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インドとの協力を初めて明記!

2010年12月24日(金)日経ビジネス 潮匡人

菅直人内閣が12月17日、新防衛大綱を閣議決定した。日本の安全保障政策の中期(5~10年)の指針である。

 このコラムでは、外交官や自衛隊のOB、国際政治学者などの専門家に新大綱を評価していただく。日本を取り巻く安全保障環境にかんがみて、新大綱は適切な指針なのか? どこが優れているのか? 何が課題なのか?

 専門家らは既に、「あるべき防衛大綱」の「私案」を明らかにしている。特集「私が考える新防衛大綱」も併せてお読みください。

 第2回の著者は、潮 匡人氏。

 政府は2010年12月17日の安全保障会議と閣議で、新たな防衛計画の大綱(防衛大綱)と中期防衛力整備計画(中期防、2011~15年度)を決定した。マスコミ報道ではクローズアップされなかったポイントをいくつか紹介しよう。

 まず、新大綱は「中国・インド・ロシア等の国力の増大ともあいまって、米国の影響力が相対的に変化しつつあり、グローバルなパワーバランスに変化が生じている」と指摘した。前大綱では「唯一の超大国である米国」と明記していた。米国に対する認識の変化は注目すべき、隠れたポイントの一つであろう。

 同様に、新大綱は「アジア太平洋地域における協力」として「韓国及びオーストラリアとは、二国間及び米国を含めた多国間での協力を強化する。そして、伝統的パートナーであるASEAN諸国との安全保障協力を維持・強化していく。また、アフリカ、中東から東アジアに至る海上交通の安全確保等に共通の利害を有するインドを始めとする関係各国との協力を強化する」と明記した。かかる脈絡の中で「インド」の国名を明記したのも今回が初めてである。

 新大綱は以下の「留意事項」も示す。「この大綱に定める防衛力の在り方は、おおむね10年後までを念頭に置き、防衛力の変革を図るものであるが、情勢に重要な変化が生じた場合には、その時点における安全保障環境、技術水準の動向等を勘案し検討を行い、必要な修正を行う」。

 他方、前大綱はこう書いていた。「この大綱に定める防衛力の在り方は、おおむね10年後までを念頭においたものであるが、5年後又は情勢に重要な変化が生じた場合には、その時点における安全保障環境、技術水準の動向等を勘案し検討を行い、必要な修正を行う」。

 一見、似ているが、よく読むと、新大綱には「5年後」の修正の字句が消えていることが分かる。今後10年間は見直さない姿勢のようにも見えるが、字句通りに受け止めれば、「情勢に重要な変化が生じた場合には」、たとえ5年以内であろうと「必要な修正を行う」姿勢とも読める。仮に近い将来、政界再編や政権交代が起きれば、そのとき、新政権が大綱を見直す根拠となり得よう。


日本版NSCの設置を明記!

 また、新大綱は「安全保障会議を含む、安全保障に関する内閣の組織・機能・体制等を検証した上で、首相官邸に国家安全保障に関し関係閣僚間の政策調整と内閣総理大臣への助言等を行う組織を設置する」とも明記した。

 組織の名称は明示されていないが、かつて安倍晋三内閣が検討を進めた「日本版NSC(国家安全保障会議)」を念頭に置いたものであろう。いわゆる霞が関文学の常識において、「設置する」と明記したことの意味は重い。菅直人内閣は先日、防衛省から首相秘書官を初めて起用した。ともに安全保障に対する前向きな姿勢として評価したい。


基盤的防衛力整備構想から脱却!

 他方で、新大綱が残した課題も大きい。

 昨年、鳩山由紀夫内閣は「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」を設置。懇談会は今年8月27日に「新たな時代における日本の安全保障と防衛力の将来構想―『平和創造国家』を目指して」と題した報告書を菅首相に提出した。

 先般、当サイトの特集「私が考える防衛大綱」の拙稿で指摘したように、この報告書は「基盤的防衛力構想」が「有効性を失った」と明言した上で、同構想からの「脱却」を明記したことで注目を浴びた。

今回、新大綱はこう明記した。「防衛力の存在自体による抑止効果を重視した、従来の『基盤的防衛力構想』によることなく、各種事態に対し、より実効的な抑止と対処を可能とし、アジア太平洋地域の安全保障環境の一層の安定化とグローバルな安全保障環境の改善のための活動を能動的に行い得る動的なものとしていくことが必要である。このため、即応性、機動性、柔軟性、持続性及び多目的性を備え、軍事技術水準の動向を踏まえた高度な技術力と情報能力に支えられた動的防衛力を構築する」。

 従来の「基盤的防衛力」に代わる「動的防衛力」の構築を打ち出した背景には、先の報告書が影響している。

 私事ながら前記拙稿で潜水艦について「現在の16隻体制から22隻体制への増強が水面下で検討されている」と書いたが、これは新大綱の別表が掲げた数字に合致する。新大綱における変化はおおむね、筆者が拙稿において予測した範囲に収まった。


非核三原則や集団的自衛権の見直しには踏み込まなかった!

 以下、積み残された課題を指摘しよう。前記拙稿で述べたように、案防懇の報告書は、政権交代を「国民がこれまでの政策の不合理なところを見直す絶好の機会でもある」と定義し、憲法解釈を含めた従来の基本的な防衛政策の変更を提起した。

 「国是」とされてきた非核三原則についても「一方的に米国の手を縛ることだけを事前に原則として決めておくことは、必ずしも賢明ではない」と見直しの必要性に言及した。自衛隊が「必要に応じて危険にさらされた海外の邦人救出に努めなければならない」とも提言した。「弾道ミサイルおよび巡航ミサイルに対しては、防御に加えて、打撃力による抑止を担保しておくことが重要である」とも踏み込んだ。国連PKO参加五原則の修正も訴えた。対人的情報収集(ヒューミント)や秘密保護法制の必要性にも言及した。

 懸案の集団的自衛権行使に関しても「日米安保体制をより一層円滑に機能させていくためには、改善すべき点が存在するが、その中には自衛権行使に関する従来の政府の憲法解釈との関わりがある問題も含まれている」と指摘しつつ、「日米同盟にとって深刻な打撃となるような事態が発生しないようにする必要がある。こうした対応策を事前に決めず、先送りすることは、平素からの想定や訓練の点でも難があり、望ましいことではない。政府が責任をもって正面から問題に取り組み、事前に結論を出して、平素から準備をできる状態にすることこそが大切である」と大胆に踏み込んだ。

 だが、新大綱はこうした提言を反映していない。


武器輸出三原則の見直しは喫緊の課題だ!

