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平成22年 第12回「米・食味分析鑑定コンクール:国際大会」(松江市)有機栽培・JAS認定部門で特別優秀賞を受賞。(食味90・味度83・計173点) 平成25年、第15回魚沼と第16回北京開催運動中! 無農薬魚沼産コシヒカリ生産農家・理想の稲作技術『CO2削減農法』 http://www.uonumakoshihikari.com/
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慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E9%96%A2%E4%BF%82%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E7%B5%90%E6%9E%9C%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B2%B3%E9%87%8E%E5%86%85%E9%96%A3%E5%AE%98%E6%88%BF%E9%95%B7%E5%AE%98%E8%AB%87%E8%A9%B1

戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B1%B1%E8%AB%87%E8%A9%B1

稲田朋美
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E7%94%B0%E6%9C%8B%E7%BE%8E

【正論】2010/08/10 07:12 産経新聞

 1枚の写真がある。65年の歳月でセピア色になっているがそれでも凛(りん)として立つ青年の輝きは失せていない。青年のまなざしははるか遠くをみている。その目線のさきに何があるのか。青年が自分の命を賭けてまで守ろうとしたものは何だったのか。

特攻隊員として訓練中に殉職した母方の伯父は21歳、終戦のわずか3カ月前のことだった。

 ある日、中学生だった息子がその写真をみて、「この人僕に似ているな」とつぶやいた。その息子も20歳、写真の伯父が散華した年齢になっている。

 ≪村山、河野談話の撤回から≫

 政治家としてどうしてもやらなければならないことがある。戦後50年目の平成7年、自社さ政権の村山富市内閣が出した村山談話と平成5年、宮沢喜一内閣でのいわゆる従軍慰安婦に関する河野洋平官房長官談話の撤回だ。

 平成7年6月9日、衆議院本会議で「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議案」が起立採決により可決され、同じ年の8月15日に村山談話がだされた。そこには、植民地支配と侵略に対する反省とお詫(わ)びはあるが、日本を守るために命を捧(ささ)げた240万の靖国の英霊に対する感謝と敬意、また国際法違反の原爆投下や空襲などで犠牲になった同胞80万人に対する追悼の心の片鱗(へんりん)もない。

 いかなる歴史観にたとうとも、命を賭けて自分の国を守る行為は理屈ぬきに尊い。いやしくも日本の政治家なら同じ思いで政治をしているはずであり、政治家が戦後50年目に何よりも先に思うべきことは、命とひき換えに国を守った英霊と原爆投下に象徴される許すことのできない非道かつ不法な攻撃で殺戮(さつりく)された民間人への哀悼の念以外にはありえない。当時どのような政治判断によってなされたのかは知らないが、このばかげた、中国、韓国、北朝鮮に阿(おもね)るだけの有害無益な村山談話を引き継がないことを日本国の総理が宣言することがわが国再生の第一歩だ。

 平成5年8月4日の河野談話は、朝鮮人慰安婦を強制連行したという吉田清治なる人物の話をきっかけに広がった日本軍関与説を認め、「心からお詫びと反省」をのべ、これを歴史教育にも生かすと表明した。ところが後日この吉田の話が嘘(うそ)であることが明らかになり、談話にかかわった石原信雄元官房副長官も強制を認めたものではないと語ったが、歴代内閣はこの談話を検証しようともせず、漫然と引き継いできた。

 その不作為と事なかれ主義により、日本がいわゆる従軍慰安婦を強制連行したという不名誉な嘘が事実として世界に流布され、平成19年7月30日、アメリカの下院で非難決議がなされた。そのなかで日本は「強制的軍売春である『慰安婦』制度」をつくり、「その残忍さと規模において、輪姦(りんかん)、強制的中絶、屈辱的行為、性的暴力が含まれるかつて例のないものであり、身体の損傷、死亡、結果としての自殺を伴う20世紀最大の人身売買事案」と書かれている。とうとうわが国は人さらいの強姦殺人国家に仕立て上げられたのだ。

 ≪英霊に恥じぬ政治が必要≫

 このような事実無根のいわれなき非難について、日本国政府はまともな反論をしなかったが、作曲家のすぎやまこういちさんは私財約2千万円を投じてワシントン・ポストに意見広告を出した。心ある言論人と一部の政治家が名を連ねた。本来自国の名誉を守るのは政府の仕事であるのにそれをせず、この崇高な行為について政府はコメント一つださなかった。

 悲しいことに、これらは自民党政権下のことである。下野して反省すべきことは多くあるが、「(カルタゴの滅亡が示すように)自らの安全を自らの力によって守る意志を持たない場合、いかなる国家といえども独立と平和を期待することはできない」(塩野七生著「マキアヴェッリ語録」)。事なかれ主義が日本の政治をだめにしてきたことを自覚すべきだ。

 菅直人首相は日韓併合100年にあたり、反省と謝罪の談話を発表するらしいが、一体何のためにするのか。仙谷由人官房長官は戦後個人補償に前向きとも受け取れる発言をしたが、戦争被害で国と国とが最終決着した平和条約(日韓基本条約)を無にするようなもので、国際法上の正義に反した、不用意かつ不見識というほかない。のみならず、平和条約が締結された以上個人補償は認められないとする最高裁判決に反した、法的にも間違った発言である。

 何よりもサンフランシスコ平和条約で課せられた前例のない苛酷な賠償条件を受け入れて、独立を回復して国際社会に復帰し、賠償を誠実に履行したわが国の戦後の歩みそのものを否定するものであり、日本の政治家として絶対にあってはならない発言だ。

 一体この国はどこへ行くのか。そして何を目指すのか。21歳で散華した私の伯父を含む靖国の英霊に恥じない「自らの国は自らが守る」という気概を政治家が取り戻すことなくして、この国の将来はない。(弁護士、衆院議員 稲田朋美)

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2010年8月14日 日刊ゲンダイ

迫り来る9月14日!

