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劉暁波

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E6%9A%81%E6%B3%A2



2010年10月9日(土)日経ビジネスオンライン編集部

10月8日、中国の民主活動家、劉暁波氏(54)にノーベル平和賞が授与されることが発表された。劉氏は1989年の天安門事件の際、北京の天安門広場でハンストをした知識人の1人で、事件の後も中国内にとどまって民主化を訴えてきた。

 中国政府による度重なる弾圧に耐え続けてきたが、共産党独裁の廃止などを求めた2008年の「08憲章」の起草に参加したかどで拘束され、現在は「国家政権転覆扇動罪」で服役中である。

 中国政府はノルウェーのノーベル賞委員会に反発すると同時に、インターネット検索で劉氏の名前などを使えなくするなど、即座に常套手段である言論統制を開始。受賞を報じる米CNNやNHKのニュース放送を国内で中断するなど醜い防戦に必死だ。米国やフランスの首脳からは、中国政府への非難、劉氏の釈放要求などが表明されており、今後の国際関係にも少なからぬ影響を与えることが予想される。

 ところで、劉氏が逮捕される大きなきっかけとなった「08憲章」についてご存じだったろうか。

 日経ビジネスオンラインの筆者の1人である遠藤誉氏は、2008年に当サイト上で「08憲章」を「ネット文化革命」として紹介していた。この憲章がいかにして世に出ることになったのか、意味することは何なのかが詳細に記されている。これを機に、ご一読いただければと思う。



*やはり現れた、ネット文化革命「08憲章」ネット蜂起を呼び掛けていた網民の声!

2008年12月19日(金)日経ビジネスオンライン遠藤誉

 2008年12月9日、中国の網民(ネット市民)の間に閃光が走った。中国共産党の一党独裁を糾弾し、民主と自由、そして人権尊重等を求める「08憲章」なるものがネット空間に出現したからである。

 本来なら世界人権宣言が可決された1948年12月10日に合わせて、12月10日に公開されるはずだったが、起草者の主たるメンバーの存在が事前に発覚して当局に逮捕される危険が迫っているとの内部情報を受けて、急遽前日に公開されたとのこと(正式公布日は12月10日となっている)。

 そして、彼らの危惧は現実となった。

 発起人と目される劉暁波は逮捕され、釈放を求める署名活動はいま、世界中の華僑華人のネット空間を満たしている。公開時には実名入りのネット署名者の数が303人であったものが、12月14日時点では1231人に増えた。逮捕されることを覚悟しても抗議の声をあげる人が増えているのだろう。署名者の中には著名な学者や作家、人権派弁護士や新聞記者など、知識人が多い。

 数回にわたってネット上での中国政府による検閲制度を紹介してきたが、この事件でも中国語のGoogle(谷歌)検索で「08憲章」というキーワードを、単語のセットで検索した時に出てくる記事数は、一時期は521万件を越えたが、見る見る削除されて12月15日の夕方ごろには1万件台に収束していった(「08」でも「憲」でも「章」でも引っ掛かる件数は中国語簡体字で48万件、繁体字も含めると80万件ほど残っている)。なお、ここに示した数値は全て北京においてパソコンにアクセスした時の数値である。北京にいる知人がほぼ3時間おきに知らせて来てくれたものだ。

 当初の件数が膨らんだのは削除が間に合わなかったこともあろうが、もう一つには、増えていく署名者を掌握するために当局がしばらく泳がせておこうと考えたからかもしれない。しかし拡大を抑える方に徹底したのだろうか、12月15日の夕方現在で残っている記事の中には、署名を呼びかけるものはほとんど見られなくなり、「08憲章」を非難するトーンのものが目立つようになった。

 こういった事態が起こることは、私がこの連載に手をつけた頃から予想していた。これまでご覧いただいたように、中国は「民主」の導き手として、官と民(ネット市民=網民)がネット空間における主導権を激しく争っている。だが、民主の土台である「言論の自由」について、中国政府が見せている顔は、検閲をはじめとした非常に厳しいものだ。

言論抑圧への怒りが爆発し「ネット蜂起」
 中国の庶民は、貧富の格差が大きいだけでなく、官が大企業と結びついて特権をほしいままに悪用し私腹を肥やしている現状に大いなる危機感を抱いている。網民はその庶民の代弁者として改善を求めるために膨大な書き込みを行っているのだが、その主張が次々と検閲に遭い削除されていく。それが民主と言えるのか。網民の大きな不満はそこにある。今回の事件はそれが形を取って爆発したものだ。

 今年の8月頃に発見した以下に紹介するブログは、「08憲章」と同根の動きがいくつも潜んでいることを示す例だろう。ブログの作者は、ブログの最後に「尊厳のために我々は“ネット蜂起”を起こそうではないか!」と、不特定多数の網民に呼びかけていたのである。

 彼の論点はなかなか興味深く、しかも「民主」を巡る争いから浸みだしてくる、政府の一見不可解な動きを見せてくれる。それこそが私がこの連載で一番掘り下げたい個所でもあるのだ。

 まずは彼のブログ「博客日報」(「博客」は“Bo-Ke”と発音し、「ブログ」という意味)を読んでみよう。発表日は2008年7月2日で、作者のハンドルネームは漢尼抜(ハンニーバー。中国文字の「抜」には右肩に「、」がある。なお、2008年12月18日時点では、サーバーが故障し修繕中である旨のお詫びとお知らせ、このブログのメールアドレスが表示されている)。ネット警察に発見されにくいように、地名を中国語の発音記号で表現したり、「暴動」という単語を用いるときに「暴」と「動」の間に「/」を入れて「暴/動」と表現していることが、興味を引く。

 タイトルは「言論の自由は与えられるものか、それとも勝ち取るものなのか」である。

 書き出しは、2008年6月に貴州の瓮安(おうあん)で起きた若者の暴動(万を超える若者が警察や公安局を襲って焼き打ちをした、という事件)に関して論じているが、そこは主題でないので、事件の内容に関しては省略する。

