 国内投資家? 海外投資家?
(2) 通貨は何建てか? : 自国通貨建て? 外貨建て?(共通通貨建て?)
(3) 政府がお金を借り
「何」に使ったのか? : 所得移転系? 公共投資?

 ギリシャ政府は外国(主にドイツやフランス)から、自国で金利を調整できないユーロ建てでお金を借り、それを公務員手当や年金などの「所得移転系」の支出に使っていた。より大雑把な書き方をすると、ギリシャ政府は外国からお金を借り、自国民に「バラまいて」いたわけである。


 前回(第1回)、日本政府は国債を増発し、子ども手当のような「所得移転系」ではなく、公共投資などの「日本国民の生活水準を維持する」「日本の産業力を強化する」ための支出にお金を振り向けるべきであると書いた。

 公務員手当だろうが、年金だろうが、あるいは子ども手当だろうが、「所得移転系」の支出とは、しょせんは政府の銀行口座から家計の銀行口座にお金が移るに過ぎないのだ。それ自体では、単なる「政府から家計への仕送り」あるいは「政府から家計への贈与」に過ぎず、景気拡大の効果は全くない。


「子ども手当て」は、たちの悪い賭け

 無論、政府から家計に振り込まれたお金が消費に回れば、GDPの最終消費支出項目(いわゆる個人消費)が成長する。だが、お金が貯蓄のまま、家計の銀行口座で凍り付いてしまう可能性を、誰も否定できないのだ。要するに「賭け」なのである。

 現在の日本のように、国内の支出不足(=需要不足)に悩んでいる状況で、何が悲しくて、子ども手当のような「賭け」に政府がお金を使わなければならないのだろうか。

 どうせお金を使うのであれば、確実に国内に需要が生まれる分野に絞るべきだ。デフレに悩む国家が、経済成長と無関係な(可能性がある)分野に何兆円ものお金を使うなど、まさしく「ムダ」以外の何物でもない。

 ギリシャの破綻が日本に教えてくれた教訓は、確かに存在する。だが、それは決して、

「ギリシャ政府は破綻した。日本の財政はギリシャより悪い。だから破綻する!」

 などと、“評論家”たちがセンセーショナルに煽っている件ではない。

 そうではなく、政府が支出を拡大し、国内に需要を生み出したいのであれば、子ども手当などの所得移転系ではなく、「国民生活水準の維持」や「将来の成長」のためにお金を使うべきであるという、まさしくその点なのだ。


経済成長こそ、すべての解

 ギリシャは労働組合の力が極端に強く、公務員手当てや年金などの所得移転系の支出について、政府が削減することはできなかった。結果、ギリシャ政府は「外国から借り、国内に手当てとしてバラまく」という政策に陥らざるを得ず、最終的に破綻した。

 日本政府は、ギリシャの轍を踏んではならない。手当てなどの所得移転系ではなく、成長のためにこそお金を使おう。

 日本が経済成長路線に復帰し、名目GDPが健全に成長していけば、政府の負債問題は次第に小さくなっていく。(インフレの中で、負債の価値が減少していくため)悪戯にギリシャを引き合いに出し、日本の財政問題を煽ったところで、問題は何一つ解決しない。

 現在の日本に必要なのは、マスコミが喜ぶセンセーショナリズムではない。経済成長なのだ。

 経済成長こそが、すべての解なのである。


 

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2010/08/09 12:55(特別記者・編集委員 田村秀男/SANKEI EXPRESS)

日本国債が買われ、10年物国債利回りで代表される長期金利は8月4日には1%を割り込んだ。本来だと、結構な話である。住宅ローン金利は下がることになるし、「ギリシャの二の舞い」だと菅直人首相が騒いだ日本の財政危機説もどこかに吹っ飛んだ。だが、国債ブームはカネがあっても流れない日本を象徴している。われわれがためたカネは国債に変じ、ビジネスは停滞し、株式市場には閑古鳥が鳴く。

 ■「死病」の状態

 金融用語でいうカネ、またはマネーとは、現預金の総合計「M2」で表される。各月のM2の年間増加額は昨年3月ごろまでは十数兆円だったが、4月以降は急増し、最近では二十数兆円のペースで膨張を続けている。対照的なのが株価である。グラフからも分かる通り、マネーの膨張が鈍化するときには株価は上昇し、株価が下落基調になるとマネーは再び増殖する。

 個人や企業が株を売却して得た資金はそのまま銀行預金となる。銀行側は貸し出しに回さず、最も安全な資産でいつでも現金に置き換えられる国債で運用する。銀行は最近、貸し出しを前年比で10兆円前後も減らし、国債を30兆円前後も増やしている。つまり、カネは国債の冷凍庫にお蔵入り、というわけである。

