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平成22年 第12回「米・食味分析鑑定コンクール:国際大会」(松江市)有機栽培・JAS認定部門で特別優秀賞を受賞。(食味90・味度83・計173点) 平成25年、第15回魚沼と第16回北京開催運動中! 無農薬魚沼産コシヒカリ生産農家・理想の稲作技術『CO2削減農法』 http://www.uonumakoshihikari.com/
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MATCH SEESAA : NO FLOATING 粒の違い.jpg
 
 
 「龍の瞳」
 
2011年2月28日1時47分 asahi.com
 
山あいの棚田で発見された突然変異のコメが、東京や大阪の百貨店で人気です。米価低迷もどこ吹く風。値段は魚沼産コシヒカリの1.5倍です。見つけた今井隆さん(55)が10年かけて、ブランド米に育てました。
 
■一口食べ「飛び上がるほどの衝撃」
 日本橋三越本店(東京都)の地下食品売り場。5キロ約4千円の高級米、魚沼産コシヒカリが並ぶ棚に、同量で6300円のコメが置かれている。竜のイラストの袋に書かれた商品名は「飛騨 龍の瞳」。バイヤーの宅万道明さん(39)は「知名度が上がり、今季の新米は前年の5倍の売れ行き」と話す。すでに在庫はほとんどないという。
 
 一目で分かる、粒の大きさが特徴だ。玄米千粒の重さは32グラムで、コシヒカリの約1.5倍。百貨店を中心に販売されており、高値でも消費者に受け入れられている。米どころ山形県庄内町などが主催し、消費者が審査員を務める「あなたが選ぶ日本一おいしい米コンテスト」で、過去4年で3回、日本一になった。
 主産地は、岐阜県飛騨地方の下呂市。温泉で有名だが、コメは山間地の棚田などで細々とつくられてきた。
 そんな土地で、龍の瞳は2000年9月に偶然発見された。今井さんは当時、農水省東海農政局の職員。コシヒカリが実った自分の棚田で、周りより15センチほど高く伸びた稲を見つけた。
 稲穂の一粒ひとつぶが大きい。「別の品種でも混ざったかな」。思い当たるふしもなく、試しに育てた。できたコメを炊いて一口食べると、「飛び上がるほどの衝撃を受けた」という。
 仕事でコメの生産量調査や、不作の原因分析の経験がある今井さんは、自分を「米オタク」と評する。自前で7~8品種のコメを育て、地元の土や気候に合ったコメを探してきた。だが、「味が他の産地と差がつかない」と、半ばあきらめていた。
 
 龍の瞳は、突然変異の新品種だった。06年には品種登録をした。コメの品種開発に取り組む作物研究所(茨城県つくば市)の担当者は「年間約50種の新品種が登録されるが、自然の突然変異は1割ほど。人気が出るコメは、ほとんど例が無い」。
 岐阜県も、08年に龍の瞳を観光資源として「じまんの原石」に選んだ。下呂温泉では土産物屋や旅館で、持ち帰りやすい龍の瞳の1キロ入りを売っている。夕食に土鍋で炊いた龍の瞳を出している温泉旅館「水鳳園」の上村義和社長(55)は、「おいしいご飯が食べられるというのは、何よりのPR」と喜ぶ。
 
■10年かけブランド化
 今井さんは04年から地域の契約農家7人に種もみを配り、龍の瞳の本格栽培を始めた。こだわったのが「ブランド化」だ。「農家の生活と環境。両方を守れる農業をしたい」と考えた。
 コシヒカリなどの銘柄米ではないため、農協を通すと安値でしか売れない。そこで、05年にコメ販売会社「龍の瞳」を設立。契約農家から買い取り、業者に直接卸す方法をとった。龍の瞳に人生をかけ、農政局も辞めた。
 
 「ブランド化には中途半端は駄目。食べれば納得してもらえる」。今井さんの農家からの買い取り価格は1俵(60キロ)あたり2万2千円。国内全体では10年産米の平均卸売価格は1俵約1万3千円。4年前より2千円下がっている。
 高値で買い取るぶん、農家には手間をかけてもらう。農薬使用量は一般の3分の1以下に抑え、カビの一種、いもち病の予防のため酢や石灰を地道に稲にふりかける。化学肥料も使わない。「どう工夫し、自立していくかを考える農家が少ない」。農家に厳しい注文をつけることもしばしばだ。それでも契約農家は下呂市を中心に約220人、作付面積は約90ヘクタールに広がった。
 
 契約農家の一人、岐阜県恵那市の丹羽皓太郎さん(46)は、一度は離農を決意してハローワークに登録までした。だが、栽培に誘われ踏みとどまった。いまは低農薬コシヒカリも作り、消費者への直売も進める。「龍の瞳に出会って意識が変わった」と言う。
 今井さんは、米国やアジア諸国との関税を撤廃する「環太平洋経済連携協定(TPP)」をにらみ、輸出も視野に入れる。米国、台湾、韓国、中国の4カ国・地域で品種登録を申請中だ。「環境に優しく、おいしいコメを海外にも伝えたい」と意気込む。
(信原一貴)
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どらやきでドラえもんを動かそう

2011年1月18日(火) 日経ビジネス 山田久美
 
現在、微生物を利用した「微生物燃料電池」と「微生物太陽電池」の実現に向け、研究開発を進めているのが、東京大学・先端科学技術研究センターの橋本和仁教授をプロジェクトリーダーとする科学技術振興機構(JST)の「橋本光エネルギー変換システムプロジェクト」だ。
 ロボットであるドラえもんが、なぜ、どら焼きを食べて動くのか、疑問に思ったことはないだろうか。しかし、ドラえもんが「微生物燃料電池」で動いているとすれば、説明がつく。
 微生物燃料電池とは、その名の通り、微生物を使って発電する燃料電池のことだ。
 
