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統一地方選を控えるも、もはや打つ手なし?
2010.12.17(Fri)JBプレス 松尾信之
民主党政権にとって勝負所だが、大惨敗すると思う」(読売新聞12月8日付)という小沢一郎の予言が的中した。
12月12日に投開票された茨城県議会議員一般選挙(茨城県議選)。過去最多の24人(公認23、推薦1)を擁立した菅民主党に、茨城県民は「NO!」を突きつけた。
幹事長の岡田克也は公示後2度も現地入りしてテコ入れをしたが、有権者は踊らず、4分の3の候補者が討ち死に、民主党は現有議席6に1議席の上積みもできない惨敗を喫したのである(下の表)。
そうなれば地方が火を噴く」(小沢一郎、同新聞)のは確実。民主党は党中央から地方組織まで、一触即発の危機に追い込まれているのだ。
1年半前、自民王国・茨城の全選挙区と比例区(2)と合わせて9人の衆議院議員を生み出し、政権交代を実現した民主党の勢いはどこに行ってしまったのだろう。
民主党が3人の衆院議員を抱えながら、県会の1議席も獲得できなかった取手市選挙区に焦点を当てて、「民主党メルトダウン(炉心溶融)」の原因を検証してみる(文中敬称略)。
民主党議員がみんなの党から出馬して当選!
「県議選、初挑戦ですが、当選を果たすことができたことを報告します。取手市と利根町を選挙区としていますが、取手市を地盤とする民主党衆議院議員が3人もいる土地柄です。ここで団体、組合などの支援を求めず、草の根選挙を行ってきました(略)選挙戦、ライバルであった民主党候補は最下位でした(以下略)」
取手市選挙区から出馬し、3位で当選した「みんなの党」細谷典男が自らのメルマガにこう書いている(当選・落選を問わず、この種の結果報告は公職選挙法178条「選挙期日後のあいさつ行為の制限」第2項に抵触するが、その判断は警察に任せる)。
問題は、民主党の取手市議会議員だった細谷が、なぜ渡辺喜美の「みんなの党」公認で出馬し当選したのか、ということだ。そこに民主党惨敗の原因と、菅民主党の最大かつ決定的な弱点を解明するカギがあるのだ。
取手市選挙区は、衆院小選挙区で言えば茨城3区。そのヘソにあたる県南の玄関口である。
政権交代を実現した前回総選挙では、民主党の小泉俊明が初めて自民現職の葉梨康弘(元自治相・葉梨信行の女婿)を破り、「自民王国茨城に吹き荒れた民主党の竜巻」の象徴的な選挙区と言われた。
今回の県議選で取手市選挙区は、従来の「取手市選挙区」(定数2)に「北相馬選挙区」(定数1)が合体し、定数3となった。立候補者は現職1、新人4の計5人。有権者の審判は以下の表の通りだった(当日有権者数10万7539人、得票数は選管確定)
最下位だった竹原大蔵は民主党・小泉俊明代議士の元公設秘書。いくら33歳の新人とはいえ、小選挙区選出代議士の元公設秘書が共産党の後塵を拝しての最下位落選は尋常ではない。一体何があったのか。
「今の民主党は政党の体をなしていない」!
「一言で言えば、民主党国会議員とその周辺の驕(おご)りと個利個略がこの結果をもたらしたのではないか」と地元の民主党関係者が匿名を条件に説明してくれた。
「民主党県連会長の郡司彰(参院議員)は、『北風が吹いているところに氷雨が降ってきた。大変強い向かい風だった』とマスコミに語り、菅内閣の内政外交のオソマツさと、小沢国会招致をめぐる党内対立を惨敗の原因に挙げていました。
しかし、県連会長までがそういう責任転嫁の総括しかできないところに民主党の問題があるのです。
中央では、菅(直人)首相、仙谷(由人)官房長官、岡田幹事長、前原(誠司)外相、小沢元代表、鳩山(由紀夫)前代表といった民主党幹部の誰ひとりとして政権交代後のマニフェスト放棄、党内抗争、未熟な内政外交策による有権者への裏切りの責任を取ろうとしない。
こうした無責任体制が首相官邸・党本部から地方組織に至るまでまかり通り、それぞれが自分の個利しか考えない『個利個略党』に成り下がっている。今回の選挙運動を見ていても、党として、組織としてのまとまりが全然感じられなかった。
はっきり言って今の菅民主党は、中央から地方まで、単なる政治好きが集まった烏合の衆。組織政党としての体をなしていませんよ」
対する自民党は、今回初めて「IBARAKI自民党」名で政策パンフやポスターを作り、これまでの個人戦選挙から団体戦方式にシフトチェンジする変化をみせた。これはもともと民主党が得意としていた戦術である。サバイバルを狙う自民党の危機感が民主党を上回ったということか。
この候補者選定では勝てるはずがない?