 経済を人間の体に例えると、おカネは血液である。血液は体にあふれんばかりなのだが、体の中を回らないのだから、細胞分裂は起きず、老化が進む。脳細胞も衰弱し、思考も停止する。日本が元気になるどころか、死病にかかっていることになる。

 ■司令塔が不在

 どうすればよいのだろうか。答えは明々白々、死蔵されている日本のカネを溶かし、流れるようにすることだ。

 カネの行き場はどこか。企業の設備投資だったり、個人消費と誰もが思いつくのだが、何しろデフレ不況で企業にその気はうせ、個人もカネを使わず現金か預金にしておいたほうがましだと考える。

 ならば、政府の公共事業などにより需要を作り出せばよいのだが、国家の債務残高が国内総生産(GDP)の2倍近くになっている中ではなかなか踏み切れない。それどころか、菅首相は消費税増税による「財政健全化」のほうに頭がいっぱいだ。増税して財源をつくり、その一部を新成長分野に投入してデフレを克服するという論法なのだが、経済が再生する前にデフレ病のほうがもっと悪化してしまう恐れのほうが強い。増税を先送りし大胆な財政支出拡大策に転換する決断が必要なのだが、菅政権にはそんな経済の司令塔がいない。

 ■妙手は円安誘導

 経済政策はまさに八方ふさがりでどうにもならないように見えるが、妙案がないわけではない。手っ取り早い行き先は株式市場であり、促すのは円安である。株式市場に有り余るカネが再び流れ出せば、株価は上昇するので、さらに余剰資金が入ってくる好循環が生まれる。日本の株価は円安で上昇し、円高とともに下落する基調がここ数年間定着している。円安誘導は金融政策で可能だ。

 現代の通貨の相場というのは、主要国との交換レート、とりわけ対ドル相場をさす。米国の中央銀行である米連邦準備制度理事会(FRB)は2008年9月のリーマン・ショック以来、ドル発行量を2.3倍にも増やしている。対照的に日銀は円資金の発行量をほとんど増やしていない。日銀はいくら日銀券を刷っても無駄だと言い張るのだが、凍り付いたカネは動かないのだから、市場にないのも同然である。そうなると大量に垂れ流されるドルに対する円の量は圧倒的に少ないのだから、市場での円の対ドル相場は上がる。逆に円資金を大量に刷って市場に注入すれば、おのずと円安になる。日銀が円資金を大量に追加発行する量的緩和政策を続けた06年半ばまでは円安基調が続いたことからみても明らかだ。

 どう円資金を発行するか。金融機関が年間で30兆円以上も保有を増やしている国債を日銀が買い上げる。または思い切って主要な企業の株式を大量に買い付ける。不動産担保の証券を買ってもよいだろう。市場で流れ出した資金はこうして株式、不動産など資産市場に回り、一部は外に向かい、円安に転じる。株式市場などが活気づくと、冷凍庫のカネも溶けて流れ出す。

岸博幸
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E5%8D%9A%E5%B9%B8

DIAMOND online【第100回】 2010年8月6日
岸 博幸 [慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授]

*安易な追加経済対策発言と勢いづく構造改革批判、政治家・官僚・メディアに広がる無責任と無気力!

ここのところ、経済政策を巡る不思議な勘違いがいろいろなところで起きているように感じます。政権が無能で政治が停滞すると、こうなるのかとも思いますが、その要因は3つに分類できると思いますので、今週はそうした勘違いの3類型について考えてみます。

■政治家の定見の欠如
 第1の類型は、政治家の経済に対する定見が欠如しているがゆえの勘違いです。菅総理をはじめとする今の官邸が、その典型ではないでしょうか。

 例えば、8月3日(火)の国会審議で、菅総理は景気の現状について「何らかの対応が必要か検討しなければならない時期に来ている」と述べ、追加経済対策を検討する考えを示しました。

 これは実は非常に奇妙なことです。その前の週に来年度予算の概算要求基準を閣議決定していますが、そこでは、歳出の大枠(一般歳出+地方交付税)は今年度予算と同額の71兆円と決めているからです。歳出の大枠を同額にするということは、来年度予算の歳出規模は今年度予算とほぼ同じになることを意味します。来年度の政府支出は景気に対して中立的となり、何の景気刺激効果も持たないのです。

 かつ、閣議決定に際して、景気の先行きについて議論したり、誰かが問題提起をしたという形跡はありません。つまり、来年度の景気について総理以下の閣僚は無関心だったのです。その翌週になって突然景気への危機感を表明するというのは、経済運営についてあまりに鈍感であると言わざるを得ません。

