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都農ワイン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E8%BE%B2%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%B3
2010年3月11日(木)原隆(日経ビジネス記者)
ワイン専用品種のブドウ栽培に不適とされる宮崎県都農町。常識とされる栽培方法に背を向け、土壌作りから始めた。世界が認めたワインを引っ提げて、最大市場の中国への進出を目論む。
宮崎市から北に車を約1時間走らせたところに宮崎県都農町はある。人口1万2000人足らずの小さな町から生まれたワインが一躍脚光を浴びている。
英国のワイン批評家たちが集まり、4年に1度発行する『The Sotheby’s Wine Encyclopedia(サザビー・ワイン百科)』。この年次報告書的な性格を持つ「Wine Report 2004」の世界のワイン100選に、突如、都農ワインの「キャンベル・アーリー ロゼ 2003」が選出された。2007年にも「スパークリングワイン キャンベル・アーリー」で100選に選ばれた。
山が迫り出し、海までの距離が近いため、稲作に適さなかった都農町には語り継がれる人物がいる。「田んぼん木を植ゆる馬鹿がおるげな」。戦前、陰口を叩かれながらも梨の栽培に着手し、終戦直後にはブドウ栽培を始めた永友百二氏だ。都農町の名産「尾鈴ぶどう」の始祖に当たる。
ブドウに対して特別のこだわりがある都農町。このブドウでワインを作り、町おこしにつなげられないか。こうして第3セクターとして立ち上がったのが有限会社都農ワインだ。都農町は最初に迎え入れる工場長としてブラジルでワイン作りにいそしんだ小畑暁氏に白羽の矢を立てた。
この地に縁もゆかりもない、北海道旭川市生まれの小畑工場長こそ、小さな町のワインを世界的な評価を受けるまで育て上げた立役者だ。
厳しい条件下で常識は役立たず!
都農ワイン所有のブドウ畑に足を一歩踏み入れると、まるで新雪のような軟らかい感触が全身に伝わってくる。
「この土を作るところから都農ワインは始まったんだよ」!
都農一帯は黒ボク土と呼ばれる火山灰土で覆われている。痩せた土地でこそよく育つと言われるブドウだが、シャルドネ、カベルネソービニヨン、シラーといったワイン専用品種のブドウ栽培に都農ワインは当初から苦しんだ。いわゆるブドウ栽培の常識が通用しない。ワインに必要な糖度も酸味も足りず、実がならないこともあった。
それもそのはず、都農町の気候はワイン専用品種栽培の足を引っ張る悪条件がこれでもかと揃う。例えば、降水量。フランスのボルドーで年間800~900mm、雨の多い日本の甲州地方でも1200mm程度。ワインの名醸地と呼ばれるところは降水量が少ない。
対して、都農町の年間降水量は2400mm。時に3000mmを超える年もある。高温多湿地帯で、ブドウは病気に侵されやすい。
これを回避する方法は至って簡単だ。ワイン専用品種を取り寄せ、都農ワインで醸造すればいい。
ただ、そもそもこれは町おこしを目的に始まった事業。当初の目的が果たせないどころか、小畑氏自身の哲学にも反していた。ワインはその土地で収穫したブドウを使って作る地酒であるべき。このこだわりを貫くためには、そもそもの常識にとらわれていては実現不可能だ。こう判断した小畑氏は、町内で肥料店を経営する三輪晋氏に出会い、土壌作りから着手する。
もともと畜産の盛んな宮崎では、堆肥を農業にうまく使うという伝統が根づいていた。痩せた土壌を有機農法で肥沃にする。こうした土壌の肥沃化はブドウ栽培の常識からは外れている。というのも、肥沃化することは枝や葉の成長こそ促進すれど、実には影響しないと言われていたからだ。
ふたを開けてみると、専用品種のブドウたちは強く、そして丈夫に育ち始める。畑に鶏糞をまくことで、バクテリアや根粒菌が土中に窒素成分を供給。これが直接植物には行かず、微生物のえさになり、より有効な成分が土壌全体に行き届くようになった。結果、保水性と排水性の両方を兼ね備えた理想の土が完成した。
収穫量は増え、当初使っていた農薬を5分の1にまで減らすことに成功。糖度も酸味も備えた、ワイン作りに最適なブドウが出来上がった。
地元農家と衝突した「よそ者」!
