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  兄を襲撃し、偽札&ヘロイン密輸に手を染めていた!

 

拍手の仕草が父親と似てきたが、カリスマとなるため祖父に似せた古くさい髪型は気に入っていないという

 

金正恩
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%81%A9

 

 

韓国の全国紙記者が話題の書にまとめた、北朝鮮プリンスの"秘められた黒い歴史"

2011年02月06日(日)現代ビジネス

北朝鮮の首都・平壌(ピヨンヤン)にそびえる豪華な邸宅に、 '09年4月初旬の深夜、国家安全保衛部(秘密警察に相当)の屈強な部員たちが押し入り、強引な"家宅捜索"を行ったことは、日本はもちろん、韓国でもほとんど知られていない。

 「ウアム閣」と呼ばれる邸宅は、金正日(キムジヨンイル)総書記(68)のファミリーだけが使用できる招待所だった。その頃、ここを利用していたのは、金総書記の長男・正男(ジヨンナム)氏(39)である。

 ロイヤルファミリーを狙っての"襲撃"など、専制国家である北朝鮮にあって、実行できるものではない。それを可能にするのは、いずれ金総書記から国家を譲り渡される"後継者"をおいて他にない。つまり、三男・金正恩(キムジヨンウン)氏(28または29)が、兄(注・正男氏と正恩氏は異母兄弟)に刃を向けた瞬間だった---。

この事件の詳細は、1月31日に刊行される『後継者 金正恩』(講談社刊)に記されている。筆者の李永鐘(イヨンジヨン)氏は、韓国の全国紙『中央日報』編集局政治部次長の肩書を持ち、約20年間、一貫して北朝鮮問題を担当してきたキャリアから「平壌特派員」の異名を持つ人物だ。

 このタイトルから分かるとおり、金総書記の後を継ぐ正恩氏の人物像や彼が目指す国家の形を、初めて体系的に明らかにした書と言っても過言ではない(以下、〈 〉内は同書からの引用)。

 正恩氏については昨年9月、朝鮮人民軍大将朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長に任命され、直後に顔写真が公開されるなど、露骨に権力の委譲をうかがわせる出来事が相次いだ。

祖父・金日成(キムイルソン)国家主席と同じ黒の人民服を愛用するあたりに「金日成の若い頃に似ている」との指摘を権力基盤増強に利用する意図が見える。

 事実、冒頭の「ウアム閣襲撃事件」は、後継候補から外れた正男氏が、正恩氏にとって「粛清」の対象となったことを示している。李氏が接触した韓国の情報当局の人間は、こう語ったという。

「金正恩の密命を受けた国家保衛部の部隊が金正男の尻尾を掴もうとウアム閣を襲撃したのは、ある程度まで事実だ」

 正恩氏が正男氏の命まで脅かす理由。それは正恩氏の出生の秘密に一因があるとの説がある。現在、北朝鮮の実質的な"ファーストレディ"は「喜び組」出身のキム・オク氏と言われる。金総書記の健康管理を担当する秘書だったが、〈秘書室副部長および国防委員会の幹部にも任命され、党や軍の人事にも関与するほど絶大な権力を持っていると見られている〉。

 正恩氏の母親は、公式には二男の正哲(ジヨンチヨル)氏と同じく高英姫(コヨンヒ)氏(故人)とされるが、正男氏は次の事実を知るという。〈「金正恩の生母がキム・オクであるという事実は、北朝鮮の指導部のなかでも限られた人間だけが知っている超極秘情報」〉。

 つまり、〈金正恩が金ファミリーの血統を正統に受け継いでいない人物になってしまう〉ことになる。その事実を知る故、正男氏は正恩氏から狙われた可能性があるというのだ。確かに正男氏は、〈マカオの知人に「金正恩は間抜けだが、そもそも後継者の資格もない」などと話している〉という。

 その正男氏は '01年に、ディズニーランドに行く目的で不法入国し、日本の捜査当局に拘束され、この事件が決定打となって後継候補から外れた。本書には二男の正哲氏が後継レースを降りた理由も書かれている。

 韓国国家情報院(旧KCIAにあたる)の運営する国家安保戦略研究所に所属する専門家が、〈2006年2月13日、(中央日報の)記者に対し、「金正哲が女性ホルモンの過剰分泌のために苦しんでいると聞いた」と語った〉というのだ。専門家は〈女性のように胸がふくらむ症状に悩まされている〉とも証言している。

心強い味方は「犯罪集団」

韓国メディアが正恩氏の存在に注目し始めたのは '07年3月頃、当時の国家情報院長だった金萬福(キムマンボク)氏が「金正日の三男が後継者になる可能性が高い」と記者たちに話したことがきっかけだった。

 この年の春、金総書記の健康不安説が広まったが、韓国国家情報院の諜報活動によって得られた正恩氏の発言がその根拠であり、それが後継説にもつながっている。

〈欧州の正恩と平壌にいる金正日との間で交わされた通話内容を西側の情報機関が盗聴に成功し、韓国に提供されたのだ。

「お父様、健康には気をつけなくてはいけません」

 この前後の金正恩の発言から、金正日の健康に何か問題があるのではないかと推測され、さらなる諜報活動の結果、次第に「金正日の健康問題→後継者の準備」というコンセンサスが韓国政府や情報当局の間でなされるようになっていった〉

 一方、正男氏は公然と刃を向けた弟に激怒したようだが、平壌に戻ることもできない日々が続いている。後継者の座を勝ち取った正恩氏が、正男氏の生殺与奪の権限を握ったと言っても過言ではない。

また、正恩氏は、軍など国家機関とは別に個人的な「暴力装置」を有する。それが「烽火(ポンフア)組」なる、正恩氏の親衛隊的性格を持つ、北朝鮮のエリート層の子弟を集めて作られた組織である。

〈米国の調査によれば、彼らは2005年に流通した超精密偽札「スーパーノート」の流通や、ヘロインの密売に関与した事実が判明しているという。

 たとえば、2004年にラスベガスで発覚した偽造紙幣事件や、2003年4月にヘロイン330ポンド(約150キログラム)を積載した貨物船「烽燧(ポンス)」号がオーストラリアで摘発された事件に、オ・セウォン(注・「烽火組」リーダーで国防委員会副委員長・呉克烈(オグクリヨル)の息子)が関与していたと西側情報当局は把握している〉。

北朝鮮内で摘発されたケースもあるが、親の力によってほとんどが赦免(しゃめん)されて〉いる。

金正哲を通じて烽火組のメンバーと親しくな〉った正恩氏にとって、"仲間感覚"でコントロールできる犯罪集団は〈心強い勢力となっている〉。だから、次のような一文は不気味な迫力を持つ。

〈これからの金正男マカオシンガポールなど、外国を転々としながら暮らしていくことになるだろう。しかも常に"暗殺者"の影に怯えながら・・・〉

 昨年11月、北朝鮮韓国・延坪島(ヨンピヨンド)に200発もの砲弾を撃ち込み、民間人2名を含む4名を死亡させた攻撃が、正恩氏に"箔を付ける"ためのものだったとの観測は根強い。正恩氏は '06年12月24日に金日成軍事総合大学砲兵学科を卒業している。本書では '09年末頃に韓国に流出した内部資料の中に「砲撃に明るい軍事の英才」なる項目があるとして、こう紹介している。

〈(資料によると)卒業式では彼の「戦略戦術的構想」をしたためた「作戦地図」が卒業論文として発表されたという。それを見た朝鮮人民軍の指揮官たちは「感激の声を上げた」ことになっている〉

 北朝鮮の軍の動きが活発化することは、正恩氏の後継のタイミングが近づいたこととイコールである。本書は、"ラストエンペラー"の思想と戦略を知るための貴重な手掛かりとなるだろう。

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果たすべき役割を全く分かっていない国家戦略室!

