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刮目せよ!
激動の2011年 日本の生き残る道
『週刊新潮』 2010年12月30日・2011年1月6日合併号 日本ルネッサンス・拡大版 第442回
櫻井よしこ
惰眠を貪る日本の政治とは対照的に、国際社会は諸国が戦略を練り、素早い判断で行動しなければ食い潰されてしまう覇権争いの時代を迎えている。とりわけアジアでは中国、インド間で国益をかけた熾烈な駆け引きが展開されるだろう。それは、以降100年間の世界を規定すると言ってもよいような重大な意味を持つもので、日本も当然、大きな影響をうける。
2012年には、ロシア、米国、韓国、台湾が各々選挙の時期を迎え、中国でも新指導者が誕生する。彼らが戦う戦略ゲームは、後に詳述する中国の新たな決意と、中国による核拡散という重大な変数を交えながら展開される。
加えて北朝鮮情勢はいつ急変してもおかしくない。
指導層の一斉交替が起きる2012年を前にした2011年は、すでに世界の緊張の中心となった西太平洋とインド洋における複雑な戦略戦が熱く闘われる年だ。アジアの大国日本といえども、覚悟と戦略なしには乗り切れないだろう。
中国の異常な軍拡についてはすでに多く語られ、世界はその脅威に直面してきた。だが、世界はいま新たな中国の脅威に直面している。中国が2009年夏に政治姿勢の変更を決定したからだ。それは、韜光養晦(とうこうようかい)(姿勢を低く保って力を蓄える)という鄧小平の教えに訣別して、有所作為(なすべきことをなす)という戦術への転換だった。自信をつけた中国は、国際社会の制度や価値観に中国の利益を犠牲にして合わせるのは不合理だと考え、逆に、国際社会のルールや価値観を中国風に変えていくことを選んだのだ。
中国は紛れもなく、覇権大国になると宣言したのである。彼らは日本、インド、ロシア、台湾をはじめ近隣諸国のほぼすべてと領土領海、地勢を侵すか侵されるかという深刻で微妙な問題を抱えることになった。それも、なすべきことをなすと決めた彼らにとっては、覚悟の内なのだ。
旧ソ連と異なり、国家基盤としての経済の重要性を知悉する中国は、軍事にとどまらず、全分野に覇権を及ぼそうとする。一例が金融だ。強い経済を実現し維持するために、経済の基盤である金融を中国式に制度設計しようとするのだ。
1985年のプラザ合意以降、常に不条理なまでの円高によって成長力を殺がれ続ける日本を横目に、中国は人民元を安すぎる水準にとどめてきた。欧米諸国の切り上げ圧力を、米国に次ぐ軍事力に象徴される国家の意思をもって、断固、はね返してきた。のみならず、中国人民銀行の周小川総裁が09年3月に「世界の準備通貨としてのドルから離れる」ことを提唱したように、ドル体制への挑戦を公然と打ち出した。
人民元を基軸通貨化する戦略目標を掲げたのだ。
国際通貨基金(IMF)やアジア開発銀行(ADB)で議決権を高めつつあるのも、中国式の金融制度を作り上げる「努力」の一環だと考えてよいだろう。他方、10年12月6日までに、外資依存型の経済運営を全面的に改めると発表。外資系製造業に与えていた優遇税制を全廃し、脱外資路線を明らかにした。中国は本当に自信をつけたのである。
中国の自信は、しかし、知的財産権の侵害に見られるように、多くの場合、国際社会のルール破りに発展する。世界貿易機関(WTO)に加盟したにも拘らず、レアアースを一方的に輸出規制した。力で相手国を捻じ伏せるこの手法こそ、紛れもない中国の手法だった。
知的財産権を侵害して技術や製品を入手するのであれば、当然開発コストは限りなく安くなり、競争力は強まる。そうして手にした経済力と異常なペースで進めた軍拡の相乗効果が現在の中国の国際社会での存在感を作り上げた。そして、彼らは遂に世界の地勢を根本的に変えるに至った。
中国は1982年、鄧小平の時代に長期戦略を立て、2010年までに日本列島からボルネオまでの第一列島線内部の制海権を打ち立てると決めた。
2020年までに小笠原諸島からグアムをつなぐ西太平洋の制海権を確立し、2040年までに西太平洋とインド洋で米海軍の独占的支配を阻止すると定めた。中国の外洋進出はまさにこの戦略に沿って実現されてきた。
拡大路線を驀進中!
中国の進出でインド洋も西太平洋も緊張の海に変わったが、彼らが安心して外洋に進出出来たのは、進出に先だって周到に背後を固めたからだ。一例が新疆ウイグル自治区の扱いである。弾圧と虐殺の極みといえるこの事例に、中国膨張の基本型が見てとれる。
人口800万から1,500万といわれたウイグル人の国、東トルキスタンを軍事力で奪ったあと、彼らの団結を阻止するために、漢民族をウイグル自治区に大量に送り込んだ。ウイグル人に凄まじい弾圧を加え、彼らとルーツを同じくする中央アジアのトルコ系民族からも切り離しを図った。中央アジア諸国に手厚い援助を実施して中国への非難を封じ込めたのだ。こうして中国内のウイグル人は内でも外でも孤立させられ、抵抗力を殺がれた。
一方で中国は中央アジア諸国の豊富な資源も自国のものにし始めた。カザフスタンからカスピ海経由で新疆に延びる原油パイプライン、トルクメニスタンからウズベキスタンとカザフスタンを経由する天然ガスパイプラインの建設だ。
中国はウイグル人の祖国を奪い、渇望する資源を手に入れ、中央アジア諸国を中国に依存せしめることに成功したのである。
中国の拡大路線は極東ロシアにも急速に伸びつつある。かつて中国を凌駕したロシアの国力の凋落は、特に極東で顕著である。ヨーロッパの面積の約2倍の極東に住むロシア人は現在わずか700万人、5年後には450万人に減少する。国境の南には土地や資源、起業の機会を求めて越境の時機を窺う億単位の中国人がいる。事実、すでに多くが入植済みである。少ない人口と豊富な資源を特徴とする極東ロシアはいずれ中国圏に組み込まれていかざるを得ず、このことはロシア首脳部の心中深くで、中国への猜疑心となっている。
中国が好んで使う「平和的台頭」という表現にも拘らず、中国は全方位で拡大路線を驀進中なのだ。空母を建造する傍ら、米国の空母牽制のために75隻もの潜水艦を確保したと見られる。米軍を無力化する二つのサイバー部隊もフル稼働中だ。有事の際、米空母の接近を阻止する対艦弾道ミサイルとそれを支えるレーダー網も完備済みだ。事態の深刻さは、米国防総省系のランド研究所が2009年の報告で「米国は2020年までに中国の攻撃から台湾を守ることが出来なくなる」と分析したほどである。
