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角上魚類
http://www.kakujoe-shop.com/ 2010.05.10(Mon)

JBプレス日本の中小企業 鶴岡弘之


こんな魚屋は初めて見た。

4月のとある土曜日の午後。店の前に約100台収容できる専用の駐車場があって、5人の警備員が車の誘導に飛び回っている。

 多摩湖や狭山湖にほど近い新青梅街道沿いに、その魚屋は店を構えていた。建物は一見すると普通のスーパーマーケットのようだ。だが、スーパーの魚屋とはスケールが違う。こちらは1軒の建物が丸ごと魚屋なのだ。

 魚を買いに来た客の車で、駐車場はぎっしりと埋まっている。それでも次から次へと車がやって来て、駐車場に入りきれない車の列ができる。

4月の週末でこの状態なのだから、年末は推して知るべしである。年越し用の料理やおせちの魚を買い求める客が殺到して、道路沿いに数珠つなぎの車の行列ができ、駐車場に入るまで1時間以上も待たされるという。

 その店とは、東京都東久留米市にある「角上魚類(かくじょうぎょるい)小平店」。近郊で圧倒的な知名度と集客力を誇る「行列ができる」魚屋である。

全国の魚が獲れたての姿で並ぶ!

 店内に入ると、売り場の広さと客の熱気にまた目を見張る。売り場の面積は300坪近くはあるだろうか。1店舗の魚屋としては破格の広さである。

 ひときわ賑わっているのが、対面販売コーナーだ。北海道から九州まで日本全国の港で揚がった魚介類が「むき出し」の状態で売られている。海に戻したらそのまま泳ぎ出しそうな魚が、敷き詰められた氷の上にずらりと並んでいる様は壮観だ。

そのコーナーで、赤いユニホームを着た店員の威勢のいい声が響き渡る。「いらっしゃい、いらっしゃい。今日はメバルがいいよ。メバルがっ」

 多くの客は、魚を買う時に「サバを3枚におろしてくれます?」「このタイを煮物にしたいんですけど、切り分けてもらえないかしら」などと店員に注文し、調理・加工をしてもらう。

 コーナーの奥には調理台があって、店員が注文通りに魚をさばいていく。さばいた魚はビニール袋に入れられて、「はい、お待たせしました」と客に手渡される。

若い夫婦が珍しい魚を目の前にして、店員に訊ねる。「この『じょんじょろ』っていう魚はどうやって食べるんですか」。店員が「頭を取って、煮つけにするとおいしいですよ。柳川にしてもいいですね」と答える。「へえ、どんな味なんですか」と会話が続く。

 いつの頃からか、魚屋は、切り分けてパックした魚を売る場所になってしまった。しかし、かつての魚屋は「今日は何がおいしいの?」「この魚はどうやって食べるの?」「鍋にしたいんだけどいい魚ある?」などと、店員と会話しながら買い物をする場所だった。この店は、そういった在りし日の魚屋のスタイルである。

マグロ解体ショーで店内はお祭り騒ぎ!

 午後3時、店内に「チリンチリンチリン」と鐘の音が響き渡り、対面販売コーナーの一角で、本マグロの解体ショーが始まった。マグロを解体するのは、江田勉店長。あっという間に周囲に黒山の人だかりができる。

 「今日は店長の私がさばきますからね。私、この4月に店長になりましたんで、よろしくお願いします。店長になったお祝いですからね、今日は儲けなしで特別サービスしますよ」

エラの部分にざっくりと包丁が入り、最初にカマが切り分けられた。若い店員が2つのカマを高く持ち上げ、大声で叫ぶ。「カマだよ、カマだよ。300円、300円でお分けしますよ。はい、欲しい人!」。いっせいに大勢の客が手を上げる。

 「じゃあ、僕とじゃんけんして下さい。最初はぐー、じゃんけんぽんっ。負けた人は手を下ろしてくださーい」。じゃんけんに負けた客から、「あ~」というどよめきが上がる。

 一眼レフカメラのレンズをマグロに向けて連写している客もいれば、「マグロの解体だって! 早く、早く」と、大声で家族を呼び寄せるお父さんもいる。みんな興奮状態というか、お祭りのような騒ぎなのである。

不況をものともせずに業績が拡大!

