平成22年 第12回「米・食味分析鑑定コンクール:国際大会」(松江市)有機栽培・JAS認定部門で特別優秀賞を受賞。(食味90・味度83・計173点)
平成25年、第15回魚沼と第16回北京開催運動中!
無農薬魚沼産コシヒカリ生産農家・理想の稲作技術『CO2削減農法』
http://www.uonumakoshihikari.com/
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メーカーや小売り店にないサービス力、日本PCサービス社長 家喜信行
http://www.j-pcs.jp/index.php
「修理業ではなく、接客業でありサービス業」
パソコンの修理やトラブルを解決してくれる日本PCサービス社長の家喜信行は、この点に特にこだわり、社員に意識づけを徹底させている。
まず、客先に駆けつける社員はネクタイとスーツを着用。ひげ、ピアス、長髪茶髪はダメ。店では、来店した客が帰るのを店の外まで出て、深々と頭を下げて見送る姿が見られる。
「直接、お客様からご料金をいただく有償サービスなのだから当然です」
日本PCサービスは、電話で訪問修理を希望すれば、その日のうちに社員がやって来て、パソコンのトラブルを解決してくれる。もしメーカーに依頼すれば、たいていの場合は訪問までに4日はかかる。即日訪問というスピード感が最大の特長だ。訪問するのは、冒頭の家喜のこだわりを実践する社員たち。同社の強みは素早い対応だけでなく、細かな身だしなみにも気を配る社員の存在だともいえる。
家喜がここまでこだわりを持ったきっかけは、創業間もない頃にぶち当たったIT業界の常識だった。
2003年7月、前職の中小企業向けパッケージソフトの販売会社を退職した家喜は、当時大阪ではあまり見られなかった、個人向けのパソコン訪問修理業を営もうと決意。前職で営業担当として積み重ねた経験を通して、家喜はパソコンの簡単な修理やインターネットの接続トラブルを解決する十分な知識を習得していた。
コンビニの閉店跡地に店を構え、前職で3年連続トップ営業マンとして鳴らした営業力を武器に、個人宅に営業をかけた。チラシも200万枚をばらまいた。しかし、1ヵ月たっても受注はわずか4件。「頭の中には右肩上がりの、売り上げも利益も上がる計画が描かれていたが、一気に崩れた」。
パソコンに関連するサービスに
おカネを払う文化がなかった
会社はすぐに行き詰まった。資本金1000万円はすぐに底を突き、毎日のように金策に走ることになった。
だがこのときの家喜にとっての最大の壁は、融資を渋る金融機関ではなく、IT業界やパソコン業界を支配していた常識だった。それは「無料でなんでも提供する」というもの。その最たる例がソフトバンクのYahoo!BBだった。この頃、ソフトバンクは日本全国の至るところでインターネット接続用のモデムを無料で大量にばらまいていたのだ。その結果、多くの人には修理はもとより、パソコン関連のサービスにカネを払うという意識がなくなっていた。
家喜は国民生活金融公庫からの融資枠をいっぱいに使って得た850万円を元手に、有償のパソコン修理業の浸透に挑んでいた。だが「無料」が常識となった業界では分が悪く、資金ショートのギリギリのところで踏ん張るのが精一杯だった。
加えて、さらに家喜を追い込むピンチが訪れた。自分を信じてついてきてくれた7人の従業員が、次々と辞めていってしまったのだ。「起業してから資金繰りなどきついときはたくさんありました。でも、頑張ってくれていた社員に報いることができなかったこのときが、いちばんつらかった」と家喜は語る。家喜も含めて最大で8人いた社員は、たったの2人までになったときもあった。
ただ、家喜にはパソコンのトラブル解決の需要は確実に増えるという確信があった。たとえばインターネットで株取引をする人が増えてきて、何かパソコンのトラブルがあった場合、ネット証券会社に電話してもパソコンメーカーに電話しても適切な対応は望めない。家喜はそこにニーズがあり、そのニーズに応えられれば有償でも事業が成り立つと思っていた。有償になれば、客は「おカネを払うならていねいなところへ」となる。それゆえに、家喜は接客とサービスを第一に掲げた。家喜のこだわりは、IT業界の無料の常識にぶち当たり、それを乗り越えるためにもがいた結果生まれた、苦労の結晶なのだ。
営業先を変えて事業が軌道に乗った海外展開も視野に!
