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防衛計画の大綱
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E8%A1%9B%E8%A8%88%E7%94%BB%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%B6%B1


歴史と将来予測で考える国防の未来!

2011.02.11(Fri)JBプレス 高井三郎

昭和51年における防衛計画の大綱成立の経緯!

 平成23年度以降に係る防衛計画の大綱」(23大綱)は、従来の基盤的防衛力に代わる動的防衛力という構想を導入した。ところが、「動的防衛力の意義が一般国民には分かりにくい。

 高度な技術力と情報力が支える即応性、機動性、柔軟性、持続性及び多目的性を具備した動的防衛力を建設するというが、それは、どこの先進国でも保有すべき現代軍事力の一般原則ではないか。

 これまでの基盤的防衛力とは、どのように違うのか」など、もっともな疑問を抱く声も聞こえてくる。

 しかるに、動的防衛力の当否はさて置き、1976(昭和51)年に作成された「防衛計画の大綱」(51大綱)の成立の経緯を先ず再確認する。ちなみに、基盤的防衛力は「51大綱」における構想であった。

 1954(昭和29)年7月に、保安庁・保安隊をベースにして防衛庁・自衛隊が発足した。

その4年後の1958(昭和33)年から、3年間に及ぶ第1次防衛力整備計画(1次防)が始まり、爾後、それぞれ5年間の第2次、第3次、第4次各防衛力整備計画(2次防~4次防)が通算18年間、続いたのである。

 その前提条件は、1953(昭和28)年に保安庁が作成した長期防衛力整備計画案であった。

 4次防が終わる1976(昭和51)年になると、先の長期防衛力整備計画案に代わる「防衛計画の大綱」(51大綱)が成立した。

 これに基づいて、当初3年間は諸般の事情による単年度ごと業務見積もり、その後、5年ごとの中期防衛力整備計画が4回、すなわち「51大綱」「08大綱」「17大綱」「23大綱」と続いて、現在に至っている。

基盤的防衛力の背景と問題点!

成2年度及び同4年度の防衛白書は、「51大綱」における基盤的防衛力の考え方を次のように要約して説明している。

 「我が国に及ぶ軍事的脅威に直接対抗するよりも、自らが力の空白になって周辺地域に不安定要因を形成しないように努める。このため、独立国として必要最小限度の防衛力を保有する」

思うに、我が国に迫る軍事的脅威を破砕するために十分な防衛力の整備こそ、地域の力の空白を埋める役割を果す。

 しかるに、各国が真に役立つ防衛力の整備に努める一方で、大綱成立以来、政府が公言してきた必要最小限の防衛力しか持たない我が国は、まさに力の空白になり、真っ先に侵略の標的にされる憂き目に遭う。

 基盤的防衛力の要点の1つである「限定小規模侵攻には我が国が独力で対応し、大規模な本格侵攻対処は安保体制下の米軍に期待する」という考え方も、大綱作成当時から批判されていた。

 我が領域の占領を目指す敵は、有力な戦力を調えて、しかも直接侵略に間接侵略を連携し、容易に敗れない態勢で侵攻してくるのが通常の状態である。

 さらに、今でも変わらない米軍に大幅に依存する他力本願の体制は自主防衛とは言えず、しかも国家の権威に関わる大問題である。

 もとより大綱は、基盤的防衛力を永久的な方針とは見做していなかった。すなわち、当面の情勢に重大な変化が認められる場合には、新たな防衛体制へ移行すると言及している。

 それは、各国の軍備に見られる有事に人的物的戦力を急速膨張(エキスパンド)させる動員体制にほかならない。しかしながら、大綱成立以来35年が過ぎても、肝心な有事の動員に応える人的物的両面の予備戦力の充実は実現していない。

 陸上自衛隊を例に取れば、これとても規模が小さい予備自衛官の定員は3.9万人から5.2万人(新設の即応予備を含む)とわずかに増えたが、常備自衛官の定員は18万人から15万人へと逆に減らされた。

 旧陸海軍の戦用備蓄に類する物的戦力の縦深性の付与、各国に見られる武器弾薬を増産する国防産業動員体制、自衛隊の地域警備力、後方支援能力及び災害対処能力を補い社会の安定を図る民間防衛体制の整備もいずれも皆無に近い。

 要するに基盤的防衛力には、有事に戦力を急速膨張させる計画が欠けていた。

 およそどこの国でも、有事所要戦力を普段から常備することは経済上の理由から不可能に近い。

 従って、平時には応急対処戦力(例えば、領域警備力、防空手段、即時反撃戦力)を調えておき、緊急事態になるとその掩護下で予備戦力を急速動員するのが通常の在り方にほかならない。

 顧みるに、「51大綱」の作成当時、防衛庁当局は「1次防から4次防までは脅威に見合う所要防衛力を追求してきたが、これからは経済性、効率性を重視する基盤的防衛力に切り替える」と国民に説明した。

 しかるに、1次防~4次防の各事業とその実績も所要防衛力に届かずに終わっている。

 1960年代半ばから、左翼政党、進歩的文化人および一部のマスコミは「防衛費に歯止めをかけよ!」と盛んに叫び始めた。

 このような政治社会情勢に押された三木武夫政権は、「51大綱」と基盤防衛力の成立直後に年間防衛費の総額をGNP(国民総生産)の1%以内にとどめる政策を決めたのである。

 1987(昭62)年になると、中曽根康弘政権は総額明示方式に転換したが、防衛費が大きく脹れ上がったわけではない。

 たわいないことに同年の防衛費がGNPの1.02%とわずかに増えただけで、左翼政党および反体制評論家は「公約に反する中曽根軍拡の始まり」と痛烈な非難の矢を浴びせかけた。

 これより先、自民党の有力な政治家は、「これまでの通り、5次防、6次防、7次防と呼んでいけば、国民に対し防衛費が際限なく増えていく印象を与えるので、呼び方を変えよ!」と防衛庁当局に注文した。

 それ以来、第○次防衛力整備計画でなく、中期業務見積もり及び中期防衛力整備計画と呼んで現在に至っている。

 しかしながら、それは看板の取り換えに過ぎず、原則として5年ごとに重ねていく計画の本質は4次防以前と全く変わらない。

 むしろ慣れ親しんできた簡明な呼称の変更は、実務担当者の業務を妨げ、一般国民に対し防衛力整備の成り行きを以前よりも分かりにくくするという弊害を生じた。

所要防衛力の見積:警察予備隊・保安隊時代!

