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いすゞ自動車
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%99%E3%82%9E

空前の業績アップで待望論勃発!


2010年12月30日(木)現代ビジネス


くのファンを悲しませた乗用車撤退から8年。今年いすゞが好調だ。9月中間期の売り上げが、前年同期の277億円の赤字から291億円の黒字に転換し、売り上げ高は前年同期比63.7%増。海外でも絶好調で、中国では前年同期比なんと96.5%増。ほぼ倍増! 今いすゞにがぜん注目が集まっている。

 となるとファンならば当然考えるのが「乗用車復活はないの?」ということ。そこで、本企画はいすゞの乗用車復活を切に願って、お送りする「いすゞカムバック! 祈願特集」だ。まずは元いすゞワークスドライバーであり、元社員の浅岡重輝氏に、在籍当時、いすゞが輝いていた頃の話から伺ってみる。

かつては御三家と呼ばれた! 当時を浅岡重輝が振り返る!

がいすゞに在籍したのは、第1回日本GPに出場した直後の'64年から'73年頃まで。この頃のいすゞという会社はまだまだ古い社風が残っていた。

いすゞは、トヨタや日産とは違い、もともと国策企業としての成り立ちがあり、上層部には公家関連の方も多い会社だった。財力も開発力もあった。これが御三家たるゆえんだった。

 半官半民的で官僚的な上司というと窮屈そうだが、実際はキツい締め付けもなく、やりたいことができる自由さがあったのだ。それでいて人材は優秀、しかもクルマ好きばかり。

 私も例に漏れず、入社してすぐに実験部に配属され好きなことを始めた。ちょうどベレットGTが開発中だった。

 とにかく好き勝手作っていて、2ドアセダンをベースに屋根をぶった切ってピラーを寝かせて、メーターはスミス、スイッチ類はルーカス・・・、なんてやりながら完成したのがその当時、東京モーターショーに出品した車両だった。

 これが好評で、市販化にこぎつけたが、行き当たりばったりで図面もない。ショーに出品したクルマから実測して線図をおこすなんて無茶をやっていた。

 その後は'78年頃から、プロトタイプの開発部署にいて「R6」や「R7」の製作を担当した。勝負よりもむしろ、どう研究に役立つかが重要だった。

この会社の核はやっぱり技術屋で、とにかくアカデミックだったのが印象的。入社すぐから毎日実験してはレポート、レポート。毎日文章を書いていた。物を書くということを覚えたのはこの体験からだ。おかげで企画書を書くのが上手くなって、さらにやりたいことを実現できるチャンスが増えた。

 好きなこともやれたし、技術もあったけど、危機的状況になってしまったのは利益体質と販売力に問題があったんだと思う。

 ただ、状況が悪くなると面白い人間も自由な社風もかなり少なくなってしまった。いすゞにはもう一度自由な社風を取り戻してほしい。それには会社をだまくらかすような社員が必要だな。まずはそこからだ。

 現在トラック業界での地位は?

 近年のいすゞは、トラック業界では正直少々地味。今年9月のポスト新長期排出ガス規制の際のギガのデビューも最後発。バスでは日野と技術供与関係にあるとはいえ、ダイムラーのふそう、ボルボのUDトラックスのように、かつてのトヨタのような仲間の存在が見えないこともあり、孤立化し、独立した哲学で進んでいるように見える。

 しかしディーゼル4社中で最後発となったギガは、そのいすゞ哲学を見事に反映している。

 技術的にはさすがはディーゼル王国。排出ガス規制対策としてどのメーカーもEGR、尿素SCR、小排気量化を推進しているが、これまで13.0~15.7リットルだったエンジンを9.8リットルに統一したのはさすがいすゞ。

これは排ガス対策だけでなく、軽量化も含めて燃費向上にも大きく貢献。しかし小排気量化してもパワーは必要なため、全回転域でまんべんなく空気を入れる工夫をしたり、ラジエターやインタークーラーなどにより、車両全体の冷却性能を改善することにも注力するなど、空気にこだわるいすゞ気質を発揮。

 だからということでもないだろうが、新型のギガのデザインはもともと骸骨顔だったが、いっそう"穴"の部分(6大陸を表現した意匠)が大きくなった。

 名ミッション「スムーサーG」もエンジンの小排気量化に伴って、ユニットの軽量・小型化に成功。あのクラッチを持った12段ギアのATは、まだ健在。健在どころか、軽量化によって他メーカーに対してアドバンテージさえ見せることになった。

孤独感こそ見えているいすゞだが、世界中が排出ガス規制をクリアすることに血眼になっているトラック業界にあって、唯我独尊の道を行けるメーカーなのかもしれない。

日本にどのくらいのこっているの?


