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「京都」「アキバ」頼みを脱する!
2011年1月19日(水)日経ビジネス 安西洋之、中林鉄太郎
「クールジャパン」という政府の事業がある。
2010年1月に産業構造ビジョンとして作られた。今まで日本の経済をリードしてきたのは自動車産業やエレクトロニクス産業だった。しかし、これからは、ほかの産業も強くならないといけない。インフラ産業では原子力発電所や新幹線などの輸出が期待されているが、もう1つの核が文化産業の育成と強化だ。
そこに、クールジャパンの狙いがある。文化産業を支援するため、昨年6月、経済産業省にクールジャパン室が設けられた。2011年度からの施策実行を目指し、昨年11月より有識者会議がスタートした。年内にはクリエイティブ産業の振興を目的とした組織再編を行う予定だ(詳細は未定)。
そこで、事業の推進役である渡辺哲也クールジャパン室長に、戦略の背景を語ってもらおう。
「私の前職はアジア太平洋州課です。そして、アジアやオセアニアなどの国々を見てきて、日本の存在感が恐ろしいほどの勢いで失われていると実感しました。『クールジャパン?何、それ。日本に魅力なんてあるの?』という感じなんです。ケータイでも食でも韓国の人気は凄いし…。特に、若い世代がそうなんですね。経済力が低下し、ハブを失うというのは、日本がスルーされるってこと。ただでさえ、東の端にある国なのに、ますます他のアジアの国と距離が広がるわけです」
クールジャパンは内向きと外向きの2つの目的がある。1つは国内に眠っている「売れるネタ」を再発見して、自信を取り戻すこと。2つ目は、それらを海外市場で売れるようにすること。「でも、だからといって独りよがりの発信になってはいけません。相手の欲しがるものを用意しないと。ですからローカリゼーションは施策の肝になります」と渡辺氏は見ている。
今回、クールジャパン事業を紹介するのは、ローカリゼーションマップと日本の経済政策が「結果的」にどう関係するか、それを示すためだ。クールジャパンという表現や政策については批判も多々あるが、この意図を深く理解して、ローカリゼーションマップとの距離を正確に知ること大きな意味があると思っている。そのことによって、日本が世界で戦うための戦略が、より明確に見えてくるからだ。
「モノを売る」から「コトを売る」時代へ!
今、モノが、それ1つの価値だけでは売れにくくなっている。色々なモノが繋がってコトにならないと駄目だ。例えば、パソコンとスマートフォンとデジカメが繋がって、やっと一人前のデジタルライフが実現する。こうした現象は、デジタルネットワークの分野に限らない。
創作料理と伝統工芸の皿が出会い、それらが昭和モダンのテーブルの上に置かれた時にユーザーがどう感じるか、そこが売り手の関心テーマになる。即ち、いろいろな分野の商品に目が利き、文化や文脈を作れないと売れない時代になっている。だから、従来の分断された業界でモノを見ていると、ニーズが見えてこない。そこで「文化産業」という聞きなれない言葉がでてくる。そんな新しい消費について、渡辺氏はこう解説する。
「これからの消費のあり方は、同じ機能のモノであっても、時代の気分や物語りを感じることが重要であり、それが消費活動に繋がっていくと思うんです。買う場所へのこだわりもそうですね。これまで『ライフスタイル産業』と言われていたものに近いかもしれませんが、なかなかピッタリくる言葉がないんです…。文化産業やクリエイティブ産業という言葉も、広く認められているものではないですしね」
歯切れが悪い。それが、この事業の複雑さと難しさを物語っている。対象となる分野も、当然ながら幅広い。
「アニメなどのコンテンツや食、ファッション、デザインだけではなく、雑貨や家具といったモノ作りも入ります。特に力をいれようと思っているのは、本当は海外で売れるはずなのに、売る仕組みが作れなかったがために内需型になっているネタを、どうやって開拓していくか。予算要求にあたってパブリックオピニオンを募集したんですが、地方の方からのご意見が予想以上に多くて驚きました。地元の伝統工芸が国内はもちろん、海外でも売れるようになれば、地域活性化に繋がるという期待が大きいんです」
文化産業は、分野を特定することが難しい。インバウンド政策(外国人観光客誘致)も含まれる。ライフスタイルという意味では、ソーシャルメディアの主役であるスマートフォンも重要な分野だし、スマートフォン化するEV(電気自動車)も同様に大切だ。産業の線引きは、微妙で難しい。言ってみれば、賞味期限の切れ始めている従来の枠組みを捨てて、産業の新しい枠組みを作って日本経済の強さを再構築する――。それがクールジャパンの趣旨だ。
日本のあらゆる場所に散らばっているコンテンツを、どう売れるように編集するか。これがテーマになっている。
なぜ日本はコンテクストを作れなかったのか?
これは古くて新しいテーマとも言える。なぜなら、これまでも「地場産業をどう再生するか」という議論が続いてきたし、実際に補助金が付けられて海外の展示会に出展されてきたモノも多い。しかし、それが本格的なビジネスに発展したという話はあまり聞いたことがない。ごく限られた領域で認知が高まったに過ぎないのだろう。原因をあげれば色々と出てくるが、個人的には「独りよがり」が大きな理由ではないかと想像している。
こんな例が挙げられる。ある地方では、良い米がとれるし、優れた日本酒醸造メーカーもある。それだけではない。レベルの高い和食器を作る職人もいる。デザインセンターだってある。だから、こうした業種が集まれば、魅力的な食空間を提案できるはずだ。
ところが実際には、一緒にコンテクストを創造していこうという様子があまり見られない…。少なくとも、今までは、そういうもったいない地域が多かった。原因を考えてみても、「コンテクストを作り、市場を共有する必要性を感じていなかった」としか言いようがない。
だから、クールジャパンの目指す方向は間違っていない。コンテクストが重要になってきた時代に、その流れに沿っている。世界が日本に関心を持つ「とっかかり」を作らないといけないわけだ。日本のモノやコトを見ると、何か「ひっかかり」がある、そんな戦略的な「きっかけ」を世界中に埋め込んでいく。フック作りだ。フジヤマ、ゲイシャ、クルマ、寿司、ポケモンだけでは足りない。フックは多いほどいい。それも、日常的に接するシーンで見えるものが効果的だ。
日本のイメージは「京都」と「アキバ」だけ!
「とっかかり」を多く作るには、どうしたらいいのか。要は、日本のイメージを集中させるのではなく、拡散させることだ。
グーグルの画像検索で英語やイタリア語で日本を検索すると、特定のイメージ画像しかでてこない。極論すれば、京都と秋葉原の文化で、日本が成り立っている。英語版グーグルとイタリア語版グーグルで比較すると、やや内容に差異があり、違った日本観を持っていることが分かる。フランス語版グーグルは、さらに特徴が出てくる。それでも画一的な印象は拭いきれない。もっと様々な日本の画像が出てくるのが理想だ。
だからこそ、渡辺氏は海外に日本のモノを次々と出していくことで、画一的な日本の印象を変えていこうとしているのだろう。また、日本人も、自分たちを客観視して、それぞれの市場に合わせて変わっていかなければならない。
「多くの外国人と接しながら日本を見てる方は、かえって日本の良さが分かるでしょう。でも日本に住んでいる多くの方は、日本が海外からどう見られているのか分かりません。だから、とにかく色々なモノを外で売ってみて、取り引きを経験していかないといけないと思うんです。実際に、売ってみないと自分たちがどう見られているのか分からない。国内だけで商売してきた人たちにとっては、勝負はこれからなのです」
日本の伝統文化、大手メーカーが生み出す製品、オタクの文化…。日本のイメージはこれらに集中しがちだったが、文化産業を推し進めることで広がっていく。そして、ビジネスチャンスが増える。そんな好循環が出来上がってくるのだ。結果的に文化産業だけでなく、それこそ自動車や電機といった業界をも側面支援していくことになる。
「ファッションやアニメといった産業は、自動車や電機の産業規模と比べれば小さなものです。でも、フックにはなり得る。きっかけがないところでは、何も起こらないのです。潜在力のあるエリアを掘り起こしながら、外で勝つパターンを作っていかないと。外食やコンビニといったリテールのサービスもそうですね。とにかく間口を広げないといけないのです」
冒頭に書いたクールジャパン事業に対する典型的な批判の1つは、「マンガやアニメ、ストリートファッションで一国の経済を背負えるか」という疑念だ。しかし、経産省もこれらの産業を経済の背骨にしようと思ってはいない。が、これらがないと背骨の強化ができない。もちろん、マンガやアニメが「捨て駒」ではない。全てのエレメントはそれなりの存在意義を持ち、それらが全体に貢献するという設計図を描こうとしているのだろう。
ハイエンド市場の攻略法を準備せよ!
