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対潜哨戒機
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%A8%E6%88%92%E6%A9%9F
まもなく登場する固定翼哨戒機「P-1」は世界最高性能!
2010.11.12(Fri)JBプレス 高橋亨
海上自衛隊の固定翼哨戒機「P3-C」は、現在、ソマリア沖海賊対処行動に派遣されており、海自搭乗員の誠実な働きぶりと相まってその有用性は国際的にも高く評価されている。
来年実戦配備される予定の次期固定翼哨戒機「P-1」!
もちろん、このP-3Cが我が国周辺における本来の海上防衛力としても重要な存在となっていることは言うまでもない。
防衛省では、このP-3Cの耐用命数が近づき、減勢が始まることから後継機の研究開発を行なっており、現在は開発の最終段階に当たる試験評価が行なわれている。
後継機は、2機が試作機として製造され、「XP-1」と呼称されているが、平成23(2011)年度末に試験評価を終えた暁には「P-1」として第一線部隊に配備される予定となっている。
本稿では、海自における固定翼対潜哨戒機の変遷、その中でも最もエポックメイキングなP-3C導入の経緯と意義、その後継機の国内開発の背景、そして最後に、次世代を背負うことになるP-1への期待と課題について述べてみたい。
1 海自固定翼対潜哨戒機の変遷!
題に入る前に海自における固定翼対潜哨戒機の主力機の変遷について概観したい。
海自における歴史は、米海軍から譲与された艦上機「TBM(アベンジャー)」に始まる。その後、「S2F-1」、「PV-2」、「P2V-7」、「P-2J」、「P-3C」へと進み、そして現在試験中のP-1へと変遷してきた。
この中で、多発機(4発エンジン搭載)の嚆矢となったのがP2V-7であるが、海自の草創期の昭和30(1955)年から40(1965)年にかけて16機が米国から供与(貸与)され、その後、ライセンス国産された42機が各部隊に配備された。
それに続くP-2Jは、このP2V-7をベースにして我が国で改造開発したもので昭和40(1965)年から53(1978)年にかけて83機が製造された。
当初、P-2Jは国産による本格的な対潜哨戒機「PX-L」までのつなぎとして、60機程度が製造される計画であったが、PX-L計画が立ち消えになったため、後継機が取得されるまでの間、83機という多数の製造が続いた。
それぞれの機は、当時、主たる任務が対潜水艦戦であったことから対潜哨戒機と呼ばれ、この時代の主力機として我が国の海上防衛に極めて重要な役割を果たした。
ただ、これらの対潜哨戒機は各種装備機器をインテグレイトした、いわゆるシステム機ではなく、搭乗員に多大の負担を強いる、いわばノンシステム機であった。
このため、P-2Jの時代の後半には、対象潜水艦の高性能化への対応策としても、システム化を求める声が高まった。
P-2Jの後継機選定に際し政府は、当初、国内開発の方針を採ったことから、我が国航空産業界は国内開発に強い意気込みが示した。
しかし、防衛予算の圧縮と米国機採用の圧力を受けたことで国内開発の方針は政治判断により撤回され、昭和52(1977)年に米海軍対潜哨戒機P-3Cのライセンス生産が決定した。
この決定には政治判断のほか、技術的見地からも、システム機の頭脳とも言うべきソフトウエアの作成が、当時の我が国の技術力では非常に困難と判断されたということもあり、それが大きな要因となったと考えられる。
P-3Cは、01~03号機が米国から直接輸入され、米国本土で機種転換訓練を受けた海自搭乗員の手により、昭和56(1981)年12月、米国フロリダ州ジャクソンビルから海自厚木基地へフェリーされた。
一方、これにさかのぼる昭和53(1978)年から、川崎重工業でライセンス国産初号機となる04号機の製造が開始され、爾来、今日までの間に、ライセンス生産により101機が製造された。
加えて、P-3Cの派生機である電子情報収集機「EP-3」が5機および多用途機「UP-3C」が1機製造され、日本は世界中に16カ国あるP-3C保有国中、米国に次ぐ機数を有し、その運用能力の高さも世界で広く評価されることとなった。
なお、平成8(1996)年以降、P-3Cの任務が対潜水艦戦のみならず対水上艦戦、地上作戦支援など幅広い分野に及ぶようになったことから対潜と言う文字が除かれ、単に「哨戒機」と呼称されることとなった。
