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アルカーイダ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%80
2011年1月20日(木)日経ビジネス 菅原出
公開された文書は「宝の山」!
2010年7月26日、ウィキリークスは7万5000点におよぶアフガニスタン戦争の機密ファイルを公開した。米ニューヨーク・タイムズ、英ガーディアン、そして独シュピーゲルの大手メディアが一斉にファイルの中味を紹介したこともあって、ウィキリークスの暴露文書は瞬時に世界中に知れ渡った。
公開された「アフガン戦争文書」は、アフガニスタン駐留米軍の最前線の部隊が、日々の任務の度につけている報告書や、現地のスパイやNATO諸国の他の部隊から寄せられた情報報告など、まさに現場から上層部にあげられている生の情報であった。
通常、アフガニスタンで起きている戦争の様子は、ジャーナリストが現地で独自に取材を重ねたり、米軍に従軍するなどして得た情報を基に書かれた記事の中から、新聞社などメディア会社の編集部が「伝える価値」があると判断したものだけが報じられ、我々一般読者の目に届く。
「もう爆弾テロのニュースは飽きた」と編集部に判断されれば、いくら悲惨な状況が続いていたとしても「ニュース」にはならないし、欧米諸国の一般読者には馴染みの薄い地元の部族間抗争のネタなどは、限られた紙面に掲載されることはほとんどない。
我々一般読者が目にすることのできる情報は、実際に現地で起きている日々の出来事からすれば、豆粒ほどのわずかな現象に過ぎない。
ウィキリークスが暴露した機密文書は、米軍の内部報告書であるから、もちろんアフガニスタンで起きていることすべてを反映している訳ではない。米軍側から見た一面的な見方に過ぎない。
しかも、現場の最前線の部隊が見たり、聞いたり、実施したことが淡々と報告されているだけで、その情報が「正確なもの」かどうかも分からない。通常は、こうした現場からの生情報が分析部門に集約され、そこで分析・評価が加えられた上で、政策立案者たちが使える形に加工される。こうしてできた情報やこの過程のことを「インテリジェンス」と呼んでいる。
公開された「アフガン戦争文書」のほとんどの情報は、メディアを介して我々に伝えられる情報と違い、何のストーリー性もアクセントもない、はっきり言って退屈な文書ばかりだ。しかし、現地に派遣されている部隊が日々どのような活動をしているのか。誰と会ってどのような話をしているのか。現地のスパイからどのような情報を入手して上層部に報告しているのかといった、通常では決して知ることのできない状況を明らかにする情報である。ジャーナリストや研究者、情報機関のインテリジェンス分析官にとっては、願ってもない「宝の山」である。
「北朝鮮・アルカイダ武器取引」を示す断片情報も
例えばこんな短い情報報告書がいくつも出てくる。
「2009年4月24日:モコル地区でタリバンが支援するパシュトゥン族がZAD ALI族に報復攻撃を仕掛ける模様。バドギース県のモコル地区にいる2名のタリバンが支援するパシュトゥン族が、4月中旬にZAD ALI族に対する報復攻撃を計画した。これは去る1月末に両部族の衝突によって受けた被害に対するリベンジである。さらにタリバンの陰のバドギース知事であるムラー・モハメド・イスマイルは最近、20丁を超す中国製のカラシニコフ銃等を調達し、モルガーブ地区にいる手下たちに配っている。」
「2009年7月11日:ワルダック県でハザラ族がクチス族から羊を強奪したことから、両部族間の対立が激化。地元のハザラ人たちが数百頭の羊を力づくでクチス族から奪い取ったことが原因である。武装したクチス人たちが続々と集結を始めており、羊の返還を要求している。」
こうした現地の部族間抗争の断片情報などは、当然大手メディアにとっては「取るに足らない」ものであり、「ニュースとしての価値」は低い。しかし、インテリジェンス分析官たちはこうした生の断片情報を集めて分析し、より大きな背景を明らかにして、その事象が米国にとってどのような意味を持つのか、を評価している(はずである)。
そして時々、我々日本人にとって、見過ごすことのできないびっくりするような情報も含まれている。日本のメディアでも一部報じられたが、北朝鮮とアルカイダの武器売買を記した以下の報告書はその代表例だろう。
「2005年11月19日:ヒズベ・イスラミ・ヘキマティアル派のリーダー、グルブディン・ヘクマティアルと、オサマ・ビン・ラディンの金融アドバイザーであるアミ氏がイラン経由で北朝鮮を訪問。北朝鮮で、2人は同国政府と、米国やその同盟諸国の航空機を撃ち落とすために使う遠隔操作式ロケットの商談を取りまとめた。金額は分からないがこの取引は成立し、この兵器の出荷は翌年の年明けすぐになされることが決まった。2人は北朝鮮に2週間滞在した後、12月3日頃にアフガニスタンのヘルマンド県に帰国。アミンはそのままヘルマンドに滞在し、ヘクマティアルはヌーリスタン県のクナールに向かった。」
この文書で登場する「アミン氏」とは「アミン・アル・ハク(Amin al‐Huq)」のことだと考えられている。この人物は2008年にパキスタンのラホールで同国の治安機関に逮捕されている。2007年12月21日付の『ロング・ウォー・ジャーナル』によれば、アミンはオサマ・ビン・ラディンの身辺警護部隊Black Guardの隊員の一人で、2008年1月にパキスタン当局に逮捕されたという。
そして、それから18カ月後、こんな報告書もある。
「2007年5月30日:CH‐47(チヌーク)ヘリコプターが、ヘルマンド川の上空を通過した直後に、ミサイルによる攻撃を受けて撃墜された。ミサイルの衝撃が機体の後部を上方に突きあげ、墜落現場へ急降下するとすぐに炎上。生存者はなし。」
北朝鮮とアルカイダの武器取引に関する文書は、この報告書がウィキリークス文書に含まれる唯一のもので、ウィキリークス文書だけでこれ以上この取引について検証することは困難である。もしこの情報が正しいとすれば、2006年1月には「遠隔操作式ロケット」の出荷が行われたはずである。2007年5月のヘリコプター撃墜の情報は、北朝鮮製の武器と関係があるかどうかは分からない。「ミサイル」と記されているだけで、それ以上のことは不明である。
ただ、少なくともこのような断片情報が存在することを、我々はこのウィキリークス文書を通じて知ることが出来るし、「北朝鮮・アルカイダ武器取引情報」の真偽の確認作業はもちろんのこと、こうした取引の可能性を考慮して、それまでとはまた別の角度から既存の情報を分析し直したり、さらなる情報収集活動に役立てることも出来るはずである。
知られざるイラン・タリバン・ネットワーク!
