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今こそ「領海法」の制定を~元海自幹部学校長が緊急提言
2010.10.12(Tue)JBプレス岡俊彦
民主党の菅直人内閣は、沖縄・尖閣諸島沖の日本の領海を侵犯、海上保安庁の巡視船に衝突し(9月7日午前)、公務執行妨害の疑いで逮捕(9月8日)、送検されていた中国漁船の船長を、処分保留のまま釈放した(9月24日午後)。
砲火を交えない領土戦争だった!
また、中国外務省は、中国船長が処分保留で釈放され帰国したことを受けて、「中国の領土と主権、中国国民の人権を著しく侵犯したことに対し、強烈な抗議を表明する」との声明を発表した。
まさしく今回の事件は、砲火を交えない領土戦争であった。
民主党菅内閣は、中国政府の「そこまでやるのか」という外交攻勢に白旗を掲げ、敗北した。そこで、この敗北の意味を考え、今後につなげていく方向を考察してみたい。
1.領土問題は存在しないという意味
蓮舫行政刷新担当相は9月14日の記者会見で、今回の事件を巡る中国政府の対応に関して「尖閣諸島は領土問題なので、毅然とした日本国としての立場を冷静に発信すべきだ」と述べ(毎日新聞)、その後政府見解に反することを指摘され、この発言を訂正した。
1895年に日本国の領土となる!
お粗末である。政府見解を知らなかったことも問題であるが、尖閣諸島の位置づけを正しく理解していないことは、政治家として全くお粗末である。
尖閣諸島は、沖縄本島の西約410キロ、中国大陸の南東約330キロ、台湾の北西約170キロにある魚釣島、北小島・南小島、久場島、大正島など大小8つの島からなり、最大の島は周囲約11キロ海抜362メートルの魚釣島である。
我が国は、1885(明治18)年以降、現地調査により無支配の無人島であることを確認し、1895(明治28)年1月閣議決定により日本国の領土に編入した。この時、清国側は異議を申し立てなかった。
1951(昭和26)年の講和条約では日本が放棄した領土に含まれず、1972(昭和47)年の沖縄返還時に南西諸島の一部として日本に施政権が移った。この時も中国は異議を唱えていない。
しかし中国は、1968(昭和43)年6月の国連アジア極東経済委員会(ECAFE)による「尖閣諸島周辺海域に石油埋蔵の可能性がある」という報告が発表されたことを契機に尖閣諸島に関心を示し始め、1971(昭和46)年12月に尖閣諸島の領有権を正式に主張した。
人民日報も1953年付で日本の領土と明記!
1978(昭和53)年8月の日中平和友好条約締結時も一時領土問題の棚上げを主張したが、日本政府はこれに応じなかった。中国は1992(平成4)年2月には領海法を制定し、魚釣島を領土と明記している。
一方、最近の調査によると、中国共産党の機関誌「人民日報」のデータベースにある1953(昭和28)年1月8日付の紙面に「琉球人民の米国占領に反対する闘争」と題する記事があり、「琉球群島には尖閣諸島、沖縄諸島、大隈諸島などが含まれる」と明記されている。
また、同記事は琉球人民の米軍に対する反抗が「日本人民が独立を求める闘争の一環である」と位置づけており、中国が当時、「尖閣諸島は日本の一部だ」と認識していたことがうかがえる(2010年9月28日・産経新聞)。
慣習国際法では、
(1)いずれの国にも属していない無主地区に対し
(2)国家が領土を編入する意思を示し
(3)実効的支配を継続することにより領有を継続することが、島の合法的領有(先占=国家が領有の意思を持って無主地を実効支配すること)についての条件であるとされている。
尖閣諸島の場合、日本の主張はこのいずれの条件をも満足するものであり、尖閣諸島の領有(先占)権は日本にあると言える。
一方、中国の主張は上記(2)の条件を満たすのみであり、(1)に関しては古来中国の領土であったとしているが、慣習国際法に示す古来の領土とする条件に反しており、適合性を欠くものである。
国際法だけに頼るとしっぺ返し食らう危険性!
従って、国際法上は尖閣諸島に関して日中間の領有権争いはなく、これが我が国政府の解釈であり、まっとうな解釈である。
ところが、国際法上認められるからと言って悠長に構えていると、とんでもないしっぺ返しを被る可能性がある。
国際法は国家間の法であり、国際社会を律する規範であると言われているが、国際法には条約と慣習国際法がある。
条約は、条約を締結した国家間の合意という形態で締約国のみを律することができるが、すべての国家を拘束することはできず、現在のところすべての国家を拘束する国際法としては、慣習法の形態でしか存在していない。
慣習国際法は、国際司法裁判所規定上は「法として認められた一般慣行」と定義されており、慣習国際法として成立するためには、同一行為の反復(慣行)とそれに対する法的信念の存在が必要である。
ここで言う法的信念の存在とは、一定の行動が習慣的に遂行されているうちに、例えば「それに違反すれば制裁を加えることができる」といった法的な拘束力があると諸国家が認めることである。
政府が意思表明し続けることが大切!
しかし、慣習国際法が成立するためには、すべての国家の慣行と法的信念が必要とされているわけではなく、積極的に反対の意思を表明しない限り、黙示的合意が付与されたものとして取り扱われている。
従って、大国を含む多数の国家が積極的に反対の意思表示をしなければ、慣習国際法は成立する。ここに慣習国際法の恐ろしさがある。
つまり、尖閣諸島に対して、日本政府がなんら意思表示をせず放置したままにしておき、中国が実効支配を積み重ねていけば、第2の竹島になりかねない。
実際に外国の論評(ニューヨーク・タイムズ25日付社説)では、「尖閣諸島の領有を巡っては長年紛争が続いてきた」と述べ、尖閣諸島を巡る緊張を領土問題と位置づける見方が国際的に定着してしまったとうかがわれる。
従って、ことあるたびに尖閣諸島は日本の領土であることを世界に発信し、これを保全する措置を取らなければならない。
2.中国の海洋進出とその狙い
もともと大陸国家である中国は、毛沢東の時代までは、中国の広大な国土に敵を誘い込みゲリラ戦で殲滅するという「人民戦争戦略」を取っていたが、1980年代に入ると、自国に膨大な被害を及ぼす恐れのある人民戦争戦略では世界の趨勢に対応できないと考えるようになる。
中国が打ち出した積極防衛戦略とは!
当時党中央軍事委員会主席であった鄧小平は、国土の外で敵を迎え撃つという「積極防衛戦略」を打ち出した。
また、当時の海軍司令員・劉華清は、この戦略を海洋にまで推し進め、「近海積極防衛戦略」を提唱した。
1985年には、中央軍事委員会において、領土主権とともに海洋権益の擁護が初めて決議され、海軍力による海洋権益確保の方針が確立された。
──近海積極防衛戦略──
●「再建期」に中国沿岸海域の完全な防備態勢を整備
第1列島線(日本列島、南西諸島、台湾、フィリピン、ボルネオを結ぶ線)より内側(中国寄り)の海域(黄海、東シナ海、南シナ海)を「近海」と呼称し、この海域の支配権を西暦2000年までの20年間で確立する。
●「躍進期」に西太平洋の支配権を確保する
第2列島線(小笠原諸島、マリアナ諸島、グアム、カロリン諸島を結ぶ線)と第1列島線との間の海域、すなわち、「西太平洋」の支配権を2001年から2020年の間に確保する。
●「完成期」に世界最強の海軍に成長する
第2列島線より外側の海域、すなわち、太平洋、インド洋において2021年から2040年の間に米海軍による独占的支配を阻止する。
中国は1992年には「領海法」を制定し、第1列島線内の島嶼(尖閣諸島も含む)の領有を一方的に宣言した。また、1997年には「国防法」により海洋権益確保を海軍の主任務の1つに確定している。
国防動員法を制定し民間漁船を活用!
