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2011年1月 7日 18:28
「ロイヤルファミリー・革命3世代・先軍トロイカ・青年同盟」に注目!
【デイリーNK 金素烈記者】


2011年、北朝鮮関連で最も注目を集める話題は「金正恩」後継問題だ。

金正恩後継作業の初年度になる今年、金正日は金正恩を後押しする幹部に対する人選や内部検証に力を注ぐと見られる。 金正日は、まず昨年の党代表者会を通じて、これまで有名無実だった党中央委政治局と党中央軍事委の権威を外形的に復元した。

金正恩が李英鎬(リ・ヨンホ)と共に党中央軍事委副委員長の座につき、金永南(キム・ヨンナム)、金英春(キム・ヨンチュン)、全秉浩(チョン・ビョンホ)など元老級を政治局常任委員委員に選出した。また、崔竜海(チェ・リョンヘ)、文景徳(ムン・ギョンドク)、禹東則(ウ・ドンチュク)など実務エリートらを政治局候補委員に任命し、幹部らの新構造化、党・軍の配分を試みた。政治局候補委員の15人中7人は党書記などで、5人は党中央軍事委員だ。

◆信じるのは血縁だけ...張成沢と金慶喜(キム・ギョンヒ)を前面配置!

後継作業の序盤作業において、金正恩を後押しする勢力にはロイヤルファミリーグループと軍部が挙げられる。共通点は全てが「金正日の人々」だ。

まず、金正日の妹の金慶喜と彼女の夫である張成沢は、早々と金正恩の後見人となった人物だ。この夫婦が金正恩後継に反旗を翻す血縁的動機は希薄だ。唯一の娘のチャン・クムソンは2006年にフランスで自殺。張成沢の兄弟であるチャン・ソンギル・チャン・ソヌはすでに死亡した。

現在、金慶喜は人民軍「大将」で党政治局委員であり党軽工業部長を受け持っている。張成沢は党政治局候補委員、党行政府長、党中央軍事委員、国防委員会副委員長などに名前を連ねている。専門家たちは、張成沢が北朝鮮の二大公安機関の国家安全保衛部と人民保安部に対しても一定の掌握力を持っていると分析している。

ただし、金慶喜と張成沢は事実上、夫婦の関係は破綻しており、現在はただ「政略的関係」だけであるという点に注目する必要がある。金正日の死後でも、この夫婦が政治的同志として、共に進むことは可能なのかという疑問は残る。張成沢の個人指向も観察対象だ。昨年他界した黄長燁(ファン・ジャンヨプ)元労働党書記は生前「北朝鮮幹部の中では、張成沢は少しマシ」という評価をした。

張成沢は昨年、金正日の公開活動で最多随行記録(114回)を見せるなど、最側近としての道を歩んでいるが、中国側の人脈に強いという点と北朝鮮内部で従う人間が多いという点のから、常に「摂政の疑惑」というイメージがある。金正日が永らくアルコール中毒だった金慶喜を前面に押し出しているのも、張成沢に対する牽制の意味があるという分析も出てくる。

チョン・ソンジャン世宗研究所首席研究委員は「張成沢は金正恩の第1後見人であることに間違いない。張成沢に過度な力が傾くことを防ぐために金正日が金慶喜に力を与えた側面がある」と話した。金慶喜は北朝鮮内部で、唯一金正日に直言できる人物であることに加え、北朝鮮が今年に主戦事業だと明らかにした「軽工業」分野を受け持っている。

◆50代の「革命第3世代」グループは「存在感」を示すことができるのか?

ロイヤルファミリーの次に注目を使うグループはいわゆる「青年同盟4人衆」の崔竜海、文景徳、崔永林(チェ・ヨンリム)、イ・ヨンスらだ。

北朝鮮の青年組織「金日成社会主義青年同盟」の前身の「社労青」委員長出身である崔竜海は、金正恩、金慶喜と同じ日に「人民軍大将」の称号を受けた。また、党中央軍事委委員、党書記名簿にも名前を連ねた。1950年生まれで革命第一世代の崔賢(チェ・ヒョン)前人民武力部長(死亡)の次男で金氏一家に対する最高の家臣に選ばれている。

イ・スンリョル梨花女子大教授は「崔竜海の様々な職責を見るとき、金正恩を中心とした党の再建で求心的な役割を受け持つと見られる」と分析した。

崔竜海と共に注目される人物は、文景徳・平壌市党責任書記だ。1957年生まれで今年55才。平壌市党責任書記は、韓国でのソウル市長より大きな意味を持っている。北朝鮮の国内政治が「革命首都」平壌に集中していることから、金正恩の政治、経済的功績の積み重ねで最先鋒に出ると期待されている。前任者の崔永林が総理で起用されながら平壌市責任書記を引き継いだ形だが、50代半ばという比較的若い年齢は、金正恩時代の新しい人物として浮上する可能性を高めている。

キム・ヨンス国防大教授は「北朝鮮は平壌市党の相当重要な任務を革命第3世代格の文景徳に任せたことになる。40代が主をなしている革命第3世代から金正恩がどれだけの忠誠度を確保するのかという問題も後継作業の一つの課題だ」と話した。

◆先軍トロイカ「李英鎬-金正角-金英逸」!

