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日本には日本流の戦没者慰霊の方法がある!
2011.01.20(Thu)JBプレス 山下輝男
1、はじめに
世界の常識は日本の非常識と巷間言われるが、その1つに戦没者に対する慰霊がある。
中国や韓国からは靖国神社への総理大臣や閣僚の参拝に対して、いまだに執拗な非難が起き、総理や閣僚の参拝も自粛傾向にあり、遂に民主党政権では1人たりとも参拝せずに、戦没者に尊崇の念を表明しなかった。
国には国のそれぞれの正義があり、慰霊の在り方があって然るべきであり、そのことを他国からとやかく言われる筋合いは毛頭ないはずだ。
また、我が国の政治家はなぜ中国などの非難を受けるとすごすごと尻尾を巻いてしまうのか、毅然と反論すべきではないのか?
列国の戦没者慰霊の状況を管見し、それとの比較において、我が国戦没者慰霊の現状を明らかにして、あるべき戦没者慰霊(断るまでもないが、もとより法学者ではないので、常識的な意見に止まる)について述べる。
2、列国の戦没者慰霊の状況
(1)米国
●戦没軍人や退役軍人を埋葬する国立墓地
有名なアーリントン国立墓地をはじめとして全国に146カ所ある。戦没・退役軍人の埋葬に当たっては、希望すれば無償で墓石や礼葬を受けることができるとされている。
米国を公式訪問した各国の元首は、アーリントン国立墓地内にある無名戦士を訪問し献花するのが慣例となっている。
参考までに、アーリントン国立墓地で無名戦士の墓のほかに有名なものとしては、硫黄島で海兵隊による星条旗掲揚を模した合衆国海兵隊記念碑がある。
副総理時代の菅直人総理大臣も外相時代の岡田克也幹事長も無名戦士の墓に献花をしている。
●追悼式、記念日など
5月末のメモリアルデー(戦没将兵記念日)、11月ベテランズデー(復員軍人記念日)があり、大統領や閣僚がアーリントン墓地を訪れて献花などをしている。
(2)英国
●英連邦戦没者墓地(Imperial War Grave)
1917年に帝国憲章によって設立、170万人の戦没者を2500の墓地に埋葬している。ほかに戦争記念碑(War Memorials)がある。
無名戦士の墓は、ウエストミンスター寺院にあり、公式献花ができる。
●戦没者追悼記念日(英霊記念日曜日)
11月11日に最も近い日曜日が戦没者追悼記念日であり、本来は第1次大戦休戦記念日であった。
この日は、通称「ケシの日」と言われ、多くの人がポピーを胸につけているが、これは第1次大戦でイギリス軍にとって最も激戦で多くの兵士が命を落としたフランドル戦線に咲いていた赤いケシの花にちなみ、戦没者を偲んで身につけている。
現在では、第2次大戦や最近の紛争で亡くなった兵士の戦没者追悼記念日と併せて行われている。
ロンドンでは、ホワイトホールの戦没者記念碑「セノタフ」で行われる式典には女王はじめ王室、首相を含む全閣僚、主要政党の党首等多数が参列する。
(3)フランス
戦争犠牲者の碑は各地に所在するが、凱旋門の下の「無名戦士の墓」が有名である。
1920年、第1次世界大戦で戦死した150万人以上の無名戦士を代表して、1人の兵士が凱旋門の真下に埋葬され、それ以後祖国フランスのために命を捧げた全ての人々の共通の記念碑となっている。
1923年、追悼の火が点火され、それ以来、この火は現在まで絶えることなく毎日点火され続けている。
国家元首で3軍の長でもある大統領が第1次大戦の休戦記念日の11月11日、第2次大戦の戦勝記念日の5月8日に参拝して献花する。
凱旋門の下には、無名戦士の墓とフランス戦勝記念の4枚のパネルが埋め込まれている。
(4)中国
戦没者などに対する国家レベルの追悼の中心は、北京天安門前広場の中心にある「人民英雄記念碑」である。
1958年に建立。高さ38メートルの巨大な碑で、基壇は、東西50メートル、南北60メートルに及ぶ。
