平成22年 第12回「米・食味分析鑑定コンクール:国際大会」(松江市)有機栽培・JAS認定部門で特別優秀賞を受賞。(食味90・味度83・計173点)
平成25年、第15回魚沼と第16回北京開催運動中!
無農薬魚沼産コシヒカリ生産農家・理想の稲作技術『CO2削減農法』
http://www.uonumakoshihikari.com/
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対日戦勝記念日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E6%97%A5%E6%88%A6%E5%8B%9D%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5
2010/07/02 23:51【共同通信】
【モスクワ共同】タス通信などによると、ロシアの最大与党「統一ロシア」の議員らは2日、日本が第2次大戦後、降伏文書に調印した9月2日を大戦終結の記念日として制定する法改正案を下院に提出した。
ラブロフ外相は今年が終戦から65年に当たると指摘した上で「極東での戦勝に言及することがとても重要だ」と述べ、制定への支持を表明。ロシアは北方領土問題で「第2次大戦の結果の見直しは許さない」と主張しており、戦勝を強調することで日本の領土要求をけん制する狙いがありそうだ。
提出に加わった下院の国防委員会のザバルジン委員長は、1945年に調印された降伏文書について「ソ連の対日参戦の適法性を確認したものだ」と強調した。
ロシア紙「独立新聞」は3月、大統領府に近い筋の情報として、法案は政権上層部の承認を得ており、上下両院を通過し、大統領の署名で発効する可能性が高いと報じていた。
対日戦勝記念日の法制化は、極東サハリン州が長年、連邦政府に働き掛けてきた。
「対日戦勝記念日」制定にロシア国民の反応は?
http://jbpress.ismedia.jp/search/word/%E5%8C%97%E6%96%B9%E9%A0%98%E5%9C%9F
2010.04.08(Thu) コンスタンチン・サルキソフ JBPRESS
ロシアは、今年5月9日にナチス・ドイツに対する戦勝65周年を祝う式典の準備を急いでいる。ロシアにとってはこの記念日のほかに、旧ソ連時代のもう1つの「勝利記念日」がある。
それは9月2日の「日本軍国主義に勝利した日」である(1945年9月2日に、日本はソ連を含む戦勝国を相手に降伏文書に調印した)。
ソ連崩壊後に対日戦勝記念日はなくなった。だが、3月23日にロシアの「独立新聞」は「近いうちにロシア議会にその記念日を復活させる議案が提出される」と報道していた。そのニュースをロシアの主要通信社が伝え、日本のマスコミも報じていた。
日本では「ロシア政権による愛国心高揚策の一環」だという捉え方もあったが、一概にそうとは言えない。対日戦勝記念日の復活は今までにロシアで10年以上も取りざたされてきた。連邦議会でも復活させようという動きは何回もあった。ところが毎回政府に押さえ込まれてきたのである。
今回の議案提出には、クレムリンのバックアップがある。大統領府に近い筋によれば、記念日の復活は「大統領府での会議において議論され、極めて高い支持が得られた」(独立新聞)という。要するに、クレムリンからの合図を受信した議会が動き始めたわけである。
プーチン・メドベージェフ政権の態度が変化した理由を考えると、鳩山政権の「4島一括返還論」と4島の「不法占領」決議への対応だと判断できる。
ロシア世論の反応は冷ややか
しかし、ロシア世論の反応は政府とは対照的に冷ややかだ。独立新聞は、対日戦争は「ドイツとの戦争とは基本的に違っていた」と分析している。ロシア政府の公式見解とはかなり異なる見方である。
・日ソ戦争は、日本ではなくソ連の方から正当な理由なく攻撃を仕掛けた戦争である(ソ連は1945年8月8日に日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告した)。
・日本の敗戦によってソ連は南サハリンとクリル(千島)列島を取り戻した。しかし、その領土のすべては、必ずしも日露戦争(1904~1905年)で失ったものではない。
・日ソ戦争で戦死したソ連兵は約8200人。ドイツとの戦争における戦死者の数は数百万人単位であり、それと比べると桁違いに少ない。
・対日戦争はよく計画され、実行されたものであった。しかし、国民の感情に火をつけるほどの「悲劇と栄光の出来事」とは言えない。そのため、国民の中にこれを記念しようという声は沸き起こっていない。
対日戦争を客観的に正しく見ようという動き
真実を尊重して曇りのない目で歴史を見るのは、どこの国においても極めて難しい作業である。長年にわたって「国家による『公式』歴史観」が支配していた国では特に難しい。
現在のロシアでは、ソ連時代から続く「公式歴史観」と、リベラルな歴史観が対立して存在している。対日戦争の記念日復活を巡る意見に食い違いが見られるのはそのためである。
ネット上では、対日戦争を客観的に「良心の立場」から見ようという動きが現れてきている。注目すべきなのは、リベラルな筋だけではなく、今まで愛国主義的だった人たちの中にも記念日復活に反対する意見が現れているということだ。
その1つに、「正教・君主制・民族心」のスローガンで活動している民族派の「ロシア・ライン」というサイトがある。
3月9日、同サイト上で、ロシア正教イルクーツク州教区の宣教部長のプシカリョーフ主席司祭が自らの見解を発表した。「極めてまっとうな道義と正義の立場から、対日戦争記念日の復活に反対する」と主席司祭は訴えている。
「疑念を抱かれる歴史については黙っているべき」
主席司祭は、こう断言する。「我々がその戦争に勝利したことは間違いないが、日本を攻撃したのは我々である。もしも我々が日本から攻撃されていたら、領土と賠償を要求する権利があっただろう。しかし、事実はそうではない。逆に日本は、あの戦争で我々が不法占領した領土を1875年条約(サハリン千島交換条約)の範囲で要求する権利がある」
一方で主席司祭は、人道に反する犯罪を伴った日本の朝鮮併合や、満州事変から始まった中国に対する侵略を取り上げている。また、ノモンハン事件、真珠湾攻撃やシンガポール陥落等々の侵略戦争のいきさつにも触れる。そして、主席司祭は、南北朝鮮や中国、モンゴルと米国と英国には、対日戦争の勝利を祝う権利があるという。しかし、ロシアにはその権利はないと主張する。
日露戦争での敗戦の報復として、ソ連が「帝国主義的な略奪者」としての行動に出たのが対日戦争であったと論じている。
意見書の最後には、「我々が公明正大に戦って勝ったドイツとの偉大な戦争は、勝利を記念する必要性が十分にある。しかし、疑念を抱かれる歴史については、黙っていた方がいいのではないか」とまとめている。
プシカリョーフ主席司祭は、生粋のロシア人である。1967年生まれで、7人の子供がいる。80年代にソ連軍に懲兵され、90年代にイルクーツク国立大学を卒業してから聖職受任を行った。シベリアではかなり有名なオピニオンリーダーの1人である。
主席司祭が意見書を発表すると、ネット上で活発な議論が沸き起こった。主席司祭に賛成する人たちは「対日戦争のことは、あまりよく知らない」「決して喜ぶべき勝利ではなかった」と言う。主席司祭がソ連を「帝国主義的な略奪者」と表現したことにいらだっている人も少なからずいたが、記念日を復活する必要がないとの意見は圧倒的に多い。
しかし、今のところ政府は聖職者の意見を無視して対日戦勝記念日を復活する公算が大きい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E6%97%A5%E6%88%A6%E5%8B%9D%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5
2010/07/02 23:51【共同通信】
【モスクワ共同】タス通信などによると、ロシアの最大与党「統一ロシア」の議員らは2日、日本が第2次大戦後、降伏文書に調印した9月2日を大戦終結の記念日として制定する法改正案を下院に提出した。
ラブロフ外相は今年が終戦から65年に当たると指摘した上で「極東での戦勝に言及することがとても重要だ」と述べ、制定への支持を表明。ロシアは北方領土問題で「第2次大戦の結果の見直しは許さない」と主張しており、戦勝を強調することで日本の領土要求をけん制する狙いがありそうだ。
提出に加わった下院の国防委員会のザバルジン委員長は、1945年に調印された降伏文書について「ソ連の対日参戦の適法性を確認したものだ」と強調した。
ロシア紙「独立新聞」は3月、大統領府に近い筋の情報として、法案は政権上層部の承認を得ており、上下両院を通過し、大統領の署名で発効する可能性が高いと報じていた。
対日戦勝記念日の法制化は、極東サハリン州が長年、連邦政府に働き掛けてきた。
「対日戦勝記念日」制定にロシア国民の反応は?