2011.01.31(Mon)JBプレス 樋口譲次

1.はじめに

民主党が政権に就いて、一昨年(2009年)9月18日、総理直属の機関として内閣官房に国家戦略担当大臣(国務大臣)が統括する「国家戦略室」が設置された。

 この国家戦略室は、今後、政府の政策決定過程における政治主導の確立のために、「国家戦略局」に格上げされる予定である。

 昨年9月7日、我が国固有の領土である尖閣諸島の周辺で、中国漁船による警戒中の海上保安庁・巡視船に対する体当たり衝突事案が発生し、これに端を発する一連の事態が生起した。

 中国から仕かけられた我が国の領海(領土)・主権に対する極めて意図的かつ野蛮な挑戦に対して、国民は、我が国政府による危機管理の成り行きを固唾を呑んで見守った。

 しかしながら、結果は、国益を大きく損ない、国民の失望と怒りを買って、「外交上の歴史的敗北」や「外交史に長く残る汚点」との批判を招いた。

 民主党政権は、政治主導を高々と掲げながら、国家戦略を持ち合わせておらず、戦略的な問題解決の準備ができていない、と断言せざるを得ない惨状を露呈したのである。

 政権交代とともに、国家戦略室(局)を設置したものの、国家戦略がないのはなぜか――。この問いは多くの国民が抱いた素朴な疑問に違いない。

 そして、我が国の戦略性を高めるには一体どうしたらよいのか――。これもまた大きな課題として国民の意識を覚醒させたのではなかろうか。

2.国家戦略室の正体

 では、今の国家戦略室は、どのような任務を帯びているのであろうか。

 国家戦略室は、「税財政の骨格」を決め、「経済運営の基本方針」を立てることを主任務とし、そのほか、年金制度や社会保険・税に関わる番号制度に関する検討など内閣の重要政策に関する基本的な方針等の策定に取り組むこととされている。

 自民党政権下では、内閣府に「経済財政諮問会議」が設置され、「骨太の方針」を定め、それに基づいて日本経済の進路と戦略(新中期方針)、日本21世紀ビジョン、グローバル戦略、経済成長戦略大綱などについて検討し、政策に反映された。

 また、「総合科学技術会議」では「知的財産戦略について」、またIT戦略本部ではe-Japan戦略が練られた。

 民主党政権下で新設された国家戦略室は、「戦略なき国家」と揶揄される我が国において、国家戦略を立て、戦略的政策決定と問題解決(戦略的アプローチ)の新しい仕組みを構築するのではないかとの期待を抱かせたのは間違いなかろう。

 しかしながら、その任務は前述の通りで、組織の英語標記も National Policy Unit となっている。

 つまり、国家戦略室は、主として経済財政政策を取り扱っているに過ぎないのである。いかに我が国が「経済第一主義」を採っているからとはいえ、これをもって国家戦略(National Strategy)であると内外に宣明するのはいささか憚られるのではないか。

 もっとも、実は、経済以外に有効な対外手段を持ち合わせていないのであるが。

 新政権の目玉として作られたこの機関は、実態において自民党政権下の経済財政諮問会議などと何ら変わらない。むしろそれ以下というのがその正体であり、真に国家戦略の強化を望む国民の期待は、またしても大きく裏切られたと言えよう。

 なお、玄葉光一郎・国家戦略担当大臣は、昨年10月19日、記者会見を行った。

 その中で、現国家戦略室について、重要政策の企画立案や総合調整を行う機能に加え、内政・外交の幅広い分野で総理大臣に政策提言を行うシンクタンクの役割を担わせるなどの機能強化を図るため、国家戦略室を「局」に格上げするための関連法案を先の国会(第176回臨時国会)で成立させたい旨を表明したが、不発に終わった。

 政府のこの動きは、尖閣事案の教訓などを踏まえたものであるかは定かでないが、今後、国家戦略局への格上げが果たして我が国の戦略強化につながるのか、その成り行きが注目されるところである。

3.国家戦略とは

国家戦略(大戦略)とは、「中長期的な国際情勢・安全保障環境の中で、特に戦略対象国との闘争・競争などにおいて、すべての国力を総合発揮して国益の達成という目標に導く方策(measures/art)」である。

 国家戦略の構築には、それに目的を付与する国益が明確でなければならず、国益は国家像(国家目的)あるいは国家目標を基準として定まるものである。

 そして、国家戦略は国益の達成という目標に導く方策(measures/art)であり、国家戦略にはその遂行に影響を及ぼす中長期的な国際情勢・安全保障環境というフィールドの中で、我が国の国益達成を左右する相手、すなわち戦略対象国が必ず存在する。

 その意味において、戦略は常に相対的である。また、戦略を構築し、実行・実現するに際して、その手段となるものが「国力(Nation’s Power)」である。

 国力は、軍事力、経済力、外交力そしてその国の政治的理想、文化や理念、あるいはその国のイニシアティブで創られた世界システム(例えば米国主導による国連IMF国際通貨基金=の創設)などの総合力である。

最近、米国ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授が提唱しているハードパワーとソフトパワーの区分によれば、軍事力と経済力が前者、外交力その他が後者に分類される。

 国家戦略は、国力を基礎とし、その力量の範囲内で描かれなければならず、国力を無視した過望な戦略は必ず破綻を来すものである。

 そして、国家戦略は、政治・外交戦略、経済戦略(資源戦略などを含む)、国防・軍事戦略、心理戦略、民間防衛戦略などから構成され、戦時のみならず平時および危機時をも包含する体系的かつ総合的な概念である。

 このたびの尖閣事案で、中国は、国防・軍事戦略、経済戦略(その下部戦略である資源戦略、例えばレアアース=希土類=カード)、そして双方に関係する海洋戦略、心理戦略(日本に対する恫喝、中国国内のナショナリズムへの対応など)などを総合的に勘案し、多角的かつ段階的に戦略オプションを発動したと思われる。

 片や、我が国は、戦略的にはほぼ無策で、「事なかれ主義」に終始した観は否めない。しかし、中国の戦略が一方的に功を奏したかと言えば、必ずしもそうではない。むしろ、誤りを犯したとさえ言える。

 我が国では、民主党政権の安全保障・防衛政策が極めて危ういことが再認識され、同時に、対中脅威論が高まった。そして、本事態をきっかけとして安全保障・防衛政策の強化に向かう機運が生じている(すぐに冷めなければいいのだが・・・)。

 また、東南アジアをはじめとする周辺諸国や世界の各国においては対中警戒感や対中批判が一段と大きくなり、中国を共通の脅威(敵)と見て国際社会が連携し、対中包囲網の形成に動く可能性も指摘され始めている。

 このように、戦略は、作用・反作用の力学が働くことが大きな属性の1つであり、そのことを十分に踏まえて国家戦略を練り、運用することが肝要である。

4.なぜ、我が国には国家戦略がないのか

 「日本人は戦略的に物事を考えるのが苦手だ」「日本には国家戦略や戦略的アプローチがない」などと言われて久しい。

 では、その原因や問題はどこにあるのか――。この点を解明し、自覚することが問題解決のスタートであり、そのことを通じて戦略強化の手がかり、あるいは糸口を見出すことができる。

