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TPPは農業の破壊神にあらず、救世主!民主党・戸別所得補償の設計ミスを正す好機だ!

2010年12月6日 DIAMOND online

山下一仁 [キヤノングローバル戦略研究所研究主幹/経済産業研究所上席研究員(非常勤)/東京財団上席研究員(非常勤)]


 やや旧聞に属するが、11月のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)における菅直人首相の発言には内心驚いた。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉参加に関して「関係国と協議する」と明言しただけでなく、オーストラリアやEU(欧州連合)とのあいだの個別のEPA(経済連携協定)やFTA(自由貿易協定)についても公の場で意欲を示したからだ。

 元来、日本が外交的に大きな決断を下すのは、本当に切羽詰まったときだ。呑むか呑まないか、瀬戸際に追い詰められたときにしか決断できない。

 筆者が農水省の担当官として交渉に携わった旧GATTウルグアイ・ラウンド(多角的貿易交渉、1986~1995年)においても、コメ市場の部分開放を含む合意内容の受け入れを日本が決めたのは最後の最後、交渉のデッドラインの1日前だった。今回はまだそこまで追い詰められていないにもかかわらず、首相自らが早くも国際舞台で踏み込んだ発言をした。TPP参加については、菅政権にも“それなりの覚悟”があるということだろう。

 ちなみに、TPPとは関税撤廃を柱とするFTAを多国間で同時に結ぶものだ。2006年にチリ、シンガポール、ニュージーランド、ブルネイの4ヶ国で発効したのが始まりで、その後、米国、オーストラリア、ペルー、マレーシア、ベトナムが参加の意思を表明して、交渉を開始している。

 日本は、出遅れた。個別のFTAについても、EUに続き先週末には米国とも合意に達した韓国に先を越された。日本が出遅れた背景には、他でもいない、農業団体の強い反発がある。

 日本の場合、コメの778%をはじめとして農作物輸入には高い関税がかけられている。TPPに参加すれば10年間で関税を原則撤廃しなければならない。そのようなことになったら「日本の農業は壊滅する」と農協などが中心となって猛反発しているのである。

 農協などが語るTPP批判の誤謬については後述するとして、政治の側面から見れば、菅首相はTPPを政権の浮揚材料にしようとしているのではないだろうか。

 2005年、自民党の小泉純一郎首相(当時)は、郵政改革を掲げ、反対する党内の勢力を「抵抗勢力」に仕立て上げることで、総選挙にまで打って出て、沈みかけていた自民党を浮揚させた。菅政権も、TPPという踏み絵を提示し、反対する党内勢力を抵抗勢力に仕立て上げることは可能だ。

もともと民主党は、菅氏や仙谷由人氏(官房長官)、岡田克也氏(幹事長)、前原誠司氏(外相)ら「都会型政党」出身者と、小沢一郎グループや旧社会党系議員らからなる「農村型政党」出身者などの寄り合い所帯だ。各種世論調査で、内閣支持率が政権維持の危険水域とされる30%を下回り、そもそも弱い党内の結束がさらに希薄化する中で政権の起死回生を目指すならば、TPPは格好のカードだ。

 かつて小泉氏が郵政を取り上げたように、農政を取り上げれば、抵抗勢力をあぶりだすことができる。自民党も先の衆院選で農林族の大物が加藤紘一氏を除きことごとく落選したために、農林族の層が薄くなっており、TPPに賛成しやすくなっている。いざとなれば、民主党が割れて、自民党の一部とくっつくようなこともあり得るかもしれない。

 さて話が横道に逸れたが、本題に入ろう。TPPに関して前述のとおり菅首相は参加に意欲を示しているが、農業関係者はコメなどを関税撤廃の例外とできる2国間の自由貿易協定ならまだしも、例外を認めないTPPは日本農業を壊滅させると反発を強めている。

 農水省はTPPに参加すると8兆5千億円の農業生産額が4兆1千億まで減少し、食料自給率は14%まで低下。また、洪水防止などの農業の多面的機能は3兆7千億減少するという試算を出している。

 では、果たしてこうしたTPP批判は正しいのだろうか。結論から言えば、筆者は、間違っていると思う。

第一に影響額が意図的に大きく試算されている。これは、データの取り方に問題があるためだ。農水省の試算では、生産額の減少のうちの半分(2兆円)がコメについてであり、海外から安いコメが入ってくるとコメ農業は壊滅するとしているが、まずその根拠として使われている日本と中国のコメの内外価格差の前提条件がおかしい。

