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フジサンケイ ビジネスアイ 2月5日(土)8時15分配信
企業がグローバル人材の育成を強化するなか、ビジネスマンらの語学に対する関心が一段と高まっている。拡大するニーズに対応して生徒獲得を狙う語学学校では、工夫をこらした授業が続々と登場。特にインターネットやカフェなどを生かした低価格英会話スクールが人気の的だ。“価格破壊”の波が英会話学習に押し寄せている。
都心に1人暮らしするIT系企業に通う30代男性社員は早朝、自宅のパソコンに向かい英会話に励むのが習慣になった。 「朝から夜まで仕事で、普通の英会話教室には通えなかったから助かる。値段も満足です」と話す。
このサービスは、ウェブサイトやコンテンツの制作などを手がけるライトアップ(東京都渋谷区)が1月から運営を開始した英会話サイト「ワールドトーク」。講師がほとんど日本人という点が特徴で、外国人相手では質問などがしにくい初学者に好評だ。話題なのが、受講料が1回当たり25分で142円からという価格設定だ。
講師陣は、夫の海外転勤に帯同した主婦や海外経験のある高齢者などさまざまで、同社専属講師ではないために時給は抑えられている。さらに、世界中どこにいてもパソコン間で無料通話できるソフト「スカイプ」を活用することで、海外在住者らとの通信コストを抑えた。
それでも、なぜここまで安くできるのか。白石崇社長は「単独の事業では当然赤字。ただ、他にも多くのフランチャイズ事業やオンラインサービスを展開しており、総体で収益を挙げる考えで、今回はあくまで目玉事業の位置づけ」と説明する。
筑波大学発のベンチャー企業「アイデアインターフェイス」(兵庫県明石市)も受講者目線で語学サービスの低価格化を追求した会社のひとつ。同大学を昨年卒業したばかりの20代の丸山要平氏が友人と共同で、昨年7月にオンライン英会話サービス「ラングリッチ」を始めたばかりだが、半年で登録数が約1600人と好調な滑り出しだ。
月4980円(初回は2980円)を支払えば、1対1のレッスンを毎日受けられる。やはり1回当たりの受講料が100円前後だ。
安さの秘密は、英語を公用語として使うフィリピンで講師を雇い、人件費を抑えた点だ。スカイプでフィリピンと日本を結び、フィリピン在住の講師が現地からレッスンを行う。受講者はパソコンと音響機器さえ用意すれば、場所を選ばず気軽にレッスンを受けられる。
ネットではなく、講師の自宅やカフェなどで直接、日本人講師と対面して初心者向け英会話レッスンを受けられる英会話ビギン(東京都港区)も会員数を増やしている。
同社の場合、1回60分の対面レッスンで2500円と、一般の英会話学校のマンツーマンレッスン相場の3分の1程度に抑えている点が魅力だ。
「賃料が高い都心の教室などの固定費を極力かけないといった徹底したコスト削減でこの値段を実現した」(加藤いづみ社長)という。
「これまでは女性受講者が多く、男性受講者は3割程度だったが、今年は4~5割に増えるだろう」(加藤社長)。世界市場の攻略を急ぐ企業の動きや社内公用語を英語にするといった流れが影響しているとみる。
英会話業界における価格破壊をもたらした大きな要因は、インターネットを利用した学習「eラーニング」の存在だ。通信料の低価格化も後押しする。矢野経済研究所によると、23億円(2005年度)だった語学eラーニング市場は年々拡大し、09年度には30億円に達した。
ただ、過度な価格競争が質の低下を招くことを危惧する声も少なくない。富士通総研経済研究所の湯川抗主任研究員は「英会話サービスの運営会社が受講生に取らせる共通の資格制度をより充実させるべきだ。実績を証明できる資格制度があれば品質面の競争が促され、グローバルに活躍する人材が多く輩出できるようになる」と提案する。
高品質を維持できなければ結局、価格だけでなく事業も「破壊」しかねない。各社はどこまで顧客満足度を上げられるか。手腕が問われそうだ。(那須慎一、臼井慎太郎)
ヴィッツ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84
最良のスモールカーを追い求めたトヨタ技術者たち!