1945年8月15日における第2次大戦の終結に伴い、我が陸海軍は解体し、米国主導の占領軍当局は軍備を禁じた憲法の制定をはじめ一連の非軍事化政策を推進した。

 ところが、その後間もなく米国政府には、ソ連を中核とし強化の一途を辿る共産主義陣営に対抗するため、日本を再軍備する考え方が抬頭していた。

 たまたま、1950年6月25日に北朝鮮軍が韓国に奇襲侵攻して朝鮮戦争が勃発し、急遽、在日米陸軍の主力が朝鮮半島に出動した。

 このため、米軍出動後の治安警備の穴埋めとして、占領軍当局は警察予備隊の編成を吉田茂総理に命じたのである。

 一方、我が国の政官界、有識者などにも、占領軍が与えた非武装憲法に多大な疑念を抱く向きが少なからず存在した。

 このため、朝鮮戦争さなかの1950年10月に、厚生省復員局所属の軍人出身職員から成る研究機関が、再軍備構想を盛る「研究資料」を作成して政府に提出した。

 同試案は、国防省を創設し、20万人規模の陸軍、空海軍(筆者注:原文通り)を8年間に1000億円を投じて建設するという内容であった。

 1951年9月には、サンフランシスコ平和条約により我が国は独立を回復し、その後、現在に至るまで防衛の基本を成す日米安全保障条約も締結されて、日米双方の再軍備の研究作業も本格化したのである。

 そこで、1951年10月から約半年間にわたり、旧海軍の軍人および米海軍の首脳部から成る「Y委員会」という合同研究機関が、日本再軍備に関する審議を重ねた。

 その結果、海上自衛隊の前身である海上警備隊の創設、米国からの艦艇の貸与等を含む海上戦力の在り方を取りまとめた。

 同じ頃に、民間の渡辺経済研究所の「防衛計画研究委員会」も再軍備の試案を作成し、1951年末に吉田総理に報告した。

 一方、経済団体連合会の「防衛生産委員会」も再軍備構想の研究を手がけていた。同委員会は、独自の作業に加え、Y委員会および渡辺経済研究所の各案も参考にして「防衛力整備に関する一試案」を作成し、1952年8月に政府に報告した。以下はその大要である。

●陸上:15個師団、30万人

●海上:29万トン、7万人=護衛空母4、潜水艦8、巡洋艦4、駆逐艦13、海防艦150、輸送艦14、海軍機750など

●航空:2800機、13万人=哨戒機260、戦闘機1000、爆撃機380など

●総兵力は50万人、軍備整備期間は6カ年、経費は3兆円(注:1952~54年の一般会計予算は約9000億円、現在は約92兆円)

 上記の試案は、我が国周辺の戦略環境、特に将来の脅威と作戦様相、地理的条件、国土地形の特色、社会の動態、防衛生産力、安保体制などを総合的に考慮して作成された。

 それは、何と言っても旧陸海軍生え抜きの軍事プロの研究作業であり、戦略戦術上の妥当性と具体性に富む策案である。

 現役兵力50万人と言えば、自衛隊の定員24万人しか知らない今の一般国民は恐らく驚くであろうが、決して誇大な数字ではない。

 ちなみに現在、人口約6000万人の韓国は60万人、人口2200万人の台湾は27万人の常備兵力を擁している。両国とも我が国よりもはるかに国土が狭く、台湾本島は我が九州程度に過ぎない。付言するに、1950年代当時の我が国の人口は8000万人であった。

 昔から大衆は防衛を支える財政事情を大きな問題にする。ところが当時の研究担当者は、現代戦を戦うための兵器装備の国産能力は、経済の回復に伴い、年を追うごとに向上するものと見ていた。

 実際に1950年代後半以降、我が国の経済は戦争の痛手から立ち直って高度成長を遂げ、兵器装備の開発生産も可能になった。

むしろ研究担当者は、自主防衛の絶対的な要件とも言うべき一般国民の愛国心と国防意識の高揚、すなわち無形的戦力強化の可能性に疑問を抱いていた。

 終戦からわずか数年足らずの当時は、一般国民には戦時中の惨害の記憶が生々しく、占領軍による非武装憲法の制定はじめ徹底した非軍事化政策、それにソ連が背後で支える左翼の宣伝謀略も手伝い、反戦・反軍気分が社会に漲って(みなぎって)いたからである。

 一方、先に触れた再軍備論者の存在とは裏腹に、政官界の中には、非武装憲法の制定からわずか数年後に情勢の変化を理由に、なりふり構わず再軍備を要求する米国政府の動きに否定的な向きも多かった。

 遺憾ながらその影響は今も続いており、憲法9条の改正も自衛隊の国軍への昇格も、まさに前途遼遠である。

 再軍備研究担当者が懸念した当時から60年を超える今では、一般国民の愛国心と国防意識が一層低下して防衛政策の進展を妨げている。「51大綱」以来の防衛力整備計画は、このような負の遺産の背景の下に作成されてきたのである。

 

池田・ロバートソン会談と米国の戦力増強要望及び日本側の対応!

 1953年10月、すなわち所要防衛力を説く「防衛力の整備に関する一試案」ができた約1年後に、米国のワシントンD.C.で、政府特使の池田勇人自由党政策調査会長とウォルタ-・ロバ-トソン国務次官補の間で、日本の防衛力強化の在り方に関する意見交換が行われた。



この時に米国側は、4ないし5年間で、保安隊、海上警備隊の増強と空軍(1954年以降の航空自衛隊)の新設を要望した。その大要は次の通りであった。

●陸上:10個師団、32.5万~35万人
●海上:フリゲ-ト18隻、上陸用艦艇50隻、掃海艇40隻など
●航空:実用機800機(要撃戦闘機225機を含む)
●対日軍事援助3億ドル(換算値1080億円、1953年度防衛費約1200億円)

 これに対し、日本側が約束した回答は次の通りであった。

●陸上:3年間に保安隊の定員11万人を18万人まで増強
●海上:5年間に15万トン、210隻(船団用護衛艦74隻、掃海艇31隻など)
●航空:5年間に実用機518機(注:会談から約1年後に航空自衛隊を新設)

 会談の席上で米国防総省代表は、極東ソ連軍の対日侵攻戦力は50ないし60師団、作戦用航空機約6000機に達しており、従って日本は領域の防衛上、10師団基幹の32万ないし35万人の陸上戦力が必要であると強調した。

 これに対し、外務省の随員兼通訳を勤めた宮沢喜一元総理はじめ文民各位は、「米国側が増強を要望した兵力や装備の数字には根拠がなかった」と回想している。

 しかしながら米国側の要望内容は、1952年末までに作成された日本側の「防衛力整備に関する一試案」の見積もり作業の結果が反映されていた。

 要するに、Y委員会案から本試案までの各作業は、日米両軍事レベル間の意見交換の成果を参考にして作り上げた根拠に富む数字を網羅する。

 まず、航空戦力の所要は在日米空軍撤退後の状況を想定し、当時日本本土に配備されていた第5空軍の3個航空師団約800機の規模を参考にした。

 これに対し海上戦力の場合は、長大な海上交通路の船団護衛、沿岸航路による陸上部隊の転用に必要な海上機動力および沿岸航路と港湾の掃海手段が考慮された。

 陸上戦力の所要10個師団、32万ないし35万という数字も軍事的な根拠に富む結論である。

 極東ソ連軍の予想侵攻正面は、北海道、東北を含む北日本、新潟、若狭を含む中日本が有力であった。当時は朝鮮戦争の停戦から3カ月後であったが、将来情勢が悪化すれば、壱岐、対馬、北九州を含む西日本への侵攻も絶無でないと想定されていた。