'02年9月いっぱいで乗用車の生産から撤退したいすゞ。歴代車で一番売れたのは、初代のFRジェミニ(キャッチフレーズは世界のジェミニ)だが、いすゞがノックダウン生産していたヒルマンミンクスが3万台オーバーも売れていたのにはビックリ。

 古いモデルが多いだけに、いすゞの乗用車の生存率はわずか5%。このデータは登録ベースのため、登録を切っているクルマの数は含まれていないが、それにしても少なすぎる。

 生存台数では、ビッグホーン(全体の半分以上!)、ジェミニと売れたクルマが上位を占めるが、ビークロスの生存率66.8%は驚異的。マニア受けするクルマの真骨頂といったところか。

 今後減っても増えることのないいすゞの乗用車。生き残っているクルマは大事にされるだろうが、日本クルマ界の絶滅危惧種として保護すべき。でしょ?

ラリー車、デートカー、高級車 こんなクルマがありました!

 日本の自動車産業は大量生産、大量消費が基本だが、そのなかでトヨタ、日産の後を追わず独自路線を突き進んでいたのがいすゞ。これがかつて御三家と呼ばれていたゆえんではあるが、諸刃の剣とはまさにこのことで、自らの首を絞める要因になったのは否定できない。

 しかしラリーベース車あり、見ているだけで惚れ惚れするようなデートカーあり、イルムシャー、ハンドリングを追求した硬派なハンドリング・バイ・ロータスをいろいろなモデルに設定してスポーツ性をアピールしたりと、とにかくいすゞ車は個性的で存在感抜群だった。いすゞの古きよき時代のクルマに乾杯。

いすゞが誇った先進技術アレコレ!

 いすゞの生み出した画期的技術といえば、今や主流となりつつある2ペダルMTの先駆けのNAVI5('84年)、後輪にアクティブステア機構を持たせたニシボリックサス('90年)が有名だが、それだけじゃない。

 それ以前では、'71年にいすゞは117クーペに日本初の電子制御燃料噴射装置(ボッシュのDジェトロニック)を装着。Lジェトロニックで排ガス規制をクリア。

 それよりも凄いのはアッツァで、日本初、世界初のオンパレード。エクステリアでは、世界初のフラッシュサーフェスを採用(アウディ100よりも先)。ワンブレードワイパー採用は日本初。

 そして、マイコン制御エンジン、ホットワイヤー式エアフローセンサー、デスビ内蔵光電式クランク角センサー、メモリー付きチルトコラム(ステアリングが上に跳ね上がる)、マルチコントロールシート(無段階リクライニング機構)はどれも世界初の技術で、その後他メーカーも追従。

そのほか、アッツァ、ジェミニに採用されたウェイストゲートの制御にステッピングモーターを使ったエレクトロターボなどもあるように、先進技術に対しては非常にアグレッシブ。

 技術ではないが、日本車で初めてレカロシートを純正採用し、日本でのレカロブームの火つけ役となったのも先見性のあったいすゞだった。

いすゞのすばらしいデザインの秘密!

いすゞの優れたデザインの秘密について、元いすゞの広報マン、辻村百樹氏を直撃。

 ★ ★ ★

 これという解はないが、私が思いつくことを挙げてみると、いすゞの初代デザイン部長の井ノ口誼さん(東京藝大出身)の存在が何よりも大きいと思う。

 いすゞはヒルマンミンクスのノックダウン生産を終え、クルマを自社開発するにあたり、デザインが重要だということで、井ノ口さんを含め3人くらいの東京藝大の学生を招聘。新たなことを始めるのに学生を呼んだというのもいすゞらしい。

 井ノ口さんはその後いすゞデザインを牽引していくことになるのだが、デザインに対しポリシーがあって、しかもカプセルシェイプ、張りのある面、黒帯と呼ばれたいすゞトラックのアイデンティティとなったキャラクターラインなど常に明確なテーマを持っていた。

 いくら有能なデザイナーがいても、デザインを知らない上層部が手直しする、というのはクルマ界では当たり前のことだが、いすゞはほかのメーカーに比べるとそれが少なく、デザイン部が自由にできる環境にあり、いいデザインが生まれたのだと思う。

 井ノ口さんはベレットをデザイン。いすゞがトラックメーカーだったからこそ、それから離れてとにかくカッコいいクルマを作ろうとしていたという。

それから、いすゞがイギリス車として上品なヒルマンと組んでいたこともその後のデザインに好影響を与えた。トヨタ、日産がアメリカを見ていたのに対し、いすゞはヨーロッパ志向。イギリスではなくイタリアに目を向け(デザインだけでなく、チューニングをイタリアのコンレロに発注したりした)、ギア社との関係を通して、ジウジアーロとの関係も始まった。

 そして、'71年にGMの傘下に入るわけだが、そこでのオペルとの関係。当時のオペルは現在のアウディのような存在。デザインの影響力は絶大で、いすゞはオペルのデザイン先進性に刺激を受けたのも大きい。

 かつていすゞはトヨタを追っていた時期があるが、同じ土俵で争っていてもダメ、とニッチ戦略の独自路線に特化したことも見逃せない点で、いいデザインを生んだ要因だと考える。

かつて私もいすゞ車に乗っていました!

 BC周辺はいすゞ好きがいっぱい!

