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民主党代表選挙
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*新潟県
総数  6,681人
投票数 5,170人

      菅直人      小沢一郎
1区     484人(60,0%)  318人(39.5%)
2区     316人(44.6%) 388人(54,8%)
3区     398人(60.7%) 256人(39.0%)
4区     701人(63.0%) 405人(36.4%)
5区     324人(49.0%) 335人(50.7%)
6区 717人(58.4%) 505人(41.2%)
2,940人      2,207人  
  

党員・サポーター票菅氏に 民主代表選!

 14日投開票され、菅直人首相の再選が決まった民主党代表選挙。本県では、県関係国会議員の支持が互角となった一方、党員・サポーターの支持は菅氏に軍配が上がった。県関係議員から「挙党一致」を強調する声が相次ぐ一方、野党からは、今後の政治運営を疑問視する声が上がった。

■「挙党一致」強調 県関係国会議員では、西村智奈美、黒岩宇洋、菊田真紀子、風間直樹の4議員が菅氏支持を表明したのに対し、田中真紀子、筒井信隆、森裕子、田中直紀の4議員が小沢一郎前幹事長を支持。県連内で支持が伯仲していた。

菊田議員は、「国会議員票でも上回ったことは良かった。やはり国民の声が大きかった」と振り返りつつ、「これからが本当の菅政権のスタート。お互い努力しないといけない」とした。

 西村議員は、「菅総理のリーダーシップのもと、挙党一致で政策実現に取り組む」とのコメントを発表。黒岩議員は、「(党の)分裂はないが、小沢さんを推した人たちの意見も受け入れる政権運営が望ましい」と述べた。

 これに対し、小沢氏支持の森議員は、「世論の大逆風の中、頑張ってやってきたが」と残念がりながら、「新しい民主党としてみんなで頑張らないといけない」と挙党体制構築に前向きな立場。田中真紀子議員は、「(しこりが残るかどうかは)菅さんのやり方次第。菅さんの器量が問われる」とくぎを刺した。

 一方、これまで支持を「未定」としていた鷲尾英一郎議員は、代表選終了後も取材に対し、投票先を明かさなかった。「メディアを通じてではなく、自分が誰を選択したのか、地元の集会などで直接伝えたい」としている。

■全国同様の傾向 衆議院小選挙区単位で行われた党員・サポーター選挙では、6選挙区のうち、菅氏が4選挙区で最多得票となり、小沢氏の2選挙区を上回った。

 有権者6681人に対し、5170人が投票し、投票率は77・4%。前回2002年の代表選の県内投票率(54%)を大きく上回り、関心の高さをうかがわせた。

 全国集計で、菅氏が6割、小沢氏が4割となった地方議員票に関し、県内74議員の支持動向は、「全国と同様の傾向」(県連幹部)になったとみられている。

■野党から疑問の声 自民党県連の長津光三郎幹事長は「国会議員票があれだけ割れた以上、挙党態勢の構築は難しいのでは」、公明党県本部の志田邦男代表は「党内基盤の弱い菅氏に責任のある政治運営が出来るのか」と、それぞれ疑問符をつけた。

 共産党県委員会の樋渡士自夫委員長は、「代表選では、消費税増税か一括交付金かという、国民の負担増の方向しかないことが明らかになった」と断じ、社民党県連の桝口敏行代表は、「代表選の間に円高が進行し、株価も下落した。一刻も早く景気・雇用対策に総力を挙げるべき」と注文した。

(2010年9月15日 読売新聞)
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首相公選制
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E7%9B%B8%E5%85%AC%E9%81%B8%E5%88%B6

【第83回】 2010年9月15日 ダイヤモンド・オンライン
 
 民主党の代表選挙が終わった。菅直人首相と小沢一郎前幹事長の一騎打ちとなり、激戦の末、菅首相が代表に再選された。

 今回の代表選はコップの中の嵐にうつつを抜かしているとの批判もあったが、密室による「談合」で代表が選ばれていたとすれば、自民党政権時代と同じという批判がついて回っただろう。選挙となったことで、菅、小沢両氏がオープンに政権構想を戦わせた。権力の正統性あるいは民主的正当性という意味でも、その点は評価されてよい。

二人の街頭演説を聞く国民のもどかしさ!

