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家具やフローリング、プールサイドにと活躍の場が急拡大!
2010.12.01(Wed)JBプレス シュピッツナーゲル典子
高級感や温かみのある風合いが魅力の木製家具やフローリング。うっかりこぼしてしまった飲み物でしみがついてしまった。水分を吸った表面がふやけたりカビが発生したり。こんなはずじゃなかったのに・・・と、手入れに意外に手間がかかり不便を感じている人も多いのでは。
そんな不便を解消する画期的な家具用材「リシスタ」がドイツで登場した。リシスタを用いた製品は、熱や湿気による収縮や変形がなく、汚れも水でふき取るだけ。
しかも、籾殻というゴミを主な原料としているため、究極のエコ材でもある。熱帯林を乱伐から守る新たな環境保全の取り組みとして家具産業界から大きな期待が寄せられている。しかも廃材となったリシスタの50~60%は再利用が可能で、燃やしても有害なガスは発生しない。
リシスタの主原料は焼却処分する籾殻!
この材料を開発したのが、ドイツ・ミュンヘンのミュンヘン・ブールバード・モービル(以下MBM社)を経営するマルクスさんと弟のベルント・ドゥナさん(右の写真)。
MBM社によれば、リシスタの原材料は「籾殻60%、岩塩22%、ミネラルオイル18%のハイブリッド素材」だそうだ。詳細は未公開だが、籾殻と合成樹脂のような重合体を加工した家具用材とでもいおうか。
マレーシアで板状に加工された(業務委託)素材リシスタは、インドネシア・ジャワ島とベトナムのMBM製作所でいすやテーブル、フローリング材などに製品化している。
リシスタ製品の人気のポイントは、「見た目は木のように高級で温かみがあり、手入れは木よりも簡単、環境保全にも貢献」ということ。
リシスタは、削る、研ぐ、磨く、切断、接着、ねじ止めなど木材と同じような取り扱いができる。温度や湿度の変化によるそりや曲がりなども全く生じない。
太陽光線による熱抵抗性にも強く、重量は、木材の種類にもよるが、木製品とほぼ同じだそうだ。
リシスタの表面は、水分をはじくのでふやけも生じないうえ、破片やとげもできない。フローリング上を素足で歩いても怪我をする心配もないし、表面にたまった水分ですべることもない。
湿度が高いと繁殖しやすい細菌やカビの発生もない。通常の汚れなら、水でふき取るだけと手入れもごく簡単だ。
メインテナンスには、家具の表面に上塗液やオイル(250ミリリットル入り・15ユーロ前後)を必要に応じて塗るだけ。いすやテーブルの色に飽きたり、模様替えをしたければ、リシスタ専用塗料をひと塗りするだけで全く違った木材の色合いを楽しむこともできる。
フローリングの価格帯は、1平方メートル当たり110~130ユーロ。テーブルは、長さやフォームにより価格は様々で75センチの丸テーブルなら169ユーロほど。
幅100センチ、長さ220センチ、高さ約74センチの長方形テーブルなら1199ユーロ。ビーチチェア(幅65センチ、長さ201センチ、高さ約36センチ)は699ユーロ。いすは大きさにより119ユーロから269ユーロ。どの製品も15年間の品質保証が付く。
今のところ、リシスタ製品は屋外用家具とフローリングを販売。来年からは屋内用の家具も販売していく予定だ。総売上高は未回答だが、リシスタ製品の売上高は全体の20~25%を占めるそうだ。
「リシスタ製品は、木製よりも値段がやや高めだが、ニーズはあるはず」と、MBM社マーケティングマネジャーのローランド・シュトイバー氏。
景気悪化の影響で、旅行好きのドイツ人も遠出を控えている。その代わりに自宅で過ごす毎日の生活を優雅にしたいと高級家具や電化製品に投資する家庭が増えているからという。
リシスタ製品は、2008年から本格的な販売を開始した。ガーデン家具専門店トーマスや通販最大手のオットー、MBM社販売提携店を通して注文に応じている。
開発には10年費やし、熱帯林原産国の雇用にも貢献!