今、海外市場の開拓で注目されるのは新興国。特に中国やインドを中心にしたアジア諸国だ。その時によく言われるのは、「中間層というマス市場をどう狙うか」。これまで北米や欧州に対して、最初はローレベルのモノで市場に入り込み、次第に「高品質・高機能・高価格」のモノに移行していった。長期間にわたるローからハイへの上昇戦術で、一定の程度まで日本製品は認知度を高めた。ところが、ある時から、このハイエンドへのアプローチがグローバル市場での普遍的感覚に目を向けない、「独りよがり」であると判断されるようになった。日本市場の特殊性ばかりに目を向けすぎた、と。それを日本の企業も強く意識した。
アジア諸国の所得水準を考慮すると、これまでの先進国市場戦略とまったく違った発想で取り組まないといけない。そう認識するようになったが、「独りよがり」の反省は強く作用している。先進国市場での失敗の二の舞は回避せねば、と考えている。だから、大衆市場を把握することに注力している。
これはこれで大切だが、ハイエンドを売るストラクチャー作りはどうなっているのだろう。昨年10月の当コラム「「マルちゃんする」とメキシコで独自解釈されたカップ麺」で紹介したように、寿司も高級市場から中間市場へ広まっていった。しかし、その逆を行くのはなかなか難しい。日本ブランドのファッション品を買った客が、所得が上がってフランスやイタリアのファッション購買層に移行してしまう…。そんな事態を、指をくわえて見ることがないように、事前にハイエンドの戦略を考えておく必要がある。
渡辺氏曰く、「ハイエンドは大事です。これまでは、おカネを持ったら日本車をドイツ車に乗り換えるのがアジア市場での一般的な傾向でしょう。それを変えていかないといけませんね。例えば、インド人はヨーロッパの消費動向をよく見ています。それならば、日本企業はヨーロッパ市場でブランドを確立して、それからインドに持ち込む、といった発想が欲しいところです。マスの中間層が憧れる高いポジションを得ないといけないわけです」
要するに、ハイもミドルも両方視野に入れていないと行き詰る。ミドルの客は永久にミドルの客ではない。肝心なのは、ハイに上がる動きがどういうタイミングで生じるかの見極めだ。
緩いネットワークで売る!
日本ではメーカーや販社が社員を主体として営業部隊をつくる傾向が強い。しかし、ヨーロッパでは「レップ」あるいは「エージェント」が販売の根幹を成している。彼らは自分が持つ地域ネットワークを活用しながら、複数の商品を抱えて売り込んでいく。基本は歩合制である。鍋釜からベッドまで一緒に売り歩くこともある。もちろん、この制度ゆえの脆弱な点もあると思っている。だが、こうした商売のあり方が、日本とは違ったヨーロッパのビジネスパーフォーマンスを生み出していることも事実だと思う。
クールジャパン事業のコアコンセプトである「コンテクストの中で売る」という観点で見れば、このエージェント制度という考え方は有効ではないか。1人が受け持つ担当がもっと幅広くならないといけないし、そうした一人一人がネットワークでつながっていくことも重要だ。
そのネットワークは、緩くないといけない。何から何まで意見が一致する集団などあり得ない。何となく同じ方向を見ている人たちでいいのだ。でも、互いの顔が分かっていれば、必要な時に力になる。そういう「第三者には見えない緩いネットワーク」あるいは「看板のないネットワーク」を作っていく必要がある。渡辺氏はそこに、クールジャパンの存在意義を見いだしている。
「日本は今、海外ビジネスのプロデューサー的な人材が求められるのですが、実際にそんな人は多くいません。じゃあ、育成すればいいのかというと、それも難しい。もちろん、政府が顔を出しすぎるとおかしいことになります。だから、バラバラなネットワークを繋げるきっかけを作るとか、そこで起きた経験を広く伝えていく仕組みを作っていく。つまり、政府が触媒となり、みなさんが経験を増やす機会を提供することが役割だと考えています」
ローカリゼーションマップとの類似性!
ビジネスは民間が作っていくものだ。でも、現状では、余裕のある企業があまりにも少ない。異業種と組んでコンテクストを作るには、個々のプレイヤーが持つ「糊しろ」があまりないわけだ。
それでも、こうした企業群が外へ出て行かないと、日本経済は閉塞状況を打ち破れない。そこで、クールジャパンが、その一歩目を踏み出す環境を作ろうとしている。こう私は理解している。クールジャパンは今後、難航することもあろうが、その意図することは重要であり、取り組みを継続していかないといけない。
2011/01/19 フォーサイト 富山創一朗
平成23年度(2011年度)予算案の国会審議が始まる。前年度予算は政権交代でドタバタが続いていたから、民主党政権にとって渾身の予算案と呼べるのは今年度予算からだ。いや、そうなるはずだった。だが、現実には政権交代前から民主党が掲げていた「理念」はことごとく消え失せ、何とも切れの悪い予算案になっている。
例年よりも国会開会が遅れる中で、自民党や公明党、みんなの党など野党は、こぞって批判の声を強めている。そんな批判に「政府案が最終ではなく、議論で変えていい。合理的な修正はやぶさかではない」(岡田克也・民主党幹事長)という発言が飛び出すのも、予算を作った民主党自身に「自信がない」ことの表れと言えるだろう。
2年連続で税収を上回った「借金」!
予算全体の規模を示す一般会計の総額は92兆4116億円。これは過去最大だ。一方で歳入は税収が40兆9270億円にとどまり、新規国債発行額は44兆2980億円に達する。国債発行という「借金」による収入が「税収」を2年連続で上回る異常事態に陥るのだ。
借金が税収を上回ったことは過去に1度しかないという。昭和21年度、つまり第2次世界大戦に敗れた翌年度だ。戦費が賄い切れないほど巨額になったことが国債発行依存の理由とされがちだが、現実はやや違う。戦争中も国債発行額よりも税収の方が多かったからだ。
政府に力があり、国民が政府を支えようとすれば、国民は増税を受け入れる。敗戦直後は政府が国民の信頼を失い、国債発行に依存せざるを得なくなった、と見るのが正しい解釈ではないか。そして、「平和で民主的な国家を作る」という戦後の政府の方針を再び国民が信頼し、税収がメインの財政に戻っていった。
2年連続で国債発行が税収を上回る現状をどう考えるべきか。敗戦後の日本以上に、国民が政府を信頼していない、あるいは失望している、ということではないか。その意味を熟知しているはずの財務省がなぜ、そんな「政府不信任」ともいえる予算案を作ったか。
仮説は2つある。民主党政府を早期に葬るため、という考え方と、「財政危機」を煽ることで念願の消費税増税への道筋を付けるため、という考え方だ。どちらにせよ、財務省にとっては好都合というわけだ。これと平仄を合わせるように、自民党の谷垣禎一総裁は「財政再建を優先すべきだ」と語っている。
「財務省カラー」に染まった首相!
