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日本国家のグランドデザイン(後編)飛躍のカギは「都市化」「電力文明」!
2010年9月14日(火)三橋 貴明
前回と同じ書き出しで、恐縮である。唐突であるが、人間にとって経済上の「贅沢」とは何だろうか? もちろん、人によって定義は異なるとは思う。しかし、筆者は以下のように考えるのである。
「モノやサービスに短時間、短距離、かつ選択肢がある状況でアクセス(購入)できること」
要するに、製品やサービスを購入したいときに、即座に買える。しかも「選んで」買える。これこそが、真の意味での贅沢だと思っているわけだ。
2025年には、65歳以上人口が3470万人を突破する
この種の贅沢を実現するために、最も適したライフスタイルとは何だろうか。日本人が「贅沢」と聞くと、風光明媚な田舎などで、お城のような自宅に住むことを思い浮かべるかも知れない。しかし、人口がまばらな地域において、先の「購入したいときに、即座に選んで買える」を実現することは、かなり難しい。
少なくとも、ある程度の人口が集中していなければ、「複数の店舗」が存在することは商圏的に不可能だろう。すなわち、日本の場合は、都市においてでなければ、「購入したいときに、即座に選んで買う」を実践することは困難なのだ。
あるいは、今後の日本で需要拡大が見込まれる、高齢者向けの医療サービスである。短時間、短距離に位置し、複数の医療機関の中から、ユーザーがサービス提供者を選択できる環境は、それこそ都市部以外ではあり得ない。
都市部以外の環境では、医療機関の選択肢が限られるのはもちろん、ユーザー側が自動車を運転してサービスを受けに行かねばならないのが普通だろう。これは、特に高齢者にとって、なかなか深刻な問題だ。
現実問題として、高齢化の進展と需要拡大により、全国あまねく高水準の医療サービスを「選択肢」つきで供給することは、ほぼ不可能に近い。特に、団塊の世代が75歳以上に達する2025年には、65歳以上人口が3470万人を突破する見込みなのだ。しかも、その過半が75歳以上である。
若い世代であれば、自動車で病院に行くことは苦にならないかも知れないが、高齢者の場合はそうはいかない。今後、2025年のピークに向け増え続ける高齢者が、自動車を運転して医療サービスを受けに行かねばならないなど、あまり嬉しくない未来だ。しかも、日本の高齢化は別に2025年で終わるわけではない。
高齢ドライバーの交通事故は大きな社会問題
なぜ「自動車で医療サービスを受けに行く」にこだわっているかと言うと、実は、今後の日本において、高齢ドライバーの交通事故が大きな社会問題になる可能性が高いためだ。と言うよりも、現時点で既になっている。
意外に思われる方が多いかも知れないが、日本国内の事故発生総数は、2004年以降は着実に減少していっている。これは主に、若い世代の交通事故が激減していることによるものである。
しかし、年齢と共に反射神経や運動神経が落ちていくのは、これはもう避けられない話だ。全体的な交通事故が減少していく中、高齢者の交通事故は着実に増えていっている。高齢化の進展と共に、高齢ドライバーの数は今後も増えていくであろうから、当然ながら悲惨な交通事故も増えていくことになるだろう。
別に、医療サービスに限らないが、高齢化進展により拡大する需要に対し、国家経済がどのように適切な供給を維持するか。将来におけるパーソナルな需要拡大に対する供給不足を防ぐために、「今」どのような投資をするべきか。将来の問題を解決するために「今」投資をすることで、現在の需要不足を解消する。そのための「第1歩」の投資こそが、「今」の日本政府に求められているわけである。
日本国内の犯罪認知件数は減り続けている
現在の課題に対処すると同時に、将来的な問題も解決する。そのためのキーワードこそが、「都市化」及び「電力文明」だ。
実際に暮らしている人は、諸手を上げて賛成してくれると信じるが、日本の大都市における生活ほど「贅沢」なものはない。先にも書いたように、製品やサービスへ「短時間」「短距離」かつ「選択肢」つきでアクセスできる上に、犯罪も少ない。
日本のマスコミなどで報道されることは少ないが、実は日本の犯罪件数(認知件数)は2002年をピークに減り続けている。2002年に年間285万件に達した日本国内の犯罪認知件数は、2009年には170万件にまで減少した。この期間、一度も前年を上回ったことがない。ついでに書くが、殺人事件の件数は、2009年に戦後最低になった。
