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2011年02月21日(月) 週刊現代
 
前原誠司民主党一、危険な男だ。思いついたことをすぐ口にし、その都度、周囲は混乱する。だが、いつの間にか本人だけは火事場から抜け出している。火をつけ、逃げる男—それ大丈夫なのか?

 

そして前原が残った。

 二十数年前、神奈川県茅ヶ崎市にある松下政経塾の寮で、ユーミン(松任谷由実)の『リフレインが叫んでる』を、その歌詞にもある通り、何度も何度も、テープが擦り切れるほど聞き続ける青年がいた。

 いつもTシャツにトレパン姿で寮内をうろついていたという、この多感で熱血漢の青年は、数年後に政界へ進出する。紆余曲折を経て、'09年に鳩山由紀夫政権が誕生した際には国交相に就任。続いて翌年には菅直人政権で、戦後史上最年少の外相にも就任した。
 いわずと知れた、前原誠司氏(48歳)である。
 最近、永田町で前原氏への注目が急速に高まりつつある。言行不一致、無軌道、無展望の菅首相のダメっぷりが尋常ではないため、ほとんどの政界関係者が、「菅政権はもうすぐ潰れる」と確信を深めている。そして、菅首相が倒れた場合、「次期総理」の一番候補と目されているのが、前原氏だ。
「2月6日の愛知県知事選、名古屋市長選の大惨敗で、菅政権が存続する可能性はゼロに等しくなりました。いま党内では、自分たちのことを〝絶滅危惧種〟と呼ぶジョークが流行っています。このままだと4月の統一地方選にまた惨敗し、その後の衆院選で完全に壊滅して、地上から消え去る運命だと自嘲しているんですよ」
(民主党中堅代議士)
 
燎原の火のごとく広がる「菅はもうダメだ」という声。やはり、総理レースの有力候補だった岡田克也幹事長は、度重なる選挙の敗北と、「小沢問題」への対応の不手際を糾弾され、求心力をすっかり失った。
 鳩山、菅、小沢、そして岡田・・・。歴代の民主党代表経験者は、この1年半の間に、国家を背負う器ではないことを露呈してしまった。そして、最後の代表経験者として、約15歳若い前原氏だけが残った。
 とは言え、前原氏もかつては、'06年の「偽メール事件」で引責辞任するなど、いったんはリーダーの資質に疑問符が付いた立場。また、閣僚になってからも、「八ッ場ダム問題」「JAL再建」「尖閣衝突事件」などにおける対応は、すべて中途半端でお世辞にも褒められたものではない。
 果たして、このまま前原氏は総理大臣になるのか。なっていいのか。このニッポンを任せるに足る人物なのだろうか。

 

キレやすいオタク

 もはや民主党の〝最終兵器〟と言われる前原氏は、1962年、京都市左京区の生まれ。両親は鳥取県境港市の出身で、父・博氏は京都家庭裁判所に就職し、総務課庶務係長を務めていた。
 しかし前原氏が中学2年生の時、父親が島根県の鉄道踏切で飛び込み自殺。以後は母子家庭となり、奨学金をもらいながら、京都教育大附属高、京都大学法学部を卒業した。
 家族の不幸はあったにせよ、学歴的にはかなりのエリートコース。ただ、前原氏本人曰く、「当時の共通一次試験で1000点満点のところ、770点しか取れなかった」ため、1年間の浪人生活を余儀なくされている。また、大学卒業もスムーズにはいかず、
「本当は松下政経塾の7期('86年入塾)になるはずが、語学の単位を落として留年してしまい、翌年、再度受験しなおして8期生になった」(松下政経塾出身者)
のだという。
 意外と回り道をしながら、ようやく辿りついた政治家への登竜門。恩師・高坂正堯教授から、「外交官は京大出身じゃ偉くなれないし、学者になれるほど頭はよくない」と言われ、政治家になることを勧められた・・・というエピソードは有名だ。
 松下政経塾に入った前原氏は、この頃から「リーダー」としての片鱗を見せていたという。政経塾同期でもある、民主党の勝又恒一郎代議士はこう語る。
 