軍部で金正恩を裏で支える人物は、李英鎬、金正角(キム・ジョンガク)、金英哲などだ。

1942年生まれで金正日と同年齢の李英鎬総参謀長は、昨年の党代表者会の前日の軍人事で副元帥に昇進し、また5人の政治局常務委員にも選ばれた。

党代表者会の閉会後の、錦繻山記念宮殿の前における記念撮影では、金正日の右側に位置し、彼の地位が高まった事が確認された。韓国の国防長官に該当する金英春・人民武力部長が、金正日の右側3番目に位置したことと比較すれば、李英鎬の権力を実感させる。

李英鎬が軍事的に指揮する位置にあるならば、金正角は趙明禄(チョ・ミョンロク)総政治局長の死亡以後、政治的に軍を統制する位置にあると推定される。すなわち軍部エリートらを監視・統制する役割を金正角が受け持っているということだ。金正角は、党中央軍事委員、党政治局候補委員にも名前を連ねている。ウィキリークスが暴露した外交電文によれば、韓国政府高位関係者さえも、金正角に対して「非常に影響力がある」と分析している。

天安艦爆沈と延坪島砲撃を実際に主導した人物として知られた金英哲(キン・ヨンチョル)偵察総局長も、金正恩後継作業のための人物だ。金正恩後継成功のための南北関係の管理分野で彼の活動がより一層目立つという見方だ。

◆青年同盟は金正恩の紅衛兵の役割をするか?...金己南も慌ただしくなる模様!

国策研究機関のある対北朝鮮専門家は「金正恩がまだ若いという点を考慮し、北朝鮮青年の役割をより強調する方向で宣伝扇動が展開する可能性が大きい。全国的組織網を持っていながらも、実力者幹部らの年齢が相対的に低い金日成社会主義青年同盟(青年同盟)を金正恩が優先的に掌握しようとするだろう」と見通した。

青年同盟は労働党に入党しなかった満14~35才までの青年たちが義務として加入する組織で、500万人規模を誇る組織だ。傘下には「朝鮮少年団」、「速度戦青年突撃隊」、「青年中央芸術宣伝隊」など北朝鮮の核心宣伝扇動単位を率いて、朝鮮コンピュータセンター(KCC)のような有望な外貨稼ぎ単位も保有している。現在の青年同盟の責任者はイ・ヨンチョル第1書記だ。

一方では、金正恩の資質、業績を浮上させるにあたって、金己南の役割に注目するべきという分析もある。金己南は党宣伝扇動部長で後継者と関連し、イデオロギー創造の専門家として知られている。1982年から金正日偶像化作業を主導し、1994年の金日成死亡直後には「金日成金正日一体化」を推進するのに大きな活躍を見せたと伝えられる。

ある専門家は「金正恩のイメージ作りにおいて、金正日が信じられる人物は、事実上、金己南だけだ。特に今年は、金己南が慌ただしくなるだろう」と見た。

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2011.01.06(Thu)  The Economist (英エコノミスト誌 2011年1月1日号)

韓国北朝鮮がドイツの再統一から学べること。

国の人々は「38度線」の向こうにある共産主義国家、北朝鮮と再び戦争になることを恐れている。しかし、現在の冷戦が和解と再統一という別の結末を迎えることを誰もが待ち望んでいるわけではない。

 北朝鮮の貧しさは、その好戦的な姿勢に劣らず恐ろしい。ならず者国家の独裁政権がもし崩壊することになれば(現実的ではないが、全く考えられないわけでもない)、軍事的な脅威に代わり、様々な経済的な危難が韓国を襲うだろう。

 例えば安価な労働力が大量に流入し、北側の住民やインフラの支援に資金をつぎ込まざるを得なくなる可能性がある。

 ドイツの先例は安心感を与えるものではない。再統一から20年を経たドイツでも、いまだ東側が国の予算を食い、失業率の高さに大きく貢献している。

 1950年に朝鮮戦争が勃発するまで、朝鮮半島の重工業は北側に集中していた。ソウルにある高麗大学校のファン・イガク氏によると、1975年になっても、国民1人当たりの所得は北朝鮮の方が韓国を上回っていたという。

 ケンブリッジ大学の経済学者ジョーン・ロビンソン氏は1977年に、「この国は遅かれ早かれ、南側が社会主義に吸収される形で再統一せざるを得ないことは明らかだ」と記している。

 韓国の中央銀行の試算では、2009年、北朝鮮の1人当たりの所得はわずか960ドルで、韓国の約5%程度に過ぎなかったという(北朝鮮の生産高は、韓国の物価および対ドル為替レートで計算したもの)。

 この不均衡に比べれば、再統一直前の東西ドイツの所得格差も小さく見える(図参照)。北朝鮮は東ドイツより貧しいだけでなく、規模が大きい。東ドイツの人口が西ドイツの4分の1程度だったのに対して、北朝鮮には韓国の約半分に当たる2400万人が暮らしている。

もし朝鮮半島が再統一されたら、政府は厳しい選択を迫られるだろう。1つの選択肢は、救済政策や公共事業、助成金によって、南北の生活水準の格差を埋めることだ。あるいは、貧しい北の住民が、高い賃金を求めて南に流入してくるのを覚悟する道もある。

ドイツは前者を選んだ。東ドイツマルクで支払われていた賃金は西ドイツのマルクに1対1で換算され、その後、労働組合の圧力により、西の水準まで賃上げされた。この結果、西側に移民労働者が流入したり、逆に資金が出したりといった懸念は弱まった。

 しかし同時に、東側への民間投資も妨げられた(巨額の助成金に後押しされて不動産投機は盛り上がったものの、結局、尻すぼみに終わった)。しかも、東の労働者は高い賃金のせいで、多くが市場から締め出された。