政権交代の原動力になったのは、民主党の掲げた政策理念に対する国民の共感だったと言ってよい。「脱官僚依存」と「天下り排除」。そして、無駄を徹底的に見直すことで財源が生まれ、「子ども手当」や「高校無償化」、「高速道路無料化」、「農家戸別所得補償」など、民主党がマニフェストで掲げた政策が実現できるはずだった。
それは民主党の中堅幹部が好んで使う言葉でいえば「維新」になるはずだった。旧来型の霞が関中心の官僚主導体制を打破することで、旧政権が失った国民の信頼を新政権が一身に担う。そんな政府になれば、2年目からは国債発行に依存しない予算が組めたはずである。
自民党の財務省シンパに言わせれば、菅直人氏が財務大臣を務めた数カ月間で勝負が決まった。菅氏と長年付き合う民主党関係者によると「菅さんは総理になりたいだけで、政策としてやりたい事はなかった」。財務省は抜け目なくそこをついたのである。日本の国家財政がいかに危機に瀕しているかを徐々に刷り込み、財政再建をやり遂げられた首相が歴史に名を残すであろうことを耳打ちした。財務大臣だった当時、菅氏は官僚の接触を忌避していたから、もっぱら話を伝えたのは財務省シンパになっていた野田佳彦副大臣(当時、現財務大臣)や財務省出身の大串博志財務大臣政務官(当時)だった。もちろん菅攻略の司令塔は、主計局長だった勝栄二郎氏(現事務次官)だ。
首相になって、参院選挙に際して突然消費税を言い出した頃には、菅氏は「財政再建」こそが自分の信念であったかのように思い込んでいた。真空だったがゆえに財務省カラーに完璧に染まったと言える。財務省に近い仙谷由人氏が官房長官になるに至って、菅政権は完全に変質する。あれほど声高に叫んでいた「脱官僚依存」という言葉は、政権内からはほとんど聞かれなくなった。
菅氏は総理に就任するや、国家戦略室の機能を事実上縮小する。予算編成権を財務省から官邸に移されることを警戒する財務官僚が、もっとも危険視していたのが国家戦略室。それを見事に骨抜きにしたのだ。さらに予算の概算要求基準(シーリング)が復活するに及んで、財務省の復活は決定的となった。
国民にもわけが分からない「子ども手当」!
「マニフェストは見直していただかなければいけません」。予算編成を控えた昨年11月。親しい政治家たちとの会合で、勝次官は静かな口調で語ったという。
もちろん見直しといっても、子ども手当を全廃するわけではない。現行の月額1万3000円をマニフェスト通り2万6000円に引き上げることは受け入れられない、ということだった。1万3000円についてはすでに扶養控除の廃止で計算が合っている。残りの1万3000円は財源がない、というわけだ。
ところが、1万3000円のままでは児童手当をもらっていた世帯は収入減になってしまう。そこで出てきたのが2歳までは月額2万円という折衷案だった。財務省の思考方法は歳出と歳入の均衡だけ。出すからには財源を、というのが「絶対に譲らない線」で、民主党の「政策実現」は二の次なのだ。結果、子ども手当はもらっている国民にもわけの分からないカネになった。
1月末に給与が振り込まれて、子どものいる世帯の親たちは首をかしげるはずだ。「なぜ今月はこんなに給料が少ないんだ」と。扶養者控除の廃止で所得税が増え、手取りが減るのだ。もちろん、昨年からもらっている子ども手当と合算すれば、増えている計算になる家庭が多い。だが、子ども手当はもう使ってしまっている。2月は家計を切り詰めなければならなくなる。財務省にとって収支計算が合っても、実際の家計のやりくりでは計算が合わなくなるのだ。
2月と言えば、国会論戦真っ盛りである。民主党の政策が自らの家計と直結することで、民主党への批判は一段と強まるだろう。民主党議員の中には、それを恐れて扶養者控除の廃止先送りを首相に進言する人もいたが、収支計算が合わなくなる財務省が首を縦にふるはずはなかった。
財務省がこだわる「単年度の帳尻合わせ」!
単年度の収支を合わせるという財務省の鉄則は、すっかり菅政権の鉄則になった。年末に閣議決定した税制改正大綱にしても同じ。法人税率の5%引き下げを行なう一方で、租税特別措置の廃止・縮減や、損金の繰り延べ限度額の引き下げなど、法人への減税分の半分以上を法人への課税で賄った。そこには、法人減税で企業活動が活性化し、企業が利益を上げれば、雇用も増え、数年後の法人税収や所得税収が増える、という発想はない。とにかく単年度の収支を合わせることが先決なのだ。
法人税率の5%引き下げは菅首相の“売り物”である「新成長戦略」の柱だ。「分配だけで成長戦略がない」という自民党などからの批判を受けて菅氏が国家戦略担当相の時に着手、首相になって具体策を打ち出した。といっても菅氏に具体的な政策志向があるわけではなく、たたき台を作ったのは経済産業省。企業からの長年の要望であった法人税減税を盛り込んだのも経産省だった。
民主党政権が企業に良い顔をしたい理由は他にもあった。日本経団連を中心に、民主党の経済政策が企業に厳しいという批判が渦巻いていた。企業経営者にそっぽを向かれては国の経済政策は回らない。民主党への企業献金も増えておらず、仮に早期に解散総選挙となった場合、民主党の軍資金は底をつく。企業に恩を売っておく必要があったわけだ。
結局、法人減税のツケの一部は個人に回った。所得控除の見直しや相続税の増税を盛り込んだのだ。連立を離脱した社民党や共産党は「法人減税のツケを個人に回すのはおかしい」と強く批判し続けている。心情的にこうした発想に近い菅首相は、負担を「金持ち」に求める形にしたのだ。
もっとも、相続税の税率が低すぎるという主張は、財務省の主張でもある。また、長年、引き下げが続いてきた個人所得税の最高税率を引き上げたいというのも財務省の発想だ。最高税率の引き上げは民主党だけでなく自民党の政策提言の中にもいつの間にかもぐりこんでいる。要は「取りやすいところから取る」財務省の発想が、民主党にも自民党にも浸透している、ということなのだ。
「歳出」の改革を置き去りに!
国の財政構造を抜本的に見直すはずだった民主党政権。肥大化した官僚機構や天下り構造、官民癒着など「歳出」サイドを見直すのが「脱官僚依存」の本旨だったはずだ。ところが、抜本的な見直しはいつの間にか、税という「歳入」サイドの見直し議論に変わっている。
菅首相は年頭の記者会見で、消費税率の引き上げなどに向けた、税制の抜本見直しの協議を野党との間で始めたいという意向を示した。自民党も消費税引き上げによる財政健全化を掲げており、「増税大連立」が実現しそうな気配である。
だが、本当に国民は消費税増税を受け入れるのだろうか。大阪府の橋下徹知事や名古屋市の河村たかし市長が進めている行政のスリム化の流れは、市民の圧倒的な支持を得ている。大阪、名古屋から生まれる「減税連合」の流れは、全国に広がる可能性もある。
膨らみ続ける社会保障費を賄うには消費税増税が必要だということは多くの国民が分かっている。だが、無駄を温存し、官僚機構の肥大化を放置したままで消費税を上げることを、国民は許さないだろう。
大畠章宏経済産業相(当時)は、年明け5日の閣議後の記者会見で、資源エネルギー庁長官だった石田徹氏が退官後4カ月余りで東京電力顧問に就任したことを明らかにした。株主総会で役員になるのが既定路線のようだ。東電側に求められた人事としているが、規制当局のトップが監督業界に就職する典型的な「天下り」だ。新卒大学生の就職が過去最悪の状況に陥る中で、天下りへの国民の嫌悪感は強まっているが、そんなことは全く意に介さないかのような露骨な人事に、霞が関の復活が透けて見える。これでは到底、政府への国民の信頼回復はおぼつかない。
1月14日の内閣改造では、財務省と考え方の近い与謝野馨氏が経済財政担当相として入閣。政権の財務省主導、増税路線がますます鮮明になった。国債発行が税収を上回る「信頼喪失」状態を抜け出すメドはまったく見えて来ない。
現状維持に日本の未来はない!