2 P-3C導入とその意義!
米海軍は、P2V-7の後継機として1962年に「P-3A」を就役させ、次いで同機のエンジンを性能向上させた「P-3B」を、そして1969年にはP-3A・Bとは全く異なるコンセプトの下、P-3Cをシステム機として開発した。
そしてその以後もA-NEW計画としてP-3C近代化研究が進められ、「P-3C UPDATE-Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」として段階的に能力向上が図られた。
海自は、当時の最新型であったP-3C UPDATE-Ⅱをベースにして日本向けに要所を変更したタイプのものを導入した。
日本が、P-3Cを導入した意義は極めて大きく、海自に対してはもちろんのこと防衛産業界も含めて以下のような強いインパクトを与えた。
(1)海自航空部隊に新たな能力と活力をもたらした!
P-2Jの時代が長く続いたため、対象潜水艦との相対的な能力低下が生じ、ある種の閉塞感を抱いていた海自航空部隊の作戦遂行能力は一挙に数段階上のレベルに達した。
また、システム機の導入により、システムエンジニアリングの重要性が認識され、海自航空部隊が自らの力で当該要員の育成に取り組むようになった。
これにより、システム開発に際して、制服組が運用者としての適切な要求を明示し、かつ試験評価においても所要の役割を遂行できる態勢が構築された。このことは、今日に至るまで連綿として維持されており、海自航空部隊の実力の源となっている。
(2)後方支援面での革新がなされた!
「ILS」(Integrated Logistics Support:総合後方支援)という概念が導入され、定着した。
「ILS」とは、後方の諸機能を総合的に組み合わせ、ライフサイクル全般を通じて有効かつ経済的にサポートするという概念である。
この概念に基づき、各種の後方支援計画の策定は開発の当初からスタートし、その廃棄に至るまでのライフサイクルコストの低減のため、航空機開発と一体となって平行的に実施されるものである。
このような「ILS」が、今日の新規航空機開発における後方支援を検討する際の基本的な手法にまで定着したことは、P-3C導入の大きな成果であると言える。
(3)国内防衛産業界の技術力の向上が図られた
P-3C導入により国内開発の機会は逸したものの、ライセンス生産を行ったことは、米海軍が長期間にわたり、膨大なマンパワーと資金を投じて研究開発した最新のテクノロジーとその背景となっている貴重なフィールドデータに接する好機となった。
しかしながら、その一方で見逃せない大事な点がある。
それは、ライセンス生産では、米国からリリースされない部分があり、その中身・内容が全く不明なブラックボックスが存在することから、ライセンス生産のみを永く続けることは、いずれは真の技術力の向上に対する限界を迎えることになるという点である。
P-3C導入で、一挙に一段階のステージアップを図ることができたが、次の段階としては、これを基にして、自力による努力を傾注しなければならないということである。
3 次期固定翼哨戒機開発の必要性!