MBM社は、現CEOの父親ヨセフさんが1954年創業し、2代目CEOマルクスさんとベルントさんが1983年より経営を引き継いだ。
開業以来、アルミニウム、鉄鋼や木材を用いたガーデン家具販売専門店として、製品のデザイン・生産・販売を手がけている。
客層は、レストランやホテルなど接客サービス業界の店舗が多い。同社の製品は、ジャワ島に2カ所ある自社製作所で生産している。
MBM社の国内社員数は、65人。このほかヨーロッパを中心に、インドネシア、北米、南米、南アフリカ、オーストラリアなど全世界に2000人の従業員を抱える。
リシスタ開発のきっかけは、約10年前、インドネシア政府の方針で熱帯林伐採が制限されたことから。
その頃からインドネシアでは天然木材が減少、品質も劣るようになり、家具製作にも支障が出始めた。MBM社は、環境保護を進めていくことには賛同したが、現地従業員の解雇はしたくなかった。
国連食料農業機関(FAO)の世界森林資源評価2010(The Global Forest Resources Assessment 2010)によると、世界の森林面積は40億ヘクタールほど。森林の減少の約31%が木材生産を目的にした伐採によるものと推定されている。
2000~2010年に、森林面積は毎年520万ヘクタール(推計値、コスタリカの国土面積とほぼ同じ)ずつ減少しているという。
1990~2000年の年間830万ヘクタール減に比べると、今のところ森林減少速度は低下しているものの、世界で最も減少が大きかったのはブラジルとインドネシアだった。
そんな中、MBM社はインドネシア政府自然保護政策の後援を得て、天然木材の代用品となる素材の開発研究を始めた。インドネシアに育つあらゆる木材や植物を用いて試行錯誤を繰り返した。
その結果、着目したのがアジア人の主食である米の籾殻だった。籾殻は、それまで焼却処分をしていたものを再利用するので原料コストが一切かからない。しかし、製品化するまでには10年もかかったそうだ(シュトイバー氏)。
2009年末より、同社ジャワ島の製作所では、チーク材やイペ材など熱帯林の使用を全面的に取りやめた。長年木材を用い家具製作をしていた現地の職人たちは、取り扱いが簡単で作業も進めやすいリシスタを使い仕事を継続することができると大満足している。
顧客の評判も上々、日本にもまもなく上陸!
リシスタ製品を利用している顧客の評判も上々のようだ。
木材は、時間がたつと色あせや色がくすんだり、しみができるので何かと手入れが厄介。リシスタは、木材に比べて割高だが、色あせも全くなく、水や食べ物のしみもできない。プールサイドのフローリングや家具に最適」と、イタリア・チロル地方でウェルネスホテル・クウェレンホーフを経営するハインリッヒ・ドルファー氏。
同ホテルのウェルネス部門設計担当をしたシュレットラー社プランニング部長メラニー・ブリゲトさんは次のように語る。
「客がテーブルの赤ワイングラスをひっくりかえしてしまったが、しみができなかった。また、海水セラピー時に塩水が飛び散るが、フローリング表面の変形や色あせなどが全くない。プールサイドの床を頻繁にふき取る必要がなくなった、素足で歩いても滑らない」
多くのレストランやウェルネスホテルの経営者たちから喜びの声が届いていると満足顔だ。
ウィーン国際ホテルマネジメント社イザベラ・フレンさんは「リシスタは、持続可能な未来の建築材」と絶賛する。
最後にシュトイバー氏がニュースを1つ教えてくれた。来年1月より和歌山県海南市のガーデン用品販売会社タカショーを通して、リシスタ製品が日本市場へお目見えする予定だという。
うっとうしい梅雨や蒸し暑い夏など湿気が多い日本でも手入れが簡単なリシスタ製品なら気軽に使えること間違いなしだろう。
仁多米
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E5%A4%9A%E7%B1%B3
奥出雲仁多米
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%87%BA%E9%9B%B2%E4%BB%81%E5%A4%9A%E7%B1%B3
奥出雲町
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%87%BA%E9%9B%B2%E7%94%BA
2010.11.25(Thu)JBプレス 橋本久義
1977年に、この地、出雲地方に伝わる「たたら」を復元した。
現在の「村下」(むらげ=たたらの総指揮者)は木原明さん。1954年生まれだからまだまだ若い。
工業高校を卒業後、島根県安来市にあった日立金属に入社し、冶金研究所に配属された。この研究所で、「たたら製鉄」を近代化した「角型溶鉱炉」による木炭製鉄の業務に、若い頃から従事してきた。
奥出雲は製鉄産業の故郷!
