忍者ブログ
平成22年 第12回「米・食味分析鑑定コンクール:国際大会」(松江市)有機栽培・JAS認定部門で特別優秀賞を受賞。(食味90・味度83・計173点) 平成25年、第15回魚沼と第16回北京開催運動中! 無農薬魚沼産コシヒカリ生産農家・理想の稲作技術『CO2削減農法』 http://www.uonumakoshihikari.com/
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「国の形、大阪から変える」

華々しく政権交代を果たした民主党政権だが、すっかりメッキがはがれてしまった。とはいえ自民党も期待にはほど遠い。民主党もダメ。自民党もダメ。そんな閉塞(へいそく)感を打ち破る異変が大阪府と愛知県で起きつつある。来春の統一地方選は政界激震の序章となるかもしれない。

緻密な戦略家
 「大阪をよくするにはワン大阪しかない。実現にはすさまじい政治闘争に打ち勝たなければならないんです。民主党に国の形を変えてほしいがどうも伝わってこない。それならば大阪から国の形を変えようじゃありませんか!」

 17日夜、大阪・中之島で関西財界人が「大阪維新の会」のために開いた決起集会。維新の会代表の大阪府知事、橋下徹はホールを埋め尽くす約900人から万雷の拍手を受け、確かな手応えを感じていた。

 大阪府と大阪市を統合し、周辺市と合わせて約20の特別区に再編する大阪都構想。橋下はこの構想を「大阪再生の唯一無二の方策」と掲げ、来春の府・市議選などで維新の会の過半数制覇を狙う。

 母子家庭で育ち、地元の名門・府立北野高校ではラグビー部で全国大会に出場。早稲田大卒業後は弁護士となり、平成20年2月に府知事へ転身。「大阪サクセスストーリー」を地でいく橋下はなお8割の支持率を誇るが、裏には緻密(ちみつ)な計算がある。

 「大阪のGDPは40兆円でオーストリアに等しいのになぜ勢いがないのか。なぜ本当の力を発揮できないのか」

 地盤沈下が著しい大阪で橋下は人々の焦燥感を煽(あお)り、プライドをくすぐる。

 メディアの威力も熟知する。毎朝記者団に囲まれ、府政から外交まであらゆる質問に応じる。その歯にきぬ着せぬ発言は関西ローカルニュースで昼夜報じられ、時の首相が同じ質問にあいまいな答えをすればするほど橋下は引き立つ。

 機を見るに敏でもある。自民、公明両党の支援で当選したが、政権交代不可避と見ると民主党を支持。民主党が迷走すると即座に距離を置く。ずる賢くもあるが、大阪人の心情を素直に投影させたともいえる。

「維新の会」旋風
 そんな橋下が「負の遺産」の象徴として目をつけたのが、大阪・南港にそびえる旧大阪ワールドトレードセンタービルだった。大阪市の「バベルの塔」といわれる55階建てのビルは西日本一の高さを目指して建設され、経営破綻(はたん)した。

 ここに府庁を移転するという奇策が「維新の会」の導火線となる。

 昨年3月、自民府議団は移転賛成で党議拘束まで取り付けたが、採決は無記名投票となり、造反者が続出。賛成46、反対65、無効1で否決された。これに反発した賛成派が新会派「自民党維新の会」を結成。今年4月には政治団体「大阪維新の会」となった。当初は他党との掛け持ちもOKだったが、大阪市議補選で自民候補への対抗馬擁立をきっかけに自民党大阪府連が9月に離党勧告。府議ら45人が集団離党、民主党を巻き込み各地で旋風を巻き起こす。

 橋下にとって「瓢箪(ひょうたん)から駒」だったのか。それとも計算ずくだったのか。

地下水脈つながる「名阪」
 「大村さん、愛知県知事選はどうするつもりなの? ダメよ。国政でやるべき仕事があるでしょ!」

 10日夕、都内で開かれた自民党衆院議員、大村秀章のパーティー。党総務会長、小池百合子は壇上で大村に詰め寄った。

 大村は苦笑いしてごまかしたが、腹は決まっていた。臨時国会終了後に知事選出馬を表明。そして昨年4月に民主党衆院議員から名古屋市長に転身した河村たかしとタッグを組み「愛知独立」をぶち上げる。

 大村が14年間の議員歴を捨て知事選に賭けようと思ったのは野党暮らしに嫌気がさしたからだけではない。大阪に続き、名古屋で始まった地殻変動は本物だと嗅(か)ぎとったからだ。

 震源は河村だ。市長就任後、市民税10%減税や議員報酬半減をめぐり、市議会と対立。8月に市議会解散を求める直接請求(リコール)運動を始めた。

 狙いはトリプル選挙だ。市議会を解散に追い込み、自らも市長を辞職、来年2月の愛知県知事選と同日選挙を行う。そこで今年4月に自らが設立した地域政党「減税日本」を率いて名古屋市を制圧する。そのパートナーとして白羽の矢を立てたのが大村だった。

 署名はリコールに必要な有権者の5分の1(36万6千人)をはるかに超える46万5385人分が集まったが、市選挙管理委員会が署名の有効性を慎重に判断するとして審査期間を1カ月間延長したため、トリプル選挙の実現は微妙な情勢となった。

 ただ、愛知県知事選が実施されるのは統一地方選の2カ月前だ。その余波は全国に広がる可能性もある。

3大都市圏の力
 「大阪、名古屋の動きは一地方の反乱ではない。この国のあり方を根本から変えてしまうぞ…」

 大村がこう言い出したのは、大阪維新の会の動きが本格化する前の今年春だった。郵政民営化の是非を問い自民党が圧勝した平成17年の衆院選、民主党が政権交代を果たした昨年の衆院選で3大都市圏のパワーを思い知ったからだ。