平成7(2005)年12月15日閣議決定された中期防衛力整備計画(平成8年度~平成12年度)に「固定翼哨戒機(P-3C)の後継機に関し、検討の上、必要な措置を講ずる」という文言が記載された。
これは、現用P-3Cが耐用命数の関係から、平成20(2008)年度以降、逐次除籍を迎えるに伴い、平成23(2011)年には「08防衛大綱」で定められた作戦所要機数80機を割り込む見込みとなったことから後継機が必要と判断されたことによる。
その際、世界に広く現存する後継機候補となる固定翼哨戒機や開発中および今後計画されている開発予定機について比較検討が行なわれたが、我が国の国情その他を勘案し、最終的に国内開発の道が選定された。
本来、国を守るための装備品は、自国の地政学的条件、国際安全保障環境下における位置づけなどを踏まえ、国家としての防衛戦略の枠組みを定め、その中で個々の装備品の役割を求め、それを受けて研究開発に進んでいくのが本筋である。
カナダを例に取ると、カナダは米国に隣接し極めて緊密な関係を持つ国であるが、それにもかかわらずP-3Cをそのまま導入せず、独自の戦略環境、運用構想等から「CP-140オーロラ」(P-3Cの機体にカナダ独自の対潜システムを装備)というユニークな哨戒機を開発した。
このように、防衛装備品は自国で製造し、維持整備をするのが基本であり、今回のP-3C後継機の国内開発という選択は、至当であったと考える。
一方、開発の形態について国際的な動向を見ると、近年の軍事技術のハイテク化、装備品の高価格化が進む中、自国のみで開発を行うことが困難になっていることから、近年では、自国のみによる開発から国際共同による開発へと、明らかな転換が見られる。
しかしながら我が国では、「武器輸出三原則」により共同開発ができないという(自制的な)制約が存在している。
この状態を放置したままでは、世界の軍事技術分野で独り取り残されていくことは火を見るよりも明らかであり、早急に「武器輸出三原則」を見直し、国際共同開発に参画できる態勢に移行すべきである。
P-3Cは、本来、米国が保有している戦略的インフラの枠組みの中の1ユニットとして位置づけられているもので、ほかの各種の戦略的センサーなどとの組み合わせで運用されるものである。
つまり、戦略的センサーが探知した目標に対して攻撃武器を抱いて出撃をするという、いわば再探知攻撃ビークルとして開発されたものである。
従って、センサーなどの能力および運用環境を十分に念頭において航空機自体の機能、性能が導き出され開発されたという経緯がある。
我が国の次期固定翼哨戒機においても、これと同様の観点に立脚しつつ、日本独自の安全保障環境上必要な機能、性能を満たすものでなければならないことは言うまでもない。
上記は運用上の必要性からの観点であるが、もう1つの観点として、防衛技術基盤および生産基盤の維持育成という側面について考慮しなければならない。現在運用中のP-3Cも外国からの導入機の宿命ともいうべき問題に直面している。
それは、様々な部品が米国内で製造中止などになっていることによるもので、その影響は大きく、特に、ブラックボックスとして導入した機器については、国内での代替部品の製造という方策も取れず、極めて深刻な問題となりつつある。
国家危急の事態で運用される防衛装備品の稼動の可否を他国の事情で左右されることは本来的にあってはならないものである。
また、高度にシステム化された航空機および搭載装備機器の製造は一朝一夕にできるものではなく、その製造技術力は、新規航空機の自力による研究開発によって、効率的にかつ着実に維持、継承されるものであるということも忘れてはならない。
さらには、大型機の開発に関わる企業は、機体、電機および部品メーカー、中小下請まで2000数百社にも及ぶと言われ、その裾野は広い。
このような国内航空機関連産業基盤の維持は継戦能力の確保とともに、我が国経済の活性化にも大いに寄与できるものである。ここに次期固定翼哨戒機の国内開発の大きな意義を見出すことができる。
