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第36回 軽井沢インターナショナルスクール 設立準備財団 代表理事 小林 りんさん (1/4)

今回のC-Suite Talk Liveは、軽井沢インターナショナルスクール 設立準備財団 代表理事 小林りんさんにご登場頂きます。

小林さんは、高校時代にカナダのUWCピアソン・カレッジに単身留学。帰国後は東京大学経済学部で開発経済学を専攻され、外資系投資銀行(モルガン・スタンレー)でキャリアをスタートされました。その後、仲間とともにベンチャー企業を興し、取締役に就任。50名規模の組織で、経営者としての経験を積まれました。

社会人5年目で国際協力銀行(現国際協力機構)へご転進され、かねてから関心のあった途上国支援に関わる機会を実現。その後は、学生時代からライフワークと考えていた教育分野での国際協力への思いが募り、再び海外へ。スタンフォード大学で国際教育政策学(修士)を専攻されました。

そして2006年、念願だった国連児童基金(UNICEF)のプログラム・オフィサーとして、フィリピンへ。ストリート・チルドレンの非公式教育に従事。その活動を通じて新たな気づきを得て、2008年8月に帰国。以後、あすかアセットマネジメントの代表取締役 谷家衛さんとともに、軽井沢インターナショナルスクールの設立準備プロジェクトをリードしておられます。


今の延長線上にはないスクールを!

古森 本日は、設立準備でお忙しいところを有難うございます。この対談シリーズは、企業経営者をはじめ世の中にインパクトのある各界のリーダーにご登場いただいて、何かヒントになることを発信しようという活動です。よろしくお願い致します。

小林 こちらこそ、よろしくお願い致します。

古森 マーサーは主として企業を相手にコンサルティングをしていますが、「会社に入る前の人材育成も大事だな」と思うことが多々あります。グローバル化した舞台で活躍できる人材を増やしていくことが時代の要請ですが、その根本は企業に入社する前に形成される面もたくさんあると思います。そんな中、軽井沢インターナショナルスクールの考え方に大変興味を持ちました。最初に、スクール設立にこめた思いなどをお話し頂けないでしょうか。

小林 そうですね。軽井沢インターナショナルスクールが目指しているのは、「リスクや変化を恐れず、新たな価値観を生み出すことに喜びを見出せる人間の育成」です。それを、一言でいえばこれまでの日本に存在しなかった方法で実現させようという試みです。

古森 まさに、日本という国全体が求めている人材像の一つですね。イノベーションやアントレプレナーシップなどの言葉を想起します。これまでにない方法というのは、具体的にはどのような内容になりますか。それ自体が、まさに新たな価値観への挑戦なのだと思いますが。

小林 まず学校の枠組み的な面から言いますと、全寮制の高校になります。一学年50人前後で、共通言語は英語にして、アジアを中心に世界各国から生徒を集めて多国籍のクラスにします。世界各国で認められている国際バカロレアプログラムを導入する予定の他、日本の文部科学省の高校卒業資格も取得できるようにすることを検討中です。

古森 ダイバーシティにあふれたクラスになりそうですね。全寮制自体はこれまでの日本にもありましたが、男女はもとより、国籍まで含めて圧倒的な多様性を実現するというのは、確かに新しいと思います。

小林 10代といえば、もっとも多感な時期でしょう。その多感な時期を、様々な国籍の生徒が一緒に暮らしながら、時には競い合い、あるいは学び合いながら育っていける環境を提供したいと思っています。

古森 日本人のためだけの学校ではなく、日本という場所にある国際プログラムなのですね。日本の良さも出していきながら、日本人だけを育てることが目的ではない。あくまでも、文字通りインターナショナルスクールなわけですね。

小林 そうです。ここから新しい時代のアジアのリーダーが育ってくれればと願っています。これまでのリーダーシップ論って、どうしても欧米で発達した考え方がベースになっている面が強いと思うのです。でも、アジアにおけるリーダーシップというのは、少し何かが違うのではないかと。

古森 なるほど。

小林 日本人の持っている価値観、例えば、自然をいつくしむだとか、「もったいない」とか、そういった良さは世界に向けて新しいバリューになるのではないでしょうか。こういう国があるということが、これからの世の中で重要な意味が出てくると思っているのです。

古森 日本人でさえ見失いつつある価値観も、再認識されるかもしれませんね。しかしまた、場所も軽井沢ですか・・・。自然あふれる場所ですね。

小林 私が一つ参考にできると考えているのは、スイスです。欧州におけるスイスというのが、日本が目指すべき次の姿に少し近いのかも知れません。そのスイス、英語圏ではないのに、インターナショナルスクールがたくさんありますね。なぜだと思います?

古森 なるほど、言われてみるとそうですね。なぜなのでしょう。

小林 それは、「治安と安全と教育」というキーワードに集約されます。インターナショナルスクールに子弟を送っている親御さんたちの声を集約すると、そのキーワードが見えてくるのです。

古森 なるほど、「治安と安全と教育」ですか。たしかに、子を持つ親の気持ちとしては、それはよく分かりますね。大学以上になると学生自身の判断があるでしょうが、高校くらいまでは、まずはそれが大事だというのは万国共通なのですね。

小林 アジアにあてはめて考えてみると、例えば経済発展著しい中国がアジアのスイスになりうるかどうか。少なくとも現時点では、そういう感じではないですね。シンガポールは印象が良いですが、狭い国ですので環境という点では必ずしも広がりや奥行きがあるとはいえません。ところが日本には、治安も環境も大いに誇るべきものがありますから、あとは世界水準の教育を提供できる学校があればいいのでは、と思うのです。

古森 年々悪化している部分もあるでしょうが、それでも世界を見たら圧倒的に治安と環境のリーディング・カントリーであることは間違いないでしょうね。それで軽井沢なのですね。たしかに、日本の中でもさらに良い場所だと思います。ある意味、スイス的です。ちょっとスノッブなイメージもあるにはありますけど。

小林 そこは議論があったところです。「軽井沢」「インターナショナル」という二語を見ると、何か富裕層向けのプログラムのように思われてしまう可能性もありました。校名を変えようかという話が出ているくらいです。ミッションが明確に伝わるようにする必要がありますよね。つまり、国籍だけでなく社会経済的バックグラウンドや思想や能力など、本当の意味で多様性にあふれる生徒が集う場所を実現したいということですが。

古森 多様性を重視したら、色々な人が参加できるプログラムでなければなりませんね。

小林 はい。たくさんの方に門戸を開くことが重要です。そのために、奨学金のほうも充実させようとしています。

 

カナダとフィリピンでの原体験!