台湾を制圧すれば、中国は南シナ海により大きな海軍力を振り向けられる。中国にとって南シナ海は極めて重要な世界制覇戦略の拠点である。
海上自衛隊で指揮官を務めた潜水艦の専門家、岡崎研究所副理事長の川村純彦氏が指摘した。
「中国は、南シナ海を対米核攻撃の第二撃力の基地にしようとしています。仮に核戦争が勃発して陸上の基地が攻撃されても、潜水艦は攻撃を免れ得ます。生き残った潜水艦から米国へ核ミサイルを発射する。これが第二撃力です。中国には、まだこの報復能力はなく、必死で持とうとしています。その種の攻撃型潜水艦を隠しておくのに、十分な深さのあるのが南シナ海で、絶好の場所なのです」
南シナ海の海南島に中国が完成させた大規模海軍基地は、潜水艦20隻を収容するトンネル式の地下基地を備えた、最新鋭の普級ミサイル潜水艦の母港である。
「南シナ海を核の第二撃力の基地として聖域化して初めて、米国と対峙出来る物理的な強大国となれる。中国はそう考えているのです」と、川村氏は語る。
「真珠の首飾り作戦」
まさに2040年までに西太平洋とインド洋から米国を排除して中国の覇権を打ちたてる戦略を実現する非常に重要な第一ステップが南シナ海制覇なのだ。
中国は一度立案すると忍耐強く継続する。決して諦めず、しかも柔軟である。
たとえば、この十数年間、インド洋支配を目指してインドを取り囲む形で軍事基地や軍艦の収容が可能な大規模港湾を整備してきた。通称、「真珠の首飾り作戦」と呼ばれる同作戦はバングラデシュ、ミャンマー、スリランカ、パキスタンなどの協力で進められた。
欧米諸国はミャンマーの軍事政権に「民主化」の要求を突きつけ、援助を断ち切ったが、中国は惜しみなく援助を与えた。東南アジアで最も広い国土と豊富な資源を有する穏やかな国民性のこの国で、中国は見返りに資源と土地を手に入れ、さらに対インド戦略拠点としてシットウェに港を築いて足場にした。
2011年には雲南省の昆明とミャンマー最大の都市ヤンゴンを結ぶ高速鉄道の建設に着手する。鉄道は途中で枝分かれしてシットウェの港にも通ずることになる。
中国は相手国の政体にも価値観にも拘らない。自分の望むものをひたすら追求する。そうして中国が第三世界に与えた最大のものが核兵器とミサイルである。
インドの著名な戦略研究家でジャーナリストのラジャ・モハン氏が指摘した。
「パキスタンの核も北朝鮮の核も元を辿ればすべて中国が与えたものです」
核とミサイルを持った北朝鮮が東アジアの問題国であるように、核とミサイルを手にしたパキスタンは南アジアの問題国である。しかも彼らの背後にはタリバン勢力が存在し、今後のアフガン情勢に深い影を落としている。これらはすべて、中国の核の拡散が生み出した結果である。中国こそ平和と秩序の破壊者なのだ。
そんな中国に包囲されようとしているインドだが、おしなべて冷静である。国家安全保障担当の首相補佐官、メノン氏に中国の真珠の首飾り作戦について問うと、こう答えた。
「港湾を築いたりすること自体はなんら脅威ではありません。その使い方が問題なのです」
一方、モハン氏はパキスタンへの中国の核の提供について、「複雑な問題について語り合う印中両国の政治的意思が大事だ」と語る。
インドの外交、安全保障政策形成に大きな影響力を持ち、高く評価される官民の二氏の発言は、少なくとも表面的には、驚く程中立的で冷静だ。だが情勢は容易ではない。
シンクタンク国家基本問題研究所副理事長で、長年外交政策を論じてきた田久保忠衛氏が指摘する。
「いまタリバンらテロリストたちは、2011年夏にも始まる欧米軍撤退を待っているでしょう。米国が去ったあと、パキスタンが核やミサイルと一緒に、勢力を盛り返したタリバンに絡めとられることが懸念されます。インドに対して大変な脅威です。隣接するイランも同じです。インドはイランと比較的よい関係ですから、協力するのか。しかし、イランと緊密化すれば、イランの核を疑う米国はどう思うのか。米軍撤退後の戦略図は全く見えてきません。その中で、中国だけは、米軍が治安維持に汗をかいているアフガニスタンで、いまも着々と銅の鉱山開発を進めています」
雄々しい国に!
こうした中、インドでは、伝統的な非同盟外交を守りつつも、二国間或いは、イラン、ロシア、米国、日本、韓国、豪州、東南アジアまで視野に入れた多国間の戦略的関係を構築すべきだとの意見が少なくない。不安定な核保有国のパキスタン、展望の開けないアフガニスタンという現実の危機を前にして、インドは世界を視野に入れた大戦略を考え、生き残りの道を探る。
2010年11月6日、オバマ大統領はインドを訪問し、4日間の長きにわたって滞在した。インド国会では、インドの国連安全保障理事会の常任理事国入りを支持すると語った。米国とインドの共通点を強調し、中国との違いを浮き彫りにした。
オバマ大統領もまた、十分に気づいたのだ。ユーラシア大陸、インド洋、西太平洋問題の元凶が中国であることを。そのうえで戦略の立て直しを図っているのである。南アジアのパワーバランスが再び変化し始めたのだ。
2011年以降の世界的問題にどう対処すべきか。メノン氏は日印間の多角的二国間協力の必要性を強調した。決して言葉には出さないが、中国を意識しているのは明らかだ。インドへのわが国の対処が問われており、その対処は日本の生き残りにも決定的な意味を持つ。
経済交流や幅広い人間の交流は無論のこと、日印二国間の軍事交流を同時進行で充実させていくことが当面の課題である。
しかし、誤解を恐れずに言えば、これとても枝葉の問題である。日本がいまとことん考えるべきは、現行体制の下で、日本は国家として機能するのかということだ。憲法9条で尖閣を守れるのかということでもある。
政治家も官僚も国民も、日本の国家運営に責任を感じ、いまこそ、激しく変化する国際社会に刮目し、日本の在り方を考えなければならない。
中華帝国主義を掲げ、強烈な国家主権意識で押してくる中国にどのようにまともにわたり合うかを考え、雄々しい国になることだ。志をたて、未来世代のためにも大戦略を錬り始めるのだ。
ウソと裏切りだらけの政治家たちは一刻も早く退場を
2011.01.05(Wed)JBプレス 松尾信之
女性を中心に「断捨離(だんしゃり)」がブームとなっている。断捨離は、ヨガの行法哲学である「断行」「捨行」「離行」の考え方を実生活に適用させた生き方論で、2010年末の「ユーキャン新語・流行語大賞」にもノミネートされた言葉。今年は本格的にブレークする予感がする。
