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アルカーイダ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%80
2011年1月20日(木)日経ビジネス 菅原出
公開された文書は「宝の山」!
2010年7月26日、ウィキリークスは7万5000点におよぶアフガニスタン戦争の機密ファイルを公開した。米ニューヨーク・タイムズ、英ガーディアン、そして独シュピーゲルの大手メディアが一斉にファイルの中味を紹介したこともあって、ウィキリークスの暴露文書は瞬時に世界中に知れ渡った。
公開された「アフガン戦争文書」は、アフガニスタン駐留米軍の最前線の部隊が、日々の任務の度につけている報告書や、現地のスパイやNATO諸国の他の部隊から寄せられた情報報告など、まさに現場から上層部にあげられている生の情報であった。
通常、アフガニスタンで起きている戦争の様子は、ジャーナリストが現地で独自に取材を重ねたり、米軍に従軍するなどして得た情報を基に書かれた記事の中から、新聞社などメディア会社の編集部が「伝える価値」があると判断したものだけが報じられ、我々一般読者の目に届く。
「もう爆弾テロのニュースは飽きた」と編集部に判断されれば、いくら悲惨な状況が続いていたとしても「ニュース」にはならないし、欧米諸国の一般読者には馴染みの薄い地元の部族間抗争のネタなどは、限られた紙面に掲載されることはほとんどない。
我々一般読者が目にすることのできる情報は、実際に現地で起きている日々の出来事からすれば、豆粒ほどのわずかな現象に過ぎない。
ウィキリークスが暴露した機密文書は、米軍の内部報告書であるから、もちろんアフガニスタンで起きていることすべてを反映している訳ではない。米軍側から見た一面的な見方に過ぎない。
しかも、現場の最前線の部隊が見たり、聞いたり、実施したことが淡々と報告されているだけで、その情報が「正確なもの」かどうかも分からない。通常は、こうした現場からの生情報が分析部門に集約され、そこで分析・評価が加えられた上で、政策立案者たちが使える形に加工される。こうしてできた情報やこの過程のことを「インテリジェンス」と呼んでいる。
公開された「アフガン戦争文書」のほとんどの情報は、メディアを介して我々に伝えられる情報と違い、何のストーリー性もアクセントもない、はっきり言って退屈な文書ばかりだ。しかし、現地に派遣されている部隊が日々どのような活動をしているのか。誰と会ってどのような話をしているのか。現地のスパイからどのような情報を入手して上層部に報告しているのかといった、通常では決して知ることのできない状況を明らかにする情報である。ジャーナリストや研究者、情報機関のインテリジェンス分析官にとっては、願ってもない「宝の山」である。
「北朝鮮・アルカイダ武器取引」を示す断片情報も
例えばこんな短い情報報告書がいくつも出てくる。
「2009年4月24日:モコル地区でタリバンが支援するパシュトゥン族がZAD ALI族に報復攻撃を仕掛ける模様。バドギース県のモコル地区にいる2名のタリバンが支援するパシュトゥン族が、4月中旬にZAD ALI族に対する報復攻撃を計画した。これは去る1月末に両部族の衝突によって受けた被害に対するリベンジである。さらにタリバンの陰のバドギース知事であるムラー・モハメド・イスマイルは最近、20丁を超す中国製のカラシニコフ銃等を調達し、モルガーブ地区にいる手下たちに配っている。」
「2009年7月11日:ワルダック県でハザラ族がクチス族から羊を強奪したことから、両部族間の対立が激化。地元のハザラ人たちが数百頭の羊を力づくでクチス族から奪い取ったことが原因である。武装したクチス人たちが続々と集結を始めており、羊の返還を要求している。」
こうした現地の部族間抗争の断片情報などは、当然大手メディアにとっては「取るに足らない」ものであり、「ニュースとしての価値」は低い。しかし、インテリジェンス分析官たちはこうした生の断片情報を集めて分析し、より大きな背景を明らかにして、その事象が米国にとってどのような意味を持つのか、を評価している(はずである)。
