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佐賀県
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%B3%80%E7%9C%8C
古川康
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%B7%9D%E5%BA%B7
※「古川康のパワフルコム」(http://www.power-full.com/ )
INSIGHT NOW 編集部
第1回 「地方栄えてこそ国が安まる」
■一都栄えて、万村枯る
「沖縄、長野、岡山、長崎、そして故郷の佐賀。自治省にいた私は、地方をずっと見てきました」
古川知事は旧自治省(現・総務省)出身、2003年に行われた知事選挙に無所属で立候補し初当選、2007年の知事選で再選を果たしている。キャリア官僚時代は、東京と地方を行ったり来たりする生活を続けていた。そんな中である思いが、いつしか自分の中で一つの確信にまで結晶化されていったのだという。
「ひと言で表すなら一極集中をやめること。これに尽きます。お金も人もすべて、いったん東京に集めてから、地方に再配分する。こうした国のあり方はもう限界に来ている。地方そのものがもっと自立して、きちんと元気で有り続けられるような国づくりをしたい。これが私の原点となる政治哲学です」
東京だけが栄え、ほかの地域が疲弊する。そんな現状を何とか打破したい。こうした思いを知事が抱いたのは、今をさかのぼること四半世紀前、自治省入省時のことだったという。
「小学校、中学校から高校ぐらいまでは地元で育ててもらう。ところが大学は都会に出て行き、就職してもふるさとには戻ってこない。帰ってくるのは人生の終盤、もはや稼げなくなってからというケースが多いのではありませんか。地元のお金を使って育成した人材なのに、稼ぐ場所は都会、そして最後の医療費はまた地方が負担する」
なぜそうなるのか。残念ながら地方には、魅力的な進学先や就職先が見つからないからだろう。それが現実なのだ。
「だからこそ、生まれたところを離れなくても、自分のやりたいことや送りたい人生を実現できる。そんな世の中を作りたい。まず佐賀県がそのモデルを全国に先駆けて見せたい。強くそう思うのです」
強い思いを抱いて古川知事は、地元佐賀に戻ってきた。知事の思いの強さが、佐賀の人たちの心に着実にしみ通っていったのだ。
■コンパクトな佐賀県だからできること
「佐賀県の人口は、ざっと85万人。これが隣の福岡となると一挙に6倍、500万人ぐらいになります」
圧倒的な人口差である。人口がそのまま県の勢いの差になるとはいえないが、少ない人口が有利に働くとは考えにくい。
「ところが一概にそうはいえません。人口だけでなく佐賀県は面積も決して大きい方ではありません。しかし、もし私が岩手県や北海道の知事を任されていたら、途方に暮れていたかもしれませんよ(笑)。自治省時代にお世話になった長野県にしても北の端から南の端まで行こうと思えば、一日仕事でしたから」
コンパクトであるということは、きめ細かく地域の隅々まで目が行き届くメリットを生むわけだ。とはいえやはり人口が多ければ発言力も強くなるのが、物事の道理である。6倍強の人口を抱える隣県の存在感は大きいのではないだろうか。
「確かに同じ土俵で同じ議論をしていては、福岡にリードされるリスクは避けられないかもしれない。そこで意識しているのは、常に時代に先駆けた動きをすることです。まだ誰もやっていないことをいちはやく実行する。大きな渦に巻き込まれるのではなく、渦そのものを自分たちで創り出すことが大切なのです。その意味ではコンパクトさはむしろ武器になります」
孫子の兵法である。大きな相手に対して、真っ向から勝負を挑むのではなく、小回りの良さを効かせて、先に先にと動いていく。相手に動かされるのではなく、つねにイニシアティブをとり自分が相手を動かす方に回る。先を読む思考があればこそ、いちはやく道州制の理想的なあり方についての提言も古川知事はまとめていた。
「もっとも、現実的には民主党政権の中で道州制の議論を本格化させていくことは難しいでしょう。ただし民主党は、これまで地方主権、地方分権を主張してこられた政党であり、国づくりについての基本的な方向性については、私を含めて知事会のメンバーと共有できています。その意味では今後に、非常に期待しています」
知事はいま、総務省の顧問を務めている。その総務省の大臣は、佐賀県選出の原口議員である。しかも原口大臣は、野党時代の民主党でネクスト総務大臣を任命されていた。
「総務省人脈も活かして、地域主権が一歩や二歩レベルではなく、十歩も二十歩も進むようにプッシュしていくつもりです。大切なのは、いつも現場。これだけは絶対に間違いのないことですから」