 極東ソ連軍は、北、中または西日本の正面に第1波として3ないし4個地上師団と1ないし2個空挺師団、2ないし3週間後に第2波として第1波と同数の兵力が来攻するものと予期されていた。

 これらの主要な根拠は、極東におけるソ連の船舶および輸送機の稼働率と回航能力にあった。各正面において第1波の侵攻を破砕するためには、空海戦力に支援された優良装備の3ないし4個師団が最低限必要と算定された。

 我が国土地形の特色から見て、各正面には、第1波対処用の師団を普段から配備しておかなければならない。

 日本列島は大小の島嶼から成り、敵側に面して左右に広がっているので、地上戦力の主力を列島の中央に集結させておき、敵が来攻する正面に対し迅速に集中するという内線作戦の原則を適用できないからである。

 1950年代における極東ソ連軍の海空機動力および支援火力は、1回に1正面への侵攻に限られていた。

 しかしながら将来、火力、機動力が向上すれば2正面同時侵攻も可能になり、さらには情勢が悪化した半島からの西正面侵攻に北または中正面侵攻が連携する事態も否定できなかった。

 このような見積もりから、北、中、西各正面に初期対処用の地上戦力を普段から配備しておく必要性が認識された。なお、例えば北正面において第1波、第2波との交戦が長期化するなどの事態には、別の正面の師団を北正面に抽出転用する計画も必要であった。

動的防衛力への期待!

田・ロバ-トソン会談以降の防衛政策は「初めに経済ありき!」にほかならず、軍事的妥当性に欠けていた。

 従って、常備戦力は、所要防衛力とは似て非なる控え目の規模に抑えられて現在に至っている。

 陸上戦力の定員18万人体制は、約束の3年後でなく、なんと20年後の1973年にようやく実現した。

 しかも人件費の制約上、充足が16万人足らずで、冷戦終結の煽りによる防衛費の抑制も祟り、定員が18万人から15.4万人へと大幅に引き下げられた。

 「23大綱」を見るに、限られた防衛費の総枠内でのやりくりの苦労の跡が顕著であり、例えば、PAC-3装備部隊、イ-ジス艦、潜水艦等を増やすため、陸の1カ高射特科群、戦闘機10機、4カ警戒管制群、戦車400両、火砲400門などが犠牲になっている。

 手薄であった南西諸島の防衛力強化政策が俎上に載ったことは好ましいが、同正面の事態に連携する五島列島、壱岐、対馬への侵攻に加え、長期視点から北、中各正面の潜在脅威、国内治安警備も無視できない。

 特に、侵略基盤の扶植と防衛力の弱体化を狙う浸透、潜入、社会の攪乱など間接侵略対処には、相当な数の警備兵力が絶対に必要である。要するに、侵攻の脅威が尖閣、先島だけであれば苦労はない。

 これまでは主として米軍のプレゼンスが抑止力を維持し、朝鮮戦争の再発もなく、我が国の防衛は不十分な常備戦力でこと足りてきたが、将来はその限りでない。

 動的防衛力の表現の当否もさることながら、中身の充実、特に戦後の再軍備当初の姿勢に立ち返り、短期、長期両視点からの所要防衛力はもとより、防勢戦略の在り方の再検討も必要である。

 それ以上に、1957年以来、国防の基本方針が強調する国民の愛国心と防衛意識の高揚及び軍事知識の普及と向上を期待して止まない。何と言っても、国防の主役は、在日米軍でなく日本国民である。

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台湾海峡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E6%B5%B7%E5%B3%A1

2011.02.10(Thu)JBプレス 谷口智彦

 急成長中の中国からはいろんな人が現れる。最近のびっくりは陳光標(Chen Guangbiao)なる人物だろう。

通りがかりの人たちに14億円をばらまいた中国の富豪!

こなた日本の伊達直人はあくまで匿名に徹しそのことを喜んでいるふうだけれど、あなた中国の陳光標は巨富をせっせとばらまいて、その派手なことといったら。

 中国で慈善家として既に盛名を欲しいままにしていたこの人は、1月26日、金持ち仲間を50人(90人との報もあり)ほど従えて台湾へ渡り、一大寄付イベントを敢行したり、通りがかりの貧乏そうな女をつかまえてはキャッシュを掴ませたりした。

 その額、実に14億円強!

 奥ゆかしい人らしく、裸で渡してもいいところ、あえて赤い封筒に入れ金一封にしたらしい。中国や一部アジアでこういう場合に使うのだというその赤い封筒が、糊で封をしてあったか、すぐ口が開けられるようになっていたかまでは、報道からは窺えない。

 その額がいくらくらいだったとか、ビル・ゲイツに挑戦を挑んでいる話だとかはすぐ後で触れるけれど、台湾でこの人、衝撃的なことを言った。

台湾中国本土を結ぶトンネルを造る!

 自分のカネすべてを捧げ、大陸中国台湾を結ぶトンネルを造る。造ってそこに新幹線を走らせる。中国の金満家有志たちよ、我に倣って寄付の隊列に入れ――と、そんな(少しパラフレイズして言うと)ことを呼びかけたのである。

 3つ、連想させられる。

 本当にトンネルができたとしたら?

 どこまでが彼個人の発意なのか。背後に北京の思惑などないのか?

 いったいぜんたい、そんな巨富を可能にする徴税制度ないしその不在は、台湾海峡にトンネルを掘るより前になんとかしないといけないことではないのだろうか?

慌てて調べてみると、台湾海峡にトンネルを通すプランは、主として大陸サイドで(さもありなん)長いこと議論のネタになっている。

長さは英仏海峡の3倍、しかも地震地帯!


中台海峡は英仏間より3倍ほど長い。地震地帯であることだし、工費がいくらになるか計算できない。だから無理だと通説は言う。

 けれども中国現今のガンホー精神に、向かう所敵なし。――できたら凄い。隧道(トンネル)建設はすぐ国威の表象にならないとは限らない。なんせ陳氏の台湾にて言うごとく「21世紀は中華民族の時代」であるからして。

 ちょっと虚を衝く着想ではある。世の中には想像すべくしてし切れないいろんな可能性があるものだと思わせるような。

 30年後には、ことによったらできているかもしれない。無論、そんな頃までに、台湾独立などは思うも愚かなこととなりおおせているわけだろう。

 すると台湾世論はこの先また分裂要素をひとつ、付け加えてしまう。「隧道派」、「反隧道派」に色分けされ、いずれかまたは双方に中国共産党がせっせと資金を注ぎ込み工作を図る・・・などという景色が出てくるのだろうか?

中国では知らぬ人のない有名人!!