 喫緊(きっきん)の問題は「武器輸出三原則等」の見直しである。慎重な言い回しが目立った報告書ではあったが、この問題については「現状の方式を改め、原則輸出を可能とすべきである」と明言。加えて「時機を逸すれば、世界的な技術革新の波に乗り遅れ、取り返しのつかないことになりかねない。共同開発・共同生産についての見直しの決断は、できるだけ早く行われることが望ましい」と訴えた。

 しかし、新大綱は「国際共同開発・生産に参加することで、装備品の高性能化を実現しつつ、コストの高騰に対応することが先進諸国で主流になっている。このような大きな変化に対応するための方策について検討する」との記述に留まった。

 結局、武器輸出三原則等の見直しには踏み込めなかった。次期主力戦闘機(FX)の選定作業に悪影響を及ぼしかねない。F2戦闘機の納入が完了すると、国内生産は途絶える。20社を超える部品メーカーが既に生産をやめている。このまま行けば、防衛産業の根幹が揺らぐことになる。

 報告書が明記した通り「時機を逸すれば、世界的な技術革新の波に乗り遅れ、取り返しのつかないことになりかねない」。今回も同じことを書く。「見直しの決断は、できるだけ早く行われることが望ましい」(報告書)――もし、政府が「先送り」するなら、日本の安全保障に致命的な禍根を残す。
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日本は今後3つの問題に悩む!


2010年12月27日(月)日経ビジネス 天木直人 

政治主導も情報公開もなかった!

 一国の国防計画がこれほど不透明な形で作られた事は、およそこれまでの防衛政策の歴史の中でなかったのではないかと思う。新防衛計画の大綱の策定が、政治主導と情報公開を二大看板とする民主党政権下で行なわれたことは、なんとも皮肉なことである。

 そもそも今回で4回目になる新防衛大綱は自民党政権下でつくられる予定であった。ところが2009年9月の政権交代により、その課題は民主党に引き継がれた。

 しかし鳩山民主党政権は政治献金問題と普天間基地問題で迷走した末、新防衛大綱の策定を菅民主党政権に委ねざるを得なかった。その菅民主党政権は小沢問題と政権維持で頭が一杯で、とても防衛政策を考える余裕はなかった。

 だが、これ以上、新防衛大綱の作成作業を遅らせるわけにはいかない。鳩山政権下で設置された有識者懇談会にすべてを委ね、その報告書を基に作成を急いだのである。

 およそ首相の諮問機関である有識者懇談会などが作成する報告書は、実質的に官僚がその内容をお膳立てすることになっている。そして官僚のつくるあらゆる政策文書は、その有権的解釈を官僚が独占する。官僚が自由裁量によって運用する。

 今回の新防衛大綱もまさにそれである。

 だから、新防衛計画大綱の正しい評価など、「実は誰にもできない」と言ってよい。


分かれる評価!

 実際のところ、新防衛大綱が閣議決定され、公表された翌日(12月18日)の各紙の社説や論説の評価は分かれている。

 例えば朝日新聞や東京新聞、毎日新聞が、それぞれ「新たな抑制の枠組みを示せ」、「軍拡の口実を与えるな」、「『対中』軍事だけでなく」、といった見出しを付けて警戒的に評価しているのに対して、読売新聞は「『日米深化』に踏み込めず」という見出しでこの大綱は物足りないと言っている。

 さらに産経新聞は「日本版NSCを評価する」という見出しの下に、安保政策に関する首相官邸の機能強化という一部を取り上げて評価をするが、その一方で、集団的自衛権や武器輸出三原則の見直しに踏み込むことができなかったことを嘆く。

 有識者の評価に至ってはさらに大きく分かれる。12月18日の各紙の紙面に登場する学者、評論家、軍事専門家の言葉は、否定的な評価から肯定的な評価まで、およそ多様な評価が見られた。

 すなわち、「タカ派的な新防衛大綱で、民主党政権の安全保障に対する基本姿勢を自己否定する内容」(毎日新聞、前田哲男軍事ジャーナリスト)から始まって、「自公政権時代と内容はほとんど同じで(中略)安全保障の姿や戦略が見えず、官僚的作文だ」(朝日新聞、柳沢協二前内閣官房副長官補)。

 「国際情勢の変化に応じ(中略)効率的な形で防衛力を構成しようというのは一歩前進だ(中略)ただ(中略)防衛力だけでなく外交や経済、援助などを含めた『安全保障大綱』を策定するべきだ」(朝日新聞、田中均・日本総研国際戦略研究所理事長)。「わが国を取り巻く安全保障環境が厳しい状況にある中、より効率的・効果的な大綱が策定されたと思う」(毎日新聞、森勉元陸上幕僚長)。

 「基盤的防衛力から(動的防衛力へ)の転換は実現が10年遅い。冷戦終了後すぐにすべきだった」。「武器輸出三原則の見直しを明記できなかったのは議論が後退した印象(中略)日米同盟深化の協議にもマイナスの影響を与える」(日経新聞、西原正平和・安全保障研究所理事長)など。

およそこれが同じ防衛大綱を評価しているのかと思われるほど多様である。

 ちなみに12月18日の産経新聞は、自民党が「日本の安全を確保できるとは到底思えない」、「政権奪回後、即時に見直す」という見解を取りまとめたと報じていた。

 このようにメディア、有識者の間でさえ評価が定まっていない。ましてや一般国民が理解できるはずはないのである。


理念なき総花的な新防衛計画大綱!

