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片山さつき提供:片山さつきブログ
2010年11月09日
尖閣については、この写真、ブログ読者の方で、転用されたい方は、どうぞ!(すでにお申し入れがありましたので)
写真集作成者さんも、できるだけ多くの方にご覧いただきたいというご意向で、現在私も自民党幹部にも相談して、良い方法をかんがえているところです。
ところで、今朝は、党本部で根室の長谷川市長他、北方領土関係者がお見えになって、あのソ連邦時代ですら起きなかった前代未聞のロシア大統領の国後島訪問について、話し合いました。
現在ロシアの駐在している河野大使は、官邸の秘書官を含め外務省では本当にエリートコースで、「松の廊下」しか歩いて来なかった人です。わたしはその場で会えて外務省から答えさせたのですが、こういうコースの人は、アメリカかイギリス留学で、ロシア語はできないし、ロシア、ソ連大使館勤務経験もありません。
欧州の外交に強い各国にいるようなロシアスペシャリストは、日本の外務省には非常に少ないし、中国や共産圏諸国のように、外交官に徹底して語学を叩き込む訓練もしていません。
私は、ソ連邦が崩壊したときうに、大蔵省の国際金融局でロシア、東欧の担当になり、破綻しそうなこれらの国への債務の繰り延べや、援助パッケージのとりまとめをてがけてきました。
当時のフランスの担当チームのヘッドはいまの欧州中央銀行総裁のトリシェ総裁。アメリカは、サマーズ元財務長官でした。今思えばゴールデンメンバーで、日本は、サミット開催国にあたる93年前後には相当中心的役割を果たしていたのです。
そのころ「政治改革」一辺倒で政局騒ぎを起こし、自民党を割った、そのことにより、不良債権問題はじめ、多くの重要課題に、政治が対応できなくなってしまった、、。小沢一朗氏の罪は、大きいと思います。
当時、日本の外務省のロシア情報があまりにとぼしく、かつ遅いので、国際金融界や商社から情報集めしていました。フランスやイギリスのカウンターパートに聞いたほうが、はるかに早くて正確、、。当時からこの国の外交ってなんなの?まあそれは霞ヶ関の常識でもあるわけですが、、。
それに加えて中国とロシアの大使が二人とも、その道のプロではない、、。
そして、官邸に素人政権が座っている!!!
仙谷官房長官いわく「日本とロシアは交戦状態”Q!」あんたアホカ?
これは悪夢です!中国大使は、民主党が伊藤忠の丹羽さんの取り込み?のため?にか、民主政権の民間登用として任命しました、、。ロシア大使のほうは、自民党政権の末期の最後にこの方になったのは、ちょうどいい年次に、ロシアの専門家がいないからでしょう。よってこちらは構造問題。自民党外交族も、責任あります。
いずれにせよ、メドベージェフ大統領のこのような動きについて、直前に察知せず、日本政府として猛然たる抗議のアクションもとれなかった、、。当然国会に呼んでもいいくらいですが、モスクワに帰してしまった。
あのころ、ロシアは金融破綻し、経済は混乱の局地。私はこの機に乗じて援助をてこに領土問題をうごかかせばいいのに、自民党も意外とのんびりだなあ、と見ていましたが、いまやロシアは経済力がついてしまい、日本からも「進出させていただく」、という空気になってしまっています。
そのなかで、大統領の国後訪問以前から、計画されていたとはいえ、この状況で12日の金曜日に日露経済フォーラムを東京のホテルで開く、経済界同士なら淡々とやればいいですが、経済産業大臣の基調報告が予定され、大統領が副大統領くらいは出席するかもしれない、、。
サルコジ大統領が、中国との巨額の商談をまとめるにあたって、中国首脳を大接待した、と最近ニュースになっていますが、彼らは中国と領土その他でもめているわけではありません。もともと「中華思想」的な国で、中国とはパイプがありますが、ノーベル平和賞受賞者の拘束については早々に抗議しています。
金曜日はどうするのか、、。
根室の一行の申し入れに対して、予算委員会を理由になかなか会おうとしない総理。
【ムネオ日記】2010年11月3日(水)
1日、ロシアのメドベージェフ大統領が国後島を訪問した時、北方領土返還運動原点の地、根室市では元島民はじめ、市民が集まり緊急集会を開き「返せ北方領土」と書かれた鉢巻きを着け「島を返せ」と七度、シュプレヒコールしている。
外交は政府の専管事項である。ロシアに向けて声を出すのではなく、何故日本政府に向けて「領土問題解決に向けて首脳会談を行え」「外務省はまじめに取り組んでいるか」「政府はもっと真剣に領土問題をロシアに訴えれ」と叫ばないのか。
橋本、小渕、森政権迄は日露関係は良好で、領土問題も前進し、島は近づいた。小泉政権以後はどうなったか。政治のツケ、外務官僚の不作為で今回のような状況を招いている。元島民も根室市も政府に向かって声を出すことをお勧めしたい。外交交渉は、国対国のやりとりであるのだから。
それにしても平成13年3月25日イルクーツクでの森・プーチン会談は、一番島が近づいた時期だった。その一ヶ月後小泉政権が誕生し、田中外相の登場である。冷戦時代の、四島一括に戻ってしまい、積み上げてきたものが無くなってしまった。
外交は積み重ね・信頼が基本である。基本を忘れて良い外交は出来ない。小渕首相が倒れなければ、森首相がもう一年続いていたら、と政治の世界「タラ」「レバ」は無いことは承知しているが、思い起こす時、何とも言えぬ無念さ、悔しさが込み上げてくる。歴史を作るというのは、難しいものである。
