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侵略に備え、着々と手を打つ中国、手をこまぬく日本!

2010.11.18(Thu)JBプレス 松島悠佐

9月7日、尖閣諸島で海上保安庁の巡視船に中国漁船が衝突する事件が起きました。日本は中国漁船の船長を拘束しましたが、処分保留のまま釈放し国内外で大きな問題を提起しました。

尖閣は防衛、安全保障問題と認識すべき!

我が国は、日本の領土である尖閣諸島で起きた国内の事件として淡々と調査するとの姿勢を採っていましたが、この問題は単に国内の刑事事件という枠では解決できるものではなく、中国との間にある領土主権の解決が主題であることは明らかです。

 それにもかかわらず、中国の威圧に屈し日本の国益を全く無視した政治的措置が採られたことに腹立たしい思いがしています。

 尖閣諸島の問題は単に漁業権や資源開発の問題にとどまらず、我が国の防衛、安全保障に直接関わる問題であることをしっかりと国民に伝えていくことが大事な気がします。

 中国はこの十数年間、海軍・空軍・ミサイル部隊を中心に著しい軍事力強化を図ってきたことは周知の通りであり説明は要しないと思います。

 米国の国防総省が毎年議会に報告している「中国の軍事力」では、次のように注意を喚起しています。

沿岸防護型から外洋型へ、舵を大きく切った中国!

 「近年の中国の軍事力は、豊かな経済力を背景にして外洋型海軍の建設を念頭に近代化を進めており、これまでのように自国と国境周辺の安全保障という狭義の役割から脱皮し、グローバルな視点で広く海洋への進出を狙いにしている」

 その指摘通り、中国軍とりわけ中国海軍の動きがこの数年活発になっています。

 2010年4月、潜水艦や駆逐艦など10隻の中国海軍艦隊が沖縄本島と宮古島の間の海峡(以後「沖縄・宮古海峡」と呼称する)を通過し、西太平洋海域で訓練した後再び同海峡を通過して帰還したことは記憶に新しいことですが、その後もこの種の行動が度々起きています。

 このことが示しているように、中国海軍は、「沿岸防護型」から「外洋型」へと脱皮し、空軍もそれに合わせて外洋への出撃能力を高めてきました。

1980年代末までは、広大な国境線を接していたソ連への備えから、中国軍の中心は陸軍であり、海軍は沿岸防備を行う程度の戦力でした。

ロシアとの関係改善で中国の目は西大西洋に向かった!

しかし、その後ロシアとの関係改善が進み国境問題が解決した結果、中国の主題は台湾問題となり、中国軍の潜在仮想敵国はロシアから台湾を支援する米国に変わっています。

 中国海軍が東シナ海・南シナ海での海洋権益の拡大を図り、やがて西太平洋に進出してくるであろうことは、相当以前から軍事専門家の間では指摘されていたことです。

 海洋正面での中国の戦略は「日本列島~南西諸島~台湾~フィリピン」を「第1列島防衛線」として定め、他国の侵入を阻止し東シナ海~台湾周辺~南シナ海の支配を確実にすることにあるようです。

 その目的は第一義的には台湾有事に際して米軍の介入を阻止できる態勢を作ることでしょう。

 将来的には、空母建造や宇宙の軍事利用を推進しさらに戦力を強化して「小笠原諸島~マリアナ諸島~グアム~サイパン~パプアニューギニア」を「第2列島防衛線」と考えているようです。

2015~2020年には第1列島線は確保される見通し!

 それは先の話としても「第1列島線」の確保は中国にとっては必成の防衛ラインと考えられています。

 現在のペースで軍事力強化が進めば、2015~2020年頃には「第1列島防衛線」を確保できる海空軍力が完成されると見られています。

 中国がこの防衛線確保の作戦を発動すれば、大隈諸島南北の海峡ならびに台湾北側の沖縄・宮古海峡、南側のバシー海峡が、中国の管制下に置かれ自由な通航もできなくなります。

 これらの海峡は国際海峡であり、平素から我が国を含め多くの国が利用する海上交通の要衝になっています。特に我が国にとっては海外からの物流の生命線であり、それが危急に瀕することになるため、そのような暴挙を許すわけにはいきません。

また、世界の警察軍として現在でも中東やアフガンなどにグローバルな作戦展開をしている米軍にとっても、とても容認できることではありません。

米国と中国が第1列島線で対峙する可能性!

横須賀を母港として活動している第7艦隊は、米太平洋軍の主力艦隊として西太平洋~インド洋を守備海域として活動しており、台湾周辺や南シナ海の安全な航行が絶対の要件になっています。

 中国が「第1列島防衛線」で米軍の侵入を阻止するような行動に出れば、米軍は安全な航行路確保のための作戦を発動することになるでしょう。

 米軍はこの中国の戦略を「anti-access/area-denial(接近阻止・領域拒否)」と呼び警戒感を強くして対応を考えています。

 2010年2月に発表されたQDR(QUADRENNIAL DEFENSE REVIEW REPORT)の中でも「軍事力の再調整(Rebalancing the force)」に必要な機能の1つとして「中国などの阻止作戦に対する対応」が取り上げられています。

 そこに記されている内容は概略次のようなものです。

米国を悩ます中国の軍事力増強!

 「米国の軍事力の役割は世界の安定に寄与するものであり、地球上の各地で起きる紛争に対応できるのは米軍しかいない。従ってこれをどこにでも展開できるような体制を作っておかなければならない」

 「ところが最近米軍の介入を阻止する動きが活発となり、冷戦終結以降米軍が作戦展開して紛争を抑止してきた地域にまで作戦展開に支障を来す恐れが出てきている」

 「そうなると、米国の優勢な軍事力によって同盟諸国の安全を確保することが難しくなってくる。北朝鮮やイランは、新たな弾道ミサイルシステムを積極的に開発導入しており、それによって前方展開している米軍が危険にさらされている」

 「また、紛争事態に即応するために必要な航空基地や上陸港湾、指揮・兵站施設などが危険に直面する可能性が出てきた」

 「他方、中国は長期にわたる総合的な軍事力の強化を図り、中距離弾道ミサイルおよび巡航ミサイル、最新の攻撃型潜水艦や戦闘機、長距離防空システムを強化し、さらに、電子戦能力、サイバー攻撃能力、対宇宙システム能力を開発し近代化を進めてきた」

 「これによって米国は、同盟国を援助し紛争を解決するために必要な戦略展開を妨げられる危険に直面している」

このQDRに記されている「接近阻止環境下における攻撃の抑止および打破」(Deter and defeat aggression in anti-access environments)とは、まさしく中国が企図しているような列島防衛線への接近阻止という戦略を無効化し、あるいは打破することであり、その必要性が強調されています。

米国による中国対策7カ条!

そしてそのための施策として次の7項目が重視されています。

1.将来の長距離攻撃能力の拡大
2.対潜戦の有利さの活用
3.米軍の前方展開体制および基地インフラの活性化、基地機能回復力の増大

4.宇宙へのアクセス、宇宙使用の安定性
5.主要な情報偵察監視能力の堅固さの強化

6.敵のセンサーおよび交戦システムの破壊
7.海外での米軍のプレゼンスおよび対応性の増大

 このことを、東シナ海正面での作戦、特に沖縄・宮古海峡ならびにバシー海峡の作戦に当てはめれば次のようなことになるでしょう。

沖縄・宮古海峡、バシー海峡の防衛戦略!

1.米空母機動部隊の行動を阻止しようとする中国のあらゆる作戦手段を封じ込めるための長距離打撃力を強化すること。

 すなわち、中国軍の弾道ミサイル、巡航ミサイルによる攻撃、航空攻撃を封殺するための基地攻撃能力の強化、ならびに空母機動部隊の作戦を妨害する中国艦隊を排除するための遠距離からの海上打撃力の強化。

2.大隈諸島南北の海峡ならびに沖縄・宮古海峡、バシー海峡に仕かける機雷封鎖、潜水艦による閉塞に対して、発見・撃破・排除を適切に行い有利に対潜作戦が遂行できるシステムの開発・活用。

3.日本を含み東アジアに前方展開した米軍の即応性の向上、ならびに沖縄をはじめとして、佐世保・岩国・横須賀・横田・グアムなどの基地機能の活性化。

4.中国の宇宙戦能力の強化を抑え、宇宙戦を有利に展開する能力の確保。

米軍は、中国の西太平洋への進出を封じ込め、自ら両海峡を支配し、航空優勢・制海権を確実に保持できる安全海域を確保して、東シナ海・南シナ海への安全な進出を図る作戦を企図しています。それが米軍の戦略機動路確保の作戦です。

第1列島線付近は係争海域になる可能性が大きい!

国が考えている「列島防衛線」での阻止作戦と米国が考えている「戦略機動路」確保の作戦がぶつかるところは当然ながら係争海域となります。

 米国にとっても中国にとっても自らの牽制下に収めておきたい重要な海域が、台湾周辺の沖縄・宮古海峡ならびにバシー海峡、さらには南シナ海であり、ここでは激しい争奪戦が予測されます。

 具体的な事例として、もし中台紛争が起きれば、台湾と防衛協定を結んでいる米国としては何らかの介入をするでしょう。

 また、中国としては国内問題に米国が介入することを好まず、米軍が空母機動群などを展開するような行動に出れば、それを阻止する作戦行動に出ることが予測されます。

 中国軍が沖縄・宮古海峡で採るであろう具体的な作戦を推察すると、次のようなものになると思われます。

中国軍は何が何でも尖閣諸島に警備部隊を常駐させようとする!

 「海空部隊を以って第1列島防衛線以東における警戒・哨戒態勢を確立し、航空優勢・海上優勢を確保して米機動部隊の接近排除に努める」

 「防衛線に侵入を企図する米機動部隊に対しては、航空機・中距離弾道ミサイル・巡航ミサイルならびに海上火力によって制圧するとともに、大隅海峡、沖縄・宮古海峡およびバシー海峡に機雷を敷設し、潜水艦を配備して海上を封鎖し、東シナ海、南シナ海への侵入を阻止する」

 「なお、沖縄・宮古海峡の封鎖作戦に際しては、釣魚島(尖閣諸島)に警備部隊を配備し、海峡を牽制下に置き、封鎖作戦を容易にする」

 「この際、可能な限り先島諸島(宮古・石垣・西表・与那国各島)を牽制下に収め、東シナ海における警戒態勢をより確実にするに努める」


我が国に直接関係する作戦を要約すれば、次のようなものになると思われます。

尖閣諸島は中国軍の橋頭堡になる可能性!

1.機雷・潜水艦による大隅海峡、沖縄・宮古海峡の封鎖
2.海峡東側(列島防衛線外縁)における火力制圧
3.尖閣諸島の占領

 中国の海空軍が我が南西諸島の周辺で哨戒活動を行なったり、尖閣諸島を占拠し警備部隊を配備するような行動に出れば、明らかに我が国への主権侵害であり、我が国としては防衛事態対処を余儀なくされます。

 さらに国際社会にとっても、国際海峡である沖縄・宮古海峡などに機雷を敷設し、潜水艦を配備し航行を阻害するような行動は、公海の安全航行という国際的な法にも違反する行為であり容認できないことは当然です。

 日米と中国双方が「沖縄・宮古海峡」を牽制下に置くための争奪戦を展開する事態になれば、海峡両端の沖縄諸島・先島諸島・尖閣諸島が大変重要な作戦上の役割を担うことになるのは明白です。

 沖縄諸島は現在でも南西諸島防衛の中心として日米の主要な基地があり、ここを日米がしっかりと確保している以上、中国軍がこれを牽制下に置くことは難しいでしょう。

尖閣、先島諸島を確実に押さえれば中国軍は阻止できる!