テレビなどで、凶悪事件が繰り返し報道されているのを見ていると、信じられないと思う。しかし、日本国内の治安は、近年、着実に改善されてきているのだ。そもそも、海外諸国と比べて犯罪率が低い日本において、さらに犯罪件数が減少してきているのである。
東京圏は圧倒的に巨大なメガロポリス
結果、東京や大阪などの都市圏は、世界で稀に見る「住みやすい大都市」に成長した。意外と知らない人が多いが、東京圏の人口は3568万人(2007年、国連統計局)を超え、2位のニューヨーク圏(1904万人)を引き離し、世界的に見ると圧倒的に巨大なメガロポリスなのである。この東京圏の拡大を促進した要因であるが、1つ目が犯罪の少なさ、そして2つ目が公共交通機関の発達である。
特に東京などが顕著であるが、街中をお年寄りが健康そうにスタスタ歩いている光景を頻繁に見かける。日本人は見慣れているかも知れないが、あれは世界的にはかなり珍しい光景なのである。「低犯罪率」「公共交通機関の充実」。この2つが揃っていなければ、お年寄りが自由に街の散策を楽しむことは、かなり難しくなってしまう。
逆に、犯罪が少なく、公共交通機関が充分に整備されていれば、お年寄りが自ら自動車を運転して、病院や買い物に行く必要がなくなるのである。短時間、短距離を歩くだけで、病院や商店や商品を「選べる」。筆者は、これこそが真の贅沢であると確信しているが、それらを高齢者に提供可能な唯一の存在こそが「都市」なのだ。
すなわち、世界で最も早く高齢化社会を迎えた日本が、将来的な供給不足という課題をクリアするための鍵は、既に世界最高峰に達している都市部の更なる発展なのである。
都市部での生活こそ人間にとって「贅沢」
具体的には、東京など、ある程度発展した都市については、外郭を巡る環状道路の整備。「通り抜ける」目的で、都市に自動車が流入するのを防ぐ必要があるのだ。これにより、都市部の物流をさらに効率化し、企業の生産性や生活者の利便性を高めることができる(ちなみに、現時点でも日本の物流効率は、G8=主要8カ国の中ではドイツに次いで高い)。
さらに、これは筆者以外の人々も主張しているが、学校や病院の耐震化。そして、電柱の地中化。電柱の地中化は、町並みの問題もあるが、それ以上に耐震や安全対策上も重要である。
このような書き方が適切かどうか分からないが、いわゆる老人ホームを風光明媚な地区に造るべきではない。老人ホームこそ、都会の駅の上に造るべきだ。なぜならば、繰り返しになるが、都市部での生活こそが最も物やサービスにアクセスしやすく、人間にとって「贅沢」な暮らしなのである。
もちろん、いわゆる東名阪などの既存の都市圏のみならず、各地方の「中核都市」へのインフラ投資も必須である。各地方の中核都市に東京並みの利便性を実現し、新幹線などの「高速鉄道ネットワーク」により接続していく。さらに、「ハブ」となるべき東名阪をリニア新幹線で結べば、人口5000万人以上が「電車2時間圏内」に居住する、前代未聞の超都市文明が誕生する。「安全で、便利で、贅沢な生活が可能な都市」を発展させる、あるいは各地に整備することで、高齢者の都市への移転を「促す」のである。
例えば、医療サービス1つ取っても、高齢者の需要が都市に集中していれば、供給側としては非常に都合がいい。また、需要者側(高齢者側)としても、「いざ」というときに自動車を運転しなくても済む生活こそが、本来は理想であろう。
アメリカ文明とは、別名「原油文明」
そもそも、買い物や病院に自動車を運転して向かわねばならないというのは、アメリカ文明の賜物である。例えば、アメリカでは食料品や日用品を購入するために、各人が自動車を運転して道を飛ばさなければならない。そうなると、毎日買い物に行くのは面倒であるため、多くの人々が週に1度、ウォールマートなどのGMS(ゼネラルマーチャンダイジングストア=総合スーパー)に、自動車で買い物に赴くライフスタイルが確立した。
日本人の筆者からしてみれば、週に1度の買い物で、生鮮食料品などの品質が維持できるのかと疑問に思ってしまう。だが、アメリカ人は、購入した食料品を巨大冷凍庫にぶち込み、必要な際に解凍して食べるため、問題はないようである。
とは言え、生きていけるという点では「問題ない」のかも知れないが、これが本当に「贅沢」な生活と言えるだろうか。個人的には、正直、首をひねってしまうわけだ。