物権法の施行を足がかりに
 彼は、「なぜ政府は情報を封鎖しようとするのか?なぜCCTV(中央電視台)や新華網は暴徒の怒りの真の原因を報道する勇気を持っていないのか?」という疑問をぶつけた上で、 現在のネット検閲に関して、以下のように述べている。

 インターネットは網民のネットであり、網站(もうたん。ウェブサイトの意味。站は日本語の駅に相当)は站長(駅長)の私有財産である。ネット上の全ての書き込みには全て網民の私的所有権がある。站長は自分のお金を投じてネット空間とドメインネームを購入しており、血の吐くような思いをして網民とともにネット家園を創り上げてきたのだ。

 政府からは一銭のお金ももらってない。政府は私営ウェブサイトのいかなる株も持っていないし、<物権法>によって、政府は私営ウェブサイトのいかなる支配株主持ち分も持ってはならないことになっているはずだ。站長の一挙一動を指図する資格が、政府のどこにあるというのか?あなたたちは今まで、テレビ局や紙媒体のメディアをずっと操縦してきたではないか。あなたたちはわれわれ納税者のお金を使ってメディアがあなたたちの“喉と舌”になるよう仕向けてきた。だというのに、今度はわれわれが僅かに持っているネットの自由まで見逃さないというのか?

 <物権法>(正確には中華人民共和国物権法)というのは、2007年3月16日に日本の国会に相当する全人代(全国人民代表大会)で可決され、その年の10月1日から施行され始めた、国民の財産権を保護する重要な法律である。
 
2004年の憲法改定では、すでに、「公民の合法的な私有財産は侵害されることはない」という大原則が明記されるようになってはいたが、それが遂に具現化し、社会主義国家の中国において私有財産の保護に関する具体的な法律が誕生したということは、画期的なことだ。これにより乱開発のための強制立ち退きにも歯止めがかかるようになった。

 彼は続ける。

 言論の自由は政府から与えられるものではなく、われわれ自らが勝ち取るものだ。中国は古来より、政府が庶民に言論の自由を与えるなどということは一度たりともあったことがなく、ただひたすら庶民から言論の自由を奪うことだけしかしてこなかった。彼らは言論の自由を奪うだけでなく、人々が情報を獲得するための自由さえ奪っている。庶民は“口がきけない者”にされているだけでなく、“耳が聞こえない者”および“目が見えない者”(という聾唖者)にならなければならない、ということになる。(中略)

 われわれは聞きたい:人は真相を知る権利を持つべきなのか否か?人は真相を追及する権利を持っているのか否か?人は真相を話す権利を持っているのか否か?そして人は自分の身の安全のために真相を暴きだす権利を持っているのか否か?(中略)

 なぜ一人のネット警察が勝手に網民が苦労して貼り付けた書き込みを強行的に削除して良いのか?なぜ大衆が 「これはすばらしい」 と思う書き込みが、ネット警察の憎悪の対象となるのか? 彼らネット警察は、いったい誰の利益を代表しているというのだろう?いったい誰が彼らにわれわれのウェブサイトを封鎖する権利を与えたというのだろう? ウェブサイトは私有財産だ。サーバーは私有財産であり、ウェブサイトとサーバー運営者との間には商業的な契約が成立しているのである。

 漢尼抜(ハンニーバー)は「言論の自由」について、中国政府が公にしている法律に則って抗議している。 たしかに<物権法>に基づけば、インターネットは、“動産”の財産権であるかもしれない。

「言論の自由」への妙な「物わかりの良さ」が不満を増幅
 中国政府は、言論の自由に関しての法律や憲法、その解釈においては、実は奇妙なほどにものわかりがよい。

 例えば中華人民共和国憲法では、第35条の「基本的な政治の自由」という項目に、「中華人民共和国の公民は、言論、出版、集会、結社、デモおよび示威行動の自由を有する」という文言がある。もちろん、実際には守られていない。これらの自由にはそれぞれ、「政府が許可する範囲内における」という接頭語が付けられているのが現状だろう。

 憲法第四十条には次のように書いてある。すなわち、「中華人民共和国公民の通信の自由と通信の秘密は法律によって保護される。国家安全あるいは刑事犯罪の追跡調査の必要性から、公安機関あるいは検察機関が法律の規定に則って通信に対して検査を行う以外、いかなる組織あるいは個人も、いかなる理由によっても公民の通信自由と通信秘密を侵犯してはならない」と。

 ここまで通信の自由を守ると言っておきながら、個人のメールに “公安削除用語” があった場合でさえ、メールごと削除してしまうのである。

 2003年11月25日、湖南省人民代表大会(日本の県議会にほぼ相当)の常務委員会法規工作委員会は、「憲法第四十条と民事訴訟法第六十五条および電信条例第六十六条(の間の整合性)を、どのように理解すればよいのか」という質問状を、中国の国会に当たる全国人民代表大会(日本では全人代と略記。中国語では全人大)常務委員会法制工作委員会宛てに提出している。湖南省の某移動通信会社が行政訴訟案件で、湖南省の党が委員会に法律上の回答を求めてきたが、これは委員会の権限の範囲を超える問題なので、教えを請いたいという質問状だ。

 このような質問を「中国人大網」(全国人民代表大会のウェブサイト)に堂々と載せているということに、私は一種の深い感慨を覚えた。

 これは角度を変えれば、激しいネット言論の検閲を行っている中国政府にとっては、かなり致命的な質問であるはずだからだ。

 この質問状にある「中華人民共和国電信条例」第六十六条には「電信ユーザーが法に依拠して使用する電信の自由と通信の秘密は法律によって保護される。国家安全あるいは刑事犯罪追跡の必要から公安機関、国家安全期間あるいは人民検察院が法律の規定に基づいて電信の内容に関する検査を行うことを除けば、いかなる組織も個人も、いかなる理由によっても、電信内容の検査を受けてはならない」とある。

 また人民法院が「中華人民共和国民事訴訟法」第六十五条に基づいて証拠を集めるための調査を行う時は、上述の憲法に符合して、公民の基本的権利を侵してはならないはずだ。そうなると、某移動通信会社には、これら関連の法文が整合性を持っていなければならないので、それに基づき保護されて良いのか否か、というのが質問状の骨組みである。

 これに対して、2004年4月9日、全人代条委員会法制工作委員会が回答をし、その回答が同じページにある。回答は簡単に「湖南省人民代表会議法規工作委員会から来た書信が提出した意見に同意する」とのみ書いてあるだけだ。

「個人の尊厳を享受したい」
 が、憲法がこれを保障しているとすれば、現状のような形でのネット検閲は違法にはならないのか、これが網民の怒りでもあろう。
 


冒頭のブログの作者・漢尼抜(ハンニーバー)さんは、その思いを以下のようにぶつける。

 いったい誰が個人のウェブサイトを随時当直して書き込みを削除することを要求したのか?

