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石破議員が『昭和16年夏の敗戦』を引き合いに出した真意!

2010年8月17日 猪瀬直樹の「眼からウロコ」nikkei BP net
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20080923/100453/

破茂議員(自民党政務調査会長)が8月2日に衆議院予算委員会で行った質疑が、党派を超えて反響を呼んでいる。小泉純一郎首相からあとの首相は、みんな政治家としての発言がブレている。石破さんはブレていないから、党派に関係なく政治家としての姿勢が評価されているのではないか。

 質問は、菅直人首相に文民統制について訊(たず)ねるものだった。そのなかで、拙著『昭和16年夏の敗戦』(中公文庫)が紹介されていた。

菅首相に文民統制について問うた石破議員
石破議員 総理、まもなく8月15日がまいります。私はやはり3年前、同じこの場で、たぶん総理も予算委員としてその場にいらっしゃったと思います、猪瀬直樹さんが書かれた『昭和16年夏の敗戦』、こういう本の紹介をいたしました。ぜひ読んでください、と当時の安倍総理に申し上げました。これは1983年の猪瀬さんの著作であったと記憶しております。最近、中公文庫版で出版されました(中公文庫を手に取って見せる)。
 私は、若い方々に、何を読んだらいいですか、と聞かれることがときどきあります。ぜひこの本を読んでくださいと、いつも申し上げるようにしております。『昭和20年夏の敗戦』ではありません。なぜ『昭和16年夏の敗戦』、このような題になっているか。そのことをそのときも縷々(るる)申し上げました。昭和16年、開戦の年です。当時の帝国政府は、いまの首相官邸の裏あたりに、総力戦研究所という研究所を立ち上げました。軍や、あらゆる官庁や、あるいはマスコミや、主に30代の選りすぐりの俊才を集めて、もし日米が戦えばどうなるか、いまで言うシミュレーションをやりました。そして昭和16年の夏、近衛総理や東條陸相や、いならぶ閣僚の前で、その結果が発表されました。
 詳細は申しませんが、そこのシミュレーションの結果は、ほとんど実際と同じことでした。原子爆弾の投下、それ以外は、ほとんどがそこのシミュレーションの通りになったのです。日米戦やれば必敗です、戦わば必敗です、この戦争は何がなんでも避けなくてはならない、そういう結論が出ておりました。いろいろな資料で明らかであって、それは検証すればわかることです。
 何が言いたいか。それは、文民統制、それがいかに重要であるかということを私は申し上げたいんです。私は、軍事と安全保障、それと外交は、車の両輪である、そのように考えております。軍事や安全保障を知らずして、平和を語ることがあっては絶対にならない。それは私の信念です。総理にうかがいます。総理にとって文民統制とはどのような概念ですか。そしてまた、文民統制が有効に成立するためには、どのような条件が必要だと考えておられますか。(8月2日の衆議院予算委員会より)

辰巳栄一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B0%E5%B7%B3%E6%A0%84%E4%B8%80

「PRDC」という符号に注目した辰巳栄一
 総力戦研究所には前史がある。じつは総力戦研究所が設立される10年前の昭和5年(1930年)1月、1人の青年将校・辰巳栄一が駐在武官補佐官としてロンドンに渡っていた。昭和5年は満州事変勃発の前年である。

 明治28年(1895年)生まれの辰巳は、陸軍中将で終戦を迎えて、吉田内閣では非公式軍事顧問として活躍し、警察予備隊(自衛隊)創設に決定的な役割を果たした。『昭和16年夏の敗戦』を書いた昭和58年(1983年)当時、88歳だった辰巳に僕は会っている。高齢の辰巳は、早朝30分の散歩を欠かさないことが健康の秘訣と語っていた。

 駐在武官補佐官としてロンドンで仕事をしていた辰巳は、イギリス陸軍省極東班長マイルス中佐と親交があった。ある日、マイルス中佐が見せてくれた英国陸軍将校名簿をめくっていると、とくに要職にある将官の氏名のところに「PRDC」という符号がついている。気になった辰巳はマイルスに「このPRDCというのは何ですか」と訊ねた。

 すると、ふだん愛想のいいマイルスが、ふと表情を曇らせた。「その符号はPassed Royal Defence Collegeのことだが、これだけはキミにも説明するわけにはいかない」と口を開かない。

 PSC(Passed Staff College=陸軍大学卒業者)のことなら辰巳もよく知っていた。日本にも陸軍大学があり、辰巳はその卒業生だった。しかし、PRDCという言葉は聞いたことがない。強いて訳せば国防大学卒業者、ということになる。陸軍大学と国防大学では、名前が似ているようで全然違うらしい。