 ただ、二つの素朴な疑問が残る。一つ目は代表選前に、国会議員の多くが菅、小沢両氏のどちらを支持するかが色分けされてしまったことだ。有力議員が支持を表明して、選挙への影響力を行使するということは、いずれの選挙でもあり得ることだ。ただし、当選1回の議員も含めて、ほとんどの議員が色分けされてしまったということ、政策を軸にして自らが考え抜いた上で判断したかどうかについては、疑問なしとしない。

 二つ目は代表選出に対する国民の参加である。代表選では公開討論会や街頭演説も行われて、両氏が国民に支持を訴えた。今回は、民主党の国会議員、地方議員、党員・サポーターによる投票だっただけに、末端のサポーターに向けて支持を訴える必要があったという事情は分かる。

 だが、考えてみれば国民に投票権はなく、民主的正当性も民主党という政党内に限定されたものだと言える。国民には選挙権がないのに、街頭演説を行うことを不思議に思い、自分も代表選びに参加したいと感じた人がいたとしてもおかしくない。そう考えると、現在は議論が下火になっているものの、「首相公選制」について、いま一度考慮してみる価値はある。

 政治学の教科書のようで恐縮だが、日本は議院内閣制を採っている。日本国憲法によれば、行政の最高機関が「内閣」で、内閣総理大臣(首相)は国会議員の中から選ばれる。各省の大臣(国務大臣)は首相が任命し、その過半数は国会議員の中から選ばれなくてはいけない。したがって、一般的には国会で最大多数を占める与党の党首(代表)が、内閣総理大臣になって、内閣を組織する。

形式的には、国民が国会議員を選び、その国会議員が首相を選ぶのだから、間接的に国民が首相を選んでいるとも言える。問題は自民党政権末期から、現在の民主党に見られるように、与党の党首=首相が短期間にコロコロ変わる事態が起こった場合である。

 この場合、二つの大きな問題が発生する。一つは民主的な権力の正統性である。与党の事情によって党首が変わっているのだから、間接的にでさえ、国民が選んだとは言えなくなる。二つ目が、リーダーシップの問題である。民主的な正当性に疑問がつくうえに、在任期間が短くなるから、権力基盤が弱く指導力を発揮することができない。

 この問題を克服するための制度として議論されているのが、「首相公選制」だと言える。簡単に言うと、これは国民が直接、首相を選べるという制度で、「直接」という点が、現在の議員内閣制と大きく異なる。もちろん、首相公選制にも多くのバリエーションがある。

自分たちの民主主義の「かたち」を作り上げるとき!

 小泉純一郎首相時代の2002年8月に「首相公選制を考える懇談会」が出した報告書を参考にすると、首相公選制は、次の二つに大別できる。

 一つ目は、国民が直接に首相指名選挙を行うというもの。いわゆるアメリカの大統領制に近い。この場合は、行政を執行する内閣と、立法権限を持つ国会の機能と権限・責任が、明確に分けられる。一般的には、国会は内閣不信任の権限を持たないので、内閣は定められた期間中、長期に安定して政権を維持することができる。官僚の任命権も広がるので、「官僚内閣制」を打破するには、こちらの方が向いていると言える。

 日本の場合は、「首相」と「天皇」のどちらが国を代表する「元首」なのかという問題が起こるものの、この点は憲法上乗り越えられるという意見が強い。実際上の問題は、まず首相にふさわしくない人間が選ばれる可能性があるということだ。この場合は、そういう人を選んだのも国民の責任と言えるが、さらに大きな問題は首相と国会の「ねじれ現象」が起こった時だ。首相を支持する政党と国会の最大多数の政党が異なるケースである。

 このケースでは、首相も国会議員も選挙で直接選ばれているので、現在の衆参ねじれ現象以上に対立が激化して、政策遂行に障害をきたす恐れがある。実際、大統領制度がうまく機能している国は、アメリカだけという評価もある。

二つ目は、議員内閣制を前提とした首相統治体制である。首相の選出に国民が参加できるように、衆議院議員選挙の際に、各政党が首相候補を明示する。つまり、その政党の国会議員に投票することが、首相選びに直結するという方法である。イギリスの首相選びに近い。

 現在とくらべれば、この方法はより国民が首相選びに深く参加していることになる。政権与党も党内の事情や派閥(グループ)の力関係で首相を変えることができないので、政権が安定してリーダーシップも発揮しやすい。