この北朝鮮とアルカイダの武器取引情報によれば、ヘクマティアルとアミンはイランを経由して北朝鮮に向かったとされている。イランと北朝鮮の武器取引に関する深い関係を考えれば、このルート自体何ら驚くべきものではないが、イランとアルカイダやタリバンの関係がここまで緊密であることを示す情報が出たのは、おそらくこのウィキリークス文書が初めてであろう。
「2005年1月30日:イランの諜報機関は1000億アフガニー(22万1800米ドルに相当)をイランとアフガニスタンの国境の県ファラ県まで運んだ。この現金はトヨタ・カローラ・ステーション・ワゴンの1990年モデルに積み込まれ、様々な食料品の間に隠された。このカローラにはヒズベ・イスラミ・ヘキマティアル派(HIG)の4名のメンバーが乗っていた。現金はそのままどこかに運ばれていった。」
ちなみにヘクマティアルは1996年から2002年までイランに住んでいたことがよく知られている。彼は80年代のアフガン戦争の時に米国やパキスタンが支援した軍閥の長だが、90年代終わりからイランの庇護下に入っていた。米国によるアフガン戦争が始まった後、アフガニスタンに舞い戻ったわけだが、その後も継続してイランから資金援助を受けていた訳である。これには十分説得力がある。
「2005年2月19日:8名の指導者から成るタリバン指揮官のグループが、ヘルマンド県とウルズガン県で米軍に対する一斉攻撃を計画している。このグループはイランに住み、アフガニスタンにボランティア・メンバーをリクルートする旅に出ていた。このグループはイラン政府から、アフガニスタン軍の兵士を1人殺害すれば10万ルピー(1740米ドル相当)、アフガン政府高官の場合は20万ルピー(3481米ドル相当)を支払うというオファーを受けていた。」
イラクでもパレスチナでもこのように「テロで敵を一人殺せばいくら」という報奨金を与える制度は普及しているが、アフガニスタンの不安定化のためにイランがタリバンのテロ攻撃に報奨金を払っていたとことを示すこの情報は、非常に生々しく興味深い。
「2005年9月18日:タリバンのメンバー数名がイランのマシャド(Mashad)に集まり、アフガン政府に対する攻撃の計画について話し合った。マシャドに住んでいると報じられているタリバンのメンバーの一人は、タリバン幹部の代理であり、アルカイダやタリバンのメンバーがアフガニスタンとイランを行き来する際の中継の役を担っている」
「2006年6月3日:2名のイラン人工作員が偽装身分でアフガニスタンに潜入している。彼らの任務は地元のアフガン人たちを扇動してアフガン政府やNATO諸国に対する反対運動を起こさせることである。このイラン人工作員は、ヒズベ・イスラミ・ヘキマティアル派(HIG)とタリバンのメンバーが、アフガン政府やNATO諸国の政府関係者、とりわけ米国に対してテロ攻撃を行うのを支援している」
さらに2008年9月には、「オサマ・ビン・ラディンの側近の一人であるアル・マンスール(Al Mansour)と関係のある7名のアラブ人が、アフガニスタンのヘラート県の村で目撃された。このアラブ人たちは、米軍やイタリア軍、もしくは誰でもいいので外国人に対する自爆テロを実行する部隊である。イラン革命防衛隊の一部門である諜報部隊に所属する4名のイラン人が、このアラブ人のグループにインテリジェンスを提供したり、グループ・メンバー間の活動を調整するなど、様々な支援をしている」とある。
イスラム教シーア派のイランとスンニ派の過激派であるアルカイダやタリバンは、対立する宗派であるため、当時、両者の間に協力関係はあまりないのではないかと思われていた。しかし、現実には「敵の敵は味方」の論理で、現場レベルでの協力関係がとられていたことを、これらのウィキリークス文書は示している。
2011年1月、筆者は、アフガニスタンで米国防情報局(DIA)など主にインテリジェンス関係の任務につき、現在は米国際開発局(USAID)や米麻薬取締局(DEA)などのアドバイザーをつとめるA氏に、イランとタリバンの関係についてインタビューをした。
A氏は「イランが今でもタリバンや他の民兵組織に大量の武器を供給し、大きな影響力を持っている」として、ウィキリークス文書の情報が正確であることを認めた。さらに、
「米国の衛星は、イランの軍に属するトラックが、アフガンの麻薬マフィアから麻薬を引き取り、イラン領内を通過して国境まで運ぶ運び屋の役割を果たしていることを記録している」
と述べて、イラン政府の一部が実はアフガン麻薬マフィアと組んでアフガン麻薬密輸のイラン・ルートが非常に活性化している事実も明らかにした。
「イランはアフガニスタンの議会選挙でも大量の現金を配ってアフガン政界に隠然たる影響力を持ち始めている。この辺はイラクと状況が似ている。カルザイ大統領とタリバンの和解交渉の仲介も積極的に始める一方、旧北部同盟の軍閥たちの資金援助も拡大することで、反タリバンの民兵組織も勢いを増している。米軍撤退後のアフガニスタンがどのように転んでも一定の影響力を維持できるように、あらゆる勢力に資金をぶち込んでいる」
まさに戦国時代を思わせる権謀術数の限りを尽くした謀略戦がアフガニスタンで続けられているようである。
ウィキリークスのアフガン文書から、そうした国際政治の暗闘の一端が垣間見えたのである。
RQ-1 プレデター
http://ja.wikipedia.org/wiki/RQ-1_%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC
MQ-9 リーパー
http://ja.wikipedia.org/wiki/MQ-9_%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC
2011年1月26日(水)日経ビジネス 菅原出
無人機作戦の日常的な光景!
ウィキリークスが公開した「アフガン戦争文書」は、それまでベールに包まれていた米中央情報局(CIA)や米軍特殊部隊の隠密活動の一端も白日の下に曝した。
CIAはその名の通り「情報機関」であるから、情報を収集し、分析することがその主要な任務である。しかし、こうした伝統的な分析作業のほかに、米国に対して直接的な脅威を与えるテロリストを探し出し、暗殺する特殊工作活動も実施している。そしてアフガニスタンやパキスタンでは、こうした特殊工作活動の手段として、近年、無人機によるミサイル攻撃が多用されている。
CIAが運用する無人機「プレデター」は、超高性能のビデオ・カメラとミサイルを搭載し、上空3キロほどを飛行し、CIAの要員や特殊部隊員ですら近づけないアフガニスタン・パキスタン国境の村々を上空から監視し、「テロリスト」を発見し次第、ミサイルを発射して殺害する能力を有する。CIAは、まさにリモコン操作の暗殺作戦を実施しているわけである。
また米軍も「プレデター」や「リーパー」などいくつかの無人機を運用し、同様に武装勢力に対する偵察や攻撃を実施している。こうした無人機による作戦は、政治的にも非常にセンシティブな問題であり、極めて秘密性が高い。これまでその運用実態はほとんど外部には知られていなかったと言っていい。
ウィキリークスが暴露したアフガン戦争文書の中には、以下のような短い報告書がいくつも含まれている。
「2009年6月4日:攻撃的なパトロールを実施中に、無人機(リーパー)が武装した反乱勢力一個小隊が(GR41RQQ45779072)地点の林に向かって移動しているのを発見。友好国の友軍がこの一群と交戦を開始したのを確認。13時52分、無人機は2発のレーザー誘導爆弾GBU-12で攻撃し5名の反乱武装兵が死亡。反乱武装勢力は再集結して無人機は再び交戦。1発のヘルファイヤー・ミサイルで攻撃し3名の反乱武装兵が死亡。14時20分、無人機は3名の反乱武装兵が携帯型対戦車砲(RPG)とAK47ライフルで武装し、(41RQQ449900)の地点から西に向かっているのを確認。無人機は1発のヘルファイヤー・ミサイルで攻撃。1名の反乱武装兵が死亡。9名の反乱武装兵ではない人々が死亡。」
この「反乱武装兵ではない人々」とは一般民間人のことであろう。
「2009年8月19日:第2軽装甲偵察大隊が無人機プレデターを用いてタリバン戦闘員を確認。白いトラックに乗車している。この敵勢力は地中にある武器庫から武器を運び出しているところが確認されている。これを受けて無人機はこの白いトラックに1発のヘルファイヤー・ミサイルで攻撃。6名の敵が死亡。連合国側の被害はなし。」
これはタリバン戦闘員たちが武器を仲間に輸送しようとしていたところ、無人機で発見されて、そのままミサイルを撃ち込まれたことを意味している。無人機を使った日常的な軍事作戦の様子が、淡々と記されている。
実は無人機は故障ばかりだった!