 いや、それなしには、我が国の戦略上の問題を根本的に解決することはできない、と筆者は考える。そこで、旧聞に属することを含め、その原因や問題点を以下に列挙してみよう。

遠因~歴史的・背景的要因~

(1)島国と稲作中心の農耕民族としての国民性および歴史・伝統・文化

 我が国は、海洋国家・島嶼国家である。長い歴史の中で、要害の海洋によって外敵の脅威や侵略から守られ、列国と比較して極端に戦争の経験が少ない。また、外国との交流を維持しながらも、一貫して孤立主義かつ単独主義の歴史を謳歌してきた。

 その結果、常に戦争へ備える努力が疎かになり、国際社会や周辺諸国の動向など国外に向ける関心も希薄であった。

 また、稲作を中心とした農耕民族としての歴史は、「和を以って尊しと為す」に象徴される協調協力や共存共栄を基本とする穏やかな社会を育む一方で、闘争や競争といった意識が弱まって、戦略的思考が根付かず、戦略的アプローチは縁遠いものとなってきた。

 しかしながら、古来より、国際社会の現実は、対立と抗争の歴史である。我が国および国民は、自らに染み込んでいるDNAが戦略性の観点から大きな弱点になっているとの深刻な自覚の上に、それを強化する意識的な努力が不可欠である。

(2)戦略の非日常性と不当な扱い

 戦略の主対象は、戦い(闘争や競争)である。その非日常性が基本的属性であり、日々の生活に追われる一般の国民にとって、戦略は決して身近な問題ではない。

 加えて、戦後、我が国では、大東亜戦争の責任の大半を一方的に軍と軍人に負わせ、一貫して「軍事・戦略=悪」であるとの定着化が図られた。今日に至るまで、軍事および戦略は為政者また国民にとって、極めて分かりにくく、邪悪な領域として忌避され、排除されてきた。

 国家戦略の主要構成要素の1つは、軍事戦略である。その軍事戦略に目的を付与し、その基本方針を示すのは政治の責任である。

 従って、為政者はもちろん、国民主権の当事者である国民は、国家戦略のあり様に関心を示し、軍事の大要について最低限の理解が必要である。

 

近因~直接的要因~

(3)戦後体制(レジーム)による拘束など

 敗戦に伴う米国の占領政策の究極の目的は、日本の非軍事(武装)化と弱体化にあった。

 その一環として、憲法第9条において「戦争の放棄、陸海空軍その他の戦力の保持の禁止及び交戦権の否認」を定め、独立国が当然保有する主権としての自衛権までもが極限され、「国防なき憲法」「軍事(軍隊)なき安全保障」とも言うべき致命的欠陥を持った現行憲法が押し付けられた。

 また、戦前・戦中の我が国を全面的に否定するとともに、戦争の責任は、日本という「国」、中でも軍・軍人にあって、日本国民は「無実で、無知な犠牲者」であるとのマインドコントロールを徹底し、国・軍と国民とを離間・対立させる構図を作り上げた。

 このようにして、執拗に国家意識を弱化させるとともに、戦後半世紀あまり続いてきた「軍事の空白」によって、国民は当然のこと、国の指導的立場にある政治家までもが次第に軍事・戦略音痴へと陥り、その病巣は除去できないまま現在に至ってもなお我が国を蝕み続けている。

一方、終戦後、日本の最優先課題は、戦後復興と主権の回復であった。その基本方針が、「経済重視・軽武装」の吉田ドクトリンと言われるものである。

 すなわち、我が国の防衛努力を必要最小限に抑えつつ、安全保障は日米安保体制に大幅に依存して経済復興・経済発展を優先した。爾来、経済至上主義の吉田ドクトリンが戦後保守政治の基本方針として固まっていった。

 そして、現在においてもなおこの方針を踏襲しているのが財務省(旧大蔵省)の財政主導の論理(「最初に財政ありき」の思想)であり、我が国の防衛戦略・防衛政策を制約し、歪める大きな足かせとなっている。

 これらが、いわゆる戦後体制(レジーム)である。その拘束によって、我が国は、戦後65年が経ち、21世紀の新たな時代に至ってもなお、世界の主要国の一員として応分の役割と責任を果たせない機能不全に陥っており、それからの脱却が喫緊の国家的課題となっている。

(4)現行憲法上の問題 ―不明な国家像(国家目的)―

 国家戦略(大戦略)は、国益の達成を目指すものであり、戦略の構築は追求しようとする国益によって方向づけられる。その国益は、国家像(国家目的)や国家目標を基準として定義される。

 しかしながら、国家像(国家目的)を描いているはずの現行憲法は、敗戦による主権喪失下、占領軍が国際法を無視して我が国に押し付けたものであり、国民の自由意志に基づくものではない。

 しかも、占領者が起草したのは、社会契約説の思想に基づく個人主義的国家観、脱日本国家論そして空想的平和主義など我が国の実体とかけ離れた国家論である。

 この国家論を基礎とし、日本人自身が考えず、自らの言葉で描いていない国家像(国家目的)など、国家目標を付与し、国益を定義する指針や基準になり得るはずがない。

 この虚構を前提として国家戦略の確立を求めること自体、無理でナンセンスと言わざるを得ないのである。

(5)日米同盟への依存

 戦後、我が国は、自らの防衛努力を最低限に抑制しつつ、日米安保体制(日米同盟)に大幅に依存してその平和と安全を確保することを基本としてきた。

 この「日米安保中心主義」は、日本が主権を回復し、再興を図るに際して、国家として当然目指すべき「自分の国は自分の力で守る」自主防衛への努力を封印することになり、我が国が主権国家として再出発するうえで、重大な障壁を作ってしまった。

 この結果、国家および国民の国防に対する当事者意識は自ずと希薄になり、国防の第一線に立つ自衛官の士気を弱めた。

 また国内の安全保障基盤の確立の面でも、最近になって国民保護法は作られたものの、その成果が一向に上がらないなど、我が国防衛あるいは安全保障上の充実発展を阻害する根本的な要因となっている。

 一般論として、同盟戦略は、当代の最も強力な国の1つと軍事システムを統合して国家の防衛を強化することである。

 しかし、同盟によって、国家防衛・軍事上の主体性・独自性は急速かつ大幅に低下し、次第に国家の主権を喪失する方向に向かう。特に強国と弱国との同盟にはその傾向が強くなる。

 日本は安全保障を大幅に米国に依存しているため、我が国の外交・軍事における自主裁量の余地はその分制約されているのが実態である。

 特に最大の問題は、中国とロシアの核、そして北朝鮮による新たな核の脅威に対して米国の「核の傘」に全面的に依存しているため、我が国には自前の確かな核戦略・核政策が存在しない。

 それがゆえに、同盟の破綻などを危惧して米国の要求に迎合する傾向が強く、自ら自主権を放棄していると受け取られかねない情けない状況になっている。

 真の同盟関係は、日本も米国も共に相手国の国益と自主性を尊重しつつ、全面的・一方的依存関係ではなく、必要に応じて相互に援助し協力し合う体制でなければならない。しかしながら、日米関係の現状は、明らかに対等とは言えず、片務的である。

 我が国は、同盟維持の要件である「リスク(危険)の共有」を回避している集団的自衛権の問題を解決し、早急に日米安保体制の片務性を解消しなければならない。

 また、米国に全面的に依存している核戦略・核政策については、北大西洋条約機構NATO)、特に英国型を参考として米国との核共有の体制を模索することも1つの方法である。