面白いことになってきた。9月14日の民主党代表選に向けて、小沢一郎前幹事長が動き始めた。
 参院選後はダンマリを決め込んできた小沢だが、久々にメルマガを復活させ、重大なメッセージを発したのだ。
「民主党は原点に戻り、皆様の期待に応えるべく、“国民の生活が第一”の政策をひとつひとつ実行し、誰もが安心して暮らせる社会の実現に尽力して参ります」という内容だ。
 小沢がメルマガというのは違和感はあるが、それはともかく、小沢は代表選に向けて、菅首相と対決することがハッキリした。ある民主党議員が言う。
「唐突な消費税発言や子ども手当の縮小に象徴されるように、菅首相はマニフェストをどんどん後退させている。財務官僚の言いなりになっている弱腰は目に余る。党内には、そんな首相に対して不平不満が広がっています。今回の小沢さんのメッセージは、この党内の声を汲み取って、“分かった、オレが民主党をもう一度立て直す”と宣言したもの。菅首相への対決姿勢を鮮明にしたのです。党内は、いよいよ小沢さんが立ち上がったと、拍手喝采ですよ」
 側近議員だけでなく、若手議員、1年生議員の間では「小沢待望論」がどんどん広がっている。小沢が9月の代表選で行動を起こすのは間違いなくなってきた。

●代表選に小沢本人が出馬する確率
 問題は、代表選に小沢本人が出るかどうかだ。これは見方が真っ二つに分かれている。政治評論家の浅川博忠氏はこう言う。
「19日の軽井沢での鳩山セミナーに、小沢氏が現れるのかどうか。そこで小沢擁立論が一気に高まれば、本人が出馬宣言することもあるでしょうが、常識的に考えれば、難しい。10月には検察審査会の2回目の議決が出る。マスコミも一斉に政治とカネの問題をぶり返し、小沢批判を始める。野党は、小沢氏が総理になったら、徹底的に追及しようと手ぐすね引いて待っている。それを考えれば、本人もちゅうちょするはず。代表選にはダミーを立てておいて、小沢氏本人は無任所副総理くらいで入閣して、検察審を牽制する。これが常識的な見方だと思います。続投宣言している菅首相は、小沢グループの候補に勝ったとしても、その後の国会運営がイバラの道。党内でケンカしている余裕はありません。鳩山前首相あたりを仲介役に小沢氏と手を結び、小沢氏にねじれ国会の調整役として副総理を要請するんじゃないかとみています」
 確かに、小沢が代表選に出馬すれば、大新聞・TVは喜々として小沢攻撃を始める。「小沢叩き」は商売になるからだ。そんなモグラ叩きゲームに、わざわざ顔を出すほど小沢はバカじゃないという見方は成り立つ。

●世論調査とは違う実際の「小沢待望論」の広がり
 だが、それでも小沢出馬説は消えない。68歳という年齢を考えれば、今度の代表選が首相になるラストチャンスだからである。
「小沢さんは勝負するしかないと思いますよ。原口一博大臣や海江田万里議員を代わりに擁立して、闇将軍になるという見方が強いが、総理になった人はいずれ恩義なんて忘れて、小沢さんを排除する。そうなったら政治的影響力は終わる。権力闘争をくぐり抜けてきた小沢さんは、百も承知です。それに、トップにならないと、やりたいことができないのも分かっている。ネックは人気のなさでしょうが、地方などを回ると、“菅じゃあダメだ、日本を再生させるには小沢の腕力が必要だ”という声が多い。日本人は世論調査では上品ぶって、政治とカネの問題は許せないと答えてしまうが、頼りない菅内閣によってどんどん景気が悪くなれば、小沢さんの剛腕が評価される。支持率10%からのスタートでも、後は上がっていく。野党やマスコミからの集中砲火も含め、そのあたりのことは全部計算して、本人は腹をくくり始めていると思います」(政治評論家・有馬晴海氏)
 民主党衆参議員413人のうち、小沢グループ150人、鳩山グループ50人。両グループが「民主党は原点に戻ろう」と小沢を担げば、様子見の議員も雪崩を打ち、小沢は圧勝しておかしくない。菅続投支持の岡田外相が13日、検察審を持ち出してわざわざ「小沢不出馬」を公言したのも、小沢出馬が現実味を帯びてきた裏返しなのだろう。

●菅首相は出馬辞退に追い込まれる?!
 いまの日本は、政治も経済も外交も八方ふさがりだ。ことに急激な円高と米国の景気悪化によって、稼ぎ頭の日本の輸出産業は再び沈没の危機で、デフレ不況は底なしになってきた。戦略も戦術もない頼りない菅政権に、この難局を突破する能力はない。そのことに大半の国民は気づき始めている。このドン詰まりを打破できる最後の切り札は、剛腕・小沢しかいないのも事実だ。
 日本の首相を選ぶことになる9月の代表選は、小沢出馬がいちばんスッキリする結論なのだ。
 民主党に詳しい経済アナリストの菊池英博氏はこう語る。
「菅首相は代表選に出ない、いや、出られないでしょう。だって党内で彼を推す声は一部にすぎない。この2カ月で、評価はほぼ固まった。“脱小沢”だけで続投が許される状況ではありません。小沢氏が立てば、基盤のない菅首相は負けが見え、みっともなくて出馬できない。今月中に菅政権が事実上終わる可能性が十分なのです。でも、それは今後の日本にとって大きなプラスですよ」
 菅政権はもう限界、チェンジしなければ民主党政権そのものが終焉に向かう。そういった危機感は、世間が考えている以上に、民主党内で強いという。お盆明けから始まる代表選の駆け引きは、予想外の展開と結末になりそうなのだ。
片山善博
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E5%B1%B1%E5%96%84%E5%8D%9A

地域主権戦略会議
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E4%B8%BB%E6%A8%A9%E6%88%A6%E7%95%A5%E4%BC%9A%E8%AD%B0

