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鎖国せよ日本、誠実な国アメリカ、仙谷さんのお話

2010.12.18(Sat)JBプレス川嶋諭

中国韓国が思いっ切り国際化へ邁進している一方で、日本は海外より国内志向を強めている。とりわけ若い世代は内向きで、国際化どころか、東京など大都会へ出てくる意欲も見せず地元志向なのだという。

中国、韓国の勢いに比べて日本は何たる・・・

こうした傾向を「いかん、いかん。日本をガラパゴスにしてはいかん」と、中年過ぎの大人たちは私を含めて異口同音に危機感を口にしてきた。

 確かに、お隣の国々の勢いには目を見張るものがある。

 その姿はいくつもの記事で紹介してきた。例えば、「韓国に絶対勝てない日本、理由は教育にあり」「成長戦略でもたつく日本、素早い韓国の後塵拝す」「中国で人気を博すディズニーの学校」など。

 しかし、この記事「現代日本の繁栄は、江戸時代の鎖国に源流あり」を読むと、全く別の視点が見えてくる。何だか胸の奥に潜んでいたもやもやが晴れたようにさえ感じる。

 江戸時代の鎖国政策には、これまでプラス面とマイナス面の両方が盛んに議論されてきたが、この記事のプラス論にはとりわけ納得させられるものがある。

 江戸時代、鎖国政策は取りながらも、実のところはオランダとの交易は続けていたのは周知の通り。

 当時のオランダは宗教的にはプロテスタントであり、宗教的制約だらけになっていたカトリック国とは違い、自由な環境で科学技術が急速に進んでいた国の1つだった。

 日本は錆びついた伝統に縛られていた国々からの影響をシャットアウトする一方、当時の最先端の国とは付き合いを深めていた。

錆びついたシステムから隔絶することも成長の条件!

 その蓄積があるからこそ、明治維新後に画期的な成長を遂げることができた、というのである。

 ならば、日本のトップマネジメントにリーダー不在で指針が示せない現状では、どうせ決めても後で二転三転する政策はやめて、時の流れに身を任せるのも面白いかもしれない。

 若者たちが田舎にいたいのであれば、それは良いではないか。海外に行きたくないのであれば、それも良いではないか。ガラパゴスの何が悪い。“鎖国”の何がいけない。

12月16日、JBpressがメディアパートナーになっているエコノミスト・コンファレンス「ジャパン・サミット2010」が東京で開催された。ここでも国際社会からの引きこもりを強める日本の問題点がさんざん議論されていた。

新しい鎖国時代に突入した日本!

英エコノミスト誌のヘンリー・トリックス東京支局長は「日本は新たな鎖国状態に入った(Japan is in a state of “neo-Sakoku”)」とまで表現した。

 確かに、オープンイノベーションの必要性など、国境を越えたネットワークが新たな革新を生み出すことは分かっている。しかし、無理して頑張っても、国全体や当事者の意志が弱い中では、ぎらぎらと目を輝かせているお隣の国々には勝てそうもない。

 一番手を目指すのはムダであると、政権与党の政治家が言う国である。でも二番手どころか三番手、四番手になれるかも怪しい努力をしたところで、メリットは全くない。それこそムダな努力の極致であろう。

 ならば、ここは一度身を引いて、“鎖国して”、日本の行く末を長い目でしっかりと見極め直す時期なのかもしれない。伊東乾さんの記事はそんな示唆を与えてくれている気がする。

 東京を目指さず、地方に若者が帰ったり留まれば、そこで何かが起きる可能性もある。江戸時代との最大の違いはITの普及である。日本中ほぼどこでも光ファイバーの高速回線でインターネットにつながる。

暇すぎることの効用もある!

 地方にいても世界中の情報に触れることができる。必要な情報はそこから取りながら、また日本が得意なITの技術を駆使して、地方の文化に合った面白い事業が生まれる可能性がある。若者のエネルギーとはそういうものだと思う。

 子供の教育では、親が指示を与えすぎるのはよくないと言われている。あれをやれ、これをやるべきだと強要しすぎては子供の自主性を押し殺してしまう。

 自分たちの子供時代を考えれば、暇をもてあましすぎていた時代がいかに大切だったことか。一心不乱に受験勉強に明け暮れていた時代もそれはそれで大切だった。

 でも、暇すぎて何をしていいか分からなかった時、父親の書棚から本をこっそり借りて読みふけったり、書店を回って人生に示唆を与えてくれる本を必死で探したりしていた頃もまた極めて大切だった。

 実際、最近は地方発の若い元気な企業が誕生し始めている。例えば、熊本県の松本農園は日本経済新聞やNHKも取り上げた元気な農業法人である。

ITを駆使して農業を徹底的に管理、ここで採れる新鮮で安全な野菜は高くても飛ぶように売れる。海外からの引き合いも強く、輸出を拡大しているという。日本は弱いとされてきたはずの農業が高い国際競争力を持つことができる格好の例だろう。

日本は世界有数の資源国、まだ何も開発していない!

 JBpressでは過去に非常に読まれたこの記事もあった「なぜか『勝ち組』若者が移住してくる離島」。何も韓国や中国がそうしているからと言って、海外ばかりに目を向けるのが能ではない。

 日本には北から南まで非常に長い海岸線があって風光明媚、海産物も豊富、気候も優れて水も美味しい。世界の地震の2割が集中していることのトレードオフとして素晴らしい温泉の数々がある。山林が多いとはいえ、農地としては世界有数の土壌を誇る。

 そうした世界にはあまりない資産が有効に活用されてきたとは決して言えない。今まで、東京を目指し、世界を目指しすぎてきたために、地方は置いてきぼりを食ってきた。若者が地方を選ぶなら、足元の優れた資産に必ず目を向けるはずである。

一方、都市部を中心に一部の若者たちは相変わらず世界を目指している。

 米国のハーバード大学などへの日本人留学生が減り、中国韓国からの留学生が爆発的に増えていると言われるが、日本人の学生に占める海外留学の割合が減っているわけではない。

 米国以外の国へ留学する学生が増えているだけなのだ。中国韓国米国偏重すぎるのである。AFPBはこんな記事を配信している。「中国版世界大学ランキング、米国勢が上位独占 欧州から批判も」。

極めて誠実な国へと変貌した米国

 日本の学生のダイバーシティーが増していると考えれば、日本を悲観する材料にはならないのではないか。地方に留まることもダイバーシティーの表れと言える。

 そう考えれば“第2の鎖国”に見える現在の日本は、新しい夜明けへ向かうための必要なステップなのかもしれない。

 さて、今週は海外の記事に読みごたえのある記事が多かった。例えば、この記事「米国はアサンジ氏に勲章を授けるべきだ」は、ウィキリークスによる米国の公電公開が、実は米国にとって害悪どころか、世界中に米国という国家の誠実さを示す結果になっているというもの。

 だから米国はジュリアン・アサンジ氏を目の敵にせず勲章を与えよというわけだ。記事では次のように書いている。

この2週間に公開された文書には、米国が悪意のある外交政策を展開したり二枚舌を使ったりした証拠がほとんど見られない。これには世界中の陰謀論者が深く落胆しているに違いない」

 「総じて見れば、ウィキリークスによる外交文書の暴露によって浮かび上がった米国の姿は好ましいものである」

 「この国の外交政策は筋が通っていて知的レベルも高く、実用主義に徹しているという印象だ。恐らく、それこそが最もしっかり守られていた秘密だったのだろう」

 米国は実は陰謀にまみれた手を次々と打っているんだぞという印象を世界中に抱いていてほしかったのに、誠実であることがバレてしまった。ポーカーフェイスの裏には実は何も隠されていないことを知られてしまった。

 これからは交渉相手を疑心暗鬼にさせることができなくなる、という点が最大の問題だというわけである。

金利上昇、世界経済は復活への軌道に乗った?