 17年の衆院選では首都、関西、中京の3大都市圏で自民党の勝率は9割に迫った。21年の衆院選の3大都市圏の民主党の勝率も同レベル。3大都市圏にどこまで含めるかによって差はあるが、比例代表を含めると衆院480議席の6~7割を占めるとされる。つまり3大都市圏の勝敗が衆院選の帰趨(きすう)を決する。

 しかも都市部と地方のニーズの乖離(かいり)は年々広がっている。都市部では規制緩和、行革などを求める声が強く、道路整備や農業対策の優先順位は低い。地方は逆だ。もはや衆院300選挙区すべてが満足する政策パッケージは作り得ない。大村はこう続けた。

 「自民党は都市、地方ともにいい顔をしようとして両方にNOを突きつけられた。民主党も同じ過ちを繰り返している。民主もダメ。自民もダメ。そんな不満の受け皿が3大都市圏に生まれたらどうなるか…」

夢物語ではない
 大阪府知事・橋下徹「名古屋からどえりゃーことを始めましょう」

 河村「どえりゃー発音がよかった」

 9月20日の名古屋市中区。ポロシャツ姿で河村と並んだ橋下は慣れない名古屋弁を披露。大阪、名古屋が地下水脈でつながっていることを印象づけた。

 2人とも地方改革を声高に唱えるが国政への野心はおくびにも出さない。「国政に影響力を持とうというスケベ心を持てば府民は離れる」と橋下は断じる。

 だが、統一地方選で維新の会や減税日本が地方議会を制圧したらどうなるか。地方議員に集票を頼ってきた自民党はその地から消えかねない。自民党大阪府連会長の谷川秀善が「何が何でも維新の会をぶっつぶす」と息巻く理由はここにある。

 しかも大阪都構想などの実現に法改正は不可欠だ。地方公務員の大量リストラにつながる構想に民主党政権が応じるだろうか。もし拒めば、維新の会が蜂起し、次期衆院選で大阪に30議席を有する新党が誕生する-。これを夢物語と一笑に付すわけにはいかない。

 大阪、名古屋の地殻変動に自民、民主両党執行部の動きは鈍いが、みんなの党代表の渡辺喜美は違った。渡辺は9月26日、都内のホテルで橋下と密会し、こう持ちかけた。

 「アジェンダの一致する範囲で連携しよう」

 維新の会には「ただ乗りする気か」(幹部)と警戒する声もあるが、橋下は前向きに応じたという。

 統一地方選まで半年を切った。「春の嵐」は国政をものみ込みつつある。(敬称略)

2010年11月19日付 産経新聞東京朝刊


看板から外された「理想」 シリーズ1「改革か破壊か」

【地方異変】(中)

 大阪府知事、橋下徹と、名古屋市長、河村たかしの「動き」は、民主党政権の地方政策が、大きく転換したことと無関係ではない。

部屋に当時、国家戦略担当相だった仙谷由人の声が響いていた。

 今春の政府税制調査会の三役会合。首相の鳩山由紀夫が「一丁目一番地」と呼んだ地域主権改革が、財政再建をめぐる議論にのみ込まれていった。

 テーマは、今後の財政の方向性を決める「中期財政フレーム」。地方交付税がやり玉に挙がった。

 自民党政権、とりわけ小泉改革で疲弊した地方を回復させるとの名目で、昨年12月の平成22年度予算編成時に、党幹事長の小沢一郎が積み増した1兆円だ。

 副総理・財務相だった菅直人は腕組みをして言った。「どうひっくり返しても本当にお金が出てこないんだ」。事業仕分けの限界に触れる菅。地方配分を削るしかないと言いたげだ。

 総務相の原口一博が反論するも仙谷の攻撃はやまない。「総務省ばかり、いい目をみているじゃないか」

 原口は橋下、河村と接点が多い。橋下とはテレビのバラエティー番組で共演して以来だ。政権交代が確実視されていた昨年8月、橋下を小沢に引き合わせたのも原口だ。

 大阪に出向いた小沢の前で、「国への拒否権拡大」「税財政の自由度拡大」と橋下は熱弁をふるった。小沢も「まったく一緒だ」とうなずいた。

 「背中から粟粒(あわつぶ)が出るくらい感動した」。橋下は原口に電話で感謝を伝えた。

 原口が橋下と河村を総務省顧問に起用し、地域主権改革を推し進める「地域主権戦略会議」のメンバーに橋下を登用したのも当然だった。

 改革派首長と民主党政権の「二人三脚」…。だが、巻き返しは進んでいた。

 4月。ワシントンで開催された先進7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議から帰国した菅は、成田空港に着くなり、電話で原口を呼び出した。「とにかくギリシャが大変なんだ」

 G7はギリシャの財政問題に議論が集中。政府債務残高がGDP(国内総生産)比で主要国中最悪の日本は、各国から厳しく財政再建策を問われた。

 その後まもなく首相となる菅は、財政再建を目指す「財政規律派」としての色彩を濃くしていた。

 民主党政権は橋下らに冷淡に対応し始めた。戦略会議の議論もすれ違った。

 「道州制導入」をにらんで広域自治体の将来像を示すよう政府に求める橋下。原口は「大阪府が大阪市を飲み込む垂直統合(大阪都構想)を容認してもいい」と応じたが、菅側近として知られる東大名誉教授、神野直彦は「戦前の東京都構想は戦争遂行で出てきた。『集権』精神を推進する場合もあり危険だ」と退けた。

 民主党政権で、地方政策の変化が決定的になったのは6月だった。

 菅政権は、戦略会議が策定を進めていた今後数年の計画を定める「地域主権戦略大綱」自体を葬ろうとした。「権限、財源を下ろす自治体側の受け皿ができていない」。地方改革論議では必ず出てくる自治体の力量を疑問視する「受け皿論」が政府内を席巻した。

