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平成22年 第12回「米・食味分析鑑定コンクール:国際大会」(松江市)有機栽培・JAS認定部門で特別優秀賞を受賞。(食味90・味度83・計173点) 平成25年、第15回魚沼と第16回北京開催運動中! 無農薬魚沼産コシヒカリ生産農家・理想の稲作技術『CO2削減農法』 http://www.uonumakoshihikari.com/
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和歌山市
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E5%B8%82

任期満了に伴う和歌山市長選挙が25日告示され、現職と新人のあわせて3人が立候補しました。
和歌山市長選挙の立候補の受け付けは25日午後5時に締め切られました。
立候補したのは、届け出順に次の方々です。
▼無所属の新人で
 共産党が推薦する
 「新日本婦人の会」
 和歌山県本部事務局長の
 小野原典子氏(55)。
▼無所属の新人で
 和歌山大学の前の学長の
 小田章氏(67)。
▼無所属で現職の
 大橋建一氏(64)。
以上の3人です。
3人は立候補の届け出を済ませると、さっそく街頭で支持を呼びかけました。
▼小野原候補は「多くの皆さんから市政への切実な声を聞いている。新しい市政に変えてほしいという声に全力で応えていきたい。命を守り、暮らしと福祉にあたたかい市政をいっしょにつくろう」と訴えました。
▼小田候補は「市長を4年間務めれば受け取れる退職金は市民の皆さんのために使う。行政を大掃除し、市民の皆さんが幸せになるような市政を展開していきたい」と訴えました。
▼大橋候補は「市民の皆さんが、住みやすく、子育て支援も充実していると思えるまちにしていくために、これからも一生懸命頑張る。皆さんの支えがあってこそ和歌山市政は前に向かって進んでいくので、どうか力を貸してほしい」と訴えました。
今回の市長選挙では、2期8年の大橋市政をどう評価するかとともに、厳しい状況が続く財政の建て直しや、中心市街地の活性化策などが主な争点になりそうです。
和歌山市長選挙の投票は来月1日に行われ、即日開票されます。

07月25日 17時27分 NHKニュース

小野原典子(おのはらのりこ)さん 略歴
http://orange.ap.teacup.com/tukurukai/

1954年 新潟県旧南魚沼郡大和町(現南魚沼市)生まれ
1978年 早稲田大学教育学部卒業

東京都内プランド研究所(株)勤務、
千葉県船橋市学童保育指導員勤務 を経て
1987年 夫の勤務の都合により和歌山市に転居
 わかやま市民生協消費者委員会、
 和歌山県勤労者山岳連盟役員、を歴任
2005年 新日本婦人の会和歌山県本部常任委員
2007年12月  同   事務局長

 現在は、和歌山市善明寺在住。
 家族:夫(弁護士)、愛犬(9ティー)、愛猫(チビ太)
 趣味:演劇鑑賞、登山、生け花
 モットー:自分自身を生きること



「所信」  政策協定・公約  

このたび私は「活気ある住みよい和歌山市をつくる会」の要請を受け、和歌山市長選挙に立候補することを決意しました。

 私は大学卒業後、当時厚生省の委託研究をしていた東京のゴミ問題の研究所、船橋市の学童保育所に勤務し、1987年夫の就職のため和歌山市に転居してきました。
 その後、わかやま市民生協の組合員として消費者運動、勤労者山岳連盟の県役員として障害のある方々と一緒に「障害者登山」に取り組んできました。また、「フォレストシティ計画」反対の住民運動を10年間たたかい、計画の白紙撤回を勝ち取りました。
 20年余り地域で暮らす中で、早朝から深夜まで縫製の内職をして得た少ない収入とわずかな年金とで生活されている一人暮らしの高齢者、ふすまの製材業を営み外材に押され赤字でもなんとか続けておられるご夫婦など、一生懸命働いているのに苦しい生活を余儀なくされている多くの方々と接してきました。

 現在、私は新日本婦人の会県本部事務局長を務めていますが、障害者、医療関係の団体と共同で行った県単独医療費助成制度の一部有料化反対の運動を通して、障害者、一人親家庭、高齢者などの社会的弱者への冷たい政治を痛感しました。
 和歌山市では国保料が近畿の中でも異常に高いために払えず、資格証を発行されお金がなくて病院に行けないという、まさに命がおびやかされている事態が生まれています。
 
 私は市民の方々の切実な要求を実現して誰もが安心してくらせる市政にしたいとの思いから、勇気を出して「つくる会」や市民のみなさんと一緒に市長選挙をたたかうことを決意しました。

 大橋市政は、乱脈市政はもうごめんとの市民の良識で誕生し、乱脈、腐敗市政の一掃がすすみました。しかし、次の理由から市民の願いに応えられていないと言わざるをえません。

 第1に障害者共同作業所の運営補助金のカットや高い国保料などくらしと福祉を大切にする市政となっていないこと。

 第2に「地方行革」として学校給食の調理業務の民間委託化や支所連絡所の窓口業務を廃止し今年10月からコミュニティーセンターに集約することなど市民サービスの切捨て低下など目にあまる市政をおこなっていること。

 第3に旧同和市営住宅家賃の最大6割も減免するなど、「不公正」との認識を持ちながらも「不公正な歪んだ同和行政」を終結せずに執行していること。

 第4に最も問われるのは、住民多数が反対した青岸への産業廃棄物処理施設建設を許可し、ミニボートピア設置反対については、「公正に判断する」との態度で、いずれも住民の声に正面からこたえなかったことです。まさに市長としての資質に欠けると言わざるをえません。

 私は、市長に選ばれたなら「住民福祉の増進を図る」という地方自治の真の目的を何よりも大切にして、施策と市政運営に貫いていきます。
 そして、次のことをやりたいと思います。
 