 世界的に金利が上昇し始めている。その点に関しては英フィナンシャル・タイムズ紙のこの記事「金利の上昇が吉報である理由」が明快な論を展開している。

 米国のQE2(量的緩和の第2弾)によって、米国債などの価値が下落し反作用として金利が上昇しているという危機を宣伝する人たちに向かって、筆者のマーチン・ウルフ氏は次のように述べている。

 「金利が上昇しているのは、恐慌の心理が和らいでいるからなのである。運が良ければ、景気回復は軌道に乗るだろう。バンザイ!」

 その根拠として、今まで低金利の状態が続いてきたのは「貯蓄の過剰というよりは、むしろ投資の不足である」と言う。

第2次世界大戦後の復興需要や米国の生産性に追いつくための投資需要が息切れしたために、GDPの水準が高い国の投資が急減したことが投資の不足をもたらした」

 「世界のGDPに対する投資の比率は1970年代には26.1%あったが、2002年には20.8%にとどまった」

 「それが今、新興国が経済発展を遂げることから、この流れは反転すると見て間違いないように思われる。また、高齢化の進展や大きな新興国での消費の拡大を受けて、世界全体の意図された貯蓄も減少する可能性が高そうだ」

 「そうなれば、貯蓄に対する需要はその供給に比べて増加し、実質金利は上昇することになるだろう」

 つまり、新興国が順調な経済成長を続けているおかげで、起こるべくして起きている金利の上昇であり歓迎すべきだと言うのである。

 だとすれば、日本経済にとってもありがたいことになるが、日本国債の金利上昇と価格低下は財政難に悩む日本政府にとっては、また1つ頭の痛い問題が恒常化することを意味する。

仙谷由人官房長官のお話をたっぷりどうぞ!

 さて、今週の3つ目のテーマは仙谷由人官房長官の講演をお送りしたいと思う。先週の週末版では名前を伏せて書いたものの、官房長官の発言を揶揄する部分があった。

 この点に関し、仙谷官房長官と懇意にされているある方から、「発言の言葉尻をとらえて批判するのは、ほかの新聞、雑誌、テレビと何ら変わらない。JBpressの意義がないではないか」とのご意見をいただいた。

 仙谷官房長官は日本を憂い、しっかりした日本の指針を持つ日本が誇るべきリーダーであるという。確かに、官房長官が様々なテーマにコメントするのを見たり聞いたりする機会は多いが、じっくりと政策を見聞きする機会は少なかったように思う。

 いずれ官房長官にはJBpressのインタビューに応じてもらいたいと思うが、今回、官房長官がエコノミストのコンファレンスで基調講演をされたので、まずはその内容をたっぷりお伝えしたいと思う。それではどうぞ。

 

仙谷 ザ・エコノミストのフォーラムにお招きいただきまして、誠に恐縮しております。何と言っても世界最高の経済誌でございますので、エコノミストに評価をいただけるかどうかは、世界中で菅直人政権がどのように評価を受けることになるんだろうと思っております。

 まず、私がかねがね考えておりましたことは皆さん方とそれほど変わるわけではありません。

 いま世界経済の中で営まれています市民社会というものを私なりに見ておりますと、アジア、中国をはじめASEAN東南アジア諸国連合)の極めてダイナミックな成長と先進国の悶え苦しみということが1つの特徴であると言えます。

 この現象のキーワードはグローバリゼーション、そしてそれを倍加させるITの発展になるんだろうと思います。

ケインジアンポリシーの有効性が消えた!

 従って1つは貿易のみならず情報が国境を越えるという事態は、国民経済という今までの思考の枠組みがどこまで有効なのか。

 つまり福祉国家、あるいはその中でのケインジアンポリシーの有効性というものが金融・経済の政策のごく当たり前な政策として考えられてきたわけですが、その有効性というものに限界があるのではないか、ということが現在、問われているわけであります。

 そして1930年代の恐慌というものはいわば、被雇用者の賃金の下方硬直性によって発生したと言われる学者の方がいますが、いま、先進諸国が悩んでいるのは、賃金の下方平準化、つまり賃金がどんどん下へ引っ張られてしまっているという現象だと思います。

 過去20年間の量的緩和、あるいはゼロ金利というものは、伝統的な経済政策ではこれほどのインフレ政策はないわけです。

 ところが、片や財政は昔であればとっくの昔に破綻の烙印を押されかねない財政負担、財政赤字の下で(金利上昇圧力があるはずなのに)、極めて異常な低金利に安定的に張り付いてしまっている。

 そのことが企業の利回りを規定するかのように、付加価値率の低い経済になってしまっている。そして名目成長がなかなか果たせないという状況に陥っているわけです。

しかし、考えてみますと、国境がなくなったことで、一般的な商品が極めて賃金の安いところで作られた製品が日本に持ち込まれるようになったわけです。そこに欧米の多国籍企業が資本と技術を提供している。

 (日本からも)ファーストリテイリング、ユニクロさんのような極めて優秀な技術を中国に提供して、そこで生産された製品を日本に輸出している。そして中国の次はバングラデシュに製造拠点を変えて、グラミン銀行と一緒になって日本に輸出をしようとまで考えている。


財政に肩代わりさせて企業が元気になった!

これは従来の世界大恐慌が発生した1930年の時の世界経済とは明らかに違う様相です。

 昨年の今頃の事態、欧米が何を言っていたか。私は世界経済の中で先進国経済の中で日本のみならず楽観はできないと認識しています。日本経済は、財政に巨大な肩代わりをさせてこの10年来ていますので、相対的に日本企業は金融を除いて元気であります。

 そのことが多分、為替レートにある種の表現がなされているのだと見ています。ただ、過剰流動性の中でどのように利益を取っていくのか、付加価値を作っていくのかというのは、先進国共通の課題であり悩みであると思います。

 約1年前、私はダボス会議に出席しました。この(エコノミスト・コンファレンスの)ような形で(米国のローレンス・)サマーズ(財務長官=当時)さんなどと一緒に議論させていただきました。その時の共通用語が出口戦略でした。

 つまり金融の面でも、リーマン・ショックから立て直すために大変な金融緩和をし財政出動をした。しかしながら、そろそろ出口戦略を実施しなければならないと、財政政策でも金融政策でも言われていたわけです。

 しかし、実態はどうであったか。この1年、財政・金融政策の出口戦略を採れる先進国は存在したのでしょうか。米国はQE2であります。それほど評判の良くないQE2でさらなる量的緩和をするという。

 そのことによって、日本の失われた10年、あるいは失われた20年と表現されるこのデフレの定常化に陥らないという恐れが消えたわけではありません。

 特に米国の最近の指標を見ておりますと、サービス業の世界までもが、賃金、あるいは製品の単価が下がっている状況ですので、欧米が出口戦略を採りづらい、あるいは採ると言える状況にはまだまだないわけです。


振り返って日本を考えてみますと我が国には、ある種有効に回されていない資金が大変に多く存在しています。

 企業には約200兆円の内部留保があり、あるいは、ゆうちょバンク(ゆうちょ銀行)、簡保(かんぽ生命保険)には私の計算では250兆円ほどの資金が、主として国債に投資されて存在しています。

 民間金融機関も国債に投資することを中心に(しているため)非常に低い金利の中で、その運用について悩んでおります。

女性の活用が遅れた、それが日本の最大の失敗!