島根県の奥出雲地方には、江戸時代末まで田部(たなべ)家、桜井家、糸原家、木倉(ぼくら)家など、日本を代表する大手製鉄業者が競ってたたらを吹き、日本の製鉄の中心地であった。
この地に製鉄業者が集まったのは、古くからこの周辺で良質の砂鉄が大量に採れたからだ。
この地の砂鉄を原料にして刀などの鉄器具を得ることは古代から行われていたようだ。古事記に、スサノオノミコトが鳥上山(とりがみやま)で八岐大蛇を退治して天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を得た、とある。それは、鳥上山にいた製鉄業者から、刀を奪ってきたのではないかと言われている。上流に鳥上山がある斐伊川(ひいかわ)は、砂鉄の影響でいつも血を流したように赤く、これが大蛇の血と言われたという。
昔は砂鉄を得るのに「鉄荒流し(かんならながし)」という技法を使った。各沢から水を集めて流れを作り、崖の下に穴を掘って、崖を崩して流す。川を流れる間に比重の差で砂鉄が分離される。大量の土砂が発生し、下流は大きな影響を受けた。
たたらは、粘土で築いた箱型の低い炉に、原料の砂鉄と燃焼剤兼還元剤の木炭を交互に装入し、焚いて鋼を得る日本古来の製鉄技術である。江戸中期に技術的に完成した。
奥出雲地方は、明治維新までは、刀剣用「玉鋼(たまはがね)」の唯一の産地として大いに栄えた。だが、明治以降は日本刀の需要が激減。一方で鋼の生産方法としてはコスト高なため、大正年間に生産が途絶えた。
1940年には軍刀用として「靖国たたら」「業雲(むらくも)たたら」などが復活したが、戦後に再び途絶えた。
途絶えていたたたらを復活!
日本刀を鍛えるためには、刀身材料を折り返して鍛錬する。一般的には12回以上折り返す。それが強靱性を持たせる。それを行うには、玉鋼でないと不可能だ。洋鉄は純度が違うため、折り返しができない。つまり洋鉄では日本刀はできない。
そこで1977年に日本美術刀剣保存協会が、日本刀に関する伝統技術の保存のために文化庁補助事業として、島根県横田町の鳥上木炭銑(とりがみもくたんせん)工場に「たたら製鉄」を復活させた。
これが「日刀保(にっとうほ)たたら」である。今、全国で作られる日本刀の材料は、すべてここが供給している。また東大寺修理の際には、傷んでいた和釘、和鎹(かすがい)と全く同じ成分のものを4000本作って奉納した。
鳥上木炭銑工場でたたらが復活できたのは、戦前に「靖国たたら」として一時復活した際に築かれた高殿(たかどの)、炉床(地下構造)が残っており、なおかつ全体の詳細な図面が保存されていたからである。また、靖国たたら時代の村下である安部由蔵さん(1902~95)と久村観治さん(1903~79)が健在であったことも大きな要因である。この時、木原明さんが弟子として参加し、その後修業して、村下になった。
先人が命がけで築き上げてきた!
たたらの操業が始まると砂鉄と木炭を30分おきに投入する。作業は三昼夜(70時間)無休で続けられ、その間、村下(むらげ)をはじめとする重要な作業員は眠れない。
最後に炉を壊すと、炉の底に「ケラ」と呼ばれる約2.5トンの鋼の塊ができる。これをさらにじゃがいも大まで砕き、成分によって等級を分ける。
1回の操業に必要な木炭は、森の面積にして1ヘクタール分が必要だ。田部家などのたたら家元は、それぞれ数百ヘクタールの森林所有者であった。しかも、その森林は、楢などの雑木でなければならないという。完全に炭化しない「生焼け」状態の木炭が良いとされる。
現在も毎年、木原村下の指揮の下に、湿気が少ない冬に3回ほどたたら吹きが行われる。生産された玉鋼は全国の刀匠約250名に配分されている。
鳥上木炭銑工場は、県内外の小中学生や社会人を対象に、たたらを公開している。地元の横田中学校では、3日間通しの夏休みの体験学習を16年間続けているという。「地域の歴史や文化と共に、鉄やモノづくりの大切さを伝えたいと考えています」(木原さん)。
木原さんは言う。
「たたらの技術は、先人が命がけで試行錯誤しながら作り上げてきたものばかりです。例えば、高さ1.2メートルしかない炉の上部は熔鉱炉の役割を果たします。下部の羽口付近では炉壁を溶かしながらその空洞に鋼を育み、ノロ(=スラッグ、鉱滓)の中に不純物を逃がし、あたかも転炉のような作用をします。化学的知識のない時代から、長年の体験で培われてきた高度な技術です」
「古来より職人たちは、砂鉄を選び、炉床や炉を造り、苛酷な三昼夜の操業をこなしてきました。そして、常に形を変える不定形なケラを成長させる技法、どの種類の砂鉄をどこに入れるか、火の道にどのように風を通すかといった技法を培ってきました」