 反面、直接指名選挙と比べると、国民が間接的な参加であることは変わらず、国民から与えられた民主的正統性と言う点では弱くなる。加えて、議員内閣制を維持しているので、国会は内閣に対する不信任の権限を持っており、政権が不安定になることも考えられる。実際に、イスラエルでは同様の制度が導入されたものの、不信任決議が連発されて、政権があまりに不安定になったために、この制度は廃止された。

 こう見てくると、議院内閣制も含めて、完璧な制度と言うものはない。やはり重要なことは、いま日本が直面している課題は何で、それを解決するにはどのよう政治体制が向いているかを、国会議員のみならず国民一人一人が考えることをおいてほかにはない。

 よく日本の民主主義は、第2次世界大戦後に占領軍から与えられたもので、自分たちで勝ち取ったものではないと言われる。現在の制度を前提とするなら、すでに鳩山氏から民主党の代表は代わっているのだから、近い将来に総選挙を行うのが筋というものだろう。もし、民主党がこれからも、政治的課題そっちのけで抗争を繰り返すようなことがあれば、やはり現在の議院内閣制には、構造的な欠陥があると考えざるを得ない。

 首相公選制は憲法改正を必要とするものから、現憲法の枠内で実施できるものまで、いくつかのバリエーションがある。今回にも増して首相候補者が政策論を戦わせ、国民が政治に関心を持つという点において、首相選びのプロセスを改革することは、日本国民が「民主主義のかたち」を考える上で絶好の機会である。

(ダイヤモンド・オンライン客員論説委員 原 英次郎)

2010年9月14日(火)日経ニューメディア 

総務省「フューチャースクール推進事業」実証研究が始まる!

総務省が今年度に実施する「フューチャースクール推進事業」実証研究(「東日本地域におけるICTを利活用した協働教育の推進に関する調査研究」および「西日本地域におけるICTを利活用した協働教育の推進に関する調査研究」)の請負先2社と実証校10校が決定した。

 NTTコミュニケーションズ(以下、NTTコム)が東日本地域を、富士通総研が西日本地域を請け負う。規模や地域、ICT(情報通信技術)利活用の度合いなどの条件が異なる公立小学校を、東西それぞれの地域で5校ずつ実証校として選定した。

タブレット端末を全児童に配布
 実証実験では、全児童と学級担任に対するタブレットパソコンの配備のほかに、全普通教室へのインタラクティブ・ホワイトボード(電子黒板)の配備や校舎内外で通信を行うための無線LAN環境の構築、校務支援やデジタル教材の管理、ポータルサイトやメーリングシステムなどの機能を、クラウド技術を使って提供する「協働教育プラットフォーム」(教育クラウド)──といったICT環境を各実証校に構築する。

 さらに、実証実験のサポートを専任とする支援員を各校に1人以上配置し、授業支援体制を整えることで、整備した環境が実際の授業に活用されやすいよう配慮している。こうした環境の中で、児童がお互いに学び合い教え合う「協働教育」の推進を目的に、実現に必要な情報通信技術面を中心とした課題を抽出・分析する方針である。

 東日本地域を請け負うNTTコムでは、生徒用のタブレットパソコンとして東芝情報機器の教育用端末「CM1」を採用する。CM1は10.1インチ型の感圧式タッチパネル液晶を搭載し、重量が約1.8kgのWindowsパソコン(CPU[中央演算処理装置]には、米インテルのAtomプロセッサーN450を採用)である。本体全体がラバーコーティングされていて衝撃や振動に強いのが特長である。NTTコムでは「海外の教育現場での採用実績などを考慮して選定した」と言う。

 東日本地域では、2010年9月中旬以降、環境整備が完了した実証校からシステムの運用/導入を開始し、教員向けの研修などを行った後、2010年12月から2011年1月下旬にかけて実証授業を実施する予定である。

 一方、西日本地域を請け負う富士通総研では、生徒用のタブレット端末として富士通製「FMV-T8190」のカスタムモデルを採用する。FMV-T8190は12.1インチ型の静電容量方式によるタッチパネル液晶を搭載し、重量が約1.9kgのWindowsパソコンである。インテルの高性能CPUであるCore 2 Duoを搭載しており、「様々な用途で快適に利用できるよう高めのスペックを採用した」(富士通総研公共コンサルティング事業部の中川弘文氏)という。

