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2010/12/07 フォーサイト 鈴木亘(学習院大学経済学部教授)

現在、各自治体では来年4月からの保育所入所の申し込みが始まっているが、東京都や横浜市を初めとする都市部では、既に昨年を大きく上回るペースの申請が続いており、待機児童数が過去最多を更新することは、ほぼ間違いない状況である。「待機児童の解消」をマニフェストに掲げていた民主党政権であったが、政権交代以来、皮肉にも待機児童問題は深刻さを増すばかりである。
 さらに、民主党政権下で行なわれている待機児童対策や保育改革の動きは、特に菅内閣になってからというもの、迷走につぐ迷走を続けており、もはや完全に暗礁に乗り上げてしまっている。菅直人総理自身は、この10月に首相直属の「待機児童ゼロ特命チーム」を立ち上げ、時の人、村木厚子さんを事務局長に担ぎ出すなど、待機児童対策に相当の熱意を持っていたはずであるが、一体、この政権では何が起きているのだろうか。

市や区レベルの対策費!

 まず、その鳴り物入りで始まった「待機児童ゼロ特命チーム」であるが、11月中旬までに早急に緊急対策をまとめるということであったが、その予定は2週間も遅れて、11月29日になってようやく、予算総額200億円の「待機児童解消『先取り』プロジェクト」が公表となった。
 なぜ、公表が2週間遅れたのか。ある関係者が筆者に明かしたところによれば、2週間前に待機児童ゼロ特命チームの事務局から挙がってきた内容が、あまりにも「しょぼい」ものであったため、菅総理がそれに激怒し、事務局案を蹴ったためということである。何と、当初の事務局案の対策費の予算総額は、わずか「60億円」であったらしい。
 この60億円がどれぐらい少ないかというと、現在、全国には2万3千もの認可保育所があるが、その年間の運営費は2兆3千億円、それに国と地方が投じている公費・補助金は1兆8千億円にも上る。このほかに、新設する私立認可保育所には、施設整備費といって建物建設費の4分の3の費用を、公費で賄っている。公立認可保育所の場合には、用地取得費や建物建設費も全額が公費負担である。
 また、東京都認証保育所や横浜保育室など、一定の質が確保された無認可保育所へ、各自治体が独自に支出している補助金を加えると、全国の保育所に投じられている国民の税金の総額は、軽く2兆円を超すことになる。2兆円に対する60億円は、率にして何と0.3%に過ぎない。
 実際、例えば東京都で児童100人規模の認可保育所を新設すると、年間の運営費は約1億5千万円、建設費や用地費は約2億5千万円かかるから、60億円で作れる認可保育所はせいぜい15園程度、定員増は1500人に過ぎない。これではまるで、一つの市や区のレベルの対策費である。厚生労働省は、申請を諦めている潜在的待機児童も含め、全国で85万人の待機児童が発生していると公表しているが、85万人に対する1500人では、まさに「大海の一滴」というべきである。
 これでは菅総理ならずとも、対策チームの事務局のやる気の無さに、怒りだすのも無理は無い。しかし、総理が激怒して、2週間後に何とかひねり出してきた予算額も「200億円」であるから、ほとんど大差は無い。総理直轄プロジェクトにおいて、一国の総理の怒りのリーダーシップの成果は、何と140億円(60億円→200億円)に過ぎないのである。


全く行なわれなかった規制緩和!

 厚生労働省が来年度要求している社会保障関係費は28.6兆円と、文部予算や公共事業などの他の予算が軒並み1割カットされる中で、今年度予算額の27.3兆円が「聖域」としてまるまる温存された上、1.3兆円もの自然増をそのまま認められている。社会保障関係費は、国の一般歳出の半分以上を占める大盤振る舞いの予算である。待機児童対策のために、そのほんの一部分すら組み替えることが出来ない、これが「有言実行内閣」を標榜する菅内閣の悲しい現実である。
 この乏しい予算の中で、保育所の大幅な供給増を図るためには、大胆な規制緩和を行なうより手はない。しかしながら、特命チームが公表した規制緩和策は、(1)世の中にほとんど存在していない「認定こども園」のうち、これまた、ほんの一部を占めるにすぎない「幼保連携型認定こども園」の定員基準を引き下げる(開設に必要な定員数を引き下げて、開設しやすくする)、(2)認可保育所の既存ビルの空きスペースを活用するための屋外階段設置基準を緩和する(避難用の屋外階段の幅や広さ等の規制を緩和する)、という2つに過ぎなかった。
 これでは、実質的に規制緩和を全く行なわなかったといっても過言ではない。今回、打ち出されるはずであった規制緩和策の下馬評としては、(1)東京都や大阪府などが提案していた保育所や保育ママの部屋の最低面積基準の緩和、(2)特区等を通した規制緩和策の推進、(3)株式会社やNPO(特定非営利活動法人)による認可保育所の開設を実質的に拒んでいる諸規制の撤廃などが挙がっていたが、驚くべきことに、最終的に何一つ残らなかったのである。これでは、待機児童は絶対に減少しないであろう。

素人同然の副大臣・政務官!