2011.01.31(Mon)JBプレス 両角岳彦
2010年末に、全面改良を行ったトヨタ「ヴィッツ」がお目見えした。私は先日、その新型ヴィッツに触れて、走らせ、開発担当者の何人かとも話を交わしてきた。やはり私にとって、クルマは見るだけで判断するものではなく、「移動空間」としての資質、工業製品としてのあり方を実際に確かめて、そこから読み解きと評価が始まるものである。
ヴィッツといえば、日本では軽自動車より少し大きいだけの、いわゆるコンパクトカークラスの量販製品であり、利益幅は小さく、付加価値でユーザーを引きつけるのも難しいので、「どうやって数を売るか」だけの商品と捉えられがちだ。
しかし、もう少し広く見渡せば、世界のどこに行っても(北米は除く)「大人4人が収まって移動できるミニマムサイズ」であるこの大きさのクルマこそが、実用品としての乗用車選びの原点であり、多くのユーザーがここからクルマとの生活体験をスタートする(もちろん新車とは限らないのだが)。当然、「ボリュームマーケット」を形成するセグメントともなっている。
ここをしっかり押さえ、クルマとしての良さを体感できるような製品を送り出さないと、市場への浸透はもちろん、自動車メーカーとしてリスペクトされることも望めない。とりわけヨーロッパは、そうした土壌が根付いている。
最良のスモールカーをデザインするのは最も難しい
もう1つ別の視点からの大切な話をするならば、このカテゴリーに求められる「必要にして十分な」移動空間を、「無駄や余裕に甘えることは許されない」中で生み出すという知的創造作業は、自動車のデザインにおいて最も難しい分野である。
ここで言う「デザイン」とは、姿形をいかに装うかではなく、発想から設計、そして造形までを包括した本来の意味で使っている。つまり、最良のスモールカーは「知恵の塊」なのであり、作り手はそこを目指すべきである。
自動車の近代史、すなわち大衆性の高い工業製品となってからの時代を振り返ってみても、例えばフォルクスワーゲンの、俗に言う「ビートル」(正式には「タイプ1」)、BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)の「ミニ」(もちろん1959年登場のオリジナル)、初代フォルクスワーゲン「ゴルフ」などは、まさにこの「知恵の塊」であり、それが最終的に造形にまで表現されていた。そして、何よりも同時代の凡庸なクルマでは得られないような充実した移動体験を人々の記憶に刻むことができた。それこそが「名車」の条件なのだ。
日本の乗用車の歴史の中でも、例えば富士重工業の「スバル360」「スバル1000」、ホンダの初代「シビック」などは、この「無駄のない凝縮された移動空間」を、それぞれの時代に求められたサイズと性能において実現し、しかも、技術的創造性が十二分に発揮された好例と言えるだろう。同時に、走りの資質に関しても、同時代の国産車のレベルを脱した存在だった。
1999年に登場したヴィッツの初代モデルもまた、この難しいテーマに当時のトヨタ自動車の「知恵」を結集して取り組んだ成果物だった。
そういう話は、一般にはあまり伝わっていないと思うので、ここで簡単に紹介しておきたい。
欧州の小型車に見劣りしていた「スターレット」!
その直前、トヨタがコンパクトカーセグメントに投入していたプロダクツは、車名としては「スターレット」。車両型式表記としては「EP90系」と呼ばれるものだった(最初のアルファベット「E」がエンジン系列を示し、その次の「P」が車種、後半の数字が世代と車型類別を示すのがトヨタの命名法)。
ここで車種を示す「P」の原点は、「国民車構想」に呼応して開発された「パブリカ」、60年登場の「UP10」である。この初代パブリカもまた意欲作であり、記憶に残るものではあったが、名車に数えられるべき存在かとなると・・・。
自動車の歴史を振り返ると、空間設計、機構設計、それを包み込んでクルマとしての資質を表現するスタイリングに至るまで今日的なコンパクトカーの出発点となったのは、74年登場の初代「ゴルフ」だった。
そこからもう一段凝縮して、4人乗り実用車としてミニマムとなる空間、走行性能を実現したのは、83年登場のフィアット「ウノ」だった。これは、私自身がそうしたクルマたちを国内外で体験してきた中で実感したことだ。
これらの「先駆者」たちが先導する形で、欧州では、居住空間と走行機能要素をきっちりと組み立てた「健康な」パッケージングを持つ製品を、各国の主要メーカーそれぞれが送り出す時代を迎える。例えばオペル「コルサ」(日本では一時「ヴィータ」の名で販売されていた)、ルノー「クリオ」(日本名は「ルーテシア」)、プジョー「205」、フォルクスワーゲン「ポロ」などなど。
それらと比べると、日本のコンパクトカーはいささか実力不足、と言わざるを得なかった(今でも・・・、だが)。
そうした中でもトヨタは、北米市場を軸に世界展開を進め、生産台数ではすでに世界第2位に到達していたにもかかわらず、そのラインアップのコンパクトカーレンジを受け持つスターレットは、世界の、特に欧州のトレンドや製品群の実力と比べれば明らかに見劣りするものだった。
私などは「外野席」からそう言い続けていたわけだが、実はトヨタの製品開発に携わる人々の中にも、そこに問題意識を抱く面々は少なからずいた、ということが後に分かってくる。
とりわけ、90年代に入る時期には製品開発全体を統括する立場にあり、94年には技術担当副社長となった和田明広さんは、コンパクトカーはもちろんだが、トヨタの製品とその開発・製造に関わる全てのプロセスに危機感を持っていた。それは私自身がインタビューし、あるいは折々に会話を交わす中からもヒシヒシと伝わってきたものである。
独立チームに精鋭の技術者が終結!
