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「SNS革命」ではなく「世代間闘争」が真の原因!
2011.02.04(Fri)JBプレス 伊東乾
前回のこの連載原稿が掲載された1月28日金曜日、日本時間では夕方にあたる時間帯、イスラムの週間行事では最も盛大な、モスクでの「金曜集会」が終わったあと、誰が誘うともなく、集まった人々がデモ行進に連なって、「エジプト騒乱」が始まった。
本コラムのリリース時点でも、ムバラク政権の退陣時期について米国を中心とする大国とエジプト政府との熾烈な交渉が、民衆間の衝突と並行して進んでいる。
エジプトの問題を「革命」とか「レボリューション」などと表記するものを目にするが、こうしたことには慎重であるべきだと思う。
エジプト・アラブ共和国は国連加盟国でホスニー・ムバラク大統領はその国家元首だ。30年にわたる長期政権の統治に不満を持つ民衆がいることは間違いないだろう。
しかし暴動が起きたという情報から、即座に「革命」といった言葉を使うのは安易に過ぎると言わねばならない。
むろんそれは、政府による民衆のデモンストレーションへの圧力、とりわけ武力行使を含む強権発動を容認するものではない。こうした事態が発生した時、見識ある国家の姿勢とは次の3点に尽きると私は考える。
第1に 国民への武力行使を慎むよう呼びかけ
第2に 平和的な問題解決、とくに冷静な対話の重要性を喚起し
第3に 早期の状況の安定化を希望するとともに、復興への協力を約束する
これらは各々、現実問題として「国益」を考えるうえでも必須不可欠なポイントで、実際に米国のヒラリー・クリントン国務長官や、英独仏のEU中核参加国首脳連名の声明でも、基本的にこうした点が押さえられていた。
日本の観点から、このエジプト騒乱を見た時、死角に入りやすい問題を3点、考えてみたい。
国より優先する部族!
1月14日、チュニジアのベン=アリー大統領がサウジアラビアに出国=亡命した翌15日、私はとあるエジプト人の日本研究者と夕食を囲んでいた。
これは私たちが2011年度から中東のモスク建築内での音声や祈りの朗誦の響きを調べる、国際共同研究プロジェクトを進めるため、現地事情などディスカッションするための会合だったが、食卓の話題として「チュニジア政変」が当然のように登場してきた。
そこで彼が語ったのは「混乱の飛び火」への懸念だった。そして図らずもそれは2週間以内に、彼の故郷エジプトでの現実となってしまった。
この席で彼が強調していたポイントが3点あった。1つは、こうした騒乱のポイントは民衆の騒ぎではなく、最終的には「軍」であるということ。つまり軍の動きによって現実のパワーは動いていくという冷徹な状況認識である。、
第2は各国がどのように見るかという、国際バランスの問題。
これも非常に重要だが、その中でとりわけ第3の論点として「近隣諸外国への騒乱の伝播」が、事態を決定づけるだろう、という観測だった。
中東やアフリカ各国の「国境線」は、関係各国の都合で決まったというより、西欧列強のパワーバランスで外から決められたものが大半だ。典型的な例を挙げるならパレスチナ問題だろう。
なぜユダヤ人国家とアラブ人国家が、かくも凄絶な対立を続けなければならなかったか?
ことの発端は英国の二重外交!
ことの発端は第1次世界大戦中の英国の「二重外交」にあるのは誰もが知る通りだろう。「バルフォア宣言」と「サイクス・ピコ協定」という矛盾する2つの約束がいずれも反故にされ、戦間期の混乱を経て第2次世界大戦後、一連の中東戦争につながっていくことになる。
数世紀に及ぶ、大国「オスマン・トルコ」の支配の終焉後、バルカンや中東で起きた様々な混乱は、帝国主義列強間のパワーポリティクスの産物という側面が大変に強い。
対立している現地当事者同士だけで物事を考えても、全く状況は堂々巡りになるようにできている。これがすなわち「分割統治」ということの、1つの典型的効果だと言うこともできるだろう。
中東やアフリカなど、旧植民地地域での「国境線」は、こんな具合で外部から押しつけられたもので、地域住民の内発的な必然性と別のものであることが多い。
ということは「国境線」とは別の区切りによって、人々の生活が律されていることが多いという現実を意味する。その単位が「部族」だ。
もっと言うなら、中東やアフリカでは、政治的な国境線を越えて、複数の国家にまたがって、部族単位の情報や価値観の共有が当たり前に存在しているということでもある。
国境よりも部族のつながりの境界が、より大きな意味を持つ「国際社会」。
つまり「チュニジア」という単位を越えて、騒乱の芽は、より歴史的にも古く、何より血の濃さでつながった人々を通じて、中東全域に広がっていくことが、ほぼ間違いなく予期されていたということだ。
中東・北アフリカ騒乱は「ソーシャルネット革命」か?
