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果たすべき役割を全く分かっていない国家戦略室!
2011.01.31(Mon)JBプレス 樋口譲次
1.はじめに
民主党が政権に就いて、一昨年(2009年)9月18日、総理直属の機関として内閣官房に国家戦略担当大臣(国務大臣)が統括する「国家戦略室」が設置された。
この国家戦略室は、今後、政府の政策決定過程における政治主導の確立のために、「国家戦略局」に格上げされる予定である。
昨年9月7日、我が国固有の領土である尖閣諸島の周辺で、中国漁船による警戒中の海上保安庁・巡視船に対する体当たり衝突事案が発生し、これに端を発する一連の事態が生起した。
中国から仕かけられた我が国の領海(領土)・主権に対する極めて意図的かつ野蛮な挑戦に対して、国民は、我が国政府による危機管理の成り行きを固唾を呑んで見守った。
しかしながら、結果は、国益を大きく損ない、国民の失望と怒りを買って、「外交上の歴史的敗北」や「外交史に長く残る汚点」との批判を招いた。
民主党政権は、政治主導を高々と掲げながら、国家戦略を持ち合わせておらず、戦略的な問題解決の準備ができていない、と断言せざるを得ない惨状を露呈したのである。
政権交代とともに、国家戦略室(局)を設置したものの、国家戦略がないのはなぜか――。この問いは多くの国民が抱いた素朴な疑問に違いない。
そして、我が国の戦略性を高めるには一体どうしたらよいのか――。これもまた大きな課題として国民の意識を覚醒させたのではなかろうか。
2.国家戦略室の正体
では、今の国家戦略室は、どのような任務を帯びているのであろうか。
国家戦略室は、「税財政の骨格」を決め、「経済運営の基本方針」を立てることを主任務とし、そのほか、年金制度や社会保険・税に関わる番号制度に関する検討など内閣の重要政策に関する基本的な方針等の策定に取り組むこととされている。
自民党政権下では、内閣府に「経済財政諮問会議」が設置され、「骨太の方針」を定め、それに基づいて日本経済の進路と戦略(新中期方針)、日本21世紀ビジョン、グローバル戦略、経済成長戦略大綱などについて検討し、政策に反映された。
また、「総合科学技術会議」では「知的財産戦略について」、またIT戦略本部ではe-Japan戦略が練られた。
民主党政権下で新設された国家戦略室は、「戦略なき国家」と揶揄される我が国において、国家戦略を立て、戦略的政策決定と問題解決(戦略的アプローチ)の新しい仕組みを構築するのではないかとの期待を抱かせたのは間違いなかろう。
しかしながら、その任務は前述の通りで、組織の英語標記も National Policy Unit となっている。
つまり、国家戦略室は、主として経済財政政策を取り扱っているに過ぎないのである。いかに我が国が「経済第一主義」を採っているからとはいえ、これをもって国家戦略(National Strategy)であると内外に宣明するのはいささか憚られるのではないか。
もっとも、実は、経済以外に有効な対外手段を持ち合わせていないのであるが。
新政権の目玉として作られたこの機関は、実態において自民党政権下の経済財政諮問会議などと何ら変わらない。むしろそれ以下というのがその正体であり、真に国家戦略の強化を望む国民の期待は、またしても大きく裏切られたと言えよう。
なお、玄葉光一郎・国家戦略担当大臣は、昨年10月19日、記者会見を行った。
その中で、現国家戦略室について、重要政策の企画立案や総合調整を行う機能に加え、内政・外交の幅広い分野で総理大臣に政策提言を行うシンクタンクの役割を担わせるなどの機能強化を図るため、国家戦略室を「局」に格上げするための関連法案を先の国会(第176回臨時国会)で成立させたい旨を表明したが、不発に終わった。
政府のこの動きは、尖閣事案の教訓などを踏まえたものであるかは定かでないが、今後、国家戦略局への格上げが果たして我が国の戦略強化につながるのか、その成り行きが注目されるところである。
3.国家戦略とは
国家戦略(大戦略)とは、「中長期的な国際情勢・安全保障環境の中で、特に戦略対象国との闘争・競争などにおいて、すべての国力を総合発揮して国益の達成という目標に導く方策(measures/art)」である。