 先島諸島には、現在宮古島に航空自衛隊のレーダーサイトがある以外には軍事基地はなく、海峡争奪戦が現実化する頃には我が国としては警備部隊を配置するなどの措置が必要になるでしょう。

 尖閣諸島も同様であり、現在は小さな無人島ですが、海峡を牽制下に入れる作戦においては、監視警戒部隊の配置が必要になると思われます。

 日米がこの海峡の両端の緊要な地域をしっかり押さえていれば、中国の海峡阻止作戦は難しくなります。従って中国としては、「沖縄・宮古海峡」を自己の牽制下において米軍機動部隊の侵入を阻止するためには、何とかしてこの態勢を打破する必要が出てきます。

 沖縄諸島を自己の牽制下に入れることは中国にとって相当の困難性があると思われますが、先島諸島・尖閣諸島を牽制下に入れることは可能性のある作戦と言えます。


先島諸島は、我が国が現在までのような腰の引けた対応に終始し、警備部隊を配備するなどの措置を講じなければ、その虚に乗じて中国が海上封鎖などの措置を取り、宮古島・石垣島などの周辺海域を固めてしまうことも考えられます。

小さな無人島だが軍事的な役割は甚大!

 そうなると、日米の「沖縄・宮古海峡」管制の一翼が崩されます。

 尖閣諸島については、中国も領有権を主張し、国際的にも機会あるごとに喧伝してきましたので、中国が沖縄・宮古海峡阻止作戦を敢行する際には、自ら警備部隊を上陸させるなどの行動に出ることも予測されます。

 尖閣諸島は南西諸島や台湾から約170キロも離れた小さい無人の島ですが、軍事的には非常に大きな価値があります。

 中国にとってこの尖閣諸島は、「絶対確保海域」と考えている東シナ海大陸棚の重要な一角であり、台湾の前庭的な位置にあります。

 しかも、米機動部隊が東シナ海に侵入する航路を制約する重要な海域であり、中国にとってこの尖閣諸島を制することは阻止作戦のための「必須の要件」になっています。

中国軍を尖閣諸島付近から排除することが「必成目標」!

 なぜなら、沖縄諸島・先島諸島・尖閣諸島のすべてを日米がしっかり押さえてしまえば、第1列島防衛線における中国の「anti-access/area-denial(接近阻止・領域拒否)」作戦は、まず不可能になるからです。

 さらに中国としては、できれば尖閣諸島のみならず、先島諸島(宮古列島・八重山列島)を含めた台湾の前庭的な海域を支配することを「望ましい要件」と考えていると思われます。

 まず尖閣諸島を確保し、それをテコにしてジワジワと侵攻してくる可能性が排除できません。南シナ海における南沙諸島占拠のようなやり方です。

 このような分析から判断すれば、我が国としては中国海軍を尖閣諸島周辺から排除して、領海主権を確保しておくことが極めて重要な「必成目標」となることが明らかです。

が国政府の対応はこれまで、「相手の刺激を避け、摩擦を起こさぬ」行動を選択してきましたが、このような政策を採り続けていると、中国はその虚に乗じて尖閣諸島占拠の行動に出る可能性が高まってきます。

日本の許可なく尖閣諸島を調査する中国の調査船!

 尖閣諸島付近での調査活動はここ数年継続的に活発になっていますが、それは単に資源開発のためだけではなく軍事行動の準備を進めていると見ておくべきでしょう。

 2007年2月、中国の調査船が事前通報もせず尖閣諸島付近での調査活動を行い、わが海上保安庁の巡視船が中止を呼びかけても無視して調査を続行しました。

 我が国の抗議に対し中国外務省の報道官は、「釣魚島(尖閣諸島の中国名)付近で実施した調査活動は正常な海洋科学調査であり正当な主権行為だ」と述べています。

 2008年12月には、中国の海洋調査船2隻が尖閣諸島付近の海域を9時間にわたって侵犯しました。日本の抗議に対して、中国外交部の劉報道局長は「釣魚島は古くから中国固有の領土であり、日本に非難されるいわれはない」と述べています。

 このような考えに基づいて、2009年8月、2010年4月にも何の連絡もなく、我が国を無視して調査が続いており、同様の不法侵入・調査活動は、最近では継続的に行われています。

話し合いではなく先に手を下す中国の手法!

先般の巡視船と中国漁船の衝突事件もこのような流れの中で起きました。

 中国が「領海法」を制定して尖閣諸島の領有権を明確に打ち出してから既に18年経ち、中国の領有権主張も最近富に声高になり、国際的には大分浸透してきたと自認しているようです。

 また、第1列島線を確保できる外洋型の海軍もようやく整ってきたようであり、そろそろ軍事力を後ろ盾にして実力行動に出る時期が近づいていると思われます。

 無人島占領の中国的手法は話し合いが先ではありません。まず実効支配しそれを背景にして自らの正当性を主張し要求を突きつけるのが手法です。

しかも必要に応じて時間をかけてじっくりやることが多く、国際的批判をうまくかわすことにも長けています。

中国は日本の対応を事細かに分析している!

 そのような情勢を総合的に判断すると、尖閣諸島は大変危険な状態になってきました。このまま放っておくと取り返しのつかない事態になると予測されます。

 中国は四周の情勢を見るのに非常に慎重な国ですから、今、日本の対応を見ていると思われます。

 日本が毅然とした対応をすれば、中国もそれなりに判断して新たな手を考えてくると思われ、逆に日本が何にもしないことが分かれば、そのまま活動をエスカレートさせ尖閣諸島実効支配に動き出すことにつながります。

 先の漁船衝突事故で、船長の釈放を巡る是非ばかりを議論していたのでは本質的な問題は解決せず、逆に中国の暴挙を誘うことになります。

 尖閣諸島の問題は、我が国の領土主権と防衛に関わる問題であり、それが一番の根底にあることをしっかり認識することが大事だと思います。

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日本のメディアは中国とロシアの関係をもっと認識すべし!

2010.11.17(Wed)JBプレス 菅原信夫

ロシアにいると、最近の日中間の不協和音は他人事ではない。日本の対応をじっと観察しているロシアがいつ北方領土を巡って日本に居丈高な態度に出るか、不安が横切る。

中ロが歩調を合わせて日本への挑戦、はあり得ない!

しかし、領土問題を巡り、中ロが歩調を合わせて、南北から日本に挑戦する、という推測には違和感がある。モスクワで見る中ロ関係は、蜜月状態にあるとはとても思えないからだ。

 ロシアの対外政策を考える際に注意しておきたいのは、政治と民衆の感情とは必ずしも一致せず、また、長期的に見ると政治は民衆の感情と同じ方向に集約していく傾向がある、ということだ。

 最近ではグルジアを巡るロシアの政策がその典型であろう。いかに政治的にグルジアとの関係を凍結しようとしても、ロシアの歴史に刻まれたグルジアの影響は、それを消し去ることはできない。

 一方中国については、中国をロシアのエネルギー政策における最大の客先としながらも、民衆レベルでの対中警戒感を解くことは絶対にできない。

 最近、モスクワで日本企業に対して極東ロシアの開発プロジェクトを紹介するセミナーがあって、出席した。いくつものプロジェクトが紹介されたが、何も日本企業、それもモスクワに駐在する駐在員を対象にする必要もなさそうに思われた。

日本と組んで中国を牽制したい
 地理的な感覚から言えば、極東においては中ロで進めるのが何よりも現実的に見えるプロジェクトも多く含まれていた。実際、セミナーでは言葉の端々に中国を意識した発言が聞こえる。

 ただ、それは中国にプロジェクト参加を要請する、という方向とは正反対で、日本と組むことで中国の参加を不要としよう、というアプローチなのだ。

 「プロジェクトを各国に紹介すれば、中国が触手を伸ばすことは分かり切っている、その前にぜひ日露間で手を結んでしまおうではないか、それを言いたいがために、モスクワまで来たのだ」

 今回のセミナーを取りまとめたロシア地域発展センターのメラメド氏は、セミナー後の私の質問にこう答えてくれた。

ロシア極東部における中国排除の動きは、極めてはっきりしている。その理由を同じくメラメド氏に尋ねると、彼は一言「それは中国の覇権主義にある」と答えた。

法律を超えていつしか実効支配してしまう中国への警戒心!

プロジェクトを共同でスタートしても、いつのまにか中国人により主導権を取られてしまう。

 法律上、ロシア側の権益をしっかりと謳ったプロジェクトであっても、大勢の中国人に囲まれてしまい中国の「実効支配」下に置かれたプロジェクトは過去数多くあるという。

 ロシア政府は、中国を買い手とするロシア産天然ガス、石油の輸出には大変積極的である。 

 本年9月末、ドミトリー・メドベージェフ大統領は中国を訪問し、胡錦濤国家主席とともに、ESPO(東シベリア―太平洋石油パイプライン)の中国側完工式に出席している。

 このパイプラインを通して、今後20年間にわたり大量の石油がロシアから中国に供給される。

ロシアのエネルギー産業に中国の投資は認めない!

 一方、天然ガスについては、ガスプロムと中国側CNPC(中国石油天然気集団公司)との間で、西シベリアのガス田と中国ウイグル自治区を結ぶパイプラインを通して、ロシア産天然ガスが30年間にわたり中国に供給される契約が合意されている。

 このように、ロシアは中国を輸出先とするエネルギー供給には多額の投資を行っている。しかし、そのロシアのエネルギー産業に中国が投資を通じて事業参加することには、極めてネガティブな姿勢を貫いている。

 実際ロシア政府は自国のエネルギー産業への中国の参入を何度も防いできた歴史がある。2006年のROSNEFTの新規株式公開(IPO)では、中国石油の資本参加を許さなかった。

 また、2002年にはSLAVNEFTの中国石油への売却を認めなかった。買い手に決まったロシア同業他社の出した価格より中国石油は13億ドルも高い価格を提示したにもかかわらずで、ある。

鳥取県境港から韓国の東海(トンヘ)経由でウラジオストクに向かうDBSクルーズフェリーは、最近の日本製中古車貿易の復活でかなり貨物が多くなっていると聞く。

日本の中古車輸出が復活!

 しかし、引き続き問題なのは、ウラジオから積み出す貨物である。 関係者によると、ウラジオから輸出されるロシア産品の少ないことは当初から予想されていたという。

 しかし、中国黒龍江省産の食糧、石炭を国境を越えて輸送し、ウラジオから韓国に輸出する、という計画があり、これが引き金となってフェリーの就航が決まったとのこと。

 予想外なのは、たとえ第三国への輸出のためとしても、ロシアが中国産品の国境越えを許可しないという事実で、これではフェリーの復路の貨物の確保ができず、DBSフェリーは頭を抱えていると聞く。 

 前回の小稿で触れたウラジオ市内で販売されている中国工場産のアサヒビールであるが、10月の実施調査では、その姿は完全にウラジオから消えている。アサヒビールは全量、日本からの輸出となっている。

 これで、既に出回っているサッポロに加え、アサヒ、そしてこれから本格展開が開始される予定のサントリービールと、ウラジオ市内で販売される日系ビールは全量が日本からの輸出品となる。

中国製品を持ち込みにくくなったウラジオストク!