地球上には、実にさまざまな微生物が生息している。その中には、有機物を食べ、それを分解してエネルギーを得る際に、電流を発生させる微生物がいる。「電流発生菌」と呼ばれるものだ。この微生物を使って発電するのが微生物燃料電池である。
 そして、現在、微生物燃料電池との実用化と、その先の最終目標である「微生物太陽電池」の実現に向け、研究開発を進めているのが、東京大学・先端科学技術研究センターの橋本和仁教授をプロジェクトリーダーとする科学技術振興機構(JST)の「橋本光エネルギー変換システムプロジェクト」だ。

 

エサは生ゴミやビール工場の廃液など

 
 実は、電流発生菌の存在自体は約100年も前から知られていた。しかも、地中や水中などどこにでも生息しているごくありふれた生き物だ。そのため、これまで幾度となく、電流発生菌を使って発電しようという試みがなされてきた。しかし、電流密度が低いため、実用化には至らなかった。
 ところが、近年、遺伝子工学に代表される分子生物学の急速な進展に伴い、米国を中心に、微生物燃料電池の研究開発が、にわかに活況を呈してきている。電流発生菌の遺伝子を改変することで、電流密度を上げ、より多くの電流を発生させるようというわけだ。その結果、現在、微生物燃料電池は実用化の一歩手前まできている。どら焼きを食べて動くロボットも、あながちSFの世界だけの話ではなくなってきているのだ。
 電流発生菌の“エサ”は、生ゴミをはじめビール工場や染色工場の廃液など有機物であれば何でもいい。電流を発生すると同時に有機物が分解され、廃液が浄化されるので、廃液処理装置や下水処理装置として有望視されている。
 日本では、現在でも、下水の浄化に微生物が利用されている。しかし、既存の方法では、微生物に酸素を送り込む必要があり、そのために、総使用電力の約1%もの電力が使われている。しかも、使い終わった微生物はゴミとして廃棄され、焼却処分されている。その量たるや、年間数億トンに及ぶ。
 しかし、電流発生菌は酸素を必要としない。そのため、ここに微生物燃料電池を導入すれば、電気を使うどころか、逆に発電しながら下水を浄化することができ、しかもゴミも大幅に減らせる。一石二鳥にも三鳥にもなるのである。
 「とはいえ、遺伝子の改変は、“自然との共生”にはそぐわないやり方だ。我々はあくまでも、遺伝子改変をしない微生物燃料電池にこだわりたい」。橋本教授はこう語る。
 
元来、太陽電池や光触媒など光機能材料の研究を専門としてきた橋本教授が、微生物燃料電池の研究開発に本腰を入れ始めたのは2006年のことだった。
 微生物燃料電池に関する研究計画書を作成し、2006年度の科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業(ERATO)に「橋本光エネルギー変換システムプロジェクト」で応募し、採用されたのだ。

 

発電量は当初の数百倍に

 
 しかし、微生物燃料電池を開発するには、電気化学などに加え、微生物学や分子生物学に関する専門知識が不可欠だ。そこで、橋本教授は、東京大学で開催された微生物燃料電池のシンポジウムで知り合った渡邉一哉特任准教授に共同研究を持ちかけた。
 当時、海洋バイオテクノロジー研究所で主幹研究員を務めていた渡邉特任准教授の専門分野は応用微生物学。微生物を使って人の役に立つものができないかと考えて、微生物燃料電池の研究を始めた。彼自身も、研究の中で発電効率を高める電気化学的な知識を必要としていた。そのため、橋本教授からのオファーは渡りに船だった。
 プロジェクトを開始して丸4年。光化学や電気化学を専門とする橋本教授らのグループと、微生物学を専門とする渡邉特任准教授らがタッグを組んだことで、研究は着々と成果を上げてきている。
 
特に、最も重要な発電量は、電極の改善や微生物の生態の見直しにより、数百倍にまで引き上げることに成功した。
 微生物燃料電池の場合、電流発生菌に有機物を与えると、最初は電流の量が急速に増える。しかし、ある一定のところまでいくと、いくら有機物を与えても、電流発生菌を増やしても、それ以上増えなくなってしまう。
 理由は、電極の面積が限られているからだ。電流発生菌は電極に張り付くことで、不要となった電子を電極に渡し、電流を発生させる。そのため、電極が電流発生菌で覆われてしまうと、電極から離れたところにいる電流発生菌は、電子を電極に渡すことができないのである。
 
そのため、橋本教授と渡邉特任准教授にとって、いかに多くの電流発生菌が電子を電極に渡すことができるようにするかが、最重要課題となった。
 まずは、電気化学を専門とする橋本教授のチームから、電極の改善の提案が出された。電極の表面に、カーボンナノチューブを使った処理を施すことで、効率良く電子を渡せるようにしたのだ。その結果、発電量は10倍に跳ね上がった。
 一方、渡邉特任准教授は、“自然との共生”という信念の下、電流発生菌の生息環境に立ち返ることにした。実験設備という環境は、電流発生菌にとっていわば動物園の檻の中のようなもの。自然に近い環境にしてやれば、何か予想もつかないような突破口が見出せるのではないかと考えたのだ。
 たとえば、代表的な電流発生菌であるシュワネラ菌の生息域は、深海の海底火山の地殻の中。そこで、渡邉特任准教授は、深海からシュワネラ菌を採取する際、必ず酸化鉄や硫化鉄が付着していることに注目した。そして、電流発生菌の培養液の中に、酸化鉄を加えたところ、発電量が一気に50倍になった。
 「これは、酸化鉄が、電流発生菌同士が電子をやり取りするためのネットワークの役割を果たしているからだと考えられる」と渡邉特任准教授は説明する。酸化鉄を介して電流発生菌同士が結びつき、電子を授受し合っていたのだ。
 
これらの試行錯誤を繰り返した結果、橋本教授らは、遺伝子を改変することなく、1立方メートルの実験装置から130ワットの電力を取り出すことに成功した。
 橋本教授は胸を張る。「この実験結果を見たとき、“自然との共生”という我々の信念は間違っていなかったと確信した」。
 橋本教授らは、仮に微生物燃料電池を家庭用として実用化する場合、少なくとも1000ワットの電力を出せるようにする必要があると見積もっている。3~5年以内に実用化できる見込みだ。

