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~日本そして世界への教訓(第1回)――元スウェーデン財務大臣 ペール・ヌーデル
2010年12月17日 DIAMOND online
強い経済、強い財政、強い社会保障」を掲げて誕生した菅政権だが、いまやその姿は全く見えない。一方、世界に目を凝らせば、高い成長と充実した社会福祉を実現している国がある。その一つが北欧のスウェーデンである。
スウェーデンは、1990年代にバブルの崩壊で、日本をも上回る金融危機を経験した。日本との違いは、その90年代に税制、財政、福祉、年金制度について、「世紀の大改革」と呼ばれる構造改革を敢行したことだ。
もちろん、社会保障も含めた国民負担率は65%と日本の39%を大きく上回るが、国民はこのスウェーデン・モデルを支持している。いまや同国は高福祉・高負担の停滞した国ではない。
スウェーデンはどのような改革を行い、競争優位を確立していったのか。2004年から06年に、財務大臣を務めたペール・ヌーデル氏の特別寄稿を掲載する。
民主主義、情報技術、市場経済という、三つの大変革が地球を飲み込んだ!
過去20年間において、三つの大きな波、あるいは革命と呼んでいいかもしれない変化が、地球全体を飲み込みました。
第1は、民主主義の波です。1989年、これはベルリンの壁が崩壊した年ですが、米国のNGOの統計によれば、当時は、実質的な民主主義国家は、世界の中でも69ヵ国しかありませんでした。それが今日では120カ国以上の国々が民主主義と認められています。今や人類が共存していく一つの標準が、民主主義であると考えられています。
2番目の変化は、大量の情報伝達という目に見えない波です。私たちのほとんどが、いまポケットの中に携帯電話を持っています。しかも、この携帯電話は単なる携帯電話でなく、強力なコンピュータです。IT革命はわれわれの日々の生活を、劇的に変えました。情報技術によって、人々はつながり、それと同時にどんどん市場が大きくなってきました。
このことが3番目の変化につながります。市場経済原則の上に構築された、巨大な新規市場の台頭です。つまり、非効率な計画経済はもう時代遅れとなってしまいました。共産主義の衰退とともに、新たに生まれた市場経済が、過去20年間に世界を席巻してきました。
その結果、世界経済の規模は、1999年の31兆ドルから、2008年の62兆ドルへと倍増しました。このように大きな成長があったにもかかわらず、インフレ率は低く、06年、007年の2年間は、124カ国が4%以上の経済成長を達成しました。これが過去20年間における、素晴らしい経済成長のピークであったと言えるでしょう。
この民主主義、情報技術、市場経済という三つの大変革は、個人、産業、国家それぞれに、大きな変化がもたらしました。例えば、中国だけでも、経済成長によって、実に5億人が貧困から抜け出したのです。
成熟した市場経済の国々、例えばスウェーデンなども、強力な経済発展の恩恵を享受することができました。輸出主体の国々は、急速な世界市場の拡大によって、大きなメリットを得ました。スウェーデンのGDPに占める輸出の比率も、1990年の30%から昨年には50%にまで高まりました。
環境、不均衡、国際レベルの民主主義、という三つの新たな課題!