古森 小林さんが「軽井沢インターナショナルスクール設立」というテーマに出会った経緯は、色々なメディアで伝えられているところです。あらためて、ご自身の経験など今の活動のバックボーンになっているものをお聞かせ頂けますか。高校生の頃にカナダに留学されたことが、大きな転機だったと伺っておりますが。

小林 そうですね。これまでの人生の色々なことが支えになっていますが、高校生時代のカナダ留学は、たしかに大きな転機でした。

古森 留学は高校2年からでしたかね。

小林 はい。自分で振り返っても決して優等生ではなかったですね(笑)。野心家で、既存の体制に疑念を抱いていて。生徒会の役員をしていたのに、クラスのみんなを率いて授業をボイコットしたこともありました(笑)。暗記中心の勉強にも納得できませんでしたし、「もっと自分力を伸ばしたい」と思っていました。それが、留学を決めた背景です。

古森 その問題児(?)が、カナダの学校で何を見たのでしょうか。

小林 留学してすぐに野心は打ち砕かれました。得意だった英語が通じない、友達もなかなか広がらないという状態が、1~2ヶ月続きました。試験で何も出来ず、悔しくて泣いてしまったこともあります。

古森 劇的な環境変化ですね。

小林 でも、しばらくすると英語も何とか追いついてきて、授業や会話が理解できるようになっていきました。そうすると、気づくものがたくさんあったのです。

古森 言葉の壁の向こうに、何があったのですか。

小林 何か徹底的にとがったものを持った、様々な個人との出会いです。算数は苦手なのに言語となると六ヶ国語を操るスウェーデン人、数学では飛びぬけた才能を示す中国人、ジャズピアノが天才的にうまいアメリカ人など、日本では考えられないようなすごいクラスメート達と出会ったのです。

古森 日本の一般的な学校の風景とは、だいぶ違いますね。

小林 そういう出会いが、カナダの雄大な自然と美しいキャンパスの中で繰り広げられました。言葉の壁を越えてからの留学生活は、多様な才能に触れ、自分の得意なものを磨くことの大切さを知り、そして生活全体でそれらを吸収していく日々でした。

古森 「自分の得意なものを徹底的に伸ばす」ということの意味は、その現実を見てみないと理解できないかもしれませんね。私も留学中に、日本では見たこともないような飛びぬけた才能と数多く出会って、世界観が変わりました。

小林 もう一つ、今の活動の大きな原動力になっているものは、フィリピンでの経験です。

古森 ユニセフのオフィサーとしてのご経験ですね。そこに至る経緯も含めて、ちょっとお伺いしたいですね。

小林 高校時代の留学経験の影響もあって、私は自然に国際協力に興味を持つようになっていました。帰国後、大学では開発経済学のゼミに入りました。卒業後に外資系投資銀行で勤務したり仲間とベンチャー企業を立ち上げたりしましたが、その後国際協力銀行に入って、開発途上国のインフラ開発の仕事に就きました。

古森 だんだんと、パッションのある方向へと進んで行かれたのですね。

小林 ええ。それと同時に、教育分野にも学生時代からずっと興味がありましたので、「教育分野で国際協力」というのを、いずれライフワークにしたいと思っていました。思いが募って、その後米国の大学院に留学して、国際教育政策学の修士をとりました。

古森 自分が思う方向に、迷わず突き進んでいく感じですね。とんがっているなぁ、と思います。

小林 そして2006年に、国連児童基金(UNICEF)のプログラム・オフィサーとしてフィリピンに赴任するチャンスが巡ってきました。ミッションは、ストリート・チルドレンの非公式教育活動の推進です。そういう人々に教育の機会を提供することこそが、開発途上国の生活改善の起爆剤になると思っていました。

古森 実際にフィリピンに赴任してみて、いかがでしたか。

小林 色々と役に立てたと思います。でも、根本的な問題は別のところにあるということも、身をもって認識することになりました。選挙で大勢の人が亡くなり、汚職の絶えない社会。当のフィリピン人の中にも、自国に見切りをつけて国外へ移住する人がいました。そんな現実を見るにつけ、「教育が普及すれば、投票行為を通じて人々が社会を変えていける」という仮説は、「リーダー層がまず変わらなければだめだ」という信念へと形を変えていきました。

古森 そこで「リーダー育成」というテーマにたどり着くわけですね。

小林 それからは、自分が世の中のためにやるべきことが明確に見えてきました。これまでに培ってきた教育分野の知識、財務や経営の経験、そして、いかに人間の個性が伸びうるかという留学中の実体験などを総動員して、「社会を変えていけるリーダーを育成したい」と考えるようになったのです。

古森 その思いが、今の活動に直結したのですね。

小林 そんな折に、今いっしょに設立準備を進めている谷家 衛さんに出会ったのです。谷家さんは、あすかアセットマネジメントの代表取締役で、投資の世界では有名な方です。その谷家さんに私が考えていたことをお話ししていたところ、「日本にアジアのハングリーで才能のある生徒を迎えるインターナショナルボーディングスクールをつくるべきだと思う。それこそりんちゃんにぴったりでりんちゃんだったら素晴らしい学校がつくれる。一緒にやろう。」と言われました。さらに色々話しているうちにとても共鳴するものがありまして、「いっしょにやりましょう!」ということになったのです。

古森 自分のパッションに沿って突き進んでいくと、運や縁まで味方してくれるものなのですね。色々なものが大きな奔流になって、今の活動に流れ込んでいるようなイメージが浮かびました。

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このプロジェクト自体がリーダーシップの教科書!

古森 私、お話を伺っていて思うのですが、この設立準備プロジェクト自体が、既にリーダーシップの教科書のようなものだなと・・・。

小林 色々苦労しています(笑)。

古森 この設立経緯や、その背景にある思いなどをケースにして、スクールが出来たら教材の一つにすべきじゃないかと思います。リーダーシップの定義も色々ありますが、結局は、「その人のところに人が集まる」ってことじゃないですかね。権限・権力とかポリティクスとかじゃなくて、その「人」自体が引力を持つ。そういう状態が、一番自然にリーダーシップが働く状態だと思うのです。今起きていることは、まさにそれだなと。

小林 そんな大それた話ではないと思っていますが、この取り組みに共鳴して、本当に色々な人々が参画して下さっています。「こういう風になるといいな」という瞬間に、本当にそれを実現する力を持った人があらわれて、力を貸してくれるような感じです。

古森 何か引力があるんですよ、きっと。

小林 先日は、「ウェブに動画を公開したい」と話していたところ、Facebook経由で映像作家の方が名乗り出て下さって、無料で映像を製作して頂けました。「中国語訳が必要だ」と思っていたら、中国語訳をボランティアでして下さる方が現れたりして。困ったときに、天から助けが降りてくるような感覚です。

古森 それは偶然ではなくて、このプロジェクトが目指しているものに多くの人が共鳴しているからでしょうね。世の中の流れとしても、金銭授受を伴わない形で、「良いと思うことをやる」という価値観が、だんだん市民権を得てきていると思います。少し前のスタンフォード大学の卒業式スピーチで、オプラ・ウィンフリーが「お金をもうけることも大事だけど、仕事の意味も大事よね」と語っていたのが印象的でした。「意味の時代」が来ていますね。

小林 たしかに、自己実現の場を見つけようとしている人が増えているように思います。自分の持つ腕、専門性などを世の中に共有化したいという動きは、強くなっていますね。

古森 日本の経済は大変な時期を経て今に至りますが、ある意味で社会に多様性も生まれましたね。必ずしも大勢が同じようなステップで世の中に出て行くわけではなくなったし、半強制的に何かに集中的に取り組まざるを得ない場面も増えていると思います。そういう中で、結果的には多様な価値観や経験を持った人々が、社会の中に増えているのを感じます。

小林 このプロジェクトのメンバーやサポーターも、まさに多様な個性の塊ですよ。先ほどの谷家さんをはじめ、アドバイザリーボードや理事会には実にたくさんの第一線で活躍されていらっしゃる皆様がお名前を連ねてくださっています。

古森 そういう、自分の意思が明確な人々が集まっているチームなら、困難に接しても乗り越えていけるでしょうね。

小林 そうですね。用地の取得や学校の許認可申請など、これでもかというくらいに色々なチャレンジがやってきますが、皆とても明るいのです。「これもラーニングのための必要なステップだ」「きっとなんとかなる」と、非常に前向きです。

古森 やはりこのプロジェクト自体が、小林さんを核としたリーダーシップの象徴的出来事であり、また、今日的なアントレプレナーシップのお手本だと思います。なんというか、圧力のリーダーシップではなく、引力のリーダーシップとでも言いたくなるような。

小林 不可能と思ったら、本当は可能なことも出来ないですから。物事をリードする自分が、まず「出来る!」と思っていないと。

古森 21世紀のリーダーシップは、「ねあか」がキーワードですかね(笑)。

小林 「ノーテンキ」とも言います(笑)。


「学び」のコンセプト!

