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前回コラムで残した問いに答える!
2011年2月10日(木)日経ビジネス 加藤嘉一
前回コラム「中国の世論:言って良いこと悪いこと」の末尾において、「昨今の中国共産党にとって最大のタブーとは何だろうか?」という問いかけをさせていただいた。これから公開するアンサーは、歴史の流れの中で言えば、最大かつ唯一のタブーかもしれない。
読者の皆さんから色んな予測を事前にいただいた。現代中国を読み解くには、インタラクティブな議論が欠かせない。心から感謝の意を表したい。
「反日のやりすぎ」
「中国人民解放軍に対する批判」
「文化大革命」
「天安門事件」
「共産党が政権を獲ったプロセスに対するいかなる疑問」
どれも的を射た、鋭い指摘であった。
多くの読者が深い見識の元で提起した、少なくとも暗示した「中国共産党の正統性を揺るがすような言論」という回答は、広義において全く正しい。前回コラムでも言及したが、中国の世論において、経済、社会を含めた個々の政策、事件に対するクリティカルな報道や言論は「言って良いこと」の範疇に入る。いっぽう、特に政治マターにおいて(民主化、法治主義、人権、選挙など)、共産党の存在意義そのものを否定するような直接的表現は「言って悪いこと」に属する。
少し話しがそれるが、何が「言って良いこと」で何が「言って悪いこと」なのか、日ごろ中国の方とビジネスをされている方、これから中国市場に進出しようとお考えになっている方には、細心の注意を払っていただきたい。無神経な発言をすると、「あなたは中国人を馬鹿にしている」、「中国には中国の事情がある。自分よがりの、上から目線の発言は受け入れられない」などと受け止められかねない。「あなたとはビジネスはできない」、「中国社会、中国人を尊重しない人に用は無い」と突き放されてしまう。本末転倒となり、ビジネスをやっていく上で生産的でない。筆者は、ビジネスとは、利害と信頼の狭間でバランスを取っていくプロセスである、と勝手に解釈している。
中国ビジネスにおいても、遅かれ早かれ、政治の話が必ず出てくる。「ビジネスの交渉現場で、政治の話になったらどう対処するか?」という問題に関しては回を改めたいが、ここで指摘したいのは、上記の「言って良いこと・悪いこと」の線引きは、一般の中国人とコミュニケーションをとる、あるいは、中国市場で戦っていくうえで、避けては通れないことなのである。
人民解放軍を批判することもできる!
以下、読者の皆さまから頂いたアンサーを検証してみよう。
「反日のやりすぎ」は確かに危ない言論である。しかし、「反日感情が高まっている」、「反日デモが全国各地で起きている」、「中国の若者の間で反日感情が高まっている。学生諸君が日ごろの学業や生活の中でたまったストレスが原因で、放っておくと、社会の安定に脅威を与える」などはオープンに議論できる。「反日問題は共産党の正統性と同義語である」と言わない限りは、問題ない。
「中国人民解放軍への批判」。解放軍の存在意義そのものを否定したり批判したりするのはタブーであるが、軍事政策に対するクリティカルな言論、異なる意見は、議論可能な範囲だ。「航空母艦を持つべきかそうでないか」、「先日解放軍の手によってオープンされた第5世代双発型ステルス機J-20は本当に必要なのか」、「軍事費を毎年2けたペースで増強させるのは合理的か」、これらの問題は日々議論されている。
以下のツッコミも全然セーフだ。「国民が教育もまともに受けられず、病院にすらまともに行けないのに、軍事費なんて二の次だ。解放軍はそもそも腐敗しきっている。私欲を肥やすことだけに関心のあるマネー泥棒だ!」。「中国が空母を持って、米国に対抗しようなんて100年早い。夢のまた夢だ。間違っている」。「J-20なんて、解放軍の面子、シンボリックな政治的存在にすぎない。実質的な意味は何も無い。それで中国人民が豊かになるのか」。
少なくとも、「人民解放軍への批判」そのものがタブーである、という事情は、存在しない。毛沢東が天下を取ったばかりのころ、大躍進や文化大革命が進められていた時代には許されなかっただろうが。
時代は変わった。
文化大革命の批判は当たり前!
「文化大革命」はとっくに批判の対象になっている、というよりは、批判的な観点から語らない機関や人が、マイノリティーと化している。仮に「文化大革命は正しかった」などという見解を公式発表し、世論を煽ろうとする輩が出てくれば、国家安全部の手によって、即効で軟禁されるであろう。
「毛沢東のやったことの7割は正しかった。ただ3割、特に晩年にやったことは、間違っていた」。これが共産党現政権の公式見解である。3割とは、言うまでもなく、「大躍進、文化大革命という時代遅れも甚だしい政治運動を展開した結果、無数の生命が失われ、知識人は打倒された。間違ったイデオロギーが蔓延し、国家の発展が大きく後退した」ことを指す。もう一歩踏み込んで言えば、「文化大革命を賛美すること」はタブーに当たる。
答えは「天安門事件」!