http://jbpress.ismedia.jp/search/word/%E5%8C%97%E6%96%B9%E9%A0%98%E5%9C%9F
2010.04.08(Thu) コンスタンチン・サルキソフ JBPRESS
ロシアは、今年5月9日にナチス・ドイツに対する戦勝65周年を祝う式典の準備を急いでいる。ロシアにとってはこの記念日のほかに、旧ソ連時代のもう1つの「勝利記念日」がある。
それは9月2日の「日本軍国主義に勝利した日」である(1945年9月2日に、日本はソ連を含む戦勝国を相手に降伏文書に調印した)。
ソ連崩壊後に対日戦勝記念日はなくなった。だが、3月23日にロシアの「独立新聞」は「近いうちにロシア議会にその記念日を復活させる議案が提出される」と報道していた。そのニュースをロシアの主要通信社が伝え、日本のマスコミも報じていた。
日本では「ロシア政権による愛国心高揚策の一環」だという捉え方もあったが、一概にそうとは言えない。対日戦勝記念日の復活は今までにロシアで10年以上も取りざたされてきた。連邦議会でも復活させようという動きは何回もあった。ところが毎回政府に押さえ込まれてきたのである。
今回の議案提出には、クレムリンのバックアップがある。大統領府に近い筋によれば、記念日の復活は「大統領府での会議において議論され、極めて高い支持が得られた」(独立新聞)という。要するに、クレムリンからの合図を受信した議会が動き始めたわけである。
プーチン・メドベージェフ政権の態度が変化した理由を考えると、鳩山政権の「4島一括返還論」と4島の「不法占領」決議への対応だと判断できる。
ロシア世論の反応は冷ややか
しかし、ロシア世論の反応は政府とは対照的に冷ややかだ。独立新聞は、対日戦争は「ドイツとの戦争とは基本的に違っていた」と分析している。ロシア政府の公式見解とはかなり異なる見方である。
・日ソ戦争は、日本ではなくソ連の方から正当な理由なく攻撃を仕掛けた戦争である(ソ連は1945年8月8日に日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告した)。
・日本の敗戦によってソ連は南サハリンとクリル(千島)列島を取り戻した。しかし、その領土のすべては、必ずしも日露戦争(1904~1905年)で失ったものではない。
・日ソ戦争で戦死したソ連兵は約8200人。ドイツとの戦争における戦死者の数は数百万人単位であり、それと比べると桁違いに少ない。
・対日戦争はよく計画され、実行されたものであった。しかし、国民の感情に火をつけるほどの「悲劇と栄光の出来事」とは言えない。そのため、国民の中にこれを記念しようという声は沸き起こっていない。
対日戦争を客観的に正しく見ようという動き
真実を尊重して曇りのない目で歴史を見るのは、どこの国においても極めて難しい作業である。長年にわたって「国家による『公式』歴史観」が支配していた国では特に難しい。
現在のロシアでは、ソ連時代から続く「公式歴史観」と、リベラルな歴史観が対立して存在している。対日戦争の記念日復活を巡る意見に食い違いが見られるのはそのためである。
ネット上では、対日戦争を客観的に「良心の立場」から見ようという動きが現れてきている。注目すべきなのは、リベラルな筋だけではなく、今まで愛国主義的だった人たちの中にも記念日復活に反対する意見が現れているということだ。
その1つに、「正教・君主制・民族心」のスローガンで活動している民族派の「ロシア・ライン」というサイトがある。
3月9日、同サイト上で、ロシア正教イルクーツク州教区の宣教部長のプシカリョーフ主席司祭が自らの見解を発表した。「極めてまっとうな道義と正義の立場から、対日戦争記念日の復活に反対する」と主席司祭は訴えている。
「疑念を抱かれる歴史については黙っているべき」
主席司祭は、こう断言する。「我々がその戦争に勝利したことは間違いないが、日本を攻撃したのは我々である。もしも我々が日本から攻撃されていたら、領土と賠償を要求する権利があっただろう。しかし、事実はそうではない。逆に日本は、あの戦争で我々が不法占領した領土を1875年条約(サハリン千島交換条約)の範囲で要求する権利がある」
一方で主席司祭は、人道に反する犯罪を伴った日本の朝鮮併合や、満州事変から始まった中国に対する侵略を取り上げている。また、ノモンハン事件、真珠湾攻撃やシンガポール陥落等々の侵略戦争のいきさつにも触れる。そして、主席司祭は、南北朝鮮や中国、モンゴルと米国と英国には、対日戦争の勝利を祝う権利があるという。しかし、ロシアにはその権利はないと主張する。
日露戦争での敗戦の報復として、ソ連が「帝国主義的な略奪者」としての行動に出たのが対日戦争であったと論じている。
意見書の最後には、「我々が公明正大に戦って勝ったドイツとの偉大な戦争は、勝利を記念する必要性が十分にある。しかし、疑念を抱かれる歴史については、黙っていた方がいいのではないか」とまとめている。
プシカリョーフ主席司祭は、生粋のロシア人である。1967年生まれで、7人の子供がいる。80年代にソ連軍に懲兵され、90年代にイルクーツク国立大学を卒業してから聖職受任を行った。シベリアではかなり有名なオピニオンリーダーの1人である。
主席司祭が意見書を発表すると、ネット上で活発な議論が沸き起こった。主席司祭に賛成する人たちは「対日戦争のことは、あまりよく知らない」「決して喜ぶべき勝利ではなかった」と言う。主席司祭がソ連を「帝国主義的な略奪者」と表現したことにいらだっている人も少なからずいたが、記念日を復活する必要がないとの意見は圧倒的に多い。
しかし、今のところ政府は聖職者の意見を無視して対日戦勝記念日を復活する公算が大きい。
PR
種子島宇宙センター
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%AE%E5%AD%90%E5%B3%B6%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC
三菱重工業
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E9%87%8D%E5%B7%A5%E6%A5%AD#.E5.AE.87.E5.AE.99.E6.A9.9F.E5.99.A8
7月3日14時32分配信 読売新聞
日本の主力ロケット「H2A」の打ち上げ拠点である宇宙航空研究開発機構の「種子島宇宙センター」(鹿児島県南種子町)で、設備の深刻な老朽化が進んでいる。
毎年約10億円をかけて補修しているが、海に面した施設は、塩害で急速に腐食し、対策が追いつかない。H2Aの打ち上げは、2007年に民間移管され、本格的な商業衛星、安全保障用の情報収集衛星などの打ち上げが控えており、施設の老朽化は、わが国の宇宙開発を足元から揺るがしている。
01年に登場したH2A以前は、新技術開発に重点が置かれ、10回足らずの打ち上げで新ロケットと交代された。そのため施設も大幅に改修された。さらに打ち上げる衛星も大半が国の技術衛星で、打ち上げに遅れが生じても影響は少なく、施設の老朽化問題は深刻化していなかった。
宇宙機構やH2Aの製造・打ち上げを担当する三菱重工業によると、最も深刻なのは、ロケット組み立て棟(高さ約80メートル。延べ床面積約4600平方メートル)。さびついて壁に穴があき、雨水や海水が屋内に入り込む。ロケットの電気部品は水に弱いため、点検に時間を取られ、部品交換が必要になることもあるという。穴から鳥やネズミが侵入し、配線をかじる被害も起きているという。巨大な建物のため穴を特定することも難しい。
発射台でも、H2Aに燃料や高圧ガスを送る配管に穴があき、時々ガス漏れが発生。配管を開閉する弁の矢印がさびで見えなくなり、昨年3月には、作業員が弁を逆に回し、試験が6日間延期された。発射台の点検塔のさびがはがれて落下し、ロケットを直撃することもあった。
H2Aは、これまで17回打ち上げられ、最近11回は連続成功し、今後20年間は使うことになっている。来年度には、海外から初の受注となる韓国の衛星の打ち上げも予定されている。
三菱重工技監・技師長の前村孝志さんは「技術者が毎日点検するなど人海戦術でしのいでいる。安定した打ち上げには、ロケットだけではなく、施設も良い状態であることが必要」と話している。
◆種子島宇宙センター=鹿児島県種子島にある日本最大のロケット打ち上げ施設。総面積約970万平方メートル。1969年に開設され、人工衛星打ち上げの中心的役割を担ってきた。青い海岸に面し、「世界一美しいロケット打ち上げ施設」とも言われる。2007年4月以降、打ち上げは宇宙航空研究開発機構から三菱重工業に移管された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%AE%E5%AD%90%E5%B3%B6%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC
三菱重工業
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E9%87%8D%E5%B7%A5%E6%A5%AD#.E5.AE.87.E5.AE.99.E6.A9.9F.E5.99.A8
7月3日14時32分配信 読売新聞
日本の主力ロケット「H2A」の打ち上げ拠点である宇宙航空研究開発機構の「種子島宇宙センター」(鹿児島県南種子町)で、設備の深刻な老朽化が進んでいる。
毎年約10億円をかけて補修しているが、海に面した施設は、塩害で急速に腐食し、対策が追いつかない。H2Aの打ち上げは、2007年に民間移管され、本格的な商業衛星、安全保障用の情報収集衛星などの打ち上げが控えており、施設の老朽化は、わが国の宇宙開発を足元から揺るがしている。
01年に登場したH2A以前は、新技術開発に重点が置かれ、10回足らずの打ち上げで新ロケットと交代された。そのため施設も大幅に改修された。さらに打ち上げる衛星も大半が国の技術衛星で、打ち上げに遅れが生じても影響は少なく、施設の老朽化問題は深刻化していなかった。