「炉頂から燃え上がる炎(ホセ)の色彩や勢い、両側に合計40本あるホド穴一つひとつから、火の色や輝きを観察して炉内の状況を把握し、たたら(=フイゴ)の吹き方や砂鉄、木炭の量、装入位置を微妙に変えます。私たちはホド穴一つひとつが一基の熔鉱炉というつもりで操業しています」
村下の誇りが込められた技術
木原さんは、安部村下の弟子になった時から、3日間の徹夜に耐える体力をつけるため、毎朝、上半身裸で3キロメートルを走り、バーベルを持ち上げる筋トレと金屋子神社参拝を日課とした。あまりの寒さで凍え死にそうになったこともあったらしい。
「良い村下になるためには、心と技に加えて、炎を見る、音を聴くなど、火を扱う上での『感性』とも言える総合的な観察力がなければダメです。
砂鉄を適切に装入すると、羽口近くで砂鉄が“しじれる”独特の音がして、鋼ができます。安部師匠からは、これらを聞き分ける感性と体力、精神力(根性)、才能を養うことが肝要と教えられました」
たたらの技術は、試行錯誤の末に築き上げられた経験・体験の結晶であり、村下の誇りが込められている。
http://www.donkigroup.jp/shared/pdf/news/co_news/343/beaujo2010_2_l9J0z.pdf
http://www.donki.com/season/beaujo/pc/
ドン・キホーテ (企業)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%86_(%E4%BC%81%E6%A5%AD)
ドン・キホーテがお届けするのは、フランス・ボジョレー地区の名門ネゴシアンから仕入れた、オリジナルの「ボジョレー・ヌーヴォー」です。ロマネッシュトラン近郊のガメ種のみを使って作られ、葡萄の香り豊かに、そして新鮮なままに閉じ込めた1本です。昨年に引き続き、今年もペットボトル製の容器を導入。軽いから、持ち運びにもとっても便利で、ご自宅用やお土産用に、お気軽に今年の新酒の出来栄えをお楽しみいただけます。
生産を行ったロベール・サロー社(フランス)の醸造責任者Mr. Laurent Dennhautによれば、今シーズン始めは例年よりも寒かったものの、8月下旬に入ってから好天が続き、葡萄の成熟が進んだとのこと。フルーティで活気のある香りと、ほど良いタンニンを兼ね備えた、魅力的なワインに仕上がっています。色は昨年より若干明るめのピンクがかった赤。まさにワインの若きエトワールといった趣きです。
葡萄栽培、醸造、ボトリングまで一貫した生産・管理体制を敷き、すべてドン・キホーテのワイン担当バイヤーが直接吟味しました。8月に現地を訪問した際は、葡萄の収穫間際という時期で、たわわに実っていた紫色の果実が、3ヶ月経ったいま、どのような新酒に生まれ変わっているのか、私たちも楽しみでなりません。
ボジョレー地区は、フランスの南東部・リヨンの北にあり、美味しいワインの産地として知られています。「ボジョレー・ヌーヴォー」とは、そのボジョレーで造られた、その年の葡萄の出来栄えをチェックする「試飲用新酒」のこと。 それぞれの国の現地時間で、11月の第3木曜日の未明(午前0時)に販売が解禁されます。日本は時差の関係で、主要な先進国の中でも最も早く解禁時間を迎えるといわれています。
「ボジョレー・ヌーヴォー」は単なる新酒ではなく、その製法自体にも他のワインと違った大きな特徴があります。その製法は「マセラシオン・カルボニック」という、収穫した葡萄を破砕せず、そのままタンクの中に貯蔵・発酵させ、短期間でワインとして完成させるというもの。この製法で造られたワインは、タンニンの含有量が少ないため、渋みや苦みも軽くなります。よって、新酒の状態でも飲める味わいに仕上がり、葡萄のフレッシュな魅力を楽しめるというわけです。
ボジョレーといえば「赤ワイン」。しかし実は、全体のわずか1%ではありますが、白ワインも生産されているのです。「ボジョレー」と名乗ることのできるワインは、赤ワインであれば「ガメ種」、白ワインであれば「シャルドネ種」の葡萄を使用したものに限定されています。
ライフネット生命(出口治明社長)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E7%94%9F%E5%91%BD%E4%BF%9D%E9%99%BA
2010.03.18(Thu)JBプレス 中野哲也
長引く景気低迷と少子高齢化の影響をまともに受け、生命保険業界は新規契約高や収入保険料がマイナス成長に陥り、「冬の時代」に突入している。こうした中でライフネット生命保険はインターネット販売に特化し、開業2年足らずで保有契約が2万件を超えた。