さて、日本にはグリーンイノベーション、医療イノベーションと私たちが呼んでいる分野で高い要素技術があります。

 そして、日本の働く方々は、うまくエンカレッジされ活性化されると大変な力になるであろう、経済成長にとっても大きな力を発揮するであろう潜在力を持った人が存在します。

 つまり、それこそがこの20年間の日本における経済政策であり社会政策であり、人口政策でもなくてはならなかったわけですが、私はかねがね、日本が先進国の中でも、また途上国と比べてみても最大の失敗は、女性をしかるべく処遇できなかったことだと考えています。

 つまり、経営者、管理者のようなところにその能力にもかかわらず女性起用が極めて少ないということです。いろいろな資格、能力を持った女性がある年代から家庭に入ってしまわざるを得ないという状況があります。

 ただし、それはこれから政策を転換することでいくらでも活用させていただくことができる潜在力の1つであると言えます。

 私たちは、こういう状況の中で、新しい成長戦略を日本は採るべきだと言っています。先ほど言ったようにどこかに凍りついた資金を有効に回していくことができれば、日本の企業サイドももう少し元気が出て、そしてリスクを取った融資ができてくると思います。

 その際、マーケットを1国だけに考えない。アジア、中東、欧米、中南米、アフリカも完璧に視野に持った戦略を打っていくべきでしょう。

そして、新成長戦略の1つの柱は私たちがインフラパッケージ輸出と呼んでいますが、システムとして日本が持っている原子力発電や高速鉄道や水の処理といったものをシステムとして海外に展開する。そして、そのことによってグリーンイノベーションを実現する。

 そのためにコンソーシアムを日本に組成するためのリード役を国家がやる、国家が少々リスクを取ってコンソーシアムを組成することができないかと考えています。

 また、私たちがライフイノベーションと言っている、医療イノベーションも含めてですが、日本ではまだまだこの分野を国内で伸ばせます。

 WHO(世界保健機構)によりますと日本が世界一の健康大国です。日本の優れた医療の仕組みをアジア中近東展開することによって、アジア、中東での健康づくりに貢献できます。それが日本の成長を促すことができる。そう考えて新成長戦略を作ったわけです。

 

日本で広がりつつあるソーシャル・エクスクルージョン!

そして、日本の場合には、これは恐らくどこの先進国でもそうでしょうが、成長の過程で都市化が進み、メディアと人々の影響もあって地域コミュニティーとの関係が薄くなって家族との関係が固化するというかアトム化するというか、イギリスに言うとソーシャル・エクスクルージョン(社会的疎外)の傾向が日本で広がりつつあります。

 昨年の鳩山由紀夫内閣、今度の菅総理も引き継いで、このことこそ重要だと言い続けてきたことがあります。つまりNPOとか市民社会を組成する人々がパブリックセクターをむしろ担う。

 そのために税制上は市民公益税制という名前ですが、そこに税額控除の制度を持ち込む。つまり100万円を寄付すれば50万円は税金からちゃんと引いていただけるという制度を来年から行おうと先ほど閣議決定したところです。

 日本人は心優しい民族で、接待、お世話は好きなんですが、いまやその傾向も容易ならざる社会環境の中で、一人ひとりが社会の中で孤立せざるを得ない状況です。

 それを克服するにはテーマコミュニティーと言いますか、テーマを持ったコミュニティー、NPOとか市民の方々の共同の事業を政府がエンカレッジ、支援する。

 そしてこのことは、資源配分がすべて官、政府、地方政府から行われるのではなくて、一人ひとりの市民が資源配分に参加できる。自ら主体的に資源配分を行使することを意味するわけです。


もし国民の皆さんがこのことに反応してくれれば、日本を大きく変えることになると思います。

 それを大きくとらえれば、今日本は第3の開国期、つまり明治維新、1945年の終戦に匹敵するくらいの第3の開国期になるのではないかと思います。鳩山政権以来、官を開き、国を開き、未来を開くというのが一貫した標語でございます。

 その意味で、一国的な発想で物事を考えない、一国的に閉鎖された空間でマーケットを探さない。マーケットは国境を越えたところに十二分にあるんだ。そこに日本の持てる技術とファイナンスの力をもって、グリーン/ライフイノベーションで貢献することで、成長を担っていきたいと考えています。

 ちょうど、先ほどの閣議で、税制改定大綱と来年度の予算編成についての基本方針を決定しました。いま申し上げたことがそのストーリーの筋になっています。

今の政権が成し得た最大の成果は何か!

質問 今の政権が終わった時のことをお聞きします。その時、今の政権が何を成し遂げたのか。1つだけ挙げるとすれば何ですか。日本を再活性化するために何をしたと胸を張れるのでしょう。

仙谷 1つはやはり公務員制度改革を中心として日本のガバナンスのあり方が、官僚依存から政治主導に代わっているということでしょう。

 そして、政治の世界は、ちょっとまだそこまでは行っていないですが、私どもが熟議の民主主義と言っているのですが、議会で国民に分かりやすい議論が行われ、国民に選択肢がちゃんと示される。あるいは議会の議論を通じて新しい合意が練り上げられる。そういう議会制民主主義が行われていることです。

 そして経済市民社会では、現代の知識経済化と言いましょうか、サービス産業化に対応した非常に(高い)付加価値を生み出す働く人々が大量に生み出されること。

 私たちの成長戦略の1つは人づくり戦略にしておりますので、そういう日本の知識経済化された第3次産業のところが大変分厚くなっている。

 市民社会ではそれぞれの人が支え合い分かち合う、新しい公共の世界が方々に広がっているという姿を残せたらと思っています。

問 ベビーブーマーが引退を始めます。それに伴って、社会保障の費用が増え、税収が減ることになるわけですが、政府としてはどのようなステップでこの事態に対応しようとしているわけでしょうか。具体的にお答えいただけますか

税財政改革と表裏一体の社会保障改革!

仙谷 私も団塊の世代であります。そろそろ引退をして豊かな年金の生活に入りたいと考えています。

 しかし、私の年金は国民年金だけなので、あまり楽な年金生活にはなりそうもありませんのであと数年は頑張らなければならないと考えています。

 それは半分冗談として、日本の年金はあらゆる世代の社会保障に対する負担というか支払い、還元されるサービス、年金給付を見てみますと、先進国の中では、子育て世代に対する還元給付が極めて弱い。

 現役世代も支払いにくらべて小さな給付しか受けられていない。一方、65歳以上、75歳以上の高齢者のところに非常に手厚くなっています。

 先般、社会保障の改革の検討本部を作りました。それは税財政改革と表裏一体でして、社会保障の給付を改めて改革していくと決めました。早急に1年、あるいは1年と少々で、このことをできれば超党派の議論の下で、政府案を作って国民に諮りたい。

 現在の予算から言いますと、税収より国債発行が多いという状況が2年続き、来年が3年目です。これが長続きするわけはありません。

マーケットのサインに見て見ぬふりしてきた国民と国政の担当者!

 外国人投資家の国債保有比率が極めて少ないために、マーケットからの警告のある種のサインが、マーケットの裁定がなかなか国民、あるいは国政の担当者、あるいは財政の担当者に届かない。

 これがこれまでの10年、15年の状況だと思っています。そろそろ担当者および政治の世界はこのことに思いを致して税財政の抜本改革、それと一体化したもちろん消費税を含む税制の抜本改革と一体化した社会保障改革が行われなければならない。

 その強い社会保障ができることによって、財政も現在より改善され強化され強い財政になり、そのことが人々のより自由な、より安心したリスクを取った経済活動を生み出すことができる。

 強い経済、強い社会保障、強い財政の一体化を実現する、これが私たち政権の目標です。

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~日本そして世界への教訓(第1回)――元スウェーデン財務大臣 ペール・ヌーデル

2010年12月17日 DIAMOND online

強い経済、強い財政、強い社会保障」を掲げて誕生した菅政権だが、いまやその姿は全く見えない。一方、世界に目を凝らせば、高い成長と充実した社会福祉を実現している国がある。その一つが北欧のスウェーデンである。

 スウェーデンは、1990年代にバブルの崩壊で、日本をも上回る金融危機を経験した。日本との違いは、その90年代に税制、財政、福祉、年金制度について、「世紀の大改革」と呼ばれる構造改革を敢行したことだ。

 もちろん、社会保障も含めた国民負担率は65%と日本の39%を大きく上回るが、国民はこのスウェーデン・モデルを支持している。いまや同国は高福祉・高負担の停滞した国ではない。

 スウェーデンはどのような改革を行い、競争優位を確立していったのか。2004年から06年に、財務大臣を務めたペール・ヌーデル氏の特別寄稿を掲載する。

民主主義、情報技術、市場経済という、三つの大変革が地球を飲み込んだ!