 第1に高すぎる国民健康保険を引き下げる、せめて一世帯1万円を引き下げます。

 第2にお年寄りと子どもの医療費の無料化。せめて中学校卒業まで医療費を無料にします。
 
 第3に市民いじめの「地方行革」(学校給食の民間委託、支所連絡所の窓口業務廃止など)を撤回 します。

 第4に歪んだ旧同和行政を終結します。

 第5に地球環境を守る先進和歌山市として「ゴミ半減宣言」を行い、ゴミ有料化に頼らないで市民参加で達成したいと思います。
 
 私は市民の皆さんや職員の知恵を大いに借りながら、市民が主人公の誇れる和歌山市政をつくっていきたいと決意しています。
                   
以上

2010年6月22日 小野原典子



「基本政策」  政策協定・公約
2010年和歌山市長選挙にあたっての協定書

● 市長選挙にあたって

 活気ある住みよい和歌山市をつくる会(略称「つくる会」)は、目前にせまった8月1日投票の市長選挙を、くらしと福祉を大切にし公正な市政をめざし、市長候補を擁立して積極的にたたかいます。
 12年前、不正・腐敗の市政の大掃除とくらしと福祉を大切にする市政めざして広範な市民とともに市長選挙にのぞみました。しかし、旅田市政が復活しました。
 8年前、市民の良識で大橋市政が誕生しました。この間、乱脈市政の一掃に取り組みましたが、「地方行革」の推進として、障害者共同作業所への補助金カット、公共下水道料金や都市計画税の大幅アップなど、くらしと福祉の切り捨てが行われました。また、不公正な歪んだ同和行政を「公正性が十分とれていない」と認識しつつも継続することは、首長としての資質が問われます。市民の声を大切にするどころか、圧倒的な住民が反対した青岸産業廃棄物処理施設を許可し、ギャンブル施設であるミニボートピア建設には「設置要件を緩和」しつつ、住民の声を誠実に受け止めない態度は首長としての資質が問われます。
 「つくる会」は、次の基本政策をかかげて、大橋市政の転換をめざします。

● 基本政策
 
1)くらし、福祉、教育を市政の中心に
①国や県の医療・福祉切り捨て、高齢者や障害者いじめに反対し、医療と福祉の拡充。
②市民のくらしを支え、中小企業・業者の経営と雇用を守り、都市農業の振興。
③教育予算の拡充、30人学級の実現。
④市民犠牲の「行政改革」の撤回。
⑤子育て支援、男女共同参画の推進。
 
2)環境をまもり、「安心、安全」の街づくりを
生活道路、公共下水、公園、公営住宅などの整備。耐震、浸水、防災対策の強化。
観光資源の活用。ごみ減量の推進。
 
3)不公平な歪んだ同和行政を終結し、公正な市政運営をすすめます。
 
4)憲法が暮らしに生きる、非核・平和の和歌山市をめざします。

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国家戦略局
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E6%88%A6%E7%95%A5%E5%B1%80

松井孝治
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BA%95%E5%AD%9D%E6%B2%BB

GLOBE【インタビュー 理想の公務員】
http://globe.asahi.com/feature/100308/side/02.html

中村哲治
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%93%B2%E6%B2%BB

*中村てつじの「日本再構築」より
http://d.hatena.ne.jp/NakamuraTetsuji/20100716

菅総理が「国家戦略局」を断念したというニュースが昨晩流れてきました。私も非常にショックを受けましたが、一番ショックを受けたのが松井孝治参議院議員だと思いました。そこで、今日、松井さん@matsuikojiのツイッターを拝見すると、思いのこもったツイートが並んでいました。

http://twitter.com/matsuikoji


http://twitter.com/NakamuraTetsuji に、リツイートで流すことも考えたのですが、この一連の言葉は一つの歴史的証言となり得ると考え、このブログで引用させていただくことと致しました。長文ですが、是非お読み下さい。(読みやすいようにツイートの時系列は上から古いもの→下へ新しいものに編集しています。)


<<<<<引用ここから>>>>>

国家戦略室の任務から予算編成など税財政の骨格についての機能をなくすというのは事実しかも本日の閣議で総理大臣自らが各閣僚に説明をされ、玄葉大臣も不本意ながら了承せざるを得なかったとのこと。


拡大政調役員会では、僕を中心にほとんど異論一色だったが、政調会には提言機能はあっても決定機関ではないので、それ以上、総理直属機関の在り方については意見を言う権限はないとのこと


では予算編成はだれの責任で行うのかと尋ねたら、総理、官房長官が、財務大臣と協議しつつ行うとのこと。これに対しては、それでは従来の財務省主導路線に戻るのではないかとの意見が多数あるも、玄葉大臣としては、政調会長として政治主導の確保に努めるしかないとの意見


それにしても、09マニフェスト、最初の見開きの、鳩山政権の政権構想、5原則5策のうちの第3策:「官邸機能を強化し総理直属の「国家戦略局」を設置し、官民の優秀な人材を結集して新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する。」に反することは明らか。


夕方5時からもう一度玄葉大臣に掛け合いたい。そもそも菅マニフェストには、鳩山前総理からの引き継ぎ事項であった、「新しい公共」の記述がほとんどないことにどう対応するのか。これも玄葉大臣に強く掛け合わなければ、「新しい公共」の呼びかけに呼応していただいている皆さんにあわせる顔がない。


昨晩は悔しくってあんまり眠れなかった。でもまだ可能性があると信じて今日の会議に臨んだ。玄葉大臣との直談判も不発。古川副長官にも電話したが、松井さんの気持ちはわかるが、菅総理の強い意向だから・・・、と。これじゃキリモミ状態になる。5時から再度玄葉大臣と古川副長官に談判する。


ご指摘の通り。政治とカネ対応、年内編成最重視で、臨時国会向けに法案の準備ができていながら、先送り方針に押し切られた僕の責任。RT @kata_ren しかし、昨年秋の臨時国会で何よりもまず政治主導確立法案を通すべきではなかったか?その時の官邸にも一定の責任があると思うが・・・


考えてみたら、玄葉さん古川さんにだけ談判してもお二人の閣内の立場を考えると気の毒。仙谷さんにも面談を申し入れた。会ってもらえないにせよトライだけはしよう。


古川さんとは長い付き合い。そんな人でないと信じます。昨晩しばらく電話でしゃべったが苦渋のトーンだった。しかし、、、。RT @bilderberg54 古川は財務省のスパイですかね。RT @matsuikoji: (cont) http://tl.gd/2hq16v


総理にも面談を申し込んだ。会ってもらえないだろうが、ダメもとで。


仙谷長官は午後6時半に面談していただけることに。都内で。


@seiji_ohsaka 逢坂総理補佐官。この状況でいいのでしょうか?


