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巨匠ひしめくパリのショコラ界に新星現る!
2010.12.28(Tue)JBプレス 鈴木春恵
フランスの年末年始にもやはり、各家庭のテーブルに上る定番メニューというのがいくつかある。フォアグラ、牡蠣、スモークサーモン・・・。クリスマスデザートならやはり、ブッシュ・ド・ノエル。そして、ショコラ(チョコレート)。
巨匠がひしめくパリのショコラ界!
本なら、チョコレート屋さんの書き入れ時と言えばバレンタインデーだが、フランスでは、年末年始の需要が最も多い。スーバーやデパートの食品売り場には、特設のショコラコーナーができ、専門店、つまり高級ショコラの店では、レジに行列ができる。
東京をはじめ、日本の各都市でも恒例になった「サロン・ド・ショコラ」の影響もあって、フランスの高級ショコラの知名度はここ数年でかなり上昇し、一種のブランドと化した。それはフランス国内でもしかり。
特にパリでは、老舗の名店に加えて、スターパティシエの店、M.O.F(フランス最優秀職人)の店など、群雄割拠とも言える状況が繰り広げられてきた。
新顔の登場、巨匠らの支店が続々と増え続ける状況から、この業界もそろそろ飽和状態に達しつつあるのではないか、と思っていた。
しかし、どうやらその読みは甘く、つまりショコラはまだまだ市場の開拓が望める分野らしく、ここにきてまた、新しい店のオープンが相次いでいるのである。
中でも、11月末に開店した「un dimanche à Paris(アン・ディモンシュ・ア・パリ)」は、従来のショコラティエとは一線を画す方向性を打ち出してきた。
パリには、約10のグラン・ショコラティエ、つまりこの世界でのビッグブランドが存在するが、サンジェルマンからオデオンにかけては、特に激戦区といえる地域。
「パトリック・ロジェ」「ピエール・エルメ」「ラデュレ」「ピエール・マルコリーニ」「ドゥボーヴ・エ・ギャレ」といった店が、徒歩5分圏内にひしめいている。
「un dimanche à Paris」が出店したのもまたこの界隈。サンジェルマン大通りから枝分かれする小道、それもいかにも由緒を感じさせる石畳のパッサージュの真ん中に位置している。
オーナーは、Pierre CLUIZEL(ピエール・クリュイゼル)さん。今まさに働き盛りという年頃のスマートな紳士だ。
祖父の代からショコラティエの家!
「私はショコラの中に生まれたようなものです」
と、彼は言う。つまり、ショコラティエは生家の家業だった。
お祖父さん、マーク・クリュイゼルという人は、はじめ料理人だったのだが、パティシエ、そしてショコラティエとしてノルマンディーに店を開いたのが1947年のこと。
その息子ミッシェルもまた、14歳の時からショコラティエとして働くことになる。
そして、自身の名を冠したショコラティエ「Michel CLUIZEL」を全国規模、いや、今までは世界規模のマーケットを持つ企業にまで成長させてきた。その家の3世代目の長男としてピエールさんは生まれたのである。
弟と2人の妹同様、ピエールさんもファミリービジネスに参加。マーケティングの分野を主に担当し、それと並行して、ショコラの原料であるカカオを産出する国々に足を運び、また、消費者としての取引先である国にも何度も訪れている。
「日本にも、十数回行きましたよ。大好きな国です」
このように、世界をまたにかけて家業に打ち込むこと25年。その間に、ショコラの新しい方向性を実現させたいというパッションが育まれていった。
「カカオの産出国というのは、だいたい30カ国くらい。アフリカ、南米、中米、またインド洋周辺の島々ですね」
「そこで取れるカカオは、地元の仲買人から、世界各国の仲買人に渡り、それからショコラティエに回るというようなルートを経ます」
「実際現地に行ってみると、そこで働いている人々の暮らしぶりというのは、自転車も買えないような非常に貧しいものですけれども、彼らの瞳の輝きは生き生きとしていて、実にエネルギーに満ちているんです」
「これまで、その流通に何段階もの人の手が入るために、一般には、カカオの作り手のことが伝わってくるようなショコラというのはあまりなかったと思います」
「しかし、そういった人たちに始まり、ショコラを味わう人まで直結するようなリレーションを築きたいと思っていました」
ファミリービジネスから独立して出店!