そして時々、我々日本人にとって、見過ごすことのできないびっくりするような情報も含まれている。日本のメディアでも一部報じられたが、北朝鮮とアルカイダの武器売買を記した以下の報告書はその代表例だろう。
「2005年11月19日:ヒズベ・イスラミ・ヘキマティアル派のリーダー、グルブディン・ヘクマティアルと、オサマ・ビン・ラディンの金融アドバイザーであるアミ氏がイラン経由で北朝鮮を訪問。北朝鮮で、2人は同国政府と、米国やその同盟諸国の航空機を撃ち落とすために使う遠隔操作式ロケットの商談を取りまとめた。金額は分からないがこの取引は成立し、この兵器の出荷は翌年の年明けすぐになされることが決まった。2人は北朝鮮に2週間滞在した後、12月3日頃にアフガニスタンのヘルマンド県に帰国。アミンはそのままヘルマンドに滞在し、ヘクマティアルはヌーリスタン県のクナールに向かった。」
この文書で登場する「アミン氏」とは「アミン・アル・ハク(Amin al‐Huq)」のことだと考えられている。この人物は2008年にパキスタンのラホールで同国の治安機関に逮捕されている。2007年12月21日付の『ロング・ウォー・ジャーナル』によれば、アミンはオサマ・ビン・ラディンの身辺警護部隊Black Guardの隊員の一人で、2008年1月にパキスタン当局に逮捕されたという。
そして、それから18カ月後、こんな報告書もある。
「2007年5月30日:CH‐47(チヌーク)ヘリコプターが、ヘルマンド川の上空を通過した直後に、ミサイルによる攻撃を受けて撃墜された。ミサイルの衝撃が機体の後部を上方に突きあげ、墜落現場へ急降下するとすぐに炎上。生存者はなし。」
北朝鮮とアルカイダの武器取引に関する文書は、この報告書がウィキリークス文書に含まれる唯一のもので、ウィキリークス文書だけでこれ以上この取引について検証することは困難である。もしこの情報が正しいとすれば、2006年1月には「遠隔操作式ロケット」の出荷が行われたはずである。2007年5月のヘリコプター撃墜の情報は、北朝鮮製の武器と関係があるかどうかは分からない。「ミサイル」と記されているだけで、それ以上のことは不明である。
ただ、少なくともこのような断片情報が存在することを、我々はこのウィキリークス文書を通じて知ることが出来るし、「北朝鮮・アルカイダ武器取引情報」の真偽の確認作業はもちろんのこと、こうした取引の可能性を考慮して、それまでとはまた別の角度から既存の情報を分析し直したり、さらなる情報収集活動に役立てることも出来るはずである。
知られざるイラン・タリバン・ネットワーク!
この北朝鮮とアルカイダの武器取引情報によれば、ヘクマティアルとアミンはイランを経由して北朝鮮に向かったとされている。イランと北朝鮮の武器取引に関する深い関係を考えれば、このルート自体何ら驚くべきものではないが、イランとアルカイダやタリバンの関係がここまで緊密であることを示す情報が出たのは、おそらくこのウィキリークス文書が初めてであろう。
「2005年1月30日:イランの諜報機関は1000億アフガニー(22万1800米ドルに相当)をイランとアフガニスタンの国境の県ファラ県まで運んだ。この現金はトヨタ・カローラ・ステーション・ワゴンの1990年モデルに積み込まれ、様々な食料品の間に隠された。このカローラにはヒズベ・イスラミ・ヘキマティアル派(HIG)の4名のメンバーが乗っていた。現金はそのままどこかに運ばれていった。」
ちなみにヘクマティアルは1996年から2002年までイランに住んでいたことがよく知られている。彼は80年代のアフガン戦争の時に米国やパキスタンが支援した軍閥の長だが、90年代終わりからイランの庇護下に入っていた。米国によるアフガン戦争が始まった後、アフガニスタンに舞い戻ったわけだが、その後も継続してイランから資金援助を受けていた訳である。これには十分説得力がある。