 このようにすれば、日米同盟関係を深化させつつ、我が国の自主決定権(イニシアティブ)を回復することができる。そして、軍事・外交・経済の分野において自前の戦略を構築し、戦略的に政策を遂行するフリーハンドルを手に入れる十分な余地が生まれてこよう。

(6)戦略構築の責任の不明確さと縦割り行政の弊害 →「行政あって戦略なし」

 既に指摘した通り、民主党政権下で、内閣官房に設置された「国家戦略室(局)」は、明らかに看板倒れの代物である。また、それ以外の省庁・機関でも、国家戦略を任務、所掌事務としている部署は見当たらない。

 つまり、我が国では、国家戦略を策定する組織や機関がなく、また下部の戦略を含めて統合するプロセスが存在しない。

 曲がりなりにもその役割の一端を果たそうとしているのが、原子力基本法、海洋基本法、宇宙基本法などの基本法の制定であり、また内閣に設置されている総理大臣を中心とする各種の会議である。

 しかし、これらの基本法は、あくまで特定の政策分野における基本政策や基本方針を宣明するためのものであって、戦略構築に根拠を与えることにはなろうが、戦略そのものではない。

 一方、内閣府に設置されている総理大臣を中心とする各種の会議は、取り扱う内容が経済財政問題に偏るとともに、個別的で、しかも下部のテーマを対象とした戦略(むしろ政策)構築にとどまっている感は否めない。

 加えて、作成された戦略(むしろ政策)は、それを実施に移す各種政策へ総合一体的かつ体系的に反映されているかは疑問である。

 このように、我が国は、国家目的・目標が明確でないうえに、国家施策の全体像を描く国家戦略を策定する組織や機関が存在しない。

 このため、各省庁間の縦割り行政の弊害や主導権争いなどが深刻で、戦略遂行に不可欠な包括的、総合一体的な取り組みがなされていない。

 戦略には、枝葉末節ではなく、全体を俯瞰して問題の所在を探り当て、解決策を総合的に検討し、組織横断の体制を敷いて一体的に推進する態勢が何よりも求められる。

 特に、政治家の利権的動きや地元への利益誘導、あるいは官僚の国益より省益を優先する姿勢などは戦略の大敵であり、国家にとって「百害あって一利なし」と心得なければならない。

 以上、「なぜ、我が国には国家戦略がないのか」について、その原因や問題点を明らかにした。それらを総括すると、今日の日本を執拗に縛り続けている「戦後体制(レジーム)」の一語に集約される。

 今日、我が国が直面している国際情勢および安全保障環境は大きく、そして急激に変化している。我が国が、このような21世紀の世界に的確に対応するには、「戦後体制(レジーム)」の全面的かつ根本的な見直しと清算が不可欠である。

 同時に、我が国の戦略構築の責任と体系の不明確さや各省庁間の縦割り行政の弊害など統治機構のあり様にも鋭いメスを入れなければならない。 

 
米、対テロ支援の継続を期待 安倍首相辞意表明を受けて

戦後レジームからの脱却を掲げた安倍晋三・元首相〔AFPBB News〕


 その意味で、安倍晋三・元総理が「戦後レジームからの脱却」を重要な政策課題として国民に問いかけた意義は大きい。

 氏は志半ばにして辞任してしまったが、その達成がなければ、我が国が一貫した確かな国家戦略を構築し、戦略的に国家の施策を推進する真の環境や条件は整わない。

 一方、東西2極対立の冷戦が終結し、その重石や拘束から解き放たれたことによって世界各国・各民族は、自己意識に目覚め、それぞれの国益やアイデンティティー(主体性)の確立とその追求を精力的に行うようになっている。

 独り日本は、この多極化・個性化する世界の動きから取り残され、「新しい時代の日本の国家像」を見出す努力を怠ったまま漂流を続けている。

 つまり、すべての国民は、我が国が今日の状況に至った戦後の歴史をありのままに振り返ることが必要である。

 そのうえで、まずは国を挙げて「戦後レジームからの脱却」あるいは「戦後政治の総決算」に真正面から取り組み、日本の国家像そして日本人としてのアイデンティティーを回復することから再出発しなければならない。

 

5.我が国の戦略的失敗とその教訓 ―先の大戦を一例として―

 有史以来、我が国最大の戦略的失敗は、国家の総力を挙げて戦った大東亜戦争の敗戦である。

 その大東亜戦争における諸作戦の敗北の実態を明らかにし、敗北の原因を社会科学的に分析したうえで、失敗の本質を日本軍の組織的問題ととらえ、この歴史的結果の今日的意義を探って現代の組織一般にとっての教訓として生かそうと試みたのが戸部良一ほか著『失敗の本質―日本軍の組織論的研究―』(中公文庫)である。

 さらに本書は、日本軍の組織論的研究にとどまらず、組織上の欠陥から生み出された戦略上の失敗の分析にも鋭く踏み込んでいる。

 その結論は、日本軍と米軍を比較しつつ、下記の通り整理されている。

日本軍の戦略の特性について、その項目(技術体系を除く)ごとに、本書の指摘の内容を筆者なりに要約して解説してみよう。

 その第1は、戦略目的が曖昧であったこと。原因は、我が国には国家戦略がなく、そのため、大本営の戦略目的が不明確であった。

 加えて、「察し」を基盤とした意思伝達に依存し、中央部の意図、命令、指示が曖昧で、成り行き主義が多かったことによる。

 その結果、軍隊という大規模組織を価値の不統一や明確な方向性を欠いたまま指揮・行動させるとともに、兵力の分散、目的と手段の不適合、戦争全体をできるだけ有利なうちに終結させるグランドデザインの欠如などの問題を引き起こした。

 第2は、短期決戦の戦略思想、すなわち日本軍の戦略志向は短期的性格が強く、長期展望を欠いていたこと。

 その原因は、一過性の攻撃戦法や急襲による短期決戦によって戦争目的を達成できるという楽観論が支配的であったことによる。

 その志向が、戦争の推移に関する長期の見通しを欠き、後詰の戦略を用意していなかったこと、局面における防御という選択肢の欠如、敵に対する情報・諜報に対する関心の低さ、兵力補充および補給・兵站の軽視などとなって表れた。

 第3は、戦略策定が主観的で「帰納的(インクリメンタル)」であったこと。日本軍の戦略策定は、組織内の融和と調和を優先し、多分に情緒や空気に支配される傾向があった。

 また、組織の中に論理的議論ができる制度と風土がなく科学的検討に欠け、軍事的合理性の追求がなされなかったことがその原因である。

その結果、初めにグランドデザインや原理があったというより直面する現実の状況から出発し、また戦略策定の前提が崩れた場合のコンティンジェンシープラン(非常事態対処計画)がなく、状況ごとに場当たり的に対応してその結果を積み上げていくやり方、すなわちインクリメンタリズムに陥った。

 また、状況の変化に適応する組織的柔軟性がなく、実行した結果を的確にフィードバックして戦略の修正を迅速に行うなど戦略の立て直し・再構築ができなかった。

 これは、現在では一般常識になっているPDCA(Planning、Do、Check & Action)サイクルが踏まれなかったことを意味している。

 第4は、日本軍の戦略オプションは狭くて進化がなく、統合戦略が欠如していたこと。その原因は、陸海軍にはそれぞれに、一連の綱領が存在し、それを聖典化する過程で、視野の狭小化、想像力の貧困化、思考の硬直化という病理現象が進行した。