 こちらは2010年9月上旬から運用/導入を開始し、2010年10月上旬から2011年の2月下旬にかけて実証授業を実施する。

来年度には家庭も含めた形での検証
 こうした環境の整備後、具体的に授業でどう活用するかについては、教員と常駐の支援員が相談しながら決める。ただし実証実験の目的に「ICTを使った協働教育の推進」とあることから、紙の教科書を単純にタブレットパソコンに置き換え、今まで通り教員から生徒への一方向な授業を行うという使い方は想定されていない。

 生徒がタブレット端末に書き込んだ意見や答えを先生がインタラクティブ・ホワイトボードに集約/表示して、その内容についてさらに考えさせるなど、双方向性を生かしながら児童がお互いに学び合い、教え合う教育を実践できる授業モデルが望まれている。

 実証実験の評価方法については、テストの点数が向上するなどの学力による評価ではなく、授業への関心度や学習への主体度がどう変化したかを、教師や家族が評価する形で行われる。

 今回のフューチャースクールの実証実験は、文部科学省が来年度以降に実施を検討している、「ICTを利活用した教育手法を検討する実証実験」と連動することが検討されており、来年度以降も複数年継続される可能性が高い。

 今年度の実験では検証期間が限られるため、主に授業における活用方法に絞って実験が行われる予定だが、来年度以降は東日本と西日本の教育クラウドを接続しての運用実験に加え、タブレットパソコンを持ち帰って家庭での学習にどう利用できるか、教育クラウドを使った学校と家庭とのコミュニケーション機能の活用など、家庭まで含めた形でICTをどう活用できるかについて検証を進めることになりそうだ。

(西畑 浩憲=日経ニューメディア編集)

日本国家のグランドデザイン(後編)飛躍のカギは「都市化」「電力文明」!

2010年9月14日(火)三橋 貴明

 前回と同じ書き出しで、恐縮である。唐突であるが、人間にとって経済上の「贅沢」とは何だろうか? もちろん、人によって定義は異なるとは思う。しかし、筆者は以下のように考えるのである。

 「モノやサービスに短時間、短距離、かつ選択肢がある状況でアクセス(購入)できること」

 要するに、製品やサービスを購入したいときに、即座に買える。しかも「選んで」買える。これこそが、真の意味での贅沢だと思っているわけだ。


2025年には、65歳以上人口が3470万人を突破する

 この種の贅沢を実現するために、最も適したライフスタイルとは何だろうか。日本人が「贅沢」と聞くと、風光明媚な田舎などで、お城のような自宅に住むことを思い浮かべるかも知れない。しかし、人口がまばらな地域において、先の「購入したいときに、即座に選んで買える」を実現することは、かなり難しい。

 少なくとも、ある程度の人口が集中していなければ、「複数の店舗」が存在することは商圏的に不可能だろう。すなわち、日本の場合は、都市においてでなければ、「購入したいときに、即座に選んで買う」を実践することは困難なのだ。

 あるいは、今後の日本で需要拡大が見込まれる、高齢者向けの医療サービスである。短時間、短距離に位置し、複数の医療機関の中から、ユーザーがサービス提供者を選択できる環境は、それこそ都市部以外ではあり得ない。

 都市部以外の環境では、医療機関の選択肢が限られるのはもちろん、ユーザー側が自動車を運転してサービスを受けに行かねばならないのが普通だろう。これは、特に高齢者にとって、なかなか深刻な問題だ。

現実問題として、高齢化の進展と需要拡大により、全国あまねく高水準の医療サービスを「選択肢」つきで供給することは、ほぼ不可能に近い。特に、団塊の世代が75歳以上に達する2025年には、65歳以上人口が3470万人を突破する見込みなのだ。しかも、その過半が75歳以上である。

 若い世代であれば、自動車で病院に行くことは苦にならないかも知れないが、高齢者の場合はそうはいかない。今後、2025年のピークに向け増え続ける高齢者が、自動車を運転して医療サービスを受けに行かねばならないなど、あまり嬉しくない未来だ。しかも、日本の高齢化は別に2025年で終わるわけではない。


高齢ドライバーの交通事故は大きな社会問題

 なぜ「自動車で医療サービスを受けに行く」にこだわっているかと言うと、実は、今後の日本において、高齢ドライバーの交通事故が大きな社会問題になる可能性が高いためだ。と言うよりも、現時点で既になっている。