 ドイツの再統一について研究する経済学者は多く、ハンブルク大学のミヒャエル・フンケ氏とハノーファー大学のホルガー・シュトルーリク氏もそこに名を連ねる。両氏は2005年に、ドイツのモデルを朝鮮半島に当てはめて研究を行った。この計算(両氏は「厳密な推測」と呼ぶ)は、問題の大きさを浮き彫りにする。

 まず、朝鮮半島の南北で生活水準の格差を解消するには、最初の段階で、韓国の税収の半分を超える金額をつぎ込まなければならない。両氏の試算によれば、この財政負担は税収の30%まで減らすこともできるが、その場合は、代わりに800万の移民を受け入れなければならないという。

 もちろん、外国から借金して財政負担を時間的に分散させることもできる。現代の韓国人が再統一の費用をすべて負担すべき理由などない。しかも原理的には、北朝鮮の生産性がかなり短期間で韓国と肩を並べる可能性もある。

北朝鮮は資本が乏しいため、理論的には高い利益が期待できる。投資家は北朝鮮の地理的利点、天然資源、そして若く、十分な教育を受けていて、しかも安価に使える労働力に引きつけられるだろう。

 (韓国や中国の企業は既に行動を起こしている。例えば、韓国の現代峨山と韓国土地公社は、国境を越えて数キロの場所に開城工業団地を開発、運営している。116の工場が入居する同工業団地は、北朝鮮の労働者4万人を雇用し、月2000万ドル以上に相当する繊維、化学製品、電子機器などを生産している)

北朝鮮政府は計画経済を頑なに貫いているものの、社会主義の殿堂の割れ目では、つたが伸びるように市場が成長している。ステファン・ハガード氏とマーカス・ノーランド氏は近著『Witness to Transformation(変化の目撃者)』の中で、北朝鮮から韓国中国に亡命した人々の調査を用いて、この「下から」の市場改革を立証している。

同著によると、中国に亡命した人の62%が、主に市場から食料を手に入れていた。国を頼っていた人は3%にすぎなかった。また、亡命者の70%近くが作物の販売や自転車の修理といった私的な事業で収入の半分以上を得ていたという。

 北朝鮮の人々が市場に頼るようになったのは、純粋な絶望の末のことだった。例えば、1990年代半ばの飢饉で配給制度が崩壊し、家計は家畜を飼育したり、ドングリや海藻を集めたり、台所で作物を栽培したりせざるを得なくなった。

 人々が法をねじ曲げ、あるいは無視する中で、非公式な市場が次々と生まれた。2002年には一部の取引が合法化されたが、2005年から再び取り締まりが始まった。

計画経済の計画的な幕引き!

 こうした物々交換のような非合法なシステムがいずれ、力強い市場経済の核となっていくのかもしれない。しかし、北朝鮮の計画経済の破綻には、良い面も悪い面もある。

 生産を大きく落ち込ませることなく経済の自由化を果たした共産主義国は少ないが、その数少ない先例として中国がある。中国の成功の要因は、計画経済を、そこから脱却できるまで十分に長く維持したことだった。

 改革の初期段階では、家計や企業には中央から割り当てられた権利と義務があった。ただし、それ以外に手に入るものを売買する自由もあった。これにより、過渡期の経済が陥りがちな混乱や苦難を回避しつつ、モノの価格に供給の過不足を告げるという役割を果たさせることができた。

 カリフォルニア大学バークレー校のジェラード・ローランド氏は、北朝鮮は中国の例に倣うのが得策だと論じる(少なくとも、国民は統制価格での必需品の割り当てを受けられるようにするべきである)。つまり、市場経済への移行を果たす前に、配給制度のようなものを復活させる必要があるのかもしれない。北朝鮮の場合、基本計画を復活させるのが最善だろう。

 市場経済への道は間違いなく険しい。韓国の共産主義の同胞は、かつての西ドイツの同胞より貧しく、人口が多い。それでも、フンケ、シュトルーリク、ローランドの3氏が揃って指摘する通り、朝鮮半島にはかつてのドイツより有利な点がある。それは、先例から学べるということだ。

情報・諜報ドクトリンを早急に整備し、危機に備えよ!

2011.01.06(Thu)JBプレス 飯田俊明

かつて、電子戦について紹介されたテキストがあり、その中で電波の妨害を受けるとレーダの画面がどうなるといったことが記述されていた記憶がある。

情報への無関心で負けた太平洋戦争!

そのテキストを見てから40年近い年月が経ち、改めてこの分野の状況を見ると、部分的に新たな技術動向や脅威である敵のレーダやミサイルの進歩に対応した性能向上が図られているが、基本的には旧態依然としているという印象が否めない。

 なぜなのだろうかということをかねて考えていたが、ここに私の経験の一端を紹介しながら分析を試みてみたいと思う。

 実松譲氏の著した『日米情報戦』や、太平洋戦争に関わる戦記ものといわれる各種の本を読むと、日本人というのは情報という問題について極めてルーズというか、無関心な文化を持った国民なのではないかと思えてしまう。

 太平洋戦争という日本にとっては直近の戦争においてこのような状態であったということの再認識と、それゆえに多くの現場の将兵の犠牲にもかかわらず戦争に負けたということについて、戦争を指導した階層の責任と指導における情報の収集と活用について根本的なところまで掘り下げて見なおす必要があると感じる。

 電子戦や情報に関わる文献を読むと、特に翻訳をする時に、気づくのは、「INFORMATION」も「INTELLIGENCE」も日本語に翻訳すると両方とも「情報」になってしまうということである。

情報に対する異質さは、世界からの孤立を意味する!

