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平成22年 第12回「米・食味分析鑑定コンクール:国際大会」(松江市)有機栽培・JAS認定部門で特別優秀賞を受賞。(食味90・味度83・計173点) 平成25年、第15回魚沼と第16回北京開催運動中! 無農薬魚沼産コシヒカリ生産農家・理想の稲作技術『CO2削減農法』 http://www.uonumakoshihikari.com/
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中国人研修生が姿を消す日は近い !
 
2011年3月3日DIAMOND online  莫邦富
 
 日本の外国人研修制度は、アジアの国々に日本の進んだ技術を勉強させるという大義名分のもとで進められる。先進国の日本のアジアに対する貢献の一環のように見せているが、実は外国人の労働力の導入を拒絶しながら、生身の外国人に労働者としての権利を与えず、ただその労働価値を労基法に決められた最低賃金を大きく下回る形で貪っている。これが1998年、取材の関係で偶然に知った日本の外国人研修生の現場の実態である。
 いまや外国人研修生たちは日本の農業、アパレル、製造業などの産業で中小企業の日常運営を支える労働力の重要な構成要素となり、その中で中国人研修生が大半をなしている。1998年外国人研修生問題の報道に携わった関係で、外国人研修生現場の目を覆いたくなるような人権侵害問題、搾取問題にジャーナリストとしてずっと関心をもってきた。しかし数年前から、この問題に対する関心の度合いが次第に下がってきた。日本が外国人研修生制度の問題点を改善するかどうかとは関係なく、数年のうちに中国人研修生は日本に来なくなるだろうと思ったからだ。
 1990年代に日本を震撼させた中国人の相次ぐ密航事件を思い起こしてほしい。当時、ベトナム難民を装って日本にやってくる輩がいたし、貨物船のコンテナに身を隠して日本への入国を企む集団もいた。おかげで中国人密航現場の実情を描いた拙著『蛇頭』は売れた。多い時は、私のところに取材に来たテレビ局が1日で9局あった。朝から夕方まで取材に追われ、お昼を食べる時間はもちろん、トイレに行く暇もなかった。蛇頭はこうして日本語として定着した。
 だが今では、あれほど売れた『蛇頭』はすでに絶版となった。日本に大群をなして押しかけてくるのは、密航者ではなく、大金を日本に落としに来る観光客に変わった。
 中国人研修生もまた、90年代の密航者と同じようにやがて日本に来なくなる。その日が訪れるのはおそらく今から3、4年後の2014年、15年頃になるだろうと思う。
 
今年の春節(旧正月)を挟んで中国各地で起きた労働者争奪戦を見て、私は自分の予測にさらに自信をもった。
 中国各地で繰り広げられる労働力争奪戦の過激ぶりを報道したニュースを先週読んだ。労働力争奪戦のいっそうの過激化を暗示するその内容に驚きを覚えた。
 
 天津市西青区は春節がまだ終わらぬうちに「24時間就職マンション」を設け、入居を申し込んだ地方の労働者に対して、気に入った仕事が見つかるまで無料での居住を許可し、そればかりではなく食事も仕事のあっせんも就職に必要なトレーニングも無料で提供するとした。
 広告を見てマンションに入居した若者はチェックインを済ませると、すぐに求職登録の手続きをして、翌日朝から企業の面接を受ける。ただで食べた朝食は結局1回だけという人がほとんどだそうだ。仕事を探し求める労働者がこのマンションに集まってくることを知り、企業もこのマンションに求人担当者を派遣し、我先にと労働者を確保する。
 この人々の意表をつく「24時間就職マンション」はまさに日を追って激しさを増してきた労働力争奪戦の落とし子だと見ていいだろう。実は、労働力の確保の困難さを見て、天津市西青区が仕事を探し求める労働者と求人に焦る企業側に交流のプラットホームを提供しようとして、就職トレーニングセンターを臨時に「24時間就職マンション」に仕立てたのである。
 
