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延辺朝鮮族自治州
加藤嘉一・中朝国境をゆく(2)
2011.02.16(Wed)JBプレス 加藤嘉一
俺たちは北朝鮮に食わせてもらってるんだ。向こうとの貿易がなければ、俺たち丹東市民の生活は成り立たない」
国境越しに北朝鮮を眺め、物足りなくなってきた!
日頃から中朝間を合法的に往復し、両国貿易関係を推し進める丹東商人が筆者に語った。北朝鮮と隣接する国境都市丹東市。中国の対北朝鮮貿易の80%以上がここを通過する。
筆者も丹東に赴いたことがある。国境のシンボルとなっている鴨緑江の対岸を一日中ぼんやりと眺めていると、たまに北朝鮮の車が通っていたり人の影が見えたりして、感激させられた。
何しろ日朝間には国交がないわけで、たとえどれだけ限られていたとしても、北朝鮮を目の前で体験できるのは中国留学の醍醐味だと、漠然と思っていた。
何度か足を運ぶうちに、正直、物足りなくなってきた。あくまでも河ひとつ挟んでいるため、こちら側とあちら側の間には距離感がある。
現地の漁民にお願いして、北朝鮮の領土まで30メートルのあたりまでは接近したことがあるが、どうもパッとしない。あちら側の生活感が窺えない。
国境が奏でる真の国際関係!
観覧車らしきもの、運転中止になっていると思われる工場、軽トラック、人影の無い道路、くらいしか見えない。
丹東が中朝間における合法的な貿易拠点になっている、という点も筆者にはお役所的過ぎる、建前に過ぎるように感じられた。
「中朝っていったら脱北に密輸だろ」
みたいな、こちらも漠然とした認識が筆者の脳裏にはあった。国境があるようでないような、政治関係とか経済統計などに左右されない、近くで遠い国境が奏でる真の国際関係を考えたい。自分が全く知らない、神秘的な北朝鮮を肌で感じてみたい。
2009年6月、初めて吉林省延辺朝鮮族自治州へと飛んだ。
中国にいる朝鮮族は192万人!
昼頃、延吉空港に着陸。小さな空港だ、薄汚い感じすら受けた。空気は北京とは違う、暑くも寒くもない。
正規のタクシーが見つからなかったため、白タクに乗り込んだ。運転手の普通語が怪しい。イントネーションが微妙だ。聞いてみると、やっぱり朝鮮族だった。
2000年度の第5回全国人口調査によると、中国全土で朝鮮族は192万3842人。
2008年度末の段階で、最も朝鮮族人口の多い延辺朝鮮族自治州の戸籍登録済み人口は218.7万人、そのうち、朝鮮族が80.6万人である。延辺総人口の36.8%を占める計算になる。
違法行為で食っている運転手は一般道を時速120キロでぶっ飛ばした。市内までは10分で行けた。交渉時間は約1分、運賃は25元(約300円)でディールが成立した。
北京で食べるより格段に美味しい朝鮮冷麺
あたりを見回すと、やはりハングル標識が多い。ほぼすべての建物が漢字とハングル両文字表記になっている。
丹東と比べても朝鮮族への配慮が徹底されている。丹東の人口は243万人、そのうち朝鮮族は2万人強、1%前後しか占めない。
昼食には朝鮮冷麺を10元(130円)で食べた。北京で食べるより格段に美味しい。店内は朝鮮語が飛び交っていた。お勘定を済ませ、店を出る。何だか異国の地へ来た気分に襲われた。
車で図們江(Túmenjiāng, トゥーメンチャン)へ向かう。中朝国境の長白山に源を発し、中国、北朝鮮、ロシアの国境地帯を東へ流れ日本海に注ぐ。全長約500キロの国際河川だ。中朝国境の境界線を成す河でもある。
中、小高い山になっているところに、北朝鮮から脱北してきた人間を放り込んでおく収容所を見つけた。中国領土内で公安に捕まった脱北者はここで拷問を受ける。
北朝鮮に気を使う超大国・中国!
