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「何をやるか」とは、ビジネスモデルでなく、想いである!

2010年10月15日(金)日経ビジネス 西村 琢 

日本は島国であり、北海道や本州、四国や九州などいくつかの大きな島から構成されています。が、実はそれだけでなく、6000もの島が存在すると言われています。

 そのうち大半は無人島で、有人島はたった400前後。日本国内の島で最近よく名前を聞く場所と言えば、ベネッセコーポレーションが美術館を設立したことから大いに盛り上がった瀬戸内海の直島や樹齢2000年とも7000年とも言われる縄文杉が群生する屋久島、そして今でもリゾートとして人気のある沖縄の数々の離島などが挙げられます。

 でも東京にもひとつ、まだあまり知られていませんが、徐々に盛り上がってきている島があることをご存じでしょうか。

 その島の名前は「新島」。伊豆諸島を構成する島のひとつで、東京から南約160キロメートルに位置しています。20年ほど前までは夏に多くの若者が集まる活気のある島で、そんな訪問客を受け入れる民宿も無数にあったようですが、今や観光客は激減し、島民も2000人ほどで高齢化が進んでいる元気のない島になりかけていました。かつて「新島の竹下通り」と呼ばれていた通りはシーンとしていて、当時クラブとして栄えていた建物は薄汚れたスナックと化しています。

 そんな新島に昨年8月、「saro(サロー)」という名前の民宿がオープンしました。1階がカフェ、2階が素泊まりの民宿です。宿の名前は「茶廊」「叉路」「砂路」「砂浪」という意味を込めた造語に、新島の方言である独特の“のばし”を足して「さろー」と発音するようにしたそうです。

 なぜ今、過疎化の進む離島で、民宿? 一体、この民宿は誰がどんな経緯で始めることになって、島にどんなインパクトをもたらしているか、紹介したいと思います。


「建設業もカフェ業も一緒」という視点!

 この民宿をスタートさせたのが今回の主人公、高野要一郎さんです。高野さんは建設会社に7年間勤めた後、地元の水戸で「CAFE DINER ROOM」というカフェ兼ギャラリーを立ち上げました。建設会社からカフェとは、だいぶ畑違いです。そこには、そもそも建設会社は代々続く家業であり、後継者問題といった事情がありました。

 このため、高野さんは早い段階で「自分は会社を離れる運命にある」と感じており、辞める1~2年前からカフェの立ち上げを準備していたそうです。高野さん曰く、「建設業とカフェ業は、その土地に合った場所を創り出す“単品個別産業”という点でかなり似ている」。

 とはいえ、当初はご本人もうまくやっていけるかどうか、かなり心配だったのは間違いありません。でも、そんな疑念を取っ払ってくれる出来事が起きました。

 当時、オーナー兼マネージャーとして夜遅くまで店に立ってた高野さんのカフェに、前職の建設会社の顧問弁護士さんがふらっと入ってきたのです。まさかここで出会うとは・・・。お互いに思いがけない再会でした。

 高野さんが「こんなところで何しているんだと思われているんじゃないか」なんて少し不安に思っていた、ちょうどその時。顧問弁護士さんのほうから「高野さん、とても似合っていますね」と温かい声を掛けてきたというのです。

 これがきっかけとなって、自分がカフェ兼ギャラリーの運営をすること、もっと広く言えば「場所づくり」をすることに対して、高野さんは徐々に自信をつけていったようです。自分で悶々と考えてなかなか答えが出ないようなことでも、他人のちょっとした一言で腑に落ちることもあるのですね。

 ちなみにCAFE DINER ROOMの近くには、財団法人水戸市芸術振興財団が運営する水戸芸術館という美術館があります。CAFE DINER ROOMにはギャラリースペースがあるのですが、そこに作品を飾ったアーティストがその後に水戸芸術館で展示するというケースが出てきました。このため、カフェとしてだけでなく、ギャラリーとしても今や水戸で大いに存在感のある場所となっています。

こうしてCAFE DINER ROOMは、2~3年かかりましたが、徐々に軌道に乗ります。現場のオペレーションも、ほかのスタッフに任せることができる環境が整いつつありました。そんな折り、新島の話を持ち掛けられるのです。


「新島の夏」を見ずに、事業開始を決めた!