国家戦略室の所掌事務は、確か09年9月18日に閣議に披瀝した上で、内閣総理大臣決定している。国家戦略室の所掌を変えるには、手続き的には、最低限この決定を変更する必要がある。


本日、総理の面談は無理という電話連絡あり。一方、逢坂総理補佐官に時間をとっていただいた。これから官邸に向かう。


16時過ぎに官邸に入り、逢坂補佐官と話し始めたところで、菅総理から着信。執務室に来てくれとのこと。


16時10分から25分まで、菅総理と面談。6月7日以来40日ぶりの官邸、そして総理執務室。


菅総理に自分の思いは率直に伝えた。菅総理は、財務省主導の予算編成に戻すつもりはない、国家戦略室の機能は変えたいが、その分、玄葉大臣が大きな役割を担って、官邸主導、政治主導の予算編成を行えるような体制整備に向けて、君の意見を仙谷長官と玄葉君に伝えてくれ、とのこと。


きちんとした仕組み、組織をつくらないと、結局昔のような予算編成に戻りますよ、と念押しをして、5時からの玄葉さん、古川さんほかとの会談に臨むことに。執務室を出て、逢坂さんとともに古川さんの部屋に。簡単に報告。その後、逢坂さんから激励を受け官邸を後に。


17時から18時まで玄葉大臣、古川副長官、城島政調会長代理、細野幹事長代理と会議。予算編成などの重要政策調整を財務省など各省任せにせず、官邸(内閣官房)がその任に当たるべきことを強く主張。国家戦略室の機能を変化させるなら、その分、税財政の骨格編成機能を別途官邸に置くべき、と


続いて、今ほどまで、都内で仙谷長官と面談。同趣旨を強く進言。仙谷さんも理解を示した。あとは、仙谷さん、玄葉さん、古川さんでしっかりとした組織案を作り、同志にも、有権者の皆さんにも、納得のいく説明をしていただきたい。


手続き的に鳩山マニフェストの中核をこのタイミングで菅総理が変更してよいのかという疑問は残る。同時に国家戦略局の機能の変化(ポリシーユニット化?)もまだよくわからない。予算編成など税財政の骨格機能は官邸に残すという判断を仙谷さん、玄葉さん、古川さんがされたことには多少安堵。


今回の自分のツイッターの使い方、古川さんなどに迷惑をかけたことは個人としてはお詫びしたい。でも、ここは自分が議席を与えてもらったもっともこだわりの部分。徒手空拳の一議員が、できる手段は何でも使わざるを得なかった。ツイッターなしにはおそらく総理は面談してくれなかったと思う。


もう一度申し上げます。03マニフェストの内閣財政局、05マニフェストの国家経済会議、09マニフェストの国家戦略局。これらは基本的に同一の機能を担うとされてきたもの。少なくとも三つにかかわった自分から見れば名称は異なれど予算編成など税財政骨格編成を官邸主導で行う部局。ここが生命線


僕が主催する酒宴に大遅刻。飲んでおいてください。すみません。皆さんどうせフォローしてますよね?事情はご拝察ください。


しばし離脱します。たくさんの激励が支えです。ありがとうございます。もう少し粘ってみます。



<<<<<引用ここまで>>>>>


松井さんのやりきれない思いが伝わってきます。私が松井孝治という政治家に出会い「松井さんにしかできない仕事が、この政治主導の国家体制づくりのための実務だ」と考えていただけに、松井さんの思いは同じように私の心に響きます。

報道されていることだけでは、政治主導法案自体も通さないということなのかも分かりません。もしそうならば、副大臣も政務官も増やさず、政治主導の体制が整うのかということも不明となります。

「もう少し粘ってみます。」私も同じ気持ちになりました。



*ツイッターで一部始終を暴露 松井孝治前官房副長官の怒り!

週刊文春7月22日(木) 12時12分配信 / 国内 - 政治

「どれだけ腹を括って判断できる人物を得るのか、そこが本質です」

 いま流行りのツイッターで、午前三時過ぎまで一日に二十本以上も「つぶやき」続けたのは若者ではない。ちょうど五十歳の政治家、松井孝治前官房副長官だ。

 松井氏が怒り心頭に発したのは、民主党が政権交代の目玉と宣伝してきた国家戦略室の権限を大幅に縮小する、と首相官邸が発表したためだ。国家戦略室の「生みの親」である松井氏にとって到底、許されないことだった。

 翌日から“つぶやき攻撃”を連発。「昨晩は悔しくってあんまり眠れなかった」から始まり、玄葉光一郎政調会長との会議の模様や、古川元久官房副長官が「松井さんの気持ちはわかるが、菅総理の強い意向だから……」と語ったことなどをすべて暴露した。

「総理の面談は無理という電話連絡あり」と松井氏がつぶやくと、騒動を察知した総理秘書官が面会を進言。菅直人総理本人が松井氏の携帯に「今から会いたい」と連絡し、会談するオマケまでついた。

 松井氏は通産省出身で、橋本龍太郎内閣で行政改革に従事してから、一貫して大蔵省の機能削減、予算編成機能の官邸への移管を主張してきた。

「十年越しの権力闘争が泡と消えそうで、とり乱したのでしょう。同じ通産官僚出身で、ライバルであるみんなの党の江田憲司幹事長の力が強くなりそうなのも拍車をかけたようです」(民主党関係者)

 松井氏の反撃に、官邸サイドは不快感を隠さなかった。仙谷由人官房長官は「あのねえ、ツイッターなんてものにはコメントしない」。電話の内容をバラされた古川氏も「松井さんのおかげで財務省のスパイと言われた」と猛抗議した。結局、菅首相も通り一遍の回答をしただけで、方針は変わらなかった。

 松井氏は京都の名門私立、洛星高校から東大に進み、通産省に入った後、参院議員に転じた。鳩山内閣では平野博文前官房長官が無能だったこともあって「予算や経済政策は一人で取り仕切っていた」(経済官庁幹部)。それだけに、官僚出身ではない菅首相や仙谷官房長官らの仕打ちに、プライドを大きく傷つけられたのは想像に難くない。

「ツイッターなんか使って、どうかしてる」との周囲の冷ややかな視線をよそに、松井氏は意気軒昂。「いまの官邸はバカばっかり。これからは倒閣運動だ」と息巻いている。

(週刊文春2010年7月29日号「THIS WEEK 政治」より)

佐賀県

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%B3%80%E7%9C%8C


古川康
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%B7%9D%E5%BA%B7


※「古川康のパワフルコム」(http://www.power-full.com/


INSIGHT NOW 編集部


第1回 「地方栄えてこそ国が安まる」


■一都栄えて、万村枯る


「沖縄、長野、岡山、長崎、そして故郷の佐賀。自治省にいた私は、地方をずっと見てきました」

古川知事は旧自治省(現・総務省)出身、2003年に行われた知事選挙に無所属で立候補し初当選、2007年の知事選で再選を果たしている。キャリア官僚時代は、東京と地方を行ったり来たりする生活を続けていた。そんな中である思いが、いつしか自分の中で一つの確信にまで結晶化されていったのだという。