 今年の秋以降に経済成長が鈍化するのは明らかですが、もし真面目に景気の先行きを懸念しているならば、補正予算を言い出す前に、来年度予算の規模をどうすべきかについて、財政再建だけではなく景気の維持の観点からもしっかりと考えるべきだったのではないでしょうか。年度予算は、ある意味で最大の経済対策だからです。

 付け焼き刃の補正予算は、効果が薄い一方で、財務省の査定や国会審議が厳しくないなどの点で官僚にとってもっとも嬉しい、タチの悪い予算です。それにもかかわらず今回のような対応をする菅総理と官邸の政治家は、経済に関する定見がないことを自ら露呈したと言わざるを得ません。

■官僚のレベルの低下
 第2の類型は、官僚のレベルの低下ゆえの勘違いです。その典型例は、3日に発表された労働白書ではないでしょうか。

 労働白書では概要、「労働者派遣事業の規制緩和が労働者の収入格差を拡大した」、「今後は正規雇用化を進めて技術・技能の向上と所得の底上げを目指すべき」といった分析をしています。これは本当に正しいのでしょうか。

 例えば、収入格差拡大の原因は派遣労働者が増えたことだけでしょうか。より本質的な要因として、企業が中高年の正規雇用者をリストラできないので、その分、新規の正規雇用を抑制して派遣に切り替えた面があるはずです。中高年の正規雇用者の既得権益を守るために、若い人が犠牲になっているのです。また、デフレが10年以上続く中では、どうしても所得の面へのしわ寄せは低所得者に集中することになります。

 そうした様々な要因を無視して、何でも構造改革が悪いとするステレオタイプな主張は、良識ある分析とは言えないのではないでしょうか。

 また、「今後は正規雇用化を進めるべき」という主張に至っては、空いた口が塞がりません。企業が直面する競争状況は業種によって様々であり、正規雇用化が正しい選択である業種もあれば、そうじゃないところもあります。例えば標準技術・低コスト・大量生産の業種の企業にそれを強いたら、海外に出て行くか倒産するしかなくなります。そうした現実の多様性を無視したステレオタイプな結論は、分析としては落第点と言わざるを得ません。

 こういうレベルの低い分析結果を政府が公表するから、メディアや民間の側もそれを鵜呑みにしてしまい、経済に関する間違った認識を信じてしまうのではないでしょうか。

■メディアと評論家の堕落
 このように、政治や行政は経済政策に関してかなりいい加減な主張や対応をしていますが、メディアや評論家がその問題点を批判することなく、むしろステレオタイプな主張に同調して騒ぎ立てるだけに終始している感もあります。それが第3類型です。

 例えば、最近あるテレビ番組に出演したら、そこで高名な政治評論家の方が「小泉・竹中改革が地方を悪くした」と仰っていました。それは本当に正しいでしょうか。構造改革を実際に進めていた者としては、的外れと言わざるを得ません。それは、構造改革はむしろ未だに地方の基幹産業であるゼネコンをソフトランディングさせるためのものだったからです。

公共事業費の削減などにより、地方のゼネコンは本業の建設業の売り上げが年々大幅に減少しています。そのため、多くのゼネコンは新規事業として、介護・保育などのソーシャル・サービスや農業などに進出しています。しかし、新規事業の多くは規制業種で既得権益が存在するため、参入しても本業の売り上げ減を補えるだけの収入はなかなか得られません。

 しかし、地方での雇用の維持を考えるとゼネコンの倒産は望ましくありません。そうなると、政策対応としては、公共事業費の減少ペースはできるだけなだらかにしつつ、その一方で、規制改革で新規事業への参入を容易にし、地方で需要が今後増えるソーシャル・サービスなどの市場を拡大させるべきです。

 これは一例に過ぎませんが、こうした方向こそが構造改革が目指したものです。逆に今の政権は、公共事業費は前年度比18%と極端に削減しながら、介護・福祉などの分野での規制改革は進めていません。どちらの政策対応が正しいかは、明らかではないでしょうか。子ども手当などで家計にお金をばらまけば地方のゼネコンが救われ、地方の雇用が維持されるのでしょうか。

 それにもかかわらず、未だに構造改革が諸悪の根源であるかのような主張がメディアや評論家から流布されているのは、非常に残念です。

 このように、政治・行政やメディアというのは本来もっとも信用できるはずだったのに、経済政策を巡るそれらのプレイヤーの勘違いは最近ひどくなっているように思えます。

 それに対して私たち国民はどうすべきでしょうか。騙されないように身構えることです。常に疑ってみること、常識をベースに自分なりに考えることが重要ではないでしょうか。それらのいい加減な勘違いを鵜呑みにして自分の行動に関する重要な決断をしたら、痛い目に遭うだけですし、政治や行政はその尻拭いはしてくれません。何ともしんどい時代になったものです。