古川知事が強調する現場へのこだわりは、自治省キャリア時代のあるエピソードによって、不動のものとなったという。そのエピソードとは何だったのだろうか。
第2回「事件はいつも、現場で起こっている」
■こうして国宝は生まれた
「実は国宝を作ったことがあるんです。過去の話ですが」
もちろん国宝は、作ろうと思って作れるものではない。しかし、実際には自治省キャリア時代の古川氏の判断、行動があったからこそ生まれた国宝がある。その名を赤韋威鎧(あかがわおどしよろい)という。
「岡山県で財政課長を務めていたときの話です。教育委員会から、この鎧を買いたいと相談を受けました。値段を聞いてびっくりですよ、何億円もするというのだから。財政窮乏時に何をいってるんだと。ただ、そんなに高いということは、もしかしたらよほど価値があるのかと考え、とりあえず調べてみました」
東京国立博物館の刀剣の担当の方に電話した古川氏が聞いた相手の第一声は「よかったあ」だったという。岡山県が買うのなら日本の宝は安泰だと。件の鎧は知る人ぞ知る銘品、少し鎧のことをかじった人間なら、誰でも知っている宝物であり、平安朝末期の鎧は、国内にはもうこれ一つしか残っていない。話を聞いて古川氏は腹をくくった。
「仮に県が買えばどうなるのかと尋ねると、即座に返ってきた答えは『間違いなく国宝になる』でした。今のところ個人の所有物だから国宝にはなっていないけれども、県が持てば必ず国宝になる。そう念を押されました」
現場にいる古川氏には、背景も含めて事情は痛いほどにわかった。とはいえ予算がない中での数億円というのは、非現実的な数字だ。
「一応、上にお伺いを立ててみると総務部長さんは『?』みたいな反応です(笑)。『キミ、まさか買うつもりじゃないでしょうね』と完全に冗談扱い。買った方がいいんじゃないでしょうかと副知事に言ったら『気でも違ったのですか』と笑われました」
現場と上層部の間にあるどうしようもない温度差を感じた古川氏は、この件については判断保留とし、知事に最終決裁を仰いだ。英断である。しかも知事に話をする前には用意周到、隠し球も用意しておいた。
「間違いなく国宝となる岡山の宝が、このままでは東京に行ってしまう。それでは『大包平』の二の舞じゃないですか。あなたが知事の時に、またもや岡山の宝を手放す失態を演じていいのですかと迫りました」
大包平とは池田藩の秘宝とも言われた名刀である。昭和30年代に池田家から岡山県に購買を持ちかけられたが、県はこれを拒否。いま、その名刀は東京国立博物館でも一、二を競う名物となっている。ストーリーテリングの妙というべきか。この説得に促された知事は購買を決意した。
■権限は現場に移すべし
「話が決まった後は、もうコテンパンでした(笑)。予算を絞るのがお前の仕事じゃないか、それが余計な買い物をしてどうすんだって。でも、赤韋威鎧はそのあと間もなく国宝に指定されました。私が現場にいたからこそできた仕事だと誇りに思っています」
まさに事件は現場で起こるのだ。もし話が持ちかけられたとき、岡山県の財政課長が別の人物だったらどうなっていたか。歴史に『if』を考えても意味はないのかもしれない。しかし、この一件で現場の判断の重要さを身を以て理解した古川氏は、その学びを自らの県政で活かしている。
「ところで県庁内で異動希望を出してもらうと、圧倒的に人気を集めるのが観光課です。どうしてだか、わかりますか」
何となく浮かれた気分になるから、などという不真面目な理由ではない。真相はまったく逆、職員はもっと仕事をしたいのだ。
「観光課なら法律で縛られることが少ないからです。自分で考えて、自分で動ける。自由にやってもらうと、皆さんとても良い仕事をされる。霞ヶ関から出向している人たちもそうです。県庁に来ているときには、すばらしい仕事をされる。ところが、霞ヶ関に戻ると、どうもくすんでしまう」
組織の難しいところなのかもしれない。組織を組織たらしめるのは決まり事である。組織が大きくなればなるほど、決まり事も微に入り細を穿つようになる。せっかくの個人の意気込みもルールの網に絡め取られてしまい、勢いを失ってしまうのだ。
「県庁に入ってくる人たちは、難関を突破してくるわけですから、みんな優秀な人たちばかりなのです。個人として優れた能力を持っているのに、組織に入ったがために光を失うとしたら、それは明らかに組織の問題でしょう。知事になってまず取り組んだのが、この問題を解消することでした」
組織風土を変えるためには、思いきった荒療治が必要。と思いきや、古川知事は、実に意外なやり方で佐賀県庁に変化をもたらす。それもコストも時間もかけずにだ。知事のとった秘策とは、どのようなものだったのだろうか。
第3回
「時間も、コストもかけずにできるからこそ改革」
■おのおの方、名を名乗れ
「ひらめいた瞬間、ビンゴって思いました。いけるという確信がありましたね」