しかし、昨日の一部朝刊で、鈴木宗男、橋本龍太郎、森喜朗らの時は、ロシアとは太いパイプがあったと書かれている。テレビでも、テリー伊藤さんは「鈴木宗男さんみたいな人が居ないと駄目だ」とのコメントもあった。日露関係の事が話題になる時、「鈴木宗男」という名前が出るだけでも私は国益にかなう仕事をしてきたと自負するものである。
人を批判するのは結構だが、一所懸命頑張った者が否定され、何もしないのが良いとされる社会は衰退していくのみである。
私以上にロシアに一所懸命取り組んでくれる政治家の出現を待ちたい。私は与えられた立場、環境で少しでも北方四島解決に向けて世論喚起をして参りたい。
◇領土問題の敗北は日米同盟がウソである事の裏返しである
2010年11月02日 天木直人提供:天木直人のブログ
領土問題が菅民主党政権の下で急に表面化した。その理由はもちろん菅民主党政権の無能・弱体がある。このままでは日本の領土は失われてしまう。
しかしここまで中国やロシアに押しまくられた本当の理由は米国が日本を本気になって支持しないからである。よく考えてみればいい。日本は米国の同盟国である。日米同盟はもちろん有事の際にお互いが軍事的に協力する事を約束する関係である。
しかし有事に至らなくても政治的に支援する関係であるはずだ。ところが米国は尖閣問題で同盟国でもない中国に押し切られて黙ってしまった。
北方領土問題に至っては米国の態度はもっと酷い。なぜ北方領土問題が起きたのか。なぜ北方領土問題がここまで解決困難なのか。それは米国のせいだ。
スターリンのソ連が日本との不可侵条約を一方的に破って日本の敗戦直前に参戦し、ドサクサに紛れて北方領土を不法占拠した。それを許したのが米国のルーズベルト大統領であった。
戦争が終わってサンフランシスコ講和条約を結んだ時、米国はその講和条約で日本が放棄した千島列島の範囲をわざと曖昧にし、その範囲をめぐって日本とソ連(ロシア)を永遠に争わせようとしたのである。日露分断作戦である。
日本は今こそ日米同盟を盾にとって米国に領土問題での明確な日本支持を要求すべきなのである。ところが前原外相やメディアは一切それを言わない。書かない。
それどころか日米同盟が揺らいできたから中国やロシアが攻勢になってきた、だから日米同盟はもっともっと強化しなければならない、米国の要求は何でも聞かなければならない、と主張している。それは逆だ。
領土問題という主権のかかったもっとも重要な政治問題で、同盟国を明確に支持できない米国は本当の同盟国なのか。これだけ日本が犠牲を払ってきた日米同盟はウソだったのではないか、と米国に迫らなければならないのだ。
日米同盟を根本的に見直す時期が来ているということだ。この事を誰も言い出さないところに度し難い日本の対米従属の姿がある。中国やロシアになめられるはずである。
外交では、昔から宮廷外交とか、首脳外交とか言われているように、一国のトップリーダーが、権謀術数うずまく国際場裡で、場数を踏んだ各国首脳との間で、大きな歴史的流れをくみ取り、大所高所、しかも臨機応変に、自ら決断を行い、国益を守っていくことが求められる。その意味で、いかに首脳外交が重要な役割を果たしうるか、戦略的外交とは何か、ということを、97年11月の「クラスノヤルスク合意」を例に検証しよう。これは「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」という合意である。
時は、九十六年秋の独コール首相と橋本首相の会談にさかのぼる。実は、それまで、クリントン大統領やシラク大統領などと異なり、橋本、コール関係は首脳同士でも一番疎遠な関係だった。それが、はじめての首脳同士サシでの会談、ここで、コール首相は、橋本首相の頭脳明晰さと軽妙洒脱ぶりに個人的好意を覚える。
もともと、旧東側諸国と国境を接する独としてロシアの国情安定は最重要課題であり、独として、ロシア、エリチィン大統領には経済協力をはじめ多大なコミットメントをしていた。また、個人的友情関係もあり、エリチィンはコールを西側最大の盟友と心得ていた。
そのコールが、この会談で、日露間の懸案である北方領土問題についての仲立ち、橋渡しを買ってでてくれたのである。この成果が出たのが、翌年六月のデンバーサミットである。ここで、橋本首相は、日露間の懸案について、胸襟を開き、首脳同士ノーネクタイで、しかも週末、モスクワ、東京の中間地点で非公式会談をしたい、という提案を行う。この電撃的提案をエリチィン大統領が受けるかどうか、外務省はいぶかったが、コールの強力な根回し、「ハシモトは話せる奴、できる奴。一度よく話してみろ」との意見具申が効いて応諾。十一月のクラスノヤルスクの会談になる。
会談日程が決まると、橋本首相はすぐ動く。翌月七月の講演で、「ユーラシア外交」という外交戦略をはじめて打ち出し、当時、NATOの東方拡大や経済的困窮にあえいでいたロシアに助け舟を出した。
ヨーロッパの大国と位置づけられていたロシアに対し、アジア太平洋国家としての発展の可能性を指し示し、「信頼、相互利益、長期的視点」という、いわゆる「橋本三原則」を提唱して、誘い水を、エリチィン大統領に強いメッセージを送ったのである。
大統領もそのシグナルを見逃さない。もともと、ロシア人というのは腹芸、深読み大好き人間なのだ。その証拠に、夏からクラスノヤルスク会談までの間、エリチィン大統領もしきりに「ハシモトは出来る奴、頭のいい奴」というコメントをパブリックに度々表明、日本側の反応を探る。もちろん、狙いは大規模経済援助だ。しかし、ロシアの大統領が、日本の首相のことにこれだけ触れるのもめずらしい。