宇宙機構やH2Aの製造・打ち上げを担当する三菱重工業によると、最も深刻なのは、ロケット組み立て棟(高さ約80メートル。延べ床面積約4600平方メートル)。さびついて壁に穴があき、雨水や海水が屋内に入り込む。ロケットの電気部品は水に弱いため、点検に時間を取られ、部品交換が必要になることもあるという。穴から鳥やネズミが侵入し、配線をかじる被害も起きているという。巨大な建物のため穴を特定することも難しい。
発射台でも、H2Aに燃料や高圧ガスを送る配管に穴があき、時々ガス漏れが発生。配管を開閉する弁の矢印がさびで見えなくなり、昨年3月には、作業員が弁を逆に回し、試験が6日間延期された。発射台の点検塔のさびがはがれて落下し、ロケットを直撃することもあった。
H2Aは、これまで17回打ち上げられ、最近11回は連続成功し、今後20年間は使うことになっている。来年度には、海外から初の受注となる韓国の衛星の打ち上げも予定されている。
三菱重工技監・技師長の前村孝志さんは「技術者が毎日点検するなど人海戦術でしのいでいる。安定した打ち上げには、ロケットだけではなく、施設も良い状態であることが必要」と話している。
◆種子島宇宙センター=鹿児島県種子島にある日本最大のロケット打ち上げ施設。総面積約970万平方メートル。1969年に開設され、人工衛星打ち上げの中心的役割を担ってきた。青い海岸に面し、「世界一美しいロケット打ち上げ施設」とも言われる。2007年4月以降、打ち上げは宇宙航空研究開発機構から三菱重工業に移管された。
-黒龍江省農墾総局及び黒龍江省農業科学院と業務提携-
http://release.nikkei.co.jp/attach.cfm?attID=0254757_02.JPG
黒竜江省
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E9%BE%8D%E6%B1%9F%E7%9C%81
伊藤忠商事
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%BF%A0%E5%95%86%E4%BA%8B
この度、伊藤忠商事株式会社(本社:東京都港区、代表取締役社長:岡藤正広、以下「伊藤忠商事」)は、野菜、穀物の一大供給地である中国黒龍江省に於いて、広大な国営農場を管轄する黒龍江省農墾総局、並びに農作物の専門研究機関である黒龍江省農業科学院のそれぞれと業務提携を締結いたしました。
この提携により、伊藤忠商事は黒龍江省農墾総局傘下の農場で、日本の栽培技術を導入して、野菜、穀物を生産し、更に黒龍江省農業科学院の施設で安全性の検査を行うことにより、安心安全な農作物の安定供給体制を構築いたします。また、黒龍江省農墾総局は伊藤忠商事を通じて農作物の生産と販売を拡大することを目指します。
黒龍江省は、面積が日本の1.1倍、1千万haの耕地面積を有し、農民1人あたりの耕地面積は中国全国平均の5倍であり、黒龍江省農墾総局をバックにした大規模農場をベースに、大豆、コーン、米の生産量は、中国全国生産量の、それぞれ、33%、11%、8%で、各全国1位、3位、5位に及ぶ中国最大の穀物供給地です。 またアメリカ中西部、ウクライナと並ぶ、世界三大黒土地帯であり肥沃な土壌を有し、春から夏にかけての日照時間が長く、昼夜の寒暖差が大きく、美味しい農産物を栽培する条件を備えています。
伊藤忠商事と黒龍江省農墾総局は今回の業務提携に先駆けて、2008年に黒龍江省農墾総局傘下の黒龍江九三油脂有限責任公司と合弁で黒龍江藤光糧油食品有限公司(伊藤忠(中国)集団有限公司85%、黒龍江九三油脂有限責任公司15%)を設立、栽培から物流まで品質管理を徹底した大豆の供給を開始しております。2009年には同じく黒龍江省農墾総局傘下の北大荒■亜経貿有限責任公司への資本参加(出資比率10%)にも合意し、穀物類を中心に委託栽培による供給体制を確立いたしました。今後、農墾総局との間では、野菜類の供給を中心とする取組も進めており、新たな合弁会社設立も視野に入れて進めていきます。試験栽培において、日本の優れた栽培技術を持った農家からの指導も行い、期待通りの品質・規格の作物が収穫できることと安全性を確認した後、日本のスーパー・小売業からの栽培受託も引受けていく予定です。
※■印の文字の入った「北大荒■亜経貿有限責任公司」の正式表記は添付の関連資料を参照
これらの取組みに合わせ伊藤忠商事は、従来ハルビンには連絡事務所のみの設置でしたが、来月には、新たに、現地法人(伊藤忠(大連)有限公司ハルビン分公司)を設立させる予定であり、黒龍江省での総合的展開を更に拡大していきます。
更に伊藤忠商事は黒龍江省農業科学院との業務提携により、黒龍江省内で農作物の安全性の検査を行うことが可能となりました。黒龍江省農業科学院は、既に高いレベルの食品検査技術を保有しておりますが、更なるレベル向上の為、日本からの技術指導も行います。なお、検査技術の指導については、日本最大手の検査機関の1つである(財)日本冷凍食品検査協会が行います。
中国に於いても所得レベルの向上に伴って、高付加価値商品へのニーズが増しており、同時に昨今の食の安全を脅かす事案の増加もあり、安心安全な食品へのニーズは急速に高まっております。伊藤忠商事は黒龍江省で日本、中国のそれぞれのニーズに合った商品作りを進める為、従来から構築している中国国内外に於けるマーケティング機能と流通ネットワーク、また加工・消費地における二次・三次検査体制に今回の業務提携による農産物の栽培管理と産地検査体制を加えることにより、安心安全な農産物のグローバル・バリュー・チェーンの構築を一層強化・推進し、中国でのSIS戦略の構築を進めていきます。
※SIS(Strategic Integrated System)戦略: 原料から製品・食料全般にわたる事業領域に於いて、国内外で資源開発からリテールまでを垂直統合した効率的な商品の生産・流通・販売を行う戦略。
*伊藤忠商事の中国展開
「巨大消費市場」中国への布石一貫した中国重視の姿勢がもたらした「中国最強商社」の地位
「国交が回復すれば、中国市場は必ず重要な貿易国になる」。こういった判断のもと、進出のためのさまざまな準備を進めてきた伊藤忠商事は、1972年の日中国交正常化の半年前の1972年3月、大手総合商社としてはじめて、国務院の正式批准を得て日中貿易に復帰を果たしました。その後も1979年の北京駐在員事務所開設、1992年上海現地法人の設立、1993年の傘型企業の許認可取得、2005年の多国籍企業「地域本部」の認定取得など、常に市場に先鞭をつけながら、中国市場における地歩を着々と築き上げていきました。
継続的に経営資源を重点配備してきた結果、大手総合商社のなかでは最大級の拠点網を整えるとともに、幅広い人的ネットワーク、有力企業との提携関係、そして、中国に関する豊富な知見を備えた人材の層の厚さといった競争優位性を確立しています。「中国最強商社伊藤忠」という現在の地位は、こういった先見性と一貫した中国重視の姿勢がもたらしたのです。
伊藤忠商事の中国とのかかわり
1972年 大手商社初の日中貿易再開の批准取得
1979年 大手商社初の北京駐在員事務所開設
1992年 大手商社初の上海現地法人設立
1993年 大手商社初の傘型企業の許認可取得
2005年 大手商社初の多国籍企業「地域本部」の認定取得
伊藤忠商事の強み
大手商社の中で最大級の拠点を整備
(7現地法人、6現地法人分公司、4本社駐在員事務所)
人的ネットワークの広さ
現地における大企業との密接な提携関係
中国に関する知見とチャネル (調達ソース、販路、リスクマネジメントノウハウ)
中国ビジネスに精通した人材の層の厚さ
「生活消費関連」分野で大手企業との協力関係を構築内需拡大を見据えた先行布石
世界同時不況により同国も輸出分野において、大きな影響を受けていますが、その一方、積極的なインフラ投資などによる経済刺激策により、内需主導の経済成長が期待されます。中国経済が、世界経済回復の牽引役となることは間違いないと思います。これまでの中国の経済成長は、輸出により支えられていた面もありますが、今後、成長のドライバーは内需の拡大に移ると考えています。伊藤忠商事は、これまで常に中長期的な視野で産業構造の変化を分析・予測し、先回りした取り組みを進めてきました。これまでの「世界の工場」としての成長から、内需を中心とした「巨大消費市場」としての成長への中国経済の構造変革に対しても、当社が強みを有する「生活消費関連」分野において2009年3月期は大型の投資を実行し、次ページでご説明する有力企業とのパートナーシップを築き上げるなど、確実に将来の布石を打っています。また、長江デルタ地域、珠海デルタ地域や、環渤海湾地域などの沿岸地域に加え、東北三省及び中西部地域への取り組みも強化しており、今後大きな成長潜在力を有する内陸部でのビジネスチャンスを掴むため努力しています。さらに、有力企業とのパートナーシップを中国国内にとどまらず、グローバルに展開していくことも検討しています。
*頂新グループとの事業パートナーシップ強化
「13億の個人消費」を掴むための布石
世界同時不況の中、総人口13億の旺盛な個人消費を牽引役に2009年も8%前後の高成長が見込まれる中国市場。
近年高まりを見せる高級化志向や「食の安全」への関心は、食料分野に強みを有する伊藤忠商事に大きな商機をもたらしています。
当社は食料分野で推進するグローバルSIS戦略(※)の中心に中国市場を据え、国内企業及び現地の有力パートナーとの密接な連携のもと、食品安全管理やトレーサビリティといった日本が優位性を持つノウハウを活かした市場開拓を推進しています。2008年11月に実施した頂新(ケイマン)ホールディング(以下、「頂新」)への出資及び事業パートナーシップの構築は、その戦略推進上、大きな意義を持つ取り組みです。
頂新は、康師傅他を傘下に有する中国及び台湾食品・流通最大手である頂新グループの持株会社です。約689億円の出資(出資比率20%)による今回の事業パートナーシップ強化のねらいは、富裕層、中間層が厚みを増しつつある中国市場において、伊藤忠商事の高度な経営管理や、日本の優れた食品安全管理及び品質向上ノウハウで差別化を図り、頂新の企業価値を向上させていくことにあります。また当社は、頂新の事業基盤の活用により中国及び台湾の食品・流通市場における広範な事業展開も進めていく方針です。今後は、本件を足がかりにアジア・豪州を含めたグローバルSIS戦略へと展開していきます。