 戦略会議側が反論し、何とか大綱の閣議決定にはこぎ着けたが、大綱には新たな文言が書き加えられた。

 「(一括交付金制度の自治体への配分や総額では)効率的、効果的な財源の活用を図る」。財政規律派が勝利した瞬間だった。

 「菅は地域主権改革に冷たいという人もいるが、私の基本は、松下圭一法政大学名誉教授の『市民自治の憲法理論』だ」。大綱を決定した6月末の戦略会議。こう語る菅の前で、会場は重苦しい空気に包まれた。

 民主党が掲げた「理想」は看板から外され、橋下たちと民主党政権の蜜月も、わずか10カ月で終わった。(敬称略)


【地方異変】シリーズ1「改革か破壊か」(下)

 「このゲームでは、最初に手を挙げた者がバカを見る」

 民主党政権が変質していく中、復権を果たした霞が関官僚の一人は、そう言ってニヤリと笑った。

この官僚が指摘するのは、民主党がマニフェスト(政権公約)に掲げ、平成23年度予算案編成の焦点でもある「一括交付金」だ。

 「おれだって、補助金改革はたいへん重要な課題だと思っているんだ。実(じつ)があがるようにやってくれ」

 18日夜。官邸の首相執務室。顔をそろえた関係閣僚を前に、首相の菅直人はイライラを爆発させた。

 菅は来年度は1兆円余を一括交付金とし、都道府県に配る方針を示した。だが、そのわずか2時間前。民主党は一括化の最終期限を3年後に“先送り”する提言をまとめていた。菅のけんまくにも、この場で上積みを申し出る閣僚はいなかった。

 ■焦点は国交省の対応

 国が使途を定めた「ひも付き補助金」を束ね、自治体が自由に使える財源に衣替えさせるのが「一括交付金」だ。23年度はインフラ整備関連補助金が対象。概算要求に221件約3兆3千億円が計上されたが、各府省が現時点で交付金化に応じたのは3件28億円。わずか0・1%にすぎない。

 焦点は約2兆4千億円と最大額を持つ国土交通省の対応だ。国交相、馬淵澄夫は「先取りで国交省関連補助金を一本にして社会資本整備総合交付金を作った。上積みしろとの指摘は当たらない」と拒否の姿勢を貫く。

 最近馬淵に会った総務相の片山善博は「国交省内の一括化は前進だが、内閣の大方針、補助金全体の一括化の定義には当てはまらない」とくぎを刺した。

 各府省が高みの見物を決め込むのは、地域主権改革に対する菅の本気度を疑っているからだ。一括交付金の原案にあった「府省の枠を超えて」との表現が「枠にとらわれず」と弱まったことにも、官僚たちは敏感に反応した。

 ■「財政規律派」新たなのろし

 「一括交付金は大したことではない。どうやっても大きくは変わらない」。財務官僚の一人はそう言い放つ。

 10月13日、霞が関の財務省4階で開かれた財政制度等審議会では、一括交付金騒動をよそに「財政規律派」が新たなのろしを上げていた。俎上に載ったのは平成21年度開始の地方交付税の「特別加算」だ。

 「特別加算に期待して、地方が税収増への努力を怠る」。有識者は口々に自治体不信を表明。財務政務官の吉田泉も「極力縮小の方向で臨みたい」と応じた。

 特別加算は政権交代の象徴的なカネだ。小泉純一郎政権が進めた三位一体改革で地方から削ったカネを民主党が補填(ほてん)する。それが、わずか1年で風前のともしびとなった。

 21年度は臨時措置。22年度は雇用対策などで約1兆5千億円が別枠加算。財務官僚はいう。「もういいでしょう」

 政府はすでに6月に決めた財政運営戦略に、今後の姿を書き込み始めた。

 「23年度から3年間は地方交付税を含む予算の大枠を、22年度当初予算並みの71兆円を上回らないようにする」「地方の一般財源総額は22年度水準を下回らないよう3年間は同水準を確保する」。そんな文言だ。

 財務官僚が解説する。「3年間は今年度のレベルを下回らないと喜ぶのか、3年過ぎたらどうなるか分からないとおびえるか」

 厚相経験のある菅なら、削減しにくい社会保障費よりも、次いで規模の大きい地方交付税に手を付けるに違いない。財務省から「国におんぶにだっこの地方の甘えの構図を断ち切るべきだ」(幹部)と声も出る。

 一括交付金化の議論の裏で、本丸・地方交付税をめぐる戦いが動き出している。(敬称略)

 ■シリーズ1は、金子聡、石橋文登、赤地真志帆、橋本亮、山口敦、河居貴司、木村さやか、杉本康士、尾崎良樹が担当しました。

 来年4月の統一地方選に向け、国と地方のあり方を問う「地方異変」は随時掲載します。

PR

もはや“無政府状態”の危機管理態勢を憂う!

DIAMOND online 週刊・上杉隆

朝鮮半島西岸の延坪島で発生した韓国と北朝鮮との砲撃戦は多くの死傷者を出す事態になった。

 朝鮮戦争停戦後、民家への攻撃、ならびに民間人の犠牲者(きょう判明)を出す重大事案の発生は初めてである。

 韓国の李明博大統領が即座に警戒レベルを引き上げ、北朝鮮に対して強い非難声明を出したのは当然ではあるが、それにもまして今回は、世界からの反応が早かった。

 とりわけ、米国やロシアなど6者協議当事国は即座に反応し、北朝鮮への抗議の声をあげている。とくに、深夜3時にもかかわらず補佐官から報告を受けたオバマ大統領が30分以内に声明を発表した米国の動きは特筆に値する。その危機管理能力と意識の高さを改めて世界に示した。

信じがたい菅首相の第一報受容経路発言!