「アフガン戦争文書」で無人機関連の報告書を追っていて驚かされるのが、事故や故障の多さである。
「2009年10月17日:1300頃、ANA(アフガン国軍)は、20名ほどの反乱武装兵が干上がった川床にポジションを取るために南へ移動しているとの情報を入手。1400頃、無人機「レイブン(Raven)」が発車され、指定された地点へと向かった。しかし、川床で敵を確認することは出来なかった・・・(中略)無人機がUターンをしているとき、敵がいるとされたポジションから300メートルほどのところで、無人機は突然高度を失い墜落した」
一度、この高価なハイテクの塊が墜落してしまうとその後が大変である。機体が敵の手に渡る前に残骸を回収しなければならないからだ。
「直ちにわれわれは墜落した無人機を確保するために徒歩によるパトロールを6名の米兵と40名のアフガン国軍に要請し、墜落現場を上空からカバーし、監視するための航空支援も要請した。探索のためのパトロールを準備する間、アフガン国軍がこの任務に冷淡で、要請に応じないと通告してきた・・・(中略)われわれは警察の指導にあたっている教官チームと連絡を取り、無人機を回収するための徒歩もしくは車両でのパトロールを手伝ってくれるように要請。しかし、この教官たちは、現地でこの無人機が反乱武装兵たちに撃墜されたとのインテリジェンスがあるため、墜落現場近辺では待ち伏せがある可能性が高いとして、この要請に冷淡。しかも、すでに機体はタリバンの指揮官の家に運ばれたとの情報もある・・・」
結局、最終的には米軍部隊が無人機の回収に向かったが、タリバンは米軍に待ち伏せ攻撃をかけたため、米軍は撤退せざるを得なかったと記されている。
この事件は例外というわけではなく、「無人機が墜落」「無人機が故障」といったタイトルの報告書が次々と出てくる。2009年9月13日には、次のような事件も報告されている。
「アフガニスタン南部でコントロール・リンクを失った無人機リーパーを撃墜するためF-15戦闘機の発進要請がかけられた。この無人機を撃墜するとの決断が下される前に、同機とのリンクを回復するためのあらゆる手段がとられたが、結局同機が国境を越えてタジキスタン領内に入ってしまう前に撃墜するとの決定が下された。F-15はリーパーに射撃を行い、そのエンジンを破壊した。すると同機とのリンクが再び回復し、コントローラーは同機がRagh地区の山中に墜落したことを確認。同機の墜落地点も確認できた。リーパーには重要なアイテムは搭載されていないが、ヘルファイヤー・ミサイルとレーザー誘導型爆弾GBU-12が搭載されたままである。」
現在、無人機はオバマ政権が対アフガン戦略を進める上で、最も重要なツールの1つとなっている。増派部隊によるアフガン安定化作戦が思うように進まない中で、無人機によるタリバン指揮官やアルカイダ指導部への攻撃は、オバマ政権が唯一「成功している」と胸を張って主張している作戦だからである。
特にアフガニスタンから国境を越えてパキスタン側へ逃げ込み、そこに拠点を築いているタリバンなど反米武装勢力に攻撃を加えるため、米軍及びCIAはますます無人機への依存度を強めている。
2010年9月、デヴィッド・ペトレイアス駐アフガン米軍司令官は、CIAに対して米空軍が運用していた無人機を貸し出し、CIAの権限で進められているパキスタン領内への無人機攻撃をさらに倍増させることを認めた。
これにより、それまでは週に2回程度だった無人機による攻撃が、9月に入ってから週5回のペースに倍増されたという。この結果9月の1カ月間だけで、パキスタン領内で実施された無人機によるミサイル攻撃数は22回に上っており、9年前にアフガン戦争が開始されて以来、最多を記録している。
オバマ政権は、無人機の使用をさらに拡大させ、対テロ任務の柱に据えている感さえ見受けられるが、実際の運用面ではトラブルも多く、墜落した際の機体回収の問題など、負の側面も多く存在することを、ウィキリークスの機密文書は教えてくれる。
アフガニスタン紛争2001年-
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E7%B4%9B%E4%BA%89_(2001%E5%B9%B4-)
2011年2月8日(火)日経ビジネス
オバマは言う。アフガニスタン戦争は「正しい戦争」!
2010年11月28日にウィキリークスが公開を始めた米国務省の秘密公電は、アフガニスタン戦争をめぐるオバマ政権内部の迷走ぶりを、リアルに伝えている。
もともとバラク・オバマは、大統領選挙キャンペーンの時から「アフガニスタン戦争を外交・安全保障政策の最優先課題にすべきだ」と主張していた政治家の1人だった。
イラク戦争に反対した数少ない議員の1人として、オバマ氏は「イラク戦争は間違い、アフガニスタン戦争は正しい」と位置づけていた。アフガニスタン戦争の立て直しは、バラク・オバマの選挙公約の1つであった。
2001年11月に、わずか1カ月足らずの戦闘で国際テロ組織アルカイダを庇護していたタリバン政権を崩壊させた米国は、ハミド・カルザイ氏を中心に国内各勢力の代表を集めた新政府を誕生させた。
野に下ったタリバンやアルカイダの指導部は、アフガニスタン国境を越えてパキスタン側の国境付近に潜伏し、カルザイ政権に対する反乱武装闘争を指揮した。このアフガニスタンとの国境付近は、パキスタン政府の実効支配が及ばない「連邦直轄部族地域(FATA)」と指定されており、部族による独自の慣習法と自治が認められている。
政権を追われたタリバンは、いわばパキスタンに「亡命政府」をつくってカルザイ政権への反乱闘争を続けているのである。
タリバン政権崩壊後、国際社会の支援を受けて誕生したカルザイ政権は、タリバンの影響力の強い南部・東部の実効支配に失敗し、莫大な国際社会からの援助にもかかわらず、経済復興を実現し雇用を創出することができずにいる。
カルザイ政権の閣僚やその親族ばかりが裕福になり、腐敗が蔓延する中、同政権は民衆の支持を失い、それと同時に反政府勢力としてのタリバンが徐々に力を盛り返していった。
タリバンはアフガン政府の治安機関や米軍など外国軍に対するテロを激化させ、治安は著しく悪化。治安が悪くなれば復興事業はストップし、復興が進まなければ政府や米軍に対する民衆の不満はますます増大し、タリバンへの支持が高まるという悪循環に陥り、タリバンの支配地域が次第に拡大していった。
こうした中でオバマ政権は、2009年12月1日に、3万人規模の新たな米軍部隊をアフガニスタンに派遣し、2011年7月には撤退を開始することを盛り込んだ新アフガン戦略を発表した。3万の増派部隊をタリバンの影響力のもっとも強い南部・東部地域に投入し、タリバンの勢いを止める。
そして、アフガン政府の能力、とりわけ治安機関を強化して、アフガン側に早期に権限を移譲していくという戦略であった。
生半可なレベルでない腐敗状態のカルザイ政権!