意外に思われる方が多いかも知れないが、日本国内の事故発生総数は、2004年以降は着実に減少していっている。これは主に、若い世代の交通事故が激減していることによるものである。

 しかし、年齢と共に反射神経や運動神経が落ちていくのは、これはもう避けられない話だ。全体的な交通事故が減少していく中、高齢者の交通事故は着実に増えていっている。高齢化の進展と共に、高齢ドライバーの数は今後も増えていくであろうから、当然ながら悲惨な交通事故も増えていくことになるだろう。

別に、医療サービスに限らないが、高齢化進展により拡大する需要に対し、国家経済がどのように適切な供給を維持するか。将来におけるパーソナルな需要拡大に対する供給不足を防ぐために、「今」どのような投資をするべきか。将来の問題を解決するために「今」投資をすることで、現在の需要不足を解消する。そのための「第1歩」の投資こそが、「今」の日本政府に求められているわけである。


日本国内の犯罪認知件数は減り続けている

 現在の課題に対処すると同時に、将来的な問題も解決する。そのためのキーワードこそが、「都市化」及び「電力文明」だ。

 実際に暮らしている人は、諸手を上げて賛成してくれると信じるが、日本の大都市における生活ほど「贅沢」なものはない。先にも書いたように、製品やサービスへ「短時間」「短距離」かつ「選択肢」つきでアクセスできる上に、犯罪も少ない。

 日本のマスコミなどで報道されることは少ないが、実は日本の犯罪件数(認知件数)は2002年をピークに減り続けている。2002年に年間285万件に達した日本国内の犯罪認知件数は、2009年には170万件にまで減少した。この期間、一度も前年を上回ったことがない。ついでに書くが、殺人事件の件数は、2009年に戦後最低になった。

 テレビなどで、凶悪事件が繰り返し報道されているのを見ていると、信じられないと思う。しかし、日本国内の治安は、近年、着実に改善されてきているのだ。そもそも、海外諸国と比べて犯罪率が低い日本において、さらに犯罪件数が減少してきているのである。


東京圏は圧倒的に巨大なメガロポリス

 結果、東京や大阪などの都市圏は、世界で稀に見る「住みやすい大都市」に成長した。意外と知らない人が多いが、東京圏の人口は3568万人(2007年、国連統計局)を超え、2位のニューヨーク圏(1904万人)を引き離し、世界的に見ると圧倒的に巨大なメガロポリスなのである。この東京圏の拡大を促進した要因であるが、1つ目が犯罪の少なさ、そして2つ目が公共交通機関の発達である。

 特に東京などが顕著であるが、街中をお年寄りが健康そうにスタスタ歩いている光景を頻繁に見かける。日本人は見慣れているかも知れないが、あれは世界的にはかなり珍しい光景なのである。「低犯罪率」「公共交通機関の充実」。この2つが揃っていなければ、お年寄りが自由に街の散策を楽しむことは、かなり難しくなってしまう。

 逆に、犯罪が少なく、公共交通機関が充分に整備されていれば、お年寄りが自ら自動車を運転して、病院や買い物に行く必要がなくなるのである。短時間、短距離を歩くだけで、病院や商店や商品を「選べる」。筆者は、これこそが真の贅沢であると確信しているが、それらを高齢者に提供可能な唯一の存在こそが「都市」なのだ。

 すなわち、世界で最も早く高齢化社会を迎えた日本が、将来的な供給不足という課題をクリアするための鍵は、既に世界最高峰に達している都市部の更なる発展なのである。


都市部での生活こそ人間にとって「贅沢」

 具体的には、東京など、ある程度発展した都市については、外郭を巡る環状道路の整備。「通り抜ける」目的で、都市に自動車が流入するのを防ぐ必要があるのだ。これにより、都市部の物流をさらに効率化し、企業の生産性や生活者の利便性を高めることができる(ちなみに、現時点でも日本の物流効率は、G8=主要8カ国の中ではドイツに次いで高い)。

 さらに、これは筆者以外の人々も主張しているが、学校や病院の耐震化。そして、電柱の地中化。電柱の地中化は、町並みの問題もあるが、それ以上に耐震や安全対策上も重要である。

