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チャンスの女神の前髪はつかめるか、それとも・・・

2011.02.26(Sat) JBプレス 川嶋 諭

 

 

 政権の崩壊どころか日本では政治そのものが崩壊しそうな勢いだ。これでは20年も続いているデフレ経済からの脱出など夢のまた夢、静かに衰退し世界から忘れ去られる日本とともにこれからもずっと耐えて生きなければならないのかと目の前が暗くなる。

2011年、日本は新たな発展の道を歩み始める!

ところが、暗いトンネルはまもなく終わり明るい時代が始まるのだと予告してくれる記事がある。

 人気アナリスト武者陵司さんの「地政学が日本経済に味方、失われた20年がいよいよ終わる」だ。

 右の週間ランキングでも第2位になっているように読者の関心も極めて高かった。

 「人々の運命は地政学によって翻弄されるものであり、経済の盛衰も所詮その結果に過ぎないということは、長い歴史では当然のことである」

 日本が失われた20年という苦しみを味わってきたのは、政治・経済的な理由というよりも地政学の問題の方が大きかったというのである。

 そして、日本を取り巻く地政学的な環境が大きく変わり、日本は新たな発展段階に突入すると武者さんは言う。

 「日本を封じ込めてきた過度の円高など、逆風は止み、順風が吹き始めるだろう」

 「2011年、米国と世界景気の回復が確かとなり、米国株高と同時に円高がピークアウトし、大きな円安のトレンドが始まる」

 「これに地政学環境の順風が加われば、企業収益の回復、賃金上昇、株価・地価の上昇、円高・デフレ傾向の反転が連鎖的に起こり、われわれが目にしている経済風景は一変するだろう」

 「日本が再び繁栄する姿を見られるはずである」

 

なんと、今年から新しい日本の発展ステージに入るというのだ。それでは、今まで日本を苦しめてきたものは何だったのか。武者さんは東西冷戦の終結だと言う。

冷戦が終わり日米安保が日本封じ込めの道具になった

 米国とソ連という冷戦構造が1990年に終わり、日米安全保障条約によってそれまで日本が果たしてきた太平洋西岸の防護壁がその役目を終えた。そして日米安保は日本にとって全く逆の働きを始める。

 急激な経済成長を遂げ、米国の産業を脅かす存在となった日本を監視、二度と軍事大国とならないように押さえつける働きをし始めたと言うのである。

 「日米安全保障条約の戦略的意義が日本を守る同盟から日本を封じ込める同盟へと大きく変質したと考えられる」

 「民生用電子機械、半導体、コンピューター、自動車などの基幹産業において、米国企業は日本企業に負け続けた。そこで日本の経済躍進を食い止め米国の経済優位を維持することが、米国の世界戦略にとって最重要課題となったのである」

 その戦略は見事に成功、奢り切った日本は20年間に及ぶデフレの苦しみを味わい、自動車を除き、最先端の半導体やコンピューターで米国に追いつくことはなくなった。

中国という巨大な脅威の登場で日本の位置づけが変わった

 もはや日本が脅威でなくなったその時、米国にとっては日本以上に厄介な相手が現われた。中国である。

 日本が素直にプラザ合意に応じて懲罰的な通貨高を呑まされたのとは対照的に、中国は米国の経済政策を声高に非難して元の急な切り上げを拒否する。

 一方で、軍事力の強化を急ぎ、原子力潜水艦や空母の建設まで始め、最近ではステルス戦闘機の試験飛行までしてみせた。

 米国にとって新しい脅威が誕生、その力が日増しに強まっていることで、日本というアジア最大の民主主義国家と同盟の再構築に乗り出した。

 

これはつまり、日本にとっては冷戦期に匹敵するチャンスというわけである。さらに、長く暗いトンネルを走っていた20年間、日本企業はただ耐えていただけではない。

失われた20年間でメタボな日本企業はスリムになった

 企業の体質改善に必死で取り組んできた。

 「アメリカからの要求と円高に対応していく過程で、賃金だけでなく流通コストや公共料金などが大きく低下し、日本は世界一の高物価国から、世界有数の低コスト国に生まれ変わり、日本企業は著しくスリムになった」

 「また海外に生産をシフトしたことで、日本は輸出基地から世界経営の本社へと機能を変えており、いまや日本企業が海外で膨大な雇用を生む状況になった。加えて日本企業はハイテク素材や部品、装置などで技術優位を獲得した」

 実際、日本を代表する企業の業績は大きく改善、最高益を謳歌する企業が続出している。歴史的な円高水準にある中で、こうした収益力をつけていることは、日本企業の生命力の高さを証明している。

 そのうえで、世界第2位の経済大国になり軍事的にも米国の脅威となり始めた中国が盾になってくれれば、武者さんの言う新たな発展段階へ日本が向かうだろう。大変うれしいことである。

地政学のプラスと人口動態のマイナスが綱引き

 しかし、この地政学的な変化をチャンスとして日本国民全体がその果実を本当に手にするには、企業も国もかなりの努力が必要ではないだろうか。今のまますんなりとその果実を手にできるとは考えにくい。

 地政学的な変化がプラスだとすれば、少子高齢化が急速に進み団塊世代がまさに現役を去っている真っ最中の現在は、人口動態の変化による経済的影響がマイナスのピークを迎えているからだ。

 年代別の人口が最も多い団塊世代が生産年齢人口から外れていくことは、その世代の消費が落ち込み、内需が大きく減ることを意味している。

 海外依存度の高い企業には影響が少ないにしても、内需依存度の高いサービス産業などにとっては影響は深刻だ。過当競争によって企業体力は確実に落ちる。

 

輸出型の企業にしても、これまで国内需要に支えられながら製品開発を行い、そこで切磋琢磨した製品を海外に販売して高い評価を受けてきたことを考えれば、内需低迷の影響は少なからず受ける。

企業は内部留保を高めるべきではない

 地政学上、日本はまたとないチャンスを手にしているのであれば、少子高齢化が進みかつ団塊世代が現役から去り内需が落ち込むというマイナス要素をいかに緩和してやるかが国家戦略上も、また企業戦略上も必要になるのではないか。

 その際、子ども手当ては子育て世代の消費を促すとして一見効果的な政策のように思えるが、現実には効果はゼロに近い。現役世代の税金から同じ現役の子育て世代へ分配しているだけだからである。