こうして、お互いのボルテージがあがったところで、クラスノヤルスク会談での「二千年までに平和条約の締結に努力」という合意につながるのである。エリチィン、コール、ハシモトの首脳トライアングルの成果、まさに官僚の根回しだけでは出来ない首脳外交の真骨頂である。
ちなみに、このクラスノヤルスク会談では、多少のハプニングが起きた。エリチィン大統領の趣味は、釣りとサウナで、ここクラスノヤルスクでもわざわざ別荘を改造してロシア式サウナを設け、文字通り「裸の首脳会談」も予定されていた。また、現地に着くなり、エニセイ川の川下りと釣りが準備されていたのだ。これは、自分の得意な領域に相手を誘い込んで、こちらのペースで首脳会談を進めていこうというエリチィン流の魂胆だったが、それを知ってか知らずか、冒頭首脳同士がはじめて会う場面、橋本首相は、自分の趣味であるカメラでエリチィン大統領を「カシャ」、おまけに、日本製のコンパクトカメラをプレゼントした。エリチィン大統領はカメラなどに全く興味はなかったが、結局、ハシモトに使い方を教えてもらう羽目に。これで、自分の算段が完全に狂い、逆に、「やはりハシモトは出来る奴だ」とエリチィンは感心したらしい。
相思相愛の両国首脳が、最早、サウナでそれを確かめる必要もない。エリチィンは、その後の川下りのフェリーの中で、会談冒頭では誰も予想していなかった上記平和条約の話を持ち出す。その話題は、その日の夜か翌日に予定されていたのにもかかわらずだ。そして、川下り後のサウナ会談は必要なしということで中止された。その当時のマスコミは、大統領の健康問題だとか、日本側が外交儀礼上好まないから断ったのだとか、色々憶測で書いたが、内実は、既にうち解けて信頼関係大となっている首脳同士に、小賢しい小道具は要らなかったというだけのことだった。
橋本総理退陣後、日露関係、特に北方領土問題は様々な理由から、そのモーメンタム(勢い)を失った。まずもって橋本、コール、エリチィンといっや主役を張る役者が次々に退場したのが大きい。しかし、国際場裡で首脳同士のイニシアティブで、ある時期局面を急旋回させ活路を開いた意義というものは、それで色褪せたりはしない。首脳外交のお手本として、これからの政権も是非参考にしてもらいたいものだ。
しかし、今の民主党政権には、この外交戦略はおろか、戦術すら微塵もない。やれ尖閣だ、北方領土訪問だと、目先の事件に追われて、その場しのぎの対応にあたふたとするばかり。厳しい外交交渉の経験もノウハウも人脈もない政権幹部が、外務省が持つ情報や複雑な外交経緯すら把握せず、ひたすら外圧に右往左往している姿だけが、国民の前にさらけ出される。
「戦略も理念もない腰砕け外交」。この一点をもってしても、この政党に、この国の国民の生命・財産の安全、国土の保全を任せておくわけにはいかない。
◇ああ!外交無策・・・露大統領国後訪問!
2010年11月15日 江田憲司提供:江田けんじNET 今週の直言
ロシアのメドベージェフ大統領が、先般、国後島を訪問した。現職の大統領が、実効支配しているとはいえ、日本との間で紛争のある北方領土を訪れたのは初めてのことだ。
なぜ、こうした事態に立ち至ったのか。それは、民主党政権の「外交無策」、「ロシアほったらかし外交」の「成果」に他ならない。
ただ、かといって民主党だけの責めに帰すのは若干不公平だ。ことは、小泉政権時代の「ほったらかし」にもあるからだ。この北方領土問題は、橋本政権の「クラスノヤルスク合意」(後述)で頂点に達し、森政権時の「イルクーツク合意」までは、曲りなりにも、その解決へのモーメンタムがあった。それを断絶させたのは、小泉政権だったからだ。
それが政権交代で鳩山政権となり、ロシア側の期待は一気に高まった。なぜなら、鳩山首相(当時)は、日ソ共同宣言(56年)を発した鳩山一郎元首相(祖父)との関係もあり、ロシアとの関係、北方領土問題の解決について並々ならぬ意欲示したからだ。あわよくば、半年以内にこの問題について前進させるという考えを打ち出してもいた。
しかし、それは、鳩山氏の見事なくらいの、いつもの「口先政治」に他ならなかった。昨年11月には、メドベージェフ大統領も、日本の首相の意欲に呼応して「領土問題を前進させたい」との積極的な発言をしていたものの、半年たっても一年たっても何らアクションを起こさない政権に失望し、そして、鳩山氏が首相退任した後、二度も訪ロしたにもかかわらず、単なる世間話、社交をして帰るに及んで、ロシア側の堪忍袋の緒が切れたのだ。「こんな、何ら戦略も提案もない民主党政権をこれ以上相手にしてもしょうがない」。
こういった背景が、択捉島近海での露軍の軍事演習、対日戦勝記念日(9月2日)の策定につながり、それに対し、何ら反発のメッセージを示さない民主党政権をさらにみくびり、今回の国後訪問に至った、といのが真相だろう。
今回のAPECでの日ロ首脳会談では、「北方領土は我が国の固有の領土。この問題を前進させよう」と言った菅首相に対し、露大統領は「クリル諸島(北方領土のロシア名)はロシアの領土であり、将来もそうあり続ける」と答えたという。ロシア側の関心事項である「経済協力」には言及したものの、領土問題は取り合わなかった。これでは、四島の帰属問題ありと初めて認めた東京宣言(93年)よりも後退した、と批判されてもしょうがないだろう。これらは、すべて、民主党政権の外交無策、対ロ無策に起因するものなのだ(次週に続く)。
無能なリーダーによる政治主導が日本を滅ぼす!