古森 ところで、実際にスクールが設立された暁には、どのようなプログラムが展開されるのですか。まだ詳細はこれから詰めていくのでしょうが、コンセプトレベルで結構ですので、お聞かせ願えればと・・・。大変興味があります。

小林 まさに今、激論を交わしているところです。狙っている「学び」にも色々な面がありますが、まずカリキュラムという点から言えば、やはり自主性を思い切り引き出すような仕掛けを考えています。

古森 小林さんが留学中に経験したものが背景にあるのでしょうね。受身ではなくて、徹底的に自己、個人の中に動因を求めていくスタイル。

小林 言い換えると、「誰かが決めた課題を解く力」よりも、「課題そのものを見つける力」を養いたいと思っています。例えば、スタンフォード大学の「d.school」ってご存知でしょうか。

古森 いえ、不勉強ですみません。

小林 色々な学部の人たちが集まってプロダクトデザインをするというところからはじまった、「デザイン思考」と呼ばれる面白いプログラムです。今度はそれを小中学校・高校レベルに広げようとしています。シリコンバレーのある学校では8年生までのラボがあって、例えば「今日はサンフランシスコ・メトロ(=地下鉄)が課題です」というと、皆で実際に現場を見に行って、観察やインタビューをすることでユーザーの立場に立ち、解決しなくてはならない課題を見つけます。その後、「何が問題だったでしょうか」「喫緊の課題は何ですか」という具合に、クラスルームで議論が行われます。そしてプロトタイプと呼ばれる試作品を多くつくり、クリエイティビティを発揮しつつ批評も受けながら改善を図ろうとします。

古森 きわめて実践的なプログラムですね。小中学校レベルでも、その方式が機能するのでしょうか。

小林 機能するのです。議論が始まると、「やはりサービスが売りだ」とか、「子供には吊革がつかまりにくいよね」などの声が出てきて、それらが新たなプロダクトデザインの着想につながっていきます。今年実験的に軽井沢でもサマーキャンプに採り入れてみたのですが、2日間の短縮バージョンでも子供達の反応はすごかったですよ。カリキュラムに取り入れていく一つとして、確信を持ちました。もちろんそのまま導入するのではなくて、私たちの学校なりにカスタマイズするつもりです。

古森 面白いですね。企業の経営者から見ても、興味深いプログラムに映るだろうと思います。先ほどおっしゃったように、可視化された課題への取り組み以上に、これからは課題を構想すること自体がビジネスの鍵ですから。10代のうちからこうしたプログラムで鍛えれば、事象に触れた際の思考回路が変わっていくのではないかと思います。

小林 そうした方法論的なものを研究しているところですが、「学び」という視点では生活環境自体にも大きな意味があると思っています。

古森 全寮制で、先生も一緒に住み込みという環境・・・のことですね。

小林 様々な国・バックグラウンドから来た生徒で形成される一学年50名前後のグループ。それが、まずは高校3学年、ゆくゆくは中学校の設立も検討したいと思っているので、そうしたら6学年になって一緒に暮らすわけですから、生活環境に持ち込まれる多様性はすごいことになるだろうと思います。

古森 たしかに、すごいことになりそうですね。楽しいことばかりではなくて、まさに喜怒哀楽のすべてを濃密に経験することでしょう。

小林 いわば、生態系のようなものだと思っています。多様性を高めて、同じ空間に住んで頂き、そこから先はある程度自然に起きてくる有機的な変化も是とするわけです。もめごとも絶えないでしょうし、本当に色々なことが起きるでしょうが、それらは大事な学びの要素になっていくのです。

古森 生態系ですか。なるほど、しっくり来る表現です。

小林 そういう意味では、親御さん達にも理解して頂くことが必要です。

古森 自然の中で、多様な学生達が集まって、どんな生態系が出来るのでしょうね。今から楽しみですね。

 

サマーキャンプの手ごたえ!

古森 先ほどサマーキャンプのことをちらっと触れられましたが、どんな感じでしたか。今年初めて実施したサマーキャンプが、軽井沢インターナショナルスクールの今後を占う試金石的な位置づけになったのではないですか。

小林 そうですね。サマーキャンプは、まさに将来のプログラムのミニチュア版でした。参加者も、我々運営サイドも、色々なことを学ぶことができました。例えば、教育の多様性を提唱していますが、実際にミャンマーなどから参加者があって、その子供たちが参加者全体に与える影響が実体験できたのは大きな収穫でした。参加者の親からも、「この子がこんなに変わったので驚いた」といったコメントがたくさん寄せられています。

古森 参加者の親御さんが綴ったレターが、いくつかウェブサイトに出ていましたね。私も拝読しました。フィリピンから寄せられたレターが特に印象に残りましたが、その親御さんが使う英語の洗練度なども含めて、何かこう、今までにないものが集まり始めているな・・・という雰囲気を感じました。新しい風が吹き始めているようです。

小林 ちなみに、色々な国から多様な人々を集めるために、サマーキャンプにも奨学金の仕組みを導入しています。

古森 日本人だけのためのスクールではないと知りつつあえて聞きますが、日本人の参加者の変化みたいなものは、どんな感じでしたか。

小林 劇的に変わります。先ほどお話した「d.school」の短縮版で子供達が見せた変化には驚くべきものがありましたし、何よりも一緒に過ごす中で自然に発生する刺激のようなものがすごいのです。例えば、ミャンマーから来ていた子は、アウンサン・スーチーさんの活動を生で見て育った世代です。「ビルマの民主化のために一生をささげます」なんて真顔で言うのです。名前に「Aung」という文字が入っていて、聞いてみると、スーチーさんの活動に感銘を受けて、10歳の頃に親に頼んで改名してもらったのだとか。

古森 10歳でその意識ですか。

小林 日本だって色々ありますけど、やはり日本では考えられない環境の中で、まったく違った個性が育っているのです。その子が育った環境や考え方に触れて、日本の子供達も大いに刺激を受けました。フィリピンからも3名来ていましたが、サマーキャンプで10日ほど一緒に過ごしたら、「タガログ語を勉強したい」という日本人の子供も現れてきたりして、せっかくの生徒達の自主的な反応なので、急遽タガログ語の授業を用意しました。

古森 その「タガログ語を勉強したい」というような反応は、要はある種のリスペクトだと思うんですね。10代の多感な時期に色々な個性と触れて、自然な形で異文化にあこがれたり、リスペクトしたりするようになる。これまでのステレオタイプの日本人とは違う、異文化に対する高い受容性を持った人が育っていくかもしれませんね。多様性を集めて、新たな生態系が動き始める・・・。

小林 日本人にも海外からの生徒にも、そういう変化が起きることを期待しています。

古森 短いプログラムとはいえ、サマーキャンプという形でまがりなりにも「本番」が試行されたことの意義も大きいですね。やはり、概念が実際に形になり始めるというのは、運営サイドにとっても世の中から見ても、大きな意味がありますね。

小林 それは、本当にそう思います。色々判断に迷うこともありましたが、サマーキャンプという形で動いてみて良かったと思います。何よりも、得られた反響に手ごたえを感じることができて、プロジェクトチームとしても確信を得ることが出来ました。

古森 まず行動。アントレプレナーシップですね。

小林 講師陣にも一流の人々を招聘したのですが、最初は半信半疑の方もおられました。何しろ伝統も何もない、「ぽっと出」の学校ですから。でも、サマーキャンプを実際に進めていく中で、このプロジェクトに強いコミットメントを持って下さるようになりました。