※ 消費者ニーズを起点として、川上(食糧資源開発・製造加工)、川中(中間流通)、川下(リーテイル販売)までを垂直統合し、生産・流通・販売の効率性を追求する戦略。
*杉杉集団有限公司との資本及び業務提携
2009年2月、伊藤忠商事は杉杉集団有限公司の株式28%を取得し、持分法適用関連会社化しました。
杉杉集団有限公司は、繊維事業を起源とし、資源・エネルギー、電子部品、食糧、金融、不動産等、事業領域を拡大している中国有数の複合企業グループです。
伊藤忠商事は1993年に対日、対米向けアパレル製品のOEM生産委託に始まり、それらを拡大しながら、共同でレノマ、マルコアザーリ、ルコック等のブランド事業も中国国内で展開してきましたが、このたびの資本及び業務提携を機に、中長期にわたる強いパートナーシップを構築し、繊維のみならず他分野でも戦略的取組みを加速させることにいたしました。
まずは、ブランド事業やOEMなど繊維分野の取引強化から始め、リチウム電池材料や不動産開発事業など、他分野での事業においても取引関係を強化していく方針です。
杉杉と共同でグループ経営体制を構築することにより、当社の持つ経営管理やブランドノウハウ、先端技術、グローバルネットワークを中国市場で活かすことで、欧米を含めたグローバル展開を視野に同社の差別化を図り、更なる企業価値向上に寄与して参ります。
*中国物流事業
物流部門は、中国国内において北京太平洋物流有限公司、頂通控股有限公司を中心に80ヵ所超の物流拠点を展開し、中国消費経済の発展に伴う内需拡大に対応した物流機能を提供しています。化粧品・アパレル・トイレタリーなどにおいて、日系企業を中心とした一流メーカーの中国国内販売拡大に貢献しており、2008年度の売上高は当社グループ全体で100億円を突破し、過去3年間で年率平均約20%の伸びとなっています。
また、グループの中核事業会社である伊藤忠ロジスティクス株式会社を子会社化し、その国際物流ネットワークと国内物流機能を結合させることにより、グローバルサプライチェーン機能の強化を目指します。さらに、将来的には同様のビジネスモデルを他の新興国へも展開していきます。
http://release.nikkei.co.jp/attach.cfm?attID=0254757_02.JPG
黒竜江省
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E9%BE%8D%E6%B1%9F%E7%9C%81
伊藤忠商事
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%BF%A0%E5%95%86%E4%BA%8B
この度、伊藤忠商事株式会社(本社:東京都港区、代表取締役社長:岡藤正広、以下「伊藤忠商事」)は、野菜、穀物の一大供給地である中国黒龍江省に於いて、広大な国営農場を管轄する黒龍江省農墾総局、並びに農作物の専門研究機関である黒龍江省農業科学院のそれぞれと業務提携を締結いたしました。
この提携により、伊藤忠商事は黒龍江省農墾総局傘下の農場で、日本の栽培技術を導入して、野菜、穀物を生産し、更に黒龍江省農業科学院の施設で安全性の検査を行うことにより、安心安全な農作物の安定供給体制を構築いたします。また、黒龍江省農墾総局は伊藤忠商事を通じて農作物の生産と販売を拡大することを目指します。
黒龍江省は、面積が日本の1.1倍、1千万haの耕地面積を有し、農民1人あたりの耕地面積は中国全国平均の5倍であり、黒龍江省農墾総局をバックにした大規模農場をベースに、大豆、コーン、米の生産量は、中国全国生産量の、それぞれ、33%、11%、8%で、各全国1位、3位、5位に及ぶ中国最大の穀物供給地です。 またアメリカ中西部、ウクライナと並ぶ、世界三大黒土地帯であり肥沃な土壌を有し、春から夏にかけての日照時間が長く、昼夜の寒暖差が大きく、美味しい農産物を栽培する条件を備えています。
伊藤忠商事と黒龍江省農墾総局は今回の業務提携に先駆けて、2008年に黒龍江省農墾総局傘下の黒龍江九三油脂有限責任公司と合弁で黒龍江藤光糧油食品有限公司(伊藤忠(中国)集団有限公司85%、黒龍江九三油脂有限責任公司15%)を設立、栽培から物流まで品質管理を徹底した大豆の供給を開始しております。2009年には同じく黒龍江省農墾総局傘下の北大荒■亜経貿有限責任公司への資本参加(出資比率10%)にも合意し、穀物類を中心に委託栽培による供給体制を確立いたしました。今後、農墾総局との間では、野菜類の供給を中心とする取組も進めており、新たな合弁会社設立も視野に入れて進めていきます。試験栽培において、日本の優れた栽培技術を持った農家からの指導も行い、期待通りの品質・規格の作物が収穫できることと安全性を確認した後、日本のスーパー・小売業からの栽培受託も引受けていく予定です。
※■印の文字の入った「北大荒■亜経貿有限責任公司」の正式表記は添付の関連資料を参照
これらの取組みに合わせ伊藤忠商事は、従来ハルビンには連絡事務所のみの設置でしたが、来月には、新たに、現地法人(伊藤忠(大連)有限公司ハルビン分公司)を設立させる予定であり、黒龍江省での総合的展開を更に拡大していきます。
更に伊藤忠商事は黒龍江省農業科学院との業務提携により、黒龍江省内で農作物の安全性の検査を行うことが可能となりました。黒龍江省農業科学院は、既に高いレベルの食品検査技術を保有しておりますが、更なるレベル向上の為、日本からの技術指導も行います。なお、検査技術の指導については、日本最大手の検査機関の1つである(財)日本冷凍食品検査協会が行います。
中国に於いても所得レベルの向上に伴って、高付加価値商品へのニーズが増しており、同時に昨今の食の安全を脅かす事案の増加もあり、安心安全な食品へのニーズは急速に高まっております。伊藤忠商事は黒龍江省で日本、中国のそれぞれのニーズに合った商品作りを進める為、従来から構築している中国国内外に於けるマーケティング機能と流通ネットワーク、また加工・消費地における二次・三次検査体制に今回の業務提携による農産物の栽培管理と産地検査体制を加えることにより、安心安全な農産物のグローバル・バリュー・チェーンの構築を一層強化・推進し、中国でのSIS戦略の構築を進めていきます。
※SIS(Strategic Integrated System)戦略: 原料から製品・食料全般にわたる事業領域に於いて、国内外で資源開発からリテールまでを垂直統合した効率的な商品の生産・流通・販売を行う戦略。
*伊藤忠商事の中国展開
「巨大消費市場」中国への布石一貫した中国重視の姿勢がもたらした「中国最強商社」の地位
「国交が回復すれば、中国市場は必ず重要な貿易国になる」。こういった判断のもと、進出のためのさまざまな準備を進めてきた伊藤忠商事は、1972年の日中国交正常化の半年前の1972年3月、大手総合商社としてはじめて、国務院の正式批准を得て日中貿易に復帰を果たしました。その後も1979年の北京駐在員事務所開設、1992年上海現地法人の設立、1993年の傘型企業の許認可取得、2005年の多国籍企業「地域本部」の認定取得など、常に市場に先鞭をつけながら、中国市場における地歩を着々と築き上げていきました。
継続的に経営資源を重点配備してきた結果、大手総合商社のなかでは最大級の拠点網を整えるとともに、幅広い人的ネットワーク、有力企業との提携関係、そして、中国に関する豊富な知見を備えた人材の層の厚さといった競争優位性を確立しています。「中国最強商社伊藤忠」という現在の地位は、こういった先見性と一貫した中国重視の姿勢がもたらしたのです。
伊藤忠商事の中国とのかかわり
1972年 大手商社初の日中貿易再開の批准取得
1979年 大手商社初の北京駐在員事務所開設
1992年 大手商社初の上海現地法人設立
1993年 大手商社初の傘型企業の許認可取得
2005年 大手商社初の多国籍企業「地域本部」の認定取得
伊藤忠商事の強み
大手商社の中で最大級の拠点を整備
(7現地法人、6現地法人分公司、4本社駐在員事務所)
人的ネットワークの広さ
現地における大企業との密接な提携関係
中国に関する知見とチャネル (調達ソース、販路、リスクマネジメントノウハウ)
中国ビジネスに精通した人材の層の厚さ
「生活消費関連」分野で大手企業との協力関係を構築内需拡大を見据えた先行布石
世界同時不況により同国も輸出分野において、大きな影響を受けていますが、その一方、積極的なインフラ投資などによる経済刺激策により、内需主導の経済成長が期待されます。中国経済が、世界経済回復の牽引役となることは間違いないと思います。これまでの中国の経済成長は、輸出により支えられていた面もありますが、今後、成長のドライバーは内需の拡大に移ると考えています。伊藤忠商事は、これまで常に中長期的な視野で産業構造の変化を分析・予測し、先回りした取り組みを進めてきました。これまでの「世界の工場」としての成長から、内需を中心とした「巨大消費市場」としての成長への中国経済の構造変革に対しても、当社が強みを有する「生活消費関連」分野において2009年3月期は大型の投資を実行し、次ページでご説明する有力企業とのパートナーシップを築き上げるなど、確実に将来の布石を打っています。また、長江デルタ地域、珠海デルタ地域や、環渤海湾地域などの沿岸地域に加え、東北三省及び中西部地域への取り組みも強化しており、今後大きな成長潜在力を有する内陸部でのビジネスチャンスを掴むため努力しています。さらに、有力企業とのパートナーシップを中国国内にとどまらず、グローバルに展開していくことも検討しています。
*頂新グループとの事業パートナーシップ強化
「13億の個人消費」を掴むための布石
世界同時不況の中、総人口13億の旺盛な個人消費を牽引役に2009年も8%前後の高成長が見込まれる中国市場。
近年高まりを見せる高級化志向や「食の安全」への関心は、食料分野に強みを有する伊藤忠商事に大きな商機をもたらしています。