 大半を現役世代が払う税金を投入するのであれば、新しい産業を生み出し雇用と消費の両方に効果的な政策でなければ意味がない。

 一方、企業サイドでは、団塊世代の退職で浮いた賃金分を企業の内部留保とするのではなく、若年層への分配に使い消費を拡大させるなどの施策が必要だろう。賃金体系を狂わせるというのであれば、家族手当や子供手当てなどを復活させる手もある。

 地政学と人口動態の変化は、景気循環とは違った次元のファクターであり、今の日本にとってはその部分の影響が極めて大きい。

潮目の変化を読んで機敏に大胆に動け

 政府としては大義名分を作るのは子ども手当てに比べればはるかに難しいかもしれないが、企業の交際費の経費計上を認めても面白いかもしれない。

 恐らく、この部分の税収が減った分を補って余りある税収増につながるのではないか。消費拡大という意味では法人税減税よりも格段に効果があるだろう。

 潮目の変化を読んで機敏にそして大胆に動く。これこそがリーダーの条件である。平時は誰がリーダーを務めても変わらない。今はまさにリーダーの資質が問われているのだ。

 コストを切り詰めて新興国に対抗する時代から、地政学の変化をうまくきっかけに利用して高付加価値の製品やサービスで企業や国を発展させる仕組みに切り替える。

 

実は政治のリーダーには変化のために使える時間的余裕がほとんどない。それは予算やその関連法案が通るか通らないかという近視眼的な意味ではない。

スリム化を終えた日本企業、銀行は国債が買えなくなる

 日本企業はデフレに苦しんだ20年間で財務体質の改善を進め、それがほぼ最終章を迎えようとしている。金融機関からの借入金を減らしてきた企業は、それもそろそろ限界に近くなっているのだ。

 つまり、実質的に借入金のない無借金経営に近い企業が増えている。これが何を意味するのだろうか。

 借入金の返済で貸し出し先を失った資金の大半は、日本国債の購入に回っている。これがなくなるということは、国債を日本の金融機関はもう買い増せなくということである。

 つまり、国債の国内消化ができなくなるということを意味する。国債を発行する側だけでなく引き受ける側でも衝撃的な臨界点が近づいているということだ。

 武者さんの言うチャンスがあるなら、リーダー次第でそれは大ピンチになるということでもある。チャンスの女神は前髪しかない。延命装置に頼り大胆な行動ができなくなっている政権は、今の日本には害毒以外の何者でもない。

民主化運動がリビアに飛び火、石油価格に火がついた

 さて、世界は今年に入って大きく変わりつつある。遠く中東やアフリカで起きている反政府・民主化デモは世界にとっても日本にとっても重大な意味を持つ。

 チュニジアで始まった民主化を要求するデモはエジプトへ飛び火してムバラク政権を倒し、いまリビアのカダフィ政権の打倒に挑んでいる。

 リビアは石油の埋蔵量で世界第8位。この国からの石油輸出が止まれば、中国インドなどの消費拡大で受給が逼迫している世界市場に大きな影響を与えるのは必至だ。

 実際、リビアからの原油輸出がストップしたとの報道もある。世界経済の観点からもリビアから目が離せない。

 

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地方自治法改正案の成立を目指す片山善博総務相

 

大都市のリコール請求要件を緩和!

 

2011年02月26日(土) 毎日フォーラム

 

 

  政府は、地方議会の招集権の議長への付与や、結果に拘束力のある住民投票制度の導入などを盛り込んだ地方自治法改正案を、今通常国会に提出、成立を目指す。

 名古屋市や鹿児島県阿久根市などで首長と議会の対立が先鋭化した事例を踏まえ、対立解消のためのルールを法制化することなどが狙い。地域主権改革の進展に伴い、自治体の判断と責任が重要視される中、相互チェック機能など二元代表制が持つ本来の機能の発揮が求められており、改正案でも地方議会改革や議会と首長との関係改善に重点が置かれている。
 名古屋や阿久根のように「首長対議会」の構図が先鋭化した背景には、二元代表制の機能不全がある。首長と議会を住民がそれぞれに選ぶ二元代表制では、本来、首長と議会が互いにけん制し合い、チェック機能を果たすことが求められている。しかし、多くの自治体では首長を支える与党会派が形成され、事実上議会が首長の「追認機関」と化している面がある。
 全国都道府県議長会など3議長会の調査では、首長が提出した条例案の99%以上が「原案可決」。改正案を検討してきた総務省の地方行財政検討会議でも「議会の役割を果たしていないのではないか」と議会のチェック機能を疑問視する声が上がっていた。こうした地方議会の形骸化による住民の議会不信が、名古屋や阿久根のように首長側の言動を助長した側面もあった。
 改正案では阿久根の事例を踏まえ、地方議会の臨時会の招集権を議長にも与えた。現行の地方自治法では、議会の招集権を首長のみに認め、議長や定数の4分の1以上の議員から臨時会招集の請求があった場合には、首長は20日以内に議会を招集しなければならないと規定。しかし罰則はないため、阿久根市の竹原信一前市長は議会側の招集請求を無視し、鹿児島県知事の是正勧告にも従わなかった。このため、首長が議会側の招集請求に応じない場合には、議長が招集できるとしている。
 また竹原氏が議会を開かないまま専決処分を繰り返したことを受け、副知事や副市町村長を専決処分の対象から除外。さらに条例や予算の専決処分の決定がその後の議会で不承認となった場合には、決定が実質的に無効となるよう不承認の趣旨に沿った条例改正案や補正予算案の提出を義務付けた。
 
一方、現在の地方議会では議員の専門職化が進み、議会の年齢や職業構成が一般社会とかけ離れているとの指摘もある。この差を縮めるための取り組みの第一歩として、条例により地方議会の通年化を可能とする。現在は定例会と臨時会に分かれ、多くの地方議会では年4回程度定例会が集中的に開催されているため、他の職業との兼職は困難な状況にある。改正案では条例で定例会・臨時会の区分を設けず、通年の会期を選択できるようにする。
 ただ、北欧の議会のようなサラリーマンや教師などとの兼職には、制度以上に今の日本の社会情勢では難しい面があり、片山善博総務相は「法案を作ることはできるが、民主主義の基盤を形作る作業なので国民的合意が必要だ。会社人間が隆盛を極める社会では無理で、国民的な議論で社会も変わらないといけない」と指摘した。