「新しい公共」宣言
http://www5.cao.go.jp/entaku/shiryou/22n8kai/pdf/100604_01.pdf

「新しい公共」円卓会議 内閣府 政策統括官(経済社会システム担当)
http://www5.cao.go.jp/entaku/index.html
 


DIAMOND online 【第25回】 2010年8月10日
竹井善昭 [ソーシャル・ビジネス・プランナー/株式会社ソーシャルプランニング代表]

就活シーズン直前、「社会貢献でメシが食いたい」大学生激増中!
――「就活」にも社会貢献の波

最近の若者は、借金してでも社会貢献をやりたがる。そんなことをレポートしたのはほぼ1年前。この連載の第3回目の記事だった。

◎第3回記事(2009年8月18日公開)
途上国への学校建設から地雷除去まで。借金してでも「社会貢献」にハマる若者たち

 借金してでも途上国のNGOの活動を体験したり、チャリティ・イベントを行う若者たちの姿をお伝えしたが、このレポートは大反響を呼び、すでに25回を超える当連載でも、いまだにアクセス数トップの記事である。

 クルマや洋服ならともかく、なんで借金してまで「社会貢献」を買うのか。多くの大人は理解できないという反応を示したが、逆に若者たちからすれば、なんで借金してまでクルマや洋服を買わなければならないのか理解できないだろう。今の若者と大人の間には、それほど大きな意識のズレがあるのだ。

 若者たちの社会貢献熱は、その後もヒートアップ。大学生が主催する社会貢献イベントもどんどん増えている。規模も拡大するいっぽうだ。

学生1200人が集結!
チャリティ大運動会
「SWITCH」という学生団体は、9月6日に等々力アリーナを貸し切って、学生1200名参加の大運動会を開催する。参加費2000円から会場・運営費を差し引いた残りの全額が、バングラデシュでストリート・チルドレンを支援するNGO「エクマットラ」に寄付される。今年で2回目。昨年は35万円を寄付したが、今年は50万円の寄付をめざすという。

「SWITCH」は、明治大学3年生の吉田勇佑君が昨年3月に立ち上げた団体だ。「楽しいこと」を入り口に「ボランティア」に関心を持ってもらうことを方針として活動している。運動会という誰でも参加できるスタイルにこだわり、スポーツイベントに力をいれている。またセミナー、交流会も行っている。

9月7日には、福岡産業振興協議会および他の学生団体との共同開催で「次世代リーダー緊急会議」というシンポジウムも行う。日比谷公会堂に2000名を集める、こちらも大きなイベントだ。第1部のトーク・ライブでは、参議院議員の松田公太氏とマザーハウス代表で社会起業家として有名な山口絵理子氏を迎える豪華版。参加者のリクエストにより決定される特別ゲストも参加予定だ。

 等々力アリーナの運動会といい、日比谷公会堂のシンポジウムといい、SWITCHが開催する社会貢献イベントは千人単位の大きなものになっている。学生は他の学生の成功事例をすぐに真似するので、今後の学生主催の社会貢献イベントはますます大規模なものになってくるだろう。

 かつてのバブル時代。学生パーティー・サークルが全盛だった頃は、六本木のディスコをすべて貸し切った「学生2万人ディスコ・パーティー」といった巨大イベントも開催されたことがある。学生社会貢献イベントも、来年あたりは5000人規模を突破し、いずれ1万人、2万人規模のイベントを実施するようになるだろう。

◎学生団体SWITCHについての情報、お問い合わせはこちら
ブログ http://ameblo.jp/switch012/
Eメール switch.012@gmail.com

「就活」にも社会貢献の波。
学生と企業の間にギャップも
 さて、学生がこれだけ社会貢献に熱心なら、「就活」も社会貢献を意識したものになるはずだ。

就職ウォーカー」を発行する就職情報会社ジェイ・ブロードが運営する、就活サイト「Project-DECADE」の調査によれば、就活学生の約90%が「企業選びにCSRの視点を重視する」と回答している。この調査結果について同サイトでは、

「厳しい就職環境の中で、CSRという新しい企業選択のモノサシに強い関心を持っている表れであり各企業のCSR活動の成果や社内への浸透度、取り組み姿勢を積極的に見て取ろうとしていることも明らかだ」

 と分析している。

 毎日コミュニケーションズの調査では、就職先に「働きがい」や「やりがい」を求める就活生は95.4%にものぼり、その中身として「成長したと感じられる」(36.9%)に次いで「社会に貢献していると感じられる」(33.8%)が2位にランクされている。

 このような就活生の社会貢献志向を反映してか、社会貢献活動にインターンとして参加すれば就職に有利になるというプログラムも登場している。

 このように、「社会貢献で就活」というのはリクルーティングの大きなトレンドになりつつあるが、しかし、社会貢献を仕事にしたい学生と企業の間には、まだまだ大きなギャップがあることは事実だ。