民主党はシャッポの菅直人からして「今までは仮免許だった」と国民の気持ちを逆なでするトンチンカン発言をするぐらいだから、あとは推して知るべし。
県議選の候補者選定に関しても、「人選を小選挙区の総支部長である地元衆院議員に任せた。議員たちはここぞとばかり自分の都合、個利個略で候補者を選んだ。その結果、出したい候補・勝てる候補ではなく、自分に都合のいい候補者が選ばれて大惨敗につながった」(前出の事民主党関係者)との見方もあるのだ。
例えば、取手市選挙区で民主党市議として2期目の実績がある細谷を公認していれば、民主党は1議席を確保できた可能性が高い。細谷本人も川口浩(民主党・元取手市議員)の国政転進後は「川口後継」を喧伝して歩いていた。
しかし3区の総支部長・小泉俊明は元秘書を擁立し、細谷を民主党から除名してしまった。さらに3区内では、龍ヶ崎市からも自身の政策秘書を擁立。牛久市、守谷市、稲敷郡北部(阿見町、美浦村)でも新人候補を立てたが、全員敗北。牛久、守谷、稲敷郡北部に至ってはダブルスコアの惨敗だった。
現職が落選したひたちなか市などを抱える衆院4区でも、4人全員落選。土浦市選挙区では政権交代を牽引した県医師連盟が分裂選挙。
結果論と言えばそれまでだが、候補者選定にも問題があったと言わざるを得ないのである。
自民党系政治家は百戦錬磨!
ことほどさように民主党の県議選対応は組織政党の体をなしていなかった。そんな脇の甘さと腰のふらつきは、すぐに敵陣営からの攻撃の的になる。
実際、3区で落選中の自民党前衆院議員・葉梨康弘は「みんなの党」の細谷に「祈 必勝」の為書きを贈り、事務所開きにも駆けつけた。政治の世界は単純明快、「敵の敵は味方」だからだ。
自分の次の選挙にプラスになると思ったら、誰とでも手を握る。民主党も自民党も同じ穴のムジナなのだが、その辺のシタタカさは、百戦錬磨の自民党系政治家の方が一枚上手だろう。
逆に無所属で当選した川口政弥には、民主党・小沢派が選挙前からエールを送っていた。出陣式には「茨城一新会」会長の畑静枝までが駆けつけた。
畑静枝は「衆院選で、比例代表北関東ブロックの名簿に取手から2人を押し込んだ実力者」(前出の民主党関係者)。そんな畑の出席に、「選挙区のしがらみから自民党に入党しにくい川口政弥を一本釣りするつもりではないか」との憶測も乱れ飛んでいるという。
菅内閣では、やはり戦えなかった!
民主・共産「惨敗」、みんなの党「躍進」、自民・公明「現状維持」という今回の茨城県議選の結果は、2011年4月の統一地方選の潮目を暗示している。
小沢の予言通り「菅内閣では地方選挙も戦えない」という地方の声が火を噴き、民主党内での3度目のシャッポの挿げ替えにつながるのか。
それとも、巷間言われているような小沢派脱党・政界再編、自民党を巻き込んだ大連立や、小政党を束ねた政権与党の組み替えにつながっていくのか。
2011年は「辛卯(かのとう)」の年。「辛」は草木が枯れて新たな世代が生まれようとする状態を表し、「卯」は草木が地面を覆う状態を表しているという。果たして日本の政治の閉塞状況は打破できるのか。
為政者は来年こそ、言葉の本当の意味で、「国民の生活が第一」の政治を実現してほしいものである。
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