やる以上は、目立つようにすれば効果的だと思い、食事の無料提供にも踏み切った。こうしてメディアの注目を浴び、狙い通り24時間就職マンションが広告塔となって、毎日多くの労働者が訪れ、多い日には200人が入居の申し込みをした。こうして地元の企業の労働者確保に一助を提供したこととなった。
 この24時間就職マンションは中国版の派遣村と見ていいのでは、とも思ったが、一番の大きな違いは24時間就職マンションの方では仕事が入居者を待っていることであろう。日本の派遣村に漂うあの悲壮感や絶望感は24時間就職マンションにはない。
 ただ、天津市西青区のやり方はすぐにほかの地方にも真似されてしまうだろう。西青区も今の成功にあぐらをかくことはできない。他の競争相手を制する労働者確保の奇策をこれからも練らなければならない。中国の労働力市場はこれからますますドラマチックになっていく。その競争劇はいろいろなヒントをくれる。
 目を日本国内に移すと、外国人研修生制度がいつまで続くかは分からないが、中国人研修生に限って言えば、そう遠くない将来に、引き潮のように消えてしまったあの密航者の大群と同じように日本から引いていくだろう。
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2011年3月3日 DIAMOND online 安藤茂彌
 
 日本の財政破綻を懸念する声が海外でめっきり増えてきた。財政破綻とは日本政府が国債(すなわち借金)を返済できなくなることである。何しろ日本の国債発行残高はGDPに比較して断トツの世界一なのだ。
 
昨年5月に財政破綻したギリシャより大きいのだ。だが日本政府は「大丈夫だ」と言い続けてきた。理由は二つある。日本国債の保有者の96%は日本の投資家だからだ。日本の投資家は日本の金融機関、ゆうちょ銀行、年金基金等である。我々が銀行に預けた預金は、銀行が日本国債を購入することで間接的に国債を保有していることになる。
 もう一つの理由は、日本の貯蓄は1400兆円もあり、国債発行残高943兆円はその範囲内に収まるからだ。
 それはその通りと思う。だがこの状況をいつまで続けられるのか。2011年度の予算を見てみよう。税収は41兆円しかないのに、歳出は97兆円に達する。不足分を補うために44兆円の国債を発行するという。
 歳出の大きな項目は社会保障関係費28兆円だ。老齢人口が増えれば年金の支払いも増えるし、健康保険の支払いも増える。介護の国庫負担もこれから大きな支出項目となろう。今年からベビーブーマーが65歳になる。社会保障関係の支出はこれから毎年増加の一途を辿る。こうした支出を上回って税収が増えなければ、不足分は国債発行に頼らざるを得なくなる。
 これを支える貯蓄1400兆円についても今後増える見通しは立てにくい。日本は経済停滞が続き、日本人の所得は伸びていない。生活が苦しくなれば貯金を払い出さざるを得ない。1400兆円は減少する可能性が高い。そう遠くない将来に、国債発行残高が国民貯蓄を上回る時が来る。その時には外国に借金をせざるを得なくなる。
 
今年1月27日に米国の格付け機関スタンダード・アンド・プアーズ社が、日本国債の格付けをAAからAAマイナスに格下げした。上から3番目であったのを4番目に順位を下げたのである。その理由は、日本は自らの意思で財政を立て直す意思(財政規律)があるのかについて疑問が出てきたからである。
 IMFは、「日本の国債残高は2015年に国民貯蓄を上回る」と試算している(英エコノミスト誌の報道)。その根拠は早いピッチの国債の発行と貯蓄の減少見通しにある。10年前の国債発行残高は389兆円だった。それが2011年度には943兆円になる。この10年間で毎年55兆円ずつ国債残高を増やしてきたことになる。
 貯蓄超過分は450兆円あるから単純計算すると8年間ぐらいは食い繋げる。さらに日本は経常収支黒字国であるから、これは貯蓄増加要因になる。昨年の黒字は17兆円であった。為替が円安に動けば、黒字はもっと増える可能性がある。だがIMFは、国民が貧しくなれば貯蓄率は下がり450兆円は減ると見ている。
 では諸外国に安心してもらうようにするには、どうすればよいのだ。国債発行に頼らなくても済むように、厳しい財政規律を導入するしかない。それには税収を上げ、支出を抑えるしかない。
 まず税率を引き上げるのである。日本の税率を諸外国との比較で見てみると、GDPに占める税収の比率はOECD諸国の中で最も低い。だが、その内訳を見ると法人税率は最も高く、消費税率は最も低い。現在の消費税5%はOECD諸国の中で最も低いのである。欧州の付加価値税はすでに20%になっているし、米国では9%前後の売上税が課されている。
 ちなみに、現在の消費税5%を10%にすると10兆円の税収増になる。20%に増やすと30兆円の税収増になる。それでもまだ国債を減らすことはできない。国債残高を現状水準で止めるには27%の消費税導入が必要である。子ども手当などをばら撒いておれる状況には全くないのである。
 支出を抑えるのは至難な業である。とりわけ難しいのは社会保障費の取り扱いである。日本は人口の老齢化が世界で最も早く到来する国である。日本より老齢化が遅れる欧州諸国は自国の将来を考え、着々と対策を講じている。年金支給開始年齢の引き上げ、公務員と民間との年金格差是正、高額所得者への支給額カット等である。
 