 もしかすると、この分野の翻訳文献などではこの両者を混同したままで翻訳されているものがあるのではないだろうか。

 逆に注目すべき点は、日本以外では「INFORMATION」と「INTELLIGENCE」が完全に異なる標記で個別に定義されているという点である。

 言葉が文化を背景にしており、また人間の思考が言葉を介して行われるという実態からすると、日本と欧米の差異は実は極めて大きな隔絶を日本と欧米の間に生む可能性があり、かつ日本にとって極めて不利な状況を作り出す可能性があるのではないだろうか。

 隣の中国は孫子を生んだ国である。欧米のみならず中国を含め、日本の情報を扱う文化がそれらの国々と比較して異質ならば、日本は世界から孤立しても不思議ではないように思われる。

このような意味で、最近のニュースで報じられている尖閣諸島問題は情報面では極めて興味深く、多くの証左と教訓を含んでいるのではないだろうか。

尖閣事件の迷走が日本の欠点を教えてくれた!

まず、ビデオの公開について政府が判断を誤ったこと。それがゆえにビデオ情報公開の機会を失して、以後の事態の推移に対応できなくなったこと。

 政治的に公開を止めながら、行政的に秘区分を指定せず放置したこと。

 このことがリークという事態に対処することをさらに難しくしている。

 秘区分の指定があいまいなものをリークされたとしてもそれを問題にする姿勢そのものが問われるし、リークされるような背景というものも重大な意味を持つ。

 ある意味では武力ではなく情報を利用したクーデターにつながる可能性があるのかもしれない。

各大臣が勝手にものを言う国は「相手の思う壺」!

 各大臣が各個にものを言い、いち国会議員が中国に赴いて勝手な約束をするような政府というのは、情報を上手に操る側からすれば扱いやすい相手ではないだろうか。

 私が「情報」という問題にオーソドックスな関わりを持ったのは、米国の電子戦の会議に偶然参加したことに始まる。

 それまでは、一般の管理職同様、自分の仕事を効率的かつ正しい方向に持って行くために、よく周囲の情報を集め、法令を勉強し、なおかつ将来のあるべき姿を模索しながらあくまでも個人として、判断をおこなってきた。

 だから、「情報」ということについて国際会議があり、それを世界中の人が参加して論議しているという前提自体が最初は理解できなかった。


この会議の看板は「電子戦」である。しかしその中で扱われるものは電子戦データ、「Information」であり「Intelligence」なのである。

世界では極めて重視されているドクトリン!

 まずこの会議で私が学びそしてその後の思索の核となったJPについて紹介しよう。

 JPとは「Joint Publication」の頭文字である。米国の統合参謀本部の教書である。教書とは何かといわれると説明のしようがないが、「Doctrine」が記述されているドキュメントである。

 「Doctrine(ドクトリン)」を手元の辞書で引くと、「1.教義、教理、主義、学説、2.教えられる事柄、教訓」とある。

 米国の各軍種の運用およびそれに必要な装備はこのドクトリンによって定義され、基本的には4年に1回もしくは必要の都度改定されることになっている。

 会議において、電子戦に関わるドクトリンと情報戦に関わるドクトリンの改定についての発表があり、電子戦、情報戦について定義されたドキュメントが存在することを始めて知ったのである。

電子戦に関するドクトリン!

 帰国し、早速ウェブで検索してみると、電子戦についてのドクトリンは「JP-3-13」というドキュメントが公開されていることが分かり、これを読むとともに翻訳を試みた。その概要は以下の通りである。

●インテリジェンスには3つの形態がある。

(1)戦略に関わるインテリジェンス
(2)作戦に関わるインテリジェンス
(3)戦術に関わるインテリジェンス

●インテリジェンスはインフォーメーションを分析、相関処理、評価、組み立てることで生成されるものである。

●インフォーメーションとは収集されているが、完全に相関づけ、分析、評価がされていないデータである。

しかし戦術指揮官にとっては重要な価値があり、脅威に対する警戒や目標の捕捉に極めて重要。情報を運用する情報運用(Information Operation:IO)は3つの能力に分類できる。

(1)核となる能力:心理戦、軍事欺瞞、作戦保全、電子戦、コンピューターネットワーク
(2)支援能力:防諜、物的攻撃、物的保全、情報保証、映像戦闘記録
(3)関連する能力:広報業務、民間防衛、防衛外交

電子戦、情報戦、インテリジェンスは連鎖的体系を成す!

 JPの咀嚼作業から、電子戦、情報戦、インテリジェンスが連鎖的な体系の上に成立し、個々の独立した活動ではないことを知るとともに、次のような要約に至ったのである。

(1)インテリジェンスとは国家レベルの戦略インテリジェンスのみと思っていたが、作戦や戦術に関わるインテリジェンスがあるとするならば、作戦や戦術を担う各自衛隊が関わり、利用するインテリジェンスは当然あるべきであり、国家レベルの戦略インテリジェンスとは関連しつつも異なるカテゴリーになるのではないか。

(2)インフォーメーションとは「収集されているが、完全に相関づけ、分析、評価がされていないデータ」と定義されており、このフレーズでは「完全ではない」とあるものの、「ある程度相関づけ、分析、評価がされているデータ」ととらえることができるのではないか。