オバマ政権がわざわざ撤退開始期限を明示したのには理由があった。
通常軍隊を派遣してこれから戦争をやろうという時に、「~までに撤退します」と宣言することはない。敵は喜んで米国が撤退するまで待って、その後にアフガン政府を倒してしまえばいいからだ。
あえてそうせざるを得なかったのは、カルザイ政権がいつまで経っても米国の支援に対する依存を断ち切ることができず、自らの足で立ち、アフガン政府の機能向上に努めようとしないからだった。カルザイ政権の腐敗が酷過ぎるため、何の条件もつけずにただ増派して、支援を強化しても無駄だと考えられたのである。
実際、カルザイ政権の腐敗は生半可なレベルではない。2009年10月19日、カール・エイケンベリー駐カブール米国大使は、カルザイ政権高官たちによって、出所不明の現金が毎日のようにドバイに運ばれている様子を報告している。
「報告には大きなばらつきがあるものの、カブール国際空港から入手した記録は、カブールからドバイへ莫大な額の不審な現金の移動が週ごと、月ごと、そして年ごとに起きていることを示している。極秘の報告書によれば、7、8、9月の3カ月間に1億9000万ドル以上の現金がカブールからドバイに運ばれている。しかし、実際の額はそれ以上であろう。直接情報を持つある職員が最近、大使館付財務省員に対して、7月中にたった1日で7500万ドルもの現金がカブール空港からドバイに持ち出されたと語っているからである」
エイケンベリー米大使は、この公電の中で、「こうした現金の輸送にはPamir航空が使われることが多いが、この航空会社は、カブール銀行とカルザイ大統領の弟であるマフムード・カルザイが所有している」と報告している。またこうした現金の出所については、
「現時点で確実なことを知ることはできないものの、アフガニスタンから出て行っているこれらの現金は、違法なものと合法なものが入り混じっていると考えられる。麻薬取引業者、腐敗した政府高官、そして合法的な会社のオーナーたちが何百万ドルもの資金をアフガニスタンに置いておいても何の利益にもならないため、国外の口座や投資のために動かそうという動機があるものと推測される。アラブ首長国連邦政府は、米麻薬取締局(DEA)とアフガン麻薬捜査当局による捜査の結果、昨年アフガニスタンのアフマド・マスード副大統領が5200万ドルの現金を持って入国しようとしたところを取り押さえている。結局、その資金の出所を突き止めることなく、副大統領を解放せざるを得なかったが…。」
と述べている。アフガニスタン政府高官が、麻薬取引と関係するダーティー・マネーをドバイに持ち出していることを強く示唆する公電である。
米国務省や米連邦捜査局(FBI)やDEAなどは、カルザイ政権高官と麻薬ビジネスのつながりや、ドバイへの資金移動の動きに業を煮やしたのだろう。政権内でこのような公電が飛び交った数ヵ月後から、欧米メディアでこの種のカルザイ政権の腐敗に関する記事が大量に報じられるようになる。
「何十億ドルもの資金がカブールからドバイに流れ、裕福なアフガン政府関係者が豪華な屋敷を購入している」
米『ウォールストリート・ジャーナル』紙や独『シュピーゲル』誌は、「2007年以来、少なくとも30億ドルの現金が、スーツケースや箱に入れられてカブール国際空港から国外に持ち出された」というスクープ記事を連発した。この間のアフガニスタンの国内総生産(GDP)の合計が135億ドル相当と見積もられていたので、国外逃避した資金の量がどれくらい多いか想像がつくだろう。
逮捕されたカルザイ大統領の側近!
米政府とアフガン政府の捜査当局がこのカブール空港からの資金逃避の捜査を進めていると、意外な会社が浮かび上がってきた。アフガニスタン最大の送金サービス会社である「ニュー・アンサリ両替」である。2007年から2010年2月までに、公式記録では31億ドル以上の現金が国外に流出しているが、その大部分にあたる27億8千万ドルをこの「ニュー・アンサリ」が手掛けていたことを突き止めたのである。
「ニュー・アンサリ両替」は90年代前半に、タリバンの拠点である南部のカンダハルで設立されており、そもそもタリバンとの関係が深い会社だった。しかし一方でカルザイ大統領の弟マフムード・カルザイ氏がパートナーをつとめており、カルザイ政権の中枢にもコネクションを持っていた。つまりこの会社は、カルザイ政権とタリバン、そして麻薬ビジネスを繋ぐブラックマネーの送金を一手に引き受けている可能性が高かったのだ。
「すでに議論してきたように、ニュー・アンサリはアフガン政府高官を腐敗させるための賄賂やその他さまざまな違法資金の送金を促し、アフガニスタンやUAEにある多くのダミー会社を通じて麻薬取引業者や反乱武装勢力、それに犯罪集団たちに違法な金融サービスを提供してきた…。カブールに本社を置くニュー・アンサリはドバイや他の世界中の金融センターとコネクションを持っている。法執行機関やNATO軍は現在ニュー・アンサリに対する捜査を進めており9月8日にはワシントンでも説明を行った…」
エイケンベリー米大使は、2009年10月18日にこのような公電を送っていた。そしてこの凄まじいアフガン政府の腐敗の温床を潰すため、米政府のあらゆる機関が協力して当たらなければならない、とワシントンにリーダーシップを促した。
この後の経過は、米メディアが、おそらくは米政府のリークを受けて詳細に報じている。
この捜査を進めたのは、アフガン捜査当局の中でも大物麻薬取引業者に対する捜査を担当する「極秘捜査局(SIU)」で、米麻薬取締局(DEA)が全面的に支援していた。また政府高官の腐敗や組織犯罪の捜査を担当する「重大犯罪特別捜査班(MCTF)」も合同で捜査に協力した。こちらは米連邦捜査局(FBI)が育てた機関で、FBIがアフガン要員の訓練や犯罪捜査の事実上の指揮をとっている。
米捜査機関の指揮の下、SIUとMCTFが腐敗容疑でニュー・アンサリのカブール事務所を家宅捜索したのは、2010年1月14日のことだった。そして、この家宅捜索から5カ月が過ぎ、さまざまな証拠を入手した米・アフガン捜査当局が狙いを定めた人物は、何とカルザイ大統領の側近中の側近で、アフガン政府の国家安全保障会議の議長をつとめたモハメド・ジア・サレヒ氏だった。
米捜査当局は、この大物逮捕に向けて慎重に事を進めた。
莫大な量の現金がカブール国際空港から国外に流出しており、カルザイ政権高官が絡んでいることを示唆する情報をメディアにリークし、米『ウォールストリート・ジャーナル』紙がこれを報じたのが6月25日。そして続く7月に捜査当局は、汚職容疑でサレヒ氏を逮捕した。
米・アフガン捜査当局は、サレヒ国家安全保障会議議長が、ニュー・アンサリ両替とカルザイ政権を繋ぐキーマンだと考えたのである。そしてサレヒ氏がニュー・アンサリに対する捜査を中止させる見返りに賄賂を要求している会話を録音し、この盗聴テープを決定的な証拠としてサレヒ氏の逮捕に踏み切ったのだった。
逮捕されたカルザイの側近はCIAの協力者!