「前原は、当時から政策を語るのが好きだったけど、それよりむしろ、団体行動を重要視していた。メシを食べる時も、『皆で一緒にちゃんと食べよう』と言ったり、『朝のラジオ体操はみんなでやろう』と呼びかけたり。塾の決まりごとでも、サボる人はいる。でも前原は『ちゃんとやらなきゃ』と注意する。やはり同期の玄葉(光一郎国家戦略相)なんて、前原と違ってマイペースで『寝る時は、寝る』って感じだったからね」
 負けん気の強さも際立っていた。松下政経塾では、入塾1年目に「100Ɠ行軍」というイベントがある。深夜に塾を出発し、24時間以内に三浦半島を一周し、戻ってくる。相当なスパルタ的苦行だが、前原氏はぶっちぎりのトップで戻ってきて、当時の最速記録保持者だったという。
 同時にまた、とにかくなんでも「こだわる」性格だったようだ。
「夜になると、寝静まった寮の中に、前原さんが聞いている『リフレインが叫んでる』が流れていたのを思い出します。本当にしょっちゅう聞いていて、よく飽きないもんだ、と。年末になると山下達郎の『クリスマス・イブ』も繰り返し流れていたなあ。とにかく同じ曲を、ずーっと聞いてました」(前出・政経塾出身者)
 前原氏は熱心な鉄道ファンとして知られ、「現役で走っているSLが見られるから」と言って、愛妻・愛里さんとの新婚旅行を北海道にしたという筋金入り。要するに「オタク」だ。こういう部分は、青年時代から変わっていないのだろう。
 プライドが高く、少し口うるさいが、面倒見がよい学級委員タイプで、凝り性の努力家。そんな前原青年の姿が浮かび上がって来るが、同時に、若い頃から短気なところがあり、ふとしたことで「キレる」こともしばしばだったという。
「塾生時代、4人部屋にテレビが1台しかなくて、僕らは巨人戦の中継を見ていました。すると前原が突然、『阪神じゃないとあかん! いつまで見とるんや!!』と怒りだして。なんでそんなことで、ここまで怒られないといかんのか、わからなかった。要するに、熱いやつなんですよ。納得できないと、とにかくガーッといく」(前出・勝又氏)
 熱い・・・で済めばいいが、国会どころか閣議でもカッとなって騒ぐため、「子ども大臣」と揶揄されてもいる。
「秘書が間違ったパンを買って来たら、キレて投げつけた、という噂もあります。地元で党員から意に沿わぬ質問を受け、支持者の一人だというのに『ああっ!?』と凄んだりもする。かなり短気なのは間違いありません」(民主党若手代議士)
 ある時、議員会館の喫茶店で前原氏がコーヒーを注文すると、間違って紅茶が出てきた。普通なら「違う」とひとこと言えば済むところ、前原氏は激怒し、「商売をするつもりがないんだ」と理屈をこね、代金を支払わずに店を出て行ったという(直後に慌てて秘書が支払いに行った)。

 

いつも尻すぼみ

 ともあれ'91年に松下政経塾を卒塾した前原氏は、同年、京都府議会選挙に立候補し、当選。さらに翌年、日本新党に加わり、'93年、同党公認で衆院議員に初当選を果たした。
 
 
このトントン拍子のサクセス・ストーリーの背景には、前原氏自身の「野心」があった、と話すのは、元京都府議の一人だ。
「もともと前原さんは、自民党から府議に出ようとしたが、彼が出たがった左京区が空いていなくて、仕方なく無所属で出馬して当選した。当時、自民党府連では、『他の選挙区なら公認する』と言ったのですが、すでに国政を視野に入れていた前原さんは、『人口が多い左京区でないとダメだ』と、断ったのです」
 結局はこの判断が効を奏し、前原氏は直後の新党ブームの波に上手く乗り、出世街道を驀進していく。ただ、その頃から今に続く、「変わり身が早い」という評判が出始めている。
「彼は細川(護煕)さんの名前を利用して国政に進出できたのですが、その後に細川政権が倒れると、さっさと恩人を見限って日本新党を去った。細川さんの奥さんは、『恩を仇で返す薄情な男』と、カンカンに怒っていましたよ」(同元府議)
 建設中止を高らかに宣言しながら、そのままうやむやになった八ッ場ダム。中国船の行為に激怒し、船長逮捕を「オレがやった」と誇らしげに語っていたのに、中国側が強硬姿勢を見せると、途端に尻すぼみになった尖閣沖での船舶衝突事件・・・。
「本当にこの人についていって大丈夫なのか?」
 周囲に不安や不信感を与えてしまうのは、大きなマイナスポイントだ。
「思い込みでどちらの方向に暴走するかわからないから、見ていて非常に危うい。だから、彼の後ろ盾である仙谷氏すら『前原はまだ早いかもしれん』と頭を悩ませ、野田佳彦財務相らに『中継ぎ』させる選択肢も捨てていない。前原氏は一歩間違えれば党や政権が吹き飛びかねない、〝人間爆弾〟のようなもの。もし政権を取っても、おそらく3ヵ月もたない」(ベテラン議員)
 こんな前原氏の負の側面が、全部出てしまったのが'06年の「偽メール事件」だ。
 当時、ライブドア堀江貴文元社長が、昵懇の仲だと取り沙汰された自民党武部勤元幹事長の息子を通じ、武部氏サイドに裏ガネを提供したのではないか、という噂が持ち上がった。確認
 しかし、その証拠とされたメールは〝偽物〟だった。民主党の代表に出世していた前原氏は辞任に追い込まれ、激しく非難された。
「あの頃、党内からも『メールの真偽をしっかり調査したほうがいい』という声がかなり強く上がっていた。でも前原氏は『引くつもりは毛頭ない』と、まったく聞く耳を持たなかった。偏狭さが、彼の致命的欠陥だ」
(民主党幹部)
 