 私もかつて何度も站長(駅長)により(私の)名前を消され書き込みを全て削除された経験を持つ。またある時には、千に上る書き込みが一瞬にして影も形もなくなったということを経験している。しかし私自身は、それ故に站長に恨みを抱くということはしたことがない。なぜなら、彼らが直面している“圧迫”は、決して彼らが自ら望んで受けているものではないのを私は知っているからだ。

 私たちは個人の尊厳を享受したいと望んでいる。
 以下の私の文章はネット警察によって消されてしまったが、尊厳のために我々は“ネット蜂起”を起こそうではないか!

 ここ以下は削除されているが、日本からだと見ることができるので、以下に記す。

ネット蜂起は決して違法ではない。憲法に基づくなら、公民には言論の自由がある。物権法に基づくなら、サーバーとウェブサイトは個人財産であり、任意に侵害されてはならない。ネット警察がもし「ある書き込みが違法である」と認識したのなら、彼らは書き込みをした人を提訴する権利を持っているのである。裁判所はその書き込みを行った某人に審判を行い、書き込みをした人は、自分の言論に責任を持てばいいのである。

 ネット警察は他人の書き込みを(その人の了承なしに勝手に)削除する資格を持っていない。某人の言論が違法であるか否かに関しては、裁判所のみが判決を出す権利を持っているのであって、ネット警察に裁判官に代って審判を下す資格がどこにあるというのか?

 非常に多くの事実が証明しているように、ネット警察によって削除された言論は、国家の法律には決して違反していない。彼らは非常に野蛮な方法で他人の自由を制限しており、これこそはまさに憲法違反なのである。

 こういった網民の怒りが、今般の[08憲章」というネット民主運動につながったといえよう。

 この連載が始まった最初の時に、私はいずれネットから「文化革命」が生まれるだろうということを書いた。その予感は的中していたことになる。流血のない革命だ。

 「08憲章」では、「自由、人権、平等、共和、民主および憲政」に関して基本理念を位置づけ、それに基づいた新たな憲法の典章が19項目にわたり明記されている。そこには「三権分立や、人権保護、公職選挙、結社の自由、集会の自由そして言論の自由」等の主張が書かれているが、そこで主張されている多くは(三権分立等を除けば)、実は現在の中華人民共和国憲法にも謳われているものなのである。それなのに、それらが実行されない現状を招いているのは、なぜなのか?

「08憲章」は「党天下」への反逆である
 それはすべて、「中国共産党の指導の下で」という“大前提”が憲法に明記されているからであり、全国人民代表会議という機構に全ての権限を集中させる「民主集中制」を堅持するという“大原則”が現憲法で定められているからだと言うことができよう。

 それがあるため、どんなに憲法第35条で中国公民の「言論、出版、集会、結社、デモおよび示威行動の自由」を保証し、第四十条で「通信の自由と通信秘密の保護」を保証しても、少なからぬ条文に付帯条件として付いている「国家安全あるいは刑事犯罪の追跡調査の必要性から、公安機関あるいは検察機関が法律の規定に則って通信に対して検査を行う」か否かを判断する権利を党に求めることが正当化されるのである。

 この大前提と大原則を覆して、「党天下」を崩し、三権分立と公職選挙の徹底により主権在民の施政を要求するとしたのが「08憲章」の基本精神だ。そして「中華連邦共和国」を樹立させようと訴えている。

 この宣言の中で、最も私の興味を引いたのは、結語の部分に「政治の民主変革は、これ以上引き延ばすわけにはいかない」という言葉があることである。

 この言葉はまさに、マルクスレーニン主義の砦であるような中国人民大学の前副学長・謝韜(しゃ・とう)が書いた『民主主義モデルと中国の前途』の中に出てくる言葉と全く同じだからだ。

 これは何を意味しているのだろうか。

 前にも何度か触れたように、それと相前後して、胡錦濤のブレインの一人と言われている兪可平(ゆ・かへい)もまた『民主はいいものさ』という本を世に出している。中国では出版に関しては国家新聞出版総署の検閲があり、それをクリアしていなければ出版はできない。特に兪可平は現役の中国共産党中央編訳局副局長だから、出版に際しては党の同意が必要なはずだ。

 ネット空間で、網民による「ネット民主」に対してここまでの厳しい規制を行っている同じ政府が、なぜこのような、網民の見解と一致する側面を持つ「民主本」出版を許可したのか。

 そこには、何かが潜んでいるはずだ――。

胡錦濤は「アメとムチ」で何を目論むのか
 オリンピック開催に向けての「諸外国への単なるポーズ」とは私には決して思えない。このようなシグナルを出したからには、何かの政府の意図、というよりも胡錦濤の意図を予感せずにはいられないのである。網民のリアクションさえ、織り込み済みだろう。

 私はかつて『卡子(チャーズ) 出口なき大地』(読売新聞社 1984年)という本の末尾で「破局することのない虚構の巧みさ。その手の打ちかた。大地の歴史の時間というのは、このようにして刻まれていくのか」と書いた。いままた、同じ感慨を以て、私を生み育んだ、あの大地の原則にぶつかった思いを抱かずにはいられない。

 ネットから生まれた「民主」の奔流はどこに行くのか、そして胡錦濤は「中国式民主主義」をどこへ向かわせようとしているのか。実はこれこそがこの連載に潜ませた大きなテーマの一つだ。

 そこに行きつくまでには、どうしても2006年から2007年にかけての一連の「民主論争」に関して、詳述しなければならない。次回からは、まずその現象を追い、続いてそのシグナルが何を暗示しているのかに関して、メスを入れていきたい。

 なお、これまでご紹介してきた『ネット空間官民争奪戦』の著者たちである維権網は、“国境なき記者団”と連携を持っていたことが判明したし、また、まちがいなくそのメンバーの中に中国政府側の者がいることも、突き止めた。したがってこのリポートの信憑性に関しては非常に高いということが分かったが、そちらの継続的ご紹介に関しては、また日を改めることにしよう。

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産声上げた日本版TFA、教育・就活問題解決に大きな1歩!