2011.02.07(Mon)JBプレス 織田邦男
もし参謀の意見を聞かない指揮官がいたなら、敗軍の将となるのは間違いない。昨年9月の尖閣事案で、政府は中国の圧力に屈して船長を釈放した。この時、外務省には意見を求めるどころか知らせもしなかったという。
敗軍の将となった菅直人首相!
船長を釈放しても中国政府は軟化せず、強硬一点張りの態度に驚いた日本政府は、官僚の助言には耳を貸さず、押っ取り刀で素人の政治家を特使として送り、中国に足元を見透かされた。
案の定、無様な対応で世界に醜態を晒し、菅直人首相は敗軍の将となった。
「政治主導」は今や流行語のようだ。だが国民が危うさを感じるのは「政治主導」と「官僚排除」を同一視している世の風潮だ。
官僚組織はシンクタンクであり専門家の「頭脳集団」である。その先駆的形態は軍隊の参謀組織にある。参謀組織はプロシアで発展した。
それまでは指揮官は自らの才能に依拠して指揮統率を行っていたが、ナポレオン戦争の頃から参謀組織の必要性が認められるようになった。軍隊規模の拡大と機能の多様化に伴って生ずる指揮官の複雑多岐にわたる各種業務を、適切に補佐する必要が出てきたのだ。
史上最強のシンクタンク、ドイツ参謀本部!
平時は軍事研究を行い戦時においては指揮官を補佐する常設機関が、プロシア軍に採用された。参謀組織を育て、戦争ではその機能を駆使したモルトケ参謀総長は、宰相ビスマルクとの絶妙の政軍タッグにより普墺戦争、普仏戦争に短期完勝した。
参謀組織は一躍世界の注目を集めることになる。今日でも歴史上最強のシンクタンクは、プロシアのモルトケが育てたドイツ参謀本部だと言われる。
霞が関の官僚組織は、日本最大のシンクタンクであり最強の参謀本部である。これを使わない手はない。
官僚をバカ呼ばわりし、退けることで悦に浸っている政治家を見ると、有能な参謀を使いこなせない愚劣な指揮官を見るようで、哀れさを感じる。愚劣な高級指揮官は敵より怖いと言われる。
マックス・ウエーバーは近代官僚制の持つ合理的機能を強調し、官僚制は優れた機械のような技術的卓越性があると主張した。もちろん官僚制度の弊害も多いが、むしろ問題は官僚制度そのものよりも、それを使う側にある。
黒子役を忘れ人形師になった霞が関!
参謀組織や官僚組織は簡単に言えば、誰がリーダーでも80点の合格点は取れるように構築されている頭脳集団である。
有能な官僚から英知を引き出し、これにリーダーの先見性、構想力、深謀遠慮、胆力、交渉術などを加味し100点満点を勝ち取るのが真の政治主導なのである。
自民党政権は官僚に依存し過ぎた。図に乗った官僚は「黒子」であることを忘れ、操り人形を扱う人形師に成り上がった。
政治家は御輿に乗る心地よさに満足し、勉強を忘れ、知的怠惰に陥った。それでも80点は取れたため、長く政権は維持できたが、その間、官僚依存の弊害が肥大化した。
自民党政権との区別化を強調するため、民主党政権はことさら官僚排除を打ち出している。「脱官僚」をアジェンダとする「みんなの党」もそうだ。
ヒトラーと重なり合う菅直人!
官僚依存の弊害を除くため、官僚制度が持つシンクタンクとしての機能まで捨ててしまうのは、あたかも汚れた産湯を捨てるのに赤ン坊まで流してしまうような愚かなことだ。
総理に意見具申をしても怒鳴り散らされ、挙句の果てにはバカ呼ばわりされると某高官が嘆いていた。尖閣事案に見られるごとく、菅政権の官僚排除の体質を見る時、第2次世界大戦のアドルフ・ヒトラー総統が彷彿される。
ヒトラーは下層階級の出身で、第1次世界大戦では伍長で従軍した。彼はプロの軍人、特に名家出身の秀才の多く集まっているドイツ参謀本部には劣等感を持っていた。その裏返しとして、参謀本部案にはことごとく反対したいという根強い欲求があったという。
第2次世界大戦前、ドイツ参謀本部はフランスのマジノ要塞突破は不可能と判断し、フランス攻略には反対であった。
ヒトラーは参謀の意見具申に激怒し、参謀本部が採択しなかったというただそれだけの理由でマジノ要塞突破によるフランス攻撃を命じた。
初期の成功がのちの大失敗を育んだ!
だがこれが不幸にも見事に当たってしまう。電撃戦によってマジノ線は容易に破られ、パリは短期間で陥落した。
ヒトラーの劣等感は優越感に変わり、その後は何かにつけ参謀本部案をひっくり返し、自分の軍事的天才を自慢するようになる。独裁者に「王様は裸だ!」と言う者はいない。いったん思い上がるともう手をつけられなくなる。
参謀本部の案をことごとく退けて喜ぶのは、いかにも子供じみている。だが、成功は長く続かない。その後、小局では成功を収めることもあったが、大局で取り返しの利かない失敗を重ねることになる。
ヒトラーは、2正面作戦の不利を主張して参謀本部が反対した対ソ開戦を決断する。それでもドイツ軍の巧妙な戦術により、モスクワ陥落寸前まで追い詰めた。
だが、最終局面でヒトラーは気まぐれな目標転換を行う。これが対ソ作戦の致命的な失敗の原因となる。これでスターリンは救われた。この時、「ヒトラーは強力な援軍だ」とスターリンはつぶやいたという。
気まぐれな考えが勝ち戦を負け戦に変えた!
