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トレハロース

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9

 

2011年1月31日 NETIB NEWS

私的整理の一つである事業再生ADR(裁判外紛争解決)手続きを申請したバイオ企業の林原(岡山市)は1月27日、経営破綻の責任を取って林原健社長(69)と弟の林原靖専務(64)が退任すると発表した。グループの負債総額は約1,400億円。債務超過額は551億円(2010年10月末)にのぼっていた。同社は非上場だが、バイオ関連の有名企業。バイオの寵児は何で躓いたのか。

<世界初トレハロース量産技術開発>

 林原グループの林原生物化学研究所は昨年9月、日本癌学会学術総会で、へその緒の血液から培養した新細胞が、がん細胞だけを破壊する機能をもつと発表。がん治療にとって画期的なメカニズムの発見といわれた。独自技術で培養した新細胞を「HOZOT(ホゾティ)」と命名して特許出願。新しいがん治療法につながれば、「ホゾティ」は抗がん剤「インターフェロン」、天然甘味料「トレハロース」に次ぐ第3の柱に育つことが期待された。

林原グループは微生物が作る酵素などの技術でバイオ企業として成長。これまでの特許は5,000件を超える。なかでも画期的なのが1994年、トレハロースの量産技術の開発。トレハロースとは、甘みが砂糖の半分の天然の糖だ。これを人為的に作り出すことは不可能といわれてきた。同社は、でんぷんをトレハロースに変える酵素を発見し、世界で初めて大量で安価な生産に成功した。素材の鮮度を保つ、食感を高める、保水性を高めるなどの特性に企業が注目。今やスナック菓子やカップ麺から美容液、さらにはクールビスシャツなど約2万種の商品に使われている。

 トレハロースは、赤い1つの目に触覚とヒゲが生えた宇宙人キャラクター「トレハ星人」を使ったテレビCMで、一般的に知られるようになった。現在、同社が世界生産のほぼすべてを担う。トレハロースの量産技術の開発・商品化に成功した林原健社長は、バイオの寵児と謳われた。

<日本一の水あめ工場で大成功>

 同社は1883(明治16)年創業の水あめ製造業が発祥。1961年、4代目にあたる健氏が慶應大学在学中に父親が死去したため、19歳の若さで社長に就任。卒業後、岡山に戻った健氏は役員を集めて「この会社は僕しか潰せない。潰すなら僕の手で潰す。どんなかたちになるかわからないけど協力してほしい」と言って、デンプン加工業からの脱皮を宣言。幸運にも酵素を生み出す菌が見つかり、酵素・微生物の研究開発企業に転換した。

 研究開発に多額の資金を投入できたのは、父親、林原一郎氏が残した莫大な遺産があったからだ。一郎氏は1932(昭和7)年、家業である林原商店(現・林原)の3代目社長に就いた。京都大学化学教室で学んだ研究者だが、経営手腕に長けていた。戦後の甘味不足の時代に、次々と事業を拡大。林原コンツェルンといえるほどの企業グループをつくった。年配者になつかしい「カバヤのキャラメル」のカバヤ食品を設立したのは一郎氏だ。キャラメルに封入されている、当時の人気キャラクター、ターザンの絵入りカードを集めると、カバヤ文庫がもらえることで人気を得た。


<力を入れた不動産事業>

 戦後、日本一の水あめ会社として大成功した一郎氏のもとには、再建話が持ち込まれた。グループに製紙、ホテル、倉庫など多様な企業群があったのは、すべて一郎氏が再建を引き受けた会社だ。巨万の富を手にした一郎氏は、次々と不動産を購入していった。岡山駅前の広大な土地は備前岡山藩藩主だった池田家から買った。林原美術館に展示されている美術品も池田家から購入したものだ。一郎氏は1961年4月、52歳の若さで逝去。一郎氏が残した莫大な遺産を、息子の健氏は研究開発費につぎ込んだのである。

 林原は非上場を貫いている同族企業。健氏はグループのホームページのなかで「10年、20年という長期間の研究開発は『家業』として成り立っている事業体でなければできない」と強調している。逆にいえば、研究成果が果実をもたらすまでには長期間かかるから、研究開発だけではメシが食えないということである。

安定した収益を確保するために取り組んだのが不動産事業である。実弟の靖専務が担った。健社長は正午前に出社、2時には退社し、後はバイオ研究に没頭する。実際の経営を仕切ってきたのは靖専務である。一郎氏の研究者の特質を長男の健氏が、事業家の性格を弟の靖氏が受け継いだ。靖氏は、父親が残した岡山駅前の広大な土地を活用して不動産事業に注力した。時代も味方し、地価は右肩上がりの上昇を続け、この土地がもつ膨大な含み益によっていくらでも資金を調達できた。81年にはJR京都駅から1分の一等地に高級ホテル「京都センチュリーホテル」を開業。京都・嵐山ではホテル亭を経営。いずれも一郎氏が買っていた土地だ。近年はJR京都駅前の再開発に乗り出していた。

 バブルの時期には、東京・新宿歌舞伎町の裏通りに、いかにもバブリーなガラス張りの構造むきだしのビルを建設。「バイオ会社が、なんで風俗街の歌舞伎町にビルを持つ必要があるのか」と驚かせたことがある。歌舞伎町プロジェクトと名付けた5番目のビルだ。極め付けは、02年に発表した「ザ・ハヤシバラシティ」構想である。元藩主の池田家から購入したJR岡山駅前に所有する5万m2の所有地に「世界の名所になるような近未来都市をつくる」と発表。自然博物館や美術館、百貨店、ホテル、高層マンションを09年にオープンするとぶち上げた。自然博物館の目玉にするため、90年代からモンゴル・ゴビ砂漠で恐竜の化石を発掘する調査団を派遣したほど。

 しかし、ハヤシバラシティ構想は頓挫した。地価が下落し、担保割れを起こして資金の流れはストップ。これで万事休す。不動産事業で手を広げすぎたことが経営破綻の原因だ。

<林原グループ解体へ>

 林原グループの再建は、メインバンクの中国銀行(岡山市)主導で進められる。そもそも今回の破綻の引き金となったのは、林原が中国銀行に対して何の断りもなく、「京都センチュリーホテル」を中国資本へ売却したことにあるとも言われている(⇒関連記事)。

 林原、太陽殖産(不動産会社)、林原生物化学研究所の林原グループ3社は中国銀行の株式の10.67%を保有する筆頭株主(10年9月末現在)。林原グループの負債総額1,400億円のうち、同グループへの中国銀行の融資額は447億円とダントツだ。

 再建計画では、天然甘味料など以外の不動産事業やホテル事業はすべて撤退。グループの解体だ。早晩、会社ごと売却され、トレハロース専業メーカーになるだろう。とどのつまり、林健、靖兄弟が父親の莫大な遺産を食い潰したというのが実情であった。

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