 極東の消費者は、日本製品と中国製品を完全に分けて考えており、中国製品は人気がない、ということも前稿で指摘したが、今や行政面でも中国製品をウラジオに持ち込む際の国境の壁は厚くなる一方のようである。

 私が愛用しているモスクワの中華料理店「友好飯店」には、H君という中国人のウエイターがいる。この店は中国政府の支援で建設された中ロ友好会館の中にあり、料理人からウエイター、ウエイトレスまで全員が中国人、本格的な中華料理が楽しめる大型レストランである。

 スタッフがほとんどロシア語を話せない中、H君はなんとかロシア語で会話ができる。中国の田舎の話やら、いろいろと話をするうちに私のテーブルは必ず彼が担当してくれるようになってしまった。

 先月末、店で食事をした時、H君が寂しそうな顔で私にこんなことを言った。

菅原さんとは、今月末でお別れしなければなりません」

 「なぜ?」

 「滞在延長のためのビザ申請が拒否されて、帰国せざるを得なくなったのです」


君だけ?」

 「いえ、今後滞在期間は延長されないみたいで、今回は数名が私と一緒に帰国します」

 ここまで聞けば、ロシア移民当局が中国人の帰国を促進していることは明確になる。この夏、ウラジオで聞いた不法滞在中国人労働者の追放と根は同じに聞こえる。

 ウラジオの中華料理店は中国人の料理人が国に戻ってしまってから、食材も乏しくなり、味は落ちるし、あれだけ中国に近い場所にありながら、見るも無残な中華料理になってしまった。

モスクワから中華レストランが消えるのは時間の問題?

 モスクワで圧倒的な店舗数を誇る和食レストランに比較して、中国人シェフがいないと成立しない中華料理店は本当に少数派、客数も比較にならない。不法移民問題が密接に絡むロシアの中華料理の将来は、かなり難しいものがある。

中国との関係を見直す風潮は、既に昨年からはっきりしていた。モスクワ市内にあった雑貨市場「チェルキゾフスキー」は2008年9月の当局による手入れを経て、2009年6月に完全閉鎖されてしまった。

 閉鎖に至る過程ではいろいろと政治的な憶測もあり、本誌でも大坪氏が「超高級リゾートに腹を立てたプーチン首相」の中で詳しく紹介をされている。

 中国からの密輸品を並べる市場だから、働いていたのも中国人が多く、一時はこの市場だけでも6万人を超えていたという。この市場で年間に販売される密輸品の総額は100億ドルを下らず、その70%は中国から運ばれたものだったという。

チェルキゾフスキー市場で売られていた商品は、主に低価格品で、市場で品定めをするロシア市民も高所得者層は少なく、この市場閉鎖が政治的な問題になることはなかった。

モスクワの高級ブティックの商品は、ほとんどが中国製の偽物!

 しかし、先日読んだプラウダ紙には、モスクワの高級ブティックで販売されているプラダの靴、グッチのバッグ、アルマーニのジーンズ、それらのほとんどは中国製の粗悪品であり、ロシア女性はだまされている、と警告を発している。

 いよいよ中国製品への非難が高所得層にも広がってきたようだ。そして、その記事は高級ブランドを非常識な低価格で買いたい、というロシア人の欲望が、中国製偽物ブランドを跋扈させる理由になっている、と自戒を求めている(注1)。

 何度も小稿で指摘しているように、中国製品への警戒と反比例するように日本製品への信頼感は増している。

 ロシアにとって、中国への警戒を解くことができない理由、それはロシアと中国の地政学的関係、すなわちロシアの隣国が中国であり、中国との間には数千キロにわたる国境を接している、という事実である。

 ロシアが中国への対抗手段として日本カードを持とうとすることは十分考えられるし、ロシア民衆の感情は既にその方向に向かっているのである。

メドベージェフ大統領の国後島訪問を反日的と喧伝するメディアの責任!

 少なくとも、ロシアと中国が結託して、領土問題で日本にあたる、ということは民衆レベルの観察ではちょっと考えられない。

 こういう時期に、日本のマスコミがメドベージェフ大統領の国後島訪問を反日的である、という論調をことのほか大量に流し、そこに複雑な思いをしているのは、実はロシアの親日派民衆なのである。

 日本としては、ロシアの地政学的立場を理解し、利用することで、ロシアに対してもっと有利に駆け引きを行い得ると強く感じる。

魚雷
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%9A%E9%9B%B7


敗戦ですべてを失いながらも、地道な努力が実を結ぶ!

2010.07.13(Tue)JBプレス 土井克彦

北朝鮮の潜水艇が放ったとされる魚雷が、たった1発で韓国の哨戒艦を真っ二つに裂き、沈没させた事件を覚えていると思います。なぜ北朝鮮は、最新鋭のミサイルではなく魚雷を使ったのでしょうか。北朝鮮が魚雷のような古い技術しか持っていないからではありません。

 近年、日本の周辺国では潜水艦の建造ブームが続いています。その潜水艦にとって重要な兵器は対艦・対地・対空ミサイルなどと並んで重要なのが実は魚雷なのです。この兵器には派手さはありませんが、破壊力と隠密性は抜群です。

1.魚雷とは何か!

海の防衛を考えた時、魚雷について触れないわけにはいきません。そこで、魚雷とはどんな兵器なのか、現在の魚雷はどのようなパワーと限界を持つのかを解説してみたいと思います。

 まず「魚雷」の語源は、「魚形水雷」が略されたものと言われています。

 「水雷」は元来、陸軍の「地雷」を海の作戦に適用することを目途に開発されたもので、いずれも欧米ではmineと呼称されています。

 水雷は、固定型の「機械水雷」が現在の「機雷」に進化し、自走型の「魚形水雷」が「魚雷」として枝分かれし進化したものです。

 前者は従来のmineの呼称が踏襲され、後者はTorpedo(語源は「しびれえい」)と呼称されるに至りました。『海軍水雷史』(昭和54(1979)年3月20日 財団法人水交会内「海軍水雷史刊行会」発刊)では、魚雷を次の通り定義しています。

 魚雷とは、その形状は概ね葉巻型の水中航走体であって、自体内に原動力および主機械を有し、最後部には推進器を備え、水面下所定の深度を保ちつつ定められた方向に自力直進し、敵艦の吃水線下の舷側もしくは艦底直下に達し、その頭部に持っている炸薬を爆発させ、以って敵艦の舷側もしくは艦底を破壊する水中兵器である。

 この定義にあるように、魚雷は元来、対水上艦艇用の攻撃武器として進化してきたものですが、海上作戦への潜水艦の参入により大きくその存在意義の転換を迫られることとなります。

 それは、水雷戦隊(水上艦艇)あるいは艦載機による敵水上部隊への魚雷攻撃は、その射程の制約から敵部隊へ肉薄するリスクを負わざるを得ず、隠密性に優れる潜水艦にその主役の座を譲る事態を招来させました。

その結果、潜水艦が水上艦船攻撃(敵潜水艦攻撃を含む)に使用する長魚雷(Heavy Weight Torpedo)を、対潜部隊(水上艦艇、航空機)が潜水艦攻撃に使用する短魚雷(Light Weight Torpedo)をそれぞれ装備運用する状況を作り出したわけです。

 つまり、“潜水艦対水上部隊(対潜航空機を含む)”という図式の海上作戦である対潜戦ASW(Anti-Submarine Warfare)時代の到来!です。潜水艦側からしますと対水上艦戦ASUW(Anti-Surfaceship Warfare)となります。

 特に、第2次大戦以降の潜水艦の戦略・戦術両面での活動範囲の拡大は、ASW能力の急速な発展を促し、魚雷の世界でも自動誘導方式を採用したホーミング魚雷を出現させるなど、魚雷性能の飛躍的向上を見ました。

 そこでは、物理、化学、電気、電子、通信、材料等々、多分野にわたる技術力の結集が必要となり、現在の魚雷は、前述の魚雷の定義の域を超えるアセットとなった感があります。

 他方、魚雷能力の向上は、当然ながらそれへの対抗策である魚雷防禦対策TCM(Torpedo Counter Measure)能力の向上を誘引し、両者の相克は魚雷という水中武器が存在する限り絶え間なく継続されていくこととなります。

 このため、魚雷とTCMに関する技術は本来門外不出の性格を有するものであり、各国海軍とも独自の技術開発を進めてきております。本記事では、主として我が国の魚雷分野の変遷を辿り、魚雷という古くて新しい水中武器の現代戦における存在意義を考察してみます。

 海軍史上初めて魚雷の元祖と言える物を実戦で使用したのは、16世紀後半のオランダ海軍でした。その形態は、火薬を密閉した容器を積んだ小型ボートを敵艦に夜間横づけし、時計仕かけで爆発させ被害を与えたと言われています。

 その後、米国の独立戦争時(18世紀後半)などで、機雷をブイに吊るし手漕ぎボートで敵艦直下に機雷を設置し、たびたび大損害を与えた事例が残されています。

2.魚雷に課せられた宿命!

これらの魚雷前史時代を経て、1864年オーストリア・ハンガリー国において英国人技師ロバート・ホワイトヘッドが初めて現在の自走式魚雷の原型を誕生させます。

 その形態は、頭部に炸薬と起爆装置を、胴部に魚雷の運動を制御する管制装置と動力源を、そして尾部に操舵器・プロペラなどの推進装置を保有しており、その基本形態は現在の魚雷にも変わることなく引き継がれております。

 以上、魚雷勃興期の在り様に触れてきましたが、そこには既に、“魚雷という水中攻撃武器に課せられた宿命”とも言えるものを読み取ることができます。そして、それゆえに魚雷はその基本形態を変えることなく進化を遂げざるを得なかったわけでもあります。

 それらは、次に集約されます。

●1発で撃沈!

 大型艦を1発で撃沈させる「大炸薬量の保有」と、硬い鋼板で覆われる潜水艦を撃沈させる「炸薬形態の保有」が求められ、通常兵器としては稀有な存在である。

●狙った獲物を確実に仕とめる!

 魚雷攻撃機会は千載一遇で無駄打ちは許されない。それゆえに「1回の攻撃で確実に狙うべき目標に魚雷が命中すること(必見必殺!)」が必須要件となる。

●発射母体の安全!

 魚雷発射母体(水上艦艇、航空機、潜水艦)が何であれ、その安全を確保するには、「魚雷射程を延伸」することが求められる。

●攻撃の隠密性!