 その結果、戦略の進化を阻害し、戦略オプションの幅と深みを著しく制約するとともに、陸海軍の戦略を統合する意識や力学を阻む方向へと働いた。

 以上のように、同書は指摘している。

 さらに、「日本軍が戦前日本において最も積極的に官僚制組織の原理(合理性と効率性)を導入した組織であり、しかも合理的組織とは矛盾する特性、組織的欠陥を発現させたとすれば、同じような特性や欠陥はほかの日本の組織一般にも、程度の差こそあれ、共有されていたと考えられよう」と述べている。

 我が国の官僚制組織そのものである国家行政機構のあり様は、省庁の組織的統廃合を除けば、戦後ドラスティックに変革・改編されたことはなく、依然として戦前の基本路線上にあると言えよう。

 日本軍の戦略特性を含め本書が摘出した問題は、その指摘の通り、我が国、特に国家行政組織にとっての現代的・今日的意義をいささかも薄れさせるものではないのである。

 従って、これらの戦略的問題に対しても一定の解答が必要であり、上記の分析結果を踏まえながら処方箋を提示してみたいと思う。

 

6.日本の国家戦略構築のための処方箋

(1)目的・目標の確立 ―「戦いの9原則」の実践的適用―

 先に述べたように、大東亜戦争の最大の敗因は、我が国に国家戦略がなく、戦争目的が不明確であったこと。またその結果として、軍事戦略の目的が不明確、曖昧であったことにある。

 列国では、戦いに勝つための一般原則を定めている。その中で、米軍の「戦いの9原則」(米陸軍作戦教範100-5、1994年版)は、自衛隊の原則とも共通性がある代表例であり、インターネット上で公開されているので、要約して紹介したい。

 下記の「戦いの9原則」は、戦略、作戦および戦術レベルの戦いを遂行するための一般的指針を付与するとされている。

各原則の意義の詳説は省くが、「Objective(目的/目標)」の原則とは、「目的を確立し、その目的達成に最大限寄与するように明確な目標を定めること」である。

 この際、軍事目的は政治によって付与され、その目的を達成するための軍事目標の設定は軍が責任を負うものであり、目的と目標は主従の一体的関係にある。

 併せて、英語のObjectiveは、日本語の目的あるいは目標両方の意味を有しているので、ここではObjectiveを目的/目標の原則と訳した。

 「Offensive(攻撃)」の原則は、自衛隊の教範では、「主導(Initiative)」の原則とされ、決して敵に対して受動(受け身)に陥らず、常に自主積極的に行動することが重要であると説いている。

 20世紀を代表する戦略思想家ベイジル・リデル=ハート英国)は、「戦略と戦術の真髄」の中で、多数の戦いの原則は「Mass(集中)」の一語に凝縮されるとし、「敵の弱点に対する力の集中」の重要性を強調している。

 また、「Economy of Force(経済)」は、「Mass(集中)」の原則で述べる決定的な時期・場所における戦力集中のためには、非重点正面の戦力を節約することが必要との趣旨で、「Mass(集中)」の原則と表裏の関係にある。

 最近、「選択と集中」という言葉が盛んに使われているが、両原則の言い換えと理解してよい。

 戦争論、戦略論、軍事学、戦史などの学問があるが、「戦いの原則」はそれらの成果を集大成したものである。

 中国では、孫子以来、戦争は常に大きな関心の的であり、長年弛みなく戦略的思考が練られてきた。

 西洋では、全ヨーロッパを巻き込み、15年余りにわたって戦われたナポレオン戦争(1799~1815年)が豊富な事例・事象を提供し、多くの将軍たちが戦争を科学してその論理の解明に心血を注いだ。

 中でも、カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』は古典的名著となっている。またその後、仏国のジョミニや米国のマハンなどもそれぞれの時代背景の中で新たな戦略論を展開した。

 米国の「戦いの9原則」は、孫子の兵法、ジョミニが示した戦いの4原則など先人の研究成果を踏まえつつ、さらに英国が1920年にまとめた戦いの原則に関する検討結果などを参考とし、自国の貴重な戦争の歴史や教訓を基に確立されたものであり、21世紀の新たな戦いの様相にも堪え得る原則であるとしている。

 以上、「戦いの9原則」についてかい摘まんで説明したが、その中で最も重要な原則を挙げるとすれば、それは全原則の筆頭に書かれている「Objective(目的/目標)」の原則である。

 「いかなる軍事上の作戦においても、そこには明確な戦略ないし作戦目的が存在しなければならない。目的のあいまいな作戦は、必ず失敗する」(『失敗の本質―日本軍の組織論的研究―』)との指摘の通り、戦略は目的によって始動する。

 従って、これから成し遂げようとすることの目的は何かを徹底的に問い詰めることが何よりも大事だ。

 そして目的が明確に定まったならば、その目的達成に決定的な意義を有する目標を確立しなければならない。日露戦争初期の旅順要塞攻略戦を例に取れば、「目的は旅順攻略、目標は203高地」という具合に。

 このように、目的と目標の関係を明確に律することが戦略策定の第一歩であり、最も重要なことである。

 実は戦略に限らず、物事を進めるに当たっては常に目的意識を持ち、問題や困難に遭遇した場合には必ず原点である目的に戻って向かうべき方向を見失わないよう心がけなければならない。

 つまり、我が国が戦略を構築し、それを成功に導くうえにおいて「Objective(目的/目標)」の原則をはじめとして、「戦いの9原則」すべてを指標あるいは視座とし、その意味するところを常に現実の状況に適用していくことが肝要である。

 そこで、日本国家としての「目的論」について再考すると、最も重要なことは、国の最高規範である憲法において、我が国が目指すべき国家目的(国家像)が明確に表明されていなければならないということである。

 しかし、残念ながら、「占領管理基本法」的憲法と称される現行憲法が、国家目的(国家像)を明示しているとは到底考えられない。つまり、現行憲法下では、国家目標そして国益は定まらず、国家戦略策定の方向付けができないという根本的な問題に逢着する。

 一方、憲法改正の手続きを定めた「国民投票法」が施行(平成22年5月18日)されたが、国会においては憲法改正を論議する場の整備すら一向に進まず、早期の憲法改正は期待薄なのが我が国政治の実情である。

 しかしながら、現状のまま手をこまぬいていても仕方ない。何らかの形で我が国の国家目的(国家像)を明らかにしなければならないが、それはどのように求めればよいのか。

 古くは、聖徳太子の「十七条憲法」に始まり、戦前・戦後、我が国政府は、様々な機会に国家の有り様や施政の基本を内外に表明してきた。

 これらの諸資料に述べられている趣旨を整理集約すれば、帰納法的そして類推的に我が国の国家目的(国家像)の大要を引き出すことができるのではないか。

 国家目的(国家像)として明文化されたものがない現状においては、このような手法を取る以外に適当な解決策を見出すことはできないのではないか。

 そこで、上記の整理集約作業を行った結果を、「日本の国家目的(試案)」として箇条書きにまとめてみた。あくまで一試案に過ぎないが、今後の国家戦略論議を一歩でも前進・活性化させ、その具体化に資すれば幸いとするところである。

 >>別添「日本の国家目的(試案)」参照 

 

 

 

 