2010.10.07(Thu)JBプレス 福原正大

 大学は、いつから学びの場所ではなく、就職予備校になったのだろうか?

 就活時期は早期化の傾向をますます強めている。文系大学生では、3年生の夏ごろから就職活動をスタートさせ、最低でも半年から1年程度行うのが通常である。近年では理工系の学生の就職活動の期間も早期化しているという。

CSR重視の企業ほど学生の青田買いに熱心!

悪いのは学生ではなく、企業と大学である。企業側の論理としては、早期に優秀な人材を取り込み、企業利益の最大化を図りたい意識が強い。

 そして、競争意識が働くので、競合他社が学生取り込みに走れば、自らも先んじて行う。負の連鎖である。

 こうしたことを行っている企業に限って、CSR(企業の社会責任)を重視していますと喧伝したがるお寒い状況がある。

 一方、こうした状況を放置している大学側にも責任がある。大学全入時代である今、大学側は研究や教育内容の充実というよりは、どういった就職先があるか、企業内定率の高さを競っている。こうした大学は就職予備校と名を変えるべきであろう。

 さすがに一部企業や大学もこうした状況に危機感を持ち、就職活動を4年生の夏からにということを言い始めた。当たり前である。

大学生の教師を派遣、教育格差是正を!

 ただ、過去にも就職活動が早期化した際、協定を結び早期化を止めたものの、また協定破りが起こり同じことを繰り返した過去がある。

 大学は学生のモラトリアムの場所で、企業はそれを前提に自らの利益最大化のために優秀な学生の囲い込みを行う構図自体には変化がないのである。

 もっと抜本的に新しい取り組みを図る必要がある。例えば、大学生を教師として学校に派遣し、社会問題となっている教育格差を是正させ、同時に大学生自らの成長を図らせるのである。

 企業は、そうした取り組みを金銭面などからサポートし、優秀でかつ社会貢献もできる人材を採用する。実は、こうした流れの延長上にある非営利団体が存在する。

「Teach for America(TFA)」はその1つ。1990年にプリンストン大学の学生であったウェンディ・コップが、全米の大学卒業生を2年間劣悪な環境にある各地の公立学校に教師として送り込むために立ち上げた非営利団体だ。

日本で産声上げたLFAとは!

 これまでに2万人を超える学生を派遣し、全米大学生の理想の就職先上位に位置している。そして、この日本版が、この夏、産声を上げた。その名は、「Learning for All(LFA)」である。

 LFAを設立したのは松田悠介氏。高校の体育教師、千葉県市川市教育委員会を経て、ハーバード教育大学院で修士を取得後、外資系コンサルティングファーム勤務といった異色の経歴を持った人材である。

 大学院在学中にTFAを知り、研究を重ね、同モデルの日本での展開に向けて奮闘している。

 日本の教育システムもあり、当初から米国同様のモデルは難しい。そこで、最初の夏は、短期的に教育格差の影響を受けている中学生の子供たちに対して、大学生が勉強のサポートを行う。

 そして、大学生に対しては、世界の変化に合わせた最新の教育法を伝授する。

早朝から大学生が教育方針巡って大議論!

 LFAのこの夏のある1日を追ってみよう。東京大学や慶應義塾大学を中心とした20人の大学生たちが、朝8時前くらいから集まり、前の日に行った中学校の生徒たちへの教育方法と効果について議論をしている。

 「より分かりやすく教える方法はなかったのか。効果はどうか」真剣な討議である。朝9時から3時間は、大学生が指導能力を高めるために、大学生自らが学ぶ時間に充てている。社会の第一線で活躍している教育陣から、世界を視野に入れた実践的な講義を受ける。

 中学生の学力を高めるために、自らも成長することを目指しているのである。昼食時も指導方法について大学生と松田氏を含めた指導者が議論を重ね、時間はあっという間に過ぎる。

 午後になると、大学生たちは学んだ指導方法を最大限実践しようと熱い思いを抱いているところに、続々と中学生たちが集まってくる。

松田氏によれば、夏休み期間中に25人の中学生たちの成績は平均で1~2割程度伸び、大学生自体も大きく成長したという。確かに、「教える」ことは最大の「学び」につながる。

自分が教えることで、学びのスピードが格段に向上!

 筆者は、この大学生に対して米国のケーススタディーを利用し、「クリティカルシンキング」を教授し、子供にバイアスのない教育を行う重要性を説いた経験がある。

 その際、大学生の優秀さと、新しい知識をスポンジのように吸収しそれを子供の教育で実践しようとした力に驚いた記憶が新しい。

 一方で、こうした授業が日本を代表する大学で行われていないことにショックを受けたのも事実であるが。

 また、この取り組みの素晴らしいことは、日本でも増え始めている「教育格差」の是正にもつながるということである。松田氏は次のように話す。

 「日本では米国のような格差はないと信じられていますが、実は東京だけ見ても、場所によっては国から支援を受けないと公立学校に通えない就学援助世帯が50%近くに上ります」

 「こういった地域では、学校現場が荒れているにもかかわらず、ほかの地域と同じ教育リソースが投入され、現場の先生方も疲弊してしまっている」

 「学習意欲がないまま育った子供たちは、進学意識・就労意識も低く、結果として自分の親たちと同じような低所得世帯になる、という負の連鎖が起こっています」

 「こういった現状に対して我々は、教育に情熱のある卒業生を特に教育困難地区の学校現場に送り込むことで子どもたちの学習意欲を引き出し、貧困の連鎖を断ち切りたいと思っています」

こうした学生たちの試みに企業もぜひ支援を!