骨抜きになった“地域主権改革”の顛末――慶応義塾大学 片山善博教授インタビュー

昨年の衆議院総選挙では最重要論点の1つだった「地域主権」「地方分権」をめぐる問題意識が後退している。参議院選挙を前に、6月22日に閣議決定された『地域主権大綱』の内容も、“骨抜き”と指摘されている状況だ。なぜ、この1年で「地域主権」に関する議論がおぼつかなくなってしまったのか。鳥取県知事時代に「改革派」として絶大な支持率を誇った慶応義塾大学・片山善博教授に、その理由と本来あるべき地域主権改革の姿を聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 林恭子)

地域主権改革は全く進展なし
“総務省流の骨抜き改革”へ
――昨年の衆院選では注目を浴びていた「地域主権」の問題が、影を潜めている。その理由はなぜか。

昨年、自民党が地方改革の一環として「道州制」を全面に押し出していたのに対し、民主党は「住民投票法」の制定や「住民によるガバナンス形成」「議会改革」をはじめとした地域主権改革を打ち出していた。これは、非常に的を射たアジェンダ設定だった。

 もしこれらをしっかりと進めていれば、民主党はこの分野で国民の支持を得られていたはずだ。しかし、実際には何も進めていない。行なったのは、1年前から何ら進展していない『地域主権大綱』をまとめただけである。これでは、住民や国民が関心を持つはずがない。

 現在の民主党は、自民党時代の地方分権路線と全く同じ道を歩んでいるといってもいい。結局、総務省流の従来路線になっている。過去、自民党型の地方分権改革が国民の関心を得られなかったのと同様に、民主党の地域主権改革も関心を呼んでいないのだろう。

――現在の地域主権改革は、「総務省主導の色合いが強い」ということか。

 明らかに総務省流だ。改革のプログラムのなかに「総務省」自身や「住民」が登場しないことからも、明らかだろう。

 確かに「義務付け・枠付けの廃止」や「市町村への権限移譲」、「一括交付金化」を目指すという方針は基本的に正しい。ところが、これらは全て総務省に関係のない項目で、総務省の利害に絡んだ改革案が登場しない。

 総務省が持っているいびつな権限、つまり交付税の私物化やひも付き化などについては、一切口を拭っている。つまり、対象となるのは他省に関係する案件ばかり。これでは、「総務省以外の省庁の影響力を排除する作戦」と受け取られても、仕方がない。自治体をがんじがらめにする規制を自ら持っていながら、他省を規制するのはおかしい。まず、自らの改革をすべきだ。

総務省が描く理想像は、自治体への他省の介入や影響力を排除し、自らが一省で支配をしたいというものだろう。そういう文脈で捉えれば、様々な問題意識を持つ住民にも、表に登場して欲しくないはずだ。

 したがって、彼らにとって議会は現在のような「疎かな状況」が続くことがふさわしいため、議会改革は全く謳われず、当然「住民」も改革プログラムに登場しない。「草の根自治・ガバナンス」は口先だけで、決して本気ではない。これが“総務省流の地方分権改革”のあらましだ。

与党になったら興味なし?
総務省の言いなりになった“改革”
――片山教授は、昨年のダイヤモンド・オンラインでのインタビューのなかで民主党が打ち出した「草の根的な改革」を評価されていたが、現在のような結果になったことをどう評価しているか。

 民主党の力量不足だ。問題の所在をはっきり認識していなかったのだろう。地方分権改革が進まなかったのは、「総務省改革」を行わなかったこと、住民の政治参加機会を拡大する「住民自治強化」が必要だという、2つのポイントを意識していなかったからだ。

 原口総務相の責任も大きい。「原口プラン」の内容は、総務省官僚がつくった自民党時代の「麻生プラン」「鳩山プラン」など歴代の総務大臣のプランの延長線上でできたもので、基本的に中身は同じだ。政権が変わっても同じ流儀で、本質は何も変わっていない。

――民主党自身も、「地域主権」や「地方分権」に興味がなくなってしまったのか。

 政権を取ったら、興味を失ってしまったのだろう。野党のときは、政府を批判するわけだから自ずと分権的体質になるが、与党になればその必要性はなくなるからだ。

 本来なら、財政再建や政治主導を目指す際に、本当の地域主権改革を行なえば、それらも随分進むことになる。税金の使い道の決定権を自治体に渡せば、住民の身近なところに移るわけだから、地域主権改革は国のあり方までも変えることができるはずだ。

 官僚の抵抗があったにせよ、原口総務相自身に総務省をリードするだけの力がなかったのだろう。原口プランにも大綱にも「総務省改革」が出てこないことからも、それは明らかだ。


菅首相に期待する
「行政の透明化」での地方改革
――では菅首相の就任は、地方自治改革にどう影響するだろうか。

 まだ、未知数だ。ただ、期待していることはある。なぜなら、厚生労働大臣時代の「薬害エイズ問題」に対する向き合い方が象徴的なように、菅首相は「透明性の確保」を政策課題として重視しているからだ。

 国が抱え込んで行なっている仕事も、「事業仕分け」によって本来は誰がやるべきかを点検すると、役人の利権や天下り団体のためだったということがよくわかった。引き続き「透明化」をしていけば、国が行なっている仕事も住民の身近なところで行なった方がいいというケースは多いはずだ。したがって、透明性は分権や地域主権改革を進めるうえで、大きなエンジンになる。そういった意味で期待している。

 また、「強い財政」を打ち出したことについても期待をしている。単に消費税の増税だけで強い財政を実現しようとしているならあまり期待はできないが、同時にいびつな歳出構造を変えれば、効果が見込める。財政再建を進めていく過程で、国と地方がもたれ合いを行なっている無駄を省けば、地域主権改革が進む可能性もあるだろう。

住民が自治体の仕事・税を決められる
「可変的な税システム」の構築
――国民や民主党の関心は薄れつつあるが、財政面でも地域主権や地方分権の重要性は高まってきているように思う。実現には、何から始めていけばよいのか。