小畑氏は都農町で栽培されていた品種、キャンベル・アーリーのワイン作りにもこだわった。ただ、こちらも当初からうまくいったわけではない。
もともと都農町で作られていたのは生食用のキャンベル・アーリーが主流。生食用のブドウは見た目がきれいでなければ売れない。裏を返せば、見た目さえ良ければいいということ。ワインは逆だ。形が悪かろうが、1粒1粒の糖度や酸味が最も重要になる。
当初、ブドウ農家の間ではワインはブドウジュースと同じ。傷んで房が落ちたブドウでも十分作れるというイメージがあったという。そのため、小畑氏はこんなブドウ使えるかとブドウ農家に突き返したこともあったという。
「よそ者」。都農町とゆかりのない小畑氏はブドウ農家と幾度となくぶつかった。「若さゆえのバランス感覚のなさが逆に良かったのかな」。
そのうち地元のブドウ農家もワイン作りに真剣な小畑氏に感化されていった。小畑氏がそのことに気づいたきっかけは、農家が収穫したブドウを入れてワイナリーに運ぶための箱だ。
「僕らの箱が福岡に行っちゃって、逆に違うワイナリーの箱がうちに来ちゃったことがあったんだ」。小畑氏はブドウ収穫用の箱を必ずぴかぴかに磨いてブドウ農家に返す。酢酸菌などが繁殖することを防ぐ目的もあるが、何よりきれいにすることでブドウ農家が気持ちよく収穫できると考えていたからだ。
「その間違って届いた箱は実に汚かった。それ以上に、中に入っていたブドウを見た時、農家の人たちは自分たちになんていいブドウを選別して入れてくれていたんだろうって。愛着を感じてくれているんだということに初めて気づいた」。地元のブドウ農家とワイナリー。世界的な評価は二人三脚で勝ち取ったものだと小畑氏は改めて振り返る。
現在、都農ワインは年間約21万本を出荷している。九州のワイナリーでは最も出荷が多いのだという。ワインブームに沸く中国を中心に、海外開拓にも乗り出している。2004年にはEC(電子商取引)サイトも開設。年間で約2万本をこのサイト経由で売る。日本中から注文がやってくるほか、ワイナリーに従事する人たちの視察もひっきりなしだ。
将来は蒸留酒進出も!
都農ワインは今後、ワインの生産だけにこだわらない。小畑氏は都農町の人たちが昔から愛着のあるキャンベル・アーリーに徹底的にこだわり、蒸留酒を作る夢も抱いているという。
世界に認められるワインがなぜできたかとの問いに、小畑氏はこう答える。「ワイン作りに必要なのはうぬぼれと勘違い。どっかのボクサーと一緒だよ」。ほかのワイン醸造家たちと話を交わすと、意外にも自分たちが作るワインを世界一だと言い切る人が少ないという。
高い目標とそれに立ち向かっていくモノ作りの姿勢こそ、世界が注目するワインを生み出した原動力なのかもしれない。
日経ビジネス 2010年3月8日号66ページより
全国丼サミットおだわら2010 -ふるさと食の祭典-
http://www.0465.net/blog/mall/index.html?page=3422
全国各地のご当地丼の味を楽しむ「第2回全国丼(どんぶり)サミットおだわら2010D-7」が10月2、3日、神奈川県小田原市の小田原城二の丸広場などで行われる。厚木市で今月18、19日に開かれたご当地グルメの祭典「B-1グランプリin厚木」には、2日間で約43万5千人が訪れており、小田原市の担当者は「2日間で5万人の来場者を見込んでいる」と、丼での町おこしに期待が高まっている。
丼サミットには、開催地の「小田原どん」のほか、「仙台づけ丼」(宮城県)▽「能登丼」(石川県)▽「おらが丼」(千葉県)▽など、全国7カ所から36種類が出品される。小田原どんは、地元の食材を使い伝統工芸品・小田原漆器の器に盛りつけることなどが条件。主にアジやタイといった新鮮な海産物が使われている。各地の丼もこうしたコンセプトで調理されている。