 一方で日本政府の反応はどうだったのだろうか。

「北朝鮮が韓国の島に砲撃を加え、韓国軍も応戦したという報道があり、私にも3時半ごろに秘書官を通して連絡がありました」

 信じがたいことに、これは内閣総理大臣の言葉である。首相がどうやって第一報を知ったのかという機密事項について、菅首相は恥も外聞もなくこう言い放ったのだ。

 いまや日本は無政府状態になった。首相が一般国民と同じレベルで情報を得て、それを公言してしまう国なのである。

 この発言の瞬間、菅首相は自ら危機管理能力の欠如とその意識の無いことを公然と宣言したのも同じである。

 また、同じく日本政府には情報調査能力が欠如していることを内外に示し、外交チャンネル、とりわけ韓国とのそれがまったく機能していないことも暴露してしまった。

 さらに、菅官邸には外務省からも防衛省からも情報があがらず、記者クラブの記者たちからもそっと耳打ちされることがないことも証明してしまったのだ。

 大いなる危惧を覚える。これこそ国家の最大の危機ではないだろうか。

“二次災害”すら招きかねない杜撰な危機管理態勢!

 インテリジェンスの見地からすれば、少なくとも首相、官房長官、外務大臣、防衛大臣の4閣僚は、こうした国家の存亡にも絡む機密情報のチャネルをうかつにも「報道から知った」と言うべきではない。

 それによって、政府の体を為していないことが海外にバレてしまい、それこそ危機管理上危険な状態に陥いる。

 また、首相、官房長官、防衛大臣などによる関係閣僚会議が始まったのは事案発生から6時間も経ってからだ。

 そのあたりの経緯が産経新聞に掲載されている。引用してみる(ちなみに記者クラブに所属していない筆者はいまだ官邸に入ることができず、一切取材ができない。この場を借りて改めて情報公開に後ろ向きの菅民主党政権に抗議したい)。

【以下引用】

〈官邸メンバーの招集も遅かった。仙谷由人官房長官は首相に呼ばれ、首相や古川元久官房副長官、伊藤哲朗内閣危機管理監らによる会議に加わったが、それも途中から。仙谷氏は14日、横浜市で行われた日韓首脳会談に同席し、首相と官房長官が同時に都心を離れる危機管理上の問題が指摘されていたが、実際の危機でも出足は遅れた。

 首相は午後4時50分すぎ、仙谷氏らに(1)情報収集に全力を挙げる(2)不測の事態に備えしっかり対応できるように 準備する―の2点を指示した。前原誠司外相はオーストラリア訪問中で、会議に間に合わなかった北沢俊美防衛相には電話で伝えた。北沢氏が東京・市谷の防衛省に入ったのは午後5時すぎ。防衛省幹部が午後4時すぎに「防衛相は登庁しない」と明言しており、首相の指示で急遽(きゅうきょ)防衛省に向かったようだ。

 防衛省政務三役の腰の重さは、内局(背広組)や自衛隊(制服組)の幹部にも伝わった。

 中江公人事務次官や折木良一統合幕僚長が登庁したのは午後5時40分になっていた〉(産経新聞ウェブ版)。

今回、攻撃を受けた韓国政府は即座に被害映像を公開した。中には軍事施設から撮影されたものも含まれる。国家の機密情報を国内外に広めたのだ。

 だが、そうした情報公開こそが国際世論を味方につける最大の武器であると韓国政府は知っているのだ。実際にそのスピンコントロールの狙い通り、国連を含む国際社会は北朝鮮への厳しい非難を行っている。韓国政府は情報戦において勝利を収めている。

 これこそ日本政府が見習うべき姿勢である。だが果たして、「尖閣ビデオ」を2ヵ月間も隠蔽し続けた菅官邸に、この意味を理解できるであろうか。

 政府機能の回復を切に願う。

日本農業、再構築への道<4>

2010.11.24(Wed)JBプレス川島博之

 この連載を始めてから、にわかに「TPP」という聞き慣れない言葉を耳にするようになった。TPPとは「Trans Pacific Partnership」の略で「環太平洋連携協定」と訳されている。

 言葉は耳新しいが、貿易に関わる協定であり、その考え方はWTO(世界貿易機関)の原則やFTA(自由貿易協定)と変わらない。多国間交渉がWTO、2国間交渉がFTA、太平洋に面している国々との交渉がTPPである。

 菅内閣は、当初、「日本を元気にさせる」としてTPPに前向きな姿勢を見せていたが、党内に反対意見が強いと見ると、一転して慎重な姿勢に転じてしまった。

 参加に反対しているのは、農協(農業協同組合)と、その意を受けた国会議員たちである。政府が自由貿易協定を結びたいと考えても、農協や農林族が反対するために話が進まない。この構図は、ここ50年ほど変わっていない。

 しかし、50年前に比べれば、農民人口は激減しているはずである。それにもかかわらず、なぜ、農民が大きな政治力を有しているのであろうか。このことは、日本の農業問題を理解する上での重要な鍵になっている。

「1票の格差」是正を遅らせた自民党議員たち!

 先に答えを言えば、それには選挙制度が大きく関わっている。

 日本の選挙制度の基本は昭和20年代に作られたが、戦争で都市が焼け野原になったこともあり、その頃、多くの国民は農村部に暮らしていた。昭和20年代の日本は農業国家と言ってもよいものであった。

 ところが、昭和30年代に入ると工業が急速に発展し始め、それに伴って多くの人が都市に移り住んだ。実際には、農村部の中学や高校を出た若い人々が都会に就職するという形で進行したが、その結果として農村部で過疎化が進み、一方、都市の人口が増加した。

 このような現象が進行する過程で、1票の価値を一定に保つには、選挙区や定員を頻繁に見直す必要があった。しかし、それが日本で迅速に行われることはなかった。

その最大の原因は、定数を是正する権限を国会に持たせたことにある。国会議員が自分たちの定数を決めるのである。

 定数が是正されると、農村部を選挙基盤とする議員は次の選挙で不利になる。自由民主党(自民党)は長期間にわたり与党であったが、自民党には農村部から選出された議員が多かった。一方、野党には都市部から選出された議員が多かった。

 つまり、定数の是正は、与党に不利に、野党に有利に働く。当然のこととして、与党である自民党は定数の是正を遅らせた。

都市と農村の投票行動は大きく異なる!