そして、その和田さん指揮の下、当時のトヨタのクルマづくりを改革し、技術的内容を飛躍させるべく、いくつものプロジェクトが進められた。
それが製品の形に結実した一例が「プリウス」(もちろん初代)であり、そして「ヴィッツ」とその派生モデルである。そして今日のトヨタは、この時期に敷かれた技術路線の上を走り続けているのだ。
スターレットに代わる、そして「世界(欧州)に通用する」ことを目指した新世代コンパクトカーの開発に絞って、話を進めよう。そのプロジェクトは、「NBC」と呼ばれていたと聞く。「ニュー・ベーシック・コンパクト」の略だったとか。
当時のトヨタの製品開発の組織は、「第1開発センター」がFR(エンジンを前部に縦置きして後輪を駆動する)の中大型車を担当、「第2開発センター」がFF(エンジンを前部に置き前輪を駆動する)の小中型車、そして「第3開発センター」が4輪駆動の全路面型車両や商用車をそれぞれ受け持つ、という体制だった。
新型コンパクトカーを開発するとなれば、当然、第2開発センターの中でチームを組むべきところだが、NBCにつながる最初のレイアウト検討、パッケージング構築などを行う組織は、第1開発センターの中に、独立チームの形で設けられた。
そしてトヨタだけでなく、傘下のメーカー、例えばダイハツなどからも「一本釣り」のように実力の高い技術者がここに集められた。その技術者一人ひとりの選任からして、どうやら和田さん自身が深く関わっていたようである。
このように、それまでの製品開発の流れと組織から切り離した形にして、しかも、物理的にも独立した部屋の中にメンバーを隔離する、という手法を採ったのは、後になってみれば「既存の発想や設計を下敷きにすることなく、新しいものを生み出せ」という強い思いの表れだったことが理解できる。
そして、和田副社長は少しでも時間が空くと、自らこの「開発部屋」にやって来て(現場にいた人々の言葉によれば「飛び込んできて」)、「図面を見せろ!」。もともと和田さんは車体設計が専門であり、「図面から『間違っている』部分が浮かび上がって見えてくる」という優れた技術者である。
同じ台詞は、「スカイラインの父」櫻井眞一郎さんからも聞いた(櫻井眞一郎氏は2011年1月17日に逝去された。合掌)。和田さんも櫻井さんも、試乗の現場やインタビューでこちらの考えが浅いと鋭く切り返され、常に緊張感を持ってお話ししたものである。しかし、クルマと人に対する愛情が篤いことも伝わってくる、大きな存在だった。
もちろん、部下と仕事に向かい合った時の厳しさは、私たちに対するものとは比較にならない。副社長時代、NBCプロジェクト室の技術者は、図面を広げた前に立つ和田さんの「何を考えて、ここをこうしたのか?」「ここは?」という矢継ぎ早の指摘の鋭さに汗びっしょりになったと聞く。
和田さんに「CAD(コンピューター支援設計)のプリントアウトされた図面でも、間違いが浮き上がって見えますか?」と聞いた時には、「ああ、あれはダメだ。迷ったり悩んだりした設計者の思いが(図面の)線に出ないから」という答えが返ってきたものだが、必ずしもそうではなかったようだ。
随所に盛り込まれたコストダウンのアイデア!
そうやって、新しいコンパクトカーの空間が、骨格が、機能要素が形づくられていった。
細かいところでは、リアウィンドウのワイパー1本をとっても、一般的な何本かの骨で押さえる構造のものを、デザインと機能の両面からプラスチックの一体腕で押さえるものに変えられないかというアイデアが検討された。
しかし、当然、初期投資も含めてコストが上がる。コンパクトカーにとってコスト切り詰めは絶対的なテーマの1つでもある。
さてどうするか、という時に和田さんの判断は「そっちの方が良い(製品)になるのならやりなさい」だったと聞く。ただし、「このクルマは世界に向けて大量につくることになる。その中で同じ部品を100万本単位で作ってゆけば、コストは今と同じか、むしろ下がるはずだ。そうやって使ってゆけるようなものを設計し、根拠のあるコスト計算を付与して提案しなさい」という条件がついたそうだ。少なくとも、ヴィッツからは、新しいすっきりしたデザインのリアウィンドウワイパーが採用されている。
乗員の前面に広がるダッシュボードの作り方も、製造プロセスを簡素化してコストダウンを図りつつ、「見栄え品質」は落とさないようにするため、それまでの常識を打破する発想が盛り込まれていた。従来は、まず樹脂を成形して大きな基本ブロックを作り、そこから車室内に露出する表面部位に表皮を貼り付けたり、薄い膜を作る成形作業を別に行ったりしながら、反射防止や汚れ、傷が目立たないようにするための凹凸パターンを作る絞(シボ)を刻む成形を行う、という作り方をしていた。
NBCではそれを止めて、樹脂の骨格を一発で成形したものをそのまま車両に組み込むようにした。つまり、表皮を付ける工程を省略したわけだ。
もちろん、プラスチック素材がそのまま内装表面になるわけで、それまでの常識では「安っぽく」見えてしまう。そこで表面の絞のパターンを工夫した。皮革のシワを模していた従来のパターンとは発想そのものを切り替えて、細かな幾何学模様の組み合わせをデザインにしたのである。その後、欧州のベーシックカーにも同種の手法を採る事例が現れる。
メーターを中央に設置したのも、デザインの新しさだけでなく、運転席の位置が右でも左でもダッシュボード骨格は1種類で対応し、その中央部に設けた空間に右ハンドル、左ハンドルのそれぞれに対応したメーターユニットを用意して組み込めばいい、という形にするためだった。
現実の製品にその構成を採用するに当たっては、運転中の人間の視線移動を検討し、実測し、速度や燃料残量などの重要な情報はどんな高さにどう表示すれば見やすいか、などのガイドラインを作ることまで行い、その上で実車のデザインを組み立てている。
そうやって設計したダッシュボードの各所に残った空間を巧みに利用して、小物を手元に置くためのポケットをたくさん設けたのも、初代ヴィッツ・ファミリーの特徴の1つとなった。
それも急減速や衝突時に、置いてあった物が乗員に向かって飛んできて「凶器」と化さないように、収納空間を深めにして、その入口には縁を設けるなどの工夫をちゃんとしてあったものである。
こうした配慮が足りないクルマは、今でも日本メーカーの製品に散見される。つまり、開発者、デザイナー、内装設計の担当者などに、乗員の安全性に関わる基本認識が足りない、ということだ。
当初から構想されていた派生モデルの展開!