「ひと言で表すなら一極集中をやめること。これに尽きます。お金も人もすべて、いったん東京に集めてから、地方に再配分する。こうした国のあり方はもう限界に来ている。地方そのものがもっと自立して、きちんと元気で有り続けられるような国づくりをしたい。これが私の原点となる政治哲学です」

東京だけが栄え、ほかの地域が疲弊する。そんな現状を何とか打破したい。こうした思いを知事が抱いたのは、今をさかのぼること四半世紀前、自治省入省時のことだったという。

「小学校、中学校から高校ぐらいまでは地元で育ててもらう。ところが大学は都会に出て行き、就職してもふるさとには戻ってこない。帰ってくるのは人生の終盤、もはや稼げなくなってからというケースが多いのではありませんか。地元のお金を使って育成した人材なのに、稼ぐ場所は都会、そして最後の医療費はまた地方が負担する」

なぜそうなるのか。残念ながら地方には、魅力的な進学先や就職先が見つからないからだろう。それが現実なのだ。

「だからこそ、生まれたところを離れなくても、自分のやりたいことや送りたい人生を実現できる。そんな世の中を作りたい。まず佐賀県がそのモデルを全国に先駆けて見せたい。強くそう思うのです」

強い思いを抱いて古川知事は、地元佐賀に戻ってきた。知事の思いの強さが、佐賀の人たちの心に着実にしみ通っていったのだ。


■コンパクトな佐賀県だからできること


「佐賀県の人口は、ざっと85万人。これが隣の福岡となると一挙に6倍、500万人ぐらいになります」

圧倒的な人口差である。人口がそのまま県の勢いの差になるとはいえないが、少ない人口が有利に働くとは考えにくい。

「ところが一概にそうはいえません。人口だけでなく佐賀県は面積も決して大きい方ではありません。しかし、もし私が岩手県や北海道の知事を任されていたら、途方に暮れていたかもしれませんよ(笑)。自治省時代にお世話になった長野県にしても北の端から南の端まで行こうと思えば、一日仕事でしたから」 

コンパクトであるということは、きめ細かく地域の隅々まで目が行き届くメリットを生むわけだ。とはいえやはり人口が多ければ発言力も強くなるのが、物事の道理である。6倍強の人口を抱える隣県の存在感は大きいのではないだろうか。

「確かに同じ土俵で同じ議論をしていては、福岡にリードされるリスクは避けられないかもしれない。そこで意識しているのは、常に時代に先駆けた動きをすることです。まだ誰もやっていないことをいちはやく実行する。大きな渦に巻き込まれるのではなく、渦そのものを自分たちで創り出すことが大切なのです。その意味ではコンパクトさはむしろ武器になります」

孫子の兵法である。大きな相手に対して、真っ向から勝負を挑むのではなく、小回りの良さを効かせて、先に先にと動いていく。相手に動かされるのではなく、つねにイニシアティブをとり自分が相手を動かす方に回る。先を読む思考があればこそ、いちはやく道州制の理想的なあり方についての提言も古川知事はまとめていた。

「もっとも、現実的には民主党政権の中で道州制の議論を本格化させていくことは難しいでしょう。ただし民主党は、これまで地方主権、地方分権を主張してこられた政党であり、国づくりについての基本的な方向性については、私を含めて知事会のメンバーと共有できています。その意味では今後に、非常に期待しています」

知事はいま、総務省の顧問を務めている。その総務省の大臣は、佐賀県選出の原口議員である。しかも原口大臣は、野党時代の民主党でネクスト総務大臣を任命されていた。

「総務省人脈も活かして、地域主権が一歩や二歩レベルではなく、十歩も二十歩も進むようにプッシュしていくつもりです。大切なのは、いつも現場。これだけは絶対に間違いのないことですから」

古川知事が強調する現場へのこだわりは、自治省キャリア時代のあるエピソードによって、不動のものとなったという。そのエピソードとは何だったのだろうか。


第2回「事件はいつも、現場で起こっている」


■こうして国宝は生まれた


「実は国宝を作ったことがあるんです。過去の話ですが」

もちろん国宝は、作ろうと思って作れるものではない。しかし、実際には自治省キャリア時代の古川氏の判断、行動があったからこそ生まれた国宝がある。その名を赤韋威鎧(あかがわおどしよろい)という。

「岡山県で財政課長を務めていたときの話です。教育委員会から、この鎧を買いたいと相談を受けました。値段を聞いてびっくりですよ、何億円もするというのだから。財政窮乏時に何をいってるんだと。ただ、そんなに高いということは、もしかしたらよほど価値があるのかと考え、とりあえず調べてみました」

東京国立博物館の刀剣の担当の方に電話した古川氏が聞いた相手の第一声は「よかったあ」だったという。岡山県が買うのなら日本の宝は安泰だと。件の鎧は知る人ぞ知る銘品、少し鎧のことをかじった人間なら、誰でも知っている宝物であり、平安朝末期の鎧は、国内にはもうこれ一つしか残っていない。話を聞いて古川氏は腹をくくった。

「仮に県が買えばどうなるのかと尋ねると、即座に返ってきた答えは『間違いなく国宝になる』でした。今のところ個人の所有物だから国宝にはなっていないけれども、県が持てば必ず国宝になる。そう念を押されました」

現場にいる古川氏には、背景も含めて事情は痛いほどにわかった。とはいえ予算がない中での数億円というのは、非現実的な数字だ。

「一応、上にお伺いを立ててみると総務部長さんは『?』みたいな反応です(笑)。『キミ、まさか買うつもりじゃないでしょうね』と完全に冗談扱い。買った方がいいんじゃないでしょうかと副知事に言ったら『気でも違ったのですか』と笑われました」

現場と上層部の間にあるどうしようもない温度差を感じた古川氏は、この件については判断保留とし、知事に最終決裁を仰いだ。英断である。しかも知事に話をする前には用意周到、隠し球も用意しておいた。

「間違いなく国宝となる岡山の宝が、このままでは東京に行ってしまう。それでは『大包平』の二の舞じゃないですか。あなたが知事の時に、またもや岡山の宝を手放す失態を演じていいのですかと迫りました」

大包平とは池田藩の秘宝とも言われた名刀である。昭和30年代に池田家から岡山県に購買を持ちかけられたが、県はこれを拒否。いま、その名刀は東京国立博物館でも一、二を競う名物となっている。ストーリーテリングの妙というべきか。この説得に促された知事は購買を決意した。