(3)戦術の現場で電子戦器材により収集されたデータがある程度整理されたものがインフォーメーションであり、これを活用するのが情報運用(IO)である。

 さらに分析、相関処理、評価、組み立てることでインテリジェンスが生成される。このように段階的に活動するためには、各段階において対応する組織が必要ではないか。

(4)フィールドで得られるデータの量と質がインフォーメーションやインテリジェンスの質を決める可能性が高い。その意味で電子戦器材は極めて根源的な装備ではないか。

(5)データの不足はインフォーメーションの質を低下させ、インテリジェンスの生成を不可能にする。その結果インフォーメーションやインテリジェンスを同盟国に依存するようになるのではないか。

(6)インテリジェンスに戦術、作戦のインテリジェンスがあるということは、当然戦術と作戦の場面に利用されるためにフィードバックされ、活用されなければならない。

 それぞれの活動が、離れた場所で行われる場合は、データ、インフォーメーション、インテリジェンスはネットワークなどを介して循環しながら確度を上げていくのではないか。

 

以上のような分析から、各自衛隊が持つプラットフォームへの電子戦器材の装備というのは極めて重要な原点なのではないかと思えてくる。

「妨害」よりも「収集」する機材の重要度が高い!

 特に昔のように長距離通信を高周波の無線機にのみ依存していた時代から、人工衛星や極高周波の通信、戦術LINK、洋上におけるローカルネットワーク、GPSを使用した武器の運用、さらには通信のネットワーク化、デジタル化等の時勢を考えると、日本の防衛のためには本土にだけ足場を置いた情報収集体制だけではなく、洋上で、空中で、また宇宙でデータを収集し、それらを集約し、各省庁が連携して、確度の高い情報を抽出し、インテリジェンスを生成運用していくことが不可欠のように思う。

 電子戦器材といっても、もはや冒頭に述べた昔の電子戦とは大きく異なっている。上記のような流れからすれば、妨害よりも収集機材が重要になるのではないだろうか。

 ましてや、中国が空母を中心とするバトルグル-プを編成して動くとすれば、相応の態勢を整えなくてはならないだろう。

 前述したように米国には電子戦のドクトリンが存在しているが、欧州でも北大西洋条約機構NATO)として定めるとともに、英国のように個別に定めている国もある。

 NATOではドクトリンに基づいた運用と関連する装備が所望の能力や機能を発揮するかを検証するために、NATO全体の電子戦共同訓練を実施している。

情報をインテリジェンスへ生成するプロセスと組織!


この訓練では、電子戦、情報戦、インテリジェンスの生成および活用までが一連の想定の中で演練される。

 米国はカナダ、オーストラリア英国などと環太平洋合同演習にあわせて演習を実施している。これらのことは能力整備だけでなく、運用面での検証の必要性という新たな問題点を日本に提起しているように見える。

 本来インテリジェンスが国家の主権と大きく関わっていることを想起すると、データを収集してインフォーメーションとして活用しながら、さらにインテリジェンスを生成する一連のプロセスとその組織は極めて重要な存在である。

 そのプロセスと組織や所要の能力は米国でも、NATOでもドクトリンに基点を置いている。

私が電子戦のドクトリンの存在に気づいた時、最初に確認したことは、日本に電子戦ドクトリンが存在しているのかということであり、ないと分かったとき大変がっかりした。

日本にはほとんど存在しないドクトリン!

 また防衛省がドクトリンを持たないならば、外務省国土交通省総務省も多分ドクトリンはないだろう。

 尖閣列島事案の対応を見ると、とてもコンセプトのある対応とは思えないし、ドクトリンといった対応の骨格になるものがないことを証明しているようにも見える。

 もしあるとするならば全面的な見直しが必要だろう。米国の文献では中国はドクトリンを整備し、これによる各種活動(サイバー、ハッカーを含む)をしているらしい。

 防衛の分野に限定するならば、今後電子戦、情報運用、インテリジェンスについて以下のことを考慮する必要があると思う。

●日米安保に基づく今後の有事対応において、インテリジェンスの整合と情報運用の連携は不可欠である。

 米国側がドクトリンなどに基づく体系的データ収集、情報運用、インテリジェンスの生成を実施している以上、日本側がドクトリンの不在のままアドリブ的な対応をせざるを得ないとするならば、同盟や運用の連携において極めて支障となる可能性がある。

 態勢の整備が必要である。

●情報軽視による弊害は太平洋戦争の戦史に数多見ることができる。教訓に学び実践する必要がある。日本には文化的背景が希薄なので、本質的な体質改善が必要である。

●電子戦の国際会議では、電子戦や情報戦について論議し、準備することは極めて大切なことであり、当然のことである・・・という雰囲気が充満しているが、日本では何か後ろめたい領域であるかのごとく人々が対応している。

 そこで扱われている情報自体と、制度のあり方とはとは別の問題であるように思う。制度についてはもっと論議すべきである。

松譲氏が書いた「日米情報戦」の「まえがき」において氏は次のように述べている。

情報は国の運命を左右する!

 「先人は、『勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求める』と、戒めている。我々は本書の中の限られた史実からだけでも、『情報戦で優位に立ったもの』、つまり、『先ず勝ちたるもの』が、『いかに勝利をえたか』をはっきり知ることができる。

 「それは武力を用いる“熱い戦争”だけでなく、平時の外交戦などでも、全く同じである。情報は、国家の運命をさえ左右する・・・・・と歴史は教えているのである」

 当時と今とでは情報の背景で、また“熱い戦争”の実行手段として機能している通信、ネットワークが格段の進歩を遂げており、情報を制するためには電子戦を制しなければならない時代に我々はいることを忘れるべきではないだろう。

 文化的な希薄性を乗り越えて将来に備えた情報体制の整備は、抑止として、また有事において適正に対応するためにも安全保障上不可欠である。

古森 義久の“外交弱小国”日本の安全保障を考える

2009年6月9日 日経BPネット


元幹部の脱北者が語る、北朝鮮経済の内幕!