提唱者のやましたひでこ氏は、断捨離の概念を「自分とモノとの関係を問い直し、暮らし・自分・人生を調えていくプロセス」と規定し、「不要・不適・不快なモノとの関係を、文字通り、断ち・捨て・離れ/引き算の解決方法によって停滞を取り除き/住まいの、暮らしの、身体の、気持ちの、人生の、新陳代謝を促す」生き方(「断捨離.COM」より)と書いている。
断捨離を実践する人を「ダンシャリアン」と呼ぶ。有権者の圧倒的な期待を受けた政権交代を実現しながら、十分な努力もせずにマニフェストを破り捨て、党内抗争・主導権争いにうつつを抜かす菅直人政権を断捨離すること、それが日本にとって今年の最大のテーマだ。今、有権者1人ひとりが賢いダンシャリアンになれるかどうかが問われている。(文中敬称略)
不用品処分を頼まれて現場に足を踏み入れてみると・・・
「よろず便利屋」を自称してトラックに乗っていると、不用品の処分を相談されることがある。昨年も数件あったが、下見のために現場に行くといつも驚く。足の踏み場もないほどモノが散乱しているのだ。
「父が1人暮らしをしていたのですが・・・」と案内された室内には、高価だっただろうマニアックなオーディオセットがドーンと居座っている。隣にはカラオケセットと8トラックのテープが散乱し、周辺の棚という棚、収納可能なスペースにはレコード、テープ、MD、CDがあふれている。
2階寝室の洋服タンスには娘さんが40年以上前に着ていたと思われるような真っ赤なワンピースが吊るされ、押入れの中には少年少女文学全集から昔の少女マンガ、小学校時代の成績表や賞状が山積みされている。タンスの引き出しには20年前の預金通帳や年金手帳、印鑑が入ったままだ。
「家族で片付けようと何度も挑戦したのですが、捨てられなくてネー」と皆さん口をそろえる。「そうだろうなあ。一つひとつが肉親の思い出の品だからな」と同情するのだが、どうも実態は違うようだ。
はっきり言うと家族総出で「金目のモノはないか」とひっくり返したあげく、「たいしたモノはない。面倒くさい。金を払うから捨ててくれー」という心境になって一括処分を相談してくるのだ。
お宝チェックのために押入れやダンボールを開け、取り出した思い出の品を元に戻さないから、人が住んでいたとは思えないほど足の踏み場がなくなる。余計なことをしないでそのままにしていてくれたら、せめて歩くスペースだけは確保できるから仕事がしやすくなるのに、と文句のひとつも言いたくなる情景だ。
処分場に運んだ5トンのごみの山!
2世帯住宅だった別のお宅の不用品は、テレビ4台、冷蔵庫3つ、タンス7さおに大量の布団と洋服、食器と本と雑貨の山だった。6部屋全てに充満していた不用品を分別したところ、可燃ごみ・不燃ごみは480袋(1.8トン)にのぼった。粗大ごみ・資源ごみと合わせると処分場に運んだごみは5トン近くになった。さらに処分場で廃棄できないテレビ、冷蔵庫などのリサイクル家電を加えると7トンほどの不用品が1軒の家に積み込まれていたのである。
見積提示の段階で「今のご時勢、ごみを捨てるにはこんなに金がかかるんですよ」と説明する。すると依頼主は「分かっています。でも、このカメラは売れると思いますよ。タンスもベッドもまだ新しいでしょ。この電動の工具は箱から出しただけで一度も使っていないし、この掛け軸は親父が大切にしていたもの」と、暗に、お宝が埋もっているはずだから処分料を安くしろと交渉してくる。
お宝の山だったら自分でリサイクルショップに持っていって換金すればいいのだ。いや、ほとんどの場合、何軒かの店に持ち込んだが買い取ってもらえず持ちかえるというミジメな体験もしているようだ。
しかし、いくら「箱入り新品同様」といっても、数年間も放ったらかしだった電動工具や交換レンズはジャンク品扱いで、とても売り物にならない。しかもリサイクルショップは、買い取り額を店頭販売価格の2割以下に抑えないと採算が取れない。ほとんどの場合、一部の貴金属を除いて捨てるしかない「ごみの山」なのだ。
ことほどさように、人間誰しも日頃から自分の生活と必要なモノを見直す断捨離をしていないと、いざという時、周囲にとんでもない迷惑をかけることになる。
日本国憲法の人権条項の起草者として知られるベアテ・シロタ・ゴードンが来日時、「トランクひとつ分の洋服と身の回りの品があれば十分。ロングアイランドの自宅でもそうしている」とつぶやいた。彼女はそれを実践しているが、「何の不自由もない」と断言していたことを思い出す。
民主党に自浄作用を求めるのは無理、無駄、無意味!
閑話休題。さて、どうすれば政界に巣食う政治屋たちを断捨離することができるのだろうか。
国民が主役という政治の原点を忘れ、内ゲバと党内抗争に取り戻せない貴重な時間とエネルギーを費やしている民主党幹部たちは、誰がどう見ても断捨離の対象だろう。
とりわけ菅直人、仙石由人、岡田克也、前原誠司の実権派4人組と、鳩山由紀夫、小沢一郎の前元代表は、国民にとって「不要・不適・不快なモノ」以外のなにものでもない。1日も早く、自らの判断で引退・閉門蟄居してもらいたいものだ。
だがこれらの政治屋は、「次の総選挙には出ない」と公言した舌の根も乾かぬうちに選挙準備を始めた鳩山由紀夫に象徴されるように、信じられないほど無節操な人種である。彼らに自浄作用を期待することは無理、無駄かつ無意味なこと。八百屋で魚を求めるような愚挙である。
また、政治家のポピュリズム手法によって操作・醸成された世の中の雰囲気を無批判に扇動、後押しする社論なき大新聞、テレビにも政治浄化の旗振り役は期待できない。
「内閣リコール制度」のような国民罷免の直接民主制の仕組みがない中で、どのような手法が可能か不明だが、早期に菅内閣を断捨離するための国民主導の「断捨離解散」が必要なことは確かだろう。
2009年8月30日投票の第45回総選挙で、有権者は自民党政権を断捨離した。1955年から連綿として続いた自民党主導の政治を「不要・不適・不快なモノ」と判断、「引き算の解決方法によって」政治の新陳代謝を促す政権交代を求めたのである。
しかし民主党は国民の期待に応えられなかった。沖縄基地県外移設のウソ、高速道路無料化のウソ、暫定税率廃止のウソ、埋蔵金発掘のウソ、企業団体献金廃止のウソ、脱官僚政治のウソ・・・裏切りの連続。民主党には有権者が期待したほどの地力も信念もなかったのである。
今こそ投票行動に断捨離の目を!