こうして移動空間としての、また工業製品としての骨格が形作られると、肉付けが始まる。
後に「ヴィッツ」(輸出名「ヤリス」)と名付けられる基幹車種(3ドアと5ドアのハッチバックボディー)に加えて、まず、全高を高くして後席と荷室の部分の空間を大きく、荷物を運ぶなどのユーティリティーを高めた形態のモデルがつくられた。これは「ファンカーゴ」(欧州名「ヤリス・バーソ」)と名付けられることになる(その後継となる現行車種は「ラクティス」)。製品化にあたって、その後席空間の多用途性ばかりを追いかけ、「安全に着座して移動する」とうい基本機能に問題を抱えたものになってしまったのが残念だったが。
他に、ヴィッツ/ヤリスに独立したトランクを追加した形の4ドアセダンの「プラッツ」、さらにちょっとパーソナルカー志向のスタイリングにしたコンパクトハッチバックの「ist」、あるいは若者をターゲットにしたファッションスペシャルティー商品の「bB」と、様々な形態、空間設計を持つバリエーションが、このNBCプロジェクトから生み出されてゆく。今で言う「プラットホーム」としての役割も、開発当初から構想されていたわけだ。
ちなみに、だいぶ後になって加わったbBは、デザイナーがどうしても製品化したいと考え、和田さん他、上層部へのプレゼンテーションの時に、そのイメージスケッチを他の提案の上に重ねておいた。それが和田さんの目にとまり、「オレには(コンセプトが)理解できないが、だからやってみるべきだろう」と言って、ゴーサインを出したとも聞く。これは風説だけれども。
ヴィッツ/ヤリスは、当時トヨタの欧州デザインセンターに在籍していたギリシャ人の若手デザイナー、ソテリス・コボス氏が提案したアイデアを具体化した、独特の丸みと抑揚を持つスタイリングをまとって、99年初頭から日欧のマーケットに投入された。
丸みを持たせると内部空間が狭くなりそうだが、実は人間の頭、肩も丸い形なのであって、その身体から適切な距離を取ったところにガラスや内壁を置くことで、十分に「住み心地」の良い空間を形づくることは可能だ。
初代ヴィッツの空間設計も、まさにそのセオリーにかなったものであり、さらにドアなどの内装では肘の横などに当たる部分を窪ませた立体成形にするなどして、上手に人間を座らせ、包み込んでいたのである。
「動質」の部分だけは残念だった!