4 P-1開発への取り組み!
(1)開発の狙い
平成13(2001)年度、次期固定翼哨戒機の開発にかかる予算が認められ開発試作が始められた。
本開発の狙いの第1は、我が国の安全保障環境を十二分に検討して策定された運用要求の実現である。
すなわち国内開発をするのであるから、我が国の置かれた安全保障環境に適切に対応し、警戒監視、作戦遂行に必要な機能、性能を効果的かつ効率的に備えた哨戒機とすべく開発しなければならない。
狙いの第2は、RMA(Revolution in Military Affairs:軍事における革命)を踏まえた最新のIT技術の適用である。
次期固定翼哨戒機が運用される年代においては、今日以上に複雑な作戦環境の下で、哨戒機と地上司令部が一体となって作戦を遂行することが不可欠である。
このため、NCW(Network Centric Warfare)の中核となるべきビークルを玉成するという認識を持って開発がなされてきた。
このような視点での取り組みは、ITの最先端を行く米海軍とのインターオペラビリティー(相互運用性)確保のためにも重要視されてきた。
狙いの第3は、運用環境の変化に対応できる柔軟性と拡張性を有するシステム構成にすることである。
すなわち、当然のことながら、システム機は生き物のごとく進化させるところがその一大眼目であり、運用開始後に生じる新たな脅威に対して適時適切に対応すべく、一部または全部のアップデートをしていくことを開発時点から織り込んでおくことが必要だからである。
狙い第4は、トータルライフサイクルコストの低減である。このため開発段階から運用、後方、教育が三位一体となってバランスの取れた無駄のない開発が行われてきた。すなわち、ILSの概念に沿った手法で開発が行われてきたと言える。
(2)開発態勢!
今回のような大規模開発においては、官・民の開発態勢をいかにして「顔の見える形」にするかということ、すなわち、官・民の所掌範囲と責任の所在を明確化しておくことが極めて重要である。
このような観点から見れば、官は、全般的な開発管理と試験評価に関わる事項に強力な主導性を発揮するとともにこれに厳正に対処してきたと言える。
一方、民側の態勢については、プライム社をヘッドに関連会社をいかに連携させるかがポイントであり、今回は、機体メーカーのリーダーシップの下、一元的かつ円滑な開発作業が行われてきたと思う。
次期固定翼哨戒機の研究開発は「我が国益を増進する一大国家プロジェクト」であり、我が国の科学・技術の総力を結集したまさにオールジャパン態勢で臨んできた。
こうした背景には昭和47(1972)年の国産対潜哨戒機PX-Lの白紙還元という事案を通じて得られた貴重な教訓があり、また約20年前から防衛庁(現防衛省)技術研究本部を中心に取り組んできた広範囲にわたる次期固定翼哨戒機に関わる研究試作の成果があった。
まさに、当時、P-3Cが導入されたことによって国内開発ができなかった悔しさをバネにした強い意気込みの現われでもあった。
また、本研究開発に当たっては、第51航空隊はじめ海上自衛隊の研究開発関連部隊が主体となって取り組んできたことは当然のことであるが、将来、本哨戒機を運用する第一線部隊の隊員が適宜、開発状況をモニターし、真摯にユーザーニーズの実現を追求してきたことを指摘しなければならない。
一般に、長期間にわたる開発においては、途中でユーザーの新たな発想、いわゆる「後知恵」が出てくることが多々生起し、これらに対する処置が開発上の1つの課題となる。
しかし今回は、比較的スムーズに推移したと言える。
それは、開発主体側がこれらユーザーニーズの取り込みに関わるフリーズ時機を適切に決定し、ユーザー側もそれを理解しこれを是とするということが行なわれ、このことが文化として浸透している状況があったからであり、この点は特筆することができる。
この段階で取り込めなかった要求事項は運用開始後の更新計画として明記しつつ開発がなされてきたのであるが、以上のような文化はP-3Cの導入とともに海自航空部隊が学び取り自家薬籠中のものとしたのであり、前述したP-3C導入の意義に追加すべきことでもある。
(3)日米のインターオペラビリティー(相互運用性)の確保