過去20年間において、三つの大きな波、あるいは革命と呼んでいいかもしれない変化が、地球全体を飲み込みました。

 第1は、民主主義の波です。1989年、これはベルリンの壁が崩壊した年ですが、米国のNGOの統計によれば、当時は、実質的な民主主義国家は、世界の中でも69ヵ国しかありませんでした。それが今日では120カ国以上の国々が民主主義と認められています。今や人類が共存していく一つの標準が、民主主義であると考えられています。

 2番目の変化は、大量の情報伝達という目に見えない波です。私たちのほとんどが、いまポケットの中に携帯電話を持っています。しかも、この携帯電話は単なる携帯電話でなく、強力なコンピュータです。IT革命はわれわれの日々の生活を、劇的に変えました。情報技術によって、人々はつながり、それと同時にどんどん市場が大きくなってきました。

 このことが3番目の変化につながります。市場経済原則の上に構築された、巨大な新規市場の台頭です。つまり、非効率な計画経済はもう時代遅れとなってしまいました。共産主義の衰退とともに、新たに生まれた市場経済が、過去20年間に世界を席巻してきました。


その結果、世界経済の規模は、1999年の31兆ドルから、2008年の62兆ドルへと倍増しました。このように大きな成長があったにもかかわらず、インフレ率は低く、06年、007年の2年間は、124カ国が4%以上の経済成長を達成しました。これが過去20年間における、素晴らしい経済成長のピークであったと言えるでしょう。

 この民主主義、情報技術、市場経済という三つの大変革は、個人、産業、国家それぞれに、大きな変化がもたらしました。例えば、中国だけでも、経済成長によって、実に5億人が貧困から抜け出したのです。

 成熟した市場経済の国々、例えばスウェーデンなども、強力な経済発展の恩恵を享受することができました。輸出主体の国々は、急速な世界市場の拡大によって、大きなメリットを得ました。スウェーデンのGDPに占める輸出の比率も、1990年の30%から昨年には50%にまで高まりました。

環境、不均衡、国際レベルの民主主義、という三つの新たな課題!

 しかし、20年間の素晴らしい世界経済の発展の結果、三つの大きな問題が発生しました。

 まず第1点目が環境問題です。新興国は富においても社会福祉の面でも、先進国に追いつくために、成長を追い求めています。CO2の排出量を削減することと、この成長をバランスさせる難しさは、皆さんご存じのとおりです。

 2番目の問題は、急速な経済成長によって、非常に大きな世界経済の不均衡が生まれたということです。もっとも顕著な不均衡は、アメリカ中国との間の貿易不均衡でしょう。

 3番目の問題は、国家のレベルでは、民主主義は間違いなく勝利を果たしましたが、世界レベルでは、民主主義はまだまだ弱いということです。実は国連のシステムは、1945年当時の世界を反映したものです。08年に金融危機が発生し、世界的な協調が必要とされたときに、OECDよりも、あるいはブレトン・ウッズ体制よりも、G20の方が現在に適合した機関として、機能することができました。

さらに、グローバルレベルで、どうやって、こうした民主的な制度を打ち立てていくかという問題は、国家レベルでも挑戦を受けています。ヨーロッパにおいては、現在、この民主主義がポピュリズムや左派・右派からの批判といった形で、さまざまなチャレンジを受けています。

 これまでの経験を鑑みると、これから先の数年間は、政治的にも経済的にも、相当の試練が待ち受けていると思います。新たな地政学的勢力図が、姿を現しつつあります。政治的なパワー・バランスは東、西、北、南との間で調整されなければならないでしょう。財政赤字、債務、高失業率に苦しむ国々も出てきます。デフレや弱い国内需要に苦しむ国も出てくるでしょう。それによって、多くの政府は政治不信に直面することになるでしょう。金融危機の余波によっても、政治的な危機が起きるかもしれません。

 しかし、私は金融危機が起きる前よりも、現在の方がスウェーデン・モデルから学ぶ教訓は多いと信じています。水晶玉を見て占うより、バックミラーを見て、歴史から学ぶ方が私の好みです。そこでスウェーデンの改革の歴史を振り返ることから始めましょう。

スウェーデンの歴史から学べること1990年代の構造改革とその結果!

 19世紀後半、スウェーデンは欧州における最も貧しい国の一つでした。しかし、その後スウェーデンは、急速に近代の産業国家へと変貌を遂げることができました。

 つまり国、企業、労働組合との間の暗黙の三者協定が、スウェーデン・モデルを完成させたのです。市場経済と高い税率、収益性の高い産業と強い労働組合、そして活力ある民間部門と質の高い公共セクターの組み合わせは可能であるということを、スウェーデン・モデルは証明しました。

 スウェーデン以外の多くの人々は、スウェーデンをモデルとするか、それを拒否するかのどちらかでした。1994年には、スウェーデン・モデルは大混乱をきたし、そのときにさまざまな疑問が出てきたからです。1990年代の初頭、スウェーデンは1930年代の大恐慌以来、最悪のリセッションに陥っていました。その当時、3年間で政府債務が倍、失業率は3倍、公的赤字が10倍になりました。

94年の政府予算の赤字はOECD諸国中最大であり、GDPの10%にも達したのです。実質金利ショックというものが起こり、国内需要は低迷しました。90年代初頭の問題の一部は、80年代の政策、しばしば自国通貨クローネを切り下げていたことに、関係していました。通貨の引き下げによって、本来なら必要な構造的な変化が行われなかったからです。

 94年に誕生した新しい社会民主党政権は、この通貨切り下げ戦略は失敗だ、だから決然とした行動が必要だと考えました。つまり、財政赤字を大幅に削減することによってのみ、スウェーデンは安定的で持続的成長ができると、判断したのです。

 それで何をしたかというと、われわれは増税を実施し、歳出削減をしました。苦闘の4年を経て、98年にはなんとか財政黒字を達成しました。

 財政再建プログラムを実施すると同時に、いくつもの構造改革を実行しました。主のものは次の四つ点です。

EUに加盟して、域内市場にアクセスしました。

② 年金制度の大改革を実施しました。年金制度を持続不可能な賦課方式から、一部、積立方式を取り入れた、定額拠出制度に変えました。

③ 新しい予算策定プロセスを設定しました。歳出に上限を付けて、黒字目標を設定するというシステムです。

④ 中央銀行に独立性を与え、インフレ・ターゲティング政策を採用しました。

 結果はどうだったでしょうか。

 第1が高成長の実現です。この10年で、スウェーデンEUあるいはOECD諸国の平均よりも、高い成長率を記録しました。

 第2が高い雇用率です。雇用率はEUの中では第2位であり、直近の金融危機の前で、失業率は4%程度にまで低下しました。

 第3が低いインフレ率、第4が強い財政です。私が財務大臣だった2006年には、財政黒字はGDPの3%に達しました。

 

構造改革の結果得られた6つの競争優位性!

