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SNS革命」ではなく「世代間闘争」が真の原因!

2011.02.04(Fri)JBプレス 伊東乾

前回のこの連載原稿が掲載された1月28日金曜日、日本時間では夕方にあたる時間帯、イスラムの週間行事では最も盛大な、モスクでの「金曜集会」が終わったあと、誰が誘うともなく、集まった人々がデモ行進に連なって、「エジプト騒乱」が始まった。

 本コラムのリリース時点でも、ムバラク政権の退陣時期について米国を中心とする大国とエジプト政府との熾烈な交渉が、民衆間の衝突と並行して進んでいる。

 エジプトの問題を「革命」とか「レボリューション」などと表記するものを目にするが、こうしたことには慎重であるべきだと思う。

 エジプト・アラブ共和国国連加盟国でホスニー・ムバラク大統領はその国家元首だ。30年にわたる長期政権の統治に不満を持つ民衆がいることは間違いないだろう。

 しかし暴動が起きたという情報から、即座に「革命」といった言葉を使うのは安易に過ぎると言わねばならない。

 むろんそれは、政府による民衆のデモンストレーションへの圧力、とりわけ武力行使を含む強権発動を容認するものではない。こうした事態が発生した時、見識ある国家の姿勢とは次の3点に尽きると私は考える。

第1に 国民への武力行使を慎むよう呼びかけ
第2に 平和的な問題解決、とくに冷静な対話の重要性を喚起し
第3に 早期の状況の安定化を希望するとともに、復興への協力を約束する

 これらは各々、現実問題として「国益」を考えるうえでも必須不可欠なポイントで、実際に米国のヒラリー・クリントン国務長官や、英独仏のEU中核参加国首脳連名の声明でも、基本的にこうした点が押さえられていた。

 日本の観点から、このエジプト騒乱を見た時、死角に入りやすい問題を3点、考えてみたい。

国より優先する部族!

 1月14日、チュニジアのベン=アリー大統領がサウジアラビアに出国=亡命した翌15日、私はとあるエジプト人の日本研究者と夕食を囲んでいた。

 これは私たちが2011年度から中東のモスク建築内での音声や祈りの朗誦の響きを調べる、国際共同研究プロジェクトを進めるため、現地事情などディスカッションするための会合だったが、食卓の話題として「チュニジア政変」が当然のように登場してきた。

 そこで彼が語ったのは「混乱の飛び火」への懸念だった。そして図らずもそれは2週間以内に、彼の故郷エジプトでの現実となってしまった。

この席で彼が強調していたポイントが3点あった。1つは、こうした騒乱のポイントは民衆の騒ぎではなく、最終的には「軍」であるということ。つまり軍の動きによって現実のパワーは動いていくという冷徹な状況認識である。、

 第2は各国がどのように見るかという、国際バランスの問題。

 これも非常に重要だが、その中でとりわけ第3の論点として「近隣諸外国への騒乱の伝播」が、事態を決定づけるだろう、という観測だった。

 中東やアフリカ各国の「国境線」は、関係各国の都合で決まったというより、西欧列強のパワーバランスで外から決められたものが大半だ。典型的な例を挙げるならパレスチナ問題だろう。

 なぜユダヤ人国家とアラブ人国家が、かくも凄絶な対立を続けなければならなかったか?

ことの発端は英国の二重外交!

ことの発端は第1次世界大戦中の英国の「二重外交」にあるのは誰もが知る通りだろう。「バルフォア宣言」と「サイクス・ピコ協定」という矛盾する2つの約束がいずれも反故にされ、戦間期の混乱を経て第2次世界大戦後、一連の中東戦争につながっていくことになる。

 数世紀に及ぶ、大国「オスマン・トルコ」の支配の終焉後、バルカンや中東で起きた様々な混乱は、帝国主義列強間のパワーポリティクスの産物という側面が大変に強い。

 対立している現地当事者同士だけで物事を考えても、全く状況は堂々巡りになるようにできている。これがすなわち「分割統治」ということの、1つの典型的効果だと言うこともできるだろう。

 中東やアフリカなど、旧植民地地域での「国境線」は、こんな具合で外部から押しつけられたもので、地域住民の内発的な必然性と別のものであることが多い。

 ということは「国境線」とは別の区切りによって、人々の生活が律されていることが多いという現実を意味する。その単位が「部族」だ。

 もっと言うなら、中東やアフリカでは、政治的な国境線を越えて、複数の国家にまたがって、部族単位の情報や価値観の共有が当たり前に存在しているということでもある。


国境よりも部族のつながりの境界が、より大きな意味を持つ「国際社会」。

 つまり「チュニジア」という単位を越えて、騒乱の芽は、より歴史的にも古く、何より血の濃さでつながった人々を通じて、中東全域に広がっていくことが、ほぼ間違いなく予期されていたということだ。

中東・北アフリカ騒乱は「ソーシャルネット革命」か?

今回のチュニジア、そしてエジプトなど各国での騒乱は携帯電話やインターネット、とりわけSNSソーシャル・ネットワーキング・サービス)が大きな役割を果たしたとされる。

 具体的に言えば「ツイッター」や「フェイスブック」などのネットワーク新メディアが、デモ行進の呼びかけや群集の組織化に大いに役立ったとされている。

 チュニジアの政変を早々に「ジャスミン革命」などと命名する勢力があり「ジャスミン革命はソーシャルネット革命のハシリだ」などという表現がネットワーク上を駆け巡った。

 だが果たしてそれは本当なのだろうか?

 現実にエジプトで起きた出来事は、現象の別の横顔を見せる。ムバラク政権はインターネット史上初めて、混乱の最中にネットワークを大本からストップするという挙に出た。

 また携帯電話の回線も動かないようにした。こうしたメディアによって、人々がデモに集まる情報共有がされていたため、これを阻止するためだった。

 だがここで考えていただきたいのだ。もしあなたが仕事で電話をかけようとしたら、突然携帯電話が通じなくなっていたとしよう。あなたはどんなふうに思われるだろうか?

 エジプトでの携帯電話システム全体の故障率は知らないが、日本でこんなことが起きたら、クレーム電話が殺到して大変なことになるだろう。あるいはインターネットが通じなくなったら?

 人々はみんな、黙っておとなしくなるだろうか?

先週エジプトで起きたことは、ちょうどこの逆だった。人々は最初、携帯やネットがつながらなくなって「故障か?」と思った。

 次に政府による遮断と知って、とんでもないことだ、とむしろ怒ってしまった。

 突然の不便利を被った人々が、むしろ政府のこうした挙動に抗議してデモに集合して、人数が膨れ上がってしまったという側面すらあるらしい。

 こんな一事だけをとっても、エジプト騒乱が「ソーシャルメディア革命」などではないことは一目瞭然だろう。

 金曜集会以後、騒乱は急速にのっぴきならない状況となり、抗議する人の数もうなぎ上りとなったが、彼らは既に携帯やSNSで連絡を取り合っていない。

 何と言っても政府が止めてしまったのだ。

非合法アルジャジーラが頼りの報道
 伝統的な口コミで、市民は抗議行動のために町場に集結し、その中で暴徒化した連中が与党ビルを襲い、隣接する考古学博物館に侵入してドサクサにまぎれてミイラを盗もうとして、貴重な文化遺産を損壊するなどのトンでもない事態を引き起こしたりした。

 すべては「ネットなし」「携帯すら存在しない」状況での動乱で「ソーシャルネット革命」などでは全くない。

 むしろ、日本でエジプト情勢を知る際、テレビや新聞などのメディアが全く使い物にならず、エジプト政府に公式には禁止されたカタールの「アルジャジーラ放送」がブロードバンドネット上に根性モノで流し続けている(いわば非合法のゲリラ的)報道のビデオなどによって、現地の混乱を垣間見ることができるのだ。

 この状況の方がはるかに「ソーシャルネット革命」と言うにふさわしい状況のような気がする。

 エジプトチュニジアで起きているのは、リアルな力と力のぶつかり合いで、その雌雄は結局のところ軍が決定するような、値引きのない暴力の駆け引きとしての「騒乱」だ。

対岸の火事を評論する批評家の目では、この切迫した状況から日本が何一つ学ぶことはできない。

世代間の衝突としての政変!