日本では消費税の10%への引き上げですらできていない。年金改革は議論すら始まっていない。改革を実施すれば国民の一部で既得権の剥奪が生じるのは避けられない。悪者になった政党は選挙に負ける。政党は自分の身可愛さに、国民に心地の悪いことは発言しない。だが、政党の思惑とは別に世界が日本を見る目は日増しに厳しくなっている。
 貯蓄を食い潰した時の資金調達は日本に不利になる。日本国債の平均利回りは現在1.7%程度と低利であるが、日本政府が外債を発行しようとすれば海外の投資家は高い利回りを要求してくるだろう。
 格付けで見ると、米国債はAAAで日本国債はAA-である。格付けの高い国は低金利で発行できるが、格付けの低い国は高金利で発行せざるを得ない。米国債の利回りは3.8%程度である。米国債より信用度の低い日本国債がそれ以上の金利を要求されても不思議ではない。国債の利払い費は現在でも10兆円に達する。3倍の利回りを要求されると一気に30兆円に膨らむ。
 どの水準の金利になるかはヘッジファンドが決めるだろう。「日本は危ない国だ」というレッテルを貼られると、ヘッジファンドがクレジット・デフォルト・スワップを使って、日本国債の価格を下落させ、金利を上昇させる。日本政府に金利の決定権はない。
 国債価格の下落は日本の金融機関の体力を弱める。国債価格が下落したら日本の金融機関は評価損を立てざるを得なくなるし、赤字に転落すれば国際的な金融機関規制であるBIS規制で自己資本を積み増さざるを得なくなる。体力の弱い地方金融機関から危機に陥っていく。だが日本政府には銀行救済に投入できる公的資金はない。
 
もう一つの問題はどの国が日本を助けてくれるかである。米国は自国の財政をバランスさせるのに精一杯である。欧州も域内問題国の救済で忙しい。IMFは日本のような大国が倒産するのを前提としていない。救済するには日本の負債額が余りに大き過ぎるのである。海外メディアは日本を救済できるのは中国以外にないとみる。中国の外貨保有額は240兆円もあるからだ。だが中国が実際に日本を助けてくれるかは大きな未知数だ。
 日本政府が立ち往生しているときに、ヘッジファンドは益々「日本売り」を加速させるだろう。日本発の金融危機が世界を揺るがすかもしれない。日本の財政収支を安定させるために諸外国は自国の繁栄を犠牲にして巨額な資金を日本の救済に注ぎ込まなければならなくなるからだ。世界は日本政府と日本人の「無策」「無責任」を容赦なく叩いてくるだろう。
 日本はいま来年度予算編成の時期にある。だが、根本的な日本の問題に向き合った議論は全くない。与党は小沢問題でガタガタしているし、野党は政権交代させることしか頭にない。日本の将来に向けた議論はせずに、政党間の足の引っ張り合いだけに終始している。
 いま日本政府がすべきことは、世界に向かって「日本は大丈夫です」、「日本政府は自国の問題を自分たち自身で解決できます」というメッセージを発することである。それには諸外国が取り組んでいるように、今すぐに「財政規律」を導入し、国債削減の時期と金額を明確な政策目標にするしかない。しかし、日本の政治家はこれができるのか。日本人が個々の既得権を捨てて、いま以上に耐え忍ぶことができるのか。
 日本人は太平洋戦争の終結を最後の最後まで引き伸ばし、原爆を浴びた。戦後の復興は米国主導で行われた。過去70年間に、日本人には自国の命運を左右する大問題を自らの手で解決した実績がない。「日本の倒産」を日本人自らの政治的意思で未然に防ぐことができるのか。それともまた重大な決断を「外圧」に委ねるのか。いま日本が世界から問われているのは、日本人の「政治的成熟度」すなわち「民度」であるように思われる。
2011.03.03(Thu) JBプレス 古森義久
 