① 強力な国家財政

この過去の実績から何が言えるでしょうか。ほかの国が学ぶことのできる競争優位性はあるのでしょうか。私の答えは次の通りです。

 第1は強い国家財政が、規模が小さくて、開かれた経済における脆弱性を低下させるだけでなく、低インフレと高い実質賃金を可能とする、機能性の高い経済の基盤となるということです。

 重要なことは経済政策のために、財政目標の枠組みがきちんとできるということです。

 90年代の財政再建の過程で、長期的な目標は政府と議会により設定されました。最初からそういう長期目標設定がプロセスに入っているわけではなかったのですが、目標設定が、歳出削減を行うのに有効な道具となりました。

 ターゲットを設定したことで、政策を測定し評価することが可能になり、政治家や公務員の削減への動機付けとなり、説明責任も果たされるようになりました。つまり、長期目標設定はパワフルなコミュニケーションのツールであり、政府がその優先事項について、はっきりとメッセージを出せるようになったのです。

 1996年から2000年の間に、失業率を8%から4%にするということが、政府の最も重要なターゲットであり、まさにこれが雇用に関しての論議の争点になりました。そして社会民主党は、自らが達成したい目標――すべての人のための公平さと富、経済の回復と社会的正義に焦点を当てた財政再建――を明確に掲げました。

 加えて、政府は財政的な目標も設定しました。1998年には予算は均衡させる。もう一つは1回の景気循環を通して、平均すれば財政黒字をGDPの1%にするということです。

 財政黒字の達成には、いくつかの動機付けがありました。まず、21世紀には、高齢化の進展によって、財政は非常に圧迫されます。財政黒字によって、この問題への首尾一貫した対応が可能になるということです。

 次がリセッションが訪れたときに、公的セクターで経済を安定させる余力を確保しておくということです。GDPの1%の黒字があれば、財政赤字拡大の脅威にさらされずに、対策を取ることができます。また、外国からの借金を増やさずに、民間セクターが高水準の国内投資を行う余地を生むことになります。

不景気のときに、財政黒字がスウェーデンの脆弱性を抑えることができることは、疑いようがありません。強い財政と持続可能な財政黒字によって、リーマンショックなど昨今の金融危機に際しても、その悪影響をより小さいものにとどめることができたからです。

② 開放的な経済政策

 二つ目の競争優位性は、スウェーデンがオープン・エコノミーだということです。スウェーデンには、いろいろな国際的企業があります。世界中でよく知られているのは、例えばABB、エリクソン、H&M、IKEA、スカニア、サーブ、ボルボなどです。われわれの輸出のレベルはGDPの50%を占め、輸入はGDPの42%を占めています。小さな、そして開かれた国として、スウェーデンは長い間、自由貿易を支持してきました。

 しかし、私どもは決して、その自由貿易が当然だと思ってはいません。最近でも、いろいろな国で、保護主義が台頭し、多くの人々は激しくなる国際競争を恐れています。しかし、保護主義というものは、問題の解決策にはなりえません。

 逆にこの20年間、自由貿易が世界経済の成長を牽引してきました。将来にわたっても、自由貿易は高い成長を実現するために必要です。したがって、われわれは自由貿易に対する支持を、国際的な場でしっかりと訴えていかなければいけません。同時にわれわれも自国の産業を守るために、他国の産業に来てもらっては困るというような態度ではいけないわけです。

 われわれは自由貿易主義者ですが、それだけでは十分ではありません。われわれは、フェアな貿易主義者である必要があります。

 依然として、世界には豊かな国と貧しい国の間に、非常に大きな貧富の格差があり、そのプレッシャーが、より豊かな国にかかっています。スウェーデンは、その責任を果たすということで、国民総所得(GNI)の1%を、ODAとして拠出しています。われわれはG8のメンバーではありませんが、この「G1」を、非常に誇りに思っています。

 豊かな国々が、完全に市場を開放しない限り、ODAを拡大して支援していくことは必要です。私たちは富と市場を分け合わねばなりません。支援ばかりでなく、われわれは国内市場を開かなければなりません。

 豊かな世界は、1日当たりに10億ドルを農業の補助金につぎ込んでいるのですが、ODAはすべて合わせても、1日当たり3億ドル以下です。われわれは、世界の上位10%の人々があらゆるものの85%を所有しているという世界に生きているのです。こういう世界は維持できるものではないのです。(以下、後篇に続く)

『週刊新潮』 2010年12月16日号 櫻井よしこ 日本ルネッサンス 第440回

 都市の一等地を中国政府に売る計画は、新潟市だけではなく、名古屋市でも進行中だった。しかも、売り手は財務省、日本国政府である。

売却予定地は、名古屋城近くの南向きの3万1,000平方メートルとその飛び地の2,800平方メートル、合計1万200坪を超える、都市に残された最後の超大型物件だ。国家公務員宿舎「名城住宅」と名城会館の跡地売却で、取得希望者の申請を4月15日から7月14日まで受けつけた。愛知学院大などを経営する学校法人愛知学院と名古屋中国総領事館が希望し、中国政府は南側の約1万平方メートルを希望する旨、財務局に伝えた。

そもそも、この土地を、なぜ、いま売るのか。財務省東海財務局の国有財産調整官は語る。

「公務員宿舎の移転再配置計画に基づき、古い資産は売却し新しい資産に置きかえていきます。名城住宅の入居者は平成21(2009)年4月に退去し、新しい公務員住宅、城北住宅に入居済みです」

つまり、公務員住宅を次々に建て替えるための売却かと問うと、「そうです」と、調整官は答えた。

売却基準は買い手に公共的ニーズがあるか、申請が妥当かの2点だそうだ。公共的ニーズとは社会福祉法人や学校、大学などがその範疇に入り、中国総領事館はウィーン条約の相互主義に基づき接受国、つまり受け入れ国は相手国の要望実現に協力することになっているため、これも範疇に入るとの見方だった。

しかし、相互主義といいながら、日本の在中国公館は全て賃貸である。他方中国公館は現在交渉中の名古屋と新潟を除いてすべて土地も建物も中国が取得している。


国有財産を外国政府に売却!


東京港区元麻布の中国大使館は、約3,900坪もある。教育部と商務部と、各々の宿舎は730坪の土地をはじめ都内4ヵ所もすべて中国の所有だ。札幌、大阪、福岡、長崎の総領事館も同様だ。大阪の場合は比較的小振りの3ヵ所の土地にまたがっているが、その他の土地はいずれも1,000坪から1,500坪に上る。現在、中国が画策中の新潟市と名古屋市での土地買収が実現すれば、これまでに取得した各総領事館の不動産より更に広大な5,000坪級の土地を中国は手に入れることになる。

こんなに不公平でも売るのかと問うと、調整官はこう答えた。「現在、中国側は貸しビルで業務をしています。自分の土地をもちたいという要望は理解出来ます」

一等地の宿舎に安価な家賃で住み、新宿舎を近くに作り、その経費回収を急ぎたい官僚らは、眼前のおカネの流れの収支を合わせるのに精一杯で、国土の外国政府への売却が国益に適うのかと考えることもない。

名古屋市長の河村たかし氏が語る。

「国有地払い下げの権限は国にあるんです。土地利用計画の決定権は地方自治体にありますが、国がどうしても売るといったら、最後まで反対出来んでしょう。尖閣の領海侵犯事件の後で、市の一等地を中国に渡すなど市民県民は許しませんよ。慎重のうえにも慎重にしてほしいと、民主党に申し入れ、凍結してもらいました」

9月21日まで財務大臣政務官として同件を担当した愛知選出の古本伸一郎衆議院議員は語る。

「河村市長とは随分、話し合い、彼が売却を快く思っていないことは知っています。そこで私は中国側に、市の都市計画課や議会、地域の区長ら関係者に説明し、了解を取りつけるよう注文をつけました。その件はクリアしたと、報告を受けました」

しかし、市中心部の国有財産を外国政府に売却することは地方の都市計画課が決めることではないだろう。古本氏も語る。

「確かに一出先機関が決めることではありません。従って経緯は大臣に報告し、了解を得ています」

なんと、野田佳彦財務大臣も了承済みだというのだ。但し、古本氏は同件の最終決定前に、内閣改造で政務官を離れ、後任の吉田泉氏に引き継いだ。その間に中国が尖閣の領海侵犯事件を起こし、蛮行の限りを尽したことで、河村氏は、民主党に、土地売却の凍結を申し入れた。新財務大臣政務官の吉田氏が説明した。

「9月21日に政務官に就任し、古本氏から受けた引き継ぎで、私は土地売却は凍結すべきだと理解しました。6月に、日本側から中国側に、売却出来るのは南向きの3万1,000平方メートルの区画の北側と飛び地だと伝えています。中国側はこの案に乗って来ず、8月に、3万1,000平方メートルの区画の北側だけでなく南側も買いたいと言ってきました。以来、彼らとのやりとりはないのです。9月27日の政務三役会議で同件を野田大臣に報告し、当面見合わせることにしました。現在、この件は、事実上、外務省の判断待ちです」

外務省では副大臣の伴野豊氏が担当だ。氏に問うと、生憎、取材に応じる時間がいまはとれず、翌週に回答するとのことだった。


首相を続けたい私益の心!