 私自身その全文を読んでみて改めて驚いた。

 この新防衛大綱は、官僚主導の不明瞭な文章で書かれているだけではない。外交・安保政策に関する明確な理念がなく、あらゆる考えを総花的に網羅しているのだ。それに加えて、相互に矛盾する考えが随所に見られる。評価が困難な理由のもう一つの大きな理由がここにある。

 例えば、日本国民の安全、安心の確保が防衛政策の最重要課題だと言いながら、世界の平和と安定や人間の安全保障の確保に貢献する事も大事だという。また、日米同盟が重要と言いながらアジア太平洋における地域協力や、世界的、多層的な安全保障政策を推進するという。

 さらに、節度ある防衛力を整備する事こそわが国の防衛政策の基本政策であり今後もその方針を堅持する、と言いながら、高まる安保環境の不透明・不確実性の中で実効的に対処し得る防衛力を構築する、という。

 中国との関では戦略的互恵関係の下で建設的な協力関係を強化すると言いながら、中国の軍事力の増大や不透明さを名指しで批判して、それに対応するため防衛力の強化が必要と言う。

 ちなみに中国の軍事力増強を名指しし、警戒感を示したことに対して、即座に中国政府から「中国は防御的な国防政策をとり脅威にはならない」、「個別の国家(日本)が中国の発展に無責任につべこべ言う権利はない」といった反発を受けた。これは異例なことで、今までの防衛大綱には見られなかったことである。


パンドラの箱を開けてしまった新防衛大綱!

 今回の新防衛大綱は、今後も評価が一定しないまま、国際情勢の変化とともに多様な形で語られていくに違いない。 

 しかし、新防衛大綱をどのように評価しようとも、みなが一致して認める一大特徴がある。それは基盤的防衛力構想を捨てて動的防衛力構想を導入した事である。

 新防衛大綱の起案者たちが喜び勇んで打ち出したと思われるこの“名案”こそ、日本の国防政策についてパンドラの箱を開ける事になるに違いない。

 そもそも基盤的防衛力構想の本質は、憲法9条と日米安保条約の矛盾を包み隠す一つの知恵であった。すなわち日本は憲法9条の下で戦力を放棄する。しかし日本に対する脅威は歴然と存在する。そのためには米国に守ってもらわなければならない。米軍が助けに来てくれるまでの間、憲法9条が許す自衛権を発動するために、必要最小限の自衛力を持つ。これが基盤的防衛力構想だったのだ。

 この事を12月15日付の朝日新聞「ザ・コラム」で外岡秀俊編集委員がいみじくも次のように指摘している。「『基盤的防衛力』とは軍備拡張に歯止めをかけ、憲法9条とぎりぎりで折り合う『抑制の原則』だった」のだ、と。

護憲政党が憲法9条違反の政府を攻めきれない理由がそこにあった。日本国民が憲法9条と日米安保という矛盾した方針をともに受け入れてきた理由がそこにあった。

 ところが今度の新防衛大綱は、政府にとってのこの宝物を軽率にもあっさり捨て去った。防衛問題で苦労させられてきた良識ある先輩官僚たちは、後輩官僚たちの軽率さと、対米従属ぶりに怒っていることだろう。俺たちの苦労はなんだったのか、と。


日本の防衛政策を悩ませる3つの問題!

 パンドラの箱が開かれて多くの問題が飛び出してくるだろう。この中で、私は特に次の3つの問題をここで指摘しておきたい。

 一つはフリーハンドになったこれからの防衛政策の一つひとつが、一方において護憲派から憲法9条違反だと責められる。そして他方において、改憲派からは憲法違反の安保政策が次々と要求されることになる。その板ばさみになって政権は絶えず漂流することになる。これである。

 二つ目は中国、北朝鮮との緊張関係に悩み続ける事になる。平和主義者はもとより、良識ある国民や経済人なら、日本の将来は中国との共存共栄しかないことを知っている。北朝鮮との対決よりも北朝鮮との国交正常化の実現が望ましい事を知っている。

 しかしその一方で、愛国・反動主義的な立場の国民は、中国、北朝鮮に対する国民世論の警戒感を利用する形で、両国に対する軍事力の強化を求めるよう要求する。

 三つ目は米国の「テロとの戦い」に巻き込まれる危険性が一層高まることである。今度の新防衛大綱には、奇妙な事に「テロとの戦い」への言及がほとんどない。しかし、言うまでもなく、米国の安全保障政策の最大の関心は中東である。パレスチナ問題であり、そこから来るテロの脅威であり、そしてイラン・イスラエル戦争の可能性である。

 米軍は、在日米軍基地をそのために利用してきた。米軍は日本の基地からアフガニスタン、イラク、パキスタンなどにおける「テロとの戦い」に出兵していった。

 そして米国の「テロとの戦い」はこれから激しさを増す事はあってもなくなることはない。日本の防衛政策は、日本の防衛とは何の関係もない米国の「テロとの戦い」への協力要請に悩まされる事になる。


私はあえて新防衛大綱を歓迎する!

 逆説的に言えば、私はあえて今回の新防衛計画大綱を歓迎する。新防衛大綱はわが国の防衛政策のパンドラの箱を開けてしまった。国民も目覚めるだろう。 わが国の防衛政策はどうあるべきか、と。

 対米従属の日米安保体制や無条件の日米同盟重視の政策が、果たして日本の将来にとって本当に有益なのか。日本は自主防衛を目指すべきではないのか。その場合、憲法9条を変えて軍事力の強化、核兵器保有の方向に行くべきなのか、それとも憲法9条を堅持して外交力によって日本の安全を守っていくべきなのか。

 これをきっかけに国会や国民の間でわが国の安保政策(または防衛政策、国防政策)について論議が活発化するなら、それこそが新防衛大綱の最大の功績であるのかもしれない。

日本の“防衛政策”は米国の要求に応えること!


2010年12月28日(火)日経ビジネス 荒谷卓

菅直人内閣が12月17日、新防衛大綱を閣議決定した。日本の安全保障政策の中期(5~10年)の指針である。

 このコラムでは、外交官や自衛隊のOB、国際政治学者などの専門家に新大綱を評価していただく。日本を取り巻く安全保障環境にかんがみて、新大綱は適切な指針なのか? どこが優れているのか? 何が課題なのか?

 第4回の著者は、明治神宮武道場「至誠館」館長の荒谷卓氏。

1年先送りされた防衛計画の大綱が閣議決定された。新大綱は冒頭で、大綱策定の趣旨を『我が国の安全保障および防衛力の在り方についての指針』としている。このため、まずは「安全保障における基本理念」に注目してみる。

 今回の大綱で、安全保障の目標を3つに分類したことは、日米安全保障の枠組み上は正しい区分である。つまり、日米安保条約の元々の目的であった「我が国防衛」。1997年の新ガイドライン策定時に、米側の要求に応じて取り入れた「周辺事態への対応」。そして、2005年の日米共同宣言「未来のための変革と再編」で取り入れた「国際的な安全保障環境の改善の分野における貢献」だ。これもまた、米側の要求に応じて付加した。

 第2と第3の目標は米側の要求に応じたものだけに、「我が国の安全保障における基本理念」に記載された「我が国自身の努力」という言葉の意味が、我が国の主体的な努力ではなく、米国の要求に対して我が国がなしえる努力としか見えない。


自衛隊の前身組織は、マッカーサーの指示で創設した!