では、こうした状況の混乱とネットワークやSNSは全く無関係なのかと問われれば、当然そんなことはない。極めて密接な関係がある。

 ただ、当初の段階である時点では、単なる連絡網以上に機能することが少なかった事実を指摘しているのだ。

 友人のカレスタス・ジュマはケニアの出身だ。彼は今回の問題を「世代と世代のクラッシュ」だと表現していた。

 カレスタスは、科学技術の導入によって、途上国の社会経済が、その国の最下層労働者のレベルから向上するような施策を検討し、実際にそれを動かしていく仕事をしている。

 現在はハーバード大学ケネディ校の教授として、これらの仕事に携わっているが、カレスタスが問題を「世代」と表現したのは、大変に興味深いように感じた。

 ここで例えば「宗教」とか「教育」「社会階層」などといった言葉を一切使わないのがミソになっているのだ。

 「世代」つまり「旧世代」と「新世代」の対立として見れば、既存のどのような勢力からも、不必要に非難されることもなく、建設的なアクションプランを検討することができるのだ。

 現実には「若い世代」は「旧世代」よりネットワークやコンピューターに詳しいだろう。また若い世代の「イスラム」社会に対する感じ方、考え方も、旧世代のそれとは違っているだろう。

 もちろん時代が下るからといって近代化するとは限らない。各地で頻発する自爆テロなど見るにつけ、むしろ先鋭的な原理主義に染まった少年兵なども登場して不思議ではない。

 いずれにせよ、そうしたすべてを、メディアの普及という観点から見た「世代」の問題として捉えることで、事態の中長期的な推移を検討することができるだろう。

 2011年は中東から目が離せない状況になってしまった。明らかに、歴史が動き始めている。

(つづく)

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エジプト情勢を報じさせない中国~中国株式会社の研究!

2011.02.04(Fri)JBプレス 宮家邦彦

 北京からの報道によれば、最近中国当局がエジプト反政府デモの「悪影響を警戒」し、関連情報の「検閲・遮断」を強化しつつあるらしい。また、今回のカイロ「タハリール広場」の騒乱を1989年の「天安門事件」と対比する論調も少なくない。

 確かに、エジプト中国に似た一党独裁国家だ。だが、カイロと北京にそれぞれ数年間住んだ経験のある筆者としては、このタハリールと天安門、「同じようで、どこか違うんだよなぁ」と感じてしまう。今回はこの「違和感」についてお話ししたい。

どちらも統治の難しい国!


エジプト人と中国人はとてもよく似ている。両者に自己中心主義、人間不信、面子尊重、プライドの高さ、責任転嫁という共通の国民性があることは以前ご説明した通りであり、ここでは繰り返さない。

 2000年秋北京に赴任した際も、人々が信号を無視して車道を横切る様から、家族の絆の強さ、面子を失った時の逆上の仕方まで、カイロにそっくりだと感じた。

 女房には「北京ではエジプト人が中国語を話していると思え」と説明したほどだ。

 どちらも古代文明の発祥地であり、植民地支配を受けた苦い過去がある。長期の一党独裁と権力者の腐敗、経済的繁栄の陰に若年失業もある。庶民の静かな「怒り」が水面下で煮えくり返っているところまで、両国は実によく似ている。

 このような国家を統治するのは容易ではない。勝手なことを言うばかりで協調性のない国民にはある程度の監視と統制が必要なのだろうか。少しでも手を緩めれば、国家の統一と安定が失われると権力者は信じてしまうのだろう。

 その意味で中国当局がエジプト関連報道を警戒するのは当然であり、それ自体驚きではない。特に、フェースブック(Facebook)とツイッター(Twitter)がエジプトの反政府勢力動員に果たした役割の大きさを考えれば、中国共産党の懸念も全く理解できないわけではない。

エジプト軍と人民解放軍
 それでも筆者が違和感を感じたのは、「エジプトは『天安門事件』を再現しない・・・中国人社会に波紋」という記事だった。特に気になった箇所を引用してみたい。

●(エジプト)軍報道官が31日「市民が平和的に行動する限り、軍は発砲しない」と表明したことで、中国人社会では1989年に発生した「天安門事件」と比較する声が改めて高まり始めた。

●香港で運営されるサイト上では、中国人によると見られる「エジプト中国は違う」と指摘するブログも見られるようになった。

●また、中国国外に本拠を置く反政府系メディア「希望之声」も、「1989年の中国解放軍とは異なり、エジプト軍はデモ参加者に発砲しない方法を選択した」などとする記事を発表した。

 確かに、エジプト軍は2月4日現在、デモ参加者に「発砲」はしていない。恐らく、軍は、最後の最後まで、エジプト民衆に銃を向けることを躊躇すると思う。しかし、その理由は一部の中国人が考えるほど単純ではない。

少なくとも、「民衆の味方」であるエジプト軍が「文民統制」に服している「良い軍隊」であるのに対し、「民衆に発砲した」人民解放軍は「悪い軍隊」だったなどと考えるなら、それは大きな間違いである。

エジプト軍は権力そのもの!


筆者がアラビア語研修でカイロに住んだのは、1981年のサダト暗殺直前の2年間だった。当時から、エジプト政治は事実上「軍」が支配してきており、エジプトに真の意味での「シビリアンコントロール」は存在しない。

 1952年のクーデター以来、軍は常に「権力」そのものであり、フスニー・ムバーラク(ムバラク)大統領はもちろんのこと、ガマール・アブドン・ナースィル(ナセル)大統領も、アンワル・アッ・サーダート(サダト)大統領もすべて軍人だった。

 1970年、アラブ民族主義を標榜したナセルが急死。大統領に就任したサダトはそれまでの社会主義的政策を転換し、1978年以降はイスラエルと単独和平を進めた。1981年、サダトエジプト軍兵士により暗殺され、爾来30年、ムバラクが大統領として君臨する。

 このように、エジプト軍は過去60年にわたって圧倒的な権限と権益(利権)を事実上独占してきた。エジプト民衆は軍を「尊敬」しているなどと報じられるが、それは自分たちを直接取り締まる「警察・公安組織」への反感の裏返しに過ぎない。

 今回、エジプト軍が発砲していない理由は恐らく2つある。第1は、下手に「流血の事態」を引き起こして、これまで築き上げてきた政治・経済的権益を一気に失いたくなかったこと。

 第2は、過去30年間密接な関係にある米軍が「軍の介入」に強く反対したと思われることだ。

 要するに、今はヒーローのように報じられているエジプト軍も、一皮剥けばこの程度の組織なのである。

文民統制が機能した(?)解放軍!

 冒頭書いたように、1989年の天安門事件で、人民解放軍は市内の学生を中心とする民衆に対し無差別発砲した。しかし、これは当時の中国共産党最高首脳部(鄧小平)の命令に従ったためである。

 人民解放軍の名誉のために言えば、当時の解放軍首脳は解放軍精鋭部隊による武力鎮圧に最後まで反対していたと言われる。鄧小平は「北京に知人・友人の少ない」地方の部隊を投入せざるを得なかったというのが最近の定説らしい。

「自己主張」を強めつつあるとはいえ、当時も今も、人民解放軍は中国共産党の支配下にある軍隊であり、中国政治の実権は解放軍ではなく、(今はたまたま文民からなる)党中央の最高首脳部にある。エジプト軍とは大違いなのだ。

 だとすれば、1989年の人民解放軍は共産党版「文民統制」に従っただけであり、当時の党中央軍事委員会・鄧小平主席の命令を忠実に実行したということになる。屁理屈と言われるかもしれないが、これがタハリール広場と天安門広場に関する筆者の違和感の理由だ。

エジプト騒乱の教訓!