拘束力もつ住民投票制度導入へ

 一方、改正案では「住民自治の強化」を掲げる片山総務相肝煎りの住民投票制度の導入も盛り込んだ。自治体による条例制定を前提に、投票結果に拘束力を持たせるのが特徴。相次ぐ大規模な「ハコモノ」建設で07年に財政破綻した北海道夕張市を教訓に、サッカースタジアムやコンベンションセンターなど予算の一定規模を超える「ハコモノ」建設に限って、議会で承認後に住民投票にかけ、過半数の賛成がない場合は施設の設置はできないとする。
 住民投票の投票権は、一部の自治体が条例で実施した拘束力のない住民投票では、18歳以上や中学生、永住外国人や在日外国人にも投票権を認めた例があった。ただ、今回の制度については「現在の有権者の政治参画機会の幅を広げるもので、有権者の概念を変えるつもりはない」(片山総務相)とし、投票権は20歳以上の日本国民とする。投票率も要件には盛り込まなかった。
また首長・議会の解職・解散請求(リコール)では、2月6日に行われた名古屋市議会の解散の是非を問う住民投票が政令市では初のケースだったこともあり、要件を緩和する。現行法では必要な署名数について
 
①有権者数40万人以下の部分は有権者数の3分の1
②40万人を超える部分は6分の1
 
---と規定し、40万人を超える大都市では①と②の部分を別々に計算した合計が必要数と定めている。
 改正案では新たに有権者数が16万人超の中規模自治体も要件を緩和し、
 
①16万人以下の部分は3分の1
②16万人超40万人以下の部分は6分の1
③40万人超は10分の1
 
---と規定。40万人超の都市では①~③の合計が必要署名数となる。
 
 これにより、名古屋市(有権者数179万1564人)では、必要な署名数が36万5261人(20.4%)から23万2490人(13%)に、人口最大の東京都(有権者数1062万8472人)では183万8079人(17.3%)が111万6181人(10.5%)へと緩和される。
 中規模都市でも、千葉県市川市(有権者数38万3356人)では12万7786人(33.3%)が9万560人(同23.6%)=有権者数はいずれも09年9月2日現在=となるなど、リコールに向けた手続きが容易となり、首長や議会にはより緊張感を持った行政運営が求められることになる。
 今回の法改正は、いずれも国からの押し付けではなく、自治体側の選択に委ねている点が多い。地域主権改革の流れに沿ったもので、自治体側の自主性を重んじているが、それだけに、選択する自治体の首長と議会、さらにその首長と議会を選ぶ住民の判断と責任も重要になってくる。
 片山総務相は有権者の投票行動について「首長には改革志向を望み、議員選挙は地縁や血縁とか別の基準で動くダブルスタンダードがある。自治体行政に何を望むか明確にすることが必要だ」と注文をつけた。4月の統一地方選では、「首長対議会」の構図以上に、今後の自治体の方向性を見据えた選択が求められる。

 

【第1回】広島県東広島市小田地区のひとたち!
 
2011年2月25日(金) 篠原匡(日経ビジネス)
 
この国を覆う鈍色の雲は当面、晴れそうもない。
 高齢化と人口減少に代表される経済の老化は日本経済を蝕み始めた。成長の糧を求める企業は新興国に軸足を移し、国内の空洞化と雇用不安が社会に暗い影を落としている。中国に抜かれたとはいうものの、この国は世界3位のGDPを維持している。それでも、明るい未来は描きにくい。
 改革の必要性は10年以上前から叫ばれてきた。だが、政治家は永田町という閉じた世界のゲームに終始し、霞が関も組織防衛と既得権の維持に憂き身をやつした。社会保障改革、霞が関改革、農業改革――。抜本的な改革は遅々として進まず、金融危機の痛撃で、この国が抱える様々な宿痾が露わになった格好だ。
 もっとも、この国の多くの地域にとって、目の前に広がっている光景は何年も前から直面している問題と言える。若者の流出や高齢化、企業の撤退などは、場所によっては10年以上も前に表面化している。財政悪化に伴う行政サービスの低下も地方では当たり前の話だ。
 こういった危機の先端にいる地域では、早期に課題に直面しているだけに、新しい胎動が次々と起きている。その大半は追い込まれて踏み出した一歩に過ぎない。だが、その足跡をつぶさに見れば、次代に通じる仕組みや価値観が浮き彫りになる。
 今から見ていこう。逆境に置かれた人々が始めたことを。抗しがたい時代の荒波にもまれながらも、存続のために知恵を尽くして立ち上がる。その姿を見れば、人間が持つ根源的な強さを感じるだろう。
 第1回は広島県東広島市小田地区の住民を描く。市町村合併や小学校の統廃合、診療所の撤退など集落存続の危機に直面した小田地区。だが、それを奇貨として、全員参加の“疑似役場”と県下最大の集落営農組織を作り上げた。
 既に都会でもコミュニティ崩壊は始まっている。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)締結後の農業のあり方も模索しなければならない。我々は何をなすべきか。1つの解が見える。
 琥珀色に染まる東の尾根を前に、吉弘昌昭は心の中でつぶやいた。
 「今年も小田が一致団結できるよう、よろしく見守っていて下さいよ」
 小田地区を一望できる小田城趾。毎年元日になると、吉弘は仲間とともに小田城趾に登る。小田城趾が整備された2008年以降、欠かさずに続けている正月の儀式。五穀豊穣や事故防止、住民の安心安全とともに、小田地区の一致団結を願うのは、この10年の道程が脳裏をよぎるためだ。
 
小田城趾からは小田地区を一望できる

広島県のとある集落の壮大な実験

 広島県のほぼ中央に位置する東広島市。小田地区はその東の端にある。人口は約750人、世帯数は232戸。かつては河内町の主要な集落だったが、2005年に河内町が東広島市に編入合併されたのを機に、県下有数の大都市の端っこになった。
 主な産業はコメ作り。東西に流れる小田川沿いに、棚田状に農地が広がっているが、その面積は一度戸当たり平均80アールと全国平均を下回る。高齢化率も高く、中国山地に典型的な農山村と言えるだろう。
 この小さな農村集落が最近、注目を集めている。その視線の先にあるのは「ファームおだ」。この地区の住民が2005年に始めた集落営農組織である。
 