国家戦略の構築には、それに目的を付与する国益が明確でなければならず、国益は国家像(国家目的)あるいは国家目標を基準として定まるものである。
そして、国家戦略は国益の達成という目標に導く方策(measures/art)であり、国家戦略にはその遂行に影響を及ぼす中長期的な国際情勢・安全保障環境というフィールドの中で、我が国の国益達成を左右する相手、すなわち戦略対象国が必ず存在する。
その意味において、戦略は常に相対的である。また、戦略を構築し、実行・実現するに際して、その手段となるものが「国力(Nation’s Power)」である。
国力は、軍事力、経済力、外交力そしてその国の政治的理想、文化や理念、あるいはその国のイニシアティブで創られた世界システム(例えば米国主導による国連やIMF=国際通貨基金=の創設)などの総合力である。
最近、米国ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授が提唱しているハードパワーとソフトパワーの区分によれば、軍事力と経済力が前者、外交力その他が後者に分類される。
国家戦略は、国力を基礎とし、その力量の範囲内で描かれなければならず、国力を無視した過望な戦略は必ず破綻を来すものである。
そして、国家戦略は、政治・外交戦略、経済戦略(資源戦略などを含む)、国防・軍事戦略、心理戦略、民間防衛戦略などから構成され、戦時のみならず平時および危機時をも包含する体系的かつ総合的な概念である。
このたびの尖閣事案で、中国は、国防・軍事戦略、経済戦略(その下部戦略である資源戦略、例えばレアアース=希土類=カード)、そして双方に関係する海洋戦略、心理戦略(日本に対する恫喝、中国国内のナショナリズムへの対応など)などを総合的に勘案し、多角的かつ段階的に戦略オプションを発動したと思われる。
片や、我が国は、戦略的にはほぼ無策で、「事なかれ主義」に終始した観は否めない。しかし、中国の戦略が一方的に功を奏したかと言えば、必ずしもそうではない。むしろ、誤りを犯したとさえ言える。
我が国では、民主党政権の安全保障・防衛政策が極めて危ういことが再認識され、同時に、対中脅威論が高まった。そして、本事態をきっかけとして安全保障・防衛政策の強化に向かう機運が生じている(すぐに冷めなければいいのだが・・・)。
また、東南アジアをはじめとする周辺諸国や世界の各国においては対中警戒感や対中批判が一段と大きくなり、中国を共通の脅威(敵)と見て国際社会が連携し、対中包囲網の形成に動く可能性も指摘され始めている。
このように、戦略は、作用・反作用の力学が働くことが大きな属性の1つであり、そのことを十分に踏まえて国家戦略を練り、運用することが肝要である。
4.なぜ、我が国には国家戦略がないのか
「日本人は戦略的に物事を考えるのが苦手だ」「日本には国家戦略や戦略的アプローチがない」などと言われて久しい。
では、その原因や問題はどこにあるのか――。この点を解明し、自覚することが問題解決のスタートであり、そのことを通じて戦略強化の手がかり、あるいは糸口を見出すことができる。
いや、それなしには、我が国の戦略上の問題を根本的に解決することはできない、と筆者は考える。そこで、旧聞に属することを含め、その原因や問題点を以下に列挙してみよう。
遠因~歴史的・背景的要因~
(1)島国と稲作中心の農耕民族としての国民性および歴史・伝統・文化
我が国は、海洋国家・島嶼国家である。長い歴史の中で、要害の海洋によって外敵の脅威や侵略から守られ、列国と比較して極端に戦争の経験が少ない。また、外国との交流を維持しながらも、一貫して孤立主義かつ単独主義の歴史を謳歌してきた。
その結果、常に戦争へ備える努力が疎かになり、国際社会や周辺諸国の動向など国外に向ける関心も希薄であった。
また、稲作を中心とした農耕民族としての歴史は、「和を以って尊しと為す」に象徴される協調協力や共存共栄を基本とする穏やかな社会を育む一方で、闘争や競争といった意識が弱まって、戦略的思考が根付かず、戦略的アプローチは縁遠いものとなってきた。
しかしながら、古来より、国際社会の現実は、対立と抗争の歴史である。我が国および国民は、自らに染み込んでいるDNAが戦略性の観点から大きな弱点になっているとの深刻な自覚の上に、それを強化する意識的な努力が不可欠である。
(2)戦略の非日常性と不当な扱い