中国にいる間に何をしたのか、誰と一緒にいたのか、どこに住んでいたのか。一般的には10日、犯罪を犯していれば2カ月くらい続く。その後、北朝鮮に強制送還される。
現地住民の話によると、今から10年以上前、延吉市内では至る所に脱北者を見ることができた。明らかに栄養失調、痩せていて、ボロボロの服を着ているから一目瞭然だったという。
2003年以降、中国政府は北朝鮮側の「要求」に従い、積極的に脱北者を捕まえては強制送還してきた。大国中国が小国北朝鮮のお国事情に迎合しているということだ。
これが何を意味するか。国際連合などが主張する国際人道主義という視点に立てば、北朝鮮国内で飢え死に寸前という困難に直面していた脱北者を捕まえ、拷問した挙句、圧政の環境に強制送還することは、どう頭をひねっても良心と正義に反する。
中国は国連安全保障理事会の常任理事国である。
中朝関係が良好だからこそ強制送還する!
現地の公安の人間に話を聞いた。
「脱北者を捕まえることは人道主義に反する。それは当然だ。俺たちも女性や子供は極力見逃してあげるようにはしている」
「一般的に、中朝関係が政治的に良好な時は、やっぱり北の事情を汲み取って強制送還するしかない。関係が悪化すれば、向こうに圧力をかける意味でも送還はしない。逮捕も少なくなる」
なるほど、脱北者を捕まえるか否かは、中朝関係という政治問題とリンクしているのだ。
江沿いを走る。ついに防川に着いた。中国、北朝鮮、ロシア3国の国境が交わる不思議な場所である。その日は曇りで、霧も濃かったため、海は見えなかった。風景も朦朧としていた。でも国境の匂いがする。少し肌寒い、気温は摂氏5度くらいだろうか。
「5分でいい、国境のど真ん中に立たせてくれ!」
国境警備隊が注意深く筆者の方を監視していた。銃を持ち武装した警察だった。20歳くらいだろうか。
筆者が近づき、北朝鮮により近いエリアに向かって歩いていこうとすると、それまで微動だにしなかった先方の体が動いた。筆者の右肩を力強く掴み締め、言った。
「こんにちは。申し訳ないが、ここから先は入れない。お引き取りください」
どうしてもあちら側を体験してみたかった筆者に引く理由はなかった。
「せっかくここまで来たんだ。5分でいいから国境のど真ん中にいさせてください。何ならあなたが横で付き添っていてもいい」
「一歩でもここを越えたらあなたの大脳に向かって発砲する」
礼儀正しい若い軍人(武装警察は軍隊の役割も果たす)は、冷徹な瞳で筆者を睨みつけ、言った。
「もう1回だけ言います。お引き取りください。仮に一歩でもここを越えれば、私は無条件に、あなたの大脳に向かって迷わず発砲します」
筆者は10秒間相手を睨みつけた。「ここ」を越えた人間に発砲することがルールになっているのか、それとも、この若い軍人の単独行動なのかを判断するためだ。どうやら前者らしい。
「申し訳なかった。貴組織の事情を把握できていなかった。許してほしい。君、名前は?」
握手を求めて手を差し出したが、無視された。
防川から国境の河に沿って、キャンプのベースにしていた延吉市に戻る。夕方になり、もうすぐ日が暮れそうだ。あたりはシーンと静まり、物音すらしなかった。
犬かオオカミか分からない野良犬に遭遇!