「ファームおだ」は小田地区の88%の農地を一体的に管理している
 集落営農組織とは、集落の農地を集約し、農機具の所有や農作業を共同で行う組織のことだ。組合員の農地をまとめて借り受け、集落営農組織が一体的に経営していく。農業の大規模化や効率化、担い手確保の手段として農業関係者の期待を集めている。
 ファームおだを構成している組合員は128戸、地区農家の77%を占めている。集約した農地面積も82ヘクタールと広島県では最大規模を誇る。コメが半分以上を占めているが、コメ以外にも大豆やそば、野菜などの生産も始めた。何をどれだけ生産するか、戦略を立てるのはあくまでもファームおだである。
 この農地集約は小田地区に数多くの効果をもたらしている。その典型が農業コストの低減だ。
 平均卸売価格が下落した2010年度産新米価格。ファームおだに参加していない一部の農家は10アール当たり50万円の赤字に陥ったが、ファームおだは全体で1200万円の黒字を確保した。その差を分けているのは、主に機械設備の共有化と集約化による作業効率の向上だ。

赤字のコメ作りで黒字を達成

 通常、コメ農家はそれぞれがトラクターや耕耘機などを所有しており、機械設備のローンが大きな負担になっている。それに対して、ファームおだは必要な台数を組織全体で管理しており、相対的にコストが低い。地区にある農地の88%を一体利用できるメリットも大きく、集約化の恩恵を最大限に享受している。
 ファームおだは昨年度、約6000万円の売上高を稼いだ。組合員に支払うカネは、地代や草刈り代、水管理代といった固定的なもので年2万2000円(10アール当たり)。平均80アールと考えれば、年17万6000円が組合員の手取りとなる。
 さらに、農作業や重機の操作に対する作業賃のほか、法人が出した最終利益も作業時間に応じて傾斜配分しているため、それを合わせると、年30万円を超える手取りも可能だ。非常にわずかな金額だが、普通に農業をやれば赤字の中、一定の収入を得つつ、田畑を守ることができるのは住民にとって大きい。
 もちろん、メリットはそれだけではない。
 
現在、ファームおだでは34人が働いている。その多くが、農地を提供した組合員やその家族であり、60代や70代の年金生活者も少なくない。ただ、経営が軌道に乗るにつれて、30代や40代の従業員も増え始めた。彼らの賃金は月20万円前後と組合員より高い。それでも、常設雇用を増やしているのは担い手の若返りを進めるためだ。

集落存亡の危機を前に立ち上がった住民

 集落営農化は農地の再生も促した。
 ファームおだができる前、小田地区では耕作放棄地が農地の12%を占めていた。だが、一体的に農地を管理するようになった結果、耕作放棄地はゼロになった。畦の雑草取りにカネを払う仕組みを取り入れたことで、農村景観の改善にもつながった。
 そして、今では農協的な機能も持ちつつある。
 ファームおだの下部組織として、加工品の開発や販売を目的としたグループを結成。同じ小田地区にある農産物直売所、「寄りん菜屋」で加工した味噌や餅、韃靼そばなどを販売している。今年度中には、米粉パンを作る専用の加工場を設立する見込み。近隣の小学校の給食用に売り込みたい、という。
 
 ファームおだを核に、ダイナミックに動き始めた小田地区の農業。冒頭の吉弘はファームおだの理事長を務める。地域の合意形成や法人設立で陣頭指揮を執った。
 もっとも、ファームおだが注目を集めるのはそれだけではない。
 実は10年ほど前、小田地区は集落存亡の危機に直面した。その時、危機を前に立ち上がった住民は“疑似役場”を設立。その一環として農業改革を断行し、集落営農組織につなげた。ファームおだの真の価値はこの一連の過程にある。それを振り返って初めて、冒頭の吉弘の述懐の意味も持つ。

「もう勤め、務めで大変でした」

 そもそもの経緯は小田小学校の統合話が持ち上がった2002年に遡る。
 1873(明治6)年に設立された小田小学校。それ以来、100年以上にわたって小田地区の教育、文化の中核であり続けた。いわば、地域の精神的支柱。それが統合によって消えてしまう――。その事実に、地域住民は強い衝撃を受けた。
 しかも、折からの市町村合併の流れを受けて、河内町と東広島市の合併が囁かれていた。既に、農協は合併によって小田地区から姿を消している。合併すれば、巨大な東広島市の周縁部という位置づけになり、小田地区のプレゼンスが相対的に低下することは必至だ。
 「何とかしないといかん」。居ても立ってもいられなくなった住民の一部は他地域の事例を学ぶため、独自に視察を始めた。特に、地域の総意を受けてのことではない。それだけ、危機感が強かったと言うことだろう。2003年が明けてすぐの話である。
 
重津昌稔は「共和の郷・おだ」の設立に主導的な役割を果たした
 視察先に選んだのは、自治組織活動の先進事例として全国に有名な広島県安芸高田市の「川根振興協議会や同じ広島県にある神石町永野村など。「特に、何をすると決めていたわけではない。とにかく何かをしなければ、という気持ちだった」。主導的な役割を果たした重津昌稔は振り返る。
 重津を中心とした数人は年明け後の1カ月、毎晩のように集まり、何をすべきか議論を重ねた。当時、重津は70歳。昼間の会社勤めの一方で、小田地区の公民館長も務めていた。「大変だったのでは」と話を振ると、重津は目を細めた。「もう勤め、務めで大変でした」。
 そして、メンバーは1つの方向性を出した。それは、「小さな村役場づくり構想」。小田村役場と公民館を軸に、誰もが生き生きと暮らせる村を作ろう、という構想だ。
 
 新設する村役場には、村長や助役、収入役のほかに、農業振興部や文化教育部、環境福祉部などの部署を置くことにした。各部が立てた企画は住民の代表で構成される村議会で議論していく。もちろん、村役場や議会は擬似的なもの。あくまでも機能としての話である。
 
「夢は大きいものを持ってましたよ」。そう重津が語るように、当時の資料には、お年寄りが通う学校や都会の人向けの一坪農園など、様々なアイデアが記されていた。視察で見聞きしたことを参考にイメージを膨らませたという。
 その後、重津たちは「小さな村役場づくり構想」を地域の人々に諮った。もっとも、本当に苦労したのは住民に素案を提示した後だった。