各丼ともサミット用にミニサイズでイベント用のプラスチック容器で提供される。値段は300~1千円。小田原市担当者は「2~3個を食べ比べてほしい」と話す。B-1グランプリとは違い投票によって順位は付けず、「各地の丼を楽しむのがテーマ」(同市担当者)という。
2日には、タレントの梅宮辰夫さんがゲストとして登場。オリジナルの「梅宮丼」が披露される。同市担当者は「梅宮丼は当日まで非公表。運がよい人は食べられるかも。会場でサプライズな形で発表したい」と趣向を凝らす。
会場の一角では同じ日程で「ふるさとうまいもの市」も開かれ、B-1グランプリにも参加した「南足柄・まさカリー」など県西部の20種類が出品されるイベントも開かれる。
丼サミットは今年1月、金沢市で初開催。各地で持ち回りで開かれることになった。同市担当者は「現地でないと食べられない丼が、全国から集まる。食べ比べを楽しんでほしい」と意気込んでいる。
http://www.kakujoe-shop.com/ 2010.05.10(Mon)
JBプレス日本の中小企業 鶴岡弘之
こんな魚屋は初めて見た。
4月のとある土曜日の午後。店の前に約100台収容できる専用の駐車場があって、5人の警備員が車の誘導に飛び回っている。
多摩湖や狭山湖にほど近い新青梅街道沿いに、その魚屋は店を構えていた。建物は一見すると普通のスーパーマーケットのようだ。だが、スーパーの魚屋とはスケールが違う。こちらは1軒の建物が丸ごと魚屋なのだ。
魚を買いに来た客の車で、駐車場はぎっしりと埋まっている。それでも次から次へと車がやって来て、駐車場に入りきれない車の列ができる。
4月の週末でこの状態なのだから、年末は推して知るべしである。年越し用の料理やおせちの魚を買い求める客が殺到して、道路沿いに数珠つなぎの車の行列ができ、駐車場に入るまで1時間以上も待たされるという。
その店とは、東京都東久留米市にある「角上魚類(かくじょうぎょるい)小平店」。近郊で圧倒的な知名度と集客力を誇る「行列ができる」魚屋である。
全国の魚が獲れたての姿で並ぶ!
店内に入ると、売り場の広さと客の熱気にまた目を見張る。売り場の面積は300坪近くはあるだろうか。1店舗の魚屋としては破格の広さである。
ひときわ賑わっているのが、対面販売コーナーだ。北海道から九州まで日本全国の港で揚がった魚介類が「むき出し」の状態で売られている。海に戻したらそのまま泳ぎ出しそうな魚が、敷き詰められた氷の上にずらりと並んでいる様は壮観だ。
そのコーナーで、赤いユニホームを着た店員の威勢のいい声が響き渡る。「いらっしゃい、いらっしゃい。今日はメバルがいいよ。メバルがっ」
多くの客は、魚を買う時に「サバを3枚におろしてくれます?」「このタイを煮物にしたいんですけど、切り分けてもらえないかしら」などと店員に注文し、調理・加工をしてもらう。
コーナーの奥には調理台があって、店員が注文通りに魚をさばいていく。さばいた魚はビニール袋に入れられて、「はい、お待たせしました」と客に手渡される。
若い夫婦が珍しい魚を目の前にして、店員に訊ねる。「この『じょんじょろ』っていう魚はどうやって食べるんですか」。店員が「頭を取って、煮つけにするとおいしいですよ。柳川にしてもいいですね」と答える。「へえ、どんな味なんですか」と会話が続く。
いつの頃からか、魚屋は、切り分けてパックした魚を売る場所になってしまった。しかし、かつての魚屋は「今日は何がおいしいの?」「この魚はどうやって食べるの?」「鍋にしたいんだけどいい魚ある?」などと、店員と会話しながら買い物をする場所だった。この店は、そういった在りし日の魚屋のスタイルである。
マグロ解体ショーで店内はお祭り騒ぎ!