急成長の原動力は、大手生保が「価格破壊」と震撼する付加保険料(生保各社が受け取る保険料の手数料部分)の大幅な引き下げ。また、ライフネット生命の商品設計は極めてシンプルだ。品揃えは定期死亡保険、終身医療保険、就業不能保険の3つしかなく、保険金不払い問題で生保業界が指弾された複雑な特約も一切ない。
出口治明社長は日本生命保険の元エリート社員。生保業界の表も裏も知り尽くした上で、独立系生保としては74年ぶりに免許を取得し、「100年続く世界一の保険会社」を目指してライフネット生命を創業した。「友人や家族に自信を持って勧められる商品しか作らない、売らない」と古巣に宣戦布告している。JBpressは出口社長に単独インタビューを行い、手帳も腕時計も捨てたという独特の経営術を聞いた。(取材は2010年3月15日、前田せいめい撮影)
JBpress 足元の販売状況と累計の業績を聞きたい。
出口治明社長 2010年2月末で保有契約は2万件を突破した。毎月、前月比8%程度伸び続けており、中国の年間GDP成長率を月間で達成するような勢いがある。「開業後5年間で保有契約15万件」という目標は、この伸び率でいけば十分達成できる。
保有契約高は2700億円を超え、これも予想通り。15万件到達時の契約高は1兆5000億~2兆円になる。業績については、お客様のお陰で全く心配していない。
生命保険業免許を取得した基準として、開業から5年後の単年度黒字転換、10年後の累積損失一掃がめどになるが、実現できると思う。保険業は一種の「装置産業」だから、初期に大きな設備投資が必要。例えば、現在の保有契約2万件程度であれば小さなパソコンで十分管理可能だが、東京と(バックアップ用として)大阪に大きなサーバーを置かなくてはならない。
━━ 景気低迷の上、生保業界には少子高齢化の逆風が吹き荒れる中で、急成長を続ける秘密は何か。
出口氏 日本人の所得が実質的に下がり続ける中、30歳で保険料半額(男性、保険金1000万円、10年定期で月額1328円)を実現した「安さ」が一番の要因だろう。
だがそれだけではなく、(開業時に約束した)「マニフェスト」、いわば志が顧客から支持されているのだと思う。(手数料に当たる)「付加保険料」をはじめ、商品や経営に関して徹底的に開示し、中身を全て明らかにしたことが大きい。
これまで日本の保険ユーザーは、比較しないで商品を購入していた。生命保険文化センターの調査によると、67.7%が生命保険加入時に「特に比較はしなかった」と回答する一方、68.1%が営業職員を通じて加入しており、2つの数字がピタリと一致する。
人生で2番目に高い買い物だが、保険料は「ブラックボックス」
━━ 生保各社は付加保険料を「ブラックボックス」化した上で収益を挙げていたから、その全面開示は業界内で猛反発を招いたが。
出口氏 ブラックボックスで儲けるのか、それとも収益構造を示した上で経営努力で儲けるべきか。それは経営の価値観の問題になる。人生で最も高価な買い物は住宅であり、その次が生命保険といわれる。マンションを購入する際、不動産業は仲介手数料3%と開示している。金融商品でも投資信託は手数料を開示しており、しないほうがおかしいではないか。
━━ なぜ保険料を大幅に安くできたのか。
出口氏 ビールを考えると、分かりやすい。スーパーで二百数十円で買えるが、自分で冷やして栓を抜かなくてはならない。これに対して、割烹で飲むと3~4倍もする。それは店の人件費や水道代、光熱費が加わるからだ。
当社の店舗は本社(東京都千代田区)のほかは、ウェブ上にしかない。今の従業員は約60人だが、5年間で契約15万件の目標達成にも100人程度で済む。一方、大手生保には全国2000もの営業拠点の維持費がかかるほか、数万人の労務管理に当たるホワイトカラーの給与水準が高い。(ライフネットの保険料が安いのは)その差に尽きる。
株主に保険会社が入っていたら、(旧来のビジネスモデルを押し付けられて)保険料半額は実現できない。だからこそ、独立系生保の設立を目指した。どの業界でも新規参入組が世の中を変えるのだと思う。(筆者注=ライフネットの主要株主はマネックスグループ、あすかDBJ投資事業有限責任組合、三井物産、新生銀行、セブン&アイ・フィナンシャル・グループなど)
保険料半分にするから、赤ちゃんを産んでほしい
━━ 大手生保は「40~50歳の保険料で比べれば、ライフネットとの差は小さい」と指摘しているが。
出口氏 大手はそう言うが、これから子育てを迎える30歳で比較するのが世界標準。生命保険が一番必要なのは50歳なのか。当社は「子供が大学に入れば、保険は要らない」とさえ主張している。