 今の地方財政のシステムは、“護送船団方式”だ。これは、総務省が枠組みを決め、財源を保障し、予算を確保、借金の面倒みるというやり方で、本来主役であるはずの住民や議会が全く登場しない「異常なシステム」である。

 地方自治の本質は、自分たちで仕事を決め、それに必要なコストを税として負担するもの。毎年、仕事の量や質は変わるのだから、当然税率も毎年変わるべきである。米国やオーストラリアがそのよい例だ。だが、日本は基本的に税率を固定してしまっている。

 日本は、そのメカニズムが全く作動しておらず、住民も無関心のため、財政破綻が起きるのだ。財政破綻は、議会や住民による税率調整が働いていれば、基本的に起きない。税率を可変的にさせるだけで物事は解決する。無駄な「箱物」もなくなる。つくるかつくらないか、借金するかどうかは、国ではなく、地元で決めるべきだ。

去年の民主党の政策集『インデックス2009』に書かれていたように、借金や税率は住民の代表である議会が決め、大きな金額については直接住民に意見を問う住民投票をするという形が、あるべき姿である。だが、アジェンダとして上がってこない状況だ。

 それは、総務省にとって財政局、そして地方債課が命だからである。こんな時代になっても、地方債の権限にしがみついているなんて、お粗末だとしか言いようがない。



――そのほか、地域主権を実現するために行なっていくべきことはあるか。

 現在、財政システム全体が、公共事業などのハード重視になっている。ハード事業は、総務省のお墨付きをもらって起債をするが、多くの場合、後で交付税が上乗せされる。つまり、自己負担が少なくて済み、補助金をもらっているのと同じ状況だ。

 一方で、福祉や教育のようなソフト事業はそういったことが一切なく、冷遇されている。だからハード事業に勢いが傾く。つまり、地方財政システム自体が「コンクリート重視」なのだ。それを改めて、「コンクリートか人か」という選択を自治体ごとにできるような、イーブンの条件をつくるべきだ。

――国家公務員の見直しが問われている一方で、地方公務員の改革はどのように行なっていくべきか。

 基本的には、地方公務員の給与の問題は自治体単位で決めるべきだ。だが、今は護送船団的で、国が人事院勧告を出したら自治体も「右にならえ」になっている。

 地域主権改革が行なわれれば、国家公務員の給与水準と切り離して地方公務員の給与を論じる風潮が出てくる。「地域の給与水準と比較した場合、地方公務員の給与水準はおかしい」と議会が指摘すれば、問題は解消するだろう。

 ところが、現在の体制下では議会がおぼつかないから、給与水準1つとっても、国に倣って右から左に流されてしまう。総務省が音頭を取るのは、まさに“中央集権的スタイル”と言ってもいい。

 この問題は、一見地方分権改革と無縁に思えるが、議会改革や草の根ガバナンスを強化すれば、自ずと改まるもの。全く議会改革をやらないでいれば、一律に人件費がカットされることになり、その弊害が生まれることになる。これでは、自治でもなんでもない。

 鳥取県も議会改革をまず行なうことで、人件費の問題などにメスを入れた。現業(守衛や運転手など)の給与について議案が議会から上がり、25%カットに至ったのだ。議会から一種の圧力がかかると、改革は随分やりやすいものだ。

私は改革派の知事として様々なことに取り組んだと言われているが、「そのきっかけやチャンスをくれたのは議会だった」と言っても過言ではないだろう。

「根回しはしない」
知事と議会の“距離感”から改革を
――議会改革の実行は難しいかと思うが、どのようなことから始めていけばよいのか。

 今の法制度・仕組みのなかでもできることはある。たとえば、首長が「根回しはしない」と宣言するだけでも大きく変わる。私自身は、最初の議会でその旨を表明した。また、名古屋市による同様の取り組みが、大きな改革につながっていることからも、その効果は明らかだろう。

 だが、これまではほとんどの議会が対立を避け、「車の両輪」と称しながら首長と一輪車になってきたのが実態だ。

 首長と議会は決して対決をする必要はないが、二元代表なのだから、本来議会は対抗軸議会になるべきである。議会との間に距離を置けば、議会は自ずと活性化するだろう。

 また、選挙制度改革も1つの方法だろう。今の議会は、自分の損得ばかりを考える「選挙至上主義的」なところがある。だから、チェックも納税者の視点も感じられない。

 そういったことを避けるために、市町村レベルの自治体議会では職を持ちながら議員をすることが認められるべきだろう。これは、すでに北欧で導入されている。そうすれば、議員にしがみつく人はいなくなり、次の選挙を気にしないため、納税者の視点で議論に取り組めるようになるはずだ。

 さらに、国の地方債への関与や交付金の誘導装置をなくし、税率や起債を議会で決めざるを得なくして、議会を活発化させることが非常に重要だ。現在は、税率も借金も最終的には国が決めており、議会はやることがない。だから、「口利き」ばかりが横行するようになるのだ。

 もし「口利き」が有効でなくなれば、議員はこれまで「口利き」で解決してきた個別の問題を普遍化し、政策課題として議場で論じざるを得なくなる。要するに、個別の問題を解決するのではなく、「システムを解決することによって個別の問題を解決する」ことが、本来の政治の姿である。こうした議会の姿を実現する改革こそ、地域主権改革のために、まず取り組むべきことだろう。
 

Wikileaks
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9

三井環

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%95%E7%92%B0


ペンタゴンペーパー事件と三井事件/牧野 洋 現代ビジネス8月12日(木) 7時 5分配信 / 国内 - 社会


権力の暗部を暴くために内部告発に踏み切ると、大変なリスクを背負う。「世の中のために」と思って行動したのに、逆に犯罪人として刑務所に放り込まれることもある。

 そんな背景から数年前、ウェブサイト「ウィキリークス」が生まれた。世界中から匿名の内部告発を受け入れ、偽情報でないかどうか調べたうえで公開するのを使命にする。7月下旬にアフガン戦争絡みの秘密文書「アフガン戦争日記」を公開したことで、一躍知名度が高まった。