 BCの周りにはホント、かつていすゞ車を所有した人間が多い。社用車にいすゞ車を2台使っているというウチの会社もマニアックかつ好き者っぽくていいでしょ。元117クーペオーナーもいるし、ビークロスオーナーもいる。

 さすがの三本御大でもヒルマンミンクスは乗ってないが、常日頃ディーゼル好きを公言しているとおり、いすゞ車も例外じゃなくディーゼル。それにしても117クーペにディーゼルがあったとは・・・(←恥ずかしながら担当は知らなかった)。

 購入形態は中古がメインだが、新車で購入したフカダのアッツァは購入後わずか1年で廃車(涙)。そして鵜飼→深川沙魚氏と渡った初代FFジェミニも沙魚氏が友人に譲ってわずか1年で廃車・・・。

 でも、結末はどうであれみんなに共通しているのは、泣く泣く手放している点だ。

元いすゞワークスの米村太刀夫氏が考える、いすず乗用車復活の秘策
 元いすゞワークスに所属し、現在は自動車評論家として活躍中の米村太刀夫氏が、古巣いすゞの乗用車復帰について提案とエールを送る!

 ★ ★ ★

 

いすゞは'53年に英国のヒルマンのノックダウンから乗用車に参入した。後期のヒルマンミンクスにはオプションでコラムシフトをフロアシフトに改造するスポーツキットもあり、自動車好きには好評を博していた。当時のいすゞの役員が自社で設計・製造したクルマで公の場に乗り付けたいという願望を満たすためにベレルを作ったが不評であった。

そこで若い技術者を中心に企画されたベレットが誕生。フロアシフト、ラック&ニオン式ステアリング、四輪独立サス、セパレートシートなどの斬新な内容はたちまち若者の心を捉えた。またエンジン、サス関係のスポーツキットを多数用意して、わずかな改造でベレットは競争力のあるレーシングマシンとなった。

 もしいすゞが乗用車市場にカムバックするとすれば、トヨタや日産のような「乗用車のデパート」は現実的ではない。やはりニッチ商品を狙うのが最善だろう。幸い個性の強い独特のクルマ作りを続けてきたホンダが今や大企業になってしまい、昔のトヨタの乗用車のような「優等生」的なクルマしか作れなくなった。

 昔のホンダ車は他社が驚く新機構などを盛り込んだ商品を出し、特に若者の心を虜にした時代がある。半面「失敗作」も多かったのも事実。「あれは失敗でした」とホンダの技術者が「頭ポリポリ」をしてもそれはそれで許されたのである。

 いすゞはミドシップスポーツを市販することを真面目に考えた時代があり、それをレースに参加して鍛える方法を模索した。ベレットMX1600がそれであり、そのレーシングバージョンがベレットR6だった。'50~'60年代のジャガーやメルセデスのスポーツカーがレースを通してクルマを開発していったのと同じ手法を取り入れたのだ。

 あれから何十年が経過して、現在のいすゞには乗用車の設計・開発に携わった技術者は残っていないだろう。これが逆に既存の物の考え方にとらわれる心配がないのが嬉しい。ともかく若い想像力豊かな青年を新規採用して彼らに乗用車プロジェクトを任せればいい。

それでもマンパワーが不足するだろうからアウトソーシング化を積極的に図るのが得策だ。例えばエクステリアデザインはいすゞが昔から行なっていたようにイタリアンをそのまま市販化させる。日本ではホームデザイナーがカタチをいじるのこれで悪化することが多い。

 韓国製の乗用車がハッとさせる美しさを見せるのは「いじらない」を実行しているからだ。サスペンションの設計や開発はドイツイギリスにある開発会社に委託するのが得策だ。

 最近タイヤメーカーは「モジュール」と呼ぶサス、ブレーキ、タイヤを組み上げた状態で納入するのでこれを積極的に導入するのがいいだろう。サスチューンもこの連中が責任をもって仕上げてくれるので開発費の削減額は大きい。

 エンジンとトランスミッションの駆動系は、従来いすゞが保有していた乗用車用製造設備が残っていないだろうし、レシプロエンジンの製造設備はトランスファーマシンなど膨大な費用がかかるので頭痛の種だ。そこで一気にEVにしてしまうのはいかが? 

 電動モーターはレシプロエンジンと比べて部品点数が少ないので自社製造をするための設備投資額は少ないだろう。また重電機メーカーやベンチャー企業を共同で開発する手もある。EVなら変速機は不要なのでより簡単に実現できる。電池の開発は日進月歩で進んでいる。

 現在の技術だと走行距離がレシプロエンジンを積む乗用車と比べて劣っているが、近い将来同等になり、充電のためのインフラも整備されるので心配無用だ。電子制御のデバイスとこれを活用させるためのソフトの開発は我が国の若者の頭脳を活用すればOKだ。

 で、どんなクルマを作るかであるが、総合的に判断すればスタイリッシュな4ドアセダンで、そのままでスポーツカーと呼ばれるものがいいと思う。何十年も前にいすゞから登場したベレットの生まれ変わり「ニューベレットEV」を提案したい。

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