(2)「均衡の取れた国力」の整備 ―軍事力の強化―

 戦後、我が国は、対外関係を遂行するに際し、「経済重視、軽武装」の吉田ドクトリンに沿った「経済第一主義」を採ってきた。

 しかしながら、湾岸戦争(1991年)で戦費の約25%に上る巨額の経済支援を行ったにもかかわらず、当事国のクウェートには評価されず、「小切手外交」の無力さと人的貢献の重要性を痛感した。

 日本は、「ODA(政府開発援助)大国」と言われている。我が国は軍事的貢献ができないだけに、ODAは唯一の外交カードとして外交上、中心的な役割を果たしてきた。

 これまでに、日本が累積総額で一番援助してきた国は中国であるが、巨額の援助を行ってきたにもかかわらず、一般の中国人民には援助の事実は知らされておらず、従って感謝もされていない。

 そして、日中関係は改善するより悪化し、我が国の主権や国益が侵害されつつある実情を見れば、対中ODAは明らかに所期の目的を果たさず、時として有害であったと言えよう。

 日本が拠出している「国連分担金」は、米国に次いで世界第2位(12.5%)である(本分担率は2009年12月に決定、2010~2012年の3年間を対象とし、各年同率)。

 またこれ以外に、我が国は米国に次ぐ「国連平和維持活動(PKO)分担金」を拠出し、政府開発援助(ODA)の一環としてUNHCR国連難民高等弁務官事務所)やFAO(世界食糧農業機関)などその他の国連機関へも多額の資金を提供しており、国連の運営における我が国の財政支出は際立って大きい。

 しかし、これだけ巨額の負担を引き受けながら、我が国の国連安保理の常任理事国入りは一向に進展しないし、旧敵国条項の問題も未解決のままである。国連における分担金の重さと付与された地位や発言力の大きさは決して一致していない。

 これらは、長年、経済至上主義に偏重するあまり、経済以外に有効な手段を持とうと努めてこなかった我が国外交の限界を示すものである。

国家戦略の手段としての国力については、近年、とみにソフトパワーの重要性が強調されているが、依然として外交、軍事および経済が現実的な力を持つ主要な要素であることに変わりない。

 我が国が世界第2位の経済大国(2010年には中国に追い越されたと報じられているが)として外交の場で大きな影響力を行使するには、確かな軍事力の裏付けが不可欠である。

 「自分の国は自分の力で守る」ことすらできない国家が、国際の平和に対する脅威や破壊あるいは侵略行為に対し、率先して集団的強制措置(集団安全保障)に参加しなければならない国連安保理の常任理事国入りを目指すこと自体、過分な願望と言わざるを得ない。

 また、世界の平和と安定の維持に必要なPKOなどへの列国なみの参加を躊躇うような国家は、国際社会の主導的役割を担う資格などないのである。

 つまり、今後、我が国が世界の舞台で自らの国益を追求し、また、然るべき地位を得たいと欲するならば、まず軍事分野における機能不全を是正して「均衡ある国力」を整えなければならない。

 そうすれば、強い経済力と機能する軍事力に支えられて戦略的な外交を展開する可能性が広がるのである。

(3)国家戦略の体系化と策定の責任体制ならびに統合プロセスの確立

 戦略の属性の1つは、「総合性」にある。それゆえに、国家戦略を実際に策定するに際しては、戦略は優れてプロセスを巡る問題となる。

 しかし、既に述べたように、我が国は、行政組織のどの部署で国家戦略を策定するのか定かではない。

 また国家戦略は、縦割り行政の弊害などによってその体系化や統合のプロセスが確立されておらず、依然として戦前の陸海軍と同じ「統合戦略の欠如」という問題を抱えたままである。

 そこで、以下、戦略策定の体系、責任およびプロセスの一案を提示してみよう。

 

 

国家戦略の策定に当たっては、まず国家目的・目標を出発点として「日本の国益とは何か」という命題に対して明確な定義を付与しなければならない。

 米国では、その役割を担う有力なシンクタンクが存在し、そのシンクタンクからポリティカルアポインティー(政治任用)として大量の頭脳が政権中枢へ入る仕組みがある。

 しかしながら我が国には、そのような仕組みは存在しないし、また行政組織や政党に付属するそのような研究機関もない。さらに、国家戦略を誰の責任で、どこで作るのかも明らかになっていない。

 従って、例えば内閣に、国益を定義する「国益委員会(仮称)」と国家戦略の策定を担任する「国家戦略会議(仮称)」を設けることが必要であろう。

 この際の構成員は、内閣総理大臣を長として、国家戦略の主要構成要素別に戦略の作成を担任する主務大臣を参加させることが必要である。

 また、総理大臣と防衛大臣の最高の軍事的助言者である統合幕僚長を正式メンバーとして参加させるとともに、総理の判断で一定の有識者の助言を得ることも可能となるよう配慮しなければならない。

 なお、自民党・安倍政権下では、米国国家安全保障会議(National Security Council : NSC)をモデルに安全保障会議の改編が検討された。

 今後、新たな安全保障会議と国家戦略会議(仮称)の役割が基本的に一致するようであれば、既に事務局も存在することから、新たな安全保障会議に国益を定義し、国家戦略を策定する任務を付与することも有力な一案となろう。

 「国家戦略とは」の項で述べたように、我が国の国家戦略には、国益を達成するため、平時、危機時および有事における国家運営の一貫した方針ならびに指導要領が述べられなければならない。

 そして、この方針・指導要領に基づいて作成される政治・外交戦略、経済戦略、国防・軍事戦略、心理戦略、民間防衛戦略などに対して、戦略目標、重視事項と優先順位など戦略構築の骨格となる基本的な指針を付与するものでなければならない。

 さて、このようにして国家戦略が定まれば、その達成のための主要構成要素である政治・外交戦略、経済戦略、国防・軍事戦略、心理戦略、民間防衛戦略などを作成する。

 その担任は、単独の省庁による場合、あるいは複数の省庁にまたがる場合があり、複数の省庁にまたがる場合には、その分野に最も大きな役割を担う官庁を主務官庁に指定して戦略の取りまとめの責任を負わせることになる。

 ここで、「国防戦略」を例に、作成の手順や手続きを説明しよう。国防戦略の主務官庁は、前ページの表に示す通り防衛省である。防衛省は、国家戦略の方針・指導要領に基づいて、我が国の国防の目的を達成するために必要な事項を網羅した国防戦略を作成する。

 この国防戦略が、防衛省の所管で具体化される軍事戦略ならびに他省庁が作成する外交戦略、経済戦略、民間防衛戦略などに盛り込まれる国防支援戦略に対して任務・責任、戦略目標、重視事項と優先順位など所要の指針を付与する。

 また各省庁は、それぞれが担任する戦略について、必要があればさらに関連する下部の戦略を作成する。

 そして、作成された各戦略を具体的施策として実行に移すために中長期的あるいは年度の政策へとブレークダウンし、予算化を図って実施に結び付けていくという手順になる。

 この際、防衛大臣は、国防戦略を主管する立場から、国益委員会ならびに国家戦略会議に構成メンバーとして参加する。

 また、所掌する国防・軍事戦略などについては、国家戦略や関連する他の戦略との統合一貫性を確保するため、国家戦略会議の承認を得た後に正式に発効させるという手続きを踏むことを義務付けるものとする。

 以上、その一概案を提示したが、我が国が国益に則って国家戦略を策定し、国家の戦略性をより一層高めるためには、我が国の行政組織の中に国家目的・目標を確立し、国益を定義して国家戦略を策定する組織・責任を明示しなければならない。