  中東の政治の激変が米中関係に意外な影響を及ぼしている。
 中東ではチュニジアエジプトバーレーン、そしてリビアと、国民の広い層が現政権に反旗をひるがえした。国により程度の差はあろうが、「民主化」への動きと呼べるだろう。
 米国ではオバマ政権をはじめ、超党派で官民を挙げてその民主化運動への賛意を表明した。オバマ大統領はエジプトのムバラク政権に対して、「民主化のための即時辞任」をも訴えた。
 しかし、中国の態度は対照的だった。中国政府は中東での民主化の動きに関する国内での報道を大幅に規制した。国内で民主化運動もどきの集会や討論を開くことも改めて厳しく禁じた。さらに中国政府は、インターネット上で、中東の騒動と関連させて民主主義や自由、人権などについて議論することも厳重に抑圧するようになった。
 米国では中国のこうした民主主義抑圧の態度を見て、対中関係のあり方に再度、目覚めたような警告を発する向きが出てきたのだ。

改めて浮き彫りになった中国の異質性

 保守派のラジオ政治トークショーの論客として知られるラッシュ・リムボウ氏は、オバマ大統領のムバラク大統領への辞任要求について、再三、批判的な論評を述べてきた。ちなみにリムボウ氏がラジオで行っている政治評論は、毎週平均数千万人という全米第一の聴取者数を誇る。
 
 リムボウ氏は聴取者に次のように訴えかける。
 「オバマ大統領が、米国の長年の盟友で中東の安定に寄与したエジプトのムバラク大統領に、民主主義的ではないという理由で即時辞任を求めるならば、なぜ、中国の独裁政権の胡錦濤主席に辞任を求めないのか」
 
中東の政変のキーワードが「民主主義」であることは間違いない。「民主主義」という規範が提起されれば、「では民主主義を抑圧する一党独裁の中国はどうなのか」という疑問が連想されるのは当然だろう、というわけだ。
 現実問題として、核兵器保有の軍事大国であり、経済、金融の最大の取引相手の経済大国である中国に向かって、米国がその国家元首に辞任を求められるはずはない。この論評には、もちろん事態を単純化した政治トークの要因も含まれてはいる。
 だが、こうした見方はリムボウ氏だけにとどまらない。米国では、中国当局の中東情勢への反応を見て、中国という国家の異質性を改めて認識し、米国の対中政策もそれに合わせて、もっと厳しく現実的に進めるべきだ、と警告する声がより広範に出てきた。
 大手研究機関のヘリテージ財団の中国専門家、ディーン・チェン氏は、次のような趣旨の見解を2月25日に発表した。
 「中東で民主化を求める各国の動きを見て、中国当局も自国をいくらかは民主的にすべきだと思うだろう、などというのは、まったく楽観的な見方にすぎない。
 現実には、中国当局は中東情勢を自国民に知らせないよう必死に情報規制を始めている。インターネットの検索サイトでは『エジプト』という言葉をも禁じてしまったほどだ。
 中国共産党指導部が中東での激変から学ぶことといえば、自らの権力を保つために国内の規制をさらに厳重にすることだろう」
 チェン氏は、中国は中東の民主化の動きを強く警戒し、反発し、自国の非民主的な体制をさらに強化するだろう、というのである。

「中国の『激変』の日に備えよ」

 中国のこうした態度は、米国の対中認識を変えることともなる。
 
2月23日、その点を短刀直入に指摘した小論文が発表された。筆者は、ワシントンのもう1つの大手研究機関AEIの中国専門のダン・ブルーメンソール研究員だ。ブッシュ政権で国防総省の中国部長を務めた人物である。
 ブルーメンソール氏は小論文でこう記す。
 「中東情勢に対して中国が示した態度は、中国が国際的な指導力を持ち得ないことを証明した。
 中国当局は中東激変という大騒乱に対して、国際的なリーダーシップを発揮して現地の情勢安定などに寄与するどころか、ひたすら民主化の拡大の自国への余波を恐れて、国内での情報統制やデモ抑圧に走り、肝心の中東激変については沈黙を保ったままである。中国指導部は黙ったまま万里の長城の陰に隠れてしまったのだ。
 これで、米国と中国が世界の主要課題に共同で取り組む『G2論』などというのは、撤回されるべきものであることが立証された」
 この小論文は、「中東の異変は、中国について私たちに何を告げるか」と題されていた。中東情勢に反応する中国の様子を見て、米国の中国観を修正すべきだというのである。
 ブルーメンソール氏は結論として次の2点を挙げていた。
 「中東の激変は、中国について2つの重要な事実を私たちに教えてくれた。第1に、中国がグローバルなリーダーシップをまもなく揮(ふる)うようになるという主張は、まったくの誇張だったということである。第2に、米国は中国の激変の日にも備えておくべきだということである」
 つまりは、中国は国際的なリーダーシップなど揮えはしない。中国自体も中東諸国のような内部からの突き上げの日に直面するかもしれないから、米国はそんな事態に備える準備もしておくべきだ、というのだった。
 中国に対するこうした厳しい見方が米国に生まれてきた現実を知ることは、日本にとっても対中政策の形成その他に有益な指針となるだろう。
4 NCOの課題
 さてNCOが提唱されて10年以上が過ぎ、実際の運用をこなした結果、軍事作戦において新たな世界を照らす輝かしい光のみだけではなく、影もあることが分かってきた。
 