 このような書き方が適切かどうか分からないが、いわゆる老人ホームを風光明媚な地区に造るべきではない。老人ホームこそ、都会の駅の上に造るべきだ。なぜならば、繰り返しになるが、都市部での生活こそが最も物やサービスにアクセスしやすく、人間にとって「贅沢」な暮らしなのである。

もちろん、いわゆる東名阪などの既存の都市圏のみならず、各地方の「中核都市」へのインフラ投資も必須である。各地方の中核都市に東京並みの利便性を実現し、新幹線などの「高速鉄道ネットワーク」により接続していく。さらに、「ハブ」となるべき東名阪をリニア新幹線で結べば、人口5000万人以上が「電車2時間圏内」に居住する、前代未聞の超都市文明が誕生する。「安全で、便利で、贅沢な生活が可能な都市」を発展させる、あるいは各地に整備することで、高齢者の都市への移転を「促す」のである。

 例えば、医療サービス1つ取っても、高齢者の需要が都市に集中していれば、供給側としては非常に都合がいい。また、需要者側(高齢者側)としても、「いざ」というときに自動車を運転しなくても済む生活こそが、本来は理想であろう。


アメリカ文明とは、別名「原油文明」

 そもそも、買い物や病院に自動車を運転して向かわねばならないというのは、アメリカ文明の賜物である。例えば、アメリカでは食料品や日用品を購入するために、各人が自動車を運転して道を飛ばさなければならない。そうなると、毎日買い物に行くのは面倒であるため、多くの人々が週に1度、ウォールマートなどのGMS(ゼネラルマーチャンダイジングストア=総合スーパー)に、自動車で買い物に赴くライフスタイルが確立した。

 日本人の筆者からしてみれば、週に1度の買い物で、生鮮食料品などの品質が維持できるのかと疑問に思ってしまう。だが、アメリカ人は、購入した食料品を巨大冷凍庫にぶち込み、必要な際に解凍して食べるため、問題はないようである。

 とは言え、生きていけるという点では「問題ない」のかも知れないが、これが本当に「贅沢」な生活と言えるだろうか。個人的には、正直、首をひねってしまうわけだ。

 アメリカ文明とは、別名「原油文明」と言っても構わないだろう。19世紀後半から世界大恐慌まで、アメリカは国内から「湧き出た」原油を活用し、まさしく新たな文明を築くことに成功した。当時は、世界の原油使用量のうち、アメリカ1国で何と7割を占めていたのである。

 特に、1908年以降、アメリカ人が何の製品に原油(と言うかガソリン)を消費したのかと言えば、言うまでもなく自動車である。1908年はフォード・モーターがT型フォードを発売した年で、まさしくこの年からアメリカ、いや世界の「車社会化」が始まったと言っても過言ではないのだ。


乗用車だけで6000万台近い「リプレイス市場」

 自動車という極めて便利なツールが誕生した結果、アメリカ式のライフスタイルが世界中に広まっていった。自動車を運転して買い物に行く、自動車を運転して病院に行く。その際に、必ず「ガソリン」を消費する。これらはまさに、アメリカ式原油文明の落とし子なのである。実際、日本で使用されている原油資源は、運輸(すなわち自動車用ガソリン)分だけで国内エネルギー消費全体の2割を上回っているのである。

T型フォード発売から100年以上が経過したわけだが、ここで「ある国」の政府が、以下の宣言をするというのはどうだろうか。

「我が国の自動車は、10年以内にすべて電気自動車に買い替えられなければならない」

 結果、その国では乗用車だけで6000万台近い「リプレイス市場」が生まれるわけだ。無論、政府が国民に買い替え促進用のインセンティブを提供し、高速充電器などへの投資も必要になるだろう。だが、それ以上に国内の自動車メーカが、まさに目の色を変えて投資を拡大していくことになる。さらに、国内エネルギー消費の2割を超える、膨大なガソリンから生じる排ガスが、きれいに消滅するわけだ。都市の居住環境は、楽しいほどに改善されるだろう。

また、せっかく電気自動車を大々的に普及させるのであれば、都市部におけるITS(高度道路交通システム)との連携にも期待したい。自動車が「道路」と、あるいは自動車間同士で通信をすることで、交通事故を飛躍的に減らすことができるのだ。