一体、名古屋の土地の中国への売却話はどうなるのか。現時点の状況を直接の担当者、前出の国有財産調整官に問うた。

「凍結はされていません。審査中です。結論はいつかはわかりませんが、早いに越したことはありません」

新宿舎建設の資金回収のため、相手構わず早期に国有地を売ることを望んでいるともとれる回答だ。一方、政治主導を掲げる民主党は、一部の政治家が中国への土地売却の深刻な負の影響を懸念しながらも、売却中止を決断できずにいる。

超党派の領土議連事務局長を務める衆議院議員、松原仁氏が憤る。

「国有地売却については、2つの理由から慎重にならざるを得ません。第一は、中国は経済大国で先進国入りしたともいえますが、他方、あの国には言論の自由もない。国際的規範も守らない。我々とは全く異なる価値観を持つ国に土地を売るのは極めて慎重であるべきです。

第二の理由として、国有財産売却の是非を問うべきです。売るにしても、景気低迷の中での安価な時価で売ることは許されません」

水源と森林を守るための2本の法案を、国会会期末に上程した自民党参議院議員の山谷えり子氏も指摘した。

「こうした大事な法案の審議を全く行わず、菅さんは早々と国会を閉じました。菅政権に水資源や森林法どころか、都市部の土地売却について何らかの指針を打ち出す気があるのか、全く見えてきません」

菅直人首相は、10月15日、参院予算委員会で、外国による土地取得の規制について「是非勉強して考え方をまとめてみたい」と述べた。だが、その法案の審議さえせず、国会を閉じ、いま、選りに選って、社民党と組み、数合わせに走る。政策も戦略もない。あるのは首相を続けたい私益の心だけだ。

統一地方選を控えるも、もはや打つ手なし?

2010.12.17(Fri)JBプレス 松尾信之


 民主党政権にとって勝負所だが、大惨敗すると思う」(読売新聞12月8日付)という小沢一郎の予言が的中した。

 12月12日に投開票された茨城県議会議員一般選挙(茨城県議選)。過去最多の24人(公認23、推薦1)を擁立した菅民主党に、茨城県民は「NO!」を突きつけた。

 幹事長の岡田克也は公示後2度も現地入りしてテコ入れをしたが、有権者は踊らず、4分の3の候補者が討ち死に、民主党は現有議席6に1議席の上積みもできない惨敗を喫したのである(下の表)。

そうなれば地方が火を噴く」(小沢一郎、同新聞)のは確実。民主党は党中央から地方組織まで、一触即発の危機に追い込まれているのだ。

 1年半前、自民王国・茨城の全選挙区と比例区(2)と合わせて9人の衆議院議員を生み出し、政権交代を実現した民主党の勢いはどこに行ってしまったのだろう。

 民主党が3人の衆院議員を抱えながら、県会の1議席も獲得できなかった取手市選挙区に焦点を当てて、「民主党メルトダウン(炉心溶融)」の原因を検証してみる(文中敬称略)。



民主党議員がみんなの党から出馬して当選!

 「県議選、初挑戦ですが、当選を果たすことができたことを報告します。取手市と利根町を選挙区としていますが、取手市を地盤とする民主党衆議院議員が3人もいる土地柄です。ここで団体、組合などの支援を求めず、草の根選挙を行ってきました(略)選挙戦、ライバルであった民主党候補は最下位でした(以下略)」

 取手市選挙区から出馬し、3位で当選した「みんなの党」細谷典男が自らのメルマガにこう書いている(当選・落選を問わず、この種の結果報告は公職選挙法178条「選挙期日後のあいさつ行為の制限」第2項に抵触するが、その判断は警察に任せる)。

問題は、民主党の取手市議会議員だった細谷が、なぜ渡辺喜美の「みんなの党」公認で出馬し当選したのか、ということだ。そこに民主党惨敗の原因と、菅民主党の最大かつ決定的な弱点を解明するカギがあるのだ。

 取手市選挙区は、衆院小選挙区で言えば茨城3区。そのヘソにあたる県南の玄関口である。

 政権交代を実現した前回総選挙では、民主党の小泉俊明が初めて自民現職の葉梨康弘(元自治相・葉梨信行の女婿)を破り、「自民王国茨城に吹き荒れた民主党竜巻」の象徴的な選挙区と言われた。

 今回の県議選で取手市選挙区は、従来の「取手市選挙区」(定数2)に「北相馬選挙区」(定数1)が合体し、定数3となった。立候補者は現職1、新人4の計5人。有権者の審判は以下の表の通りだった(当日有権者数10万7539人、得票数は選管確定)

最下位だった竹原大蔵は民主党・小泉俊明代議士の元公設秘書。いくら33歳の新人とはいえ、小選挙区選出代議士の元公設秘書が共産党の後塵を拝しての最下位落選は尋常ではない。一体何があったのか。



「今の民主党は政党の体をなしていない」!

 「一言で言えば、民主党国会議員とその周辺の驕(おご)りと個利個略がこの結果をもたらしたのではないか」と地元の民主党関係者が匿名を条件に説明してくれた。

 「民主党県連会長の郡司彰(参院議員)は、『北風が吹いているところに氷雨が降ってきた。大変強い向かい風だった』とマスコミに語り、菅内閣の内政外交のオソマツさと、小沢国会招致をめぐる党内対立を惨敗の原因に挙げていました。

 しかし、県連会長までがそういう責任転嫁の総括しかできないところに民主党の問題があるのです。

 中央では、菅(直人)首相、仙谷(由人)官房長官、岡田幹事長、前原(誠司)外相、小沢元代表、鳩山(由紀夫)前代表といった民主党幹部の誰ひとりとして政権交代後のマニフェスト放棄、党内抗争、未熟な内政外交策による有権者への裏切りの責任を取ろうとしない。

こうした無責任体制が首相官邸・党本部から地方組織に至るまでまかり通り、それぞれが自分の個利しか考えない『個利個略党』に成り下がっている。今回の選挙運動を見ていても、党として、組織としてのまとまりが全然感じられなかった。

 はっきり言って今の菅民主党は、中央から地方まで、単なる政治好きが集まった烏合の衆。組織政党としての体をなしていませんよ」

 対する自民党は、今回初めて「IBARAKI自民党」名で政策パンフやポスターを作り、これまでの個人戦選挙から団体戦方式にシフトチェンジする変化をみせた。これはもともと民主党が得意としていた戦術である。サバイバルを狙う自民党の危機感が民主党を上回ったということか。



この候補者選定では勝てるはずがない?

 民主党はシャッポの菅直人からして「今までは仮免許だった」と国民の気持ちを逆なでするトンチンカン発言をするぐらいだから、あとは推して知るべし。

 県議選の候補者選定に関しても、「人選を小選挙区の総支部長である地元衆院議員に任せた。議員たちはここぞとばかり自分の都合、個利個略で候補者を選んだ。その結果、出したい候補・勝てる候補ではなく、自分に都合のいい候補者が選ばれて大惨敗につながった」(前出の事民主党関係者)との見方もあるのだ。

 例えば、取手市選挙区で民主党市議として2期目の実績がある細谷を公認していれば、民主党は1議席を確保できた可能性が高い。細谷本人も川口浩(民主党・元取手市議員)の国政転進後は「川口後継」を喧伝して歩いていた。

 しかし3区の総支部長・小泉俊明は元秘書を擁立し、細谷を民主党から除名してしまった。さらに3区内では、龍ヶ崎市からも自身の政策秘書を擁立。牛久市、守谷市、稲敷郡北部(阿見町、美浦村)でも新人候補を立てたが、全員敗北。牛久、守谷、稲敷郡北部に至ってはダブルスコアの惨敗だった。

 現職が落選したひたちなか市などを抱える衆院4区でも、4人全員落選。土浦市選挙区では政権交代を牽引した県医師連盟が分裂選挙。

結果論と言えばそれまでだが、候補者選定にも問題があったと言わざるを得ないのである。



自民党系政治家は百戦錬磨!