午後3時、店内に「チリンチリンチリン」と鐘の音が響き渡り、対面販売コーナーの一角で、本マグロの解体ショーが始まった。マグロを解体するのは、江田勉店長。あっという間に周囲に黒山の人だかりができる。
「今日は店長の私がさばきますからね。私、この4月に店長になりましたんで、よろしくお願いします。店長になったお祝いですからね、今日は儲けなしで特別サービスしますよ」
エラの部分にざっくりと包丁が入り、最初にカマが切り分けられた。若い店員が2つのカマを高く持ち上げ、大声で叫ぶ。「カマだよ、カマだよ。300円、300円でお分けしますよ。はい、欲しい人!」。いっせいに大勢の客が手を上げる。
「じゃあ、僕とじゃんけんして下さい。最初はぐー、じゃんけんぽんっ。負けた人は手を下ろしてくださーい」。じゃんけんに負けた客から、「あ~」というどよめきが上がる。
一眼レフカメラのレンズをマグロに向けて連写している客もいれば、「マグロの解体だって! 早く、早く」と、大声で家族を呼び寄せるお父さんもいる。みんな興奮状態というか、お祭りのような騒ぎなのである。
不況をものともせずに業績が拡大!
角上魚類は新潟県長岡市に本社を構える鮮魚店チェーンだ。もともとは江戸時代から続く網元、卸問屋だったが、1974年に小売業に進出。現在、新潟、長野、群馬、東京などに19店舗を展開している。
2009年度の売り上げは約195億円、最終利益は約4億円。5年前の2004年度は、売り上げが約178億円で利益が約2億円だった。消費不況とデフレが長引く中、逆風をものともせずに着実に売り上げと利益を伸ばしている。
角上魚類にこれだけ客が集まるのは、品質、価格、サービスで、圧倒的な「満足感」を提供しているからに他ならない。新鮮な魚を豊富に揃え、安く提供する店には、客がやって来るのである。
しかし、口で言ってしまうのは簡単だが、それを実現するのは実は極めて難しい。ほとんどの魚屋には、そんなことはできないのだ。
では、なぜ角上魚類にはできるのか。圧倒的な品数と品質、そして値段の安さをどうやって実現しているのか。
それを解き明かすために、角上魚類の発祥の地へと足を運んだ。
何もない場所に、ぽつんと1軒だけ建った魚屋!
新潟県長岡市の寺泊(てらどまり)は、佐渡の島影を眼前に望む古くからの港町だ。ここに「魚の市場通り」(通称「魚のアメ横」)と呼ばれる観光スポットがある。
国道402号線沿いに10軒近くの魚屋、みやげもの屋が横一列に軒を連ねている。国道を挟んで巨大な駐車場があり、休日には観光バスが並ぶ。
実はこの観光スポットは、三十数年前に建てられた1軒の魚屋から始まった。地元の網元・卸問屋のせがれ、柳下浩三さん(現角上魚類社長)が、なんの店もなく人通りもほとんどない土地に、1軒の魚屋をぽつんと建てたのである。それが角上魚類の第1号店だった。
そんな辺ぴな場所に建てられた魚屋が、またたく間に大繁盛店となる。挙句の果てには、観光バスがやって来る一大観光地にまでなってしまった。まるで砂漠にラスベガスをつくってしまったような話なのだ。
この第1号店には、角上魚類のエッセンスがぎっしりと詰まっている。そのエッセンスは今も変わらない。はっきり言ってしまえば、角上魚類が各地に展開している店舗は、いずれも第1号店の忠実なコピーである。
柳下社長は、寺泊で一体どんな店をつくろうとしたのか。そして、今を貫く角上魚類の経営哲学とは──。第1号店のすぐ裏にある角上魚類の本社に、柳下社長を訪ねた。
あれよあれよと言う間にお客さんが増えていった!