そして初代ヴィッツは、トヨタ社内の型式名も「CP10系」(もちろんその前にエンジン型式を示すSかNが付く)として、パブリカ~スターレットの流れから訣別したことを表している。
つまり、凝縮されたパッケージングと、その中に作られ、仕上げられた空間の居住性、過剰なものを省きつつ実用性はしっかり織り込み、それを新しいデザイン表現で見せるところまで仕上げたのが、初代ヴィッツ/ヤリスだった。
ただ、実際に走らせてみると、ステアリングの感触、つまりドライバーにとってタイヤと路面の中で起こることとの「対話性」に始まり、路面を踏んでタイヤが転がり、そこからの動きを受けて車体が揺れ、舵を動かして進路をコントロールしつつ、タイヤのグリップを引き出してクルマ全体の動きを作ってゆく・・・という自動車にとって何よりも大切な品質、「動質(クオリティー・オブ・ダイナミックス)」の部分で、私は「画龍点睛を欠く」と評したものである。
当時のレベルにおいて、まずまずの実力を持つと受け取ったのは、ダイハツ工業が開発した1リッターのエンジン「1SZ型」ぐらいだった。
小さいからこそ、言い換えれば人間がタイトに包まれ、タイヤの存在と力を感じ取りやすく、運動する質量が軽いということは、ドライバーにとって自分が動かしている「箱」の運動がつかみやすく、操りやすいことにつながる。
これは、欧州のスモールカーの良品が共通して持っている感覚である。走っている実感が伝わり、安くて小さいクルマなのに、運転することが楽しい。だから普通に移動する中で、ドライバーだけでなく同乗者も含めて皆、何となく楽しげな顔をしている。それが「良いクルマ」。
初代ヴィッツは、そうなり得る資質を感じさせつつも、しかし現実には全ての感触がフワフワと甘口で、それでいてステアリングの機構から伝わる感触や路面の凹凸を踏んだ衝撃の伝わり方などはがさつだった。
そこは、トヨタが既存のトヨタ流レシピ(クルマ料理法)をリセットして、もっと深く難しいレベルを追求してゆかないと、改善や進化が難しい領域である。
しかしその停滞は、後でもまた紹介するが、今もまだ続き、いや、むしろルーティンワークに終始する傾向が強まっており、ものづくりとしては劣化傾向にある。着実に進化を続けて世界のクルマづくりをリードする人々、組織との「差が拡大している」というのが、ここでもまた私の実感である。
初代ヴィッツを市場に送り出した時、私ごときに「画龍点睛を欠く」と言われたことがもしも伝わったなら、厳しいとともに負けず嫌いでもあった和田さんは、きっと苦笑いされていただろう。
副社長時代も、開発現場に飛び込むだけでなく、自らクルマを運転して気に入らないところがあれば開発担当者を叱咤し、我々報道関係者の試乗会の現場に出張した開発担当者、技術者の日々の報告にまで目を通していたという和田さんだから、おそらくどこかで私の発言や記事も確認されていたのではなないかと思うのだが。
ともあれ、この初代は成功した。そこまでに注がれた知恵と人々のエネルギーの大きさを知れば、そのモデルチェンジが簡単にはゆかないことは、専門家でなくても十分に理解できるだろう。次回は2代目以降のヴィッツと、そのクルマづくりの変容について見ていく。
急成長期に入った中国のオンラインショッピング!
2011.01.31(Mon)JBプレス 山谷剛史
中国の沿岸部から内陸部に至るまで、およそ都市という都市では市場がネットに侵食されつつある。これまでブランドショップや家電量販店や電脳街などで購入をしていた若い消費者がオンラインショッピングに流れているのだ。
店舗から中国の若者の姿が消えた?
以前、こうしたリアルな店舗の客は若者が多かった。しかし、最近は売り場でお洒落な若者の姿を見ることがめっきり少なくなった気がする。
わずかな期間で店の変化がはっきり認識できるほど、オンラインショッピングの利用者が急速に増えているのだ。
まずはデータを紹介しよう。
中国のオンラインショッピング利用者は、インターネット利用者4億5700万人の35.1%に当たる1億6051万人(CNNIC調べ)。1年前の調査結果では1億800万人、2年前の調査結果では7400万人なので、いかに急激に利用者が増えているか分かるだろう。
そのほとんどが「淘宝網(TAOBAO)」というサイトを利用する。
ネットショッピングへの不信感!
中国では淘宝網を「個人対個人取引(C2C)」と称しているが、企業が同サイトでネット店舗を運営するケースが当たり前となっているので、オークション形式ではない即落札のヤフーオークションのようなものだと思えばほぼ間違いはない。
ただし、このサイトは利用者は多いのだが、実はここで頻繁にオンラインショッピングを利用する消費者はそう多くない。1回当たりの購入額は500元(約6500円)以下がほとんど。
中国在住の筆者の実感としても、たまに頻繁に買い物をする人は見かけても、高い買い物をしている人は滅多に見られない。
この原因として不信感がある。
近年のオンラインショッピングの利用者増加とともに「不良品を送りつける」「ニセモノを送りつける」、ひどい場合では「携帯電話購入客にモックアップを送りつける」などといった悪徳業者が増加し詐欺事件も頻発している。
中国らしい「騙される方が悪い」!
中国版「消費者センター」への苦情も淘宝網絡みのトラブルばかりが目立つようになった。
CNNICの調査報告「2009年中国網絡購物市場研究報告」によれば、オンラインショッピング利用者の13.2%が「嫌な経験をした」とし、その理由は上位から「写真と異なる商品が届いた(52.3%)」「ニセモノ(25.0%)」「不良品(22.7%)」となった。
日本でも人気のグルーポンでおせち料理を買った人たちが、写真とは似ても似つかぬ料理が届いて大きな問題になっていたが、淘宝網ではそんなトラブルが後を絶たない。
実店舗での取引の時代から「騙される方が悪い」と開き直る悪徳業者は中国では絶えず、オンラインショッピング普及で初めて問題化されたわけではない。
そうした悪しき商習慣を防ぐべく、淘宝網は支払いシステムを商品到着後の後払いとし、当時中国でも最もシェアの高かったイーベイを抜き去り消費者の支持を得た。
急速に人気が出始めたB2Cサイト!