 そもそも「新島で民宿でやろう」と言い出した発起人は、高野さんではありません。「東京R不動産」という人気不動産サイトを手がける林厚見さんという男性でした。東京R不動産は、利用者が古いけど味があるとか眺望がいいといったデザインや感性で物件を探せる仕組みを用意しています。そんなユニークなウェブサイトを運営する林さんが新島に魅了されて「民宿をやりたいな」と思い始めていた2008年4月頃、とある会合で林さんは高野さんに出会ったのです。

 「民宿はやりたい、でも自分は現場に立つタイプではない」と思っていた林さんは、高野さんの人と接する姿勢に魅了されました。会合当日の、相手との間の取り方や話の引き出しの多さに感心させられたというだけではありません。

 数日後、林さんの元に高野さんから突然の届け物が到着します。開けてみると、それは水戸納豆。そう言えば、会話をする中で高野さんが水戸出身であることを知った林さんは、自身がいかに納豆が大好きかを延々と語っていたのです。ただ、そんな話は自分でもすっかり忘れていました。

 それを覚えていてくれて、さらに突然の贈り物。高野さんの「おもてなし力」は、強く林さんの心に響きました。

 「こんなにも細やかな気遣いのできる人は滅多にいない」と感銘を受けた林さんは、高野さんに「一緒に新島で民宿をやろう」と口説きます。CAFE DINER ROOMが軌道に乗りつつあった高野さんも、何か新しいチャレンジをしたいと思っていたタイミングだったことに加えて、多くのクリエイターや建築関係のネットワークを持つ林さんがここまで強く誘ってくれることが嬉しくて、徐々に心動かされていきました。

 そして、次に会った時は、新島に視察をしに行っていたということですから、そのスピーディな展開に驚かされるばかりです。でも楽しいプロジェクトの秘訣は、実は「何をやるか」よりも「誰とやるか」。一緒にやっていけそうな素晴らしいパートナーを見つけた時の嬉しさは、何にも替え難いものがあります。この気持ちはよく分かります、私がソウ・エクスペリエンスを立ち上げた時も同じでしたから。

 2009年の春先、2人は何度か新島を訪れます。民宿を実現する物件を見つけるためです。そして最終的に辿り着いたのが、たまたま拠点として宿泊していた宿のオーナーが「もう古くて使っていないから好きに使って」と言ってくれた物件でした。昔、まだ新島が若者で賑わっていた頃には民宿として使っていたらしいのですが、今は倉庫代わりなっており、2人のことを気に入ったオーナーが良心的な条件で貸してくれることになりました。

 こんなにとんとん拍子で話が進むと「お、私も島でのビジネスにチャレンジしてみようかな」と思い始める人がいるかもしれません(ぜひチャレンジしてもらいたいと思いますが!)。そこで、島でビジネスする際の注意点を高野さんから伺ったので、ご紹介します。

 それは、「ビジネスっぽさを出さない」ことだそうです。作り込まれた事業計画書なんて禁物。とにかく「この島が好きで、島の魅力をもっともっと本土の人にも伝えていきたい」という想いをあの手この手で伝えることが一番の近道なのだそうです。もちろん島でなくても、想いではなく、いきなりお金の話をするような人は信用されないと思います。ただ島では都会人が想像する以上に、とにかくビジネスっぽさを出さないことが肝要なのだそうです。

 こうして4~5月に物件が決まり、その後8月にオープンを迎えることになります、この時点ではなんとまだ林さんも高野さんも新島の夏を見たことがなかったというから驚きです。新島で民宿と言えば当然、夏が圧倒的なハイシーズン。その時期を見ることなく構想を練り、実際に準備を進めてきたわけですから、ある種の無計画と言ってしまえばそれまでです。

そこまで新島に魅了されていた理由を高野さんに聞いてみると、「たぶん皆が見ている島の海がきれいとか、空がきれいとか、そんなことよりも、僕は新島で出会った人が好き。そして彼らの期待に応えていきたいなと思っている。事業計画書や収支報告書に載せられない、たくさんのドラマが島を思う原動力」との答え。

この思いが島の人にも伝わったからこそ、物件とも出会えたし、新島の魅力が都心に住む人たちへと伝播していったのではないでしょうか。

 ビジネスとなると、「まずは事業計画を」なんて考えてしまいがちです。しかし、繰り返しになりますが、やはり何よりも大切なのは「想い」。想いさえあれば、案外、何とかなってしまう、そして事業計画を紙に落とし込んだりせずに進めてしまうやり方だってあるのだということを知っていただければ幸いです。


地元の人たちも活気づく!