 そもそも、第1の目標である「我が国防衛」自体、我が国が本当に主体的な意志で取り組んでいるものなのか。「我が国自身の努力」について考えるに当たって、戦後の日本の防衛政策を振り返る必要がある。例えば、この大綱でようやく取り下げた『基盤的防衛力構想』について、これはいかなる経緯で造られたものかを知る必要がある。

 陸上自衛隊の前身である警察予備隊は、マッカーサーの指示、すなわちポツダム勅令を受け、政府が1950年に創設した。その後、沿岸警備隊、海上警備隊、航空自衛隊がこれに続いた。沿岸警備隊は、アメリカ国家安全保障会議の承認に基づき、連合国軍最高司令官の隷下に置いた。翌1956年、政府は海上保安庁の一機関として海上警備隊を創設した。同隊は、海上自衛隊の前身である。さらに政府は、米統合参謀本部の「日本の防衛に関する計画構想」などに基づく米国からの強力な要請に応えて、航空自衛隊を創設した。


米国からの経済支援を受けるため、防衛力の「形式的」な整備を始めた!

 主権回復後も、日本は米国からの要請に応え続けた。米国の経済支援を得るためには、日米相互防衛協定(MSA協定)を結び、自主防衛努力義務を果たすべき必要が生じたからだ。これ以降、日本は2つの性格を持つ“我が国自身の努力”を進めていく。一つは、日本に対する米側の防衛努力要求を大幅に値切ること。もう一つは、取りあえず米側との約束を果たすために、目に見える陸海空の防衛力を形式的に整備することだ。

 MSA日米協議において出された「池田・ロバートソン会談覚書」の内容は、戦後一貫して継続している我が国の防衛政策の特徴を現している。その内容とは以下のようなものである。

(A) 日本側代表団は十分な防衛努力を完全に実現する上で次の四つの制約があることを強調した。

(イ) 法律的制約:憲法第九条の規定のほか憲法改正手続きは非常に困難なものであり、たとえ国の指導者が憲法改正の措置を採ることがよいと信じたとしても、予見し得る将来の改正は可能とはいえない。
(ロ) 政治的、社会的制約:これは憲法起草にあたって占領軍当局がとった政策に源を発する。占領八年にわたって、日本人はいかなることが起っても武器をとるべきではないとの教育を最も強く受けたのは、防衛の任に先ずつかなければならない青少年であった。
(ハ) 経済的制約:国民所得に対する防衛費の比率あるいは国民一人当りの防衛費負担額などによって他の国と比較することは、日本での生活水準がそれらの国のそれと似ている場合のみ意味がある。旧軍人や遺家族などの保護は防衛努力に先立って行われなければならぬ問題であり、これはまだ糸口についたばかりであるのにもかかわらず、大きい費用を必要としている。また日本は自然の災害に侵されやすく、今会計年度で災害によるその額はすでに千五百億円に上っている。
(ニ) 実際的制約:教育の問題、共産主義の浸透の問題などから多数の青年を短期間に補充することは不可能であるかあるいは極めて危険である(本誌注:自衛隊に相当する機関に、多くの共産主義者が入ることを懸念した)。

B) 会談当事者はこれらの制約を認めた上で

(イ) 米国側は日本側が考えている数およびその前提は低きに失することを指摘し、またこれらのものは重大な困難なしに発展向上させ得ると信じると述べた。
(ロ) 米政府は、米国駐留軍のための日本の支出額は、日本自身の防衛計画のための支出が増大するにつれて減少すべきものであることを認めかつ同意した。
(ハ) 会談当事者は日本国民の防衛に対する責任感を増大させるような日本の空気を助長することが最も重要であることに同意した。日本政府は教育および広報によって日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任をもつものである。

 このMSA日米協議以来、「経済政策を進める上で米国との関係を維持する必要がある」との打算から作成した防衛政策が、延々と継続しているのだ。それも、あたかも主体的で意味のある日本の防衛政策のようにして。


『基盤的防衛力構想』は米国に追従した「現状」に名前を付けたものにすぎない。

 主権回復後、日本は独自の防衛構想を持たないまま、米国との約束水準を満たすため防衛力を整備した。これが1958年から1976年までに実施した第1~4次防衛力整備計画である。これに対し、防衛費の増加傾向に歯止めをかけるべく、政府は最初の防衛大綱を作成した。このときに、構想のないまま整備してきた1976年当時の防衛力に付けた名称が『基盤的防衛力構想』だ。つまり、「我が国防衛」までもが、日本の自発的意思ではなく米国の要求に我が国がなしえる程度の努力の中で進められてきたのだ。

 『基盤的防衛力構想』について政府は、日本の安全保障上の脅威を想定して、それに対処するための防衛力、いわゆる脅威対抗型の所要防衛力ではないと説明してきた。つまり、防衛力構想といっても、実際の国際情勢に対応した実効的防衛能力を構築するための構想ではなかった。当然、「本当に抑止効果があるかどうか」という検証はないまま、「これが抑止力だ」と言ってきたわけである。


「動的防衛力構想」を導入しても、3つの目標は遂行できない!

 新大綱は、『基盤的防衛力構想』を廃し『動的防衛力構想』を打ち出した。だが、日本独自の防衛構想を持たないまま、米国の要求に応えるため防衛力を整備する構造は継続している。「安全保障の基本理念」の中に記載された「我が国は、日本国憲法の下、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とならないとの基本理念に従い…」というのがそれだ。冒頭で紹介した3つの目標を実効的に遂行していくことと、この基本理念が事実上矛盾しているということは明らかである。

 「周辺事態」も「国際的な安全保障環境」も「専守防衛」の範囲には収まらない。「他国に脅威を与えない」ことを重視するあまり、自衛隊の抑止力は実効性のないものになっている。

 仮に「国際的な安全保障環境」に貢献するとしても、憲法9条の制約で、領域以外での他国との軍事協力はできない。実際のところ、日米韓の協力枠組みすら具体化できない。平和構築活動では他国の警備を受けなければ活動することすらできない。また、多国籍軍の指揮関係に入れないため実効的な協力は困難だ。

 3つの目標を達成することは困難なのである。「憲法9条を理由にして、防衛力を常識的なレベルに引き上げることができない」と“言い訳”する構造は、池田・ロバートソン会談のときと全く変わっていない。

 

日本の防衛力はソフトが欠けている!