さらに、2010年には「海島保護法」により島嶼の管理を強化するとともに、「国防動員法」により有事(チッベト動乱など核心的利益の侵害を含む)の際、海洋権益の確保のために民間漁船の活用などを可能にした。
今回、中国漁船の船長が尖閣諸島近海の我が国領海を侵犯した事件、および、尖閣諸島近海に大魚船団が出没したことも、「国防動員法」によるものと推測することも可能である。
では、中国が目指す海洋権益の確保とは、具体的に何であろうか。中国の言う「核心的利益」という言葉を軸に考えてみたい。
9月23日の国連での一般演説で中国の温家宝首相は、「主権や領土保全といった核心的利益については、中国は決して妥協しない」と述べた。
一方、本年3月上旬中国を訪問したジェームズ・スタインバーク国務副長官とジェフ・ベーダー国家安全保障会議アジア上級部長に対し、載秉国国務委員は「南シナ海は中国の核心的利益である」と初めて表明した(2010年7月3日・時事通信)。
中国が欲しい海洋権益は資源と航行の自由!
従来中国は、台湾、チベット、新疆ウイグル自治区を核心的利益と説明してきた。これらの地域はある面、中国の国内問題と関係するところもあり、納得できるところもないわけではない。
ところが、全くの公海である南シナ海を中国の主権の及ぶ領海と言及することは、中国は海洋において覇権主義を採ると宣言したことと同様である。
また、中国が目指す海洋権益は、1つは海中、海底の海洋資源であり、他の1つは航行の自由である。
航行の自由はどの海洋国家も目指すものであり、海は等しくこれらの海洋国家に自由を与える存在である。
しかし、中国が主張する航行の自由は、国連海洋法条約が言う「衡平な解決達成のための合意」の原則を無視した、自国に都合良く国連海洋法条約を解釈した自由であり、東シナ海の排他的経済水域あるいは大陸棚の境界の画定、昨年3月の米海軍海洋調査船「インペッカブル」号に対する中国漁船の妨害行動がその事情をよく物語っている。
中国の海洋進出4つの段階!
さらに、中国流航行の自由が海洋覇権主義と結びつけば、航行の自由の確保により地域に中国の覇権を及ぼし、ひいてはそれが全世界に波及する恐れもある。
それこそが、海洋覇権主義と結びついた中国の海洋進出の狙いである。
また、南シナ海、特に西沙諸島及び南沙諸島への中国の海洋進出をなぞっていくと、中国の海洋進出には4つの段階があることが分かる。
これを尖閣諸島に当てはめると、第1段階は領有権を主張する段階であり、1992年に領海法を制定し尖閣諸島を領土と明記している。
第2段階は海洋調査の段階であり、1990年代後半から尖閣諸島を含む東シナ海での海洋調査活動を活発化させている。
第3段階は艦艇の展開であり、1999年以降中国海軍艦艇が尖閣諸島周辺で活動している状況が観測され、近年は海軍艦艇だけでなく中国の5つの海上法執行機関のうち海警(沿岸警備隊に相当)、漁政局(漁業監視、取り締まり)、国家海洋局(海洋資源監視、取り締まり)の艦船に加えて「国防動員法」で徴用された可能性のある漁船が尖閣諸島周辺で行動していると言われている。
そして最後の第4段階で部隊の駐留を行い、実効支配を完結させることになる。尖閣諸島は既に第3段階に入っており、今後の中国の不法な活動を阻止しなければ第2の「竹島」となる可能性は十分ある。
3.民主党菅内閣の対応と今後の方向
中国漁船の船長を処分保留のまま釈放したことに関して民主党菅内閣は、釈放直後の仙谷由人官房長官の記者会見から30日の衆議院予算委員会での答弁まで一貫して、「検察への指揮権は発動していない。沖縄地検の判断、処置は適切である」との発言、態度を貫いている。
地方検察に丸投げとは無責任の極み!
これに対して、領土、領海、領空を守り、主権の侵害を許さず、国民の生命財産を守ることは国家の基本的な任務であり、その責任は内閣総理大臣の菅直人氏が負っているのではないか。
それを一地方検察に丸投げするとは、民主党菅内閣は無責任もはなはだしいとの批判が多く聞かれる。
他方、中国の理不尽な種々の外交圧力、とりわけ日本人4人が中国当局に身柄を拘束されたことに加え今後の日中関係と主権の確保とを天秤にかけ、釈放したことを評価する声もある。
いずれにせよ菅内閣は、我が国の主権が侵されたことと、これらを天秤にかけた判断を説明する必要があるが、そもそも日本国民には主権が侵されたことに対して、寛容というか無頓着なところがある。
1999年の能登半島沖の工作船事案、2004年の中国人活動家の尖閣諸島不法上陸および同年の中国潜水艦の領海侵犯などの我が国の領土、領海が侵されたことに対して、自民党政府をはじめ我が国の政府は、領海の侵犯を「漁業法」で取り締まる(能登半島沖工作船事案)など、領海侵犯に対する法律の整備を何一つしてこなかった。
今こそ主要国にならい領海法の制定を!
我が国の領海が侵された場合、海上保安庁の巡視船は退去を要請することしかできず、海上自衛隊にも領海を侵害する行為を排除する「領域警備」の任務は付与されていない。
国民もそれに対して異論を唱えることもなかった。
世界の主要国は、領海が侵されたことに対して領海侵犯を問う法律で以て沿岸警備隊と海軍が協同して対応できる重層構造の法体系を整備している。
我が国もこの例にならい、「領海法」(もしくは「領域警備法」)を定めると同時に、海上保安庁と海上自衛隊が協同して対処できる重層構造の法体系を整備することが、今回の事件に対する最も基本的な対応である。
それが、領域保全に対する我が国の明確な意思を世界に発信することとなる。
我が国は中国との間だけでなく、韓国およびロシアとの間にも領土に関わる問題を抱えている。両国は、今回の日本の対応を注意深く観測し、今後の対日外交の参考にすることは間違いない。
クリントン長官は日米安保適用を口にはしたが・・・
また、南シナ海における中国の覇権的進出に対応しなければならない東南アジア諸国は、日本のふがいない姿勢がさらに南シナ海における中国の覇権を助長するのではないかと気をもんでいることであろう。
そういう地域、世界に、我が国が「領海法」を制定し日本の領海保全の意思を発信することは、東南アジア諸国と協同して中国の海洋派遣を阻止するうえで極めて重要である。
現地時間の9月23日、日米外相会談が行われ、ヒラリー・クリントン米国務長官は日米安保条約第5条が尖閣諸島に適用されると明言した。
また、報道によると今回の中国漁船衝突事件の早期解決を望む米国の意向が日本側に伝えられ、これを渡りに船と菅内閣は中国船長を釈放したと伝えられている。
この米国の一連の発言は、現在の米国の対アジア政策をよく表しており、クリントン国務長官の日米安保適用発言をそのまま素直に喜べない面がある。
中国にも最大限の気を使う米国!
すなわち、尖閣諸島に対する日米安保の適用発言は、中国が日米安保にくさびを打ち込み、日米の関係を離反させたい中国の戦略に今回の事件が影響を及ぼすことを恐れた米国が、普天間基地移設問題もあり、尖閣諸島に対するコミットメントを明確にし、日米関係は強固であることを中国に知らしめる一種のヘッジ戦略である。
一方、北朝鮮情勢等を考慮した場合、良好な米中関係を維持するメッセージを発信しておく必要があり、それが早期解決を望む米国の発言となり、これはある面関与戦略と言える。
将来、我が国周辺を取り巻く情勢によっては、米国は今回のように中国に対して関与とヘッジ戦略を使い分ける可能性は十分あり、尖閣問題が米国のコミットメント通りにいくとは限らない。
従って、我が国単独で尖閣を防衛する態勢の整備を急ぐ必要がある。
そのためには、陸上自衛隊の体制を、尖閣諸島を含む島嶼防衛の体制(西部方面隊の海兵隊化)に重点を移すとともに、統合運用の態勢を整備すべきである。
中でも、陸上自衛隊員の輸送とヘリボーン作戦のために、陸上自衛隊ヘリコプターを海上自衛隊の「ひゅうが」型ヘリコプター搭載護衛艦および「おおすみ」型輸送艦に発着艦できるよう、統合運用の態勢を整備すべきである。
飛行場もある下地島に自衛隊を常駐させるべき!