(1) 共同作戦のジレンマ
―― 相互運用性(インターオペラビリティ)の確保の課題 ――
 
国家相互の結びつきが格段に増しグローバル化された今の国際環境下では、多くの場合同盟軍、連合軍、多国籍軍など、複数の国の軍が共同作戦を展開することが常態になっている。
 これまでは、共同作戦の訓練を積み、意思疎通を十分図った同盟国との連合作戦が主体であった。
 ところが最近では同盟関係にある国々のみならず、その地域内の国や、さらには世界中からいろいろな国が手を挙げてアドホックで一時的に連合作戦に参加することが多くなっている。
 軍事作戦のみならず安定・復興作戦や国際緊急援助活動などでも様々な国がともに汗を流す。
 この際、参加国は自分たちのシステムやネットワークを携えてやって来るが、しかしまた互いの意思疎通を図る手段を確保することも意思疎通を十分図り作戦を円滑に進めるためには不可欠の要素である。
 この場合、共通のシステム、共通のネットワークを利用することが必要になり、それによって情報の共有、思想統一が可能になってくる。例えば同一のGPSを利用すれば、位置情報や時刻規制などが相関誤差なく行え、各種偵察情報の交換などもスムーズにいく。
 このためにはシステムインフラ間のインターオペラビリティ を確保することになる。しかし、このインターオペラビリティの確保と維持はそうたやすいことではない。
 例えば構成国の1つがシステムのアップグレードやバージョンの更新をすれば、それへの対応を余儀なくされる。
 旧来のまま、陳腐化したシステムにわざわざ頼ることはないが、新バージョンへの対応経費、システム接続のやり直し、兵員の訓練・慣熟、初期段階で当然に発生するバグへの対応など常にリスクが存在する。
 さらには各国、各企業の技術保全(テクノロジーセキュリティー)や技術公開制限の壁が立ちふさがることもしばしばである。このような状態では、運用するシステム内にブラックボックスが多く、兵器として使いづらい、壊れても修理できない状態になりかねない。
 このため、共同作戦を取るであろう国々とは、平素から共通的なネットワーク構成やインターオペラビリティ確保に関する調整など様々な工夫が必要になる。そして共通部分に関しては相互の形態管理に係る枠組みをつくり、定期的に調整を図るなどの継続的な努力が求められる。
(2) ネットワークへの新たな脅威
―― サイバー戦等新たな脅威からの脆弱性 ――
 現代の作戦環境では、NCOに大きな影響を与えるいくつかの新しい脅威が出現している。
 例えばその第1は、近年富に発達しているサイバー戦である。情報を統括し、指揮中枢などを構成するコンピューター、そして神経系統とも擬されるネットワークにソフト・ハードにわたる攻撃を仕かけるサイバー攻撃は、そのシステムにマヒ、誤作動、データ改竄、なりすまし、物理的破壊などを引き起こす。
 サイバー戦は、平時有事を問わず絶えず行われており、その攻撃元を特定することが困難なこと、国家などが関与する組織的なものか個人的犯罪なのか判別が難しいことなどから対処が難しい分野である。
 しかも被害を受けた場合、軍事・民生いずれの部門によらず深刻な被害が発生する危険性があり、国家の安全保障上深刻なダメージを受ける。
 第2は、ネットワークセントリック電子戦(NCEW)である。
 コンピューターをはじめとする電子機器がネットワークシステムに限らずあらゆる装備品で中心的かつ重要な役割を果たしている現代、妨害(ジャミング)、欺瞞、なりすましなどを用いて電子機器を麻痺、破壊するネットワークセントリック電子戦(NCEW)は強力な攻撃手段となる。
 このような脅威に対処するには、個々の兵器に組み込まれた電子関連機器はもとより、C4ISRシステム(Command Control Communication Computer Intelligence Surveillance Reconnaissance system)に関するシステムやネットワーク全体の抗たん性や冗長性の強化に常に気を配り、敵の攻撃を回避し、あるいは受けても重大な影響が出ないように配慮されていなければならない。
 効果的な能動及び受動的対策を講じ敵の攻撃の結果受けたいかなる損失も速やかに取り替え、回復することができる能力を維持する必要がある。
 とはいえ、これらに完全に対処しきることは難しい。
 まず何を防護しなければならないのか、それはなぜなのかを検討し、優先度をつけることが求められる。そしてシステムの物理的分散、ノードレスのネットワーク、攻防にわたるサイバー戦能力、暗号化されたデジタル通信などの手段を尽くすべきである。
 併せてこの分野は技術革新が激しく、半年もすれば陳腐化し、レガシーな方策となってしまい、常に新たな対策が求められる分野である。このような状況に追随するためには、何にも増して感性鋭い優秀な人材の登用に意を配る必要がある。
(3) 情報の飽和
―― 便利さゆえの新たな課題 ――
 情報の流れがネットワーク化されると、軍の組織では恒常的に行われる指揮と報告という縦関係での流れのみならず、すべての情報ユーザーが自分の任務遂行に必要な要求を出し、必要な情報を取得できるという、いわば横方向の流れも加わるようになる。
 このように縦横に膨大な情報の流れができる結果、情報量が過多になり、それはシステムに負担をかけるとともに、指揮官から一兵士に至る情報ユーザーに混乱を与える恐れが大きい。
このいわば「情報の飽和」状態の中では、第1に上級指揮官による下級指揮官への過干渉や下級指揮官による上級指揮官への過依存といった状態が生じやすい。
 それぞれが判断するに十分以上の情報を与えられるため、各レベルの責任範囲を超えた干渉や依存が可能となり、やってしまいがちになる。
 第2に、戦場の最前線にある兵士たちは、「情報の洪水」の中から自分たちの任務遂行に真に必要な情報を選択して拾い上げなければならない。
 苛酷な作戦環境の中で個々の兵士にこれまで以上の責任が付与され、適切な判断をしかも短時間の中で求められることになり、彼らの負担は倍増する。最近戦場に出た兵士が心理的な傷を負うケースが多いのも、この辺に一因があるとも考えられる。
 NCOに付随して発生するこのような問題を解決するには、根本的には、NCO環境下で求められる新しい指揮のスタイルや軍事組織を追求することが必要になる。
 しかしそのような体制の変革は一朝一夕でできるものでもなく、それよりも技術革新によってシステムや装備の方が先行しているのが現状である。当面、このような状況に対応するには、情報管理をしっかりした方針の下に厳密に行うことが重要である。
 クリティカルな情報に関して、何の情報を、いつどのような頻度で、誰に、どのような形で提供するのかをよく整理し、規定することである。そして絶えずレビューし、更新し、試行錯誤を繰り返し、いわゆる「システムを育てる」という考え方を持つ必要がある。
 