米海軍は、P-3Cの後継機として民間機「B-737」をベースとした「P-8Aポセイドン」を開発している。双方の後継機開発に際しては、日米のインターオペラビリティーを確保することが公式文書で合意されている。
2002年(平成14年)3月のP-1機体設計と同時に、日米のインターオペラビリティーを確保するため、両国による「P-3C後継機の電子機器に関する共同研究」が開始され、2005年(平成17年)3月まで続けられた。
この研究成果はP-1と米海軍のP-3C後継機P-8Aにも反映され、これまでと同等の日米共同作戦を行うことができるよう配慮された。
正式な共同研究終了後も各種会議等の場で開発担当者間の緊密な調整が継続され今日に至っている。
日米でP-3Cが運用される間は、同じ機体・搭載電子機器、同じ運用法であったことから、それを共通の基盤として緊密な連携と信頼関係を保持できた。
しかし、次期固定翼哨戒機の時代においては、センサーなど個々の機器の整合性の保持を追求するのではなく、NCW環境下での情報の共有化や情報の質の維持、すなわち共同作戦に必須なコモンピクチャーの共有などオペレーショナルなレベルでのインターオペラビリティーの確保を重視することが必要と考えられている。
5 P-1への期待と課題
(1)P-1への期待
平成12(2000)年12月、「P-X(海自次期哨戒機)」と「C-X(空自次期輸送機)」の同時試作」予算が政府原案として認められた。
その日は、昭和56(1981)年12月、真新しい日の丸を付けたP-3C3機が海自厚木基地に着陸した日からちょうど20年の歳月が流れていた。
この日は、筆者がP-3C導入基幹要員として米国で訓練中、思い描いていたことが、まさに現実となった日となった。筆者は、平成8(1996)年、防衛庁海上幕僚監部勤務時、「次期哨戒機開発検討委員会」の立ち上げおよび正式な次期哨戒機構想研究に関与した。
同年秋には米国へ渡り、初めて公式の場で海自の次期固定翼哨戒機に関する計画を発表した。その席上、米海軍からもP-3C後継機の計画が明らかにされた。
我々は、真剣かつ誠心誠意、海自の計画を説明し、彼らの計画にも理解を示した。それまで海自の動向に強い関心を示しながらも、口火を切らない海自に、ある種の懐疑心を抱いていた米海軍が、この日を契機に胸襟を開き、以後、円滑な調整が可能となった。
そして、次の年にもさらなる詳細な討議を重ね、両国が異なる哨戒機を保有することになっても、日米インターオペラビリティーは必ず保持するという固い合意がなされた。
P-3Cの導入およびこれまでの共同作戦を通じて築き上げた両国の良好な関係は、いかなることがあっても消滅させてはならないとの双方の強い思いによるものであった。
こうして、それ以降も、心配していた米国国務省・商務省などからの横槍も入らず国内開発までたどり着くことができた。
このようにして、開発を開始してから既に10年が経過しようとしている。現在、厚木基地で行われている試験も佳境を迎え、このまま順調に行けば平成23(2011)年度末には第一線部隊へ配備され、徐々に除籍が進むP-3Cに置き換えられていくことになる。
P-3C100機体制(08防衛大綱で80機体制に変更)から、性能向上が図られたP-1は、現時点では作戦哨戒機4個隊65機体制の整備が計画されている。
ジェット化によって、P-3Cの弱点でもあった速度、飛行高度、ペイロードが大きく改善され、柔軟かつ効果的な運用が可能となり、我が国の先端技術を注入し、その機能、性能を格段に向上させた搭載装備機器と併せて、作戦遂行能力をさらに高めることとなった。
これらにより、我が国本土周辺海上防衛および海上交通路防衛、ならびに平時からの警戒監視また、長期化が予想されるソマリア沖海賊対処など各種国際平和協力活動や大規模災害派遣、更には弾道ミサイル防衛など多方面での一層の活躍が期待される。
(2)P-1装備計画に関わる課題
P-1装備計画は、先にも述べたように哨戒機4個隊65機体制整備を目標に、これまでに「17中期防」で4機(平成20年予算で4機、平成21年度予算では0機)および22年度予算で1機の計5機が予算化された。