そのためには、着艦拘束装置の装備や通信、航法装置の改修、発着艦訓練や資格付与、整備・補給態勢の整備など課題は多い。
しかし、これらは基本的には運用の問題であり、一つひとつ着実に解決して、早急に統合によるヘリコプターの運用を可能にすべきである。
また、尖閣諸島の保全のために自衛隊員を輪番で魚釣島に常駐させる意見もあるが、それよりは尖閣諸島近傍の下地島を活用する方が後方支援等の面で容易である。
下地島は、宮古島の北西10キロ(沖縄本島から約300キロ、尖閣諸島から約200キロ)にあり、隣の伊良部島とは幅40~100メートル、水深2~4メートル、長さ3.5キロの海峡で隔てられており、6つの橋で連接されている。
人口は、下地島100人弱、伊良部島約7000人である。下地島には空港があり、1979年7月に民間パイロットの養成訓練用として供用が開始され、1980年には南西航空の定期便が就航したが1992年運休し現在に至っている。
空港としては、3000メートル×60メートルのA級滑走路1本と約130平方メートルのエプロン(大型ジェット用5バース、中型ジェット用1バース)に加え、VOR/DME、ASR、SSRの航法援助施設がある。
航空自衛隊は、下地島を調査した結果、有事の際の「作戦根拠地」として適当と判断し、「平成16年度航空自衛隊防衛警備計画」に作戦根拠地として使用する方針を明記した(2005年3月17日・産経新聞)。
このように下地島空港の有用性は実証済みであり、ここに航空自衛隊および陸上自衛隊の部隊を常駐させることが、現実的であり費用対効果の面からも効率的である。是非次期防で整備に着手すべきである。
4.おわりに~命をかけて守るべきもの
今回の中国人船長釈放の直接の動機となったのは、日本人4人が軍事施設への無断立ち入りの罪で中国当局に拘束されたことにある。最悪の場合、拘束された4人の生命に関わると判断し、主権の放棄を決心したことに間違いはあるまい。
日本赤軍のハイジャック事件の時と対応は同じ?
似たような事件は、四半世紀以上も前にも生起している。1977年9月の日本赤軍ダッカ日航機ハイジャック事件がそうである。
日本赤軍の人質乗客を殺害するという脅しの前に、福田赳夫首相(当時)は「1人の生命は、地球より重い」との考えの下、日本赤軍の要求を受け入れ、拘留中のメンバーを釈放した。
人命を軽視するつもりはさらさらないが、命をかけて守らなければならないものもある。今回、人命を賭して主権の確保に当たった海上保安官は、中国人船長が釈放され悔しかったに違いあるまい。
自衛隊法第52条では服務の本旨として、次のように規定されている。
「隊員は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを期するものとする」
また、同53条で「隊員は、防衛省令で定めるところにより、服務(52条の内容:筆者)の宣誓をしなければならない」とされている。
国を守るために命を懸けている人たちはどうなるのか!
自衛隊は、我が国の防衛という主権の侵害を実力で阻止する機関である。そのために我が国の法律で、「命を懸けて責任を全うしなさい」と規定している。
そのような中で、人の命が大切だからと主権を放り投げることが許されるならば、自衛官として、あるいは海上保安官として、また警察官としてむなしさを感ぜずにはいられまい。
こういう積み重ねが、日本は守るに値しない国だという価値観につながり、それが蔓延することを恐れるものである。
政府も、マスコミも、教育界も、家庭でも「命を懸けなければならないものが世の中には存在する」ことを若い世代に伝えていくことが、我々大人の役目である。
安保への過信や核武装は論外、原子力潜水艦の配備を!
2010.10.08(Fri)JBプレス勝山拓
戦後の国際情勢概観!
第2次世界大戦後、ソ連が後押しする社会主義(あるいは共産主義)革命の広がりと、これを阻止したい米国を中心とする自由主義陣営との対立による、いわゆる東西冷戦構造が約45年間続いた。
それは、各地域における様々な摩擦や紛争がグローバルに波及することのない、安定した世界情勢を生み出した。
しかし、東側の西側に対する経済的敗北に起因する1990年の冷戦構造崩壊後、世界各地でそれまで抑えられていた様々な問題が次々と発生した。
まるでパンドラの箱が開いてしまったかのように、希望さえも残らず、あらゆる問題が一斉に顕在化し始めた。
民族間の対立の顕在化に加え、資源ナショナリズムやテロリズムが横行することとなった。
そして、いわゆる9.11事件を契機として、世界の警察官として君臨してきた米国の権威が急速に失墜し始める。
国際テロ組織撲滅と大量破壊兵器拡散防止を掲げて、アフガニスタンにおける対テロ作戦やイラクのフセイン政権打倒および同国の安定のため多国籍軍による軍事行動のイニシアティブを取ったまでは良かったが、結局、アフガン情勢は悪化するばかりで、イラクの国内情勢も安定からはほど遠い。
先進国が経済回復に専念する中、躍進する中国の軍事力!
米国は戦闘部隊をイラクから撤収しアフガン対策に努力を傾注しているが、大量破壊兵器拡散問題に加え、この2カ国の政情不安が大きな要因となっている国際テロ問題に対しては米国が国際社会による対応の先頭に立たざるを得ず、その負担は大きい。
冷戦構造崩壊後の世界経済に関しては、いわゆるBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)と言われる国々などの発展が著しい。他方、先進国の経済が停滞する中で発生したリーマン・ショックは、現在も深刻な影響を与えている。
このため米欧および日本などの政府は、主として経済不振を中心とした国内問題の処理に政策の主眼を置かざるを得ない状況に至っている。
このような情勢下で、最近の中国はグローバルな経済的影響力の増大、軍事力の拡大あるいは世界中の資源漁りのための布石とこれを可能にするための海軍力(海洋力)運用能力の拡充に忙しい。
東・南シナ海のみならず西太平洋における排他的能力を高めているほか、インド洋においても影響力を拡大しつつある。
中国は最近「核心的利益(中国にとっての)」という用語を使い始めている(今年5月に北京で行われた米中戦略・経済対話の場で、中国側が米側に対し使ったと報道されている)。
これは、最近の軍事力を背景にした影響力拡大を、外交の場において認めさせようとする彼らのしたたかな戦略の一環と見られる。
なお、資源大国ロシアが、経済力回復に伴って、グローバルな問題への影響力維持拡大の動きを見せていることも懸念されるところである。
国内安全保障論議の動向!
我が国の歴代政権は日米安保体制が国是と言うのみで、集団的自衛権問題など、我が国が本来は主体的に解決あるいは明確に主張しなければならない安全保障に関わる重要な問題への対応を曖昧にしてきた。
外交に至っては中国、韓国への単に相手を利するだけの謝罪外交を続けて、自らの手足を縛っている。現政権に至っては日米同盟の深化などと唱えながら、普天間問題に関し大失態を演じ、その解決のメドを立たなくしてしまった。
このような情勢下、国内では様々な安全保障を巡る議論が沸き起こった。
例えば、いわゆる9.11以降の米国主導のアフガンにおける対テロ戦争やイラク進攻に協力することに批判的なグループ。
我が政府や要人が「中国・韓国に対する世界の歴史に例を見ないような謝罪を続け、日本人の健全な誇り・伝統・文化を蔑ろにしようとする外交姿勢」に反発するグループ。
あるいは「北朝鮮の理不尽極まりない瀬戸際外交」に反発するグループなどだ。
一方で、回復の兆しが見えない我が国の経済不振や急速な高齢化社会が生む様々な矛盾の顕在化もあって、国内にはストレスが充満しつつある。
最近のマスメディアに現れる我が国の安全保障論議を大別すれば、次の2つである。
極論に走りやすい日本の安全保障論議!
1つは、戦後の極めて偏った平和教育の影響を強く受けた人たちが唱えるところの「憲法9条を掲げて世界にアピールし我が国の安全を図ろうとする、誠に太平楽な発想」に基づくものである。
彼らは戦後、日本の平和と発展が日米安全保障条約の下で確保できた事実、あるいは国際社会が冷厳な競争社会であることを端から認めようとしない。
彼らの主張は国際社会の現実から見れば論議に値しないが、この人たちの考えに、戦後教育が生んだ「国民としての責任や義務を果たすことを嫌い、日本人としての誇りや尊厳は脇に置いて自分たちの目先の安逸を享受することをよしとする人たち」が同調する、あるいはそのような傾向を市民感覚としてそれに迎合する政治家が相当数いるのも事実である。
もう1つは、日本人としての誇りを回復し、対米追従を避け、あるいは中国、韓国・北朝鮮などに対し毅然とした外交を展開するため、その基盤となる自主防衛力を高めるべしとする論議である。
私が危惧するのは、この議論に参加する人たちの中に、我が国が置かれている地勢学的位置や我が国自身が持つ脆弱性(国土、資源など)に対する「真剣な考慮」の不足が見られることである。
第2次世界大戦へ突入した経緯を思い出す時!