日本の世代別平均所得は非常に歪んでおり、子育てを終えた世代の方が所得が高く、30代の生活が苦しい。「保険料を半分にするから、赤ちゃんを産んでほしい」と切に願っている。
━━ 保険営業のサービスあるいはメンテナンス面では、生保レディーの訪問販売を続ける大手生保に分があるのでは。
出口氏 当社はむしろ既存生保より進んでいると思う。コンタクトセンターでは、平日は午後10時まで電話を受け付けている。保険金の支払いも早く、平均約3営業日で完了する。支払いには3重のチェックを掛け、不払い問題などが起こらないよう万全を期している。
━━ とはいえ、大手生保の営業職員は顧客と密接な関係を築き、アフターケアを続けているのではないか。
出口氏 実際には生保業界ではターンオーバー(大量導入・大量脱落)が起きており、担当の営業職員は頻繁に交代している。
またセキュリティーが厳しくなり、今は営業職員が職場や住居に簡単に入れない。地方のごく一部でしか、昔ながらの顧客と保険会社の濃密な関係は残っていないだろう。だから、顧客の方から保険会社に電話を掛けて相談しなくてはならない。そうなると、当社の契約者がコンタクトセンターに電話をするのと差はない。
働けなくなるリスクをカバー、就業不能保険を発売
━━ 開業後初の新商品を就業不能保険(2010年2月発売「働く人への保険」)にした理由は。
出口氏 昨年、全国を講演で回っていると、30代の方が「自分は独り者だから死亡保険は要らない。一番困るのは寝たきりになり、働けなくなることです」と訴えてきた。それで、「お独り様向けの保険を作ろう」と思い立った。30代前半の未婚率(2005年)は男性で47.1%に達し、女性も32.0%に上る。
また、共働きカップルの話も聞いた。その女性は「彼が仮に命を落としてしまっても、私は仕事もできるし、可愛いからボーイフレンドもすぐできるので困らない」と言う。
ただ、彼女は「彼が動けなくなると、愛しているから看病しなくてはならない。そうすると私は働けなくなってしまう。なぜ、そういうリスクをカバーする保険を作ってくれないのですか」と疑問をぶつけてきた。
「お独り様だけでなく、ほかにもニーズがあるのだな」と理解し、長期(65歳まで保障)、定額給付(月10万~50万円)、ハイレバレッジ(支払限度額1億円)の就業不能保険「働く人への保険」を発売した。
当面は定期死亡保険「かぞくへの保険」、終身医療保険「じぶんへの保険」、新商品の就業不能保険の3つで頑張る。金利が低いから、個人年金保険など貯蓄性保険には手を出さない。変額年金も考えていないし、そもそも年金が変額でよいのだろうか。
一方、運用先は国債と電力債など格付けの高い円債に限定している。このスタンスも変えない。
アジア展開を視野に入れ、100年後は世界一の保険会社に
━━ 社長は手帳と腕時計を持っていないそうだが。
出口氏 束縛されるのが嫌だから、手帳も腕時計も30歳前後で捨てた。手帳を持っていなくても、私のスケジュールはパソコンに全て入れてあり、オープンにしているから全社員が見られる。プライベートの予定もあれば、そこに入れてしまう。しかし基本的にはベンチャー企業の経営者は1日24時間の全て仕事であり、プライベートの予定はない。
(パソコン導入前の日本生命保険に勤務していた頃)社内の秘書に幹部のスケジュールを聞いても、「空いているかもしれないが、プライベートの予定があるかもしれないから、本人に確認してみます」の繰り返し。大変不便に感じていたから、私は「それなら、(手帳を)捨てよう」と決めた。そして、会社の机上に予定表を置き、職場の全員が書き込めるようにした。
腕時計を捨てたのは、気が短いから。時計があるとデートの待ち合わせでイライラしていた。会社に時計があるから全く困らないし、道を歩いている時は人に聞けばいい。(腕時計を外してから)時間の感覚が磨かれるようになり、何分ぐらい経過したかは分かる。今、取材を受けてから1時間が過ぎましたね(笑)
━━ 創業に当たり、保険業界の外から人材を集めた理由は。
出口氏 パートナーには私に無いものを持ち、保険を知らない若い人材を求め、それが岩瀬大輔副社長(ボストン・コンサルティング・グループ出身)。私もパートナーも保険を知っているだけでは、新たなビジネスモデルは生まれない。
当社はマーケティングが優れていると評価していただく。その責任者の中田華寿子取締役は日本でスターバックスのマーケティングを立ち上げた女性。日本の大手生保ではインターネットで「B to C」ビジネスをやった人なんていないから、生保業界から起用しても邪魔になるだけだ。
開業前から、将来は海外に進出しようと考えていた。黒字転換して株式上場を果たし、それから中国やインドでサイトを立ち上げて保険のネット販売を展開したい。