 

「微生物太陽電池」を目指す

 
 ただし、橋本教授が目指しているものは、実は微生物燃料電池の実用化の先にある。「微生物太陽電池」の実現だ。
 微生物太陽電池とはその名の通り、微生物を利用して、太陽光エネルギーを電気エネルギーに変換する装置のことだ。
 植物や植物プランクトンは光合成により、太陽光エネルギーを使ってCO2と水から有機物を作り出している。そこで、微生物燃料電池を基に、橋本教授が思い付いたのが、光合成をする微生物をそのまま利用する微生物太陽電池だった。
 微生物太陽電池が実現すれば、湖沼などで大発生し、我々に甚大な被害を及ぼしている“アオコ”を使って発電したり、水田で発電したりできるようになるかもしれないと橋本教授は考えている。
 しかしながら、現在のところ、光エネルギーを直接、電気に変換できる微生物は発見されていない。そのため、橋本教授は、複数の微生物を組み合わせるなど、「合わせ技」で実現しようと考えている。
 現在、橋本教授らが試みている方法は2通りある。
 1つ目は、複数の微生物を組み合わせる方法だ。微生物の中には、光を当てることで光合成し、有機物を作る微生物がいる。そこでできた有機物を電流発生菌の餌にすれば、間接的に、太陽光から電気を取り出すことができるというわけだ。
 
光合成する微生物の代表例が、実はアオコだ。アオコは太陽光によって急速に増殖し、湖沼周辺の生態系を破壊するなど各地で問題となっている。そこで、湖沼にアオコと電流発生菌を共生させ、電極を設置すれば、湖沼が微生物太陽電池に大変身するという算段だ。
 2つ目は、「田んぼ発電」だ。これは、イネが光合成する際、根から排出される有機物を電流発生菌のエサにしようという試みだ。
 
実際、橋本教授が田んぼの泥の中に陰極の電極を差し、水面に陽極を置いてみたところ、日中、イネに太陽光が当たっているときだけ、電流が発生した。とはいえ、現在のところ、発電効率は0.01%と極めて低く、10%台を実現している市販の太陽電池にはるかに及ばない。
 「だが、今の100倍の1%にできれば、実用化も十分視野に入る。屋根よりも田んぼの方がはるかに面積が広いからだ」。橋本教授の表情は明るい。
 微生物太陽電池に関しては、まだまだアイデアや基礎研究の域を脱していない。しかしながら、自然をそのままの形で生かしつつ、太陽光エネルギーから電気エネルギーを取り出すことができるということを証明できたという点で、これらの取り組みは意義深いと橋本教授は考えている。
 「なぜなら、自然から離れる方向で発展してきた20世紀の科学がもたらした負の遺産を回収するには、自然に近づいていく科学、自然と共生する科学の構築が不可欠だと考えるからだ」。
 橋本教授が、微生物を使った電池の開発に軸足を移した背景には、20世紀の科学に対する反省と強い危機意識があったのだ。
 
ボツリオコッカス・ブラウニ
 
オーランチオキトリウム
 
微細藻燃料分科会 
 
 
2011年3月1日(火) 日経ビジネス 山田久美
 
 原油価格のさらなる高騰が懸念されている。世界各国にとって、エネルギー安全保障の強化はもはや待ったなしの段階だ。そんな中、石油の代替燃料となる油を生成する微細な藻類が脚光を浴びている。
 ただし、現時点では生産コストが高いため、藻類系バイオ燃料が商業ベースに乗るメドは立っていない。この課題を解決するには生産効率を今の10倍以上に引き上げる必要がある。そして2010年12月、これまで最も有望視されてきた藻類の10倍以上の生産効率を示す新たな藻類を、筑波大学大学院生命環境科学研究科の渡邉信教授が発見した。
 
「日本が産油国になるのも夢ではない」。筑波大学大学院生命環境科学研究科の渡邉信教授はこう話す。渡邉教授は2010年12月、従来の10倍以上の生産効率で、重油と同質の油を作り出す「藻類」を沖縄県の海で発見したのだ。
 「オーランチオキトリウム」という名前で、直径5~15マイクロメートル(マイクロは100万分の1)の球形をしている。これまで発見された中で最も油の生産効率が高いとされてきた「ボトリオコッカス・ブラウニー」の約12倍の生産効率を示すことを渡邉教授は明らかにした。
 「工業利用ができると考え、すぐに特許を申請した。エネルギー政策を考えるに当たっても、日本にとって大きな武器になる」と渡邉教授は話す。
 

食糧価格高騰を招いたバイオ燃料

 
 中東や北アフリカ諸国の情勢不安、そして、エネルギー資源の枯渇に伴い、原油価格のさらなる高騰が懸念されている。世界各国にとって、エネルギー安全保障の強化はもはや待ったなしの段階だ。特に石油と石炭をほぼ全量、輸入に頼っている日本においてはなおさらだ。
 そんな中、石油に替わるカーボンニュートラルな(二酸化炭素を吸収して作る)燃料として、米国を中心に、数年前から注目を集めているのが、トウモロコシや大豆など陸上植物を原料とするバイオ燃料だ。
 ところが、食糧を燃料にするため、その需給関係に影響を与えて食糧価格が高騰。加えて、東南アジアでは、油やしを栽培するため、広大な面積の森や湿原を開墾するという、本末転倒のような事態が発生した。CO2排出量を低減するどころか、環境破壊が進行してしまったのである。そのため、現在は、欧州を中心に、サトウキビやトウモロコシを原料とするバイオ燃料に関しては、開墾から栽培、生産、輸送までを評価対象にするライフサイクルアセスメント(LCA)でのCO2削減効果の検証が進められている。
 このような社会的背景を受け、新たなバイオ燃料の原料として、にわかに脚光を浴びているのが、油を生成する微細な藻類である。
 