昭和に入り、経済不況や凶作などで国内にストレスが充満する状況を抱えながら大東亜戦争突入・悲惨な敗戦に至った経緯を思い出してほしい。
一部軍人を含む我が国のリーダーたちの世界情勢に対する視野狭窄、したたかさの不足とそれに起因する外交・軍事にわたる失敗(大陸に合法的に確保していた権益を防護する政戦略の柔軟性不足と一部軍人の暴走、欧州における戦争の趨勢の読み間違いなど独りよがりな判断による孤立化)に、まずは冷静に向き合うべきである。
それがなくて安全保障や軍備を論じ、中には軽々しく核武装や米国からの離反まで論じることが国益にかなうのであろうか。
また、このような議論に参加して、現代の日本の内政・外交から生じている言いようのないストレスを解消してしまっている人が相当数いるのも気がかりだ。
我が国の地政学的条件と現状を考えれば、資源に乏しい島国に生きる我々が、独力でロシア、中国あるいは米国から受ける影響を排除して生存と繁栄を確保していくこと、あるいはこの3国を除くアジア各国のリーダーとして行動していくことが、見通しうる将来にわたって不可能なことは明らかである。
もし核武装したいなら国民負担を考えよ!
にもかかわらず、核武装して米国、中国、ロシアのいずれとも一線を画し独自の道を歩むなどという誠にシンプルな論を述べて、鬱憤晴らしの喝采を受ける人たちがいる。
しかし、これといったバーゲニングパワーを持たず、核攻撃に対する吸収力がない我が国が、どのような核戦力をどれくらい持てば大国中国・米国・ロシアに対する核抑止力となるのか。
そのための経費はいくら必要なのか。核による第1撃を吸収できる体制を築くには、政府の機能維持のほかに国民の防護を含めて、どのような都市機能や社会的インフラの再構成が必要なのか。またそのための経費はいくらかかるのか。その結果、我が国はどのような国柄になるのか。
このようなことを考えると、核武装をバーゲニングパワーとする発想、あるいはそれを支持する人たちの考えるところは、先に述べた昭和初期から大東亜戦争突入に至る間の、独りよがりが招いた国際的孤立による破滅の経験を真摯に学ぼうとしない、極めて無責任なものと言わざるを得ない。
歪曲された我が国近代史教育と村山富市談話以降のお粗末な謝罪外交の定着が、前者の安全保障論をいまだに根強いものに保っている。
日本の実力と立場を考えずに安全保障を語る人が多すぎる!
後者の安全保障論は前者に反発するものである。そもそも我々日本人は、独立回復後、国際法に反した極東軍事裁判とは切り離して、大東亜戦争の悲惨な敗戦に至った過程を、我々自らの意思で、冷静に総括(一億総懺悔などといういい加減なことではなく、厳しい国際社会をしたたかに生き抜くため国民一人ひとりが認識すべき教訓を前向きに心に刻む)していない。
このことが、独立後の我が国の主体性のない外交姿勢や、先に述べたような両極端の安全保障議論の原因になっていると私は考える。
なお、私は、一部軍人、これを抑えられなかった、あるいはこれらに便乗した政治家およびマスメディアにミスリードされて突入した無残な戦いだったとはいえ、大東亜戦争において祖国の将来を信じて散華された幾多の英霊の尊さを否定する気など毛頭ないことを付言しておきたい。
冷戦が崩壊し国際情勢がますます複雑化しているにもかかわらず、「国際社会において有効となるバーゲニングパワーをほとんど持たない我が国が、複雑化する国際社会の中で日本人の尊厳を保ちつつ、どうやって生存と繁栄を求めていくべきか」を明確に語らない政治の現状や最近の危なっかしい安全保障論議を考えると、我が国の将来に深刻な不安を感じるのは筆者だけではあるまい。
現在、日本国内を支配する空気は、国際政治の現実から見れば誠に「内向きかつ独りよがりなもの」となっている。
国家としての行動態様は全く異なるとはいえ、我が国の現状は、昭和初期から国内にストレスが充満する中で、独りよがりな判断に支配されて孤立化し、勝算のない大東亜戦争に突入していくまでの国内状況に似てきていると思われる。
我が国の安全保障戦略がこのような状況に左右されることだけは、絶対に避けなければならない。
我が国の防衛戦略再構築・防衛計画の大綱見直しへの期待!
先頃発表された米国防総省の「中国の軍事動向に関する年次報告書」は、中国が年内に航空母艦の建造に着手する可能性を指摘している。
原子力潜水艦の増強や、海南島南端の大規模な海軍基地(原子力潜水艦用の地下トンネルを有すると言われる)建設も着々と進められている。
さらには、10年以上前から始められ、最近はその範囲がいわゆる第2列島線にまで達している海洋調査活動に呼応するかのような、我が国周辺海域や西太平洋での海軍艦艇の活動も活発化している。
例えば、4隻の艦艇が日本海から津軽海峡を通り沖縄本島と宮古島の間の海域を通過して帰投した行動、米空母に対する原潜の挑発的な接近、ごく最近の我が海自艦艇への中国艦載ヘリコプターの異常接近事案などが挙げられよう。
さらに、艦艇基地確保のためのインド洋沿岸国へのアプローチ、ソマリア沖海賊対処のための艦艇の派遣などを見れば、中国の海軍運用能力の向上も著しい。
今や中国の意図は明確である。それは周辺諸国を意のままに、あるいは彼らに好ましいようにコントロールできること。世界中の資源を意のままに利用できること。隙あらば海底資源を伴う領土を拡大すること。
それらが可能な態勢を作るため強大な海軍を建設し、その運用能力を高め、「海洋の自由利用を掲げ自由世界の連携の中心たらんとする米国」の西太平洋へのアクセスを拒否する、あるいはインド洋および周辺諸国への影響力を低下させることである。
我が国では北朝鮮の核問題(運搬手段を含む)が安全保障上の重大脅威と捉えられているようだ。もちろんそうには違いないが、もっと深刻な脅威は上述した中国の海軍力増強であろう。
なぜなら北朝鮮問題は、いわゆる6カ国協議の場で(ストレスを感じつつも)コントロールできるが、中国の海軍力増強とそれを背景にした東・南シナ海のみならず西太平洋やインド洋での排他的能力あるいは影響力の拡大は難しいからである。
その理由は第1に、13億の民を有する発展途上国・中国の国民生活レベルの向上に必要な資源獲得のためという理由で、一党独裁体制の下、周辺諸国の懸念などお構いなしに、一方的かつ急速に進められて既成事実が固められつつあること。
第2に、同国が国連安保理事会で拒否権を持つこと。
第3に、経済不振に悩む日本や米国をはじめとする各国の中国市場への依存度が高まっていることが挙げられる。
以上述べた現実を踏まえれば、我が国安全保障上の課題(焦眉の急務)は中国の東南アジア、西太平洋およびインド洋における行動をいかにして抑制し、我が国にとって望ましい情勢を実現していくかについて現実的な(独りよがりではない)対策を早急に確立することであり、それに向けた今後の防衛戦略あるいは防衛大綱の見直しのポイントは次のようなものとなろう。
より強固な日米同盟体制の確立(国家のソフトウエアの速やかな改善)
中国の行動を抑制するため考え得る現実的な方策は、価値観を共有できる部分がより多く、領土拡大の野心がない(中国、ロシアはその意思が明白)強国・核大国である米国との同盟関係をより強固なものとするほかにない。
日米の同盟はいわゆるアジアの公共財と言われており、その強化は韓国、東南アジア諸国あるいはインドなどから反発を招くものではない。
強化の方策としては、まず我が国の外交安全保障に関わるソフトウエアを速やかに改善することであろう。
憲法改正は相当な困難を伴い速やかにできるものではないが、昨年「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」から提言された事項の速やかな実施が必要だ。
特に米国への過度の依存を避けまたは米国の負担を軽減するため、あるいは外交安全保障上の発言力確保、さらには米国の核抑止力の信頼性確保の観点からも、集団的自衛権に関する憲法解釈の変更、基盤的防衛力構想の破棄、武器輸出三原則の見直し、非核三原則の見直しは速やかに実施する必要がある。
中国に対する米国の安全保障面での対応のぶれを極限するためにも、信頼できる米国の友邦として積極的に行動できるように、我が国が国家のソフトウエアを早く改善することが必要だ。
海空重視の防衛力強化と防衛予算の増額!