偽メール事件では、追及の主役だった民主党の永田寿康元代議士が議員辞職を余儀なくされ、やがて永田氏は、自ら命を絶った。民主党内では、あの事件がいまだに尾を引いている。

 

小沢派にも媚びちゃうぞ

 一方、前原氏を首相候補として評価する場合、米国との緊密さを好感する声がある。1月に訪米した前原氏は、バイデン副大統領と会談。米政権ナンバー2と面会できるのは、前原氏が「ポスト菅」の最右翼と見られているからだという。
「前原氏は、国防族として旧知の間柄にあるダニエル・イノウエ上院議員の口添えもあって、副大統領との面談に成功した。クリントン国務長官も、『前任者(岡田氏)に比べ明らかに良い』と評価している」(全国紙ワシントン特派員)
 ところが、ここに来て雲行きが怪しくなってきた。2月1日の衆院予算委員会で、前原氏が過去2回、北朝鮮に入国していたとの指摘がなされた。前原氏は1月4日に日朝交渉の再開に前向きな姿勢を示し、北朝鮮メディアから絶賛されている経緯もある。これに、米国サイドは大きな懸念を示しているという。
「『前原はいったい何を考えているのか』と、事務レベルの外交ルートで詰問が入っています。これまで、保守政治家ばりの親米・反中国の姿勢が売りだった前原氏ですが、それが本当の素顔なのか、疑問符が付いている」(外務省関係者)
 今回、本誌は新聞・通信・テレビなど各社の政治担当記者に、「前原首相誕生の可能性」と、「政治家としての資質」についてアンケートを行った。
 日頃から前原氏をウォッチしている記者たちの声は、かなり厳しいものだった。「前原氏は首相になると思うか」という質問に対して、「思う」と答えた記者は、32人中、11人。残りは下馬評にもかかわらず、「思わない」と回答した。
 それはなぜか?(次ページの表も参照)。
「同じ凌雲会でも前原を信頼している議員は少ない。盟友と言われた議員との関係も希薄になりがちで、人間関係が長続きしないのが気にかかる」(テレビ)
「政権が目の前に来たと思い、(小沢派の)輿石東参院議員会長の地元・山梨までわざわざ出かけ、『輿石先生を尊敬している』とヨイショした。眼がギラギラしている」(新聞)
全国紙編集幹部の一人は、前原氏の〝政治センス〟のなさをこう指摘する。
「彼はオフレコで、『前の大臣(岡田氏)は何もできなかった』と敵意むき出しにし、『岡田には能力がない』と言い放っている。そんなことを言えば当然、岡田氏の耳に入る。これで岡田氏は、次の代表選では前原氏の敵に回る。人情の機微が、彼にはわからない」
 
政治アナリストの伊藤惇夫氏も手厳しい。
「私は前原氏のような政治家を『偏差値グループ』と呼んでいます。彼らは偏差値が高い=優秀な政治家という物差しを持っていますが、政治には〝情〟と〝理〟のバランスが必要で、〝理〟だけでは動かない。そのあたりの感覚が、前原氏は欠如しているんです」
 国民は、民主党の〝口だけ政治〟のリフレイン(繰り返し)に飽き飽きしている。「いい加減にしろ」と、誰もが叫んでいる。
 前原氏が、そのリフレインを止められるか・・・。できなければ民主党は、分裂・消滅する他ない。前原氏がかつて何百回も歌で聞いた通り、もう〈二度と会えなくなる〉だろう。
 
 
政治記者32人に聞いた「前原氏の評価」(主な意見)
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