2011.01.22(Sat)JBプレス 川嶋諭
このところ、政治家の有言不実行があまりに目立つ。とりわけ民主党政権になってからは深刻だ。「二酸化炭素の25%削減」「普天間基地の県外移転」はもちろん、「議員定数の削減」や「公務員給与の削減」、「事業仕分けで財源確保」・・・何一つ実現していない。
もう狼首相には騙されない!
要するに国民は嘘ばかりつかれているわけだ。口のうまさは政治家の仕事だから多少の大言壮語は認めるにしても、全くの狼少年ならぬ狼首相ぶりにはさすがに嫌気がさす。
このところは環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)だ、税と社会保障の一体改革だと言われても、国民の誰一人としてもはやその実現を信用している者はいないだろう。
菅直人首相は、各国の駐日大使を集めてご自身の外交政策を披露されたようだが、各国の大使たちも日本国民と同じ思いで聴いていたに違いない。
リーダーに求められるのは、企業経営であれ国の経営であれ、組織の運営であれ結果である。
結果を出せないリーダーを信用しろ、ついて来いと言われてもそれは無理と言うものだ。
結果を出す自信がないなら黙っていてほしいものだが、最近は、何も実現できないことに業を煮やしてか、実際に改革して結果を出そうしている人の足を引っ張り始めている。
その最たるものが名古屋市長選だろう。民主党の岡田克也幹事長はかつての同僚である河村たかし市長に対して減税のための財源を理由に強く批判しているようだが、批判のための批判にしか聞こえない。
議席や報酬を削られることを嫌がる民主党の名古屋市議の声を受けて、いわゆる「組織防衛」のために批判を繰り広げているように見える。
もちろん、巷間言われているように官僚出身の岡田幹事長と中小企業経営者出身の河村市長が民主党内でも犬猿の仲だったという事情もあるだろう。
しかし、この組織防衛のために改革を志すかつての同士の足を引っ張るのだとしたら、その組織自体守るに値するとは思えない。しかも税金から支出される政党助成金を十分に投入して対抗馬を擁立するのである。
民主党に期待したのは日本を変えることだったはず・・・
組織防衛を錦の御旗に掲げる組織は、改革や革新とは対極に位置する存在である。それは企業も同じで、「組織防衛」を社員が平気で口にするような企業は賞味期限が切れ衰退に向かっているところがほとんどだ。
いま日本は危機に直面している。その危機感は政治家には薄いかもしれないが私たち国民には極めて高い。一昨年の8月に政権交代を実現したのもその危機感だったはず。
しかし、残念ながら選んでしまったのは人気取りのための改革を唱えるだけで、実行する能力もやる気も何もない政党だった。
1月11日に公開した山崎養世さんの「2011年、戦後最大の経済危機が訪れる」は当日のページビューも記録的だったが、その後も根強く読まれ、まだ公開後10日だが、既に公開後1カ月間のページビューの記録を破っている。
この問題に関する読者の関心の高さがうかがえる。現実に、日本の国債に対するCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)はこのところ上昇の勢いを強めており、0.8%台と2010年7月以来の高さとなっている。
日本国債のデフォルトリスクが高まっている!
CDSは債権がデフォルト(債務不履行)になった時のリスクを取引するデリバティブで、昨年、この値が高くなっていたのは海外の投機家が日本国債の暴落を狙って空売りを仕かけたからだとされる。
借金まみれなのは国だけではない。日本の地方はむしろ国以上だ。しかも、歳入の多くを地方交付税に頼っているのだから、国の財政が破綻に近づけば地方から先に破綻していくだろう。その意味でも、地方の改革は待ったなしのはず。
このような状況で現状維持を目的に改革の足を引っ張るなどあってはならない。名古屋市に議員定数や報酬の削減を実現されては、マニフェストに掲げながら何もできない民主党の面子が丸潰れになると考えたのだろうか。
そんな面子を守るのは三度の食事より面子が好きなお隣の国に任せておけばいい。日本はとにかく財政破綻の危機、デフレ、少子高齢化・・・山のようにある危機から死に物狂いで脱出しなければならない。面子など二の次、三の次だろう。
今の日本に口でうまいことを言うだけのリーダーは要らない。私たちは実行力のあるリーダーを選び支えなければならない。
財政破綻した米国の都市、犯罪が多発!
地方の財政が破綻すればどうなるか。日本では北海道の夕張市で経験済みだが、米国でも悲惨な例が登場している。今週、英フィナンシャル・タイムズ紙がリポートしていた。「カリフォルニア州の街に見る米国の将来」
ここで描かれているのは2年前に財政破綻したカリフォルニア州のバレーホ市。サンフランシスコ湾の最も奥まったところにある人口11万5000人の市である。
サンフランシスコ湾に面する一体は一般にベイ・エリアと呼ばれているが、サンフランシスコの南にあるシリコンバレーからはハイウエーを飛ばしてもクルマで2時間以上と遠く、シリコンバレーとはかなり雰囲気が違う。
シリコンバレーと違って元気なIT産業はなく、バレーホ市の住民生活は1990年代まであった海軍基地によって支えられていた。
その基地がなくなった後も、地価が急騰したシリコンバレー地区から避難してくる住民で人口が増え続けたが、ITバブルが弾けた2000年頃を境に人口は減少に転じた。
公務員への手厚い保障が破綻の原因に!
新しい産業が育たず人口が減少に転じた市を襲ったのは、公務員に対する手厚い保障だった。年金の給付額を大幅に増やすカリフォルニア州法が施行され、公務員は50代前半で退職してもその時の給与額の90%を年金として受け取ることができるという。
シリコンバレーのように世界的なIT企業がひしめく地域なら支えられても、成長産業のない市はこうした負担を支えきれずに破綻。
結果として、その多くは警官や消防士が占める公務員を大胆に削減しなければならなくなって、町中の道路は修復されずに穴ぼこだらけ。犯罪取締りも強盗など一部の凶悪犯罪だけに限られる。
FT紙はバレーホ市は氷山の一角であり、経済環境がとりわけ厳しかったために最初に破綻しただけであり、今後、カリフォルニア州の多くの市がバレーホ市に続くだろうと見る。
何しろカリフォルニア州全体で、手厚くした公務員の年金が6000億ドル、約50兆円も積み立て不足だと言うのである。
さて、これを対岸の火事と見過ごせるだろうか。もちろん答えはノーで、日本の地方都市も財政の健全化のためにあらゆる手段を取る必要がある。
改革を選ぶか手順の不備を糾弾するか!