 企業側の視点に立てば、採用したいのは社会貢献に熱心な学生ではなく、稼いでくれそうな学生だ。僕個人は、社会貢献した方が企業は儲かるし成長するというCSR3.0を提唱しているのだが、このような考え方はまだまだ普及していないので、企業の側にも社会貢献志向の若者を本業にどう活かせばよいのか、ノウハウがない。

 勘違いしている学生も多い。企業はボランティア団体ではないので、社会貢献を本業に組み込むといっても、それはソーシャル・ビジネスを行うという意味で、利益を度外視しても良いということではない。そこを理解しないで、就職面接で「御社に入って社会貢献をやりたい」と言っても、面接担当者も困惑するしかない。

 また、儲け主義の企業に入って資本主義の手先になりたくないという理由で、NPOに就職を希望したり、社会起業家になろうとする学生も多い。NPOや社会起業家なら、売上ノルマもなく、激しい競争にさらされることもないだろうと誤解している。社会貢献を現実逃避の道具に使っているわけだ。

社会貢献を「仕事」にするには?
 どうも、社会貢献を仕事にすることの現実と、大学生の間には大きなギャップがあるように思える。いまやNPOや社会起業家などの社会セクターは、一流のプロがしのぎを削るビジネス・ウォーズの世界へと変化している。ボランティアだって、善意のアマチュアよりもプロのスキルを持つプロボノが重視される時代だ。

 ソーシャル・ビジネスはプロの世界だし、そこで仕事を得るにはプロフェッショナルなスキルが要求される。社会貢献を仕事にしたいと考える学生は、こういうことを理解しておく必要がある。

 そこで、社会貢献を仕事にするとはどういうことなのかを伝えるために本を書いた。『社会貢献でメシを食う』というタイトルだ。9月9日にダイヤモンド社から発売予定である(詳細はこの記事の最後に掲載)。

 いまでは社会貢献を仕事にする方法はたくさんあるが、本書ではそれらを4つに分類した。「社会起業家になる」「NPOやNGOに就職する」「企業に就職して社会貢献をやる」「プロボノとして活動する」の4つの方法だ。

基本的には学生の就活向けの本だが、単なる仕事ガイドではない。CSR3.0の基本的な考え方と具体的な事例、業種別のソーシャル・ビジネスの可能性、画期的なビジネスモデルを生み出した社会起業家の紹介や彼らのスキル、NPOとプロボノのこれからの関係性など、社会貢献を仕事にすることの本質的な意味についても書いている。これまで、日本の社会セクターの成長を阻害してきた、間違った常識も正してある。

 現役のNPOスタッフや、社会貢献に関心のあるビジネス・パーソンにも読んでもらえる内容にしたつもりなので、ぜひご一読いただければありがたい。

 さらにこの本は、社会貢献を志す若者を応援するためのプロジェクト「世界を変える100人になろう」のオフィシャルブックとしてリリースされる。9月15日には、「社会貢献×キャリアデザイン」をテーマにしたオフィシャルイベントも開催予定だ。ぜひこちらにも参加し、議論に加わってほしい(詳細はこの記事の最後に掲載)。

若者の社会貢献モチベーションを
企業はどう取り込むべきか?
 アメリカの日本企業1000社の人事コンサルティングを行なってきた国際人事コンサルタントの奥山由実子氏(株式会社イマジナ代表取締役)によると、

「働く人の2人に1人は、自分の仕事にやりがいを感じない、好きではない」

 と感じているという。

 これは働く人いとっても人生の大きな損失だし、企業にとっても危機である。社員にモチベーションがなくて、企業が成長できるわけがないからだ。そこで出てきたのが「モチベーション3.0」。成果主義などの金銭的報酬では社員のモチベーションはもう上がらないため、社会貢献などの「やりがい」「自分の仕事が世の中の役に立っているという実感」が長期的にモチベーションを上げ企業を成長させるという考え方だ。単行本も発売され、アメリカでは大きな話題になっている。

 学生は本能的にこういうことを察知して、「社会貢献を仕事にしたい」と考えているのかもしれない。「御社に入社して社会貢献したい」という学生を、企業は「甘いこと、言ってんじゃねえよ」と考えているかもしれないが、甘い考えを変えた方がいいのはもしかすると企業のほうかもしれない。

 いまや、学生の社会貢献志向を満たすことができなければ、優秀な学生が採用できなくなる時代。実際、アメリカではすでにそうなっている。学生の社会貢献志向を尊重しなければ、たとえゴールドマン・サックスといえども、優秀な学生を取ることができなくなっているのだ。