ところが、このサレヒ氏の逮捕に、カルザイ大統領は激怒した。大統領はすぐに捜査当局に圧力をかけ、逮捕からわずか7時間後にサレヒ氏を釈放させると、米FBIやDEAが支援するアフガン捜査当局のSIUとMCTFを大統領自身が任命したメンバーで構成される委員会の監視の下に置き、「捜査の見直しを行う」と発表したのである。
「私は彼らの捜査に反対しているわけではない。しかしこれらの捜査機関は外国からの干渉や政治的圧力から自由でなくてはならない」
2010年8月20日の演説でカルザイ大統領はこのように述べて、両捜査機関を指揮してきた米政府を痛烈に批判した。そしてその5日後、今度は米『ニューヨーク・タイムズ』紙が劇的なスクープ記事を掲載した。
米・アフガン捜査当局に汚職容疑で逮捕されたサレヒ国家安全保障会議議長は、長年にわたって米中央情報局(CIA)から資金を受け取っていた米諜報機関の協力者だと報じられたのである。
サレヒ氏は、もともとウズベク系軍閥のボス・アブドル・ラシッド・ドスタムの通訳を長年つとめた人物である。ドスタムは2001年に米国がアフガン攻撃を行った際に、CIAに協力し、当時のタリバン政権を打倒するために、民兵を米軍に協力させた軍閥の一つであった。サレヒ氏とCIAの関係は少なくともこの頃まで遡る根深いものだというのである。
この記事を書いたデクスター・フィルキンズとマーク・マッゼッティは、この記事の情報源は「アフガン政府及び米政府関係者」としか明らかにしていない。ここで言う「アフガン政府関係者」はおそらくカルザイ大統領に近い筋であろう。
「これまでCIAに協力してきた我々の仲間を逮捕するとは何事だ。あんたらのやっていることは矛盾だらけだ」
カルザイ大統領派としては、これまで米国に協力してきた仲間を裏切るのであれば、こちらだって知っていることを暴露するぞ、と米国を脅す意味も込めて、「サレヒ=CIA・コネクション」についてメディアにリークしたのではないか。
オバマ政権の対アフガン戦略の柱である3万人の増派作戦は、はじめからカルザイ政権の腐敗対策とセットだった。カルザイ政権の腐敗を糺さずに増派だけすれば、「腐敗した政府を助ける」だけになり、いつまで経っても政府は安定しないからである。
しかし、腐敗対策はカルザイ大統領の反発を受けて壁にぶつかり、カルザイ政権とオバマ政権間の激しい情報暗闘に発展。本来パートナーとして手を組まなければならないはずのカルザイ政権との関係はズタズタになっていったのである。
米国を裏切るパキスタンの諜報機関!
一方、もう1つの重要なパートナーであるパキスタンにも、オバマ政権は悩まされ続けた。
前述したようにタリバンやアルカイダの指導部はアフガニスタンとの国境付近のパキスタン領内に潜伏している。そこで米国はパキスタン政府に対し、この「聖域」に隠れているタリバンやアルカイダを攻撃し、アフガニスタンとの国境近辺に彼らの拠点をつくらせないようにと猛烈な圧力をかけ続けている。
しかし、アフガニスタンのタリバンやアルカイダはそもそもパキスタンの諜報機関(Inter-Services Intelligence ISI)が育てた民兵部隊である。パキスタン軍やISIは、自国の後背地に友好的な勢力を置くことで、敵対勢力に背後から撃たれないようにするという戦略的な考え方を持っている。
パキスタンにとって一番の安全保障上の脅威はインドであり、インドとの対抗上アフガニスタンをパキスタン寄りにしたい。アフガニスタンで親インド勢力に権力を握らせないようにすることが、パキスタンが何より気にかけていることなのである。
ウィキリークスが公開した秘密公電で、アン・パターソン駐パキスタン米大使(当時)は次のように報告していた。
「2009年9月23日:パキスタンのエスタブリッシュメントがテロリストや過激派勢力に対する支持をやめることが、(米政府のアフガン戦略を)成功させる主要な要素である。しかし、パキスタンが(米国の)支援強化を、武装勢力に対する支援を放棄するのに十分な見返りとしてとらえる可能性はない」
パターソン大使はこのように述べ、いくら米国がパキスタンに支援をしたところで、その見返りとしてパキスタンがタリバンへの支援を止めることはないだろうとの悲観的な見方を示していた。そしてパキスタンのエスタブリッシュメントの間で、「インドがアフガニスタンへの影響力を強めてパキスタンを挟み撃ちにしようとしている」との懸念がパラノイア(妄想症)のごとく強いため、
「もし米国がインドとの関係を改善させ続ければ、パキスタンのエスタブリッシュメントのパラノイアはさらに強くなり、彼らをアフガニスタンやカシミールのテロリスト・グループの近くへ追いやってしまうだろう」
と分析している。パキスタン軍や諜報機関の中には、米国がインドとの関係を強化し、アフガニスタンでも親インド勢力を支援しているため、それに対抗するタリバンを支援するという戦略的思考が存在するのである。
実際ウィキリークスの「アフガン戦争文書」には、タリバンとパキスタンの諜報機関ISIの繋がりを指摘する報告書が数多く含まれていた。
「2009年1月5日:パキスタン、連邦直轄部族地域(FATA)、南ワリジスタンのワナを拠点とする反アフガン政府部隊指揮官が、ザマライの死に対する復讐の計画について議論する会合を開催。この会合はワナにある××の邸宅で開催された。3名の身元の確認できない年配のアラブ系の男性も参加した。この3名は影響力のある人物であると思われる(情報源コメント:このアラブ系男性は大規模な警護チームが付いていたことから重要人物だと考えられる)…(中略)…ハミド・グル、元パキスタン諜報機関ISIのメンバーも会合に参加した。ハミド・グルは非常に年配でISIの中でも影響力のある人物だと言われている」