当社は食料分野で推進するグローバルSIS戦略(※)の中心に中国市場を据え、国内企業及び現地の有力パートナーとの密接な連携のもと、食品安全管理やトレーサビリティといった日本が優位性を持つノウハウを活かした市場開拓を推進しています。2008年11月に実施した頂新(ケイマン)ホールディング(以下、「頂新」)への出資及び事業パートナーシップの構築は、その戦略推進上、大きな意義を持つ取り組みです。
頂新は、康師傅他を傘下に有する中国及び台湾食品・流通最大手である頂新グループの持株会社です。約689億円の出資(出資比率20%)による今回の事業パートナーシップ強化のねらいは、富裕層、中間層が厚みを増しつつある中国市場において、伊藤忠商事の高度な経営管理や、日本の優れた食品安全管理及び品質向上ノウハウで差別化を図り、頂新の企業価値を向上させていくことにあります。また当社は、頂新の事業基盤の活用により中国及び台湾の食品・流通市場における広範な事業展開も進めていく方針です。今後は、本件を足がかりにアジア・豪州を含めたグローバルSIS戦略へと展開していきます。
※ 消費者ニーズを起点として、川上(食糧資源開発・製造加工)、川中(中間流通)、川下(リーテイル販売)までを垂直統合し、生産・流通・販売の効率性を追求する戦略。
*杉杉集団有限公司との資本及び業務提携
2009年2月、伊藤忠商事は杉杉集団有限公司の株式28%を取得し、持分法適用関連会社化しました。
杉杉集団有限公司は、繊維事業を起源とし、資源・エネルギー、電子部品、食糧、金融、不動産等、事業領域を拡大している中国有数の複合企業グループです。
伊藤忠商事は1993年に対日、対米向けアパレル製品のOEM生産委託に始まり、それらを拡大しながら、共同でレノマ、マルコアザーリ、ルコック等のブランド事業も中国国内で展開してきましたが、このたびの資本及び業務提携を機に、中長期にわたる強いパートナーシップを構築し、繊維のみならず他分野でも戦略的取組みを加速させることにいたしました。
まずは、ブランド事業やOEMなど繊維分野の取引強化から始め、リチウム電池材料や不動産開発事業など、他分野での事業においても取引関係を強化していく方針です。
杉杉と共同でグループ経営体制を構築することにより、当社の持つ経営管理やブランドノウハウ、先端技術、グローバルネットワークを中国市場で活かすことで、欧米を含めたグローバル展開を視野に同社の差別化を図り、更なる企業価値向上に寄与して参ります。
*中国物流事業
物流部門は、中国国内において北京太平洋物流有限公司、頂通控股有限公司を中心に80ヵ所超の物流拠点を展開し、中国消費経済の発展に伴う内需拡大に対応した物流機能を提供しています。化粧品・アパレル・トイレタリーなどにおいて、日系企業を中心とした一流メーカーの中国国内販売拡大に貢献しており、2008年度の売上高は当社グループ全体で100億円を突破し、過去3年間で年率平均約20%の伸びとなっています。
また、グループの中核事業会社である伊藤忠ロジスティクス株式会社を子会社化し、その国際物流ネットワークと国内物流機能を結合させることにより、グローバルサプライチェーン機能の強化を目指します。さらに、将来的には同様のビジネスモデルを他の新興国へも展開していきます。
台湾
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE
中華民国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9B%BD
自由貿易協定(FTA)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%B2%BF%E6%98%93%E5%8D%94%E5%AE%9A
2010/06/30 09:53更新 産経新聞
中国と台湾が自由貿易協定に相当する経済協力枠組み協定(ECFA)に調印した。来年1月にも発効の見通しだが、台湾ではこれを契機とした中台経済の一体化が政治統一までつながることへの警戒も強い。そうした事態を防ぐには日米などが台湾との自由貿易協定(FTA)締結を急ぎ、台湾経済が過度に中国に依存しないようにする必要がある。
対中関係改善を掲げた馬英九・中国国民党政権の発足以来、中台は三通(直接の通商、通航、通信)解禁など、12の合意文書に調印した。背景には中国が台湾にとって最大の貿易、投資相手国となってしまった現実がある。
しかしECFAの賛否となると、台湾世論は二つに割れている。協定が明記したように、ECFAは互いの貿易・投資・産業など経済全体の垣根を段階的に撤廃し、「一つの中国市場」形成を促す内容になっているからだ。
中国は台湾に早期に関税を撤廃する品目として539(台湾の対中輸出額約140億ドル)を与えた。台湾は中国に267品目(中国の対台湾輸出額約30億ドル)しか与えていないから、中国が利益を譲ったようにみえる。
しかし協定序文は「徐々に貿易と投資の障壁を撤廃し、公平な貿易投資環境を創(つく)る」とうたってもいる。いずれは台湾が自由化を拒んでいる農産品も開放され、大陸から安い賃金の労働力が流れ込むのは必至だ。中国の譲歩は経済統合を促す誘い水といえる。
より根本的な問題は、ECFAが「一つの中国」を前提とした中台の「特殊な関係下の取り決め」(台湾当局)であって、主権国家間のFTAではないことだ。
協定の調印主体は民間の体裁をとった中台の交流団体である。中国からすれば「一つの中国」のもとでの大陸地区と台湾地区の国内取り決めだ。中国は経済、文化、政治の段階的統合を通じて台湾統一を進める戦略で、ECFAはその第一歩でもある。
一方、台湾住民の大多数は事実上の独立状態にある「現状維持」を望んでいる。馬政権もECFA締結後の最大課題として、諸外国とのFTA締結を掲げている。
台湾は世界貿易機関(WTO)のメンバーであり、その枠組みの中でほかのメンバーと貿易協定を結ぶことには道理がある。日米は安全保障の観点からも、これに積極的に応じるべきだ。
*台湾、与野党抗争激化へ 中台経済協力協定締結!
【台北=山本勲】台湾の馬英九政権はほぼ当初のもくろみ通り中国と経済協力枠組み協定(ECFA)を締結したが、正念場はこれからだ。これを機に公約通り諸外国との自由貿易協定(FTA)を結べるか。ECFAによる経済浮揚効果がどの程度になるか。ECFAをめぐる台湾の世論は真っ二つに割れているだけに、十分な成果が上がらなければ野党を勢いづけ、2012年の総統再選にも黄信号がともりかねない。
ECFAは遅くとも8月中に立法院(国会)の審議を経て、来年1月発効の見通しだ。野党第一党の民主進歩党(民進党)はECFAに強く反対しているが、与党の中国国民党が立法院議席の3分の2を占めており大きな障害にならない。
野党第二党の台湾団結連盟は、先月に続いて再びECFAの可否を問う住民投票実施を行政院(政府)に求める構えだ。しかし住民投票審議委員会の委員は与党系が多数を占めているから、実現はかなり難しい。
それだけにECFAの反対運動は街頭デモなどの直接行動となりやすい。民進党など独立派は26日、台北市で数万人規模の大規模デモを行った。
これには87歳と高齢の李登輝元総統も参加、「棄馬保台(馬政権を棄て台湾を護ろう)」などと呼びかけて大喝采(かっさい)を浴びた。李元総統と、蔡英文主席率いる民進党との関係緊密化は、馬政権にとって大きな脅威となりつつある。
馬総統の試練は、諸外国とのFTA締結の成否にある。馬総統はECFAを「諸外国とのFTA締結の突破口」と唱えてきた。ECFAを結べば、中国が台湾のFTA交渉を妨害しないとの判断からだ。
しかし中国が今後も台湾と日米などのFTA締結に反対し続ければ、台湾の対中経済依存度ばかりが上昇して中国に併呑(へいどん)されかねない。
中台双方は協定発効から半年以内に、他の物品関税やサービス産業の自由化交渉を始めることを取り決めているが、今後の交渉での中国の出方は不透明だ。
中国が経済利益の見返りとして統一に向けた政治交渉を求めてくる可能性もある。対中交渉の前途はそう楽観できない。
*中国に接近 台湾の危険な賭け!
■馬総統 「経済孤立化」を回避
台湾と中国の間で、自由貿易協定(FTA)に相当する「経済協力枠組み協定(ECFA)」締結が秒読み段階に入っている。台湾の馬英九総統は今月中にもECFA調印を目指す意向を改めて示し、中国との関係改善による経済復興を目標に掲げる。馬総統がECFAに意欲的なのは世界経済からの孤立感が深まっているためだが、台湾内では中台統一を目指す中国に対する警戒心はぬぐえず、中国との経済外交戦略を描けるかどうか危険な賭けともいえる。一方、ECFA締結で中台企業連合が促進されれば、日本企業にとって脅威になることは間違いない。(小島清利)
「日韓、東南アジア諸国連合(ASEAN)、欧州連合(EU)とのFTAや、米国との投資貿易枠組み協定(TIFA)の締結交渉を自らの陣頭指揮で急ぎたい」。台湾の馬総統は、5月19日に開いた自らの就任2年記念の内外記者会見で、早くもECFA調印後の経済外交戦略に強い意欲を示した。
民進党をはじめとする台湾独立派はECFAを「経済統合を通じた中台統一の企て」と強く反対するなど、世論は真っ二つだ。そうした中で、就任2年を機にアジア、欧州、北米、アフリカなどから外国人記者を招いて会見し、馬総統が対中貿易振興に強い意欲をみせたのは、内外にECFAが既定路線であることを印象づける狙いがある。実際、馬総統は台湾経済に「黄金の10年を築く」と宣言した。
しかし、台湾経済をめぐる経済環境は厳しさを増す。ASEANを軸に東アジアでの地域経済統合の動きが加速するなど、FTAネットワークが急速に進行中。「ASEAN・中国包括的経済協力枠組み協定(ACFTA)」の下で双方が多数の品目で関税を撤廃するほか、ASEAN・韓国FTAでも大半の品目が無税化され、ASEAN・日本間でも関税撤廃が進む。
これに対し、台湾はパナマなど中米5カ国としかFTAを結べていない。馬政権はグローバル化の流れから取り残され、輸出競争力が低下することに強い危機感を抱いているわけだ。
■FTA交渉推進の突破口に
台湾が各国とのFTA締結が遅れているのは、中国の強い反対があるといわれる。そこで、中国とのECFA締結をテコに、諸外国とのFTA交渉の扉を開こうというのが馬政権の青写真だ。
しかし、ECFAを結んだからといって、中国が台湾のFTA推進に理解を示すとは限らない。むしろ、中台の経済一体化が加速し、中国に従属的な関係に陥る危険性さえも指摘されている。