 そして陳光標氏は旧正月(というより中華文明圏にはホントの正月)直前の台湾に訪れて、キャッシュ入り紅封筒をばらまくというほとんどヒトの尊厳を冒瀆するごとき仕業を平然これやってのけ、メディアの注目を一身に浴びるその機会にトンネル話を持ち出した。

 好機の演出に手腕を見出さざるを得ぬとして、そこに誰かの使嗾(しそう)によるか、または誰かの歓心を買おうとした動機、意図や背景はなかったのかどうか。

 自己宣伝を寄付と同等またはそれ以上の趣味とする陳氏が公開した映像その他を見るにつけ、全人代に出席していたり、胡錦濤温家宝といったお歴々と握手をしていたりする。

 どうやら中国では知らぬ人とてない有名人。まだ若いし、隧道発言には何がしか生臭い政治的意図が混入していると見るのがごく常識的解釈というものだろう。

さてその巨万の富とは。

 自身を紹介する自社ウェブサイトに曰く、これまで寄付した額は10億3400万元に上るという。邦貨にすると168億円くらいになる金額だ。

 中国国内にもその振る舞いに甲論乙駁がある。がともかく日本から見えにくかった超有名人であることに違いはなく(台湾では妻と息子を従えてテレサ・テンの墓所へ行き、カメラの前で号泣したりもしている)、好悪の感情を何かと喚起する話題の主である。

創業から10年もかからず数百億円の個人資産築く!


 1968年7月生まれというから今年43歳。建物解体の廃材再利用に目をつけ、江蘇黄埔再生資源利用有限公司(Jiangsu Huangpu Recycling Resources Co., Ltd)なる会社を興したのが2003年。

 それから10年と経たぬうち、何百億円(何千億円?)という個人資産を蓄えた。ちなみに非公開有限会社であるからして、ストックオプションなどというものは含まれていない。全部現金だろう。

 これって、あり?

 中国人が陳氏にインスピレーションを受けるとしたら、いまの中国、才覚さえあれば何をやったってのし上がれるというその一事からだろう。オレもワタシものし上がろう。それでもしかして、寄付して有名になるのもいいかも、と。

 伸び行く国、勢いある民族のスピリットがここにある、ナンというゴタクを並べてはいけない。制度の未完成ないし不備がそれこそ巨大なループホールをつくっている故の徒花と見るべきだろう。

 こういう御仁が増えれば増えるほど、そしてそんな人たちが党員になればなるほど、中国共産党は中国金満家党になり、あらまほしき改革などに手はつけられなくなる。

ビル・ゲイツとかのオマハの賢人ウォレン・バフェットという米国の2大巨頭が訪中し、金満家たちを集めたパーティを開いた時、昨年のことだが、招かれた陳氏は大いに発奮したらしく「死んだら全財産を慈善事業に捧げる」という旨書状にしたため、2人にあてた公開状とした。

 自社ウェブサイトに掲げてあるというから探してみたけれど、簡単には見つからない。

 「全部やるわ。すぐまた儲けられるから」というのがこの人の口癖らしく、台湾へ渡って「全部やる」対象を隧道に定めたことで、公開状の意味がなくなった。それでサイトから消去したというような事情があったのだろうか。

 草食系の読者にはもうたくさん、ゲップが出るくらいだろうからやめておくけれど、台湾北部、桃園県県民ホールで1月30日開いた式典で、陳氏とその同志たちは米ドル換算総額33万ドル以上になるキャッシュを寄付した。

1日でばらまいた金一封は8900万円
 滞在6日間で、実に1700万ドルをばらまいたという(米ドル換算、The Australian 2月2日付)。かたっぱしから手に握らせた金一封の紅封筒はある1日だけで3150通。台湾ドルで3150万ドル(邦貨換算8900万円強)になったとか(China Times 1月31日付)。

 「ほれ、持っておゆき」てなもんで、ホテルから出た出会いがしら、ぶつかった女が貧しげだったりすると手に握らせる。そんな1通には2400ドル(米ドルにして)が入っていたと、ウォールストリート・ジャーナルのブログ記事は伝えている。

 女は歓喜のあまり号泣したのだそうだが、封筒ばらまき作戦はさすが台湾当局の眉をひそめさせた。1人当たり国民所得にしたら台湾のそれは大陸中国の5倍はある。いくらなんでもと思ったのであろう、陳氏に話して途中でやめさせたそうだ。

中国共産党
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A


 

国家イベントのため強化されたネットメディア統制は解放されるのか?

2011年1月27日(木)日経ビジネス 加藤嘉一

初回コラムでは、中国社会のこれからを探る上で重要な役割を果たすであろうポイントを挙げた。共産党のガバナンス力(トップダウン、上からの抑え込み)とネットメディア――ブログや掲示板機能を持つポータルサイトなど――の普及(ボトムアップ、下からのうねり)のぶつかり合いである。共産党は数万人にも上るネット監視員を投入し、インターネット上の反体制的な言論を24時間体制で監視、削除している。監視システムを日増しに強化している。

 一方、4.5億人を超えたネットユーザーたちの活発で、相互的な議論は、自然発生的に拡大、深化している。前回コラムでは、特に「エリート」と呼ばれる中国の若者が、インターネットを通じて旺盛にインテリジェンスを展開している現状を紹介させていただいた。7000万人以上の党員を擁し、全国にネットワークを巡らす百戦錬磨の中国共産党にとっても脅威になる。中央政府はネット世論を「社会の安定を揺るがす不安要素」と認識し、神経を尖らせている。

 民主主義と言論の自由――あからさまに抑えられていること。日本人を含めた外国人が中国に対して「不気味、得体が知れない」と懐疑心を抱かせる「飛車角」的な存在である。言論・情報統制はそのシンボルタワーのようだ。

 今回コラムでは、ここ数年における当局の統制政策を、ネットメディア対策という側面から振り返る。読者のみなさんには、「中国共産党の情報・言論統制の内部ロジックとからくり」を理解していただければと思う。

北京五輪中国建国60周年を前にネットメディアの監視を強化!

 「ネットメディア環境に進展はあるのか?」

 2010年、メディア関係者や大学教授、シンクタンク研究者の間でこのテーマが話題になった。ネットメディアは世論に大きな影響を与えるようになり、自由度、開放度、民主度の進展を象徴するものになった。しかし2008年の北京五輪前から2009年の中国建国60周年記念にかけて、中央政府は監視規制を強化した。

 2008年の北京五輪前後、それまでアクセスできたユーチューブツイッター、フェースブックが突如ブロックされた。今でも一切のアクセスが禁止されている。当局による赤裸々な締め付けだ。

 昨今では、中国国産の“ツイッター”が立ち上がり、活発な議論が行われている。しかし、このサイトも当局の監視下にある。運営者は処罰を恐れ、自己規制に忙しい。「天安門事件」、「劉暁波」など敏感なキーワードは即座に削除する、削除される、という投稿者とのいたちごっこが続いている。

 2009年7月、新疆ウイグル自治区のウルムチ市で暴動事件が起きた。当局は建国60年を前にして、北京五輪前にウルムチで起きたテロ事件以上に警戒していた。中央宣伝部は8月下旬ころ、「新華社以外の原稿は使わないように」との指令をメディア各社に出している。

 有識者は「中国はここ数年で完全な警察国家に化した」と愚痴をこぼした。

 「インターネット世論への監視規制は2010年に緩和されたのか? 2011年以降はどうなのか?」という筆者の質問に対し、党の役人たちは「なんとも言えない」、「状況次第」、「政治常務委員次第」、「トップですら決定する権限を持たない」と答える。

 党の中でさえ統一見解はないのである。

 中国では4つの党・政府機関がネットメディアを監視する機能を果たしてきた。「国務院新聞弁公室ネット宣伝管理局」、「中共中央宣伝部輿論事情情報局」、「国務院新聞弁公室ネット研究センター輿論事情処」、「中共中央宣伝部ネット局」である。このほか、公安部や国家安全部も独自のネットメディア監視機能を備える。

基本的に「縦割り」であるため、省庁間における監視機能は重複せざるを得ない。中央宣伝部のある局長は「縦割りの監視状況をいかにコーディネートするかが今後の世論統制にとって極めて重要になる」と先日筆者に語った。

 

建国60周年前後に規制は最高潮に!