ここで登場する「ザマライ」とはその数日前に米中央情報局(CIA)の無人機攻撃で殺害されたオサマ・アル・キニのゲリラ名である。
ハミド・グルはパキスタン諜報機関ISIの将軍で、1987年から89年までISIの長官をつとめた人物である。この情報源は、「ハミド・グルがISIの同意の上でこのような活動をしているのかどうかは不明」と報告している。
この会合では、ザマライ殺害に対する復讐としてアフガニスタンで自動車自爆テロを実行することが話し合われた。この文書はさらに、
「ハミド・グルは反アフガン政府部隊指揮官たちに対して、アフガニスタン国内での作戦に焦点を絞るように促した。というのも、パキスタン政府の治安機関は反アフガン政府部隊指揮官やその戦闘員がパキスタン国内にいることに目を瞑るからだ」
との情報を伝えている。パキスタン・スパイ機関の元長官が「反アフガン政府部隊指揮官」、すなわちタリバンの指揮官たちに、「パキスタンにいる間は心配ないので、アフガニスタン国内の作戦に集中しろ」とアドバイスをしているというのである。
さらにパキスタン諜報機関ISIがテロリストの自爆テロの訓練をしていることを示す文書もある。
「アフガニスタンとパキスタンのテロリストのネットワークは、カブールにおける自爆テロ攻撃を計画している。この計画のプロセスは、自爆攻撃者の訓練、作戦区域の偵察、作戦計画、輸送や自爆攻撃者の滞在場所や実際の攻撃の実施に分けられる。一般的にカブールの自爆作戦はパキスタンにいる×××の責任である。彼はISIの××事務所のメンバーであり、彼の任務の一部は×××である…」
個人名や所属部隊などの情報は削除されているものの、アフガニスタンの首都カブールで実施される自爆テロ攻撃が、パキスタンの諜報機関ISIメンバーの責任の下で計画・実施されている、とこの文書は述べている。これまでもパキスタン諜報機関とタリバンの関係については多くが語られてきたが、具体的にパキスタンの情報機関員が自爆テロ作戦の指揮をとっていることを示す証拠が明らかにされたのは、このウィキリークス文書が初めてであろう。
オバマ政権のパートナーであるはずのカルザイ政権も、「対テロ戦争の同盟国」であるはずのパキスタン政府も、実際には米国の利益に真っ向から反対する政策をとり、米国の足を引っ張っている。
ウィキリークスの秘密文書は、バラク・オバマが「正しい」と信じたアフガニスタン戦争が迷走に迷走を重ねているという現実を、圧倒的なリアリティを持って我々に伝えているのである。
編集部注 「ウィキリークス」に関しては連載コラム「オバマと戦争」でも関連記事があります。あわせてお読み下さい。
ウィキリークスで“タダ漏れ”された「秘密資料」の読み方
米国諜報史上に残るCIAの大失態
軍事作戦を仕切る“素人”CIA
* * * * * * * * * * * * *
【ファイルNO1】前代未聞 メガトン級の機密漏えい事件に迫る
【ファイルNO2】ウィキリークスを作るために生まれた男
【ファイルNO3】CIA長官「暴露された機密情報の影響を調べよ」
【ファイルNO4】アメリカの国家機密を漏洩した男
【ファイルNO5】911テロのトラウマが機密情報の大量漏洩を可能にした・・・
【ファイルNO6】暴かれた「北朝鮮・アルカイダ・コネクション」
【ファイルNO7】曝されたCIAと米軍特殊部隊の「秘密戦争」
【ファイルNO8】テロ、暗殺、拷問、無差別殺人―公開された「戦争の悲劇」
片山さつき提供:片山さつきブログ
2010年11月09日
尖閣については、この写真、ブログ読者の方で、転用されたい方は、どうぞ!(すでにお申し入れがありましたので)
写真集作成者さんも、できるだけ多くの方にご覧いただきたいというご意向で、現在私も自民党幹部にも相談して、良い方法をかんがえているところです。
ところで、今朝は、党本部で根室の長谷川市長他、北方領土関係者がお見えになって、あのソ連邦時代ですら起きなかった前代未聞のロシア大統領の国後島訪問について、話し合いました。
現在ロシアの駐在している河野大使は、官邸の秘書官を含め外務省では本当にエリートコースで、「松の廊下」しか歩いて来なかった人です。わたしはその場で会えて外務省から答えさせたのですが、こういうコースの人は、アメリカかイギリス留学で、ロシア語はできないし、ロシア、ソ連大使館勤務経験もありません。
欧州の外交に強い各国にいるようなロシアスペシャリストは、日本の外務省には非常に少ないし、中国や共産圏諸国のように、外交官に徹底して語学を叩き込む訓練もしていません。
私は、ソ連邦が崩壊したときうに、大蔵省の国際金融局でロシア、東欧の担当になり、破綻しそうなこれらの国への債務の繰り延べや、援助パッケージのとりまとめをてがけてきました。
当時のフランスの担当チームのヘッドはいまの欧州中央銀行総裁のトリシェ総裁。アメリカは、サマーズ元財務長官でした。今思えばゴールデンメンバーで、日本は、サミット開催国にあたる93年前後には相当中心的役割を果たしていたのです。
そのころ「政治改革」一辺倒で政局騒ぎを起こし、自民党を割った、そのことにより、不良債権問題はじめ、多くの重要課題に、政治が対応できなくなってしまった、、。小沢一朗氏の罪は、大きいと思います。
当時、日本の外務省のロシア情報があまりにとぼしく、かつ遅いので、国際金融界や商社から情報集めしていました。フランスやイギリスのカウンターパートに聞いたほうが、はるかに早くて正確、、。当時からこの国の外交ってなんなの?まあそれは霞ヶ関の常識でもあるわけですが、、。
それに加えて中国とロシアの大使が二人とも、その道のプロではない、、。
そして、官邸に素人政権が座っている!!!
仙谷官房長官いわく「日本とロシアは交戦状態”Q!」あんたアホカ?