 具体的に言えば、ハードウエアとしての防衛力を実際に運用するためのソフトウエアが欠けている。つまり自立した国の意思決定と法的枠組みを含む制度上の問題がある。

これまで、防衛大綱は、もっぱらハードウエアとしての防衛力整備計画に対する拘束力だけを持ってきた。ソフトウエアの整備に関する指針としての役割は果たしてこなかった。果たして、今回も、ソフトウエアの整備に関しては具体性が極めて乏しい。大綱本文の別表や、同時に閣議決定された中期防衛力整備計画は、ハードウエアの整備に関してのみ具体的な計画を示している。

 目に見えるハードウエアは整備するが、実際に防衛力として運用するためのソフトウエアはない――実はこの体質こそが、戦後一貫して日本の安全保障と防衛に内在する核心的問題なのである。


ソフトの欠如がもたらす3つの課題!

 以下にソフトウエアが欠如していることから生じている問題を3つ指摘しよう。

 第1は、新大綱が導入した『動的防衛力構想』に関連するものだ。『基盤的防衛力構想』にかわる『動的防衛力構想』では何が変わったのだろうか。北沢俊美防衛大臣の談話では、脅威対抗――日本の安全保障上の脅威を想定して、それに対処するための防衛力――の考え方には立っていないという。また、政治的効果を創出するに必要な防衛力の質と量を分析したものではないようだ。これは、防衛力の整備内容は、自公政権時代とほぼ同じ内容であることから明らかである。

 ここで、「政治的効果を創出する」と言ったのには意味がある。

 新防衛大綱は目標の一つに「我が国防衛」を掲げている。ここにおける政治的効果は一般的に明瞭である。主権、領土、国民を守るということだ。しかし、第2、第3の目標である地域の安定化や世界の平和において、日本が果たす具体的役割は何か? 自衛隊に政治が期待する作戦効果を示さなくては、必要とする防衛力の量と質を具体化することはできない。

 「基盤的防衛力構想」を廃止し、本当に効果的に対処しようとするのであれば、政治的に予想されるシナリオを政府全体でシミュレートし、政府が期待する政治的効果を生み出すことができる防衛力の水準(ハード)と運用に必要なメカニズム(ソフト)を検証しなくてはならない。


「動的防衛力」も「シームレスな対応」もソフトなしには実現できない!

 第2は、「我が国防衛」において残されている課題だ。

 新大綱に「各種事態にシームレスに対応する」という表現がたびたび出てくる。例えば、中期計画は、特殊部隊による攻撃に対して通常の陸上自衛隊の部隊で対応するかのように記述している。ということは、警察力で対処できない事態が起きたときは、韓国に北朝鮮の工作員が潜入したときの例のように、陸上自衛隊の通常部隊が大規模に出動することになるのだろうか?

 仮にそうなった場合、国民保護に当たる地方自治体と掃討作戦を遂行する自衛隊との連携はどうなるのだろう? これまで、自治体は、国民保護訓練を取り行ってはいる。だが、同時に同じ地域で自衛隊が作戦を行っている状況での訓練はしていないのではないか。 さらに、日米安保条約が発動したとして、米軍の作戦と自治体、関係機関はどう連携するのか。自衛隊がいちいち仲介に入るとしても、自衛隊と米軍との間にも、現在、指揮・調整メカニズムはない。米軍が作戦する地域での誤射誤爆は当然予想される。

 第3に「機動的に運用する」を取り上げる。例えば今の陸上自衛隊の構造は「機動的な運用」に適していない。

 陸上自衛隊は領域警備の法的任務を持っていない。だが、自衛隊法施行令で、各方面隊に警備区域を割り当てている。さらに、その区域を、事態に即応し機動的に運用されるべき師団以下の部隊に警備地区、隊区として割り当てている。このため、各部隊は中隊レベルまで民生支援などの地域行政業務が発生し、機動的運用が困難な状態になっている。

 ちなみに陸上自衛隊は、「北部」や「東部」など全国に5つの方面隊を配置している。各方面隊は複数の師団からなる。各師団は、連隊、大隊、中隊が階層をなして構成している。

 地域行政業務は多様。さっぽろ雪まつりの支援はその一つ。各師団に属す部隊長が地域べったりの駐屯地司令職を兼務しているので、部隊がそれぞれの土地に根付いてしまい、師団としての機動性に影響が出ている。駐屯地司令は、本来訓練などに費やすべき時間を、支援団体や地方の有力者との会合などに使っているのが実態だ。

 このようなこまごました制度をすべて見直さないことには、動的防衛力としての基盤ができてこない。これらはすべて運用上のソフトウエアが未整備なことの一例にすぎない。

 

日本の決定的な衰退は、防衛力の欠如がもたらす!


中国人民解放軍
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E6%B0%91%E8%A7%A3%E6%94%BE%E8%BB%8D

2010.12.27(Mon)JBプレス 高井三郎

彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」と孫子が教える通り、今や、日本国民は、我が国の平和と独立および国益を守り抜くため、最大の潜在脅威である中国の軍事情勢を知らなければならない。このため、彼らの軍事力の基本的な知識をまず紹介する。

中国の軍事制度:軍隊、統帥機構、階級構成!