■権限は現場に移すべし


「話が決まった後は、もうコテンパンでした(笑)。予算を絞るのがお前の仕事じゃないか、それが余計な買い物をしてどうすんだって。でも、赤韋威鎧はそのあと間もなく国宝に指定されました。私が現場にいたからこそできた仕事だと誇りに思っています」

まさに事件は現場で起こるのだ。もし話が持ちかけられたとき、岡山県の財政課長が別の人物だったらどうなっていたか。歴史に『if』を考えても意味はないのかもしれない。しかし、この一件で現場の判断の重要さを身を以て理解した古川氏は、その学びを自らの県政で活かしている。


「ところで県庁内で異動希望を出してもらうと、圧倒的に人気を集めるのが観光課です。どうしてだか、わかりますか」

何となく浮かれた気分になるから、などという不真面目な理由ではない。真相はまったく逆、職員はもっと仕事をしたいのだ。

「観光課なら法律で縛られることが少ないからです。自分で考えて、自分で動ける。自由にやってもらうと、皆さんとても良い仕事をされる。霞ヶ関から出向している人たちもそうです。県庁に来ているときには、すばらしい仕事をされる。ところが、霞ヶ関に戻ると、どうもくすんでしまう」

組織の難しいところなのかもしれない。組織を組織たらしめるのは決まり事である。組織が大きくなればなるほど、決まり事も微に入り細を穿つようになる。せっかくの個人の意気込みもルールの網に絡め取られてしまい、勢いを失ってしまうのだ。

「県庁に入ってくる人たちは、難関を突破してくるわけですから、みんな優秀な人たちばかりなのです。個人として優れた能力を持っているのに、組織に入ったがために光を失うとしたら、それは明らかに組織の問題でしょう。知事になってまず取り組んだのが、この問題を解消することでした」

組織風土を変えるためには、思いきった荒療治が必要。と思いきや、古川知事は、実に意外なやり方で佐賀県庁に変化をもたらす。それもコストも時間もかけずにだ。知事のとった秘策とは、どのようなものだったのだろうか。


第3回
 

「時間も、コストもかけずにできるからこそ改革」


■おのおの方、名を名乗れ


「ひらめいた瞬間、ビンゴって思いました。いけるという確信がありましたね」

知事に就任した古川氏が、いの一番に県職員に指示したこと。それはものすごく単純なことであり、もちろん誰でもできる。実施するために何かコストがかかるかといえば、そんなことも一切ない。

「簡単ですよね、電話を受けたときに自分の名前を名乗るだけなんですから。条例も規則も変える必要はまったくありません。誰でも、次に電話を取った瞬間から実行できるはずでしょう。しかも、まわりのみんながやり始めれば、誰だってやらざるを得なくなる」

しかし、県庁には4000人近くの職員がいる。大きな組織である。これだけの人間が、いくら簡単とはいえ、「せーの」で一気に同じように動くものだろうか。

「びっくりするぐらい早く浸透しましたね。一ヶ月後には9割以上の職員が名乗っていました。これで『いけるな』と力強く思いました」

ヒンズーの教えによれば「行動が変われば習慣が変わり、習慣が変われば人格が変わる」という。電話を受けたときには、まず自分の名前を名乗る。ただ、それだけの行動の変化は、確実に県職員の人格を変えていった。

「全国を営業で回っている人からおほめの言葉をいただくのです。佐賀県庁の方は、みなさんとても親切だと。少しでも迷っていたら、すぐに声をかけてもらえる。これが他の県庁だったら、そうはいかないようです」

県庁新館一階には総合案内ブースがある。そのまわりには、不思議と明るく華やいだ感じが漂っている。日当たりのいい場所にブースが設置されていることはもちろん、そこから響いてくる声がとても耳に心地よいからだ。

「もちろん、なかなか動けない人もいます。その人たちのことも理解できるのです。県庁に入って30年ほども続けてきたやり方を、今さらいきなり変えろと言われても、それは難しいでしょうから。彼らにだめ出しするつもりはまったくありません。ただ、私が知事になって7年、その間に入ってきた職員には、今のやり方が当たり前になっている。この人たちを育てていくことが大切なんです」

知事の視点は、未来志向なのだ。


■汝、考える葦になれ


「組織改革も断行しました。できるだけ現場に権限を移譲することが狙いです」

佐賀県は本部制を採っている。統括本部、くらし環境本部、健康福祉本部、農林水産商工本部、県土づくり本部に経営支援本部。統括本部を司令塔とするカンパニー制といっていいだろう。その狙いは何だったのか。

「いわゆる総務部をなくすことです。総務部だけではなく人事課も財政課もなくしました。その代わり現場が現場に集中できる体制を整えたかったのです」

現場感覚を重視する知事ならではの組織体制である。やる気のある職員なら、当然やりがいを感じるはずだ。

「誰がやっても同じ答えになるような仕事は、もうコンピュータがやる時代でしょう。そうではなくて職員がやるべきは、人によって答えが違う仕事だと私は思います。現場で自分が判断する。自分はこう考える、私はこう思う。考えた結果は違って良いのです。ただし、自分の考えには責任を持ってもらいたい」

やわらかな語り口とは裏腹に、職員に求めることは厳しい。国が下ろしてくる通達や要綱に従い、粛々と物事を進めるのは、頭の良い職員にとっては簡単な業務である。ところが自ら問いを立て、答えを求めるとなると、これまでとは違う頭の使い方をしなければならない。

「議論をして欲しいのですよ。自分の考えをはっきりさせてもらいたい。九州新幹線西九州ルートや九州国際重粒子線がん治療センターのように大きなプロジェクトを動かしていくためには、キーパーソンの動きが決定的に重要なのです。そういう人物を一人でも多くピックアップしたいのです」

だから知事は、人事に際しても独自の視点を持っている。配属希望の理由に注目するのだ。

「今まで自分はこういうことをやったことがない。だからこそやってみたい。こう考える人を私は登用します。やったことがあるから、やらせてくれ、ではありません。ただし誤解しないでいただきたいのは、制度のかちっと固まったところできちんと仕事をする人を評価していないわけではないということ。組織運営には適材適所が大切だと考えているのです」

県庁改革を進める知事は今、企業改革の手法を取り入れようとしている。トヨタのカイゼンである。しかし製造業の手法を、どうやって県庁業務に応用しているのだろうか。


 