表面には毛沢東による金文字の「人民英雄永垂不朽」(人民の英雄は永遠に不滅だ)の揮毫、裏面には周恩来による顕彰文の揮毫が刻まれている。
台座部分には中国近代史における主な事件(アヘン焼却事件「虎門銷煙」、1851年の「金田蜂起」、1911年の「武昌蜂起」、1919年の「五四運動」、1925年の「五・三〇事件」、1927年の「南昌蜂起」、1937年からの「日中戦争」、1949年4月の「長江渡江戦争」)のレリーフが彫られている。
(5)韓国
ソウルと大田に国立墓地がある。国立ソウル顕忠院の広大な敷地には、独立運動家をはじめ、国家功労者や、朝鮮戦争で戦死した韓国軍将兵、予備軍、警察官、そして国葬・国民葬が執り行われた元大統領など、約16万8000人が埋葬されている。
前身の国軍墓地は1955年に造成され、1965年国立墓地に改称、1996年に「国立顕忠院」、2006年現在の名称になった。
院内の施設の顕忠塔・位牌奉安館は、朝鮮戦争の戦没者の忠義と偉勲を称える塔で、国立ソウル顕忠院のシンボルである。
6月6日を、国土防衛のために散華した戦没者の忠誠を記念する「顕忠日」に定めている。この日が近づくと多くの行政関係者や市民が参拝に訪れ、顕忠日当日には政府によって大々的な追悼行事が執り行われる。
2010年の、第55回顕忠日記念追悼式には、大統領、国会議長・大法院長(最高裁判所長官に相当)・首相の3部要人、各政党代表、閣僚、報勲団体長、戦没した軍人・警察官、独立有功者の遺族、学生、市民ら5500人あまりが参加した。
軍隊が警備し、年中無休で無料開放されている。顕忠塔は各地に建立されている。
(6)その他の国々
それぞれの国の国柄に応じた戦没者慰霊を行っている。ウィキペディアには、約40カ国に上る国々の「戦没者の慰霊塔や慰霊碑」「慰霊を行う大聖堂」「無名戦士の墓」等列挙されている。各国の戦争博物館等には、慰霊に関わる施設が必ずと言っていいほど付属している。
3、我が国の戦没者慰霊の現状
我が国の戦没者慰霊は、靖国神社、各地の護国神社、千鳥ケ淵戦没者墓苑で実施されており、これとは別に各地に建立されている慰霊碑(忠魂碑)が多数ある。
1)靖国神社
靖国神社は、明治2(1869)年6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12(1879)年に「靖国神社」と改称されて今日に至っている。
創建当初は軍務官(直後に兵部省に改組)が所管し、のちに内務省が人事を所管し、陸軍(陸軍省)・海軍(海軍省)が祭事を統括した。
靖国神社には現在、幕末の嘉永6(1853)年以降、明治維新、戊辰の役、西南戦争、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6000余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされている。
最重要の祭儀は、春季(4月)と秋季(10月)の年に2度行われる例大祭である。秋季例大祭には合祀祭が併せて齋行される。
祭神は当初「忠霊」「忠魂」と称されていたが、日露戦争後に新たに「英霊」と称されるようになった。
この語は直接的には幕末の藤田東湖の漢詩「文天祥の正気の歌に和す」の「乃知人雖亡 英靈未嘗泯」(たちまち知る人亡ぶと雖も、英霊いまだかつて泯(ほろ)びず)」の句に由来する。
(2)護国神社
護国神社は、明治時代に日本各地に設立された招魂社が、1939(昭和14)年の内務省令によって一斉に改称して成立した神社である。
護国神社は、おおむね各府県につき1社が建立された。ただし神奈川県や東京都には、護国神社が一社もない。
各護国神社の祭神は、靖国神社から分祀された霊ではなく、独自で招魂し祭祀を執り行っている。1960(昭和35)年に全国の護国神社52社に対して天皇・皇后より幣帛が賜与されて以降、終戦から数えて10年ごとに幣帛の賜与が続けられている。