市長の専権事項乱発で市議や一部のマスコミから猛反発を食らった鹿児島県・阿久根市の竹原信一前市長は、住民からの2度目のリコールを受けて失職、出直し市長選に出たものの先日、竹原市政に対する反対派の急先鋒だった西平良将氏に敗れた。
竹原前市長の民主主義を逸脱するような手法は批判されてしかるべきだが、改革を実行に移した点は大いに評価してもいいのではないか。少なくとも、口だけで何もできずに高い報酬と経費だけ貪り食っている国会議員よりはましだろう。
阿久根市のような地方都市で竹原前市長が実施したような改革がなぜ必要かを示しているのが木下敏之さんのこの記事「自治体職員よ、市民の給料を知っているのか?」である。
この記事によれば、地方の公務員は経済環境の変化をほとんど受けない収入の仕組みがあって、それが公務員の感覚をマヒさせているのだという。
「市町村の主な収入は固定資産税と住民税、そして国からの地方交付税と補助金です」
経済環境の変化を気にしなくていい公務員!
「まず、固定資産税はあまり変動しない仕組みになっています。地価が下がっていたり、建物が古くなっていたりするのに、固定資産税がなかなか下がらないことに疑問を持っていらっしゃる方も多いと思います」
「しかし、例えば建物への固定資産税は、マンションが空き部屋だらけになったり、建築年数がかなり経ったとしても、評価額がほとんど変化しない仕組みになっているのです」
「また、国からの地方交付税交付金は、政治的配慮もあり、急激に減るようなことのない仕組みになっています」
「このように仕組みとして、自治体職員が景気の変動や民間の給料の動きに鈍感になるようになっているのです。ですから、景気対策などにしても、どうしても動きが遅くなります」
その結果の1つとして、公務員の給料がその地域の住民よりもかなり高くなっているとこの記事は指摘している。
住民より給料が高くて何が悪い?
例えば、2010年暮れの12月28日に、厚生労働省が発表した「毎月勤労統計調査」(11月の速報値)では、阿久根市のある鹿児島県は、すべての所得を合わせた現金給与総額が労働者1人当たり月額26万2616円で、全都道府県中39番目の低さだった。
ところが、阿久根市の竹原前市長が公開した市の職員の給与や手当てを見ると、市長を含めた268人の全職員のうち、年収が600万円(12カ月で割って月収50万円)以上の職員は189人。全体の70%以上を占める。
木下さんは、地方の公務員はもっと経済環境に敏感になるべきだと指摘する。
公務員の給料が高いからといって、この程度の差は問題ではないと見る人がいるかもしれない。確かにそういう一面はあるかもしれない。しかし、木下さんが指摘するように、問題は環境変化に対して感度が低すぎるという点だ。
カリフォルニア州バレーフォ市のケースも環境変化に硬直的な年金の支給アップが原因だった。
これまでに経験したことのない世界の大変化!
いま私たちが直面しているのは、世界経済の大きな変化である。この変化に対して公務員を例外扱いするのは難しい。
日本が高度成長期に欧米の先進国に追いつけ追い越せで来た時は、日本の人口が先進国の中では米国に次いで多かったと言っても1億2000万人ほど。しかし、いま世界で起きている新興国のパワーはケタ違いだ。
中国13億人、インド10億人、ブラジル2億人、ロシア1億4000万人。これに最近成長が著しいインドネシアの2億3000万人を加えれば28億7000万人に達する。
先進国が受ける衝撃は日本が先進国にキャッチアップしていた時の20倍にも相当する。それは安い労働力を求めて、産業の空洞化が一気に加速することを意味する。
際、日本の産業空洞化は中国が急成長し始めた10年ほど前から顕著になっている。こうした大変化に対し、新しい産業の育成を怠り公務員を厚く遇すれば、米国のバレーフォ市になってしまう。
成長企業の集まるシリコンバレーと産業育成に失敗した市の格差!
バレーフォ市の場合には、インテルやアップルなど業績好調な企業が本社を置くシリコンバレーがサンフランシスコ湾の対岸にあるだけに、まさに象徴的なケースと言えるだろう。
ベイ・エリアに日本の地方都市を当てはめた場合を想像してほしい。さて、日本の地方都市はシリコンバレーに近いのか、バレーフォ市に近いのか。
ちなみにその中間地点には、米国人が最も訪れたい観光都市サンフランシスコと、その対岸には大学都市のバークレーがある。
その答えとなりそうな記事を英エコノミスト誌が書いていた。「日本の都市部の衰退:長崎の警鐘」。
長崎と言えば言わずと知れた三菱重工業の城下町である。また、坂本龍馬の第2の故郷でもあり観光都市としても日本屈指の町。その町が衰退していくさまを、全世界の読者に向けて発信しているのがこの記事だ。
日本の地方には改革が不可欠!
そして、最後にこう結んでいる。
「長崎は、なぜ迅速かつ思い切った行動が必要なのかを示すいい例だ」
エコノミスト誌の記事を「英国人め何言ってやがる。どうせ日本に来る支局員など月刊誌ファクタが2月号で書いていたように3流記者ばかりで何も分かっていないんだろう。それより母国の英国を棚に上げて勝手なこと書くな」と批判するのはたやすい。
しかし、そんなマスターベーションに近い批判をしたところで、日本のためには何にもならない。世界はもはや日本を2つの反面教師としてしか見ていないのだ。
1つは、中国が反面教師としている通貨政策。プラザ合意を受け入れてしまったことだ。もう1つが米国が反面教師としている経済政策。バブルが崩壊しているにもかかわらず総量規制などに踏み切り、デフレを招いてしまった。
お灸のはずのデフレが大やけどに!
そう言えば、当時、日経ビジネスが「世直しデフレ」という特集を組んでいた。インフレと長年格闘してきた日本経済にとってデフレは構造改革を後押しするきっかけになるので、望ましいという記事だった。
しかし、いま振り返ると、残念ながら改革は一向に進まず、スパイラル上に深まっていくデフレ地獄を招いてしまった。やはりデフレは怖かった。
さて、世界を襲っている変化は、日本が先進国にキャッチアップしていた時とは大きく違う点がある。日本が従わされてきた欧米のルールが新しくキャッチアップしてくる国々には効かないという点だ。
中国がその代表例なのは周知の通り。もっとも日本を反面教師にしているのだから、その政策は日本にも責任の一端があるのかもしれない。巨大な人口パワーと歴史を背景に、欧米流の土俵には容易に乗らない。
1月21日に2010年の国内総生産(GDP)が前年比10.3%伸びたことを発表、世界第2位の経済大国になったとはいえ、経済開発協力機構(OECD)に加盟していないため、世界中で独自の経済政策を続けている。
OECD非加盟で我が物顔の中国!
インフラ整備と引き換えのアフリカの資源開発では、企業も労働者も中国から連れて行く。OECDが現地の経済発展のために労働者は現地で雇用するというルールは完全に無視。自国の発展が最優先である。
世界の交易ルールが大きく崩れ始めているのだ。中国だけではない。韓国の急速な発展も米国から強く監視され手足を縛られてきた日本とは違う。
それはこの記事がよく表している。「現代自動車がトヨタを抜く日」。
中国に倣ったのかウォン安を背景に、圧倒的なコスト競争力で世界市場で急伸している現代自動車。現代自動車グループの会長である鄭夢九(チョン・モング)氏の強烈なリーダーシップがあるとはいえ、これほど急成長するものなのか。
トヨタ自動車は高い品質を、ホンダは環境性能と独創的なクルマ作りで世界の顧客の心をつかんだ。それに対し、現代自動車の売り物は何か。
世界の競争ルールは明らかに変わった!