知事に就任した古川氏が、いの一番に県職員に指示したこと。それはものすごく単純なことであり、もちろん誰でもできる。実施するために何かコストがかかるかといえば、そんなことも一切ない。
「簡単ですよね、電話を受けたときに自分の名前を名乗るだけなんですから。条例も規則も変える必要はまったくありません。誰でも、次に電話を取った瞬間から実行できるはずでしょう。しかも、まわりのみんながやり始めれば、誰だってやらざるを得なくなる」
しかし、県庁には4000人近くの職員がいる。大きな組織である。これだけの人間が、いくら簡単とはいえ、「せーの」で一気に同じように動くものだろうか。
「びっくりするぐらい早く浸透しましたね。一ヶ月後には9割以上の職員が名乗っていました。これで『いけるな』と力強く思いました」
ヒンズーの教えによれば「行動が変われば習慣が変わり、習慣が変われば人格が変わる」という。電話を受けたときには、まず自分の名前を名乗る。ただ、それだけの行動の変化は、確実に県職員の人格を変えていった。
「全国を営業で回っている人からおほめの言葉をいただくのです。佐賀県庁の方は、みなさんとても親切だと。少しでも迷っていたら、すぐに声をかけてもらえる。これが他の県庁だったら、そうはいかないようです」
県庁新館一階には総合案内ブースがある。そのまわりには、不思議と明るく華やいだ感じが漂っている。日当たりのいい場所にブースが設置されていることはもちろん、そこから響いてくる声がとても耳に心地よいからだ。
「もちろん、なかなか動けない人もいます。その人たちのことも理解できるのです。県庁に入って30年ほども続けてきたやり方を、今さらいきなり変えろと言われても、それは難しいでしょうから。彼らにだめ出しするつもりはまったくありません。ただ、私が知事になって7年、その間に入ってきた職員には、今のやり方が当たり前になっている。この人たちを育てていくことが大切なんです」
知事の視点は、未来志向なのだ。
■汝、考える葦になれ
「組織改革も断行しました。できるだけ現場に権限を移譲することが狙いです」
佐賀県は本部制を採っている。統括本部、くらし環境本部、健康福祉本部、農林水産商工本部、県土づくり本部に経営支援本部。統括本部を司令塔とするカンパニー制といっていいだろう。その狙いは何だったのか。
「いわゆる総務部をなくすことです。総務部だけではなく人事課も財政課もなくしました。その代わり現場が現場に集中できる体制を整えたかったのです」
現場感覚を重視する知事ならではの組織体制である。やる気のある職員なら、当然やりがいを感じるはずだ。
「誰がやっても同じ答えになるような仕事は、もうコンピュータがやる時代でしょう。そうではなくて職員がやるべきは、人によって答えが違う仕事だと私は思います。現場で自分が判断する。自分はこう考える、私はこう思う。考えた結果は違って良いのです。ただし、自分の考えには責任を持ってもらいたい」
やわらかな語り口とは裏腹に、職員に求めることは厳しい。国が下ろしてくる通達や要綱に従い、粛々と物事を進めるのは、頭の良い職員にとっては簡単な業務である。ところが自ら問いを立て、答えを求めるとなると、これまでとは違う頭の使い方をしなければならない。
「議論をして欲しいのですよ。自分の考えをはっきりさせてもらいたい。九州新幹線西九州ルートや九州国際重粒子線がん治療センターのように大きなプロジェクトを動かしていくためには、キーパーソンの動きが決定的に重要なのです。そういう人物を一人でも多くピックアップしたいのです」
だから知事は、人事に際しても独自の視点を持っている。配属希望の理由に注目するのだ。
「今まで自分はこういうことをやったことがない。だからこそやってみたい。こう考える人を私は登用します。やったことがあるから、やらせてくれ、ではありません。ただし誤解しないでいただきたいのは、制度のかちっと固まったところできちんと仕事をする人を評価していないわけではないということ。組織運営には適材適所が大切だと考えているのです」
県庁改革を進める知事は今、企業改革の手法を取り入れようとしている。トヨタのカイゼンである。しかし製造業の手法を、どうやって県庁業務に応用しているのだろうか。
最終回 「視察に行く県から、視察団が来る県に」
■カイゼンに学ぶスマイルプロジェクト
「トヨタさんのカイゼンを勉強に行きました。スマイルプロジェクトの一環です」
スマイルプロジェクトとは、Saga Movement for Innovation LEgendの頭文字をとったもの、業務改革・改善を進めるために県庁全体で取り組んでいる活動だ。カイゼンといえば本家はトヨタとばかりに、企業に教えを請う。そのしなやかさが古川流である。