断捨離の考え方は単なる「整理術」ではない。いくら思い込みが強い大切なモノでも、いつかは何か役に立つと思うモノでも、今必要でなければ不用品として捨て去ること。それが「断」「捨」であり、そうした行動に踏み切ることよって、私利私欲や利害に左右される自分の心の混乱を整理し、「本当に必要なモノ」と「実は不要なモノ」を見分ける力を養うことができる。
そして、不要なモノを抱え込み、不適なモノを支え続ける愚挙から解放されるとモノへの執着を捨て去る「離」の境地に到達し、自由な人生を勝ち取ることができるという考えである。
もしも日本の有権者の多くが断捨離の境地に達したら、「地盤・看板・カバン」の力が横行し、利権と利害、義理と人情がまかり通る日本の選挙も少しはマシなものになるかもしれない。
しかし、世の中にはどうしても断捨離できない人がいる。「ごみ屋敷の主人公」などがその典型例だが、普通の市民生活をしている人にも「整理できない人」「捨てられない人」がごまんといる。
断捨離ができない人は、(1)現実逃避型、(2)過去執着型、(3)未来不安型の3つのタイプに分けることができるそうだ。
それを投票行為に当てはめると、現実逃避型は「面倒くさい」「どうでもいいや」と現実から目をそらす棄権型だろう。やるべきことをやらないこのタイプは、結果が気に食わないと人のせいにする悪癖の持ち主だ。権利の行使と義務の遂行といった社会人として身につけておくべき最低限の規範が欠落している。
過去執着型はさしずめ「野党・民主党時代のマニフェスト」の感動が忘れられない人たちか。「財界・大企業の利益優先、官僚と関連業界の権益優先の自民党政治よ、サヨウナラ。市民のための政治、国民の生活が第一の民主党よ、コンニチハ」と、あの日の感動的なマニフェストを捨てられないのだろう。
一方、「自民党政治の早期復活」を狙う人たちも、本質的には同じ過去執着型だ。1年半前までのおいしい生活・甘い汁が忘れられない彼らは、政官財のトライアングルによる利権サイクルの再現を求めて、自民党をゾンビのごとく生き返らそうとするだろう。
だが、過去を美化して断捨離ができないということは、過去の栄光に引っ張られていることにすぎない。それはつまり、現在の自分に対する不満の裏返しに過ぎないのである。
未来に対する過剰な不安から買いだめするタイプの未来不安型は、付和雷同型の有権者だ。大新聞、テレビがあおる「世論」という名の世の中の雰囲気に左右されて、勝ち組に乗りたがるタイプ。自分で判断することが不得手でポピュリストや意図的な報道に左右されやすい。
断捨離は「モノとの関係を徹底的に問い直しながら、判断軸を他人ではなく自分に、時間軸を過去・未来ではなく現在にリセットしていく作業」とも言われる。
多くの有権者が、自分にとって、今、必要なものか否かを問い直す「断捨離の目」で投票行動を問い直すことができたら、日本の政治も不要・不適・不快なガラクタを捨て去って、少しはましな、生活しやすい環境になるかもしれない。
台湾は中国の一部ではない~李登輝元台湾総統インタビュー(最終回)
2011.01.03(Mon)JBpress
マット安川 李登輝閣下は日本統治下の台湾に生まれ、敗戦によって日本が台湾統治を放棄するまで「日本人」として生き、次いで中華民国の「中国人」として生きてきました。しかしその実は、「台湾経験」に裏打ちされた強烈な自意識を持つ確固たる「台湾人」です。
混迷を深める日中関係そして東アジア情勢を、日本と中国互いの隣人として、同時に当事者として捉えられる稀有な人物であると言って過言ではないでしょう。
船頭がどこへ向かおうとするのか一向に見えないばかりか、そもそも船頭がいるのかさえ疑われる日本は、いまこそ閣下のことばに耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。
かつて日本には国家百年の計があり、それを支える教育政策があった。ことばの端々からそのことがうかがわれたインタビューの最終回。日本への力強いメッセージが語られます。
日本人はなぜ中国にぺこぺこ頭を下げるのか!
李登輝 日本においては指導者のリーダーシップの不在というようなことが言われますが、アメリカが何か言うたびに「Yes, Yes」とか、ことあるごとに中国に頭を下げる必要はないんですよ。
私が分からないのはね、いまの日本の政権を握った人たちは、なぜどの人もこの人も中国に対してペコペコ頭を下げているのか。これだけ実力のある国が・・・でしょ?
田中(角栄)・大平(正芳)以降、この状態がクセになっちゃっている。(日本は田中首相・大平外相のときに台湾との日華平和条約を廃止し、日中国交正常化を実現させた)
しかし考えてみれば、やっぱりアメリカは国際的に一番力があるし日米同盟もあるし、将来における西太平洋の主導権を誰が握るかという問題もある。
やはり日本、台湾、アメリカの関係をうまく維持するように、昔のクラシカルな連中が考えるようなやり方ではなくて、自由諸国、民主主義諸国がお互いに平和的にやっていく方向で解決しなくちゃならないんです。
日本にもそういう外交官が出てきて、アメリカとこういうことをちゃんと話し合う。それにはまず第一に、総理が非常に大事です。総理がこういう気持ちでアメリカと話し合う。
アメリカとはそれができるはずですよ。アメリカ人は日本の文化を尊敬しているんだ。
オバマ大統領が日本を訪れて天皇陛下に会ったとき、彼は天皇陛下に90度の最敬礼を挙げたでしょ。その後で中国に行ったときには、そんなことはやっていない。
もともとアメリカ人の知識分子は中国に対して好意的である、これは間違いありません。アメリカ知識人の考え方は非常に中国に同調しているでしょ。
これは中国が諸国から圧迫されてあちこち占領されていた時期、出遅れたアメリカはどこにも入っていけなかった。だから機会均等、門戸開放を呼びかけた。これが中国に対しては中国に味方すると言ったんだな。
このような考え方が深く入り込んで、アメリカ人は中国にある程度味方をしている。
オバマが天皇陛下に頭を下げた理由!
そんな中で、なぜオバマは天皇陛下に最敬礼したのか。
オバマはアメリカで大統領になった最初の黒人ですよ。黒人がアメリカでやっと大統領になれた。アメリカはすでに黒人に大統領をやらせないとうまくいかないところまで来ている。
そのかわりオバマは苦労してきた。例えばキング牧師、私が非常に尊敬している牧師ですけどね、私がアメリカにいたときに暗殺されました。そんなふうに黒人はアメリカで苦労してきた。
オバマは恐らく心の中では、いろんなことを考えているんですよ。その彼が天皇陛下に対して90度頭を下げたのは、私に言わせると日本文化に対する尊敬ですよ。
天皇陛下は日本の文化を代表する、そして日本にはこういう文化がある、この文化に対するアメリカ人の、黒人としての尊敬ですよ。
日本の新聞、雑誌、テレビはこのことについて何も言わないけれども、これを日本ははっきり知らないといけない。
オバマの後で、習近平が日本にやって来て天皇陛下に会いましたね。ああいう若者がああいう態度を取るというのは、日本を見くびっているんですよ。それがオバマと違うところ。
中国人の日本に対する考え方を、あんがい日本は知らないんですよ。中国人の中に深く入ったことがないから。
私は22年間、「日本人」でした。日本の教育を受けて日本の生活に入って、軍隊にも行ったしいろんなことをやっている。
そして今度は「中国人」として中国社会に入ると、中国人とは何か、北京政府が何を考えているか、台湾における中国人が何を考えているか、われわれには分かりますよ。
習近平は日本を見くびっている!