それでもなお、着実に進行している台湾と中国の経済的接近の流れは止めることができないようだ。
「小旗を持った団体客のほとんどが、中国からお越しです」。台湾の代表的な観光地として有名な台北市北部にある国立故宮博物院。観光ガイドの女性がロビーに集まった大勢の観光客を指し、こう説明する。
故宮博物院は1925年北京に創設されたが、国共内戦を逃れ、総数60万点以上の所蔵物を台湾に運び出した。台湾に根を下ろしてから50年余りの歳月が過ぎた今、中国大陸からの観光客であふれかえっている。
中国との政治対立を抱えているため、これまで台湾当局は中国との経済交流を厳しく制限してきた。
だが、2008年5月に中国国民党の馬氏が総統の座に就任してからは、台湾と中国の経済交流は急速に進行している。
具体的には、中国人観光客の受け入れ拡大や中台直行便の拡充、台湾企業の台中投資規制の緩和、中国企業・資本の台湾投資規制の緩和などだ。これらの政策が次々と実行に移されると、「チャイワン(チャイナ+タイワン)」という造語をつくり、台湾の企業経営の難しさに警鐘を鳴らす海外マスコミも現れるほどだ。
台中関係の改善に向けた協議の場になっているのが、中国側の対台湾窓口機関である「海峡両岸関係協会」の陳雲林会長と、台湾側の対中窓口機関である「海峡交流基金会」の江丙坤理事長によるトップ会談(陳江会談)だ。
5月19日、台湾側の江理事長が海峡交流基金会の事務所でフジサンケイビジネスアイのインタビューに応じ、台湾孤立化の危機感をこう表現した。
「中国とのECFAの調印なくしては、日本や韓国、ASEANとはとても互角に競争できない。台湾にとっては死活問題だ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE
中華民国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9B%BD
自由貿易協定(FTA)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%B2%BF%E6%98%93%E5%8D%94%E5%AE%9A
2010/06/30 09:53更新 産経新聞
中国と台湾が自由貿易協定に相当する経済協力枠組み協定(ECFA)に調印した。来年1月にも発効の見通しだが、台湾ではこれを契機とした中台経済の一体化が政治統一までつながることへの警戒も強い。そうした事態を防ぐには日米などが台湾との自由貿易協定(FTA)締結を急ぎ、台湾経済が過度に中国に依存しないようにする必要がある。
対中関係改善を掲げた馬英九・中国国民党政権の発足以来、中台は三通(直接の通商、通航、通信)解禁など、12の合意文書に調印した。背景には中国が台湾にとって最大の貿易、投資相手国となってしまった現実がある。
しかしECFAの賛否となると、台湾世論は二つに割れている。協定が明記したように、ECFAは互いの貿易・投資・産業など経済全体の垣根を段階的に撤廃し、「一つの中国市場」形成を促す内容になっているからだ。
中国は台湾に早期に関税を撤廃する品目として539(台湾の対中輸出額約140億ドル)を与えた。台湾は中国に267品目(中国の対台湾輸出額約30億ドル)しか与えていないから、中国が利益を譲ったようにみえる。
しかし協定序文は「徐々に貿易と投資の障壁を撤廃し、公平な貿易投資環境を創(つく)る」とうたってもいる。いずれは台湾が自由化を拒んでいる農産品も開放され、大陸から安い賃金の労働力が流れ込むのは必至だ。中国の譲歩は経済統合を促す誘い水といえる。
より根本的な問題は、ECFAが「一つの中国」を前提とした中台の「特殊な関係下の取り決め」(台湾当局)であって、主権国家間のFTAではないことだ。
協定の調印主体は民間の体裁をとった中台の交流団体である。中国からすれば「一つの中国」のもとでの大陸地区と台湾地区の国内取り決めだ。中国は経済、文化、政治の段階的統合を通じて台湾統一を進める戦略で、ECFAはその第一歩でもある。
一方、台湾住民の大多数は事実上の独立状態にある「現状維持」を望んでいる。馬政権もECFA締結後の最大課題として、諸外国とのFTA締結を掲げている。
台湾は世界貿易機関(WTO)のメンバーであり、その枠組みの中でほかのメンバーと貿易協定を結ぶことには道理がある。日米は安全保障の観点からも、これに積極的に応じるべきだ。
*台湾、与野党抗争激化へ 中台経済協力協定締結!
【台北=山本勲】台湾の馬英九政権はほぼ当初のもくろみ通り中国と経済協力枠組み協定(ECFA)を締結したが、正念場はこれからだ。これを機に公約通り諸外国との自由貿易協定(FTA)を結べるか。ECFAによる経済浮揚効果がどの程度になるか。ECFAをめぐる台湾の世論は真っ二つに割れているだけに、十分な成果が上がらなければ野党を勢いづけ、2012年の総統再選にも黄信号がともりかねない。
ECFAは遅くとも8月中に立法院(国会)の審議を経て、来年1月発効の見通しだ。野党第一党の民主進歩党(民進党)はECFAに強く反対しているが、与党の中国国民党が立法院議席の3分の2を占めており大きな障害にならない。
野党第二党の台湾団結連盟は、先月に続いて再びECFAの可否を問う住民投票実施を行政院(政府)に求める構えだ。しかし住民投票審議委員会の委員は与党系が多数を占めているから、実現はかなり難しい。
それだけにECFAの反対運動は街頭デモなどの直接行動となりやすい。民進党など独立派は26日、台北市で数万人規模の大規模デモを行った。
これには87歳と高齢の李登輝元総統も参加、「棄馬保台(馬政権を棄て台湾を護ろう)」などと呼びかけて大喝采(かっさい)を浴びた。李元総統と、蔡英文主席率いる民進党との関係緊密化は、馬政権にとって大きな脅威となりつつある。
馬総統の試練は、諸外国とのFTA締結の成否にある。馬総統はECFAを「諸外国とのFTA締結の突破口」と唱えてきた。ECFAを結べば、中国が台湾のFTA交渉を妨害しないとの判断からだ。
しかし中国が今後も台湾と日米などのFTA締結に反対し続ければ、台湾の対中経済依存度ばかりが上昇して中国に併呑(へいどん)されかねない。
中台双方は協定発効から半年以内に、他の物品関税やサービス産業の自由化交渉を始めることを取り決めているが、今後の交渉での中国の出方は不透明だ。
中国が経済利益の見返りとして統一に向けた政治交渉を求めてくる可能性もある。対中交渉の前途はそう楽観できない。
*中国に接近 台湾の危険な賭け!
■馬総統 「経済孤立化」を回避
台湾と中国の間で、自由貿易協定(FTA)に相当する「経済協力枠組み協定(ECFA)」締結が秒読み段階に入っている。台湾の馬英九総統は今月中にもECFA調印を目指す意向を改めて示し、中国との関係改善による経済復興を目標に掲げる。馬総統がECFAに意欲的なのは世界経済からの孤立感が深まっているためだが、台湾内では中台統一を目指す中国に対する警戒心はぬぐえず、中国との経済外交戦略を描けるかどうか危険な賭けともいえる。一方、ECFA締結で中台企業連合が促進されれば、日本企業にとって脅威になることは間違いない。(小島清利)
「日韓、東南アジア諸国連合(ASEAN)、欧州連合(EU)とのFTAや、米国との投資貿易枠組み協定(TIFA)の締結交渉を自らの陣頭指揮で急ぎたい」。台湾の馬総統は、5月19日に開いた自らの就任2年記念の内外記者会見で、早くもECFA調印後の経済外交戦略に強い意欲を示した。
民進党をはじめとする台湾独立派はECFAを「経済統合を通じた中台統一の企て」と強く反対するなど、世論は真っ二つだ。そうした中で、就任2年を機にアジア、欧州、北米、アフリカなどから外国人記者を招いて会見し、馬総統が対中貿易振興に強い意欲をみせたのは、内外にECFAが既定路線であることを印象づける狙いがある。実際、馬総統は台湾経済に「黄金の10年を築く」と宣言した。
しかし、台湾経済をめぐる経済環境は厳しさを増す。ASEANを軸に東アジアでの地域経済統合の動きが加速するなど、FTAネットワークが急速に進行中。「ASEAN・中国包括的経済協力枠組み協定(ACFTA)」の下で双方が多数の品目で関税を撤廃するほか、ASEAN・韓国FTAでも大半の品目が無税化され、ASEAN・日本間でも関税撤廃が進む。
これに対し、台湾はパナマなど中米5カ国としかFTAを結べていない。馬政権はグローバル化の流れから取り残され、輸出競争力が低下することに強い危機感を抱いているわけだ。
■FTA交渉推進の突破口に
台湾が各国とのFTA締結が遅れているのは、中国の強い反対があるといわれる。そこで、中国とのECFA締結をテコに、諸外国とのFTA交渉の扉を開こうというのが馬政権の青写真だ。
しかし、ECFAを結んだからといって、中国が台湾のFTA推進に理解を示すとは限らない。むしろ、中台の経済一体化が加速し、中国に従属的な関係に陥る危険性さえも指摘されている。
それでもなお、着実に進行している台湾と中国の経済的接近の流れは止めることができないようだ。
「小旗を持った団体客のほとんどが、中国からお越しです」。台湾の代表的な観光地として有名な台北市北部にある国立故宮博物院。観光ガイドの女性がロビーに集まった大勢の観光客を指し、こう説明する。
故宮博物院は1925年北京に創設されたが、国共内戦を逃れ、総数60万点以上の所蔵物を台湾に運び出した。台湾に根を下ろしてから50年余りの歳月が過ぎた今、中国大陸からの観光客であふれかえっている。
中国との政治対立を抱えているため、これまで台湾当局は中国との経済交流を厳しく制限してきた。
だが、2008年5月に中国国民党の馬氏が総統の座に就任してからは、台湾と中国の経済交流は急速に進行している。
具体的には、中国人観光客の受け入れ拡大や中台直行便の拡充、台湾企業の台中投資規制の緩和、中国企業・資本の台湾投資規制の緩和などだ。これらの政策が次々と実行に移されると、「チャイワン(チャイナ+タイワン)」という造語をつくり、台湾の企業経営の難しさに警鐘を鳴らす海外マスコミも現れるほどだ。
台中関係の改善に向けた協議の場になっているのが、中国側の対台湾窓口機関である「海峡両岸関係協会」の陳雲林会長と、台湾側の対中窓口機関である「海峡交流基金会」の江丙坤理事長によるトップ会談(陳江会談)だ。