全員参加の議論と住民への説明責任を徹底

例えば、自治組織の規約作りがそうだ。
 自治組織を作るといってもひな型があるわけではない。川根振興協議会の規約を参考にはしたが、すべてが小田地区に当てはまるわけではない。地区で新たに立ち上げた準備委員会で侃々諤々の議論を繰り返した。当時、町外で暮らしていた吉弘にも意見を求める電話がたびたびかかってきたほどだ。
 地区内の合意形成にも苦労した。
 なぜ自治組織が必要か、自治組織とは何か、どのような活動を行うのか、これまでの組織とは何が違うのか――。会議を開くたびに、区長会や女性会といった既存の組織から意見が出た。「明確な反対意見はなかった。ただ、こちらの思いをみんなに理解してもらうのが大変だった」。そう重津は打ち明ける。こういった疑問には一つひとつ丁寧に答えた。
 住民を納得させるうえで意識したのは全員参加だ。自治組織のネーミングを決める際には地域の全員からアイデアを募った。準備委員会は当初、「小田村役場」という腹案を持っていたが、「村」ではスケールが小さいという声が浮上。最終的に多数決で「共和の郷・おだ」に決まった。この時は189件のアイデアが集まったという。
 議論を前進させるために議事録の作成も心がけた。それぞれの住民団体は定期的に会長が入れ替わる。その際に、前回の会議で議論した中身が引き継ぎでうまく伝わらなければ、「いつ、どこで、誰が決めた!」という不満が出かねない。
 そういった情報共有に伴う議論の遅滞を防ぐため、面倒でも毎回、議事録を作成した。「議事録があれば、過去でなく次の話をせざるを得ない」。共和の郷・おだの副会長を務める瀬川豊茂は言う。この議事録作りでは、小田地区出身の河内町役場職員が大きく貢献した。大きな反対もなく設立が進んだのは、全員参加のオープンな議論と住民への説明責任を徹底したからだろう。
 

120年ぶりに旧村の村役場を復活

 そして2003年10月、様々な産みの苦しみを経て共和の郷・おだは誕生した。それが、住民に深い感慨を与えたことは想像に難くない。
 1871(明治4)年の廃藩置県後、小田地区は広島県豊田郡小田村として20年近く自治を行った歴史がある。その後、1889(明治22)年の市町村制の施行によって豊田村の大字、1955(昭和30)年の合併では河内町の大字に組み込まれている。
 市町村合併のたびに大きな自治体に飲み込まれてきた小田地区。だが、120年の時を経て、住民は自らの手で旧村の村役場を取り戻した。共同体が生まれたのは、集団の力で苛酷な自然を生き抜くため。規定された枠組みが高齢化や人口減少で崩れつつある今、住民主導で旧村を復活させた小田地区には、人が持つ原始の強さが垣間見える。
 この“村役場”、小田地区に数多くの恩恵を与えている。例えば、診療所がそうだ。
 老朽化が進んでいた小田地区の診療所。建て替えの費用もなく、廃止が目前に迫っていた。だが、廃校になる小学校の一部を診療所に代用することを行政に提案。それが認められて、診療所の存続が決まった。以前より診察の回数は減ったが、今でも週1回の診察が維持されている。

行政は地域の“総意”には耳を傾ける

 ちなみに、小田小学校は様々な形で活用されている。職員室は地域の会議室になり、1年生の教室は調理室になった。2年生の教室は談話室になり、4年生の教室は診療所に姿を変えた。診療所を除いた改築予算は1500万円。すべて国の補助金でまかなわれた。
 
道路の舗装も一気に進んだ。小田地区を走る県道には歩道がなく、PTAを中心に、行政に歩道整備を繰り返し訴えていた。ただ、一向に話が進まず、関係者の誰もが諦めていた。ところが、共和の郷・おだを立ち上げた後、改めて地方自治体に提案したところ、事業化が認められた。
 小田城趾の整備もそうだ。小田地区を見下ろす小高い丘には、730年ほど前に築かれた小田城の跡が残されている。荒れるに任せていたが、地域づくりの一環として小田城趾の公園整備を計画。事業化に伴って3年前に整備された。
 行政は1人の意見ではなかなか動かないが、地域全体が合意している意見には耳を傾けるもの。地域の声をまとめ、行政に伝える機関として共和の郷・おだは想像以上の役割を果たしていると言えるだろう。
 集落営農組織、ファームおだも自治活動の延長線上で生まれた。
 高齢化と担い手不足、それに伴う耕作放棄――。多くの農村が抱える問題に小田地区も直面していた。そこで、共和の郷・おだの設立後、農村振興部が中心となって住民にアンケートを採った。
 その結果は衝撃的だった。
 42%の農家が5年後に、64%は10年後に「農業ができない」「やめたい」と思っていることが明らかになった。農業の法人化を進めない限り、小田地区の農業は持続できない。それを痛感した農業振興部。集落営農組織の設立を住民に提案した。

女性が腑に落ちれば、すべてが決まる

 この決断の背景には、集落営農のプロが小田地区に戻っていたことも大きい。それが、冒頭の吉弘だ。
 
広島県の農業改良普及員として農業振興に携わってきた吉弘。定年後は広島県農業会議の事務局次長として、集落営農組織の普及に中心的な役割を果たした。ずっと郷里を離れて暮らしていたが、共和の郷・おだが設立された2003年に小田地区に帰郷、農業振興部の部長に就任していた。
 吉弘は「共和塾」という勉強会を立ち上げ、集落営農の仕組みやメリットを各集落で説いて回った。住民が最も気にするのは預けた農地が返ってくるか。「信託契約が終わる10年後に戻る」ということを吉弘はことさら丁寧に説明した。
 説明は1つの集落当たり最低2回。2回目は女性や若者の参加を促した。「女性が出るとすぐに決まる」。そう吉弘が笑うように、兼業農家が多い小田地区では、実際の農作業を支えているのは女性だ。その女性が腑に落ちることが何よりも大切。吉弘はそう考えたためだ。
 その後の成功は前述したとおり。左うちわでは決してないが、今の厳しい環境で黒字を確保している。耕作放棄地もなくなり、農村の風景は守られた。ファームおだが農協機能を兼ねることで、加工品の開発も加速。何より、地域での雇用が生まれつつある。人口が減少し始めた今、少しでも外部の人間が流入できる環境を築くことは、地域や集落の存続に大きな意味を持つ。
 もちろん、転作奨励金など国の補助金がなければ経営は立ちゆかない。農業開放の先にある国際競争を考えれば、直接支払いを含めた補助の上積みは不可欠だ。それでも、地域がまとまれば、農業の経営効率は上がる。農業がすべきことはまだあるのではないか。
 