5 まとめに代えて
 
ネットワークを運用すると、相反する要求に立ち竦むことが多い。
 すべての関係者にアクセスを許容すべきか、あるいは一定の枠をはめアクセスを制限すべきであろうか?
 自由なアクセスにより情報の共有は万遍なく行き渡りネットワーク化のメリットを高めるものの、時には混乱が生じ、あるいは敵にさえ門戸を開いてしまう。
 ネットに載せるデータも、処理しない生のままのデータがいいのか、あるいは一定の処理を施したデータが好ましいのか?
 生データは客観的で何より事実を物語ってはいるものの、そこに含まれる意味を見落とす恐れがあり、また受け取る人により判断が異なる可能性もある。処理されたデータは分かりやすいものの、緊要な情報を切り捨ててしまっていたり視点を固定させる恐れがある。
 あるいは、柔軟な運用ができるであろうことを期待して極力多くのデータを提供するのか、あるいは情報保全を重視して「ニーズ・ツー・ノウ」、すなわち必要な人のところに限って必要な情報を届けることを原則とするのかで対立する。
 技術的には、軍事面の基準を適用すべきか、あるいは最近の民生技術を反映して民需基準を当てはめるべきかという問題もある。
 インターオペラビリティを確保しようという課題についても同様のことが言える。インターオペラビリティを完璧に確保するためには多くのマイナス面に目をつぶらねばならず、また独自のシステムだけでは円滑な共同作戦は期待できない。
 これらには決して正解はない。いろいろな要素が絡んで常に変化している。我々は自らの基準をしっかり持ち、現状で最適のバランス点を見つけていかねばならない。
 この際に肝要なことは、NCOの基本である運用の柔軟性と速度の優越、そしてその結果として主動の確保を得ることがどの程度できるかの見極めである。
 バランスが崩れるとトラブルが生じ、危機に陥りかねない。これをネットワークの構成などシステムのせいにすることはたやすいが、その真因は多くの場合システムにはなく、その運用、そしてバランスの取り方にある。
 大海原で大波に逆らうことなく、うまく波に乗り、むしろそれを利用するように、事態に柔軟に対応し、適切なバランスを確保してこそNCOの目指すメリットを存分に生かすことができる。
 過去の基準などに固執することなく、先を読み柔軟に対応すること、むしろNCOでは「変化こそ基本」とも言えるであろう。
 NCOには大きなメリットとともに、無視できないデメリットや課題も明らかになってきている。さらにはNCOを活用する作戦の場の変化も激しい。
 このような問題に眼をそむけることなく、柔軟な発想を持って適切に対応し、課題をクリアしていく絶え間ない努力が必要になってくる。
 最後に我が国の防衛分野に関して付言すると、現状はNCOを行うための体制整備を統合レベルでスタートさせた段階であり、まだまだ整備途上にある。そしてその動きはあまりにも遅い。
 年々縮減される防衛予算のありようでは、このような整備にまで手が回らないのが実態である。ここで指摘したような課題に対処する以前に、諸外国の流れにはるかに取り残されつつあるのが懸念される。