 ことほどさように民主党の県議選対応は組織政党の体をなしていなかった。そんな脇の甘さと腰のふらつきは、すぐに敵陣営からの攻撃の的になる。

 実際、3区で落選中の自民党前衆院議員・葉梨康弘は「みんなの党」の細谷に「祈 必勝」の為書きを贈り、事務所開きにも駆けつけた。政治の世界は単純明快、「敵の敵は味方」だからだ。

 自分の次の選挙にプラスになると思ったら、誰とでも手を握る。民主党自民党も同じ穴のムジナなのだが、その辺のシタタカさは、百戦錬磨の自民党系政治家の方が一枚上手だろう。

 逆に無所属で当選した川口政弥には、民主党・小沢派が選挙前からエールを送っていた。出陣式には「茨城一新会」会長の畑静枝までが駆けつけた。

 畑静枝は「衆院選で、比例代表北関東ブロックの名簿に取手から2人を押し込んだ実力者」(前出の民主党関係者)。そんな畑の出席に、「選挙区のしがらみから自民党に入党しにくい川口政弥を一本釣りするつもりではないか」との憶測も乱れ飛んでいるという。



菅内閣では、やはり戦えなかった!

 民主・共産「惨敗」、みんなの党「躍進」、自民・公明「現状維持」という今回の茨城県議選の結果は、2011年4月の統一地方選の潮目を暗示している。

 小沢の予言通り「菅内閣では地方選挙も戦えない」という地方の声が火を噴き、民主党内での3度目のシャッポの挿げ替えにつながるのか。

 それとも、巷間言われているような小沢派脱党・政界再編自民党を巻き込んだ大連立や、小政党を束ねた政権与党の組み替えにつながっていくのか。

 2011年は「辛卯(かのとう)」の年。「辛」は草木が枯れて新たな世代が生まれようとする状態を表し、「卯」は草木が地面を覆う状態を表しているという。果たして日本の政治の閉塞状況は打破できるのか。

 為政者は来年こそ、言葉の本当の意味で、「国民の生活が第一」の政治を実現してほしいものである。

Voice 12月16日(木)12時31分配信

◇40億という人口を「内需」に◇

 先進国経済の先行きに不透明感が高まっているのとは対照的に、新興国経済は力強く成長している。ことに日本は世界経済の成長センターといわれる東アジアの東端に位置しているわけで、地政学的にきわめて恵まれた位置にあることを再認識すべきだ。

 すなわち、いまの日本には、アジア貿易圏約35億人、さらにアジア太平洋貿易圏約40億人という膨大な人口が生み出す需要を、いわば「内需」として取り込む戦略が求められている。菅総理が明治維新、終戦に次ぐ第三の「開国」が必要だと繰り返し述べておられるのも、そのためである。

 それにもかかわらず、EPA(経済連携協定)、あるいはFTA(自由貿易協定)に対するわが国の取り組みは、遅れているといわざるをえない。すでに世界のさまざまな国・地域のあいだで、200件のFTAが発効している。こうしたなか、日本は2002年にシンガポールとのあいだで初のFTAを結んで以来、ASEAN、チリなど、11の国・地域とFTAを締結してきたが、米国や豪州、EUといった国・地域とはいまだ締結できていない。

 一方、FTA網の構築を国家戦略に掲げる韓国は、着実にそれを広げている。EUや米国とはすでに署名済みで、インドとの交渉でも日本に先んじた。韓国とEUのFTAは2011年7月に発効する予定だが、韓国製の乗用車は段階的に関税が削減されて、5年以内にゼロになる。これに対し、EUに輸出する日本車には10%の関税が課されており、競争環境の劣位は否めない。

 FTAのカバー率(その国全体の貿易額のうち、FTA締結国の貿易額が占める割合)でみても、締結済みのものでいえば、韓国の36%に対し、日本はわずか16%にすぎない。交渉中のものを含めれば、韓国で約60%、日本は約30%と、その差はもっと開いてしまう。このまま「鎖国」を続ければ、日本企業は海外に生産拠点を移転していくしかなく、折からの円高も加わって、産業の空洞化はますます進む。日本企業の競争力、ひいては日本の経済力の回復のために、主要貿易国とのあいだで高い自由化レベルの経済連携を急ぐべきことは、言を俟たない。

◇“先送り”批判の誤解を解く◇

 そうした背景のもと、現在、産業界からTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加を求める声が挙がっている。そもそも、TPPとは、シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイ間で2006年に結ばれたFTAが発端になったものであり、ここにきて米国、豪州、ペルー、ベトナム、マレーシアなどが参加を表明、交渉が進められている。日本がこのTPPに参加すれば、これまでのFTA交渉の遅れを一気に挽回できるはず、というわけである。

 そこで国家戦略担当大臣である私が取りまとめ役となって、去る2010年11月9日、「包括的経済連携に関する基本方針」を閣議決定し、TPPについては、「その情報収集を進めながら対応していく必要があり、国内の環境整備を早急に進めるとともに、関係国との協議を開始する」との基本方針を定めた。この閣議決定は、TPP参加の意思をはっきり表明しなかったとされ、“先送り”ではないかとの批判を受けた。だが、ここでそうした誤解をはっきりと解いておきたい。

 そもそも、いますぐ日本がTPPに参加できるかといえば、難題が山積しているのが現実である。むしろ私は、このTPP参加をめぐる議論を奇貨として、まず、これまで滞りがちであった自由化レベルの高い二国間の経済連携を推し進めるべきだと考えている。

 なぜか。たとえていうなら、いま、日本が一般国道を走っているとするならば、自由化レベルの高い二国間経済連携は地域高規格道路だ。そしてTPPは、高速道路ということになる。TPPを指して高速道路というのは、関税の100%撤廃が原則だからだ。つまり、農産物であっても、原則として例外措置は認められないことになる。

 この原則がほんとうに適用されるかについては、各国との交渉いかんであり、検討の余地が残るものの、TPP参加によって、米国や豪州から安い農産物の輸入が拡大するのは必至といわれている。そのため、自由化に慣れていない日本がいきなりTPPに参加すれば、“事故”を起こす心配もある。

 日本が起こしかねない“事故”とは、国内における合意形成の失敗である。現在、TPP参加をめぐっては、国内の農業従事者から強い懸念の声が挙がっている。こうした問題を考えたとき、拙速にTPPへの参加を推し進めると、かえって国内の調整を難しくするだけでなく、その余波を受けて、二国間の経済連携すら、実行不可能となってしまう恐れがある。

 私は、それがわかっていたからこそ、いきなりハードルの高いTPPの参加をめざすのではなく、まず、各国との個別のEPA/FTA交渉を高いレベルで進めるべきことを、今後の日本の方針として定めたのだ。後者であれば、関税の例外品目を設置することも可能となり、国内の調整もしやすい。

 じつは、米韓FTAでも、コメは関税撤廃の例外品目となっている。また米豪というかなり自由化レベルの高い経済連携を推し進めてきた二国間でさえも、国内の事情によって例外品目は残されている。

 TPP参加後も、米豪の両国間のこうした取り決めはそのまま維持される可能性がある。このように、まず、主要国と経済連携を進めておけば、いざ日本がTPPに参加する場合でも、自由化の例外品目や段階的自由化といった措置の交渉がやりやすくなる。イメージでいえば、地域高規格道路で自由化に馴れたうえで、国際化の流れに乗ろうという戦略である。

 なお、農林水産省の試算(10年10月27日)によれば、コメや小麦、牛肉など主要農産品19品目について、すべての国との関税をただちに撤廃し、何らの対策も講じない場合、毎年4.1兆円の農産物生産額の減少に見舞われるとされる。そのうちコメが占める割合はほぼ5割、2兆円近くを占めている。仮にコメを例外品目にできれば、交渉を進める際の障害は、かなりの程度で緩和されるであろう。