 北朝鮮の無謀で無法な行動が世界を揺るがせている。核兵器の開発、そのための核兵器の爆発実験、弾道ミサイルの発射、さらには核兵器など大量破壊兵器技術のシリアやイランへの拡散と、危険な動きが相次いでいる。こうした行動を取る北朝鮮という国家の体制や体質はどうなっているのか。その国家を独裁統治する金正日政権とはどんなメカニズムなのか。

 この金正日政権の経済面の特殊構造を熟知する北朝鮮政府機関の元幹部にワシントンで話しを聞いた。その報告から浮かびあがるのは金正日政権を支える経済と、一般国民のための経済と、二つが完全に分離されているという異形の構造だった。そして「革命資金」という特殊な財源の存在だった。

 ワシントンで北朝鮮の経済状況について詳しい話しを聞いた相手は金光進氏だった。金氏は1967年、平壌生まれ、北朝鮮のエリート校の金日成総合大学を卒業し、朝鮮労働党への入党を認められ、同党でも最高の権力をふるう中央委員会組織指導部に採用され、経済や金融の専門家としての道を歩んだ。もっぱら外貨獲得に集中する北朝鮮の東北銀行や朝鮮国家保険機構で働き、欧米の大手保険会社から不正手段も含めて保険金を取得する作業の専門家となった。

 ただし2003年、シンガポールに駐在中、亡命し、韓国での定住が認められた。韓国では国家安保戦略研究所の専任研究員となり、北朝鮮の経済や金融についての研究報告を発表してきた。とくに金光進氏が韓国の北韓大学院大学校に提出した修士論文「北朝鮮の外貨管理の変化」は韓国内でも幅広い注視をあびた。

 その金光進氏は2009年春にワシントンの民間人権擁護団体の「北朝鮮人権委員会」の研究員に迎えられ、米国での長期滞在が認められた。同氏のような脱北者が米国にきて活動することは盧武鉉前政権時代は韓国側の反対でほとんど認められなかったが、いまの李明博政権になって、かなり自由となった。

 金氏は長身の引き締まった表情の人物で、英語を流暢に話した。同氏が所属していた国家保険機構は労働党でも超重要な機能を有するとされ、金正日総書記自身やその義弟の実力者、張成澤氏によって運営されている。国家保険機構の上部機関は中央委員会組織指導部であり、その部長が張成澤氏なのだ。

『人民経済』と『宮廷経済』は完全に分離されている!

 ワシントンでは金氏に二度、インタビューして、見解を詳しく聞いた。その発言の要旨は以下のとおりだった。

「北朝鮮の経済は内閣が統括する『人民経済』と、外貨を得る企業や産業のほぼすべてと兵器産業を統括する『宮廷経済』とが相互に切り離された形で存在する。『宮廷経済』は外貨に全面的に依存し、朝鮮労働党中央委員会を経て金正日総書記に直接に支配され、その政治・軍事独裁体制を支えている」

「『宮廷経済』には金の鉱山や精錬所、銀やスズの鉱山と精錬所、平壌の外国人向け百貨店から始まり、ウニ、ナマコ、タコ、貝類、魚類などの海産物、マツタケなどの輸出食品にいたる外貨獲得が可能なあらゆる経済単位が組み込まれている。こうした関連の経済単位は外貨の収入をすべて労働党中央委員会を経て、金正日総書記に報告し、上納する」

「『宮廷経済』で集まる外貨の大半は『革命資金』と呼ばれる枠内に移され、その支出配分は金正日総書記がすべて決める。その用途は金書記の家族、親族の豊かな生活の保持や、労働党や人民軍の幹部たちの生活の保持と贈答品の供与を継続していくことのほか、軍事態勢の保持となる。核兵器や弾道ミサイルの開発の経費もこの『革命資金』からの外貨が当てられる」

「『人民経済』はこの『宮廷経済』とはまったく別個にウォン貨で機能しており、外国からの援助は『宮廷経済』に流入するだけで、一般国民への利益とはならない」

対外的な保険の不正操作で外貨を獲得!

 金光進氏は自分自身がかかわっていた対外的な保険の操作も外貨獲得の有力な手段となってきたことも明らかにした。

「北朝鮮の国内の保険は個人も組織もすべて私が勤務した朝鮮国家保険機構が管理しているが、同機構はその保険にまた保険をかける再保険の契約をイギリスのロイズ社などヨーロッパの大手保険会社と結んでいる。その再保険料はきちんと払ってはいるが、ときおり大きな事故や災害があったとして巨額の再保険料を請求する。その請求が実は捏造だったり、誇張だったりすることが多い。そのための偽造や不正な書類を私自身も数え切れないほど作成し、サインしていた」

 金氏の証言によれば、国家保険機構はこの種の詐取をも含めての保険料請求で毎年、数千万ドルもの外貨を獲得していた。その外貨は当然、金正日書記に献上される。その結果、国家保険機構には北朝鮮内部のどの地方のどの機関にも自由に立ち入って、検査を実行し、指示を下す絶対の権限が与えられているという。対外的な保険金の詐取によって独裁政権の中枢の機能継続が可能になるというのだから、奇妙な話である。

 金光進氏はこの特殊な保険業務には日本がかかわってくることをも明らかにした。朝鮮総連系の保険会社の「金剛保険」が朝鮮国家保険機構と密接な関係を保ち、不正手段をも含めての保険を利用しての金正日体制の外貨獲得に協力してきたというのだ。国家保険機構が1998年に創設40周年を祝った際には、金剛保険から日本製の高級自転車数百台が贈られ、同機構の幹部職員らに金正日総書記からのプレゼントとして配られたという。

北朝鮮に対する経済制裁は現時点でも有効!