今回はエジプトの話ばかりになってしまった。エジプト情勢は現在も流動的であるが、中国が最近のチュニジアやエジプトの騒乱から得るべき教訓は決して少なくないように思える。

 最後に、中国共産党に成り代わって、筆者が勝手に得た教訓をいくつか挙げてみよう。

(1)米国から言われるままに「政治の民主化」を進めてはならない

 中途半端な自由化は、逆に墓穴を掘る。チュニジアも、エジプトも、ヨルダンも、一定の自由があったからこそ、フェースブックやツイッターが機能し、制御不能な大衆動員が可能になったのである。

(2)どんなに緊密な関係を築こうとも、米国政府は信用できない

 米国はそれまで強く支持してきた政権ですら、掌を返したように見捨てる国だ。古くはイランのシャーの例があり、今回のベン・アリやムバラクも例外ではない。まして、中国共産党が同様の危機にある時、米国政府は全く頼りにならないだろう。

(3)騒乱中の民衆は無責任であり、国家全体の利益を考えて行動しない

 いったん騒乱が始まれば、一般大衆は合理的な判断をしなくなる。今後もエジプトで混乱が続けば、観光を中心とするエジプト経済は壊滅的な打撃を受けるだろうが、デモ参加者にそのことを理解させることは不可能に近いだろう。

(4)警察が騒乱に対処できなくなっても、安易に軍隊を投入してはならない

 1989年であればともかく、21世紀の今日、武力鎮圧は逆に体制崩壊を早める可能性が高い。中国共産党も、現在のエジプト軍部のように「狡賢く」振る舞い、政治的譲歩をしてでも、既得権益の喪失を最小限に止めるよう慎重に行動すべきである。

 特に、中国共産党首脳部が最後の教訓を正しく学んでくれることを心から祈りたい。

第36回 軽井沢インターナショナルスクール 設立準備財団 代表理事 小林 りんさん (1/4)

今回のC-Suite Talk Liveは、軽井沢インターナショナルスクール 設立準備財団 代表理事 小林りんさんにご登場頂きます。

小林さんは、高校時代にカナダのUWCピアソン・カレッジに単身留学。帰国後は東京大学経済学部で開発経済学を専攻され、外資系投資銀行(モルガン・スタンレー)でキャリアをスタートされました。その後、仲間とともにベンチャー企業を興し、取締役に就任。50名規模の組織で、経営者としての経験を積まれました。

社会人5年目で国際協力銀行(現国際協力機構)へご転進され、かねてから関心のあった途上国支援に関わる機会を実現。その後は、学生時代からライフワークと考えていた教育分野での国際協力への思いが募り、再び海外へ。スタンフォード大学で国際教育政策学(修士)を専攻されました。

そして2006年、念願だった国連児童基金(UNICEF)のプログラム・オフィサーとして、フィリピンへ。ストリート・チルドレンの非公式教育に従事。その活動を通じて新たな気づきを得て、2008年8月に帰国。以後、あすかアセットマネジメントの代表取締役 谷家衛さんとともに、軽井沢インターナショナルスクールの設立準備プロジェクトをリードしておられます。


今の延長線上にはないスクールを!

古森 本日は、設立準備でお忙しいところを有難うございます。この対談シリーズは、企業経営者をはじめ世の中にインパクトのある各界のリーダーにご登場いただいて、何かヒントになることを発信しようという活動です。よろしくお願い致します。

小林 こちらこそ、よろしくお願い致します。

古森 マーサーは主として企業を相手にコンサルティングをしていますが、「会社に入る前の人材育成も大事だな」と思うことが多々あります。グローバル化した舞台で活躍できる人材を増やしていくことが時代の要請ですが、その根本は企業に入社する前に形成される面もたくさんあると思います。そんな中、軽井沢インターナショナルスクールの考え方に大変興味を持ちました。最初に、スクール設立にこめた思いなどをお話し頂けないでしょうか。

小林 そうですね。軽井沢インターナショナルスクールが目指しているのは、「リスクや変化を恐れず、新たな価値観を生み出すことに喜びを見出せる人間の育成」です。それを、一言でいえばこれまでの日本に存在しなかった方法で実現させようという試みです。

古森 まさに、日本という国全体が求めている人材像の一つですね。イノベーションやアントレプレナーシップなどの言葉を想起します。これまでにない方法というのは、具体的にはどのような内容になりますか。それ自体が、まさに新たな価値観への挑戦なのだと思いますが。

小林 まず学校の枠組み的な面から言いますと、全寮制の高校になります。一学年50人前後で、共通言語は英語にして、アジアを中心に世界各国から生徒を集めて多国籍のクラスにします。世界各国で認められている国際バカロレアプログラムを導入する予定の他、日本の文部科学省の高校卒業資格も取得できるようにすることを検討中です。

古森 ダイバーシティにあふれたクラスになりそうですね。全寮制自体はこれまでの日本にもありましたが、男女はもとより、国籍まで含めて圧倒的な多様性を実現するというのは、確かに新しいと思います。

小林 10代といえば、もっとも多感な時期でしょう。その多感な時期を、様々な国籍の生徒が一緒に暮らしながら、時には競い合い、あるいは学び合いながら育っていける環境を提供したいと思っています。

古森 日本人のためだけの学校ではなく、日本という場所にある国際プログラムなのですね。日本の良さも出していきながら、日本人だけを育てることが目的ではない。あくまでも、文字通りインターナショナルスクールなわけですね。

小林 そうです。ここから新しい時代のアジアのリーダーが育ってくれればと願っています。これまでのリーダーシップ論って、どうしても欧米で発達した考え方がベースになっている面が強いと思うのです。でも、アジアにおけるリーダーシップというのは、少し何かが違うのではないかと。

古森 なるほど。

小林 日本人の持っている価値観、例えば、自然をいつくしむだとか、「もったいない」とか、そういった良さは世界に向けて新しいバリューになるのではないでしょうか。こういう国があるということが、これからの世の中で重要な意味が出てくると思っているのです。

古森 日本人でさえ見失いつつある価値観も、再認識されるかもしれませんね。しかしまた、場所も軽井沢ですか・・・。自然あふれる場所ですね。

小林 私が一つ参考にできると考えているのは、スイスです。欧州におけるスイスというのが、日本が目指すべき次の姿に少し近いのかも知れません。そのスイス、英語圏ではないのに、インターナショナルスクールがたくさんありますね。なぜだと思います?

古森 なるほど、言われてみるとそうですね。なぜなのでしょう。

小林 それは、「治安と安全と教育」というキーワードに集約されます。インターナショナルスクールに子弟を送っている親御さんたちの声を集約すると、そのキーワードが見えてくるのです。

古森 なるほど、「治安と安全と教育」ですか。たしかに、子を持つ親の気持ちとしては、それはよく分かりますね。大学以上になると学生自身の判断があるでしょうが、高校くらいまでは、まずはそれが大事だというのは万国共通なのですね。

小林 アジアにあてはめて考えてみると、例えば経済発展著しい中国がアジアのスイスになりうるかどうか。少なくとも現時点では、そういう感じではないですね。シンガポールは印象が良いですが、狭い国ですので環境という点では必ずしも広がりや奥行きがあるとはいえません。ところが日本には、治安も環境も大いに誇るべきものがありますから、あとは世界水準の教育を提供できる学校があればいいのでは、と思うのです。

古森 年々悪化している部分もあるでしょうが、それでも世界を見たら圧倒的に治安と環境のリーディング・カントリーであることは間違いないでしょうね。それで軽井沢なのですね。たしかに、日本の中でもさらに良い場所だと思います。ある意味、スイス的です。ちょっとスノッブなイメージもあるにはありますけど。

小林 そこは議論があったところです。「軽井沢」「インターナショナル」という二語を見ると、何か富裕層向けのプログラムのように思われてしまう可能性もありました。校名を変えようかという話が出ているくらいです。ミッションが明確に伝わるようにする必要がありますよね。つまり、国籍だけでなく社会経済的バックグラウンドや思想や能力など、本当の意味で多様性にあふれる生徒が集う場所を実現したいということですが。

古森 多様性を重視したら、色々な人が参加できるプログラムでなければなりませんね。

小林 はい。たくさんの方に門戸を開くことが重要です。そのために、奨学金のほうも充実させようとしています。

 

カナダとフィリピンでの原体験!