 その結果として、今日になっても1票の格差は衆議院で2倍以上、参議院では約5倍にもなっている。

 衆議院の格差が参議院より小さくなっている理由は、平成になって中選挙区制を小選挙区制に改めたためである。この際に1票の格差も大幅に是正された。

 一方、参議院では、基本的には昭和20年代に定められた選挙区と定員が生きている。

 衆議院では300人が「小選挙区」(1人しか当選しない選挙区)から、150人が「比例区」から選出される。参議院は3年ごとに半数が改選される。その際に「選挙区」(1人しか当選しない小選挙区と、複数名が当選する選挙区の両方がある)から選出されるのが73人、「比例区」からが50人である。

 衆議院でも参議院でも、比例区では投票数に応じて議席が振り分けられるために、大きな差がつくことはない。政権を獲得するためには、選挙区で勝利する必要がある。

 日本の選挙区は都市型と農村型に分けることができる。それを象徴的に表す言葉として、90年代後半以降の「1区現象」がある。自民党候補が選挙区内の「1区」で野党候補に敗れる現象である。

これは、「県庁所在地を含む選挙区」が1区とされるために生じるものである。県庁所在地は、どの県でも都市化している。そのために、1区とその他の選挙区の投票行動が異なる。

 このような言葉が生まれるほどに、わが国では農村と都市で投票行動に違いがある。農村部で支持を集めるには、地縁血縁がものを言う。一方、都市では「風」などと呼ばれる、その時のムードが投票行動を大きく左右する。

なぜ農家が大きな政治力を有するのか!

 試みに選挙区を、人口密度や県庁所在地との距離などから都市型と農村型に分けてみたところ、衆議院では45%、参議院では60%が農村型になった。誰が分類しても似たような結果になるだろう。

 現在、日本の総世帯数は4900万戸であるが、農家戸数は大きく減少しており、兼業農家を含めても285万戸に過ぎない。農家は全体の1割にも満たないのに、それがどうして大きな政治力を有するのであろうか。

 その秘密は農協にある。農協の組合員数は、先代が農業を行っていたなどの理由で準構成員になっている人を含めると900万人にもなる。1戸で1人が農協に入っているとすると、900万世帯が農協の傘下にある。つまり、総世帯数の5分の1がなんらかの形で農協に関連しているのである。

 農協は農業に関係する事業だけを行っているわけではない。約30万人の職員を擁して金融や信用事業を展開し、地方経済の核になっている。農村型の選挙区で当選するには、その農協の支持を取り付けなければならない。だが、農協は自由貿易協定に強く反対している。

 実際に、農協の意向は、選挙結果に大きな影響を及ぼしている。

 2010年に行われた参議院選挙において民主党は惨敗し、自民党に第一党の座を奪われた。しかし、得票数を見れば民主党は惨敗していない。比例区の総得票数は自民党を大きく上回っている。選挙区選挙において、特に地方の1人区で敗れたために、敗れたのである。

 2007年の参議院選挙では、民主党は「戸別所得補償」政策の導入を公約に掲げて臨み、一部の自民党議員が農協の嫌う「減反廃止」を言い出したこともあり、自民党から農協・農民の支持を奪い取ることに成功した。

しかし、民主党が掲げた戸別所得補償政策がそれほど農民の利益にならないことが分かると、農民の支持はまた自民党に戻っていった。それが2010年の参議院選挙の選挙結果を大きく左右した。

1票の格差が日本の進路に与える悪影響!

 日本国憲法は第二院である参議院に大きな力を持たせているために、政権を安定させるためには、参議院でも多数を占める必要がある。また、議員の影響力を見た時、比例区選出より選挙区の方が強いとされるが、参議院ではその約60%は農村部から選出されている。

 このことが、現在になっても、農民が国政に大きな影響力を行使できる要因になっている。

 農民が大きな政治力を持つ要因は他にもある。それは、当選回数を重ねなければ、閣僚や党の幹部になれないとする日本の因習である。

 先ほど述べたように、都市部では「風」により投票行動が変化するために、当選回数を重ねることが難しい。一方、地縁血縁により投票行動が決まる農村部では、当選回数を重ねやすい。このことも、農村部が強い政治力を保持することにつながった。

 現在、日本の農業の売り上げは約8.5兆円である。これはトヨタ自動車、パナソニックなどの大企業1社の売り上げに及ばない。また、農業生産額がGDPに占める割合は約1%でしかない。日本のGDPの99%は農業以外の産業が稼ぎ出しているのである。

 しかし、その小さくなった農業が貿易交渉で大きな影響力を行使している。

日本が資源のない国であり、加工貿易でしか生きていけないのであれば、その繁栄に自由貿易は欠かせない。しかし、農村が大きな政治力を持っているために、その交渉が遅々として進まない。

 1票の格差の是正は民主主義の根幹をなすものである。長い間にわたり、その是正を怠ってきたことが、日本の進路に大きな悪影響を及ぼすことになってしまった。

それでも日本は大丈夫」という話は本当か!