しかし、20年間の素晴らしい世界経済の発展の結果、三つの大きな問題が発生しました。
まず第1点目が環境問題です。新興国は富においても社会福祉の面でも、先進国に追いつくために、成長を追い求めています。CO2の排出量を削減することと、この成長をバランスさせる難しさは、皆さんご存じのとおりです。
2番目の問題は、急速な経済成長によって、非常に大きな世界経済の不均衡が生まれたということです。もっとも顕著な不均衡は、アメリカと中国との間の貿易不均衡でしょう。
3番目の問題は、国家のレベルでは、民主主義は間違いなく勝利を果たしましたが、世界レベルでは、民主主義はまだまだ弱いということです。実は国連のシステムは、1945年当時の世界を反映したものです。08年に金融危機が発生し、世界的な協調が必要とされたときに、OECDよりも、あるいはブレトン・ウッズ体制よりも、G20の方が現在に適合した機関として、機能することができました。
さらに、グローバルレベルで、どうやって、こうした民主的な制度を打ち立てていくかという問題は、国家レベルでも挑戦を受けています。ヨーロッパにおいては、現在、この民主主義がポピュリズムや左派・右派からの批判といった形で、さまざまなチャレンジを受けています。
これまでの経験を鑑みると、これから先の数年間は、政治的にも経済的にも、相当の試練が待ち受けていると思います。新たな地政学的勢力図が、姿を現しつつあります。政治的なパワー・バランスは東、西、北、南との間で調整されなければならないでしょう。財政赤字、債務、高失業率に苦しむ国々も出てきます。デフレや弱い国内需要に苦しむ国も出てくるでしょう。それによって、多くの政府は政治不信に直面することになるでしょう。金融危機の余波によっても、政治的な危機が起きるかもしれません。
しかし、私は金融危機が起きる前よりも、現在の方がスウェーデン・モデルから学ぶ教訓は多いと信じています。水晶玉を見て占うより、バックミラーを見て、歴史から学ぶ方が私の好みです。そこでスウェーデンの改革の歴史を振り返ることから始めましょう。
スウェーデンの歴史から学べること1990年代の構造改革とその結果!
19世紀後半、スウェーデンは欧州における最も貧しい国の一つでした。しかし、その後スウェーデンは、急速に近代の産業国家へと変貌を遂げることができました。
つまり国、企業、労働組合との間の暗黙の三者協定が、スウェーデン・モデルを完成させたのです。市場経済と高い税率、収益性の高い産業と強い労働組合、そして活力ある民間部門と質の高い公共セクターの組み合わせは可能であるということを、スウェーデン・モデルは証明しました。
スウェーデン以外の多くの人々は、スウェーデンをモデルとするか、それを拒否するかのどちらかでした。1994年には、スウェーデン・モデルは大混乱をきたし、そのときにさまざまな疑問が出てきたからです。1990年代の初頭、スウェーデンは1930年代の大恐慌以来、最悪のリセッションに陥っていました。その当時、3年間で政府債務が倍、失業率は3倍、公的赤字が10倍になりました。
94年の政府予算の赤字はOECD諸国中最大であり、GDPの10%にも達したのです。実質金利ショックというものが起こり、国内需要は低迷しました。90年代初頭の問題の一部は、80年代の政策、しばしば自国通貨クローネを切り下げていたことに、関係していました。通貨の引き下げによって、本来なら必要な構造的な変化が行われなかったからです。
94年に誕生した新しい社会民主党政権は、この通貨切り下げ戦略は失敗だ、だから決然とした行動が必要だと考えました。つまり、財政赤字を大幅に削減することによってのみ、スウェーデンは安定的で持続的成長ができると、判断したのです。
それで何をしたかというと、われわれは増税を実施し、歳出削減をしました。苦闘の4年を経て、98年にはなんとか財政黒字を達成しました。
財政再建プログラムを実施すると同時に、いくつもの構造改革を実行しました。主のものは次の四つ点です。
① EUに加盟して、域内市場にアクセスしました。
② 年金制度の大改革を実施しました。年金制度を持続不可能な賦課方式から、一部、積立方式を取り入れた、定額拠出制度に変えました。
③ 新しい予算策定プロセスを設定しました。歳出に上限を付けて、黒字目標を設定するというシステムです。
④ 中央銀行に独立性を与え、インフレ・ターゲティング政策を採用しました。
結果はどうだったでしょうか。
第1が高成長の実現です。この10年で、スウェーデンはEUあるいはOECD諸国の平均よりも、高い成長率を記録しました。
第2が高い雇用率です。雇用率はEUの中では第2位であり、直近の金融危機の前で、失業率は4%程度にまで低下しました。
第3が低いインフレ率、第4が強い財政です。私が財務大臣だった2006年には、財政黒字はGDPの3%に達しました。
構造改革の結果得られた6つの競争優位性!