 統制が最も強かったのが建国60周年の記念式典前後である。中央政府の世論政策は、「マイナス面の報道があってはならない」の一点に尽きた。「北京五輪を経験しているみなさんは事情を正しく認識していると思う。各自自制し、的確な報道を徹底するように」と通達した。2010年に開催された上海万博、広州アジア大会の際も同様であった。

 「イベント期間中、一切のマイナス報道を禁止する」。

 不都合な報道があれば、事後厳しく処罰するということだ。新聞、雑誌、ウェブのメディア関係者たちは「プロパガンダ当局からはマイナス面の報道をしてはいけないと言われる。プラス面、肯定的意見、賛辞の報道をするしかない」と口をそろえて漏らしていた。


投稿者の実名登録を求める、メディアの記事の位置まで指定する

 世論対策を分析するうえで面白い動きがあった。国務院新聞弁公室、中央宣伝部は、建国60周年世論対策の一環として、2009年8月15日以降、ネットメディアに対して『ネットユーザーの実名登録制』を徹底するように指令を出した。

 近年、ネットメディアにおける書き込みが世論に与える影響が大きくなっている原因の1つに「匿名制」があったからだ。誰でも自由に書き込めて、責任は一切追及されない。

 指令によって、登録する際には、氏名、身分証番号などの入力が必須となった。「指令の内容は絶対保密を命じられていて、一切の公開・流出が禁じられている」とネットメディア関係者は言う。ただし実際は、適当な名前を入力し、けた数を満たした番号を入れれば登録・ログインが可能になっている。「形だけの対策だ」(ポータルサイト、ブログ担当編集者)。

 政府関係者は、実名登録制によってネット世論を完全に抑えられるとは全く思っていない。中央宣伝部の幹部は「適当な名前、IDによる登録も十分可能だ。書き込みしたユーザーの身元を識別することもほぼ不可能。手続きが複雑になったことで、書き込みの意欲を失うユーザーが多くなることはあるかもしれないが」と分析する。

 「実名登録制」の導入と合わせて、当局が「建国60周年世論対策」として実施したのが「ブログ、掲示板コンテンツ押さえ込み」だった。2009年9月以降、さまざまなウェブサイトのトップページ、あるいはヘッドラインから博客(ブログ)、論壇(掲示板)の項目がなくなった。あるいは、下のほうの目立たない位置に移動させられた。当局が、官製メディア以外のすべての商業ウェブメディアに課した指令である。

 ブログや掲示板には、反体制的な意見、政治的に不正確な言論もしばしば見られる。日本の2チャンネルのごとく、過激な言論が錯綜する。当局はすべてをコントロールできるわけではない。「安定第一」を最優先する当局は「これらの項目を目立たせない」、「読者にアクセスさせにくくする」というやり方で不安要素、リスクを抑えようとした。

 軍事パレードを含めた60周年記念イベント前後、すべてのネットメディアのトップページには『中華人民共和国建国60周年万歳』というスローガンが掲げられた。当局の仕業である。ほかのメディアコンテンツも含めて、内容・位置のほとんどを当局が決定した。イベント期間中、宣伝部からメディアに担当者が「出向」し、現場で直接指揮する光景すら見られた。


規制に反発し、罰金、左遷が相次ぐメディア業界!

 統制強化によって、身動きが取れなくなっているのがメディアである。すべてのネットメディアが「審査部」という特殊部門を設置し、反体制的な報道、言論を「自制」するよう努めている。後手に回って、当局に見つかって罰金を課されるよりは、一定のコストをかけても、事前にリスクを回避したほうが賢明というわけだ。

ただし、メディア側も唯々諾々と当局に従ってばかりいるわけではない。デスクたちは24時間体制で監視当局の担当者と戦っている。「このニュースはダメだ。すぐに削除しろ」、「先ほどXXで発生したYY事件は報道するな」などといった指令が下される。これらを握りつぶして数十万円規模の罰金は日常茶飯事。幹部の左遷も相次ぐ。

 メディア関係者の現状認識は監視サイドとは異なる。「2010年も規制が緩和されることはなかった。事件や問題別に緩めたり、引き締めたり、という状況はあったが、大きな趨勢としては間違いなく引き締め強化の方向に向かっている。言論の環境が多様化すればするほど、当局は規制を強化せざるを得ない。究極のジレンマだ。共産党の体制存続第一なんだから、他に選択肢はない」と大手新聞社の記者は見る。

 ここで記者が言う「言論の環境の多様化」は、中国において、「党機関メディア」と「都市報」、「ネットメディア」という3種のメディアが「三国志」のごとく、争いを繰り広げている状態を指す。「党機関メディア」は、党と政府とのプロパガンダ役を実際担っている《人民日報》、《新華社通信》、《中国中央電子台(CCTV)》など。「都市報」は新聞がメイン。各都市で発生する事件や社会問題など、市民に密着した情報を発信する。発信するプレイヤー、議論のプラットフォームが日増しに増えている。


ネットメディアが解放されるかは共産党のトップ次第!

 「押さえ込み政策」のネットメディアへの打撃は計り知れない。ネットメディアは、日を追うごとに世論、民意形成への影響力を増している。だが、基本的に取材権がなく、自らの記者を持たない。編集権しか持っていない。新聞やテレビなど既成の伝統メディアが取材し、掲載した内容をお金で買って「転載」しているにすぎない。掲載するニュースは各ネットメディア間で同質化する。必然的に、ブログか掲示板でしか差別化できない。

 業界では「互動商品(Interactive goods)」と呼ばれる。ブロガー、コメンテーター、コラムニストなどと読者がインタラクティブに自由に議論し合える唯一のプラットフォームである。

 2010年に入り、ブログや掲示板の自由度は少しばかり復活した。ブログが画面の上のほうに移され、アクセス数が増えた。ネット世論調査が積極的に行われ、書き込みも出来るようになっている。オピニオンリーダーと一般ユーザーが激論を交わし、世論を創造していくインタラクティブ・コミュニケーションも増えてきた。2011年1月現在でも続いている。

 ネットメディアの「十八番」であるブログや掲示板は、2011年以降自由に、開放的になっていくのだろうか。筆者が見る限り、中国共産党の最高意思決定機関である「中央政治局常務委員会」(常時9人しかいない。中国の政治システムで序列1位~9位を占める)による政策判断次第である。


共産党の政策は世論なしには語れない!?