古森 サマーキャンプという試みが、また一つ、人々が集まる流れを作ったようですね。最後に、2013年の開校に向けて、何か企業セクターに期待することはありますか。現在でも既に、理念に賛同して様々な企業や経営者の方々が応援団に加わっていると伺っていますが。

小林 ありがたいことです。フルタイムでやっているのは私一人で、あとは全部ボランティアという状況で、このプロジェクトが何とかここまで進んできたのは、そういうサポートがあってこそだと思っています。

古森 協賛のような形で資金面の支援ももちろん意味があるでしょうが、他にも企業セクターがやれることはありそうですね。教育のコンテンツ面でも、ビジネスの現場で起きていることのエッセンスを、10代の子供達に伝えられたら有意義なのではないかと思います。日系企業の話もいいですし、日本で苦労している外資系企業の話などもスクールの趣旨にあうかもしれません。「d.school」的な仕組みとの組み合わせも考えられますね・・・。

小林 もしかしたら、様々な国から集まった生徒達に何かを伝えることで、企業の人々にも気づきがあるかもしれませんね。

古森 2013年はすぐにやってくるでしょうが、まだ色々と試す時間もあるわけですよね。昨今、企業としても10代までの人材育成のあり方に強い関心を持っていますから、何かクリエイティブな取り組みが考えられるかもしれませんね。企業セクターとのコラボレーションの可能性、是非またブレーンストーミング致しましょう。

そろそろ、時間になりました。あっという間の90分でしたが、小林さん、今日は本当に有難うございました。今後の展開に期待しております。




[対談終]
~ 対談後記 ~
小林さんがスタンフォードで書かれた修士論文があります。「International Educational Administration and Policy Analysis – Beyond the numbers: An Analysis of the Effectiveness of the Filipino Education Project」と題するその論文は、当時の小林さんの課題意識がじかに伝わってくる力作です。フィリピンでの世界銀行・JBIC共同の教育プロジェクトを題材にとり、途上国支援へのインプットが実際にどうアウトプットにつながるのか、定量・定性の両面から考察を加えた内容です。意欲的で価値ある論文だと思います。しかし、小林さんとの対談を終えた今、良い意味でこの論文が霞んで見えるような気も致します。それは、小林さんが証明すべき対象物が学術的な世界を超えて、今や教育事業そのものになっているからだと思います。その時その時の自分のパッションに忠実に生きているからこそ、残してきた足跡にも光るものがあるのでしょう。

小林さん、有難うございました。


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第39回 河合 江理子さん

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記者クラブといくら会見してももう意味がない!

2011.02.03(Thu)JBプレス 烏賀陽弘道

深夜、フリー記者仲間の寺澤有さんからメールが来た。彼の裁判で意見書を書いたお礼にホルモン焼きをおごってもらう約束をしていたので、その話かな、などのんびり開いたら、「明日、ある超大物がフリーの記者を対象に会見を開くので来ませんか」とある。そういえば、寺澤さんが記者クラブの開放を求めて、活発に取り組んでいるニュースを、インターネットで見ていた。

 私は朝日新聞社在社時代、新聞記者だった時はクラブの内側にいて、アエラ編集部に移ったとたんにクラブから蹴り出される側になった。両方を知っている者として、クラブ(会見)開放の動きにはずっと注目していた。

 特に、寺澤さんをはじめ、上杉隆さん、岩上安身さん、畠山理仁さんといったフリー記者たちの取り組みには注視していた。そこへこのお誘いである。

 寺澤さんが「超大物」が誰か言おうとしないのも「事前に漏れると困る」という大ニュースの匂いがして鼻がぴくぴくする。何だか面白そうだ。すぐに次の日の予定を全部キャンセルした。

なぬ! 小沢一郎がやって来て会見を開く?

 恥ずかしいことに、私はそのクラブ会見開放の「最前線」である首相官邸や総務省の会見に行ったことがない。なのに寺澤さんは「20席のうち2席をもらったので一緒に」という。まったく申し訳ない。恐縮、汗顔の至りである。

 そうしたら、当日朝になって「ニコニコニュース」の亀松太郎編集長から携帯電話に電話がかかってきた。亀松さんは私と同じように、かつて朝日新聞の記者だった。一緒にメシを食ったり、なんだかんだとユルい交流がある。

 留守電を再生したら、いつも通りののんびりした声で言うではないか。「今日、小沢一郎氏の会見があるんですけど、よかったらウガヤさんも来ませんか」

 なぬ! 小沢一郎!? そりゃ行きますわな。「ナマ小沢」が見られるからではない。フリー記者たちが自主的に開く「非記者クラブ会見」に、その行動や発言に最高度のニュースバリューがある小沢一郎氏が出てくる、ということそのものが驚きだ。

 もしかしたら「記者クラブ制度」を弱体化させる一撃になるかもしれない。マスメディア問題に関心のある記者として、これは逃すわけにいかない「歴史的な事件」だ。

 といった次第で、翌日午後3時半にJR原宿駅前で寺澤さんと待ち合わせした。派手に着飾ったお姉ちゃんやお兄ちゃん、修学旅行生が入り乱れる竹下通りをかき分けるように歩いて「ニコニコ本社」にたどり着いた。

 45分の会見の中身は新聞でも報道された。あちこちブログやUstreamに流れている。私が撮影した会見の写真も公開しておいたのでそちらを見てほしい。

去年「記者クラブ問題」が社会問題として議論が激しくなってきたあたりで、私は「2011年をポスト記者クラブを考える元年にしたい」と提案してきた。そこにちょうどこの話である。

 今回の小沢一郎フリー記者会見をどう理解したらいいのか。今後どうしたらいいのか。私見を述べることにする。

記者の頭の中に「記者クラブ」問題は存在しない!

 私が小沢一郎会見のあと、記者クラブ問題についての意見をツイッター上で話していたら、自称「新聞記者」(匿名)からリプライが来た。「社内では記者クラブのことなど話題にすらなったことがない」というのだ。

 ため息が出た。が、自分もかつて新聞社にいた身として、この環境は想像できる。朝日新聞社もそうだったからだ。

 私がいた頃、朝日新聞社には記者だけで約2500人がいた。これだけ巨大な組織が朝夕刊1日2回の紙面を作り、送り出す。これだけ複雑な業態では「業務を事故なく遂行する」ことが自己目的化してしまう。ダイヤ通りに列車を運行することを至上命題とする鉄道会社みたいなものだ。

 そこに「記者クラブ内ゲーム」でしかない「特ダネ競争」(待てば発表されるようなネタを先に書く、他社より早く書く、など)が加わると、記者たちはもうアップアップだ。「記者クラブ制度」という自分の業務の「構造」「土台」を反省して見直そうなどという余裕がない。

 私が在社した2003年までの17年間、記者クラブ制度への批判はずっとあった。新聞からアエラ編集部に異動したとたん、記者クラブから蹴り出された私自身も、はらわたの煮えくり返る思いを何度もした(拙著『朝日ともあろうものが』参照)。

 だが、新聞社側が改革を検討したことなどほぼ皆無だった。なぜか。答えは簡単。記者クラブからのニュース供給がないと、日々の紙面ができない。さらに、改革などしなくても、ライバルがいないから困らない。そんな消極的な理由だ。

ネットの会見報道はノーカット、無修正!