 奥山由実子氏は、これからの人事事情についてこう語る。

「この2年間は、企業側も必死の生き残りをかけているので社会貢献どころか現従業員の給与の確保さえ厳しく、研修などの教育費も絞っています。しかし、このトンネルをぬければ、また新たな戦略が必要になり、その中で『社会貢献』は、今後注目のキーワードとなるでしょう。

 会社のコーポレートミッションと社員一人一人の仕事をいかに自然に社会貢献に結びつけるかで、成功するかどうかの差がつくでしょう。自分が働くことで、自分のため、人のためになる、そんな時間をすごしたいと思っている人は確実に増えていますから」

消費者のニーズを無視して生き残れる企業はない。それと同様、働く人間のニーズを無視しても、企業は生き残ることはできない。一流企業に就職した若者が、なぜ3年で会社を辞めていくのか。その理由を知りたければ、一度、社会貢献思考で考えてみるといいかもしれない。そのためには僕の本も役立つだろう。社会貢献でメシを食いたいという若者の気持ちも、少しは理解できるかもしれない。

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【編集部よりお知らせ】

 記事の中でもご紹介した通り、社会貢献を志す若者を応援するプロジェクトの一環として、当連載の執筆者・竹井善昭氏による単行本を発売いたします。「社会貢献を仕事にするとはどういうことか」を、大きく4つの選択肢をもとにわかりやすく解説しています。また、単行本と併せて、イベントも開催いたします。
(詳細は追ってまた、この記事の中でお知らせいたします)

財政
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A1%E6%94%BF

2010年8月6日 DIAMONDonline

集権化、ルール、透明性が予算制度改革のキーワード
元一橋大学准教授・田中秀明氏インタビュー

いよいよ民主党政権が初めて一から手掛ける予算編成が始まった。民主党政権はこの6月に、中期財政フレームを含む「財政運営戦略」を閣議決定し、そのベースとなる「経済財政の中長期試算」も公表した。そこでは平成23(2011)、24、25の3年度は、国債費除く一般会計に、71兆円という上限をはめたほか、23年度については一律1割カットと1兆円以上の特別枠を設けるという方針を打ち出した。日本は過去何度も財政再建にトライしたが、いずれも失敗。一方で、予算の大胆な組み替えもままならず、硬直化が指摘されて久しい。どうすれば、このような問題を解決できるのか。予算制度に詳しい元一橋大学准教授の田中秀明氏に、予算編成プロセス改革の方向について聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 原 英次郎)

――日本の予算編成プロセスにおける基本的な問題は何でしょうか。

 日本の問題に入る前に、なぜ財政赤字は増えるのかという問題を考える必要があります。そもそも政府部門には赤字を拡大させる潜在的な要因が備わっていることが問題です。政府の予算というのは、税金という人のおカネを使うものです。例えば、だれかが今日の宴会は「オレのおごりだ」と言ったら、みんなはそれならばと、高いものを注文してしまうでしょう。自分のおカネだったら、自分の財布と相談して決めます。

政府部門は、マーケットで取引できない財やサービスを提供するのが仕事です。サービスの便益を受ける人と負担をする人は異なるので、できるだけお金をたくさん使いたいという誘因が働きます。政府部門で働く公務員は、予算をたくさんとってくることが、よいパフォーマンスだと評価されます。どこの国でも、政府部門にはこうした性質が備わっているので、日本だけが赤字が増えているのではありません。

 では、どうしたらよいか。財政赤字について多くの研究が行われていますが、一つの結論は、予算編成プロセスや予算制度を改革しないと、問題は解決できないということです。そのポイントは、受益と負担の乖離を小さくすること。改革には大きく分けて二つのアプローチがあって、一つは意思決定システムを集権化すること、二つ目はルールを決めることです。また、透明性を高めることも重要です。

スウェーデンでは
3年分の歳出総額を決める
――具体的には、どのようなことが考えられますか?

 意志決定を集権化するとは、飲み会でいえば幹事さんを決めて、参加者に好き勝手に注文させないことです。あるいは、今日は5000円の飲み放題コースにしようという、ルールを決めることですね。例えば、イギリスやオーストラリアでは、首相、財務大臣など有力閣僚5人くらいで、予算の大枠や重要な資源配分を決めます。一方、オランダは、選挙後の連立政権合意の中に、向こう4年間の予算の大枠を盛り込むし、スウェーデンは、個別の予算を議論する前に向こう3年間の歳出総額に上限を設定します。

 スウェーデンの例が興味深いので少し説明します。予算編成でまず何を決めるかというと、いま2010年度なので、税収見通しをベースにして、3年先の2013年度の歳出総額の上限を決めます。11年度と12年度の歳出総額の上限はすでに2年前と1年前に決まっているので、これで3年分の上限値がセットされることになります。さらに、それを国会で議決する。もちろん、国会で再議決すれば、上限値は変えられますが、政治的な責任が問われるので、そう簡単には変えられません。