 また、国家戦略の体系を作り、その枠組みに基づいて各種戦略を構築し、それらを統合するプロセスを確立して総合的、包括的かつ体系的に国務を運営するシステムがぜひとも必要である。

(4)戦略構築の一手法としてのウォーゲーム(War Game)の活用

 戦略の属性の1つは「相対性」にある。国家には、常に戦略対象国が存在し、戦略対象国との間には作用反作用の力学が働く。

 従って、戦略構築に当たっては、相手(敵)と我(味方)の相互作用(Action-Reaction-Counter-Action)を分析予測することが不可欠であり、そのプロセスを通じて戦略は定まっていく。

 一方、戦略構築の方法論について、先の大戦における日本軍は帰納的、米軍は演繹的であったと言われている。

 すなわち、我が国には論理的議論ができる制度と風土がなく科学的検討に対する認識に欠け、軍事的合理性の追求がなされなかったという指摘である。

 そこで、この2つの問題を併せて解決し、戦略を構築する一手法として、シミュレーション技法を活用するウォーゲームについて説明してみよう。

 米軍と自衛隊が共通的に使用している手法が、「状況判断の思考過程(Estimation of Situation)」と言われる組織的問題解決/意思決定法(Organizational Decision-Making Process)である。

 その中に取り込まれているのが、シミュレーション技法を活用したウォーゲームの手法であり、両軍の様々な分野における問題解決・意思決定の基本ソフトとなっている。

 そのやり方は、教範(マニュアル)1冊に上るほど膨大な分量になるので、ここでは差し障りのない範囲でその概要の紹介にとどめることとする。

 ウォーゲームに入る前に徹底して行われるのが、作戦が行われる地域(戦場)と敵に関する分析・研究である。戦略的には、戦略フィールド、すなわち戦略を展開する上で影響を及ぼす様々な環境条件と戦略対象国に関する分析・研究と言えよう。

 そして、このウォーゲームは、敵と我(味方)に分かれて対抗的に行われ、敵方の役割は司令部の情報幕僚、我が方の役割は作戦幕僚が担当する。

 我が方は、与えられた任務の達成が可能と判断する複数の代表的な行動方針(Our Course of Action)を案出する。

 一方、敵方の役割を担任する情報幕僚は、敵の立場に成り切り、敵の作戦目的・目標を推察して、敵として採用できる複数の代表的な可能行動(Enemy’s Course of Action)を選定する。

 それぞれの行動方針が定まったならば、双方が衝突する戦場において我の行動方針と敵の可能行動を一つひとつ付き合わせながら、作戦の主要な段階・結節において我がこう出たら敵はどうする、敵がこう出たら我はどうするという具合にウォーゲームを進行させ、作戦の始まりから終わりまで一通りシミュレーションを行う。

 なお、敵と我との戦闘結果や兵站所要など計数的・定量的評価が可能な分野については、コンピューターシステムを使ったオペレーションズリサーチ(Operation’s Research)によって判定する。

 そして、我の行動方針を詳細具体的に分析・検討するとともに、作戦全般の推移を見通して全体を俯瞰するのである。

 そうすることによって、我の各行動方針の利点・欠点が浮き彫りになり、また最終的に任務達成ができるかどうかを判定することができる。

 その中で、任務達成可能と判定された複数の行動方針を、いくつかの要因で比較・検討し、任務達成に最も適した行動方針を結論として採用する。

 同時に、採用された我の行動方針は、ウォーゲームを進行しつつ分析する過程でその利点・欠点のみならず、敵の可能行動によって作戦に重大な影響を被る恐れのある事態や損害などが明らかになる。

 これらを踏まえて、我の行動方針の修正を行い、また敵の可能行動に対する処置・対策を講じた後に、初めて作戦計画として立案される運びとなる。

 当然この中には、計画の重要な前提条件が変化した場合、あるいは敵が極めて特異あるいは重大な影響を及ぼす行動をとった場合などに対する非常事態対処計画(Contingency Plan)が周到に検討され、計画に盛り込まれる。

 そして、立案された作戦計画は、作戦の経過の中で、その結果や敵の対応などから判断して必要な見直し修正(フィードバック)を行い、その立て直し・再構築を実施しながら作戦を遂行していくことになる。

 以上が、ウォーゲームの手法を活用した日米両軍の問題解決・意思決定の基本ソフトの概要である。

 このシミュレーション技法を本論の趣旨に適用するには、敵は「戦略対象国」、我は「我が国」、作戦は「戦略」に、我の行動方針(Our Course of Action)と敵の可能行動(Enemy’s Course of Action)はそれぞれ「我の戦略的オプション」と「敵の戦略的オプション」に読み替えれば結構である。

 また、上記のウォーゲームは、2者のプレーヤーによる場合であるが、例えば、朝鮮半島問題、特に北朝鮮の核・ミサイルの放棄を中心テーマとした「6カ国協議」を舞台とした6者のプレーヤーが参画する戦略ゲームにおいては、このように簡単には運ばない。

 しかもこの問題は、海洋国家と大陸国家の接点に位置する朝鮮半島の地政学的特性を背景とし、東西冷戦という歴史的対立の所産でもある。

 それらを踏まえつつ、将来の南北朝鮮の統一問題が、韓国主導でなされるか、北朝鮮主導でなされるか、あるいは現状固定に落ち着くのかなどの最終的決着を見据えながら判断されるところに戦略構築の一層の難しさが存在する。

 いずれにしても、このように3者以上が関わる戦略ゲームの場合においては、メーンプレーヤーの動きを主軸として、それにサブプレーヤーの関係を絡ませながら、ウォーゲームを展開することによって同様の結論を見出すことが可能である。

 そのようにして活用すれば、ウォーゲームの手法が「帰納的」で非科学的・非合理的であると指摘された旧陸海軍の戦略策定上の問題点を克服し、我が国の戦略構築のための一処方箋として有効な手助けになろう。

7.まとめ:我が国の「国家戦略構築の9原則」

以上は、国家戦略について包括的に述べたものではない。我が国の戦略上の問題点あるいは戦略不在の原因に対する解決策を中心に取り上げている。

 21世紀の世界は、大きく、急激に変化している。特に、優越を求める国家と対等を求める国家、現状維持を図ろうとする勢力と現状打破を追求する勢力、一極主義と多極主義など様々な対立とせめぎ合いが顕著になっている。

 ことに、アジアでは、中国の覇権的拡張、ロシアの復活と軍備増強、当面する北朝鮮の脅威、域内各国間の領土問題、あるいは中東から北東アジアにかけて広がる「不安定な弧」の存在などが現実的かつ深刻な影響を及ぼしつつあり、日本を取り巻く国際情勢および安全保障環境は極めて複雑・不透明で、一段と厳しさを増していくものと覚悟しなければならない。

 そのような中、我が国が独り手をこまぬいていては、国益を増進し、われわれが欲する方向に国際社会を動かすことなど望むべくもなく、むしろ足をすくわれかねない。

 このような荒波を乗り越えて、我が国がその生存と安全を確保し、国家の繁栄と国民の幸福を追求していくには一貫した確たる国家戦略が不可欠なのである。

 では、そのような国家戦略を策定するには何を為さなければならないのか。

 その設問の答えとして、日本の戦略的特性(弱点)に焦点を当てつつ、これまで展開してきた論旨との重複を厭わず戦略構築から実行までの段階に沿って以下のようにまとめてみた。