子供が生まれた時に「80年は生きてほしい」と願うのと同じように、「100年続く世界一の保険会社」を目指している。創業者が「30年でいいや」と思えば、その会社は20年も経たずに潰れてしまうだろう。
保険料値下げを実現せよ【戦略提言】2020年の保険業界(4)
2010.07.08(Thu)JBプレス 旬保会
銀行窓販の全面解禁、郵便局による保険販売、インターネット通販や来店型店舗・・・。保険商品の販売形態に劇的な変化が生じている。
巨大チャネルあるいは新規チャネルの登場は、全国25万人の生保レディーを抱える生命保険業界の伝統的な営業方式に深刻な影響を及ぼす。その再構築に失敗すれば、巨大生保といえども存亡の危機に直面しかねない。
「安い」保険を求める消費者、通販チャネルが急拡大
民間生命保険への加入理由を見ると、「保険料の安さ」を理由に挙げる人が全体の2割を占める。山一証券の自主廃業など金融危機が発生した1997年以降、その増加が顕著になった。デフレに歯止めが掛からず、所得の減少が進んだため、保険市場でも低価格志向が強まっている。
また、代理店(金融機関を含む)やインターネット経由といった通信販売など、営業職員以外のチャネルが新契約に占めるシェアを拡大している。とりわけ通信販売チャネル経由で加入した人の割合は、1988年の0.1%から2009年には8.7%まで急発展を遂げた。医療保障ニーズの高まりやインターネットの爆発的な普及、可処分所得・時間の減少などを背景に、通信販売や来店型店舗などへのニーズが増大している。
その一方で、大手生保の主力チャネルである営業職員は1990年度をピークに減少の一途をたどり、このチャネルでは保険料収入が減少している。
銀行窓販」頼みの保険決算、10年後は50兆円市場に拡大?
2001年9月、銀行窓口での保険商品の販売(銀行窓販)が金融ビッグバンによる規制緩和の一環として解禁された。
当初は住宅ローン関連の保険や海外旅行傷害保険などに限られていたが、2002年10月に個人年金保険や年金払積立傷害保険、2005年12月には一時払い終身及び養老保険、積立傷害保険が加えられた。2007年12月には全面解禁されると、窓販チャネルは急成長を遂げている。
当初、銀行側は手数料ビジネスの拡大好機ととらえ、保険会社からの手数料が厚い変額年金保険などリスク性商品を中心に預金者へ売り込んだ。その後、元本保証やステップアップ型商品が投入されたほか、外資系保険会社は外貨建て変額年金保険を発売するなどこのチャネルは活況を呈している。
今では保険会社の決算上、トップラインの増収に寄与する商品となり、「決算は銀行窓販頼み」の傾向が強まっている。年間3兆~4兆円ものフローがあり、あるシンクタンクの試算によると、現在28兆円の市場が向こう10年間で50兆円規模にまで拡大するという。一時払い終身のほか、死亡保障・医療保障商品も取り扱いが始まり、今後も成長が期待されるチャネルだ。
共済保険の脅威 高コストの民保は生き残れるか?
一方、3共済(全労済、県民共済、CO-OP=生協=共済)の加入者数や保有契約高・収入保険料は着実に増加している。商品内容を改め、若年層や主婦を中心とした女性層の取り込みが功を奏した。それに加え、少子高齢化で男女とも50代を中心に加入率が上昇している。
2000~01年、各共済は相次いで医療保障を重視する商品改定を実施。また、60歳以降の層に照準を合わせ、「熟年型」と通称される共済商品の保障を強化した。その結果、生命・入院型と一本化されて自動更新商品になり、販売に一段と拍車が掛かっている。
また、「こども型」と言われる共済商品には当初、入院保障6000円が付帯されていたが、2001年にはそれを1万円に引き上げた。このため、こども型から一般の生命・入院型への移行率が上昇し、若年層の取り込みにも成功している。
剰余金の割戻率の高さ(県民共済で2~4割)も、共済人気の秘密である。支払い事務のスピードが速いこともあり、年平均で14%もの成長を遂げた。医療ニーズ対応が50代と女性を中心に加入率を引き上げ、民保離れの激しい若年層でも3共済は加入率が上昇している。
生保レディーは「GNP」(義理、人情、プレゼント)営業を止めよう
通販系・ネット系生保の台頭や、銀行窓販の拡大、共済の成長といった環境の激変は全て、既存生保の伝統的な営業職員チャネルにとって「脅威」になる。高いコスト、コンサルティング能力の欠如、商品知識の乏しさ・・・。様々な批判を浴びている営業職員チャネルは一体、2020年にどうなっているのか。
我々からの回答は、条件付きながら「十分生き残っている」になる。
何のために保険に入るのか。万一の時のための、「お守り」のためである。それは今も昔も変わらず、永遠に変わらないだろう。