 攻撃目標の魚雷回避行動などに対抗するため、魚雷の「高速性」と「隠密性」が要求される。

 これら魚雷の特質を前史時代の事例に照らしますと、夜間襲撃は隠密性の確保に外ならず、人間が操縦する小型舟艇による運搬期間が長く続いたのは狙った目標を外さないためとも推察されます。

 そしてこれらの特質は、現在の魚雷においても全く色あせることなく引き継がれており、そこに魚雷という武器開発の難しさが潜んでいるわけです。

 例えば、限定される搭載燃料下での「射程の延伸と高速性、大炸薬量の保有」、魚雷の隠密性維持下での「高速性の確保と航跡・航走音の秘匿」あるいは「射程の延伸と狙った目標への確実な攻撃」など、相容れない要素をいかにして克服するかが魚雷の歴史を刻んできたとも言えます。

 以下、主として我が国の魚雷を対象としてその変遷をたどってみます。

3.魚雷の変遷
(1)戦前の魚雷

 日本海軍は、早くから魚雷の重要性に着目しその取得に努め、ホワイトヘッドが最初の魚雷を作り上げてからわずか20年後の1884年(明治17年)には、ドイツから「朱(シュワルツコフ)式84式魚雷」を入手、この系列の魚雷が日清戦争の威海衛夜襲作戦に使われたと言われております。

 明治26年には英国から「保(ホワイトヘッド)式26式魚雷」を導入、この系列の魚雷が日露戦争時の日本海海戦で使用された模様です。(いずれも未公表) 

 これら初期の魚雷は圧縮空気を利用した「冷走魚雷」で、その航走距離は数百メートルに過ぎず、いずれの作戦でも十分な戦果は挙げられなかったものと推察されます。

 その後、1907年に米国において主機械に入れる空気に熱を加え、その熱エネルギーで推進能力を増加させる「熱走魚雷」が発明され、魚雷速力と航走距離の飛躍的向上を見ることとなります。

 当然、日本海軍もこの技術導入を図るとともに大正時代には国産魚雷の開発に力を注ぎ、航走距離1万~1万5000メートルで当時の世界的水準に並ぶ魚雷を保有するに至りました。

 そして大正15年、巨額を投じて英国から雷速46ノット(時速85キロ)の高速魚雷技術の導入を図り、高速・長射程の国産魚雷を作り上げました。

 その延長線上に、真珠湾攻撃で名を馳せた「九一式魚雷」、さらには速力50ノット(時速93キロ)、航走距離20キロメートルという当時では驚異的性能を現した酸素魚雷である「九三式魚雷」を作り上げました。

 この技術は極めて高いレベルにあったようで、戦後連合国側がすべての関係資料を押収し、徹底的調査を実施したと伝えられています。

 この酸素魚雷は、熱走魚雷の究極形態の1つで、高い熱エネルギーの取得により、大型魚雷にもかかわらず高速・長射程化を実現しただけでなく、空気魚雷のように窒素を排出しないことから、魚雷航跡が極めて淡く高度の隠密性が確保されていたことにその特徴がありました。

 まさに「射程の延伸」「高速性」「大炸薬量」「隠密性」という相容れ難い要素(「魚雷の宿命」)を見事なまでに克服した魚雷であったと言えます。

 とはいえ、日本海軍の艦隊決戦の主役はあくまでも砲戦であり、魚雷戦は砲戦前の敵兵力漸減の役割しか与えられず、最後まで魚雷が主役に躍り出ることはありませんでした。


(2)戦後の魚雷

 敗戦により、それまで育んできた我が国の魚雷技術基盤は壊滅的打撃を受けます。

 また、海上自衛隊の発足は、すべてのアセット(水上艦艇、航空機、潜水艦)が米国供与で立ち上がったことから、魚雷もまた米海軍製のお古を使うこととなり、戦前の我が国の魚雷技術を生かす機会はほとんどありませんでした。

 またそのこと以上に、終戦から海自発足までの空白期間に海上作戦様相が一変し、戦前の魚雷技術の中核を成した直進魚雷の出番を一掃したところに我が国魚雷技術の継承がなされなかった背景を見ることができます。

 それは既述した「ASW時代の到来」にほかなりません。

 このことは魚雷という水中攻撃武器に、対潜水艦攻撃用の短魚雷と、潜水艦が持つ対水上艦攻撃用の長魚雷への2分化を促しました。

 前者では、ヘリコプターを含む航空機への搭載あるいはロケットモーターで遠距離攻撃を可能とするための小型軽量化が追求され、後者では、巨大な水上艦を1発で沈めるための炸薬量の増大、航走距離の延伸、狙った目標を確実に攻撃するための有線誘導化技術の適用などが図られました。


対潜用短魚雷の変遷!

 海自の対潜用短魚雷は米国製の「Mk32」から立ち上がり、昭和30年代後半に導入された「Mk44対潜用短魚雷」が長く使用されました。

 この魚雷は電池式で速力・航走距離に難があるものの、最先端部にアクティブの音響センサーを装備し、一定の距離に至れば当該センサーで目標潜水艦を捕まえ、自らがそれにホーミングする能力を有する、海自にとっては画期的な形態のものでありました。

 このため、基本的には潜水艦近傍に魚雷を落とすことで攻撃が達成でき、魚雷をロケットモーターで遠距離に運ぶASROC(Anti-Submarin Rocket)の導入にもつながりました。このASROCは現在も水上艦の主要な対潜攻撃武器になっています。

その後、推進機関として高熱エネルギーを生むオットー・フューエル・エンジン(オープンサイクル)を搭載し、高速化と航走距離の延伸化を図った「Mk46」の導入が昭和60年に成されています。

 他方、国産の対潜用短魚雷は十数年間に及ぶ長い開発期間を経て、1997年(平成9年)「97式対潜用短魚雷」としてその実現を見ています。

 と言いますのも、当時我が国にはこの種の短魚雷に対する技術基盤が必ずしも十分備わっていなかったうえ、運用者(海自)側の次世代あるいは次々世代を見据えたある意味過酷とも思える機能要求が提示され、それに応えるには既存技術の模倣や改善ではとても追いつかない状況にありました。

 このため、ほとんどの分野で新たな研究開発に取り組むこととなり、従来魚雷では思いも寄らない精密加工技術や変幻自在の光学式ジャイロの導入などが検討の俎上に上がりました。

 当時、現場の技術者が「この魚雷創りは最新鋭戦闘機を創るより難しい!」と言っていた言葉が思い起こされます。まさにその開発過程は暗中模索、試行錯誤の連続でした。

 その結果、動力としては隠密性を確保しつつ瞬時の高速発揮を可能とする金属燃料から得られる高発熱エネルギーを使用したクローズド・サイクル・エンジンを実現させました。

 また、炸薬形態としては金属ゼット噴流の錐揉みで潜水艦の鋼板に穴を開け致命的ダメージを与える成形炸薬弾頭を、また最新の音響・管制技術による高いホーミング性能をそれぞれ確保することで高性能原子力潜水艦に対抗できる対潜用短魚雷の実現に漕ぎ着けました。

 魚雷技術の秘匿性から一概な比較は避けなければなりませんが、我が国初のこの純国産短魚雷の能力は先進国海軍の同世代のものに十分比肩し得るものと推察しています。




長魚雷の変遷!

 海自において米国供与艦から国産の護衛艦(DD)に替わる昭和30年代前半頃までは、ASWの重要性を認識しながらも対潜用短魚雷の取得がままならず、護衛艦、魚雷艇あるいは潜水艦に長魚雷を搭載し、対水上艦と対潜水艦攻撃を兼用する方法が採られるなど、長魚雷と短魚雷二分化の過渡期にありました。

 この時期の長魚雷は、戦前の直進魚雷技術に米国から導入された音響パッシブホーミング技術を適用した極めて中途半端な形態だったことから、必然的に護衛艦の長魚雷は対潜用短魚雷に、魚雷艇の長魚雷はミサイル艇のハープーン対艦ミサイルに順次取って代わられる運命を辿りました。

 その結果、長魚雷は潜水艦固有の水中攻撃武器としての発展を遂げることとなります。

 その長魚雷の先駆は、1980年(昭和55年)に装備化された「80式魚雷」です。

 この魚雷は動力として電池を搭載していることから、必ずしも十分な速力、航続距離は確保できなかったものの、有線誘導(ワイヤーガイダンス)機能を備えた最初の潜水艦用長魚雷でした。

 有線誘導とは潜水艦と発射した魚雷間をワイヤーでつなぎ、必要な情報を相互にやり取りする魚雷誘導形態の1つです。

 例えば、潜水艦は狙った目標の近傍まで発射した魚雷を誘導し、魚雷が自分のシーカー(音響センサー)で目標をつかんだ段階でワイヤーを切断、以後魚雷は自らのホーミング機能で目標に突っ込みます。

 有線誘導機能の適用は、狙った目標を確実に攻撃できる、あるいは目標の回避・欺瞞行動(TCM)を見破るなど、潜水艦用長魚雷にとっては画期的なものでありました。

 この魚雷の開発には10年の歳月を要しましたが、我が国の潜水艦用長魚雷にとっては戦前の「九一式魚雷」の出現に匹敵するものでありました。

 そしてその技術の延長線上に、動力装置をオットー・フューエル・エンジンに換え高速性と射程の延伸化を達成した現用の「89式魚雷」(昭和64年)の出現を見、このことは戦前の「九三式魚雷」の取得に相当する快事となりました。

 これら高性能潜水艦用長魚雷の出現は、「1発で撃沈!」「狙った獲物を確実に仕とめる!」「発射母体の安全!」「攻撃の隠密性!」など魚雷の宿命の解決を見事に果たし、海自潜水艦を水上艦船攻撃の主役としてASW時代へ送り出す契機となりました。

TCMとTCCMの相克!

 魚雷の進歩は必然的に水上艦艇や潜水艦の対抗手段の進歩を促します。これが魚雷防禦策(TCM)で、戦前の魚雷防禦網や直進魚雷に対する魚雷回避運動もその一環としてとらえられます。

 既述した通り、現今の魚雷は音響による高度のホーミング機能を有することから、必然的に音響による欺瞞や妨害がTCMの主体を構成します。

 欺瞞手段として、パッシブでは目標の出す音に類似したものを、アクティブでは目標の反響音に類似したものをそれぞれ発音する自走式デコイ(MOD:Mobile Decoy)を投射し魚雷をそちらに誘引する手法が一般的です。

 妨害手段としては法外な大音量を出すことで魚雷に一時的な聴覚障害を引き起こす投射型静止式ジャマー(FAJ:Floating Acoustic Jammer)手法が採られます。

 これに対し魚雷ではTCCM(Torpedo Counter-Counter Measure)機能を保有し、相手の欺瞞手段の看破、目くらまし回避運動などの対抗手段を駆使し魚雷攻撃の有効性の維持に努めます。

 このようにTCMとTCCMの相克は、魚雷という水中攻撃武器が存在する限り果てしなく続くこととなります。

 一方、我が国を含め先進各国では、前述のソフトキルによるTCMに加え魚雷を物理的に破壊するハードキル手法の開発が進められております。

 その1つに魚雷を魚雷で破壊するATT(Anti-Torpedo Torpedo)、あるいは近距離に迫った魚雷を小型爆雷を多数投下することでその破壊を狙う対魚雷用爆雷構想などがあります。

 一部にこの種ハードキルの出現により、TCMとTCCMの相克状態は終焉に向かうと言われていますが、ATTへの新たな妨害手段や対魚雷用爆雷への回避手段がいずれ考案され、両者の相克は依然として継続されるものと筆者は見ています。

4.現代戦における魚雷の存在意義と将来展望
 この時期に魚雷を語る者として、先般の「北朝鮮によると思われる韓国哨戒艦への魚雷襲撃事件」を避けて通ることはできないでしょう。

 この事例を現代戦におけるASWの典型例と見るには少々無理がありますが、潜水艦による魚雷攻撃の特性をよく現しているので、少しく言及しておきます。

 新聞報道等によりますと、魚雷発射母体は小型潜水艇で、魚雷は旧ソ連製または中国製を改良したパッシブホーミング魚雷と見られています。魚雷は哨戒艦のほぼ中央部に正確に命中していることから、数百メートルの至近距離から潜望鏡により狙い撃ちしたものと推察できます。

 哨戒艦側に少々油断があったものと思われますが、そのことを差し引いても、隠密裏の攻撃で、排水量で1000トンを超える正規の軍艦を、1発の魚雷で撃沈に至らしめたことに魚雷攻撃の神髄を見ることができます。

 しかも、その炸薬量は我が国魚雷の同程度以下と推察され、そこに魚雷という攻撃武器の凄まじさを見て取れます。

 また、北朝鮮という特異国家の行為とはいえ、魚雷が戦時・平時を問わず使用できる武器であることを暗示したことは、国際社会に対し安全保障上極めて大きなインパクトを与えたものと思われます。

 現在、世界には400隻弱の潜水艦があり、その内二百数十隻は太平洋域に存在すると言われております。特に発展途上国が先を争って潜水艦取得に動いており、このことはその目的が何であれ、海上航通路(シーレーン)の安全使用などに少なからぬ影を落とし始めています。

 これらのことを念頭に置き、以下、現代戦における魚雷の存在意義とその将来展望について考察してみます。


(1)魚雷の存在意義

 近代海軍の海上戦闘では長くその主役を砲(GUN)が担い、大艦巨砲主義の思想がそれを支配してきたことはよく知られるところです。それが大型空母の出現によりその主役の座を航空機に譲らざるを得ず、大艦巨砲主義の古い体質が非難の的となったこともまた周知のところでしょう。

 しかし、現代の海上戦闘で本当に大艦巨砲主義は捨て去られているのでしょうか?