この記事によれば今年、米国市場でビッグ6と呼ばれる、ゼネラル・モーターズ(GM)、フォード・モーター、クライスラー、トヨタ、ホンダ、日産自動車の一角に食い込むという。
環境技術やデザイン、性能で特に秀でているとは聞かない。トヨタ生産システムのような独創的な生産システムを構築しているとも聞かない。ホンダがそうしたようにF1などのレースで活躍したという話もない。
だとすれば、コスト競争力ということになる。その努力には拍手を送るとしても、やはりルールの違いを思ってしまう。韓国の財閥系企業が日本企業のような経営の透明性を厳しく求められれてとは思えないからだ。
つまり、日本にとっての競争条件は極めて厳しさを増している。今の世界は10年前の世界とは様変わりなのである。そのことを肝に銘じて、日本の競争力を再構築しなければならない。
政局しか見ない仲間内の足の引っ張り合い、組織防衛を最優先して改革を先送りするなどは言語道断なのである。
日本には日本流の戦没者慰霊の方法がある!
2011.01.20(Thu)JBプレス 山下輝男
1、はじめに
世界の常識は日本の非常識と巷間言われるが、その1つに戦没者に対する慰霊がある。
中国や韓国からは靖国神社への総理大臣や閣僚の参拝に対して、いまだに執拗な非難が起き、総理や閣僚の参拝も自粛傾向にあり、遂に民主党政権では1人たりとも参拝せずに、戦没者に尊崇の念を表明しなかった。
国には国のそれぞれの正義があり、慰霊の在り方があって然るべきであり、そのことを他国からとやかく言われる筋合いは毛頭ないはずだ。
また、我が国の政治家はなぜ中国などの非難を受けるとすごすごと尻尾を巻いてしまうのか、毅然と反論すべきではないのか?
列国の戦没者慰霊の状況を管見し、それとの比較において、我が国戦没者慰霊の現状を明らかにして、あるべき戦没者慰霊(断るまでもないが、もとより法学者ではないので、常識的な意見に止まる)について述べる。
2、列国の戦没者慰霊の状況
(1)米国
●戦没軍人や退役軍人を埋葬する国立墓地
有名なアーリントン国立墓地をはじめとして全国に146カ所ある。戦没・退役軍人の埋葬に当たっては、希望すれば無償で墓石や礼葬を受けることができるとされている。
米国を公式訪問した各国の元首は、アーリントン国立墓地内にある無名戦士を訪問し献花するのが慣例となっている。
参考までに、アーリントン国立墓地で無名戦士の墓のほかに有名なものとしては、硫黄島で海兵隊による星条旗掲揚を模した合衆国海兵隊記念碑がある。
副総理時代の菅直人総理大臣も外相時代の岡田克也幹事長も無名戦士の墓に献花をしている。
●追悼式、記念日など
5月末のメモリアルデー(戦没将兵記念日)、11月ベテランズデー(復員軍人記念日)があり、大統領や閣僚がアーリントン墓地を訪れて献花などをしている。
(2)英国
●英連邦戦没者墓地(Imperial War Grave)
1917年に帝国憲章によって設立、170万人の戦没者を2500の墓地に埋葬している。ほかに戦争記念碑(War Memorials)がある。
無名戦士の墓は、ウエストミンスター寺院にあり、公式献花ができる。
●戦没者追悼記念日(英霊記念日曜日)
11月11日に最も近い日曜日が戦没者追悼記念日であり、本来は第1次大戦休戦記念日であった。
この日は、通称「ケシの日」と言われ、多くの人がポピーを胸につけているが、これは第1次大戦でイギリス軍にとって最も激戦で多くの兵士が命を落としたフランドル戦線に咲いていた赤いケシの花にちなみ、戦没者を偲んで身につけている。
現在では、第2次大戦や最近の紛争で亡くなった兵士の戦没者追悼記念日と併せて行われている。
ロンドンでは、ホワイトホールの戦没者記念碑「セノタフ」で行われる式典には女王はじめ王室、首相を含む全閣僚、主要政党の党首等多数が参列する。
(3)フランス
戦争犠牲者の碑は各地に所在するが、凱旋門の下の「無名戦士の墓」が有名である。
1920年、第1次世界大戦で戦死した150万人以上の無名戦士を代表して、1人の兵士が凱旋門の真下に埋葬され、それ以後祖国フランスのために命を捧げた全ての人々の共通の記念碑となっている。
1923年、追悼の火が点火され、それ以来、この火は現在まで絶えることなく毎日点火され続けている。
国家元首で3軍の長でもある大統領が第1次大戦の休戦記念日の11月11日、第2次大戦の戦勝記念日の5月8日に参拝して献花する。
凱旋門の下には、無名戦士の墓とフランス戦勝記念の4枚のパネルが埋め込まれている。
(4)中国
戦没者などに対する国家レベルの追悼の中心は、北京天安門前広場の中心にある「人民英雄記念碑」である。
1958年に建立。高さ38メートルの巨大な碑で、基壇は、東西50メートル、南北60メートルに及ぶ。
表面には毛沢東による金文字の「人民英雄永垂不朽」(人民の英雄は永遠に不滅だ)の揮毫、裏面には周恩来による顕彰文の揮毫が刻まれている。
台座部分には中国近代史における主な事件(アヘン焼却事件「虎門銷煙」、1851年の「金田蜂起」、1911年の「武昌蜂起」、1919年の「五四運動」、1925年の「五・三〇事件」、1927年の「南昌蜂起」、1937年からの「日中戦争」、1949年4月の「長江渡江戦争」)のレリーフが彫られている。
(5)韓国
ソウルと大田に国立墓地がある。国立ソウル顕忠院の広大な敷地には、独立運動家をはじめ、国家功労者や、朝鮮戦争で戦死した韓国軍将兵、予備軍、警察官、そして国葬・国民葬が執り行われた元大統領など、約16万8000人が埋葬されている。
前身の国軍墓地は1955年に造成され、1965年国立墓地に改称、1996年に「国立顕忠院」、2006年現在の名称になった。
院内の施設の顕忠塔・位牌奉安館は、朝鮮戦争の戦没者の忠義と偉勲を称える塔で、国立ソウル顕忠院のシンボルである。
6月6日を、国土防衛のために散華した戦没者の忠誠を記念する「顕忠日」に定めている。この日が近づくと多くの行政関係者や市民が参拝に訪れ、顕忠日当日には政府によって大々的な追悼行事が執り行われる。
2010年の、第55回顕忠日記念追悼式には、大統領、国会議長・大法院長(最高裁判所長官に相当)・首相の3部要人、各政党代表、閣僚、報勲団体長、戦没した軍人・警察官、独立有功者の遺族、学生、市民ら5500人あまりが参加した。
軍隊が警備し、年中無休で無料開放されている。顕忠塔は各地に建立されている。
(6)その他の国々
それぞれの国の国柄に応じた戦没者慰霊を行っている。ウィキペディアには、約40カ国に上る国々の「戦没者の慰霊塔や慰霊碑」「慰霊を行う大聖堂」「無名戦士の墓」等列挙されている。各国の戦争博物館等には、慰霊に関わる施設が必ずと言っていいほど付属している。
3、我が国の戦没者慰霊の現状
我が国の戦没者慰霊は、靖国神社、各地の護国神社、千鳥ケ淵戦没者墓苑で実施されており、これとは別に各地に建立されている慰霊碑(忠魂碑)が多数ある。
1)靖国神社
靖国神社は、明治2(1869)年6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12(1879)年に「靖国神社」と改称されて今日に至っている。
創建当初は軍務官(直後に兵部省に改組)が所管し、のちに内務省が人事を所管し、陸軍(陸軍省)・海軍(海軍省)が祭事を統括した。
