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エジプト情勢を報じさせない中国~中国株式会社の研究!
2011.02.04(Fri)JBプレス 宮家邦彦
北京からの報道によれば、最近中国当局がエジプト反政府デモの「悪影響を警戒」し、関連情報の「検閲・遮断」を強化しつつあるらしい。また、今回のカイロ「タハリール広場」の騒乱を1989年の「天安門事件」と対比する論調も少なくない。
確かに、エジプトは中国に似た一党独裁国家だ。だが、カイロと北京にそれぞれ数年間住んだ経験のある筆者としては、このタハリールと天安門、「同じようで、どこか違うんだよなぁ」と感じてしまう。今回はこの「違和感」についてお話ししたい。
どちらも統治の難しい国!
エジプト人と中国人はとてもよく似ている。両者に自己中心主義、人間不信、面子尊重、プライドの高さ、責任転嫁という共通の国民性があることは以前ご説明した通りであり、ここでは繰り返さない。
2000年秋北京に赴任した際も、人々が信号を無視して車道を横切る様から、家族の絆の強さ、面子を失った時の逆上の仕方まで、カイロにそっくりだと感じた。
女房には「北京ではエジプト人が中国語を話していると思え」と説明したほどだ。
どちらも古代文明の発祥地であり、植民地支配を受けた苦い過去がある。長期の一党独裁と権力者の腐敗、経済的繁栄の陰に若年失業もある。庶民の静かな「怒り」が水面下で煮えくり返っているところまで、両国は実によく似ている。
このような国家を統治するのは容易ではない。勝手なことを言うばかりで協調性のない国民にはある程度の監視と統制が必要なのだろうか。少しでも手を緩めれば、国家の統一と安定が失われると権力者は信じてしまうのだろう。
その意味で中国当局がエジプト関連報道を警戒するのは当然であり、それ自体驚きではない。特に、フェースブック(Facebook)とツイッター(Twitter)がエジプトの反政府勢力動員に果たした役割の大きさを考えれば、中国共産党の懸念も全く理解できないわけではない。
エジプト軍と人民解放軍
それでも筆者が違和感を感じたのは、「エジプトは『天安門事件』を再現しない・・・中国人社会に波紋」という記事だった。特に気になった箇所を引用してみたい。
●(エジプト)軍報道官が31日「市民が平和的に行動する限り、軍は発砲しない」と表明したことで、中国人社会では1989年に発生した「天安門事件」と比較する声が改めて高まり始めた。
●香港で運営されるサイト上では、中国人によると見られる「エジプトと中国は違う」と指摘するブログも見られるようになった。
●また、中国国外に本拠を置く反政府系メディア「希望之声」も、「1989年の中国解放軍とは異なり、エジプト軍はデモ参加者に発砲しない方法を選択した」などとする記事を発表した。
確かに、エジプト軍は2月4日現在、デモ参加者に「発砲」はしていない。恐らく、軍は、最後の最後まで、エジプト民衆に銃を向けることを躊躇すると思う。しかし、その理由は一部の中国人が考えるほど単純ではない。
少なくとも、「民衆の味方」であるエジプト軍が「文民統制」に服している「良い軍隊」であるのに対し、「民衆に発砲した」人民解放軍は「悪い軍隊」だったなどと考えるなら、それは大きな間違いである。
エジプト軍は権力そのもの!