急速に進歩しているNCO、対応遅れは致命傷に

2011.03.03(Thu) JBプレス 小川剛義
 
1 はじめに
昨今の軍事作戦において、ネットワーク中心の作戦(NCO:Network Centric Operation)の重要性が叫ばれ始めて久しい。
 
 NCOとは、端的に表現するならば、多くの兵器システムを通信ネットワークで結び、連係させることにより、部隊の作戦能力を高め、敵に対して自分の意図通りにできる主動の地位を得ようとするものである。
 冷戦後期、まだNCOという言葉もネットワークという概念すら十分に確立していたとは言えない時代に、既にソ連では来るべき新しい時代の予兆に脅えていたことを、ジョンズ・ホプキンス大学(SAIS)教授で戦略学の大家エリオット・コーエンは次のように述べている。
 「冷戦時代も後期、1980年代に入り、ソ連の軍事専門家たちは軍事技術、特にコンピューターや通信技術の発達によって、ソ連自慢の装甲部隊の移動が数百マイルも離れた地点から探知され、探知後30分もたたぬうちに自動制御装置を備えた対戦車ミサイルに次々と襲いかかられることになると懸念し始めていた」
 「このことは当時、ソ連が西ヨーロッパで戦争が起きた場合に考えていた戦略、つまり大規模な装甲部隊を西ヨーロッパに押し出していく戦略の破滅を意味していた。さらにソ連は当時満足のいくパソコンを国内で製造する技術を持っておらず、情報技術に先導される米国との軍拡レースについていけなくなると考えていた」
 
冷戦の崩壊は、ソ連の経済的破綻、グラスノスチに代表される情報の自由化政策による情報化社会の浸透、米国の戦略防衛構想(SDI)、西側諸国の結束など多くの要因に基づくが、やがてNCOにたどり着くこのようなソ連の懸念も一因と考えられている。
 そしてこの軍事情報技術の革新的発達に基づく作戦形態の変化は、1990年代の幾多の構想や議論を経てNCOと呼ばれるに至った。
 それは、今では単に技術革新による兵器体系への影響にとどまらず作戦形態を大きく変化させ、軍の戦力構造や組織編成、運用ドクトリンや作戦構想、兵員の教育や訓練も変えていくものとの認識が一般的である。
 
2 NCOの意義
 
NCOは、工業化社会から情報化社会に推移していった結果の産物であるとも言えよう。
 工業化社会の時代、力の源は「量」であった。大量生産によって生み出された量が相手を圧倒してきた。
 ところが、情報化社会となった現代における力は「速度」である。変化への適応の早さ、いち早く情報を把握して競争相手より先に対応すること、などにより主動の地位を確保し競争相手より優位に立つ。
 つまり、工業化社会から情報化社会へのドラマティックなシフトに伴い、量や質が優位性を左右した時代から、速度や変化への適応力が力として認識される時代に移行した。
 軍事分野でも同様で、個々の兵器の量や質を問うプラットフォーム中心の世界から、プラットフォームをネットワークで連接するネットワーク重視の世界に移行することにより、情報の幅と量を拡大し、伝達速度を高め、アクセス可能な範囲を増やせるようになった。
 それによって力がフィードバックされ、各プラットフォームの能力を高めることができるようになった。
 NCOでは情報がこれまでのように指揮官と部隊の間で組織の「タテ」方向に流れるのみならず、網の目のように「ヨコ」方向にも行き渡るため、分散した部隊間で情報が共有され、あらゆる部隊が斉一でタイムリーに作戦行動に加わることができるようになる。
 さらに、タイムセンシティブな情報を素早く共有することができるため、指揮がスピードアップし、作戦テンポが速まり、作戦の有効性を速やかに修正しながら迅速にかつ敵に先行して多様な対応を採ることができる。
 その結果、孫子の昔から強調されていた戦いの原則である「要時・要点に戦力を迅速に集中」させ、あるいは「敵の動きの機先を制して先行的に行動し、主動の地位を確保」して、戦いで優位な地位を占めることができる。
 