大学生も自ら成長し、社会的問題になりつつある「教育格差」対策にもなる。また、現場の教師にしてみても、若い活力ある人材が2年間教育の現場に出ることは刺激になるはずである。

 これまで教職課程を取らず企業に就職していた学生が、教育の場に一時的にでも入り、その経験を元に一部がそのまま教育界に残ることになれば、新しい教育の形の一歩になるのではないだろうか。

 教師の世界も多様性は必要である。また、日本企業は、早期就職活動にお金を投じる余地があるのであれば、LFAを資金的に支援し、そうした活動の中で成長した優秀な人材を得る努力をしてはどうであろうか。

 実際、米国では、ゴールドマン・サックスなど名だたる企業がTFAの資金的支援を行い、TFAの卒業生を優先的に企業に迎え入れているのである。

 文部科学省や、守られていることに安住している一部教師からの圧力は非常に強いことが予想されるが、日本でやっと日の目を見たLFAにはぜひ頑張ってもらいたいものである。
軍師を仕立て三位一体の戦略を! 2009.06.20(Sat)川嶋諭

 本日から2日間の予定で開催されている「第8回産学官連携推進会議」で、妹尾堅一郎・東京大学特任教授は、オープンイノベーションについてキーノートスピーチをする。それに先立ち、このコラムでは妹尾教授に日本におけるイノベーションモデルのあり方を2回にわたって聞いてきた。最終回の今回は、先進国との連携のあり方、新興国や発展途上国とはどのようにつき合うべきかなど、ディフュージョン(拡散)にとって不可欠な国際戦略を中心にお伝えする。

NIESやBRICsを取り込んで事業組み立てた欧米諸国!

問 前回はイノベーションにはディフュージョンが欠かせないことをインテルの例を中心にご説明いただきました。グローバル化が進んだ現在、それは緻密な国際戦略が必要になっているということだと思います。先進国や新興国、発展途上国とでは、その場合の取り組みも大きく異なってくるでしょう。先生はどのようなディフュージョンのあり方が日本にとっては必要だと考えていますか。

妹尾 日本の戦略を練るには、欧米がどのような戦略を取ってきたかを目に焼きつけておく必要があります。そこから説明しましょう。

 欧米企業は、イノベーションを効率的かつ加速度的に起こすために、NIES(新興工業経済地域)やBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)の力を利用しました。ここにはコストが安くて生産性の高い労働力があります。また、今後の発展を期待するまでもなく非常に大きな市場があるのです。なにしろ数十億人という人口を抱えています。

 欧米企業はここに拠点を設け、製造はほとんど委託してしまった。開発は欧米、製造はこうした国々という分業体制を作ったのです。言葉は悪いですが、かつての植民地政策的な考え方で推進していきました。

 ただし、昔と決定的に違うのはNIESやBRICsの人たちがそれを喜んで受け入れているということです。製造工場ができることで雇用が生まれ所得が上がる。そして経済が発展するという好循環をもたらしたからです。

 かつての植民地政策を垂直分業とするなら、水平分業まではいかないので、斜形分業とでも名づけましょうか。

植民地支配時代とは違うウイン・ウイン関係の斜形分業!

問 斜形分業とは面白い言葉です。しかし、日本もASEAN(東南アジア諸国連合)や中国に製造拠点を設けて製造はかなり移管していると思います。不十分ですか。

妹尾 根本の発想が違うのではないでしょうか。欧米企業は製造部分はオープン化させて任せてしまう方式です。日本の場合は日本のある部分を持って行ったという程度でしょう。しかも日本企業として現地で生産している場合がほとんどです。

 欧米企業は、もはや製造部門は持たず、NIESやBRICsの企業に移管してしまいました。もちろん一部、自前で作っているところもあるでしょう。こうしてこれらの国々と持ちつ持たれつの強い関係を作ってしまった。その意味が大きいのです。

 日本の場合は中途半端なので、欧米とNIES、BRICsのような強い関係が作れていない。

問 製造は新興国に移管、つまり丸投げしてしまうことで、自分たちは開発に特化、開発のスピードが上がり、新興国では逆に製造に特化しているので、製造のスピードや効率、品質管理の向上が一気に進むわけですね。

妹尾 そうです。欧米とNIES、BRICsがそのような関係を作ってしまった仕組みの中に中途半端に日本が出て行けばどうなるか。私は日本が独自の仕組みを作ることができずに、欧米の作った仕組みの中にうまく取り込まれてしまうと思います。

 実際に欧米の企業は日本にラブコールを送っていると思います。彼らは日本の優れた技術が欲しい。それを自分たちの中に取り込んで、新興国と結んだ仕組みの中で、新しいイノベーションを起こそうと狙っているわけです。

 取り込まれても構わないのかもしれませんが、その時、日本にはどのような利点があるのか、その点は考えておかなければなりません。私は個人的に、日本の技術を取られてしまうだけのような気がしてなりません。

日本は科学技術大国だが技術立国ではない!