筆者がアラビア語研修でカイロに住んだのは、1981年のサダト暗殺直前の2年間だった。当時から、エジプト政治は事実上「軍」が支配してきており、エジプトに真の意味での「シビリアンコントロール」は存在しない。
1952年のクーデター以来、軍は常に「権力」そのものであり、フスニー・ムバーラク(ムバラク)大統領はもちろんのこと、ガマール・アブドン・ナースィル(ナセル)大統領も、アンワル・アッ・サーダート(サダト)大統領もすべて軍人だった。
1970年、アラブ民族主義を標榜したナセルが急死。大統領に就任したサダトはそれまでの社会主義的政策を転換し、1978年以降はイスラエルと単独和平を進めた。1981年、サダトはエジプト軍兵士により暗殺され、爾来30年、ムバラクが大統領として君臨する。
このように、エジプト軍は過去60年にわたって圧倒的な権限と権益(利権)を事実上独占してきた。エジプト民衆は軍を「尊敬」しているなどと報じられるが、それは自分たちを直接取り締まる「警察・公安組織」への反感の裏返しに過ぎない。
今回、エジプト軍が発砲していない理由は恐らく2つある。第1は、下手に「流血の事態」を引き起こして、これまで築き上げてきた政治・経済的権益を一気に失いたくなかったこと。
第2は、過去30年間密接な関係にある米軍が「軍の介入」に強く反対したと思われることだ。
要するに、今はヒーローのように報じられているエジプト軍も、一皮剥けばこの程度の組織なのである。
文民統制が機能した(?)解放軍!
冒頭書いたように、1989年の天安門事件で、人民解放軍は市内の学生を中心とする民衆に対し無差別発砲した。しかし、これは当時の中国共産党最高首脳部(鄧小平)の命令に従ったためである。
人民解放軍の名誉のために言えば、当時の解放軍首脳は解放軍精鋭部隊による武力鎮圧に最後まで反対していたと言われる。鄧小平は「北京に知人・友人の少ない」地方の部隊を投入せざるを得なかったというのが最近の定説らしい。
「自己主張」を強めつつあるとはいえ、当時も今も、人民解放軍は中国共産党の支配下にある軍隊であり、中国政治の実権は解放軍ではなく、(今はたまたま文民からなる)党中央の最高首脳部にある。エジプト軍とは大違いなのだ。
だとすれば、1989年の人民解放軍は共産党版「文民統制」に従っただけであり、当時の党中央軍事委員会・鄧小平主席の命令を忠実に実行したということになる。屁理屈と言われるかもしれないが、これがタハリール広場と天安門広場に関する筆者の違和感の理由だ。
エジプト騒乱の教訓!
今回はエジプトの話ばかりになってしまった。エジプト情勢は現在も流動的であるが、中国が最近のチュニジアやエジプトの騒乱から得るべき教訓は決して少なくないように思える。
最後に、中国共産党に成り代わって、筆者が勝手に得た教訓をいくつか挙げてみよう。
(1)米国から言われるままに「政治の民主化」を進めてはならない
中途半端な自由化は、逆に墓穴を掘る。チュニジアも、エジプトも、ヨルダンも、一定の自由があったからこそ、フェースブックやツイッターが機能し、制御不能な大衆動員が可能になったのである。
(2)どんなに緊密な関係を築こうとも、米国政府は信用できない
米国はそれまで強く支持してきた政権ですら、掌を返したように見捨てる国だ。古くはイランのシャーの例があり、今回のベン・アリやムバラクも例外ではない。まして、中国共産党が同様の危機にある時、米国政府は全く頼りにならないだろう。
(3)騒乱中の民衆は無責任であり、国家全体の利益を考えて行動しない
いったん騒乱が始まれば、一般大衆は合理的な判断をしなくなる。今後もエジプトで混乱が続けば、観光を中心とするエジプト経済は壊滅的な打撃を受けるだろうが、デモ参加者にそのことを理解させることは不可能に近いだろう。
(4)警察が騒乱に対処できなくなっても、安易に軍隊を投入してはならない
1989年であればともかく、21世紀の今日、武力鎮圧は逆に体制崩壊を早める可能性が高い。中国共産党も、現在のエジプト軍部のように「狡賢く」振る舞い、政治的譲歩をしてでも、既得権益の喪失を最小限に止めるよう慎重に行動すべきである。
特に、中国共産党首脳部が最後の教訓を正しく学んでくれることを心から祈りたい。
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