古森 小林さんが「軽井沢インターナショナルスクール設立」というテーマに出会った経緯は、色々なメディアで伝えられているところです。あらためて、ご自身の経験など今の活動のバックボーンになっているものをお聞かせ頂けますか。高校生の頃にカナダに留学されたことが、大きな転機だったと伺っておりますが。

小林 そうですね。これまでの人生の色々なことが支えになっていますが、高校生時代のカナダ留学は、たしかに大きな転機でした。

古森 留学は高校2年からでしたかね。

小林 はい。自分で振り返っても決して優等生ではなかったですね(笑)。野心家で、既存の体制に疑念を抱いていて。生徒会の役員をしていたのに、クラスのみんなを率いて授業をボイコットしたこともありました(笑)。暗記中心の勉強にも納得できませんでしたし、「もっと自分力を伸ばしたい」と思っていました。それが、留学を決めた背景です。

古森 その問題児(?)が、カナダの学校で何を見たのでしょうか。

小林 留学してすぐに野心は打ち砕かれました。得意だった英語が通じない、友達もなかなか広がらないという状態が、1~2ヶ月続きました。試験で何も出来ず、悔しくて泣いてしまったこともあります。

古森 劇的な環境変化ですね。

小林 でも、しばらくすると英語も何とか追いついてきて、授業や会話が理解できるようになっていきました。そうすると、気づくものがたくさんあったのです。

古森 言葉の壁の向こうに、何があったのですか。

小林 何か徹底的にとがったものを持った、様々な個人との出会いです。算数は苦手なのに言語となると六ヶ国語を操るスウェーデン人、数学では飛びぬけた才能を示す中国人、ジャズピアノが天才的にうまいアメリカ人など、日本では考えられないようなすごいクラスメート達と出会ったのです。

古森 日本の一般的な学校の風景とは、だいぶ違いますね。

小林 そういう出会いが、カナダの雄大な自然と美しいキャンパスの中で繰り広げられました。言葉の壁を越えてからの留学生活は、多様な才能に触れ、自分の得意なものを磨くことの大切さを知り、そして生活全体でそれらを吸収していく日々でした。

古森 「自分の得意なものを徹底的に伸ばす」ということの意味は、その現実を見てみないと理解できないかもしれませんね。私も留学中に、日本では見たこともないような飛びぬけた才能と数多く出会って、世界観が変わりました。

小林 もう一つ、今の活動の大きな原動力になっているものは、フィリピンでの経験です。

古森 ユニセフのオフィサーとしてのご経験ですね。そこに至る経緯も含めて、ちょっとお伺いしたいですね。

小林 高校時代の留学経験の影響もあって、私は自然に国際協力に興味を持つようになっていました。帰国後、大学では開発経済学のゼミに入りました。卒業後に外資系投資銀行で勤務したり仲間とベンチャー企業を立ち上げたりしましたが、その後国際協力銀行に入って、開発途上国のインフラ開発の仕事に就きました。

古森 だんだんと、パッションのある方向へと進んで行かれたのですね。

小林 ええ。それと同時に、教育分野にも学生時代からずっと興味がありましたので、「教育分野で国際協力」というのを、いずれライフワークにしたいと思っていました。思いが募って、その後米国の大学院に留学して、国際教育政策学の修士をとりました。

古森 自分が思う方向に、迷わず突き進んでいく感じですね。とんがっているなぁ、と思います。

小林 そして2006年に、国連児童基金(UNICEF)のプログラム・オフィサーとしてフィリピンに赴任するチャンスが巡ってきました。ミッションは、ストリート・チルドレンの非公式教育活動の推進です。そういう人々に教育の機会を提供することこそが、開発途上国の生活改善の起爆剤になると思っていました。

古森 実際にフィリピンに赴任してみて、いかがでしたか。

小林 色々と役に立てたと思います。でも、根本的な問題は別のところにあるということも、身をもって認識することになりました。選挙で大勢の人が亡くなり、汚職の絶えない社会。当のフィリピン人の中にも、自国に見切りをつけて国外へ移住する人がいました。そんな現実を見るにつけ、「教育が普及すれば、投票行為を通じて人々が社会を変えていける」という仮説は、「リーダー層がまず変わらなければだめだ」という信念へと形を変えていきました。

古森 そこで「リーダー育成」というテーマにたどり着くわけですね。

小林 それからは、自分が世の中のためにやるべきことが明確に見えてきました。これまでに培ってきた教育分野の知識、財務や経営の経験、そして、いかに人間の個性が伸びうるかという留学中の実体験などを総動員して、「社会を変えていけるリーダーを育成したい」と考えるようになったのです。

古森 その思いが、今の活動に直結したのですね。

小林 そんな折に、今いっしょに設立準備を進めている谷家 衛さんに出会ったのです。谷家さんは、あすかアセットマネジメントの代表取締役で、投資の世界では有名な方です。その谷家さんに私が考えていたことをお話ししていたところ、「日本にアジアのハングリーで才能のある生徒を迎えるインターナショナルボーディングスクールをつくるべきだと思う。それこそりんちゃんにぴったりでりんちゃんだったら素晴らしい学校がつくれる。一緒にやろう。」と言われました。さらに色々話しているうちにとても共鳴するものがありまして、「いっしょにやりましょう!」ということになったのです。

古森 自分のパッションに沿って突き進んでいくと、運や縁まで味方してくれるものなのですね。色々なものが大きな奔流になって、今の活動に流れ込んでいるようなイメージが浮かびました。

このプロジェクト自体がリーダーシップの教科書!

古森 私、お話を伺っていて思うのですが、この設立準備プロジェクト自体が、既にリーダーシップの教科書のようなものだなと・・・。

小林 色々苦労しています(笑)。

古森 この設立経緯や、その背景にある思いなどをケースにして、スクールが出来たら教材の一つにすべきじゃないかと思います。リーダーシップの定義も色々ありますが、結局は、「その人のところに人が集まる」ってことじゃないですかね。権限・権力とかポリティクスとかじゃなくて、その「人」自体が引力を持つ。そういう状態が、一番自然にリーダーシップが働く状態だと思うのです。今起きていることは、まさにそれだなと。

小林 そんな大それた話ではないと思っていますが、この取り組みに共鳴して、本当に色々な人々が参画して下さっています。「こういう風になるといいな」という瞬間に、本当にそれを実現する力を持った人があらわれて、力を貸してくれるような感じです。

古森 何か引力があるんですよ、きっと。

小林 先日は、「ウェブに動画を公開したい」と話していたところ、Facebook経由で映像作家の方が名乗り出て下さって、無料で映像を製作して頂けました。「中国語訳が必要だ」と思っていたら、中国語訳をボランティアでして下さる方が現れたりして。困ったときに、天から助けが降りてくるような感覚です。

古森 それは偶然ではなくて、このプロジェクトが目指しているものに多くの人が共鳴しているからでしょうね。世の中の流れとしても、金銭授受を伴わない形で、「良いと思うことをやる」という価値観が、だんだん市民権を得てきていると思います。少し前のスタンフォード大学の卒業式スピーチで、オプラ・ウィンフリーが「お金をもうけることも大事だけど、仕事の意味も大事よね」と語っていたのが印象的でした。「意味の時代」が来ていますね。

小林 たしかに、自己実現の場を見つけようとしている人が増えているように思います。自分の持つ腕、専門性などを世の中に共有化したいという動きは、強くなっていますね。

古森 日本の経済は大変な時期を経て今に至りますが、ある意味で社会に多様性も生まれましたね。必ずしも大勢が同じようなステップで世の中に出て行くわけではなくなったし、半強制的に何かに集中的に取り組まざるを得ない場面も増えていると思います。そういう中で、結果的には多様な価値観や経験を持った人々が、社会の中に増えているのを感じます。