 金光進氏はまた日本に関連して次のようにも述べた。

「2002年に金正日総書記が北朝鮮政府工作員による日本人拉致を認めるまでは、朝鮮総連による日本からの送金や献金が『宮廷経済』全体の20%から30%を占めていたといえる」

 やはり日本から北朝鮮への金の流れは、金正日体制を保持するうえで非常に重要な役割を果たしてきたのである。

 金氏は今後の北朝鮮への対応については米国のブッシュ政権がかつて実行したマカオのバンコ・デルタ・アジア(BDA)銀行の金正日総書記に直結した口座の凍結処置が顕著な効果を発揮し、金政権に打撃を与えたことを強調したうえで、次のように述べた。

「日本が金正日政権から拉致問題その他で譲歩を獲得するには、同政権の中核を支える『宮廷経済』の外貨取得活動に圧力をかけて、その収入を減らすことが当面、最大の効果があるだろう。そのためには日本独自だけでなく、韓国や米国と連携して、金融制裁などの措置を強めていくことがさらに効果を高めると思う。金正日政権はいま明らかに弱体となっており、政権自体が終わりの始まりを迎えたという兆しがある」

 北朝鮮の政権内部で長年、活動してきた金光進氏の政策提言も、金正日独裁政権に対しては、少なくともいまは対話ではなく、圧力を、という趣旨なのだといえる。

決断力の欠如は多大な犠牲をもたらす!

2011.01.05(Wed)JBプレス 正岡富士夫

1 日ソ開戦の背景

極東での日ソの軍事バランス(兵員、装備など)は、昭和11(1936)年頃には大きく崩れ、ソ連側が圧倒していた。

 ソ連はロシア帝国以来の国家的願望を果たすため、いずれは日本と事を構える方針を持っていたものの、欧州方面への対応で手一杯であり、独ソ戦が始まると極東方面での対日戦の勃発を恐れ、コミンテルンを通じた謀略により日本軍を南方方面や中国内陸部へ向けさせることに腐心した。

 日本との対決が念頭にあったソ連は、当初、日本からの不可侵条約の提案を拒否していたが、ドイツの対ソ侵攻が現実味を帯びつつあった1941年春、日本側の提案を受け入れ、日ソ中立条約が成立した(1941年4月13日)。

 ソ連は1941年11月、兵力を極東から欧州正面へ転用し12月のモスクワ防衛戦に投入、1941年中にソ連を崩壊させることを狙ったドイツのバルバロッサ作戦を潰えさせた。

ドイツ降伏後90日以内のソ連参戦を米ソで密約!

ヤルタ会談(1945年2月4日~1月11日)において、米国ドイツ降伏後も長く続くと予想された太平洋戦争での損失を抑えるため、ドイツ降伏(1945年5月8日)後90日以内に対日参戦することを米ソで密約した。

 ソ連は、独軍の壊滅が確実となった4月5日、翌年(1946年4月25日)期限切れとなる日ソ中立条約を延長しないことを日本へ通告、シベリア鉄道をフル稼働させて巨大な軍事力を満洲国境に集結させた。

 翌5月開催されたポツダム予備会談において、スターリンは8月中に対日参戦することを表明するとともに、ソ連軍による北海道の占領とさらなる戦略物資の支援を米国に対し要求した。

 米国は、ソ連の火事場泥棒的な要求に警戒心を抱き、ポツダム会談(1945年7月17日~8月2日)においては、原爆の完成(7月26日・実験成功)によりソ連の参戦なくしても日本の早期降伏は可能と判断、ソ連の対日参戦の回避を図ったとされている。

 しかしソ連の参戦意思は固く、8月8日17時00分(日本時間23時00分)駐ソ日本大使を呼び出し、午前0時をもって宣戦を布告する旨伝えた。ソ連側によって大使館の電話線が切られていたため、東京へ伝えることができず、日本は文字通りの奇襲を受けた。

2 日本側の情勢判断

 昭和20(1945)年6月、大本営は戦争指導会議における情勢判断において、ソ連の国家戦略、極東ソ連軍の状況、輸送能力などから見て「ソ連の攻勢開始は、8月か遅くとも9月上旬の公算大」と結論づけた。

 一方、現地の関東軍は、「独ソ戦で被った損害補填のため早くとも9月以降あるいは来年に持ち越す」こともあり得ると楽観視していた。

 関東軍総司令部は、作戦準備が整わず防御不可能という、自軍の作戦能力に都合のよい情報判断をしたのである。

 敵情報の探索に努めていた最前線の部隊では、宣戦布告の数日前からソ連軍の作戦準備活動の活発化を察知しており、関東軍総司令部へ上申するも採用されず、独自の作戦準備行動を取った部隊もあった。

3 戦争の概要

 対日攻撃の火蓋が切られた8月9日当時、日本軍の南方作戦への転用およびソ連軍の増強という相乗効果によって満洲方面における日ソの戦力比は、

兵員 70万人:158万人
戦車 200両:6000両
火砲 1000門:26000門
航空機 350機:3500機

と、ソ連が量質ともに圧倒する状況にあった。

 日本軍はソ連軍の奇襲・急襲に対して持久と後退を繰り返しながら、一方的な攻撃に耐えるという戦闘がやっとだった。

 特に機械化兵力と火力における戦闘能力の隔絶のため至る所で短期間のうちに全滅する部隊が続出するなどソ連軍にとっては追撃・掃討戦のような様相を呈した。しかし、一部地域における戦闘ではソ連の猛襲を拒み、善戦した部隊も少なくなかった。

ポツダム宣言受諾後も続いたソ連の日本侵略!