350キロ走った。途中、60年前の朝鮮戦争でアメリカ軍の砲弾に遭遇して以来そのままになっている「断橋」が目に入った。車を止めて、橋の方向へと歩いていく。一段と寒くなったみたいだ。気温は摂氏0度くらいか。
突然、2匹のどでかい白黒の犬が現れ、筆者に向かって吠えてきた。中国では犬は野良犬が基本で、首輪もついていなければ飼い主もいない。目の前に現れた犬は間違いなく野生そのものだ。
それに、姿を見る限り、オオカミのようだ。耳が立ち、口吻と歯が尖っている。逃げれば確実に追いつかれ、咬まれる。高校時代駅伝選手で、ラストスパートに少しばかり自信があったくらいでは、おそらく相手にならない。
どうしよう。下手をすれば食われてしまうかもしれない。人生の土壇場なのか。筆者は深呼吸した。息を止めるのではなく、静かに吸って、吐いた。
そして、語りかけるように、手を差し伸べるように、笑顔を2匹の“オオカミ”に届けた。1分間くらいだろうか。お互いに見つめ合い、その場の空気を共有した。2匹は次第に下がり、山の方へと走っていった。
夕暮れ、国境に警備の軍人はいなかった!
助かった。脇には汗が滲み出ていた。
慎重に「断橋」の方へと歩を進める。日が沈みそうだ。あたりには国境警備隊もいない。こちら側には人影すらない。あちら側が近い。10メートルくらいか。
仮に自分に世界記録を達成できるほどの走り幅跳び能力があれば、国境をジャンプで越えて、北朝鮮サイドに着陸できるかもしれない。そんなリアリティーのないことを考えていた。
向こう側に中年のおじさんが見えた。歌を歌っている。なかなかいいメロディーだ。こちら側から手を振る。「おーい!」と腹の底から大声で叫ぶと、手を振って返してくれた。
何だか心がつながった気がした。河はまだ凍っていた。あちら側からこちら側には、簡単に来られてしまう。少なくとも筆者があの場所にいた1時間くらいの間は、中朝両サイドに軍人はいなかった。
「仮に自分が中国から北朝鮮に脱出したら、何が起こるんだろう」
歴史的背景に富んだ、近くて遠すぎる中朝の国境を前に、そんな途方もないことを妄想させられた。
餓死寸前の北朝鮮人に食料を分け与え続けている1人の老人!
帰り際、2匹の“オオカミ”に遭遇したあたりで1人の老人に出会った。朝鮮族のキムさんという人だ。彼に最近の脱北者の行き来や、国境事情を聞いてみる。
「2004年くらいからかなあ。北朝鮮の同胞たちは本当に食べるものがなくなってしまったよ。みんな飢え死に寸前なんだ。今年はいつもより早く、3月の段階で食料がなくなってしまったそうだ。みんなこちら側に、食料を求めてやって来るよ」
筆者は質問した。
「それで、食料を与えるんですか? その交流に対して、両国の当局からは何も言われないんですか?」
キムさんの表情が一瞬引き締まったのを、筆者は見逃さなかった。
「朝鮮戦争で300万人の朝鮮人が死んだ。少なくない数字だよ。1998年から2003年の間、モノが食えなくて死んだ人間も300万人だ」
月給の1.5倍の罰金を払っても食料を与え続ける!
筆者は考え込んでしまった。この60年間、北朝鮮という国は、姓がこのおじさんと同じキムという統治者たちは何をしていたのだろうか。人類社会の進歩が、北朝鮮の餓死者たちを救うことはできないのだろうか。
「キムさんは食料をずっと与えてきたんですね。偉大だと思います。心より敬意を表します。でも、当局からの監視が気になったりしないんですか?」
キムさんは筆者の両目を直視して、でも口元からは緩やかに声がこぼれた。
「仮に警察に北からの同胞に食料を与えている瞬間を目撃されたら、罰金を払わなければならない。1回につき3000元くらいだよ。これまで同胞のために数十万元、たくさんのお金を党に奪われたね」
キムさんの月収は2000元くらいだという。そろそろ定年を迎える頃だろうか。キムさんのうつろな目が、筆者の心に突き刺さった。
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