平成15(2003)年度以降我が国の防衛予算は減り始め、平成17(2005)年に策定した現防衛計画の大綱で冷戦型の対機甲戦、対潜戦、対航空進攻を重視した防衛力整備構想を転換し「本格的な侵略事態に備える装備・要員について、抜本的に見直し縮減を図る」として予算削減を継続させてきた。
一方で、国際的な安全保障環境の改善のための主体的・積極的な取り組みが行われて現在に至っているが、この間、中国は先述の通り軍拡を急ピッチで進め、これに懸念を示すアジアの国は国防力の強化に努めている。
すなわち、我が政府が現防衛計画の大綱に示した判断は、中国の軍拡(高度な戦闘力強化)を見れば極めて独りよがりなものだったのは明らかだ。
今後、我が国は本格的な侵略事態に備える装備・要員の縮減という愚策を直ちにとりやめ、中国が我が国に指向できるミサイルに対する防禦力および中国の海空軍に対する戦闘力強化のため、海空に重点を置いた装備の充実を図り、米海空軍の前方展開部隊と一体になって、あるいは離島の防衛などについては独力で中国の行動を抑止あるいは拒否出来る装備の充実を図らなければならない。
原子力潜水艦の保有(6~9隻保有すれば常時展開できる隻数2~3隻。原潜は海南島基地から西太平洋やインド洋に展開する中国の空母、原潜に戦略的に対応する場合、非核動力型潜水艦など比較にならない能力を有する)や巡航ミサイル(反撃力)の導入などを決心すべきであろう。
なお周辺海域のみならず我が国のシーレーンに関係する海域の安定に資するため、当該海域に艦艇を常時展開できる態勢を維持できるよう、護衛艦の増勢(47隻から約55隻へ)も必要だ。航空自衛隊戦闘機の第5世代化(艦載可能な機種の導入を含む)も急がなければならない。
その他の重要事項!
我が重要施設に対するテロやサイバー攻撃に対する対処能力のほかに、自前の情報収集・通信能力強化のため、衛星の必要数確保(C4ISR態勢充実の一環)なども急がなければならない。
また自衛隊に平時から領域警備や排他的経済水域の海上権益防護任務を付与する、あるいは各自衛隊に国際法に則った平時のROE(交戦規則)を示しておくことも重要だ。
これらの施策実現のためには当然防衛費の相当な増額が必要となるが、いわゆるバラマキと言われるように「ただ国民の目先の安逸に応えるだけの、国家の将来を損なうような予算」を使うことをやめればできないことはない。
次期中期防衛力整備計画(5年間)においては、少々荒っぽく、また為替レートの変動や第5世代戦闘機の調達可能時期にも影響されるが、まずは、平成17(2005)年策定中期防の当初計画経費24兆2400億円(見直し後23兆6400億円)プラス5000億~6000億円程度(中期防経費はいずれも平成21年度防衛白書による。ちなみに平成13年度策定の中期防経費は平成12年度価格で25兆100億円)の経費を確保すべきではなかろうか。
当然ながら、この際避けて通れないのが、そのほかの各自衛隊の装備がどれだけ必要なのかという議論、特に現在規模の陸上自衛隊の装備が、国家防衛戦略上本当に必要なのか、という大所高所からの真剣な議論であろう。
なお、この議論において忘れてはならないのが、海・空自ともに、増強のためには定員増が不可欠なことだ。少子化の影響が今後も続くなど自衛隊のトータルな増員が困難な中で、陸自定員を海・空に回すという選択肢についても議論が必要となろう。
日本では内向きで独りよがりな空気が国内に充満しつつあるようだが、我々は今こそ、日本の将来を信じて究極の自己犠牲を受け入れ散華された英霊の想いに応えるべく、公のため国のために国民一人ひとりが義務や責任を果たすという強い精神を奮い起こし、日本人が日本人らしく生きていける国づくりに尽くさなければならないと思う。
このためには政治家が我が国のあるべき姿を明確に語らなければならない。政治家(STATESMEN)による、我が国の安全保障に関する強いリーダーシップの発揮が、現在ほどに必要とされる状況は、戦後かつてなかったように感じる。
1、ニアショア(near shore)開発: 言葉・文化の近い近隣の国でのソフトウェア開発。日本では、「国内地方(都市)でのソフトウェア開発」という意味合いとなっているようです。
2、オフショア(off shore)開発: 言葉・文化の違う外国でのソフトウェア開発。
http://www.socnet.jp/service/nearshore.html
3、新潟県十日町市はソフトウェア産業の基地。地域と首都圏のソフトウェア開発業務を多数引き受けています。
十日町地域ソフトウェア産業協議会
http://tokamachi-softkyo.com/
海外流出したシステム開発を国内に取り戻せ!
2010.10.12(Tue)JBプレス乘浜誠二
システム開発を中国やインドなどの開発会社に委託する「オフショア開発」。IT業界ですっかり定着した開発手法である。だが、私は海外に流出したシステム開発を国内に取り戻し、地域活性化につなげられないかと考えている。
システム開発を国内の遠隔地に発注することを「ニアショア開発」と呼ぶ。ニアショア開発は2008年頃からIT業界で徐々に行われるようになってきた。しかし、地域の複数のソフト開発会社が力を合わせ、地域活性化につなげようという動きはまだ見られない。
ある大手システム開発会社が私の考えに賛同してくれ、一緒に活動を始めることになった。まずは、私の出身地である鹿児島県のソフトウエア会社、数十社に呼びかけてコンソーシアムを結成する予定だ。
地方で低下しているエンジニアの人月単価 !
日本のソフトウエア開発会社(特に地方の会社)の多くは、「中小企業緊急雇用安定助成金」の適用を受け、何とか生き長らえているというのが現状ではないだろうか。この助成金制度がなくなったらどうなるのか? 考えただけでもゾッとするという経営者は多いはずである。
先日、鹿児島でソフトウエア会社の社長をしている友人に会い、プログラマーの人月単価が35万円ぐらいまで下がってきているという話を聞いた。これは、中国の海岸沿いのソフト開発会社の受注金額(プロジェクトマネジャーからプログラマーまでの平均単価)とほぼ同一である。
情報処理推進機構(IPA)の『IT人材白書2010』によると、日本のシステム開発会社がオフショア開発で海外に発注した金額は年間で約1000億円とほぼ横ばいで推移している。この開発費用が地方に流れれば、どれだけ地域が活性化されることか。
オフショア開発が進んだ最大の理由は、日本国内の開発コストの高さであった。加えて国内で人材が不足しているという理由もある。
そうした事情もあって、オフショア開発事例の多くは大規模なシステム開発に関わるものだ。1001人月以上の大規模なシステム開発は、70%のプロジェクトでオフショア開発を活用している。一方、それ以下(300~1000人月以下)のプロジェクトになると、28.3%と大きくダウンする。
大規模開発ならばオフショアは効果があるだろう。だが、それ以下の開発は国内でやった方がコスト面、効率面など様々な面でメリットが大きい。
オフショア開発で発生する様々な問題!
大手開発会社の社長に聞くと、実はオフショアでの「失敗」は珍しいことではない(ただし、プロジェクトが失敗したという事実は、口が裂けても言えないという)。
オフショア開発の問題点としては、主に以下のようなことが挙げられる。
(1)最後までコミュニケーションが取れない
日本人同士でも用語の解釈が異なったり、仕様書の読み込み不足などで問題が起きる。母国語が違うエンジニア同士が仕事をするのだから、詳細設計以降でも問題が起きないはずがない。
(2)文化の違い、商慣習の違いを埋められない
時間管理を含め、勤務姿勢や品質向上への取り組み方が大きく違っている。また、商慣習などが違うため、仕様を理解してもらえないこともよくある。現地のエンジニアが自分の判断で独自に構築してしまい、後になってから問題が発覚する。
(3)セキュリティーや情報管理(知的財産含む)に問題がある
発注先の海外のエンジニアは、ネット上で誰かが公開したソースコードを拾ってきてコピーして使っていたり、また、自分が書いたソースコードをネット上に公開したりするなど、著作権の意識が欠けている(悪いことをしているという認識がない)ことが多い。
(4)受託会社がノウハウや技術を蓄積しない
要件定義・基本設計のノウハウは発注会社に蓄積されるが、プログラミングのノウハウは受託会社に蓄積される。国内の気の利いた会社であればソースコードを部品化して、次回の類似した開発でその部品を使い、飛躍的に開発のスピードを上げるだろう。発注元にとってもメリットは大きい。だが、オフショア開発の受託会社は、ソースコードを部品化して再利用しようという姿勢に欠ける。
(5)規約を無視したコーディングを行う場合がある
システムの保守を行うのは、開発を受託した会社ではなく、基本的に発注元の会社である(保守は、いい定期収入になる)。問題は、受託会社がコーディング規約(プログラム手順)を無視して開発している場合だ。発注元は、いざ保守が始まった時に、そうしたソースコードの解読に大変な思いをすることがある。
ニアショア開発でシステム構築費用を抑えよ!