これは悪夢です!中国大使は、民主党が伊藤忠の丹羽さんの取り込み?のため?にか、民主政権の民間登用として任命しました、、。ロシア大使のほうは、自民党政権の末期の最後にこの方になったのは、ちょうどいい年次に、ロシアの専門家がいないからでしょう。よってこちらは構造問題。自民党外交族も、責任あります。
いずれにせよ、メドベージェフ大統領のこのような動きについて、直前に察知せず、日本政府として猛然たる抗議のアクションもとれなかった、、。当然国会に呼んでもいいくらいですが、モスクワに帰してしまった。
あのころ、ロシアは金融破綻し、経済は混乱の局地。私はこの機に乗じて援助をてこに領土問題をうごかかせばいいのに、自民党も意外とのんびりだなあ、と見ていましたが、いまやロシアは経済力がついてしまい、日本からも「進出させていただく」、という空気になってしまっています。
そのなかで、大統領の国後訪問以前から、計画されていたとはいえ、この状況で12日の金曜日に日露経済フォーラムを東京のホテルで開く、経済界同士なら淡々とやればいいですが、経済産業大臣の基調報告が予定され、大統領が副大統領くらいは出席するかもしれない、、。
サルコジ大統領が、中国との巨額の商談をまとめるにあたって、中国首脳を大接待した、と最近ニュースになっていますが、彼らは中国と領土その他でもめているわけではありません。もともと「中華思想」的な国で、中国とはパイプがありますが、ノーベル平和賞受賞者の拘束については早々に抗議しています。
金曜日はどうするのか、、。
根室の一行の申し入れに対して、予算委員会を理由になかなか会おうとしない総理。
【ムネオ日記】2010年11月3日(水)
1日、ロシアのメドベージェフ大統領が国後島を訪問した時、北方領土返還運動原点の地、根室市では元島民はじめ、市民が集まり緊急集会を開き「返せ北方領土」と書かれた鉢巻きを着け「島を返せ」と七度、シュプレヒコールしている。
外交は政府の専管事項である。ロシアに向けて声を出すのではなく、何故日本政府に向けて「領土問題解決に向けて首脳会談を行え」「外務省はまじめに取り組んでいるか」「政府はもっと真剣に領土問題をロシアに訴えれ」と叫ばないのか。
橋本、小渕、森政権迄は日露関係は良好で、領土問題も前進し、島は近づいた。小泉政権以後はどうなったか。政治のツケ、外務官僚の不作為で今回のような状況を招いている。元島民も根室市も政府に向かって声を出すことをお勧めしたい。外交交渉は、国対国のやりとりであるのだから。
それにしても平成13年3月25日イルクーツクでの森・プーチン会談は、一番島が近づいた時期だった。その一ヶ月後小泉政権が誕生し、田中外相の登場である。冷戦時代の、四島一括に戻ってしまい、積み上げてきたものが無くなってしまった。
外交は積み重ね・信頼が基本である。基本を忘れて良い外交は出来ない。小渕首相が倒れなければ、森首相がもう一年続いていたら、と政治の世界「タラ」「レバ」は無いことは承知しているが、思い起こす時、何とも言えぬ無念さ、悔しさが込み上げてくる。歴史を作るというのは、難しいものである。
しかし、昨日の一部朝刊で、鈴木宗男、橋本龍太郎、森喜朗らの時は、ロシアとは太いパイプがあったと書かれている。テレビでも、テリー伊藤さんは「鈴木宗男さんみたいな人が居ないと駄目だ」とのコメントもあった。日露関係の事が話題になる時、「鈴木宗男」という名前が出るだけでも私は国益にかなう仕事をしてきたと自負するものである。
人を批判するのは結構だが、一所懸命頑張った者が否定され、何もしないのが良いとされる社会は衰退していくのみである。
私以上にロシアに一所懸命取り組んでくれる政治家の出現を待ちたい。私は与えられた立場、環境で少しでも北方四島解決に向けて世論喚起をして参りたい。
◇領土問題の敗北は日米同盟がウソである事の裏返しである
2010年11月02日 天木直人提供:天木直人のブログ
領土問題が菅民主党政権の下で急に表面化した。その理由はもちろん菅民主党政権の無能・弱体がある。このままでは日本の領土は失われてしまう。
しかしここまで中国やロシアに押しまくられた本当の理由は米国が日本を本気になって支持しないからである。よく考えてみればいい。日本は米国の同盟国である。日米同盟はもちろん有事の際にお互いが軍事的に協力する事を約束する関係である。
しかし有事に至らなくても政治的に支援する関係であるはずだ。ところが米国は尖閣問題で同盟国でもない中国に押し切られて黙ってしまった。
北方領土問題に至っては米国の態度はもっと酷い。なぜ北方領土問題が起きたのか。なぜ北方領土問題がここまで解決困難なのか。それは米国のせいだ。
スターリンのソ連が日本との不可侵条約を一方的に破って日本の敗戦直前に参戦し、ドサクサに紛れて北方領土を不法占拠した。それを許したのが米国のルーズベルト大統領であった。
戦争が終わってサンフランシスコ講和条約を結んだ時、米国はその講和条約で日本が放棄した千島列島の範囲をわざと曖昧にし、その範囲をめぐって日本とソ連(ロシア)を永遠に争わせようとしたのである。日露分断作戦である。
日本は今こそ日米同盟を盾にとって米国に領土問題での明確な日本支持を要求すべきなのである。ところが前原外相やメディアは一切それを言わない。書かない。
それどころか日米同盟が揺らいできたから中国やロシアが攻勢になってきた、だから日米同盟はもっともっと強化しなければならない、米国の要求は何でも聞かなければならない、と主張している。それは逆だ。
領土問題という主権のかかったもっとも重要な政治問題で、同盟国を明確に支持できない米国は本当の同盟国なのか。これだけ日本が犠牲を払ってきた日米同盟はウソだったのではないか、と米国に迫らなければならないのだ。
日米同盟を根本的に見直す時期が来ているということだ。この事を誰も言い出さないところに度し難い日本の対米従属の姿がある。中国やロシアになめられるはずである。
外交では、昔から宮廷外交とか、首脳外交とか言われているように、一国のトップリーダーが、権謀術数うずまく国際場裡で、場数を踏んだ各国首脳との間で、大きな歴史的流れをくみ取り、大所高所、しかも臨機応変に、自ら決断を行い、国益を守っていくことが求められる。その意味で、いかに首脳外交が重要な役割を果たしうるか、戦略的外交とは何か、ということを、97年11月の「クラスノヤルスク合意」を例に検証しよう。これは「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」という合意である。
時は、九十六年秋の独コール首相と橋本首相の会談にさかのぼる。実は、それまで、クリントン大統領やシラク大統領などと異なり、橋本、コール関係は首脳同士でも一番疎遠な関係だった。それが、はじめての首脳同士サシでの会談、ここで、コール首相は、橋本首相の頭脳明晰さと軽妙洒脱ぶりに個人的好意を覚える。
もともと、旧東側諸国と国境を接する独としてロシアの国情安定は最重要課題であり、独として、ロシア、エリチィン大統領には経済協力をはじめ多大なコミットメントをしていた。また、個人的友情関係もあり、エリチィンはコールを西側最大の盟友と心得ていた。