実現できる国は日本以外存在しない

 そもそも「交通事故」とは、アメリカの原油文明が生んだ徒(あだ)花だ。原油などの資源そのものに依存するのではなく、「電力そのもの」に依存した文明、すなわち電力文明への移行を果たすと同時に、交通事故を過去のものにしてしまうことすら、「その国」が適切な投資をすれば夢物語ではないのだ。

 交通事故の存在しない(あるいは少ない)都市部。そもそも「低犯罪率」「公共交通機関の充実」というベネフィットに、「交通事故が少ない」という魅力が加われば、全国の高齢者を都心部に引きつけることが可能だろう。結果、パーソナルな需要が都市部に集中し、医療サービスなどの供給不足を緩和できる。

 原油とは、石炭などに比して非常にエネルギー効率が高い資源だ。とはいえ「資源そのもの」に依存した文明は、資源の存在自体が戦争の遠因になってしまう。ところが、「電力文明」の場合は、資源の種類は問わないわけである。エネルギー源が石炭や天然ガスだろうが、原油だろうが、太陽光発電だろうが、あるいは原子力やメタンハイドレート(これは天然ガスの一種だが)だろうが、電力そのものに依存した文明であれば、資源をめぐる戦争は起きにくくなるだろう。

 とはいえ、上記のような「都市化」「電力文明への移行」を実現できる国は、そう多くは存在しない。自動車産業、家電・半導体産業、鉄道・道路などのインフラ産業、通信産業、そして原子力産業などが揃って健在でなければ、到底、実現できないのだ。そして、そんな国は、今や世界に日本以外に存在しないのである。


世界の戦争を減らせる可能性すらある

 さらに「都市化」「電力文明への移行」というソリューションは、日本企業が得意の「すり合わせ」が必須になる。モジュール化やら、グローバルスタンダードやらの出る幕はないのである。そして、「都市化」や「電力文明」で培われた技術、製品、サービスは、当然ながら将来の輸出シーズになるわけだ。

 また、都市化というソリューションは、今後、高齢化社会を迎える世界各国へのお手本になり得る。さらに、資源そのものではなく「電力そのもの」へ依存した文明への移行を率先して果たすことで、世界の戦争を減らせる可能性すらあるのである。

 あとは、日本が「将来の問題を解決するため」に、「今」適切な投資を実施するかどうか。すべてはそこに、かかっているわけだ。

DIAMOND online 週刊・上杉隆 【第141回】 2010年9月9日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E9%9A%86


「独裁」の足音が聞こえてきた。「世論独裁」という新しい足音が…。

 霞ヶ関と記者クラブメディアで作られる「官報複合体」、そこに絡め取られた菅内閣のなりふり構わぬ戦いの様子が垣間見えてきた。

 彼らの振りかざす「世論」という怪物は、あらゆる声を掻き消し、もはや「独裁」の様相を呈している。それは「世論独裁」と呼ぶにふさわしい、半ば暴力的な政治状況を生み出している。

 民主党代表選の投票を、来週に控えて、永田町、とりわけ民主党議員の動きは激しい。

 新人議員は、日々の情報に右往左往しながら、相手陣営の様子を探ったり、あるいは後援会などの声を聞いて、支持を決めようと悩んでいる。

 仮に、民主党議員が、新聞やテレビに触れれば、「政治とカネ」という文言が目に付き、耳に飛び込み、連日のように行われる世論調査の圧倒的な数字を前に「菅支持」に傾くことになるだろう。

 一方で、立会演説会やネットのサイトを訪れた議員は、驚くべき「小沢コール」の前に圧倒され、記者クラブメディアとは全く逆の空気を知って、「小沢支持」に流れることになるかもしれない。

「国民は説明を求めているんですよ」 「世論を無視することは許されない」

 いま、筆者は、札幌で開かれる菅首相と小沢前幹事長の立会演説会に向かっている。北海道に向かう飛行機の搭乗直前、筆者の観たテレビ番組では、いつものように評論家やコメンテーターたちが頼まれもしない「世論」の代弁者として熱弁を奮っている様子が飛び込んでくる。

 その批判の矛先は、ほとんど例外なく「小沢一郎」に向かっている。

世論調査の数字を振りかざし、「政治とカネ」という具体性に乏しい文言を金科玉条のごとく叫び続け、結果、テレビや新聞はきょうも「世論」という「虚構」で、それこそ世論を煽っている。