オフショアの開発費用は、いくらぐらいなのだろうか? 現在は日本を100とすると、韓国が80、インドが50、中国が30、ベトナムが20ぐらいではないか。だとすると、前述したように国内の地方での開発が中国並みの30に近いのであれば、その部分だけでも国内でできるはずだ。
その際は、開発方法論(メソドロジー)や開発手順書、各種成果物サンプル、各種定義事項、品質管理とテストの方法、ユーザー教育方法、導入支援方法などをすべてマニュアル化して、ソフトウエア会社と共有する(著作権も)。
地方のIT業界の空洞化を防ぐためにも、一刻も早くシステム開発の国内回帰を進めなければならない。また、私が何よりも危惧しているのは、例えば10年後にシステムの寿命が来て再構築する時に、「メイド・イン・ジャパン」ではないために苦労する会社が相当出てくるのではないかということだ。
オフショア開発では、納品時にすでにプログラムが継ぎはぎ状態になっていて、発注企業には解読不能なコードになっているケースが散見される。システム自体は動いても、再構築する時になって、高額な開発費に驚くことだろう。
将来的にシステム開発費用を抑えるカギの1つが、地方を巻き込んで「オール・メイド・イン・ジャパン」のシステムをつくることなのである。
■当局放任/日本はビデオ公開及び腰
沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で、海上保安庁が撮影したビデオ映像の公開を日本政府が先延ばし続けるなか、中国国営通信社や共産党系のインターネットサイトで、海保の巡視船側が中国漁船に衝突したとする図などが掲載されている実態が10日、明らかになった。日中首脳会談が4日に行われたにもかかわらず、中国当局も放任を続けており、中国政府の一方的な主張が“既成事実化”する恐れも強まっている。(原川貴郎)
中国共産党機関紙、人民日報傘下の国際情報紙「環球時報」は、衝突事件の“実態”について、日本の巡視船の方から中国漁船に衝突したとする説明図を掲載してきた。中国政府の「日本の巡視船は中国の領海で中国漁船を囲み、追いかけ、行く手を遮り、衝突して損傷させた」(姜瑜・中国外務省報道官)との主張に沿ったものだ。
「(中国漁船が)巡視船に体当たりした悪質な事案で逮捕は当然」(前原誠司外相)とする日本側の説明とはまったく異なる。
1日ごろから同紙のサイトからはこの図はなくなったが、今も国営新華社通信のサイトのほか、中国の大手ポータルサイト「新浪」の衝突事件特集サイトなど、中国ネット空間のあちこちに氾濫(はんらん)している。
環球時報は9月23日から10月6日まで尖閣諸島周辺海域で活動した中国の漁業監視船2隻に記者を同行させた。記者らは次のようなリポートを送ってきた。
「われわれの船は日本側の封鎖を突破し赤尾嶼(日本名・大正島)海域への歴史的な航行に成功した」
また、インターネット上の同紙のサイトでは、「中国人が1年間、日本製品を買わなければ日本はすぐ破産する」「日本はすべて中国の領土だ!」などの過激な書き込みが今も続く。
9日夕から同紙のサイトは無料のオンラインゲーム「防衛釣魚島(尖閣諸島の中国名)」を登場させた。中国漁船を操って、日本の「軍艦」に「靴」を投げ尖閣諸島へ航行、日の丸が掲揚された灯台を倒し、中国国旗を翻せば「任務完了」-という内容だ。同サイトは「国家防衛の危険と挑戦が体験でき使命達成の快感と栄誉も得ることできる」とプレーを呼びかける。
視覚に訴える中国側の主張を打ち消すためにもビデオ映像の公開が有効だが、ためらう日本側を尻目に、中国のインターネット空間では事実に即しない一方的な主張や「悪のり」が続くかもしれない。
【軍事情勢】「粛々」と「冷静」に滅ぶ国家!
語感・行間が醸し出す日本語の精緻(せいち)な機微は、外国人泣かせではあるが、使いこなせる真(まこと)の日本人には、それはそれで趣があり、日本社会の中でも重要な役割を果たしてきた。だが、時としてその種の“日本語”は「逃げ口上」に利用されるから要注意。沖縄県・尖閣(せんかく)諸島付近で中国漁船が海上保安庁の巡視船に故意に衝突、船長を逮捕しながら釈放した事件でも「粛々」「冷静」など“慣用語”の大安売りが、民主党政権の見苦しい言い訳に大いに貢献した。
■「イラ菅」返上?
海保も所管する馬淵澄夫国土交通相(50)は9月24日午前、記者会見で「国内法にのっとり粛々と対応することに変わりはない。毅然(きぜん)とすべきだ」と語った。当然の発言ではあったが、頼もしかった。ところが、船長釈放決定の24日夕には「検察の判断」に責任を転嫁し、政治責任には言及していない。前原誠司外相(48)も「粛々」を連発した。釈放後ですら「もし同様の事案が起きれば、また同じような対応を粛々とすることに尽きる」とまで断言しており、かなり「粛々」好みのようだ。「検察が判断したことについては、政府の一つの機関が決めたことだから、われわれ(閣僚)はその対応に従う」と前置きしているから、閣僚の制度上の姿勢に言及したのだろうが、実態は「同種事件が起きたら、また粛々と釈放する」と宣言したに等しい。
一方、「冷静」派も多かった。その筆頭格は、菅直人首相(64)。「冷静に努力していくことが必要」などと、およそ「イラ菅」の異名にふさわしからぬ発言に終始している。 日本語の“奥の深さ”は「粛々」「冷静」にとどまらない。「大局的」「総合的」という便利な言葉も多投された。「戦略的互恵関係を構築するについて、刑事事件の処理とは別に、何が良くて、何が悪いかというのは別途、われわれが考えるべき大局的な政治判断が必要だ」(仙谷(せんごく)由人(よしと)官房長官)、「総合的に判断するということは、現行制度上ありうる」(岡田克也幹事長)といった具合だ。
いうなれば、民主党政権は「粛々」と「冷静」に、そして「大局的」かつ「総合的」に、中国の武威と経済・文化上の恫喝(どうかつ)に屈したのである。
■超大物「第4列の男」
民主党の議員とその秘書、党職員には左翼(反代々木)系市民活動家がウヨウヨいるが、公安筋によると、超大物の国会議員は学生時代「第4列の男」としてマークされていたのだそうだ。「アンポ反対」デモの際、警察・機動隊は第1列から3列目までを指導・煽動(せんどう)者とみなし検挙することが多かった。ところが、その超大物は「いつも第4列に陣取り、検挙を免れていた悪賢い卑怯者(ひきょうもの)であった」そうだ。かつては、国家・公共施設を破壊して痛痒(つうよう)を感じぬ、国家観なき地球市民にとって「粛々」と「冷静」に、そして「大局的」かつ「総合的」に、中国の武威と経済・文化上の恫喝に屈することなど、国辱とは考えられぬのであろう。
同じ左翼でも“代々木(共産党)系”は今回に限って論ずれば筋が通っていた。志位(しい)和夫委員長(56)は「国民に納得のいく説明を強く求める。領有権について歴史的にも国際法的にも明確な根拠があることを明らかにする積極的な活動が必要だ」と明言したのだ。主義・思想が違っても外交・安全保障政策は志を一にするべきだ。
■中国並みの厚顔無恥
ところで、民主党の厚顔無恥は中国並みといえる。釈放をはさんだ外遊先のニューヨーク・国連本部における菅首相の「放言」が、それを実証している。まず、安保理事会では「戦争や紛争・災害によって破壊された市民生活を再生することが、真の平和につながる」。続いて、小島嶼(とうしょ)国開発ハイレベル会合で、災害や地球温暖化に苦しむ小島嶼国家の「力強いサポーターであり続ける」と宣言。総会では、常任理事国入りへの決意表明を行った。
自らが主権を侵され「市民の平和」を脅かされているのに、どうし国際社会の「真の平和」を守れるのか。自国領の無人島すら守れない国家指導者が、小島嶼国の「力強いサポーター」とは片腹痛い。さらに、常任理事国はすべて軍事大国で、常任理事会は「軍議の場」でもある。軍事的制裁力を持たぬ「唯一の被爆国」という立場では「国際社会の平和と安全のため責任を果たす」(菅首相)ことなど、不可能だと言っておく。
「原理主義者」だったはずの岡田幹事長も厚顔無恥になったのだから、中国の「圧力」とは実(げ)に恐ろしい。
「まるで、中国から言われたから判断を曲げたような、そういうふうに理解をされたとしたら、それはまさしく国益を損なうことだ」
「理解をされたとしたら」などと、まるでそうではないような言い回しだが、国民の大多数は「中国の多方面にわたる圧力に脅えて判断を曲げた」と確信している。そして、間違いなく「国益は損なわれた」。(九州総局長 野口裕之)
韓国から学べ! 「センカク」問題!