 角上魚類は新潟県長岡市に本社を構える鮮魚店チェーンだ。もともとは江戸時代から続く網元、卸問屋だったが、1974年に小売業に進出。現在、新潟、長野、群馬、東京などに19店舗を展開している。

 2009年度の売り上げは約195億円、最終利益は約4億円。5年前の2004年度は、売り上げが約178億円で利益が約2億円だった。消費不況とデフレが長引く中、逆風をものともせずに着実に売り上げと利益を伸ばしている。

 角上魚類にこれだけ客が集まるのは、品質、価格、サービスで、圧倒的な「満足感」を提供しているからに他ならない。新鮮な魚を豊富に揃え、安く提供する店には、客がやって来るのである。 

 しかし、口で言ってしまうのは簡単だが、それを実現するのは実は極めて難しい。ほとんどの魚屋には、そんなことはできないのだ。

 では、なぜ角上魚類にはできるのか。圧倒的な品数と品質、そして値段の安さをどうやって実現しているのか。

 それを解き明かすために、角上魚類の発祥の地へと足を運んだ。

何もない場所に、ぽつんと1軒だけ建った魚屋!

 新潟県長岡市の寺泊(てらどまり)は、佐渡の島影を眼前に望む古くからの港町だ。ここに「魚の市場通り」(通称「魚のアメ横」)と呼ばれる観光スポットがある。

 国道402号線沿いに10軒近くの魚屋、みやげもの屋が横一列に軒を連ねている。国道を挟んで巨大な駐車場があり、休日には観光バスが並ぶ。

実はこの観光スポットは、三十数年前に建てられた1軒の魚屋から始まった。地元の網元・卸問屋のせがれ、柳下浩三さん(現角上魚類社長)が、なんの店もなく人通りもほとんどない土地に、1軒の魚屋をぽつんと建てたのである。それが角上魚類の第1号店だった。

そんな辺ぴな場所に建てられた魚屋が、またたく間に大繁盛店となる。挙句の果てには、観光バスがやって来る一大観光地にまでなってしまった。まるで砂漠にラスベガスをつくってしまったような話なのだ。

 この第1号店には、角上魚類のエッセンスがぎっしりと詰まっている。そのエッセンスは今も変わらない。はっきり言ってしまえば、角上魚類が各地に展開している店舗は、いずれも第1号店の忠実なコピーである。

 柳下社長は、寺泊で一体どんな店をつくろうとしたのか。そして、今を貫く角上魚類の経営哲学とは──。第1号店のすぐ裏にある角上魚類の本社に、柳下社長を訪ねた。

あれよあれよと言う間にお客さんが増えていった!

── 今や寺泊の一大観光スポットになっている「魚の市場通り」ですが、元々は柳下社長が建てた1軒の店から始まったそうですね。

柳下社長(以下、敬称略) 私の家は代々ずっと網元と卸問屋をやってたんだけど、昭和40年代からスーパーマーケットが台頭してきて、小売店の数がどんどん減ってきた。それで、このまま卸しをやってちゃダメだなって思ったんです。小売屋に卸していても、しょうがねえなって。

 ちょうどダイエーが新潟に出てきたんで、見に行ってみた。すると、魚がけっこう高いんですよ。自分で直接売れば、あの半値以下で売れるなと。それで自分で売ろうと思って小売を始めたんです。

 銀行からお金を借りるのが大変だったけど、新潟で商売やってて景気のいい親戚がいたんで保証人になってもらって、5000万円借りられた。そのお金で店を建てました。1974(昭和49)年の11月でした。

最初は、周りに建物は1軒もなかったんです。うちの店が1軒だけだった。私が商売とか経営のことをもっと分かっていれば、田舎のこんな何もないところに5000万円も投資して店をつくらなかったと思う。何も知らなかったからやれたんだね。

 でも、寺泊とか新潟の市場に行って、その日の安い魚に特化して、それだけ大量に買ってきて直販するもんだから、スーパーとか魚屋の3分の1ぐらいの値段で売れてたと思うんだ。「寺泊に行くと、いい魚を安く売っている店がある」ってクチコミでぽつぽつと客がやって来るようになって、半年ぐらいしたら一気に客が増えました。

 最初は1日に売り上げが3万円ぐらいしかなかったけど、半年位で20万円、30万円売れるようになって、1年経ったら50万円ぐらいになってた。寺泊周辺だけじゃなく、燕や長岡とかからも客が来るようになって、そのうち新潟だけじゃなくて長野県のクルマも来るようになりました。