小林 このプロジェクトのメンバーやサポーターも、まさに多様な個性の塊ですよ。先ほどの谷家さんをはじめ、アドバイザリーボードや理事会には実にたくさんの第一線で活躍されていらっしゃる皆様がお名前を連ねてくださっています。

古森 そういう、自分の意思が明確な人々が集まっているチームなら、困難に接しても乗り越えていけるでしょうね。

小林 そうですね。用地の取得や学校の許認可申請など、これでもかというくらいに色々なチャレンジがやってきますが、皆とても明るいのです。「これもラーニングのための必要なステップだ」「きっとなんとかなる」と、非常に前向きです。

古森 やはりこのプロジェクト自体が、小林さんを核としたリーダーシップの象徴的出来事であり、また、今日的なアントレプレナーシップのお手本だと思います。なんというか、圧力のリーダーシップではなく、引力のリーダーシップとでも言いたくなるような。

小林 不可能と思ったら、本当は可能なことも出来ないですから。物事をリードする自分が、まず「出来る!」と思っていないと。

古森 21世紀のリーダーシップは、「ねあか」がキーワードですかね(笑)。

小林 「ノーテンキ」とも言います(笑)。


「学び」のコンセプト!

古森 ところで、実際にスクールが設立された暁には、どのようなプログラムが展開されるのですか。まだ詳細はこれから詰めていくのでしょうが、コンセプトレベルで結構ですので、お聞かせ願えればと・・・。大変興味があります。

小林 まさに今、激論を交わしているところです。狙っている「学び」にも色々な面がありますが、まずカリキュラムという点から言えば、やはり自主性を思い切り引き出すような仕掛けを考えています。

古森 小林さんが留学中に経験したものが背景にあるのでしょうね。受身ではなくて、徹底的に自己、個人の中に動因を求めていくスタイル。

小林 言い換えると、「誰かが決めた課題を解く力」よりも、「課題そのものを見つける力」を養いたいと思っています。例えば、スタンフォード大学の「d.school」ってご存知でしょうか。

古森 いえ、不勉強ですみません。

小林 色々な学部の人たちが集まってプロダクトデザインをするというところからはじまった、「デザイン思考」と呼ばれる面白いプログラムです。今度はそれを小中学校・高校レベルに広げようとしています。シリコンバレーのある学校では8年生までのラボがあって、例えば「今日はサンフランシスコ・メトロ(=地下鉄)が課題です」というと、皆で実際に現場を見に行って、観察やインタビューをすることでユーザーの立場に立ち、解決しなくてはならない課題を見つけます。その後、「何が問題だったでしょうか」「喫緊の課題は何ですか」という具合に、クラスルームで議論が行われます。そしてプロトタイプと呼ばれる試作品を多くつくり、クリエイティビティを発揮しつつ批評も受けながら改善を図ろうとします。

古森 きわめて実践的なプログラムですね。小中学校レベルでも、その方式が機能するのでしょうか。

小林 機能するのです。議論が始まると、「やはりサービスが売りだ」とか、「子供には吊革がつかまりにくいよね」などの声が出てきて、それらが新たなプロダクトデザインの着想につながっていきます。今年実験的に軽井沢でもサマーキャンプに採り入れてみたのですが、2日間の短縮バージョンでも子供達の反応はすごかったですよ。カリキュラムに取り入れていく一つとして、確信を持ちました。もちろんそのまま導入するのではなくて、私たちの学校なりにカスタマイズするつもりです。

古森 面白いですね。企業の経営者から見ても、興味深いプログラムに映るだろうと思います。先ほどおっしゃったように、可視化された課題への取り組み以上に、これからは課題を構想すること自体がビジネスの鍵ですから。10代のうちからこうしたプログラムで鍛えれば、事象に触れた際の思考回路が変わっていくのではないかと思います。

小林 そうした方法論的なものを研究しているところですが、「学び」という視点では生活環境自体にも大きな意味があると思っています。

古森 全寮制で、先生も一緒に住み込みという環境・・・のことですね。

小林 様々な国・バックグラウンドから来た生徒で形成される一学年50名前後のグループ。それが、まずは高校3学年、ゆくゆくは中学校の設立も検討したいと思っているので、そうしたら6学年になって一緒に暮らすわけですから、生活環境に持ち込まれる多様性はすごいことになるだろうと思います。

古森 たしかに、すごいことになりそうですね。楽しいことばかりではなくて、まさに喜怒哀楽のすべてを濃密に経験することでしょう。

小林 いわば、生態系のようなものだと思っています。多様性を高めて、同じ空間に住んで頂き、そこから先はある程度自然に起きてくる有機的な変化も是とするわけです。もめごとも絶えないでしょうし、本当に色々なことが起きるでしょうが、それらは大事な学びの要素になっていくのです。

古森 生態系ですか。なるほど、しっくり来る表現です。

小林 そういう意味では、親御さん達にも理解して頂くことが必要です。

古森 自然の中で、多様な学生達が集まって、どんな生態系が出来るのでしょうね。今から楽しみですね。

 

サマーキャンプの手ごたえ!

古森 先ほどサマーキャンプのことをちらっと触れられましたが、どんな感じでしたか。今年初めて実施したサマーキャンプが、軽井沢インターナショナルスクールの今後を占う試金石的な位置づけになったのではないですか。

小林 そうですね。サマーキャンプは、まさに将来のプログラムのミニチュア版でした。参加者も、我々運営サイドも、色々なことを学ぶことができました。例えば、教育の多様性を提唱していますが、実際にミャンマーなどから参加者があって、その子供たちが参加者全体に与える影響が実体験できたのは大きな収穫でした。参加者の親からも、「この子がこんなに変わったので驚いた」といったコメントがたくさん寄せられています。

古森 参加者の親御さんが綴ったレターが、いくつかウェブサイトに出ていましたね。私も拝読しました。フィリピンから寄せられたレターが特に印象に残りましたが、その親御さんが使う英語の洗練度なども含めて、何かこう、今までにないものが集まり始めているな・・・という雰囲気を感じました。新しい風が吹き始めているようです。

小林 ちなみに、色々な国から多様な人々を集めるために、サマーキャンプにも奨学金の仕組みを導入しています。

古森 日本人だけのためのスクールではないと知りつつあえて聞きますが、日本人の参加者の変化みたいなものは、どんな感じでしたか。

小林 劇的に変わります。先ほどお話した「d.school」の短縮版で子供達が見せた変化には驚くべきものがありましたし、何よりも一緒に過ごす中で自然に発生する刺激のようなものがすごいのです。例えば、ミャンマーから来ていた子は、アウンサン・スーチーさんの活動を生で見て育った世代です。「ビルマの民主化のために一生をささげます」なんて真顔で言うのです。名前に「Aung」という文字が入っていて、聞いてみると、スーチーさんの活動に感銘を受けて、10歳の頃に親に頼んで改名してもらったのだとか。

古森 10歳でその意識ですか。

小林 日本だって色々ありますけど、やはり日本では考えられない環境の中で、まったく違った個性が育っているのです。その子が育った環境や考え方に触れて、日本の子供達も大いに刺激を受けました。フィリピンからも3名来ていましたが、サマーキャンプで10日ほど一緒に過ごしたら、「タガログ語を勉強したい」という日本人の子供も現れてきたりして、せっかくの生徒達の自主的な反応なので、急遽タガログ語の授業を用意しました。

古森 その「タガログ語を勉強したい」というような反応は、要はある種のリスペクトだと思うんですね。10代の多感な時期に色々な個性と触れて、自然な形で異文化にあこがれたり、リスペクトしたりするようになる。これまでのステレオタイプの日本人とは違う、異文化に対する高い受容性を持った人が育っていくかもしれませんね。多様性を集めて、新たな生態系が動き始める・・・。