戦後、軍人に代わり殉職した自衛官も護国神社に祀られるようになったが、クリスチャンである殉職自衛官の妻が(他の遺族は全員賛成)、宗教的人格権を侵害されたとして損害賠償などを請求する事態に発展したことがある(山口自衛官合祀訴訟)。
3)千鳥ケ淵戦没者墓苑
千鳥ケ淵戦没者墓苑は、第2次世界大戦の折に海外で死亡した日本の軍人・一般人約240万人のうち、身元が不明の遺骨を安置するため、1959(昭和34)年に造られた。
維持奉賛のため設立された財団法人千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会が、清掃等維持管理に協力している。
例年5月に厚生労働省主催の拝礼式が、秋には千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会主催の秋季慰霊祭が行われるほか、1年を通じて各種団体の慰霊行事が行われる。
施設自体は特定宗派の宗教性を帯びていない。苑内で行事を行う際には、環境大臣の許可を要する。
(4)戦後の戦没者慰霊(全国戦没者追悼式)
全国戦没者追悼式は1952(昭和27)年4月の閣議決定により、同年5月2日に新宿御苑で天皇・皇后の臨席のもとで行われたのが最初である。
第2回は1959(昭和34)年3月28日にやや変則的に実施され、その後1963(昭和38)年以降、毎年8月15日に行われている。
追悼の対象は第2次世界大戦で戦死した旧大日本帝国軍人・軍属約230万人と、空襲や原子爆弾投下等で死亡した一般市民約80万人である。式場正面には「全国戦没者之霊」と書かれた白木の柱が置かれる。
式典は政府主催で、事務は厚生労働省(旧・厚生省)社会・援護局が行う。現在は東京都千代田区の日本武道館で開かれる。式典開始は午前11時51分(以下日本時間)、所要時間は約1時間である。正午より1分間の黙祷を行う。
式典には天皇、皇后、そして3権の長である内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官および各政党代表(政治資金規正法第3条2項に規定する政党で国会に議席を有するものの代表)、地方公共団体代表(都道府県知事、都道府県議会議長など)が参列する。
(5)戦没者慰霊に関する論争など
戦没者慰霊に関する論争の主たるものは靖国神社問題である。靖国神社に関して、外交的に問題とされるのは歴史認識に関連した、いわゆるA級戦犯の合祀に関わることであり、国内的に問題とされるのは憲法が定める政教分離原則に抵触するか否かということである。
もっとも、伊勢神宮への総理参拝が何ら問題とならないからして、戦没者慰霊に関する政教分離のみが問題とされている。
●政教分離に関する問題
靖国神社を国家による公的な慰霊施設として位置づけようとする運動や、内閣総理大臣・国会議員・都道府県知事など公職にある者が公的もしくは私的に靖国神社に参拝すること、およびそれに付随して玉串奉納等の祭祀に関する寄付・奉納を政府・地方自治体が公的な支出によって行うことなどに関し、日本国憲法第20条が定める政教分離原則に抵触しないかなどが問題となっている。
●歴史認識等に関する問題
特に公的な立場にある人物が、靖国神社に参拝することによって、戦死者を英霊として崇め、戦争を賛美することになるのではないかとの疑義が呈されている。
先の大戦に関する歴史認識と戦争犯罪人の合祀の適切性、他国が感じるかもしれない不快感あるいは外交的な摩擦などに関する問題がある。
●靖国神社国家護持論と別施設論など
日本には戦死者・戦没者を慰霊する公的な国家施設が存在しない。