靖国神社には現在、幕末の嘉永6(1853)年以降、明治維新、戊辰の役、西南戦争、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6000余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされている。
最重要の祭儀は、春季(4月)と秋季(10月)の年に2度行われる例大祭である。秋季例大祭には合祀祭が併せて齋行される。
祭神は当初「忠霊」「忠魂」と称されていたが、日露戦争後に新たに「英霊」と称されるようになった。
この語は直接的には幕末の藤田東湖の漢詩「文天祥の正気の歌に和す」の「乃知人雖亡 英靈未嘗泯」(たちまち知る人亡ぶと雖も、英霊いまだかつて泯(ほろ)びず)」の句に由来する。
(2)護国神社
護国神社は、明治時代に日本各地に設立された招魂社が、1939(昭和14)年の内務省令によって一斉に改称して成立した神社である。
護国神社は、おおむね各府県につき1社が建立された。ただし神奈川県や東京都には、護国神社が一社もない。
各護国神社の祭神は、靖国神社から分祀された霊ではなく、独自で招魂し祭祀を執り行っている。1960(昭和35)年に全国の護国神社52社に対して天皇・皇后より幣帛が賜与されて以降、終戦から数えて10年ごとに幣帛の賜与が続けられている。
戦後、軍人に代わり殉職した自衛官も護国神社に祀られるようになったが、クリスチャンである殉職自衛官の妻が(他の遺族は全員賛成)、宗教的人格権を侵害されたとして損害賠償などを請求する事態に発展したことがある(山口自衛官合祀訴訟)。
3)千鳥ケ淵戦没者墓苑
千鳥ケ淵戦没者墓苑は、第2次世界大戦の折に海外で死亡した日本の軍人・一般人約240万人のうち、身元が不明の遺骨を安置するため、1959(昭和34)年に造られた。
維持奉賛のため設立された財団法人千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会が、清掃等維持管理に協力している。
例年5月に厚生労働省主催の拝礼式が、秋には千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会主催の秋季慰霊祭が行われるほか、1年を通じて各種団体の慰霊行事が行われる。
施設自体は特定宗派の宗教性を帯びていない。苑内で行事を行う際には、環境大臣の許可を要する。
(4)戦後の戦没者慰霊(全国戦没者追悼式)
全国戦没者追悼式は1952(昭和27)年4月の閣議決定により、同年5月2日に新宿御苑で天皇・皇后の臨席のもとで行われたのが最初である。
第2回は1959(昭和34)年3月28日にやや変則的に実施され、その後1963(昭和38)年以降、毎年8月15日に行われている。
追悼の対象は第2次世界大戦で戦死した旧大日本帝国軍人・軍属約230万人と、空襲や原子爆弾投下等で死亡した一般市民約80万人である。式場正面には「全国戦没者之霊」と書かれた白木の柱が置かれる。
式典は政府主催で、事務は厚生労働省(旧・厚生省)社会・援護局が行う。現在は東京都千代田区の日本武道館で開かれる。式典開始は午前11時51分(以下日本時間)、所要時間は約1時間である。正午より1分間の黙祷を行う。
式典には天皇、皇后、そして3権の長である内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官および各政党代表(政治資金規正法第3条2項に規定する政党で国会に議席を有するものの代表)、地方公共団体代表(都道府県知事、都道府県議会議長など)が参列する。
(5)戦没者慰霊に関する論争など
戦没者慰霊に関する論争の主たるものは靖国神社問題である。靖国神社に関して、外交的に問題とされるのは歴史認識に関連した、いわゆるA級戦犯の合祀に関わることであり、国内的に問題とされるのは憲法が定める政教分離原則に抵触するか否かということである。
もっとも、伊勢神宮への総理参拝が何ら問題とならないからして、戦没者慰霊に関する政教分離のみが問題とされている。
●政教分離に関する問題
靖国神社を国家による公的な慰霊施設として位置づけようとする運動や、内閣総理大臣・国会議員・都道府県知事など公職にある者が公的もしくは私的に靖国神社に参拝すること、およびそれに付随して玉串奉納等の祭祀に関する寄付・奉納を政府・地方自治体が公的な支出によって行うことなどに関し、日本国憲法第20条が定める政教分離原則に抵触しないかなどが問題となっている。
●歴史認識等に関する問題
特に公的な立場にある人物が、靖国神社に参拝することによって、戦死者を英霊として崇め、戦争を賛美することになるのではないかとの疑義が呈されている。
先の大戦に関する歴史認識と戦争犯罪人の合祀の適切性、他国が感じるかもしれない不快感あるいは外交的な摩擦などに関する問題がある。
●靖国神社国家護持論と別施設論など
日本には戦死者・戦没者を慰霊する公的な国家施設が存在しない。
これについて、神道式の祭祀による靖国神社をその代替として位置づける、または、靖国神社を(戦前に近い形で)国家管理する、はたまた、わだかまりない形での参拝(鳩山由紀夫前首相)ができる別施設を建設するなどの論がある。靖国神社の特殊法人化論も提起されたことがある。
(6)論争などに関する愚見
●日本には日本独自の慰霊の方式があって然るべし
国民や遺族は靖国こそ戦没者の鎮魂の場であると思い定めており、国事に従事して散華した英霊を靖国神社に祀るのは、明治初年以来の日本の文化的・社会的伝統である。
国民として、戦没者に鎮魂の誠を捧げるのは当然至極の感情である。靖国は、国に殉じた先人に感謝し、平和を誓う場である。
今日の安寧と繁栄の礎は国難に敢然と立ち上がり、奮戦・敢闘したが、戦陣に斃れた多くの方々によってもたらされたものである。後世の我々が英霊に感謝の誠を捧げるのは自然の情である。
もちろん、慰霊の形式等は宗教的活動との疑念を抱かせぬような配慮も必要ではあろう。
2項で述べた通り、いずれの国においても、それぞれの伝統や文化に則った方式により戦没者に対する慰霊・追悼を行っている。我が国には我が国の文化や伝統に則った慰霊・追悼があって然るべきである。
我が国には我が国の正義があり、戦没者(英霊)への尊崇の念をどのように表現するかは、我が国の自由である。歴史認識まで外国に教えてもらおうなどとは思わない。
靖国神社参拝が、戦争賛美(につながる)との論をなす者もいるが、言いがかりに過ぎない。そのような恐れは、我が国においては絶対にあり得ない。国民は戦争の悲惨さを十分に承知しており、また戦うべき時とはいかなる時かを承知しているはずだ。
●靖国神社参拝非難の不純なる動機!
1985(昭和60)年に当時の中曽根康弘首相が終戦記念日に公式参拝するまでは、1945年以降歴代首相の靖国参拝に対して、中国も韓国も特段の反応をしなかった。
にもかかわらず、1985年に政治問題・外交問題化し、以降、歴代首相は、橋本龍太郎首相、小泉純一郎首相の参拝まで非難を恐れて参拝していないのである。
摩訶不思議なり。非難する国に不純な動機を感じるのは小生のみではあるまい。内政干渉そのものである。
しかしである、唯々諾々と外国の非難に従うがごとくに参拝を取りやめるとは何たる弱腰か。日本の悪しき体質を見るようだ。
日本の弱腰・軟弱姿勢が現在の事態を招いたと言えば言い過ぎであろうか?(大勲位の罪では?)