 「コミュニティ再生に取り組む地域は増えているが、いきなり経済活動に取り組むところが少なくなかった。それに対して、小田地区は集落より広い大字の範囲で自治組織を作り、その上にファームおだという経済機能を載せた。いわば、『2階建て』の自治活動。手作り自治区の見本だと思う」
 全国の自治問題に詳しい明治大学の小田切徳美教授は言う。自治組織の設立は全国的な広がりを見せている。市町村合併によって周辺に追いやられる危機感。それが、自治活動の背中を押しているのは確かだ。もちろん、高齢化や人口減によって絆が断ち切られることへの反作用という面もあるだろう。
 
もっとも、これは地方だけの話ではない。団塊の世代を大量に受け入れた都市が老人の街になることは必至だ。既に、孤独死は現実に起きており、財政悪化に伴う行政サービスの低下もそう遠い将来のことではない。コミュニティ意識が希薄なだけに、その衝撃は地方の比ではないだろう。
 その時に、我々は何をすべきか。
 “村役場”と“村企業”を作り上げた小田地区を振り返ると、住民を牽引する強烈なリーダーシップを持った人がいたわけではない。吉弘がリーダー的な役割を担っているが、どちらかというと穏やかで、合議を重視する熟慮の人である。
 だが、強いリーダーがいなくとも、ビジョンという旗を立て、膝を詰めて話し合い、一致団結すれば事は成る。その労を厭わないかどうかの話だ。広島県の小さな地域が始めた取り組み。都市に住む我々に深い問いを投げかけている。
(=敬称略)
 



 

  ( 左)ワタミ株式会社前会長の渡邉美樹氏と(右)長谷川幸洋氏

 
 
都知事候補に60分、まるまる聞く 第1回 聞き手:長谷川幸洋
 
2011年02月25日(金)現代ビジネス
 

 

 

 
私は3年間神奈川県の教育委員会で戦ったんですが、最終的にどうにもならず、辞任しました。子供たちの幸せを守れない教育委員は教育委員ではないですから。私は3年間で辞めました。委員の任期は4年ですが、教育委員会は3年先のことまで決めてしまったんです。だから私にはどうにもならない。教育委員会には親から陳情が来ているにもかかわらず、どうにもならなかったんです。
長谷川: 政治、公の壁を感じられたのは、公私間協議の経験や、高齢者向けの賃貸住宅の問題からですか?
渡邉: そうですね。「自分の老人ホームのお年寄りは幸せでも、他のお年寄りはどうなのか?」と考え始めたのがきっかけです。教育に関しても同じです。今私は郁文館夢学園という学校を経営していますが、この子たちは様々な経験を積み、夢を追っています。でも、他の子供たちはどうなのかと考え始めて。政治こそが、他の高齢者の方、他の子供達たちを幸せにする手段だと思い、政治を意識するようになったんです。
長谷川: 私は、民間の方が政治の世界に入るのは大賛成です。その上で敢えてお聞きしたいのですが、民間の場合は自分で資金を投資して、もし失敗したら全部自分の責任ですよね。公の仕事の場合は、私たちの税金を預って事業しますが、失敗した場合の責任は私たち納税者に返ってくるわけですよね。そのあたりが決定的に違うなと思うのですが。
渡邉: そうですね。ただ、政治では、選ぶ側の責任があります。そして、選ばれた人間が責任を果たせなければ、次は選ばれないというのが民主主義の仕組みですから。そういった意味では、経済と政治においての責任の取り方は違いますよね。

「税金のほうが重いお金です」

長谷川: これまで渡邉さんはビジネスの世界では実績を積んでこられた。そこは評価したいのですが、都知事というパブリックな世界に入り、税金を預かって仕事をするという上で、どのような感覚をお持ちですか?
渡邉: 私は一部上場企業の経営者として、これまで約7万人の株主のお金を預かってきました。お金に重い軽いはないという前提の上ですが、ただ、やはり税金のほうが重いお金だと認識しています。
 もともと私は外食事業から介護事業に参入しました。その後は高齢者向け宅配事業や、学校、病院、発展途上国の支援、中国シンガポール等における外食事業など様々なことをやってきています。よく、「本当にいろんなことやりますね。よく出来ますよね」と言われますが、私は、簡単なことだと思うんです。それは、目的を明確にすることです。
 
 
 たとえば、教育委員会は子供達の幸せのためにある。しかし、それがブレるから間違った方向に進んでしまうわけです。学校も同じ。学校は子供たちの幸せのためにある。先生のためでも保護者のためでもない。ましてや学校の経営者のためでもない。それを明確にすれば、非常に簡単に経営できるのです。
 病院もそうでした。患者様のためだけに病院を作ろうと思い、「何が一番困るか?」と患者様に聞いたら、「待ち時間が長い」と言われたのです。だったら予約制を取り入れればいい。自分達の親が患者さんだったらどうすればいいかを考えればいいわけです。
 都政も同じように12兆円という莫大な予算が都民のためだけに使われているのかを考えなければいけません。それを考えれば素晴らしい都政になると思っています。とても簡単なことです。

 

 