① 強力な国家財政
この過去の実績から何が言えるでしょうか。ほかの国が学ぶことのできる競争優位性はあるのでしょうか。私の答えは次の通りです。
第1は強い国家財政が、規模が小さくて、開かれた経済における脆弱性を低下させるだけでなく、低インフレと高い実質賃金を可能とする、機能性の高い経済の基盤となるということです。
重要なことは経済政策のために、財政目標の枠組みがきちんとできるということです。
90年代の財政再建の過程で、長期的な目標は政府と議会により設定されました。最初からそういう長期目標設定がプロセスに入っているわけではなかったのですが、目標設定が、歳出削減を行うのに有効な道具となりました。
ターゲットを設定したことで、政策を測定し評価することが可能になり、政治家や公務員の削減への動機付けとなり、説明責任も果たされるようになりました。つまり、長期目標設定はパワフルなコミュニケーションのツールであり、政府がその優先事項について、はっきりとメッセージを出せるようになったのです。
1996年から2000年の間に、失業率を8%から4%にするということが、政府の最も重要なターゲットであり、まさにこれが雇用に関しての論議の争点になりました。そして社会民主党は、自らが達成したい目標――すべての人のための公平さと富、経済の回復と社会的正義に焦点を当てた財政再建――を明確に掲げました。
加えて、政府は財政的な目標も設定しました。1998年には予算は均衡させる。もう一つは1回の景気循環を通して、平均すれば財政黒字をGDPの1%にするということです。
財政黒字の達成には、いくつかの動機付けがありました。まず、21世紀には、高齢化の進展によって、財政は非常に圧迫されます。財政黒字によって、この問題への首尾一貫した対応が可能になるということです。
次がリセッションが訪れたときに、公的セクターで経済を安定させる余力を確保しておくということです。GDPの1%の黒字があれば、財政赤字拡大の脅威にさらされずに、対策を取ることができます。また、外国からの借金を増やさずに、民間セクターが高水準の国内投資を行う余地を生むことになります。
不景気のときに、財政黒字がスウェーデンの脆弱性を抑えることができることは、疑いようがありません。強い財政と持続可能な財政黒字によって、リーマンショックなど昨今の金融危機に際しても、その悪影響をより小さいものにとどめることができたからです。
② 開放的な経済政策
二つ目の競争優位性は、スウェーデンがオープン・エコノミーだということです。スウェーデンには、いろいろな国際的企業があります。世界中でよく知られているのは、例えばABB、エリクソン、H&M、IKEA、スカニア、サーブ、ボルボなどです。われわれの輸出のレベルはGDPの50%を占め、輸入はGDPの42%を占めています。小さな、そして開かれた国として、スウェーデンは長い間、自由貿易を支持してきました。
しかし、私どもは決して、その自由貿易が当然だと思ってはいません。最近でも、いろいろな国で、保護主義が台頭し、多くの人々は激しくなる国際競争を恐れています。しかし、保護主義というものは、問題の解決策にはなりえません。
逆にこの20年間、自由貿易が世界経済の成長を牽引してきました。将来にわたっても、自由貿易は高い成長を実現するために必要です。したがって、われわれは自由貿易に対する支持を、国際的な場でしっかりと訴えていかなければいけません。同時にわれわれも自国の産業を守るために、他国の産業に来てもらっては困るというような態度ではいけないわけです。
われわれは自由貿易主義者ですが、それだけでは十分ではありません。われわれは、フェアな貿易主義者である必要があります。
依然として、世界には豊かな国と貧しい国の間に、非常に大きな貧富の格差があり、そのプレッシャーが、より豊かな国にかかっています。スウェーデンは、その責任を果たすということで、国民総所得(GNI)の1%を、ODAとして拠出しています。われわれはG8のメンバーではありませんが、この「G1」を、非常に誇りに思っています。
豊かな国々が、完全に市場を開放しない限り、ODAを拡大して支援していくことは必要です。私たちは富と市場を分け合わねばなりません。支援ばかりでなく、われわれは国内市場を開かなければなりません。
豊かな世界は、1日当たりに10億ドルを農業の補助金につぎ込んでいるのですが、ODAはすべて合わせても、1日当たり3億ドル以下です。われわれは、世界の上位10%の人々があらゆるものの85%を所有しているという世界に生きているのです。こういう世界は維持できるものではないのです。(以下、後篇に続く)
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