中国の法制上、人民武装力量と呼ばれる軍隊は、人民解放軍(解放軍)、人民武装警察部隊(武警)および民兵から成る。

 中華人民共和国中央軍事委員会および中国共産党中央軍事委員会が、これらを指揮統制する。すなわち、中国には西側諸国と異なり、1人の国軍総司令官は存在しない。

 最高統帥機関である両中央委員会は、それぞれ首席1名、副主席2人および委員8人から成るが、いずれも胡錦濤首席(党総書記・国家首席)はじめ同一の人物である。

 なお、首席のみが文民で、副主席および委員は、すべて党幹部、国防部長、4総部長、第2砲兵・海軍・空軍各司令員を務める現役上将から成る。

 中国当局の公式見解によれば、このような最高統帥機構を人民が支える党が軍を指導する態勢である。これに対し、西側諸国では、中国軍を国民の軍隊でなく共産党一党独裁体制下の党の軍隊と見なしている。

 4総部は、総参謀部(作戦部、情報部、技術部、電子対抗電達部、軍訓和兵種部、動員部、通信部等)、総政治部、総後勤部、総装備部(1998年に新設)から成り、西側の統合参謀本部機構に相当する。

 武装力量の主力を成す解放軍は、18個集団軍、海軍、空軍、戦略ミサイル部隊である第2砲兵(2砲)および予備役部隊から成り、瀋陽、北京、済南、南京、広州、成都、蘭州各軍区に配置されている。

 軍区は、平時に広報、警備、情報、徴兵、動員などの軍制を担当し、戦時に統合作戦地域の基盤になる。

 例えば、南京、広州各軍区を合わせ、東南戦区という南西諸島または台湾進攻向きの戦域を編成する場合もある。

武警の総司令部である人民武装警察部隊総部は、中央軍事委員会および国務院・公安部(警察省)の双方から指揮統制を受ける。県、都市の区などの地方行政機関の人民武装部は、軍および国務院の指導を受け、民兵および予備役の指揮統制を行う。

朝鮮戦争後に新設された軍隊の「階級」!


解放軍には、1927年に紅軍として創隊以来、伝統的に階級がなかったが、朝鮮戦争後の1955年にソ連軍式の階級を新設した。

 ところが、1965年における文化大革命の影響下で全廃して、23年後の1988年に軍事の現代化に伴い復活し、1993年、1995年、1999年および2009年に大きな修正を重ねて現在に至っている。

 現行の解放軍および武警の階級構成は次の通りである。

●軍官:上将、中将、少将、大校、上校、中校、少校、上尉、中尉、少尉
●士官:1級軍士長、2級軍士長、3級軍士長、4級軍士長、上士、中士、下士
●兵:上等兵、列兵

注:軍官は将校、士官、幹部(自衛隊)、士官は下士官、曹(自衛隊)を指す。兵は義務兵、士官は志願兵である。士官は軍士とも呼ばれている。

 中国当局は、以上の各資料を公表するが、各軍の総兵力、部隊数などを非公開扱いにしている。ただし、2004年国防白書は、民兵の兵力を1000万人と初めて公表した。

 中国国内情報(非公式)によれば、2009年時点における解放軍総兵力は256万人、うち陸軍178万人、海軍23万人、空軍42万人、2砲13万人、これに武警120万人を合計すれば376万人である。

 なお、別の国内情報は、今年の解放軍総兵力230万人、うち陸軍150万人、海軍25万人、空軍45万人、2砲10万人と見ている。

 これに対し、英ミリタバランス2010年版は、解放軍総兵力228万5000人、うち陸軍160万人、海軍25万5000人、空軍30万~33万人、2砲10万人、それに武警66万人を合わせた総兵力294万5000人と明記する。

いずれにせよ、軍当局は、軍事力の一層の合理化に対応し、兵力縮小政策を進めているとはいえ、解放軍と武警を合わせた常備兵力は、依然300万人前後と思われる。

日本国民の常識を超える徴兵制度の実態!


2010年時点における解放軍と武警300万人の構成は、軍官75万人、士官100万人、義務兵125万人と試算される。

 中国の徴兵制度(征兵と公称)による義務兵の主力は18歳で入隊後、2年間の現役を務めると除隊して帰郷し、基幹民兵(第1予備役)に編入される。

 義務兵役終了者の一部は士官(志願兵)に栄進し、あるいは軍事院校(西側の士官学校)に入校する。

 「中華人民共和国兵役法」は、「平時に18歳から22歳までの男性公民(18歳以上の中国国籍を有する人民)は兵役登録の義務を負う」と定めるが、現在は、24歳までの大学生も義務兵役の対象にしている。

 中国の国内情報によれば、毎年の義務兵役入隊者は50万人ないしは70万人に達するようである。

 最近、有識者が、中国の徴兵制度に関する疑問を寄せてきた。

 例えば、「人口抑制を狙った一人っ子政策と少子化現象が徴兵を妨げているのではないか。祖父母、父母合計4人ないし6人の生活を支える一人っ子が兵役に取られる家庭は破滅する。従って、徴兵逃れのため、当局に対する賄賂が流行っていないか。あるいは、近い将来、大規模な徴兵反対運動が起きないか」

 これに対し、別の有識者は、「失業者が溢れているのが、彼らの社会の悲しい現状である。従って、軍当局は、大勢の失業者から徴兵をいくらでも採ることができる」と反論した。

 さらに有力なマスコミ人は、「沿岸部の都会の若者は、規律が厳しくて安い給与の兵役よりも、収入が多く、自由な生活を楽しめる一般企業への就職を希望する。このような軍務適齢者の意識が徴兵制度の円滑な実行を妨げている。『良い鉄は釘にならず、良い人は兵にならず』という諺の通り、今でも中国の民衆は軍隊も兵役も嫌いである」という。

 思うに、戦後、半世紀以上も軍事教育不在の現象が祟る我が国家社会では、人格識見、教養が豊かで社会的地位も高い各位でも、対中軍事認識は、この程度であり、ましてや、一般大衆の情報把握のレベルは推して知るべし。

結論を先に述べると、少子化社会でも、毎年70万人規模の徴兵にはほとんど支障を来していない。

 実のところ、徴兵対象の18歳から24歳までの男子は9100万人に達しており、130人から1人(1%以内)を採れば70万人の基準を十分に満たすことができる。

 ちなみに、1932年頃の日本陸軍は23万人の平時兵力維持のため、軍務適齢男子(20歳)の1割に当たる11万人を徴兵入隊させていた。

 これに比べれば、現代中国の兵役業務は決して窮屈でなく、徴兵逃れを追い回す必要性もほとんどない。

例外が多い中国一人っ子政策


ところで、一人っ子政策には、いくつも例外があって、中国全土の全家庭が、決して子供1人でない。

 例えば、少数民族の大部分、漢族と少数民族から成る夫婦の家庭、増えた子供の分の罰金を払う家庭は、対象外である。

 既に、1980年代末期には、一人っ子政策下の徴兵が民生に及ぼす影響を考慮して、兵役期間を3年から2年に短縮した。当時は、現在よりも総兵力および義務兵の所要がともに現在より多かったという背景がある。

 憲法で国防を公民の名誉ある責務と定め、国防教育法に基づき、学生、生徒を含む全民国防教育を進める中国における軍隊と軍人の地位の高さは、『良い人は兵にならず』と言った昔日とは比較にならない。