 中国でも、「世論」が勃興している。政策に影響を与えるのだ。ポリシー・メーカーが民意の圧力に屈して、政策方針を変更することだってある。当然、日本との関係においても、である。

 2010年の旧正月、筆者は政治局常務委員を経験したことのある某政治家と、共産党の世論政策に関して徹底討論した。別れ際、彼が筆者に優しく語りかけた言葉が忘れられない。

 「確かに、中国には西側で言う民主主義や選挙制度は無い。共産党は人民の意志を無視して政策を進める権限を制度的に与えられている。しかし、実質的、あるいは結果的にはどうだろうか。加藤さん、中国に有権者たるものが存在しないと思ったら情勢を見誤る。大衆の間でうなぎ上りに台頭するインターネット上の世論は、365日・24時間、党の政策決定プロセスに影響を与えている。ときに、拉致されたような気分に襲われることさえあるんだよ」。

 読者のみなさんはこの言葉をどう受け止めるだろうか。

「封殺」されないための一線とは!

2011年2月3日(木)日経ビジネス 加藤嘉一

前回の「共産党の政策を『拉致』するネット世論のうねり」では、台頭するインターネット世論が共産党政権の政策決定プロセスに影響を与えている現状を紹介させていただいた。筆者が、読者のみなさんに最も伝えたかったのは、「中国にも世論・民意が存在する」という真実だった。

 日本の多くの方は、実感がわかないゆえに、「共産党が支配する国に世論もクソもあるか!?」と反射的に思っているだろう。しかし、世論・民意は存在する。中国のケースは稀なのかもしれない。民主主義・法治主義が確立していない社会であるにもかかわらず、世論・民意が時に、共産党の政策方針そのものを変更させてしまうほどの威力を持つ。


経済政策に対する厳しい批判!

 ネット上における政府批判は日常茶飯事となっている。経済政策に関しては、タブーはほとんど無い。

・インフレが行き過ぎている。物価の上昇は国民の購買力をはるかに超えるものになっている。
・国民1人当たりGDPの成長が、国全治のGDPの成長に追いついていない。
・国家の富が国民に分配されていない(国進民退)。
・不動産バブルがこのまま続くと中国経済は確実に崩壊する。
・人民元は一刻も早く切り上げるべきだ。元安は、いつまでも外需・輸出型成長に甘んじる口実になり、内需・消費型経済が育たない
・大学卒業生の6人に1人が就職できない状況は大きな社会不安につながる。
・経済政策は政府が決めるのではない、市場が決めるのだ。我が国では、党・政府が立てた政策を党自身が評価している。これでは、正しい評価はできない。第三者に監視させるなど、チェック&バランス機能を度入しないと話にならない。

 いずれも、経済政策の現状をクリティカルに語ったものである。知識人がこれらの言論を新聞・テレビなどの既成メディア、インターネットメディアなどで発信しても基本的に問題ない。最後のコメントは、「党の存在意義そのものに言及している」という点で若干グレーであるが、筆者の皮膚感覚では問題ない。


「公共知識分子」は“ねずみ小僧”――弱者に代わって問題を指摘!

 社会問題についても、政府批判の言論は相次ぐ。共産党内部の腐敗・汚職はターゲットになりやすい。地方の公安当局が不動産ディベロッパーと組んで、農民の土地を強制的に収用するなどの横行は、往々にして人民の手によって暴かれる。人民は公安局の門の前まで出向いて抗議しても効力が無いということを知っている。そこで、「ツイッターでつぶやいて、そこからムーブメントを起こそう」と考える。

農民や一般市民のツイッターに影響力はない。人気のあるツイッター利用者、例えば、文化人、メディア関係者、学者などに頼らざるを得ない。こうした「公共知識分子」と呼ばれる人たちは、常に弱者の見方である。常にウェブ上の動向に目を光らせている。フォロアー数が10万人、100万人を越えるような人間が、一般庶民からの苦情をフォローし、インタラクティブに議論し始める。結果として、当局が気づいて対応策を練る、というケースが多発している。

 筆者も中国ツイッターをやっている。20万というフォロアー数は中国では全然たいしたこと無いのであるが、先日日本の出版関係者に話したら、「20万!?」と驚かれた。ちなみに、フォロアー数ナンバーワンで「ツイッター女王」と呼ばれているのが、筆者も仲良くしている女優、姚晨だ。フォロアー数は500万を越える。最近では、地方公安部などがツイッターを持ち、進んで情報公開するケースも増えている。

 ツイッター上の議論には、当局も神経を尖らせている。24時間体制で監視し、必要に応じて削除する。場合によっては罰金(5万円、10万円、50万円など)、編集長左遷などという形で、ペナルティーを課す。


「封殺」の線引きを“心得る”!

 ここで確認しておきたいのであるが、ポータルサイトなどのウェブメディアはあくまでもプラットフォーム(中国語で「平台(ピンタイ)」)にすぎない。この場を利用し、政府批判の議論をリードするのが、ブロガー、ジャーナリスト、学者、文化人などで、そこに大衆が怒涛のごとく、ドミノ方式でコミットしていく。本コラムでは何度も提起しているが、中国のインターネット人口はすでに4.5億を超えている。2億人以上が携帯電話でインターネットにアクセスしている。

 プラットフォームを利用する側は当然、監視の隙間を狙って議論を進めようとする。ただ議論が行きすぎると、プラットフォームを提供する側のメディアは当局からお叱りを受ける。このため、自ら「審査部」を設け、自主的に「危ない言論」を削除する、という状況が存在する。

 「加藤さん、じゃあどんな言論が削除されて、どういう議論が巻き起こったときにメディアは罰金を取られるの?」。日本の読者からしばしば聞かれる質問だ。

 おっしゃる通り。まさにここがポイントである。筆者も日ごろから中国語で言論活動をしているが、「どこまでは言ってよくて、どこからは自主規制しよう」という線引きが、保身のために大切になってくる。

 なぜか。

 中国言論界には「封殺」という表現がある。行きすぎた発言をした人間に、一定期間、言論活動をさせない処罰である。やり方は至って簡単。プロパガンダを担当する党・政府当局が、各メディアに内部文書を出し、新聞・雑誌であれば「XXの文章は掲載しないように」と圧力を加える。テレビであれば「YYは出演させないように」、ポータルサイトであれば「ZZのブログをブロックし、アクセスさせないように」と指示を出す。

 仮に指示を守らない場合には、メディア側は罰金を受ける、場合によっては、メディア自体が当局によって倒産に追い込まれる。そんなリスクを取ってまで、党の政策に対抗するメディアは、今のところない。

 筆者のまわりで「封殺」された知識人は、北京大学の先輩を中心に、数知れない。彼らの多くが、「弱者を救わねば」、「社会を健全な方向に導かねば」、「自分が行動しなければならない」という責任感と、言論人・知識人としての「発信欲」を抑えきれずに、自滅してしまった。ノーベル平和賞を獲得した作家、劉暁波氏はその最高峰と言える。


「体制外」の批判は完全にアウト!