 アフガン戦争日記は、ベトナム戦争に関する国防総省機密文書「ペンタゴンペーパー」と比較されることが多い。アフガン戦争日記と同様にペンタゴンペーパーも内部告発者によって暴露された。 

 前回(「『アフガン戦争秘密文書』すっぱ抜いた『内部告発サイト』ウィキリークスと組んだニューヨーク・タイムズ」)は「日本でもウィキリークスは通用するだろうか」と問題提起した。この疑問に答えるために、まずはペンタゴンペーパー事件を振り返ってみたい。後述する「三井事件」と比較すると、日本の大新聞に欠けがちな報道姿勢が浮き彫りになるからだ。

 ペンタゴンペーパーの内部告発者は、「空軍のシンクタンク」とも呼ばれたランド研究所のアナリスト、ダニエル・エルスバーグだ。ランドの歴史を記した『ランド――世界を支配した研究所』をひもとくと、彼が自分の人生を懸けて内部告発に踏み切る様子が生々しく伝わってくる。

< ドアを鋭くノックする音で(機密文書をコピーする)作業が中断した。制服を着た警官2人が外の階段の上まで来ていた。そのうちの1人がガラス製のドア越しにエルスバーグに向かい、ドアを開けるように身振りで指示している。(中略)

 エルスバーグはとっさにコピー機のふたを閉め、それまでコピーしていた書類を隠した。自分の子供たちはこれからどうなるだろうと不安にかられながら、ドアへ向かった。途中、「トップシークレット(国家機密)」と押印された書類の束を紙切れで覆った。

「何か問題でも? 」とエルスバーグが口火を切った。

「事務所の警報装置が切れているよ」と警官の1人が答えた。>


 ペンタゴンペーパーを公開しないままで逮捕されたら、すべてが水泡に帰すところだった。売国奴として終身刑に処せられても、ベトナム戦争の悲惨な物語の全貌を世の中に向かって公開できればいい――エルスバーグはこんな決意だったのだ。 

 エルスバーグにとって頼みの綱が、憲法修正第1条(ファースト・アメンドメント)で言論の自由を保障されたメディアだった。エルスバーグは一部の上院議員らにペンタゴンペーパーを手渡し、議会で追及してもらおうと動いていたが、相手にされなかったのだ。


*** 政府が記事を差し止めるとライバル紙がフォロー ***
 巨大権力の圧力に屈せずにペンタゴンペーペーパーを公開してくれるメディアはどこか。エルスバーグはニューヨーク・タイムズ(NYT)を選んだ。NYTは期待に応えた。週ヵ月にわたって特別取材班をホテルに缶詰め状態にし、ペンタゴンペーパーを分析・検証するなどで、内部告発者を全面支援したのである。

 NYTは1971年6月13日の1面トップ記事でペンタゴンペーパーを特報した。ところがこの段階では大した騒ぎにはならなかった。ペンタゴンペーパーが歴史に残る内部告発へ“格上げ”されたのは、NYTが第3弾の記事を掲載した2日後だった。



 この日、ホワイトハウスが反撃に出た。裁判所からNYTに対する記事差し止め命令を勝ち取ったのだ。これを境にNYTは続報を掲載できなくなった。

 すると、NYTのライバル紙であるワシントン・ポスト(WP)紙がNYTに代わってペンタゴンペーパー報道を開始した。記事差し止めを受けてエルスバーグがWPにもペンタゴンペーパーを持ち込んだのだ。

 大新聞が「タッグを組んで」内部告発者を支援したわけだ。これが功を奏したのかどうか分からないが、エルスバーグに対する起訴は最終的に取り下げられた。有罪にされていたら、彼は最高で100年以上の懲役刑を受けかねなかった。

 ウィキリークスによるアフガン戦争日記の公開を受けて、著名ジャーナリストのベンジャミン・ブラッドリーはペンタゴンペーパー事件を振り返り、7月27日付のWP紙上で次のようにコメントした。

「ペンタゴンペーパー自体に衝撃的な新事実が隠されていたわけでもない。にもかかわらずアメリカ中が大騒ぎになったのは、ニクソン大統領が記事掲載をやめさせようと躍起になったためだ。だれもが『政府が記事差し止めに動くほど重大な秘密なのか』と思うようになった」

 WP編集局長としてペンタゴンペーパー事件の報道を指揮したブラッドレーは、「ウォーターゲート事件をスクープした編集局長」として知られている。

 ちなみに、ペンタゴンペーパー事件を背景にして起きたウォーターゲート事件も、内部告発者の存在を抜きにしては語れない。この内部告発者は世間では「ディープスロート」として知られていた。

 ペンタゴンペーパーと違い、アフガン戦争日記ではホワイトハウスは記事差し止めに動かなかった。記事掲載前にNYTに対し「有害な情報の公開を控えるようウィキリークスを説得してほしい」と要請しただけだった。その意味では、アフガン戦争日記にはペンタゴンペーパーほどのインパクトはない。

 それでもウィキリークスにとっては大躍進であることに変わりはない。少なくとも初報段階ではNYTなど伝統的な印刷メディアと連携できたのだ。


*** 検察の裏金を実名告発する寸前に逮捕 ***
 ここで「日本でもウィキリークスは通用するだろうか」との疑問に戻ろう。カギを握るのは、やはり大新聞を筆頭にした伝統的な印刷メディアだ。単純比較が難しいのは承知のうえで、2002年に起きた「三井事件」を点検してみる。

 当時、検察庁の現職幹部だった三井環が水面下でマスコミに接触し、「調査活動費が裏金として職員の私的な飲食代やゴルフ代に消えている」と訴えていた。「ディープスロート」としてマスコミに協力しようとしたわけだ。しかし、匿名の内部告発ではなかなか相手にしてもらえなかった。