藻類であれば、食糧の需要に影響を与えない。また、水中で培養するため、森林伐採とも無縁だ。陸上植物に比べて収穫までの期間が短く、そのため、生産効率が10~数百倍も高い。しかも、陸上植物から採れる油の多くが、酸素や硫黄など燃料としては不要な元素を含むのに対し、ボトリオコッカス・ブラウニーやオーランチオキトリウムから採れる油は重油と同質の炭化水素だ。そのため、従来の石油工場の設備を使って、軽油やガソリン、ナフサを簡単に作ることができる。陸上植物のバイオ燃料が抱えていた問題をすべて解決できる。

 

約4時間で2倍に増える

 
 米国は国家事業として藻類系バイオ燃料の商品化に取り組んでいる。2010年6月にエネルギー省(DOE)が、藻類系バイオ燃料の開発に携わる3つの研究コンソーシアムに対し、最大2400万ドルの助成金を供与すると発表した。米国以外でも、オーストラリアやイスラエル、中国、インド、インドネシア、韓国など多くの国々がこぞって、微細藻類の研究開発に軸足を向け始めている。
 このような状況の中、今回の渡邉教授によるオーランチオキトリウムの発見は、日本にとってまさに朗報だ。なぜなら、現在、藻類系バイオ燃料の商業化の大きな妨げとなっているのが生産コストだからだ。
 これまで、最も有望視されてきたボトリオコッカス・ブラウニーですら、1リットル当たりの生産コストは約800円。これを、石油と同等の1リットル当たり50円程度にまで引き下げることができないと、石油の代替燃料として商業化できない。そのためには、生産効率を今の10倍以上にして、収穫量を現在の1ヘクタール当たり年間100トンから1000トンに引き上げる必要があったのだ。
 
そこで、渡邉教授は2008年にプロジェクトを発足させた。
 生産効率を10倍にするための方法は2つだ。1つ目は、突然変異や遺伝子組み換えによる品種改良によってボトリオコッカス・ブラウニーの生産能力自体を上げること。2つ目は、ボトリオコッカス・ブラウニー以上の生産能力を持つ微細藻類を探すことである。そして、後者を進める中で発見したのが、オーランチオキトリウムだったのだ。
 オーランチオキトリウムの最大の強みは増殖の速さにある。ボトリオコッカス・ブラウニーが約6日で2倍に増殖するのに対し、オーランチオキトリウムはなんと4時間で2倍になる。そこで、培養装置の容量や藻類の濃度の上限などを考慮した上で、1年間に採れる油の量を計算し、比較してみた。すると、オーランチオキトリウムの生産効率が、ボトリオコッカス・ブラウニーの約12倍になることが分かった。
 そこで今度は、面積1ヘクタール、水深1メートルの培養装置を使って、オーランチオキトリウムを4日ごとに収穫するという生産システムを想定したところ、1ヘクタール当たり年間1000トンの油が採れるという計算結果が得られた。

 

耕作放棄地と休耕田の54%で賄える計算

 
 渡邉教授は説明する。「現在の日本の石油と石炭の輸入量は年間約3億3500万トン。一方、日本の耕作放棄地と休耕田は62万ヘクタールある。そこで、その54%にあたる33万5000ヘクタールを使ってオーランチオキトリウムを培養すれば、年間輸入量をすべてまかなうことができる」。
 さらに、同じ培養装置を使って4時間ごとに容量の67%分を収穫し、そこに、同量の新鮮な培養液を補充する連続生産システムにすれば、1ヘクタール当たり年間1万トン以上、油の収穫が見込めるという。
 現在の世界の年間石油需要量は約50億トン。この連続生産システムの場合、日本の耕作放棄地と休耕田の80%を使えば、その全量をまかなえる計算になる。日本を産油国にするという夢も、絵空事ではなくなってきた。
 
その夢の実現に向けて、現在、渡邉教授らが取り組み始めているのが、培養装置の大規模化だ。
 「商用化するには、大量培養技術を確立しなければならない。そのためには、大規模な培養装置を使った実証実験が不可欠だ。しかし、我々だけで人材と費用を捻出するのは難しい。今後、産官学の連携を強め、1日も早い商用化に努めたい」。渡邉教授は熱い思いを語る。
 そのため、現在、藻類の基礎研究で世界トップレベルを誇る筑波大学が中心となって、「藻類産業創成コンソーシアム」を結成。国内の大学や研究機関や、つくば市、50社を超える企業が参画し、藻類バイオマスエネルギー技術開発等に取り組んでいる。

 

有機廃水を浄化する一石二鳥

 
 加えて、渡邉教授は、廃水や廃棄物の水処理プロセスへの適用も検討している。
 実は、ボトリオコッカス・ブラウニーとオーランチオキトリウムは、どちらも重油と同質の油を生成する藻類という点では同じだが、特性が異なる。ボトリオコッカス・ブラウニーが、光合成をしてCO2から油とその他の有機物を生成する緑藻類であるのに対し、オーランチオキトリウムは、水中の有機物を細胞内に取り込んで、油を生成する単細胞の従属栄養藻類だ。そのため、オーランチオキトリウムを培養するには、有機物を与える必要がある。
 そこで、渡邉教授が目を付けたのが、焼酎やビールの製造工場、繊維工場などの有機廃水を利用する方法だ。有機廃水を浄化しながら、油も生産しようというわけである。
 廃水や廃棄物の水処理プロセスは、ボトリオコッカス・ブラウニーにとっても都合が良い。水処理プロセスを通して出てくる処理水には、ボトリオコッカス・ブラウニーの増殖を促進してくれる窒素やリンが多く含まれるからだ。
 この処理水を使って、光とCO2を与えながらボトリオコッカス・ブラウニーを培養すれば、増殖が促進されるだけでなく、新たに培養装置を設置する必要もなくなる。処理水の豊かな栄養分が大きな原因となっていた水域のアオコの大量発生も防ぐことができる。さらに、ボトリオコッカス・ブラウニーが生成した有機物を有機廃水に還元すれば、オーランチオキトリウムのエサにできる。油を搾取したあとの藻類の残りカスも無駄にしない。メタン発酵させれば、メタンガスが取り出せる。