 なぜ、このように意味も無い、やる気も無い対策案が臆面も無く出てきたのかといえば、それは現在、民主党政権下で行なわれている大元の保育改革論議自体が迷走を続けているからである。民主党政権では、今年1月に「子ども・子育て新システム検討会議」を設置し、そこで幼稚園と保育所の統合を図る「幼保一体化」や、保育所の大胆な規制緩和策を中心とする改革論議を続けてきた。
 この子ども・子育て新システム検討会議も、設置当初は政治主導として、関連省庁の政務官(大臣、副大臣、政務官の3役は民主党の議員である)が議論を引っ張っていたが、7月の参院選、9月の代表選で議員たちが忙殺される中で、だんだんと厚労省主導の議論となってきた。その後、菅内閣の成立で、関係していた保育に詳しい政務官たちが全て首をすげ替えられて、素人同然の政務官、副大臣が着任してからは、もはや政治主導など見る影も無く、完全に厚労省に乗っ取られた審議会状態となっている。
 その厚労省本省が進めている「審議会」が迷走する中で、待機児童ゼロ特命チームがそれを超えて独自の対策を打ち出せるかといえば、そもそもそれは不可能であった。なぜならば、待機児童ゼロ特命チームの事務局長をつとめる村木氏は、内閣府・政策統括官というポストに就いているとはいえ、そこは厚生労働省の出向者たちが占領している厚労省の「出店」であり、本省からみれば村木氏は、厚労省の一局長という立場に過ぎない。
 霞が関の論理から言って、その一局長が本省の進めている方針を超える越権行為を行なうことが許されるはずは無いのである。先の特命チーム関係者によれば、特命チーム事務局にははじめから、厚労省によって、子ども・子育て新システム検討会議の決定を超える対策を決めないように釘が刺されていたということである。気の毒なことに、検察からようやく解放された村木氏は、一難去ってまた一難という苦しい立場にあったのである。


幼保一元化」大混乱の“自爆テロ”!

 それでは、「子ども・子育て新システム検討会議」は現在、どうなっているかと言うと、11月1日に、約1年間の長い議論の末の結論として、現行の幼稚園と保育所をすべて廃止し、「幼保一体化」施設である「こども園」に全てを統一するという無謀な改革案を提示した。これは端的に言って、幼稚園を全て保育園にするという改革案であるから、幼稚園や保護者団体が当然のごとくそれに大反発し、現在、大混乱に陥っている状況である。
 実はこれは、厚労省による一種の「自爆テロ」であると、筆者は考えている。なぜならば、改革を混乱させ、遅らせれば遅らせるほど、既存の保育業界や厚労省の保育利権が温存されることになるからである。民主党が政権を手放す時まで、改革論議を長引かせれば、現在行なわれている全ての改革論議は御破算になる。
 だいたい、厚労省が自分の保育利権を手放し、厚生労働省とは別途、「子ども家庭省」を作るなどと言う民主党の改革案に本気で取り組むはずが無いのである。また、子ども・子育て新システム検討会議では、保育参入の大胆な規制緩和策が決まりかけており、厚労省官僚の大事な天下り先でもある保育業界団体が猛反発を行なっていた。隙があれば、こうした改革論議を壊したい、あるいは自公政権下で行なわれていたような保育業界団体に有利な案に軌道修正を図りたいと思うのが、厚労省の本音なのである。
 しかし、そこは民主党の政治主導ということで、鳩山政権下で活躍していた保育に詳しい前の政務官たちは、なんとかその動きを抑え込んで、官僚たちに、保育業界団体や幼稚園団体をなだめさせたり、利害調整をさせたりしていたのである。そして恐らくは、彼らが菅内閣でも引き続いてその任に当たっていれば、事前に周到な根回しが出来た後でしか改革案を発表させなかったはずであるから、今回のように、発表直後に関係団体が猛反発するような事態にはならなかったと思われる。
 いずれにせよ、待機児童ゼロ特命チーム、子ども・子育て新システム検討会議の双方が厚労省主導の下で立ち往生している限り、ますます深刻度を深める待機児童問題は放置され続け、一向に改善に向かわないであろう。その根本的な原因は、菅内閣が自身たちの延命だけを考えて、官僚たちに丸投げに近い政策運営を続けているからである。本音では改革に反対している厚生労働省の主導を許している限り、この袋小路に出口は見出せないのである。何も決めない、何も決められない菅内閣が続くことによる日本経済の損失はあまりに大きい。

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