 そこで、三井は実名で内部告発に踏み切る決意を固めた。同年4月22日にテレビ朝日の報道番組「ザ・スクープ」で単独インタビューを受け、収録する予定を入れた。ところがインタビューは実現しなかった。その日、詐欺と職権乱用の容疑で逮捕されたのだ。
 

実名告発の矢先に逮捕というタイミングから、「検察は口封じのために事件をでっち上げ、内部告発者の逮捕に踏み切ったのか」といった見方も出た。それが事実だとすれば、「裏金問題は検察が口封じに動くほど重大な秘密なのか」ということになる。

 ここでペンタゴンペーパー事件を思い出してほしい。同事件では、ホワイトハウスがNYTによる記事掲載をストップさせるのに成功すると、世間は「ペンタゴンペーパーは政府が記事差し止めに動くほど重大な秘密なのか」と思い始めた。

 つまり、三井事件での「逮捕」とペンタゴンペーパー事件での「記事差し止め」は、同じ文脈でとらえるが可能だ。いずれも、内部告発者・マスコミ側に対抗するために権力側が打ち出したアクションなのだ(検察当局は三井逮捕と裏金疑惑の関連性を一貫して否定している)。

 両事件とも、権力側のアクションをきっかけに大きな注目を集めるようになった。だが、方向性は正反対だった。三井事件では、大新聞は申し合わせたように「内部告発者の犯罪」を大々的に取り上げ、「政府の悪事」をわきに追いやった。

 大新聞は「タッグを組んで」内部告発者を糾弾したのである。


*** かき消された検察の裏金問題 ***
 逮捕当日の夕刊で、毎日新聞は関連記事の見出しに「明治以来の不祥事」という表現を使った。「明治以来の不祥事」とは、ピーク時に年間5億円以上に上っていた調査活動費が裏金に流用されているという疑惑のことではない。暴力団関係者との不動産取引に絡んで47万円の利益を得たなどと疑われた三井の逮捕のことだ。

 社説はどうだったか。翌日4月23日付の朝日新聞は「日本の検察官の信頼を著しく失墜される事件」と書いた。5月31日付の読売新聞は「今回の事件ほど国民の検察に対する信頼を損なったものはない」、6月4日付の日本経済新聞は「歴代の検察首脳の責任は極めて重い」と指摘した。いずれも裏金疑惑ではなく、「悪徳検事・三井」への言及だ。

 どの社説も裏金疑惑には申し訳程度に触れているだけだった。後半で「検察は『私的流用の事実はない』という根拠を可能な限り示すべき」(読売)、「検察は特別チームを作って徹底調査と結果公表に踏み切るべき」(日経)などと指摘。大新聞は自ら調査報道班を立ち上げて、徹底調査する発想はなかったのだろうか。

 三井自身はホームページ上で、拘置所内で逮捕時の報道を初めて読んだ時を振り返り、「逮捕された時に、いかにひどく報道されていたかを知って驚愕。マスコミにも怒りがわいてきた」と書いている。

 三井は詐欺・職権乱用に加えて収賄罪でも起訴され、6年後の2008年、最高裁で実刑が確定した。懲役1年8ヵ月、罰金22万円。一方、法務・検察当局は調査活動費の流用を否定し続け、今も裏金疑惑は解明されていない。

 法務・検察当局が裏金疑惑解明に自ら動かないとすれば、頼りになるのはマスコミだけだ。しかし大新聞は、裏金疑惑への関心を失ってしまったようだ。報道機関は本来、内部告発者自身が抱える問題とは別に、内部告発者が提供した情報が真実なのかどうか、独力で調査するよう求められているのに、である。

 内部告発者の匿名性はどうか。



 三井事件では、内部告発者は匿名のままではマスコミから期待通りの協力を得られなかった。逮捕後、裁判などを通じて実名で告発する形になっても、大新聞は基本的に「内部告発者は犯罪人。だから信頼できない」という論調に終始。テレビや週刊誌を中心に「三井逮捕は口封じ」との特集もあったが、大勢に影響はなかった。

 ペンタゴンペーパー事件でもアフガン戦争日記事件でも、大新聞は内部告発者の匿名性を守ったまま報道に踏み切った。前者では、エルスバーグが内部告発者であることが早い段階で判明するが、大新聞が実名告発を求めたわけではなかった。後者では、「匿名での内部告発」を標榜するウィキリークスが情報源になっている。

 内部告発者の匿名性が最も話題になったのがウォーターゲート事件だ。連邦捜査局(FBI)の元副長官マーク・フェルトが「ディープスロートはわたし」と名乗りを上げるまで、数十年間にわたって匿名性は守られた。実名告発に頼らずとも、大新聞が調査報道によって証拠を集め、報道したため、事件の全貌はとっくの昔に明らかにされている。

 三井事件は、アフガン戦争日記やペンタゴンペーパー事件などとはスケールも性質も異なる。だが、大新聞が「内部告発者の犯罪」か「政府の悪事」のどちらに力点を置くのかを点検するうえで、比較材料になる。

 47万円の詐欺容疑などで逮捕され、「悪徳検事」のレッテルを張られた三井。一方、国家反逆罪に問われながらも刑務所送りを免れ、「英雄」と呼ばれたエルスバーグ。「政府の悪事」を暴くという点で、三井は失敗し、エルスバーグは成功した。2人の運命がこんなに違ってしまった一因は、大新聞の報道姿勢にもあるのではないか。

 権力のチェック役として情報源(内部告発者)を守り、「政府の悪事」究明に全力を上げる――。こんな姿勢を見せない限り、ウィキリークスは日本の大新聞に期待しないだろう。

2010.4.27JBPRESS 財政再建のウルトラC──松谷明彦・政策研究大学院大教授

日本の財政状況は先進国で最悪になった。国の借金は900兆円に達し、対GDP(国内総生産)比率では危機に直面するギリシャをはるかに上回る。1400兆円規模の個人金融資産が巨額の財政赤字を穴埋めしてきたが、高齢化の進展でそれも先細りを避けられない。