A級戦犯の合祀が問題と言うが、我が国がいかなる戦没者の追悼を行うかは優れて国内問題である。
A級戦犯も公務死亡者であり、法的には一般戦没者と同様に扱っている。戦争指導者として、仮に日本が戦争に負けた罪は問われるべきであるとしても、既に英霊となっているものを祀らぬという法はない。死者の墓を暴き、鞭打つという習慣は我が国にはない。
●全くの無宗教形式はあり得ない
靖国神社参拝は、我が国特有の形式に則っているのであり、いわば習俗的なものだ。宗教的活動ではあり得ない。
外国の慰霊の形式が完全無欠な無宗教方式かと言えば、そうとは言えないだろう。我が国には我が国独自の要領があっていい。
参拝を宗教的儀式であると厳密に考える必要があるのだろうか。多神教的な日本人の宗教観と排他的一神教的な外国人の宗教観は異なってしかるべきである。
●日本に送還された遺体は約半数
厚生労働省によれば、今なお、第2次世界大戦において海外で戦死した旧日本軍軍人・軍属・民間人約240万人のうち、日本に送還された遺体は約半数のわずか約125万柱だけである。
残りの約115万柱については、海没したとされる約30万柱を含め、現在もなおジャングルにおいて、洞窟において、沼地において日本帰還を待ち侘びておられる。全御遺骨の帰還なくして日本の戦後は終わらない。
なお、先日報道された通り、硫黄島における遺骨収集が当面の課題となっている。
景気に無関心、給料は大企業並みの実態!
阿久根市 市政情報(職員給与・定員・退職手当)
http://www.city.akune.kagoshima.jp/sisei/kyuyo.html
2011.01.19(Wed)JBプレス 木下敏之
政治情勢はますます混沌としていますが、私の住む福岡市は少し景気の回復が感じられます。
昨年末の12月30日の晩も博多駅周辺や天神周辺の飲み屋は大いに賑わっていました。居酒屋の店主は、昨年よりは少し客が多いようだと言っていました。政治の混乱にも負けずに、少しでも景気が良くなってほしいものです。
福岡市でも、新年は各種団体が新春の賀詞交換会を行います。博多の芸妓さんたちが一堂に出席するものもあり、とても華やかです。1月9日に開かれる「十日恵比須大祭」というお祭りには、芸妓全員がお参りする「かち詣り」という行事が行われます。歴史と経済力のある博多らしい、個性ある新年の風景です。
給料が少ないのは九州、沖縄、東北!
さて、2010年暮れの12月28日に、厚生労働省が毎月統計を取っている「毎月勤労統計調査」(11月の速報値)が発表されました。
すべての給与を合わせた「現金給与総額」(事業所規模5人以上)は、前年同月と比べて0.2%減の27万7585円で、9カ月ぶりに前年水準を下回ったことが大きく報道されていました。原因は、冬のボーナスなど特別に支払われた給与が11.2%減だったことが大きかったようです。
この統計は都道府県別にも発表されているのですが、東京などの首都圏と、地方、特に九州や東北とは大きな差があります。
下位10県は基本的にいつも同じ顔ぶれで、東北と九州・沖縄がほとんどを占めています。現金給与総額を見てみると、2005年は下位10県中、九州・沖縄が6県を占め、東北が3県でした。
下の2つの表は2009年の現金給与総額(月間の平均、事業所規模は5人以上)です。左の表が上位10県、右の表が下位10県となっています。
下位10県は九州・沖縄が5県を占め、東北が4県です。沖縄県はこの5年間、連続して最下位です。2009年の現金給与額は24万8021円でした。東国原英夫知事の宮崎県は、下から3番目の25万3455円です。
上位10県も、いつも同じような顔ぶれで、東京が毎年トップです。静岡県や岡山県もこの5年、毎年トップ10に顔を出していますし、広島県や栃木県もトップ10の常連です。ちなみに私の住んでいる福岡県は29万7643円で、12位となっています。
なぜ自治体職員は景気に無関心なのか!
ただし、首長や自治体の職員はこの数字はあまり気にしていません。というよりも、企業で働いている人と比べると、景気の変動や先行きの見通しにあまり関心を持たない人が多いようです。
多くの自治体の首長は、この市民の給与額の推移にもっと関心を持つべきだと思います。福祉も教育も、まずは暮らしが安定してこそ成り立ちます。失業者の数字と毎月の給料の数字が、政治家にとってはとても大事な数字のはずです。
自治体の職員にしても、景気の動きや民間企業の給与の動きを気にするのは、予算担当の職員と産業振興の担当職員、そして生活保護担当の職員くらいでしょうか。
本当は、住民の生活に直結する数字なので、この数字が前年度と比べて伸びているのかどうか、その地域のGDPがどうなっているのかを気にしなくてはならないと思うのですが。
なぜ景気の動きをあまり気にしないかというと、まず、不況でも自治体が「倒産」することはなく、公務員の給料が遅れたり不払いになることなどないからです。
それに加えて、自治体職員の給料が、民間の給料や景気の変動に大きく連動していません。
厚生労働省が発表する毎月勤労統計調査の給与総額は、従業員が「5人以上」の事業所を対象にしています。一方、自治体職員の場合は、国家公務員にならって、従業員数が「50人以上」の企業の給料のデータを参考にして決めていくことになっています。比較的規模の大きな企業の給与を比較の対象としているのです。
しかし、事業所の中で50人以上の企業が占める割合は、全国平均で3%程度にすぎません。この割合は、地方に行けば行くほど小さくなります。
人口が約80万人の佐賀県の場合、佐賀県庁の職員数(約1万4000人)に匹敵するような規模の企業はありません。佐賀県庁の次に規模が大きいのが佐賀大学、そして佐賀市役所と続きます。ほとんどの企業は、従業員が50人に達しない規模なのです。
また、福岡県に本社を置く大きな企業には、九州電力(約1万2600人)、JR九州(約8600人)などがありますが、50人未満の中小の企業の割合が多いことに変わりはありません。
地方の小規模の自治体に行くと、50人以上の会社の割合はどんどん少なくなりますので、ますます自治体職員と民間企業の給与の差が開きます。
「ブログ市長 VS 議会」の対立で有名な阿久根市のように、市民の年収の平均が200万円未満なのに、阿久根市役所の職員の平均年収が700万円を超えるようなことになります(阿久根市は職員給与の詳細を発表していますので、関心のある方はどうぞ)。
自治体職員の給与はいつまで「大企業並み」なのか!
そして、自治体の職員が景気に関心を払わないもう1つの理由があります。政府の収入は、法人税や所得税など景気の変動に直結する税金が中心となっていますが、市町村の収入は、景気の動向にあまり左右されない性格の税金が中心となっている、ということです。
市町村の主な収入は「固定資産税」と「住民税」、そして国からの「地方交付税」と「補助金」です。
まず、固定資産税はあまり変動しない仕組みになっています。地価が下がっていたり、建物が古くなっていたりするのに、固定資産税がなかなか下がらないことに疑問を持っていらっしゃる方も多いと思います。
しかし、例えば建物への固定資産税は、マンションが空き部屋だらけになったり、建築年数がかなり経ったとしても、評価額がほとんど変化しない仕組みになっているのです。
また、国からの地方交付税交付金は、政治的配慮もあり、急激に減るようなことのない仕組みになっています。
このように仕組みとして、自治体職員が景気の変動や民間の給料の動きに「鈍感」になるようになっているのです。ですから、景気対策などにしても、どうしても動きが遅くなります。
市町村合併を繰り返した結果、地方自治体の規模は大きくなりました。しかし、職員数が増えたからといって、社員の多い大企業にならって公務員の給料を決めてよいものかどうか。
社員数が少ない会社の給与を、公務員の給与にも反映させる時期が来ているのではないでしょうか。
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魚沼コシヒカリ理想の稲作技術『CO2削減農法研究会』(勉強会)の設立計画!