 このため、特に農村部では、兵役希望者が目白押しであり、徴兵制とはいえ、1940~60年代における米国の選抜徴兵制または西側諸国の志願制に近い。

 従って、兵役担当機関は、地域の適齢者情報を事前に把握し、これはと思う少年たちに徴兵登録を勧める。もっとも中国では、日本の住民登録制度を兼ねた戸籍を警察が管理しているので、兵役該当者情報の把握も極めて容易である。

 

当年の秋までに17歳になった当局お墨付きの少年は、登録、健康診断・身体検査および身元調査を経て、12月までに18歳を迎えてから兵役入隊する。

 これらの入隊者の主力は、高級中学(高校)、一部は初級中学(中学)の卒業生である。大勢の候補者から少数を選ぶ余地があるので、素行不良者や低学力者はもとより、眼鏡常用者などは事前に排除される。

 なお、一人っ子を送り出した留守家庭は自治体から生活補助金の交付を受ける。

 軍当局の公表によれば、軍隊のさらなる現代化の一環として義務兵の全般的なレベルを向上させるため、24歳までの大学生も義務兵役の対象にする。

 このため、入隊者には、2年間の兵役終了後の復学を認め、現役勤務の成績優秀者に復学後の授業料の半額割引制度もある。初級・高級中学生および大学生である女性の兵役登録は、軍当局の人員補充所要と本人の希望を考慮して決定される。

自衛隊の人的戦力の弱点を衝く中国軍事論考!


顧みるに、1960年代以来、北京の指導部は、少しでも日本の防衛費が増額され、あるいは装備の質が向上すると、「東アジアに脅威を及ぼす軍事力強化の布石」と誇大宣伝し、防衛力の改善を説く政治家の発言および閣僚の靖国神社参拝を「軍国主義復活、侵略戦争の再発準備の兆候」と批判を重ねてきた。

 このような、彼らの弛まぬ宣伝戦、心理戦が、我が国の政治姿勢および世論動向を揺さぶってきたことは間違いない。

 例えば、1980年代における自民党政権は、「他国に脅威を与えない程度の必要最小限の自衛力の整備」という中国側にことさらに気を使う聞くに耐えない防衛政策を国会で表明した。

 従って、中国に顔を向ける政治姿勢が、自衛隊の弱体化に多大な影響を及ぼして現在に至っている。

 然るに総参謀部当局は、宣伝攻勢とは裏腹に、各種情報資料の収集分析を通じ、我が国の防衛力の実態を以前から客観的に把握している。

その一面は、香港の著名な総合月刊誌、「広角鏡」457号(2010.10.16/11.15) に載る「中日軍事力の比較」(呂亭著)というエッセイに見ることができる。

中国から見た日本の軍事力!

 本論考は、特に陸海空曹の素質を中国の士官と対比して、自衛隊の人的戦力の弱点を端的に衝いており、以下は、その紹介である。

 軍隊の管理体制を見るに、中国の軍隊は正常な職業軍官および義務兵役を採るのに対し、日本では、個人の意思による志願・退役がともに自由な傭兵制(訳注:原文通り)である。

 自衛隊は軍隊の性格を有するが、畢竟、平和憲法に拘束されて、国民皆兵の兵役が不可能であり、従って、「日本の軍隊は、一般企業または会社のようだ」と評されている。

 自衛隊の士官の主力は、40代および50代で、専門分野の能力は高いが、活気がなく、戦闘精神の面では、明らかに中国軍とは比較にならない。

 さらに、本論考は、筆者(高井)が以前から警告している愛国心、国防意識および軍事教育がともに欠落した我が国の国情にも触れている。

 日本では敗戦後、「武士道精神」を徹底的に批判し、国民に対し、何十年も軍事教育が行われず、厭軍厭戦気分が社会の主流を成している。

 新世代の国民には、第2次大戦の終戦直前に見られた狂人的な戦闘精神は既になく、一般社会で軍国主義を呼号する極右分子は極めて少数である。

 確かに、我が国の国防体制および自衛隊の弱点に触れる香港側の軍事評論に対し、永田町の面々は、恐らく反論の余地がない。

 このような、我が国の劣勢な軍事力が、対中外交に不利な影響を与えている。要するに、伝統的に軍事力が外交を支える役割を果すのは自明の理であり、防衛力の弱い我が国が不利な態勢に追い込まれている現状を認識せざるを得ない今日この頃である。

次に香港誌の軍事論考が、中日軍事力を比較する材料にした中国軍士官の現況を眺めてみよう。

 中国軍の中枢は、積年にわたり、軍隊の中堅を成す士官の強化に努めている。本来、士官は、春秋戦国時代において、5人の戦闘員を統べる伍長という下級指揮官に始る。

 ところが、軍事の現代化政策は、士官の責任分野を従前の軍官の所掌範囲(例えば技術、行政各職域)にまで拡大し、その結果、1990年代以降、士官の数が増加して軍官の数が相対的に減少した。

 さらには、米軍、韓国軍、台湾軍などの先進諸国軍と同様に、軍隊機構特有の富士山型階級・年齢構成を採り、士官の各階級ごとの勤務年数制限を設けている。

 それは、随時、主力を若い補充員に交替させて組織の活性化に努める一方、少数の優秀者を永く現役にとどめて最大限に活用するという軍隊固有の人事原則である。

 「中華人民共和国兵役法」および本年7月改定の「中国人民解放軍現役士兵服役条例」(注:武警にも適用)によれば、ごく少数の士官だけが辿り着く1級軍士長の退役時点は、55歳または現役勤務30年である。

 従って、18歳の義務兵から身を起し、30年間、勤めた場合には48歳で退役を迎える。それでも、上級士官の重要性が認識されて、旧条例よりも2年間、定年が延長された。

 ちなみに、自衛隊では、最下級の非任期制隊員の3曹でも定年が一律に53歳である。さらには、幹部、准尉、曹の全階級の警務、音楽、衛生各職種および情報、通信等の職域該当者は、60歳まで定年が延長された。

 話題を中国軍に戻すが、現行条例に定める各士官の階級別滞官年数は、下士、中士(自衛隊の3曹、2曹)各3年、上士、4級軍士長(2曹、1曹)各4年、3級軍士長(1曹、曹長)5年、2級軍士長(曹長)9年以上である。