つまり、ショコラの1から10までを実際に肌で知っているという経験をもとに、カカオ、ショコラの持つ可能性を最大限に引き出す方法を頭のなかで描いきた。
そして、ファミリービジネスを離れ、つまり、自分の分の株式を手放して独立する形で、このたびの店を実現したのである。
それは「ショコラを核にしたコンセプトストア」というもので、単にショコラそのものを売るブティックだけでなく、レストラン、バーラウンジ、さらにクッキングスタジオまであるというものだ。
「ショコラはいわばワインと一緒。テロワールごとのクリュ(銘柄)というのがあります。そういったことを、より深く味わうための様々な方法を通して伝えたいし、料理やお酒に合わせたりする楽しみ方も発信してゆきたいと思っています」
それにしても、いわば無名のブランドとして、いきなり激戦区にこのような大規模な空間を出現させるというのは賭けに近い冒険だが・・・。
「一からの出発ではあっても、まず小さいところから始めるという発想はしませんでした」
「コンセプトそのものが従来のショコラティエとは違っているわけですから、それを強調するためにも、まず『ワォ、いったいこれはなんだ?』というふうに、いきなり注目を集めることを狙いました」
愛想の悪いパリにあって異色のサービス!
確かに、パリの一等地にこれだけ間口の広い空間というのは、建築段階からしてとても気になる存在だし、実際出来上がってみれば、人々は金魚鉢を覗くように、必ず立ち止まって見ている。
さらに言えば、オープン1週間目というタイミングでお邪魔したこの時、キッチンスタジオではフランス国営放送のテレビクルーによる撮影の真っ最中。
常に新しいものを探しているメディアにとっては、格好の材料だし、それが報道されることによっての影響は言うまでもない。
造りの素晴らしさにも増して、私が好印象を持ったのは、まずスタッフの感じのよさ。
お客様が神様の国からは想像しにくいかもしれないが、パリの接客というのは、しばしば不愉快と言えるくらいにお粗末であることが多い。それに比べると、ここのブティックの女性たちはとても感じがいい。
それと、いかにもよく考えられた買いやすい値付けをしている。具体的にいうと、ギフトボックスのサイズと値段の刻み方が細かい。
一口サイズのショコラが2つ入った2.90ユーロ(約310円)から、6個入り、15個入り、そして最大120個入り101.70ユーロ(約11000円)まで、8段階のサイズ、値段設定になっている。
特にこの小さいサイズの充実が、独特の“お土産文化”をもつ我々日本人にはうれしいところだし、これが意外に、従来のショコラティエにはない。
ええ、よく分かっていますよ。日本の方は、ちょっとしたものをたくさん買われますものね。小さいサイズを設けたのはそのためです。それと中判サイズはフランス人向け、そしてアメリカ人にはビッグサイズです」
日本に学んだ店づくりと接客ノウハウ!
この新規事業の準備期間中、改めて集中的にビジネススクールに通ったというピエールさん。それには海外の企業での研修というのもカリキュラムに含まれていたそうだが、先進数カ国の選択肢のなかから、彼は迷わず日本を選んだ。
「数えきれないくらい行っていて、よく知っている国ですけれども、ビジネス、特に店づくりのディテールや接客のノウハウという点で、一番学ぶところの多い国だという確信があったので、日本を選んだのですよ」
スタッフの応対の良さや、箱のサイズの刻みには、紛れもなく、日本のエスプリが生かされているということになる。
ところで、店名の意味は、「パリの日曜日」。
これもまたショコラティエとしては珍しく、日曜日も営業するそうで、レストランでは、このところ流行しているブランチはもちろん、ランチとディナーの折衷スタイル「ドランチ」メニューも準備中とか。
そして、ゆくゆくは、ニューヨークや東京への進出というのもピエールさんの意中にある。さて、「パリの日曜日」が世界で楽しめる日はいつごろのことか・・・。まずしばらくは、大激戦区での健闘ぶりを見守ることにしよう。
カカオ産地の人々とショコラを味わう人を“結ぶ”という意味合いを表したかったという、トレードマークの紐がポイントになったパッケージング
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