 筆者には到底そのようには見えません。砲弾はより遠距離でより精度よく目標に命中する対艦ミサイルに、あるいはロケット砲弾に、さらには近い将来の電磁砲(レールガン)などにその姿を変え、相変わらず海上戦闘の主役を務めようとしております。

 少し乱暴な言い方が許されるならば、艦載航空機でさえミサイルキャリアーとしてその一翼を担っていると言っても過言ではありません。これらは長らく空中攻撃武器であり、それは砲弾の発展型以外の何物でもありません。

 かかる観点からすると、まさに現代戦においても大艦巨砲主義の思想は見事に生き残っているわけです。

 では、水中攻撃武器である魚雷は現代戦にどのように生き残っていくのでしょうか?

 既述した通り、魚雷は生まれた時から大きな宿命を背負わされ、砲弾のようにドラスティックな形態変化を果たし得ない極めて不器用な攻撃武器であります。

 しかし潜水艦というビークルの出現で一躍脚光を浴び、ASW戦の世界では間違いなく主役の座を射止めました。それは潜水艦に水上艦船攻撃用ミサイル(USM:Underwater to Surface Missile)が装備化されても、決してその座を譲らなかったことに象徴されています。

 USMは確かに遠距離から精度よく目標の攻撃はできるものの、水上部隊にUSMの空中への立ち上がりを発見され、それが発射母体である潜水艦位置の暴露につながるからです。

 既述した通り、現代戦においては戦時・平時を問わず益々潜水艦の存在が重要視され、分けても海上戦闘では艦隊決戦(大鑑巨砲主義)の生起が限定され、「艦隊(水上部隊)対潜水艦」いわゆるASW戦がその主流となることから、まさに長魚雷(潜水艦)と短魚雷(水上艦)とがその戦闘の主役を演ずることとなります。

(2)魚雷の将来展望

 とはいえ、先天的に形態変化の乏しい魚雷に砲弾のような大向こうを唸らせる派手な展開はとても望み得ません。魚雷という水中攻撃武器は、今後とも見えない所に最先端技術や名人上手の技を取り込みながらも、地味で地道な発展を遂げていくものと予測しています。

 筆者は魚雷を見るたびに、よく古代魚のシーラカンスを思い起こします。そこには、原形は変えないものの環境の変化に応じて徐々に機能変革を果たし、現代にまで生き残った健気さと図太さを見ます。

 これが魚雷の生き様に重なるのです。そして、そこにこそ魚雷が現代戦に生き残る術と発展の方向性を見出します。この種観点から筆者なりの魚雷の将来展望を述べてみましょう。

 潜水艦が魚雷発射位置にとどまり有線誘導を行う現在の長魚雷形態は、潜水艦の行動の自由度を束縛し、その残存性(安全性)を大きく阻害する要因となっていくものと推察されます。

 このため、今後は打ちっ放しの魚雷方式へ展開していくものと予測され、長魚雷のUUV(Unmanned Underwater Vehicle)化が推し進められるとともに、目標近接時の隠密性と目標へ突っ込む時の高速性を両立させるための推進方式が検討されていくものと考えられます。

 対潜用短魚雷は既に究極に近い能力レベルにあり、潜水艦にドラスティックな機能変革が起きるか、運用者側からとんでもない機能要求が生じない限り大きな展開はないだろうと見ています。

 いずれにしても魚雷の世界はまさに水物です。今後の展開予測は、「当たるも八卦! 当たらぬも八卦!」の領域です。

 しかしながら魚雷に携わる者としては、古代魚シーラカンスが長い時間をかけて遅々たるといえども確実な発展を遂げていることをお手本とし、健気で図太い魚雷の実現に、今後とも“地道に! そして、前へ!”の精神で確実に歩を進めたいと考えています。

対潜哨戒機
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%A8%E6%88%92%E6%A9%9F

まもなく登場する固定翼哨戒機「P-1」は世界最高性能!

2010.11.12(Fri)JBプレス 高橋亨

 海上自衛隊の固定翼哨戒機「P3-C」は、現在、ソマリア沖海賊対処行動に派遣されており、海自搭乗員の誠実な働きぶりと相まってその有用性は国際的にも高く評価されている。

来年実戦配備される予定の次期固定翼哨戒機「P-1」!

 もちろん、このP-3Cが我が国周辺における本来の海上防衛力としても重要な存在となっていることは言うまでもない。

 防衛省では、このP-3Cの耐用命数が近づき、減勢が始まることから後継機の研究開発を行なっており、現在は開発の最終段階に当たる試験評価が行なわれている。

 後継機は、2機が試作機として製造され、「XP-1」と呼称されているが、平成23(2011)年度末に試験評価を終えた暁には「P-1」として第一線部隊に配備される予定となっている。

 本稿では、海自における固定翼対潜哨戒機の変遷、その中でも最もエポックメイキングなP-3C導入の経緯と意義、その後継機の国内開発の背景、そして最後に、次世代を背負うことになるP-1への期待と課題について述べてみたい。

1 海自固定翼対潜哨戒機の変遷!

題に入る前に海自における固定翼対潜哨戒機の主力機の変遷について概観したい。

 海自における歴史は、米海軍から譲与された艦上機「TBM(アベンジャー)」に始まる。その後、「S2F-1」、「PV-2」、「P2V-7」、「P-2J」、「P-3C」へと進み、そして現在試験中のP-1へと変遷してきた。

 この中で、多発機(4発エンジン搭載)の嚆矢となったのがP2V-7であるが、海自の草創期の昭和30(1955)年から40(1965)年にかけて16機が米国から供与(貸与)され、その後、ライセンス国産された42機が各部隊に配備された。

 それに続くP-2Jは、このP2V-7をベースにして我が国で改造開発したもので昭和40(1965)年から53(1978)年にかけて83機が製造された。

 当初、P-2Jは国産による本格的な対潜哨戒機「PX-L」までのつなぎとして、60機程度が製造される計画であったが、PX-L計画が立ち消えになったため、後継機が取得されるまでの間、83機という多数の製造が続いた。


それぞれの機は、当時、主たる任務が対潜水艦戦であったことから対潜哨戒機と呼ばれ、この時代の主力機として我が国の海上防衛に極めて重要な役割を果たした。

 ただ、これらの対潜哨戒機は各種装備機器をインテグレイトした、いわゆるシステム機ではなく、搭乗員に多大の負担を強いる、いわばノンシステム機であった。

 このため、P-2Jの時代の後半には、対象潜水艦の高性能化への対応策としても、システム化を求める声が高まった。

 P-2Jの後継機選定に際し政府は、当初、国内開発の方針を採ったことから、我が国航空産業界は国内開発に強い意気込みが示した。

 しかし、防衛予算の圧縮と米国機採用の圧力を受けたことで国内開発の方針は政治判断により撤回され、昭和52(1977)年に米海軍対潜哨戒機P-3Cのライセンス生産が決定した。

 この決定には政治判断のほか、技術的見地からも、システム機の頭脳とも言うべきソフトウエアの作成が、当時の我が国の技術力では非常に困難と判断されたということもあり、それが大きな要因となったと考えられる。

 P-3Cは、01~03号機が米国から直接輸入され、米国本土で機種転換訓練を受けた海自搭乗員の手により、昭和56(1981)年12月、米国フロリダ州ジャクソンビルから海自厚木基地へフェリーされた。

 一方、これにさかのぼる昭和53(1978)年から、川崎重工業でライセンス国産初号機となる04号機の製造が開始され、爾来、今日までの間に、ライセンス生産により101機が製造された。

 加えて、P-3Cの派生機である電子情報収集機「EP-3」が5機および多用途機「UP-3C」が1機製造され、日本は世界中に16カ国あるP-3C保有国中、米国に次ぐ機数を有し、その運用能力の高さも世界で広く評価されることとなった。

 なお、平成8(1996)年以降、P-3Cの任務が対潜水艦戦のみならず対水上艦戦、地上作戦支援など幅広い分野に及ぶようになったことから対潜と言う文字が除かれ、単に「哨戒機」と呼称されることとなった。

2 P-3C導入とその意義!

 米海軍は、P2V-7の後継機として1962年に「P-3A」を就役させ、次いで同機のエンジンを性能向上させた「P-3B」を、そして1969年にはP-3A・Bとは全く異なるコンセプトの下、P-3Cをシステム機として開発した。

 そしてその以後もA-NEW計画としてP-3C近代化研究が進められ、「P-3C UPDATE-Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」として段階的に能力向上が図られた。

海自は、当時の最新型であったP-3C UPDATE-Ⅱをベースにして日本向けに要所を変更したタイプのものを導入した。

 日本が、P-3Cを導入した意義は極めて大きく、海自に対してはもちろんのこと防衛産業界も含めて以下のような強いインパクトを与えた。

(1)海自航空部隊に新たな能力と活力をもたらした!

 P-2Jの時代が長く続いたため、対象潜水艦との相対的な能力低下が生じ、ある種の閉塞感を抱いていた海自航空部隊の作戦遂行能力は一挙に数段階上のレベルに達した。

 また、システム機の導入により、システムエンジニアリングの重要性が認識され、海自航空部隊が自らの力で当該要員の育成に取り組むようになった。

 これにより、システム開発に際して、制服組が運用者としての適切な要求を明示し、かつ試験評価においても所要の役割を遂行できる態勢が構築された。このことは、今日に至るまで連綿として維持されており、海自航空部隊の実力の源となっている。

(2)後方支援面での革新がなされた!

 「ILS」(Integrated Logistics Support:総合後方支援)という概念が導入され、定着した。

 「ILS」とは、後方の諸機能を総合的に組み合わせ、ライフサイクル全般を通じて有効かつ経済的にサポートするという概念である。

 この概念に基づき、各種の後方支援計画の策定は開発の当初からスタートし、その廃棄に至るまでのライフサイクルコストの低減のため、航空機開発と一体となって平行的に実施されるものである。

 このような「ILS」が、今日の新規航空機開発における後方支援を検討する際の基本的な手法にまで定着したことは、P-3C導入の大きな成果であると言える。


(3)国内防衛産業界の技術力の向上が図られた

 P-3C導入により国内開発の機会は逸したものの、ライセンス生産を行ったことは、米海軍が長期間にわたり、膨大なマンパワーと資金を投じて研究開発した最新のテクノロジーとその背景となっている貴重なフィールドデータに接する好機となった。

 しかしながら、その一方で見逃せない大事な点がある。

 それは、ライセンス生産では、米国からリリースされない部分があり、その中身・内容が全く不明なブラックボックスが存在することから、ライセンス生産のみを永く続けることは、いずれは真の技術力の向上に対する限界を迎えることになるという点である。

 P-3C導入で、一挙に一段階のステージアップを図ることができたが、次の段階としては、これを基にして、自力による努力を傾注しなければならないということである。

3 次期固定翼哨戒機開発の必要性!