 日本がポツダム宣言を受諾(8月15日)すると、マッカーサーは全軍に戦闘停止を命令、関東軍に対してはその翌日戦闘停止が命じられた。

 関東軍はソ連軍と停戦交渉に入ったが、ソ連側は8月20日までは停戦しないと回答。しかし、マッカーサーがソ連軍に対する要求を強めたため、8月18日に一切の武力行使が停止されることになった。

 にもかかわらず、ソ連軍の対日作戦は9月初めまで続けられ、満洲、北朝鮮、南樺太、千島列島を占領した。

4 居留民への措置

 約132万人の開拓団など満洲居留民の保護は関東軍の任務であり、開戦の危険が高まると内地へ避難させることが計画された。しかし、輸送手段や食料確保の目途が立たず実行できなかった。

 防御線の後方へ引き揚げさせようという提議もなされたが、関東軍総司令部は居留民の引き揚げによって後退戦術がソ連側に察知され、ソ連の攻撃を誘引する恐れもあるとして「対ソ静謐保持」が優先された。

 中央から在留邦人の避難に関する考え方や指示が示されず、居留民側も関東軍とともにあることを強く希望したため、ソ連の攻撃が始まると満ソ国境に近い地域では戦闘部隊とともに全滅したり、ソ連軍や周辺住民によって暴行・略奪あるいは1000人単位以上で大虐殺されたりする悲劇が続出した。

5 シベリア抑留

 8月23日、スターリンは日本軍捕虜のソ連国内への移送と強制労働従事の命令を下した。その労働力は、まず満州の産業施設の工作機械等を撤去しソ連へ搬出するために使役され、その後ソ連等の各地に移送された。

 収容所は、北朝鮮モンゴル、沿海州、シベリア北部、中央アジア、ウクライナなどヨーロッパロシアまで広範囲に分布していた。

 捕虜の中には軍人、軍属のほかに民間人、満蒙開拓団の男性も含まれ、1000人単位の作業大隊に編成され次々と貨車に詰め込まれた。

 作業大隊は570隊あり、総数57万人が移送されたと考えられたが、ロシア国立軍事公文書館の資料には約76万人分の記録が残されている。

 また、終戦時、満洲、樺太、千島列島には軍民合わせて272万余の日本人がいたが、このうち約107万人がソ連各地へ送られ強制労働させられたと見る説もある。

 そのうち約1割が飢餓や寒さのために死亡したと言われているが、死亡者が約37万人の多数に上るという米国人学者の研究もある。

 1946年12月になって「日本人抑留者の帰国に関する米ソ協定」が成立し、日ソの国交回復の1956年まで10年もの歳月をかけて47万3000人の日本帰国事業が行われた。

6 教訓

(1) ソ連参戦の合法性の疑義

日ソ中立条約の有効期限は1946年4月25日であり、不延長の通告があったとしてもそれ以前に宣戦布告するのは条約上の信義を冒涜するものであり、国際法の信頼性を大きく損なうものであったことは否めない。

 ソ連側は1941年7月関東軍が行った特別演習をもってこれを日本側の軍事的挑発と見なし、中立条約違反行為は日本側にあったとして自らの侵略的行為の正当化を図っている。

 条約締結直後に行われた日本側の演習を軍事的挑発行為と認めたならば、ソ連側は直ちに違反行為として抗議すべきであるがそのような事実は全くなく、ソ連の言い分は牽強付会な言いがかりとしか言えない。

 しかし、「諸国民の公正と信義」とはそうしたものであることを銘記すべきだ。

(2) シベリア抑留は国際犯罪

 捕虜は戦争が終われば故国へ返還するのが国際慣例である。日ソ戦は交戦中に捕虜収容所を作る暇がないほど短期間に終結したものであり、その終結は日本の全面降伏と一体であった。

 厳密に言えば、シベリア抑留は捕虜収容には当たらず、大規模な人身拉致犯罪行為であったと見ることもできる。

 国際法上、収容国は収容している間に働かせた捕虜に対しては労働証明書を発行し、捕虜の所属国はその証明書に従って賃金を払うことが義務づけられている。

 ソ連はこれを発行せず、従って日本政府は支払っていない。ソ連が戦争捕虜と見なしていなかった証左でもある。

(3) 大きな犠牲を生んだ敗戦処理

 歴史に「もし」はないが、ソ連の宣戦布告前にポツダム宣言を受諾しておれば、少なくとも長崎の原爆はなく、満洲や樺太などの悲劇は局限されたであろう。

 そして、北方領土問題もなかったかもしれない。また、中央から満洲居留民の引き揚げ命令が早期に出されておれば民間人の被害はほとんどなかったに違いない。

 国家指導者に求められる判断能力などその資質は極めて高度なものでなければならず、国民はその意識を持って政治家を選ばなければならないことを痛感する。

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