 店を開いてから3~4年位経った頃でしょうか、隣に魚屋ができました。それから3~4年経ったら、また隣に魚屋ができて、どんどん店が増えていって、今のような通りになったんです。

ただ、周りに店が増えても、うちの客が減ることはなかったですね。お客さんは他の店と比較してうちの方にどんどん来ちゃうんですよ。だから店が増えたのは、結果的によかった。お客さんは流行っているところに行きたがるから。圧倒的にみんなうちに来ちゃうんだね。

こんな田舎にわざわざ来てもらうんだから・・・
── 角上魚類の店を訪れると、隅々まで神経が行き届いていて、本気でいい魚を売ろうという姿勢が伝わってきます。店づくりの信念、ポリシーのようなものはありますか。

柳下 店のつくり方や売り方は、最初に店を始めた時から、今でもずっと変わりません。今、角上魚類のすべての店には、「鮮度はよいか、値段はよいか、配列はよいか、態度はよいか」と「4つのよいか」を書いて張ってあります。これは私が寺泊で店を開いた1年目に書いたものです。

 店を始めた時、こんな田舎にわざわざ車で来てもらうんだから、「来てよかったわ」と思ってもらわないとダメだと思っていました。

 私は生まれて初めて小売をやったもんだから、来てくれたお客さんがありがたくてありがたくてしょうがない。お客さんたちが「ものすごく安い」とか「いきがいいわ」とか喜んでると、もう、うれしくってさ。お客さんにどうやって喜んで帰ってもらうか、それしか考えてなかったんです。

 じゃあ、どうしたら喜んでもらえるのか。そして思いついたのが、まず鮮度だと、それから価格、魚種、そして売り場の応対だと。それで「4つのよいか」になったんです。

 それから三十数年経ちましたけど、「4つのよいか」は今でも通じていると思います。その言葉は正しかったんだと思います。



新入社員全員に魚の切り方を教える!

── 角上魚類の店は、なぜあんなに広いんですか。また、どの店でも大量に生魚を並べて対面販売を行っています。対面販売にこだわる理由を教えてください。

柳下 角上の店の陳列ケースは普通のスーパーより3倍くらいは大きい。売り場の面積は最低80~100坪は必要だと考えています。それぐらいないと、お客さんに満足してもらえる品揃えを確保できません。

 対面の売り方も、店を始めた時からのやり方です。昔の魚屋はみんな対面だったでしょう。スーパーができて初めてパックで売るようになったけど、昔はみんな対面でやってたからパックなんてなかった。

 対面だと、魚そのものを見てもらって選んで買ってもらえるし、お客さんの要望を聞きながら刺身にしたり切り身にしたり、さばくことができる。食べ方も説明できますよね。

 それをするためには、店員に技術が必要。今年も新卒の新入社員が35人入りましたが、みんな包丁を持って魚をさばけるように教育しています。すぐには無理だけど、1年も経てばみんなできるようになります。

そういう理由もあって、我々は店をぼんぼん増やさないんです。今までは店をつくるとしても、1年にせいぜい1店舗。1つの店には、刺身を切る人とか寿司を作る人とか、10人ぐらいの人間が必要になります。新しく店をつくる時に既存店から3人も4人も人を抜くと、既存点の質が落ちてしまいます。

どこにも真似できない「仕入れ」!

── 角上魚類のような鮮度と価格で魚を売っている店は他になかなかありません。なぜ他の魚屋にはできないのでしょうか。

柳下 魚屋っていうのは難しいんですよ。魚はどんどん鮮度が落ちていく。次の日には鮮度が悪くなるし、3日目になると我々はもう売り物にしたくないと思う。

 だからといって、魚を10ケース仕入れて、2~3ケース捨ててたら、もう利益なんて出ないんです。仕入れにロスが出れば、利益が食われて赤字になってしまいます。だから、できるだけその日のうちに、せいぜい次の日までに売り切らなければならない。

 そのためには、まずは「仕入れ」なんですよ。売れ残らないようにするために、「今日はどの魚をどれだけ買って、いくらで売るか」という判断が大事なんです。

 うちには私を含めて十数人のバイヤー(仕入れ担当者)がいて、寺泊と新潟、築地の市場で仕入れています。バイヤーは、市場でその日の漁獲量と価格を見て、できるだけロスを出さないように仕入れの量と売り値を決めています。