2010.11.17(Wed)JBプレス 池田信夫

財務省が11月10日に発表した政府債務(国債や借入金などを合わせた国の借金)は、9月末で908兆8617億円となり、過去最高を更新した。

 GDP比は173%と先進国で最悪だが、長期金利は1%前後と低く、国債は順調に消化されている。

 こういう状況を根拠にして「財政危機というのは財務省の世論操作だ」とか「実は日本の財政は大丈夫だ」いう類の話が根強くあるが、それは本当だろうか。

 ここでは多くの財政学者の意見をもとにして、財政危機の実態について一問一答で考えてみよう。

<1> 国債は国民の資産だから問題ない?
 「国債は国民の債務であると同時に資産だから、夫が妻から借金するようなもの。家計としてはプラスマイナスゼロだから問題ない」という素朴な議論があるが、妻からの借金なら返さなくてもいいのだろうか。

 例えば夫が飲んだくれで仕事をしないで、妻がパートで稼いだ貯金100万円を借りるとしよう。これで夫が酒を買って飲んでしまうと、家計の資産は100万円減る。それでも妻が稼いでいれば、また借りればよいが、夫が働かないでそれを飲んでしまうと、いずれは妻の貯金も底をつく。

 つまり問題は家計簿(国のバランスシート)の帳尻ではなく、何に使ったかなのだ。

 夫(政府)が借金して浪費を続けていると、家計の資産が減ってゆく。国債で建設したインフラを将来世代が使うなら負担に見合う資産が残るが、子ども手当のようなバラマキ福祉は今の世代が使ってしまうので、将来世代には税負担だけが残る。

<2> 純債務は少ないので大丈夫?
 財務省の基準とする「国と地方の長期債務」は今年度末で862兆円だが、これはグロスの数字である。「国の資産を引いた純債務で見ると300兆円ぐらいしかないので、まだ大丈夫」というのがみんなの党などの主張だが、債務を圧縮するためには国の資産を売却しなければならない。

 国有財産は簡単に処分できないので、金融資産だけを見ると、主なものは米国債(為替介入で購入)110兆円、出資金(特殊法人などの資本)100兆円、年金基金200兆円の3つだ。

このうち問題なく「埋蔵金」と見なせるのは米国債だが、最近のドル買い介入で含み損を抱えている。

 特殊法人などへの出資金は、その出資先を清算しないと返ってこないし、清算すると資産はかなり劣化しており、債務超過になっているかもしれない。

 年金基金は国債の償還に流用できないし、将来の給付を債務と考えると約500兆円の債務超過だという推定もある。年金債務を無視して米国債と出資金を862兆円から引いても、純債務は653兆円。GDP比は1.3で、先進国ワーストワンだ。

 問題は純債務がいくらあるかではなく、国債が消化できるかどうかである。

<3> 国債を買っているのは日本人だから安心?
 国債の保有者の95%は日本人だが、「日本人だから損しても国債を保有する」というのは何の根拠もない。

 75%は金融機関などの機関投資家であり、金利が上昇(国債価格が下落)すると大きな損失が出る。日本銀行の推計によれば、金利が1%上がると、地方銀行は4兆1200億円の含み損を抱える。メガバンクは1行でこれぐらいの金利リスクを抱えており、長期金利が上がり始めたら、財務省が脅しても売り逃げるだろう。

 「日本国債は円建てだからリスクが低い」というのは事実である。ロシアのように外貨建てで国債を発行していると、債務不履行でルーブルが暴落すると、ドル建ての額面が同じでもルーブル建ての債務が増えるが、円建ての場合にはそういう問題は発生しない。

 しかし、円建てでも、国債のリスクが高まると長期金利が上昇する。国債の金利が1%上昇すると9兆円の財政負担が生じ、10%上昇すると一般会計予算を食いつぶしてしまう。

 たとえ日本人がみんな死ぬまで国債を保有するとしても、その限界は近づいている。個人金融資産から負債や株式・社債などを引いた純資産は924兆円。純債務との差(資産超過)は271兆円だから、今年の国債発行額44兆円で割ると、あと6年で使い切り、国債は国内で消化できなくなる。その前に外債の募集が始まり、長期金利が上がる恐れが強い。

<4> 元利をすべて返済した国はない。借り換えしていけばいい?
 これは政府の税制調査会の専門家委員会委員長である神野直彦氏の持論である。永遠に借り換えることができればいいが、問題は民間が借りてくれるかどうかだ。

 個人や企業の場合には、借金の限度はその支払い能力(資産や将来の収益)だが、政府の場合は徴税権が担保になっている。したがって本質的な問題は、現在の政府債務を返済するための増税が可能かということだ。

 IMF(国際通貨基金)などの推計では、日本の政府債務を維持可能にするためには、消費税率を30%以上にする必要がある。消費税を3%から5%に上げるのに10年かかり、それ以来、税率を上げられない政府に、そういう増税が可能だろうか。

 増税が間に合わず、国債が民間で消化できなくなった時は、日銀に国債を引き受けさせるしかない。これは財政法の第5条に定める国会決議をすれば可能だが、日銀が際限なく国債を引き受けると、通貨が市中に供給されてインフレが起こる。

 インフレが起こると、実質的な政府債務(名目債務/物価水準)は減るので、石油危機の時のように物価が5年で2倍になると、政府債務は半減する。これによって財政危機は回避できるが、国民の金融資産も半分になってしまう。

 「国が借金して景気対策に使えば景気がよくなって税収が増え、財政危機は解決する」という話もあるが、これは「靴紐を引っ張れば空に上がれる」というような話だ。

 もし財政支出を増やせば税収がそれ以上に増えるのなら結構な話だが、2009年度の政府支出(当初・補正)は前年度から17兆円増えたが税収は6兆円減った。

 こうした財政楽観論には「政府は民間より賢く金を使える」という前提があるが、政府がそれほど賢ければ、もともと今のようなひどいことにはなっていないだろう。

 政府の浪費によって財政危機になったのに、その対策を政府にやらせようというのは、倒産した会社の再建を、その会社をつぶした社長に任せるようなものである。

2010年11月18日 DIAMOND online

貨幣にマイナス金利をつけられれば無理のない金融政策ができる!
―早稲田大学大学院教授 岩村 充―

去る11月3日 FRB(米連邦準備制度理事会)は、6000億ドルにも及ぶ長期国債の買い入れを発表。金利低下余地がなくなった中で、積極的な量的緩和に踏み込み、デフレ阻止に対する強い意思を見せた。先ほど『貨幣進化論』(新潮選書)を出版した岩村充早稲田大学大学院教授は、今後、先進国経済は高い成長は見込めず、物価は上がらないか、デフレ状態が常態化する――そういう経済構造の変化を前提とした金融政策を確立すべきだ――と主張する。

その対応策が、貨幣に金利をつけることだ。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 原 英次郎)

貨幣の価値はその国の財政が決める!