戦略の主対象は、戦い(闘争や競争)である。その非日常性が基本的属性であり、日々の生活に追われる一般の国民にとって、戦略は決して身近な問題ではない。
加えて、戦後、我が国では、大東亜戦争の責任の大半を一方的に軍と軍人に負わせ、一貫して「軍事・戦略=悪」であるとの定着化が図られた。今日に至るまで、軍事および戦略は為政者また国民にとって、極めて分かりにくく、邪悪な領域として忌避され、排除されてきた。
国家戦略の主要構成要素の1つは、軍事戦略である。その軍事戦略に目的を付与し、その基本方針を示すのは政治の責任である。
従って、為政者はもちろん、国民主権の当事者である国民は、国家戦略のあり様に関心を示し、軍事の大要について最低限の理解が必要である。
近因~直接的要因~
(3)戦後体制(レジーム)による拘束など
敗戦に伴う米国の占領政策の究極の目的は、日本の非軍事(武装)化と弱体化にあった。
その一環として、憲法第9条において「戦争の放棄、陸海空軍その他の戦力の保持の禁止及び交戦権の否認」を定め、独立国が当然保有する主権としての自衛権までもが極限され、「国防なき憲法」「軍事(軍隊)なき安全保障」とも言うべき致命的欠陥を持った現行憲法が押し付けられた。
また、戦前・戦中の我が国を全面的に否定するとともに、戦争の責任は、日本という「国」、中でも軍・軍人にあって、日本国民は「無実で、無知な犠牲者」であるとのマインドコントロールを徹底し、国・軍と国民とを離間・対立させる構図を作り上げた。
このようにして、執拗に国家意識を弱化させるとともに、戦後半世紀あまり続いてきた「軍事の空白」によって、国民は当然のこと、国の指導的立場にある政治家までもが次第に軍事・戦略音痴へと陥り、その病巣は除去できないまま現在に至ってもなお我が国を蝕み続けている。
一方、終戦後、日本の最優先課題は、戦後復興と主権の回復であった。その基本方針が、「経済重視・軽武装」の吉田ドクトリンと言われるものである。
すなわち、我が国の防衛努力を必要最小限に抑えつつ、安全保障は日米安保体制に大幅に依存して経済復興・経済発展を優先した。爾来、経済至上主義の吉田ドクトリンが戦後保守政治の基本方針として固まっていった。
そして、現在においてもなおこの方針を踏襲しているのが財務省(旧大蔵省)の財政主導の論理(「最初に財政ありき」の思想)であり、我が国の防衛戦略・防衛政策を制約し、歪める大きな足かせとなっている。
これらが、いわゆる戦後体制(レジーム)である。その拘束によって、我が国は、戦後65年が経ち、21世紀の新たな時代に至ってもなお、世界の主要国の一員として応分の役割と責任を果たせない機能不全に陥っており、それからの脱却が喫緊の国家的課題となっている。
(4)現行憲法上の問題 ―不明な国家像(国家目的)―
国家戦略(大戦略)は、国益の達成を目指すものであり、戦略の構築は追求しようとする国益によって方向づけられる。その国益は、国家像(国家目的)や国家目標を基準として定義される。
しかしながら、国家像(国家目的)を描いているはずの現行憲法は、敗戦による主権喪失下、占領軍が国際法を無視して我が国に押し付けたものであり、国民の自由意志に基づくものではない。
しかも、占領者が起草したのは、社会契約説の思想に基づく個人主義的国家観、脱日本国家論そして空想的平和主義など我が国の実体とかけ離れた国家論である。
この国家論を基礎とし、日本人自身が考えず、自らの言葉で描いていない国家像(国家目的)など、国家目標を付与し、国益を定義する指針や基準になり得るはずがない。
この虚構を前提として国家戦略の確立を求めること自体、無理でナンセンスと言わざるを得ないのである。
(5)日米同盟への依存
戦後、我が国は、自らの防衛努力を最低限に抑制しつつ、日米安保体制(日米同盟)に大幅に依存してその平和と安全を確保することを基本としてきた。
この「日米安保中心主義」は、日本が主権を回復し、再興を図るに際して、国家として当然目指すべき「自分の国は自分の力で守る」自主防衛への努力を封印することになり、我が国が主権国家として再出発するうえで、重大な障壁を作ってしまった。
この結果、国家および国民の国防に対する当事者意識は自ずと希薄になり、国防の第一線に立つ自衛官の士気を弱めた。
また国内の安全保障基盤の確立の面でも、最近になって国民保護法は作られたものの、その成果が一向に上がらないなど、我が国防衛あるいは安全保障上の充実発展を阻害する根本的な要因となっている。