英国攻略作戦「バトル・オブ・ブリテン」でもそうであった。
約40日続いた昼夜を分かたない空中戦闘で、少数精鋭の英空軍パイロットは被害も大きく疲労困憊。あとひと押しで英空軍総崩れという時、ヒトラーは攻撃目標を制空権獲得からロンドン爆撃に変更を命ずる。
独空軍の被害はたちまち甚大、しかも英空軍に立ち直りの時間を与える結果となり、ドイツは英本土攻略の機会を逸した。
この時、「我方にとっての真の秘密兵器はヒトラーそのものである」とウィンストン・チャーチルは嘲笑ったと言われる。
ヒトラーは晩年、「エネルギーの多くは参謀本部との争いで浪費された」と怒り、敗戦の責任を参謀になすりつけた。
軍隊よりもはるかに複雑な国家経営!
「政治主導」の御題目が「官僚排除」「脱官僚」にすり替わり、この無益な目的に余計なエネルギーを費やす。
官僚が作成した案というだけで反対し、官僚の助言に耳を傾ける謙虚さもなく、ただがみがみと叱りつけ官僚のやる気を削ぐ。
そして挙句の果ては失敗を官僚のせいにして責任逃れに汲々とする。官僚に対する劣等感の表れであり、菅政権のこれまでの失態はまさにヒトラーの失敗そのものである。
国家の運営は、単なる軍事行動よりはるかに複雑多岐にわたる。
専門家による情報入手、分析、助言は欠かせない。どんな天才でも1人では何事もなせない。頭脳集団である官僚組織から如何に知恵を引き出すかが政治家の指導者としての優劣を決定すると言って過言ではない。
参謀組織のなかったナポレオンの限界!
天才ナポレオンでさえ、晩年、作戦規模が拡大するに従って敗北が目立つようになる。ナポレオン軍の強さは天才ナポレオンのリーダーシップに拠っており、ナポレオン軍は近代軍のような参謀組織を持っていなかった。
ナポレオンがモスクワに進撃した時は50万を動員した。50万の兵員を率い、未知で広大な戦場に赴くには、厖大な見積もり作業を要する。
道路や補給の状態、食料の現地調達、師団の分散行軍と相互連携、詳細な地理の把握、気候状況、敵情入手などである。
参謀組織を持たなかったナポレオンは、属人的な仏軍の限界を露呈し大敗北を喫す。モスクワから逃げ帰った敗残兵はわずか1000人だった。
ナポレオンのリーダーシップはリーダーが戦場を直接に掌握している範囲での強さであり、その範囲を超えた時にナポレオンの限界が表れたのだ。
民主党の政治家がナポレオンになれるはずがない!
「政治主導」と称して官僚を排除し、ナポレオン型リーダーシップ政治を思い浮かべているなら、思い上がりも甚だしい。
国家の運営はナポレオン時代の戦争よりはるかに複雑で多岐にわたる。外交戦略を構築するには、多方面の専門家の衆知を集めた分析、検討、そして質の高い情報が必須である。
見識浅薄で経験寡少な政治家がいくら集まってみたところで、ナポレオンになれるわけはない。まして天才ナポレオンでさえ、大会戦では敗北したのだ。
複雑系の国家運営に浅学非才な俄か政治家が雁首そろえたところで、重厚な戦略一つ組み立てることはできない。最強の参謀本部である「霞が関」を使いこなせるかどうかが、名宰相と愚昧宰相との分かれ道になるのである。
政権交代後、官僚を排除した結果、普天間問題、尖閣対応と大失態を繰り返してきた。高い授業料を払ってなお官僚排除で外交や安全保障ができると思っているとしたら、自意識過剰で思い上がりも甚だしい。
耳の痛い情報ほど価値がある!
愚劣な政治家で迷惑するのは国民である。
官僚排除は誤りであるが、何も官僚の意見を全面的に取り入れろと言っているのではない。官僚はじめ専門家の意見を聴取したうえで、政治的決断をしろと言っているのだ。
耳に痛い情報こそ聞く耳を持たねばならない。自分の方針と異なるからと言って門前払いをしてはならない。説明を聞く度量があってこそリーダーの器である。
リーダーは孤独である。「王様は裸だ!」と面と向かって言ってくれる者を大切にしなければ、質の高い情報は入ってこない。
このほど菅再改造内閣が発足した。心機一転、改むるに憚ることなかれである。
名将・武田信玄の言葉を肝に銘じよ!