そろそろアンサー移ろう。答えは、「天安門事件」である。多くの読者は、「ああ、やっぱりね」と納得したか、「なあんだ、天安門事件か」と拍子抜けしたであろう。
天安門事件は1989年4月、「中国民主化の星」と若者やインテリの間で期待されたリーダー、胡耀邦の死をきっかけに始まり、6月4日ピークに達した。このため中国人は天安門事件を「六・四事件」、あるいは略して「六・四」と呼ぶ。80年代後半に入り、インフレや格差の拡大など構造的な矛盾が浮き彫りとなり、社会の不満がたまっていた。さらに民衆の関心は、経済に加えて政治、つまり民主化にも広がっていた。
北京大学の学生が中心となり、ここぞとばかり民主化を要求し始めた学生たちは、日々天安門広場に向かい、共産党に真っ向からぶつかった。デモは、連日百万人に上る規模だった。広場には、「打倒 鄧小平」のスローガンすら上がった。鄧小平は最終的に「解放軍を出動させ、学生の要求デモを暴力的に鎮圧する」ことを選択した。流血の悲劇が起こり、多くの命が失われた。
天安門事件が「解決」した後、鄧小平は「若者を教育する方法が間違っていた」と反省。日本人にもお馴染みの、次期リーダー江沢民が登場し、愛国主義教育のキャンペーンにつながっていく。自由や民主化というグローバルスタンダードに則った価値観、統治形態ではなく、アヘン戦争以来、特に抗日戦争において、西側や日本がいかに非道徳的に中国を侵略したか、をより一層強調した。
「強くならなければやられるんだ」
「中国は弱かったから叩かれたんだ」
若者の反骨精神を煽った。ナショナリズムによって国民と社会の団結力を強化する戦略を打ち出した。
行き過ぎたナショナリズムが、かえって共産党政権のガバナンスを苦しめることになる、という皮肉な結末を、当時の鄧小平や江沢民が予測していたかは分からない。ナショナリズムとガバナンスの関係については、後日、回を改めて議論させていただきたい。
「天安門」の文字は使えない、仕方なく触れるときは「政府風波」!
「天安門事件」については、話題にすること自体が許されないのだ。中国大陸(香港、マカオ、台湾は含まない)からグーグルにアクセスし、「天安門事件」と入力して検索すると、「このウェブサイトはご利用いただけません」の画面に無条件にシフトしてしまう。新聞やテレビなど公の場で、触れることも許されない。「天安門事件」と直接的な表現を用いた評論も、禁止されている。
中国のインテリやジャーナリストたちはみな、お国の事情を理解している。「六・四事件が中国民主化プロセスに与えた影響」なんていう書籍は出版されない。「六・四徹底検証」などという特集を組むメディアはない。やった場合、確実に拘束される。中国に在住する中国人として初めてノーベル平和賞を獲得した劉暁波氏のように、「国家扇動罪」の名目で牢屋に放り込まれることは目に見えている。
今、筆者の手元には、北京大学国際関係学院、学部2年生のときに使っていた『鄧小平理論と3つの代表重要思想概論』(中国人民大学出版社、第2版、2004年12月)という教材がある。教育部(日本の文部科学省に相当)の「社会科学研究及び思想政治工作局」が自ら検定したプロパガンダ用のテキストだ。
講義名称は「鄧小平理論」、中国の大学では「政治課」と呼ばれ、必修科目となっている。筆者もほかの中国人学生同様、334ページ全内容を暗記し、96点で無事合格した。昨日のことのように覚えている。
第10章「社会主義の外交戦略と政策」の第3節「国際情勢に対応するための指導方針」には、文脈上、どうしても天安門事件の存在に触れなければならない個所がある。どのように表現しているのか。引用してみよう。
20世紀の80年代後半から90年代前半にかけて、ソ連が解体し、冷戦構造は瓦解した。中国はかつて社会主義陣営に属していた唯一の大国として、大きな外交的圧力に直面することになる。特に、1989年の春夏が交わるころに政治風波が起きた後、アメリカをはじめとする少数の西側諸国は中国に制裁と圧力を与え、孤立させることで、崩壊させようとした。(285ページ)
このパラグラフが、天安門事件が発生した前後の、中国を取り巻く国際情勢を説明していることは一目瞭然である。しかし、「天安門事件」あるいは「六・四事件」という直接的な表現は使ってはならない。
当局には指導方針がある。「どうしても言及しないと、前後のつじつまが合わないときに仕方なく使用する表現」(教育部幹部)が「政府風波」、と内々に規定しているのだ。共産党がトップダウンに課すこのロジックと政策は、青少年教育だけでなく、公開の学術研究やジャーナリズムにも適用される。
天安門事件が残した意味!
繰り返すが、「天安門事件」に関しては、言葉を出すことそのものが禁じられている。この意味で、昨今の共産党政権にとっての最大、かつ唯一のタブーなのである。
1989年、春夏が交わるころ勃発した「天安門事件」は、中国の民主化にとっての分水嶺だった。鄧小平という改革者は、学生たちの民主化要求デモを、軍を出動させ鎮圧した。この史実は、何を意味し、昨今の民主化プロセスにどう影響しているのだろうか。
次回コラムで、引き続き、読者のみなさんと考えていきたい。
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