一般論として、同盟戦略は、当代の最も強力な国の1つと軍事システムを統合して国家の防衛を強化することである。
しかし、同盟によって、国家防衛・軍事上の主体性・独自性は急速かつ大幅に低下し、次第に国家の主権を喪失する方向に向かう。特に強国と弱国との同盟にはその傾向が強くなる。
日本は安全保障を大幅に米国に依存しているため、我が国の外交・軍事における自主裁量の余地はその分制約されているのが実態である。
特に最大の問題は、中国とロシアの核、そして北朝鮮による新たな核の脅威に対して米国の「核の傘」に全面的に依存しているため、我が国には自前の確かな核戦略・核政策が存在しない。
それがゆえに、同盟の破綻などを危惧して米国の要求に迎合する傾向が強く、自ら自主権を放棄していると受け取られかねない情けない状況になっている。
真の同盟関係は、日本も米国も共に相手国の国益と自主性を尊重しつつ、全面的・一方的依存関係ではなく、必要に応じて相互に援助し協力し合う体制でなければならない。しかしながら、日米関係の現状は、明らかに対等とは言えず、片務的である。
我が国は、同盟維持の要件である「リスク(危険)の共有」を回避している集団的自衛権の問題を解決し、早急に日米安保体制の片務性を解消しなければならない。
また、米国に全面的に依存している核戦略・核政策については、北大西洋条約機構(NATO)、特に英国型を参考として米国との核共有の体制を模索することも1つの方法である。
このようにすれば、日米同盟関係を深化させつつ、我が国の自主決定権(イニシアティブ)を回復することができる。そして、軍事・外交・経済の分野において自前の戦略を構築し、戦略的に政策を遂行するフリーハンドルを手に入れる十分な余地が生まれてこよう。
(6)戦略構築の責任の不明確さと縦割り行政の弊害 →「行政あって戦略なし」
既に指摘した通り、民主党政権下で、内閣官房に設置された「国家戦略室(局)」は、明らかに看板倒れの代物である。また、それ以外の省庁・機関でも、国家戦略を任務、所掌事務としている部署は見当たらない。
つまり、我が国では、国家戦略を策定する組織や機関がなく、また下部の戦略を含めて統合するプロセスが存在しない。
曲がりなりにもその役割の一端を果たそうとしているのが、原子力基本法、海洋基本法、宇宙基本法などの基本法の制定であり、また内閣に設置されている総理大臣を中心とする各種の会議である。
しかし、これらの基本法は、あくまで特定の政策分野における基本政策や基本方針を宣明するためのものであって、戦略構築に根拠を与えることにはなろうが、戦略そのものではない。
一方、内閣府に設置されている総理大臣を中心とする各種の会議は、取り扱う内容が経済財政問題に偏るとともに、個別的で、しかも下部のテーマを対象とした戦略(むしろ政策)構築にとどまっている感は否めない。
加えて、作成された戦略(むしろ政策)は、それを実施に移す各種政策へ総合一体的かつ体系的に反映されているかは疑問である。
このように、我が国は、国家目的・目標が明確でないうえに、国家施策の全体像を描く国家戦略を策定する組織や機関が存在しない。
このため、各省庁間の縦割り行政の弊害や主導権争いなどが深刻で、戦略遂行に不可欠な包括的、総合一体的な取り組みがなされていない。
戦略には、枝葉末節ではなく、全体を俯瞰して問題の所在を探り当て、解決策を総合的に検討し、組織横断の体制を敷いて一体的に推進する態勢が何よりも求められる。
特に、政治家の利権的動きや地元への利益誘導、あるいは官僚の国益より省益を優先する姿勢などは戦略の大敵であり、国家にとって「百害あって一利なし」と心得なければならない。
以上、「なぜ、我が国には国家戦略がないのか」について、その原因や問題点を明らかにした。それらを総括すると、今日の日本を執拗に縛り続けている「戦後体制(レジーム)」の一語に集約される。
今日、我が国が直面している国際情勢および安全保障環境は大きく、そして急激に変化している。我が国が、このような21世紀の世界に的確に対応するには、「戦後体制(レジーム)」の全面的かつ根本的な見直しと清算が不可欠である。
同時に、我が国の戦略構築の責任と体系の不明確さや各省庁間の縦割り行政の弊害など統治機構のあり様にも鋭いメスを入れなければならない。