それではなぜ営業職員チャネルだけ、「危機」が叫ばれているのか。今までのやり方が誤っていたからであろう。「GNP(義理、人情、プレゼント)」営業と揶揄されてきたやり方、これを止める。それができれば、営業職員チャネルはまだまだメインチャネルとして十分にやっていける。
保険に入りたい人にとって、現在の自分のニーズに合う保険商品であれば、どのチャネルだろうが関係ない。営業職員チャネルの強みは面倒見の良さだから、生保レディーが商品内容をきっちりと理解し、顧客に説明できるプレゼンテーション力を身に付ければよいのである。
しかし、営業職員だけで解決できない「壁」が存在する。それは価格である。これだけは通販・ネット系にかなわない。既存保険会社の構造問題でもあり、営業職員だけでなく、内勤職員の人件費も減らすといった「痛み」を伴う改革を避けられない。
コストを抑えた商品の開発とともに、内勤職員のコストまで含めた構造改革を行う。それでギリギリまで保険料を下げる。経営構造上、通販系・ネット系生保の水準まで下げられなくても、顧客の許容範囲までは値下げするしかない。
他のチャネルにはない「プレゼンテーション付き面倒見の良さ」で、保険料の格差をカバーするのである。すなわち、消費者が「まあ少し高くても仕方ないよね、ここまでやってくれるなら」というレベルを目指さなくてはならない。
消費者の嗜好が多様化、ネットに進出せざるを得ないが・・・
大手保険会社はこれからも営業職員を主力チャネルとしながらも、併せてチャネル多様化の推進が求められる。ダイレクト系保険会社のポジションが今後も高まっていくことは止められない。現在の若年層が中高年になる際にその傾向はさらに強まるため、応戦するには大手保険会社もネットへ進出せざるを得ない。
米国では10年前に参入したネット系生保が未だ数%のシェアにとどまっている現実を見ると、日本でもメインチャネルには恐らくなり得ないだろう。
ただ、消費者の嗜好は急速に多様化している。それだけに、インターネットなども補完的・有機的に連携させながら、顧客との接触機会を拡大して緊密な関係を構築できれば、成長力は押し上げられるだろう。既存チャネルと共存、いや既存チャネルの危機感をいたずらに煽り立てることなく、いかにチャネルを多様化していくかが至上命題になる。来店型店舗の設置も、同じ文脈で推進していくことになるだろう。
また、「シンプルな商品の提供」も不可欠だ。その代表例として挙げられるのが、先に紹介した共済の各種商品。シンプルな商品を低コストのチャネルで販売拡大するのが、共済のビジネスモデルである。
だから、大手保険会社が共済への対抗商品を投入するには、事業構造を抜本的に変革した上で新たなビジネスモデルの設計が必要である。事業費を戦略的に低めに設定することが最大の課題となる。
共済が消費者に受けているのは、「保険商品内容が簡単で保険金の支払いも速い」という、保険の「基本」とも言うべき理由。基本に立ち返ることができれば、大手保険会社にもまだまだ対抗していく余地はある。保険商品の分かり易さと支払いの迅速化にはどの保険会社も必死に取り組んでおり、成功すれば共済の勢いを止めることも夢ではない。
今すぐ改革に着手しないと、巨大生保に未来はない
今回は「どうなる生保レディー25万人=多様化する販売チャネル」という視点から、保険業界の未来を考察した。10年後の2020年には保険業界の構造が根本的に変わってしまう劇的な変化は起きていないと予測される。営業職員チャネルもまだまだ十分生き残っているはずだし、通販系・ネット系生保は成長を続けても大ブレークは起こしていないだろう。
しかしながら、20年後になるとそんな予測は当てはまらなくなる。
「これからも営業職員チャネルはわが社の根幹」――。そのように保険会社が考え、2030年の時点でも営業職員チャネルが生き残るには、今すぐ改革に着手しなくてはならない。
それは、本社の経費構造や内勤職員のコストにまで踏み込んだ抜本的な経営構造改革になる。保険商品の正確な知識や顧客へのプレゼン能力、トラブル対処力など、営業職員が自らの能力を磨くことは大前提とはいえ、保険料値下げなどを実現するには経営陣・内勤職員のかつてない努力が求められよう。
「今の態勢でまだまだ十分やっていける」――。内心そう高をくくる保険会社の社員がいるとしたら、その会社は2020年を待たずして見る影もないかもしれない。なぜなら、社員一人ひとりの意識改革に成功しない限り、巨艦のような生保の転針は極めて難しいからだ。一人ひとりのコスト意識改革なくして、巨大生保に未来はない。
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