 日本が中国から輸入したコメのうち、過去最低の10年前の価格を海外の価格とし、これを国内の値段と比較して内外価格差は4倍以上あるとしているのだ。しかし中国から現実に輸入したコメの値段は09年で約1万500円(60kgあたり)と10年前の水準である3千円から3.5倍も上昇している。一方で国産米価は、約1万4千円に低下している。日中間の価格差はいまや1.4倍以下にまで縮小しているのだ。

 そもそも、一方では農水省は食料の国際価格は上昇するという試算を公表し、食料危機説をあおりながら、将来とも大きな内外価格差が継続すると主張するのは、矛盾の極みだ。

 また、日本の農家の平均的なコストと輸入価格とを比較している点も、おかしい。肥料や農薬などコメの生産に実際にかかったコストの平均値は9800円だが、農家を規模別に見ると、0.5ha未満という規模の小さい農家のコストが1万5千円であるのに対して、15ha以上の規模の大きい農家は6500円にまで下がる。

 TPPに参加し関税が撤廃され国内米価が下がっていけば、規模が小さくコストの高い兼業農家は確かに立ち行かないだろうが、大規模な農家は存続できる余地が多いにある。

ただし、規模の大きい農家が存続するために、政府がやらねばならないことはある。

 そもそも現在の日本の国内米価は、減反して生産を制限する事によって維持されている。減反は生産者が共同して行なう、いわゆるカルテル行為だ。カルテルによって国際価格よりも高い価格が維持できるのは関税があるからだ。その関税がなくなれば、カルテルである減反政策は維持できなくなり、国内米価は大きく下がる。そこで、農業生産を維持するため、価格低下で影響を受ける主業農家に限って米国やEUが行っているのと同様の直接支払いを行うのだ。

 この際留意すべきは、全農家にバラ撒いてはいけないということである。

 民主党政権はすでに戸別所得補償という直接支払い制度を導入しているが、現行制度には設計上の大きな間違いがある。主業・兼業の別なく全農家を対象にしていることだ。これでは、非効率な生産体制を維持したまま、米価下落に見舞われるため、財政負担だけが雪だるま式に増えていくことになる。

 昨今の不況で企業をリストラされたり、地方の商店街はシャッター通り化して、生きるか死ぬかという人たちが増える中で、このような所得補填が許されるのだろうか。

 そもそも兼業農家の大半はサラリーマンだ。その多くは週末などに農業を手がけている、家庭菜園を少し大きくしただけのパートタイム農家だ。農林水産省は統計の取り方を変えてしまったが、数年前のデータでは稲作兼業農家年間所得は800万円もある。

 しかも、時の政権や農水省とともに、戦後農政を牽引してきた最大の既得権益組織「農協」の最も多数で重要な構成要員だ。本当に困っている人には所得補償はいかないのに、こうした富裕層に何の制限もなく所得補償がされるとすれば、政治的公平性は担保されまい。

鉱工業製品が享受できるメリットを考えても、TPP不参加という選択肢は本来ないはずだ。となれば、TPP参加に合わせて政府がなすべきことは、はっきりしている。直接支払いの対象を、ある一定規模の主業農家に絞り込むことだ。そうすることで、企業的農家などが廃業する兼業農家の農地を借り入れ、規模拡大による効率化、コストダウンが進み、輸出による生産拡大も可能になる。食糧安保や多面的機能の起訴である農地・水田の保全・確保も可能になる。

 この50年間で酪農家の戸数は40万戸が2万戸に20分の1に減少したが、牛乳生産は200万トンが850万トンにも拡大した。零細な農家が退出しても食料供給に何らの不安も生じない。

 逆にいまのようなバラ撒きを続けていては、所得補償を目当てに、貸していた農地を貸しはがす兼業農家が増えていくだけだ。

 効率化もコストダウンも期待できない状況で、TPPに参加すれば、高いコストと低い農産物価格との差を戸別所得補償として支払わざるを得なくなるので、納税者の負担は際限なく増えていくことだろう。

 すなわち、TPP参加と戸別所得補償制度の見直しはセットでなければならないのだ。このことを、菅首相が理解したうえで、TPP参加に前向きな姿勢を打ち出したと信じたい。

 しかし、農業構造改革に関する会合を開催しようとしたものの、「構造改革」という言葉への反発を考慮して「食と農林漁業の再生推進本部」という看板に書きかえられたという。菅首相が小泉元首相のようにぶれずに突き進むことができれば、国民も評価し、政権浮揚の途も見えてこよう。

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