彼らは現実的ですよ、ものすごく。
習近平が今までどこにおったかご存じ? 福建省(大陸の台湾対岸)の主席ですよ、だから彼は台湾のことをよく知ってる。
ものすごく現実的で、日本を見くびっていて、台湾のことをよく知っている。こういう人物が胡錦濤の次の指導者になるんです。
こういうところでも私は、日台関係を将来どうすべきかということを考えなくちゃならないんです。
日台関係で私が言うのは、心と心の絆を築き上げろということ。いまだんだんと、そういう状態が出てきております。台湾龍馬会もそうですし李登輝学校もそうです。
日本においては「李登輝友の会」というのがありましてね。2006年に山口県周南の児玉神社に私が書いた扁額が納められました。友の会の支部から児玉神社に書いてくれと言うてきましてね、それで書いたんですよ。(同神社には4代台湾総督・児玉源太郎が祀られている)
一昨年(2008年)には松島の瑞巌寺に、「奥の細道」ゆかりの土地を歩いたときに私と家内の歌った句が碑になって芭蕉の脇に建てられました。ノーベル賞をもらった以上の名誉だと思ったな(笑)
私の現在の考えと実践を整理してみると、東西文明の融合と中華思想の精神的束縛からの解放という経験を得て、日本人と台湾人の中国からの精神的自立によって国交なき日台関係を心の絆に結びつける、これによって日本と台湾の主体性、アイデンティティー形成に寄与するという意図が働いています。
日本が主体性を獲得するためにこれから変わらなくちゃならないのは、日本人が精神的に解放されるのが、まず第一です。
日本はいま心理的に閉鎖状態に置かれておるんです。これは第2次世界大戦に負けたという事実が、日本人をして精神的な鎖国に入らしめている。これをなくさないといけない。
台湾も無血革命の明治維新を経験した!
なくすにはどうするか。心理的ないろんなファクターを取り除く必要があります。それによって日本人が精神的に解放され、中華思想の呪縛から精神的に自立できる。
台湾では台湾経験がこれをもたらしました。厳しい独裁政治の中で、平和的な方法で血も流さず、民主的な自由な形の政権に変えてきた。
これはそれまでの政治学や社会学で言えば、こんなやり方でやることではない。政治改革とは、革命によって血を流して、社会をひっくり返してやるというのがそれまでの考え方ですよ。
坂本龍馬もあまり血を流さなかった。鳥羽伏見の戦い、蛤御門とあることはあったけど、全国的な問題はほとんどありませんでした。それでも明治維新が出来上がった。
台湾もそのようにして政治改革をやり遂げました。ところがこの経験以外に、いまの台湾には国際的な地位がない、法的な地位が与えられていない。
だから台湾は「国」として、ほかの国との間に公式な外交を結ぶというのが非常に難しい。でもそれで私は総統として、歩き回っていろんな実質外交をやってきた。このような考え方は常識的な考え方からは出発できないですよ。
これが私の台湾経験。この「台湾経験」というのはちょっと難しい概念だけれど、台湾における純粋経験です。
純粋経験というのは、西田哲学の『善の研究』で言われているのは、主観と客観が分裂する以前に、見たそのものから直感を得る、主観客観を離れて直感的に物事をとらえて、とらえたこれから何かを進めてやっていく。
こんな考え方はいまは当たり前ですがね、昔はこんなことは誰も考えていなかった。台湾経験については、東京外語大の井尻(秀憲)教授が『李登輝の実践哲学 五十時間の対話』の中で書いております。
いま中国と台湾の間にはECFA(海峡両岸経済協力枠組協定)というヘンテコな協定があります。(2010年6月締結)
台湾を中国と同一視するのは蔑視以外の何ものでもない!
イギリスが香港を放棄したとき中国はCEPA(中国本土・香港経済連携緊密化取り決め)を作って、ポルトガルがマカオを放棄したときにももう1つCEPA(中国本土・マカオ経済連携緊密化取り決め)を作って、これらは全部「一中市場」だとしました。
ECFAで中国は台湾に一中市場に入れ、台湾も一中市場だと言っています。
台湾は国際的にはWTOのメンバーですよ。一中市場に入るということは、台湾の主権を無視することなんだ。
台湾と中国が1つの市場を中心にして経済協力をやっていったらば、台湾の労賃は下がります。サラリーも下がります。お金持ちはお金持ちになるが貧乏は増える、失業者が増える。
これは台湾を非常に侮辱したやり方ですよ、台湾と中国の関係が非常に悪くなる。こんなことはやめなさいと私は言うんです。こんなことをやるよりも、ECFAを凍結してFTAをやればいい。
FTAもECFAも自由貿易協定で同じじゃないかと言うかもしれませんが、ECFAは一中市場でしょ、「ひとつの中国」の市場でしょ。
ところがFTAは全世界を中心にした考え方だから、台湾の主権は依然として台湾が握っている。一中市場に入ると台湾は主権を失ってしまいますよ。
台湾がここまでやってきた、いちばん大事なものは何か。台湾は民主国家であるということです。台湾2300万人の人民が主権を握っているんです。
いまの国民党政権は中国大陸と台湾をなんとか結びつけようと考えていますが、あと2年、2012年には総統選挙があります。総統が台湾のために働かなかったら、われわれは本当の台湾の人を総統に選びますよ。
そういうような制度が出来上がっているのだから。台湾は民主国家なのだから。
――インタビューの最後に、日本のみなさんに一言いただけますか。
台日が協力し合い、アジアや太平洋の新楽章をつくりましょう。
私は、台日両国がアジア太平洋地域の自由と平和の共同戦略の促進につながり、確実に台日両国の経済、政治、軍事、文化の各領域において全面的な協力体制を強化でき、ともにアジア太平洋の歴史に新たな楽章を書き加えることができることを願っています。
李登輝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E7%99%BB%E8%BC%9D
武士道教育に力入れる~李登輝元台湾総統インタビュー(2)
2011.01.02(Sun)JBpress
マット安川 坂本龍馬の「船中八策」をはじめ、戦後の歪んだ歴史教育ではあまり重視されない「日本の知」が、李閣下の口からはあふれんばかりに飛び出してきました。
閣下は今でも日本政界と交流を保ち、たびたび訪日されています。
台湾の発展に尽くし、アジアにおける微妙な立場を信念と戦略をもって乗り越えてきた経験からか、日本のことが日本人以上によく見えている、そう感じるインタビューでした。
台湾で新渡戸稲造の「武士道」を教える!
李登輝 李登輝学校では、思想哲学から科学技術などを研究し、心の改革などを推進しています。とりわけ日本の内閣府が専門重視に赴く中で、私は教養教育、リベラルアーツの重要性を認識し、台湾の歴史、道徳、家庭教育の実践などに力を入れています。
そこで私は新渡戸稲造の『武士道』を解題し(『「武士道」解題』)、公(おおやけ)と私(わたくし)の問題を李登輝学校の教えとして台湾でも深く展開しております。
私の思う指導者の条件というものは何かというと、結局ここですよね、「公と私」。そして誰もやらないことを自分でやる、と同時に、信仰を持ちなさい、自分は権力だとそういうことを考えてはいけない。
そして人民を可愛がりなさい、人民に対して嘘をついてはいけない、誠(まこと)をもって人民に相対する態度が必要です。
このように考えたときに、最近の日本の指導者はどうですか。私に言わせると内閣総理大臣、本当に人民のこと、国のこと、将来のことを考えながらやっていこうとする人は、あまりなかったなあ。
国を変えようとするときに官僚は必ず反対する!