小林 日本人にも海外からの生徒にも、そういう変化が起きることを期待しています。

古森 短いプログラムとはいえ、サマーキャンプという形でまがりなりにも「本番」が試行されたことの意義も大きいですね。やはり、概念が実際に形になり始めるというのは、運営サイドにとっても世の中から見ても、大きな意味がありますね。

小林 それは、本当にそう思います。色々判断に迷うこともありましたが、サマーキャンプという形で動いてみて良かったと思います。何よりも、得られた反響に手ごたえを感じることができて、プロジェクトチームとしても確信を得ることが出来ました。

古森 まず行動。アントレプレナーシップですね。

小林 講師陣にも一流の人々を招聘したのですが、最初は半信半疑の方もおられました。何しろ伝統も何もない、「ぽっと出」の学校ですから。でも、サマーキャンプを実際に進めていく中で、このプロジェクトに強いコミットメントを持って下さるようになりました。

古森 サマーキャンプという試みが、また一つ、人々が集まる流れを作ったようですね。最後に、2013年の開校に向けて、何か企業セクターに期待することはありますか。現在でも既に、理念に賛同して様々な企業や経営者の方々が応援団に加わっていると伺っていますが。

小林 ありがたいことです。フルタイムでやっているのは私一人で、あとは全部ボランティアという状況で、このプロジェクトが何とかここまで進んできたのは、そういうサポートがあってこそだと思っています。

古森 協賛のような形で資金面の支援ももちろん意味があるでしょうが、他にも企業セクターがやれることはありそうですね。教育のコンテンツ面でも、ビジネスの現場で起きていることのエッセンスを、10代の子供達に伝えられたら有意義なのではないかと思います。日系企業の話もいいですし、日本で苦労している外資系企業の話などもスクールの趣旨にあうかもしれません。「d.school」的な仕組みとの組み合わせも考えられますね・・・。

小林 もしかしたら、様々な国から集まった生徒達に何かを伝えることで、企業の人々にも気づきがあるかもしれませんね。

古森 2013年はすぐにやってくるでしょうが、まだ色々と試す時間もあるわけですよね。昨今、企業としても10代までの人材育成のあり方に強い関心を持っていますから、何かクリエイティブな取り組みが考えられるかもしれませんね。企業セクターとのコラボレーションの可能性、是非またブレーンストーミング致しましょう。

そろそろ、時間になりました。あっという間の90分でしたが、小林さん、今日は本当に有難うございました。今後の展開に期待しております。




[対談終]
~ 対談後記 ~
小林さんがスタンフォードで書かれた修士論文があります。「International Educational Administration and Policy Analysis – Beyond the numbers: An Analysis of the Effectiveness of the Filipino Education Project」と題するその論文は、当時の小林さんの課題意識がじかに伝わってくる力作です。フィリピンでの世界銀行・JBIC共同の教育プロジェクトを題材にとり、途上国支援へのインプットが実際にどうアウトプットにつながるのか、定量・定性の両面から考察を加えた内容です。意欲的で価値ある論文だと思います。しかし、小林さんとの対談を終えた今、良い意味でこの論文が霞んで見えるような気も致します。それは、小林さんが証明すべき対象物が学術的な世界を超えて、今や教育事業そのものになっているからだと思います。その時その時の自分のパッションに忠実に生きているからこそ、残してきた足跡にも光るものがあるのでしょう。

小林さん、有難うございました。


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陸上自衛隊

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E4%B8%8A%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A

守りに強い陸自を削るとは、新防衛大綱の大失態!

2011.02.03(Thu)JBプレス 柴田幹雄

1 はじめに

太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)たった四杯で夜も眠れず」。1853(嘉永6)年に黒船来航で大騒ぎの日本を揶揄した狂歌である。

 平成22(2010)年尖閣沖での青い中国漁船の体当たり攻撃や、平成19(2007)年の北朝鮮弾道ミサイル発射時なども大騒ぎになった。

 黒船では大騒ぎに引き続き、列国のアジア植民地化の危険を乗り越え明治維新という大きな歴史の進展があったが、今回はどうだろう。

 北西からの強風・大波に飲み込まれるのを防ぐ対応を急がねばならない。大騒ぎをするだけで忘れ去られれば、文字通り国難が忘れた頃にやってくる。

 我が国は、言うまでもなく島国で、四面をオホーツク海、日本海、東シナ海そして太平洋に囲まれている。日本へは海を渡ってこなければならない。すなわち脅威もまた海を越えてやってくる。

 この脅威に最初に対抗するのが海上自衛隊と航空自衛隊である。従って、海・空戦力の重要性は論ずるまでもない。そして中国の軍近代化特に海軍力の増強はまさに歴史的と言える。

 さらに、南西諸島、小笠原諸島、南鳥島や沖ノ鳥島を持つ日本の排他的経済水域は膨大な広さを有し、海自、空自に期待するところは大きい。

 しかし、海・空自さえしっかりしていれば日本は守れると勘違いをして、陸上自衛隊の予算を削ってでも海・空自衛隊を強化せよとなると、ナンセンスを超えて、これは危険である。

2 海空戦力の特性

陸上戦力に比べた海空戦力の特性はいくつかある。その1つが、空戦、海戦は、陸戦に比べ、OR(オペレーションズ・リサーチ)で計算したものに近い結果が実戦でも出る傾向が強い。その計算の1つにランチェスターの2次公式と呼ばれるものがある。

 質が同等のA、B両国の戦闘機が空戦を行った場合、残存機数は両者の戦闘参加機数の2乗の差の平方根で表せる。つまりA国5機とB国3機で戦闘した場合、Bの側が全滅するまで戦うとAの側で残るのは5-3=2でなく、25-9=16の平方根つまり4機が残る。

 Bは3機が全滅するまで戦ってもAの1機しか落とせない。戦力に差があれば結果が2乗で開いていくのである。

 もちろん戦闘機の性能やパイロットの技量や戦法の差で変わるが、これも定数を設定してシミュレーションできる。このシミュレーションは3次元空間を双方自由に機動し、機銃、ミサイルを撃ち合う空戦でかなり実戦に近い計算結果を得られる。

 海戦も空中戦ほどではないにせよ似た傾向がある。つまり敵味方の戦力分析が我に有利であると確信すれば、攻撃側は、攻撃開始をする場合の結果に対する不安が少ない。言い換えれば戦争開始の敷居は、必ずしも高くない。

 またもう1つの特性は、航空機、特に戦闘機の燃料搭載量から、戦闘の継続時間は通常数時間である。この短い時間に戦力の優勢な側が決定的な戦果を収める場合が多い。

 海戦もまた逃げも隠れもできない海上で、大口径火砲やミサイル、航空機からの爆撃・雷撃といった相互に致命的な破壊力を持つ武器で撃ち合うため、1日とか2日の短時日で決着がつく場合が多い。

 もちろん一国の空軍戦力、海軍戦力が日露戦争の日本海海戦のように1度の会戦で全力がぶつかることは稀であろうが、ひとたび優劣の差が開けば、戦闘を繰り返すごとに文字通り2次曲線的に戦力は落ちていく。

 さらに、これも海空戦力の特性の1つだが、地上にいる航空機の戦力は零であり、停泊中の艦船の戦闘力も通常の停泊状態なら零に近く、飛行場、停泊地を攻撃されればひとたまりもない。

真珠湾攻撃が証明した海空戦力の攻撃力!