 例えば、義務兵出身の下士は、3年勤めた23歳の時点で、中士昇任の見込みがなければ、自動退役する。

退役後は、28歳まで基幹民兵の要員になり、第1予備役に登録されて、動員時に現役復帰し、29歳になると、普通民兵および第2予備役に編入されて、36歳まで務める。

 軍当局は、士官の質を上げるため、従来からの義務兵役終了者に加え、大学生の士官志願を奨励する。

 当局の公表によれば、2010年には、大学卒業生350万人から12万人が士官に採用された。採用年齢の上限は通常24歳であるが、特殊技能者は、28歳までの志願を認められている。

 強調するに、辛亥革命後の軍閥跳梁時代に、社会のあぶれ者を駆り集めた雑軍と現代の中国軍を同一視するわけには行かない。

 なお、普通高校とも呼ばれる一般大学では、全学生が、兵学、軍事史、軍事制度、戦闘訓練、小火器射撃等を含む基本的な軍事教育を受けている。

 別に主要な大学では、米国のROTCおよび台湾の予備軍官課程に類似の国防生課程も併設する。

 先に紹介した香港の「広角鏡」の軍事論考は、実戦に役立たない自衛隊を置く日本の防衛は、米軍の支援によりようやく成り立っていると見ている。

 いずれにせよ、中国の軍事体制は、我が国の落ちぶれた防衛力の抜本的改革を促す反面教師の役割を果す。

2010/12/26(日)サーチナ

世界新聞報はこのほど、「21世紀に突入してから、日本の軍事化は益々エスカレートし、テロとの戦いの名のもとに自衛隊の国外活動の制限を突き破った。防衛庁は防衛省へと昇格し、新たな「防衛計画大綱」が発表され、平和憲法はじわじわと浸食されていった」と伝えた。中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。以下は同記事より。

  「少壮派」右翼の集まり

  「新・防衛派」またの名を「新・国防派」、彼らは政界の「少壮派」の中でも国防関連の政策に積極的に加担している政治家のことである。「国防派」が注目を浴びるには、日本において国防問題と言うのは比較的デリケートな問題である。そして、どの国にも共通することだが、国防と言うのは国家安全の生命線であるだけでなく、一国の経済をも左右し得る、あらゆる方面に多大な影響を及ぼすものなのである。

  従来の「国防派」は基本的には、防衛分野の仕事経験者や従軍経験者、そして自民党の政務調査会・国防部会の会員と3種類議員で構成されている。「新国防派」は新世紀を向かえて以降、世界情勢が大きく変化し、ネオコンが欧米諸国で盛り上がりを見せたその勢いに便乗して台頭してきた右派の議員である。

  国防転換の黒幕

  「新国防派」の代表格は、安倍晋三元首相(56歳)、前原誠司外相(48歳)、石破茂元防衛大臣(53歳)などの政界の著名人が挙げられる。旧「国防派」と比べると、彼らはより過激で極端だ。血眼になって「専守防衛」からの脱却を推し進め、「非核三原則」さえもくつがえす勢いである。「防衛計画大綱」の改定の背後で糸を引いていたのは彼らである。

  実のところ、わずかな手がかりからは、「防衛計画大綱」と「新国防派」の繋がりは見えてこない。実際の改定に携わったのは、首相の諮問機関である「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」だ。懇談会の11名のメンバーのなかには、「新国防派」と深い結びつきのある者が居る。例えば、海上自衛隊の元総合幕僚長である斉藤隆氏や前原誠司外相の恩師である京都大学の中西寛教授などである。ほかにも、各政党の防衛政策検討小委員会や現役の自衛隊や軍事産業界の権力者が改定にかかわっている。(つづく 編集担当:米原裕子)

世界新聞報はこのほど、「21世紀に突入してから、日本の軍事化は益々エスカレートし、テロとの戦いの名のもとに自衛隊の国外活動の制限を突き破った。防衛庁は防衛省へと昇格し、新たな「防衛計画大綱」が発表され、平和憲法はじわじわと浸食されていった」と伝えた。中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。以下は同記事より。

  外交学院の日本問題専門家である周永生教授は「世界新聞報」の取材に対し、「新国防派」が「防衛計画大綱」において、かなりの影響力を及ぼしていることは疑いの余地がないと指摘している。また、防衛省の「防衛大綱」改定には、自衛隊職員や国防研究を行なっている機関の関係者も多く介入している。

  「新国防派」の勢いはうなぎ上りで、代表メンバーの政界での先行きは明るいものだ。彼らは長く政界に居座り、日本の今後の発展に大きな影響力を発揮するだろう。

  「新国防派」はまたたく間に盛り上がり、日本の右翼路線に火をつけ、外交戦略に甚大な影響を及ぼすことになる。かりに従来の「国防派」が国防予算や防衛契約などのミクロ視点でしか見ていなかったとすれば、「新国防派」はより日本の安全戦略や防衛政策などのマクロ視点で政治問題を見ている。

  安全保障面に関しては、さまざまな「タブー」を犯すことを企んでは政府を動かそうとしている。彼らはもはや、「日米同盟の枠組みのなかで周辺地域に自衛隊を派遣する」従来の「タカ派」の主張には飽き足らず、「平和憲法」の束縛を完全に振り切って、日本を真の軍事大国にする道を切り開き、推し進めようとしている。「新国防派」は多くの面で古参の者より、一段と先を行っていると言えよう。

  「新国防派」はすでに日本の政界において無視できない勢力になろうとしている。しかし、日本が彼らの思惑通りの方向に向かうかどうかは、まだ定かではない。

  上海国際問題研究所日本研究室の〓寄南主任(〓は口の下に「天」)は、「新国防派」の主張を制約するいくつかのポイントを指摘した。まずは、日本全体の国家利益で考えると割に合わず、現状との差も小さくない。国民の考え方を言えば、普遍的に賛成しているわけではない。また、彼らが推し進めようとしている軍事大国への道はアジアの反感を買うことになるのは間違いない。そのため、「新国防派」がどれだけ盛り上がっていようと、注意深く確かめる余地がある。

  中国社会科学院日本研究所政治室の王屏主任は「日本は今、確かに軍事強国の道を歩み始めている」と答えた。しかし、歩く速さと具体的な方法は、政権を握る人によって変わってくるだろう。現段階では、将来の具体的な展望までは見えないと指摘した。(おわり 編集担当:米原裕子)
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