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情報・諜報ドクトリンを早急に整備し、危機に備えよ!
2011.01.06(Thu)JBプレス 飯田俊明
かつて、電子戦について紹介されたテキストがあり、その中で電波の妨害を受けるとレーダの画面がどうなるといったことが記述されていた記憶がある。
情報への無関心で負けた太平洋戦争!
そのテキストを見てから40年近い年月が経ち、改めてこの分野の状況を見ると、部分的に新たな技術動向や脅威である敵のレーダやミサイルの進歩に対応した性能向上が図られているが、基本的には旧態依然としているという印象が否めない。
なぜなのだろうかということをかねて考えていたが、ここに私の経験の一端を紹介しながら分析を試みてみたいと思う。
実松譲氏の著した『日米情報戦』や、太平洋戦争に関わる戦記ものといわれる各種の本を読むと、日本人というのは情報という問題について極めてルーズというか、無関心な文化を持った国民なのではないかと思えてしまう。
太平洋戦争という日本にとっては直近の戦争においてこのような状態であったということの再認識と、それゆえに多くの現場の将兵の犠牲にもかかわらず戦争に負けたということについて、戦争を指導した階層の責任と指導における情報の収集と活用について根本的なところまで掘り下げて見なおす必要があると感じる。
電子戦や情報に関わる文献を読むと、特に翻訳をする時に、気づくのは、「INFORMATION」も「INTELLIGENCE」も日本語に翻訳すると両方とも「情報」になってしまうということである。
情報に対する異質さは、世界からの孤立を意味する!
もしかすると、この分野の翻訳文献などではこの両者を混同したままで翻訳されているものがあるのではないだろうか。
逆に注目すべき点は、日本以外では「INFORMATION」と「INTELLIGENCE」が完全に異なる標記で個別に定義されているという点である。
言葉が文化を背景にしており、また人間の思考が言葉を介して行われるという実態からすると、日本と欧米の差異は実は極めて大きな隔絶を日本と欧米の間に生む可能性があり、かつ日本にとって極めて不利な状況を作り出す可能性があるのではないだろうか。
隣の中国は孫子を生んだ国である。欧米のみならず中国を含め、日本の情報を扱う文化がそれらの国々と比較して異質ならば、日本は世界から孤立しても不思議ではないように思われる。
このような意味で、最近のニュースで報じられている尖閣諸島問題は情報面では極めて興味深く、多くの証左と教訓を含んでいるのではないだろうか。
尖閣事件の迷走が日本の欠点を教えてくれた!
まず、ビデオの公開について政府が判断を誤ったこと。それがゆえにビデオ情報公開の機会を失して、以後の事態の推移に対応できなくなったこと。
政治的に公開を止めながら、行政的に秘区分を指定せず放置したこと。
このことがリークという事態に対処することをさらに難しくしている。
秘区分の指定があいまいなものをリークされたとしてもそれを問題にする姿勢そのものが問われるし、リークされるような背景というものも重大な意味を持つ。
ある意味では武力ではなく情報を利用したクーデターにつながる可能性があるのかもしれない。
各大臣が勝手にものを言う国は「相手の思う壺」!
各大臣が各個にものを言い、いち国会議員が中国に赴いて勝手な約束をするような政府というのは、情報を上手に操る側からすれば扱いやすい相手ではないだろうか。
私が「情報」という問題にオーソドックスな関わりを持ったのは、米国の電子戦の会議に偶然参加したことに始まる。
それまでは、一般の管理職同様、自分の仕事を効率的かつ正しい方向に持って行くために、よく周囲の情報を集め、法令を勉強し、なおかつ将来のあるべき姿を模索しながらあくまでも個人として、判断をおこなってきた。
だから、「情報」ということについて国際会議があり、それを世界中の人が参加して論議しているという前提自体が最初は理解できなかった。
この会議の看板は「電子戦」である。しかしその中で扱われるものは電子戦データ、「Information」であり「Intelligence」なのである。
世界では極めて重視されているドクトリン!