最終回 「視察に行く県から、視察団が来る県に」


■カイゼンに学ぶスマイルプロジェクト


「トヨタさんのカイゼンを勉強に行きました。スマイルプロジェクトの一環です」

スマイルプロジェクトとは、Saga Movement for Innovation LEgendの頭文字をとったもの、業務改革・改善を進めるために県庁全体で取り組んでいる活動だ。カイゼンといえば本家はトヨタとばかりに、企業に教えを請う。そのしなやかさが古川流である。

「すでに成果が出ているんです。本当に書類の置き方一つ変えるだけで、ムダな動きがなくなるのだから驚きです。県パスポートセンターでは、明らかに事務仕事が早くなりました。目から鱗が落ちるとは、こういうことをいうのでしょう。」

今でも佐賀県は申請日を含め、5日間(土日祝日を除く)でパスポートを受け取ることができる。申請のために県の出先機関に出向く必要はなく、最寄りの市町村役場で受理してもらえる。それでいて申請日を含め、5日間でパスポートを受け取れるのは、佐賀県だけだ。これがさらに短縮され、今後さらに4日間を目指しているという。

「もう少し自慢させてもらうと、このところ視察の流れが逆になりました。つまり、以前なら当県職員が何かを学ぶために他県に視察に出向いていたのです。ところが今では先進地視察ということで、他県から佐賀にお見えになる」

先鞭をつけたのがトライアル発注だろう。知事が就任直後に始めた全国初の取り組みだ。県内中小企業が開発した製品などを、まず県がトライアルで発注する。その結果を県が評価しお墨付きを与える。同時に官公庁での受注実績を作ることで、営業力が弱い中小企業の販路開拓を支援する。

「これを始めて以来、県庁に視察に来られる方が、一気に増えました。アイデア一つで、中小企業活性化を支援できることがわかったのは、私にとっても自信になりました。そもそも、佐賀県はモノづくりが得意、何しろ佐賀県には企業からすれば理想の人材が揃っているのだから」

佐賀人は極めてまじめなのだ。いったん職に就けば、定着率は極めて高い。少々きついこと、厳しいことがあっても耐えぬく心の強さも兼ね備えている。

「しかも佐賀は、人と人の絆やつながりが、まだしっかりと生きている土地柄です。だからこそでしょう、ここは消防団の組織率が飛び抜けて高い。日本一です」

佐賀の強みの一つが人にあることはわかった。では、他はどうなのだろう。


■知られざる佐賀の名産をいかにPRするか


「佐賀牛は、香港のお金持ちの間では食通の選ぶ肉として有名です。実際、松阪牛には少しだけ負けるかもしれないけれど、間違いなくその次のランクに入る品質なんです」


ところが残念なことに、その知名度は今ひとつといったところではないか。佐賀県の問題点は、こうした名産品を地元で手に入れるのが難しいことにある。

「佐賀牛を食べられるお店は市内でも限られている。お土産に買って帰ろうとしても、売っている店がなかなか見つからない。これが残念でなりません」

そこで古川知事は昨年、一年間かけて「タウン情報さが」で佐賀の名産を紹介してきた。知事が力を入れたのは、地元の名産品を買える場所の紹介だ。

「せっかく佐賀にお越しいただいたお客様に対して、おみやげにぜひ、と言いたいじゃないですか。佐賀県は地道なモノづくりは得意なんだけれど、PRはあまりうまくないというか、広報にうまくお金を使う感覚をこれから養っていく必要がありますね」

観光立県を考えれば佐賀の立地は恵まれている。まずすぐ隣に巨大なマーケット、福岡がある。ここには人口が500万人も控えている。さらに空路を使えば、韓国、中国、台湾に香港のいずれからでも2時間圏内だ。こうした経済発展著しい諸外国からの来客に、今後の期待がふくらむ。

「実はアマゾンの本社を佐賀県に誘致できないかと考えて、真剣に交渉したこともあります。そう簡単にはいかないだろうけれど、まだ諦めちゃいません。ネット企業なんだから本社は本来、どこにあってもいいはずでしょう」

知事の何よりの特長は、その発想に無意味な枠がまったくないことだ。自由闊達なアイデアに富み、行動力に裏打ちされた発想は、次にどこに向かうのか。コンパクトだからこそ、先陣を切って自ら渦を巻き起こすと宣言する佐賀県の今後は、世界の中での日本の進路を考える上でも、貴重なモデルとなるはずだ。


【Insight's Insight】

佐賀県といわれて、その場所をすぐに頭の中に思い浮かべられる人が、どれぐらいいるだろうか。東京、大阪に比べれば、地味であることは否めない。人口も全県でわずかに85万人に過ぎない。企業にたとえるなら、まさに中小企業である。
しかし、その佐賀に、全国自治体から視察団が集まってくる。取り組みがユニークかつ着実に実績を挙げているからだ。そもそも県庁レベルの組織で本部制を取り、権限移譲を進める。同じことを仮に東京都庁や大阪府庁でやれるだろうか。

組織は巨大化するほど、その自己防衛本能も肥大化する。佐賀が数々の改革を断行し、確実に成果を叩き出しているのは、いろいろな意味でのコンパクトさが貢献しているからだろう。まさに『スモール・イズ・ストロング』になり得る好例を、古川知事は見せてくれる。
小さいからこそ、渦に巻き込まれる前に自ら渦を巻き起こしてしまう。そのために、必要な発想のしなやかさと行動の強靱さ。これを佐賀の事例から学ばなければならない。
 

 
消費税
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%88%E8%B2%BB%E7%A8%8E


2010年7月20日 AERA

唐突な消費税増税は、実は周到に計算されたシナリオがあった。
だが功を焦った菅は、自らそれをぶちこわした。
 菅直人は、カナダで開かれたG7から帰国した2月、すっかり人が変わった。
「キミらどうするんだ。こんな生ぬるいことをやっていて大丈夫なのか」
 菅の叱責の矛先は、当時鳩山由紀夫首相の腹心である官邸高官たちに向かった。その一人は、内閣府副大臣だった古川元久が「たいへんだ。菅さんが……」と血相を変えていたのを覚えている。菅が「消費税を上げろ」と言い出したのである。
 突然辞任した藤井裕久の後を継いで、菅が副総理を兼ねたまま財務相に就任して、まだ1カ月しかたっていない。彼にとって、このときが国際会議デビューだったG7では、財政破綻したギリシャについて話し合われた。
 そもそも菅は増税に冷ややかなはずだった。財務相就任直後の1月の衆院予算委員会で「(消費税は)逆立ちしても鼻血も出ないほど無駄をなくしたと言える」まで上げないと明言した。
 だが、カナダから帰国すると、まるで別人だった。


*普天間隠しの消費税!