問 欧米と新興国が作ったタイトな協調関係、これこそがイノベーションの一部というわけですね。その中に日本が入っても歯車の1枚にされるだけで得策ではないと。それでは、これだけの開発力、技術力のある日本はどのような方策を取ればいいのでしょう。

妹尾 まさしくここを議論しなければならないのです。最も大切なイノベーションはイノベーションのモデルを作ることです。今までの日本の科学技術政策において、ここが決定的に欠落していたのではないかと思います。

 もっと言うと、頭の良い政策担当者は分かっているんですよ。ところが、こういう議論が必要だとすると、今までの政策からカーブを切ることになるので、かなり大変なのです。例えば、今までに申し上げたことを敷衍すれば、実は「ニーズとシーズのマッチング」などというのは、ほんの一部の話にしか過ぎなくなってしまうからです。とはいえ、これまでのモデルを超えて新しい時代の政策立案にぜひ勤しんで欲しいところですね。

 日本は科学技術大国であることは間違いがありません。しかし、科学技術立国になっているのかと言えば、明らかにノーです。立国できる政策がまだまだ不十分で、かつ旧式なものが多いからです。

 実はそのために変な現象が起きています。科学技術で勝てないから、科学技術にさらに力を入れましょうとだけしがちになってしまうという点です。でも本当なのでしょうか。それだけではなく、科学技術大国を立国化するために、ビジネスモデルと標準化を含めた知財マネジメントを促進する政策を打つべきなのです。

 私はこれを「江戸時代の糖尿病」と呼んでいるんですよ。

江戸時代の糖尿病治療と同じで全く逆の処方をしていないか?

問 江戸時代にも糖尿病という病気は認知されていたんですか。

妹尾 おしっこに蟻が群がることから、分かっていたようです。それで当時の医者たちは何をしたかと言うと、おしっこから糖が出てしまい体が弱ってしまうから、どんどん飴とか砂糖を取りなさいと処方したんですね。全くの逆療法です。

 今の日本の置かれた状況もこれと同じではないでしょうか。既に科学技術大国とはいえ、いつ追いつかれてもおかしくない。だから、科学技術に注力するのは当然です。しかし、大国から立国へ移るためにもっと注力すべきは、ビジネスモデルと知財マネジメントといった側面なのです。科学技術を活かすためには、科学技術以外に予算を使うべきだというパラドックスを理解しなくてはならないのです。

 どうすべきか。産学官がその点を建前なしの本音で真剣に考えなければなりません。きれいごとを言っていても何も解決しない。そうこうするうちに米国や欧州、中国などが国益を考えた手を次々と打ってきます。

 米国のオバマ大統領が世界最大の米国を象徴する企業の1つだったゼネラル・モーターズ(GM)を潰す決断をしました。これは何を意味しているのかを日本のリーダーたちはしっかり読み解かなければなりません。GMを潰すことで次の覇権につながる手を打っているわけです。複雑なしがらみにがんじがらめにされた組織を壊し、次のイノベーションが効率的、加速度的に進むことに国家として取り組んでいるのです。

 それに比べ日本はなんと能天気なことでしょうか。シリコンバレーの電気自動車メーカー、テスラ・モーターズが横浜で実証実験をすることを支援しています。敵に塩を送るようなものでしょう。さらに電気自動車について言えば、日本の電力会社は電気自動車に電気を供給するためのプロトコルで全く別々の案を提案して内輪もめ状態です。これでは電気自動車の普及が進みません。

技術、知財、事業の三位一体によるイノベーションを!

問 技術だけせっせと開発してもイノベーションは生まれない。それよりもイノベーションを生み出す仕組みに知恵とコストをかけよということですね。

妹尾 私は三位一体のモデルが必要だと思います。研究機関と知的財産を扱うところ、そして事業戦略が三位一体になってイノベーションを起こす戦略を練らなければなりません。研究機関は今まで日本が得意だった改善による進化ではなく、全く新しい急所技術の開発。

そして知財のところは標準化してオープンにするか、外には一切出さないか、それらをしっかりと使い分けるしたたかな戦略が求められます。また事業のところでは、どのようにディフュージョンを起こすのか事業拡大と収益拡大とが同時にできるようなビジネスモデルの開発をしなければなりません。

 この3つをばらばらにやっても意味がなく、お互いが協調し合いながら最も効率的にイノベーションが起こる仕掛けを考える。その役目が、前にも言った軍師だと思います。この軍師に求められるのは非常に高い世界観と、もちろん技術を読み解く目が必要です。また、それにも増して交渉力というものが求められるのです。日本人が一番弱いところかもしれません。

OSをオープンソース化したアップルコンピュータの狙い!

 前にインテルの例を出しましたが、あれは半導体メーカー主導で、その上のモジュール化された部品のメーカー、そして完成品メーカーを巻き込んでイノベーションを起こしたケースでした。私はこれをコマーシャルをもじって「インテル・インサイド」モデルと呼んでいます。

 一方で、逆のパターンだって考えられますよね。それが実は「アップル・アウトサイド」モデルだと思います。これはスティーブ・ジョブズ氏が率いてイノベーションを起こしたアップルコンピュータのケースです。

 インテルのケースと違って、ここの核となる技術はコンセプトにあります。部品の大半は日本の東芝など外の企業に任せて作り、自分はもっぱらコンセプト作りに注力した。「iPod」「iPhone」という商品はそれ自体画期的ですが、これには「iTunes」というサービスがついていて、実はここの著作権を核としたサービスビジネスとの相乗的関係づくりがアップル成功の「からくり」なんですね。

 アップルはかつての虎の子だった基本ソフト(OS)をオープンソース化してしまいました。それによって様々なソフト会社がアップル向けのソフトを次々と開発してくれるようになりました。インテルのケースと同様、事業の中心はあくまでクローズにし、それ以外でディフュージョンに不可欠なところは次々とオープン化していく。

 その決断ができたのがジョブズ氏です。彼がアップルの軍師であることは疑いがありません。

もっと危機感を持った議論を!

問 ジョブズ氏のような強烈な個性を持った人が日本企業の中でリーダーシップを取るのは難しいかもしれません。

妹尾 確かに。大企業の場合は可能性は薄いでしょうね。しかし、中小企業のレベルだと、その可能性はあると思っています。「第8回産学官連携推進会議」では、実はそんな中小企業の方にめぐり会えるのではないかと期待しているのです。

 これまで例に出してきたインテルもアップルもまたIBMも、大きな敗戦を経験しています。日本メーカーに痛めつけられて非常に苦しい時期がありました。しかし、苦しいからこそ、次の戦略を徹底的に考えたのです。

 日本は今、本当に苦しい。それをバネにしなければなりません。残念ながらまだ危機感が薄いのではないかと感じていますが、本気で考えれば日本発のイノベーションは不可能ではないと思います。そのためには産学官が本当に一体となって戦略を練る必要があります。
インテルと日本の電機メーカーの格差はなぜ生じたのか!

