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自由貿易が「何を目的にしているか」もう1度振り返る
2011年2月28日(月) 日経ビジネス 三橋貴明
今さらであるが、現在の日本は深刻なデフレに悩んでいる。デフレとは、国内の全経済主体の供給能力(いわゆる潜在GDP)が、需要(現実のGDP)を上回ってしまっていることが、主たる原因である。
デフレで物価下落が継続している結果、日本は、
「実質GDPが成長しているにも関わらず、名目GDPが横ばい、もしくはマイナス成長」
という悩みを抱えている。
「実質GDPが成長しているにも関わらず、名目GDPが横ばい、もしくはマイナス成長」
という悩みを抱えている。
内閣府は、2月21日に日本国家の経済全体のデフレギャップを発表した。デフレギャップとは、日本経済が持つ潜在的な供給能力と、現実の需要(GDP)の乖離を意味している。
図4-1で言えば、青色の「本来の供給能力(潜在GDP)」と、赤色の現実の需要(GDP)」との「差」こそがデフレギャップである。日本経済は、自らが保有する供給能力に対し、現実の需要が追いつかず、物価が継続的に下落し、雇用環境が悪化するという状況が続いているわけだ。
内閣府によると、2010年第4四半期のデフレギャップは対GDP比で3.8%とのことである。金額に換算すると、現在の日本経済は約20兆円の「需要不足」という問題を抱えていることになる。
日本がデフレから脱却するためには、需給の乖離であるデフレギャップを縮小させる必要があるが、方法は2つある。すなわち「供給能力」を削るか、あるいは「需要」を拡大させるかである。
民主党は「総需要抑制策」をしている
とはいえ、供給能力の削減とは、企業の工場閉鎖や設備廃棄、それに人員削減などになってしまう。すなわち、リストラクチャリングだ。企業がリストラを推進すると、国内の失業率は上昇する。失業率が上昇すると、当然ながら個人消費は減少してしまう。
個人消費とは、GDP上の「民間最終消費支出」という需要項目の1つだ。企業がデフレギャップを縮小するために、供給能力(図4-1の青色部)を削り取ると、需要(赤色部)までもが減少してしまうのである。すなわち、デフレギャップは埋まらないわけだ。
あるいは、民主党政権が発足直後(当時は鳩山政権)に行った「補正予算の凍結」である。鳩山政権の前の麻生政権が作成した補正予算は、景気対策を目的としていた。
民主党政権が発足し、いきなり補正予算を3兆円分も止めてしまったわけだが、あれは別に「政府が懐に入れるお金」を止めたわけではない。政府が景気対策に使い、「民間企業のビジネス」になるはずだったお金を、3兆円分も止めてしまったのである。
政府の支出にしても、「政府最終消費支出」や「公的固定資本形成(いわゆる公共投資)」などのGDPの需要項目の一部だ。民主党政権が「無意味」に予算を止めてしまった結果、日本経済はその分だけ「成長しなかった」ということになる。すなわち、図4-1の需要(赤色部)が増えず、デフレギャップが縮小しないというわけだ。
さらに言えば、管政権が現在、推進している消費税増税である。消費税を上げると、当たり前の話として、GDPの「民間最終消費支出」などがダメージを受ける。基本的に、消費税などの税金を上げることは、総需要抑制政策なのだ。
総需要抑制政策とは、政府が国内の需要を「抑制」するために、市場に介入する政策を意味している。すなわち、図4-1の「現実の需要(赤色部)」を縮小させることこそが、総需要抑制政策なのである。具体的な政策としては、消費税などの増税はもちろん、財政支出の削減(民主党政権の補正予算凍結など)、さらには金融の引き締めである。
現在の日本は、一応、日本銀行がゼロ金利政策や量的緩和を維持し、総需要抑制政策ではなく「総需要拡大政策」を維持している(率直に言って、不十分だが)。ところが、その裏で民主党政権は、「ムダの削減」なる総需要抑制政策を大々的に推進し、さらに増税までをも行おうとしているわけだ(一部の増税は既に行われたが)。
日本経済の問題は「需要不足」であり、「需要過剰」ではない。ところが、なぜか民主党政権はこのデフレ環境下において、総需要抑制政策ばかりを推進しようとする。
要するに、ちぐはぐなのだ。
リカードの比較優位論、ロジックは正しいが
念のため断っておこう。筆者が民主党政権の「ムダの削減」や「増税」などの総需要抑制政策に反対するのは、現在の日本がデフレに苦しんでいるためだ。これが問題が正反対で、日本が継続的な物価の上昇、すなわちインフレーションに悩んでいるのであれば、筆者はむしろ率先して「政府はムダを削れ」「増税しろ」と主張するつもりである。何しろ、インフレ時には増税や財政支出削減などの「総需要抑制政策」こそが、適切なソリューションになる。
すなわち、デフレ期とインフレ期では、適切な政策が正反対になるのだ。
「デフレ期には、デフレ対策を。インフレ期には、インフレ対策を」