 いまの日本の現状を踏まえれば、初めにTPP参加ありきではなく、まず二間国の経済連携を進めるという方針は、国益、または国民益からして、「ベストな結論」だと考えている。

◇「攻め」の農業政策を◇

 では、日本はどの国から経済連携交渉を開始すべきなのか。アジア太平洋地域においては、現在交渉中の豪州との早期妥結や、交渉が中断している韓国との取り組みをまず再開しなければならない。さらに、いまだ交渉に入っていない主要国・地域との取り組みを、国内の環境整備を図りながら、積極的に推進していく必要がある。

 ただし、どのような国と、どのような順序で交渉を進めるのかは、「戦略的機密」に属する事柄である。他国との経済連携交渉では、どの国を優先して行なっているのかによって、「足許をみられてはいけない」からだ。今後、センシティブ品目(その国にとって重要な品目で、かつ輸入の増加によって国内経済・社会に悪影響がある恐れがあるもの)について慎重に国内の合意形成を図りつつ、日本が国際的な競争関係で有利となるような経済連携を進めていきたい。

 まず、二国間で高いレベルの経済連携を進めることが「ベストな結論」だというのは、貿易自由化によりもっとも影響を受けやすい分野である農業にとっても、同じである。コメを自由化の例外品目にできたとしても、各国とのFTA網を広げていけば、国内の農産物が輸入品との競争にさらされることは避けられない。しかし、そうでなくても、農業従事者の高齢化や後継者難、低収益性などによって、すでに国内の農業分野は、将来の存続が危ぶまれる状況にある。今後も日本の農業が持続的な発展を遂げるためには、むしろ自由貿易の進展をチャンスと考えて、需要を海外に求めていくような農業政策が必要だ。

 すでに、果樹や野菜については、ほとんどの品目について、わずかな関税率しか設定されておらず、十分な国際競争力をつけている。問題は、コメ、畜産、乳製品、小麦、でんぷん、サトウキビといった土地利用型の産業であるが、仮に各国とFTAを締結していっても、関税は10年から15年かけて徐々に廃止されることになるため、価格がただちに急落するようなことはない。過度な不安はもたなくてよいのだ。そのうえで、今後の日本の農業に求められるのは、農業の成長産業化を図るような「攻め」の政策である。

 現在、日本の農業生産高の合計は8兆円程度で、そのうち約4,500億円が輸出されている。これをもっと伸ばすために、たとえばアジアの富裕層向けに日本の農産物を輸出していくような方策も考えられよう。

 私は、日本の農業従事者のレベルは世界一高いと思っている。これだけ安心で、かつおいしい農産物をつくれるのは、世界を広く見渡しても日本だけだからだ。つまり、日本の農産物はわが国の経常収支を押し上げていくうえで、重要な武器になりうるのだ。

 さらにいえば、農産物を国内で加工して「食材」として世界に輸出していく手もある。すなわち、農業従事者が生産(第一次産業)だけでなく、加工(第二次産業)、さらに販売・流通(第三次産業)を行ない、六次産業化(1×2×3=6)していく枠組みづくりだ。農業が六次産業化すれば、地域の雇用も、若い人の就業意欲も高まるかもしれない。

 いずれにせよ、平均年齢は65.8歳、農業収入もピーク時の半分という日本の農業の将来は、このままでは暗い。いまの260万人の農業人口も、今後10年間で100万人減少するともいわれている。そこで菅総理を議長に、国家戦略担当大臣と農林水産大臣を副議長とする「食と農林漁業の再生推進本部」を設置し、2011年6月をメドに、「守り」から「攻め」への農業改革の基本方針を定める予定である。

 もしこのまま「開国」を進めなければ、「日本のふるさとからは工場も、農業も、両方なくなってしまう」という恐れすらある。いまこそ、日本の農家が「世界に打って出られる」ような支援策が必要なのだ。


◇日中のFTA締結もありうる◇

 今後、日本が「開国」を進めていくうえで乗り越えるべき問題は、国内の農業をどうするかだけでない。尖閣諸島沖での漁船衝突事件以降、中国では日本製品の排斥運動が吹き荒れ、また労働者の労賃が上がっていることもあって、以前よりも日本企業が中国に進出することで得られる経済利益は少なくなっているという声が、与野党を問わず挙がっている。中国との関係悪化は、いうまでもなくわが国最大の対外的なリスクの一つである。

 こうした点を鑑みながら、今後日本はどのような外交戦略を採っていくべきなのか。それは、「日米基軸」「日中協商」である。もちろん、自分の国は自分で守るという覚悟が第一だが、今後の日本の外交戦略において、日米同盟が外交戦略の基軸となることはいうまでもない。

 この「日米基軸」を前提に、「日中協商」、つまり中国と協力し、商売を行なっていかなければならない。たしかに、中国はかつてと比べ、「自己主張の強い国」になっている。日本とのあいだには、海洋権益をめぐる対立もあり、そういったリスク要因に対する対応をつねに準備しておくことは必要であろう。とはいえ一方で、日本経済の発展には中国の「内需」を取り込むことが不可欠なのも事実だ。現に、いまや中国は日本の貿易総額のおよそ2割を占める最大の輸出入相手国である。

 たとえば、日本の優れた「食材」を輸出するにしても、食糧輸出国から輸入国に転じた中国は、やはり主要な輸出先となるはずだ。菅総理の言葉を借りれば、中国との戦略的互恵関係の構築なしに、日本の経済発展を望むことは難しい。

 そのためにも、アジア太平洋の海のなかで、日本がどう振る舞うのかを考える際、二国間の経済連携交渉を進める相手として、中国さえも挙げることができる。すなわち、日中のFTA締結も、今後採るべき戦略の範疇にあるということだ。

 最後に、外交問題を考えるとき、私がいつも思い出すのは、「外交では、その国がもつ国力以上のことはできない」という、中曽根康弘元首相の言葉である。まさに至言であろう。では、日本の場合、国力とは何を指すのか。自衛力、文化力など、さまざまな要素が考えられるが、なんといっても経済力こそが、国力の主要な部分を占めるものといって間違いない。

 ところが、IMD(国際経営開発研究所)の国際競争力調査でかつて1位であった日本が、いまや27位まで落ちている。同様に、一人当たりのGDPで2位だった日本が、いまは19位。世界のなかで、わが国の経済的な地位が趨勢的に低下していくことへの危機感は、国民のあいだにも広く共有されている。

 昨今の中露両国との領土問題の背景の一つにも、この日本の経済力低下があるのではないか。たとえば、かつて日本が北方領土交渉を行なっていた際、ロシアの経済はかなり疲弊しており、そのことが日本の交渉力を高めていたわけである。しかし、現在のロシアは資源国として国際的なプレゼンスを高め、日本の経済力なしでも持続的な成長が可能となっている。一方、ロシアとは対照的に日本の経済力は低下し、世界における存在感が薄まってきている。日中間の尖閣諸島をめぐる問題でも、同じようなことがいえるだろう。

 もう一度、日本の国力=外交力を立て直すためにも、菅総理のいう「強い経済」の復活は不可欠だ。二国間の経済連携交渉の強化こそが、その号令となるだろう。

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プロフィール
HN:
魚沼コシヒカリ.com
年齢:
70
性別:
男性
誕生日:
1954/01/01
職業:
農業
趣味:
スキー・読書・インターネット
自己紹介:
私は、魚沼産コシヒカリを水口の水が飲める最高の稲作最適環境条件で栽培をしています。経営方針は「魚沼産の生産農家直販(通販)サイト」No1を目指す、CO2を削減した高品質適正価格でのご提供です。
http://www.uonumakoshihikari.com/
魚沼コシヒカリ理想の稲作技術『CO2削減農法研究会』(勉強会)の設立計画!
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