 これを我が国の「国家戦略構築の9原則」とし、その実践的適用を期待しつつ本論を締め括ることにしたい。

(1)まず、国家目的・目標を確立し、国益を明確に定義せよ
(2)国家戦略の体系とその統合プロセスを確立し、組織横断の体制を敷いて、総合的、一体的に戦略を推進するシステムを作れ

(3)競争相手(戦略対象国)を徹底的に研究せよ
(4)常に、中長期的な視点で考えよ

(5)戦略の策定から実行を通じて「戦いの9原則」を適用せよ
(6)適切な戦略を策定せよ

 競争相手と戦略フィールドを詳細かつ徹底的に分析・研究し、いかにすれば勝利を獲得し、優越を確保できるかのビジョンと方策を心血を注いで案出せよ。そのためには、

ア 目的を明確にし、その達成のための戦略目標を確立せよ
イ 枝葉末節ではなく、全体を俯瞰して問題の所在を探り当て、解決策を総合的に検討せよ

 この際、組織的問題解決/意思決定法(Organizational Decision-Making Process)を活用せよ

ウ 「選択と集中」によって重点を形成せよ。特に、重点正面に政策・人・物・金(予算)・時間を集中せよ

(7)戦略を実現するための実行計画を作成せよ

 この際、状況の変化に対応できるよういくつかの選択肢(オプション)を保持せよ。また、非常事態対処計画(Contingency Plan)を準備するとともに、定期的かつ状況急変時には戦略ならびに実行計画を見直せ

(8)実行に際しては、相手より先手を取り、機動的に行動して主導権(イニシアティブ)を確保するとともに、変化する状況に迅速、的確かつ柔軟に対応せよ

 この際特に、IDA(Information, Decision-Making & Action)サイクルを競争相手より速く廻すことがキーポイントであり、情報の優越とともに、何よりも行動において優越を図ることが重要である。

(9)最後に、戦略が予期の通りに運ばなかった場合、あるいは頓挫した場合等にどうするかの対策、すなわち終末(結)・出口戦略を周到に準備せよ

 

 

 

平成23年1月31日 国基研副理事長 田久保忠衛

 正確に記そう。ゲーツ米国防長官が北京に到着したのは1 月11 日だ。中国の次世代
ステルス戦闘機「殲20」試作機の試験飛行を示す情報が中国内のウェブサイトで流れ
た。同長官がこの日に行われた胡錦濤中国国家主席との会談でこれを持ち出したら、胡
主席はこの情報を知らなかったようだ。米政府高官が同行記者団にそのように語った。

●胡主席も知らなかった?試験飛行

帰国の途次、東京に立ち寄ったゲーツ長官は、14 日に東京・三田の慶応大学で講演
したが、そのあとで同大法学部の1 学生が「仮に胡主席を含めてシビリアンの指導者た
ちが本当に事前の情報を手にしていなかったとしたら、それは世界にとってだけでなく、
中国内でも中国軍の不透明性と突出ぶりを意味しないか」との質問を発したのである。
この学生のニュース感覚は、タイミングと内容の2 点からプロの記者に優っている。
ゲーツ長官は「それこそ、われわれが何年か前から(中国の)軍とシビリアン指導部
間に齟齬があるのではないかと疑ってきた点だ。2、3 年前に米海軍の音響測定船イン
ペッカブルに対する中国船の妨害行動をシビリアン指導部は知らなかったと思う。3 年
ほど前に行われた衛星破壊実験についてもそうだったのではないか、というのが米側の
情報だ。昨日も言ったことだが、彼らはJ20(殲20)の試験飛行も知らなかった明ら
かな兆候がある」(米国防総省速記録)と述べたのである。

●3 年前から兆候

はっきりしたのは、米側の疑いは何も殲20 に限らないことで、3 年前から幾つかの
材料を持っていたと断定していいだろう。国防総省の疑いはゲーツ長官と胡主席との会
談でかなり裏付けられたからこそ、慶大でのゲーツ発言になったと言える。胡主席はす
べてを知った上でとぼけていたのではないかとの推定も可能だが、それは邪推にならな
いだろうか。
党なり政府の軍に対するコントロールが利かなくなったとしたら、事態は重大だ。外
部で観察の対象となる軍事費その他の数字は信用できるのだろうか。いわゆる第一列島
線(九州―沖縄―台湾フィリピン―ボルネオ島)から第二列島線(伊豆諸島―小笠原
諸島―グアム―パラオ諸島―ニューギニア島北西)に及ぶ中国海軍の行動、いやそれだ
けでなく、北朝鮮との国境、台湾の対岸、インドとの国境における軍事行動のどこまで
が国家の意思に基づくか、見当のつかなくなる時代に移行しつつあるのか、あるいは既
に移行してしまったのか。日本の防衛政策の前提はすべて狂ってくる。 (了)

平成23年1月24日 国基研企画委員・福井県立大学教授 島田洋一

 菅政権は昨年12 月17 日に決定した新防衛大綱に、「アフリカ、中東から東アジアに
至る海上交通の安全確保等に共通の利害を有するインド」との「協力を強化する」と明
記した。中国の危険な台頭をまがりなりにも意識した結果であろう。ところが「有言実
行」どころか、日本側から人為的に障害を作り出し、協力に積極的なインド側を失望さ
せているのが現状だ。昨年末、国基研代表団がインドを訪れた際にも、そうした苛立ち
の声を多く聞いた。

●なぜインドを除外するのか!

戦闘機等の国際共同開発への参加や友好国への軍民共用テクノロジーの供与を可能
にするには、武器輸出三原則(実態は対米などを除き包括的禁止に近い)を緩和せねば
ならない。政府も昨年来、一定の問題意識の下、「武器の輸出管理が適正な国」を念頭
に見直しを進めていた。しかし、緩和対象に挙げられていたのは北大西洋条約機構(N
ATO)諸国、韓国オーストラリアのみで、インドは外されている。理由は、インド
核拡散防止条約(NPT)に加入していないためだという。呆れるほど硬直した、戦
略性のかけらもない対応だ(なお、その不十分な緩和策さえ、菅政権は社民党への愚か
な配慮から先送りした)。

●NPT加入を防衛協力の条件にするな!

菅首相は、「(国際社会に)不確実な要素が存在する中では、核抑止力は引き続き必要」
と述べるなど、同盟国米国の核の傘に頼る姿勢を見せている。その一方で、核保有国と
の同盟関係のないまま中国とパキスタン中国が核開発を支援)の脅威に立ち向かうイ
ンドに対し、NPT加入すなわち自前の核抑止力の放棄を迫るなら、矛盾と言わざるを
得ないだろう。
米英ソ主導で1968 年に成文化されたNPTは、「1967 年1 月1 日以前」に核実験に
成功した国を「核兵器国」と認め、それ以外の国は「非核兵器国」としてのみ受け入れ
る仕組みになっている。従って1992 年、従来NPTを大国の陰謀と批判していた中国
(1964 年に核実験成功)が「核兵器国」の資格で加入した際、仮にインド(1974 年に
核実験成功)も同時加入しようとしたなら、核を一方的に放棄し「非核兵器国」になる
必要があった。インドの政治家にとって、これが取り得ない選択だったことは明らかだ。
中国の覇権的膨張を前に、基本的価値観を同じくするインドとの関係強化を唱えなが
ら、そのNPT非加入を事ごとに「障害」となす日本政府の対応は、明らかな自家撞着
であり、自殺的偽善とすら言えよう。(了)

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