――1990年代後半以降の日本に始まり、いよいよアメリカでもデフレ懸念が台頭しています。現代では、政府から独立した中央銀行が貨幣の量を調整することで金利を動かし、物価に影響を与えることができると思われていますが、著書のなかでは、政府・財政への信用が貨幣の価値を決めると、おっしゃっていますね。

 貨幣価値の拠り所は何かということについては、10年ほど前から考えてきました。私も、最初のうちは、普通の金融論の先生と同じように、デフレはマネーを大量に供給すればどうにかなると思っていました。

 しかし、日銀がマネーを大量に供給し続けても、物価は緩やかに下がり続けた。これは何かが変だと感じたのです。そういうときは、「基本」に返らないといけない。それで貨幣はどこからきたかを、考え始めたのです。

経済学にはMonetary Economicsという分野があります。日本では「金融論」と呼ばれることも多いのですが、直訳すれば「貨幣経済学」でしょう。経済活動における貨幣の役割とか金融政策の効果などについて考える分野です。

 貨幣経済学は、経済学の中でもとりわけ大事な分野のひとつですが、問題がないわけではありません。それは、経済社会の中に貨幣は最初から存在し、それには価値すなわち購買力があるのだという前提で議論をしてしまうことです。しかし、現代の貨幣というのは国家が中央銀行という仕組みを通じて作り出しているものです。

 それなら、貨幣に関する問題を議論するときには、貨幣価値を作り出している国とか政府というものの役割を検討したうえで、それとバランスを取りながら中央銀行とか金融政策というものの効果を、考えるべきではないでしょうか。そうした発想で貨幣のことを考える理論を「物価水準の財政理論」と言いますが、今度の本はこの理論の筋道に沿って書いたものです。

 本来、貨幣の価値は財政と分離することはできません。貨幣価値が金と結び付けられていた戦前の「金本位制」ですら、その維持には財政が深く関わっていました。金本位制では金と紙幣の交換比率が決められていて、いつでも金と交換できる。だから、貨幣の価値は安定していたと思われていますが、その金本位制の舵取り役だったイギリス政府は、自分が決めた交換比率を守るために、世界の金の供給量が増えれば金を買い取り、供給が減ると金を放出していました。政府・財政が金の価格を安定させること通じて、金と結びついているマネーの価値をコントロールしていたのです。

 現在では、中央銀行が国債を見合いの資産として、マネーを発行しているので、貨幣の価値と財政はつながっています。また、貨幣発行益つまり中央銀行の利益は「シニョレッジ」と言われて国に帰属します。先進国では、中央銀行の独立性が大切だといわれて、政府と中央銀行は分離されているわけですが、それは意思決定のプロセスを分離するということで、貨幣価値を誰が支えているかという観点からは、両者を分けて考えても意味はないのです。長期的に見た貨幣の価値は財政、言い換えるとその国の将来と切り離すことはできません。

たとえて言えば、貨幣の価値とは政府の株価のようなものだと思ってもらっても良いでしょう。だから、政府が国債をどんどん出して、それで得た貨幣を無駄な事業に使うとしたら、貨幣の価値は下落する、つまりインフレになるわけです。

 ではいま、日本政府は先進国でも最悪の借金を抱えていながら、なぜインフレや円安にならないのか。それは日本政府が、日本人という超優良な顧客の上に胡坐(あぐら)をかいた独占企業のようなものだからです。日本人は一体感も強く、まじめに税金も払うし、いくら政府の財政危機が伝えられても、自分の資産を一遍に海外に移したりもしない。こうした日本人の個性そのものが日本の政府や財政に対する信用を支えているわけです。

グローバル競争がもたらした物価の継続的な下落!

――デフレは日本固有の現象だと思われていましたが、アメリカを始め先進国全体の物価上昇率が低下しています。デフレの要因をどう見ていますか。リーマンショック後の不況による一時的なものなのでしょうか。

 経済学もサイエンスであるならば、基本姿勢は教科書(理論)が現実と違っているときに、現実が間違っていると言ってはいけない。その場合は、教科書を書き直すか、なぜ現実と教科書が食い違っているのか、その要因を説明しなければなりません。

 私は、なぜ物価が下がり続けているかについて、多くの人が実感していることを無視してはいけないと思っています。例えば、多くの企業人がグローバルな大競争の中で生き残っていくために、ぎりぎりまで製品価格を下げなくてはならず、価格を下げるために、労働組合にも我慢してくれと言っていて、実際に賃金水準も下がっている。もはや賃金は硬直的ではなく、下がるものだと考えたほうが自然です。

 経済には、そのときどきの構造的あるいはマクロ的な条件によって、無理のないインフレ率とか避けられないデフレ率というものがあるのではないでしょうか。人類経済が大成長を経験していた20世紀には、それは「緩やかなインフレ率」というものだったように思います。でも、その状況が変化したのだとしたら、私たちが向き合わなければならないのは、「避けることのできないデフレ率」というものだろうというのが私の考えです。理由は二つあります。

一つは先進国の政府がお互いに競争しあって、インフレを抑えてきた結果、インフレ率がどの国も同じように下がってきている。二つ目は、物価をめぐって少数の大企業が、グローバルレベルで競争を繰り広げているという現実です。だから、現在の状態が破れない限り、物価が上がらないか、微妙に下がるほうが、自然なのではないか。そういう気がしています。