アメリカ文明とは、別名「原油文明」と言っても構わないだろう。19世紀後半から世界大恐慌まで、アメリカは国内から「湧き出た」原油を活用し、まさしく新たな文明を築くことに成功した。当時は、世界の原油使用量のうち、アメリカ1国で何と7割を占めていたのである。
特に、1908年以降、アメリカ人が何の製品に原油(と言うかガソリン)を消費したのかと言えば、言うまでもなく自動車である。1908年はフォード・モーターがT型フォードを発売した年で、まさしくこの年からアメリカ、いや世界の「車社会化」が始まったと言っても過言ではないのだ。
乗用車だけで6000万台近い「リプレイス市場」
自動車という極めて便利なツールが誕生した結果、アメリカ式のライフスタイルが世界中に広まっていった。自動車を運転して買い物に行く、自動車を運転して病院に行く。その際に、必ず「ガソリン」を消費する。これらはまさに、アメリカ式原油文明の落とし子なのである。実際、日本で使用されている原油資源は、運輸(すなわち自動車用ガソリン)分だけで国内エネルギー消費全体の2割を上回っているのである。
T型フォード発売から100年以上が経過したわけだが、ここで「ある国」の政府が、以下の宣言をするというのはどうだろうか。
「我が国の自動車は、10年以内にすべて電気自動車に買い替えられなければならない」
結果、その国では乗用車だけで6000万台近い「リプレイス市場」が生まれるわけだ。無論、政府が国民に買い替え促進用のインセンティブを提供し、高速充電器などへの投資も必要になるだろう。だが、それ以上に国内の自動車メーカが、まさに目の色を変えて投資を拡大していくことになる。さらに、国内エネルギー消費の2割を超える、膨大なガソリンから生じる排ガスが、きれいに消滅するわけだ。都市の居住環境は、楽しいほどに改善されるだろう。
また、せっかく電気自動車を大々的に普及させるのであれば、都市部におけるITS(高度道路交通システム)との連携にも期待したい。自動車が「道路」と、あるいは自動車間同士で通信をすることで、交通事故を飛躍的に減らすことができるのだ。
実現できる国は日本以外存在しない
そもそも「交通事故」とは、アメリカの原油文明が生んだ徒(あだ)花だ。原油などの資源そのものに依存するのではなく、「電力そのもの」に依存した文明、すなわち電力文明への移行を果たすと同時に、交通事故を過去のものにしてしまうことすら、「その国」が適切な投資をすれば夢物語ではないのだ。
交通事故の存在しない(あるいは少ない)都市部。そもそも「低犯罪率」「公共交通機関の充実」というベネフィットに、「交通事故が少ない」という魅力が加われば、全国の高齢者を都心部に引きつけることが可能だろう。結果、パーソナルな需要が都市部に集中し、医療サービスなどの供給不足を緩和できる。
原油とは、石炭などに比して非常にエネルギー効率が高い資源だ。とはいえ「資源そのもの」に依存した文明は、資源の存在自体が戦争の遠因になってしまう。ところが、「電力文明」の場合は、資源の種類は問わないわけである。エネルギー源が石炭や天然ガスだろうが、原油だろうが、太陽光発電だろうが、あるいは原子力やメタンハイドレート(これは天然ガスの一種だが)だろうが、電力そのものに依存した文明であれば、資源をめぐる戦争は起きにくくなるだろう。
とはいえ、上記のような「都市化」「電力文明への移行」を実現できる国は、そう多くは存在しない。自動車産業、家電・半導体産業、鉄道・道路などのインフラ産業、通信産業、そして原子力産業などが揃って健在でなければ、到底、実現できないのだ。そして、そんな国は、今や世界に日本以外に存在しないのである。
世界の戦争を減らせる可能性すらある
さらに「都市化」「電力文明への移行」というソリューションは、日本企業が得意の「すり合わせ」が必須になる。モジュール化やら、グローバルスタンダードやらの出る幕はないのである。そして、「都市化」や「電力文明」で培われた技術、製品、サービスは、当然ながら将来の輸出シーズになるわけだ。
また、都市化というソリューションは、今後、高齢化社会を迎える世界各国へのお手本になり得る。さらに、資源そのものではなく「電力そのもの」へ依存した文明への移行を率先して果たすことで、世界の戦争を減らせる可能性すらあるのである。
あとは、日本が「将来の問題を解決するため」に、「今」適切な投資を実施するかどうか。すべてはそこに、かかっているわけだ。
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