尖閣事案のような不測事態は、明日にもまた起こる可能性はある。安全保障は待ったなしだ。官僚や専門家の意見を聞かなかったこと、そして閣僚間の調整がなされなかったことが大敗北の原因だった。同じ愚を繰り返してはならない。
名将と愚将の差は部下の使い方である。名将・武田信玄は部下を使うにあたって「余は人を使うのではない。人の力を使うのだ」と言った。
彼が現代の政治家であれば、官僚を使うにあたって「余は官僚を使うのではない。官僚の力を使うのだ」と言ったであろう。
政治主導と官僚排除は全く違う。官僚や専門家の助言に耳を傾ける謙虚さが「政治主導」の御題目によって邪魔されているのなら、「政治主導」は亡国への引導に違いない。
子ども手当法
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E6%89%8B%E5%BD%93
ダイヤモンド・オンライン 2月7日(月)
1月28日、菅内閣は2011年度の子ども手当法案を閣議決定した。だが、国と地方の財源負担争いに加えて、野党からの反発は強く、制度存続の期限である3月末までの成立が危ぶまれている。子ども手当への風当たりが強いのはなぜなのか。看板政策として実施にこだわる民主党政権は、どこでボタンをかけ違えたのか。
「銀座四丁目交差点の真上から、福澤諭吉をばらまいているようなものだ。子ども手当は、バラマキ型の大きな政府路線を志向する民主党政権の国家観が表れた象徴的な政策だ」
1月24日、大豆生田(おおまみうだ)実・足利市長は、来年度の子ども手当財源の市負担を拒否し、足利市の同年度予算に計上しない意向を固めた。
大豆生田市長は、35市町村の首長が名を連ねる「現場から国を変える首長の会」の代表を務めており、かねて子ども手当の恒久財源、地方負担問題について追及、2011年度の予算化に際してついに負担拒否の姿勢を明らかにした。
「細川律夫厚生労働大臣ら党幹部による予算修正含みの発言が、あまりに目立つ。年末に策定したばかりの予算案を修正するなど前代未聞のことで、政府が自信を持って原案を提出していない証左だ」(大豆生田市長)と憤る。
地方負担にノーを突きつける地方自治体が続出している。先陣を切ったのは松沢成文知事率いる神奈川県である。昨年12月に、松沢知事は片山善博総務相に、地方財政法に基づく意見書を提出した。神奈川県ホームページ上には、「政府の暴挙を黙って見過ごすと、子ども手当の地方負担が恒久化されるだけではなく、第2、第3の子ども手当が出現し、地方は国の奴隷と成り下がってしまう」と攻撃的な文書を掲載した。
神奈川県下では、40以上の市町村が拒否の態度を決めている。なかでも強硬派は自治省OBの阿部孝夫川崎市長。民主党は地域主権と強調しながら地方を無視しているとして、訴訟も辞さない構えだ。
1月28日には群馬県で、県と24市町村が、子ども手当の地方負担分を拒否する方針を表明した。
子ども手当制度とは、1972年にスタートした児童手当制度の代替策として10年度に創設された。じつは、地方自治体はこれまでも児童手当給付の費用負担をしてきた。11年度子ども手当における費用分担は、子ども手当給付総額2兆9356億円のうち地方負担5549億円、国負担2兆2077億円である。09年度児童手当時代と比べると、国負担が激増し、地方負担はほとんど変わらない。
さらに、今回の見直しで改善された点も多い。たとえば、不正受給の恐れがあった海外に居住する子どもを支給対象外にし、両親が別居している場合には同居している親族への支給が可能になった。給食費や保育料へ充当できるようにもなった。
それにもかかわらず、地方自治体が反旗を翻した理由は主として三つある。
最大の理由は、「子ども手当の財源は全額国庫負担」としてきた民主党政権の公約違反である。
民主党が最初に「国庫負担」を約束したのは、08年の野党時代に参議院へ提出した法案によってである。また、09年衆議院選挙のマニフェストでは所要額5兆3000億円とある。それにもかかわらず、恒久財源を示すことなしに、10年度法案、11年度法案と2年連続で地方負担を強いた。そこに猛反発しているのだ。
第2に、民主党が強調してきた地方主権と逆行しかねない点だ。全国一律に実施する現金給付では、地方側に子ども・子育て支援サービスに組み込む工夫の余地がない。また、地方財政法上の地方財政審議会の開催など必要な手続きが取られることもなかった。
第3に、政策の実効性が低いことだ。厚生労働省が実施した子ども手当の使途等に関する調査によれば、42%が貯蓄・保険料に回していた。少子化対策、経済効果には寄与していない。
「地方の反乱」は燎原の火だ。自民党ら野党が政局を睨んで便乗、子ども手当こそ費用対効果を見込めないバラマキ政策の象徴だと攻め込み、一気に倒閣へ追い込もうとしている。
民主党政権は看板政策のボタンをどこでかけ違えたのだろうか。
ある民主党議員は、「小沢・鳩山時代に、鶴のひと声で子ども手当が月額1万6000円から月額2万6000円へ1万円も上乗せされた。総額5兆 3000億円もの財源など容易に探せるはずもない。あそこが問題の原点だ」と振り返る。恒久財源を示せなければ制度の継続性は担保できない。そうした真っ当な認識を民主党トップが欠いていたという指摘は、党の内外に多い。
子ども手当制度に民主党なりの理念を探せば、控除から手当へという税制上の方針転換、高齢者向けサービス偏重から子ども向けサービス拡充へという政策価値観の転換であろう。「少子化対策でも経済対策でもない。高齢世代の社会保障制度を支えるための未来への投資」と、小宮山洋子厚労副大臣は説明、「子ども手当という各論だけでなく、その政策評価、幼保一体改革、関連費用の財源分担などをパッケージとした子ども・子育て新システムの構築を急ぐ」と意気込む。