公選によらず根回しで決めていく。官僚政治が主体になってね。官僚はものすごく頭が良くてて、いろんな法律を作りますがね、国を変えようとするときには反対ばかりしている。
私が台北市長になったときに、こういう話がありますよ。
台北市の農村では農民が絶えず家を修築したいと言っている。だいたいあそこらへんの農家は100年くらいの歴史があるんです。そんな古い家には窓もない、便所もない、風呂場もない。
若い子は絶対住まない、みんな山を下りて都市に住んでいます。そうすると農村では誰も働かないのよ、年を取ったじいさんばあさんばっかりで。これが私のふるさと、私の生まれた場所です。もう潰れかかっている。
ああいうようなところは家を建て替えてあげなくちゃならないんだが、私がそれをやると言ったら建築管理處は、いままでの所有主全員の捺印が必要だと言うんです。
官僚を通さず進めた結果、台北は綺麗な町に!
考えてみてください、100年の歴史の中でいったい、どれだけの持ち主が関わっているか。不可能ですよ、絶対。ほとんど死んでしまって残っているのはいまの人だけなんだから。
こういう官僚の作った法律をどうすべきか。私がやったのは、建築管理處には一切関係させず、協同組合に話して協同組合のそれぞれの区域の農家に申請書を出させました。
そして35種類の新しい設計図をあげて、どんな改築をしたいか選ばせた。だから建築家に設計を依頼する費用がかからない。そして申請書は建築管理處ではなく台北市の建設局に持ってこさせました。
建設局では書類を受け付けたら整理して市長の私のところへ持ってくる。そして私が直接許可証を出すわけです。
1200戸の許可を出しましてね、それは結局、建築管理の規則を破っているわけです。間違っているというなら訴えたらいいじゃないかと言いましたが、結局彼らは何もできず、台北市の近郊はいま、ものすごくきれいな家が出来上がっていますよ。
アイデアは日本の大学教授の論文!
これは私の考えだけじゃなくて、日本のNIRA(総合研究開発機構)の雑誌にある大学教授が書いた論文があって、「農村の将来の発展の方向は観光事業と結びつける必要がある。観光事業と結びつけるには農家の改善をやらなくてはならない」というところをヒントにね、誰もやらないから私がやりましたよ。
いま私、その近くに住んでおりますがね、家の前を通りかかるといつも呼んでくれてね、いらっしゃい、お茶をどうぞどうぞ、とね。そういう関係ができているんだよ、そこの農民とは。
同じようなことは繰り返しあるんですよ、台湾に。法律でできないいろんなことをやったのは、蒋(経国)総統のとき。日本では池田(勇人)内閣時代に『農村は変わる』を書いた並木(正吉)さんという人がいました。
あれはだいたい日本の農村の労働力が減って老人人口が上がり始めた頃でしょ。日本にはこういういい例がたくさんあるんだが、それを総合的にやっていく指導者がいない。困るのはこれなんだ。
日本全体の問題がここの、指導者がいないということに懸かっているというのは、例えばアメリカが何か言えば「Yes, Yes」と言いなりでしょ。日本人としてアメリカに対して好意的に深く話し合う人がいないんだよ、怖くて怖くてアメリカに言い切らないんだよ。
第1は憲法の修正、第2は教育基本法の修正!
日本はアメリカに対して思い切って話をすべきなんだ。これだけアメリカの国債を買ってアメリカの経済を助けてきたんだから、日米同盟のあるべき姿を検討しましょうと言うべきなんです。
そのときいちばん大事なのは、憲法修正をやることです。第2には教育基本法の修正。憲法修正と同時に、これからの日本をどうすべきかということを教育から変えていかなくてはならない。
戦後、アメリカは軍事力が世界一大きいし政治力もあるからアメリカの主導で連合国で国際連合をつくり、次にブレトンウッズ協定でGATT(関税および貿易に関する一般協定)を作った、いまのWTO(世界貿易機関)です。それにIMF(国際通貨基金)。
ところがこの4つの組織はうまく運行していません。アメリカの一部分の金持ちや資産家とか投機屋、ことにウォールストリートの連中がでたらめをやっている。
いまでは1ドル85円で利息がゼロ、これで日本の経済は立ち行きますか? お金を持ってる年寄り連中はお金をパンツの中に入れて銀行に持っていかない、利息がないんだから。
アメリカの言いなりになった日本をよく見ている中国!
そして日本は米国債を買って結局アメリカの負債を背負った形になってしまっている。これじゃ日本の経済どうするのかという問題になりますよ。
こういう状態を1991年のバブル崩壊から10年間、2002年から2003年頃少しよくなったかと思ったら2008年に銀行の大きな金融問題が起き始めて、また日本はたいへんな状態になった。
こういう状態を中国は知っているんですよ、アメリカの言いなりになって日本がひどい目に遭っていることを。だからアメリカが人民元を引き上げろと言ってきても、引き上げるどころか不動的に一定の範囲に収めている。
プラザ合意では台湾にも圧力がかかりました。86年にアメリカが1ドル40圓を25圓まで引き上げろと言ってきた。台湾はアメリカに対して毎年、輸出で150億ぐらいの貿易黒字を出していたから。
このとき私はまだ副総統でしたけど、蒋経国総統に15カ条の建議書を上げました。その中の1つの建議は、普通の商業銀行に外貨を預けられる預金制度を作ることでした。
商業銀行に外貨のまま預金させた!
外国が台湾元をどんどん買いにくる、その外貨を中央銀行に持っていかせず外貨のまま商業銀行にとめておく。そうするとお金が外貨でとまっているし利息も外貨。台湾ではインフレーションは起こりませんでしたよ。
1997年のアジア通貨危機でも台湾は何も起こりませんでしたよ。なぜかというと簡単なことで、そのときは1ドル28圓だったのをどんどん下げさせたんです。
当時台湾は売ってばかりでした、2週間で200億売ったんだな。中央銀行の総裁が困っちゃってね。行政院長(首相)と財政部長(財務大臣)、中央銀行の総裁を自宅に呼びました。
総統は中央銀行の政策の監視をなかなかできるものじゃないんです。それで私が彼らに話したのは、政策の話をするんじゃないんだと、まずお互いに考え方を変えましょうと。
グリーンスパンが最近初めて、昔の政策は間違っていたと言ったように、これは明らかに間違っている。こんな問題が起きるのはIMFが機能していないからですよ。
いまオバマが金融機関に対して規制を強化しているでしょ。この連中に制限を加えたり法律を作って規制したりしないと、本当のお金じゃないお金が世界を回って途上国のお金を吸い回るんです。
プラザ合意は米投資銀行の陰謀?