2009.06.19(Fri)JBプレス 川嶋諭

 前回、戦略性がないために、現時点でいくら技術力があっても日本の将来は真っ暗だと第8回産学官連携推進会議の旗振り役の1人、東京大学の妹尾堅一郎・特任教授は言い放った。それでは日本はどのような戦略を描けばいいのだろうか。

問 少し復習すると、オープンイノベーションが大切だからと言って、闇雲にそれに突っ走るのは危険だというお話でした。成功するための青写真をきちんと描くべきだと。戦略性の差が如実に現れている事例は何かあるでしょうか。

諸葛孔明が軍配を振っていたインテル!

妹尾 軒並み大きな赤字に悩む日本の半導体(電機)メーカーに対し、独り快調な経営を続けているインテル。これは、まさに戦略性の違いと言えるでしょう。

 こう言うと、決まってインテルにはマイクロプロセッサーの知的財産が豊富にあるからだろうという意見が出てきます。でも本当にそうでしょうか。実は、各社の半導体に関する特許の数を比較した研究があります。

 半導体特許と一概に言っても定義が様々なので正確な数字の比較は難しいのですが、そんな数字が意味を持たないほどの差がありました。圧倒的にインテルの勝ち。そう思う方が多いかもしれません。ところが、全く逆でした。

 日本メーカーは1社で平均して2000弱、全体では1万件以上の特許を持っています。ところが、インテルの特許は320件ほどしかなかったのです。これはどういうことなのでしょうか。

 桁違いに少ない特許しか持たないインテルが、数多くの特許を押さえている日本勢に圧倒的な勝利を収めている。三国志に例えれば、赤壁の戦いですね。今流行のレッドクリフです。大軍を擁する曹操軍にわずかな兵隊で戦いを挑んで圧倒的な勝利を得た劉備・孫権の連合軍が持っていたもの。それは天才的な軍師でした。

 インテルには諸葛孔明がいたんです。残念なことに日本の半導体(電機)メーカーには諸葛孔明どころか軍師そのものもいないという状態です。イノベーションにおける戦略が全く欠如していた。それが、日立や東芝など日本を代表する電機メーカーが軒並み数千億円の赤字を出すような状況に追い込まれた原因です。

なぜ儲からないパソコンを作り続けたのか?

問 軍師がいないというのは面白い表現ですね。ではインテルの軍師はどんな戦略を立てたのでしょうか。

妹尾 まず1つが戦略的オープン化です。マイクロプロセッサーのコア部分は全くクローズにして外には決して出さないのですが、その外側でユーザーに直接つながる部分は全部開放してしまった。

 外側が開放されたために、非常に多くの企業がインテル製のプロセッサーにつながる様々な機器を開発し始めました。こうしてインテル1社だけでなく、多くのプレーヤーが参加してパソコン市場を作り出していったのです。

 ところが、インテルの軍師はこれだけでは満足しませんでした。さらに巧妙な次の一手も用意していたのです。自らマザーボードやパソコンを作って売り出してしまった。

問 利益率の極めて高いマイクロプロセッサーに対し、パソコンは利幅が低い。あえて利幅が薄いか場合によっては赤字にもなる事業に乗り出すというのは、米国流の経営では本来考えられません。ゼネラル・エレクトリック(GE)の経営手法が象徴的ですが、それぞれの市場で1位か2位以外の事業は切り離すのがいわゆる米国流ですよね。ところがインテルは利幅の小さいパソコン事業に乗り出した。これは、パソコンメーカーにとってもライバルが出現することになり、プロセッサーを売るメーカーとしては禁じ手のはずですよね。

妹尾 チップと他の部品をくっつけてパソコンを作るのは、難しいものです。そこで、インテルは、自らパソコンを制作しやすくするマザーボード化の技術を開発しました。

 そして、何と、インテルはその技術を台湾のメーカー群に提供したのです。もちろん、当時の台湾メーカーは喜んでマザーボードを格安でつくります。その廉価なマザーボードはあっという間に普及し、パソコンの組み立てメーカーを雨後の竹の子のように出現させました。

 つまり、パソコン市場をあっという間に何百倍にも拡大したのです。ただしその収益はインテルに還元されることになっています。このような「からくり」を作ったのが、インテルの「軍師団」であったと言えるでしょう。

 こうして積み上げたノウハウをインテルは惜しみなく全部開放してしまいます。もしパソコン事業が大切ならそんなことはしません。明らかに別の狙いでマザーボードやパソコン事業を推進したのです。

 そのノウハウを使ってパソコンのコストが下がり、メーカーも増える。つまり、インテルは市場のディフュージョン(拡散)をこれによって仕掛けたのです。

オープン化と言っても、絶対に開放してはいけない部分がある!

問 そしてある程度ノウハウが浸透したら、パソコンやマザーボードの事業からは撤退してしまった。ディフュージョンは、「呼び水」的な意味合いもありますね。

妹尾 こうした巧妙な戦略を取ったことにより、IBMが支配していたコンピューター産業に大きな風穴を開け、見る見る市場を拡大させていったわけです。IBMがその戦略に気づいた時は既に遅かった。

 また決して忘れてはいけないことは、インテルはプロセッサーの内部については一切、オープン化していないということです。前にも言いましたが、オープン化なんだから何でも開放するという姿勢ではいけません。守るべきところはきちんと守り、オープンにするところは戦略性を持って開放することが大切です。

 私はイノベーションがインベンションだけで起きる時代は終わったと見ています。現在のイノベーションには、インベンションとディフュージョンの両輪が不可欠になってきました。少し頭を整理するために、イノベーションを年代ごとに分類してみましょう。

 第1期は個人発明家の時代です。トーマス・エジソンのような個人の発明家が引っ張った。

 第2期は個別の企業が画期的な技術を開発することでもたらされたイノベーションの時代です。エジソンが作ったGEもそうですし、ナイロンを発明したデュポン、乾式複写機を発明したゼロックスがその代表でしょう。

日本企業が主役だった第3期!