まずこの会議で私が学びそしてその後の思索の核となったJPについて紹介しよう。
JPとは「Joint Publication」の頭文字である。米国の統合参謀本部の教書である。教書とは何かといわれると説明のしようがないが、「Doctrine」が記述されているドキュメントである。
「Doctrine(ドクトリン)」を手元の辞書で引くと、「1.教義、教理、主義、学説、2.教えられる事柄、教訓」とある。
米国の各軍種の運用およびそれに必要な装備はこのドクトリンによって定義され、基本的には4年に1回もしくは必要の都度改定されることになっている。
会議において、電子戦に関わるドクトリンと情報戦に関わるドクトリンの改定についての発表があり、電子戦、情報戦について定義されたドキュメントが存在することを始めて知ったのである。
電子戦に関するドクトリン!
帰国し、早速ウェブで検索してみると、電子戦についてのドクトリンは「JP-3-13」というドキュメントが公開されていることが分かり、これを読むとともに翻訳を試みた。その概要は以下の通りである。
●インテリジェンスには3つの形態がある。
(1)戦略に関わるインテリジェンス
(2)作戦に関わるインテリジェンス
(3)戦術に関わるインテリジェンス
●インテリジェンスはインフォーメーションを分析、相関処理、評価、組み立てることで生成されるものである。
●インフォーメーションとは収集されているが、完全に相関づけ、分析、評価がされていないデータである。
しかし戦術指揮官にとっては重要な価値があり、脅威に対する警戒や目標の捕捉に極めて重要。情報を運用する情報運用(Information Operation:IO)は3つの能力に分類できる。
(1)核となる能力:心理戦、軍事欺瞞、作戦保全、電子戦、コンピューターネットワーク
(2)支援能力:防諜、物的攻撃、物的保全、情報保証、映像戦闘記録
(3)関連する能力:広報業務、民間防衛、防衛外交
電子戦、情報戦、インテリジェンスは連鎖的体系を成す!
JPの咀嚼作業から、電子戦、情報戦、インテリジェンスが連鎖的な体系の上に成立し、個々の独立した活動ではないことを知るとともに、次のような要約に至ったのである。
(1)インテリジェンスとは国家レベルの戦略インテリジェンスのみと思っていたが、作戦や戦術に関わるインテリジェンスがあるとするならば、作戦や戦術を担う各自衛隊が関わり、利用するインテリジェンスは当然あるべきであり、国家レベルの戦略インテリジェンスとは関連しつつも異なるカテゴリーになるのではないか。
(2)インフォーメーションとは「収集されているが、完全に相関づけ、分析、評価がされていないデータ」と定義されており、このフレーズでは「完全ではない」とあるものの、「ある程度相関づけ、分析、評価がされているデータ」ととらえることができるのではないか。
(3)戦術の現場で電子戦器材により収集されたデータがある程度整理されたものがインフォーメーションであり、これを活用するのが情報運用(IO)である。
さらに分析、相関処理、評価、組み立てることでインテリジェンスが生成される。このように段階的に活動するためには、各段階において対応する組織が必要ではないか。
(4)フィールドで得られるデータの量と質がインフォーメーションやインテリジェンスの質を決める可能性が高い。その意味で電子戦器材は極めて根源的な装備ではないか。
(5)データの不足はインフォーメーションの質を低下させ、インテリジェンスの生成を不可能にする。その結果インフォーメーションやインテリジェンスを同盟国に依存するようになるのではないか。
(6)インテリジェンスに戦術、作戦のインテリジェンスがあるということは、当然戦術と作戦の場面に利用されるためにフィードバックされ、活用されなければならない。
それぞれの活動が、離れた場所で行われる場合は、データ、インフォーメーション、インテリジェンスはネットワークなどを介して循環しながら確度を上げていくのではないか。
以上のような分析から、各自衛隊が持つプラットフォームへの電子戦器材の装備というのは極めて重要な原点なのではないかと思えてくる。
「妨害」よりも「収集」する機材の重要度が高い!