――戦後の世界経済は、物価が下がり続けるという局面を経験したことがありません。金融政策もいかにインフレを抑えて、安定的な物価上昇に持っていくかに主眼がありました。緩やかながらも、物価が継続的に下がり続けるとしたら、それに応じた金融政策が必要ということですね。

 そういう状況で金融政策をどう考えればいいか。金融政策の手段であり結果でもある金利は、究極的には「自然利子率+物価上昇率」で決まる。自然利子率とは、現在財と将来の財の交換価格つまり「モノの利子率」です。例えば、来年120のお米を返す約束で、今年100の種もみを貸すとしたら、自然利子率は20%ということになる。

 実際の契約金利には、これにリスクプレミアムが上乗せされます。中世のころは、不確実性を反映して、このリスクプレミアムが非常に高かった。当時の物価は、上がったり下がったりしていたが、自然利子率や物価上昇率がゼロ以下になっても、リスクプレミアムが高かったので、金利はプラスでした。

 現代は、信用制度が大変に発達した結果、このリスクプレミアムが、非常に低くなっている。将来性に程々の懸念がある企業でも、国債などの基準となる金利に対して、リスクプレミアムは数%しかない。だから、自然利子率や物価上昇率が大きく低下して合計値がマイナスになったりすると、リスクプレミアムを加えても、金利がマイナスになることもあるわけです。

 そういう世界になっているということを前提にして、金融政策を考えないといけない。実際に世の中に存在する金利はゼロが下限で、マイナス金利はつけられないので、物価を何とか上昇させようとする。そうすると、いろいろな面で無理が出る。そもそも金融政策や財政政策で、物価を自在にコントロールできるという感覚が間違いなのだと私は思っています。


電子マネーの発達で、実務的にもマイナス金利は可能!

――物価が下がると貨幣の価値は上がるので、たとえ名目金利がゼロでも、みな貨幣も持ちたがります。物価の下落にあわせて貨幣にマイナス金利をつけることができれば、無理のない金融政策が行えると、提唱していますね。

 FRB(連邦準備制度理事会)が、巨額の国債を買い入れる量的緩和政策を実施するのは、「緩やかなインフレ期待」を起こすためだといわれているが、これは無理な話でしょう。日本がバブル崩壊後に試して、ほとんど効果がなかった政策だからです。FRBの説得に応じてインフレが起こると思って行動した企業が、市場での競争に負けて次々と倒産してしまえば、インフレ期待は続かない。それが世界的な大競争と言われているものの実体です。

 経済に歪んだ影響を与えないニュートラルな均衡金利は、自然利子率+物価上昇率です。いまの問題は、自然利子率も物価上昇率も下がって、均衡金利がマイナスになっても、実際の金利はゼロ以下にはできないということです。そうすると、物価が下がって貨幣の価値が高くなるので、みなが貨幣を退蔵して使わなくなり、デフレを一層深化させてしまう。だから、低成長で自然利子率は上がらないとすれば、人為的にインフレ期待を起こして物価上昇率をプラスにもっていけばいいではないか、という議論が行われています。

 しかし、世界的な大競争のもとで政策当局が人々のインフレ期待を操作するというのは難しそうです。それが難しいという率直に認めたうえで、そこで何とか無理のない金利体系を作らないといけない。それが「貨幣にマイナス金利」ということです。例えば、自然利子率がマイナス2%で、人々が予想する物価上昇率がマイナス2%だとしても、貨幣にマイナス4%の金利をつけることができれば、将来の貨幣の価値が同じように下がるので、物価に対してはニュートラルということになります。

なぜ、これまで貨幣にマイナス金利がつけられなかったかというと、貨幣を使う人にとって、非常に煩雑だったからです。ここでは細かいことは述べませんが、現代のように電子マネーが発達し、その情報処理技術を使えば、貨幣にマイナス金利をつけることは、技術的あるいは実務的には不可能でありません。

 さらに問題があります。無理やりインフレ期待を起こそうとばかり考えていると、実際にはとんでもないことが起こるかもしれないからです。多くのエコノミストは根拠のない思い込みをしているのではないでしょうか。それは「緩やかなデフレ」の後には「緩やかなインフレ」がやってくるという思い込みです。

「緩やかなデフレ」の後には、必ず「緩やかなインフレ」が、「緩やかインフレ」の後には「緩やかなデフレ」が来るのであれば、そもそも急激なインフレやデフレは起こりません。でも歴史上にはそのどちらも数多く起こっているのです。

 水を零度以下に冷やして氷になっていない過冷却の状態にしておくと、何かの衝撃で一気に凍ってしまうのと同じように、経済や市場に無理な圧力がかかり続けていると、反動が一気に噴き出してしまうからです。これを「相転移」というのですが、緩やかなデフレが相転移するとすれば、そこで起こるのは「緩やかなインフレ」ではないでしょう。不連続なインフレ方向への価格体系のジャンプになる可能性が大です。大きな変化は、突然にやって来るものなのです。

26  27  28  29  30  31  32  33  34  35  36 
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
魚沼コシヒカリ.com
年齢:
70
性別:
男性
誕生日:
1954/01/01
職業:
農業
趣味:
スキー・読書・インターネット
自己紹介:
私は、魚沼産コシヒカリを水口の水が飲める最高の稲作最適環境条件で栽培をしています。経営方針は「魚沼産の生産農家直販(通販)サイト」No1を目指す、CO2を削減した高品質適正価格でのご提供です。
http://www.uonumakoshihikari.com/
魚沼コシヒカリ理想の稲作技術『CO2削減農法研究会』(勉強会)の設立計画!
バーコード
ブログ内検索
P R
忍者ブログ [PR]

designed by 26c. / graphics by ふわふわ。り