 果たして財政再建にウルトラCはあるのか。政策研究大学院大学の松谷明彦教授(元大蔵省大臣官房審議官)はJBpressのインタビューで、膨らみ続ける国債残高は「もはや返せる水準ではない」と断言した。その上でかつての英国に倣い、「コンソル公債」を発行して国債元本の返済を半永久的に先送りするしかないと指摘。それだけでは日本の信用力が凋落してしまうから、憲法を改正して新たな国の借金を禁止すべきだと提唱している。(2010年4月8日取材、前田せいめい撮影)

JBpress 日本は財政再建にどう取り組むべきか。

松谷明彦教授 今の財政の問題を解決するため、増収策つまり税負担を引き上げようとするのは大きな間違い。それで解決するわけがない。

 戦後、日本は福祉国家を目指し、国民1人当たりの財政支出はずっと拡大してきた。ところが、増税したことがない。1955~2005年までの50年間で1人当たりの財政支出は国と地方合計でおよそ10倍に拡大した。にもかかわらず、その間に増税したのはたった1回だけだ。

 なぜ、増税しないのに1人当たりの財政支出を増やせたのか。それは、若い人口すなわち納税者の割合が増えたからだ。それで増税せずに済んだ。また、経済規模の拡大に伴う自然増収にも一理ある。歳出が伸びても、歳入も伸びていたから財政のバランスが取れていた。

 しかし、これから起こるのは歳入の横ばい。高齢化に伴って働く人の割合がどんどん減っていくからだ。ロボットなど技術の進歩で1人当たりの生産性が上昇するため、1人当たりの国民所得は下がることはないが、概ね横ばいになる。

 1人当たりの国民所得が増えていれば、税率を変えなくても税収は増える。これが横ばいになると何が起こるのか。増税が1回で済まず、毎年のように必要になってしまうのだ。これは完全な財政破綻を招くから、現実的な選択肢にはなり得ない。

 では、どうしたらよいのか。歳出増加の傾きを落とさなくてはならない。それなら1回の増税で済む。まずこれを行い、その上で政府の規模をどうするか議論すればよい。

 今後、1人当たりの財政支出は放っておくと増え続ける。なぜなら、財政支出が必要なのは若い人ではなく、お年寄りの世代だから。それなのに政治家はバラマキを行っている。これが最大の問題と言えるだろう。

相当な痛みを伴うが、1人当たりの歳出削減が不可欠

━━ 歳出増加の角度を落とすとは、どういうことか。

松谷氏 お年寄りの割合が増えても、1人当たりの財政支出を伸びなくすれば、人口の減少とともに財政支出は減少する。それも比例的に減少するような世界に持っていくわけで、これには相当な痛みを伴う。

 今はお年寄りの割合が増えるに従い、1人当たりの財政支出も増える仕組みになっている。それを税収で賄い続けることは絶対に不可能。プライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化という生易しいものではなく、真に抜本的な改革が必要だ。

その実現が大変なのは言うまでもない。きちんとしたタイムテーブルに基づき、人口高齢化の速度に合わせて1人当たりの歳出を削減するプログラムをつくらなくてはならない。(医療や福祉などの)サービスそのものは低下させずに、お金のかからないシステムを構築する。

 社会福祉と福祉は違う。数十年前、日本で社会福祉がほとんど発達していなかった当時、高齢者はどうやって生きていたのか。今に比べれば割合も人数も少なかったけれども、家族や地域に助けられて生きてきた。

 それこそが福祉であり、基本的に相互扶助のことなのだ。国がしてくれなくても、助け合ってちゃんと生きてきた。ところが今や、政府が高齢者を丸抱えしている。

 スウェーデンでは例えば、中年の婦人が隣のお年寄りの面倒を見るとお金がもらえる。場合によっては自分の家でお風呂に入れてあげたりする。

 本来、大抵の高齢者社会はこれで済み、専門のヘルパーや施設が必要になる状況は多くない。ボランティアではなく、「本来なら国がやるべき福祉をこの人たちがやってくれる」ため、当然その報酬を税金で払うべきだということになる。

 そうすれば、デイケアセンターなど箱モノがいらない。それをオペレーションする役人も不要になる。今だと100の税金があったら、高齢者に行くのはせいぜい20~30ぐらい。残り70のうち3分の1ずつが役人、箱モノ、業者に回っている。しかし、オバサンが隣のオバアチャンの面倒をみるなら、役人も箱モノも業者もいらない。

 こうしたことを徐々に進めれば、サービスのレベルをあまり落とさずに財政支出の額は減っていく。1人当たりの歳出を横ばいにするには、きちんとしたプログラムが必要になる。国民の意識を相当変えなければならない。国に頼るのではなく皆でやりましょう、でもお金は国が出してくれますよ――。そういう風に考え方を変えていけば、スウェーデンのようにやっていける。

法人税率引き下げは逆効果、企業優遇「ぬるま湯」政策を改めよ
 ━━ 税制はどう改革すべきか。

 松谷氏 経済成長率を高めた上で税収を増やす(「上げ潮」政策を取る)考えの人がいるが、現実にはあり得ない。

 ━━ 経済界は法人税率の引き下げを求めているが。

 松谷氏 「日本は実効税率40パーセントで欧州などよりずっと高い」と言うのだが、日本では租税特別措置(による減税)が非常に大きい。トータルで考えなければいけない。

 また日本では、企業が動きやすいように国が助けている。公共事業にしても産業基盤の整備が多い。企業の都合のいいように、あまり必要のない公共事業も行っている。今はエコカーを買うと何十万円というお金を国が負担してくれる。

 あらゆる分野で企業が国に助けてもらっている。法人税の税率だけ取り上げて議論しても意味がない。実際には日本ほど企業がやりやすい国はない。そのためにものすごく税金が使われている。べら棒に法人が優遇されているのが日本社会。超低金利を維持してきたのも企業のためであり、それも実質的な「補助金」と言わざるを得ない。