これについて、神道式の祭祀による靖国神社をその代替として位置づける、または、靖国神社を(戦前に近い形で)国家管理する、はたまた、わだかまりない形での参拝(鳩山由紀夫前首相)ができる別施設を建設するなどの論がある。靖国神社の特殊法人化論も提起されたことがある。
(6)論争などに関する愚見
●日本には日本独自の慰霊の方式があって然るべし
国民や遺族は靖国こそ戦没者の鎮魂の場であると思い定めており、国事に従事して散華した英霊を靖国神社に祀るのは、明治初年以来の日本の文化的・社会的伝統である。
国民として、戦没者に鎮魂の誠を捧げるのは当然至極の感情である。靖国は、国に殉じた先人に感謝し、平和を誓う場である。
今日の安寧と繁栄の礎は国難に敢然と立ち上がり、奮戦・敢闘したが、戦陣に斃れた多くの方々によってもたらされたものである。後世の我々が英霊に感謝の誠を捧げるのは自然の情である。
もちろん、慰霊の形式等は宗教的活動との疑念を抱かせぬような配慮も必要ではあろう。
2項で述べた通り、いずれの国においても、それぞれの伝統や文化に則った方式により戦没者に対する慰霊・追悼を行っている。我が国には我が国の文化や伝統に則った慰霊・追悼があって然るべきである。
我が国には我が国の正義があり、戦没者(英霊)への尊崇の念をどのように表現するかは、我が国の自由である。歴史認識まで外国に教えてもらおうなどとは思わない。
靖国神社参拝が、戦争賛美(につながる)との論をなす者もいるが、言いがかりに過ぎない。そのような恐れは、我が国においては絶対にあり得ない。国民は戦争の悲惨さを十分に承知しており、また戦うべき時とはいかなる時かを承知しているはずだ。
●靖国神社参拝非難の不純なる動機!
1985(昭和60)年に当時の中曽根康弘首相が終戦記念日に公式参拝するまでは、1945年以降歴代首相の靖国参拝に対して、中国も韓国も特段の反応をしなかった。
にもかかわらず、1985年に政治問題・外交問題化し、以降、歴代首相は、橋本龍太郎首相、小泉純一郎首相の参拝まで非難を恐れて参拝していないのである。
摩訶不思議なり。非難する国に不純な動機を感じるのは小生のみではあるまい。内政干渉そのものである。
しかしである、唯々諾々と外国の非難に従うがごとくに参拝を取りやめるとは何たる弱腰か。日本の悪しき体質を見るようだ。
日本の弱腰・軟弱姿勢が現在の事態を招いたと言えば言い過ぎであろうか?(大勲位の罪では?)
A級戦犯の合祀が問題と言うが、我が国がいかなる戦没者の追悼を行うかは優れて国内問題である。
A級戦犯も公務死亡者であり、法的には一般戦没者と同様に扱っている。戦争指導者として、仮に日本が戦争に負けた罪は問われるべきであるとしても、既に英霊となっているものを祀らぬという法はない。死者の墓を暴き、鞭打つという習慣は我が国にはない。
●全くの無宗教形式はあり得ない
靖国神社参拝は、我が国特有の形式に則っているのであり、いわば習俗的なものだ。宗教的活動ではあり得ない。
外国の慰霊の形式が完全無欠な無宗教方式かと言えば、そうとは言えないだろう。我が国には我が国独自の要領があっていい。
参拝を宗教的儀式であると厳密に考える必要があるのだろうか。多神教的な日本人の宗教観と排他的一神教的な外国人の宗教観は異なってしかるべきである。
●日本に送還された遺体は約半数
厚生労働省によれば、今なお、第2次世界大戦において海外で戦死した旧日本軍軍人・軍属・民間人約240万人のうち、日本に送還された遺体は約半数のわずか約125万柱だけである。
残りの約115万柱については、海没したとされる約30万柱を含め、現在もなおジャングルにおいて、洞窟において、沼地において日本帰還を待ち侘びておられる。全御遺骨の帰還なくして日本の戦後は終わらない。
なお、先日報道された通り、硫黄島における遺骨収集が当面の課題となっている。
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