 

健康食品市場や化粧品市場への展開も

 
 一方、ボトリオコッカス・ブラウニーとオーランチオキトリウムが生成する油は、燃料だけでなく、工業原料として使える可能性もある。石油化学製品や高分子材料などさまざまな用途への応用が期待できる。
 特に、オーランチオキトリウムの油は、「スクアレン」と呼ばれる炭化水素で、善玉コレステロールの基となるものだ。現在、サメの肝油などから抽出されたものが、サプリメントや化粧品として高値で市販されている。オーランチオキトリウムの大量培養が実現すれば、健康食品市場や化粧品市場への展開も考えられるのである。
 「このように、藻類は、石油化学産業ならぬ一大藻類産業を興させる可能性を持っている。まずはバイオ燃料としての商用化を目指す。2020年には実現させたい」。渡邉教授はこう締めくくった。
 
2011年3月1日(火) 日経ビジネス 関橋 英作
 
 地方の復活が日本の復活と言われてもうずいぶん立ちました。しかし、一向にその兆しが見えません。近頃では、再び道州制や新たに大阪・愛知の都構想が叫ばれていますが、賛否両論。選挙対策にしか見えないことに加え、既存政党の反発が激しく実現の見通しも立っていないのが現状です。
 誰にでも分かることは、国と地方、県と市町村における、土木建設、医療、福祉などの二重行政。それでも既得権益のパワーは強く、とても国民のことを考えている政治とは思えません。
 政治がしなければならない本当の原点は、弱者と過疎地に目線を置くことのはず。そこを切り捨てるような行政は、効率しか考えないビジネスと同じにしか見えません。それでは、ますます大都会一極集中の国が加速するだけでしょう。
 最も小さな単位の行政に力を与えること。それこそが、この問題を解決する唯一の方法だと思うのですが、どうでしょう。つまりは、その地域のことをよく知り愛している人に任せるのです。どこに孤立した高齢者が住んでいて、何がこの地域を幸せにするのか。そんなことに目が届く人たちです。
 とはいえ、そういう発想はいまの政治家にはないでしょうね。だからこそ、有識者の間でも、政府に頼らない個人の生き方や、日本は政治に頼らない国などの意見が続出するのです。

政府に頼らず地方が生き残る方法

 では政府に頼らず、どうすれば地方は生き残れるのか。その答えの1つが、「B-1グランプリ」。ご存知のように、年々その人気は爆発し、5回目の昨年は46団体が参加、43万5000人の入場者を数えました。
 このB-1グランプリ。実は単なるブームではありませんでした。1人の地域を愛する男の戦略を見据えた戦術。八戸せんべい汁研究所所長木村聡さんの仕掛けだったのです。
 その木村さんにお話を伺う機会がありました。ひとりでマーケッター・PRマン・営業マンをこなしてしまう行動力にあふれた方でした。話していてもアイディアがポンポン飛び出してきます。
 でも、その原動力は何より青森・八戸を愛する気持ち。八戸の魅力を掘り起こし、それを伝えていきたい。そして、ひとりでもたくさんの人が八戸へやってきてほしい。その結果として、八戸が再び活気を取り戻し、住民に笑顔が溢れる町になる。そんなことを話す木村さんの顔には、情熱が満ちあふれていました。聞いているこっちまで、熱くなってきましたから。

何とかしたい気持ちが原動力

 その木村さんは、大学では農業を学んでいてPRやマーケティングとは全く無縁。しかも、Uターン組です。八戸を何とかしたいという気持ちが、あんなすごいムーブメントを起こすことができた理由でしょう。
 木村さんの「せんべい汁」とのきっかけは、東北新幹線八戸駅開業でした。その当時、市の第三セクター「八戸地域地場産業振興センター」に勤務していましたが、2002年にやってくる新幹線の目玉になるお土産をつくることが彼の仕事でした。
 ここまでは、どこの地方都市にでもあるお話。新しい交通やハコモノをきっかけにした、地方ブランドの売り込み。そのほとんどが、一瞬の大きな花火のように雲散霧消しているのです。
 それは、なぜか? 答えはいたってカンタン明瞭。ほとんどのケースがその地域からの一方的なPRに過ぎないからなのです。ときには、ほんとうに地元の人に愛されているかどうか疑わしいものまで露出している。この機会にとばかりに、無理矢理なPR。とにかく、マスコミが取り上げさえすれば人は来ると信じているのです。
 

PRの真価はニュースではなく、ブランド成長につなげていくこと

 残念ながら、全くそんなことはありません。PR過剰時代のいま、最も大事なことは、PRする相手である都会人やほかの地域の人の気持ちを理解すること。何が関心を引くか、何が彼らの空洞を満たすことができるか。そういう相手のココロを把握しなければ、うまくいくはずがありません。PRのことを話すと長くなるのでやめておきますが、PRの真価はマスコミに露出した後、そのニュースからブランド成長につなげていけるかどうかなのです。ところが、ほとんどのPRが露出で満足しているのです。これからのPRについては、また機会を見てお話しします。
 木村さんも、はじめは同じ動機だったでしょう。新幹線開業土産の開発。それでも、せんべい汁に行き着いたのは、木村さんの郷土愛。200年も前から食べられてきた郷土食をみんなに食べて欲しいという素朴な気持ちが、正しい選択をさせたのです。まさに、せんべい汁にとことん惚れ込んだからですね。
 ご存知のない方に、せんべい汁とは何を少しだけ。青森県八戸地方いわゆる南部は、以前は冷害が多く米作は不振でした。それを補うために小麦粉でつくったせんべいを代替食にすることもあったそうです。
 せんべい汁は、ダシ汁と具材の中にせんべいを食べやすく割って一緒に煮込む汁料理。せんべいにダシが染みこみ、アルデンテの固さで食べると絶品です。ちなみに汁用のせんべいはプレーンで、醤油などの味は一切ついていませんのでご想像のものとは全く違います。せんべい汁セットなどが販売されていますから、ぜひお試しください。
 木村さんがまず手をつけたのは、地元や県内の人へのアピール。足下から固めようという作戦です。それでも、味に自信を持つため、全国の人に試食調査。予算がありませんから自分の足でかせぎました。結果は、9割がおいしい、6割が買ってもいいというものでした。
 とりあえずの自信をつけた木村さんは、駅や市内での販売へ。2000個も行けばいいかなという予想をはるかに超えて4万個も売ることができました。問い合わせは、せんべい汁のことを知らない津軽の人にまで波及しました。
 普通ならこれで満足して、増産の結果、失敗というケースも多いでしょう。木村さんにとってこれはベース固めの実験のようなもの。目的はせんべい汁を売ることではありません。八戸を売ることがゴールなのですから迷いはありません。
 