 ところが、この戦後ずっと続いたぬるい環境が、インターネット媒体の普及でコペルニクス的な転換を遂げてしまった。

 特にネット普及率が50%を突破する2005年前後以降の状況は、それまでとはまったく別世界とも言えるありさまになった。以前の常識がまったく通用しないのだ。

ところが、新聞社内にいると、この外部の激変には案外気づかない。気づいても、その重大性を過小評価してしまう。タイタニック号のような巨大客船に乗っていた乗客は、それが転覆して沈没するなど想像できなかっただろう。それに似ている。

 例えば、ネット記者がUstream やYouTubeといった動画サイトで公開している小沢一郎氏とのインタビューを見てほしい。ノーカット、無修正で一問一答から再現するのだから、活字メディアは言うに及ばず、時間の制約がある地上波テレビですら太刀打ちができない。

 その濃厚なリアリティーを見た瞬間、視聴者にはもう後戻りのできない変化が起きる。「ああ、これが現実だったのか」と。すると、オールドメディアが物足りなく見えてしまうのだ。

 今、オールドメディアに起きている変化は、自分たちが立っていた地面が動いてしまうような劇的な変化だ。自分たちが位置を変えなくても、座標軸が移動してしまう。(+,+)の第1象限にいたはずなのに、(-,-)の第3象限に落ちてしまった。それに気づかない。

 明治時代、生まれて初めて汽車に乗った婦人が、客車に乗る時に草履をホームで脱ぎ、降りる駅のホームに自分の草履がないことに戸惑った、という逸話に似ている。

ここまで事態を悪化させた記者クラブに腹が立つ!

 小沢一郎氏は、その発言や行動が日本で最高のニュースバリューを持つ人物である。その小沢氏は「記者クラブとはいくら会見してももう意味がない。いくら説明しても報じてくれないんだから」とまで言って、ネット会見に出てくる。

 既存メディアに不満を持っている人は小沢氏だけではないだろう。こうした人々が、既存のメディアは「言いたいことの一部しか書いてもらえない」「自分のバイアスに沿って編集してしまう」「偏見のある記事しか書かない」とネット系メディアの会見に移ったら、どうなるのか。

 いくら記者クラブが「フリー、雑誌記者、海外メディアは入れない」と頑張ったところで、力関係は逆転してしまう。

 政治家だけではない。例えば芸能人。市川海老蔵だったらどうだろう。逮捕され、保釈されたあとの酒井法子小室哲哉だったらどうなっていただろう。「オールドメディアでは、いくら言ってもこちらの言い分を取り上げてもらえない」「悪人に仕立てて編集されてしまう」とネットメディアに来る可能性は高い。

 「不当に逮捕された」という人だって、そうだ。鈴木宗男元議員。ホリエモン。あるいは浮気が噂されたダルビッシュ有のような、スポーツ選手。

 会見を2つやったとしても、速報性も情報量もネットが勝ってしまう。オールドメディアで批判的に取り上げられた時の「保険」としてネット会見を使うことだってあるだろう。

本当にばかばかしい。記者クラブが、フリー記者や雑誌記者、外国人記者に門戸を開いておけばよかっただけの話なのだ。ずっと批判され続けているのだから、10年以上前にさっさと開放しておくべきだったのだ。

 遅くとも、フリー記者たちが記者クラブそのものや会見の開放を働きかけ始めた時点(取材で記者クラブ所属のメディアとは異なる差別的待遇を受けたとして、冒頭の寺澤有さんが国を民事提訴したのは1999年が最初)で、素直に応じていればよかったのだ。

 本来、フリー記者も社員記者も、団結して権力者と対峙するのが一番いいに決まっている。フリー記者の会見に小沢一郎氏が登場、と喜んでいてはいけない。なぜなら、この「記者クラブ」と「フリー記者」の分裂は、権力監視者としての「報道」の分裂に他ならないからだ。

 これを誰より喜ぶのは権力者側だろう。ここまで事態を悪化させた記者クラブ側の遅滞と怠業には、まったく腹が立つ。

記者の仕事を最後に判定するのは読者である!

 最後に。私は「記者クラブがフリー記者を排除しているから、フリー記者も会見から記者クラブ記者を排除する」という運営には反対だ。

 それは「相互主義」「互恵主義」の名前で、選択肢としてはありえる。しかし、読者から見ればそれは「報復」と誤解される可能性が高い。あるいは「排他的な第二記者クラブの結成」と解されるかもしれない。

 会見に行って実感するのは、多数いるフリー記者の中には「温度差」があることだ。記者クラブから排除され続け、その開放を求めて悪戦苦闘し続けた記者たちは、怒りが強い。私のようにその現場にいなかった者は「体温」が低い。そんな私がゴチャゴチャ口出しするのは申し訳ない。そんな気持ちもある。

 記者クラブ記者たちをフリー記者の会見に迎え入れたとしても、彼らは恩義にすら感じないかもしれない。「互恵」など髪の毛の先ほども考えないかもしれない。煮え湯を飲まされるような不愉快な出来事がしばらく続くかもしれない。しかし、そんな彼らの姿を、長期的に読者はどう見るのだろうか。

 記者の仕事を判定できるのは、読者以外にはいない。「寛容」と「自由」を実践する記者たちを、読者は必ず支持するだろう。寛容と自由は民主主義の重要な要素だからだ。新しい日本の「言論」「報道」そして「民主主義」の姿を、フリー記者が示せばいいのだ。

 フリーであろうと社員記者であろうと、報道記者は民主主義という神殿に仕える神官なのだ。

「政治とカネ」問題の焦点、水谷建設・西松建設・陸山会の3事件はどこに消えた?

2011年2月3日 DIAMOND online 上杉隆

〈小沢氏を強制起訴〉

 1月31日、号外まで出た小沢一郎氏の強制起訴は、約二年にわたる「政治とカネ」の問題に決着をつけたかのようである。

「カネに汚い小沢一郎」という政治家の正体がようやく法的にも証明されたのだ。これで「政治とカネ」の問題も一気に解決に向かうに違いない。

 きっと、国民の多くがそう思っていることだろう。だが、実際にそのニュースに触れると、「何かがおかしい」と気づくことになる。

 少し長くなるが、恣意的な引用を避けるためにも、翌日の「産経新聞」朝刊の記事をそのまま掲載する。

 〈民主党小沢一郎元代表(68)の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で、検察官役を務める指定弁護士は31日、同法違反(虚偽記載)罪で、小沢元代表を在宅のまま強制起訴した。検審の議決に法的拘束力をもたせた平成21年施行の改正検察審査会法に基づく強制起訴は4例目で、国会議員は初めて。

 政権与党の実力者が国民の判断によって起訴される事態となり、政権への打撃は避けられない。小沢被告に対し政治責任を問う声も再燃しそうだ。

 起訴状によると、小沢被告は、衆院議員の石川知裕被告(37)=同法違反罪で起訴=ら元秘書と共謀。陸山会が16年10月に東京都世田谷区の土地を約3億5千万円で購入したにもかかわらず、同年分の政治資金収支報告書に記載せず、17年分の収支報告書に記載したなどとされる。

 東京地検特捜部は昨年2月、石川被告らを起訴する一方、小沢被告については嫌疑不十分で不起訴とした。その後、東京第5検察審査会が「起訴相当」と議決。特捜部は再び不起訴としたが、審査員全員が交代した第5検審の再審査が行われ、同9月に起訴議決が出された。

小沢被告はこれまでの特捜部の事情聴取に対し、虚偽記載への関与を否定。公判でも同様に否認するとみられる。東京地裁から選任された指定弁護士3人は今後、引き続き公判を担当し、小沢被告と元秘書との共謀関係を立証していく〉
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110131/crm11013114460015-n1.htm

 仮に、小沢一郎氏関連のニュースをきちんと読んでいる読者がいたとしたら、きっとこの記事に違和感を覚えるはずだ。

 これは産経新聞だけに当てはまるものではない。朝日新聞も、NHKテレビも、すべての記者クラブメディアに該当する、そう、つまり、起訴状に書かれた「罪状」への違和感である。

「政治とカネ」の問題と散々言われた!