事業が軌道に乗ったのは、目先を変えて営業をしたことだった。あらゆる生活のトラブルを解決する「生活救急車」を展開するジャパンベストレスキューシステムに営業をかけ、パソコン関連のトラブル解決を請け負うことになったのだ。「生活救急車」には、その頃パソコン修理の依頼が増えていたという。家喜の読みは当たっていた。
今では東芝やシャープなどのメーカーから訪問修理の業務を請け負うまでになった。取り扱い説明書に、トラブル解決の連絡先として日本PCサービスが載っていることも珍しくない。
海外にも目を向けている。「特にアジアでは事業を展開していきたい」。すでに市場調査もしており、日本よりも中国や韓国のほうがパソコンの修理を行う会社数は多いが、直せないと言って業者が帰ってしまうことがあるなど、サービス力が備わっていないケースが多いという。家喜は、そこがチャンスだと見ている。
「クルマのトラブルならJAF、パソコンなら日本PCサービスというように、社会に根づいた会社でありたい」と語る家喜。4年後の上場が当面の目標だ。(敬称略)
(「週刊ダイヤモンド」編集部 片田江康男)
いえき・のぶゆき/1976年3月、兵庫県尼崎市生まれ。前職の営業成績は常にトップクラスで、25歳にして大阪営業所長を任された。2003年7月に退職し、同年9月、日本PCサービスを起業。
http://www.j-pcs.jp/index.php
「修理業ではなく、接客業でありサービス業」
パソコンの修理やトラブルを解決してくれる日本PCサービス社長の家喜信行は、この点に特にこだわり、社員に意識づけを徹底させている。
まず、客先に駆けつける社員はネクタイとスーツを着用。ひげ、ピアス、長髪茶髪はダメ。店では、来店した客が帰るのを店の外まで出て、深々と頭を下げて見送る姿が見られる。
「直接、お客様からご料金をいただく有償サービスなのだから当然です」
日本PCサービスは、電話で訪問修理を希望すれば、その日のうちに社員がやって来て、パソコンのトラブルを解決してくれる。もしメーカーに依頼すれば、たいていの場合は訪問までに4日はかかる。即日訪問というスピード感が最大の特長だ。訪問するのは、冒頭の家喜のこだわりを実践する社員たち。同社の強みは素早い対応だけでなく、細かな身だしなみにも気を配る社員の存在だともいえる。
家喜がここまでこだわりを持ったきっかけは、創業間もない頃にぶち当たったIT業界の常識だった。
2003年7月、前職の中小企業向けパッケージソフトの販売会社を退職した家喜は、当時大阪ではあまり見られなかった、個人向けのパソコン訪問修理業を営もうと決意。前職で営業担当として積み重ねた経験を通して、家喜はパソコンの簡単な修理やインターネットの接続トラブルを解決する十分な知識を習得していた。
コンビニの閉店跡地に店を構え、前職で3年連続トップ営業マンとして鳴らした営業力を武器に、個人宅に営業をかけた。チラシも200万枚をばらまいた。しかし、1ヵ月たっても受注はわずか4件。「頭の中には右肩上がりの、売り上げも利益も上がる計画が描かれていたが、一気に崩れた」。
パソコンに関連するサービスに
おカネを払う文化がなかった
会社はすぐに行き詰まった。資本金1000万円はすぐに底を突き、毎日のように金策に走ることになった。
だがこのときの家喜にとっての最大の壁は、融資を渋る金融機関ではなく、IT業界やパソコン業界を支配していた常識だった。それは「無料でなんでも提供する」というもの。その最たる例がソフトバンクのYahoo!BBだった。この頃、ソフトバンクは日本全国の至るところでインターネット接続用のモデムを無料で大量にばらまいていたのだ。その結果、多くの人には修理はもとより、パソコン関連のサービスにカネを払うという意識がなくなっていた。
家喜は国民生活金融公庫からの融資枠をいっぱいに使って得た850万円を元手に、有償のパソコン修理業の浸透に挑んでいた。だが「無料」が常識となった業界では分が悪く、資金ショートのギリギリのところで踏ん張るのが精一杯だった。
加えて、さらに家喜を追い込むピンチが訪れた。自分を信じてついてきてくれた7人の従業員が、次々と辞めていってしまったのだ。「起業してから資金繰りなどきついときはたくさんありました。でも、頑張ってくれていた社員に報いることができなかったこのときが、いちばんつらかった」と家喜は語る。家喜も含めて最大で8人いた社員は、たったの2人までになったときもあった。
ただ、家喜にはパソコンのトラブル解決の需要は確実に増えるという確信があった。たとえばインターネットで株取引をする人が増えてきて、何かパソコンのトラブルがあった場合、ネット証券会社に電話してもパソコンメーカーに電話しても適切な対応は望めない。家喜はそこにニーズがあり、そのニーズに応えられれば有償でも事業が成り立つと思っていた。有償になれば、客は「おカネを払うならていねいなところへ」となる。それゆえに、家喜は接客とサービスを第一に掲げた。家喜のこだわりは、IT業界の無料の常識にぶち当たり、それを乗り越えるためにもがいた結果生まれた、苦労の結晶なのだ。
営業先を変えて事業が軌道に乗った海外展開も視野に!
事業が軌道に乗ったのは、目先を変えて営業をしたことだった。あらゆる生活のトラブルを解決する「生活救急車」を展開するジャパンベストレスキューシステムに営業をかけ、パソコン関連のトラブル解決を請け負うことになったのだ。「生活救急車」には、その頃パソコン修理の依頼が増えていたという。家喜の読みは当たっていた。
今では東芝やシャープなどのメーカーから訪問修理の業務を請け負うまでになった。取り扱い説明書に、トラブル解決の連絡先として日本PCサービスが載っていることも珍しくない。
海外にも目を向けている。「特にアジアでは事業を展開していきたい」。すでに市場調査もしており、日本よりも中国や韓国のほうがパソコンの修理を行う会社数は多いが、直せないと言って業者が帰ってしまうことがあるなど、サービス力が備わっていないケースが多いという。家喜は、そこがチャンスだと見ている。
「クルマのトラブルならJAF、パソコンなら日本PCサービスというように、社会に根づいた会社でありたい」と語る家喜。4年後の上場が当面の目標だ。(敬称略)
(「週刊ダイヤモンド」編集部 片田江康男)
いえき・のぶゆき/1976年3月、兵庫県尼崎市生まれ。前職の営業成績は常にトップクラスで、25歳にして大阪営業所長を任された。2003年7月に退職し、同年9月、日本PCサービスを起業。
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性別:
男性
誕生日:
1954/01/01
職業:
農業
趣味:
スキー・読書・インターネット
自己紹介:
私は、魚沼産コシヒカリを水口の水が飲める最高の稲作最適環境条件で栽培をしています。経営方針は「魚沼産の生産農家直販(通販)サイト」No1を目指す、CO2を削減した高品質適正価格でのご提供です。
http://www.uonumakoshihikari.com/
魚沼コシヒカリ理想の稲作技術『CO2削減農法研究会』(勉強会)の設立計画!
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