 思考停止の記者クラブについては、もはや本コラムの読者には説明不要だろう。

 今回の民主党代表選の問題はそうした不健全な記者クラブメディアの存在にあるのではない。自ら考える力のない新人議員たちが、「世論」という「大本営発表」にいとも簡単に騙されてしまうことにあるのだ。

 早速、その「大本営」の一端を検証してみよう。

大本営発表の例「小沢首相=解散」説、「小沢首相は菅グループに報復」説を検証する
 〈小沢首相になれば、解散に打って出るだろう〉

 テレビ番組では、新聞社や通信社の元政治部記者たちがしたり顔でこう解説している。端的に言って、バカも休み休み言ってもらいたい。

 野党・民主党の小沢代表時代、本コラムでも指摘したが、衆議院に300を超える議席を持っている与党の首相が、いったいなぜ解散をする必要があるのだろうか。

 そもそも、小沢氏本人が、自身の代表記者会見(当時)でも、独自の予算編成の必要性から少なくとも政権を獲得したら3年程度は選挙をすべきではない、と意思表明しているではないか。

 さらに、民主党政権による本当の「予算」とは一年目に編成し、翌年にそれを執行し、さらに翌々年の決算まで行えば、それで真の政権交代になる、と直接の表現ではないものの、そう解説していたのも小沢氏自身である。

 逆に、解散に打って出るなどとは、ただの一言も語っておらず、それは既存メディアの願望に過ぎないのである。


つまり、小沢氏がそう言っていると報じれば、解散を恐れる足腰の弱い一年生議員が、雪崩を打って菅支持になびくという菅陣営のスピンコントロールに乗ってしまっているにすぎないのである。

 また、テレビや新聞の政治解説者らはこうも語っている。

〈小沢首相になれば、菅グループへの報復がすぐに始まる〉

 これも大阪での演説会や国会での記者会見に出ている筆者からすれば、まったく逆だと断言できる。

 小沢氏は一貫してこう言っている。

「代表選後は、鳩山、菅のご両人には政権の重要なポストで仕事をしてもらう」

報復する可能性が高いのはむしろ菅氏の方ではないか 一方の菅首相は「脱小沢」を言ったかと思えば、「トロイカ体制」に賛同し、再び「脱小沢」となり、さらに「挙党一致」、はたまた「独自路線」とめまぐるしく方針を変えている。

 つまり、素直にこの言葉を信じれば、報復の可能性のあるのは小沢氏ではなく、菅氏の方にある。

 実際、2006年の代表選でぶつかったこの二人だが、勝者の小沢氏は野党とはいえ、菅氏を重要役職で処遇している。

 だが菅氏の方こそ、首相になった途端、「小沢氏はしばらくの間、黙っていてほしい」と述べ、実際、報復人事を行って小沢グループを排除しているのだ。

 新聞・テレビの記者たちはいったい何を取材しているのだろうか。

民主党議員はあくまで自らの信念で投票を民主党の新人議員が、菅氏、小沢氏のどちらを支持しても構わない。所詮、これは民主党内の選挙だ。

 ただ、くれぐれも「官報複合体」の作った「世論」という「虚構」に惑わされず、自らの信念でもって、日本の新しいリーダーを選んでほしい。

「世論」は常に正しいとは限らない。1933年のヒトラー登場も、1941年の太平洋戦争も、1970年代のベトナム戦争も、2003年のイラク戦争も、当時はすべて「世論」の圧倒的な後押しがあった。そうした「世論独裁」が国民を不幸な戦争に引きずり込んだのである。

 政治家に求められるのは、場合によってはそうした「世論」に逆らっても、「にもかかわらず」と言い切る信念によって、決断することではないか。

 これは筆者の言葉ではない。約90年前の1919年、ドイツのマックス・ウェーバーがその講演の中で語った言葉である。

「官報複合体」という日本特有の「怪物」が、「世論」という危険な武器を持ってなりふり構わぬ攻撃を行っている。

 甘言の陰には「独裁」が潜んでいる。民主党議員らは、騙されることなく、その一票を国家のリーダーに投じてほしい。

本文4ページ目の4段落で、当初『そうした「世論」に掉さしても、』とありましたが、読者の方から誤字・誤用とのご指摘をいただき、現在の形に訂正させていただきました。
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