衝撃を受けたオランダでのエピソード
 
長谷川: 自分の原理原則を定めていらっしゃるということですね。
 あえて原理的なお話を私が聞きしたのは、この国では残念ながらパブリックなもの、あるいは政治に対して不信がものすごくあるからなんです。霞ヶ関の行政、永田町で行われている今の政治、政局の混乱。公約があるにもかかわらず、実現できていない。それで不信感が募ってしまうわけです。これをどうするかというのが一番大切だと思うんですよ。
渡邉: 私は東京都知事選出馬に当たり、6つの約束を出したのです。そのうちの6つ目が「政治に"信"を取り戻す」ということなんです。なぜ、この国には閉塞感がここまで強いのか。それは、政治に"信"がないからだと思うんですよ。
 著書の中でも書かせていただきましたが、オランダで聞いたあるおばあさんの話が心に残っているんです。この方は日本で言うと要介護2で、12、3万の保険料が入ります。そして14、5万円の年金をもらっているんですが、彼女は「私は介護保険料はもらっていないです」と言っていたんですよ。
 なぜかを聞いたら、「私は年金の13万で足りるから」と答えたんです。「だったら介護保険料をもらって、それを孫にでもあげればいいじゃないですか」と私が言ったら「この国は、ちゃんとお金を使ってくれる。だから介護保険料をもらわなかったら、自分以外の人のために役立ててくれる。だから、私はもらわないほうがいい」と言ったんです。これが政治の"信"ですよ。
 だから、オランダの人々は貯金をするように税金を納めているんですよ。そして65歳になるのを楽しみにしているんですよ。「今まで国に貯金したから、これからは国にお金を返してもらって楽しい人生を歩むんだ」という具合に。
 北欧などへも介護の視察に行ったのですが、そこで、日本はなんと情けない国になってしまったんだろうと思いましたね。論語の中にも「食を失って皆が飢えたとしても、信だけはなくしてはいけない。信がなくなると国ではなくなる」と。まさに日本には信がない。それを取り戻すのが自分の一番大きな仕事だと思っています。
 
長谷川: かつてパパブッシュ(ジョージ・H・W・ブッシュ)が「政府が皆さんからお預かりしている1ドルを皆さんにお返しします。政府が使うのではなく、皆さんが使ってください。これが減税なんです」と言ったことがありました。今のおばあさんの話は、これと考え方が同じですね。つまり、おばあさんは税金を政府に取られるものではなく、政府に預けるものだと考えているんですよね。
 私がかつて政府の仕事をやっていた時、財政が足りなくて増税をお願いする際の言いぶりとして「皆さんの税金を私たちがお預かりして皆さんが高齢者になったときに、年金という形でお返しします。その間、私たちが運用しますから、この増税を受け入れてもらえませんか?」と私なりに考えていました。
 それから何年かがたち、今どう思っているかというと、このような構造が日本では失われている。つまり国民が安心して税金を預ければ、政府が効率的に最善の方法で使ってくれるかというと、そうではないというのが私の思いですね。
渡邉: そのとおりですね。私は、「消費税が20%でも25%でも、国民が幸せならいいじゃないか」と発言したことがありましたが、その時マスコミに「渡邉は増税論者だ」と言われたんですよ。でも違います。
 増税には、二つの条件があります。一つは、鼻血が出ないほどの経費削減が出来ていて初めて、税金を預けてくださいといえる資格があるということ。もう一つは、政治とカネなどの問題が一切ないこと。すべてガラス張りだということです。その上で国民に聞くんです。「消費税10%であればこういう世界です。20%であればこういう世界です。5%のままであるなら、65歳以上は自分で生活してくださいね」と。
 これは国民が選択することなのです。「働ける人がお金を払って、お年寄りが幸せに暮らせる国がいいな」という気持ちから「消費税20%でも25%でも・・・」というと「20%でも25%でも」だけが一人歩きするんです。何なのでしょうかね、大変残念です。
 

 

長谷川: 皆さんご存知だと思いますが、ご紹介します。ワタミ株式会社前会長の渡邉美樹さんです。
渡邉: はい。1週間前に会長をやめました。
長谷川: 渡邉さんは、外食グループのワタミの他、介護、医療、農業、教育などを手がけ、カンボジアやネパールでも小中学校140校、さらに孤児院まで手広く活躍しています。渡邉さんの著書『東京を経営する』も読みました。今日はまず、どうして東京都知事選に立候補されたのかを聞かせてください。
渡邉: 実は私は、自分の人生を3~4分割して物事を考えているんです。25歳までが自分で学ぶ期間、25~50歳までが、「お金の入る『ありがとう』」を集める期間、そして50~75歳までが「お金の入らない『ありがとう』」を集める期間と自分で決めています。ですから、50歳で会長になることはずいぶん前から決めていたんです。
 そして会長になった後、今ご紹介いただいたように、カンボジアやネパールで学校や孤児院を作ったり、日本中の若者たちの夢を応援したり、森を作ったり、学校や病院を経営するなど、ワタミの経営以外のことにも力を入れてきました。それを1年半ほどやる中で、「この国の政治にかかわらなければ、より多くの人の幸せにかかわることができない」と思うようになったんです。

介護事業で感じた縦割り行政の限界

長谷川: 著書の中で、非常に興味を持ったのは、「国土交通省が管轄する高齢者専用賃貸住宅と、厚生労働省が管轄する24時間体制の在宅介護がドッキングしたら素晴らしいと思うけれど、なかなかできない」と書いています。これはまさに、霞ヶ関の縦割り体制の弊害だと私は思ったのですが、渡邉さんは他の部分でも同じようなことを感じましたか?
渡邉: はい、ありますね。私は介護付有料老人ホームを61棟経営しておりまして、4000人以上の方をお預かりしています。でも、私たちの施設に入られる方はやはり恵まれている方です。他の施設に比べれば安いですが、500~700万円のお金をいただいて、毎月18万円くらいのお金をいただいています。これを、何とか安くならないかと考えたんです。
 
特別養護老人ホームへの入居を何十万人もの方が待っているならば、その方々を私たちがお世話させてもらうことはできないだろうかと考えたときに、高齢者専用賃貸住宅という規制が少ない高齢者向けの住宅に、24時間の在宅介護をくっつけることによって、新しいタイプの老人ホームを安く経営できると思ったんです。
 しかし、管轄が違うため、なかなか実現できず、何十万人の方が待たれている状況です。僕はそれを目の当たりにして、焦りと憤りを感じたんですよ。私が経営する介護付有料老人ホームでは、4000人の方が「幸せだ」と言ってくれています。昨日も、ホームの方とお会いしてきたんですが、皆、手を握って「ありがとう」と言ってくれる。それは嬉しいですが、実際にはその他にも待たれている方がいるわけですよね。それを解決できるのが政治なんですよ。
長谷川: なるほど。政治による壁を感じたということですね。
 この本の中でもう一つ目を引いたのが、公立高校と私立高校の定員に関する問題です。少子化で私学の入学者が少なくなり経営が悪化するのを避けるために、公立高校の定員を減らしていくことに憤りを感じられたそうですが。