だが、閣僚、党幹部にそもそもその理念が共有されていなかった。彼らは、財源問題をかわしたいがために、時に少子化対策、あるいは景気対策にもなるなどと、その場しのぎの発言をばらまき続け、墓穴を掘った。情勢は穏やかではない。2月1日、衆議院予算委員会において、菅直人首相は月額2万6000 円の満額支給を断念する考えを示唆した。予定給付額を削減することで、子ども手当制度の恒久化を図る意図は明らかだが、それによって制度の合理性を説明できたわけではない。野党は追及の手を緩めないだろう。
では、この3月末までに、11年度子ども手当法が成立しない場合はどうなるのか。
10年度の子ども手当法は期間1年の時限立法であり、4月1日に、凍結されていた児童手当法が復活する、という奇妙な事態に陥る。というのも、「子ども手当の財源負担をめぐって国と地方とでつばぜり合いをしており、子ども手当法が通過しなかったときの保険として、児童手当法を完全に失効させるわけにはいかなかった」(厚労省幹部)からだ。
児童手当が復活すると、最初の支給月は子ども手当と同じ6月だ。このとき、10年度の子ども手当法に基づく子ども手当2ヵ月分と、11年度の児童手当2ヵ月分を支給しなければならない。だが、子ども手当がスタートした10年度から地方自治体は新システムに切り替えており、「児童手当支給には、所得制限のチェックが必要となるため、間に合わない」(厚労省幹部)結果となる。
それだけではない。「控除から手当へ」という“現金政策”の下で、10年度に、16歳未満の年少扶養控除(所得税で38万円、住民税で33万円)が廃止され、16歳以上19歳未満の特定扶養控除も段階的に縮小されることが決まった。国・地方の増収分を合わせると、11年度6300億円、12年度1 兆0600億円になる。児童手当がもらえるはずの人へ行き渡らないうえに、控除分がそのまま増税になってしまう。現場の混乱は不可避だ。
理念が不明確で、制度の合理性を欠き、実務への知識、配慮がなく、国と地方という行政間が争う。民主党政権の稚拙さがうかがえる。
(「週刊ダイヤモンド」編集部 浅島亮子)
2011.2.5 18:00 産経ニュース
愛知県知事選と名古屋市長選、市議会解散の賛否を問う住民投票のトリプル選が6日、投開票される。前名古屋市長が首長新党を立ち上げ、対立する議会に“解体”をたたき付けた形だが、自治体の長が今春の統一地方選に向け、新党を結成する動きは大阪や埼玉など全国に広がる。それに対して「首長の多数派工作だ」との批判も強い。首長が目指すのは議会改革か、独裁か。住民からの最初の答えが6日、出される。(桜井紀雄)
「古い仕組みぶちこわす」…名古屋、大阪でのろし
「今回の選挙は現代版桶狭間の戦い。庶民革命の継続か、職業議員によるなれ合い政治か、それが問われている」
前名古屋市長で首長新党「減税日本」代表の河村たかし氏は今回の選挙戦でこう訴えた。議会が解散されれば、減税日本の候補による過半数獲得を狙う。
「既存政党に満足していますか。愛知、名古屋から古い仕組みをぶちこわそう」。河村氏とタッグを組む前衆院議員の県知事候補、大村秀章氏の応援に自ら率いる首長新党「大阪維新の会」のメンバー約70人を引き連れ、駆け付けた橋下徹大阪府知事はこう気勢を挙げた。
河村氏が公約に掲げた市民税10%減税の恒久化を市議会に否決されたことが発端だった。対立する議会に河村氏は議会解散請求(リコール)運動を仕掛け、知事選にぶつけて自らも市長を辞職。トリプル選に打って出た。
それに「大阪都構想」を掲げて維新の会を結成し、構想に反対する大阪市議会“解体”を目指すという一連の動きの出発点となった橋下氏が援護射撃するという構図だ。
これに対し、民主・自民という二大政党は危機感を募らせる。民主党からは衆院議員を辞職した石田芳弘氏が市長選に出馬。それを自民党県連が支援するという異例の展開となった。
「民主主義は話し合いが大事。河村氏は議会に混乱をもたらした」。石田氏は河村氏の手法を痛烈に批判した。
国への反旗…きっかけは子ども手当
名古屋、大阪の動きを注視する一団がいる。埼玉県で1月、地域政党「埼玉改援隊」を結成した5市町長らだ。清水勇人・さいたま市長▽小島進・深谷市長▽高畑博・ふじみ野市長▽松本武洋・和光市長▽清水雅之・神川町長が参加。清水市長が代表を務め、財政の健全化や議会のスリム化など、共通政策である「共通八策」を発表した。
党名は坂本龍馬が幕末に結成した「海援隊」に、「共通八策」は龍馬が提言したとされる「船中八策」にちなんだ。桶狭間の戦いや明治維新にあやかった河村氏や橋下氏に影響を受けた部分がある。さらに県内の首長に参加を呼び掛けるとともに市町議選で政策に共鳴する候補を推薦していく。
「きっかけは子ども手当。直接現金を支給することが本当に市民のニーズに合うのか。保育所の待機児童がいる中、それだけあれば保育所の整備など、どれだけニーズに合った支援ができるかとの強い思いがあった」。代表の清水氏は産経新聞のインタビューに、結党に至る5市町長の共通認識として現政権のバラマキ政策に対する反発があったことを明かした。
さらには民主・自民という二大政党の利害が地方議会に持ち込まれることへの違和感があったという。「今の時代は国と地方の利害がぶつかる。そこに政局を持ち込まれると本当の議論ができない」
職場は東京で、行政サービスを受けるのは県内という「埼玉都民」と呼ばれるアンバランスな地域事情も共通の背景にあったという。東京でリストラされても結局、市町村の生活保護を受けることになり、地方の財政を圧迫する。
清水氏は「われわれはもっと地域分権への期待感があった」と民主党政権へのもどかしさを語り、「権限・財源がいちばん住民のニーズを把握しやすい基礎自治体にもっと移譲されるべき。権限・財源がなさすぎて何をやるにも国にお伺いを立てなければいけない」といらだちを示した。
地方議員は「ビジョンなく、感情論」? 「賛同者で議会を支配」と猛反発