── 今や寺泊の一大観光スポットになっている「魚の市場通り」ですが、元々は柳下社長が建てた1軒の店から始まったそうですね。
柳下社長(以下、敬称略) 私の家は代々ずっと網元と卸問屋をやってたんだけど、昭和40年代からスーパーマーケットが台頭してきて、小売店の数がどんどん減ってきた。それで、このまま卸しをやってちゃダメだなって思ったんです。小売屋に卸していても、しょうがねえなって。
ちょうどダイエーが新潟に出てきたんで、見に行ってみた。すると、魚がけっこう高いんですよ。自分で直接売れば、あの半値以下で売れるなと。それで自分で売ろうと思って小売を始めたんです。
銀行からお金を借りるのが大変だったけど、新潟で商売やってて景気のいい親戚がいたんで保証人になってもらって、5000万円借りられた。そのお金で店を建てました。1974(昭和49)年の11月でした。
最初は、周りに建物は1軒もなかったんです。うちの店が1軒だけだった。私が商売とか経営のことをもっと分かっていれば、田舎のこんな何もないところに5000万円も投資して店をつくらなかったと思う。何も知らなかったからやれたんだね。
でも、寺泊とか新潟の市場に行って、その日の安い魚に特化して、それだけ大量に買ってきて直販するもんだから、スーパーとか魚屋の3分の1ぐらいの値段で売れてたと思うんだ。「寺泊に行くと、いい魚を安く売っている店がある」ってクチコミでぽつぽつと客がやって来るようになって、半年ぐらいしたら一気に客が増えました。
最初は1日に売り上げが3万円ぐらいしかなかったけど、半年位で20万円、30万円売れるようになって、1年経ったら50万円ぐらいになってた。寺泊周辺だけじゃなく、燕や長岡とかからも客が来るようになって、そのうち新潟だけじゃなくて長野県のクルマも来るようになりました。
店を開いてから3~4年位経った頃でしょうか、隣に魚屋ができました。それから3~4年経ったら、また隣に魚屋ができて、どんどん店が増えていって、今のような通りになったんです。
ただ、周りに店が増えても、うちの客が減ることはなかったですね。お客さんは他の店と比較してうちの方にどんどん来ちゃうんですよ。だから店が増えたのは、結果的によかった。お客さんは流行っているところに行きたがるから。圧倒的にみんなうちに来ちゃうんだね。
こんな田舎にわざわざ来てもらうんだから・・・
── 角上魚類の店を訪れると、隅々まで神経が行き届いていて、本気でいい魚を売ろうという姿勢が伝わってきます。店づくりの信念、ポリシーのようなものはありますか。
柳下 店のつくり方や売り方は、最初に店を始めた時から、今でもずっと変わりません。今、角上魚類のすべての店には、「鮮度はよいか、値段はよいか、配列はよいか、態度はよいか」と「4つのよいか」を書いて張ってあります。これは私が寺泊で店を開いた1年目に書いたものです。
店を始めた時、こんな田舎にわざわざ車で来てもらうんだから、「来てよかったわ」と思ってもらわないとダメだと思っていました。
私は生まれて初めて小売をやったもんだから、来てくれたお客さんがありがたくてありがたくてしょうがない。お客さんたちが「ものすごく安い」とか「いきがいいわ」とか喜んでると、もう、うれしくってさ。お客さんにどうやって喜んで帰ってもらうか、それしか考えてなかったんです。
じゃあ、どうしたら喜んでもらえるのか。そして思いついたのが、まず鮮度だと、それから価格、魚種、そして売り場の応対だと。それで「4つのよいか」になったんです。
それから三十数年経ちましたけど、「4つのよいか」は今でも通じていると思います。その言葉は正しかったんだと思います。
新入社員全員に魚の切り方を教える!
── 角上魚類の店は、なぜあんなに広いんですか。また、どの店でも大量に生魚を並べて対面販売を行っています。対面販売にこだわる理由を教えてください。
柳下 角上の店の陳列ケースは普通のスーパーより3倍くらいは大きい。売り場の面積は最低80~100坪は必要だと考えています。それぐらいないと、お客さんに満足してもらえる品揃えを確保できません。
対面の売り方も、店を始めた時からのやり方です。昔の魚屋はみんな対面だったでしょう。スーパーができて初めてパックで売るようになったけど、昔はみんな対面でやってたからパックなんてなかった。
対面だと、魚そのものを見てもらって選んで買ってもらえるし、お客さんの要望を聞きながら刺身にしたり切り身にしたり、さばくことができる。食べ方も説明できますよね。
それをするためには、店員に技術が必要。今年も新卒の新入社員が35人入りましたが、みんな包丁を持って魚をさばけるように教育しています。すぐには無理だけど、1年も経てばみんなできるようになります。
そういう理由もあって、我々は店をぼんぼん増やさないんです。今までは店をつくるとしても、1年にせいぜい1店舗。1つの店には、刺身を切る人とか寿司を作る人とか、10人ぐらいの人間が必要になります。新しく店をつくる時に既存店から3人も4人も人を抜くと、既存点の質が落ちてしまいます。
どこにも真似できない「仕入れ」!