「普天間でこうなっているときこそ、消費税増税という力強いメッセージを出そうよ」
 首相官邸にいた高官の一人は、菅がそう意気込んで持ちかけてきたのを覚えている。
 そのころ、米軍普天間基地問題が迷走していた。菅の消費税増税案は、参院選を控えるのに支持率が急落する民主党政権を、再び浮揚させる狙いがあった。
 関係者によると、菅はこのとき2010年度の国債発行額約44兆円を消費税で賄う考えでいた。おおざっぱな計算だが、消費税率1%で2兆円余の税収になるため、単純に約44兆円をそれで割ると、22%になる。つまり現行から「17%増の22%にしよう」と言い出したのである。
 菅が依拠した論理は、世代間格差の是正だった。増税を先延ばしにし、歳入を新規国債の発行に依存すれば、それだけ今の子どもたちの世代に負担がかかる。現役世代が安逸な生活を維持する半面、子や孫の世代に負債を押しつけてきたこれまでのやり方は、世代間の格差を広げるだけ、と考えた。
 菅は鳩山にも増税を進言したが、鳩山は昨年9月の民主、社民、国民新3党の連立合意で、任期中は消費税を上げない、と明記した当事者である。当然「次の選挙で国民の信を問うてからでないとできない」との原則論を譲らない。鳩山の側近も「上げる前に行財政改革などやるべきことをやらないと」と、先走る菅を諌めている。結局、鳩山が「参院選後に協議を始めるのはいいよ」と折れ、民主党のマニフェストの文言は、その線でまとめられることになった。


*高支持率背に今が好機!

 だが、鳩山が退陣すると、菅はいきなり乾坤一擲の大勝負に挑んだ。
 菅は6月17日の民主党マニフェスト発表会で、「私の言葉でかみ砕いてお話ししたい」と切り出し、「当面の税率は自民党が提案している10%を参考にさせていただきたい」と、長年タブーだった消費税率の引き上げに言及したのである。
 会場で配られたマニフェストには、鳩山が容認した「消費税を含む税制の抜本改革に関する協議を超党派で開始します」としか触れられていない。それを敢えて「私の言葉」で補った。
 菅政権が発足して、まだ9日しかたっていなかった。世論調査では内閣支持率が60%に達し、鮮やかなV字回復を遂げた。党内不和の原因だった小沢一郎は幹事長を辞めた。参院選公示は1週間後に迫っている。菅はそこを狙って勝負をかけた。
 だが、なぜ10%なのか、その根拠を示せなかった。
「もともと22%と言っていたのに10%というのは、総理の本音から言っても中途半端」
 そう鳩山側近は振り返る。最大野党の自民党が10%と打ち出した以上、それを「丸呑み」すれば自民党からの批判をかわせるだろう。その程度の読みらしい。実際、後に菅が世論から反発を受けると、慌てて財務省に「10%に引き上げる根拠を示してほしい」とすがりついたという。


*このままではギリシャ!

 財務省は、少なくとも「10%発言」以前は、増税を唱える菅と利害が一致していた。財務省が官邸や民主党に持ち込む資料はギリシャ問題であふれ、「このままでは日本はギリシャになる」と脅していた。菅の増税路線と軌を一にして、財務省は水面下で着々と増税の下地づくりを始めている。
 その一つが、「給付つき税額控除」という仕組みである。消費税率を上げると、所得の少ない家庭ほど税負担は重くなる。これを税の逆進性という。この逆進性対策に有効な方策が、低所得者層への税の還付、すなわち給付つき税額控除だ。カナダでは、低所得者の食料品購入などにかかった消費税部分を所得税で還付し、おおむね所得300万円以下の家庭で1人あたり2万円の還付額になる。
 中央大法科大学院の森信茂樹教授が民主党の要路に、そんなカナダの事例を進言してきた。元財務官僚の森信は、1997年に消費税率を現行の5%に引き上げた際の担当課長で、税制のエキスパートだ。菅は参院選中の6月30日、山形市でおこなった演説で「年収300万、400万以下の人にはかかる税金分だけ全部還付するという方式にします」と言ったが、それは森信の勧めたカナダの事例を参考にしたと思われる。300万は、森信の手持ち資料のグラフに書かれている。
 給付つき税額控除は、欧米や韓国ですら導入済みの、いわば国際標準になった政策だが、日本で採用するには、不正受給がないよう所得の正確な捕捉が前提になる。そのためには、「納税者番号制」の導入が必要だ。
 昨年12月の政府税制改正大綱は、納税者番号制と給付つき税額控除の検討が盛り込まれている。消費税の増税こそ明言されていないが、増税時の逆進性対策という理屈で給付つき税額控除を採用し、その前段に納税者番号制を取り入れる。そんな政策パッケージの雛型が、このときからあった。


*着々進んでいた増税策!

 本格的に動き出すのは、菅がカナダから帰った2月からである。国家戦略室は税制改正大綱を受け、「社会保障・税に関わる番号制度に関する検討会」を発足させた。
 検討会が6月29日に発表した中間とりまとめでは、納税者番号制のために、数千億円をかけてコンピューターシステムを構築する、とある。関係者の間では、システムが稼働する3年後の2013年が消費税増税の時期と考えられた。しかし、増税の際に経済状況が弱ければ、失速する。
 そこで、経済状況の好転策としてまとめられたのが、6月18日に閣議決定した「新成長戦略」だった。これをもとに、納税者番号のシステムが稼働するまでにデフレから脱却し、そのときに消費税を引き上げるシナリオが想定された。
 その間の財政破綻をくい止めるため、6月22日には「財政運営戦略」をまとめ、11年度の新規国債発行額は10年度の約44兆円を上回らないことにした。「納税者番号」「新成長戦略」、そして「財政運営戦略」。立て続けにまとめられたこれら重要政策は、それぞれ別々に見えたが、実は消費税増税の下地づくりという点で共通していた。
 財務省が司令塔役になって、慎重に下地づくりをする一方、民主党はマニフェストで消費税の協議を超党派で開始すると明記する。ガラス細工のような増税シナリオは、これで完成した。
 ところが、菅は「その程度では生ぬるい」と思ったようだ。年間約17兆円もかかっている医療、介護、年金の費用は今後累増する一方だ。
 財務省幹部たちも菅の突然の10%発言には驚いたという。かつて斎藤次郎元大蔵事務次官らが振り付けて、細川護熙元首相が唐突に国民福祉税をぶち上げたが、その拙劣な手法が反発を浴び、大蔵省は同税導入に失敗した歴史がある。それだけに財務省は「慎重に扱わないと潰れる」という経験知を有していた。
 消費税増税はいずれ避けられないという国民が増えているなかで「選挙前に苦い話をよくぞいった」と評価する議員もいる。だが、菅にはそれほどの周到さはない。選挙戦で突かれると、発言は次第に後退した。後に「もう少しいろんなことを考えて発言すれば良かった」(岡田克也外相)と批判されたように、菅の乾坤一擲の勝負は惨敗だった。
 普天間の失敗を覆い隠す力強いメッセージのはずの菅の消費税増税構想は、普天間と同じ迷走の道筋をたどる。しかも、消費税増税に早く着手しなければ、という菅の思惑とは逆に、参院選惨敗で消費税増税は一層遠のいた。