3 NCOの有効性
 
 例えば、ある戦域に敵と味方の戦力が向き合っているとしよう。双方とも偵察を繰り返し、我の戦力を集中したり分散させて戦機を狙い、自分に有利な態勢に持ち込もうとしている。
 この際、NCOの概念を取り込んでいる側は、あらゆるセンサーを動員して広く戦域を監視、偵察するとともに、それぞれが得た情報を直ちに網の目状に張り巡らされた通信ネットワークを活用して全部隊に提供して共有する。
 また、全地球測位システム(GPS)などを活用して味方の位置を正確に把握し、迅速かつ効率的に部隊の集中ができる態勢を取る。指揮官の意図が末端の組織・兵士まで速やかに徹底する態勢が取られている。
 こうなれば、どちらが敵に先んじて有利な立場にあるかは自明であろう。
 また、仮に部隊が敵に囲まれて孤立したとしても、救援の味方がすぐそばまで来ていることを認識している部隊は踏ん張りが利くが、状況が五里霧中で自分が孤立し援軍も期待できないと思い込めば、たとえすぐ近くまで友軍が救援に来ていても戦意を喪失し、敗れ去ってしまう。
 情報力の強さは戦力を何倍にも強化することができる。それをお膳立てするのがNCOである。
 世界各国はこのNCOの有効性に目をつけ、様々な形で作戦の中に取り込む努力を始めている。
 米軍は2003年のイラクの自由作戦(Operation Iraqi Freedom)で、衛星などの機能を存分に活用し、広範で確実な指揮通信ネットワークを戦域内及び米本土と戦域との間に構築して、「戦場監視、目標標定、味方の戦力指向、戦果確認、戦果分析評価」の一連のサイクルを間断なくかつ迅速に実施し、イラク軍を撃破していった。
 また戦略攻撃においても、各種センサーから得た情報を基にした的確な目標標定とこれを受けての間断を置かない精密な攻撃は、NCOの特徴を存分に活かしたものであった。
 
このような動きは、決して米軍のような先進国の軍の専売特許ではない。例えばスリランカでは、永年悩まされ続けてきた、スリランカからの分離独立を狙ったタミル人の過激派テロ組織「タミルの虎」を2009年に制圧し終えた。
 この際、スリランカ軍は無人機を使ってゲリラ組織の行動を監視し、ゲリラ軍を発見すると速やかにネットワークを経由して友軍の攻撃ヘリコプターなどの攻撃部隊に目標情報を提供し、迅速かつ正確にゲリラ軍の動きを制圧することを繰り返した。
 このような活動がスリランカ政府軍の勝利に大きな効果を上げた。これもまさにNCOの一形態である。
 また、最近では作戦様相が変化し、本格的な軍事行動が主体の在来型の戦いのみならず、非正規戦といわれるテロや暴動が同時に発生することが予期されている。いわゆるハイブリッド戦争である。
 例えば、ミサイルを用いた軍事攻撃と合わせて、社会の混乱を誘発させる社会インフラに対するサイバー攻撃(交通機関の麻痺、金融機能の停止、電力機能の破壊、通信障害など)、そしてテロやサボタージュ、宣伝戦などが同時に仕かけられ、国民を物理的にも心理的にも不安と恐怖に陥れる。
 このような戦争ではNCOが有効に機能する。重層的なネットワークを形成して的確な情報共有ができれば、複雑・不確実な環境下でも柔軟な運用や迅速な決心と対処が可能になる。
 NCOならば、いちいち中央で判断しその指示に基づいて現場が作戦を実行することに固執することなく、あらかじめ与えられている方針に基づき、事態が発生した個々の現場で速やかに判断・決心して迅速に対処するディセントラライズド・デシジョンが無理なく実施できる。
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