 PRDCとは具体的に一体何なのか。マイルス中佐が見せてくれた英国陸軍将校名簿以外にも、ロンドンの紳士録や有名大学の卒業生名簿などを辰巳は調べ始めた。そこにもPRDCという符号のついた人物がいた。軍人にかぎらず、貴族、官僚、学者、実業家と各界にわたっている。しかも注目すべきは、いずれも将来を嘱望されている成長株ばかりならんでいたという点である。

もし日本版国防大学がもっと早く誕生していたら……
 イギリス人が話をしてくれないのならと、フランスのベテラン駐英武官であるボリウズ少将に取材をしてみた。ボリウズ少将は「たしかにこの件になるとイギリス当局は口が堅い」と前置きしたうえで、苦労して入手した断片的な情報を教えてくれた。PRDCの内容は次のようなものだった。

1. 国防大学設立の目的は、平時戦時を通じて軍部と他の政府諸機関との協調連絡をはかるため、その要員を養成するにある。
2. 現在のPresident(学長)はシビリアンではない。教官は優秀な佐官クラスの将校と政治経済等の学識経験豊かなそれぞれ専門の文官が任命されている。
3. 学生は中、少佐クラスの軍人と内務、外務、大蔵など主要な省庁から適任者が選抜されている。
4. 学生数は、軍人、シビリアン合わせて30名ほど。修業年限は1年らしい。

 一方、フランスでも国防大学設置構想が浮上していた。陸海空の3軍に文民を加えた国防大学設立の気運が、欧州各国の1つの風潮になっていたのである。フランス駐在武官の経験のある西浦進中佐は、フランスの動向を研究・観察していたため、国防大学の必要性を熟知していた。辰巳の日本版国防大学構想を引き継いだ西浦は、関係各所に働きかけ、昭和15年に総力戦研究所という名の日本版国防大学が誕生した。

 しかし、日米開戦前夜に泥縄式でつくられた。つくってはみたものの、総力戦研究所としてはやることがわからず、ひとまず「模擬内閣」という形で研究が進められた。その結果、模擬内閣は日米戦のシミュレーションという課題を与えられ、日本必敗という結論を導き出すに至るが、情勢を変えることはできなかった。日米の情勢が引き返せないほど悪化する前に、もっと早く総力戦研究所を設立して本格的な研究を進めていれば、歴史は違っていたかもしれない。

国家戦略がなく首相がころころと代わる状況は戦前と同じ
 大日本帝国の過ちは、国家戦略を欠いていたことだった。帝大法学部卒や陸軍士官学校卒というタテ割りの人材ではなく、横断的に人材を育成し、国家戦略を研究する機関が必要だった。イギリスには戦前からそういう機関が存在して、本当の意味でのエリートを育てていた。なお、イギリス国防大学は、戦後にイギリス世界戦略研究所と名称を変えて、広くその名が知られるようになった。

 いまも昔も、日本は国家戦略をおろそかにしている。タテ割り行政の弊害により、バブル崩壊後の日本は長年低迷してきた。それを打破したのが小泉政権だった。橋本政権で構想されて経済財政諮問会議を機能させ、省庁横断的に国家戦略を打ち立てていった。

 小泉政権を除くと、平成の20年間で日本の首相は1年に1人のペースで交代している計算だ。戦前も、原敬暗殺から太平洋戦争までの20年間で、首相が20回交代した。まったく同じことが起こっている。

 民主党の国家戦略局(法整備前は暫定的に国家戦略室)も、本来であれば、日本の国家戦略を考える機関にするべきだった。しかし、国家戦略室はまったく機能せず、司令塔を欠いた民主党政権は迷走した。初代の国家戦略担当大臣は菅さんだったが、首相になると、国家戦略室を局に格上げすることを諦めて、役割も縮小すると言い出した。経済財政諮問会議もなくし、国家戦略局もつくらないのでは、統合機能を持つ機関は存在しない。批判されてあわてて、やっぱり局に格上げするという話も出ているようだが、ポリシーがないことに変わりはない。

 現在の日本は、経済・財政の危機だけでなく、北朝鮮情勢も緊張が高まっている。経済・財政・軍事の諸問題に対して、首相が国家戦略にもとづいて判断することが重要だ。しかし、菅首相には国家戦略もなければ、最低限の勉強もできていないのではないか。

 だからこそ、石破議員は、文民統制がわかっているのかと質(ただ)したのだろう。最低限の軍事問題を理解したうえで、文民が軍をコントロールするのが文民統制である。タテ割りどころか「オレ割り」になっている。党にも政府にも、機関決定がない。政調会も復活させたが、本気で国家戦略を打ち立ててもらいたい。現状では無理だと思うが。

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