3つの事件は跡形もなく消え去った
 (1)水谷建設事件、(2)西松建設事件、(3)陸山会事件――。

 この二年間、記者クラブメディアが散々大騒ぎし、小沢氏の「政治とカネ」の問題だとして紙面や放送時間を費やしてきたのが、この三つの事件だ。

 ところが、今回もあるはずのこの三つの事件は跡形もなく消えている。

 代わりに登場した「罪状」が、はるか以前から指摘されてきた、政治資金収支報告書の「期ズレ」の問題である。

 それでは、小沢氏の起訴内容をまとめてみよう。「罪状」の要旨は次の通りである。

 〈小沢一郎被告は、自己の資金管理団体である陸山会の会計責任者であった大久保隆規被告と、その職務を補佐する者であった石川知裕被告と共謀の上、平成17年3月31日ごろ、東京都新宿区の東京都選挙管理委員会において、

(1)陸山会が16年10月12日ごろ、小沢被告から4億円の借り入れをしたにもかかわらず、これを16年の収入として計上しないことにより、同年分の政治資金収支報告書の「本年の収入額」欄に、これが5億8002万4645円であったとの虚偽の記入をし、

 (2)陸山会が16年10月5日と同月29日、土地取得費等として計3億5261万6788円を支払ったにもかかわらず、これを同年の支出として計上しないことにより、真実の「支出総額」が4億7381万9519円であったのに、収支報告書の「支出総額」欄に、3億5261万6788円過小の1億2120万2731円であったとの虚偽の記入をし、

 (3)陸山会が16年10月29日、東京都世田谷区深沢8丁目の土地2筆を取得したのに、これを収支報告書に資産として記載せず、収支報告書を都選管を経て総務大臣に提出し、もって収支報告書に虚偽の記入をし、記載すべき事項を記載しなかった〉

 なるほど、これならば、確かに3億5261万円もの報告漏れにあたり、政治資金規正法違反で小沢氏は「政治とカネ」の問題を抱えているといえる。

3億5261万円の支出は同年度内に報告!

罪状は年をまたいだことによる“期ズレ”
 だが、実は、起訴状はもうひとつあるのだ。

 〈小沢被告は、大久保被告と、その職務を補佐する者であった池田光智被告と共謀の上、18年3月28日ごろ、都選管において、

 (1)陸山会が17年中に土地取得費等として計3億5261万6788円を支払っていないにもかかわらず、これを同年の支出として計上することにより、真実の「支出総額」が3億2734万7401円であったのに、同年分の収支報告書の「支出総額」欄に、3億5261万6788円過大の6億7996万4189円であったとの虚偽の記入をし、

 (2)陸山会が前記土地2筆を取得したのは16年10月29日であるのに、収支報告書の「資産等の項目別内訳」の「年月日」欄に取得年月日が17年1月7日であるとの虚偽の記入をし、収支報告書を都選管を経て総務大臣に提出し、もって収支報告書に虚偽の記入をしたものである〉

賢明な読者ならばお分かりだろう。いや賢明でなくても分かるかもしれない。

 そう、3億5261万円は消えたわけではなく、同じ年度内にきちんと報告されていたのである。

 つまり、これだけをみても、罪状は政治家の「政治とカネ」の問題ではなく、「期ズレ」、つまり、秘書の修正申告の問題だということがわかる。

 これは恐ろしい「罪状」だ。恐ろしいというのは、かつて国会議員秘書経験のある筆者からみて、あるいはすべての議員秘書にとって背筋が凍るような起訴だということだ。

 そもそも、強制起訴という言葉に違和感を覚えはしないか。

 記事にもあるように、捜査権を持つプロフェッショナルであるはずの東京地検特捜部が、2年間にも及ぶ捜査の上、小沢氏の「政治とカネ」の問題は存在しないとして2回にわたって「無罪」(不起訴)にしている。

 それを、法律のアマチュアにすぎない11人の、匿名の一般人の集まりである検察審査会が、わずか数日の審理だけで「有罪」(強制起訴)としてしまったのである。

 いや、それでもそれは国の正式な制度だ。法治国家である以上、そこに従うのは国民として当然の義務である。

 だが、そうだとしても、それは「政治とカネ」の問題とはいえない。

 

3つの事件はどこに消えた?第1の水谷建設事件は元会長が証人に!

 では、肝心の「政治とカネ」の問題はどこに消えたのか。消えた3つの事件を追ってみよう。公平を期すため、同じ産経新聞から引用する。

 陸山会事件 元秘書側が水谷建設元会長を証人申請!

小沢一郎民主党元代表(68)の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で、政治資金規正法違反罪に問われた衆院議員、石川知裕被告(37) らの弁護側は2日、中堅ゼネコン「水谷建設」の水谷功元会長(65)を証人申請した。3日の公判前整理手続きで東京地裁が採否を決定するとみられる。

 関係者によると、水谷元会長は東京地検特捜部の任意の事情聴取に、同社の元社長(53)らを通じ、小沢被告側に平成16年10月と17年4月に5千万円ずつ計1億円を提供したとの趣旨を供述。しかしその後、周囲に「渡したかは分からない」などと話したという。

 同社の元運転手については弁護側、検察側ともに証人申請した。元運転手は特捜部の任意聴取に、16年に元社長を裏金の受け渡し場所まで送迎したと供述したが、現在は「記憶がない」などとしているという〉
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110202/trl11020219430009-n1.htm

 なんのことはない、「水谷建設から小沢秘書に渡った一億円」は検察と記者クラブメディアの虚構だったのだ。

 当事者の水谷元会長が、石川元秘書らの証人として法廷に立つ用意があるということ以上に、雄弁にこの事件の虚構性を物語るものはない。

第2の事件は西松建設側も、小沢事務所側も正当な献金と認識!

 (2)西松建設事件はどうだろうか。産経新聞では記事を見つけられなかったので、共同通信の記事を引用する。

 〈政治団体、ダミーと思わず 西松公判で元総務部長 ニュース / 2010-01-14

 西松建設の巨額献金事件で、政治資金規正法違反の罪に問われた小沢一郎民主党幹事長の公設第1秘書大久保隆規被告(48)の第2回公判は13日午後も東京地裁(登石郁朗裁判長)で続行、西松の岡崎彰文元総務部長(68)が検察側の再主尋問に「(献金していた)当時は、政治団体がダミーとは全く思っていなかった」と証言した。

献金元の政治団体について、検察側は西松が名前を隠して献金するための、ダミーだったと主張している。

 検察側は、政治団体の会員だった社員の賞与に上乗せ支給する手法で、実際には西松が会費を負担していたのではないかと質問したが、元総務部長は「知らない」と答えた。

 弁護側の反対尋問では、政治団体について「OBがやっていて、届け出もしている、と被告に説明したと思う」と述べ、続いて裁判官に西松と政治団体の関係 を質問されると「事務所も会社とは別に借りて、資金も別だった」と説明した〉(共同通信)

 つまり、西松建設からの献金はダミー団体からの裏金でもなんでもなく、届出をしている政治団体からの献金という認識を、小沢事務所側も、西松建設側も持っていたということである。

 これでは事件化できるわけがない。

第3の陸山会事件で検察側は、あの前田元検事担当の調書を撤回!