特に昔のように長距離通信を高周波の無線機にのみ依存していた時代から、人工衛星や極高周波の通信、戦術LINK、洋上におけるローカルネットワーク、GPSを使用した武器の運用、さらには通信のネットワーク化、デジタル化等の時勢を考えると、日本の防衛のためには本土にだけ足場を置いた情報収集体制だけではなく、洋上で、空中で、また宇宙でデータを収集し、それらを集約し、各省庁が連携して、確度の高い情報を抽出し、インテリジェンスを生成運用していくことが不可欠のように思う。
電子戦器材といっても、もはや冒頭に述べた昔の電子戦とは大きく異なっている。上記のような流れからすれば、妨害よりも収集機材が重要になるのではないだろうか。
ましてや、中国が空母を中心とするバトルグル-プを編成して動くとすれば、相応の態勢を整えなくてはならないだろう。
前述したように米国には電子戦のドクトリンが存在しているが、欧州でも北大西洋条約機構(NATO)として定めるとともに、英国のように個別に定めている国もある。
NATOではドクトリンに基づいた運用と関連する装備が所望の能力や機能を発揮するかを検証するために、NATO全体の電子戦共同訓練を実施している。
情報をインテリジェンスへ生成するプロセスと組織!
この訓練では、電子戦、情報戦、インテリジェンスの生成および活用までが一連の想定の中で演練される。
米国はカナダ、オーストラリア、英国などと環太平洋合同演習にあわせて演習を実施している。これらのことは能力整備だけでなく、運用面での検証の必要性という新たな問題点を日本に提起しているように見える。
本来インテリジェンスが国家の主権と大きく関わっていることを想起すると、データを収集してインフォーメーションとして活用しながら、さらにインテリジェンスを生成する一連のプロセスとその組織は極めて重要な存在である。
そのプロセスと組織や所要の能力は米国でも、NATOでもドクトリンに基点を置いている。
私が電子戦のドクトリンの存在に気づいた時、最初に確認したことは、日本に電子戦ドクトリンが存在しているのかということであり、ないと分かったとき大変がっかりした。
日本にはほとんど存在しないドクトリン!
また防衛省がドクトリンを持たないならば、外務省、国土交通省も総務省も多分ドクトリンはないだろう。
尖閣列島事案の対応を見ると、とてもコンセプトのある対応とは思えないし、ドクトリンといった対応の骨格になるものがないことを証明しているようにも見える。
もしあるとするならば全面的な見直しが必要だろう。米国の文献では中国はドクトリンを整備し、これによる各種活動(サイバー、ハッカーを含む)をしているらしい。
防衛の分野に限定するならば、今後電子戦、情報運用、インテリジェンスについて以下のことを考慮する必要があると思う。
●日米安保に基づく今後の有事対応において、インテリジェンスの整合と情報運用の連携は不可欠である。
米国側がドクトリンなどに基づく体系的データ収集、情報運用、インテリジェンスの生成を実施している以上、日本側がドクトリンの不在のままアドリブ的な対応をせざるを得ないとするならば、同盟や運用の連携において極めて支障となる可能性がある。
態勢の整備が必要である。
●情報軽視による弊害は太平洋戦争の戦史に数多見ることができる。教訓に学び実践する必要がある。日本には文化的背景が希薄なので、本質的な体質改善が必要である。
●電子戦の国際会議では、電子戦や情報戦について論議し、準備することは極めて大切なことであり、当然のことである・・・という雰囲気が充満しているが、日本では何か後ろめたい領域であるかのごとく人々が対応している。
そこで扱われている情報自体と、制度のあり方とはとは別の問題であるように思う。制度についてはもっと論議すべきである。
松譲氏が書いた「日米情報戦」の「まえがき」において氏は次のように述べている。
情報は国の運命を左右する!
「先人は、『勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求める』と、戒めている。我々は本書の中の限られた史実からだけでも、『情報戦で優位に立ったもの』、つまり、『先ず勝ちたるもの』が、『いかに勝利をえたか』をはっきり知ることができる。
「それは武力を用いる“熱い戦争”だけでなく、平時の外交戦などでも、全く同じである。情報は、国家の運命をさえ左右する・・・・・と歴史は教えているのである」
当時と今とでは情報の背景で、また“熱い戦争”の実行手段として機能している通信、ネットワークが格段の進歩を遂げており、情報を制するためには電子戦を制しなければならない時代に我々はいることを忘れるべきではないだろう。
文化的な希薄性を乗り越えて将来に備えた情報体制の整備は、抑止として、また有事において適正に対応するためにも安全保障上不可欠である。
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