5.我が国の戦略的失敗とその教訓 ―先の大戦を一例として―
有史以来、我が国最大の戦略的失敗は、国家の総力を挙げて戦った大東亜戦争の敗戦である。
その大東亜戦争における諸作戦の敗北の実態を明らかにし、敗北の原因を社会科学的に分析したうえで、失敗の本質を日本軍の組織的問題ととらえ、この歴史的結果の今日的意義を探って現代の組織一般にとっての教訓として生かそうと試みたのが戸部良一ほか著『失敗の本質―日本軍の組織論的研究―』(中公文庫)である。
さらに本書は、日本軍の組織論的研究にとどまらず、組織上の欠陥から生み出された戦略上の失敗の分析にも鋭く踏み込んでいる。
その結論は、日本軍と米軍を比較しつつ、下記の通り整理されている。
日本軍の戦略の特性について、その項目(技術体系を除く)ごとに、本書の指摘の内容を筆者なりに要約して解説してみよう。
その第1は、戦略目的が曖昧であったこと。原因は、我が国には国家戦略がなく、そのため、大本営の戦略目的が不明確であった。
加えて、「察し」を基盤とした意思伝達に依存し、中央部の意図、命令、指示が曖昧で、成り行き主義が多かったことによる。
その結果、軍隊という大規模組織を価値の不統一や明確な方向性を欠いたまま指揮・行動させるとともに、兵力の分散、目的と手段の不適合、戦争全体をできるだけ有利なうちに終結させるグランドデザインの欠如などの問題を引き起こした。
第2は、短期決戦の戦略思想、すなわち日本軍の戦略志向は短期的性格が強く、長期展望を欠いていたこと。
その原因は、一過性の攻撃戦法や急襲による短期決戦によって戦争目的を達成できるという楽観論が支配的であったことによる。
その志向が、戦争の推移に関する長期の見通しを欠き、後詰の戦略を用意していなかったこと、局面における防御という選択肢の欠如、敵に対する情報・諜報に対する関心の低さ、兵力補充および補給・兵站の軽視などとなって表れた。
第3は、戦略策定が主観的で「帰納的(インクリメンタル)」であったこと。日本軍の戦略策定は、組織内の融和と調和を優先し、多分に情緒や空気に支配される傾向があった。
また、組織の中に論理的議論ができる制度と風土がなく科学的検討に欠け、軍事的合理性の追求がなされなかったことがその原因である。
その結果、初めにグランドデザインや原理があったというより直面する現実の状況から出発し、また戦略策定の前提が崩れた場合のコンティンジェンシープラン(非常事態対処計画)がなく、状況ごとに場当たり的に対応してその結果を積み上げていくやり方、すなわちインクリメンタリズムに陥った。
また、状況の変化に適応する組織的柔軟性がなく、実行した結果を的確にフィードバックして戦略の修正を迅速に行うなど戦略の立て直し・再構築ができなかった。
これは、現在では一般常識になっているPDCA(Planning、Do、Check & Action)サイクルが踏まれなかったことを意味している。
第4は、日本軍の戦略オプションは狭くて進化がなく、統合戦略が欠如していたこと。その原因は、陸海軍にはそれぞれに、一連の綱領が存在し、それを聖典化する過程で、視野の狭小化、想像力の貧困化、思考の硬直化という病理現象が進行した。
その結果、戦略の進化を阻害し、戦略オプションの幅と深みを著しく制約するとともに、陸海軍の戦略を統合する意識や力学を阻む方向へと働いた。
以上のように、同書は指摘している。
さらに、「日本軍が戦前日本において最も積極的に官僚制組織の原理(合理性と効率性)を導入した組織であり、しかも合理的組織とは矛盾する特性、組織的欠陥を発現させたとすれば、同じような特性や欠陥はほかの日本の組織一般にも、程度の差こそあれ、共有されていたと考えられよう」と述べている。
我が国の官僚制組織そのものである国家行政機構のあり様は、省庁の組織的統廃合を除けば、戦後ドラスティックに変革・改編されたことはなく、依然として戦前の基本路線上にあると言えよう。
日本軍の戦略特性を含め本書が摘出した問題は、その指摘の通り、我が国、特に国家行政組織にとっての現代的・今日的意義をいささかも薄れさせるものではないのである。
従って、これらの戦略的問題に対しても一定の解答が必要であり、上記の分析結果を踏まえながら処方箋を提示してみたいと思う。
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