次にやったことは、「八戸せんべい汁研究所」の設立。せんべい汁をフラッグシップにして、八戸を全国区にする。ですから、研究所にはせんべいの生産者や小売りの人は参加させませんでした。目的は販売ではなく、あくまで八戸のPRです。ですので、全員がボランティアによる参加。
 しかし、まだまだ地元の目は冷ややかでした。「だーも、せんべい汁たべるがー」(せんべい汁なんか誰も食べたがらないよ)という、「だー」の壁が立ちはだかっていたのです。
 その頃、出会ったのが、富士宮やきそばの人でした。全国には地元に愛される地元らしい食べ物があることに気づいたのです。しかし、その頃はまったく横の連携がない。これらを一堂に会することができれば、メディアを集めることができる。そういうアイディアが飛び出してきました。
 地元らしい料理、つまりB級グルメ。K-1、M-1ならぬ、B-1グランプリ。木村さんは、早速全国のB級グルメに呼びかけました。第1回開催は、八戸でと。しかし、1カ月経っても参加表明団体はゼロ。企画頓挫の危機に見舞われました。
 それでも、木村さんはめげませんでした。ならばと、熱い長い手紙を書いて再びチャレンジしたのです。「町おこしを自分たちの手で」という思いは各地の人たちに伝わりました。この情熱、郷土愛がすごい。私たちマーケティングに従事する者が忘れかけていることかもしれません。
 
そしてドキドキの開催日。入場者は予想をはるかに上回り、午前中だけで売り切れる店が続出。木村さんは、ハッキリと手応えを感じ、さらに行き先まで見据えることができました。
 その後、取材は殺到しB-1グランプリは注目の的。回数を重ねるごとに入場者、参加団体も増え、いまでは似たようなイベントまで人気を博しています。そして、B-1グランプリに参加した地域は軒並み売り上げ、旅行者アップ。まさに、万々歳の結果です。

一過性のブームにしない努力

 しかし、木村さんのゴールは八戸へ来てもらうこと。地元に来てもらい、地元らしいすばらしさを体験してほしいこと。つまり、多くの人がもっている旅へのイメージを変えることなのです。非日常を味わうことから普段着の心地よさを感じることへ。それこそが、地方の魅力をそのまま伝えることになり、長く愛されることになる。
 木村さんは、B-1グランプリの成功という一過性のブームには満足していません。次のターゲットを普段着の八戸の魅力にフォーカス。「朝市、朝風呂、屋台横町」という市民の楽しみを他県の人たちへアピール。この何でもない魅力が旅行者の心を捉え始め、リピーターが増えているそうです。
 
木村さんの戦術は着実に進んでいますが、これからが本当の勝負。空洞化した市街地に人を呼び戻すことができるか。そのハブとして2月にオープンしたのが、八戸ポータルミュージアム「はっち」。単なるハコモノに終わらず、八戸すべての魅力につながるハブに。その1つの試みが、アーティストが滞在しながら作品をつくれるレジデンスです。アートを町おこしに使っているところはたくさんありますが、こういうチャレンジは少ないようです。
 
木村さんのチャレンジは終わるところを知りません。ほんとうに、八戸が旅行者にとっても住民にとっても楽しいと思える町になる、その夢が実現する日まで。
 木村さんのお話を聞いていて、これこそが地方の復活の正しいあり方だと強く感じました。中央にとって都合のいい政策ではなく、その場所を愛している人が情熱を持って取り組んでいく。いちばん小さな単位でするからこそ、いちばん目が届く。まだまだ、地方にはエネルギーが沸々と沸き立っています。そういう人が日本にはたくさんいるに違いありません。
 そんな人たちが手を携えて行えば、間違いなく日本はまた素敵な国になるでしょう。一人ひとりが楽しく生きる地方から。マーケティングはその手助けをする。中央の論理に追随するマス的な視点ではなく、小さな視点を大きく見る。そうなれば、もっともっと楽しい仕事になりますね、これからのマーケティング。
2011年03月01日(火) 週刊現代
 
経済発展にともなって蓄えを得た中国人がいま、大量に渡日している。彼らの多くが棲み家として選ぶのが公団・公営住宅。団地を歩いて回ると、そこはまるでチャイナタウンのようになっていた。