1941年12月7日(ハワイ時間)の日本海軍による真珠湾攻撃は、航空戦力、海上戦力の特性をよく表している。

 日本海軍の空母から発進した約350機の艦上航空機の攻撃で、戦艦アリゾナをはじめ米海軍太平洋艦隊の戦艦6隻はすべて大きな損害を受け戦闘力を失った。

 また、ヒッカム、カネオヘ、ホイラーなど各飛行場にいた航空機約400機も188機が破壊、155機が損傷を受けた。

 このように、航空戦力は瞬間的に発揮する打撃力は素晴らしいものがあり、一方、海空戦力は戦闘態勢にないところを奇襲されると極めて脆弱であることが理解できると思う。

2時間で壊滅したエジプト空軍
 1967年6月5日朝、イスラエル空軍は、エジプト空軍がイスラエルの攻撃を予測し警戒していた早朝の警戒態勢を解除する時間帯で、高級将校が出勤途上である0845時(午前8時45分=エジプト時間)にエジプト飛行場を航空攻撃した。

 イスラエル空軍は10カ所のエジプト飛行場に一斉に航空攻撃を敢行し、その9飛行場を同時に、10番目を数分遅れて爆撃した。2時間足らずでエジプト空軍は壊滅し、6日間戦争の勝利は不動のものとなった。(田上四郎著 「中東戦争全史」)

 現代戦において奇襲などあり得ないという意見もあろうがそれは違う。攻撃をされる側は必ず奇襲の要素を持つ。すなわち攻撃されるとは思っていたが、こんなに早く来るとは、とか、こんなに大量に集中してくるとは、この時間に来るとは、などということになる。

 またはもっと端的に、まさか軍事的手段を使うとは思わなかったなどということになった場合、侵攻国空軍の奇襲攻撃で、日本の海空防衛力は瞬時に消滅もしくは大打撃を受ける危険性がある。

 しかも、これをニューヨーク時間で土曜日早朝に行えば、国連安保理が召集されるまでに数十時間を要し、国際世論を形成することもままならない。これで陸上自衛隊が弱体なら戦わずして日本は相手国の政治目的を受け入れるしかない。

 海空戦力は、攻撃をする場合には、非常に大きな打撃力があり、しかも迅速に行うことが可能で、攻撃後直ちに戦場を離脱することができる。

 その一方、防御という戦術行動は陸戦と異なり有利な要素は多くない。

 専守防衛という軍事的合理性から見れば極めて難しい戦略をとっている以上、日本周辺の海域・空域で防勢に立たざるを得ず、薄皮一枚と言えるほど縦深がなく、海・空戦力での防衛は固くても脆い防弾ガラスの防壁のようなものであろう。

3 陸上戦力の特性

 陸上戦力の特性は一言で言えば、地形を利用して強靭な戦いができることである。特に防御においてその特性を発揮する。

 大東亜戦争時における島嶼作戦で、日本陸・海軍地上部隊は、艦砲、航空戦力まで含めれば数十倍から数百倍の米軍を相手に数週間、時に数カ月間にわたって防御戦闘を継続した。

 ベトナムでは、ジャングルを利用し、北ベトナム軍は当初フランス軍と、のちには世界最強の米軍を相手に戦い抜き、最後はT-54戦車を先頭にハノイの南ベトナム大統領官邸に突入したシーンは有名である。

急峻な山岳地帯の多いアフガニスタンでは、歴史的にここに侵攻した大国の軍隊はいつも苦戦している。

 地上戦は、地形を利用しこれを戦力化することができる側に有利に働く。相対的な戦闘力比で優勢だからと言って、計算通り戦いが進むものではない。

 地上戦の泥沼に足を取られ、引くに引けなくなることが往々にして生ずる。

 作戦が数日以上続くのであれば、弾薬、燃料、医薬品、食料・飲料水などを継続的に補給せねばならず、道路、橋梁の補修、構築、情報、通信、輸送などを行う部隊も必要となり、戦闘員の数の数倍に及ぶ戦闘支援、兵站支援の要員を現地に送り込むことになる。

 従って、軍事力を使おうとする側にとって、海空戦力を運用するのみで解決できると思えばその使用への敷居は高くない。

 しかし、陸上戦力の投入を迫られるようなことになれば、国家としてがっぷり四つに組んでの戦争状態を覚悟せねばならず、戦争抑止の効果としては高いものになる。

4 全面侵攻の可能性と陸上自衛隊

 日本に対する全面侵攻の可能性は低い、だから陸自を削減してもよい。と言うのは文字通りの本末転倒である。「全面侵攻」の前に「陸上自衛隊を相手に、長期間の血みどろの地上戦を覚悟してまでの」という形容詞句がつくのを見落としている。

 陸上自衛隊が戦っている間に、日米同盟に基づく米軍の来援、国際世論の形成なども行う時間を稼ぐことができる。

 もし陸上自衛隊が限りなく縮小されれば、陸上戦闘を回避して、小規模の部隊が潜入し、必要とする島に旗を立ててしまえばおしまいである。

 また日本全域を押さえようと思えば、同じく少数の部隊で、首相官邸、議事堂、放送局を押さえ、「日本人民の総意を代表して、日本解放のため立ち上がった」などと放送されてしまえば万事休すであろう。

 少数の部隊で日本を制圧もしくは政治目的を達成可能になるなら、海自・空自の目をすり抜け、または合法的に入国することも含め、海自・空自のターゲットにならず侵入されてしまう危険性がある。

言い換えれば、陸自がなければ全面侵攻などしなくても、それと同じ戦争目的は達成できるのである。

 陸上自衛隊があればこそ、それに対抗する戦力を集中し、これを輸送する船団、輸送航空機を連ね、護衛がついて侵攻作戦になる。ここで初めて海上自衛隊、航空自衛隊も侵攻部隊を戦力発揮のターゲットとして認識できる。

 尖閣諸島周辺での青い漁船の不法行動や、いわゆるグレーゾーンの紛争に対処するため必要なのは、海自・空自の強化より、領海・領空を含む領域警備の法律的根拠の整備と、不法行動には断固とした処置を取るという政治的決断力であろう。

 また、防衛白書や、防衛計画の大綱に「懸念事項」と記された中国海軍の増強に対し、海自・空自を充実すると言うなら、それはグレーゾーンへの対処でなく、陸自をも巻き込む全面対決への対処であると覚悟を決めなければ艦艇、航空機を増やしたところであまり意味はないように思われる。

 また実際に全面侵攻が企てられるかどうかは別として、今回の尖閣事件ではっきりしたことは、軍事力をバックに恫喝をすることが有効だということである。

 日本が全面侵攻に対しても自らを守るに足ると思える程度の備えがない限り、実際は行う気がなくても、全面侵攻をにおわされただけで引き下がらざるをえないということが明白になった。

 日本に照準を合わせている核ミサイルについては、米軍の拡大抑止に期待するしかないが、中国恐怖症を克服し、少なくとも通常兵器での恫喝に泰然としていられるためには相当の備えが必要である。

 それには陸上自衛隊の増強、充実は不可避である。中国海軍が強化されるということは、すでに強大な兵力を持つ人民解放軍を、その海軍力が及ぶ範囲のどこへでも軍事展開できるということである。

 

5 防衛計画の大綱への疑問

今回の防衛計画の大綱を一読し、「防衛力を単に保持すること」から「適切に運用」することへ重点を移し、そのために必要なことに手を打つという変換は大いに評価できる。

 しかしそれをもってして、「基盤的防衛力構想」から「動的防衛力の構築」構想への変換とするなら違和感を覚える。

 基盤的防衛力とは、あくまでアジア全体を見て日本という場所に力の空白を作り不安定化することを避け、限定的で小規模な侵攻には独力で対処できる程度の防衛力で、本格侵攻には戦力のエクスパンド(拡張)をして対応するという「量的基準」について、しかも平時から保持しなければならない最低限の「基盤的」量について述べたものである。

 ところが、今回の「動的防衛力」構想は、使い方について述べたものではないか。

 基盤的防衛力構想の時代でも、例えば、北海道が侵攻されるとなれば、北海道以外に所在する師団を北海道に戦略機動させ、動的な戦力発揮を目指していたし、そのための長距離機動訓練も行っていた。

 基盤的防衛力構想では、情勢が緊迫し、有事が迫ってくれば、緊急に隊員募集し有事に必要な部隊を新編し有事対応の訓練をし、弾薬も緊急増産をする。

 さらに有事法制も作るという準備をある程度の期間で行うというエクスパンドの考え方が付随していた。

 ところが、今回の大綱では「兆候が現れてから各種事態が発生するまでの時間が短縮化され」(不法行動から武力攻撃自体まで)「事態に迅速かつシームレスに対応」と記述されている。