 第3期は複数の企業が切磋琢磨しながらイノベーションを起こす時代です。年代的には1960~80年の20年間位でしょう。この時代の主役は日本企業でした。東芝や日立、三菱電機、ソニー、パナソニック、自動車で言えばトヨタ自動車、日産自動車、ホンダに三菱自動車など。

 国内の熾烈な競争が新しい技術や改良を次々と生み出し、ここで勝ち残ったイノベーションは世界での成功が約束されていた。

 そして第4期に当たるのが、オープンイノベーションの時代です。インテルの例に見られるように、ある部分をオープンにして市場拡散を同時に発生させる。この時代には、イノベーションのモデルそのものがイノベーションされる時代と呼べるかもしれません。

 第4期、つまり現在のイノベーションにとって重要なのは、研究開発だけが主役ではないということです。拡散させる仕掛け、つまり練りに練った戦略的な経営が必要になるのです。既にこの時代に入って時間が経過していますが、日本の大企業の経営者の方々にそのような発想があるのか、私は疑問に思っています。

 このシカケを考える場合、とりわけ大切になってくるのが国際性です。ディフュージョンは日本の国内だけでは意味がありませんから。先進各国、そしてBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)、NIES(新興工業経済地域)に対してどのような戦略を取るかが重要になってきます。これについては次回に。(明日につづく)
2010.10.07(Thu) The Economist

中国は特許出願件数で日本を追い抜こうとしている。

 今からわずか5年前、典型的なアップルの「iPod(アイポッド)」に内蔵されている高価な部品の大半は日本製だった。今、iPadを分解すると、ほぼすべての重要部品は韓国製か台湾製だ。こんなにも短期間に、アジアのハイテク産業における日本の優位性は近隣諸国に侵食されてきた。

 2006年から2009年にかけて、米国、欧州、韓国での特許出願数は概して安定していた。だが、日本での出願件数は減る一方、中国が出願件数を大きく伸ばした(図参照)。

 このまま行けば、中国の特許出願件数は今年初めて日本を上回る可能性があり、中国は米国を射程圏内に収めることになる。

 これは驚くべき逆転劇だ。何しろ、2000年時点では、日本の特許出願数は中国の4倍にも上っていたからだ。

 特許というものは、大雑把ではあるが、イノベーション(技術革新)の有益な指標になる。最近の情勢の変化は、中国の開発者が知的財産保護に利害を持ち始めていることの表れで、これは歓迎すべきことだ。

 また、国の特許は外国企業の技術も保護するため、この傾向はグローバル企業各社が市場および生産拠点として中国を熱心に開拓していることを反映している。日本企業でさえ、中国国内で特許出願を増やし、自国での出願件数を減らしている。

国際特許の出願も増やす中国勢!

 さらに、中国企業は海外市場にも積極的に進出し始めている。世界知的所有権機関(WIPO)の最近の報告書によれば、2008年から2009年にかけて、日本のハイテクオタクが特許協力条約に基づく「国際特許」の出願を11%減らす一方、中国のオタクによる出願件数は18%増加した。

 とはいえ、日本人は特許を実際取得できる確率がずっと高いことや、自分たちの特許が他の特許に引用される頻度が高いことにいくらかの慰めを得られるだろう。

 経済危機を受けて、多くの企業が研究開発費を削減した。2008年から2009年にかけて、ソニー、シャープ、トヨタ自動車、東芝をはじめとする日本企業の多くは、研究予算を10~20%削減した。その一方で、通信機器を製造する華為技術や中興通訊(ZTE)などの中国企業は、研究開発費を30~50%増額した。

 購買力平価ベースでは、中国国内の研究開発費は間もなく日本を抜くだろう。

日立は例年、売上高の4%を研究開発に充てていると、同社社長の中西宏明氏は説明する。だが、こうした予算の縛りは、市場の需要を無視するもので、好機を逃すリスクがある。それでも中西氏は、会社の方針に満足していると言う。

 それに対して、韓国最大のコングロマリット(複合企業)であるサムスンは今年、絶対額で研究開発費を2倍近くに増やす計画だ。昨年、サムスンの利益は日本の大手電機メーカー9社の利益合計額を上回った。

 中国が特許出願を強く推し進める背景には、政府の方針がある。中国企業はライセンス供与および特許使用料として、年間100億ドル以上を外国企業に支払っており、その額は毎年20%のペースで増えている。

 自国で技術を開発すれば、そうしたコストを回避できるし、外国企業に対する中国技術のライセンス供与も可能になる。さらに中国企業は、有利な条件で外国企業とライセンス契約を結ぶこともできるようになるだろう。

研究開発の国際化の流れに取り残される日本
 イノベーションの性質に見られる最も顕著な変化の1つは、研究開発の飛躍的な国際化だ、とWIPOのエコノミスト、サチャ・ヴンシュ・ビンセント氏は言う。1990年に出願された国際特許のうち、外国人と共同開発された特許は1割にも満たなかった。今日、その数は全体の4分の1を占めるようになった。

 しかし、日本は依然、情けないほど孤立しており、外国人と共同出願された特許案件は全体の4%に過ぎない(米国の特許出願ではその割合は40%近い)。

 日本は今でも、世界最多の有効特許を保有している(2008年の保有件数は190万件)。それに対して米国は140万件、中国はわずか13万4000件だ。しかし、最も多くの外国特許が法的に帰属している国は、バルバドス、ルクセンブルク、リヒテンシュタイン、そしてアイルランドだ、と経済協力開発機構(OECD)は指摘する。

 そうした特許のほとんどは、特許収入に対して支払う税負担を抑えたい西側企業が所有している。これは、OECD諸国の政府が廃れさせたいと考えているイノベーションの1つだ。

© 2010 The Economist Newspaper Limited. All rights reserved.英エコノミスト誌の記事は、JBプレスがライセンス契約 に基づき翻訳したものです。
英語の原文記事はwww.economist.comで読むことができます。
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