「住民の4割が中国人です」

JR京葉線の稲毛海岸駅(千葉市)を降り3分ほど歩くと、広大な高層住宅街が目に飛び込んでくる。1970年代に住宅公団(現・都市再生機構)が開発した『高洲団地』で、賃貸住宅6000戸以上が所狭しと並んでいる。周囲にはイオンの大型スーパー、分譲マンションなどが建つ一大ニュータウンだ。
 この団地に住む中国人が急増していると聞き、昼下がりに訪れた。団地内に足を踏み入れるとさっそく、談笑している中国人女性2人組に出くわした。
 話しかけてみると、「安いし便利だから住んでいる」とのこと。家賃は3DKで約6万~7万円というから確かに安い。さらに「(団地に住む)中国人は多いですよ。旧正月の頃には中国人世帯だけが参加する集会なども開かれていますから」という。
 団地沿いの歩道を行くと、今度は自転車で併走している3組の女性が目に入る。耳を澄ますと中国語で会話をしている、また中国人だ。携帯電話を片手に中国語で話している住民もいる。訪れてから約30分、まだ日本人に出会っていない。
 団地内の地下から湧き出るという『高洲の名水』を汲んでいた住民に話しかけると、やっと日本人。この60代女性によると、「近くの分譲マンションは高いから中国人はいないらしいけど、こっち(賃貸)は増えるいっぽう。いまや高齢者と外国人ばかりです。民間の賃貸住宅と違い保証人は不要だし、敷金と礼金の負担もほとんどないから、借りやすいんでしょう」。
 近くにいた別の日本人のお年寄りによると、「中国人が増えたのはここ10年ぐらい。交流がないのではっきりとはわからないけれど、全体の1割以上はいるのでは」という。
 
何人かの住民の話を聞くうち、団地から300mほど離れた場所に中国物産店があることもわかった。地元住民によると「中国人しか行かない店」だという。約8畳大の店内をのぞくと、食材、調味料など100種類ほどの乾物が並ぶ。商品名や説明はすべて中国語で、日本語はまったく書かれていない。中国のドラマ、映画のビデオ(VHS)、CDや中国語の新聞も置かれている。この店が地域に住む中国人の食と情報を支えているようだ。
 さらに物産店の近くには中国人が経営する中華料理店もあった。昼時は過ぎているが、ラフなシャツを来た中国人男性2人が食事をしながら会話を楽しんでいた。さしずめ近隣中国人の社交場だろうか。団地住民によれば、この店に来た中国人が夜遅くまで騒いだため、周囲の住民から警察に苦情が寄せられ、深夜にパトカーが来たことが何度かあったという---。
 実はいま、このように「チャイナタウンと化した公営・公団住宅」が全国的に広がっている。本誌が外国人住民が多いとされる主だった公営・公団住宅に取材してみても、「約1500戸の賃貸住宅のうち、300戸以上を中国人世帯が利用しています」(千葉県船橋市の『行田団地』自治会)、「年々中国人は増えていて、いまでは団地の4割ほどは中国人世帯となっています」(埼玉県川口市の『芝園団地』自治会)といったところが続々と出てくる。
 中国人人口が5年前に比べて6割も増えたという長野県駒ケ根市でも「市営住宅に入居する中国人は多い。特に『馬見塚市営住宅』では5年前に全戸数の3分の1ほどが中国人世帯になっていた」(馬見塚市営住宅の住民)、埼玉県本庄市にある『県営本庄小島住宅』ではペルー人、ブラジル人、中国人などの外国人の割合が3割を超えているが、「特に最近は中国人が増えている。南米系の外国人が'08年からの不況で大量に工場を解雇になって祖国に帰ると、取って代わるように20代、30代の若い中国人が入ってきた」(県営本庄小島住宅の住民)というのだ。

口コミでどんどん集まる

 背景にあるのは、中国人の大量流入。法務省入国管理局の統計によれば、外国人登録した中国人は'09年末に68万人を超え、10年前の2倍以上に膨らんでいる。外国人登録者数では'07年に在日コリアンの数を抜いて以来、中国人が3年連続で最多である。
「日本に住む中国人が一番苦労するのは家探し。民間住宅は賃料が高いうえ、手ごろな物件があっても外国人を断るところがある。そのため、民間より家賃が安く、かつ在留資格などを満たせば外国人にも門戸が開かれている公営・公団が受け皿になる。いい団地があるという噂は口コミであっという間に広がり、続々と仲間の中国人が移り住んでくるのです」(全国のチャイナタウンを取材するノンフィクション作家の河添恵子氏)
 さらに公団・公営住宅側にはこんな事情がある。
「建物の老朽化、住民の高齢化が進んだ結果、〝空洞化〟が深刻な問題になっているところは多い。老人が白骨化して発見される孤独死の現場となることもあり、イメージが悪化、若者が離れていった。こうした事態を危惧した公団側は空室を埋めるために家賃を一定期間無料にするなど様々な対策を講じているほどで、外国人が来てくれることは渡りに船なんです」(住宅ジャーナリストの櫻井幸雄氏)
 
ただそうした中で、多くの団地で中国人と日本人住民の間でトラブルが顕在化しているのも事実。中国人世帯率が4割に届くという「日本一チャイナ化」した埼玉県芝園団地で住民に聞くと、その実態は想像以上に凄まじい。
 
JR蕨駅から歩くこと7~8分。1978年に建てられたこの団地は総戸数2454、1DKから3DKまでの部屋の家賃は5万2600円から11万5000円となっている。
 休日に訪れてみると、確かに中国人がたくさんいる。玄関前で中国語で談笑する「吉林省出身」の老人男性、娘を連れて歩く30代女性など年齢層も様々だ。
 20代の中国人男性に話を聞くと、「友人から聞いてここを知って、環境もいいので入居した。ただ人気で2ヵ月待ちでした」という。ほかにも日本語堪能な中国人が多く、いずれも主にIT関連企業に勤める20代の若者というのが特徴的だ。
 団地内の商店街と駅に向かう通りには1店舗ずつ中国雑貨店があり、「四川ザーサイ」といった中国産食料品や「日本新華僑報」など中国系新聞が販売されている。ここでもチャイナタウン化はかなり進んでいる。
 
一見すると静かで穏やかなニュータウンの団地。しかし日本人住民に話を聞くと、不満の声が多く聞かれる。中でも中国人住民の一番の問題は「ゴミ処理」にあるという。
「燃えるゴミも燃えないゴミも同じ袋に入れて出す。ゴミの分別をしないだけでなく、ゴミ出しの曜日も守らない。ゴミ捨て場ではないところに粗大ゴミが捨ててあることもあった。きちんとマナーを守って欲しいです!」
 50代の女性住民は困ったようにこう語る。ほかの団地でも「芝生にゴミ袋を投げ捨てていた」(千葉県松戸市『常盤平団地』の住民)とゴミ問題は深刻になっている。さらに芝園団地では、中国雑技団もビックリのこんな「空中芸」が飛び出したこともあったという。
「ベランダからゴミを放り出す人がいたんですよ。よく道路に唾も吐くし、なんでもポイポイ道に捨てるのは、中国では当たり前なんですかね? ほかにも上層階から投げ捨てられたタバコが、下層階の洗濯物を焦がしたこともありました」(40代の男性住民)