 平成7(2005)年12月15日閣議決定された中期防衛力整備計画(平成8年度~平成12年度)に「固定翼哨戒機(P-3C)の後継機に関し、検討の上、必要な措置を講ずる」という文言が記載された。

 これは、現用P-3Cが耐用命数の関係から、平成20(2008)年度以降、逐次除籍を迎えるに伴い、平成23(2011)年には「08防衛大綱」で定められた作戦所要機数80機を割り込む見込みとなったことから後継機が必要と判断されたことによる。

 その際、世界に広く現存する後継機候補となる固定翼哨戒機や開発中および今後計画されている開発予定機について比較検討が行なわれたが、我が国の国情その他を勘案し、最終的に国内開発の道が選定された。

本来、国を守るための装備品は、自国の地政学的条件、国際安全保障環境下における位置づけなどを踏まえ、国家としての防衛戦略の枠組みを定め、その中で個々の装備品の役割を求め、それを受けて研究開発に進んでいくのが本筋である。

 カナダを例に取ると、カナダは米国に隣接し極めて緊密な関係を持つ国であるが、それにもかかわらずP-3Cをそのまま導入せず、独自の戦略環境、運用構想等から「CP-140オーロラ」(P-3Cの機体にカナダ独自の対潜システムを装備)というユニークな哨戒機を開発した。

このように、防衛装備品は自国で製造し、維持整備をするのが基本であり、今回のP-3C後継機の国内開発という選択は、至当であったと考える。

 一方、開発の形態について国際的な動向を見ると、近年の軍事技術のハイテク化、装備品の高価格化が進む中、自国のみで開発を行うことが困難になっていることから、近年では、自国のみによる開発から国際共同による開発へと、明らかな転換が見られる。

 しかしながら我が国では、「武器輸出三原則」により共同開発ができないという(自制的な)制約が存在している。

 この状態を放置したままでは、世界の軍事技術分野で独り取り残されていくことは火を見るよりも明らかであり、早急に「武器輸出三原則」を見直し、国際共同開発に参画できる態勢に移行すべきである。

 P-3Cは、本来、米国が保有している戦略的インフラの枠組みの中の1ユニットとして位置づけられているもので、ほかの各種の戦略的センサーなどとの組み合わせで運用されるものである。

 つまり、戦略的センサーが探知した目標に対して攻撃武器を抱いて出撃をするという、いわば再探知攻撃ビークルとして開発されたものである。

 従って、センサーなどの能力および運用環境を十分に念頭において航空機自体の機能、性能が導き出され開発されたという経緯がある。

 我が国の次期固定翼哨戒機においても、これと同様の観点に立脚しつつ、日本独自の安全保障環境上必要な機能、性能を満たすものでなければならないことは言うまでもない。

 上記は運用上の必要性からの観点であるが、もう1つの観点として、防衛技術基盤および生産基盤の維持育成という側面について考慮しなければならない。現在運用中のP-3Cも外国からの導入機の宿命ともいうべき問題に直面している。

 それは、様々な部品が米国内で製造中止などになっていることによるもので、その影響は大きく、特に、ブラックボックスとして導入した機器については、国内での代替部品の製造という方策も取れず、極めて深刻な問題となりつつある。

国家危急の事態で運用される防衛装備品の稼動の可否を他国の事情で左右されることは本来的にあってはならないものである。

 また、高度にシステム化された航空機および搭載装備機器の製造は一朝一夕にできるものではなく、その製造技術力は、新規航空機の自力による研究開発によって、効率的にかつ着実に維持、継承されるものであるということも忘れてはならない。

 さらには、大型機の開発に関わる企業は、機体、電機および部品メーカー、中小下請まで2000数百社にも及ぶと言われ、その裾野は広い。

 このような国内航空機関連産業基盤の維持は継戦能力の確保とともに、我が国経済の活性化にも大いに寄与できるものである。ここに次期固定翼哨戒機の国内開発の大きな意義を見出すことができる。

4 P-1開発への取り組み!

(1)開発の狙い

平成13(2001)年度、次期固定翼哨戒機の開発にかかる予算が認められ開発試作が始められた。

 本開発の狙いの第1は、我が国の安全保障環境を十二分に検討して策定された運用要求の実現である。

 すなわち国内開発をするのであるから、我が国の置かれた安全保障環境に適切に対応し、警戒監視、作戦遂行に必要な機能、性能を効果的かつ効率的に備えた哨戒機とすべく開発しなければならない。

 狙いの第2は、RMA(Revolution in Military Affairs:軍事における革命)を踏まえた最新のIT技術の適用である。

 次期固定翼哨戒機が運用される年代においては、今日以上に複雑な作戦環境の下で、哨戒機と地上司令部が一体となって作戦を遂行することが不可欠である。

 このため、NCW(Network Centric Warfare)の中核となるべきビークルを玉成するという認識を持って開発がなされてきた。

このような視点での取り組みは、ITの最先端を行く米海軍とのインターオペラビリティー(相互運用性)確保のためにも重要視されてきた。

 狙いの第3は、運用環境の変化に対応できる柔軟性と拡張性を有するシステム構成にすることである。

 すなわち、当然のことながら、システム機は生き物のごとく進化させるところがその一大眼目であり、運用開始後に生じる新たな脅威に対して適時適切に対応すべく、一部または全部のアップデートをしていくことを開発時点から織り込んでおくことが必要だからである。

 狙い第4は、トータルライフサイクルコストの低減である。このため開発段階から運用、後方、教育が三位一体となってバランスの取れた無駄のない開発が行われてきた。すなわち、ILSの概念に沿った手法で開発が行われてきたと言える。

(2)開発態勢!

 今回のような大規模開発においては、官・民の開発態勢をいかにして「顔の見える形」にするかということ、すなわち、官・民の所掌範囲と責任の所在を明確化しておくことが極めて重要である。

 このような観点から見れば、官は、全般的な開発管理と試験評価に関わる事項に強力な主導性を発揮するとともにこれに厳正に対処してきたと言える。

 一方、民側の態勢については、プライム社をヘッドに関連会社をいかに連携させるかがポイントであり、今回は、機体メーカーのリーダーシップの下、一元的かつ円滑な開発作業が行われてきたと思う。

 次期固定翼哨戒機の研究開発は「我が国益を増進する一大国家プロジェクト」であり、我が国の科学・技術の総力を結集したまさにオールジャパン態勢で臨んできた。

 こうした背景には昭和47(1972)年の国産対潜哨戒機PX-Lの白紙還元という事案を通じて得られた貴重な教訓があり、また約20年前から防衛庁(現防衛省)技術研究本部を中心に取り組んできた広範囲にわたる次期固定翼哨戒機に関わる研究試作の成果があった。

 まさに、当時、P-3Cが導入されたことによって国内開発ができなかった悔しさをバネにした強い意気込みの現われでもあった。


また、本研究開発に当たっては、第51航空隊はじめ海上自衛隊の研究開発関連部隊が主体となって取り組んできたことは当然のことであるが、将来、本哨戒機を運用する第一線部隊の隊員が適宜、開発状況をモニターし、真摯にユーザーニーズの実現を追求してきたことを指摘しなければならない。

 一般に、長期間にわたる開発においては、途中でユーザーの新たな発想、いわゆる「後知恵」が出てくることが多々生起し、これらに対する処置が開発上の1つの課題となる。

 しかし今回は、比較的スムーズに推移したと言える。

 それは、開発主体側がこれらユーザーニーズの取り込みに関わるフリーズ時機を適切に決定し、ユーザー側もそれを理解しこれを是とするということが行なわれ、このことが文化として浸透している状況があったからであり、この点は特筆することができる。

 この段階で取り込めなかった要求事項は運用開始後の更新計画として明記しつつ開発がなされてきたのであるが、以上のような文化はP-3Cの導入とともに海自航空部隊が学び取り自家薬籠中のものとしたのであり、前述したP-3C導入の意義に追加すべきことでもある。

(3)日米のインターオペラビリティー(相互運用性)の確保

 米海軍は、P-3Cの後継機として民間機「B-737」をベースとした「P-8Aポセイドン」を開発している。双方の後継機開発に際しては、日米のインターオペラビリティーを確保することが公式文書で合意されている。

 2002年(平成14年)3月のP-1機体設計と同時に、日米のインターオペラビリティーを確保するため、両国による「P-3C後継機の電子機器に関する共同研究」が開始され、2005年(平成17年)3月まで続けられた。

この研究成果はP-1と米海軍のP-3C後継機P-8Aにも反映され、これまでと同等の日米共同作戦を行うことができるよう配慮された。 

 正式な共同研究終了後も各種会議等の場で開発担当者間の緊密な調整が継続され今日に至っている。

 日米でP-3Cが運用される間は、同じ機体・搭載電子機器、同じ運用法であったことから、それを共通の基盤として緊密な連携と信頼関係を保持できた。

 しかし、次期固定翼哨戒機の時代においては、センサーなど個々の機器の整合性の保持を追求するのではなく、NCW環境下での情報の共有化や情報の質の維持、すなわち共同作戦に必須なコモンピクチャーの共有などオペレーショナルなレベルでのインターオペラビリティーの確保を重視することが必要と考えられている。

5 P-1への期待と課題
(1)P-1への期待

 平成12(2000)年12月、「P-X(海自次期哨戒機)」と「C-X(空自次期輸送機)」の同時試作」予算が政府原案として認められた。

 その日は、昭和56(1981)年12月、真新しい日の丸を付けたP-3C3機が海自厚木基地に着陸した日からちょうど20年の歳月が流れていた。

 この日は、筆者がP-3C導入基幹要員として米国で訓練中、思い描いていたことが、まさに現実となった日となった。筆者は、平成8(1996)年、防衛庁海上幕僚監部勤務時、「次期哨戒機開発検討委員会」の立ち上げおよび正式な次期哨戒機構想研究に関与した。

 同年秋には米国へ渡り、初めて公式の場で海自の次期固定翼哨戒機に関する計画を発表した。その席上、米海軍からもP-3C後継機の計画が明らかにされた。

 我々は、真剣かつ誠心誠意、海自の計画を説明し、彼らの計画にも理解を示した。それまで海自の動向に強い関心を示しながらも、口火を切らない海自に、ある種の懐疑心を抱いていた米海軍が、この日を契機に胸襟を開き、以後、円滑な調整が可能となった。

 そして、次の年にもさらなる詳細な討議を重ね、両国が異なる哨戒機を保有することになっても、日米インターオペラビリティーは必ず保持するという固い合意がなされた。

 P-3Cの導入およびこれまでの共同作戦を通じて築き上げた両国の良好な関係は、いかなることがあっても消滅させてはならないとの双方の強い思いによるものであった。

 こうして、それ以降も、心配していた米国国務省・商務省などからの横槍も入らず国内開発までたどり着くことができた。

 このようにして、開発を開始してから既に10年が経過しようとしている。現在、厚木基地で行われている試験も佳境を迎え、このまま順調に行けば平成23(2011)年度末には第一線部隊へ配備され、徐々に除籍が進むP-3Cに置き換えられていくことになる。