今回のチュニジア、そしてエジプトなど各国での騒乱は携帯電話やインターネット、とりわけSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が大きな役割を果たしたとされる。
具体的に言えば「ツイッター」や「フェイスブック」などのネットワーク新メディアが、デモ行進の呼びかけや群集の組織化に大いに役立ったとされている。
チュニジアの政変を早々に「ジャスミン革命」などと命名する勢力があり「ジャスミン革命はソーシャルネット革命のハシリだ」などという表現がネットワーク上を駆け巡った。
だが果たしてそれは本当なのだろうか?
現実にエジプトで起きた出来事は、現象の別の横顔を見せる。ムバラク政権はインターネット史上初めて、混乱の最中にネットワークを大本からストップするという挙に出た。
また携帯電話の回線も動かないようにした。こうしたメディアによって、人々がデモに集まる情報共有がされていたため、これを阻止するためだった。
だがここで考えていただきたいのだ。もしあなたが仕事で電話をかけようとしたら、突然携帯電話が通じなくなっていたとしよう。あなたはどんなふうに思われるだろうか?
エジプトでの携帯電話システム全体の故障率は知らないが、日本でこんなことが起きたら、クレーム電話が殺到して大変なことになるだろう。あるいはインターネットが通じなくなったら?
人々はみんな、黙っておとなしくなるだろうか?
先週エジプトで起きたことは、ちょうどこの逆だった。人々は最初、携帯やネットがつながらなくなって「故障か?」と思った。
次に政府による遮断と知って、とんでもないことだ、とむしろ怒ってしまった。
突然の不便利を被った人々が、むしろ政府のこうした挙動に抗議してデモに集合して、人数が膨れ上がってしまったという側面すらあるらしい。
こんな一事だけをとっても、エジプト騒乱が「ソーシャルメディア革命」などではないことは一目瞭然だろう。
金曜集会以後、騒乱は急速にのっぴきならない状況となり、抗議する人の数もうなぎ上りとなったが、彼らは既に携帯やSNSで連絡を取り合っていない。
何と言っても政府が止めてしまったのだ。
非合法アルジャジーラが頼りの報道
伝統的な口コミで、市民は抗議行動のために町場に集結し、その中で暴徒化した連中が与党ビルを襲い、隣接する考古学博物館に侵入してドサクサにまぎれてミイラを盗もうとして、貴重な文化遺産を損壊するなどのトンでもない事態を引き起こしたりした。
すべては「ネットなし」「携帯すら存在しない」状況での動乱で「ソーシャルネット革命」などでは全くない。
むしろ、日本でエジプト情勢を知る際、テレビや新聞などのメディアが全く使い物にならず、エジプト政府に公式には禁止されたカタールの「アルジャジーラ放送」がブロードバンドネット上に根性モノで流し続けている(いわば非合法のゲリラ的)報道のビデオなどによって、現地の混乱を垣間見ることができるのだ。
この状況の方がはるかに「ソーシャルネット革命」と言うにふさわしい状況のような気がする。
エジプトやチュニジアで起きているのは、リアルな力と力のぶつかり合いで、その雌雄は結局のところ軍が決定するような、値引きのない暴力の駆け引きとしての「騒乱」だ。
対岸の火事を評論する批評家の目では、この切迫した状況から日本が何一つ学ぶことはできない。
世代間の衝突としての政変!
では、こうした状況の混乱とネットワークやSNSは全く無関係なのかと問われれば、当然そんなことはない。極めて密接な関係がある。
ただ、当初の段階である時点では、単なる連絡網以上に機能することが少なかった事実を指摘しているのだ。
友人のカレスタス・ジュマはケニアの出身だ。彼は今回の問題を「世代と世代のクラッシュ」だと表現していた。
カレスタスは、科学技術の導入によって、途上国の社会経済が、その国の最下層労働者のレベルから向上するような施策を検討し、実際にそれを動かしていく仕事をしている。
現在はハーバード大学ケネディ校の教授として、これらの仕事に携わっているが、カレスタスが問題を「世代」と表現したのは、大変に興味深いように感じた。
ここで例えば「宗教」とか「教育」「社会階層」などといった言葉を一切使わないのがミソになっているのだ。
「世代」つまり「旧世代」と「新世代」の対立として見れば、既存のどのような勢力からも、不必要に非難されることもなく、建設的なアクションプランを検討することができるのだ。
現実には「若い世代」は「旧世代」よりネットワークやコンピューターに詳しいだろう。また若い世代の「イスラム」社会に対する感じ方、考え方も、旧世代のそれとは違っているだろう。
もちろん時代が下るからといって近代化するとは限らない。各地で頻発する自爆テロなど見るにつけ、むしろ先鋭的な原理主義に染まった少年兵なども登場して不思議ではない。
いずれにせよ、そうしたすべてを、メディアの普及という観点から見た「世代」の問題として捉えることで、事態の中長期的な推移を検討することができるだろう。
2011年は中東から目が離せない状況になってしまった。明らかに、歴史が動き始めている。
(つづく)
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