 中国には「体制内」・「体制外」という言葉がある。前者は、共産党が定めた原理原則を守って行動している、言い換えれば、エスタブリッシュメントされた世界で既得権益を持ち、そこに乗っかって生きている人たちだ。後者は、共産党による「統治」に「ノー」を叩きつける人たちである。仮に、作家であれば、世間では「反体制作家」というレッテルを貼られることになる。

「共産党の独裁的な統治方式では、国家の持続的発展は実現しない。社会の不公平・不公正は深刻になるばかりだ。一刻も早く民主化すべきである。国家主席は、国民の意思によって選ばれるべきだ。中国を救うのは選挙しかない。腐敗が蔓延する共産党へのチェック機能を果たす健全な野党が存在するべきだ。多党制に移行しなければならない」

 日本人のほとんどが反射的にこのフレーズに賛同するであろう。しかし、中国社会で、このような共産党による「統治」を否定する意見を発信したら――特にテレビや新聞など既成メディアにおいて――完全に「アウト」である。

 このフレーズが新聞や雑誌に載ることは99パーセントあり得ない。「編集部」というセンサーをパスすることは難しい。100%と言わないのは、中国社会には、自らの生命・家庭を犠牲にしてまで、党の体制・統治・政策を徹底批判し、かつ、ぶれない人間がいるからだ。

 では、仮に筆者がこのコメントをCCTV(中央電子台)の生中継の番組で発した場合、何が起こるであろうか。おそらく、テレビの画面が即効でブラックアウトとして、視聴者は見られなくなる。そして、筆者は相当長い間CCTVに出演させてもらえなくなるだろう。当局によって「封殺」されるに等しい。より世俗的に言えば、ブラック・リストに入れられてしまう、ということだ。

香港のフェニックステレビでさえ政府に妥協せざるを得ない

 筆者がコメンテーターを務める香港のフェニックステレビ(鳳凰衛視)は「党の指導」を直接受けない。監視されない。実質的に党のプロパガンダを担当しているCCTVに比べて党の政策にもクリティカルで、原則として、何でも報道することが可能だ。言論の自由が保障されている香港を拠点としているからだ。

 ただ、フェニックステレビと言えども、政府に妥協しなければならない場合が多い。同局の視聴者の90%以上は中国大陸にいる。当局によるモニタリングは香港では働かないが、大陸は常に監視している。大陸で画面がひんぱんにブラックアウトするようではビジネスにならない。より具体的に言えば、スポンサーが逃げてしまう。CMが入らなければ局がつぶれてしまう。

 仮にフェニックステレビが劉暁波氏のノーベル平和賞獲得を「中国に在住する中国人としては初の獲得。中国人の誇りだ。全国民で彼の快挙を祝おう」などと報道した場合、完全に「アウト」である。中国共産党が現体制を維持し、フェニックステレビが中国大陸を巨大なマーケットと認識するという前提に立つ限り、上記のように報道する可能性は、ゼロだ。フェニックスステレビがそこまでリスクを取ることはできない。読者や視聴者も、そんな報道ができないことは分かっている。

 情報を発信する側と発信される側の間に「暗黙の了解」、あるいは「阿吽の呼吸」が存在するのである。たとえ、心の中では、党の情報・言論統制がどれだけ非合理なものかを十分に認識していたとしても、だ。

 最後に、中国共産党にとって最大のタブーとは何であろうか? 読者のみなさんにも想像していただきたい。次回コラムでアンサーを提供する。

前回コラムで残した問いに答える!


2011年2月10日(木)日経ビジネス 加藤嘉一

 前回コラム「中国の世論:言って良いこと悪いこと」の末尾において、「昨今の中国共産党にとって最大のタブーとは何だろうか?」という問いかけをさせていただいた。これから公開するアンサーは、歴史の流れの中で言えば、最大かつ唯一のタブーかもしれない。

 読者の皆さんから色んな予測を事前にいただいた。現代中国を読み解くには、インタラクティブな議論が欠かせない。心から感謝の意を表したい。
 「反日のやりすぎ」
 「中国人民解放軍に対する批判」
 「文化大革命
 「天安門事件
 「共産党が政権を獲ったプロセスに対するいかなる疑問」
 どれも的を射た、鋭い指摘であった。

 多くの読者が深い見識の元で提起した、少なくとも暗示した「中国共産党の正統性を揺るがすような言論」という回答は、広義において全く正しい。前回コラムでも言及したが、中国の世論において、経済、社会を含めた個々の政策、事件に対するクリティカルな報道や言論は「言って良いこと」の範疇に入る。いっぽう、特に政治マターにおいて(民主化、法治主義、人権、選挙など)、共産党の存在意義そのものを否定するような直接的表現は「言って悪いこと」に属する。

 少し話しがそれるが、何が「言って良いこと」で何が「言って悪いこと」なのか、日ごろ中国の方とビジネスをされている方、これから中国市場に進出しようとお考えになっている方には、細心の注意を払っていただきたい。無神経な発言をすると、「あなたは中国人を馬鹿にしている」、「中国には中国の事情がある。自分よがりの、上から目線の発言は受け入れられない」などと受け止められかねない。「あなたとはビジネスはできない」、「中国社会、中国人を尊重しない人に用は無い」と突き放されてしまう。本末転倒となり、ビジネスをやっていく上で生産的でない。筆者は、ビジネスとは、利害と信頼の狭間でバランスを取っていくプロセスである、と勝手に解釈している。

 中国ビジネスにおいても、遅かれ早かれ、政治の話が必ず出てくる。「ビジネスの交渉現場で、政治の話になったらどう対処するか?」という問題に関しては回を改めたいが、ここで指摘したいのは、上記の「言って良いこと・悪いこと」の線引きは、一般の中国人とコミュニケーションをとる、あるいは、中国市場で戦っていくうえで、避けては通れないことなのである。


人民解放軍を批判することもできる!