 P-3C100機体制(08防衛大綱で80機体制に変更)から、性能向上が図られたP-1は、現時点では作戦哨戒機4個隊65機体制の整備が計画されている。

 ジェット化によって、P-3Cの弱点でもあった速度、飛行高度、ペイロードが大きく改善され、柔軟かつ効果的な運用が可能となり、我が国の先端技術を注入し、その機能、性能を格段に向上させた搭載装備機器と併せて、作戦遂行能力をさらに高めることとなった。

 これらにより、我が国本土周辺海上防衛および海上交通路防衛、ならびに平時からの警戒監視また、長期化が予想されるソマリア沖海賊対処など各種国際平和協力活動や大規模災害派遣、更には弾道ミサイル防衛など多方面での一層の活躍が期待される。

(2)P-1装備計画に関わる課題

 P-1装備計画は、先にも述べたように哨戒機4個隊65機体制整備を目標に、これまでに「17中期防」で4機(平成20年予算で4機、平成21年度予算では0機)および22年度予算で1機の計5機が予算化された。

 P-1の製造には4年を要することから、量産型初号機は平成23(2011)年度末に部隊配備が開始され、5機目は平成25(2013)年度末になる。

 現在、平成23年度予算として3機が概算要求中である。一方、現用のP-3Cは23年度から減勢数がP-1の増機よりも先行してしまうことから、23年度予算では1機の延命措置が要求されている。

 しかしながら、このような延命によるP-3Cの減勢管理が行われても平成35(2023)年頃にはP-3C80機の全機減勢が予測されており、現在のペースでは明らかに対応しきれない状況となるため、これに対する長期的な整備構想が必要である。

 すなわち、P-3C減勢の穴を埋め、P-1によって所要の哨戒能力を維持するためには年間4~6機程度の予算取得ペースを確保することが必要であり、このためには次期中期防(平成23年度から27年度)では20機以上の整備が必要となろう。

 防衛技術開発力は、我が国安全保障上の抑止力とも言えるものであるから、P-1を誕生させた我が国の防衛技術開発力を維持、発展させるという面からも上記のペースが必要不可欠である。

 このことは、現下の財政事情及び防衛予算を鑑みた時、かなり厳しいものであることは十分認識している。

 しかし、2010年代の安全保障環境、特に中国の海軍力とりわけ潜水艦戦力の目覚しい増強ぶりに対応するため、また、開発に際してそこに結集された我が国の科学技術の粋を我が国力として蓄積保持する意義を踏まえれば、P-1の増備を図り、新戦力として早期に部隊配備することが必要不可欠である。

 本年末にも決定されると言われている防衛計画の大綱および次期中期防には、是非ともP-1装備の重要性を踏まえた適正な整備機数の明記が強く望まれるところである。

おわりに
 固定翼哨戒機の国内開発は海上自衛隊航空部隊および日本の航空産業界の長年の夢であり希望であった。周辺関連技術の調査研究および研究試作を含めると約20年にも及ぶ期間を要してP-1は開発されてきた。

 P-1は新規に設計された機体にこれも新規設計のターボファンエンジンを4発装備し、さらには、搭載するアビオニクスもこれまでのノウハウと最新の技術を織り込んだものにするという、まさに国家の英知を結集した、他に類例のない哨戒機である。

 P-1は、これまで長年培ってきた多くの優秀な搭乗員の手によって、我が国周辺海域における海上防衛の任を十二分に果たすことはもとより、日米共同による様々な作戦活動等、あるいは国際的な諸活動へも柔軟かつ適切に対応することができる。

 特に、昨今の中国海軍の目覚しい台頭、とりわけ中国海軍潜水艦隊の著しい増勢は、我が国および同盟国たる米国の安全保障上の喫緊の課題となっているが、その課題の解となるのがP-1哨戒機部隊であると言えよう。

 かつて、冷戦時代にあの強大なソビエト極東艦隊潜水艦部隊に、日米共同の主体となって対峙し、甚大なものではなかったものの、ついにはソ連崩壊に至らしめるその一端を担ったのは、ほかでもない1項で紹介したP-2J哨戒機部隊とP-3C哨戒機部隊であったと言われている。

 さらに時代を遡って、大東亜戦争末期の我が国の情勢を想起すれば、東シナ海を含む日本周辺海域は、今まさに、当時、米国の潜水艦による通商破壊戦によってもたらされたあの過酷な情勢の再来を迎えようとしているのではないだろうか。

我が国の生存と繁栄が、いつに海上交通路の確保にかかっていることは論を待たず、現に今脅かされ始めた海洋の安全を真剣に考えなければならない瀬戸際に我々は立っていると言えよう。

 我が国では、現在、財政が逼迫し国内にも様々な問題が山積していることは十分に理解しているが、今ここで優先して取り組むべきは我が国周辺海域に迫り来る安全保障の問題ではないかと考える。

 国家予算の適正な「選択と集中」が必要であり、とりわけP-1哨戒機部隊の整備促進が望まれる。

参考文献
1「世界の艦船」 2008.10 NO.696
2「軍事研究」  2010.1
3「誰も語らなかった防衛産業」 桜林 美佐 並木書房
4「防衛通信 新聞版」2010.9.1 第12656号
5「WING」紙 2002.5.29 週刊 2282号

16大綱のあと、国際情勢は大きく動いた!

 現在の16大綱(注:「16」は平成16年の意)、すなわち「平成17年度以降に係る防衛計画の大綱」は、2001年9月11日の「米国同時多発テロ事件」以降の急変した国際情勢を背景に政府が閣議決定した。国際テロ組織などの非国家主体が、世界の安全保障態勢に対する重大な脅威となった。アフガニスンやイラクにおいては、宗教や民族などの要素も密接に絡んだ、解決の糸口がみつからない紛争が多発している。

 また弾道ミサイルや大量破壊兵器の拡散、北朝鮮の核実験など、新たな課題への対応が求められるようになった。加えて、環境破壊による地球温暖化現象・異常気象や大規模災害・地震多発、東南アジアや中東地域における海賊の跋扈(ばっこ)、新型インフルエンザをはじめとするパンデミック(全世界的流行病)など、より身近に脅威や不安定要素を実感するようになった。

 中国の急激な経済成長は、同時並行的に軍事力の増大・近代化を促進した。その結果、海洋権益に対する積極的な挑戦が近隣諸国に不安を与えている。

 さらに、一極支配を維持してきた米国はイラクやアフガン紛争に足を取られ、世界への影響力を相対的に減衰させている。財政事情の悪化がそれに拍車をかけている。

 ロシア、インド、ブラジルなどの経済的・軍事的な国力増大は世界を多極化に向かって進展させている。

 このように最近の東アジア・西太平洋情勢は複雑さと先行きの不透明さがいっそう加速している。特に中国の覇権拡大はこの地域の安全保障に大きく影響し、当面この傾向は継続するであろう。


富国強軍を推し進める中国軍!

 中国の軍事力の脅威について、日本・東京よりも地球の反対側に位置する米国・ワシントンの方がはるかに強い危機感を持ってとらえている。軍事情報の多くを米国に依存せざるを得ない日本が、“二番煎じ”に甘んじなければならない現実の結果であろう。日本国民には、台湾海峡、南シナ海、東シナ海、インド洋など、わが国にかかわる地域海域の軍事情勢が「遠い所」の問題としてしか映っていない。

 中国軍の増強近代化は、改革開放政策による経済成長に伴って急速に進んでいる。最近では、経済の伸びよりもはるかに高い軍事費の伸び率を示していると言われている(平成22年防衛白書)。特に、宇宙、空軍、海軍、ミサイル、サイバー戦などの能力は、2005年以降に急速に充実してきた。中国は、「富国強軍」の国家目標を堅持しており、2007年10月の中国共産党大会で胡錦濤主席が改めて確認した。


第2列島線から米海軍を締め出す戦略を遂行!

 中国は「軍事力の及ぶ範囲まで防衛する」という軍事ドクトリンを持っていると言われている。21世紀に入って「近海防衛戦略から外洋積極防衛戦略」に転換した。既に、いわゆる第1列島線(日本列島・沖縄・台湾・フイリピンを結ぶ線)以内の黄海・東シナ海・台湾周辺海域・南シナ海の防衛区域を固めている。これに続けて、第2列島線(小笠原列島・マリアナ諸島・南太平洋を結ぶ線)までの西太平洋において米空母機動部隊などの近接を阻止するとともに、同海域の海上優勢および航空優勢を確保する戦略を立て、態勢を確立しようとしている。

 海軍を例に取ると、中国の第2世代の戦略原子力潜水艦である「晋」級は、2010年以降5年間に5隻が就役する見込みである。晋級は弾道ミサイルの発射装置を持つ。「商」級の原子力潜水艦も2006年以降戦列に就く予定だ。「元」級、「宋」級、および「キロ」級の在来型潜水艦に対しても静粛性などの戦術能力の近代化を進めており、2004年以降、就役艦数が急速に増えている。

 最新の「旅州」級ミサイル駆逐艦は2006年に1番艦「瀋陽」が就役した。「旅洋」級イージスミサイル駆逐艦と「ソブレメンヌイ」級ミサイル駆逐艦は、2004年以降、近代化システムを追加するとともに、数を増やしている。

 また、「江凱」型フリゲイト艦は新装(外観は旧型と同じであるがコンピューターや電子機器などを新しくしている)なって2008年に4隻が就役した。

 このように2000年以降、90年代までの旧式装備を整理。かつロシア技術から電子技術をはじめとする西欧技術に転換することで、新装備の艦船を集中豪雨的に増やしている。

南シナ海の権益確保を武力で確保!

 南シナ海は海上運輸のチョークポイントである。わが国にとってのみならず、中国、韓国、台湾、フイリピンのほか米国などの太平洋諸国にとって重要なシーレーンが通る。周辺には、中国、台湾、フイリピン、インドネシア、ブルネイ、マレーシア、ベトナムなどの国が島嶼と領域においてせめぎ合っている。1970年代にアジア極東経済委員会(ECAFE)が海底調査を実施して、豊富な石油埋蔵の可能性を発表して以来、これらの国々がこの海域の島嶼の領有を主張し競っている。

 1992年に米軍がフイリピンから撤退した直後から、南シナ海の混乱が表面化した。特に中国は、南シナ海の全域を囲い込む領域を軍事力を持って領有することを1992年の領海法(注:これは中国の国内法)で明記。最近は、南シナ海を「核心的利益」として、台湾、チベット新彊ウイグル地区と同等に位置づけ、強硬な姿勢を示している。

 ベトナム、マレーシア、インドネシアは、それぞれの領域での不法操業を理由に中国漁船を拿捕した。しかし、中国が軍艦を派遣し恫喝したために、釈放せざるを得なかった。中国は現在、海軍艦艇を南シナ海の哨戒に当てて、中国漁船に独占的に操業させている。


プーチンの大統領就任で復活したロシアの軍事力!

 ソ連崩壊後のロシア極東の軍事力はプーチンが大統領に就任するまで、財政難で兵士の給料が十分に支払われず、また装備の更新も修理もままならない状況だった。ウラジオストック港内で朽ち果てた原子力潜水艦の映像がテレビで放映されるなど、その活動そのものが休眠状態であった。

 しかしプーチンによる国家財政の立て直し、とりわけ石油・天然ガスの開発と価格高騰に助けられて経済が回復すると、ロシアの軍事力は復活した。中露国境の安定が定着すると、近代化された軍事力を行使して、周辺への影響力を積極的に顕在化させている。グルジア紛争やチェチェン紛争はその一例だ。最近では、日本周辺海空域における偵察行動も活発化させている。また、戦術核戦争を想定した大規模な軍事演習も極東で行っている。今年8月には北方領土を含む千島列島・オホーツク海・樺太でも演習を実施し、領土返還を求めるわが国に対して示威行為を強めている。


核とミサイルで大国を翻弄する北朝鮮!