しかも、スウェーデンの場合は、この上限値、すなわちシーリングは、当初予算だけではなく、決算ベースでも守らなくてはなりません。スウェーデンは、90年代初め、今のギリシャのような危機的状態となり、赤字を削減するために、こうした厳しい予算制度を導入しました。その結果、98年以降ほぼ黒字を維持していますし、今や借金もマイナス(貯金)になりました。

 どのように予算制度を変えたらよいかについては、ただ一つの答えがあるわけではありませんが、意志決定が集権化されているかどうか、厳しいルールがあるかどうか、透明度が高いかどうかが重要で、これらの要因によって財政赤字の大きさを説明できます。日本の財政赤字が大きいということは、これらの点において、問題があるということです。

――財政再建に成功した国では、どのような予算制度改革が行われたのですか。

 きわめて単純化して言えば、歳出全体の大枠と各省ごとの大枠をトップダウンで決めます。基本的には、その枠の中での予算の配分については各省に任せます。ある予算を増やしたいのであれば、自分で財源を探してくる――いわゆるペイ・アズ・ユー・ゴーというやり方です。もちろん、政府全体の方針や優先順位に基づいて、資源配分する必要があります。

 個々の予算の切った貼ったをやろうとすると、各省と財政当局の戦いになります。この戦いは、基本的には財政当局の分が悪いのです。なぜなら、予算を切るためには、無駄であることを示す情報が必要です。しかし、それは各省にあり、財政当局にはありません。各省は、都合の悪い情報は出さないのです。民主党政権において事業仕分けが大きな注目を集めましたが、なぜあのように無駄な予算がついていたのでしょうか。財政当局がほんとうに強い機関であれば、無駄な予算などないはずです。

なぜ無駄な予算を切れないかというと、これまでは族議員による政治的な介入によって、予算を増やせという圧力もありましたが、実は財政当局には、個別の事業のどこにムダがあるか、その情報が十分にないのです。多くの情報は各省が持っています。だから、財政当局は各省に頼らざるをえない。こうした状況では、予算編成はゲームになります。ここは切る代わりに、こちらに予算をつけるというギブ・アンド・テイクの関係になります。そうすると、予算の中身を大きく変えることは難しくなります。

 (複数年にわたって大枠を決める)中期財政フレームを作って成功した国は、例えば3、4年間の総額を決めます。予算を切るだけでは、政治的な合意を得ることは難しいので、新しい政策や追加の予算も必要です。しかし、新しい政策をやりたい場合には、各省が自分で財源を見つなければなりません。決められた枠の中で、各省大臣に責任を与えて、スクラップ・アンド・ビルドを促す仕組みになっています。

 鳩山前総理や菅総理が言ったように、各省大臣はまさに「査定大臣」になります。要求対査定の対立を緩和し、予算獲得ゲームをやらないようにすることが重要です。日本でも、シーリングにより予算の大枠をはめる仕組みになっていますが、予算編成はボトムアップ的な仕組みになっています。中期財政フレームにより、複数年にわたり、歳出総額や省庁別の内訳を拘束するものにはなっていません。

――民主党政権は6月に閣議決定した「財政運営戦略」や、そのベースとなる「経済財政の中長期試算」に対する評価は?

 私自身が中期財政フレーム研究会に関わってきましたが、私も含めて有識者が最も強調したのは、慎重な経済成長率を前提に、ベースラインをつくることです。ベースラインというのは、経済成長率や物価上昇率などについて一定の仮定を置き、今の制度が今後も続くとして、歳出や歳入が将来どのようになるかという推計です。

6月の試算では、慎重な前提を置くという点はそれなりにできていると思います。しかし、ベースラインについては、本当のベースラインかどうかは、よく分かりません。中期財政フレームでは、国債費除く一般会計について、71兆円という上限をはめましたが、現在の制度を前提として歳出や歳入がどうなるかについては、よく分からないところがあります。

 10年後にプライマリーバランス(国と地方について国債費を除いた歳出と歳入の収支)を黒字化するという目標はよいのですが、今の制度を前提とした場合と比べて、どのくらい財政再建努力をしなければならないかについてはよく分かりません。例えば、このままでは3年後に一般会計歳出が80兆円に膨らむので、これを71兆円にするのか、あるいは歳出が73兆円になるので71兆円にするのか。つまり、どのくらい努力を要するものかが分からない。もし、80兆円を71兆円にするという話であれば、相当な財政再建になるので、景気に対する影響も大きい。最後は政策判断ですが、景気の状況を踏まえて、どのくらい財政再建をすべきなのかについては、十分な検討が必要です。