この当たり前のことを理解していない評論家や政治家が、日本には多すぎる。結果的に、日本政府は自国がデフレに悩んでいるにも関わらず、インフレ対策ばかりを推進しようとするわけである。
まさにその1つが、TPPなのだ。
TPPとは「過激な日米FTAである」と、本連載の第1回で書いた。FTAとはFree Trade Agreementの略だが、日本語訳すると「自由貿易協定」となる。製品やサービスなどの関税、さらには非関税障壁などを互いに撤廃し、自由貿易を実現するための国際協定こそが、まさにFTAというわけだ。
TPPの場合は、通常のFTAと異なり、製品やサービスなど、関税や非関税障壁撤廃の対象製品・サービスが幅広い。さらに、関税撤廃までの期間も極めて短期であるため、「過激なFTA」と表現したわけだ。
さて、この「自由貿易」、言葉の響きは大変美しい。何しろ「自由」な貿易である。
「自由な貿易に反対するんですか」
などと言われると、普通の人はひるんでしまうだろう。
「自由な貿易に反対するんですか」
などと言われると、普通の人はひるんでしまうだろう。
ところで、そもそも自由貿易の目的とは何だろうか。自由貿易の「思想」の基盤になっているのが、19世紀初めにイギリスで活躍した経済学者、デヴィッド・リカードの比較優位論である。リカードの比較優位論について理解すると、自由貿易が「何を目的にしているか」が明確になってくる。
リカードの比較優位論は、各国が「比較優位(絶対優位ではない)」にある製品の生産に特化し、互いに輸出しあうことで、全体的に多くの財やサービスを消費できることを説明している。リカードの比較優位論が成立するには、幾つもの条件があるが、このロジック自体は正しい。各国が生産に際し機会費用が少ない製品、すなわち比較優位な製品の生産に注力し、余剰生産物を輸出し合うことで、消費量を増やすことができる。
逆に、関税などで自由な貿易を制限すると、全体的な消費量が減ってしまうわけだ。各国の「比較優位な製品生産への特化」と、「自由な貿易」が実現できたとき、全体の供給能力が高まり、消費可能な財やサービスが最大化されるという考え方である。
というわけで、リカードの比較優位論にしても、自由貿易にしても、「参加者全体の供給能力を高める」ことこそを目的としているのである。国内の供給能力が不十分で、国民が充分な消費が行えず、物価が継続的に上昇している国々にとっては、自由貿易は極めて適切なソリューションである。
物価が継続的に上昇している国とは、すなわちインフレに悩んでいる国というわけだ。自由貿易は参加国全体の生産性を向上させることができるため、インフレ期にはまことに適切なソリューションだ。
ところで、現在の日本は、果たしてインフレに悩んでいるのだろうか。
日本に必要なのは需要であり、供給能力ではない
現在の日本はインフレ(物不足、供給能力の不足)ではなく、デフレ(モノ余り、供給能力の過剰)に悩んでいる。現在の日本に必要なのは需要であり、供給能力ではない。
TPPという「過激な日米FTA」により、アメリカ産農産物が入ってくると、日本国内の農産品の価格水準は、間違いなく下がってしまう。消費者は、
「安い農産物が買えて、嬉しい!」
と喜ぶかも知れないが、農産業従事者の方はたまらない。何しろ、生産性が極端に違うアメリカ産農産品と、関税という防壁なしで真っ向から競争しなければならないのだ。結果的に、アメリカ製品との競合に耐え切れなくなった農家は、廃業していくことになるだろう。
「安い農産物が買えて、嬉しい!」
と喜ぶかも知れないが、農産業従事者の方はたまらない。何しろ、生産性が極端に違うアメリカ産農産品と、関税という防壁なしで真っ向から競争しなければならないのだ。結果的に、アメリカ製品との競合に耐え切れなくなった農家は、廃業していくことになるだろう。
農家が廃業し、所得獲得手段を失うと、民間企業のリストラクチャリング同様の効果が生じる。すなわち、失業者の増加による個人消費(GDP上の民間最終消費支出。図4-1参照)の縮小だ。そして、日本国内の個人消費が縮小すると、図4-1の「現実の需要(赤色部)」がさらに縮んでしまい、デフレギャップが拡大してしまう。すなわち、デフレが悪化するというわけだ。
当初は「安い農産物が買えて嬉しい」と考えていた消費者も、デフレ深刻化の影響で、最終的には自らも損をする。それは、消費者が働く企業の経営悪化による、給与削減という形をとるかもしれないし、あるいは自身の失業かも知れない。何しろ、農家が廃業して労働者の供給が増えていけば、必然的に失業率は上昇し、日本国民全体の実質賃金は低下してしまう。
前回(第3回)冒頭にも書いたように、国民経済とは「つながっている」のである。特に、デフレが深刻化している国において、「他者に損を押し付ける」行為は、巡り巡って自らの損失までをも拡大させてしまう。
消費者が「安い農産物を買える」ということは、その分だけ「誰かが損をしている」ということになる。上記のケースでは、損をしているのはもちろん農業関係者だ。
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