(文中敬称略)編集部 大鹿靖明)
*財務省
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A1%E5%8B%99%E7%9C%81_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)

予算編成の透明性を高め国民の皆様のご理解を深めて頂く観点から、副大臣記者会見において、予算編成上の主な個別論点を紹介し、関連資料を公表しています。

公共事業
http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/h22/kokyo.pdf
文教関係
http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/h22/bunkyo.pdf
農林水産
http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/h22/nogyo.pdf
医療
http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/h22/iryo.pdf

予算
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E7%AE%97


*予算編成に「新司令塔」…仙谷長官を軸に組織?

(2010年7月19日03時03分 読売新聞)
政府は18日、2011年度予算編成や税制抜本改革など菅政権の総合的な経済・財政政策を協議する新たな組織を内閣官房に設置する方針を固めた。


 政府・民主党で政策調整をそれぞれ担う仙谷官房長官と民主党の玄葉政調会長(公務員改革相)のほか、野田財務相ら主要閣僚が加わる見通しで、今月中にも発足させる構えだ。

 政府が新組織を設置するのは、先の参院選での民主党大敗で、衆参の多数派が異なる「ねじれ国会」の状態となり、内閣官房の「国家戦略室」を法的な権限のある「局」に格上げする政治主導確立法案の成立にめどが立たなくなったことなどが背景にある。

 「国家戦略局」に代わる、政治主導で経済・財政政策の方向性を決める新たな仕組みが必要と判断した。

 具体的には、閣僚中心の会議体を設け、その下に、内閣官房の職員や民主党政策調査会の職員らで構成する事務局を設置する。

 新たな政策決定の仕組みに関連し、菅首相は18日、視察先の岐阜県で記者団に「官房長官、政調会長の2人を中心に調整すれば、より政治主導の力は強くなる」と述べた。

 国家戦略室については「首相直属のシンクタンク(政策研究機関)という位置づけで、しっかりした体制を作る。性格は変わるが大変重要な役割を担う」と強調した。省庁間調整の機能をなくし、首相に外交戦略を含めた幅広い政策分野について助言する機能を持たせる考えを示したものだ。

 民主党の細野豪志幹事長代理も18日のフジテレビの番組で「官房長官と政調会長を中心に、国家戦略局が担うべきだった予算編成、税の議論、中長期的な国家ビジョン(構想)を練り直せるような仕組みをつくる」と語った。


*民主党政調会に暗雲 首相批判噴出で玄葉氏矢面に 予算編成で混乱も!

7月19日0時1分配信 産経新聞

菅直人政権で復活した民主党の政策調査会(玄葉光一郎政調会長)に早くも暗雲が漂っている。菅首相の消費税発言や平成23年度予算案の概算要求基準(シーリング)での各省庁「一律カット」方針に批判が噴出したほか、政調会の位置付けについても、玄葉氏が提言機関と位置づけているのに対し、政策決定の権限を与えるよう求める声が出ているためだ。玄葉氏の手腕が問われている。(坂井広志)

 「党内で民主的な手続きをとらずに発言したとは問題だ。北朝鮮じゃないんだから。菅さんに政策を白紙委任したんじゃない!」

 16日に開かれた拡大政調役員会。小泉俊明衆院国土交通委員会筆頭理事は、参院選前に突如出た首相の消費税10%発言に怒りをぶちまけた。さらに「政調会を提言機関ではなく政策決定機関にしないといけない」とも主張した。

 玄葉氏は「それだと自民党と同じになる。何とかいいバランスを考えたい」と応じたが、小泉氏のあまりのけんまくに役員会は険悪なムードに包まれた。

 公務員制度改革担当相として内閣の一員でもある玄葉氏は、政調会をあくまで提言機関と位置づける。政調会や下部組織の部門会議に政策決定の権限を与えると、政策決定の「政府一元化」原則が崩れるからだ。

 だが、参院選で惨敗したとあって首相の求心力は低下。小泉氏の発言は「政策権限を党側が握る」といわんばかりだった。

 国家戦略室を政策の提言機関に格下げすることを問題視する声も上がった。機能の縮小に伴い、政府側は仙谷由人官房長官、野田佳彦財務相、玄葉氏を中心に予算編成の調整を行う方針だが、財務省主導につながると危機感を持つ松井孝治前官房副長官は「(機能縮小を)いつ知ったのか」と玄葉氏を突き上げた。

 政調会は週明けから、シーリングに関する提言の取りまとめ作業に入る。野田財務相らは22年度予算の一般会計総額が過去最高の92兆円まで膨らんだ反省から、社会保障などを除く政策的経費について、各省庁に一律で要求額の削減を求める方針だ。

 菅首相は18日、視察先の岐阜県八百津町で「官房長官と政調会長が中心となって調整するということは、より政治主導の力が強くなる」と強調した。

 しかし、小沢一郎前幹事長のグループからは「各省庁一律で要求額を減らせとはどういうことだ。必要なものは要求させてもらう」などと反発が出ている。

 今後、政調会は分野別に部門会議を立ち上げ、政府の政策に本格的に関与する。部門会議の座長に内定している小沢系議員は「衆参ねじれ国会になり、これから野党と修正協議をしないと法案は成立しない。その際、政務三役は口出ししないでほしい」と早くも政府側を牽制(けんせい)。玄葉氏が菅政権誕生の立役者の一人であることを意識し、こうも語った。

 「これからは玄葉さんが党側の意向をくんでどこまで政府に強く出られるかが試されるんだよ」
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