ところが、そうした詐欺防止のシステムを提供してもなお、詐欺に遭う消費者が絶えないのである。
そこで、最近注目されているのが、得体の知れない売り手ではなく、信用ある企業が自社ブランドを懸けて販売する「企業対個人(B2C)」のオンラインショッピングサイトだ。
「淘宝網」のB2Cサイト「淘宝商城」を筆頭に、書籍が主力の「アマゾン中国」や、同じく書籍がメーンで最近ナスダックに上場したばかりの「当当網」、アパレルの「VANCL(凡客)」、家電に強い「京東商城」、ベビー用品をはじめとした女性向け商品に強い「紅孫子」あたりのサイトが上海や北京を皮切りに「知る人ぞ知るサイト」として人気を博している。
特に淘宝商城は、中国地場企業を中心に多くのメーカーやアパレルなどのメーカーがネット旗艦店を出し、タイムセールを行っていることで、淘宝網の知名度との相乗効果により最も人気のB2Cサイトとなっている。
また、ユニクロのネット旗艦店は実店舗同様に成功を収め、売り上げに貢献しただけでなく企業の知名度を高めた。
中国で始まったショッピングデバイド!
「安くて信頼できる」として、オンラインショッピングサイトや中国版ツイッターもどきやフェイスブックもどきに真っ先に飛びついた先進的ネットユーザーがB2Cサイトに飛びついている。
彼らの口コミなどで徐々に利用者が増え、最近では中国全土の都市部でB2Cサイトでの買い物が「賢い買い物」だと認知されるようになっている。
価格の高い商品がオンラインで安心して買えるようになったことから、淘宝網の人気にも影響をそれほど受けなかった家電量販店や電脳街では顧客が激減、店舗では遠方の農村からの顧客やインターネットを利用しない中高年ばかりが目立つようになった。
また、携帯電話販売店では、オンラインショッピングサイトを知らない地方出身の出稼ぎ労働者や大学生ばかりが利用するようになっている。
そこで、中国の蘇寧電器や国美電器などの家電量販店は、インターネットおよびオンラインショッピング利用者の少ない小都市への展開に活路を見出している。
小型の電気店が減少し始めた!
また中国の家電メーカーは、週末や連休になるたびに繁華街に特設販売ブースを出し、ネット旗艦店よりは高い値段なのに「家電量販店よりも安い特別価格」と称してテレビを販売し、地元の中高年や郊外から遊びに来た人々を惹きつけている。
インターネットが利用できる層とできない層が分離し、それぞれ顧客層が一定数以上いるためにそういった売り方が成り立つのである。
ユニクロはネット旗艦店で成功を収めたが、一方でリアル店舗でもバーゲンを行うため客の入りはいい。他のアパレルブランドにしてもしかりである。
一方で小さい都市に移動ができない電脳街では、中国を代表する電脳街「中関村」をはじめとしていよいよ店舗数が減少し始めている。
儲からないためにお客を騙してでも利益を上げようと躍起になり、結果としてさらに実店舗離れが起きるというネガティブスパイラルに陥っている。
日本企業よ、このチャンスを生かせ!
オンラインショッピングが急成長する中、実店舗でも勝ち組と負け組に分けられてきているわけだ。実店舗とネット旗艦店では客層が違うため、それぞれに違ったアピールをする必要がある。
中国では、先進的なユーザーが淘宝商城などのB2Cオンラインショッピングサイトで本格的に買い物をし始めたばかり。
これから「信頼できて安いオンラインショッピングサイトを利用したいというニーズ」の増加が確実視される中、この流れに乗らない手はないのではないか。
また、B2Cオンラインショッピングサイト同士の競争が激化してきている中で、安価な配送費を武器に運送業者がオンラインショッピングサイト投入に意欲を見せる。
このほか、イタリアの高級ブランド、アルマーニなどの世界的ブランドメーカーも「高額でも本物だから信頼して買ってくれる顧客がいる」として参入に意欲を見せている。
高額で高品質の日本製品はオンラインと相性が良い!
今や中国でモノを売りたい企業にとっては、最も知名度の高い淘宝商城への旗艦店出店は特に意味がある。楽天の中国版「楽酷天」も将来有名になればそこでの出店も有意義だろう。
旗艦店を出店し競争力のある価格の商品を提供することによって、それまでの実店舗では値段が高くて地場メーカーを選んでいた消費者の一部が飛びつき、彼らは間接的に企業の広告塔となるだろう。
日本の商品は高額だが高品質の製品であり、ニセモノが出やすい製品でもあり、消費者視点では従来の淘宝網では利用しづらい。
今後中国で「信頼されるB2Cショッピングサイト」がメジャーなサイトになっていくからこそ、中国でモノを売っていきたい日系企業は早めに旗艦店を出店したいところだ。
「日本で売れるから中国でも売れる」「高いものほどよく売れる」の迷信 !