「2005年2月19日:8名の指導者から成るタリバン指揮官のグループが、ヘルマンド県とウルズガン県で米軍に対する一斉攻撃を計画している。このグループはイランに住み、アフガニスタンにボランティア・メンバーをリクルートする旅に出ていた。このグループはイラン政府から、アフガニスタン軍の兵士を1人殺害すれば10万ルピー(1740米ドル相当)、アフガン政府高官の場合は20万ルピー(3481米ドル相当)を支払うというオファーを受けていた。」
イラクでもパレスチナでもこのように「テロで敵を一人殺せばいくら」という報奨金を与える制度は普及しているが、アフガニスタンの不安定化のためにイランがタリバンのテロ攻撃に報奨金を払っていたとことを示すこの情報は、非常に生々しく興味深い。
「2005年9月18日:タリバンのメンバー数名がイランのマシャド(Mashad)に集まり、アフガン政府に対する攻撃の計画について話し合った。マシャドに住んでいると報じられているタリバンのメンバーの一人は、タリバン幹部の代理であり、アルカイダやタリバンのメンバーがアフガニスタンとイランを行き来する際の中継の役を担っている」
「2006年6月3日:2名のイラン人工作員が偽装身分でアフガニスタンに潜入している。彼らの任務は地元のアフガン人たちを扇動してアフガン政府やNATO諸国に対する反対運動を起こさせることである。このイラン人工作員は、ヒズベ・イスラミ・ヘキマティアル派(HIG)とタリバンのメンバーが、アフガン政府やNATO諸国の政府関係者、とりわけ米国に対してテロ攻撃を行うのを支援している」
さらに2008年9月には、「オサマ・ビン・ラディンの側近の一人であるアル・マンスール(Al Mansour)と関係のある7名のアラブ人が、アフガニスタンのヘラート県の村で目撃された。このアラブ人たちは、米軍やイタリア軍、もしくは誰でもいいので外国人に対する自爆テロを実行する部隊である。イラン革命防衛隊の一部門である諜報部隊に所属する4名のイラン人が、このアラブ人のグループにインテリジェンスを提供したり、グループ・メンバー間の活動を調整するなど、様々な支援をしている」とある。
イスラム教シーア派のイランとスンニ派の過激派であるアルカイダやタリバンは、対立する宗派であるため、当時、両者の間に協力関係はあまりないのではないかと思われていた。しかし、現実には「敵の敵は味方」の論理で、現場レベルでの協力関係がとられていたことを、これらのウィキリークス文書は示している。
2011年1月、筆者は、アフガニスタンで米国防情報局(DIA)など主にインテリジェンス関係の任務につき、現在は米国際開発局(USAID)や米麻薬取締局(DEA)などのアドバイザーをつとめるA氏に、イランとタリバンの関係についてインタビューをした。
A氏は「イランが今でもタリバンや他の民兵組織に大量の武器を供給し、大きな影響力を持っている」として、ウィキリークス文書の情報が正確であることを認めた。さらに、
「米国の衛星は、イランの軍に属するトラックが、アフガンの麻薬マフィアから麻薬を引き取り、イラン領内を通過して国境まで運ぶ運び屋の役割を果たしていることを記録している」
と述べて、イラン政府の一部が実はアフガン麻薬マフィアと組んでアフガン麻薬密輸のイラン・ルートが非常に活性化している事実も明らかにした。
「イランはアフガニスタンの議会選挙でも大量の現金を配ってアフガン政界に隠然たる影響力を持ち始めている。この辺はイラクと状況が似ている。カルザイ大統領とタリバンの和解交渉の仲介も積極的に始める一方、旧北部同盟の軍閥たちの資金援助も拡大することで、反タリバンの民兵組織も勢いを増している。米軍撤退後のアフガニスタンがどのように転んでも一定の影響力を維持できるように、あらゆる勢力に資金をぶち込んでいる」
まさに戦国時代を思わせる権謀術数の限りを尽くした謀略戦がアフガニスタンで続けられているようである。
ウィキリークスのアフガン文書から、そうした国際政治の暗闘の一端が垣間見えたのである。
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