 金正日の北朝鮮は、国民の生活をないがしろにしてまで軍事優先の政策を取ってきた。特に、核開発および弾道ミサイルを開発することにより、政治的には米中露韓および日本の5カ国を振り回している状態である。軍事を後ろ盾にした独裁国家の存在は、「不気味で何をしでかすか分からない」という脅威感を周辺国に与えている。

 大量破壊兵器の開発・生産と輸出によって、大国である米国を翻弄。韓国をはじめとする周辺国から経済的支援を獲得する外交手腕はしたたかで「暴発と混乱」を武器にしているとも言える。韓国海軍の哨戒艦「天安」撃沈事件は、国際的に大きな批難を浴びたものの結局は「不問」の形で収まりつつある。

 北朝鮮は、金正日主席の後継者に息子の金正恩を据えて注目が集まっている。後継問題は、朝鮮半島の将来に不安と混乱をもたらす。いずれ来るだろう体制崩壊によって大きな影響と負担を強いられるのは、韓国、中国および日本であることは間違いないであろう。


米国の軍事力は相対的に低下しつつある!

 米国は、依然として世界の大国であり、政治力、経済力、軍事力において絶大な影響力を持っている。中国の国力の成長が現在のペースで続いても、見通しできる将来において米国を越すことはできないだろう。

 しかし、冷戦構造が崩壊し、ソ連に勝利して一極支配を確立したのも束の間、多くの新興国の台頭、民族や宗教の対立を原因とする紛争要件が重なって、米国は新たな課題を突きつけられている。自由と民主主義を国是とする米国が世界に関与することは、次第に反発や抵抗を生んだ。それにいちいち対応してきた米国は、経済的にも軍事的にも疲労が蓄積している。

 9.11同時多発テロ事件以降の米国はその傾向が顕著だ。中国やインドをはじめとする「発展途上国」の追い上げと経済的・軍事的圧迫により、相対的に国力を低下させた。イラク戦争以来の紛争に関与・介入してきたため、その負担は米国の財政を大きく圧迫している。


世界中に軍隊を展開・配備しつつ、米国本土の防衛にも大きな力を割かなければならない状況は、米国にとって建国以来初めての経験である。今や米国は、同盟国の支援・協力を強く期待するまでになった。

 米国にとって、世界の安定、とりわけ中東および東アジアの安定と安全は重要である。米国としては台頭してきた中国経済への依存度を深めながらも、東アジア・西太平洋における覇権を求める中国の軍事力に対しては、断固とした対応を維持しなければならない。特に、自由と民主主義を共通の価値観とする同盟国の安全保障と立国条件である海洋の自由を確保するために、これからも強力な軍事力と海外基地の確保に固執するだろう。


中国がもたらすグローバルコモンズへの脅威!

 これまで、日本の周辺国が16大綱以降どのように動いてきたいか概観した。これからは、こうした動きが日本の安全保障にどのように影響するか、みていく。

 海洋、航空、宇宙、サイバー空間は、人類にとって共有の財産である。これらの公共財(グローバルコモンズ)に対して強い影響力を持とうと目論む脅威が現実化している。先に述べたように、西太平洋への関与来援に対して中国は、非対称な軍事戦略を持って第2列島線以西の軍事的優勢を確保しようとしている。日米同盟の下、共同作戦によって侵略を排除することを基本としているわが国にとって、これは大きな脅威である。国際的ルールが確立、または確立しようとしているグローバルコモンズの自由な利用と利益の共有が、例えば国連海洋法条約のEEZの権益を拡大解釈する中国のルールの下に置かれることになれば、わが国をはじめ多くの国が不利益を被ることになろう。

 既に南シナ海において、軍事力によって海域を一方的に占有している。同様の動きが、尖閣諸島に対する領有権の主張など、東シナ海にも及びつつある。

 宇宙においては、衛星破壊兵器の開発を進め、宇宙における軍事的優勢の獲得に手を伸ばしている。さらにサイバー戦の分野においては世界で主導的な能力を持ち、実際にわが国や米国に対してサイバー攻撃を実施したとされている。中国における米企業Googleに対するサイバー攻撃は、その実力の程を顕在化させたと言える。


南シナ海で成功した手法を東シナ海で展開!

 海洋における覇権を確立しようとする中国の目論見は、南シナ海で着実に成果を上げている。その手法を、東シナ海においても適用しつつある。すなわち、まず、1)多数の民間漁船によって不法操業を繰り返す。相手国が拿捕や取り締まりを実施すると、「漁業保護」を目的に軍艦を派遣する。2)島嶼の不法占拠。3)島嶼の領有宣言、4)漁業拠点のインフラ整備、5)軍事占領。こうしたステップを踏んで実効支配の実績を内外に示す。同時に、海洋資源・海底資源の調査・探査・採掘を行う。

 もともと日中間には領土問題は存在しなかった。だが、1969年に年アジア極東経済委員会(ECAFE)が東シナ海の石油、ガス埋蔵の可能性を発表すると、中国は尖閣諸島の領有を主張した。ちなみに台湾もこの時期に尖閣諸島の領有を主張し始めた。1978年10月?小平副主席副主席(当時)が訪日したときに提案した「尖閣問題棚上げ論」を、日本政府が明確に拒否できなかったことが今日の係争につながっている。

加えて今年の5月に鳩山由紀夫首相(当時)が「尖閣諸島の領有について未解決」という不用意な発言をしたことによって、中国を勢い付かせている。

 今日、尖閣諸島海域において160~250隻の中国漁船が不法操業していると報道されている。不法操業した中国漁船を海上保安庁が拿捕し、船長の身柄を拘束したことに対して中国政府の反発が激しいのは、中国共産党への不満や反発に沸く国内世論をかわす狙いもある。したがって、恫喝外交の性格を持っていると言えよう。そしてその恫喝に屈した形で船長を釈放した日本政府の外交に、国内はもとより日本に期待する東南アジア各国に落胆と不安を与えてしまった。同時に中国は、強圧に弱い日本を見下し、さらなる覇権を加速追求することになろう。

分岐点にある中国:責任あるステークホルダーか? 国際ルールの破壊者か?

 中国の資源およびエネルギー獲得のための世界戦略はしたたかさを増している。アフリカ、中東、中南米、オセアニアなどの資源・石油産出国との外交関係を緊密化させ開発支援を行っている。これらの資源の輸送を海運に全面的に頼らなければならない中国にとっても、シーレーンにおいて自由と安全と安定を確保することが望ましい。しかし現実は、シーレーンの通る沿岸国やホルムズ海峡、マラッカ海峡などの沿岸国の政情不安や治安悪化によって常に脅かされる脆弱性を持っている。

 このため中国は、自国のシーレーンを確固たるものにするために、インド洋沿岸国との関係醸成に努めており、「真珠の首飾り」と呼ばれる施策を進めている。パキスタン・スリランカ・バングラデイッシュ・ビルマ・南シナ海に資本を投下し、港湾を整備・確保する取り組みだ。このような広範囲の拠点は、中国がシーレーンの安全を安定的に確保するのに大きく寄与するだろう。これらの港湾拠点は、経済的支援からやがて中国軍艦などが進出する拠点になる。各国と政治的・軍事的な結びつきを強めることで、中国は米国と競合することになろう。

 中国はいま、分岐点にあると言われている。日米ともに期待する「責任あるステークホルダー」として国際ルールに順応して穏やかな競争社会を形成する一国になるのか? それとも、“中華帝国”を復興し中華モデルの強い影響力を行使する国家になるのか?

 後者の道を選択した中国は、わが国および欧米が中心となって発展させてきた国際的なルールとの対立を激しいものにしていくだろう。特に、台湾の統一に武力を行使する事態になった場合には、わが国の南西諸島およびその周辺海域が大きな影響を受けることは確実だ。日米同盟において日米両国間のへだたりが大きくなった場合には、尖閣諸島のみならず宮古島、石垣島などの先島諸島も中国による軍事的影響にさらされることが予想される。


北朝鮮はもちろん、韓国とロシアにも油断はできない!

 北朝鮮の軍事力増強は、何をするか意図が不明で、かつ同国が突発する性向であることが大きな脅威である。わが国は、日本海側の諸施設に対する拉致、テロやゲリコマなど工作活動や弾道ミサイル発射事案を既に経験している。核兵器の使用を含む恫喝外交は、65年間戦争の経験が無く繁栄を享受してきたわが国にとって、少なからぬ不安と混乱を与えている。

 韓国およびロシアとは、総じて緩やかな緊張状態のまま、今後も関係を継続するだろう。しかし、北方領土と竹島が不法占拠されたままの状態は、正常な関係とは言い難い。特に竹島は、何かにつけて韓国ナショナリズムの高揚につながり、対日意識が先鋭化する際の主たる材料になっている。

 北方領土についても、危険な事態が内在していると考えられる。今年9月2日に、ロシアが「対日戦勝記念日」の式典を開いた。これに伴い同国民の間では国防意識が高揚した。一部には、「日本軍が北進して北方領土を取り戻しに来る」と危機感を煽る動きもあった。


新しい脅威:テロ、パンデミック、海賊、大規模災害!

 国と国との間にある経済格差の拡大、民族・宗教の対立、地球温暖化、グローバル化などの影響は、テロやパンデミック(全世界的流行病)、大規模災害などの姿なき脅威が容易に国境を越える機会を多くしている。海賊の活動も、ソマリア沖アデン湾、ペルシャ湾、マラッカ海峡、南シナ海、と広域において多発している。その手段は蛮刀から高性能武器、情報ネットワークなどの高機能手段まで多様であり、その実態の把握もままならない。

 以上、国際情勢における今後10年間の概観を予測しきた。しかし、わが国の将来についての不安感・不透明感を拭うことはできない。かつて、中国の李鵬首相が「40年後には日本は無くなっているかもしれない」と発言したことが報じられた。中国をはじめとする周辺国が、軍事力を背景に厳しい国際情勢を生き残り、発展していこうとするパワーポリテイックスの世界にあることを考えると、新しい防衛計画の大綱は、単なる政治的ジャスチャーで終わらないでほしいものである。

参考資料
1 平成22年度防衛白書 (防衛省)
2 2009、2010海上保安レポート (海上保安庁)
3 新「防衛計画大綱」への期待 「軍事研究」2010年9月号
4 「中国の外洋艦隊!活発化する海外作戦の狙い」 「軍事研究」2010年8月号
5 「日の丸原潜を考える」 「世界の艦船」2010年2月号
6 「安全保障と防衛力に関する懇談会報告書」2009年8月
7 「新たな時代における日本の安全保障と防衛力の将来構想」2010年8月


古澤 忠彦(ふるさわ・ただひこ)
ユーラシア21研究所研究員。1964年防衛大学校を卒業後、海上自衛隊入隊。護衛艦艦長・隊司令、統合幕僚会議事務局長、舞鶴地方総監、横須賀地方総監を歴任、海将。1998年に退官。


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私は、魚沼産コシヒカリを水口の水が飲める最高の稲作最適環境条件で栽培をしています。経営方針は「魚沼産の生産農家直販(通販)サイト」No1を目指す、CO2を削減した高品質適正価格でのご提供です。
http://www.uonumakoshihikari.com/
魚沼コシヒカリ理想の稲作技術『CO2削減農法研究会』(勉強会)の設立計画!
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