2011年1月28日DIAMOND online 姫田小夏 [ジャーナリスト] China Report 中国は今
中国消費市場への売り込みが熱い。特に1人当たりGDPが1万ドルを超えた、所得の高い上海市場に向けての、日本企業の猛攻撃が始まっている。しかし現実は甘くはない。むしろ指摘されるのが日本企業の上海市場に対する認識の甘さだ。「日本で売れるから中国で売れる、だからそれで一儲けできる」といった迷信に踊らされる日本企業が足元をすくわれている。
「なぜか、日本人は上海で日本酒が売れると勘違いしている」
2010年11月に上海で行われた食品見本市を訪れた。日本勢が多数のブースを構えるなか、とりわけ目立ったのが日本酒のピーアールだった。彼らの期待感は小さいものではない。なぜなら昨今は大陸の中国人も日本料理を受け入れるようになったからだ。
上海のショッピング街に出店する日本料理の大手チェーン。フロアを見渡せば、ほとんどが中国人客だ。テーブルでは慣れない手つきで日本酒を手酌する30代とおぼしきグループがちらほら。これまで日本酒の飲み手といえば香港人や台湾人が主だったが、ここにきて地元の消費者が関心を示すようになった。
「上海の日本酒市場は広がっている」という見方もある一方で、「いや、上海市場はかなり厳しい」と率直に漏らす酒造メーカーもある。
筆者は上海の食品商社を取材した。中国人経営者のAさんは「なぜか、日本人は上海で日本酒が売れると勘違いしている」と話す。中国の一般消費者で日本酒をたしなむのはごく少数に限られているため、この食品商社はもっぱら業務用として日本料理店に納めている。
上海の日本料理店ではここ数年「久保田」「八海山」など、日本から輸入した日本酒のラインナップが増えた。だが、現実には、日本料理店に限定されたマーケットで、日本から輸入した日本酒の販路を広げるのは難しいようだ。
「ワインならば一般家庭にも歓迎され、中華料理にもよく合う。それに対して日本酒は普及の範囲が非常に狭い。しかも徳利にお猪口と特殊な飲み方が求められる。まだまだ人気とは言えないし、そう簡単には売れないのです」(Aさん)
地元中国人らが日本料理店で注文するのはたいていが「食べ呑み放題」、このメニューに含まれる日本酒は合成清酒である傾向が強いとも言われている。Aさんは「輸入した日本酒を扱うのは高級店を中心に、せいぜい50店舗程度」だと指摘する。
上海には日本料理店が500~600店あると言われているが、今後の戦略の重点はむしろ中華料理店ではないだろうか。日本酒を食品スーパーの棚におくよりも、まずは刺身を出すようになった中華料理店が狙い目だ。だが、足かせもある。
「蔵元はいいお酒を作るが小規模、小ロット。日本酒は大きく商売ができない。仮に人気が出たとしても量が出せないので商売としての限界があります」(同)
日本ブランドは売り込みが難しい。多品種小ロット型は日本では魅力に富んでいても、異国の市場では「知名度がない」「量が足りない」というハンデにすり替わってしまう。
中国産の4倍の価格で通用するか?シャボン玉石けんの挑戦!
北九州市に、無添加石鹸を製造するメーカーがある。
シャボン玉せっけん株式会社の主力商品である「シャボン玉石けん」は70年代に発売された。発売に至った背景には、日本の高度経済成長で便利かつ安価な化学物質が氾濫した結果、アトピーやアレルギーなどの皮膚疾患が急増したことがある。
時代は成長真っの只中にある上海も当時と重なる。
かたや日本の市場では液体石鹸が主流となり、固形石鹸が押され気味。シャボン玉石けんもまた「座して死を待つのか」という選択を迫られている。当然、海外市場を模索せざるを得ない。
見かけは地味なこの商品は、1個20元の価格が設定されたのだが、上海市民は歓迎するのだろうか。上海では国産地元ブランドの石鹸が1個5元程度で売られている。果たしてその4倍の価格を払ってでも「安心安全」が欲しいという客層は存在するのだろうか。そんな疑問を駐上海北九州市経済事務所所長の岩田健さんにぶつけると、こんな回答が帰ってきた。
「たった1週間で、日本円にして合計60万円を売り上げたんですよ」
2010年8月下旬に行われた上海の梅龍鎮伊勢丹での催事では、平日で1日当たり5000元、土日で1日当たり1万5000元を販売したと言う。日本でならこの売上げはあり得ない。1日1万円がいいところだ(1元=約12.5円で換算)。
購入者はOLが目立った。また、石鹸の販売員として雇われたアルバイトの女性が買って行くケースもあった。彼女たちのバイト料は1日150~170元。そんな薄給の彼女たちが20元のシャボン玉石鹸を買って行った。
色は真っ白、匂いはない、何より界面活性剤(合成界面活性剤)を主成分とする合成洗剤とは異なる。洗った感触が他とは異なり、ツッパリ感が少ないため、「体にいいかどうか」がすぐに実感できるのだ。
愛用者の1人、Lさん(上海在住、28歳)は「さすがに20元は高いと思いますが、父に固形石鹸をプレゼントしたら喜んでくれました。母には粉石鹸を。品物選びにはうるさい母が満足したのでびっくりです」と話す。どうやら一家で愛用しているようだ。
コピーできない、する手間がかかる“中国が作れないもの”を売る!