踊り場で放尿

 こうした事態を受けて、ゴミ捨て場や掲示板の注意書きに中国語が併記されるようになり、トラブルは少なくなってきているという。
 しかし、中国人の「マナーの悪さ」は変わらない。
 
「2DKの部屋に住んでいた中国人家族の部屋では、十数人の中国人が集まってよく夜中に酒を飲んで、騒いでいた。それだけでも嫌だったのに、その部屋が空いたときに清掃業者が入ると、部屋は土足で使われていて、畳の上まで泥だらけだったそうです。エレベーターの中や階段の踊り場で放尿する中国人が目撃されたり、時には汚物が発見されたこともありました。一体どういう衛生観念をしているのでしょうか」(70代の男性住民)
 ここまでくると文化の違いという言葉では片付けられない「奇行」としかいいようがない・・・。自治会では「まずは対話をしよう!」と決起、何度か中国人たちと交流して状況を改善しようと試みてきたが、これもうまくいっていない。大きな「コミュニケーションの壁」があるのだ。
「10階のベランダからゴミをポイ捨てする中国人を一度、注意したことがあるんです。でもそうしたら『ゴミを集めておカネをもらっているゴミ収集員がいるんだ。ゴミを集めるのは彼らの仕事だろ』と逆ギレされて・・・。次の言葉が出ませんでしたし、怖くなって、それからは声をかけられません」(60代の男性住民)
 自治会に加入する中国人もほとんどいないという。
「どうにか中国人住民と交流しようということで、公民館でスポーツ交流会を企画。一度は日本人チームと中国人チームで卓球の交流試合をやったんですが、それもいつしか立ち消えになった。最近も中国人のバドミントンチームに試合をやろうと声をかけたんですが、今度は参加もしてくれなかった」(自治会役員)
 どんどん増えていく中国人は身内でつるみ、日本人とは隔絶したコミュニティを作っていく。そのため「どんな人が近くに住んでいるのかわからず、気味が悪い」と感じる住民も少なくない。昨年には、「外国人排斥」を訴える市民団体が団地に押しかけ、デモ活動を行う事態まで起きた。中国の雑貨店を前に、「中国人は出て行け!」のシュプレヒコールが団地に鳴り響いたという。団地内で商店を営む男性は嘆く。
「客の中国人は『本国では芝園は有名になっている』と言っていた。これからも口コミで広がって、芝園団地に中国人たちが押し寄せるでしょうね。団地の運営サイドにはこれ以上中国人を増やさないでくれと頼んでいますが、曖昧な対応ばかり。そのうち100%中国人になってしまうんじゃないでしょうか」

中国語の回覧板?

 こうした声は多くの団地で聞こえてくる。ただ公営住宅を運営する自治体側も指をくわえて黙っていたわけではない。最近では自治体が「強硬策」に出るところも出てきた。
 現場となっているのは福井県庁から約4km、新興住宅地として栄える地区に建つ『東安居団地』だ。この市営住宅は県内で外国人入居者数が最も多い団地として知られ、福井市住宅政策課によれば、328戸世帯のうち外国人世帯が約1割、中でも最も多いのが中国人世帯だという。ここでもご多分に漏れず、中国人住民とのトラブルが起きていた。
「そこで市側は、公営住宅の入居基準に『日本語での日常会話の能力が不十分な外国人の入居を拒否する』という旨の内規を設けたんです。要するに日本語が話せない人には住まわせないということ。これに対して外国人を支援する団体などから『人権を無視している』と抗議が出ている。ただ地元住民からは『市の対応を支持する』という賛成意見が多数寄せられているんです」(全国紙記者)
 
かつて滋賀県の県営住宅でも日本語ができない外国人を入居制限したことがあった。同様に豊田市では空室より少ない募集しか出さず実質的に入居制限したという事例もある。
 福井ではいまも反対運動が展開されているが、あくまで市側は「住民から外国人との関わりについて様々な意見があり、特に防災や安全にかかわる情報の共有をどうするかという点で問題が生じていると判断。回覧板を外国語にするなどの対応は予算等の関係で実施できる見込みがないので、日常会話が不十分な外国人の入居は難しいと内規を設けた」(福井市住宅政策課)と語り、内規撤廃には否定的な態度を貫く。
「東京随一のチャイナタウンが形成されている池袋では、'08年に中国人の民間団体が『東京中華街構想』をぶち上げた。神戸や横浜のような中華街を池袋駅を中心に作ろうというものだったが、これは地元商店街から『地元商店会に入るのが先だろう』『中国マフィアが入ってきたらどうするのか』などと猛烈な反対にあった」(池袋の商店街店主)
 中国人との共生は簡単なことではないのだ。ただ放っておいても、中国人は増えていく。自治体や地元が反対しても、チャイナタウンは全国的に広がっていくだろう。『中国に人民元はない』などの著作があり、中国事情に詳しいビジネス・ブレークスルー大学(通信制)教授の田代秀敏氏はこう指摘する。
「人口減と高齢化で経済が疲弊している地域は、『中国人移民』の活用が必須です。しかし、中国人が集住するとその地域に中国系のスーパーや雑貨店ができ、その商品を求めて中国人がさらに集まり、やがてチャイナタウン化する。アメリカが一つの人種や民族が偏らないようにする移民政策を採っているように、日本も地域別、団地別に中国人の割合に上限を設け、彼らの日本化を図るべきでしょう」
 入郷随俗(郷に入れば郷に従え)---。中国人にはまず、この言葉を肝に銘じて欲しい。
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