5月19日、台湾側の江理事長が海峡交流基金会の事務所でフジサンケイビジネスアイのインタビューに応じ、台湾孤立化の危機感をこう表現した。
「中国とのECFAの調印なくしては、日本や韓国、ASEANとはとても互角に競争できない。台湾にとっては死活問題だ」
丹羽宇一郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E7%BE%BD%E5%AE%87%E4%B8%80%E9%83%8E
チャイナ・スクール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB
サーチナ
http://ja.wikipedia.org/wiki/Searchina
Searchina 2010/6/11
菅直人首相は、次期駐中国大使に伊藤忠商事の丹羽宇一郎相談役を起用する方針を固めた。民間からの駐中国大使の起用は、1972年の国交正常化後はじめてとなる。中国網日本語版(チャイナネット)は「この方針は菅内閣の新構想でなく、鳩山内閣の意思を引き継いだ構想で、民主党の人事入れ替えの戦略の一つと言える」と報じた。
これまで、駐中国大使には外務省出身者が起用されるのがほとんどだった。現在の宮本雄二大使は外務省の中国問題専門家で、中国に精通する大使が3人続いた。宮本大使の後、外務省には中国に精通する人材はいないと言える。
民主党が政権を握ってから、民間人を大使に起用する考えが提起されたが、民間出身の大使はまだ一部の小国にしか派遣されておらず、主要国に民間人が起用されたことはまだない。これが実現すれば、民主党のオープンな外交は象徴的なシンボルを獲得できるだろう。
丹羽宇一郎氏の経歴を見てみると、日本は対中外交において変化に重点を置いていることがわかる。丹羽氏は伊藤忠商事の社長、会長を経て現在は相談役を務め、米国に長期滞在したこともあり、投資や金融分野に取り組んできた。2010年に北京市市長国際企業家顧問会議顧問を務めるなど、中国と深い関わりがある。
伊藤忠商事は日本の3大貿易会社の一つで、中国で幅広い業務と投資を行い、上海万博の特許商品の代行と生産も行う。丹羽氏は以前、「中国と米国は日本企業が争奪しなければならない2つの市場」と述べており、この考えと民主党の外交方針は一致している。鳩山前首相は「日米関係、日中関係、日韓関係をしっかりやってほしい」と菅首相に伝えた。菅首相による駐中国大使の人選は鳩山内閣の意思を引き継いだもので、前政権の政策を継続している。菅首相は鳩山前首相のすぐに中国を訪問するという約束を受け継がなかったが、駐中国大使の起用では誠意を見せている。
予想外の出来事でもない限り、丹羽氏は正式に駐中国大使に就任することになる。実際、丹羽氏は中国の政界や商業界に深い人脈があり、外交に大きな助けとなるだろう。また、米国での豊富なキャリアも日米中3国の交流と安定にプラスになると考えられる。特に経済、貿易、文化交流、民間交流などの面で、日本は中国に対するビザ発給制限を緩和し、中国の学生や観光客を多く引き込もうと努めている。丹羽氏が駐中国大使に就任すれば、いっそうの効果が期待できる。
商業界のキャリアに対し、外交の経験がないのは丹羽氏の弱点だ。しかし、日中間の未解決問題は以前と異なり、今では歴史問題でなく、東シナ海のガス田開発、貿易、食品安全、環境保護などが主な課題となっている。丹羽氏に外交の経験がないのは不利になるとも限らない。丹羽氏は伊藤忠商事の経営において、中国での投資や提携の経験を積み重ねており、それが日本の対中外交に新たな局面を切り開くきっかけとなるかもしれない。(編集担当:米原裕子)
*「新中国大使」着任前から北京で囁かれる「丹羽伝説」「昼は吉野家でランチ」「チャイナスクールに大ナタ」
現代ビジネス 2010/6/21
「日本の朱镕基がやってくる!」――日中国交正常化から38年にして、初めて外務省以外からの着任となる、丹羽宇一郎新駐中国大使(71歳)を巡って、北京では着任前から早くも、様々な「丹羽伝説」が飛び交っている。いくつか紹介すると――。
(1)日本大使館で粛清が始まる!?
北京の日本大使館は、総勢200名以上が勤務する、ワシントンと並ぶ外務省の「2大在外拠点」である。
これまで、「外務省チャイナスクールのドン」「傲岸不遜」などと日本のマスコミで散々叩かれてきた宮本雄二大使に代わって登場するのは、「3000億円負債」を抱えた伊藤忠商事を見事に再建した辣腕経営者。
かつて90年代に朱镕基首相が、50あった中央官庁を29に減らす大胆な改革で、中国の官僚たちを震え上がらせたように、日本大使館ではいま、どんな大ナタが振るわれるのかと戦々兢々としている。
特にこれまで「対中外交のエリート部隊」として君臨してきた政治部の権威が失墜し、代わって経済部が台頭するのではとの観測もなされている。
(2)大使の通勤は地下鉄!?
丹羽氏と言えば、6年間の伊藤忠社長時代、「私にそんな贅沢は必要ない」と「リムジン通勤」を拒否し、地下鉄で青山の本社まで通い続けたことで有名。そこで今度は、日本大使公邸から日本大使館まで、地下鉄通勤を言い出すのではと、大使館スタッフたちは恐れている。
「通勤問題」は、実は同盟国のアメリカでも、昨年8月に起こっている。中国大使に就任した中国通のハンツマン氏が、「自転車通勤したい」と言い出して、アメリカ大使館スタッフを困惑させたのだ。
この時は結局、警備上の問題を理由に、自転車は早朝の散歩と休日だけにしてもらうことで落ち着いた。
今回、もし丹羽大使が地下鉄通勤するなら、大使公邸の最寄り駅、亮馬橋駅まで徒歩5分。そこから昨年開通した地下鉄10号線に乗って国貿駅まで5駅。そこで1号線に乗り換えて、2つ目の建国門駅から大使館まで徒歩3分だ。
だが朝の1号線のラッシュの凄まじさは、東京の地下鉄の比ではない。冷房もないまま、悪臭立ち込める車内で、怒号が飛び交い、まるでラグビーのスクラムを組んでいるような状態が続く。だから1号線は、体力に自信のある若者しか乗らない。これではいくら地下鉄慣れしている丹羽氏とはいえ、少々辛いかもしれない。
ちなみに前任の宮本大使は、大使公邸があるのに大使館隣のセントレジスホテルを1年ほど公費で借り、わずか10mほどの距離を「リムジン通勤」していた。
(3)昼は吉野家でランチ!?
これは、中国国営新華社通信が発行している時事週刊誌『環球』最新号が、「吉野家から来た中国大使」というタイトルで報じたものだ。記事の要旨は、以下の通り。
< 丹羽宇一郎は書店の息子として生まれ、無類の本好きで知られる。アメリカ生活9年で、改革の精神を身につけた。伊藤忠社長に就任後は、「自由」を重視し、新人、女性、外国人を積極的に登用した。これは閉鎖的かつ保守的な日本企業では前代未聞のことだ。
そして何と、社長なのに地下鉄とバスを乗り継いで通勤し、昼は吉野家で食事していたのだ。そして「企業の一世代は6年」と公言し、6年間社長を務めて、きっぱり身を引いた。丹羽氏は中日貿易に精通しており、中国の観察能力にも優れ、外交官出身でないからと言って、何の不遜もないだろう・・・ >
だが、吉野家好きの丹羽新大使には残念なことに、日本大使館は北京有数の一等地に位置しているため、庶民の食べ物である吉野家は、すぐ近くにはない。最寄りの吉野家は、大使館から2kmほど南へ下った北京駅店と、同じく2kmほど東に行った永安里店だ。
しかし、3km圏内には、国貿店、王府井店、藍島店と3軒ある。その気になればランチには行ける。
ちなみに北京の吉野家は、明るい店内にロックが流れる若者のデートスポットとして知られ、キムチとコーラを付けたセットメニューで食べるのが一般的。70歳代の丹羽氏が入店すれば、かなり目立つことは間違いない。
総じて言えば、今回の丹羽氏の中国大使就任は、「民主党政権最大のヒット」ではないかと、私は考えている。特に以下の3点においてだ。
第一に、丹羽氏は岡田外相や菅首相と直で話せるパイプを持っている。中国政府は北京に着任する大使を、非公式にだが、二通りに分けて考える傾向がある。その国の最高権力者と直で話せる大使と、そうでない大使である。
昨年秋に鳩山首相が訪中した際に間近で見たが、前任の宮本大使は、明らかに岡田外相や鳩山首相と「個人的パイプ」が強いようには思えなかった。その点、丹羽氏は、岡田外相や菅首相から「三顧の礼」で迎えられただけあって、ここぞという時に直に話ができる。
北京では前述のアメリカのハンツマン大使が、「トップと直で話せる大使」の典型だが、このような大使が着任すると、両国の外交はグンと引き締まるのだ。
「北京のドン」との太いパイプ
第二に、日中間の懸案事項、特に東シナ海のガス田問題に関して、より自由な発想で両国が向かい合えるということだ。
外務省出身者の場合、領土問題の法的な解釈は得意だが、「官僚的解釈の枠」を飛び越えた発想は出てきにくい。現在の東シナ海の問題は、中国は単純な領土問題と捉え、日本側は領土問題プラス経済問題と捉えている。
つまり、日本側が日中共同開発を渋っているのは、「開発に参加して経営的に成り立つと考える企業が出てこない」ことが背景としてあるのだ。
その点、大商社の経営者出身の丹羽氏に、大いに期待がかかるのである。特にこの問題は、任期があと3年を切った胡錦濤政権が、自分の代で解決したいという意向を強く示しているだけに、日本としては 積年の日中間のトゲを抜き去る絶好のチャンスなのである。
第三に、伊藤忠時代に培った丹羽氏の広い中国人脈である。
丹羽氏の中国人脈で一等先に思い浮かぶのは、劉淇・中国共産党中央委員会政治局委員兼北京市党委書記だ。胡錦濤主席と同い年で側近中の側近である劉淇氏は、「北京のドン」の異名を取り、2年前には北京オリンピックの責任者も務めた。丹羽氏はこの劉氏と、強いパイプを築いてきた。この丹羽―劉ラインが、日中外交に活かされるに違いない。
言うまでもないことだが、特命全権大使は、その国の「貌」である。同じく企業経営者出身のハンツマン大使が就任して以降、米中外交は大いに盛り上がっている。丹羽新大使就任で、日中外交も盛り上がることを期待したい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E7%BE%BD%E5%AE%87%E4%B8%80%E9%83%8E