P-1の製造には4年を要することから、量産型初号機は平成23(2011)年度末に部隊配備が開始され、5機目は平成25(2013)年度末になる。
現在、平成23年度予算として3機が概算要求中である。一方、現用のP-3Cは23年度から減勢数がP-1の増機よりも先行してしまうことから、23年度予算では1機の延命措置が要求されている。
しかしながら、このような延命によるP-3Cの減勢管理が行われても平成35(2023)年頃にはP-3C80機の全機減勢が予測されており、現在のペースでは明らかに対応しきれない状況となるため、これに対する長期的な整備構想が必要である。
すなわち、P-3C減勢の穴を埋め、P-1によって所要の哨戒能力を維持するためには年間4~6機程度の予算取得ペースを確保することが必要であり、このためには次期中期防(平成23年度から27年度)では20機以上の整備が必要となろう。
防衛技術開発力は、我が国安全保障上の抑止力とも言えるものであるから、P-1を誕生させた我が国の防衛技術開発力を維持、発展させるという面からも上記のペースが必要不可欠である。
このことは、現下の財政事情及び防衛予算を鑑みた時、かなり厳しいものであることは十分認識している。
しかし、2010年代の安全保障環境、特に中国の海軍力とりわけ潜水艦戦力の目覚しい増強ぶりに対応するため、また、開発に際してそこに結集された我が国の科学技術の粋を我が国力として蓄積保持する意義を踏まえれば、P-1の増備を図り、新戦力として早期に部隊配備することが必要不可欠である。
本年末にも決定されると言われている防衛計画の大綱および次期中期防には、是非ともP-1装備の重要性を踏まえた適正な整備機数の明記が強く望まれるところである。
おわりに
固定翼哨戒機の国内開発は海上自衛隊航空部隊および日本の航空産業界の長年の夢であり希望であった。周辺関連技術の調査研究および研究試作を含めると約20年にも及ぶ期間を要してP-1は開発されてきた。
P-1は新規に設計された機体にこれも新規設計のターボファンエンジンを4発装備し、さらには、搭載するアビオニクスもこれまでのノウハウと最新の技術を織り込んだものにするという、まさに国家の英知を結集した、他に類例のない哨戒機である。
P-1は、これまで長年培ってきた多くの優秀な搭乗員の手によって、我が国周辺海域における海上防衛の任を十二分に果たすことはもとより、日米共同による様々な作戦活動等、あるいは国際的な諸活動へも柔軟かつ適切に対応することができる。
特に、昨今の中国海軍の目覚しい台頭、とりわけ中国海軍潜水艦隊の著しい増勢は、我が国および同盟国たる米国の安全保障上の喫緊の課題となっているが、その課題の解となるのがP-1哨戒機部隊であると言えよう。
かつて、冷戦時代にあの強大なソビエト極東艦隊潜水艦部隊に、日米共同の主体となって対峙し、甚大なものではなかったものの、ついにはソ連崩壊に至らしめるその一端を担ったのは、ほかでもない1項で紹介したP-2J哨戒機部隊とP-3C哨戒機部隊であったと言われている。
さらに時代を遡って、大東亜戦争末期の我が国の情勢を想起すれば、東シナ海を含む日本周辺海域は、今まさに、当時、米国の潜水艦による通商破壊戦によってもたらされたあの過酷な情勢の再来を迎えようとしているのではないだろうか。
我が国の生存と繁栄が、いつに海上交通路の確保にかかっていることは論を待たず、現に今脅かされ始めた海洋の安全を真剣に考えなければならない瀬戸際に我々は立っていると言えよう。
我が国では、現在、財政が逼迫し国内にも様々な問題が山積していることは十分に理解しているが、今ここで優先して取り組むべきは我が国周辺海域に迫り来る安全保障の問題ではないかと考える。
国家予算の適正な「選択と集中」が必要であり、とりわけP-1哨戒機部隊の整備促進が望まれる。
参考文献
1「世界の艦船」 2008.10 NO.696
2「軍事研究」 2010.1
3「誰も語らなかった防衛産業」 桜林 美佐 並木書房
4「防衛通信 新聞版」2010.9.1 第12656号
5「WING」紙 2002.5.29 週刊 2282号
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