《地方議員にも求められるのは、まちづくりのビジョン》
《首長と議員が市(町)全体のために国の政党の枠組みを越え、感情論を排し合理性のある政策論争を行う》
「共通八策」にはこう記されている。議員にビジョンなく、感情論のため合理的な論争ができなかった裏返しに聞こえる。
「旧態依然とした中、政策的な基本理念が一致した議論が今までみられなかった」(高畑ふじみ野市長)「スタンスを明確にし、政策を議論する場にしたい」(松本和光市長)と改援隊設立の記者会見で、市長らは、進まない地方分権に加え、一向に議論がかみ合わない議会を批判した。市長らは政策案を否決された経験を持つ。
さいたま市では、敬老祝い金の支給年齢を75歳以上から88歳以上に引き上げる条例改正案が否決された。
「(高齢の子供や配偶者が世話する)老老介護による殺人が3件起きた。現金支給より支援の充実など、より効率的な使い方があると考えたが、議会は支給額を減らす方には向きにくい。選挙が近いこともあっただろうが、理解を得られなかった」
こう指摘した清水氏はさらに次のように強調する。「昔は首長が議員の要望を少しずつ聞いて議案を通していたが、財政が右肩下がりの中、まんべんなくはできない。議員が特定の団体や地域を背負った議論をすると、財政は破綻(はたん)する」
改援隊の動きは早速、議会から猛反発を受けた。1日に開会したさいたま市定例議会では「市長は議会と首長の二元代表制を正しく理解していないふしがあり、真意を正さないと」との意見が出され審議が空転。「自身のマニフェストの賛同者で議会を支配しようというのか」「イエスマン以外を排除し、議会のチェック機能を弱めるのが狙いか」と批判を浴びた。
清水氏は「二元代表制をより機能させることが目的。首長と議会があまりに方向性が違うと全く機能しなくなる」と反論するが、改援隊で過半数の議席を目指すとしていた発言の撤回を余儀なくされた。実際に選挙でどれだけ賛同者が得られるか、見通しは立たない。
クーデターか、民主主義の王道か?
「大阪市営地下鉄は東京の地下鉄と違って全然、広がりがない。わけの分からないところに終点だらけだ。市議が『地元に線路を引け引け』といった結果。まあ一度、見てください。大阪の地下鉄のデタラメさを。こんなことしていたら大阪全体の発展なんてない」
橋下氏は1月下旬、東京都内で記者会見し、こう大阪市と市議会への批判を展開した。自身が掲げる「大阪都構想」が批判されていることに対し、東京のメディアの理解を得るために東京に乗り込んでの会見だ。
「大阪市議は日本一報酬が高い。一番おいしい仕事。これをなくしたくないから(大阪都構想に)反対する」
橋下氏はさらに地方議員への批判を繰り返した。「地方議員は予算編成の責任がないから、財源も考えずに要望しか言わない。二元代表制でチェックできるなら日本の自治体はこんな財政破綻になっていない」
大阪都構想とは、東京23区のように大阪府域を区部に再編し、選挙で選ぶ区長を置く構想だ。大阪市の解体につながることから「地方分権に逆行する」と平松邦夫市長や市議会から大反発を受け、議論は平行線のままだ。
そこで、構想実現のために取ろうとしているのが、自ら結成した維新の会で市議会の過半数を得るという手法だ。自身が今秋の市長選に立候補し、共闘する府知事候補とともに府と市両方を掌握するという戦術についても取り沙汰されている。まさに河村氏と同様の荒業だ。
橋下氏は「真偽はそのときにならないと表に出せない」と市長選出馬については明言を避けながらもこう語気を強めた。「できるなら話し合いでやっている。大阪都構想は国づくりの話。国が国ならクーデター、バズーカや戦車を持ってやるようなこと。それを選挙で多数決をとって決めるのだから、僕はこれが民主主義の王道だと思う」
元改革派首長は「危うさ感じる」「歴史的必然」
地域独自の新党を結成する動きは愛知や大阪、埼玉にとどまらない。愛媛県松山市議会では、市長支持の新会派「松山維新の会」が発足。岩手県議会や京都市議会では、既成政党と距離を置く「地域政党いわて」や「京都党」が立ち上がるなど、全国に広がる。
改革派知事として知られた元宮城県知事の浅野史郎氏は「多くの地方議会で議会としての役割を果たしていない現状に刺激を与えるには面白い動きだ」と指摘。「地方分権が進めば、国の関与を受けずに地方が決めることが広がり、地方議会の役割が大きくなる。そのとき、今の体たらくでいいのかという議論はその通りだ」と語る。
ただ、多くの新党が議員の報酬カットや定員削減を掲げていることには疑問を呈する。「報酬もらいすぎ、定員多すぎが問題ではなく、それだけの定員、報酬がありながら、やるべきことをやっていないのが問題。議会は単なるチェック機関ではなく、政策をめぐって提案し合うライバル関係になければならない」
半面、首長が新党を結成し、過半数を目指す動きには「危うさを感じる」とも。「議会は議会としての持ち味があり、多様性を持つ。それが、首長新党が多数を占めると、チェック・アンド・バランスの本来の目的がなし崩しになるのではないか」
一方、同じく改革派知事で知られた元三重県知事で早稲田大学大学院教授の北川正恭氏は「荒っぽいから欠点はあるが、迫力はある」と一定の評価を下す。
議会のリコールに動いた河村氏の手法については「禁じ手だ」としながらも市民の支持があった点は「議会は本質的な改革を迫られている」と指摘する。
「いろいろと賛否はあるが、行政の流れと並行して政党の分権化が始まるのは歴史的必然だ」とも話し、こう続けた。「議会だけではなく、首長や執行部も変わらなければいけない。今まで首長は主権者を忘れて議会と談合してやってきたが、生活者の視点から変化を求められている。エジプトやチュニジアで起きたのと同じことが始まっている」
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