「すでに成果が出ているんです。本当に書類の置き方一つ変えるだけで、ムダな動きがなくなるのだから驚きです。県パスポートセンターでは、明らかに事務仕事が早くなりました。目から鱗が落ちるとは、こういうことをいうのでしょう。」
今でも佐賀県は申請日を含め、5日間(土日祝日を除く)でパスポートを受け取ることができる。申請のために県の出先機関に出向く必要はなく、最寄りの市町村役場で受理してもらえる。それでいて申請日を含め、5日間でパスポートを受け取れるのは、佐賀県だけだ。これがさらに短縮され、今後さらに4日間を目指しているという。
「もう少し自慢させてもらうと、このところ視察の流れが逆になりました。つまり、以前なら当県職員が何かを学ぶために他県に視察に出向いていたのです。ところが今では先進地視察ということで、他県から佐賀にお見えになる」
先鞭をつけたのがトライアル発注だろう。知事が就任直後に始めた全国初の取り組みだ。県内中小企業が開発した製品などを、まず県がトライアルで発注する。その結果を県が評価しお墨付きを与える。同時に官公庁での受注実績を作ることで、営業力が弱い中小企業の販路開拓を支援する。
「これを始めて以来、県庁に視察に来られる方が、一気に増えました。アイデア一つで、中小企業活性化を支援できることがわかったのは、私にとっても自信になりました。そもそも、佐賀県はモノづくりが得意、何しろ佐賀県には企業からすれば理想の人材が揃っているのだから」
佐賀人は極めてまじめなのだ。いったん職に就けば、定着率は極めて高い。少々きついこと、厳しいことがあっても耐えぬく心の強さも兼ね備えている。
「しかも佐賀は、人と人の絆やつながりが、まだしっかりと生きている土地柄です。だからこそでしょう、ここは消防団の組織率が飛び抜けて高い。日本一です」
佐賀の強みの一つが人にあることはわかった。では、他はどうなのだろう。
■知られざる佐賀の名産をいかにPRするか
「佐賀牛は、香港のお金持ちの間では食通の選ぶ肉として有名です。実際、松阪牛には少しだけ負けるかもしれないけれど、間違いなくその次のランクに入る品質なんです」
ところが残念なことに、その知名度は今ひとつといったところではないか。佐賀県の問題点は、こうした名産品を地元で手に入れるのが難しいことにある。
「佐賀牛を食べられるお店は市内でも限られている。お土産に買って帰ろうとしても、売っている店がなかなか見つからない。これが残念でなりません」
そこで古川知事は昨年、一年間かけて「タウン情報さが」で佐賀の名産を紹介してきた。知事が力を入れたのは、地元の名産品を買える場所の紹介だ。
「せっかく佐賀にお越しいただいたお客様に対して、おみやげにぜひ、と言いたいじゃないですか。佐賀県は地道なモノづくりは得意なんだけれど、PRはあまりうまくないというか、広報にうまくお金を使う感覚をこれから養っていく必要がありますね」
観光立県を考えれば佐賀の立地は恵まれている。まずすぐ隣に巨大なマーケット、福岡がある。ここには人口が500万人も控えている。さらに空路を使えば、韓国、中国、台湾に香港のいずれからでも2時間圏内だ。こうした経済発展著しい諸外国からの来客に、今後の期待がふくらむ。
「実はアマゾンの本社を佐賀県に誘致できないかと考えて、真剣に交渉したこともあります。そう簡単にはいかないだろうけれど、まだ諦めちゃいません。ネット企業なんだから本社は本来、どこにあってもいいはずでしょう」
知事の何よりの特長は、その発想に無意味な枠がまったくないことだ。自由闊達なアイデアに富み、行動力に裏打ちされた発想は、次にどこに向かうのか。コンパクトだからこそ、先陣を切って自ら渦を巻き起こすと宣言する佐賀県の今後は、世界の中での日本の進路を考える上でも、貴重なモデルとなるはずだ。
【Insight's Insight】
佐賀県といわれて、その場所をすぐに頭の中に思い浮かべられる人が、どれぐらいいるだろうか。東京、大阪に比べれば、地味であることは否めない。人口も全県でわずかに85万人に過ぎない。企業にたとえるなら、まさに中小企業である。
しかし、その佐賀に、全国自治体から視察団が集まってくる。取り組みがユニークかつ着実に実績を挙げているからだ。そもそも県庁レベルの組織で本部制を取り、権限移譲を進める。同じことを仮に東京都庁や大阪府庁でやれるだろうか。
組織は巨大化するほど、その自己防衛本能も肥大化する。佐賀が数々の改革を断行し、確実に成果を叩き出しているのは、いろいろな意味でのコンパクトさが貢献しているからだろう。まさに『スモール・イズ・ストロング』になり得る好例を、古川知事は見せてくれる。
小さいからこそ、渦に巻き込まれる前に自ら渦を巻き起こしてしまう。そのために、必要な発想のしなやかさと行動の強靱さ。これを佐賀の事例から学ばなければならない。
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