例えば1985年のプラザ合意で日本は1ドル250円から150円まで引き上げろと圧力がかかった。
日本円が250円から150円に上がったらどうなるか。世界的ないわゆるスペキュレイションがありますよ、外国人が日本円をどんどん買いますよ。
お金をたくさん持ってる人間が日本円に投機して、日本からどんどん買いますでしょ。それを日本銀行はオープンにしてどんどん入れた。だから1985年から1991年は日本のインフレーションすごいでしょ。
そしてインフレーションのためにみんなが銀行からお金を借りて投機事業をやる、投機事業をやると勝ったり負けたりして、負けてお金が払えなくなると銀行の不良債権が増えて、結局1991年にバブルが弾けるわけよ。
まずお金というのは何に使っているかと聞きました。いままでお金は支払いのときのアカウントユニットとして存在していた。このアカウントユニットそれ自体をいつも確実な数字に収めておけば、国はインフレーションにならなかった。
お金はアカウントユニットから商品に変わった!
これは昔のことなんだ、金本位制度の時代はそうだった。いまは金本位制度は捨てられた。だからいまの貨幣というのは何だ、いまは商品だよと言いました。
お金でお金を買ってるでしょ。デリバティブとかへんてこなファンドを作って、それで世界が動いているでしょ。
アメリカのいろんな債権ね、最後は債権にして売り回って、そんなものを買って結局2008年のリーマン・ショックでものすごい打撃を受けたんでしょ。
私はそのとき、お金はモノだから、お金でお金を買うんだから、為替レートを28圓に収めることはないよ、どんどん落とせ、34~35圓まで落とせと言いました。
実際そこまで落ちていって、そして台湾はなんともありませんでした。こういうことは非常に弾性的に考えなくちゃならないことなんですよ。
大筋を決めてから討論させる!
この会議の後で建議を出させてね、部長とか副総統とかいろんな人間を全部集めて全員で討論したんです。もちろん最後の結論は私が出して、結論を出した後で持って帰りなさいと、いまの結論を持ち帰らせて、それを修正して行政院で発表させた。
そうすると、それは総統一人の考えじゃなくて、財政部長が出してきた政策ということになるんです。そして安全会議で決まったものになる。
それは私が責任を逃れるというのではなくて、部下に権限を与えることなんです。彼らの考え方、全員が一致した考え方を持ったということなんです。
もう1つ、私が総統のときにしたことをお話ししましょう。
1990年の9月21日に大地震が起こったでしょ(台湾集集地震)。この大地震は私「救災日記」というのを書いて、これはPHPで日本語に翻訳されました(『台湾大地震救災日記』)。
100年ぶりの大震災に直面して何をしたか!
「救災日記」の内容を言いますとね、9月21日の台湾大地震は100年内のいちばん大きい地震で、この大地震が起きたときは夜中の1時47分でしたけども、私はまだ寝ていませんでした。台北でひどく揺れた。
すぐ私ね、侍従長にこの地震はどこで起こっているか、どんな程度か、どんな状態か調べてこいと、と同時に参謀総長にこの状態を知らせろと指示を出しました。
1時間足らずですぐ電話がきて、これは日月潭の西(南投県集集鎮の)ふたつの山の間が震源地であると。それが分かったから命令を出しました。参謀総長に、明日の朝6時に軍隊を全部派遣しろ、各村に指揮所を置け、そしてそこから救済に当たれ、被災者を救いなさいと。
そのとき私は総督府に顔を出す予定だったんです。それから災害地に出発する。ところが総督府の前に来たら、これじゃあ時間が遅れるということで、直接松山(台北松山空港)に行って飛行機に乗って台中に行きました。
そこから車で現地へ向かったんだが、道が崩れていて入れない。それでヘリコプターに乗り換えて被害の中心地を見に行ったわけです。
小池百合子から神戸の仮設住宅を寄付するとの申し出!
いろんなところを見て回って、死者は2300人という報告だった。(台湾行政当局の最終発表では、死者:2,415人/負傷者:11,306人/行方不明者:29人)
2300人を処理するにはどうしても3日間はかかるということでした。しかし3日間のうちに死者をうまくおさめないと、9月で暑いからたいへんなことになってしまう。
その夜に小池百合子が電話してきてくれました。そして私に神戸の仮設住宅を1500戸あげたいがどうだと言う。たいへんに嬉しいことです。翌朝すぐ小渕(恵三)総理と話をしてくれて、結局1000戸くれるということになりました。
翌日私は、東勢というところに昔陸軍病院があった場所を整理して、軍隊の主導で仮設住宅を置くように命令しました。
3日間の間に死者をうまく全部処理しましたよ。棺おけが足らないから軍隊から戦死者を入れる袋を借りてきて棺おけの代わりにしたり、台中だけじゃ焼き場が足らないから台南とか遠いところの焼き場まで持っていったり。
現金を持って被災者に配り歩いた!
こういうことを3日間やった後で、今度は被災者の救済に取り組みました。初めて緊急法というのを作ってね。すべての法律を排除して、この方法で被災者を助けなくちゃいけないという緊急法というのを作ったんです。
ところがこんなことをやってもね、いざとなったら行政面で迅速にできないんだ。政府は被災者の救済に2000億のカネを出すことを決めたんだが、その2000億のお金がいつ人民の手に届くか。2~3カ月もかかるんですよ、だいたい。
そんなに待っていられないんだよ。田舎ではいますぐお金がほしくて、何かやらなくちゃいけない。だから私がお金を持って行きました。だれのお金かというと、国民党のお金ですよ。
1郷鎮に200万圓、地震の被害の小さいところは100万圓ぐらい。それを侍従長に持たせてね、行く先ごとにこれで道の整備から死んだ人の供養からいろんなことに使いなさいと渡していきました。
小さいカネだけどね、とても助かるんですよ。2000億というお金は大きなお金だけど、いつ降りてくるか分からない。
阪神淡路大震災をテレビで知った日本の総理!