 それでは(3)はどうだろうか。

 〈大久保元秘書の調書撤回 東京地検、資料改竄事件の前田元検事が聴取担当

 陸山会の土地購入をめぐる事件で、東京地検が、政治資金規正法違反(虚偽記載)罪に問われた元会計責任者で元公設第1秘書、大久保隆規被告(49)の供述調書の証拠請求を撤回したことが20日、大久保被告の関係者への取材で分かった。

 大久保被告の取り調べは、郵便不正事件をめぐり押収資料を改竄(かいざん)したとして逮捕、起訴された大阪地検特捜部元検事、前田恒彦被告(43)が担当。事件への関与を認める供述を調書にしたが、大久保被告は起訴後に否認に転じ、弁護側は「強引な取り調べや誘導があった」として、調書の信用性などを徹底的に争う意向を示していた。

関係者によると、同日開かれた大久保被告ら小沢一郎氏の元秘書3人の公判前整理手続きで、検察側は前田被告が取り調べた調書すべてを撤回すると伝えた。改竄事件が公判に与える影響を考慮したとみられる。

 大久保被告は石川知裕被告らと共謀し、平成16年分の政治資金収支報告書に小沢氏からの借入金4億円を記載せず、19年分には小沢氏からの借入金の返済分4億円を正しく記載しなかったなどとして昨年2月に起訴された〉(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110121/trl11012102000014-n1.htm

 これは説明の必要もないだろう。本コラムで再三指摘していた、「捏造犯」前田恒彦検事の関わった事件の見直しをようやく検察が決断したのだ。

 これによって、「政治とカネ」の3つの事件はすべて消えた。その証拠に、「小沢氏強制起訴」を境に新聞テレビの報道から、この3つの事件が一切消え、代わりに「期ズレ」の問題だけが無意味に叫ばれることになったのだ。しかも、「期ズレ」といわずに……。

 いったいこの国の政治とは、この国のメディアとは、この国の正義とはなんなのであろうか。

 果たして。今回の「小沢氏強制起訴」は、民主主義国家としての日本の否定ではないか、筆者はそう疑念せずにいられない。

田原総一朗×野口修司(ジャーナリスト)第2回

2011年02月01日(火)現代ビジネス 田原総一朗

田原: 野口さんてすごい人で、もうひとつ世界的なスクープを放っているんです。いまのロシア、かつてのソ連の最大のスパイですね?

野口: (笑)

田原: ラストヴォロフ。

野口: ゾルゲが最大でしょう。ラストヴォロフはナンバー2だと思います。

田原: ゾルゲね。彼はもう、処刑されました。そのラストヴォロフにインタビューした。

野口: これは世界、最初で最後ですね。

田原: どこですか?

野口: CIA本部近くのバージニア州マクリーンというところにあるホテルですね。

田原: ラストヴォロフはソ連の大スパイだったのが、ソ連を裏切ってCIAに協力したんですか?

野口: そうです。

田原: どういうことですか?

野口: アメリカに亡命しました。1954年のことです。当時の日本の新聞では一面トップで、大きな報道してました。

田原: もちろん覚えてますよ。衝撃的でした。

野口: 亡命なのか、誘拐なのかと騒がれました。ソ連側はアメリカに誘拐されたと言ってたんですね。

田原: 誘拐? 拉致されたと?

野口: そうです。拉致されたと。事実は亡命だったんですがね。とにかく、行方不明になってたんです。

田原: そのラストヴォロフにインタビューした。

野口: はい。

ソ連最大のスパイへのインタビュー!

田原: なんでそんなインタビューができたんですか?

野口: これも長年、CIAとかインテリジェンスというか、諜報関係の人たちに取材してますから、人間関係があるんです。

 たまたまNHKの仕事で依頼があったんですけど、今回のウィキリークスと同じように、周辺取材ができないかと。ラストヴォロフを知っているCIAの関係者とかにインタビューできないかと依頼があったんです。で、まあ、いろいろたどっているうちに、ある日突然、本人から電話がかかってきまして(笑)

田原: 本人から!? ラストヴォロフから!?

野口: そうです。

田原: なんで野口さんに電話かかってきたんですか (笑)

野口: だから、今回もそうなんですけど、いろんな人から電話が多かったんです。

田原: で、インタビューした。

野口: そうです。

田原: どのくらいインタビューしましたか

野口: これも実は2日間にわたってインタビューしたんですね。

田原: 2日間も。それは英語でやるんですか?

野口: 英語です。彼はもう、ほとんどアメリカ人と同じぐらい上手い。

田原: そうか、スパイだから英語がしゃべれるんだ、当然ね(笑)。

野口: そうです。彼は後に亡くなった時にワシントンポストの1面を飾った大物です。

田原: なるほど。

野口: ほとんど、誰も知らなかったんです。彼の前歴ていうのは。それをインタビューしました。

世界貿易センタービル爆破を予告した男!

田原: なるほど。もうひとつ聞きたい。実は9・11の前に、世界貿易センタービルを爆破すすると予言していた人物に取材したそうですね。いつごろですか?

野口: 同時テロの3年ほど前ですね・・・

田原: 9・11は2001年ですね。

野口: そうですね。実は93年にも世界貿易センタービルは爆破事件にあっているんです。

田原: ほう。それは、どんな事件なんですか。

野口: 6人死んでます。バンの中に爆弾を詰めて、それが爆発したんです。その時は倒壊はしなかったんですけど、やはり大きな騒ぎになりました。その事件の主犯とされた人物に、最初の爆破事件のあとでインタビューした・・・。

田原: その人物と会ったんですか? 

野口: ええ、会ってます。

田原: でも、主犯はパクられたわけでしょう?

野口: そうですね。FBIのおとり捜査にかかって。

田原: 当然、刑務所に入ってるわけですね。これは終身刑ですか?

野口: そうです。

田原: で、パクられてるその男に、どうやってインタビューできるんですか?

野口: やはりまあ、司法省やFBI、アメリカの3つか4つの担当官に、これこれこういう理由でインタビューしたいという申し込みをしたわけですね。

田原: そうすると?

野口: 彼は、当時、ミズーリ州の連邦刑務所にいました。今は転々と移されてるらしいんですね。私は連邦刑務所の中で獄中インタビューをする許可を得たんですね。

田原: どれぐらい、インタビューしました?

野口: 1時間ぐらいですね。

田原: これもNHKでやったんですか?

野口: そうです。その時に彼はアラビア語だったんですけども、「俺たちはまたやるぞ」って、はっきり言ってるんですね。

田原: この貿易センタービルをまたやるぞって。

野口: ええ、いわゆる予告をしてたんですね。その当時。

田原: で、予告通り、9・11が起きるわけだ。

野口: そうです。

野口さん、あなたはスパイじゃないの?
田原: ちょっと、今の話を聞いてるとね、野口さんもスパイなの? もしかすると。

野口: いえ、そんなことないですよ(笑)。

田原: なんかCIAとか国防省とか、やたらに詳しいっていうことは。

野口: でも、たぶん、僕の電話とか盗聴されてると思いますね。ええ。

田原: じゃあ、これもたぶん盗聴されてるな(爆笑)。

野口: 実際、テロリストの取材は結構やってるんで、ロンドン警視庁から、取材メモを出せとも言ってきたこともあります。

田原: テロリストの取材もしてるんですか? もちろん、さっきの爆破犯もテロリストですね。

野口: さっきのはエジプトの盲目の人でアブドゥル・ラフマーンという・・・。



田原: 盲目?

野口: はい、盲目の。

田原: 盲目の人物が、その貿易センタービルを爆破しようとした主犯なんですか?