── 角上魚類のような鮮度と価格で魚を売っている店は他になかなかありません。なぜ他の魚屋にはできないのでしょうか。
柳下 魚屋っていうのは難しいんですよ。魚はどんどん鮮度が落ちていく。次の日には鮮度が悪くなるし、3日目になると我々はもう売り物にしたくないと思う。
だからといって、魚を10ケース仕入れて、2~3ケース捨ててたら、もう利益なんて出ないんです。仕入れにロスが出れば、利益が食われて赤字になってしまいます。だから、できるだけその日のうちに、せいぜい次の日までに売り切らなければならない。
そのためには、まずは「仕入れ」なんですよ。売れ残らないようにするために、「今日はどの魚をどれだけ買って、いくらで売るか」という判断が大事なんです。
うちには私を含めて十数人のバイヤー(仕入れ担当者)がいて、寺泊と新潟、築地の市場で仕入れています。バイヤーは、市場でその日の漁獲量と価格を見て、できるだけロスを出さないように仕入れの量と売り値を決めています。
安い魚を大量に仕入れたら、それを重点的に売る。高い魚を仕入れても結局は売れ残ってしまいます。
── 毎日、臨機応変に判断して仕入れをやっていることが強みなのですね。
柳下 店の方でもその日のうちに売り切る工夫をしています。
例えば、朝、ケースの中に並べたマグロの切り身パックがあったとします。午後2~3時になっても残っているようだったら、寿司にして並べたり、売れ残っている切り身があったら刺身にしてしまうなどして、調理・加工することで早いうちに売り切るようにします。
各店舗の店長には、その日のお客さんを見てどのタイミングで調理するかとか、廃棄とか値引きなどのやり方も細かく指示しています。いかにして売り切るかが大事なんです。捨ててしまったら粗利なんてほとんどなくなりますから。
仕入れ次第で魚は安くなる!
── 安さの秘密は何でしょうか。他の魚屋やスーパーと比べると、総じて2割は安いのではないかと思います。
あまり安さを前面に打ち出そうというつもりはないんですけどね。基本は、やはり安く仕入れること。さっきも言ったように、我々の強みは、十数人のバイヤーが、新潟と築地の両方の市場で仕入れていることです。
新潟と築地の市場には、毎日、全国から魚が集まってくるんですが、両方とも似たような魚が集まるんです。そこで毎朝、両方の市場にいるバイヤーが電話で連絡を取り合って、「こっちでは何がいくらだ」と情報をやり取りします。そうやって量と値段を突き合わせて、「では、その魚は築地から納めよう、これは新潟から」と調整して、それぞれの市場から全国の店舗にトラックで発送します。
セリでも、我々はできるだけ安く買う。例えば、その日に漁獲量の多い魚は、セリの途中でどんどん値段が下がっていきます。そういう魚は先に買わないで、他のみんなに先に買わせてしまう。そして、あとで値段がぐっと下がった時に、一気に買うわけです。
逆に、その日の入荷量が少ない魚はあとで値段が跳ね上がっていくから、先に買ってしまったりする。こういうのは、ずっとやってないと分からない。慣れの部分が大きいですね。
また、たとえ同じ値段で仕入れても、我々の店は他の魚屋やスーパーとは売り値が違います。粗利をそんなに乗せてないし、我々の店舗は基本的に郊外のロードサイド型なので、土地代が高くない。都心のスーパーとかデパートとかに店を出している魚屋は、家賃が高いから、どうしても売り値が高くなるでしょう。
お客さんに喜んでもらえるかどうかがすべて!