その結果、日本企業の体質がものすごく弱くなった。国際競争力がどんどん落ちている。「ぬるま湯」政策を改めるべきであり、法人税を特段いじる必要はない。

 今はつくるモノの量に対して購買力が不足しているから、デフレに陥っている。デフレが続いているのに、なぜ法人税減税でモノをつくりやすくするのか。そうではなく、モノを買いやすくしないとデフレギャップは縮まらない。

やるなら所得税減税、「途上国モデル」を脱せない日本企業
 ━━ 日本が長期低迷を脱するため、最も求められる経済対策は何か。

 松谷氏 一番よいのは、何もやらないこと。どうしてもやりたいなら、所得税減税だ。最悪が法人税減税になる。無理矢理に企業の負担を軽くすると、普段なら手を出さないビジネスチャンスにも手を出してしまう。資源の最適配分の点で深刻な問題が生じる。

 今、日本は普及品をつくる中国や韓国と同じレベルで競争しており、高級品をつくる米国や欧州とは土俵が違う。

 戦後、日本は外国の技術を導入して大量に安くモノをつくり、発展してきた。しかし、ある程度の段階で「薄利多売」から脱して利幅の大きい商品をつくる経営モデルに変えるべきなのに、できなかった。未だに「途上国モデル」だから、中国や韓国に追い付かれてしまうと悲鳴を上げている。

 なぜ途上国モデルのままなのか。そのモデルで成功を収めた人が社長に就いているからだ。モデルを変えるのは社長をクビにすることになる。政治・行政と同様、産業界も旧態依然と言うべきであり、その辺りを直さないと日本経済は決して良くならない。

 ただ旧モデルが「オリエンタル・ミラクル」というあまりに輝かしい成功を収めたから、皆が「それでいいじゃないか」と思っている。その一方で、新興国がどんどん追い上げてくる。人口減少をはじめ日本国内に深刻な問題が山積しているのに、昔ながらの途上国モデルを維持している方がおかしい。

 もうそろそろリーダーの交代が、きちんとした形で行われなければならない。「政権交代」と鳴り物入りで騒がれたが、結局、民主党もまた現状肯定の保守勢力に過ぎず、将来に向けた布石が全く見られない。この大事な時に、日本国民にとって不幸と言わざるを得ない。


*日銀は利上げせよ! 資源の最適配分を目指せ!

 ━━ 日銀はどのような金融政策を展開すべきか。


松谷氏 日銀は政策金利を引き上げるべきだ。

 利上げしないから資源の最適配分が行われず、本当に必要なところにお金が回らない。変な投資家ではなく、先端技術の開発などに回すべきだ。金利があまりにも低いため、他の国だったら消えたはずの産業が日本では生き残っている。これでは資源を食いまくるだけで、上向きの力が出てこない。

 世界的に見ると、日本の企業はものすごく非効率だ。つまり量はつくっているが、儲けが出ていない。これを改善するには、非効率な部分を切り捨てるしかない。

 そして余力を高い技術を持つ企業に振り向ける。そのために一番よいのが、金利を引き上げることだ。そうすれば、金利より低い利益率の投資は全て駄目になる。米連邦準備制度理事会(FRB)は「出口戦略」で必ずこれをやる。

もはや返せぬ国の借金、「コンソル公債」で元本先送りを
 ━━ 900兆円にも達する国の借金をどう返済していくか。

 松谷氏 もはや、返せない水準にまで積み上がってしまった。国債の元本返済は先送りし、利払いだけを行うしかない。先送りといっても今の元本を先送りするわけではなく、新たに発行する「コンソル公債」で旧国債を借り換えていく。

 コンソル公債に還債期限はなく、国が返したくなった時に返す。固定金利で発行するが、30年物国債との金利差は1%以下で済むだろう。

 当然、批判は出てくるが、デフォルト(債務不履行)ではない。言ってみれば、社債を株式に変える転換社債のようなもの。ただし、配当(=発行金利)は確定している。その代わり、憲法を改正して「今後、国は借金を一切しない」と明記する。その上でやらなければ、絶対に誰も納得しない。

 確かに子供の教育上はよくない。しかしマイナス効果はそれぐらいであり、「大人の知恵」ということ。国民に塗炭の苦しみを味わせないためには、こういう手もあるのではないか。国債を持っている人は売ることもできるし、誰も困らない。発行金利がそれほど上がるわけではなく、国民の負担が増えるわけではない。

 既に日本の信用は「ない」に等しい。国の借金を返せるとは誰も思っていないし、フィクションが続いているだけ。コンソル公債発行でデフレも起きなくなるし、これ以上は財政赤字を増やさないと宣言した方がよっぽど信用が上がる。

 ━━ 「日銀が新発債を引き受ければよい」という議論にならないか。

 松谷氏 それは全然違う。日銀が引き受けると新たなマネーがどんどん出てくるため、インフレを招いてとんでもない話になる。利権に繋がる公共事業も増えてしまう。

 (憲法改正で)これ以上の借金をできなくすれば、無駄な事業はたちまちストップする。足元の歳入の範囲内でやれということになり、財政は急速に小さくなる。

だから一気にやるのではなく、10~20年程度の長期計画で減らしていく。社会福祉や公共事業全部含め、大きな痛みを伴うことにはなるが・・・。

 ━━ 松谷氏出身の財務省はそうした研究を行っているのか。

 松谷氏 していない。「金庫番」とはそういうものだ。現状をうまく調整し、日々の帳尻は合わせることができても、国の将来を長期的に考えることは不得意。同時に、現状を打破して将来に向けて構造改革を進めることもしないものだ。

 そんな行動を取っていたら、ずっと政権の中枢にはいられなかった。中枢にいることこそが金庫番の仕事を全うするための前提条件となり、それが財務省の価値観であり文化だ。常に与党だから、野党であることはあり得ない。

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