教育委員会委員を辞任した理由

渡邉: それは、「公私間協議」と言います。私は神奈川県の教育委員会でこの問題を3年間やっていたんですが、敗れました。どうにもならない壁でした。
 私は、「教育委員会は子供の幸せのためにある」と思っていたんです。子供の幸せという視点から考えれば、公立と私立で定員を分け合って「君は私立に行きなさい」という必要はまったくない。子供が行きたいほうに行かせればいいと思うんです。もし、お金が足りないのなら私立で奨学金を充実させるとか、お金がない子も私立に行けるような方法を作るのが教育ですよね。
 しかし、公私間協議というのは、たとえば公立の定員が100人、私立の定員が100人、そうしないと私立の経営が成り立たないので、公立は100人までしか受け入れませんということを話し合う場なんですよ。
 景気がいいときはそれでもいい。でも、景気が悪くなると私立に入れない子供はどうなるかというと、結局、私立の定員を満たさずに公立の定時制に行くんですよ。もっと言うと、定時制さえ受け入れられなくて、定時制から通信教育に流れているでんすよ。大人の都合で、私立の経営を守るために子供たちが犠牲になっているんです。こんなのおかしいですよね。

「造反のマジックナンバー」にあと1議席

2011年02月25日(金) 現代ビジネス 長谷川 幸洋
 
政局が大きく揺れ動いている。
 私は23日のコラムで「菅直人首相に残る選択肢は3つに絞られた。すなわち衆院解散・総選挙か内閣総辞職、あるいは居直りだ。いずれにせよ、解散・総選挙が近い」と書いた。
 菅が自ら解散しない場合でも、次は事実上の選挙管理内閣になって解散・総選挙を迫られるとみたからだ。
 ここでもう一つ、新たなシナリオを加えたい。わずか一日で情勢が急変している。
 それは各議員がいまの議席を維持したまま政界再編に至る可能性である。解散・総選挙を経ずして現有議席のまま政権の組み替えが起きるかもしれないのだ。
 政局に新たな一石を投じたのは原口一博前総務相である。原口は23日、国会内で地域主権改革を目指す新しい政策集団「日本維新連合」を旗揚げした。このグループは非議員も参加する「日本維新の会」とは別で、国会議員だけが参加している。
 
 注目されるのは、参加した議員の顔ぶれと人数である。
 
 原口のほか山岡賢次や川内博史、松野頼久など小沢一郎元代表に近い議員たちが総勢57人も集まった。この57人は強弱はあるにせよ、いまの執行部に批判的スタンスとみていい。このタイミングで「原口の呼びかけに賛同した」というだけで、政局に絡む覚悟がないはずがない。
 57人のうち参院議員は5人。あとは全員が衆院議員で新党大地が1人、無所属が1人、残りは民主党である。衆院の民主党会派である「民主党・無所属クラブ」に参加した議員だけを数えると51人に達する。
 
この51人という数がもつ意味は絶妙だ。なぜか。
 衆院で内閣不信任案が提出されたとき、あるいは首班指名選挙になったときに、過半数確保をめざす民主党執行部を脅かすに十分であるからだ。
 衆院定数は480議席。いま欠員が2あって慣例で投票しない議長を除くと過半数は239になる。これに対して民主党・無所属クラブの保有議席は307。したがって307から239を引いた68議席を1議席でも上回る造反が起きると、過半数を確保できずに負けてしまう。
 菅が内閣総辞職を選んで民主党が次の首班候補を衆院に送りこんでも、69人以上が反乱すれば、首班指名選挙で勝てないのだ。野党がいずれ提出するとみられる内閣不信任案の採決でも同じである。69人以上が造反すると、不信任案が成立してしまう。
 日本維新連合に集まった民主党会派の衆院議員は51人なので、69人には18人足りない。だから菅は安心かといえば、そうとも言えない。なぜなら、先に民主党会派からの離脱届を出した16人の衆院議員のうち日本維新連合にも名を連ねたのは2人だけで、14人は加わっていないからだ。
 つまり、日本維新連合の51人に別枠の反乱分子である14人を加えると、65に達する。菅と仙谷由人党代表代行が実権を握る党執行部にとっては「造反のマジックナンバー」である69に、あと一歩まで迫っているのだ。

首班指名で造反が起きる

 造反する可能性がある議員はほかにもいる。
 
 小沢に近い鳩山由紀夫元代表の側近である中山義活衆院議員ら9人も「東京維新の会」設立に動いていると報じられた。鳩山を含めて、こうした議員たちが反「菅・仙谷ライン」で一致団結すれば決定的な勢力になる。
 ようするに菅・仙谷ラインが事実上の「菅亜流政権」樹立を目指しても、衆院の首班指名選挙で負ける可能性が出てきた。
 そうなると、菅の手による解散・総選挙を避けて内閣総辞職から菅亜流政権あるいは選挙管理内閣へという道を選んだとしても、仙谷たちの思惑通りの内閣は発足しない。それどころか、首班指名選挙から即・政界再編の幕が上がる可能性がある。
 内閣不信任案をめぐる投票でも同じだ。69人以上の造反によって菅内閣への不信任案が可決成立すれば、菅は解散・総選挙か内閣総辞職するしかない。そこで解散しない場合は、やはり次の首班指名選挙で政界再編に突入する形になる。
 
 民主主義国家における政権奪取は最終的に数の勝負である。原口は当然、以上のような可能性を胸に秘めて行動しているはずだ。
 こうしたシナリオが現実になるかどうかは、分からない。そもそも原口の言動をみると、菅支持なのか菅打倒なのか、もうひとつはっきりしない面もある。
 原口が雑誌への投稿で激烈な菅批判をしたかと思えば、一転して菅を支えるかのような発言に軌道修正したのは、日本維新連合への参加議員をできるだけ増やすためには「反執行部姿勢」を鮮明にしすぎないほうがいい、という判断があったかもしれない。若い議員たちの心理は揺れ動いている。
 ただ原口の動きと小沢側近である松木謙公農林水産政務官が辞任した一件が同時進行だったのは、けっして偶然ではないだろう。
 来年度予算案が年度内に成立するための衆院通過のタイムリミットは来週の3月2日だ。今週末から来週にかけて、政局は大きなヤマ場を迎える。
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