そのコールが、この会談で、日露間の懸案である北方領土問題についての仲立ち、橋渡しを買ってでてくれたのである。この成果が出たのが、翌年六月のデンバーサミットである。ここで、橋本首相は、日露間の懸案について、胸襟を開き、首脳同士ノーネクタイで、しかも週末、モスクワ、東京の中間地点で非公式会談をしたい、という提案を行う。この電撃的提案をエリチィン大統領が受けるかどうか、外務省はいぶかったが、コールの強力な根回し、「ハシモトは話せる奴、できる奴。一度よく話してみろ」との意見具申が効いて応諾。十一月のクラスノヤルスクの会談になる。
会談日程が決まると、橋本首相はすぐ動く。翌月七月の講演で、「ユーラシア外交」という外交戦略をはじめて打ち出し、当時、NATOの東方拡大や経済的困窮にあえいでいたロシアに助け舟を出した。
ヨーロッパの大国と位置づけられていたロシアに対し、アジア太平洋国家としての発展の可能性を指し示し、「信頼、相互利益、長期的視点」という、いわゆる「橋本三原則」を提唱して、誘い水を、エリチィン大統領に強いメッセージを送ったのである。
大統領もそのシグナルを見逃さない。もともと、ロシア人というのは腹芸、深読み大好き人間なのだ。その証拠に、夏からクラスノヤルスク会談までの間、エリチィン大統領もしきりに「ハシモトは出来る奴、頭のいい奴」というコメントをパブリックに度々表明、日本側の反応を探る。もちろん、狙いは大規模経済援助だ。しかし、ロシアの大統領が、日本の首相のことにこれだけ触れるのもめずらしい。
こうして、お互いのボルテージがあがったところで、クラスノヤルスク会談での「二千年までに平和条約の締結に努力」という合意につながるのである。エリチィン、コール、ハシモトの首脳トライアングルの成果、まさに官僚の根回しだけでは出来ない首脳外交の真骨頂である。
ちなみに、このクラスノヤルスク会談では、多少のハプニングが起きた。エリチィン大統領の趣味は、釣りとサウナで、ここクラスノヤルスクでもわざわざ別荘を改造してロシア式サウナを設け、文字通り「裸の首脳会談」も予定されていた。また、現地に着くなり、エニセイ川の川下りと釣りが準備されていたのだ。これは、自分の得意な領域に相手を誘い込んで、こちらのペースで首脳会談を進めていこうというエリチィン流の魂胆だったが、それを知ってか知らずか、冒頭首脳同士がはじめて会う場面、橋本首相は、自分の趣味であるカメラでエリチィン大統領を「カシャ」、おまけに、日本製のコンパクトカメラをプレゼントした。エリチィン大統領はカメラなどに全く興味はなかったが、結局、ハシモトに使い方を教えてもらう羽目に。これで、自分の算段が完全に狂い、逆に、「やはりハシモトは出来る奴だ」とエリチィンは感心したらしい。
相思相愛の両国首脳が、最早、サウナでそれを確かめる必要もない。エリチィンは、その後の川下りのフェリーの中で、会談冒頭では誰も予想していなかった上記平和条約の話を持ち出す。その話題は、その日の夜か翌日に予定されていたのにもかかわらずだ。そして、川下り後のサウナ会談は必要なしということで中止された。その当時のマスコミは、大統領の健康問題だとか、日本側が外交儀礼上好まないから断ったのだとか、色々憶測で書いたが、内実は、既にうち解けて信頼関係大となっている首脳同士に、小賢しい小道具は要らなかったというだけのことだった。
橋本総理退陣後、日露関係、特に北方領土問題は様々な理由から、そのモーメンタム(勢い)を失った。まずもって橋本、コール、エリチィンといっや主役を張る役者が次々に退場したのが大きい。しかし、国際場裡で首脳同士のイニシアティブで、ある時期局面を急旋回させ活路を開いた意義というものは、それで色褪せたりはしない。首脳外交のお手本として、これからの政権も是非参考にしてもらいたいものだ。
しかし、今の民主党政権には、この外交戦略はおろか、戦術すら微塵もない。やれ尖閣だ、北方領土訪問だと、目先の事件に追われて、その場しのぎの対応にあたふたとするばかり。厳しい外交交渉の経験もノウハウも人脈もない政権幹部が、外務省が持つ情報や複雑な外交経緯すら把握せず、ひたすら外圧に右往左往している姿だけが、国民の前にさらけ出される。
「戦略も理念もない腰砕け外交」。この一点をもってしても、この政党に、この国の国民の生命・財産の安全、国土の保全を任せておくわけにはいかない。
◇ああ!外交無策・・・露大統領国後訪問!
2010年11月15日 江田憲司提供:江田けんじNET 今週の直言
ロシアのメドベージェフ大統領が、先般、国後島を訪問した。現職の大統領が、実効支配しているとはいえ、日本との間で紛争のある北方領土を訪れたのは初めてのことだ。
なぜ、こうした事態に立ち至ったのか。それは、民主党政権の「外交無策」、「ロシアほったらかし外交」の「成果」に他ならない。
ただ、かといって民主党だけの責めに帰すのは若干不公平だ。ことは、小泉政権時代の「ほったらかし」にもあるからだ。この北方領土問題は、橋本政権の「クラスノヤルスク合意」(後述)で頂点に達し、森政権時の「イルクーツク合意」までは、曲りなりにも、その解決へのモーメンタムがあった。それを断絶させたのは、小泉政権だったからだ。
それが政権交代で鳩山政権となり、ロシア側の期待は一気に高まった。なぜなら、鳩山首相(当時)は、日ソ共同宣言(56年)を発した鳩山一郎元首相(祖父)との関係もあり、ロシアとの関係、北方領土問題の解決について並々ならぬ意欲示したからだ。あわよくば、半年以内にこの問題について前進させるという考えを打ち出してもいた。
しかし、それは、鳩山氏の見事なくらいの、いつもの「口先政治」に他ならなかった。昨年11月には、メドベージェフ大統領も、日本の首相の意欲に呼応して「領土問題を前進させたい」との積極的な発言をしていたものの、半年たっても一年たっても何らアクションを起こさない政権に失望し、そして、鳩山氏が首相退任した後、二度も訪ロしたにもかかわらず、単なる世間話、社交をして帰るに及んで、ロシア側の堪忍袋の緒が切れたのだ。「こんな、何ら戦略も提案もない民主党政権をこれ以上相手にしてもしょうがない」。
こういった背景が、択捉島近海での露軍の軍事演習、対日戦勝記念日(9月2日)の策定につながり、それに対し、何ら反発のメッセージを示さない民主党政権をさらにみくびり、今回の国後訪問に至った、といのが真相だろう。
今回のAPECでの日ロ首脳会談では、「北方領土は我が国の固有の領土。この問題を前進させよう」と言った菅首相に対し、露大統領は「クリル諸島(北方領土のロシア名)はロシアの領土であり、将来もそうあり続ける」と答えたという。ロシア側の関心事項である「経済協力」には言及したものの、領土問題は取り合わなかった。これでは、四島の帰属問題ありと初めて認めた東京宣言(93年)よりも後退した、と批判されてもしょうがないだろう。これらは、すべて、民主党政権の外交無策、対ロ無策に起因するものなのだ(次週に続く)。
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