── 消費不況と言われる中で、売り上げと利益が拡大していますね。景気の影響は受けていないんですか。
柳下 確かに世の中は景気が悪くて、スーパーも売り上げが落ちている。でも、うちはこの1年でも売り上げが伸びているからね。あまり景気には左右されていません。
結局は、店の質がいいか悪いかで、お客さんが来るか来ないかが決まるんです。
店の質を維持するのは簡単なことではありません。今、19店舗やってますが、その中で1店舗でも変な店があれば、「角上」に対するお客さんの信用が変わってきてしまう。
一時期、我々が魚と看板だけを提供する「フランチャイズ店」を何店か出したことがあるんです。店を見に行ってみると、魚の鮮度や価格に問題がある。お客さんに売っていい魚じゃないんです。でも、オーナーが違うから、あれこれ注文をつけられません。そういう店に角上の看板は出せないと思い、3年でフランチャイズ契約を打ち切りました。その後、それらの店は結局、全部つぶれてしまいました。
そういうことがあって、今は全部直営にして、1店舗、1店舗チェックして回っています。「お客さんに対して責任の持てる店」にしようと神経を使っているわけです。
寺泊で店を始めた時に、何も買わないで帰るお客さんがいると、「わざわざ来てくれたのに、気に入ってもらえるものがなくて申し訳ありません」と、いつも心の中で思っていました。
一番大事なのは、お客さんに「また来よう」と思ってもらえるかどうか。喜んでもらい、支持されるような店づくりをしているか。これに尽きると思います。
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http://garapon.tv/garapontv.html
Impress Watch 9月21日(火)17時0分配信
ガラポン株式会社は21日、地上デジタル放送のワンセグ番組を録画できる宅内設置用端末「ガラポンTV初号機」の購入受け付けを開始した。価格は3万円。申し込み期間は9月30日までで、10月1日から順次発送する。本体サイズは250×200×70mm(幅×奥行き×高さ)。
ガラポンTV初号機」は、アジャイルメディア・ネットワーク(AMN)が主催するイベント「WISH2010」でAMN賞を受賞した製品。約500GBのUSB外付けHDDを接続することで、最大7チャンネルすべてのワンセグ番組を24時間×30日以上録画できる。
録画した番組はインターネット経由で、自宅または外出先からiPhoneやiPad、Android端末、PCなどで視聴することが可能。EPG情報やワンセグ放送の字幕データを検索したり、利用者同士は一意のURLで番組や場面を指定した情報を共有できるという。
ガラポンでは、開発者向けに「ガラポンTV API」を公開した。同APIでは、外部サービスから端末へのログイン認証後、録画番組の一覧取得、検索(EPG情報、字幕情報)、再生などが行える。
【INTERNET Watch,増田 覚】
http://ja.wikipedia.org/wiki/B-1%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA
投票結果(最終結果)
2010/09/19
「第5回B級ご当地グルメの祭典!B-1グランプリin厚木」における投票結果は、次のとおりです。
http://b-1gp.jp/info/2010/09/b1-finalresult.html
【来場者数(2日間合計):435,000人】
18日(土)の来場者数:175,000人
19日(日)の来場者数:260,000人
1位 みなさまの縁をとりもつ隊 「甲府鳥もつ煮」
箸の重量:42,110g
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%BA%9C%E9%B3%A5%E3%82%82%E3%81%A4%E7%85%AE
2位 ひるぜん焼そば好いとん会 「ひるぜん焼そば」
箸の重量:41,520g
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%9C%E5%B1%B1_(%E5%9C%B0%E5%90%8D)
3位 八戸せんべい汁研究所 「八戸せんべい汁」
箸の重量:39,600g
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%B9%E3%81%84%E6%B1%81
成績 団体名 料理名 箸の重量
4位 津山ホルモンうどん研究会 津山ホルモンうどん 35,130g
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3%E7%84%BC%E3%81%8D%E3%81%86%E3%81%A9%E3%82%93