 以下、読者の皆さまから頂いたアンサーを検証してみよう。
 「反日のやりすぎ」は確かに危ない言論である。しかし、「反日感情が高まっている」、「反日デモが全国各地で起きている」、「中国の若者の間で反日感情が高まっている。学生諸君が日ごろの学業や生活の中でたまったストレスが原因で、放っておくと、社会の安定に脅威を与える」などはオープンに議論できる。「反日問題は共産党の正統性と同義語である」と言わない限りは、問題ない。

 「中国人民解放軍への批判」。解放軍の存在意義そのものを否定したり批判したりするのはタブーであるが、軍事政策に対するクリティカルな言論、異なる意見は、議論可能な範囲だ。「航空母艦を持つべきかそうでないか」、「先日解放軍の手によってオープンされた第5世代双発型ステルス機J-20は本当に必要なのか」、「軍事費を毎年2けたペースで増強させるのは合理的か」、これらの問題は日々議論されている。

 以下のツッコミも全然セーフだ。「国民が教育もまともに受けられず、病院にすらまともに行けないのに、軍事費なんて二の次だ。解放軍はそもそも腐敗しきっている。私欲を肥やすことだけに関心のあるマネー泥棒だ!」。「中国が空母を持って、米国に対抗しようなんて100年早い。夢のまた夢だ。間違っている」。「J-20なんて、解放軍の面子、シンボリックな政治的存在にすぎない。実質的な意味は何も無い。それで中国人民が豊かになるのか」。

少なくとも、「人民解放軍への批判」そのものがタブーである、という事情は、存在しない。毛沢東が天下を取ったばかりのころ、大躍進文化大革命が進められていた時代には許されなかっただろうが。

 時代は変わった。


文化大革命の批判は当たり前!

 「文化大革命」はとっくに批判の対象になっている、というよりは、批判的な観点から語らない機関や人が、マイノリティーと化している。仮に「文化大革命は正しかった」などという見解を公式発表し、世論を煽ろうとする輩が出てくれば、国家安全部の手によって、即効で軟禁されるであろう。

 「毛沢東のやったことの7割は正しかった。ただ3割、特に晩年にやったことは、間違っていた」。これが共産党現政権の公式見解である。3割とは、言うまでもなく、「大躍進文化大革命という時代遅れも甚だしい政治運動を展開した結果、無数の生命が失われ、知識人は打倒された。間違ったイデオロギーが蔓延し、国家の発展が大きく後退した」ことを指す。もう一歩踏み込んで言えば、「文化大革命を賛美すること」はタブーに当たる。


答えは「天安門事件」!

 そろそろアンサー移ろう。答えは、「天安門事件」である。多くの読者は、「ああ、やっぱりね」と納得したか、「なあんだ、天安門事件か」と拍子抜けしたであろう。

 天安門事件は1989年4月、「中国民主化の星」と若者やインテリの間で期待されたリーダー、胡耀邦の死をきっかけに始まり、6月4日ピークに達した。このため中国人は天安門事件を「六・四事件」、あるいは略して「六・四」と呼ぶ。80年代後半に入り、インフレや格差の拡大など構造的な矛盾が浮き彫りとなり、社会の不満がたまっていた。さらに民衆の関心は、経済に加えて政治、つまり民主化にも広がっていた。

 北京大学の学生が中心となり、ここぞとばかり民主化を要求し始めた学生たちは、日々天安門広場に向かい、共産党に真っ向からぶつかった。デモは、連日百万人に上る規模だった。広場には、「打倒 鄧小平」のスローガンすら上がった。鄧小平は最終的に「解放軍を出動させ、学生の要求デモを暴力的に鎮圧する」ことを選択した。流血の悲劇が起こり、多くの命が失われた。

 天安門事件が「解決」した後、鄧小平は「若者を教育する方法が間違っていた」と反省。日本人にもお馴染みの、次期リーダー江沢民が登場し、愛国主義教育のキャンペーンにつながっていく。自由や民主化というグローバルスタンダードに則った価値観、統治形態ではなく、アヘン戦争以来、特に抗日戦争において、西側や日本がいかに非道徳的に中国を侵略したか、をより一層強調した。

 「強くならなければやられるんだ」

 「中国は弱かったから叩かれたんだ」

 若者の反骨精神を煽った。ナショナリズムによって国民と社会の団結力を強化する戦略を打ち出した。

行き過ぎたナショナリズムが、かえって共産党政権のガバナンスを苦しめることになる、という皮肉な結末を、当時の鄧小平や江沢民が予測していたかは分からない。ナショナリズムとガバナンスの関係については、後日、回を改めて議論させていただきたい。


「天安門」の文字は使えない、仕方なく触れるときは「政府風波」!

 「天安門事件」については、話題にすること自体が許されないのだ。中国大陸(香港、マカオ台湾は含まない)からグーグルにアクセスし、「天安門事件」と入力して検索すると、「このウェブサイトはご利用いただけません」の画面に無条件にシフトしてしまう。新聞やテレビなど公の場で、触れることも許されない。「天安門事件」と直接的な表現を用いた評論も、禁止されている。

 中国のインテリやジャーナリストたちはみな、お国の事情を理解している。「六・四事件が中国民主化プロセスに与えた影響」なんていう書籍は出版されない。「六・四徹底検証」などという特集を組むメディアはない。やった場合、確実に拘束される。中国に在住する中国人として初めてノーベル平和賞を獲得した劉暁波氏のように、「国家扇動罪」の名目で牢屋に放り込まれることは目に見えている。

 今、筆者の手元には、北京大学国際関係学院、学部2年生のときに使っていた『鄧小平理論と3つの代表重要思想概論』(中国人民大学出版社、第2版、2004年12月)という教材がある。教育部(日本の文部科学省に相当)の「社会科学研究及び思想政治工作局」が自ら検定したプロパガンダ用のテキストだ。

 講義名称は「鄧小平理論」、中国の大学では「政治課」と呼ばれ、必修科目となっている。筆者もほかの中国人学生同様、334ページ全内容を暗記し、96点で無事合格した。昨日のことのように覚えている。

 第10章「社会主義の外交戦略と政策」の第3節「国際情勢に対応するための指導方針」には、文脈上、どうしても天安門事件の存在に触れなければならない個所がある。どのように表現しているのか。引用してみよう。

 20世紀の80年代後半から90年代前半にかけて、ソ連が解体し、冷戦構造は瓦解した。中国はかつて社会主義陣営に属していた唯一の大国として、大きな外交的圧力に直面することになる。特に、1989年の春夏が交わるころに政治風波が起きた後、アメリカをはじめとする少数の西側諸国は中国に制裁と圧力を与え、孤立させることで、崩壊させようとした。(285ページ)

 このパラグラフが、天安門事件が発生した前後の、中国を取り巻く国際情勢を説明していることは一目瞭然である。しかし、「天安門事件」あるいは「六・四事件」という直接的な表現は使ってはならない。

 当局には指導方針がある。「どうしても言及しないと、前後のつじつまが合わないときに仕方なく使用する表現」(教育部幹部)が「政府風波」、と内々に規定しているのだ。共産党がトップダウンに課すこのロジックと政策は、青少年教育だけでなく、公開の学術研究やジャーナリズムにも適用される。


天安門事件が残した意味!

 繰り返すが、「天安門事件」に関しては、言葉を出すことそのものが禁じられている。この意味で、昨今の共産党政権にとっての最大、かつ唯一のタブーなのである。

 1989年、春夏が交わるころ勃発した「天安門事件」は、中国の民主化にとっての分水嶺だった。鄧小平という改革者は、学生たちの民主化要求デモを、軍を出動させ鎮圧した。この史実は、何を意味し、昨今の民主化プロセスにどう影響しているのだろうか。

 次回コラムで、引き続き、読者のみなさんと考えていきたい。

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