あのときは台湾は政府が多すぎてね、中央政府から省政府から県政府、それから田舎の郷鎮役場、こう長たらしいことをやっていたんでは、いつお金がいちばん必要な下の役所に行くか分からないんですよ。
こういうようなときに、いちばんいい方法、速い方法を使ってね、それに全部変えたんだ。
最近、江口(克彦)さんが台湾に来たときに、日本の神戸の地震のことを聞きました。彼が参議院に当選したから招待したんですよ。
彼が言うには、あのとき村山(富市)総理はテレビで初めて地震のことを知って、これから会議をやりますと言ったというんだな。これじゃダメなんだよ。
(明日につづく)
河村どえりゃー庶民革命の意義を問う、愛知・名古屋トリプル決戦「1票の重み」
2010年12月29日 相川俊英の地方自治“腰砕け”通信記
宮崎県知事選が12月26日投開票され、予想通りの結果となった。当選者は一期で退任する東国原英夫知事の事実上の後継候補で、前副知事(総務省出身)の河野俊嗣氏。民主党や自民党、公明党の各県連の支援も受け、同じ新顔3人を大差で退けた。もっとも、有権者にすれば選択肢の乏しい選挙で、はなから勝敗の行方が見えていた。政策論争も低調で、県民の関心を集めることなく終わった。投票率は過去最低の40.82%に留まった。4年前に宮崎県内を席捲した「どげんかせんといかん!」という言葉を耳にすることもなくなった。それは宮崎県が「どげんかなった」からではない。県内は一大ブームが過ぎ去ったかのような寂寥感に覆われていた。
同じ知事選ながら対照的なのが、愛知県である。来年1月20日に告示され、2月6日投開票の予定だが、有力候補が次々に名乗りをあげ、早くも白熱した論戦が展開されている。5人の立候補予定者が12月22日に一堂に会し、公開討論会(名古屋青年会議所主催)に臨んだ。
「県民税減税を公約の一番に掲げている。10%減税で約350億円。名古屋市の市民税減税と合わせ600億円弱になる。試算では1300億円から2000億円の国内総生産押し上げ効果がある」
こう語ったのは、大村秀章衆院議員だ。名古屋市の河村たかし市長と連携し、知事選出馬を決意。同時に、地域政党「日本一愛知の会」を立ち上げた。自民党から除名処分を受け、現在、異議申し立て中だ。
大村氏の参戦により、減税が知事選の争点の一つに浮上した。他の立候補予定者も減税について自らの考えを明らかにした。自民党県連推薦の重徳和彦氏(元総務省課長補佐)は「減税はやるべきだが、プランニングが必要だ」とし、「税収に余裕が出てきた時に投資か借金返済か減税かという三つの選択肢をどう組み合わせるかを考えることが大事。あらかじめ10%減税と決めるとごり押しになる」と、冷静に語った。民主党推薦の御園慎一郎氏(元総務省審議官)は「減税論議は景気が良くなってからで、今の段階では減税はやれない。やるとしても、一律減税では目的がはっきりせず、福祉目的などに絞るべきだ」と、慎重論を展開した。
減税反対を明確にしたのが、みんなの党の薬師寺道代氏(医師)だ。「減税は体のよいバラマキだ。雇用や教育、医療介護の体制を整え、生活の不安を取り除くのが第一で、順番が逆」と、ズバっと語った。一方、共産党推薦の土井敏彦氏(医師)は「生活が苦しい中、減税が期待されていると思うが、私は国民健康保険料を1万円引き下げる形での減税をしたい」との考えを示した。
5人の立候補予定者は皆、冷静沈着に持論を述べ合った。予定者同士で激論を交わす場面はなかったものの、それぞれの主張の違いが明らかになった。なかでも、地方自治のあり方や議会との関係、そして、議会の機能について各人の考え方に違いがみえた。
「議会がチェックのみで、予算提案権などをもたないことが問題だ。議員内閣制を念頭に、議員も予算編成に参画できるようにしたい」
こう語ったのは、民主党推薦の御園氏だ。首長と議会が激しく対立する名古屋市を意識した発言である。議会の機能そのものを変えるべきとの考えだ。御園氏はまた、道州制の先取り(東海連合構想)や県民投票制度なども提言した。
河村市長の辞任により、愛知県知事選は名古屋市長選と市議会解散を問う住民投票のトリプルになる予定だ。こうした政治日程を作り上げた河村市長は大村氏とタッグを組み、トリプル決戦に臨む。これに対し、民主党は知事選に御園氏を擁立し、名古屋市長選には石田芳弘衆院議員を担ぎ出した。御園―石田コンビと河村―大村連合の全面対決となった。
石田氏は元犬山市長で、4年前の知事選で民主党から出馬して惜敗。今回の知事選にも意欲を示したが、民主党内の候補者選びで御園氏に敗れた。その後、市長選の候補擁立に奔走する民主党市議団などから出馬を懇願され、国会議員から市長への鞍替えを目指すことになった。そんな石田氏の持論が「議会内閣制」である。議員が執行部に入り、予算提案権も持つという議会改革案だ。
タッグを組む相手が未定なのが、自民党県連推薦の重徳氏だ。重徳氏は「県がどちら(国か市町村か県民か)を向いて仕事をするかが大事だ」と語り、議会とは「シナリオをなくし、ぶっつけ本番で丁々発止する関係にしいく」と意欲を示した。議会改革は制度改革よりも運用改善からという考え方だ。また、愛知、岐阜、三重三県による「東海三県合体構想」を示している。河村―大村連合が提起した「中京都構想」を意識したものと言える。
「議会の立法機能を強化するには、サポート体制を充実させることが必要だ。県民の意思を吸い上げるために常設の住民投票制度も」
こう語ったのは、大村氏。自民党の県連会長を務めていたこともあり、大村氏は「県議の仕事ぶりを評価している。県民に(仕事ぶりを)知ってもらうためにオープン化が必要だ」と、議会との融和姿勢を示した。盟友の河村氏との違いが現れていた。
議会や県庁の現状を最も厳しく捉えていたのが、みんなの党の薬師寺氏だった。歯切れよくズバズバとこう指摘した。
「地域主権には議会改革が重要だ。県に権限や財源が移っても、県議会が国会並みの機能を果たせないと意味がない。そのためにも議員にもっと勉強してもらう。住民にも能力のある人に一票を入れていただきたい」
薬師寺氏はさらに行革について「議員の数を減らし、公務員の数も減らす。予算規模も減らす。県庁は多くのものを抱え過ぎた。名古屋市内選出の県議(33人)も必要なのかどうか。知事報酬は3割カット、ボーナスなし。議員報酬も3割カットで、ボーナス5割カット」と、明言した。
5人の立候補予定者は自らの政策や理念、持論を精一杯語った。各人各様ながらも傾聴に値するものばかりだった。しかし、5人の間での質疑応答がなく、物足らなさが残った。
さらに、もう一点。公開討論会に陰の主役が存在していたように思えた。河村たかし市長である。討論会で論じられたテーマは、減税や地域経済政策、地方自治のあり方や議会改革など。いずれも河村市長が問題提起し、議論を呼び起こしたものだ。
市議会リコールを主導し、さらには知事選挙対策で市長を辞任する河村市長の一連行動に、「市長として無責任」との批判がある。
確かに、大義なき辞任は行政のトップとして問題大ありだ。しかし、河村氏の一連の破天候な行動が、名古屋や愛知の政治のあり方や枠組みを大きく変えるきっかけとなっている。地域全体の政策の方向性についても同様だ。さらには、住民の地方政治や行政への関心を飛躍的に高めたことも間違いない。市長として役所改革に取り組むよりも、政治家として地域政治の改革に取り組むことを優先しているといえる。名古屋市民や愛知県民がそれをどう評価するかである。
来年2月6日に名古屋市長選と愛知県知事選、そして、名古屋市議会解散の是非を問う住民投票がある。その後、名古屋市議選がリコール成立ならば3月13日に、不成立ならば愛知県議選と同日の4月10日に実施される。有権者が1票の重みをこれほど実感できる地域は、広い日本の中でもそうはないのではないか。
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魚沼コシヒカリ理想の稲作技術『CO2削減農法研究会』(勉強会)の設立計画!