5位 三浦中華料理研究会 三崎まぐろラーメン 24,360g
6位 いなり寿司で豊川市をもりあげ隊 豊川いなり寿司 21,690g
7位 やきそばのまち黒石会 黒石つゆやきそば 18,750g
8位 十和田バラ焼きゼミナール 十和田バラ焼き 18,230g
9位 みしまコロッケの会 みしまコロッケ 17,850g
10位 オホーツク北見塩やきそば推進協議会 オホーツク北見塩やきそば 17,680g
※全団体の順位は公表しておりません。
※最終順位は上位10団体の発表となります。
本大会出展料理・出展団体
http://b-1gp.jp/info/2010/07/menu-honban.html
北海道 富良野市 富良野オムカレー 富良野オムカレー推進協議会
北海道 北見市 オホーツク北見塩やきそば オホーツク北見塩やきそば推進協議会
青森県 八戸市 八戸せんべい汁 八戸せんべい汁研究所
青森県 黒石市 黒石つゆやきそば やきそばのまち黒石会
青森県 十和田市 十和田バラ焼き 十和田バラ焼きゼミナール
青森県 青森市 青森生姜味噌おでん 青森おでんの会
秋田県 仙北市 あいがけ神代カレー 神代地域活性化推進協議会
秋田県 横手市 横手やきそば 横手やきそば暖簾会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%89%8B%E3%82%84%E3%81%8D%E3%81%9D%E3%81%B0
岩手県 北上市 北上コロッケ 北上調理師会
宮城県 登米市 登米・油麩丼 登米・油麩丼の会
宮城県 石巻市 石巻焼きそば 石巻茶色い焼きそばアカデミー
福島県 双葉郡浪江町 なみえ焼そば 浪江焼麺太国
群馬県 太田市 上州太田焼そば 上州太田焼そばのれん会
埼玉県 行田市 行田ゼリーフライ 行田ゼリーフライ研究会
神奈川県 三浦市 三崎まぐろラーメン 三浦中華料理研究会
神奈川県 厚木市 厚木シロコロ・ホルモン 厚木シロコロ・ホルモン探検隊
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9A%E6%9C%A8%E3%82%B7%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3
神奈川県 湯河原町 湯河原名物たんたんたぬきの担々やきそば 湯河原担々やきそば会
神奈川県 南足柄市 足柄まさカリー黄金(きん)のポット 金太郎プロジェクト推進委員会
山梨県 大月市 大月おつけだんご 大月市おつけだんごの会
山梨県 甲府市 甲府鳥もつ煮 みなさまの縁をとりもつ隊
静岡県 富士宮市 富士宮やきそば 富士宮やきそば学会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%AE%AE%E7%84%BC%E3%81%8D%E3%81%9D%E3%81%B0
静岡県 静岡市 静岡おでん 静岡おでんの会
静岡県 裾野市 モロヘイヤ入りすその水ギョーザ すそのギョーザ倶楽部
静岡県 三島市 みしまコロッケ みしまコロッケの会
静岡県 袋井市 袋井宿「たまごふわふわ」 袋井市観光協会
静岡県 浜松市 浜松餃子 浜松餃子学会
愛知県 豊川市 豊川いなり寿司 いなり寿司で豊川市をもりあげ隊
三重県 四日市市 四日市とんてき 四日市とんてき協会
長野県 駒ヶ根市 駒ヶ根ソースかつ丼 駒ヶ根ソースかつ丼会
岐阜県 郡上市 奥美濃カレーひっちゃく棒 奥美濃カレー協同組合
岐阜県 各務原市 各務原キムチ鍋 キムチ日本一の都市研究会
岐阜県 郡上市 めいほう鶏ちゃん めいほう鶏ちゃん研究会
福井県 小浜市 浜焼き鯖バラちらし寿司 御食国若狭倶楽部
兵庫県 明石市 あかし玉子焼 明石名物ひろめ隊
兵庫県 高砂市 高砂にくてん 高砂にくてん喰わん会
兵庫県 姫路市 姫路おでん 姫路おでん普及委員会
岡山県 津山市 津山ホルモンうどん 津山ホルモンうどん研究会
岡山県 真庭市 ひるぜん焼そば ひるぜん焼そば好いとん会
広島県 府中市 府中焼き 備後府中焼きを広める会
鳥取県 鳥取市 鳥取とうふちくわ膳 鳥取とうふちくわ総研
島根県 出雲市 出雲ぜんざい 日本ぜんざい学会
福岡県 北九州市 小倉発祥焼うどん 小倉焼うどん研究所
福岡県 久留米市 久留米やきとり 久留米焼きとり文化振興会
長崎県 雲仙市 小浜ちゃんぽん 小浜ちゃんぽん愛好会
長崎県 大村市 大村あま辛まっ黒! カレー 大村あま辛カレーうまか隊!
大分県 佐伯市 佐伯ごまだしうどん 佐伯ごまだしの会
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