野口: まわりに手下がいっぱいいるんです。彼の息子もビンラディンのもとにいますから。それで自信をもって、「またやる」と言ってたんです。

田原: 野口さんに言っているわけだから、当然アメリカ当局はわかってたはずでしょう。

野口: ええ、おそらく。ラフマーン氏はビンラディンよりもよほど格が上で、宗教的な命令ができる立場にあるんです。

田原: ビンラディンよりもはるかにランクが上だと?

野口: ぜんぜん上です。いわゆるファトゥア(イスラム指導者が下す断罪)を発令できる立場にあります。ビンラディン1人の個人的考えもあったとは思うんですけれど、9・11は、あれで起きたと僕は考えています。

田原: ビンラディンにはインタビューしてないんですか?

野口: 彼の右腕にはロンドンでインタビューしました。そのときに、ビンラディンへのインタビューはできると示唆されました。

田原: なぜ、できなかったんですか?

野口: いまから17,8年前でして、当時はビンラディンなんて誰も知らなかった。

田原: 9・11が起きる前ですね。

野口: はい。ずっと前です。

田原: で、なぜできなかった?

野口: ほかの取材が忙しくて・・・。

田原: えっ。他の取材があったからビンラディンのインタビューをしなかったの?

野口: ええ(笑)。その時は、イスラム原理主義の取材でかぶってしまって・・・。ロンドンからエジプトへ行く予定でしたので・・・。

田原: つまり、ビンラディンが有名じゃなかったから。

野口: ほとんど誰も知りませんでしたからね。

田原: 9・11のあとはもう会えませんか?

野口: さすがに無理ですね(笑)。

アサンジからの電話!

田原: ウィキリークスに話を戻します。アサンジとは、最初にどこで会ったのですか?

野口: われわれがいるストックホルムのホテルに来るということでした。ほんとうは、われわれのほうから行きたかったのですが、居場所は教えないということだった。「お前の部屋は何号室だ」とアサンジが電話してきたわけです。部屋は狭いし、来られても困る(笑)。そこで、とりあえずはロビーで待つと伝えました。

 

田原: NHKのスタッフはいたんでしょう。

野口: ええ。

田原: アサンジにOKを取り付ける交渉は、どうしたんですか?

野口: 彼の右腕のひとを通しました。もちろん、本人とも話しましたけれど。

田原: 本人とは、どういう話しをしたのですか?

野口: もう、(僕は)ストックホルムまで来てしまったんだと。

田原: しかし、それはそちらの勝手でしょうと。こちらは関係ないと言われたかも?

野口: ええ、もちろんその可能性はありました。でも、午後11時に行きますということになりました。

ストックホルムの地下に潜伏していた!

田原: どうして説得できたのでしょうか。

野口: やはり、9・11以降のアメリカ・メディアの限界やイラク戦争の問題点を世界に知らしているあなたは凄い、ウィキリークスは世の中を変えると伝えました。ぜひとも話をうかがわせていただきたいと、説得しました。

田原: アサンジは身を隠していたんですよね。

野口: はい、地下に潜伏してました。

田原: ストックホルムでもですか?

野口: はい。個人宅を転々としていたようです。

田原: 交渉ですが、全部でどれくらいかかりましたか。

野口: 1ヵ月近くかかりましたね。右腕の人とは何回も話しました。本人とはケータイで2度ほど話しました。

最初は例の婦女暴行事件が世に出る前だったので、本人からメールが届いたり、良い感触だったのです。時間を作ってテレビのインタビューを受けましょうということだった。ところが、婦女暴行事件から以降は、連絡がまったくとれなくなってしまったんです。そして、地下潜伏となりました。アメリカ政府に追われているみたいなことも言ってましたね。

田原: アメリカはスパイ罪みたいなことでやりたいでしょう。

野口: 準備しているようですよ。

婦女暴行事件はアメリカの陰謀なのか!


田原: アサンジが逮捕されたひとつの理由は婦女暴行ですよね。あれは、どういう事件なんですか? 野口さんは事件をどう捉えていらっしゃるのですか?

野口: 一部にはアメリカの陰謀だと言われています。

田原: 陰謀?

野口: (被害者)女性2人のうち、1人は実際にキューバCIAとコンタクトを取ってるんです。たとえば、CIAが金を渡してアサンジとの関係を持たせて、スキャンダルにもっていったという説があります。

田原: そうか、女性のほうが強引にアサンジを誘ったと。どうぜ美女でしょうから、アサンジが誘いに乗ったところで、罠にはめると。

野口: ただ、いろいろ取材した結果、僕はどう考えてもそれは違うと思っています。やはり、あれだけもてる男ですから、手を出してしまったということだろうと思います。それも2人に手を出してしまった。それで、女性側が怒り狂ったということではないかと。

田原: どこが問題なんですか?

野口:野口 まあ、尾籠な話ですが、コンドームを使った、使わないという議論ですね。

田原: コンドームを使わないと、一種の暴行になるということですか?

野口: ええ。女性が頼んでも使わなかった場合は、暴行罪が成立するようなんですね。

田原: 逮捕したのはロンドンですか?

野口: そうです。ICPOが国際手配していたわけですが、そこの部分ではアメリカの圧力があったと思いますね。あんな事件で、どうして国際手配になったのか、わからないですね。

田原: スウェーデンで出された逮捕状なのに、なんでアサンジはロンドンで逮捕されるんだと。

野口: ええ。国際手配になったのは、アメリカの圧力があったと思います。

田原: 日本でレイプしたからといって、ニューヨークで逮捕されませんよ。

野口: ただ、行為そのものは本人のミスだったと思います。

9・11以降、アメリカは変わった!

田原: 逮捕された後、なぜ保釈されたんですか?

野口: やはり、逃亡の恐れがなくて、世界中から支援する声が巻き起こったからでしょう。

田原: 支援ですか。

野口: はい。アサンジに対する支援ですね。

田原: 支援の声が高まると、釈放するものですか?

野口: ある程度はあると思います。さきにお話したダニエル・エルズバーグのペンタゴンペーパーだってそうですよ。機密文書を持ち出してニューヨーク・タイムズに公開したんですから、明らかに有罪です。

田原: 有罪ですか。

野口: ところが当時のニクソン政権は、最終的には手を出さなかった。アメリカ国民がものすごく怒っていたからです。

田原: 一応は逮捕したわけですよね。

野口: 逮捕というか裁判に持ち込もうとしたんです。

田原: しかし、起訴できなかった。

野口: 起訴猶予のようになりましたね。

田原: ジュディス・ミラーはどうなんですか。

野口: 彼女は情報源を秘匿したというだけなんです。

田原: でも、逮捕されたんでしょう。

野口: アメリカは情報源の秘匿が重んじられる国なんです。ところが、9・11以降は国家安全保障の名のもとに、もしくはテロ対策の名のもとに、なぜ情報源を出さないのかということになって、たしか法廷侮辱罪になったのだと思います。9・11以前だったなら、彼女は有罪にならなかったでしょうね。

田原: 大きな声じゃ言えないけれどね、って言ってもUstで流れちゃってるんだけれど、僕も取材源の秘匿の件でひっかかってるんです。

 外務省の高官にインタビューして、その発言内容をめぐって、神戸地裁から「取材テープを出せ」と言われてるんです。それに対して僕は「取材源を秘匿することは義務なんだ」と言って出さないですよ。検察でなく、裁判所がテープを出せと言ってるんです。それでいま、大阪高裁で争ってます。

 弁護士がこんな冗談で言ってましたよ。「田原さん、アメリカならもう収監されてますよ」って。(本対談の直後となる1月20日付で、大阪高裁は「テープの提出は不要」との田原氏側の主張を認め、地裁決定を取り消した)

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