 安い魚を大量に仕入れたら、それを重点的に売る。高い魚を仕入れても結局は売れ残ってしまいます。

── 毎日、臨機応変に判断して仕入れをやっていることが強みなのですね。

柳下 店の方でもその日のうちに売り切る工夫をしています。

 例えば、朝、ケースの中に並べたマグロの切り身パックがあったとします。午後2~3時になっても残っているようだったら、寿司にして並べたり、売れ残っている切り身があったら刺身にしてしまうなどして、調理・加工することで早いうちに売り切るようにします。

 各店舗の店長には、その日のお客さんを見てどのタイミングで調理するかとか、廃棄とか値引きなどのやり方も細かく指示しています。いかにして売り切るかが大事なんです。捨ててしまったら粗利なんてほとんどなくなりますから。

仕入れ次第で魚は安くなる!

── 安さの秘密は何でしょうか。他の魚屋やスーパーと比べると、総じて2割は安いのではないかと思います。

あまり安さを前面に打ち出そうというつもりはないんですけどね。基本は、やはり安く仕入れること。さっきも言ったように、我々の強みは、十数人のバイヤーが、新潟と築地の両方の市場で仕入れていることです。

 新潟と築地の市場には、毎日、全国から魚が集まってくるんですが、両方とも似たような魚が集まるんです。そこで毎朝、両方の市場にいるバイヤーが電話で連絡を取り合って、「こっちでは何がいくらだ」と情報をやり取りします。そうやって量と値段を突き合わせて、「では、その魚は築地から納めよう、これは新潟から」と調整して、それぞれの市場から全国の店舗にトラックで発送します。

セリでも、我々はできるだけ安く買う。例えば、その日に漁獲量の多い魚は、セリの途中でどんどん値段が下がっていきます。そういう魚は先に買わないで、他のみんなに先に買わせてしまう。そして、あとで値段がぐっと下がった時に、一気に買うわけです。

 逆に、その日の入荷量が少ない魚はあとで値段が跳ね上がっていくから、先に買ってしまったりする。こういうのは、ずっとやってないと分からない。慣れの部分が大きいですね。

 また、たとえ同じ値段で仕入れても、我々の店は他の魚屋やスーパーとは売り値が違います。粗利をそんなに乗せてないし、我々の店舗は基本的に郊外のロードサイド型なので、土地代が高くない。都心のスーパーとかデパートとかに店を出している魚屋は、家賃が高いから、どうしても売り値が高くなるでしょう。

お客さんに喜んでもらえるかどうかがすべて!

── 消費不況と言われる中で、売り上げと利益が拡大していますね。景気の影響は受けていないんですか。

柳下 確かに世の中は景気が悪くて、スーパーも売り上げが落ちている。でも、うちはこの1年でも売り上げが伸びているからね。あまり景気には左右されていません。

 結局は、店の質がいいか悪いかで、お客さんが来るか来ないかが決まるんです。

 店の質を維持するのは簡単なことではありません。今、19店舗やってますが、その中で1店舗でも変な店があれば、「角上」に対するお客さんの信用が変わってきてしまう。

 一時期、我々が魚と看板だけを提供する「フランチャイズ店」を何店か出したことがあるんです。店を見に行ってみると、魚の鮮度や価格に問題がある。お客さんに売っていい魚じゃないんです。でも、オーナーが違うから、あれこれ注文をつけられません。そういう店に角上の看板は出せないと思い、3年でフランチャイズ契約を打ち切りました。その後、それらの店は結局、全部つぶれてしまいました。

 そういうことがあって、今は全部直営にして、1店舗、1店舗チェックして回っています。「お客さんに対して責任の持てる店」にしようと神経を使っているわけです。

 寺泊で店を始めた時に、何も買わないで帰るお客さんがいると、「わざわざ来てくれたのに、気に入ってもらえるものがなくて申し訳ありません」と、いつも心の中で思っていました。

 一番大事なのは、お客さんに「また来よう」と思ってもらえるかどうか。喜んでもらい、支持されるような店づくりをしているか。これに尽きると思います。

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私は、魚沼産コシヒカリを水口の水が飲める最高の稲作最適環境条件で栽培をしています。経営方針は「魚沼産の生産農家直販(通販)サイト」No1を目指す、CO2を削減した高品質適正価格でのご提供です。
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