 6月に中期財政フレームを閣議決定したときには、各省大臣としては、それほど問題意識は強くなかったのではないでしょうか。だから、一律1割カットという方針が出て、「1割カットなんてできないよ」という不満の声が出ました。

 民間企業でも経営が傾いた会社は、経営幹部が現在の財務状況の厳しさ――債務超過であれば、どのくらいの債務超過なのか――その厳しさを共有して初めて、改革の議論がスタートします。幹部が厳しい財務状況に対する認識を共有しないと、「私のところは大事なので、あちらを削れ」ということになりかねません。予算編成は、まさに、政治主導で行うべきものです。まずは、各閣僚が財政の厳しい状況を認識して、財政再建をするのかしないのか、どの程度の財政再建をするのかについて、徹底的に議論して、決めるべきです。

財政運営の透明性を保証する
ニュージーランドの財政責任法
――まさに、政治が主導権を発揮して、予算のあり方を決めるということですね。諸外国ではそのような例はありますか。

 スウェーデンでは3年分の歳出総額の上限値、を先に決めると申し上げました。次に、財務省が3年分の歳出の内訳(医療費や防衛費といった27分野)の案を作って閣議に提出します。ストックホルム郊外にある総理大臣の別荘に、閣僚が2日間泊まり込んで予算閣議が行われます。閣議では、財務省の提案を変更することができます。ただし、歳出総額が決まっているので、例えば、教育予算を増やすのであれば、必ず他の何かを削らなければなりません。それを閣僚たちが2日間缶詰になって議論し決めるわけです。

 閣僚同士が対立して決まらないということもあります。その場合は、最後は総理大臣が責任を持って決めるということになっています。日本の場合は、自民党時代、予算の難しい案件は、時には調整を党に任せていました。これに対して、スウェーデンでは、総理は責任をもって決めなければなりません。

 日本と違って、政府予算案は国会が修正できます。かつては増額修正ばかりで、財政規律がなくなってしまった時期もありましたが、新しい制度では、国会で歳出総額を先に決めるので、国会がある分野の予算を増やす場合には、必ず他の予算を削らなければなりません。このように、スウェーデンでは、財政規律が働き、それは政治主導が発揮される仕組みになっているからです。

 

――改めて、予算編成プロセス改革の方向をまとめて下さい。

 第1に、複数年にわたり歳出を拘束する中期財政フレームを作り、毎年の予算はこのフレームに基づき決定します。第2に、優先順位や重要な資源配分は、予算閣僚委員会において、集権的に意志決定します。去年の民主党のマニフェストでも閣僚委員会の活用が掲げられていましたので、これを動かすことが必要です。各国も改革は試行錯誤しているので、日本も、経験を積みながら、改革を進めていけばよいと思います。

は、スウェーデン、カナダ、ニュージーランドなど大胆な予算制度改革を実施した国は、大幅な財政赤字となり、国債が売れなくなるなど、危機的状況に陥ったので、改革が実行できたという面があります。幸か不幸か、アメリカや日本などの大国は、なかなか危機的状況に陥らないので、改革が進まないというのも一面の事実です。

――「日本版財政責任法」の導入も提案されていますが、これはどういうものですか?

 これはニュージーランドで導入されたものです。選挙が終わって新しい政権ができると、政府は財政責任法に基づいて、財政運営の目標を策定します。例えて言えば、5キロ減量するとか、10キロ減量するとか、数字を挙げて具体的な目標を設定しなければなりません。そして、政府は、減量(財政運営)が目標通りにいっているかどうかを、定期的に国会で説明しなくてはいけません。しかも、民間と同じ発生主義の会計原則に基づいて、財務諸表の作成が義務付けられています。

 もちろん風邪をひくときもあるので、国債を発行して景気対策を行うこともできます。ただし、財務大臣は、財政赤字がどのくらい悪化するのか、またあらかじめ決めた財政目標から外れるときには、どのくらいの時間軸でどのようにして目標に戻すのかを、事前に説明しなければ、景気対策を行うことができません。例えば、3年後に消費税率を1%上げるといったようにです。

 何を言いたいかというと、民主主義の下では、国民から負託を受けた政府には裁量があります。赤字の削減といっても、強制はできません。その代わりに、財政責任法は、政府に目標を定めることを義務づけ、また、厳しい会計ルールに基づき、財政状況を政府自ら検証することを求めています。

目標を達成できない場合、特に罰則はありませんが、その責任は最後は選挙で問われることになります。予算の透明性を高くして、ルール違反が国民に分かるようにし、ルール違反の政治的なコストを高くしているのです。財政責任法により、ニュージーランドの財政の透明性はOECD諸国の中でも一番高いと言われていますが、ニュージーランドは、94年以来、ごく最近を除けば、財政はほぼ黒字を続けています。(本インタビューは7月30日に行った)

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