チャイナ・スクール
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サーチナ
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Searchina 2010/6/11
菅直人首相は、次期駐中国大使に伊藤忠商事の丹羽宇一郎相談役を起用する方針を固めた。民間からの駐中国大使の起用は、1972年の国交正常化後はじめてとなる。中国網日本語版(チャイナネット)は「この方針は菅内閣の新構想でなく、鳩山内閣の意思を引き継いだ構想で、民主党の人事入れ替えの戦略の一つと言える」と報じた。
これまで、駐中国大使には外務省出身者が起用されるのがほとんどだった。現在の宮本雄二大使は外務省の中国問題専門家で、中国に精通する大使が3人続いた。宮本大使の後、外務省には中国に精通する人材はいないと言える。
民主党が政権を握ってから、民間人を大使に起用する考えが提起されたが、民間出身の大使はまだ一部の小国にしか派遣されておらず、主要国に民間人が起用されたことはまだない。これが実現すれば、民主党のオープンな外交は象徴的なシンボルを獲得できるだろう。
丹羽宇一郎氏の経歴を見てみると、日本は対中外交において変化に重点を置いていることがわかる。丹羽氏は伊藤忠商事の社長、会長を経て現在は相談役を務め、米国に長期滞在したこともあり、投資や金融分野に取り組んできた。2010年に北京市市長国際企業家顧問会議顧問を務めるなど、中国と深い関わりがある。
伊藤忠商事は日本の3大貿易会社の一つで、中国で幅広い業務と投資を行い、上海万博の特許商品の代行と生産も行う。丹羽氏は以前、「中国と米国は日本企業が争奪しなければならない2つの市場」と述べており、この考えと民主党の外交方針は一致している。鳩山前首相は「日米関係、日中関係、日韓関係をしっかりやってほしい」と菅首相に伝えた。菅首相による駐中国大使の人選は鳩山内閣の意思を引き継いだもので、前政権の政策を継続している。菅首相は鳩山前首相のすぐに中国を訪問するという約束を受け継がなかったが、駐中国大使の起用では誠意を見せている。
予想外の出来事でもない限り、丹羽氏は正式に駐中国大使に就任することになる。実際、丹羽氏は中国の政界や商業界に深い人脈があり、外交に大きな助けとなるだろう。また、米国での豊富なキャリアも日米中3国の交流と安定にプラスになると考えられる。特に経済、貿易、文化交流、民間交流などの面で、日本は中国に対するビザ発給制限を緩和し、中国の学生や観光客を多く引き込もうと努めている。丹羽氏が駐中国大使に就任すれば、いっそうの効果が期待できる。
商業界のキャリアに対し、外交の経験がないのは丹羽氏の弱点だ。しかし、日中間の未解決問題は以前と異なり、今では歴史問題でなく、東シナ海のガス田開発、貿易、食品安全、環境保護などが主な課題となっている。丹羽氏に外交の経験がないのは不利になるとも限らない。丹羽氏は伊藤忠商事の経営において、中国での投資や提携の経験を積み重ねており、それが日本の対中外交に新たな局面を切り開くきっかけとなるかもしれない。(編集担当:米原裕子)
*「新中国大使」着任前から北京で囁かれる「丹羽伝説」「昼は吉野家でランチ」「チャイナスクールに大ナタ」
現代ビジネス 2010/6/21
「日本の朱镕基がやってくる!」――日中国交正常化から38年にして、初めて外務省以外からの着任となる、丹羽宇一郎新駐中国大使(71歳)を巡って、北京では着任前から早くも、様々な「丹羽伝説」が飛び交っている。いくつか紹介すると――。
(1)日本大使館で粛清が始まる!?
北京の日本大使館は、総勢200名以上が勤務する、ワシントンと並ぶ外務省の「2大在外拠点」である。
これまで、「外務省チャイナスクールのドン」「傲岸不遜」などと日本のマスコミで散々叩かれてきた宮本雄二大使に代わって登場するのは、「3000億円負債」を抱えた伊藤忠商事を見事に再建した辣腕経営者。
かつて90年代に朱镕基首相が、50あった中央官庁を29に減らす大胆な改革で、中国の官僚たちを震え上がらせたように、日本大使館ではいま、どんな大ナタが振るわれるのかと戦々兢々としている。
特にこれまで「対中外交のエリート部隊」として君臨してきた政治部の権威が失墜し、代わって経済部が台頭するのではとの観測もなされている。
(2)大使の通勤は地下鉄!?
丹羽氏と言えば、6年間の伊藤忠社長時代、「私にそんな贅沢は必要ない」と「リムジン通勤」を拒否し、地下鉄で青山の本社まで通い続けたことで有名。そこで今度は、日本大使公邸から日本大使館まで、地下鉄通勤を言い出すのではと、大使館スタッフたちは恐れている。
「通勤問題」は、実は同盟国のアメリカでも、昨年8月に起こっている。中国大使に就任した中国通のハンツマン氏が、「自転車通勤したい」と言い出して、アメリカ大使館スタッフを困惑させたのだ。
この時は結局、警備上の問題を理由に、自転車は早朝の散歩と休日だけにしてもらうことで落ち着いた。
今回、もし丹羽大使が地下鉄通勤するなら、大使公邸の最寄り駅、亮馬橋駅まで徒歩5分。そこから昨年開通した地下鉄10号線に乗って国貿駅まで5駅。そこで1号線に乗り換えて、2つ目の建国門駅から大使館まで徒歩3分だ。
だが朝の1号線のラッシュの凄まじさは、東京の地下鉄の比ではない。冷房もないまま、悪臭立ち込める車内で、怒号が飛び交い、まるでラグビーのスクラムを組んでいるような状態が続く。だから1号線は、体力に自信のある若者しか乗らない。これではいくら地下鉄慣れしている丹羽氏とはいえ、少々辛いかもしれない。
ちなみに前任の宮本大使は、大使公邸があるのに大使館隣のセントレジスホテルを1年ほど公費で借り、わずか10mほどの距離を「リムジン通勤」していた。
(3)昼は吉野家でランチ!?
これは、中国国営新華社通信が発行している時事週刊誌『環球』最新号が、「吉野家から来た中国大使」というタイトルで報じたものだ。記事の要旨は、以下の通り。
< 丹羽宇一郎は書店の息子として生まれ、無類の本好きで知られる。アメリカ生活9年で、改革の精神を身につけた。伊藤忠社長に就任後は、「自由」を重視し、新人、女性、外国人を積極的に登用した。これは閉鎖的かつ保守的な日本企業では前代未聞のことだ。
そして何と、社長なのに地下鉄とバスを乗り継いで通勤し、昼は吉野家で食事していたのだ。そして「企業の一世代は6年」と公言し、6年間社長を務めて、きっぱり身を引いた。丹羽氏は中日貿易に精通しており、中国の観察能力にも優れ、外交官出身でないからと言って、何の不遜もないだろう・・・ >
だが、吉野家好きの丹羽新大使には残念なことに、日本大使館は北京有数の一等地に位置しているため、庶民の食べ物である吉野家は、すぐ近くにはない。最寄りの吉野家は、大使館から2kmほど南へ下った北京駅店と、同じく2kmほど東に行った永安里店だ。
しかし、3km圏内には、国貿店、王府井店、藍島店と3軒ある。その気になればランチには行ける。
ちなみに北京の吉野家は、明るい店内にロックが流れる若者のデートスポットとして知られ、キムチとコーラを付けたセットメニューで食べるのが一般的。70歳代の丹羽氏が入店すれば、かなり目立つことは間違いない。
総じて言えば、今回の丹羽氏の中国大使就任は、「民主党政権最大のヒット」ではないかと、私は考えている。特に以下の3点においてだ。
第一に、丹羽氏は岡田外相や菅首相と直で話せるパイプを持っている。中国政府は北京に着任する大使を、非公式にだが、二通りに分けて考える傾向がある。その国の最高権力者と直で話せる大使と、そうでない大使である。
昨年秋に鳩山首相が訪中した際に間近で見たが、前任の宮本大使は、明らかに岡田外相や鳩山首相と「個人的パイプ」が強いようには思えなかった。その点、丹羽氏は、岡田外相や菅首相から「三顧の礼」で迎えられただけあって、ここぞという時に直に話ができる。
北京では前述のアメリカのハンツマン大使が、「トップと直で話せる大使」の典型だが、このような大使が着任すると、両国の外交はグンと引き締まるのだ。
「北京のドン」との太いパイプ
第二に、日中間の懸案事項、特に東シナ海のガス田問題に関して、より自由な発想で両国が向かい合えるということだ。
外務省出身者の場合、領土問題の法的な解釈は得意だが、「官僚的解釈の枠」を飛び越えた発想は出てきにくい。現在の東シナ海の問題は、中国は単純な領土問題と捉え、日本側は領土問題プラス経済問題と捉えている。
つまり、日本側が日中共同開発を渋っているのは、「開発に参加して経営的に成り立つと考える企業が出てこない」ことが背景としてあるのだ。
その点、大商社の経営者出身の丹羽氏に、大いに期待がかかるのである。特にこの問題は、任期があと3年を切った胡錦濤政権が、自分の代で解決したいという意向を強く示しているだけに、日本としては 積年の日中間のトゲを抜き去る絶好のチャンスなのである。
第三に、伊藤忠時代に培った丹羽氏の広い中国人脈である。
丹羽氏の中国人脈で一等先に思い浮かぶのは、劉淇・中国共産党中央委員会政治局委員兼北京市党委書記だ。胡錦濤主席と同い年で側近中の側近である劉淇氏は、「北京のドン」の異名を取り、2年前には北京オリンピックの責任者も務めた。丹羽氏はこの劉氏と、強いパイプを築いてきた。この丹羽―劉ラインが、日中外交に活かされるに違いない。
言うまでもないことだが、特命全権大使は、その国の「貌」である。同じく企業経営者出身のハンツマン大使が就任して以降、米中外交は大いに盛り上がっている。丹羽新大使就任で、日中外交も盛り上がることを期待したい。
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スキー・読書・インターネット
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私は、魚沼産コシヒカリを水口の水が飲める最高の稲作最適環境条件で栽培をしています。経営方針は「魚沼産の生産農家直販(通販)サイト」No1を目指す、CO2を削減した高品質適正価格でのご提供です。
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