 こうして昨年8月にオープンした「saro」はスタート直後から多くの人が訪れ、ハイシーズンには5つの部屋は連日のように満室状態が続きました。Twitter(ツイッター)やブログといったネットによる情報発信が奏功したようです。

そして驚くべきは、夏以外のシーズンでも泊まりにくるお客さんが絶えなかったこと。新島は東京のはるか南方にあるものの、冬の寒さは厳しく潮風もとても強いので高野さんらsaroのスタッフは「決してお勧めはできませんよ」と伝えているらしいのですが、それでもひっきりなしにお客さんが訪れるのだそうです。そんなお客さんは皆さん、どこかに出かけたりはせずにsaroでゆっくり読書をしたり仕事をしたりして過ごしているそうです。

でも高野さんにとって何よりも嬉しかったのは、地元のベーカリーや寿司店や飲食店の人たちが「saroができてから、これまで来なかったような新しいお客さんが来てくれるようになったし、お客さんも増えた」と言ってくれることだそうです。

島って元来、よそ者に対しては厳しい態度で接することが多いイメージがありますが、saroの賑わいが周囲にも波及していったことで、島の中でのsaroや高野さんのプレゼンスは着実に高まってきているのですね。まだまだニュースになるほどじゃない、マクロ的な数字として出てくるような規模ではありませんが、波に乗るなら今がチャンスなのかもしれません。

 そしてこの流れに触発されたのか、最近では地元の人も新島の魅力を再認識して、高齢化や過疎化が進みつつある新島の将来について考える人が増えてきたようです。

中でも若い人たちはやはり敏感なようで、昨年私が新島を訪れた時には、普段は都心で働いている地元の若者が夏の間に新島に戻り、毎日夜のビーチで音楽イベントを開催していました。もちろん小さな島ですので夏フェスのようには行きませんが、でも100人くらいの若者が集まってお酒を飲みながら歌ったり踊ったりしていましたよ。

 saroがオープンして2年目の夏、今年も多くのお客さんが東京から船や飛行機でやって来て、島の中での注目度も一層増したようです。そして宿のオペレーションも徐々に形ができてきたので、高野さんがsaroに行くのは月に数日程度にして、最近は新しい仕事に取り組み始めたようです。ひとつのビジネスや組織に固執せず、複数の仕事を同時にこなす様子は前回紹介したヨーヨー世界チャンピオンであるBLACKさんにも通ずるところがありますし、二足以上のワラジを履くスタイルは、今の時代にとても合っているような気がします。


次は軽井沢で新たな挑戦!

 そして高野さんが新しく始めた仕事とは、軽井沢にある「Hotel Ruze(ホテルルゼ)」というバラ園に囲われたホテルのサポート業務です。知人づてで「少し手伝ってほしい」と依頼を受け、その施設の素晴らしさに感銘を受けて引き受けることに決めたのだとか。

 新島→軽井沢、民宿→ホテル、ということでsaroとはだいぶ状況が異なりますが、そんな転身は既に水戸→新島、カフェ→民宿で経験済みなのでお手の物。まずは手始めに料理のメニュー考案などから入っていき、現場での接客や経理などもこなし、今では秋冬の閑散期に集客する方策などを練っているそうです。

 そしてさらに、Hotel Ruzeの手伝いをする一方で、これまでの経験を活かしたリゾート開発会社の設立準備も進めています。実は私もメンバーの1人なのですが、こちらは将来的には日本を代表するリゾート会社にするという壮大な夢を掲げて、近いうちにビジネスをスタートさせる予定です。

 日本やアジアリゾートにだって洋風のホテルがあったりするのですから、逆に海外に日本風の宿を仕掛けていきたいですね。もちろんここで核になるのは高野さんのおもてなしの心や、現地にすっと溶け込んでネットワークを築き、周辺のエリアが一丸となって魅力を高めて伝えていく、そんなCAFE DINER ROOMやsaroでの成功を軽井沢で、そして世界で再現していければと思っています。

 高野さんのようにsaroやHotel Ruzeのような小さな宿やホテルでの仕事を続けながら、一方で拡大を目指す会社もやっていくという仕事のスタイルは、「『未来の仕事』を考える」第1弾の最終回で紹介した“タモ理論”という考え方にとても近いものがありそうです。(参考:『「いいとも!」と「タモリ倶楽部」両方やりたい――21世紀型経営の真髄は“タモ理論”』)

 “タモ理論”とは「タモリの理論」の略で、タモリさんが深夜のマニア番組「タモリ倶楽部」をやりながらお昼の国民的番組「笑っていいとも!」も同時に手がけていることから名づけた考え方です。個人事務所のようにやっていくだけでは丁寧な仕事はできるけれど広がりが限定的でどうも煮え切らない、でも拡大志向のためには自分の好きなようにやっているだけではダメでいろいろと妥協もしなくてはならない。そんな狭間でさまよっている方は、ぜひ高野さんをお手本に“タモ理論”の実践を検討してみてはいかがでしょうか? 

 それはきっと皆さんの未来の仕事への、「してもいい自由」への大いなる第一歩となるはずです。

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私は、魚沼産コシヒカリを水口の水が飲める最高の稲作最適環境条件で栽培をしています。経営方針は「魚沼産の生産農家直販(通販)サイト」No1を目指す、CO2を削減した高品質適正価格でのご提供です。
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