 ということは平素から、すでにエクスパンドした有事対応の編成、弾薬備蓄その他を構築しこれを直ちに使えるような状態で維持することが理論的に必要である。

 従って、動的防衛力を事態に即応して迅速に運用するなら陸自だけでも20万人くらいは平素から維持しておくことが大前提であろう。

 ところが、あろうことか陸上自衛隊は、1000人の削減だという。また火砲も戦車も200門/両減らされ、基盤的防衛力という平時から持つべき最低限の装備と考えていた数の半分以下に減らすことになっている。

 これでは論理的整合性が全くなく、動的防衛力構想は単なる削減のための屁理屈になってしまう。財政的に逼迫した状態で1000人削減に踏みとどまらせた関係者の努力に敬意は表するが、政治決定をした責任者の罪は重い。

6 陸上自衛隊のマンパワーについて

 陸上自衛隊の勢力15万4000人を多いと見るか少ないと見るかは、それぞれであろう。

 人口比で見ると、兵士1人が支える国民の数は、北朝鮮25人、英国610人、米国508人、ドイツ512人、フランス458人であり、一方、日本は900人である。

 北朝鮮は別格としても、先進諸国の兵員の2倍の仕事を陸上自衛官はしなければならないということである。

 しかもここで比較した欧州の国は、少なくとも直接的に侵略を受けることはもちろん軍事的脅威を受ける可能性も、極めて低いと思われるにもかかわらず、それだけの兵員を擁しているのである。ちなみに日本の警察官は約25万人、消防官は約15万人である。

では、15万4000人というが、実際の戦闘員はどれくらいだろうか、正確な数字は手元にないが、概算してみよう。

 いわゆる第1線戦闘部隊である普通科連隊は約50個ある。1個連隊実員が600人として約3万人、そのほか特科(砲兵)、戦車などの直接戦闘に関わる職種を1万人として計4万人ほどであろう。

 作戦を行う際は普通科連隊を単位として組み合わせるので、平均すれば、各県に1個普通科連隊強、この場合北海道のような広大な地域も、東京のような首都機能集中の場所も均等割すれば1個連隊の600人プラスアルファで守る。

 その600人も昼夜兼行で戦闘するわけにいかなければ、シフトを組めば200~300人。1つの県を防衛するのに働けるのは200~300人の兵士が戦闘に従事する。多いか少ないか。

 均等割りでなく東京で見ると、東京都および関東6県を守る陸自第1師団は約六千数百名であり、東京都内にある普通科連隊は、第1普通科連隊のみであり600人くらいであろうか。

 一方、東京都を管轄する警視庁の警官の数は、4万3000人である。国際貢献から災害派遣、緊急患者輸送まで何でも自衛隊だが、その数は決して多くない。

7 人件費の比率が高い陸上自衛隊

 陸上自衛隊の人件費のパーセントが多い、だから人件費を削るという。全く理解できない理屈である。陸上自衛官の給料が特別に高くて人件費が多いわけではない。

 航海手当て、乗艦手当て、航空機搭乗手当てなどを考えれば海自・空自の方が、人頭割の給料は相対的に高いだろう。

 陸自の人件費が多いというのはそれ以外の、一般物件費、すなわち装備品購入、訓練、燃料、研究開発などの金額が少ないだけで、海自・空自並みに装備品購入費など増やしてもらえば、分母が増え、人件費パーセントなどいくらでも落とせる。

 逆に言えば陸自はいかに経済的に人を養っているかということであり、現実に陸自の官舎、駐屯地を回ってみれば、そのつくりや、隊員食堂のいす・テーブルなども海・空自に比べかなり安物を使っており、粗末な環境で生活をしている。

 人件費の比率が高いのはいわばエンゲル係数の高い家計と同じである。

 こんなことを言うのは品がないからと、陸自の幹部は黙っているが、数字を見れば一目瞭然なのに理解できないふりをしている財務の官僚こそ理解できない。

8 南西諸島を見捨てるな

 南西諸島の防衛について考えるなら、動的防衛力構想もいいが、それは陸自の部隊が主要な島々に駐屯していることが作戦のインフラとなって初めて機能する。

 今まで述べたように、陸自部隊がたとえ少数でも現に配置され、侵攻勢力が地上戦を覚悟しなければならないことが大きな抑止になるのである。

 大事なことは、陸自部隊がいて、そこで血を流しつつ持久をすることで国家の防衛意思が固まるのであり、国際世論を形成することにつながり、本州その他からの増援(動的防衛)が意味のあるものになる。

 主要な島々に配置しておかず、情勢を見て緊急に展開するなどと聞こえはいいが、他国の顔をうかがう政治姿勢では、日本の戦争決意表明である部隊展開などタイミングよくできるはずはない。

 「無用の刺激を避ける」と称して決断を先送りし、その結果どこかの国に先に旗を立てられ、米国も来援できず、首相が遺憾の意を表明するだけで終わるというまさに悪夢が現実となる。

 そうならないためには、陸上自衛隊の部隊を南西諸島防衛の重点と見なされる島々に当初から駐屯地をつくり、配置しておくことが必要である。防衛作戦は、先にも述べたように、戦闘員がいるだけではできない。

 情報、通信、弾薬補給、医療等々多くの支援部隊と、兵站基地が必要だが、小さいとはいえ駐屯地がその役割を果たす。

 平素から南西諸島の主要な島々に陸自部隊を配置、駐屯させておくことで、不法行動、侵略行動を抑止でき、海自、空自の基地や飛行場、レーダーサイトなども防護できる。

 また戦車など、その総数を削ること自体に意義を見出しているようにも見えるが、高い金を出して74式戦車を処分するなら、維持費がかかるとはいえ、南西諸島に配置し、海岸砲として運用したらどうか。

 多くの国はそのようにして大事な防衛装備品を活用している。輸出もできず、金をかけてくず鉄にするのはもったいない。島の土質は琉球石灰岩と呼ばれる軽石のような岩盤で、シャベルやツルハシでは、簡単に穴が掘れない。

 あらかじめ掘った壕に戦車を入れれば大変正確な射撃のできる海岸砲になる。平素から島嶼防衛の意思を示すことが、無用の流血を避ける最良の方策である。このためには陸自隊員を増員する必要がある。

9 防衛費の総額を増加するしかない

現在の国際環境なかんずく北東アジアの情勢と、貿易・海運立国の日本というアイデンティティーを考えるならば、海上自衛隊、航空自衛隊を充実することは筆者として、決して反対するものではない。

 ただ、防衛予算の総額は増えないものと決めつけ、従って陸自の部分を削って海・空自へ回すという発想は到底肯んじえない。これを防衛関係者、自衛隊OBが言うのを聞くと情けなくなる。

 現在のようなデフレで、十分に金が回らないことによる不況であるならば、公共投資が1つの経済刺激策になるのは間違いなく、防衛予算を増やし、装備も充実させることである。

 防衛産業は裾野も広く、これに資金を回し経済の活性化を促し、隊員募集をして雇用を確保することは、極めて有効な経済刺激策になる。

 当事者たちにも評判の悪い子ども手当や、高速道路無料化など直ちに事業仕分けし、防衛費を増額し、陸・海・空の戦力の特性をよく認識した、必要かつ妥当なバランスを取った防衛力整備を行ってほしい。

 そのためには、陸・海・空のシェア争いを超越して統合の国家防衛戦略を策定し、それに基づき軍事的合理性のある大綱・中期防をつくり、防衛予算の積み上げ、配分をしなければ、まさにタックスペイヤーたる国民に申しわけない。

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私は、魚沼産コシヒカリを水口の水が飲める最高の稲作最適環境条件で栽培をしています。経営方針は「魚沼産の生産農家直販(通販)サイト」No1を目指す、CO2を削減した高品質適正価格でのご提供です。
http://www.uonumakoshihikari.com/
魚沼コシヒカリ理想の稲作技術『CO2削減農法研究会』(勉強会)の設立計画!
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