ソウルからヨボセヨ
尖閣諸島問題で韓国が微妙だ。ニュースは相当大きく報道され、中国警戒論が強調されている。韓国哨戒艦撃沈事件や関連の米韓合同演習に対する中国の親北・反韓的な姿勢もあって、このところ韓国世論の対中感情はよくない。
ただ同じ“領土問題”である日本との竹島(韓国名・独島)問題には触れないようえらく気を使っている。マスコミには竹島問題は一切、登場していないし日本批判もない。「日韓には領土問題は存在しない」という彼らの立場からあえて触れないのだ。
今回、日本発のニュースが多かったこともあり、島の名称もマスコミでは中国名の「釣魚島」より日本名の「センカク」を多く使っていた。「日本が実効支配するセンカク諸島」という報道も結構あった。日本は竹島を韓国に“取られた”教訓を尖閣に生かさなければならない。たとえば韓国のテレビは日本と違って、毎時の天気予報で必ず「鬱陵島・独島地方は…」と地図入りで領有を誇示してきた。
今、沖縄のトランスオーシャン航空(旧南西航空)をはじめ日本の航空会社は機内地図に尖閣諸島をちゃんと入れているか。NHKや沖縄のテレビは天気予報で毎時「与那国・尖閣地方は…」と放送しているか。こんなことからやらないと尖閣も取られてしまう。(黒田勝弘)
「オスロの仇はどこで討つ」「教える教育」「世界一の格差大国」
2010.10.09(Sat)JBプレス 川嶋諭
それは尖閣諸島で中国人船長が逮捕された以上の衝撃だったに違いない。約20年前の天安門事件で有名になった中国人の活動家、現在懲役11年の刑で服役中の劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞してしまったことである。
ノーベル平和賞に中国政府が激しく反発!
劉氏の受賞の可能性が数週間前に伝わるや、中国国内では「ノーベル賞」というキーワードでの検索に何も結果が出てこないようになったという。
そして、受賞が伝えられると米CNNの中国からの全世界への生中継は突然回線が切れてしまった。
また中国政府は早速、「今回の受賞はアルフレッド・ノーベルを冒涜するものだ」という声明を出し、ノルウェーと中国は深刻な関係に陥るとの脅しまでしてみせた。
JBpressの中国コラムニストである宮家邦彦さんの言葉を借りれば、「中国が最も大切とする面子が丸潰れになってしまった」わけで、当然と言えば当然の対応だろう。
宮家さんの最新記事「江戸の仇は長崎で討て、これぞ中国流」でも、中国の行動原理は「面子」にあることがよく分かる。
日中間だけだと、「中国の面子を日本がきちんと理解して対応しないといけない」というような日本の責任論になってしまいがちだが、世界からすれば、「中国が異常」と映っていることになる。
それでも外交上手の中国は、国際会議が相次ぎG7も開催されるタイミングでギリシャの支援をしてみたかと思えば、イタリアにも投資の約束をするなど、いわゆる「微笑み外交」に余念がなかった。
しかし、そうした外交も、唯我独尊の真の姿が見えるようになっては、世界からは警戒を持ってしか対応されなくなっている。宮家さんの「江戸の仇は長崎で討て、これぞ中国流」の記事で紹介されているように、中国の微笑みは化けの皮であることを自ら証明しているからだ。
2007年にフランスのニコラ・サルコジ大統領は中国を訪れ、胡錦濤国家主席との間で原子力発電関連で300億ドルにも及ぶ大商談をまとめた。世界最大の原子力産業グループであるフランスのアレヴァはこの商談に沸き立った。
しかし、そんな喜びも束の間。この商談が中国の思い通りに運びそうがないと判断すると、アレヴァに国家機密の情報を流したとしてアレヴァと取引関係にあるハイテク技術の輸出入を統括する会社の前社長を逮捕してしまう。
鄧小平の訓戒を忘れた中国!
また英豪系資源大手、リオ・ティントへ中国の出資がかなわないことに対しては、同社の中国子会社の社員をやはり国家機密漏洩の罪で逮捕し懲役刑を言い渡したことも記憶に新しい。
中国が世界第2位の経済大国になった自信が背景にはあるのだろうが、最近の中国は現在の躍進の原動力となった故・鄧小平氏の訓戒を全く忘れてしまったようである。
この訓戒については、8月の宮家さんの記事「中国の軍拡に参った? 強硬論後退の米政府」でも書いているが、谷口智彦さんの「インド人の見る尖閣問題」の中でも改めて指摘されている。
その訓戒の最後のくだり、「目立たぬよう努め、先頭に立つことを目指すべからず」というところは、中国指導者やインテリたちがつい最近まで、口を開くと自国の方針であるとして繰り返し強調していたものだと谷口さんは書いている。
しかし、リーマンショックを機に中国はこの訓戒を破るようになったと言うのである。その点に関しては、英フィナンシャル・タイムズ紙が「9.11より9.15の方が世界を変えた理由」の中でも指摘している。
リーマンショックで中国に勢いづかせてしまったことは、アフガニスタンやイラクでの戦争よりも世界を大きく変えたというものだ。
チベットに世界最大のダムを造り水のコントロール狙う!
そして本性をむき出しにし始めた中国に対し、世界各国は警戒の念を強めている。とりわけ中国と陸を接する国はそれが著しい。
谷口さんの「インド人の見る尖閣問題」では、中国の圧力を受けて警戒を強めるインドの姿が浮き彫りになっている。
この記事の中でとりわけ驚かされるのは、中国がチベットに建設を計画しているという貯水ダムの話。世界最大と言われる三峡ダムの数倍の規模に達するダムをよりによってチベットの高地に建設するのだという。
目的は中国の治水だが、インドはその言葉を信用していないという。ヒマラヤの分水嶺を越えて中国側だけではなくインド洋に注ぐ水まで中国が支配しようとしていると危機感を募らせているのだ。
インドと抗争を抱えるパキスタンに対する原子力発電設備などの活発な支援もインドを刺激する。
中国を取り囲む国々との連携を目指せ!
今回の尖閣諸島問題で、ようやく多くの日本人が眉をひそめて中国を見るようになった日本と異なり、インドは中国の脅威に早くから気づき、既に本格的な手を打ち始めている。
例えば、この記事では、核武装を目指そうとしているこれまた中国と西沙諸島、南沙諸島の領土問題を抱えるベトナムに、インドは核技術を供与することすら考えているという。
尖閣諸島を取られないために、そして武力衝突を絶対に避けるために、日本の外交力が問われている。その際、インドやベトナムなどのように中国を取り囲んでいる国に対して、FTAなどを通して非常に親密な関係を築くことがまず必要ではないだろうか。
世界第2位の経済大国になった中国は、為替操作も世界経済にとって看過できない大きな問題になっている。その責任論を皮肉たっぷりに紹介しているのがFT紙の看板記者が書いたこの記事「どでかいことは中国の助けにも妨げにもなる」である。
中国は13億人という世界最大の人口を抱える超大国であるがゆえに、「購買力平価ベースで見ても、1人当たりの国民所得が米国のたった7分の1に過ぎない時に、米議会の怒りを買っている」とFT紙のデビッド・ピリング氏は書いている。
中国元の問題は米国よりも日本の方が被害が大きい!