一方で岩田さんは「中国の国産品にはないもの、真似したところで手間がかかり、中国メーカーが造れないものを商品として送り込むことが重要なヒントです」と語る。
形あるものはすべてコピーされても仕方がない――。上海市場で闘おうとする日本企業はこうしたことをも覚悟しなければならないのかもしれない。それだけに敢えて真似されないものを出していくという視点が必要になるのである。
ところで、シャボン玉石けんの中国進出にはもうひとつ隠れたエピソードがある。このシャボン玉石けんに魅せられた中国人がいたのだ。THF株式会社(東京都)の社長、陳相秋さんが「中国で売らせてほしい」と挙手したのが始まりだという。
「きっかけはテレビ番組。シャボン玉石けんが紹介されたのを見て、これはおもしろい!と。直後、北九州の工場訪問を見学に行きました。訪れてびっくり、工場は一切匂いがない。石鹸すなわち化学工場、化学工場なら異臭は当然だと思っていましたから。健康そのもののものづくりに、即座に代理店になりたいと申し出ました」
目下、対面販売を通して、石鹸を認知させることに取り組んでいる。「ターゲットとする消費者は女性。冷静で、情報量も購買力もある。女性を説得できれば中国制覇も夢じゃない」と陳さん。この手応えに2、3年後には年間500万元の売上げを視野に入れる。
生活の質向上ニーズを捉えろ!次に中国市場を狙う健康食品!
北九州市が生活の質を向上させたいという急激に変化する上海社会ニーズに対し、次に上海に売り込みをかけようとしているのが「くろがね堅パン」だ。
「健康はアゴから」の発想で作られた無添加、無着色の鋼(はがね)のように堅いパンは、大正時代末期、官営八幡製鐵所の従業員のカロリー補給食として開発され、八幡製鐵所で作られたのが始まりだと言う。「時の洗礼を受けた地味な商品」もまた、真似されにくい商品であることは確かである。
昨今、上海市場では青汁も販売攻勢をかけるようになった。健康食品とはいえ、日本人ですら手に取るのはなかなか難しい、くせのある商品だ。上海でプロモーション活動を積極的に行うのは株式会社健康美人フォーラム(東京都)の日吉美生さん。「商品説明を丁寧に行えば買ってくれるんです」と感触を語り、「自らが販売姿勢を示さないと」と現在1カ月に2回は上海に足を運ぶ。
販売現場での最大の難問は、“誰がそれを売るのか”!
所得の高い上海市場をターゲットに、まずは対面販売でマーケットを拡大。そこでは消費者への商品説明がカギとなりそうだ。だが、日本人担当者が現場を離れたとき、その丁寧な商品説明は維持できるのだろうか。
現地での最大の問題は、商品はあるが売る人がいないということだ。マニュアルを作成しトレーニングを繰り返すものの、営業力は一朝一夕では育たない。経営者自らが乗り出すケースもあるが、百貨店など小売業態の中には、メーカー側のスタッフが直接売り場に立って販売する行為を禁止するところもある。一歩進めば1つまた壁にぶつかる、上海市場の開拓はその繰り返した。
最後になったが次のようなエピソードを紹介しておこう。最近、上海で筆者はこの手の話をよく耳にする。
ある日本人が商品のサンプルをスーツケースに押し込んで上海に持ち込んだ。そして、知り合ったばかりの中国人を前にサンプルを押し付けた。「これ、ちょっと配っておいてよ」――。当然、応分の対価は支払うだろうが、それにしてもあまりに舐めきった態度ではないだろうか。軽い気持ちで頼んだものは、軽い気持ちで扱われても当然だ。今、某社にはサンプルが詰め込まれた段ボールが埃を被ったまま、放置されている。
この複雑にして攻略至難な市場を甘く見てはいけない。中国市場、決して「出せば売れる」わけではないからだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20110120-00000052-nnn-soci
時事通信 1月22日(土)
冬の高級魚、日本海産の「寒ブリ」が今年は記録的な豊漁に沸いている。卸値もこの時期としては異例の安さ。ここ数年、庶民の口になかなか入らなかった高根の花が店頭でも人気を集めている。
脂が乗った上質なブリで知られる富山湾の定置網漁は、昨年の12月下旬から1匹10キロ前後の漁獲が活発化。富山県氷見漁港の1月の水揚げ量は中旬までで計約7万4000匹と、不漁だった昨年の約70倍に急増している。
豊漁だった2006年と比べても約3倍で、「寒ブリの季節にこれほど忙しいのは本当に久しぶり」と同漁港の関係者も驚きの表情。京都府の舞鶴湾や石川県沿岸でも同様に活況が続いている。
昨年末からの大量水揚げについて、日本海区水産研究所(新潟市)は「この海域ではもともと6キロ以上のブリ資源が良好な上、強い寒気が入って北陸沿岸まで魚群が南下してきた」とみている。
東京・築地市場(中央区)でも1月の天然ブリ入荷量は中旬まで、日本海産を中心に昨年のほぼ2倍と好調。卸値は、1匹6~7キロの中型だと最高級の氷見産でもキロ当たり800円前後で、昨年の半値以下。
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