国のサイズが日本と同じぐらいだったら、まだ誰も気づかなかっただろうに、お可愛そうなことである、というわけだ。
しかし大きいがゆえに、まだ国民所得が米国の7分の1の段階でも世界に大きな影響を与えるわけで、とりわけ日本にとっては深刻な問題である。
日本はどういうわけか、守ることばかりに熱心で、中国や韓国の為替操作に対して強く発言してこなかったが、実は米国よりももっと強く主張しなければならないはずだ。
製造業がとっくに空洞化してしまった米国は、実は中国の元が安いことはデメリットもある反面、メリットも大きい。中国から安い日用品を調達できるからである。中国と米国は補完関係が出来上がっているのだ。
それは、先端のグリーンエネルギー分野にも言える。この分野で日本の遅れを指摘するこの記事「大躍進する中国、投融資額では世界を圧倒」の中に次の一節がある。
グリーンエネルギー分野で中国と米国は手を結ぶ!
「米国ベンチャーキャピタルのほとんどが、中国に製造拠点を持っていない、もしくは、持つ計画のない太陽光ベンチャー企業には出資しないと公言しています」
つまり、企画と事業プランは米国の役割、製造は中国の役割と割り切って世界戦略を描いている。米国が戦略的な分野に掲げているグリーンエネルギー分野で、初めから中国で安く製造することが条件になっているのである。
日本ももちろん中国と補完関係にあるとはいえ、米国よりは競合する分野が圧倒的に多い。そうした中で中国の為替政策に対する批判を米国任せにしているのは日本の国を守るという意味でも、非難されてしかるべきではないか。
国を守るということは、軍事力だけの問題ではない。外交しかり、通貨政策しかりである。小沢問題で国会は紛糾の様相を呈しているが、どうもピンボケな議論に血道を上げているようにしか見えないのは私だけであろうか。
さて、秋が深まり始め、日本では大学3年生が本格的な就活をスタートさせている。大手の就職情報誌が開く就職セミナーは、募集と同時にほぼ満席になるという。それほど大学生の就職は厳しいようである。
「教え」を経験することの重要性!
そんな時に、何と能天気なと就活戦線まっしぐらの学生から批判を受けそうな記事がこれ「大学生よ、就活の前に中学校を目指せ!」だ。米国でLFA(Learning for America)という人気のプログラムが登場、その日本版が日本でも始まったというものである。
LFAとは、全米の優秀な大学生が卒業と同時に2年間、教育格差の激しい地域で子供たちの教育サポートをするというもの。これまで学び一辺倒だった学生が「教える」側に回ることによって、さらに自分に磨きがかかるというアイデアだ。
もちろん、教育現場としても大学を卒業したばかりの優秀で意欲的な人材によるサポートは大変にありがたい。米国ではこうした活動に大企業が資金面などでバックアップ、2年間の教育を経験した“学生”たちは、有力企業へ就職していく。
せっかく大学を卒業したのに2年間も回り道させることはないとの批判は当然あるだろう。しかし、MBAなどの大学院コースで専門性を学ぶことも大切な一方で、人を教えるという経験も長い人生の中ではかなり大切なのではないかと思う。
学教育で専門性が重視される米国では大学でジェネラリストを養成しがちな日本と違って、むしろそうした効果がかなり期待されているのかもしれない。
昔に比べて現代の大学生は教えるチャンスが減った?
いずれにせよ、専門的な大学院に進むのも1つの選択肢であり、教育現場を経験するのも1つの選択肢。米国らしいダイバーシティーということだろう。
実は教えることの効用は日本でも実際に取り入れられてきた。例えば、理系の学生の多くが進む大学院の修士課程。ここでは大学時代よりも専門的な学問を学ぶのがもちろん目的だが、その一方で、学部の学生を教えるという役割も期待されている。
はるか昔の自分のことで恐縮だが、我が大学院生時代を振り返っても、4年生と一緒に過ごした経験が最も貴重だった気がする。今はどうなっているか知らないが、クラブ活動などとは全く別のリーダーシップも要求された。
今は予備校や塾が産業として洗練されてきたこともあり、大学生や大学院生が塾で教える機会は減ってしまったようである。そう考えると、アルバイトのためとはいえ、塾の授業で使うガリ版のテキストを毎回毎回、知恵を絞って作っていたことが懐かしくもあり、また良い経験だったと思い起こされる。
大学を出て2年間の“回り道”もまんざら悪いことではないのではないかと思う。さらに言えば、大学生や大学を出たばかりの社会人1年生だけでなく、社会で様々な経験を積んだ社会人が教育現場でボランティア活動ができる機会も作るべきではないだろうか。それも出身地で。
社会人も入れて日本の各地域が教育を競おう!
自分の故郷の教育に貢献したい、そして地域の活性化に役立ちたいと“故郷に錦を飾る”社会人が増えてくれば、競争原理も働き、職業としての教育者とは別のメリットをもたらすことは間違いないからだ。
国や地域、そして企業がそうした活動を支援する仕組みを作れば、地方や地域が教育水準(有名大学に進学する学生の数を競うというようなことではなく)の高さを競うことにもつながり、教育現場は大きく変わるのではないかと思う。
今週は比較的面白い記事が多かったので、長くなるが次の記事も紹介したい。「日本は世界最悪の格差社会である」だ。
民主党は子ども手当てが、子育て負担に悩む若い人たちを支援する非常に重要な政策であるという。確かに、ないよりはマシなのかもしれない。
しかし、ちょっと意地悪く見ると次のように言えなくもない。
民主党は、投票所に必ず足を運ぶ中高年は票を集めるために最も大切にしている。従って、中高年からそっぽを向かれるような大胆な改革はしたくない。とはいえ、若者から不人気なのは困るし、中高年の間にも少子高齢化対策を求める人たちがいる。
子ども手当ては八方美人政策!
そこで、出てきたのが「子ども手当て」というわけだ。日本を本格的に改革するには年金制度そのものを変えなければならないが、それでは中高年が黙っていない。そこで、子ども手当てで若者たちの支援もしますよ、というポーズを見せようというわけだ。
だとすれば、全くもって八方美人的政策で恐れ入ってしまうが、実は、こうした改革を先延ばしする政策は日本の格差をさらに拡大させてしまい、取り返しのつかない結末を招く危険性がある。
この記事の筆者の試算では、現在の60代以上と20代では、年金の負担と受給額の格差が実に8000万円にも達しているという。恐らく、これから生まれてこようとしている世代と比べれば、1億円を超える差になるだろう。
これはいったいどういうことか。これから何も知らずに生まれてくる人たちは、60代以上の人たちに比べて、生まれた時点で1億円もの格差をつけられていることになる。
声の発せないか弱い者に負担を押し付けるこんな国を民主主義国家と呼んでいいのだろうか。中国を非民主主義国家だと非難できるような状況ではないだろう。
やっぱり立ち上がってほしい小泉進次郎!
国の政策とは、その時々で国民に良い顔をすることではない。しっかりと将来を見据えて、日本という国が永遠に繁栄していけるように手を打っていくことである。とりわけ、少子高齢化の勢いが激しい現在のような時には、日本の将来を見据えて国民に厳しい政策を取らなければならない。
もしそれが日本の政治家にはできないというのであれば、次善の策として選挙制度を変えていかなければならないだろう。選挙権のない20代以前の人たちの権利を守るために、例えば年金の受給と同時に何らかの方法で選挙権を制限するような仕組みが必要ではないか。
しかし、そうした仕組みを作るにしても政治家に頼まなければならない。だとすれば、何はともあれ、若者が立ち上がらないことには改革は進まない。
前に「日本が目指すべきは、大国かそれとも小国か」で、自民党の小泉進次郎氏に期待すると書いたが、ぜひ小泉氏には若者を投票所に引っ張り出してもらいたいものである。
若者が立ち上がれば、確実に選挙は変わる。そのことはこの記事「与党を惨敗に追い込んだ韓国の若者パワー」がお隣の国、韓国の例として示している。
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